追忆傅高义先生与《日本第三》

周牧之 东京经济大学教授


这个冬天真的很冷!2020年12月20日,忘年老友傅高义(Ezra F. Vogel)也离我们而去。

2007~2009年我在麻省理工学院做客座教授期间与傅老相交频繁,应傅老邀请,我还在哈佛大学费正清东亚研究中心挂名过一年客座研究员。


 

2009年,在我返回东京之前,曾经两度长时间地与傅老进行了对谈。对谈内容首先在新华社《环球》杂志分三次进行了连载。2010年2月10日,以《日本第三》(以下简称《对谈》)为题,由美国新闻周刊《Newsweek》的日文版作为封面故事刊载。当时正值中国GDP规模超越日本之际,这篇讨论日本与中国发展模式的异同性,回顾和展望中美日三国关系的过去、现在和未来的《对谈》,在国际上引起了较大的反响。

2019年,为纪念“平成”与“令和”两个时代的交替,新闻周刊推出特刊《Newsweek看“平成”》,十年前作为封面故事刊载在该杂志上的《对谈》入选其中,在平成最后的十年中(2008〜2019)只有三篇文章获此殊荣。《对谈》能够成为“平成的历史记忆”,傅老也非常高兴。

傅老离世已逾月余,在中国、美国和日本已经举办了多场纪念活动,发表了许多纪念文章。在此,想追忆几点于我而言傅老的魅力所在。

2019年2月13日新闻周刊特刊《Newsweek看“平成”》

从人的命运审视社会变迁


傅老与我虽然年龄相差很大,但却在中国和日本都有很多共同的朋友,我们经常在一起聊一些老朋友们的故事。例如著名经济学家于光远先生,是傅老改革开放初期来中国做研究时的知音和支持者。于老更是我在经济学上的指路人,从我还是大学生的时候就一直栽培呵护有加。改革开放初期广东省的领导人任仲夷先生与傅老的交情也非常长久。2001年9月,我在广州举办“中国城市化论坛—大城市群发展战略”国际研讨会时,任老不仅替会议邀请了广东全省上下许多重要领导干部的参会,还携夫人一起入住作为会场的酒店长达一周。那是一段温馨的时光,在会议闲暇,任老夫妇、于老、陶斯亮大姐等许多老朋友们在一起聊了很多很多。

又如在日本,曾经做过自民党干事长的加藤纮一先生是傅老的挚友,他们相识很早,傅老一直对加藤先生期许甚高,认为他能堪当一代名相。可惜2000年倒森(森喜朗首相)运动的“加藤之乱”未果,加藤总理之梦破碎。加藤先生与我也相交甚深,2005年在我筹办“北京-东京论坛”时,加藤先生不仅应邀欣然参与,还予以了大力支持,可谓是亲力亲为。

在一起讨论老朋友们的故事和一些双方感兴趣的人与事,不仅增进了我们之间的共鸣,同时还让我看到了傅老把知己友人的人生喜怒哀乐融入自己研究的独特学术风格。喜欢与人促膝交流,在中日两国都有许多知己,从这些朋友的命运中感知东亚激荡时代的脉动,这是只有傅老才能成就的研究方法。

祖父和父亲都是小说家的我,也喜欢从人的命运去捕捉和把握社会变迁。对我而言,傅老对人物本身的喜爱是一种魅力。

傅老的《邓小平传》就是一部把人的命运与社会的激荡交相映照的代表作。

2009年傅高义与周牧之于波士顿傅宅

来自漫长动荡时代体验的洞察力


在与傅老的讨论中,最让我感佩的是他从自身体验中转化而来的洞察力。出身犹太人的傅老根据自己的体验,把犹太人在美国所处环境的改变看作是这个国家包容性的变化,进而把美国的包容性尺度的变化,投射到美国对日本、对中国关系的变化上去。这无疑是一个极其重要的视角。

傅老一生经历了战前战后漫长的岁月,有着跨越时代的亲身体验作为支撑,他的思考与那些停留在书本知识上的演绎完全不同,充满感性和敏锐。

战后的中国与日本,在现代化起跑线上大相径庭。虽然是战败国,但是日本的社会水平、产业水准与中国相比要高出甚多,两个国家所处的国际环境也大不相同。中国所直面的问题更加复杂,更加尖锐。傅老认为正因为如此,被严峻的困难所锤炼出来的中国领导人的人格魅力和把控全局的能力非同寻常。

不是以单纯的观念和数据进行思考,傅老更重视的是超越意识形态的人格魅力,这应该是他从漫长人生体验中获得的社会洞察力之精髓。

傅高义著作《日本第一》《邓小平传》封面

聚焦中、美、日三国及其 不断变化的相互关系


傅老一直不断地对中美日三国进行比较研究,拥有多个比较轴是他研究的一个重要独特性。正因为如此,傅老才能看到很多别人难以看到的风景。

曾经在日本引起了巨大反响的著作《日本第一》的英文原版有一个副标题:“Lessons for America(对美国的启示)”。这本书不仅着重分析了战后日本经济高速增长的原因,也有着刺激美国社会的目的。这是得益于他独到的比较视角,才能完成的大作。

不只是比较研究,傅老更关注三个国家之间不断变化的关系。中美日三国关系的动态变化不仅创造了历史,还在继续创造历史。傅老正是强烈地意识到这一点,非常关心研究分析能够导致三国关系变化的原因。这也是我们交谈中的一个重要话题。

《对谈》已经成为十年前的往事,时代发生了更大的巨变。与傅老共同的老友也大多相继辞世,傅老本人也驾鹤仙去。对我而言这似乎象征一个时代的终结,思及至此,伤感异常。撰此短文,聊表对傅老和其他长辈老友的追思和怀念。

2009年12月1日新华社《环球》杂志封面故事

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新闻周刊《Newsweek》日文版封面故事《日本第三》

ジャパン・アズ・ナンバースリー


日本語版『Newsweek』誌2010年2月10日号 カバーストーリー

対談:中国が世界第2位の経済大国に
―環太平洋のパワーシフトは3国の関係とアジアの未来をどう変えるのか

 


  中国13億人市場の躍進はアジアの覇権を競い合ってきた日本、アメリカ、中国の関係を劇的に変化させつつある。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者エズラ・ボーゲルが語る「日米中トライアングル」の将来像とは。

  今年、中国はGDP(国内総生産)で日本を抜いて世界第2位の経済大国となる。複雑な国内矛盾を抱える中国は金融危機後も成長軌道を変えず、一方で高い技術力と生産性で「奇跡」を起こした日本経済にかつての活力はない。

 多極化が進む世界でアメリカ、日本、中国の関係はどう変わるのか。アジア太平洋地域の命運を握る3国の未来について、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者で日本研究の第一人者であるエズラ・ボーゲル・ハーバード大学名誉教授と気鋭の中国人経済学者、周牧之・東京経済大学教授が対談した。


 第二次大戦後、東アジアでは時間のズレはあるにせよ、日本も中国も高度経済成長を実現してきた。両国の発展には、アメリカ市場依存という共通点がある。09年の金融危機直後にはどこかアメリカの災難を喜ぶような空気もアジアにあったが、今では中国、日本、アメリカ経済が一体であるという意識が共有されている。

ボーゲル 同感だ。99年のNATO軍の旧ユーゴスラビア中国大使館誤爆事件、01年の南シナ海の米中軍用機衝突事故の際には米中関係は緊張した。今はあのときのような緊張感はない。中国の指導者はアメリカ経済がうまくいかなくなることは自分たちにとっても不利だと理解している。

 中国と日本の発展には農村から都市への急速な人口移動があった点で共通している。ただ、日本では農村人口が比較的スムーズに都市に溶け込んだのに対し、中国では出稼ぎ労働者がいまだに都市住民になれず、大きな犠牲を強いられている。金融危機直後、数千万人の出稼ぎ労働者が職を失って農村に戻らざるを得なかった。

ボーゲル 出稼ぎ農民は農村に帰っても構わないと思う。沿海地区のような生活レベルではないが、暮らせないわけではない。沿海地区での経験や学んだ積極性を生かせば新しい仕事を探せるはずだ。

 その後中国では景気が急速に回復し、大半の出稼ぎ労働者が都市部へ戻ることができている。

■日本が活力を失った訳

 中国と日本は社会的活力の沸騰によって経済発展が支えられた点も共通する。しかし日本では90年代にバブル経済が崩壊するとその活力が失われた。なぜか。

ボーゲル 成長が突然止まったことが理由だ。当時の日本人には経済は一貫して成長を続けるものだという認識があった。終身雇用制や年功序列といった高度成長期の組織ルールがその後の時代に合わなくなったこともある。

 日本の社会や企業は経済が右肩上がりで成長する前提でつくられている。

ボーゲル 日本は70年代も毎年10%増の成長をしていくと思われていたが、成長率は実際には5%前後に落ちていた。当時の日本人はそれを受け入れることができた。しかしここ最近、日本経済はあまりにも停滞している。

 日本では従業員利益が重視され、社会保障も充実している。しかしこれに頼る社会的風潮が人々の意欲不足を招いている面も否めない。他方、中国はセーフティーネットの不備によって社会の緊張感が高まり、多くの問題をもたらしている。と同時に、それが経済の活力を刺激している部分もある。

ボーゲル 日本と中国の発展を比較する上で異なるのはその「起点」だ。50年代の日本の技術・教育レベルは既にかなり高かった。(経済開放が始まった)78年の中国の技術レベルは50年代の日本に及んでいなかったと思う。
 対外開放の面でも両国は大きく異なる。日本には島国思想があり、外国人が国内で働くのを好まない。外国企業にも極力進出させないから、本当の意味の「開国」はしたがらない。外国人が果たした役割の大きさという点で、中国は日本をはるかにしのいでいる。

中国の発展は30年続く

 日本は市場こそ国外にあるが、その発展を担ってきたのは主に国内企業だ。

ボーゲル 帰属意識も違う。日本人は1つの企業で働き続けることを望むが、そう考える中国人は少ない。中国では80年代から転職が一般化し、今では学校を卒業して退職するまで同じ企業に勤める人は少ない。

 日本は中央政府が財政の再分配で地方の公共サービスや義務教育、社会保障を支えてきた。中国はそうした発想に乏しかった。

ボーゲル 中国は沿海地区が発展しているとはいえ、まだ貧しい国だ。日本は50年代に社会保障や医療体制も確立されていた。
 中国が勝っているのは、発展がより長く続くという点。日本の50年代から80年代の発展はスピードこそ速かったが労働力のコストも右肩上がりで、最後は製造業の国際競争力が失われた。
 中国は人口が多く、高度成長が30年続いてなお都市に出稼ぎに行く農民がいる。まだ労働力集約型産業が通用する。中国はあと20年から30年は発展の余地があると思う。

「小聡明」なエリート

 経済発展の過程で政府の果たす役割が非常に大きかったことも、日本と中国に共通している。ただし日本と比べて中国は、中央による地方政府へのコントロールがそれほど徹底していない。他方、地方の自主性が少ない日本では、地方政府が積極性に欠けることが、地方経済の衰退を招いた。

ボーゲル 中国のように大きい国で、中央政府が省から鎮、村レベルまで完全にコントロールするのは難しい。鄧小平は地方政府に権力を分け与え、その積極性を高めた。

 (経済開放の必要性を訴えた) 92年の鄧小平の南巡講話以降、地方同士の競争が激しくなった。地域間の競争は経済発展の一大原動力になっている。
 ただ財政の再分配システムが不十分なため地方の格差が広がっている。特に農村の教育が深刻だ。

ボーゲル 50年代には日本の教育は既に高いレベルにあった。50年代から60年代は懸命に外国に学んでいたが、その後内向きになり90年代には外国に注意を払わないようになった。
 日本のもう1つの特徴は国内に文化的な差異がないこと。関東と関西といってもその差は小さい。一方、中国は文化が多様で少数民族も多い。
 私は、毎月1回自宅に日本人を招いている。彼らは日本人同士での意思疎通は非常にスムーズだが、アメリカ人との交流はそれほど得意でない。文化的背景が異なる人と交流する経験が少ないからだ。中国人はその経験がある。文化の多様性の長所だ。
 中国政府が現在行っている高級幹部の留学制度は素晴らしい。外国といかにコミュニケーションするかを学ぶ上で有利だ。

 その多くはハーバード大学に来ている。

ボーゲル 日本人ももちろん来ている。しかし彼らは帰国した後、企業や政府機関に「籠もって」しまう。日本人は聡明は聡明だが中国人が言うところの「小聡明(小才)」。一定の範囲内の聡明さに限られる。中国人のほうが大局的だ。

 社会背景の複雑さが違う。中国に比べて日本のエリート層は対処する問題の複雑さや深刻度が異なり、もまれる機会も相対的に少ない。

ボーゲル 国内問題が複雑でないことが、外国との交渉や国連の場でコミュニケーション力のある日本のリーダーがなかなか生まれない事態を招いている。

日本を避ける留学生

 中国は今年GDPで日本を抜くだろうが、日本はまだ多くの分野で中国の前を走っている。

ボーゲル 中国向けの技術移転に際して、日本企業は核心技術の「ブラックボックス化」を進めている。

 技術移転に関して日本企業は欧米企業よりずっと保守的だ。

ボーゲル アメリカ企業の経営者が利益を重視するのに対し、日本企業のリーダーは未来を重視する。核心技術部門は国内にとどめようとする。必ずしも数字の上だけで経営判断をしない。

 グローバル化時代のビジネスモデルが勝敗を決める。金融危機後、巨額赤字を計上したパナソニックが世界で230にも上る製造拠点を抱えるのに対し、アップルは自前の工場を持たず、iPodもiPhoneもほとんどは中国で委託生産している。身軽なため、非常に高い利益率を達成している。
 80年代には優秀な中国人が日本に留学に来たが、今は皆アメリカに行きたがる。これは日本社会が外国人にあまりチャンスを与えないことと関係している。

ボーゲル アメリカは開放されている。われわれユダヤ人がいい例だ。昔は企業でも大学でも職を得ることが難しかった。しかし第二次大戦後は大企業や大学で職を得るだけでなく、指導的地位に就く人も増えた。

 日本の貿易総額に占める中国との貿易のウエートは既に20%に達した。対してアメリカは14%に低下した。日本企業が中国で雇用する中国人労働者は1000万人を超え、両国経済がますます密接になっている。当然摩擦も増える。

ボーゲル 日本では、企業は従業員の待遇を重視している。中国でも日本企業の中国人労働者に対する待遇は一般に悪くないはずだ。

 ただし、大半の日系企業が日本人と中国人の境界をなくしていない。中国に進出した欧米企業の現地法人トップには中国人が多いが、日系企業にはまだ少ない。こうした傾向は、アメリカに進出する日系企業にも見られる。

■米中の新しい関係

 米中は第二次大戦で共に日本と戦い、冷戦期にも共同でソ連に立ち向かった。オバマ大統領は、米中関係を「21世紀で最も重要な2国間関係」と評しているが、これは「3度目の協力関係」を意味するのだろうか。

ボーゲル アメリカ政府は中国との信頼関係を築くことを目指している。ジェームズ・スタインバーグ国務副長官の言う「戦略的再確認」だ。そのためには相互の誠実な交流、とりわけ双方が軍事分野の透明性を拡大することが欠かせない。われわれは両国が排外的なパートナーシップを結ぶことは望んでいない。

 アメリカに明確なアジア政策はあるのか。

ボーゲル アメリカ大統領は基本的なアジア政策を有しているが、必ずしも統一された、連続性がある長期的なものではない。人権問題は1990年代こそ重要だったが、今ではかなりトーンダウンしている。

 中国はいわばアメリカ中心の世界システムの「外」で発展した。中国の台頭をアメリカはどうみているのか。

ボーゲル 私は中国がアメリカの「外」にいるとは思わない。中国の発展は米中関係が正常化した後に始まった。われわれが中国への支援を開始した78年当時は冷戦期で米中関係は同盟に近かった。89年の事件以後、関係に変化があったが、それはソ連が崩壊し冷戦が終結したからだ。
 米中関係が最も緊張したのは、李登輝がアメリカを訪れた95年からの数年間だと思う。台湾の独立宣言をアメリカが止めることができるか中国は懸念していた。

 馬英九政権の誕生で両岸関係は完全に変化し、台湾が独立を持ち出すことはなくなった。このような状態はアメリカにとって想定内か?

ボーゲル 想定内だ。だがそのスピードはアメリカの想定を超えている。馬は大陸との良好な関係を望んでおり、これは大陸にとっても台湾にとってもいいことだ。
 台湾と特別な関係を維持してきたと思う日本だけが面白くないだろうが、反対するすべはない。アメリカにとって両岸関係の改善は歓迎すべきものだ。アメリカの対中問題のなかで最も解決困難なのが台湾問題だったからだ。

■日米同盟はどこへ行く

 中国の発展に対する日米の態度の違いはどこにある?

ボーゲル アメリカ人は単に金を稼ぎたいだけ。金を稼げるなら場所や方法は問わない。現在多くのアメリカ人が上海や北京でビジネスをしているが、彼らは中国を1つのチャンスと捉えている。金を稼げればいいから国家などのことはあまり考えない。
 日本は違う。資源のない島国で工業分野の国際競争力があるだけで、金融分野ではアメリカ、イギリスはもちろん香港にさえ及ばない。アメリカは、何でもうまくやれると楽観的だ。中国の発展を恐れてはいない。

 第二次大戦中、中国人はアメリカ人を偉大な友人と思っていた。だからその後、アメリカが日本と同盟を結んで中国に向かい合っていることを理解し難い。

ボーゲル 第二次大戦後、日本人が謙虚に変わったことが1つの原因だ。戦争が間違いだったと知り、平和を求めるようになった。58年に初めて日本に行って以来日本人と付き合っているが、日本人は礼儀正しく面倒見も良く頼りになる。もう1つの原因はソ連だ。

 冷戦が終わって20年たった今、日米同盟はアメリカにとって何を意味するのか。

ボーゲル 日米同盟はもともとソ連に対抗するものだったが、冷戦後、その意味はアジアでのプレゼンス維持に変わった。われわれには頼れるパートナーが必要だ。
 2つ目の理由は、世界のGDPにおけるアメリカの占める割合の減少が関係している。第3の理由は、日本が協力的なこと。ヨーロッパは日本より大きいが、国の数が多く事情が複雑だ。日本は1人の首相で事が定まる。日本ほど協力的で力量があり、態度が好ましい国はない。

 万一、釣魚島(尖閣諸島)で中国と日本が衝突したらアメリカはどうするか。

ボーゲル 政府内でこの問題を討議したことがある。日本を支持するという者もいたが、大多数は国際法上の結論が出ない以上、日本を支持できないという意見だった。ただし、もし他国が日本を攻撃した場合は別だ。われわれは当然日本を支持する。

日中接近の「根拠」

 日中関係は微妙な状態が長く続いている。今後、米中関係にどのような影響を与えるだろうか。

ボーゲル ホワイトハウス関係者に「日中関係が良くなることは脅威でないのか」と聞いたことがある。彼が言うには、(日中関係は) それほど良くはならない、恐れているのはそのことではない、と。

 おそらく彼はむしろ日中関係が険悪になることを恐れている。

ボーゲル 日中関係が悪くなれば、いろいろ面倒が起きる。ただ20〜30年後は状況が変わるだろう。19世紀末の世界の最強国家はイギリスだった。当時日本とイギリスの関係は非常に良かった。1930年代にはドイツが世界最強国の1つだったが、やはり日本はドイツと関係が良かった。第二次大戦後、日本はアメリカと緊密な関係を築いている。日本の近代史から分かるように、日本は最強国と良い関係を結ぶということだ。

 かつて中国が強かった時代には中国と関係が良かった。

ボーゲル 当然、中国側がどう出るかという問題がある。目指しているのは真の友人関係でなく、「まあまあの友人関係」というところだろう。

 日米関係も最近微妙に変化している。 民主党代表だったときの小沢一郎が「極東の米軍は第7艦隊で十分」と発言した。

ボーゲル 英語には「ヘッジ(リスク回避)」という言葉がある。万一の問題が起きたときの逃げ道を用意するという意味だが、多くの日本人はこのような考え方をしている。万一アメリカとの関係に問題が生じた場合に備えて、中国やほかの国との関係を良くしておかねばならない。

■東アジア構想の狙い

 鳩山政権は対等な日米関係と同時に東アジア共同体構想を提唱している。アメリカが含まれるかについて鳩山由紀夫首相と岡田克也外相の意見は必ずしも一致していないようだ。

ボーゲル 過去50年間で初めて日本に全面的な政権交代が起きた。民主党は与党の経験がなく、内部でそのビジョンも統一されていない。もし夏の参院選で勝って政権基盤が固まれば、きちんとした政策が出てくるだろう。

 中国政府は一貫してASEAN(東南アジア諸国連合)プラス日中韓の東アジア共同体構想を提唱しているが、鳩山政権が示した東アジア共同体構想にはインド、オーストラリア、ニュージーランドも新たに加わっている。その真意はどこにあるのか。

ボーゲル 日本がアジアでさらに重要な役割を果たしたいと思っていることは理解できる。オバマ政権は現在、アメリカがアジアで果たすべき役割を強化しようとし、 そこには当然、アジアにおける重要な議論に参加することが含まれる。アメリカは日本の新政権が新しい政策を固めるのに時間が必要なことは理解しているし、待つこともできる。

 


周牧之(Zhou Muzhi)
1963年中国湖南省生まれ。湖南大学卒。中国国務院機械工業部勤務を経て88年に日本留学。07年から東京経済大学教授。07〜09年、マサチューセッツ工科大学客員教授。著書に『中国経済論―高度成長のメカニズムと課題』(日本経済評論社)がある。

エズラ・ボーゲル(Ezra F. Vogel)
1930年オハイオ州生まれ。67年から00年までハーバード大学教授。58〜60年と75〜76年に日本に滞在し社会構造を研究。79年に『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を出版した。93〜95年にはクリントン政権の東アジア担当国家情報分析官を務めた。

(※敬称略。所属・役職等は『対談』当時のもの)

2010年2月10日新闻周刊《Newsweek》封面

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