追忆傅高义先生与《日本第三》

周牧之 东京经济大学教授


这个冬天真的很冷!2020年12月20日,忘年老友傅高义(Ezra F. Vogel)也离我们而去。

2007~2009年我在麻省理工学院做客座教授期间与傅老相交频繁,应傅老邀请,我还在哈佛大学费正清东亚研究中心挂名过一年客座研究员。


 

2009年,在我返回东京之前,曾经两度长时间地与傅老进行了对谈。对谈内容首先在新华社《环球》杂志分三次进行了连载。2010年2月10日,以《日本第三》(以下简称《对谈》)为题,由美国新闻周刊《Newsweek》的日文版作为封面故事刊载。当时正值中国GDP规模超越日本之际,这篇讨论日本与中国发展模式的异同性,回顾和展望中美日三国关系的过去、现在和未来的《对谈》,在国际上引起了较大的反响。

2019年,为纪念“平成”与“令和”两个时代的交替,新闻周刊推出特刊《Newsweek看“平成”》,十年前作为封面故事刊载在该杂志上的《对谈》入选其中,在平成最后的十年中(2008〜2019)只有三篇文章获此殊荣。《对谈》能够成为“平成的历史记忆”,傅老也非常高兴。

傅老离世已逾月余,在中国、美国和日本已经举办了多场纪念活动,发表了许多纪念文章。在此,想追忆几点于我而言傅老的魅力所在。

2019年2月13日新闻周刊特刊《Newsweek看“平成”》

从人的命运审视社会变迁


傅老与我虽然年龄相差很大,但却在中国和日本都有很多共同的朋友,我们经常在一起聊一些老朋友们的故事。例如著名经济学家于光远先生,是傅老改革开放初期来中国做研究时的知音和支持者。于老更是我在经济学上的指路人,从我还是大学生的时候就一直栽培呵护有加。改革开放初期广东省的领导人任仲夷先生与傅老的交情也非常长久。2001年9月,我在广州举办“中国城市化论坛—大城市群发展战略”国际研讨会时,任老不仅替会议邀请了广东全省上下许多重要领导干部的参会,还携夫人一起入住作为会场的酒店长达一周。那是一段温馨的时光,在会议闲暇,任老夫妇、于老、陶斯亮大姐等许多老朋友们在一起聊了很多很多。

又如在日本,曾经做过自民党干事长的加藤纮一先生是傅老的挚友,他们相识很早,傅老一直对加藤先生期许甚高,认为他能堪当一代名相。可惜2000年倒森(森喜朗首相)运动的“加藤之乱”未果,加藤总理之梦破碎。加藤先生与我也相交甚深,2005年在我筹办“北京-东京论坛”时,加藤先生不仅应邀欣然参与,还予以了大力支持,可谓是亲力亲为。

在一起讨论老朋友们的故事和一些双方感兴趣的人与事,不仅增进了我们之间的共鸣,同时还让我看到了傅老把知己友人的人生喜怒哀乐融入自己研究的独特学术风格。喜欢与人促膝交流,在中日两国都有许多知己,从这些朋友的命运中感知东亚激荡时代的脉动,这是只有傅老才能成就的研究方法。

祖父和父亲都是小说家的我,也喜欢从人的命运去捕捉和把握社会变迁。对我而言,傅老对人物本身的喜爱是一种魅力。

傅老的《邓小平传》就是一部把人的命运与社会的激荡交相映照的代表作。

2009年傅高义与周牧之于波士顿傅宅

来自漫长动荡时代体验的洞察力


在与傅老的讨论中,最让我感佩的是他从自身体验中转化而来的洞察力。出身犹太人的傅老根据自己的体验,把犹太人在美国所处环境的改变看作是这个国家包容性的变化,进而把美国的包容性尺度的变化,投射到美国对日本、对中国关系的变化上去。这无疑是一个极其重要的视角。

傅老一生经历了战前战后漫长的岁月,有着跨越时代的亲身体验作为支撑,他的思考与那些停留在书本知识上的演绎完全不同,充满感性和敏锐。

战后的中国与日本,在现代化起跑线上大相径庭。虽然是战败国,但是日本的社会水平、产业水准与中国相比要高出甚多,两个国家所处的国际环境也大不相同。中国所直面的问题更加复杂,更加尖锐。傅老认为正因为如此,被严峻的困难所锤炼出来的中国领导人的人格魅力和把控全局的能力非同寻常。

不是以单纯的观念和数据进行思考,傅老更重视的是超越意识形态的人格魅力,这应该是他从漫长人生体验中获得的社会洞察力之精髓。

傅高义著作《日本第一》《邓小平传》封面

聚焦中、美、日三国及其 不断变化的相互关系


傅老一直不断地对中美日三国进行比较研究,拥有多个比较轴是他研究的一个重要独特性。正因为如此,傅老才能看到很多别人难以看到的风景。

曾经在日本引起了巨大反响的著作《日本第一》的英文原版有一个副标题:“Lessons for America(对美国的启示)”。这本书不仅着重分析了战后日本经济高速增长的原因,也有着刺激美国社会的目的。这是得益于他独到的比较视角,才能完成的大作。

不只是比较研究,傅老更关注三个国家之间不断变化的关系。中美日三国关系的动态变化不仅创造了历史,还在继续创造历史。傅老正是强烈地意识到这一点,非常关心研究分析能够导致三国关系变化的原因。这也是我们交谈中的一个重要话题。

《对谈》已经成为十年前的往事,时代发生了更大的巨变。与傅老共同的老友也大多相继辞世,傅老本人也驾鹤仙去。对我而言这似乎象征一个时代的终结,思及至此,伤感异常。撰此短文,聊表对傅老和其他长辈老友的追思和怀念。

2009年12月1日新华社《环球》杂志封面故事

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新闻周刊《Newsweek》日文版封面故事《日本第三》

ジャパン・アズ・ナンバースリー


日本語版『Newsweek』誌2010年2月10日号 カバーストーリー

対談:中国が世界第2位の経済大国に
―環太平洋のパワーシフトは3国の関係とアジアの未来をどう変えるのか

 


  中国13億人市場の躍進はアジアの覇権を競い合ってきた日本、アメリカ、中国の関係を劇的に変化させつつある。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者エズラ・ボーゲルが語る「日米中トライアングル」の将来像とは。

  今年、中国はGDP(国内総生産)で日本を抜いて世界第2位の経済大国となる。複雑な国内矛盾を抱える中国は金融危機後も成長軌道を変えず、一方で高い技術力と生産性で「奇跡」を起こした日本経済にかつての活力はない。

 多極化が進む世界でアメリカ、日本、中国の関係はどう変わるのか。アジア太平洋地域の命運を握る3国の未来について、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者で日本研究の第一人者であるエズラ・ボーゲル・ハーバード大学名誉教授と気鋭の中国人経済学者、周牧之・東京経済大学教授が対談した。


 第二次大戦後、東アジアでは時間のズレはあるにせよ、日本も中国も高度経済成長を実現してきた。両国の発展には、アメリカ市場依存という共通点がある。09年の金融危機直後にはどこかアメリカの災難を喜ぶような空気もアジアにあったが、今では中国、日本、アメリカ経済が一体であるという意識が共有されている。

ボーゲル 同感だ。99年のNATO軍の旧ユーゴスラビア中国大使館誤爆事件、01年の南シナ海の米中軍用機衝突事故の際には米中関係は緊張した。今はあのときのような緊張感はない。中国の指導者はアメリカ経済がうまくいかなくなることは自分たちにとっても不利だと理解している。

 中国と日本の発展には農村から都市への急速な人口移動があった点で共通している。ただ、日本では農村人口が比較的スムーズに都市に溶け込んだのに対し、中国では出稼ぎ労働者がいまだに都市住民になれず、大きな犠牲を強いられている。金融危機直後、数千万人の出稼ぎ労働者が職を失って農村に戻らざるを得なかった。

ボーゲル 出稼ぎ農民は農村に帰っても構わないと思う。沿海地区のような生活レベルではないが、暮らせないわけではない。沿海地区での経験や学んだ積極性を生かせば新しい仕事を探せるはずだ。

 その後中国では景気が急速に回復し、大半の出稼ぎ労働者が都市部へ戻ることができている。

■日本が活力を失った訳

 中国と日本は社会的活力の沸騰によって経済発展が支えられた点も共通する。しかし日本では90年代にバブル経済が崩壊するとその活力が失われた。なぜか。

ボーゲル 成長が突然止まったことが理由だ。当時の日本人には経済は一貫して成長を続けるものだという認識があった。終身雇用制や年功序列といった高度成長期の組織ルールがその後の時代に合わなくなったこともある。

 日本の社会や企業は経済が右肩上がりで成長する前提でつくられている。

ボーゲル 日本は70年代も毎年10%増の成長をしていくと思われていたが、成長率は実際には5%前後に落ちていた。当時の日本人はそれを受け入れることができた。しかしここ最近、日本経済はあまりにも停滞している。

 日本では従業員利益が重視され、社会保障も充実している。しかしこれに頼る社会的風潮が人々の意欲不足を招いている面も否めない。他方、中国はセーフティーネットの不備によって社会の緊張感が高まり、多くの問題をもたらしている。と同時に、それが経済の活力を刺激している部分もある。

ボーゲル 日本と中国の発展を比較する上で異なるのはその「起点」だ。50年代の日本の技術・教育レベルは既にかなり高かった。(経済開放が始まった)78年の中国の技術レベルは50年代の日本に及んでいなかったと思う。
 対外開放の面でも両国は大きく異なる。日本には島国思想があり、外国人が国内で働くのを好まない。外国企業にも極力進出させないから、本当の意味の「開国」はしたがらない。外国人が果たした役割の大きさという点で、中国は日本をはるかにしのいでいる。

中国の発展は30年続く

 日本は市場こそ国外にあるが、その発展を担ってきたのは主に国内企業だ。

ボーゲル 帰属意識も違う。日本人は1つの企業で働き続けることを望むが、そう考える中国人は少ない。中国では80年代から転職が一般化し、今では学校を卒業して退職するまで同じ企業に勤める人は少ない。

 日本は中央政府が財政の再分配で地方の公共サービスや義務教育、社会保障を支えてきた。中国はそうした発想に乏しかった。

ボーゲル 中国は沿海地区が発展しているとはいえ、まだ貧しい国だ。日本は50年代に社会保障や医療体制も確立されていた。
 中国が勝っているのは、発展がより長く続くという点。日本の50年代から80年代の発展はスピードこそ速かったが労働力のコストも右肩上がりで、最後は製造業の国際競争力が失われた。
 中国は人口が多く、高度成長が30年続いてなお都市に出稼ぎに行く農民がいる。まだ労働力集約型産業が通用する。中国はあと20年から30年は発展の余地があると思う。

「小聡明」なエリート

 経済発展の過程で政府の果たす役割が非常に大きかったことも、日本と中国に共通している。ただし日本と比べて中国は、中央による地方政府へのコントロールがそれほど徹底していない。他方、地方の自主性が少ない日本では、地方政府が積極性に欠けることが、地方経済の衰退を招いた。

ボーゲル 中国のように大きい国で、中央政府が省から鎮、村レベルまで完全にコントロールするのは難しい。鄧小平は地方政府に権力を分け与え、その積極性を高めた。

 (経済開放の必要性を訴えた) 92年の鄧小平の南巡講話以降、地方同士の競争が激しくなった。地域間の競争は経済発展の一大原動力になっている。
 ただ財政の再分配システムが不十分なため地方の格差が広がっている。特に農村の教育が深刻だ。

ボーゲル 50年代には日本の教育は既に高いレベルにあった。50年代から60年代は懸命に外国に学んでいたが、その後内向きになり90年代には外国に注意を払わないようになった。
 日本のもう1つの特徴は国内に文化的な差異がないこと。関東と関西といってもその差は小さい。一方、中国は文化が多様で少数民族も多い。
 私は、毎月1回自宅に日本人を招いている。彼らは日本人同士での意思疎通は非常にスムーズだが、アメリカ人との交流はそれほど得意でない。文化的背景が異なる人と交流する経験が少ないからだ。中国人はその経験がある。文化の多様性の長所だ。
 中国政府が現在行っている高級幹部の留学制度は素晴らしい。外国といかにコミュニケーションするかを学ぶ上で有利だ。

 その多くはハーバード大学に来ている。

ボーゲル 日本人ももちろん来ている。しかし彼らは帰国した後、企業や政府機関に「籠もって」しまう。日本人は聡明は聡明だが中国人が言うところの「小聡明(小才)」。一定の範囲内の聡明さに限られる。中国人のほうが大局的だ。

 社会背景の複雑さが違う。中国に比べて日本のエリート層は対処する問題の複雑さや深刻度が異なり、もまれる機会も相対的に少ない。

ボーゲル 国内問題が複雑でないことが、外国との交渉や国連の場でコミュニケーション力のある日本のリーダーがなかなか生まれない事態を招いている。

日本を避ける留学生

 中国は今年GDPで日本を抜くだろうが、日本はまだ多くの分野で中国の前を走っている。

ボーゲル 中国向けの技術移転に際して、日本企業は核心技術の「ブラックボックス化」を進めている。

 技術移転に関して日本企業は欧米企業よりずっと保守的だ。

ボーゲル アメリカ企業の経営者が利益を重視するのに対し、日本企業のリーダーは未来を重視する。核心技術部門は国内にとどめようとする。必ずしも数字の上だけで経営判断をしない。

 グローバル化時代のビジネスモデルが勝敗を決める。金融危機後、巨額赤字を計上したパナソニックが世界で230にも上る製造拠点を抱えるのに対し、アップルは自前の工場を持たず、iPodもiPhoneもほとんどは中国で委託生産している。身軽なため、非常に高い利益率を達成している。
 80年代には優秀な中国人が日本に留学に来たが、今は皆アメリカに行きたがる。これは日本社会が外国人にあまりチャンスを与えないことと関係している。

ボーゲル アメリカは開放されている。われわれユダヤ人がいい例だ。昔は企業でも大学でも職を得ることが難しかった。しかし第二次大戦後は大企業や大学で職を得るだけでなく、指導的地位に就く人も増えた。

 日本の貿易総額に占める中国との貿易のウエートは既に20%に達した。対してアメリカは14%に低下した。日本企業が中国で雇用する中国人労働者は1000万人を超え、両国経済がますます密接になっている。当然摩擦も増える。

ボーゲル 日本では、企業は従業員の待遇を重視している。中国でも日本企業の中国人労働者に対する待遇は一般に悪くないはずだ。

 ただし、大半の日系企業が日本人と中国人の境界をなくしていない。中国に進出した欧米企業の現地法人トップには中国人が多いが、日系企業にはまだ少ない。こうした傾向は、アメリカに進出する日系企業にも見られる。

■米中の新しい関係

 米中は第二次大戦で共に日本と戦い、冷戦期にも共同でソ連に立ち向かった。オバマ大統領は、米中関係を「21世紀で最も重要な2国間関係」と評しているが、これは「3度目の協力関係」を意味するのだろうか。

ボーゲル アメリカ政府は中国との信頼関係を築くことを目指している。ジェームズ・スタインバーグ国務副長官の言う「戦略的再確認」だ。そのためには相互の誠実な交流、とりわけ双方が軍事分野の透明性を拡大することが欠かせない。われわれは両国が排外的なパートナーシップを結ぶことは望んでいない。

 アメリカに明確なアジア政策はあるのか。

ボーゲル アメリカ大統領は基本的なアジア政策を有しているが、必ずしも統一された、連続性がある長期的なものではない。人権問題は1990年代こそ重要だったが、今ではかなりトーンダウンしている。

 中国はいわばアメリカ中心の世界システムの「外」で発展した。中国の台頭をアメリカはどうみているのか。

ボーゲル 私は中国がアメリカの「外」にいるとは思わない。中国の発展は米中関係が正常化した後に始まった。われわれが中国への支援を開始した78年当時は冷戦期で米中関係は同盟に近かった。89年の事件以後、関係に変化があったが、それはソ連が崩壊し冷戦が終結したからだ。
 米中関係が最も緊張したのは、李登輝がアメリカを訪れた95年からの数年間だと思う。台湾の独立宣言をアメリカが止めることができるか中国は懸念していた。

 馬英九政権の誕生で両岸関係は完全に変化し、台湾が独立を持ち出すことはなくなった。このような状態はアメリカにとって想定内か?

ボーゲル 想定内だ。だがそのスピードはアメリカの想定を超えている。馬は大陸との良好な関係を望んでおり、これは大陸にとっても台湾にとってもいいことだ。
 台湾と特別な関係を維持してきたと思う日本だけが面白くないだろうが、反対するすべはない。アメリカにとって両岸関係の改善は歓迎すべきものだ。アメリカの対中問題のなかで最も解決困難なのが台湾問題だったからだ。

■日米同盟はどこへ行く

 中国の発展に対する日米の態度の違いはどこにある?

ボーゲル アメリカ人は単に金を稼ぎたいだけ。金を稼げるなら場所や方法は問わない。現在多くのアメリカ人が上海や北京でビジネスをしているが、彼らは中国を1つのチャンスと捉えている。金を稼げればいいから国家などのことはあまり考えない。
 日本は違う。資源のない島国で工業分野の国際競争力があるだけで、金融分野ではアメリカ、イギリスはもちろん香港にさえ及ばない。アメリカは、何でもうまくやれると楽観的だ。中国の発展を恐れてはいない。

 第二次大戦中、中国人はアメリカ人を偉大な友人と思っていた。だからその後、アメリカが日本と同盟を結んで中国に向かい合っていることを理解し難い。

ボーゲル 第二次大戦後、日本人が謙虚に変わったことが1つの原因だ。戦争が間違いだったと知り、平和を求めるようになった。58年に初めて日本に行って以来日本人と付き合っているが、日本人は礼儀正しく面倒見も良く頼りになる。もう1つの原因はソ連だ。

 冷戦が終わって20年たった今、日米同盟はアメリカにとって何を意味するのか。

ボーゲル 日米同盟はもともとソ連に対抗するものだったが、冷戦後、その意味はアジアでのプレゼンス維持に変わった。われわれには頼れるパートナーが必要だ。
 2つ目の理由は、世界のGDPにおけるアメリカの占める割合の減少が関係している。第3の理由は、日本が協力的なこと。ヨーロッパは日本より大きいが、国の数が多く事情が複雑だ。日本は1人の首相で事が定まる。日本ほど協力的で力量があり、態度が好ましい国はない。

 万一、釣魚島(尖閣諸島)で中国と日本が衝突したらアメリカはどうするか。

ボーゲル 政府内でこの問題を討議したことがある。日本を支持するという者もいたが、大多数は国際法上の結論が出ない以上、日本を支持できないという意見だった。ただし、もし他国が日本を攻撃した場合は別だ。われわれは当然日本を支持する。

日中接近の「根拠」

 日中関係は微妙な状態が長く続いている。今後、米中関係にどのような影響を与えるだろうか。

ボーゲル ホワイトハウス関係者に「日中関係が良くなることは脅威でないのか」と聞いたことがある。彼が言うには、(日中関係は) それほど良くはならない、恐れているのはそのことではない、と。

 おそらく彼はむしろ日中関係が険悪になることを恐れている。

ボーゲル 日中関係が悪くなれば、いろいろ面倒が起きる。ただ20〜30年後は状況が変わるだろう。19世紀末の世界の最強国家はイギリスだった。当時日本とイギリスの関係は非常に良かった。1930年代にはドイツが世界最強国の1つだったが、やはり日本はドイツと関係が良かった。第二次大戦後、日本はアメリカと緊密な関係を築いている。日本の近代史から分かるように、日本は最強国と良い関係を結ぶということだ。

 かつて中国が強かった時代には中国と関係が良かった。

ボーゲル 当然、中国側がどう出るかという問題がある。目指しているのは真の友人関係でなく、「まあまあの友人関係」というところだろう。

 日米関係も最近微妙に変化している。 民主党代表だったときの小沢一郎が「極東の米軍は第7艦隊で十分」と発言した。

ボーゲル 英語には「ヘッジ(リスク回避)」という言葉がある。万一の問題が起きたときの逃げ道を用意するという意味だが、多くの日本人はこのような考え方をしている。万一アメリカとの関係に問題が生じた場合に備えて、中国やほかの国との関係を良くしておかねばならない。

■東アジア構想の狙い

 鳩山政権は対等な日米関係と同時に東アジア共同体構想を提唱している。アメリカが含まれるかについて鳩山由紀夫首相と岡田克也外相の意見は必ずしも一致していないようだ。

ボーゲル 過去50年間で初めて日本に全面的な政権交代が起きた。民主党は与党の経験がなく、内部でそのビジョンも統一されていない。もし夏の参院選で勝って政権基盤が固まれば、きちんとした政策が出てくるだろう。

 中国政府は一貫してASEAN(東南アジア諸国連合)プラス日中韓の東アジア共同体構想を提唱しているが、鳩山政権が示した東アジア共同体構想にはインド、オーストラリア、ニュージーランドも新たに加わっている。その真意はどこにあるのか。

ボーゲル 日本がアジアでさらに重要な役割を果たしたいと思っていることは理解できる。オバマ政権は現在、アメリカがアジアで果たすべき役割を強化しようとし、 そこには当然、アジアにおける重要な議論に参加することが含まれる。アメリカは日本の新政権が新しい政策を固めるのに時間が必要なことは理解しているし、待つこともできる。

 


周牧之(Zhou Muzhi)
1963年中国湖南省生まれ。湖南大学卒。中国国務院機械工業部勤務を経て88年に日本留学。07年から東京経済大学教授。07〜09年、マサチューセッツ工科大学客員教授。著書に『中国経済論―高度成長のメカニズムと課題』(日本経済評論社)がある。

エズラ・ボーゲル(Ezra F. Vogel)
1930年オハイオ州生まれ。67年から00年までハーバード大学教授。58〜60年と75〜76年に日本に滞在し社会構造を研究。79年に『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を出版した。93〜95年にはクリントン政権の東アジア担当国家情報分析官を務めた。

(※敬称略。所属・役職等は『対談』当時のもの)

2010年2月10日新闻周刊《Newsweek》封面

“中国中心城市&都市圈发展指数2019”城市排行榜—36座中心城市高质量发展体检成绩单出炉—

“中国中心城市&都市圈发展指数2019”
近日,由高端智库云河都市研究院编制的“中国中心城市&都市圈发展指数2019”正式发布。在综合排名的榜单上,北京、上海、深圳位列三甲,第4位到第9位的城市分别是广州、天津、成都、杭州、重庆和南京。


与2018年相比,前9位城市的排名没有变化,由于并非中心城市的苏州跻身第10位,导致武汉跌出了前10位城市。前10位城市之外,宁波、郑州、济南、福州、贵阳、石家庄、南宁、银川等城市的位次有所提升。

“中国中心城市&都市圈发展指数”是在受国家发展改革委员会发展战略和规划司委托研究开发的“中国中心城市指数”基础上发展起来的,也是国家发展改革委员会发展战略和规划司与云河都市研究院共同开发的“中国城市综合发展指标”的衍生指数,这是该指数继2017年以来的第三次年度发布。

在“中国中心城市&都市圈发展指数2019”中,东北三省的窘境显得特别突出,沈阳、长春、哈尔滨三个省会城市与上年度相比,分别下降了2个位次、1个位次、3个位次,分别屈居第21位、第26位、第29位。当年作为共和国长子的重工业基地雄风与今天在中心城市竞争中的衰退形成了尴尬的反差。


 “中国中心城市&都市圈发展指数”的一大特点是将4个直辖市、22个省会城市、5个自治区首府以及5个计划单列市,共36座城市定义为“中心城市”来作为重点分析对象,放在全国297个地级及以上城市的大盘中进行评价。

根据该指数分析显示,这36座“中心城市”,今天创造了全国40.5%的GDP、51.3%的货物出口、48.6%专利授权量,集中了全国24%的常住人口、42%的DID人口、67.5%的主板上市公司,拥有全国94.8%的981&211高等学府、57.8%的五星级酒店、48.1%的三甲医院。

“中国中心城市&都市圈发展指数2019”由“城市地位、都市圈实力、辐射能力、广域枢纽、开放交流、商务环境、创新创业、生态资源环境、生活品质、文化教育”等10个大项和30个小项,114组指标数据组成,科学、系统、详尽地对中心城市的都市圈发展品质进行了全方位诊断,也是对中国中心城市高质量发展的综合评价。


“中国中心城市&都市圈发展指数”是由从“中国城市综合发展指标”的878组基础数据中精选出来的438组与中心城市&都市圈发展评价关系紧密的基础数据构成。其中,不仅包括统计数据,还有卫星遥感数据和互联网大数据。

因此,“中国中心城市&都市圈发展指数”是能够运用不同领域的数据资源,可以用“五感”来高度感知和判断城市的,先进的多模态指标体系(Multimodal Index) 。

例如通过卫星遥感数据对DID(Densely Inhabited District:人口高密集地区)进行分析,能够准确地把握都市圈的人口规模、分布和密度与经济发展、基础设施建设、社会管理、生态环境治理之间的关系,将对都市圈的研究一举提高到了更高层次。

将二氧化碳排放量纳入到该指数是“中国中心城市&都市圈发展指数2019”的一大看点。通过多年的努力,云河都市研究院攻克了通过卫星数据解析和GIS(地理信息系统)分析,准确计算各城市二氧化碳排放量的难关,大幅度地提高了城市高质量发展评价的精准度与分析的深度。


01|
城市地位大项

北京、上海雄踞城市地位大项排名前两位,而且在偏差值上相较其他城市优势显著。天津、重庆、广州、深圳、南京、杭州、成都、武汉依次位居第3位到第10位。与2018年比较,北京、上海的位次保持不变,天津、重庆、深圳的位次均有提升。特别是深圳从2018年的第9位上升到2019年的第6位。

城市地位大项,不仅注重城市的行政层级,还重视作为城市群中心城市的评价以及在一带一路、长江经济带、京津冀协同发展等国家战略的地位和表现。

为此,该大项设置行政功能、大城市群&都市圈、一带一路3个小项指标,由行政层级、大使馆 • 领事馆、国际组织、大城市群层级、中心城市层级、都市圈层级、一带一路区位指数、历史地位等8组指标数据构成。


(1)
行政功能小项:北京、上海、重庆在该小项位居前3位,排名第4位到第10位的城市分别是天津、沈阳、广州、杭州、南京、成都、武汉。首都、直辖市、省会城市在行政功能小项中占尽优势。

(2)大城市群&都市圈小项:北京、上海、深圳在该小项位居前3位,排名第4位到第10位的城市分别是广州、天津、杭州、南京、成都、重庆、合肥。长三角、珠三角、京津冀、成渝四大城市群的城市在大城市群小项中得分较高。

(3)一带一路小项:北京、上海、深圳在该小项位居前3位,排名第4位到第10位的城市分别是广州、乌鲁木齐、昆明、南京、拉萨、西安、天津。与2018年比较,北京、上海、深圳、南京的位次保持不变,广州、乌鲁木齐、昆明、拉萨、西安的位次均有提升,一带一路节点城市和贸易投资以及人员往来表现较佳的城市得分较高。


02|
都市圈实力大项

都市圈实力大项排名前3位的城市是北京、上海、深圳,从偏差值来看相较其他城市优势突出。排名前10的中心城市还有,广州、重庆、天津、杭州、成都、武汉。与2018年比较,北京、上海、深圳、广州的位次保持不变,重庆上升1个位次,杭州上升2个位次。此外,宁波、郑州、福州、济南、昆明、贵阳、石家庄、西宁、银川、呼和浩特、拉萨等城市的位次有所提升。

都市圈实力是衡量中心城市最基本的条件之一。该大项不仅注重评价城市的经济和人口规模,还注重评价都市圈的人口集中度和结构,以及其作为经济中枢的能力。

为此,该大项设置经济规模、都市圈质量、企业集聚3个小项指标,由 GDP规模、税收规模、固定资产投资规模指数、电力消耗量、常住人口、DID人口、常住人口增长率指数、人口流动、DID面积指数、都市圈人口集中度、都市圈结构、世界500强中国企业、中国500强企业、主板上市企业指数等14组指标数据构成。


(1)经济规模小项
:上海、北京、重庆在该小项位居前3位,从偏差值来看相较其他城市优势明显。排名前10的中心城市还有,深圳、广州、天津、成都、武汉、杭州。深圳、广州的经济规模已经超越天津,具备能与四大直辖市一争高下的经济实力。与2018年比较,在36个中心城市中,该小项排名前10位城市的位次保持不变,郑州、宁波、长沙、西安、合肥、福州、济南、昆明、太原、乌鲁木齐、兰州、呼和浩特、银川、西宁、拉萨等城市的位次有所提升。

(2)都市圈质量小项:上海、深圳、北京在该小项位居前3位,排名前10的中心城市还有,广州、天津、武汉、成都、杭州。在297个地级及以上城市中,2019年重庆虽然在该小项中排名第31位,但是相较2018年第43位,上升幅度较大,是提升其在都市圈实力大项位次的重要原因。在该小项中,杭州也从2018年的第13位上升到2019年的第10位,力顶其在都市圈实力大项位次的提升。

(3)企业集聚小项:北京、上海、深圳在该小项上以压倒性的优势雄踞前3位,凸显3城市企业总部集聚规模的强大。排名前10的中心城市还有,广州、杭州、南京、宁波、重庆、福州。从36个中心城市整体来看,相较于2018年,广州、宁波、福州、厦门、济南、青岛、郑州、银川、呼和浩特等城市的位次有所提升。


03|
辐射能力大项

辐射能力大项排名第1位的城市是北京,具有不可撼动的首位优势,囊括了所有小项的第1位。上海、深圳、广州、成都、杭州、南京、武汉、西安分别排名第2位到第10位。与2018年比较,在前10位中,北京、上海、深圳、杭州、南京的位次保持不变,广州、武汉的位次略有提升,成都、西安位次有所下降,天津跌出前10。

中心城市之所以能称之为“中心城市”是因为它有着对周边甚至全国的辐射能力。因此,衡量城市的辐射能力成为中心城市评价的一个关键。辐射能力大项正是衡量中心城市各项功能对全国以及周边辐射能力强弱的指标。该大项不仅考量城市在产业、科技、高等教育等领域的辐射能力,还特别注重其在生活服务领域辐射能力的表现。

为此,该大项设置产业辐射力、科学技术·高等教育辐射力、生活服务辐射力3个小项指标,由制造业辐射力、IT 产业辐射力、金融辐射力、科学技术辐射力、高等教育辐射力、文化体育娱乐辐射力、医疗辐射力、批发零售业辐射力、餐饮酒店辐射力等9组指标数据组成。


(1)产业辐射力小项
:北京、深圳、上海雄踞该小项前三甲。跻身前10的中心城市还有成都、广州、杭州、南京、厦门。从36个中心城市整体来看,与2018年比较,北京、深圳、上海、成都、厦门、福州、宁波位次保持不变,广州、重庆、武汉、合肥、海口、沈阳、太原、石家庄、西宁、乌鲁木齐、南宁、呼和浩特等城市的位次有所提升。

(2)科学技术·高等教育辐射力:北京、上海、深圳位居该小项前3位,北京在该小项优势显著。排名第4位到第10位的城市分别是广州、南京、天津、成都、杭州、武汉、西安。从36个中心城市整体来看,与2018年比较,北京、上海、长沙、大连、合肥、沈阳、太原位次保持不变,深圳、南京、天津、杭州、济南、青岛、宁波、长春、厦门、福州、石家庄、银川等城市的位次有所提升。

(3)生活服务辐射力小项:北京、上海、成都位居该小项前3位,北京在该小项优势突出。排名第4位到第10位的城市分别是广州、杭州、武汉、南京、深圳、天津、西安。与2018年比较,前6位城市位次保持不变,南京从第10位上升到第7位。深圳却反而从第7位下降到第8位。


04|
广域枢纽大项

广域枢纽大项排名第1位的是海陆空皆具优势的上海,从偏差值来看远高于其他城市。排名第2位到第10位的城市分别是广州、深圳、北京、天津、青岛、宁波、厦门、重庆、南京。与2018年比较,排名前5位的城市保持不变,青岛、厦门位次略有提升,重庆从2018年第11位上升到2019年第9位,陆路运输贡献较大。

交通枢纽是中心城市极其重要的功能,也是强化和放大其他中心功能的基础。广域枢纽是衡量城市水运、陆运和空运设施条件和运量成绩的大项。

为此,该大项设置水路运输、航空运输、陆路运输3个小项指标,并由集装箱港口便利性、港口集装箱吞吐量、水运运量指数、机场便利性、航空运量指数、铁路便利性、铁路密度指数、高速公路密度指数、国道•省道密度指数、公路运量指数等10组指标数据组成。


(1)水路运输小项
:上海、深圳、宁波在该小项位居前3位,排名前10的中心城市还有,广州、青岛、天津、厦门、大连,临海城市囊括了该小项的上位排名。

(2)航空运输小项:上海、北京、广州在该小项位居前3位,是中国最大的航空运输枢纽城市,从偏差值来看优势显著。深圳、成都、昆明、重庆、西安、杭州、郑州位居第4位到第10位。西南和西北地区对航空运输的依赖,成就了成都、昆明、重庆、西安等城市的航空枢纽地位。

(3)陆路运输小项:广州、深圳和贵阳位居该小项前3位,排名前10的中心城市还有,北京、上海、南京、重庆、武汉。在该小项中,贵阳表现抢眼。


05|
开放交流大项

开放交流大项排名前10位的中心城市分别是上海、深圳、北京、广州、重庆、天津、成都、宁波、杭州。在前10位中,与2018年比较,上海保持榜首地位不变,深圳、重庆、成都、宁波的位次有所提升。

开放交流是衡量城市在全球化背景下人、财、物交流交易程度的重要指标。

该大项设置国际贸易、国际投资、交流业绩3个小项指标,由货物出口、货物进口、实际利用外资指数、对外直接投资、入境游客、国内游客、国际旅游外汇收入、国内旅游收入、世界旅游城市指数、国际会议、展览业发展指数等11组指标数据组成。


(1)国际贸易小项
:上海、深圳、北京位居该小项前3位。排名前10的中心城市还有,广州、宁波、天津、厦门。与2018比较,宁波、成都、合肥、长沙、济南、昆明、南宁、海口等城市的位次有所提升。

(2)国际投资小项:上海、深圳、北京位居该小项前3位。排名第4位到第10位的城市分别是天津、重庆、宁波、青岛、成都、大连、武汉。与2018年比较,排名前10位的中心城市中,上海、深圳、宁波、成都、大连、武汉的位次有所提升。

(3)交流业绩小项:上海、北京、广州位居该小项前3位,从偏差值来看,前3位城市得分远高于其他城市。排名第4位到第10位的城市分别是深圳、重庆、成都、杭州、武汉、西安、厦门。与2018年比较,排名前10位的中心城市中,杭州、武汉、西安、厦门的位次有所提升。


06|
商务环境大项

商务环境大项排名前3位的城市是北京、上海、广州。深圳、成都、南京、天津、武汉、杭州、重庆排在第4位到第10位。与2018年比较,排名前10位的中心城市中,北京、南京、武汉、杭州的位次有所提升。

商务环境大项是评价城市支持交流交易经济能力的指标。该指标不仅考量纯粹的商务支持水准,还对城市的政策性支持水准予以评价。特别值得一提的是,该大项指标把市内交通水准作为商务环境的重要一环进行评判。

为此,该大项设置园区支持、商务支持、城市交通3个小项指标,由国家园区指数、自贸区指数、职工平均工资指数、对企业服务业从业人数、星级酒店指数、国际顶级餐厅指数、每万人公共汽车客运量、城市轨道交通距离、城市人行道 • 自行车道路密度指数、公交都市指数等10组指标数据组成。


(1)园区支持小项
:深圳、上海、厦门夺得该小项的前3位,排名前10的中心城市还有,海口、天津、重庆、西安。与2018年比较,排名前10位的中心城市中,深圳、海口、天津的位次有所提升。

(2)商务支持小项:北京、上海、深圳夺得该小项的前3位,排名前10的中心城市还有,广州、成都、杭州、天津、南京、重庆。与2018年比较,排名前10位的中心城市中,深圳、南京的位次有所提升。

(3)城市交通小项:北京、上海、广州夺得该小项的前3位。排名第4位到第10位的城市分别是深圳、武汉、成都、南京、兰州、杭州、乌鲁木齐。与2018年比较,排名前10位的中心城市中,北京取代上海跃居第1位,成都、兰州、杭州的位次有所提升。


07|
创新创业大项

创新创业大项排名中,深圳取代北京跃居第1位。排名前10的中心城市还有,北京、上海、广州、杭州、成都、南京、天津、武汉。与2018年比较,排名前10位的中心城市中,深圳、广州、成都的位次有所提升。

创新创业作为交流交易经济的大融合、大重组、大爆发的载体,是中心城市发展的主要原动力。因此,创新创业大项指标既注重研究开发的资源和投入,也重视研发的结果,更注重创业的成就, 同时还对在这一领域的政策支持予以评价。

为此,该大项设置研究集聚、创新创业活力、政策支持3个小项指标,由R&D内部经费支出、地方财政科学技术支出指数、R&D人员、两院院士指数、创业板 • 新三板上市企业指数、专利申请授权量指数、国家改革试验区指数、国家创新示范区指数、信息• 知识产业城市指数、国家重点实验室•工程研究中心指数等10组指标数据组成。


(1)研究集聚小项
:夺得该小项排名前3位的城市是北京、深圳、上海,从偏差值来看,北京、深圳、上海的表现远高于其它城市,表示这3座城市在研发经费支出和研发人员储备上大幅度领先其它城市。排名前10的中心城市还有,广州、南京、杭州、天津、武汉、成都。与2018年比较,排名前10位的中心城市中,深圳、广州、南京、杭州、成都的位次有所提升。

(2)创新创业活力小项:夺得该小项排名前3位的城市是深圳、北京、上海,其中深圳、北京的偏差值远高于其他城市。排名前10的中心城市还有,广州、杭州、成都、南京。与2018年比较,排名前10位的中心城市中,没有一个城市的位次有所提升。

(3)政策支持小项:夺得该小项排名前3位的城市是北京、上海、重庆,排名前10的中心城市还有,天津、成都、武汉、青岛、西安、深圳,直辖市在政策支持上的表现耀眼。与2018年比较,排名前10位的中心城市中,成都、武汉、西安、深圳的位次有所提升。


08|
生态资源环境大项

上海、深圳、北京位居生态资源环境大项前3位。排名前10的中心城市还有,广州、重庆、成都、厦门、武汉。相较于2018年,在36个中心城市中,深圳、重庆、成都、武汉、南京、长沙、贵阳、昆明、拉萨、西宁等城市的位次有不同程度上升。

对于城市发展而言,生态环境品质和资源效率已经变得越来越重要。生态资源环境大项指标在关注环境品质和资源效率的同时,还兼顾对环境努力的评价。特别值得强调的是,本年度在该大项中导入了对二氧化碳排放量评价。

为此,该大项设置资源环境品质、环境努力、资源效率3个小项指标,由气候舒适度、空气质量指数(AQI)、每万人水资源、森林面积、自然灾害直接损失指数、地质灾害直接损失指数、灾害预警、公园绿地面积、环境努力指数、绿色建筑设计评价标识项目、国家环境保护城市指数、DID人口指数、单位GDPCO2排放量、人均CO2排放量、市区土地产出率等15组指标数据组成。


(1)资源环境品质小项
:36个中心城市在该小项里,只有海口、拉萨和昆明跻身全国前30位,分别位居第15位、第17位和第27位,环境品质似乎是中心城市普遍的短板。与2018年比较,在36个中心城市中,重庆、宁波、南宁、杭州、成都、南京、兰州、西宁、合肥、长沙、武汉的位次有较大幅度的提升。

(2)环境努力小项:北京、上海、深圳位居该小项前3位。排名前10的中心城市还有,重庆、广州、郑州、南京、天津、成都。与2018年比较,在36个中心城市中,深圳、郑州、南京、成都、厦门、济南、宁波、西安、贵阳、长春、银川、太原、乌鲁木齐、呼和浩特、海口、西宁的位次有所提升。

(3)资源效率小项:上海、深圳、北京位居该小项前3位。排名前10的中心城市还有,广州、武汉、成都、长沙、南京。与2018年比较,在36个中心城市中,长沙、重庆、贵阳、拉萨的位次有所提升。


09|
生活品质大项

在生活品质大项排行榜上,北京、上海、广州位列前3位,杭州、成都、重庆、南京、武汉、天津、深圳依次排在第4到第10位。与2018年比较,排名前10的城市中,前3位城市保持不变,杭州、成都、重庆、武汉的位次略有提升。

生活品质是吸引高端人群的重要条件之一,同时,支持高水准生活品质的相关服务业也是城市发展的重要支柱。城市的安全宜居是生活品质大项首位的关注,同时该大项注重对生活消费水准的评价,还特别聚焦城市的医疗福祉水准。

为此,该大项设置安全宜居、生活消费、医疗福祉3个小项指标,由人居城市指数、文明卫生城市指数、安全安心城市指数、中国幸福感城市指数、交通安全指数、每万人社会消费品零售额、国际顶级品牌指数、每万人住宿和餐饮业营业收入、每万人电信消费、每万人居民生活用水量、平均寿命、执业(助理)医师数、三甲医院、养老服务机构年末床位数等14组指标数据组成。


(1)安全宜居小项
:上海、成都夺得该小项首位和第3位。排名前10的中心城市还有,杭州、北京、宁波、南京、西安、长沙。与2018年比较,前4位中心城市的位次保持不变,在36个中心城市中,许多城市的位次有不同程度提升,特别是西安、广州、郑州、昆明、济南、福州、拉萨、贵阳、哈尔滨、南昌、呼和浩特、兰州、太原、西宁提升幅度较大。

(2)生活消费小项:北京、上海夺得该小项前2位。排名前10的中心城市还有,广州、海口、拉萨、厦门、深圳、南京。与2018年比较,排名前10的中心城市中,北京、上海保持不变,海口、拉萨、厦门的位次有所提升。

(3)医疗福祉小项:北京、上海、重庆夺得该小项前3位,广州、成都、天津、杭州、武汉、济南、南京分别排名第4位到第10位。与2018年比较,排名前10的城市中,重庆、成都、济南的位次有所提升。


10|
文化教育大项

在文化教育大项的排名上,北京、上海、广州位列3甲,特别是北京、上海的偏差值远高于其他城市,凸显两城市在文化教育方面的雄厚资源。南京、武汉、成都、杭州、天津、重庆、深圳分别排名第4到第10位。与2018年比较,在36个中心城市中,排名前6位的城市保持不变,杭州、深圳、郑州、合肥、福州、昆明、石家庄、太原、拉萨的位次有所提升。

文化和教育是城市的精神世界。文化教育大项不仅关注城市文化娱乐生活的场所和相关消费,同时还评价其全球性、全国性的人文表现,更聚焦教育的投入和杰出人才的培养。

为此,该大项设置文化娱乐、人文表现、人才培育3个小项,由影剧院消费指数、博物馆 • 美术馆指数、体育场馆指数、动物园 • 植物园 • 水族馆、公共图书馆藏书量、世界顶级大学指数、文化大师指数、奥运冠军指数、地方财政教育支出指数、每万人在园儿童数、国际学校、高等教育指数、杰出人才培养指数等13组指标数据组成。


(1)文化娱乐小项
:北京和上海位居该小项前2位,其偏差值表现远高于其它城市,显示两城市在文化娱乐领域的领军地位。排名前10的中心城市还有,重庆、广州、深圳、成都、杭州、南京、天津。与2018年比较,在36个中心城市中,北京、上海位次保持不变,重庆、南京、郑州、长沙、济南、宁波、福州、拉萨的位次有所提升。

(2)人文表现小项:北京、上海和南京位居该小项前3位,特别是北京的偏差值远高于其它城市,体现北京在该领域的超凡地位。广州、武汉、西安、长沙、天津、杭州、成都分别排名第4位到第10位。与2018年比较,在36个中心城市中,深圳、太原、昆明、宁波四个城市位次上升幅度较大。

(3)人才培育小项:北京和上海位居该小项的前2位,其偏差值表现远高于其它城市,显示中国在教育资源上对两城市的集中。广州、天津、南京、杭州、成都、武汉、深圳分别排名第3位到第9位。与2018年比较,前5位城市保持不变,在36个中心城市中,杭州、成都、深圳、郑州、合肥、石家庄、拉萨、长春、大连、太原的位次有所提升。



2019年2月19日国家发改委印发了《关于培育发展现代化都市圈的指导意见》,开启了推进以中心城市为核心的都市圈发展政策。

云河都市研究院院长周牧之认为:“进入了新阶段的中国城镇化,迫切需要重视优化高密度集聚的人口,做强做大做优DID,这是都市圈政策的第一要义;该政策的另一个重点是推动形成中心城市与周边中小城市的互动发展格局;第三个政策目标应该是培育和强化中心功能的辐射力。特别需要强调的是中心城市作为国际交流平台的中心功能。在当今的全球化时代,国际竞争和国际交流是决胜国家命运的根本。一个国家的国际竞争和国际交流的水准,最终都体现在都市圈的国际性上。”

“中国中心城市&都市圈发展指数”正是一套根据以上的问题意识,从不同的角度和侧面去观测、评判中心城市的发展情况,为中心城市的都市圈发展提供智力抓手的指标体系。


该文发表在2020年12月29日的中国网上,并被多家主流媒体转发。

中国城市综合发展指标2019大排名

权威发布
根据由中国国家发展改革委员会发展战略和规划司与云河都市研究院共同开发的城市评价指标体系,云河都市研究院近日发布了“中国城市综合发展指标 2019”。本次发布是继2016年度以来,“中国城市综合发展指标”的第4次年度发布。

图为“中国城市综合发展指标 ”年度系列出版物封面

“中国城市综合发展指标”覆盖全国297个地级及以上城市,每一座城市都能在该指标中找到自己的长短和特色。指标从环境、社会、经济三个维度(大项)综合评价中国城市的发展。每一个大项下设置3个中项,每个中项下设置3个小项,形成3×3×3结构。每个小项又由多个指标支撑。这些指标共由785组数据构成。其中,不仅包括统计数据,还有卫星遥感数据和互联网大数据。“中国城市综合发展指标”是能够运用不同领域的数据资源,可以用“五感”来高度感知和判断城市的,先进的多模态指标体系(Multimodal Index) 。


01|综合排名

北京连续4年蝉联综合排名首位,上海排名第2位,深圳排名第3位。

“中国城市综合发展指标2019”综合排名前十名的城市分别是北京、上海、深圳、广州、重庆、杭州、成都、天津、南京和武汉。这10个城市分布在5个城市群,其中长三角城市群3个城市、珠三角城市群2个城市、京津冀城市群2个城市、成渝城市群2个城市、长江中游城市群1个城市。

在综合排名榜单中,北京、上海、深圳和广州4个城市的地位稳固,综合实力超强,连续四年稳居前四。4个城市优势各异,北京市社会大项优势无人匹敌,上海市经济大项稳居全国之首,深圳市环境大项傲立群雄,广州市三个大项平衡稳定。

重庆市本年度成绩斐然,反超天津市与杭州市,从2018年的第7位上升至第5位,提高了两个位次。而在2018年度综合排名第5位的天津,跌到了第8位,其主要原因是其环境大项排名从2018年第21位狂跌至本年度的第40位。杭州、成都、南京和武汉一直保持比较稳定的发展。

02|环境大项排名

深圳连续4年夺冠环境大项首位,上海和广州跃进至排名第2位和第3位。

将二氧化碳排放量纳入到全国城市综合发展的评价是“中国城市综合发展指标2019”一大看点。通过多年的努力,云河都市研究院攻克了通过卫星数据解析和GIS(地理信息系统)分析,准确计算各城市二氧化碳排放量的难关,大幅度地提高了城市评价的精准度与分析的深度。当然,将二氧化碳纳排放量这样一个重磅指标纳入评价体系,对综合排名,特别是对环境排名必然性地产生了一定影响,引发了一定波动。

“中国城市综合发展指标2019”环境排名前十名的城市分别是深圳、上海、广州、林芝、昌都、厦门、三亚、北京、日喀则和海口。

深圳连续4年蝉联环境大项冠军。上海和广州分别从2018年的第8位和第7位跃进到本年度的第2位和第3位。北京市下滑3个位次,由2018年度的第5位跌落至第8位。

在环境大项排名中,特别引人注目的是挤入前十位的西藏自治区的林芝、昌都和日喀则三个城市。由于西藏各城市的数据逐渐完善,作为“最后一片净土”的西藏在环境大项上的先天优势凸显。

厦门、三亚和海口一直是排名前列的三个沿海城市。虽然本年度在环境大项前十位中,新晋了3座西藏城市,厦门却仍然能够连续三年守住第6位。三亚和海口分别位列第7位和第10位。

03|社会大项排名

北京、上海连续4年分别蝉联社会大项排名首位和第2位,广州连续3年守住第3位。

“中国城市综合发展指标2019”社会排名前十名的城市分别是北京、上海、广州、深圳、杭州、重庆、成都、南京、武汉和天津。

北京、上海连续4年分别蝉联社会大项排名首位和第2位,广州市连续3年稳守社会大项排名第3位。

社会大项一直是深圳短板,但本年度有明显提升,从2018年度的第8位上升到本年度的第4位,提升了4个位次。南京市也从2018年的第10位上升两个位次,排名本年度社会大项第8位。

重庆、成都和武汉的社会大项排名都保持着2018年度的成绩,分别排名第6位、第7位和第9位。

杭州和天津的成绩略有下滑,其中杭州市下滑一个位次,排名第5位,天津市跌落5个位次,从2018年度的第5位下滑到本年度的第10位。

04|经济大项排名

上海连续4年蝉联经济大项冠军宝座,北京和深圳连续4年分别稳坐第2位和第3位。

“中国城市综合发展指标2019”经济排名前十名的城市分别是上海、北京、深圳、广州、天津、苏州、重庆、杭州、成都和南京。

在三个大项中,靠硬实力说话的经济大项其波动最小,第1位至第6位的上海、北京、深圳、广州、天津和苏州6个城市连续4年把持着各自的位置,杭州市连续两年排名第8位。

重庆和南京分别排名第7位和第10位,比2018年度分别上升了两个位次和1个位次。成都下滑两个位次,跌落至第9位。武汉有些起起伏伏,再次跌出前十,排名第11位。


该文发表在2020年12月1日的中国网上,被数十家主流媒体转载

全球抗击新冠政策大比拼:零新冠感染病例政策 Vs. 与新冠病毒共存政策

编者按为什么坐拥强大医疗资源的大都市会被新冠疫情瞬间击溃?为什么中国能够迅速地压制新冠疫情?为什么在秋冬之际,美欧日各国的新冠疫情大流行又卷土重来?云河都市研究院院长周牧之教授撰文对比各国采取的抗疫政策,进行深度剖析。


2020年1月23号为了严防新型传染病的扩散,武汉和周边的鄂州、黄冈等城市相继宣布暂停全市公交、地铁、轮渡、长途客运的运营,暂时关闭机场、火车站、高速公路等离汉通道,这一消息震惊了世界。

1月24号湖北全省启动突发公共卫生事件1级响应,此后全国各省、自治区、直辖市相继启动1级响应,到1月29号,1级响应覆盖全国。2月8号国务院联防联控新闻发布会将该新型传染病命名为“新型冠状病毒肺炎(NCP: Novel coronavirus pneumonia)”,简称“新冠肺炎”。2月11日世界卫生组织(WHO: World Health Organization)正式将新冠病毒命名为“COVID-19”。

武汉作为最早直面新冠病毒的大城市,出现了大量的感染者,医疗系统陷入了崩溃。

新冠病毒此后更是扩散到世界各地,在许多大城市造成了医疗系统崩溃的危机。3月11日,世界卫生组织将新冠肺炎宣布为全球性流行病(Pandemic)。

针对全球城市所面临的医疗系统崩溃紧迫状况,笔者在4月20日发表了《新冠疫情冲击全球化:强大的大都市医疗能力为何如此脆弱?》的论文(以下简称《4月周论文》) ,剖析了为什么拥有强大医疗资源的大城市会在新冠疫情的冲击下陷入医疗系统崩溃,论证了武汉采取措施的有效性。该论文在中国网发表后被人民网、新华网、光明网等上百家媒体和平台转载。4月21日,《4月周论文》的英文版《COVID-19: Why is medical system in metropolises so vulnerable?”》在中国网英文频道发表 ,被国新网、中国日报网等众多海内外英文媒体转载。

5月12日,《4月周论文》的日文版《新型コロナパンデミック:なぜ大都市医療能力はこれほど脆弱に?》也在中国网日文频道发表 。

《4月周论文》及时地分析了武汉抗疫的经验教训,梳理了新冠病毒大流行下城市医疗系统面临的课题和需要采取的措施,给当时在与未知病毒斗争中困惑的国内外城市起到了一定的启示作用。

半年之后,本论文在《4月周论文》的基础上,更新数据,增加图表和注释,进一步深入验证全球抗疫的不同对策和效果。

1.中国城市医疗辐射力2019

根据《中国城市综合发展指标》,云河都市研究院发布覆盖全国297个地级及以上城市的“中国城市医疗辐射力2019”。北京、上海、广州、成都、杭州、武汉、济南、郑州、南京、太原名列该辐射力排名前10位城市,天津、沈阳、长沙、西安、昆明、青岛、南宁、长春、重庆、石家庄排名第11-20位,乌鲁木齐、深圳、大连、福州、兰州、南昌、贵阳、苏州、宁波、温州排名第21-30位。其中特别值得注意的是,在新冠疫情下首当其冲的武汉排名高居第6位。

《中国城市综合发展指标》是由云河都市研究院和中国国家发展改革委员会发展战略和规划司共同开发的城市评价指标体系。从2016年开始,每年向国内外发布中国城市的排名。

该指标的特点是从环境、社会、经济三个维度(大项)综合评价中国城市的发展。每一个大项下设置3个中项,每个中项下设置3个小项,形成3×3×3结构。每个小项又由多个指标支撑。“中国城市医疗辐射力”就是这些指标的其中之一。

这些指标共由785组数据构成。其中,不仅包括统计数据,还有卫星遥感数据和互联网大数据。《中国城市综合发展指标》是能够运用不同领域的数据资源,可以用“五感”来高度感知和判断城市的,先进的多模态指标体系(Multimodal Index) 。

辐射力是评价城市广域影响力的指标,是衡量城市某产业的产品或服务向外部输出能力的指标。如果辐射力高,该产业就具有向外部输出产品或服务的能力。相反,如果辐射能力较弱,城市就需要从外部购买该产业的产品或服务。

医疗辐射力着重评价城市的医师与三甲医院等医疗资源。该辐射力排名前30位的城市集中了全国15%的执业(助理)医生、30%的卫生机构床位和45%的三甲医院。中国的医疗资源,特别是高端医疗机构向医疗辐射力排名上位城市集中的状况十分显著。这些名列前茅的城市凭借优质的医师资源和一流的医疗机构,不仅服务市民的卫生健康,还为周边乃至全国的患者提供高端医疗服务。

《4月周论文》首先提出的问题就是:为什么即使是像武汉这样一座拥有丰富医疗资源的医疗辐射力排名上位城市,面对突如其来的新冠疫情也会陷入无法对患者进行有效救治的“医疗系统崩溃”?未来城市应该如何应对流行病的爆发?

图1 中国城市医疗辐射力2019 排名前30位城市

出处:根据云河都市研究院“中国城市医疗辐射力2019”制作。

2.新冠疫情拷问全球城市医疗能力

武汉是全球首个直面新冠疫情考验的城市。武汉以27家三甲医院,近4万名医师,5.4万名护士和9.5万张卫生机构床位,名列“中国城市医疗辐射力2019”全国排名第6位,比前一年更提升了一个位次。然而,如此强大的武汉医疗能力却在新型冠状病毒的重创下,被瞬间击穿,这一现象着实值得深究和深思。

无独有偶,纽约、米兰等国际大都市的医疗能力同样被新型冠状病毒瞬间击溃。2020年4月7日发布“紧急事态宣言”,实施紧急事态措施的东京,当时也经历了医疗系统面临崩溃的危机。新型冠状病毒残酷地拷问着全球城市的医疗能力。

《4月周论文》认为新型冠状病毒导致城市陷入“医疗系统崩溃”主要由以下三大原因引起。

(1)医疗挤兑灾害

新冠疫情的一个特征是感染人数的爆发性增长。特别是疫情爆发初期,迅猛增长的感染人数和社会性恐慌导致大量感染者和疑似感染者涌向医院寻求检测和治疗。远远超出医院处理能力的挤兑造成医疗现场陷入混乱,导致无法将医疗资源有效地向重症患者救治集中,严重影响医疗救助的效率和质量,是拉升死亡率的重要原因。更加严重是,挤兑造成感染者、疑似感染者甚至家属长时间拥堵在医院的密闭空间,引发大量交叉感染(又称:院内感染),灾难性地进一步扩大疫情。

表1 中国、欧美日各国医疗资源的比较(2019)

出处:根据国家统计局《中国城市统计年鉴》、OECD数据库、凯泽家族财团数据库、日本厚生劳动省《厚生统计要览》数据制作。

从表1可以看到,美国、日本、中国的每千人医师人数分别为2.6人、2.5人、2人,医疗人力资源远低于德国的4.3人、意大利和西班牙的4人。

得益于中国的医疗资源高度集中在中心城市,武汉的每千人医师人数为4.9人,远高于全国平均水平。然而,即使拥有如此雄厚的医疗资源,也无法阻止新冠病毒疫情爆发期的挤兑导致的医疗系统崩溃。截至《4月周论文》日文版发表的前一天,即2020年5月11日,国内新冠病毒死亡人数的83.3%集中在武汉 ,其中大部分可以认为是由于医疗挤兑恐慌导致的牺牲者。

与武汉一样,在美国医疗人力资源向大城市的倾斜也很明显,纽约州每千人拥有4.6名医师。但新冠疫情的冲击下,拥有丰富医疗资源的纽约仍然没能阻止医疗系统的大崩溃。

从“每千人医师人数”来看,意大利多达4人,医疗人力资源在国际上处于较高水平。但是,在新冠疫情的爆发后也出现了严重的医疗机构挤兑灾害,引发医疗系统崩溃。米兰市所在的伦巴第大区的新冠感染人数3月2日突破千人,14日超过万人,到3月末超过4万人,呈现爆发性增长。严重的挤兑灾害导致很多重症患者得不到及时有效的治疗。截至5月11日,意大利的感染人数突破22万人,死亡人数达到3万1,000人,死亡率(死亡人数/患者人数)高达14%。

作为日本首善之区的东京都,每千人医师人数是3.3人,低于武汉、纽约的水准。所以疫情伊始,日本就把如何避免医疗机构挤兑灾害作为应对新冠疫情策略的重中之重。为此,政府制定了由保健所对核酸检测进行事前审核的制度,严格限制了检测人数 。同时还敦促人们在疫情爆发期间尽量少去医院。日本的这些措施取得了一定的效果,在一定程度上抑制了因院内感染引起的病毒蔓延。另外还使医疗资源能够有效地集中在重症患者身上,拉低了死亡率。截至5月11日,东京的新冠病毒死亡率为5.3%,低于同期纽约州的7.9%。

表2 中国、欧美日各国新冠感染人数、死亡人数、死亡率的比较

注:本表中所表示中国的新冠病毒感染人数中不含无症状感染者数据。
出处:根据Worldometer数据库、凯泽家族财团数据库、东京《新型冠状病毒感染症对策网站》、湖北省卫生健康委员会官网等制作。

表2是《4月周论文》日语版发表前一天的5月11日,与5个月之后的10月11日这两个时间点新冠疫情相关数值的比较。可以看到中国、日本、欧美主要国家、全球以及武汉、东京、纽约三个城市的新冠病毒感染人数、死亡人数、死亡率和每10万人口死亡人数。

从每10万人口新冠死亡人数来看,截至5月11日,与西班牙的56.9人、意大利的50.5人、法国的40.4人、美国的24.4人相比,日本仅为0.5人。从这个意义上说,日本在新冠疫情大流行第1波,成功地阻止了医疗机构挤兑,防止了医疗系统崩溃,将死亡人数控制在极低的水准。

从截至5月11日的新冠死亡率来看,法国高达19.1%,英国、意大利、西班牙也都达到了两位数。成功地压制了新冠疫情大流行第1波的中国为5.6%,日本是4%。这一时期,全球平均新冠病毒死亡率高达12.4%。新冠肺炎的高死亡率给整个人类社会带来了强烈的冲击。

但是,从5月11日到10月11日的这5个月的区间来看,各国和各城市的新冠病毒死亡率都急剧下降。这一期间,中国没有出现新冠病毒死亡病例,死亡率为零。日本将新冠病毒死亡率控制在1.4%。当初死亡率极高的法国和西班牙都将死亡率下降到1%。即使在累计新冠死亡人数超过20万人的美国,在这一期间死亡率也下降到了2.1%。

各国新冠死亡率的大幅度下降首先是得益于疫情爆发初期混乱导致的医疗现场挤兑逐渐得到了控制。同时,虽然还没有特效药,但各国大都确立了在某种程度上有效的治疗方法,这也是降低死亡率的重要原因。当然,随着核酸检测的普及,不断增大死亡率计算公式的分母数值,更进一步拉低了死亡率。

在上述的5个月区间,全球新冠死亡率的平均值下降到了2.2%。单从死亡率来看,新型冠状病毒好像已经没有那么可怕。但实际上,在不同年龄段,新冠死亡率的差异非常之大。存在较年轻的新冠病毒感染者死亡率低,而老年人死亡率却非常高的现象。例如,日本8月份的新冠死亡率是0.9%。按年龄段来看,0岁〜69岁的死亡率只有0.2%,而70岁以上死亡率却飙升至8.1%,这还是一个非常恐怖的数字。

特朗普总统在10月14日的演说(President Trump Addresses The Economic Club of New York)中表示,在新冠病毒死亡人数已经超过20万人的美国,50岁以下感染者的存活率是99.98%,而患有宿疾的老年人患病风险却非常高。因此,如何完善医疗防控体系,保护好老龄等高风险人群,是进一步降低新冠病毒死亡率的关键。

(2)医护人员大量减员

病毒的感染造成医护人员的大量减员是新冠疫情的另一大特征。

疫情爆发初期,各国都存在对新冠病毒传播特性缺乏认知,以及口罩、防护服、负压病房等防护资源严重短缺等问题,给医护人员增添了巨大的感染风险。这种情况使得检测采样、插管等本来就存在暴露风险的医疗行为变得更加危险。因此,各国都出现了由于感染导致的医护人员大量减员。这使得在疫情爆发下本来就紧缺的医护人员资源遭受打击,进一步加剧了挤兑灾害。

不光在救治过程中存在风险,2020年3月,日本庆应大学病院实习医生聚餐引发的医护人员大量隔离和感染,也给东京当时本来就高度紧缺的医疗人力资源造成重大打击 。

根据国际护士理事会(ICN)公布的信息显示,截至5月6日,30个上报国家的数据显示,至少9万名医护人员感染了新型冠状病毒。从各个国家的情况来看,截至5月5日,西班牙有4万3,956名医务人员感染了新冠病毒(占全部感染人数的18%)。截止到4月26日,意大利共有1万9,942名医护人员被新冠病毒感染,150名医师和35名护士死亡。

国际护士理事会9月16日公布的信息推测,全球可能已有近300万名医护人员被新冠病毒感染 。

东京都发表的数据显示,在1月至6月期间,有48家医疗机构发生了新冠病毒院内感染,医师、护士及患者共计有889人被感染,其中140人死亡。院内感染人数相当于东京同期新冠病毒感染人数的14%。院内感染造成死亡的人数达到了东京同期新冠病毒感染死亡人数的43%。院内感染不仅削弱了医务人员的战斗力,还造成患有宿疾的患者感染新冠病毒,大幅度拉高了死亡率。

即使到了10月份,医疗机构的院内感染在东京仍然频频发生。例如,足立区的大内医院在10月15日确认了39名患者和12名职员,共计51人感染新冠病毒。位于练马区的顺天堂大学医学部附属练马医院也有58人感染新冠病毒,其中有23名是患者。

新冠病毒超强的传播性严重威胁医护人员的安全,削弱医疗能力,是将城市推向医疗系统崩溃的巨大黑手。如何防止院内感染是这次抗疫进程中极其重要的环节。

(3)病床严重不足

新冠疫情爆发以来,从口罩、防护服、消毒液,到检测试剂、呼吸机、ECMO(人工肺)等,各国都出现了医疗资源紧缺的现象,其中特别值得注意的是病床的严重不足。由于新冠病毒传播性超强,为了防止感染扩大,新冠患者需要隔离治疗, 特别是重症患者需要在重症监护室(ICU :Intensive Care Unit)进行治疗。但是,在各国病床严重不足的现象都非常普遍。

从“每千人卫生机构床位数”来看,日本高达13.1张,属全球最高水准。拥有12.8万张病床的东京都,每千人床位数为9.3张。即使如此,东京在新冠疫情的第1波大流行期间也出现病床严重不足的状况。

与东京相比,意大利每千人医师人数虽然较高,但是每千人床位数却只有3.1张。美国的每千人床位数更仅为2.9张,纽约州甚至比全美平均水平还要少,只有2.6张。显然,病床不足是制约医疗机构收容能力, 致使新冠患者不能及时得到救助的一个重要瓶颈。

中国的每千人床位数为4.3张,虽然只有日本的四分之一,却高于意大利、美国的水准。特别是武汉拥有9.5万张病床,每千人床位数高达8.6张,已经相当接近东京的水准。但是武汉在新冠疫情初期也曾经受困于病床的严重不足。

其实还有一个问题就是并非所有的病床都具备接收新冠患者的隔离要求,这使得病床不足的情况在新冠疫情爆发性的挤兑下显得尤为严峻。

3.什么是有效的对策

最先经历医疗系统崩溃的武汉,在历经77天的封城之后,终于平息了新冠病毒灾难。到2020年6月中旬,中国全国各地也都逐步恢复了正常的生产、生活秩序。

中国是如何迅速地收拾局面的?验证中国的经验,对于正在苦于被新冠疫情荼毒的全世界来说都具有极其宝贵的价值。

(1)封城政策

2020年1月23日,湖北省武汉市暂停了公共交通运营,关闭了机场、火车站等离汉通道,并要求市民不要前往市外,开始实施所谓的“封城”措施 。第二天24日,根据《湖北省突发公共卫生事件应急预案》 ,湖北全省启动了重大突发公共卫生事件1级响应。响应等级规定了对被认定的感染区域采取各种措施的程度,1级响应要求停业、停课,切断交通,极力避免人员移动和接触 。

作为各省市自治区《突发公共卫生事件应急预案》的上位法规,《国家突发公共卫生事件应急预案》是在抗击非典的经验之上制定,于2006年2月26日公布的国家对突发公共卫生事件的应对措施 。

随后其他省市自治区也相继启动了重大突发公共卫生事件1级响应。到1月29日,随着西藏自治区最后一个启动1级响应,1级响应覆盖了整个中国。

图2 武汉在封城期间每天的新增新冠确诊感染病例人数与死亡人数

注1:没有1月23日封城当日,以及2月11日的数据。2月12日新增新冠病毒肺炎确诊病例激增,推测应该是由于叠加上了前一天的数据。
出处:根据湖北省卫生健康委员会官网数据制作。

图2所表示的是从封城前的1月20日到4月8日解除封城的这一期间,武汉市每天新增新冠病毒肺炎确诊病例人数和死亡人数。经历和克服了由未知病毒疫情爆发引发的医疗系统崩溃等种种困难,在封城21天后的2月13日,武汉每天新增新冠确诊病例人数终于开始下降。到封城56天后的3月18日,第一次清零新增新冠病毒肺炎确诊病例。虽然在3月23日又出现过1例新增确诊病例,但是直到4月8日解除封城之前,连续16天新增新冠病毒肺炎确诊病例持续为零。

实施切断交通和停工、停产、停课等严格限制人员移动和接触的封城措施,无疑是一剂猛药。武汉通过77天艰辛的封城抗疫,终于击退了新冠病毒的袭击。

对全国实施严格的行动限制措施很快取得了成效,中国的新冠病毒肺炎新增确诊病例迅速得到了有效控制。甘肃省2月21日率先将重大突发公共卫生事件响应级别从1级下调至3级,有条件地恢复了日常的生产生活。之后,其他地区也相继将响应级别从1级下调至3级。6月13日,随着湖北省也将响应级别从1级下调至3级,全国的响应级别都下降到了3级。由于彻底地实施清零感染病例的封城政策,中国成功地抵制住了新冠疫情灾害的第1波。

此后,中国各地根据新冠病毒感染的情况,对重大突发公共卫生事件响应级别进行了灵活的调整。例如,北京市由于出现聚集性疫情案例,在6月16日将响应级别从3级上调至2级,提高了防控等级。随着疫情得到控制,到7月20日北京又再将响应级别从2级下调至3级。

(2)快速的人力支援

针对武汉医护人员的严重不足和大量减员,中国政府迅速从全国动员大批医务人员驰援武汉。在封城的第二天,2020年1月24日,上海援鄂医疗队就率先抵达了武汉,该团队由来自上海52家医院的呼吸科、传染病科、医院感染管理科、重症医学科的136名医师和护士组成。最终全国向包括武汉在内的湖北省派遣了346支救援医疗队,派遣的医务人员数量共计多达4万2,600人。

3月8日国务院联防联控机制召开新闻发布会介绍,从医疗机构接到指令到医疗队组建完成,一般不超过2个小时。从医疗队集结到抵达武汉,一般不超过24小时。这些紧急救援举措迅速缓解了武汉的医疗压力,有效地遏制住了武汉医疗系统崩溃。

可以肯定,一个国家能否对疫区实现迅速和有力的驰援,是决胜新冠疫情一个关键,但并不是所有的国家都具有这样的能力。从纽约、东京的情况来看,即便是在医疗资源相对殷实的发达国家也很难做到动员足够数量的医护人员及时前往驰援。

更让人担心的是那些医疗资源严重短缺的发展中国家,姑且不论非洲,即使从近邻的亚洲发展中国家的人口大国来看,印度和印度尼西亚的每千人医师人数仅为0.8人和0.3人,每千人卫生机构床位数也分别只有0.5张和1张。这些本来就医疗资源稀缺,又没有足够国家驰援能力的国家,新冠疫情爆发所造成的挤兑灾害有可能会异常惨烈。因此,如何组织全球性的驰援力量迫在眉睫。问题是大部分的发达国家本身现在正深受新冠疫情荼毒,一时无暇他顾。此时此刻,中国对外的医疗援助显得格外难能可贵。

(3)迅速营建专门医院

武汉在国家的支持下迅速营建了两座高隔离等级,配备专业救治设备的重症患者专科医院,火神山医院和雷神山医院。在封城12天后的2020年2月3日,拥有1,000张病床的火神山医院投入使用,拥有1,600张病床的雷神山医院也在2月8日投入使用。

武汉还将体育场馆等改建成16家收治轻症患者的方舱医院,迅速提供了1.3万张防菌防疫等级达到三甲医院水平的病床,实现了轻症患者的收治分流,使高端的医疗资源能够向重症患者集中,缓解了挤兑灾害。

通过快速建设火神山、雷神山和方舱医院,迅速解决病床不足问题,武汉这一经验值得世界参考和学习。

在新冠疫情大流行的第1波期间,由于病床不足,日本不得不让一部分新冠确诊患者居家隔离。其实这种做法极其危险,首先居家隔离使患者的家庭成员处于危险之中,可能导致家庭内部的聚集性感染。其次患者无法得到有效的专业治疗,无法及时掌握病情的进展情况,可能耽误病情恶化下的及时转诊救治。

所幸这种居家隔离后来基本上得到纠正,目前日本也采取了将酒店等改造成为收治轻症患者设施的措施,既收容了轻症患者,也缓解了医院压力。

东京更严峻的问题是ICU的紧缺,截至2018年,日本“每10万人ICU病床数”只有4.3张,与美国的35张,德国的30张,法国的11.6张,意大利的12.5张,西班牙的9.7张相比,差距甚巨。

日本新冠病毒感染人数最多的东京在新冠疫情大流行第1波到来之时,其ICU病床只有764张,折合成每10万人ICU病床数仅为5.5张。通过种种努力,东京克服ICU病床的严重不足,勉强地熬过了疫情第1波的袭击。但是随着秋冬之际新冠疫情大流行第2波的到来,ICU病床不足的问题将重新浮出水面,成为疫情高峰期能否避免医疗系统崩溃的一大关键。

为了缓解新冠疫情大流行期间的病床紧张,各国采取的措施简直是无所不用其极。美国甚至派遣海军的医疗船驰援疫区 ,韩国更是将“紧急进口医院”当成一种新的选项。迫于新冠疫情下床位严重缺乏,韩国直接从中国的远大集团进口了整座“芯板火神山医院”。远大运用不锈钢芯板装配式建筑,快速为韩国营建了配备全新风系统和臭氧技术,具有最高等级防止交叉感染的“负压隔离病房”。该工程在当地只用了两天的装备时间就可以直接投入使用。

4.经济与抗疫能否兼而顾之

在世界各国的新冠疫情对策中,抗疫和经济两者之间的平衡是最大的政策焦点。中国通过实施强有力的封城措施,实现了新冠感染病例的清零。目前正在努力保持“零新冠感染病例”的状况。中国采取的抗疫政策可以称之为“零新冠感染病例政策(Zero COVID-19 Case Policy)”

相反,欧美日发达国家即使实施了封城或紧急事态宣言等限制人们外出的各种措施,但大多都在新冠感染病例没有清零的情况下就开始恢复了经济活动。这些国家实施的抗疫政策可以认为是一种“与新冠病毒共存政策(Coexisting with COVID-19 Policy)”。

本论文的后半部分将对比分析“零新冠感染病例政策”和“与新冠病毒共存政策”,验证有效的抗疫政策路径。

(1)优先疫情控制的中国

在经历了2002年—2003年SARS(严重急性呼吸综合征)的抗疫之后,中国政府在《中华人民共和国传染病防治法》的基础上,相继制定了《突发公共卫生事件应急条例》、《国家突发公共事件总体应急预案》、《国家突发公共卫生事件应急预案》等涉及公共卫生突发事件的条例和预案。2007年,出台《中华人民共和国突发事件应对法》,进一步将上述法律、条例、应急预案在法理上体系化。在武汉封城之前的2020年1月20日,中国国家卫生健康委员会发布2020年第1号公告,将新型冠状病毒感染的肺炎纳入《中华人民共和国传染病防治法》规定的乙类传染病,并采取甲类传染病的预防、控制措施。由是,新冠病毒抗疫大战正式拉开了帷幕。

正是因为在经历SARS之后,中国制定和完善了上述的法律、条例、应急预案体系,才得以针对新型冠状病毒这一未知传染病的爆发,能够迅速实施“封城”以及重大突发公共卫生事件1级响应等强制性措施。而且得益于这些法律、条例和应急预案具有优先控制疫情的强烈倾向,所以在一旦启动之后,就不会出现为了兼顾经济活动,在抗疫措施上出现反复的情况。实际上,虽然各地区都有尽早复工复学的强烈诉求,但都必须要等到满足新确诊感染病例清零的条件之后了。

如图3所示,中国由于采取了不惜一切经济代价的抗疫举措,迅速地压制了新冠疫情,较快地恢复了正常的经济活动。从较长的时间跨度来看,“封城”和1级响应等措施虽然可以说是一剂猛药,但却收到了良好的效果,使得事态得以尽早平息。当然,要将这种传播性极强的新冠病毒的感染病例维持在零状态,的确并非易事。因此,在中国每当发现新确诊新冠病毒感染病例时,就会对局部地区实施严格的行动限制和彻底地核酸检测,以防止传染扩散。

图3 中国每天新增新冠确诊感染病例人数与死亡人数

注:本图中所表示中国的新冠病毒感染人数中不含无症状感染者以及境外输入确诊病例的数据。
出处:根据国家卫生健康委员会官网数据制作。

(2)《报告9》和欧美各国的对应

武汉封城53天后的2020年3月16日,由英国的流行病学家尼尔•弗格森(Neil Ferguson)等发表了《报告9:非药物干预措施(NPI)对降低COVID-19死亡率和医疗需求的影响(Report 9: Impact of non-pharmaceutical interventions (NPIs) to reduce COVID-19 mortality and healthcare demand)》(以下简称《报告9》)。《报告9》预测,英国如果不采取任何措施,未来4个月内将有80%的人口感染新冠病毒,导致51万人死亡。即使采取隔离感染人员、居家隔离家属、限制老年人外出等措施,死亡人数也会达到25万人。

《报告9》提出,如果针对全民实施严格限制行动的封城措施,死亡人数可以控制在2万人以内 。弗格森在英国下议院科学技术委员会上否定了允许某种程度感染的流行,兼顾经济和抗疫的做法,明确指出除了长期封城之外别无选择。《报告9》发表一周后的3月23日,英国政府宣布全国“封城”,禁止民众非必要外出,关闭学校和大部分商铺。

《报告9》预测,美国死亡人数最多可能达到220万人。受该报告的影响,特朗普总统将原定3月30日到期的,联邦政府要求民众“保持社交距离”相关指南的有效期延长至4月30日 。

6月8日,英国《自然》杂志在线刊发了题为《评估防控政策对新冠病毒大流行的影响(The effect of large-scale anti-contagion policies on the COVID-19 pandemic)》的报告,对中国、韩国、意大利、伊朗、法国以及美国6个国家实施的病毒防控政策的效果进行了分析。该报告推算,从2020年1月到4月6日的3个多月,由于采取了(1)限制旅行、(2)暂停教育、商业、宗教等活动、(3)实施隔离和封城、(4)紧急事态宣言等政策,在以上6个国家阻止了上亿人的新冠病毒感染 。

然而,虽然封城政策的有效性非常明显,但是鉴于其对人们行为方式的严苛限制和对社会经济活动所产生的休克效果,也备受抵触。在很多国家,类似封城的抗疫政策,在取得一定的成效之后,却不得不中途“解封”。

(3)零新冠感染病例政策Vs.与新冠病毒共存政策

中国对武汉解除封城的条件非常严格。解封之前不仅清零了新增确诊新冠感染的病例,而且还让这种零新增确诊病例的状态持续了16天之后,才对武汉解除封城。本论文认为这是一种彻底的“零新冠感染病例政策”。

不仅是武汉,2020年2月18日,中国政府颁布了以县市区为单位,对全国各地区的新冠肺炎疫情风险划定标准,要求无确诊病例或连续14天无新增确诊病例才能评估为低风险地区 。

在成功地压制了新冠疫情第1波的大流行之后,中国仍然高度紧张地为维持各地的“零新冠感染病例”状态而不惜余力。一旦发现新增新冠病毒感染确诊病例,立即对发病地区采取严格的行动限制、实施大规模的核酸检测等措施,严防感染扩散。例如,2020年10月11日,山东省青岛市出现3例新冠病毒无症状感染病例,青岛对全市人口实施了核酸检测,对已经转移到市外的人员也进行了追踪检查。截至10月16日,实施了核酸检测的人数超过1,100万。

与中国不同,欧美各国虽然也采取了封城政策,但因为急于实现既控制新冠疫情扩散又兼顾经济的两立,大都草草收场。

2020年5月13日,德国IFO经济研究所与亥姆霍兹感染研究中心发表了一份共同研究报告 。该报告认为,经济和新冠病毒感染防控的最佳平衡是将Rt(有效再生数: 指出现症状的患者平均能够感染的人数)维持在0.75。也就是说,如果将Rt控制在0.75的话,就可以在把对经济的影响控制在最小限度的同时,还能较早地结束新冠病毒感染的流行。这是在学术上对“与新冠病毒共存政策”的提倡。但是该报告并没有提供针对传染性极强的新冠病毒,如何将Rt控制在0.75并维持下去的有效对策。因此,该报告所提倡的所谓“黄金平衡”只是一个空洞的理论。尽管如此,该报告却给欧美各国推行“与新冠病毒共存政策”提供了“学术背书”,为新冠疫情的卷土重来留下了祸根。

实际上,进入秋季后,欧洲的新确诊新冠人数正在激增。10月14日,欧洲日增新确诊新冠病毒感染人数高达10万5,000人,超过了亚洲的10万3,000人。德国10月15日公布,过去24小时内新确诊新冠病毒感染人数多达6,638人,这超过春季新冠病毒爆发期的峰值,刷新了最高记录。

在《报告9》原产地的英国,由于担心长期封城对经济造成的影响,对该报告的批判之声也不绝于耳。《报告9》预测如果不采取任何措施,新冠病毒感染在英国造成的死亡人数将达到51万。由于英国采取了封城等措施,截至10月11日,英国的新冠病毒死亡人数控制在4万3,000人。尽管封城的效果明显,但迫于重启经济活动的压力,英国的封城政策并未能持续到清零新增确诊新冠病例的状态。与“新冠病毒共存政策”在秋季造成英国新确诊新冠病毒人数剧增,10月15日,伦敦不得不将警戒级别从“中风险”提升到“高风险”。

截止到5月11日,新冠病毒感染在意大利造成了3万1,000人的死亡。但是,为了尽快重启经济活动,5月上旬,意大利解除了2个月的封城。从表2可以看到,在5月11日到10月11日的5个月,意大利新冠病毒的死亡率从14%大幅下降到4%。显然,意大利已经从医疗系统崩溃的灾难中摆脱出来。但是,由于意大利采取了与新冠病毒共存的政策,一到秋季新冠病毒大流行又卷土重来。10月14日,当日新确诊新冠病毒感染人数达到了7,300人,超过3月份新冠病毒爆发期的峰值。为此,意大利又开始采取禁止聚餐,限制餐厅必须在深夜0点之前关门等措施。

10月25日,西班牙再次宣布进入国家紧急状态并实施宵禁,以遏制第2波新冠疫情大流行。10月29日,西班牙议会更是批准将紧急状态延长半年。

第2波新冠疫情大流行也正在袭击法国。10月14日,法国总统马克龙宣布自17日零时起,在巴黎大区以及马赛等9个都市圈晚21时至早6时之间实行宵禁。第二天的15日,卡斯泰总理宣布自17日起,进入国家卫生紧急状态。当天,法国新增新冠确诊病例超过3万人,创下了当日确诊病例新高。10月30日,法国进入第二次全国“封城”。11月6日,法国单日新增新冠确诊病例突破6万例,再度创下新高,巴黎当天进一步收紧管制措施。

在美国,特朗普总统认为长期的全美范围封城不是解决方案,在5月下旬,就决定重启所有州的经济活动,虽然疫情一直还在蔓延。但是面对新增新冠确诊病例的大幅度增加,纽约又不得不在10月4日开始实施了局部封城。从11月4日开始,美国更是连续多天单日新增新冠确诊病例超过10万例,不断刷新最高纪录。11月7日,美国累计新冠感染人数超过1,000万人,累计新冠死亡人数达到24万2,339人。

在采取“与新冠病毒共存政策”的欧美日各国,现在又处于不得不重新启用封城等强力措施来防止疫情扩大的状态。

表3 各国和地区实际GDP增长率的预测与比较

出处:根据中国国家统计局、日本内阁府、美国商务部经济分析局、英国国民统计局、意大利国家统计局、西班牙国家统计局、德国联邦统计局、法国国立统计与经济研究所、韩国银行、台湾行政院主计总处、亚洲开发银行、IMF等数据制作。

秋冬时节卷土重来的新冠疫情大流行正在拷问“与新冠病毒共存政策”的欧美日各国。与这些国家相比,中国得益于采取了“零新冠感染病例政策”,各地区根据自己的情况逐一基本恢复了正常的经济活动和日常生活。

到因新冠疫情延期的全国人民代表大会于5月28日结束后,全国都基本恢复了正常经济活动。在从10月1日至10月8日的“双节”期间,国内旅游人数达到6.4亿人次。2020年第一季度由于封城抗疫的影响,中国经济大幅度下滑,实际GDP增长率为-6.8%。然而从第二季度开始,经济迅速恢复,实际GDP实现了3.2%的增长。IMF预测,2020年全年,中国实际GDP将增长1.9%。

相反,在实施“与新冠病毒共存政策”的日本和欧美国家,到第二季度实际GDP仍然都还是负增长,且比第一季度的降幅更大,其中有好几个国家甚至出现了两位数的负增长。IMF预测,2020年全年,这些国家的实际GDP都将为负增长。

与中国一样经历过SARS疫情考验的韩国、中国台湾地区、新加坡、越南等国家和地区,采取的抗疫政策也大多类似“零新冠感染病例政策”。如表3所示,越南与中国台湾地区的经济表现较好。IMF预测,2020年全年,越南的实际GDP将实现1.6%的增长,中国台湾地区全年的实际GDP可以维持在零增长。韩国2020年全年的实际GDP增长率虽然可能为-1.9%,但下滑幅度还是比欧美日各国小很多。新加坡由于经济结构过于依赖国际贸易,非常容易受世界经济波动的影响,第二季度经济的下滑现象明显。

从以上分析可以看到,与“零新冠感染病例政策”相比,本来是企图缓解和规避因封城造成的经济重创而采取的“与新冠病毒共存政策”,结果反而导致了长期的经济衰落。

截至11月8日,全球新冠病毒感染人数超过5,000万,秋冬之际的第2波疫情大流行更是来势汹汹,感染人数增加的速度正在不断加快,而且欧美各国已经沦陷为“新冠疫情重灾区”。因此,笔者强烈倡议,在新冠病毒特效药和有效疫苗问世之前,各国应该尽快采用“零新冠感染病例政策”,有效地压制疫情的扩大。

(4)在经济和疫情防控上摇摆的日本

2020年1月16日,日本首次确诊新冠病毒感染病例。1月29日,搭乘206名乘客的第一架日本政府接侨包机从武汉市飞回日本。2月13日,日本出现首例新冠肺炎死亡病例。2月28日,北海道发布了独自的“紧急事态宣言”。3月13日,日本议会通过了《新型流感等对策特别措施法》修正案,将新冠病毒感染症纳入该特别法的适用对象。该特别法规定,在发生的新型流感可能威胁到国民生命安全,对社会造成重大损失时,政府可以宣布一定地区在一定时期进入“紧急状态”。修正案为政府颁布“紧急事态宣言”奠定了法律依据。

4月7日,日本政府对东京、埼玉、神奈川、千叶、大阪、兵库、福冈发布了“紧急事态宣言”。4月16日,政府将“紧急事态宣言”对象扩大到全国。“紧急事态宣言”并不是以清零新冠确诊病例为目标的封城措施,而是以“将人与人的接触,最少削减至7〜8成”为目标的,较为宽松的行为限制要求。即使如此,如图4所示,颁布“紧急事态宣言”后,日本的每日新增新冠确诊病例数量迅速减少,“紧急事态宣言”取得了显著的防控效果。随着疫情得到改善,日本政府于5月25日解除了全国的“紧急事态宣言”。与中国不同的是,解除“紧急事态宣言”的当天还有20名新增新冠确诊病例,这是一种在没有清零新增新冠确诊病例情况下的“解封”。

中国在将新冠病毒流行地区降级为低风险区域之前,要求该地区必须两周内新增新冠确诊病例持续为零。而日本却在还没有清零新增新冠确诊病例的状态下解除了“紧急事态宣言”,留下了新冠疫情反扑的祸根。结果在解除“紧急事态宣言”一周后,由于新冠病毒感染人数急速增多,东京不得不拉响“东京警报”,呼吁市民对日趋严峻的新冠疫情提高防控意识。

7月22日,日本开始在东京以外的地区推行刺激经济的观光振兴政策“Go To Travel” 活动。这一天,日本新增新冠确诊病例多达792名,是“紧急事态宣言”时峰值的1.1倍。这简直可以称得上是一种不管不顾的蛮勇。10天后,日增新冠确诊病例飙升到1,575人,达到“紧急事态宣言”时峰值的2.2倍。

10月1日,东京也被纳入到“Go To Travel”活动。10月15日,东京新增新冠确诊病例达到284人,再次呈现出新的上升趋势。

从表2可以看到,截至到10月11日, 就每10万人新冠肺炎死亡人数而言,与西班牙的70.7人、美国的66.3人、英国的63人、意大利的59.8人、法国的50.1人、德国的11.6人相比,日本只有1.3人,为发达国家中最低。可以说,日本是采取“与新冠病毒共存政策”各国中人员损失最少的国家。但是,流感病毒肆虐的冬季即将到来,流感与新冠病毒的同时流行,将给日本带来更大的考验。同时,长期的“与新冠病毒共存”使日本经济无法放开手脚,日渐疲惫。如表3所示,IMF预测,2020年全年日本实际GDP将陷入-5.3%的负增长。

图4 日本每天新增新冠确诊感染病例人数与死亡人数

出处:根据厚生劳动省官网《新型冠状病毒感染症•阳性人员数据库》、NHK《特设网站新型冠状病毒•日本国内死亡人数》等制作。

5.从全球性的失败到全球抗疫

感染性疾病曾经是威胁人类生命安全最大的杀手。例如,1347年在西西里群岛爆发的黑死病,20年间导致欧洲2,500万人死亡。1918年爆发的西班牙流感,在全球造成2,500万〜4,000万人死亡。

近百余年来,随着抗菌药、疫苗的发展和普及,天花、小儿麻痹症、麻疹、风疹、流行性腮腺炎破、伤风、百日咳、白喉等曾经对人类健康和生命具有极大杀伤力的感染性疾病大部分都被灭绝或者得到了控制。1950年代以后在发达国家,肺炎、肠胃炎、肝炎、结核、流感等感染性疾病造成的死亡人数急剧减少,癌症、心脑血管疾病、高血压、糖尿病等慢性疾病成为主要的死因。

对感染性疾病的防疫和治疗所取得的胜利提高了人类的平均寿命,但主要死因的交替也让全球,特别是发达国家医疗体系的重心从感染性疾病转向了慢性疾病。结果导致各国目前在感染性疾病预防和治疗上的资源投入过小,同时更造成现有的医疗资源主要集中在应对慢性疾病的结构性问题。

从现有医疗资源上来看,无论是医疗人员的专业背景,还是设备配置,甚至整个医疗体制都无法及时有效地应对新冠疫情的爆发。因此,在与新冠病毒的遭遇战中,即便是武汉、纽约、东京这些坐拥巨大医疗资源的大都市也都措手不及,付出惨重代价。

比尔•盖茨早在2015年就警告世人,对病毒感染性疾病投入过少,会酿成全球性的失败。新冠病毒疫情之祸不幸印证了比尔•盖茨的预言。

6.暴发性的科技进步

国家紧急事态、封国、封城、外出自肃、保持社交距离等,各国目前采取的这些应对新冠疫情措施的着眼点都在于大幅度减少和切断人与人之间的交往,阻断病毒的传播。这些措施虽然取得了一定的成效,但并不能真正根绝病毒的危害。因此,即使通过实施强有力的“零新冠感染病例政策”,成功地控制了疫情,这种成果也非常脆弱,防控的松懈和漏洞随时都可能让新冠疫情卷土重来。

要找回安心安全的世界,最终还需要依靠科技的进步。目前,各国都在紧锣密鼓地研发新冠病毒的特效药和疫苗。

新冠疫情正在激发相关科技的爆发性进步,只有掌握了从检测、特效药到疫苗的三大法宝,人类才真正敢言可以控制和战胜新冠疫情。

危机也是转机,近现代每一次全球性的战争和危机都给人类带来了重大的转机和爆发性的技术进步。例如,第二次世界大战激发了航空产业的发展、开启了核工业的大门;冷战不仅催生了航天宇宙技术的开发、还奠定了网络技术的基础。冠疫情不仅刺激了相关科技的爆炸性进步,同时也在强力推动整个人类社会的数字化变革(DX)。

疫情造成的特殊紧迫感在加速技术进步的同时,还可能拓展新的技术路径,使一些过去没有得到充分重视的技术路径脱颖而出。例如中医,由于在武汉的抗疫过程中表现卓越,正在得到全球的关注。新冠抗疫有可能成为中医真正走向世界的重要契机。

臭氧也是一个由于偏见一直被忽视的技术路径,笔者早在2月18号就撰文呼吁关注臭氧的灭菌杀毒性能,倡导用好臭氧抗击新冠疫情 。

日本有实验证明,在封闭的环境中病毒通过飞沫传播感染的可能性是非封闭环境的18.7倍。因此日本政府的一个重要疫情对策是呼吁国民尽量避免密闭空间、人员密集、近距离密切接触的“三密”环境。如果能够在臭氧传感器研发上取得突破性进展,实现像控制温度一样廉价、自如地控制臭氧浓度,就有望通过利用臭氧在有人情况下灭菌杀毒,解决室内空间的病毒感染问题,将人们从交往的恐惧中解放出来。

全球共战新冠疫情一定会引爆一场巨大的科技进步,推动大批产业的更新迭代。

7.全球化不会停顿

新冠疫情全球性爆发以来,各国都在切断国际间的人员往来,封锁疫情爆发的城市,全球化被瞬间熔断。对全球化未来的担忧,对大城市化的疑虑,甚至否定的声音更是不绝于耳。

的确,随着全球化进程的深入,国际间人员往来极速扩大,国际旅游人数从30年前的年4亿人次,猛增到2018年的14亿人次。

在全球化背景下,大城市化更是世界性的展开。从1980年到2019年全球人口净增250万人以上的城市有117座,期间这些城市中净增人口合计多达6.3亿人。

特别值得注意的是,人口超过千万人的超大城市也从1980年的5座猛增到今天的33座。而且这些超大城市大多是国际交流的中心,是引领世界政治、经济发展的大都会,它们的人口合计多达5.7亿人,占到世界总人口的15.7%。

高密度的航空网络和大量的国际间人员来往让新冠病毒瞬间传播扩散到世界各地,成为全球性流行病。许多人口众多、国际交往密集的国际大都市更是沦陷为疫情爆发的重灾区。

但是必须清楚认识的是,新冠病毒全球性扩散的真正原因不是在于国际间人员交往的速度和密度,而是在于人类长期以来对感染性疾病威胁的轻视。

其实,全球化的进程从一开始就伴随着感染性疾病扩散的威胁。从大航海时代到今天,人类一直都在与感染性疾病博弈,期间曾经付出过多次惨重的代价。但是由于第二次世界大战后在压制感染性疾病中取得的成绩,导致发达国家和世界组织出现了长期轻视感染性疾病威胁的倾向。

例如世界经济论坛(WORLD ECONOMIC FORUM)发布的“全球风险报告2020(The Global Risks Report 2020)”列举的未来十年全球可能发生的十大风险排名中,居然没有感染性疾病的问题,而未来十年对全球影响最大的十大风险排名中感染性疾病也只是忝居末位。

不幸的是与世界经济论坛的预测相反,2020年伊始新型冠状病毒的全球性流行就给人类社会带来了前所未有的打击。

中国大陆、中国香港特别行政区、中国台湾地区、新加坡、韩国、越南等经历过非典疫情的国家与地区,在新冠疫情的对策上,大多采取了类似“零新冠感染病例政策”的措施,取得了较好的抗疫成效。这恐怕都是拜当年非典超强的传播感染体验所赐。中国更是将在抗击非典过程中获得的经验反映到法律、条例、总体应急预案中,并将对策手册化、指南化,因此能够在此次新冠疫情爆发时,及时启动这些有效的对策,迅速地压制了疫情 。

从这种意义上讲,我们不必悲观。新冠病毒疫情已经启动全球对病毒感染性疾病的关注和投入,必将引发一场爆发性的技术革命和社会变革,最终一定能够克服病毒感染性疾病对人类的威胁,让全球性的失败走向全球性的胜利。

新冠疫情不会终止全球化和国际大都市化,而是会在阵痛之后孕育出更好的全球化和更健康的国际大都市。

(栗本贤一、甄雪华、赵建三位参与了本文的数据整理和图表制作)


本文发表于11月11日中国网,被数十家媒体转发。

三人谈:城市化迎来“加密”时代

编者按:

2000~2018年中国实际城市用地面积(Urban Area)扩大了1.8倍,期间中国人口增长了10%,但是DID(Densely Inhabited District:人口密集地区,这里指每平方公里5000人以上的地区)人口却只增加了20%。人口城市化与土地城市化严重脱节,成为了中国城市发展的一大顽症。

云河都市研究院的研究发现,巴西里约热内卢臭名昭著的罗西尼贫民窟的人口密度只有每平方公里1.5万人。相反该市CBD地区人口密度达到了每平方公里2.7万人。日本东京丰岛区、中国北京西城区和上海黄浦区、美国纽约曼哈顿地区每平方公里的人口密度分别达到2.4万人、3.8万人、5.9万人、10.9万人,都远高于里约热内卢贫民窟。这些拥有超高密度人口的区域都是超大城市中最富裕的板块。

云河都市研究院认为,人口的高密度聚集并非恶化城市治安和环境质量的元凶,关键在于统筹城市治理能力的“城市智力”。“过密”其实只是一个表现城市智力不够的残酷现实。

新冠疫情之下,质疑城市密度的声音又骤然升级,也有很多人开始逃离大城市。后疫时代城市发展是否会走低密度之路成为一个热门焦点。

针对这一问题首先我们应该认识人们为什么会向城市聚集?为什么城市发展需要高密度的人群?

重新回放周牧之、周其仁、马里奥·贝里尼(Mario Bellini)的三人谈,或许能为思考这些问题提供有益的参考和启示。

2015 年 12 月 14 日,在由新华网思客、云河都市研究院联合北大国发院博士论坛共同举办的《思客讲堂》上,周牧之(东京经济大学教授)、周其仁(北京大学国家发展研究院教授)、马里奥·贝里尼(意大利著名建筑设计师)进行了一场充满睿智的对话。《瞭望》新闻周刊以《城市化将迎来“加密”时代》为题刊载了这场“三人谈”。

思客讲堂上,由左至右:刘娟(新华网副总编辑)、周其仁、周牧之、马里奥·贝里尼

 

01. 最大的问题是“连续性”断裂

 

周牧之 日本东京经济大学教授、云河都市研究院院长

《瞭望》:城市化率已经超过50%,城市化进程面临什么问题和挑战? 

周牧之

中国城市化最大的问题之一是城市“连续性”的断裂。城市的兴起首先一定有一个机缘,然后通过不断叠加而发展起来。新中国成立以后,在相当长一段时期内,城市建设存在严重的欠账。改革开放以后,城市建设突飞猛进,但是长远的思量不够,传统的城市基因没有继承下来,又没有很好借鉴国外城市建设的经验教训,导致今天中国城市化出现严重的“连续性”断裂问题。具体表现有以下几个方面:

在产业方面,靠开发区和优惠政策吸引外来产业是中国城市在产业发展上的一个共通特点。然而,外来产业是“长腿”的,既然能进来,也能到别的地方去。

在中国,其实每一个城市都会有很多当地传统的、维系了当地居民几千年生活的要素。但往往却被忽视了,如自然、文化、饮食、医药、手工业等。而招商引资进来的汽车、水泥、钢铁、化工等产业,虽然对拉动当地经济增长有一定贡献,但其中也有不少可能是既造成环境污染,又面临转型淘汰的产业。未来中国的城市发展思路一定要重新定位地缘性产业的发展与升华。

在形态方面,无论是新城建设还是老城拆建,规模都非常大,应该是一场人类历史上从来没有经历过的大规模新城建设和老城拆建的运动。在这个过程中,我国对传统城市蕴含的价值观不够重视,目前城市建设领域的现代价值观又不够成熟,存在一味求“大”求“洋”的现象,有的甚至荒谬到“雷人”的程度。价值观不成熟,干劲又太大,在城市空间形态上造成历史和文化的断裂,导致中国城市出现无个性化的千城一面现象。

汽车社会的冲击对城市的形态和市民生活的影响也非常之大。中国进入汽车社会虽然时间不长,但汽车却“革命性”地改造了中国城市。各个城市把为汽车开路搭桥作为城市建设的重中之重,造成城市空间割裂,密度偏低,乱开发、低开发现象蔓延。

中国城市的低密度扩张现象严重,城市的扩张和城市的密度不相匹配。城市的低密度是致使城市缺乏凝聚力的迫切问题。如何提高密度,是中国城市化下一阶段的一个重要主题。

过去中国城市是讲究风水的,其实就是讲究在特定环境下对城市的安排,讲究城市与环境的亲和性、连续性。但是现在的城市普遍对这一点重视很不够,城市的产业、生活、出行造成的大气、水质、土壤污染严重。生物多样性丧失,垃圾围城以及严重缺水等都在困扰着中国的城市。

周牧之主持设计的镇江生态新城规划,马里奥·贝里尼也参与了设计

 

02. 低密度扩张之路走不通了

 

周其仁 北京大学国家发展学院教授

《瞭望》:为什么提升城市密度是城市化下一程面临的课题? 

周其仁

早年一些城市向外扩张,确实带来了一些积极影响,接纳了更多进城农民工和投资项目,承载了城镇化、工业化的较快发展。但到2003年前后,情况开始变化,因为采用同样水平扩张策略的地方越来越多。到现在,不少三四线城市,房产大量积压,公共设施供过于求,出现了成片的“空城”和所谓“鬼城”,表明我国城市低密度扩张之路走不通了。

就像一瓶水配一个杯子,杯子的水是满的。但是同样还是一瓶水,杯子多了,那每个杯子里的水就少了。中国城市这种“杯多水少”现象严重。

城市化其实就是人口在空间上的集聚。从经济上看,人口集聚带来分工深化、生产率提升和经济结构变化。集聚不可逾越。因为人口在城市集聚带来更高的净收入,人往高处走,想挡也难。我们的问题是双重的,人口希望去的地方投资不足,承载力建设滞后;人们不怎么乐意去的地方,又铺开了架子大搞“城市化”。这背后,其实是行政主导城镇化的机制在作怪。

特大城市受双重力量驱动:市场经济本身讲规模效应,人口集聚度高,分工细、效率高,产业变动风险低,所以特别吸引外来人口。同时,长期以来我国公共服务有城市偏向,有特大城市偏向,更好的公共服务集中于特大城市。双重驱动之下,特大城市过快膨胀,有其内在的逻辑。

但即使是我国的大城市和特大城市,也不能说城市的空间密度就合理了。有不少特大都市,空间利用也不够好,特大不等于特密,“密”也不等于一定就管不好。整体看,无论大中小城市,走紧凑城市之路,都有不小余地。深圳是一个好例子,由于水平不可扩张,想蔓延也蔓延不了,所以那里的经验就是通过城市更新,适度提升密度,增强城市承载力。对人口难以聚集的地方,首先是要果断停止扩张,集中有限资源,将能聚集人气的那些城区先建设好。

 

马里奥·贝里尼 意大利著名建筑设计师

马里奥·贝里尼

其实,城市并非面积越大越好,意大利有很多历史小镇有着上千年的历史,小镇式的生活已经成为居民保持生活质量的一个非常重要的因素。

如果我们生活在这样的小镇里,既能够同周边的社区产生深入的联系,又不会错失城市给我们带来的各种机会和便利。生活在这样的小镇里面都不一定需要开车,步行就能接触到各种生活设施,不会感受到大城市的那种距离感和疏远感。小镇的居民不论是在社交上、身体上还是智力上都能变得更加健康,更有归属感。

同时,小镇的生活又让我们更贴近自然,能够与农业和粮食生产更亲近,与动物更亲近,能够从容地参与体育活动,发展各种兴趣爱好,并且享受美景。我认为,这样的城市生活才能提升人类的生活水准。

马里奥·贝利尼设计的卢浮宫飞毯金顶伊斯兰艺术展厅

周牧之

从产业上来看,“杯多水少”的现象非常明显。根据云河都市研究院《中国城市综合发展指标》的数据,在全国289个地级以上的城市中,货物出口排名前30位城市创造的货物出口占到了全国的四分之三。这些城市大部分集中在长三角和珠三角两大城市群。但是全国的城市现在都在拼命以招商引资、开发区、优惠政策吸引外来产业的模式搞工业。其实很多城市是在做无用功,不仅牺牲了大面积的土地,还破坏了环境。

03. 低密度扩张的观念和体制因素

《瞭望》:导致中国城市低密度扩张的原因有哪些? 

周牧之

在中国的城市建设中,存在三个影响最大的主导因素。第一是以书记、市长为代表的政府领导,第二是规划部门,第三是投资者。

中国的城市空间大多是由房地产商们兴建的小区和楼盘拼接而成的。地产商的商业模式一般是圈地、盖房、卖房走人,大多都不会认真考虑交通问题,也不会考虑服务业的发展和居民生活模式的问题。因此需要高品质的规划来规范和引导地产投资,成就城市整体的合理性。

但是中国城市的相关规划被肢解得太破碎,城市规划、土地规划、交通规划、环境规划、产业发展规划等都由不同部门制定。而规划本身又演变成了利益机制,受部门利益制约,相互之间互动较差。虽然城市规划应该是对一方水土长远战略的综合考量,但是现在的规划机制不能够支持这样的定位。

一个城市的发展应该是在长远目标下逐步积累起来的,但书记、市长的任期不仅很有限,还存在许多不确定性。目前中国城市的主官机制客观上鼓励权力巨大的地方大员在短暂的任期内去成就伟业,由此造成了很多冲动式的城市发展案例。

周其仁

首推观念。我们是几千年的农耕文明,土地越多越好、耕地越广越好,有土斯有财。问题是到了工业、城市文明,总趋势是更多的人、更多的经济活动,集聚于很小的空间进行。这方面我们的空间观念严重滞后。

城市是以密度来定义的。号称全球城市的纽约、伦敦,占地面积都不是最大的,但人气极旺,高密度集聚着活跃的,辐射性、带动性很强的经济活动。讲城市不能只讲“大中小”,那不过是水平概念,转到密度看城市,会看到不同的层面。

其次是体制。譬如征地制度改革至今尚未真正启动。2007年就宣布要逐步收缩征地范围,但到今天也没有收缩。是下行压力迫使一些地方卖不动土地,但体制上还是允许政府征用农民土地然后独家向市场出售。

没有一个健全的、城乡统一的土地市场,价格机制就无从在工业化城市化的土地资源配置中发挥作用。加上行政官员任期制、升迁考核的唯GDP指挥棒,一起加剧了我国城市的低密度扩张。

《瞭望》:为什么意大利的城市没有发生大拆大建和低密度扩张现象? 

马里奥·贝里尼

在意大利的文化中,城市并非你想建就能建、想毁就能毁、想改变就能改变的。它是从中世纪开始存在了上千年的主体,是一本记载了多少代人的石刻书。你可以拆掉一座楼房,改变一点城市容貌,但你不能做得太过。在城市背后,是一个有着自己文化认同的人群,没有人能接受这方面的改变。

人们也许可以在别的地方建造一个新的城市,但在欧洲这样市民文化意识很强的地方,这是不大可能成功的。如果你凭空新建一个城市,它很可能聚集不起来人口,因为你不能迫使人们迁往那里。上个世纪 50 年代,很多人开始从乡村迁入城市,让城市人口有所增长,但并不是建造新的城市,而是让老城市发展起来。人们从乡村迁往城市,期待着在城市能追求更好的生活,更好的未来。

二战后,罗马建造了许多现代的新区,同样的事情也发生在米兰,但这并没有改变原有的城市结构。原来的米兰核心区永远是城市的中心,新建的城区在米兰外围。你可以在外围加其他的规划,但你不能改变像米兰这样的城市,它有着 2000 年的历史。如果你改变米兰的核心,那就是一种对城市的谋杀,对社会的谋杀。

04. 以紧凑城市纠偏蔓延式发展

《瞭望》:解决城市低密度扩张问题,要从哪里入手? 

周牧之

最重要的是认知。今天中国城市建设的主导者们一定要虚心地学习国内外的经验和教训。城市化、城市建设都是有客观规律的,不能一味强调中国特殊论,中国的城市已经在为不够遵循客观规律付出了巨大的代价,亟待猛醒回头。所以要提高对城市,特别是关于城市密度的认知。

目前在中国,倾向用迁出部分功能和人口来降低城市密度,来解决拥堵、环境等城市问题。实际上与发达国家的城市相比,中国城市的问题不是“过密”,而是“过疏”。之所以存在这样那样的问题,是因为城市在结构和组织安排上存在问题。中国城市化的下一程一定要注重探索如何通过提高城市密度,提升城市的凝聚力、活力和魅力。

马里奥·贝里尼

我们今天所讨论的问题,不仅在中国,在全球各地都存在。世界各地都在不断地设计、建设和拓展大量的新城市。许多地方确实有这样的发展需求,在中国这样的需求可能更加旺盛。但我们在建设城市时,不仅要从纯粹经济的角度和功能性的角度去考虑城市的发展,还要更多地从提升生活品质、培养人文气质和美感的角度去考虑。

《瞭望》:目前,中国已经建成大量低密度城区,应该如何改造它们,提高城市密度? 

周其仁

我提倡“以紧凑对蔓延”。 

首先,我们的“城市”是行政区划,绝大多数叫城市的地方,不但包括城区,也包括郊区和农村,甚至大片农区。在这种现实下,恐怕要对不同城市的城区有一个标准,如达到每平方公里多少人居住、生活、工作,发生多大经济流量、提供多少税收,创造多少工作岗位等,才能称之为“城区”。没有标准,行政上批一批就算“城市”,那扩起来可不就没边啦!

已经扩得过大的,向紧处凑一凑,达到城区标准才可以向外扩。做一做减法、收缩法,也许可以帮到一批大而无当的城市,先集中到一些重要节点上搞建设,培植人气,达到合理密度,再一步一步向外扩。

这个过程要更多利用市场机制,更多启用民间积极力量,发挥“城市事业家”的作用。城市规划也要企业和市民来参与,不仅仅是书记、市长和规划师们的工作,要吸收大量有效信息。城市投资、建设、管理等重大决策,企业、市民、政府要互动。特别要将城市发展的权力关进笼子,谁决策、谁拍板,要公之于众,不能建一个大空城,拍拍屁股到别处做官。没有制度化的问责、追责不行。

城市化是人口的空间变动,是人的城市化,不能只看到土地的城市化、财政的城市化,忽略了人的城市化。这里的“人”,是有权流动、迁徙、择业、择住的人。尊重城市发展规律,讲到底就是尊重人的选择权,要在这个基础上考虑城市化的种种问题。

周牧之 

城市化是一场从农业社会走向城市社会的社会大变革,因此需要对社会保障机制、公共服务机制、税收和分配等机制做出前瞻性、综合性的顶层设计和安排。

例如,需要尽快实施征收不动产税将其作为重要的地方税收资源,在充实地方财政同时,抑制过度的不动产投机。

又如,人应该成为城市间竞争最重要的目标,需要通过制度设计使下一轮的城市间竞争成为争夺人,特别是人才的竞争。

05. 城市“加密”有经验可循

《瞭望》:建设紧凑城市,国内外有没有成功经验可供参考? 

周其仁

牧之教授和我一起去调研过一座叫富山的日本城市,42万人,老龄化很严重,缺乏活力。后来通过导入路面电车,把城市的主要节点连接起来,诱导城市居民往轨道交通的两边聚集,激活了这座城市。今天富山市已经成为日本的明星城市。

在日本富山市调研,周牧之(右一)、周其仁(左一)、森雅志市长(右二)

我国城市建设中也有好经验,有的城市,一小块城区可以聚集几万人,逐步与时俱进,逐步升级,不是城区水平外扩,而是立体发展。这样的经验要充分总结,要让别人来学习。

举几个例子。第一个案例发生在深圳,天安数码城早年就是工业区——没有工业、没有产值、没有就业,人是聚不起来的。人聚起来之后,提出新要求,要改造单一工业区,变成“工贸园区”。再发展,人口、经济集聚水平提高了,要有商、住、办公、研发综合体。最近又提出要吸引科技创业人才,还要升级。

第二个案例也在深圳。珠三角有40万家制造企业,需要大量的原料供应,华南城借此发展起来。开头那一平方公里里面建的都是商铺,便于企业来选原料,随着人气聚集,生意旺了以后,慢慢要建更高水准的商厦,还要有写字楼、酒店、娱乐、体育、文化等设施。

第三个案例是成都双流机场附近的“蛟龙港”,起家时是专门给中小制造业企业提供厂房的民办工业园区,等到聚了近10万工人,派生的需求接连提出来,“蛟龙港”就立体发展成集工厂、办公、商业、文化等多种功能于一体的成型城区。

此外,上海老外滩、田子坊,北京的南锣鼓巷、宋庄,成都宽窄巷,都是在不大的空间里紧凑发展、立体发展起来的。随着人气越来越旺,再适度加密发展。这些案例不全是政府主导开发,很多是民间主导、跟市场走的,当然还要善于说服方方面面。最重要的是,这些案例走的都是集约、集聚、紧凑的新路子。所以,当蔓延走不下去的时候,不妨考虑城市化的下一程要以集聚为先、人气为王、便利为重,要转变观念和发展策略,更主动利用市场机制建设城市,更多靠民间智慧和力量。

马里奥·贝里尼

我在北京后海周边走了走,看到在中国同样有很多优雅的四合院、小花园、小庭院,这些都能够给日常生活带来更多的愉悦。城市的生活不可能从零开始,要重视它悠久的传统,要去维持和弘扬这些元素,把它结合到我们现代的生活当中来。

对中国建设高密度城市而言,我觉得纽约是一个很好的例子。发展摩天大楼,地下交通也很方便,它也并非是一个历史悠久的城市。我们要相信城市的内核,要维护城市的内核。你要护好城市的内核,然后才可以延伸城市的四肢。

周牧之

历史学家黄仁宇先生生前一再强调:中国历史上各朝各代在施政上最大的问题是没有数目字管理的能力。非常遗憾的是,到今天我们还是缺乏这样的能力,特别是在讨论城市的密度问题上。

因此,云河都市研究院导入DID(人口密集地区)概念,从卫星数据分析入手,通过准确地把握城市的人口密度分布来分析解剖城市的低密度开发问题,引导城市的高密度、紧凑发展。希望这一工作能够在中国为推动对城市密度的讨论和城市的健康发展做出贡献。

周牧之与马里奥·贝利尼在高铁上讨论设计方案

文/《瞭望》新闻周刊记者韩冰、实习生甘兰蕙子

原文刊载在《瞭望新闻周刊》2016年1月18日第3期

周牧之与傅高义对谈:回望中美日三国恩怨纠缠,展望亚洲未来 【漫说风云第三季】

编者按:在漫说风云第二季中,周牧之教授与傅高义教授重点讨论了从老布什到奥巴马时期中美关系的发展,揭示了中美关系今天风雨飘摇的密码。作为对中、美、日三国有着深入研究的两位专家,在第三季中对中美日三国的关系进行了细致的梳理,对帮助我们理解当下和未来的亚洲格局很有裨益。

恩怨纠缠

对谈嘉宾:哈佛大学教授傅高义(Ezra F. Vogel)(图左)与东京经济大学教授周牧之。

为何美日结盟

周牧之:我有一位表姑父(去年过世了)过去是飞行员,二战期间跟飞虎队一起执行过飞行任务。这些年经常有电视台采访他,飞虎队的老人到中国访问也跟他一起搞活动,他本人晚年过得很开心,周围人对他也很尊敬。我父母当年在湖南都经历过日军的轰炸,因为没有制空权,轰炸非常猖狂,后来是飞虎队来了才迫使日本飞机不敢再来。很多中国人抗战时能够生存下来与飞虎队和美国的援助都是有关系的。

特别是美国参战后,整个的亚洲战局更是为之大变。我祖父周立波在上海从事左翼文艺运动时,与周扬等一同倡导抗日“国防文学”。“ 七 · 七”事变后投笔从戎到前线担任战地记者,兼作美国作家史沫特莱女士和罗斯福总统亲信卡尔逊将军的翻译,几度穿越日军封锁线,走访八路军战区,写了著名的《晋察冀边区印象记》和《战地日记》两本报告文学,将当时还鲜为人知的共产党抗日队伍介绍给了世人。后来祖父又受周恩来的委派赴湘西主办了《抗战日报》。

太平洋战争爆发后,与祖父一同走访八路军战区的卡尔逊将军效法八路军战术组织了一支后来很有名的突击队在南中国海建立了赫赫战功。几个月前卡尔逊将军的孙女还和我姐姐一起带了一批当年突击队的美国老兵访问中国。二战期间很多中国人觉得美国是中国的伟大朋友。但后来又很不理解为什么美国会跟日本结盟对付中国,对这一点中国人的感觉是有些酸涩的。

傅高义:中国人觉得美国不应该跟日本人,而应该跟我们做朋友,本来我们是朋友啊,为什么美国人会跟日本人友好呢?一个原因是二战后的日本变得谦虚了,知道自己打错了仗,要和平。我第一次去日本是1958年,此后跟日本打了50年交道,有很多非常好的日本朋友,有礼貌、很照顾人、很可靠。当然另一个原因是苏联。

周牧之:敌人换掉了。日本战败后,以麦克阿瑟将军为首的占领军刚开始时是大张旗鼓地改造日本,把天皇拉下神坛、将旧势力轰出政坛、审判战犯、解体财阀、制定和平宪法、实施地方自治、扶植进步势力等等,美国本来试图把日本改造成一个不可能再有战意、再有战力的国家。但是1950年爆发的朝鲜战争改变了日本的命运,东亚局势的变化使美国的对日政策从打压和改造转变为招降纳叛。美国甚至让大批被赶下台的甚至关押在审的旧领导人重见天日。作为对克星变脸成救星的回报,东京彻底臣服了华府。1951年美国主导的旧金山和平条约使日本结束了长达七年的占领军统治,加盟西方阵营。同时签署的日美安全保障条约不仅确立了同盟关系,还使日本嬗变成美国在东亚的反共前哨。

傅高义:朝鲜战争以后,美国和日本建立起了同盟关系。其实这个发生在1951年的转变并不像一些人所说的那样完全,此后日本继续了在1947年以前就开始的民主化改革,一直坚持和平主义,也没有建立大规模的军队。由于在战后相当长的一段时间里中国和日本少有往来,所以没有认识到日本人是多么坚决地与军国主义决绝的。

图: 傅高义《领先一步:改革开放的广东》与周牧之・杨伟民《第三个三十年》

美日同盟今天的意义

周牧之:那么冷战结束二十年后的今天,美日同盟对美国到底意味着什么呢?

傅高义:美日同盟本来是对付苏联的,冷战结束后同盟的意义是为了确保美国在亚洲的势力,我们需要有可靠的伙伴。

周牧之:美国在日本有军事基地。

傅高义:第二是因为美国在全球GDP中的比例减少,我们的钱不够。二战后美国占全世界GDP的比例大概是30%多,到1980年代只有20%多,越来越少。在全球性事务中,比方说ODA(对发展中国家的政府援助),美国需要有其他的国家帮助,而日本是世界第二经济大国。

周牧之:日本一度曾经超过美国,成为对发展中国家最大的援助国。

傅高义:还有美国的军队,我们把军队放在日本,用的钱比在美国还要少。

周牧之:很多费用都由日本承担了。

傅高义:第三个原因是日本很合作。欧洲的总和虽然比日本大,但那么多的国家,决定事情太复杂,而日本一个首相说了算就行。所以在很多国际问题上日本比较合作,也可靠。例如在反恐问题上日本出钱出力,还有这次金融危机,为了帮助美国,日本在稳定美元上出了力。像这样坚定的合作者,只有日本一个国家。没有哪一个国家如此既肯合作,又有能力,而且态度还好。这么多年跟日本的同盟觉得他们非常可靠,所以会跟他们继续合作下去。

周牧之:美日在太平洋战争中曾经是相互死磕的敌人,但战后60年日本是跟美国跟得最紧,也最没有动摇过的国家。当然世界上没有无缘无故的爱,日本战后的经济和外交都是借势美国发展起来的。首先是巨大的朝鲜战争军需成就了日本的战后经济复苏。此后越南战争,作为美军的大兵站,日本又一次大发战争横财。庞大的越战军需刺激了经济增长,加速了日本的经济大国之路。在外交上,利用东南亚各国对共产主义势力扩张的恐惧,曾经在太平洋战争期间蹂躏过这一地区的日本作为美国的盟友再度亮相登场,此后更是凭借强大的经济实力把该地区打造成自己的后花园。

傅高义:由于冷战已经结束,1989年以后也有人曾经考虑美日关系应该有些变化。本来在1970年代到1989年,中国跟美国比较接近同盟的关系,因为都是反对苏联的。但是1989年以后美国跟中国的关系变坏了,不仅如此,我觉得跟苏联垮台、冷战结束了也有很大关系。对于如何处理跟日本的关系,1989年以后讨论了好几年,也曾有一些谣言说两国关系不是那么稳定了。我觉得还是应该跟日本搞好同盟,因为美日之间有很好的个人跟个人的关系、信赖和经验。如果发生什么情况,日本会随时给我们帮助。他们的能力大,也愿意帮助我们。

周牧之:日本在外交上面,特别是在亚洲外交上一直在打美国牌。与德国不同,二战后日本并没有真正处理好与战争中受其伤害邻国的关系,还存在着许多遗留的历史问题。因此,日本总是想把自己的外交问题,变成美国跟对方国家的问题。比方说北朝鲜问题,日本就想把美国人拉进它与北韩的对抗中来,在钓鱼岛的问题上也想把美国拉进来。那么美国是不是在这种时候愿意被拉进来,还是已经被拉进来了呢?

傅高义:美国这么大的国家,有各种各样的看法。

周牧之:美日同盟有没有针对中国的,把中国作为假想敌的一面?

傅高义:不能说没有。

周牧之:那么如果万一钓鱼岛问题,中日之间有冲突,发生擦枪走火动了枪炮,那么美国人会怎么办?

傅高义:钓鱼岛问题,我觉得有些莫名其妙,美国不一定会支持日本,我们会说国际上法律还没有决定钓鱼岛的归属。在美国政府中也讨论过这个问题,也有人说美国一定要帮助日本。但大多数人都觉得那是国际法律问题,国际法律上还没有定论,美国不应该支持日本。但要是别的国家攻击日本的话,我们当然要支持日本。

 

谁强大就跟谁好

周牧之:中日关系很微妙,而且微妙还会持续很久,您是知道这个历史背景渊源的。过去在中国的抗日战争中,美国帮助了中国。现在日本想要借美国之力抗衡中国,中国人何尝又不想美国人帮助自己?您认为中日关系今后会怎么影响中美关系?

傅高义:我认为20~30年后会有大的变化,日本跟中国的关系可能会变得很好。但是这之前不会太密切。所以在未来20~30年之内美国不应该害怕中日关系太密切,反而要担心中日关系搞不好,因为这是个不安定因素,对美国也不好。世界安定是美国利益之所在,这样我们就不需要动用军队,也不用打仗,可以继续扩大自由贸易,这最符合我们的利益。所以亚洲的安定最重要,日本跟中国搞好关系是好事。我想美国政府大多数人也是这么看的,我问过一个在白宫工作的人,你不怕日本跟中国搞好关系吗?他说他们不会那么好,怕的不是这个。

周牧之:恐怕他怕的是中日关系太不好。

傅高义:关系太不好,那麻烦就大了。我想20~30年后情况会大不一样。你看日本的历史,19世纪末世界最强大的国家是英国,当时日本跟英国关系非常好。20世纪30年代德国看上去是世界上最强的,它跟德国关系搞得很好,二战以后日本跟美国又跟得最紧。从日本的近代历史可以看到,谁最强,它就适应谁。

周牧之:过去中国强大的时候它跟中国关系也很好。

傅高义:当然这还要看中国的态度。我觉得现在中国政府的确是努力想跟日本搞好关系。当然目标还不是真正的朋友,应该是过得去的朋友。

美日关系的微妙

周牧之:美日关系最近好像也变得有些微妙,去年当时任民主党党首的小泽一郎说除了第七舰队以外的美军应该撤回去。

傅高义:英文里有hedge这个词,就是为防止万一出现的问题而多留后路。我觉得很多日本人都有这种想法,万一今后跟美国的关系有问题了怎么办?应该跟中国搞好关系,跟别的国家搞好关系。

周牧之:对小泽的这个讲话日本舆论反应激烈,媒体爆棚。美日同盟对日本的主流精英来说是根深蒂固,不可动摇的观念。小泽竟然要动摇美日同盟,大家就认为他不能做总理。许多头一天还支持小泽的人,在这个讲话出来后马上表态不支持他了。第二点就是要是美国人回去了,那谁来保卫日本呢?很多人觉得小泽的潜台词就是要扩充自卫队,您知道战后日本有很多人是反对扩充自卫队的。这样一来,日本左右两方面的人都反对小泽的这个讲话,支持美日同盟的反对他,比较左倾的人也反对他。

傅高义:小泽在海湾战争时期是非常支持美国的。

周牧之:当时是他代表日本政府向美国许诺了支持巨额军费。

傅高义:他现在说的话跟那个时候改变很大,我想你的解释完全对。大多数的日本人还是支持美日同盟的,很多日本人觉得现在万一跟中国发生问题,是需要美国人支持的。所以我觉得很多日本人认为美日同盟比以前更重要,因为中国越来越强大起来了。 

周牧之:民主党新政权诞生后,在外交上鸠山首相提出了两个新的说法。一个是要确立与美国的对等关系,强调要纠正过去对美国的过分依附。那么美国现在是如何理解日本新政权所要求的对等关系呢?

傅高义:日本政府历来都声称希望和美国建立更平等的关系。如果民主党新政府和官僚以及智库建立起更深入的关系,会创建起系统化的政策思维,届时我们能更清楚地看出新政策将会是什么样的。我认为日本和美国应该联合起来研究新的安全问题,这将是非常有建设性的做法。

 “东亚共同体”的真意

周牧之:鸠山政权的第二个外交新说法是标榜要推进构建东亚共同体。在四十多年的冷战时代,日本在对抗苏联和中国的最前线为美国提供了军事基地,同时也将自身安全置于美国的保护伞之下,在这种情况下日本对美国的依附性不难理解。但是冷战结束之后,日本在外交和国防上对美国的从属性不仅没有减少,反而越演越烈。其中一个重要原因是日本与周边国家没有建立起真正的和解、信任和友好关系。因此日本想与美国确立对等关系,首先当然必须真正搞好与东亚各国的关系,由此就不难理解鸠山的这个东亚共同体构想。但是如何处理东亚共同体与美国的关系,即便在民主党政权内部似乎也没有形成统一的说法。鸠山首相说该构想“没有排除(美国)的打算”,而冈田克也外相却明确表示“现在的构想没有包括美国在内”。您是怎么看待这个东亚共同体构想的?

傅高义:在过去50多年里日本第一次实现了全面的政权更替。日本民主党没有执政经验,他们自身的观点也还没有达成统一。如果民主党明年夏天赢得参议院的选举,并且巩固政权,进而推出统一的政策,那么我们将清楚地知道他们未来的计划。他们会有机会重新审视当前的政策并提出应对新时期更好的想法。

周牧之:1990年代马来西亚的马哈蒂尔总理倡导东亚经济共同体(EAEC:East Asian Economic Community),最早提出东亚经济统合。但是由于美国的反对和日本对美国的顾忌,这一倡议并没有得以实现。此后在东盟(ASEAN)十国加上中日韩的所谓(10+3)的框架下东亚的协作机制正在逐步形成。中国一直支持由东盟主导的东亚共同体的形成机制,而日本在这一次的东亚共同体构想中加进了印度、澳大利亚、新西兰,它的真意在哪里?您知道在共同体形成的起步阶段,国家越多,文化背景越复杂,谈判的困难就会越大。为什么放着有效的机制不去强化,反而要一下扩大十几亿人口进来呢?

傅高义:日本想要在亚洲扮演更重要角色的愿望是可以理解。由奥巴马领导的美国政府现在正致力于强化在亚洲地区所担当的角色,这自然包括参与重要的区域性合作机制的探讨。奥巴马政府理解新的日本政府需要时间来发展新的政策,美国有这个耐心,也理解他们需要时间。

图:北京─东京论坛,左起:周牧之、李肇星、赵启正、陈昊苏

周牧之:在中日关系最紧张的2005年,我与有志的同仁一起发起成立了“北京─东京论坛”,为改善中日关系提供了一个重要的新平台。2006年安倍第一次出任首相时对华政策转型的舞台就是这个论坛。在这个论坛设置了一个讨论亚洲未来的分会,我担任主持人,邀请中日双方的政要一起讨论双方都能接受的亚洲未来蓝图。每年,中日双方都有许多重量级的人物参加这场讨论,诸如中国的李肇星、赵启正、陈昊苏,日本的冈田克也、仙谷由人、加藤纮一、盐崎恭久、林芳正、中谷元等。几年的讨论下来我有两点感想,一是双方都没有人能够大胆提出关于共同体具体目标和步骤的设想,这一次的鸠山东亚共同体构想也有同样问题,就是没有实质性的内容和时间表。

第二个感想是中国的年轻人非常关心中日问题,而日本的年轻人相对比较冷淡。2007年我们把亚洲未来分会搬到了北京大学的世纪大讲堂,与学生们进行互动。那一天会场爆满,学生踊跃提问,问题的质量也非常的高,双方嘉宾都因为与中国青年进行零距离高质量讨论而兴奋。但是第二年当我们把分会搬到东京大学举办时,却发现会场稀稀拉拉的没有多少人,提问既不踊跃也没什么质量。日本年轻人对于中国经济社会的发展、中日关系、亚洲未来的这种漠不关心才真正令人担忧。


【对谈第三季中文版刊载在《环球》杂志2010年第2期,周牧之《步入云时代》(2010年,人民出版社)】

周牧之与傅高义对谈:回顾从老布什到奥巴马时代 中美关系会陷“新冷战 ”吗?【漫说风云第二季 】

编者按:在漫说风云第一季中,周牧之教授与傅高义教授聚焦中日经济崛起奇迹的模式,通过对比分析,从独到的角度揭示了中日两国发展的路径。在第二季中,两位教授重点探讨了从老布什到奥巴马时代中美关系的种种合拍与不合拍之处。虽然十年过去了,但这篇对谈对我们当前理解中美关系为什么会渐行渐远有着深刻的启发。

三度携手

对谈嘉宾:哈佛大学教授傅高义(Ezra F. Vogel)(图左)与东京经济大学教授周牧之。

中美合作的意义

周牧之:美国与中国在过去曾经有过两度携手,一次是在第二次世界大战中共同对抗日本,另一次是在冷战后期共同对抗苏联。最近奥巴马总统提出:中美关系是本世纪最重要的双边关系,中美关系将塑造21世纪。奥巴马总统的话是不是意味着第三次中美携手?

傅高义:中国和美国在二战和冷战后期曾结成类似同盟的关系对付共同的敌人。现在美国正寻求与中国建立互信关系,常务副国务卿詹姆斯·斯坦伯格称这种关系为“战略互信”。这是由于两国间需要协同合作,了解彼此的策略,建立相互的信任。这需要双方以坦诚的态度互相交流,尤其是要扩大在军事领域的公开政策。在这种互信的基础上,我们希望中美就环境、全球气候变化、保持亚洲政治稳定等很多问题上能加深彼此的合作。我们并不期待两国建立排外的伙伴关系,而是希望凭借战略互信,在与其他国家协同合作的广泛事务中,两国能够坚定地相互合作。

周牧之:从中美二度携手又几经冲突的历史来看,如何对待动荡、变化和成长的中国,美国也一直在摸索和摇摆。那么美国今天是不是已经有了明确的亚洲战略,或者是在过去有过?

傅高义:这要看是谁当政。美国总统有一个基本的亚洲政策,但不一定是很统一,很连续,很长远。

周牧之:我认为各届总统的温度差是很大的。

傅高义:每个总统在安全委员会都专门有人做亚洲政策,这个人的思想对总统影响比较大,但是议会里的议员有自己的看法。你知道台湾人本来想影响政府,总统不听,他们就跑到议会去游说,然后议员闹事,总统就得改变一些说法。

周牧之:那么美国有没有一个几十年一贯的亚洲战略?

傅高义:国防部有,比方说国防部搞的美日同盟就是基本不改变的。国防部是制定战略的,有经验、有政策、也有具体细节,国防部制定的战略是比较不变的。

 

美国亚洲战略的底线

周牧之:美国亚洲战略的底线是什么?最不能动摇的东西是什么?

傅高义:亚洲需要安定,应该维持与日本的同盟,这是比较不改变的。1972年以后对中国的基本政策就是希望改善和强化关系(Engagement)。虽然克林顿总统开头的两年,以及小布什总统开头的两年有一些改变,但后来他们还是都变回来了。

周牧之:日本是在美日同盟的框架中发展成为经济大国的。对美国来说,日本发展这么快,长这么大虽然有点吃惊,但并没有动摇美国在国际上的,以及在亚洲的利益,没有让美国担心它的发展,当然产业上有一些威胁。

傅高义:1980年代日本太成功了,当时美日在经济上很紧张,特别是贸易、制造业方面,但是国防部门的政策基本上没有变化,直到现在也没有大的改变。

周牧之:中国的发展对美国来说应该是另一个更大的惊讶。前些年人均才过1000美金,当时都觉得是一个大事,不到几年就翻到3000美金。经济规模上更是马上就要超过日本成为世界第二。从某种意义上讲,中国与美国在体制上是不一样的,美国怎么看待这一崛起?

傅高义:我不觉得中国在美国的世界体系之外。中国是在中美关系正常化以后发展起来的,1978年我们的关系已经不错,开始帮助中国了,当时还是冷战,中美那时接近同盟关系。1989年以后有一些改变,因为苏联垮了,冷战也结束了。

周牧之:对美国而言,中国的作用在那时候变得模糊了。

傅高义:是的。改革开始的前10年,也就是从1979年到1989年,因为需要对抗苏联,中国应该算是美国的伙伴。1989年以后中美关系的确很紧张,但到1992、93年已经恢复正常。老布什总统当时马上派了两个人去中国告诉邓小平:我们是朋友,我们的关系还要继续。

周牧之:那两个人当时是以总统特使身份去中国的吗?

傅高义:是的,一个是安全部的部长,另一个是外交部的副部长。

周牧之:他们是什么时候去的?

傅高义:1989年去了2次。他们向中国表示:虽然在美国有很多人反对中国的做法,但是中美的基本关系应该继续。当时在议会关于人权问题很多议员闹得很厉害,但是白宫并没有受影响。我觉得中美关系最紧张的时候可能是从1995年李登辉来美国到2001年的这几年。中国担心如果台湾表示独立,美国能不能制止,那时的关系非常紧张。

傅高义《邓小平时代》与周牧之《步入云时代》

台湾问题的重大性

周牧之:当时中国,包括军方态度很强硬。直到2002年美国表态不支持台独,中美关系才得以缓和。

傅高义:台湾问题导致1996年以后中国的军备每年扩张得很快,美国国防部门担心台湾问题会触发出更大的问题。比方说军备,中国为台湾问题做一些准备是可以理解的,但是美国的国防部门担心有的军备不仅仅是为了台湾,而是具有更广泛的意义。

周牧之:美国害怕中国走向更广泛意义上的军扩。

傅高义:是的。所以美国非常重视 1996年以后中国的军费每年增加16%-17%左右,但是我们的基本政策是不应该让台湾问题妨碍中美关系。

周牧之:马英九上台后台湾跟大陆的关系完全改变,没有再闹台独了。这个状态过去美方设想过没有?

傅高义:设想过的,但现实可能是超过了美国设想的速度。马英九是哈佛法学院毕业的,他希望搞好两岸关系,这对中国大陆也好,对台湾也好。只是本来认为跟台湾有特别密切关系的日本可能不高兴,但是他们没法反对,只能不高兴,不舒服。相反,美国欢迎两岸关系的改善,因为我们跟中国最难解决的就是台湾问题。要是台湾跟大陆搞得好的话,中美关系就可以不用太紧张。

周牧之:周牧之:去掉一个很大也可能是最大的障碍。

傅高义:可以说现在美国跟中国的关系好处多了。

 

美国对中国发展的反应

周牧之:与日本相比,美国对中国发展的反应有哪些不一样?

傅高义:我觉得美国和日本的看法是不一样的。日本是岛国,又非常重视自己的工业部门。而美国人只想赚钱,对在什么地方,用什么方式赚钱无所谓。所以现在很多美国人跑到上海,跑到北京去赚钱。他们认为中国是一个机会,应该利用这个机会,没什么可怕的,只要有钱赚就行了,很少考虑国家的事情。日本相反,一个没有资源的岛国,只有工业有国际竞争力。如果去搞金融,日本不如美国、英国甚至香港。而美国什么都可以搞好,我们很乐观,在经济上不怕中国。

周牧之:我在美国感觉产业界更多的是把中国看成是一个机会。

傅高义:是机会,这是第一,第二我们有创造性。

周牧之:自信和乐观。

傅高义:是的,美国人对自己的科学和创造性很有自信,所以我们不怕中国人来美国的大学。但是国防部门会考虑10年、20年后什么国家可能超过我们,这个国家只有中国,当然关心中国每年提高多少武器的质量和数量。另外中国军方来看美国的军队和武器,我们给他们看了很多,但后来发现中国不想给我们看,保护得比别的国家利害,这也影响美国对中国的看法。

周牧之:就是说美国认为互相公开的程度不对等。

傅高义:是的,透明度不对等。我觉得中国最近几年有改变,比以前好一点,但透明度还不够。所以有人怀疑中国的目标,我个人的看法是中国没有很清楚的目标。但是一个国家又有武力,又有经济实力,那么它会怎样去运用自己的力量,当然是国际上关心的事。而且很多美国的历史学家觉得中国在历史上是很骄傲的,总觉得别人是蛮夷,自己是中心国家。

周牧之:中国过去一直是很骄傲的,就是这一百多年比较窝囊。

傅高义:当然中国现在还比较谦虚,在学习,但是20年后中国会怎么样,可能又会骄傲。以日本为例,1980年代后期他们很骄傲,虽然以前他们非常谦虚。

周牧之:那时日本很骄傲了几年。

傅高义:是的,骄傲了不到10年,你当时在日本看到了的,当时他们非常骄傲,看不起美国人,也看不起中国人,当然泡沫经济破灭后又变谦虚了。中国现在不骄傲,邓小平当年讲中国要韬光养晦,专心搞经济,胡锦涛也一直说不要骄傲,但以后有实力了就不好说了。
  现在中国已经在世界贸易中所占有很大份额,在国际会议中,中国人的水平也提高很快,能够用英文表达自己的看法,这些都是很大的进步。但是我觉得中国在创造性方面还不如美国,有能力的学生大都很想来美国学习。

周牧之:很多问题源于体制上的差距,中国还有待更加深入地进行体制与机制改革。

傅高义:我觉得中国的一些人不太自信,担心应对不了老百姓的反应。

周牧之:邓小平应该更深入的推进改革,以他当时的历史条件没有做,给后面的人留下了很难的课题。

傅高义:我觉得大多数中国知识分子都这样看。

周牧之:从利益集团势力的膨胀来看,改革的难度越来越大,1980年代是改革最好的时机,很可惜。总而言之,中美关系有太多的敏感的问题和历史的纠缠,是既有友情, 有合作,又有不愉快的复杂关系。

傅高义:你说得对,很复杂,不是简单的好坏和黑白的问题,何况中美两国制度还不一样。

《Newsweek》封面故事“日本第三”

没有教科书和经验的时代

周牧之:小布什政权在美国国内的评价不太好,但是在中国,大家对他处理中美关系上的评价还不错。

傅高义:开始两年不好。

周牧之:是的,但后来比较有建设性。第一是没有去纠缠人权问题。第二是跟中国一起建立起了朝核六方会谈机制,这是一个合作解决亚洲纠纷的机制。第三是将中美战略经济对话制度化了。小布什政权期间中美之间的贸易和人员往来都取得了历史性的发展,中国人觉得这段时期中美关系比较稳定。奥巴马总统就任后反复强调了中美关系的重要性,更将中美战略经济对话升级,但大家仍有很多担心。第一个是保护主义,另一个是不是会去纠缠人权问题,环境问题。

傅高义:我觉得关于环境,美国会跟中国合作,应该不会有问题的。关于人权,希拉里已经说过不让这个问题妨碍美中关系。我觉得关于经济,可能是会有些问题的。因为美国经济情况太紧张,所以保护主义的声音在议会里面肯定会很强的。奥巴马虽然不喜欢搞保护主义政策,但也不能无视议会。

周牧之:所以您担心的是保护主义。

傅高义:另外,现在美国经济还没有恢复,还存在很多问题。美国有实力的时候肚量是很大的,但现在会狭隘一点。

周牧之:会敏感一些,会计较一些。

傅高义:是的。所以在很多问题上,美国可能比过去狭隘。虽然奥巴马个人的理想很好,但是整个国家的能力不如以前,会考虑得多一些。

周牧之:就是说未来的美国在外交,在贸易,在很多方面,可能没有以前那么宽容。

傅高义:但是我觉得奥巴马本人不是这样的人。

周牧之:你是说环境可能迫使他做一些不宽容的决策。

傅高义:现在这么坏的经济情况,我们没什么经验。我担心美国的观念与视野会变得比较狭隘。

周牧之:目前这个局面对美国的领导人来说是没经历过的,对中国的领导人,对日本的领导人而言也都面临是一个没有教科书、没有经验的时代。所以这个时代真正需要有好的领导和智慧。

傅高义与周牧之在波士顿傅高义家中

【对谈第二季中文版刊载在《环球》杂志2009年第24期,周牧之《步入云时代》(2010年,人民出版社)】

周牧之与傅高义对谈:中日经济崛起奇迹的异同 【漫说风云第一季 】

编者按5月1号,日本进入“令和”时代的第二年。中日关系在令和元年发展良好,正在稳定地迈向新纪元。去年为纪念平成与令和的交替,美国新闻周刊的日本版推出特刊《Newsweek看“平成”》,十年前作为封面故事刊载在该杂志上的周牧之教授与傅高义教授对谈“日本第三”,入选其中。在平成最后的十年中只有三篇文章获此殊荣。今天在国际风云巨变之际,云河公众号分三次回放这篇在国际上具有深远影响,已经成为“平成记忆”对谈的中文全版(原载新华社《环球杂志》),以此回顾和展望中美日三国的关系。

奇迹异同

对谈嘉宾:哈佛大学教授傅高义(Ezra F. Vogel)(图左)与东京经济大学教授周牧之。

环球编者按:哈佛大学教授傅高义(Ezra F. Vogel)(图左)是国际知名的东亚问题专家,曾任哈佛大学费正清东亚中心主任。他先在研究日本社会问题上赢得学术赞誉,后又着眼于中国问题,发表了一系列颇有影响的专著。傅高义教授曾任克林顿政府军事情报咨询顾问,他1997 年曾促成前中国国家主席江泽民到访哈佛。在中美关系二十多年来每次遇阻的关键时刻,他都积极做工作并撰文为其平稳发展护航。他不仅是一位出色的思考者,也是一位高效的活动家。不久前,《环球》杂志专栏作家,日本东京经济大学教授周牧之先生与傅高义教授就中美日三国关系,沿着从历史到今天的轨迹,置身东亚乃至整个世界发展的背景,进行了深入的对谈。出身经济学博士的周牧之教授(图右)是城市化问题研究的知名学者,但他的视野往往延伸至政经领域,并跨出区域,放眼整个亚太范畴。

绑在一起的中美日经济

周牧之:第二次世界大战以后,中国和日本两个东亚国家都相继实现了高速经济增长,跃进成经济大国。对比两个东亚奇迹之路,可以发现有很多相同之处,也有很多不一样的地方。其中一大相同之处就是都非常依赖美国市场,这次美国金融风暴给两国出口产业都带来了严重打击。
  2008年9月份美国金融危机爆发时,中日有几种类似心理,一种是觉得幸灾乐祸,另一种是到美国去抄底。日本人动作很快,马上买了雷曼兄弟的亚洲和欧洲部门,注资另一家投行摩根士丹利。我当时跟日本财政部的领导讲你们做得太快了,他们说过去美国人总说我们动作慢,我们这次快点。当然还有一种观点就是救美,出了这么大问题以后,美国需要我们的帮助。
  但是实际上金融危机之下日本经济反而垮得比美国还厉害,例如日本的两大支柱产业汽车和电子都陷入困境,在2007年度盈利2万亿日元的丰田2008年度跌落成赤字企业,八大电机巨头七个亏损,其中日立创造了日本制造业历史上最大的赤字记录。

傅高义:但是中国比较乐观,今年经济增长要过8%。

周牧之:中国的出口产业也严重受挫,沿海地区一大批出口企业停工,甚至倒产,今年初有2000万农民工失业。中国奇迹也好,日本奇迹也好,很大程度上是建立在出口前提之下的。所以美国经济出问题,对中国和日本经济的影响都很大。

傅高义:我想中国和日本的领导人现在都知道要是美国经济搞不好,将影响自己的经济,是灾难。

周牧之:美国金融危机爆发时的幸灾乐祸,在亚洲已经烟消云散,大家都切身体会到中国经济、日本经济和美国经济是绑在一起的,大家实际上在一条船上。

傅高义:我在美国也是这么感觉,2000年轰炸南斯拉夫中国使馆事件,还有后来的海南撞机事件,中美关系都一度非常紧张。现在感觉不到这种紧张,双方都强调合作,因为中国领导人了解美国经济搞不好,对自己也不好。

 

都需要制度上的改革

周牧之:中日发展的第二个相似之处是中国30年的改革开放,日本战后60年,两国都觉得自己干得还不错,但经济的成功往往让大家忽视了很多社会矛盾和体制问题。

傅高义:外国人说1990年代是日本失去的十年,实际上不是,他们做了很多改革工作。

周牧之:正如您讲的,泡沫经济的挫折迫使日本做了很多改革,如果没有这些改革,日本的金融不会像今天这样在美国金融危机的冲击下还能相对保持稳定,也不会有制造业前些年的好景气。我觉得日本更大的问题是政治制度上需要做些调整,在政策制定和国家运营上对官僚的过分依赖,导致政治家素质的劣化和国政不能顺应时代实现变革。

傅高义:日本政治领导的问题太大。

周牧之:正是对自民党政治的失望导致了民主党这次大选获胜。民主党政权能不能确立政治家主导的政治机制将左右日本的未来。对中国而言,需要尽快推进政治体制改革进程。三十年经济体制改革使中国成为经济大国,接下来需要通过政治体制改革实现更平等、更民主的社会,实现财富分配的公平,言论和移居的自由。中日发展上的第三个类似之处就是快速的城市化。
  在日本,20世纪50-60年代大量农村人口涌到城市,当时流行的演歌实际上就是日本农民工的歌,唱的是喝酒思乡,想念家里的老母,想念家乡的女人。这些人后来基本上都在城市里安家落户,融入到了城市社会。相反,中国城市化带来的社会问题目前非常严峻,数以亿计的农民工及其家属在城市里徘徊了二十多年还没有融入城市社会。在金融危机冲击下,上千万农民工的骤然失业,造成了巨大的社会负担。

傅高义:我认为在沿海的农民工可以回到农村去,当然生活水平不如沿海那么高,但是也可以过得去。凭借在沿海的经验和他们的积极性,很多人会找到新的工作,我不是十分悲观。

周牧之:他们可以把在城市里学到的东西带到农村去,推动农村的新一轮发展。

傅高义:我觉得有一批人本来就想回农村,只是这次金融危机迫使他们提早回来了一些,虽然在数字上算是失业,但实际上只是回来得早一点,不一定那么严重。当然我不是说没问题,当然有问题,但我看不一定很大,我也希望是如此。我同意你的看法,在城市打工的农民工的问题对中国而言非常关键。

周牧之:这是个新问题也是个老问题。这些人已经在城市里生活了十几年甚至二十多年,所以说这是个老问题,但是在金融危机的冲击下他们要大量回乡,这是个新问题。

傅高义:这是个比较复杂的问题。

封面故事“日本第三”与《Newsweek看“平成”》

日本为何丧失活力

周牧之:中日之间第四个相似的之处是巨大社会活力的爆发支撑了经济发展。中国改革开放引发了一场社会活力大爆发,日本在战后的前一阶段也非常有活力,否则不会有日本奇迹,也不会有您写《日本第一(Japan As Number One)》。

傅高义:那是1950-90年的四十年。

周牧之:但是1990年代泡沫经济破灭以后,日本的社会活力却急速衰竭,为什么?

傅高义:首先是因为日本突然停止了经济增长,当时日本人认为经济仍会一直增长下去的。第二是为了适应高度经济增长采用的终身雇佣、年功序列等企业组织原则不适合后来的时代。美国市场经济的成分比日本浓厚一些,相比之下日本公司更强调保护员工的利益,这有好的一面,但也制约了企业的应变能力。

周牧之:日本的社会结构和组织结构都是建立在经济持续增长前提之下的。

傅高义:20世纪50-60年代日本是高速发展,70年代本来是想每年经济增加10%,但实际上降到了5%,我想当时他们还是可以接受。但是最近很多年,日本经济太不乐观了。

周牧之:日本企业对员工利益的重视,以及在战后建立起了完善的社会保障制度,是做得很好的一面,但也导致了“大锅饭”意识的蔓延,“大锅饭”吃惯了就影响锐气和上进心。在这一点上中国正好相反,由于分配的不公平和社会保障体制不健全,整个社会很紧张,大家都怕家里人得病,怕自己得病,担心自己的未来,所以要拼命工作。这种紧张感既是促进经济发展的动力,也有很多副作用。

 

发展的起点不同

傅高义:日本和中国在发展上的一个不同之处是起点,1950年代日本的技术水平、文化水平已经很高。我觉得1978年中国在技术方面不如1950年代的日本,改革开放之初中国的产业还不太发达。在开放模式上也有不同,日本有岛国思想,不想让外国人在国内工作,也尽可能地不让外国公司进来,不肯真正地放开国门。
  1980年代中国缺乏技术和技术人员,发展要依靠外国企业和外国人士的参与。所以外国人对日本经济的作用不如中国大。

周牧之:中日在起步时的产业技术基础不同,更重要的是中国比日本起步晚30年,1978年中国与世界的差距远比1950年代初日本与世界的差距大得多。这些因素影响了两个国家在对外开放上走不同的道路。虽然市场都是在国外,日本主要是靠自己的企业发展起来的,而在中国,外资、外国人发挥了更大的作用。

傅高义:在归属感上也很不一样,日本人希望一直在一个企业里工作,中国人这样想的不多,当然吃“大锅饭”的时代大家都想在国有企业干一辈子,但是1980年代以后就开始在公司间跑来跑去,现在从毕业到退休一直在一个单位工作的已经不多了。

周牧之:跟中国相比,战后日本的发展比较平稳,组织也比较稳定,大部分人一辈子待在一个公司里。中国这60年却几经波折,社会动荡非常,一辈子待在一个单位的人除了公务员以外,大都没有好结果。

傅高义:你刚才提的从农村到城市的问题很重要。这个过程日本较慢,所以城市可以每年逐渐消化接受,但是中国二十多年之内这么多人涌到城市,就难应对了。

周牧之:实际上在20世纪50-60年代,日本城市接纳人口的数量非常大,将近一半的人口在十几年中间一下子从农村落户到城市,而且主要涌向以东京为首的三四个大城市圈,这也造成了人口和经济向大城市的高度集中。就城市化而言日本做得比较好,首先趁经济好的时候把人口吸收到城市,让进城的人都在城市里安居乐业。 其次是中央财政将很大比重的支出用于再分配,把钱给地方上花,做到了即便是在经济不好的地区也能享受到与发达地区基本均质的公共服务、义务教育和社会保障。相反,这些在中国还做得很不够。

傅高义:我想主要是经济上中国还很穷,虽然沿海好起来了。但是日本经济50年代就已经不错,他们的经济规模和人均收入比中国好多了,社会保障和医疗体制的建立比较顺利。

周牧之:的确如此,20世纪80年代初的中国和50年代初的日本相比,中国的底子差得多,起点是不一样的。

傅高义:人太多,底子太薄,要补的课太多了。相比之下日本当年的负担没有这么大。

周牧之:中国的改革开放这30年所面临的问题远比日本战后面对的复杂得多,人口规模也大得多,起点也要低得多。

傅高义:一个好处就是发展也可以持续得更长,日本20世纪50—80年代发展很快,但是劳动力成本一路攀高,最终丧失了制造业的国际竞争力。中国人口多,持续了30年高速增长还有农民想进城打工,还可以搞劳动密集型产业,这在日本是没办法做到的。我估计中国还有20—30年的发展空间。

 

政府作用的异同

周牧之:日本一下就冲到了成长的极限。两国之间另一个有意思的比较是政府的作用,两个国家政府在发展中所起的作用都很大,但方式却大不一样。

傅高义:中国过去是用计划,需要多少钱,生产多少产品,怎么生产都要政府管。日本是政府跟企业讨论目标是什么,然后放手让企业去干。

周牧之:改革开放以后政府与企业的关系在中国发生了根本性的变化,更有意思的是中央政府对地方政府的控制远远不如日本。日本是高度的中央集权,地方政府看上去花的钱很多,但钱都由中央控制,中央分配给地方钱花,对怎么花也控制得很严。所以日本是中央政府主导的经济发展。

傅高义:中国这么大,从中央到省,到地区,到镇,到村,这么大的国家我觉得中央控制不了。但是日本地方政府与中央的关系很密切。

周牧之:这种关系的副作用就是使日本的地方政府丧失了发展的积极性,就知道向中央要钱,导致了地方经济的衰退。

傅高义:中国的地方政府很有积极性,邓小平时代放权给地方,提高了地方的积极性。

周牧之:特别是1992年邓小平的南巡讲话以后。

傅高义:1980年代已经有了。

周牧之:但是当时还没放开,南巡讲话以后地方之间的大竞争爆发,互相竞争GDP增长,竞争出口,竞争开发区,竞争修路筑桥……,从某种意义上来讲,今天推动中国经济发展的一个重要原动力是地区间竞争。

傅高义:这个原动力非常大,例如,我是某县的领导,想被提拔就要跟其他县竞争,同时还要向邻近的县学习他们什么做得好。

周牧之:互相之间的竞争给地方带来很大的活力。

傅高义:我同意你的看法,活力非常重要。

周牧之:但是也存在问题。地方之间缺乏再分配的机制,有的地方搞起来了,有的地方没有搞起来,有的地方有条件搞起来,有的地方缺乏条件搞起来,地区间差距越拉越大。目前地区间再分配的机制和力度还很不够。比方说现在中央政府对内陆地区,特别是西部地区的投入还很不够,今后需要在这方面有所改进。中央财政对教育投入的不足,导致中国教育水平长期落后,特别是农村,中日之间教育水平上的差距也影响了各自的发展路径。

 

多样性的优势

傅高义:20世纪50年代日本的教育水平已经很高,50~60年代拼命向外国学习,后来逐渐以国内的研发和学术体系为主,到90年代已经不太注重到国外去学习了。相比之下,中国改革开放30年一直都在向国外学习。另外日本一个重要的特征就是列岛在文化上比较统一,虽然他们说关西和关东有这样那样的不同,但是我觉得区别不大。而在中国,各地文化背景的多样性却非常显著,还存在为数众多的少数民族。

周牧之:以口音为例,日本从南到北基本上都是相通的,相反在中国存在着无数方言,南方有“十里不同音”的说法,有时翻过一座山语言就不通了。

傅高义:每个月在我家里有一次日本人的聚会,他们相互讨论得非常好,思想比较统一,彼此容易沟通。但与美国人交流就比较困难了,因为日本人与不同文化背景的人打交道的经验不多。中国人有,这就是多样性的好处。

周牧之:日本人之间的沟通讲的是以心传心,一点就通,至少看上去好像都懂了。但跟外国人没法以心传心,这就有问题了。跟不同文化背景的沟通能力中国人比日本人要强得多。

傅高义:现在中国将高级干部送到国外来学习的制度非常好,有利于学习与外国如何沟通。

周牧之:我看到有很多送到哈佛来了。

傅高义:日本人也来,但是他们回国后还是回到某某公司,某某部门工作,接触的层面有限。日本人很聪明,聪明是聪明,但是用你们的说法,有时是小聪明,在某个范围内很聪明。在考虑全局,讲话全面上你们中国人经验多一点。

周牧之:可能跟复杂的社会背景有关,日本相对来说比中国的问题少一些,他的精英可能没有面对过那么多问题,经历过那么多的磨炼。

傅高义:国内问题的单纯导致日本领导人无论是在联合国还是到别的国家,能沟通得好的人不多,能演讲的太少。

 

日本心态的变化

周牧之:日本这些年对中国的发展很吃惊,对中国的心态也在不断地变化。先是认为中国不可能持续发展,然后又有一段时间不愿意承认中国的发展,最近开始去适应中国发展的这一现实。

傅高义:我记得1980年代初,很多日本朋友说中国人工作很努力,可惜搞不好经济。但后来中国的发展使他们很吃惊。

周牧之:应该说是越来越吃惊,最近这十多年日本经济对中国的依赖徒然增大,特别是2004年中日贸易超过了日美贸易以后,中国的影响越来越大。但就在这个时候小泉首相参拜靖国神社,把中日关系搞得空前紧张。有意思的是,这一段紧张了反而使日本和中国都认识到中日关系的重要性。后来很多日本领导人,包括到麻生、安倍这样思想上相对来说比较右倾的首相,也不得不口口声声说一定要维护中日关系。

傅高义:连小泉后来都很想跟中国搞好关系,但是以他的性格,参拜靖国神社只好走到头了。

周牧之:安倍上台前夕,小泉跟他说:你去改善与中国的关系,政权的支持率一下子就会上去。他完全明白中国的重要性。

傅高义《日本第一》与周牧之《中国经济论》

保守带来的沉重包袱

傅高义:中国发展这么快,我觉得日本人会担心如果中国把日本的技术都学会了,那是很可怕的事。

周牧之:虽然今年中国GDP就可能超过日本,但实际上日本在很多领域还走在很前面。

傅高义:日本要考虑5年以后,10年以后怎么办?如果与中国发生问题怎么办?所以近年有人鼓吹中国加一(China plus one)策略,就是在中国设厂的同时也在马来西亚、越南,或者其他的地方开设工厂。如果中国发生什么问题,马上可以把生产转移到别的国家去。

周牧之:我自己是搞产业的,知道很多企业没有办法能够做到China plus one,因为这需要多加一笔巨额投资,一个不必要的大成本。

傅高义:但还是有不少企业这么做。例如本来在马来西亚有工厂,又到中国开新工厂时还是留着马来西亚的工厂,虽然那里的工厂不如中国的好。

周牧之:日本企业在它有余裕的时候可以说中国加一,甚至加十,它有钱愿意烧,谁也管不了。但是到真正经营出问题的时候,它哪还说什么加一,能维持一个就不错了,没准最后连所有的工厂都不要了。特别需要看到中国不仅是新的世界工厂,还是一个巨大的、成长的市场,这个市场对日本企业已经越来越重要。

傅高义:针对向中国的技术转移,日本企业近年还推行了“黑箱(black box)”战略。

周牧之:就是把核心技术黑箱化。日本企业在跟中国的合作时很注意怎样保持它的技术优势,就像猫教老虎一样,要留一手,上树那招他就黑箱操作了。

傅高义:我记得松下幸之助跟邓小平谈话时邓小平说需要他们最现代化的技术,松下说他很想帮助中国,但中国要是把技术秘密都学去了,他们的动脉也就断了。

周牧之:日本在技术转让上一直比较保守,这个我当年参与宝钢建设的时候就有体会。与欧洲和美国企业相比,日本企业比较谨慎,比较保守一点。

傅高义:美国企业的领导人注重利益,而日本企业非常重视未来,为了把核心部门留在日本,并不是完全按照数字来进行经营决策的。

周牧之:这种思路也给企业带来沉重的包袱,比方说索尼上年度巨额赤字,一部分是因为在日本国内还维持着很多工厂。又如另一个赤字巨鳄松下在全世界还有280多个直属工厂。相反,美国的苹果公司没工厂,像ipod、iphone、Mac大都在中国生产,所以它一身轻松,利润率比同行的日本企业好得多。在今天的赤字压力下日本企业正在调整战略,象索尼今年就关闭了它过去最不可能关的国内王牌工厂。

傅高义:我非常高兴你这样了解日本,既了解他们的长处,也了解他们的不足,可以帮助中日两个国家相互沟通,我觉得这非常重要。

周牧之:中日关系对亚洲太重要了。两国关系搞不好,亚洲没有安宁,也无法真正发展。

傅高义:太重要了,不搞好不行。

周牧之:但是这两个国家要搞好关系太难,历史的包袱非常沉重。

傅高义:我觉得邓小平1980年代搞得很不错,当时中国的年轻人对日本的看法比1990年代长大的要好。

 

国际化的路还很长

周牧之:我就是1980年代到日本去留学的,那时有很多优秀的人去日本留学。现在去日本的中国留学生中优秀的相对减少,还总想着往美国跑。这与日本社会给留学生的机会较少,与岛国思维比较狭隘有关。十几年下来,看到先来的留学生在日本并没有真正发展得很好,后面的就不愿意来了。

傅高义:美国已经开放得多,以我们犹太教徒为例,过去我们不能去很多公司工作,拿不到很多大学的职位。但是第二次世界大战以后犹太人在美国大公司、大学不仅能够工作,还有很多人成为了领导。美国社会过去也是很有偏见的,但现在主要看能力,就像美国对运动的态度,谁跑得快就奖谁,不管他是谁。

周牧之:非洲留学生的儿子都能做总统了,的确是很大的进步。

傅高义:我看到现在很多日本人想了解中国,想学习中文,在中国大学里念书的也相当多。

周牧之:中日经济已经紧密地绑在了一起。中国现在是日本最大的贸易伙伴,今年中日贸易已占日本贸易总额的20%,第二位美国只有14%。日资企业在中国的雇员超过了1000万人,这是非常大的一个数字。两国的经济往来越来越密切,当然摩擦也越来越多。

傅高义:日资企业对中国员工一般是不错的,在日本公司工作的人待遇也应该较好。

周牧之:有好的一面,也有不好的一面。好的一面是相对来说比较稳定,不会随意被抄。不好的一面是大多数的日资企业没有打破日本人和中国人两个群体的界限。你可以看到中国人在欧美企业做中国公司的一把手的很多,但在日资企业这种情况还比较少,重要的干部大都是从东京派过来的。日资企业的国际化还做得很不够,还在讲以心传心,以日本人为核心,将打工的中国人划做另外一个群体。中国人上不去的话,优秀的人就不愿意到日本公司去工作,来了也留不住。日本公司在美国也有同样的问题,索尼做得好一点,但大多数公司,即便很大的公司也把美国人放在与日本人不同的层面,始终由日本人来控制公司主要权力。总之无论是日本社会还是日本企业,目前面临的最大问题是需要更进一步地开放,只有开放才会有进一步的发展。


【对谈第一季中文版刊载在《环球》杂志2009年23期,周牧之《步入云时代》(2010年,人民出版社)】

【中日大咖对谈】后疫情时代,国际大都市向何处去?

编者按:新冠病毒全球大流行重击纽约、伦敦、东京等世界级大都市,引发了世人对国际大都市前景的忧虑。未来国际大都市将向何处去?应该如何处理好城市与生态的关系?应该如何选择和诱导城市文化的走向?周牧之教授和横山祯德教授高峰对谈,头脑风暴未来愿景。

照片:在《中国城市综合发展指标》日文版出版纪念会上,周牧之(右一),横山祯德(左二)

 

一、全球化与大城市化相辅相成


周牧之:
  城市起源于集市,成长于交易和交流的繁荣。1950年人口超过千万人的超大城市只有东京大都市圈和纽约两座城市。到1970年加上一个以大阪为中心的近畿都市圈,在全球超大城市也只有3座。然而超大城市的数量从1980年的5座突然猛增到今天的33座。而且这些超大城市大多是国际交流的中心,是引领世界政治、经济发展的大都会,它们的人口合计多达5.7亿人,占到世界总人口的15.7%,这背后的机理值得深究。


横山祯德:
  对城市发展而言首先基础设施的承载力很重要,过去江户(德川幕府时代的东京)不仅有很好的上下水道,还在市内开凿了纵横交错的运河。这些基础设施支撑了江户超过百万的城市人口。


周牧之:
  我家楼下井之头公园的泉水就是江户时代第一条上水“神田川”的源头。当年德川家康为建江户城着实花费了一番功夫寻找优质水源和建设上水沟渠。


横山祯德:
  支撑近现代东京发展最重要的基础设施是轨道交通,其中环状的山手线特别值得一提。山手线虽没采用特别的新技术,但却哲学性的创新了思维,将城市核心,即中央商务区(CBD,Central Business District)从“点”扩大到“环”状的面,提高了东京城市活动的多样性和密度,造就了世界城市设计史上一个成功的案例。山手线成就东京形成了丸之内、新宿、渋谷、池袋等若干个中央商务区。而在美国,通常一个大都市往往只有一个中央商务区。复数的中央商务区不仅使东京的容量大幅度扩大,而且也增加了它的多样性。


周牧之:
  轨道交通对城市密度的贡献也很大。


横山祯德:
  是的,例如洛杉矶虽然也有城市中心,但是由于依靠的是汽车交通,所以城市设施的密度无法提高。


周牧之:
  提高基础设施的水平和承载力是治理大城市病的重要手段。东京大都市圈的人口规模在1000~2000万人的时候大城市病非常严重。今天已经3800万人,大城市病却基本得到了治理,高品质的基础设施投资功莫大焉。这次新冠病毒瘟疫一定会刺激全球城市在医疗、上下水、垃圾处理等公共卫生基础设施上的投入。
  当然,城市物理上的容量是一回事,工作上的容量又是另外一回事,后者换句话说是城市吸引和安置就业的产业能力。1980年代以后推动全球大城市化、超大城市化的有两大引擎,一个是制造业供应链的全球扩展,一个是IT革命的爆发。可以说,全球化与大城市化相辅相成。
  从现在全球33座超大城市的地域属性来看,只有两类。一类是沿海城市,另一类是以首都为主的中心城市。这是因为在全球供应链的前提下发展起来的制造业产业集聚需要深水港的支持,所以云河都市研究院发布的“中国制造业辐射力2018”前10位的城市分别是深圳、上海、东莞、苏州、佛山、广州、宁波、天津、杭州、厦门,无一例外都有着便捷利用大型集装箱港口的优势,这10个城市创造了中国货物出口的半壁江山。


横山祯德:
  日本制造业的出口向东京、大阪、名古屋等三大都市圈集中的倾向也非常显著。


周牧之:
  其实相比制造业,IT产业向大城市、超大城市集中的倾向更强。
  IT产业作为典型交流经济,需要开放、宽容和多样性的文化环境,而沿海城市和中心城市最具有这样文化环境。因此“中国IT产业辐射力2018” 前10位城市分别是北京、上海、深圳、成都、杭州、南京、广州、福州、济南、西安,它们不是中心城市就是沿海城市。这10个城市的IT业就业人数总量、主板IT业上市公司数量、中小企业板IT业上市公司数量,以及创业板IT业上市公司数量在全国的占比分别达到53%、76%、60%、81%。


横山祯德:
  美国的IT产业发展从波士顿周边的128公路沿线到硅谷、西雅图,现在也开始向纽约等国际大都市集聚了。


周牧之:
  日本的IT产业更是高度地集中在东京。东京大都市圈竟然集中了东京证券交易所主板上市IT企业的80%
。
  其实比较制造业辐射力、IT产业辐射力与城市功能的相关关系就可以发现其中的奥妙了。例如从广域交通上来看,制造业辐射力最在乎的是集装箱港的便利性,而发展IT产业最关键的是机场的便利性。从城市的辐射力来看与制造业辐射力相关度最高的是科学技术辐射力和金融辐射力,而与IT产业辐射力相关度最高的却是餐饮酒店辐射力和文化体育娱乐辐射力。特别值得注意的是制造业辐射力与医疗辐射力、高等教育辐射力的相关度不高,相反IT产业辐射力与这两项辐射力呈现很高的相关关系。这说明IT产业发展所集聚的人群对餐饮酒店、文化娱乐、高等教育、医疗的诉求很高,只有能够满足这些要求的大都市才具备吸引这些天之骄子们的魅力。


横山祯德:
  所以说城市的舒适性非常重要,我去年还专门给《中国城市综合发展指标2018》的专家述评撰文强调城市的舒适性。

二、谋求“里山”式的城市发展


周牧之:
  在知识分子中间一直有一股逃离大城市的冲动,例如早在35年前,阿尔文·托夫勒就在《第三次浪潮》中描绘了很多信息社会场景,其中大多数都被这位极富想象力的美国未来学者言中。只有关于信息革命让人们可以逃离大城市,能够在乡村一边享受田园风光,一边高效率地从事信息社会工作的预言没有能够实现。相反,在信息革命的推动下,大城市化、超大城市化越演越烈。


横山祯德:
  这种逃离大城市的冲动在欧美由来已久,而且根深蒂固,只是这些人绝大部分最终还是一直居住在城市里(笑),因为城市里有着只有在城市里才能独享的舒适性。


周牧之:
  城市特别是大城市,有着只有大城市才有的工作,有着只有大城市才独有的舒适性和魅力,这是人们为什么向大城市聚集,为什么离不开大城市的原因。
  但的确人类在城市建设上没有处理好与自然的关系,这是让敏感的知识分子们产生逃离大城市冲动的根本原因。


横山祯德:
  人和自然的关系某种意义上到了一个临界点,现在人类的过度开发已经超越了地球的自我修复能力。这次新型冠状病毒爆发的一个重要背景是长期的环境破坏导致地球生态平衡出现了问题,造成物种的分布发生了变化。作为病毒媒介的动物,在分布上也发生变化,出现在本来不该出现的地方,导致病毒的生成和传播的机制都在变化。


周牧之:
  过度的开发,大量的二氧化碳排放使全球的生态体系发生了大规模的异变。


横山祯德:
  因此即使特效药、疫苗开发出来,这次的新冠病毒被遏制住,今后还可能出现更强的病毒。


周牧之:
  所以首先需要认识感染性疾病可能对全球造成的危害。世界经济论坛(WORLD ECONOMIC FORUM)发布的“全球风险报告2020”(The Global Risks Report 2020)列举的未来十年全球可能发生的十大风险排名中,居然没有感染性疾病的问题,而且在未来十年对全球影响最大的十大风险排名中感染性疾病也只是忝居末位。
  不幸的是与世界经济论坛的预测相反,新型冠状病毒的全球性流行就给人类社会带来了前所未有的打击。
  现在许多人口众多、国际交往密集的国际大都市沦陷为疫情爆发的重灾区,许多人开始质疑全球化以及国际大都市的未来。对此必须清楚认识到,新冠病毒全球性扩散的真正原因不是在于国际间人员交往的速度和密度,而是在于人类长期以来对感染性疾病威胁的轻视。今后,国际社会、国际大都市要在与病毒性疾病抗争上加深认识,加大投入。


横山祯德:
  在如何处理城市与自然的关系上,思想上需要有彻底的转变。


周牧之:
  日本有人说“乡村是神造的,城市是人造的”, 我认为他们说的又对又不完全对。日本传统的乡村叫“里山”,是村落、农地和自然相互融合的乡村。里山的生态多样性甚至比原始山林还要丰富。我的朋友NHK自然节目的主任制片人小野泰洋告诉我,这是因为人对自然的适度介入,形成了一种新的生态,这种里山生态比原始山林生态还要更丰富、更多彩。
  里山式的乡村实际上是人工介入的“人造”与自然修复力的“神造”之间互动交融的结果。
  而在现代城市建设中,人类过份强调“人造”城市的一面,忽略了自然生态的参与和互动,甚至排除了自然,把城市变成了水泥森林。


横山祯德:
  1915年建造明治神宫的时候,从全国移植了大量树木,不曾想一百多年之后竟然在东京的市中心形成了一大片“原始森林”。以前在东京的皇宫中有座高尔夫球场,但是1936年的二二六事件让昭和天皇非常生气,从此不再打高尔夫球了。几十年无人打理的高尔夫球场竟然回归了自然,有了很多生物栖息,其实大自然有着强大的修复能力。
  在理解这种自然修复能力的基础上来设计城市是最理想的,但是至今很少有人做这种尝试。


周牧之:
  多年前我主持镇江生态新城设计时提出的“模块城市”开发理念就是把一个百万人口的城市分割成若干模块,每一个模块都有一定比例的生态空间与人造的空间相互融合,再用路面电车把这些模块连接起来。记得横山先生当时也参与了这个项目。
  我的理想是不仅要打造里山式的乡村,还要建设里山式的城市。


横山祯德:
  不论是英国的田园城市,还是澳大利亚的首都堪培拉都不是很成功。在谋求与自然融合的同时打造城市的魅力其实是一项很艰难的工作。


周牧之:
  里山的绝妙之处在于是人工的介入和自然的修复力互动之下的平衡,这种平衡创造出一种新的生态。这种新生态经常超出人们想像,给人惊喜。里山式人工介入的关键在于“适度”和“持续”。近年由于日本农村人口的减少,有一些里山式的乡村无人化后回归了大自然,人们却发现回归了大自然的生态在生物多样性上不如之前里山式的生态。
  所以设计城市的生态空间一定要把握好人工介入的“度”。另外还有一个要把握好的是“距离”,不能把人与自然的距离拉得太远。中国现在很多城市虽然开辟了大片大片的绿地和水面,但却远离人们居住和工作的区域,人们在日常生活中仍然无法真正地亲近自然。

三、总体规划与分层设计


横山祯德:
  城市有很多层级(layer),例如生态是一个层级,供应链是一个层级,交通是一个层级,文化又是一个层级,这些层级所覆盖的范围大小有的时候并不是一致的。城市是由这些层级叠加复合而成的。
  其中有以硬件为主的层级,也有以软件为主的层级。就以硬件为主的层级而言,城市可以设计相应的交通系统、能源系统来对应全球化。以软件为主的文化层级也很重要,例如纽约和东京的生活其实是很不一样的。从生活文化的层级来看,它们的差异很大,但从总体上来看,两个城市都是出色的国际大都市。所以分层级地来观察和设计城市很重要。


周牧之:
  更重要的是在做分层设计之前的概念性总体规划(Master plan)。


横山祯德:
  是的,在这里有必要讨论什么是真正的概念性总体规划,其实总体规划不应该过分注重物理性、物质性,而应该更注重思想性、战略性和概念性。


周牧之:
  这样总体规划才能真正起到统领层级设计的作用。


横山祯德:
  从设计的观点来看,城市的上水系统、下水系统、能源供应系统、交通系统都是有形的,可以设计的。但是文化就完全是无形的了,这里就有一个文化走向选择的问题。


周牧之:
  文化层级的很多元素从属于地域本身文化生活的特性,这里就有你的文化走向是选择狭隘的民族主义,还是选择地域主义的问题。前者是用自身的文化去对抗全球化,后者强调的是在全球化中如何彰显自己地域的、文化的特征。实际上每一个成功的国际大都市背后都有着文化走向选择的成功。



横山祯德:
  像生活文化这样的层级应该通过持续的微调来诱导它的走向。


周牧之:
  是的,例如这些年来中国建造了很多新城、新区,它们的硬件设施有的已经建设得很好,但是生活文化氛围的营造就不是能够一挥而就的了。例如我带着国外的同仁们去深圳,虽然看到了很多高楼大厦,但是大家都不觉得这个城市有意思。等到了广州他们就很兴奋,因为大家能够在大街小巷里感受到广东特有的历史和文化生活气息。


横山祯德:
  新宿的东京副都心也是同样的,感受不到魅力,是一个无法自我进化的街区,虽然有广场,但却是连一个夜市大排档也长不出来。


周牧之:
  文化和生态一样都有自我进化和自我繁衍的能力,城市设计和管理的一大要义就是要容忍、重视和诱导这种能力。传统、文化和生态都需要在时间中孕育和繁衍,最终成为城市的地域特色和自豪。
  意大利的设计大师马里奥·贝利尼曾经对我讲:城市并非你想建就能建,想毁就能毁,想改变就能改变的。在城市背后,是一个有着自我文化认同的人群。

四、服务业与交流经济


周牧之:
  横山先生一直讲日本服务业劳动生产率比美国要低,我却认为可能这正是日本服务业的魅力所在。因为日本的服务业,像餐饮、零售都有很多与顾客交流互动的环节,这些环节大多不可能标准化,但顾客很享受这样的交流。当然,通过与顾客的互动,服务业的品质也会渐进式地不断提升。


横山祯德:
  跟去高级的寿司店一样,寿司的品质固然很重要,与做寿司的师傅交谈对顾客而言也是一种重要的享受。


周牧之:
  所以现在衡量一个商圈的优劣时要看它的餐饮、零售是连锁店多,还是非连锁店多。非连锁店多的商圈才能获得高评价,因为真正与顾客交流互动好的店铺大多是非连锁的、个性化的。
  例如我居住的吉祥寺是日本人居人气第一的街区,它的商业区评价在日本也是排名第一,主要以个体经营为主。吉祥寺商铺的平均面积比整个东京的平均要小很多,但是每平方米商业面积的销售额却很高,甚至远高于迪士尼乐园。
  所以服务业追求高附加价值需要走的不一定就是标准化的路线,交流经济的路线值得重视。


横山祯德:
  东京是世界上米其林星级餐馆最多的城市。


周牧之:
  在云河都市研究院发布的“餐饮酒店辐射力2018”中,前十位城市分别是上海、北京、成都、广州、深圳、杭州、苏州、三亚、西安、厦门,这10个城市合计的五星级酒店数量、国际顶级餐厅数量分别占到全国的36%、77%
。
  对IT产业辐射力与餐饮酒店辐射力的相关分析发现,两者的相关系数竟然达到0.9,是所谓“完全相关”关系。这说明作为典型交流经济的IT产业,高收入的IT产业人群“好吃”。“吃”本身无疑也是他们“交流”的一个重要的场景。中国IT产业辐射力最强大的上位城市无疑都是中国的美食之城。今天,吃得好已经是城市发展交流经济不容忽视的“重要生产力”。
  没有比较就没有“伤害”,制造业辐射力与餐饮酒店辐射力的相关系数只有0.68。显然,相对IT产业,制造业人群对美食的敏感性要低得多。


横山祯德:
  东京IT产业的发达肯定与它的美食有关,随着人们的收入越高,所从事职业的知识结构越高,对交流的诉求就会越强,全球化是不会被新冠疫情终结的。


周牧之:
  从这种意义上来讲,作为全球化的节点,作为交流经济平台,国际大都市也是不会因为新冠疫情而真正衰退的,重挫之后一定会迎来新一轮更新迭代的大发展。

 


对谈嘉宾简介

周牧之
云河都市研究院院长,东京经济大学教授,经济学博士。
历任哈佛大学客座研究员、麻省理工学院客座教授、中国科学院特聘研究员、日本财务省财务综合政策研究所客座研究员。兼任日本环境卫生中心客座研究员,MTI株式会社(东京证券交易所主板上市公司)独立董事。


横山祯德
东京大学校长室顾问、原麦肯锡东京分社社长
历任日本经济产业研究所上席研究员、日本产业再生机构监事、一桥大学研究生院客座教授、东京大学特任教授、日本国会东京电力福岛核电站事故调查委员会委员、日本健康医疗开发机构理事。兼任三井住友金融集团独立董事、三井住友银行独立董事、欧力士生命保险独立董事。


该文发表在2020年5月13日的中国网上,并为众多媒体和平台转发。


【中日大咖对谈】疫情之下,我们应当如何转危为机?

编者按
新冠病毒全球大流行之下世界范围的封国、封城,引发世人对全球化前景的忧虑。未来的制造业和商业模式会有怎样的颠覆和创新?全球供应链将向何处去?企业发展应当如何做选择?近日,周牧之教授和横山祯德教授展开了一场高峰对谈。头脑风暴中蕴含着两位顶级专家眼中的未来愿景。你关心的问题,答案都在其中。

 

一、全球供应链将向何处去


周牧之:
  新型冠状病毒全球大流行对全球化将产生什么样的影响是大家都迫切关注的一个问题。全球化实际上有很多维度,其中供应链是一个非常重要的维度。
  二十年前我曾经预测供应链的全球扩张将在中国的长三角、珠三角和京津冀形成全球供应链型的产业集聚,进而预测在中国会形成珠三角、长三角、京津冀三大城市群。二十年来的现实印证了我当年的预测,在这三个地区形成了规模巨大的全球产业链型产业集聚,而且三大城市群也逐渐成型并带动中国社会经济的发展。
  针对全球供应链,现在大家最关注的是新冠肺炎疫情,以及美国政府推行的企业召回政策,将会造成什么样的影响。


横山祯德:
  讨论“全球化”的时候一定要注意另外一个重要概念“地域化”,这是一对相辅相成的概念,在供应链问题上也是如此。


周牧之:
  实际上全球供应链的异像在新冠病毒全球大流行之前就已经显现了,中美经贸摩擦就是一个典型。过去,制造业的供应链是局限在一个国家,甚至一个区域之内的。
  例如,过去丰田汽车的供应链基本上是50公里半径。供应链向全球扩张的时期正好与中国的改革开放偶然地吻合,结果中国成为供应链全球化的一大受益方, 中国的出口规模从2000年到2019年增长到了10倍。供应链全球扩张的三大推手是IT革命、运输革命和冷战之后稳定的世界秩序带来的安全感。
  全球供应链打破了西方工业国家劳动分配率居高不下的僵局,改变了全球财富创造和分配的机制。
  中国经济的腾飞很大程度上得益于全球供应链,所以在2007年出版的拙著《中国经济论》中,我用了整个第一章来阐述中国经济发展与全球供应链的关系。
  但是,中国与全球供应链的关系在近年出现了诸多摩擦。首先,对国际资本而言,他们对政府的一些介入产生了不安感。所以,日本开始推行“中国+1”的备胎政策,鼓励企业在中国之外的国家和地区拓展供应链来规避对中国的过度依赖。其次,是知识产权问题,实际上中美经贸摩擦的焦点之一就是知识产权问题。第三是劳动力、土地、税收等成本升高的问题。
  当然,以美国为代表的西方国家本身的问题是产业空洞化产生的巨大压力,这也是特朗普能够当选总统的重要社会基础。


横山祯德:
  其实还有一个问题是中国的影响力快速提升,显示出了巨大的存在感。全球化这个概念问世时我曾说,它实际上是“世界的美国化”。
  但是,随着中国影响力的扩大,在很多方面美国变得越来越敏感了。我一直主张提倡以地域化来对应全球化,地域化亦或是地域主义一个主张地域特色的概念,可以与全球化相辅相成,同时我们要摒弃与全球化对抗的狭隘的民族主义。
  对知识产权的尊重是一个不断演进的过程。今天中国已经在知识产权上有了很多自己的优势,未来会更理解为什么要保护知识产权。


周牧之:
  全球供应链的发展导致了美国老工业地带的产业空洞化,某种意义上来讲,特朗普就是在铁锈地带民族主义高涨背景下当选总统的。
  四十年的改革开放,特别是加入WTO以后的近二十年,中国历尽艰辛取得了奇迹般的成就。成就奠定了自信,但同时又感觉到世界好像没有完全接受这种自信。因此,一部分人产生了某种心理上的反弹。如果这种自信和反弹的交错把握不好的话,可能会扭曲中国和外界的关系。


横山祯德:
  实际上,美国和日本在崛起的过程中被外界所接受都不是一帆风顺的。美国在第一次世界大战之后的20世纪30年代成为了世界的债权国,在这之前欧洲是世界的中心。但是无论是音乐、美术,还是高层建筑,真正形成美国风格是在1950年代以后,美国诺贝尔奖的获奖人数也是在第二次世界大战之后才飙升起来的。即使这样,在很长一段时间里美国还是被欧洲称为“丑陋的美国人”,日本在20世纪80年代也被欧美称为“丑陋的日本人”。
  面对这种情况,是对抗还是主张个性?这就是狭隘的民族情绪和强调地域个性的地域主义的区别。
  比方说,这些年中国重视数字化的发展,而日本仍然对数字化之前的模拟世界执着地情有独钟,结果造成日本制造业的根底非常扎实,但是服务业的劳动生产率显得有些停滞。中国和日本应该说是各有千秋,这种特色就是地域主义要提倡的地域特色。


周牧之:
  所以说,全球化与地域主义是一对相辅相成的、健全的对应关系。但是狭隘的民族主义与全球化是对立的、有害的冲突关系。如何遏制狭隘的民族主义,让世界更有安心感,是各国维护和发展全球供应链,推进全球化的关键。


横山祯德:
  就新冠肺炎疫情的应对而言,现在世界范围的封国、封城,是一种强化国家干预的形态,可能会助长狭隘的民族主义在各国的抬头,有人很担心,但我认为这种情绪迟早会减弱的。


二、制造业向交流经济进化


周牧之:
  现在大家都在议论美国推行的制造业回归政策,作为一直关注产业链发展的经济学家,我认为即使没有特朗普的强推,制造业向西方某种程度的回归也会自然发生。
  从历史上看,最早的供应链全球化实际上是从农业开始的。古代东西方贸易最早期的产品,不管是丝绸、胡椒,还是棉花、砂糖、茶叶等,都是农产品。从其它地域获取这些农产品是西方推动大航海的原动力。此后,食品供应链的全球化越演越烈。
  我老家湖南是水稻文明的发源地,曾经是典型的自给自足经济,几乎所有食品都是自己生产,或是来自周边的集市交易,供应链的动线既短且可视。可是,今天中国人的食品供应动线早已超越地域,全国化,乃至全球化了,既不可视,也不可追溯。
  日本的乡村也是典型的稻作文明,原风景和湖南非常相似,也曾经是典型的自给自足农业。但是,按大卡计算,今天日本食品已经有60%源于进口。
  食品供应动线的全球化虽然提高了食品供应的效率,但是给以小农经济为主体的中日两国的农村、农业、农民都带来了沉重打击。即使在备受非议的保护政策之下,日本的农业也被进口食品挤压得岌岌可危。更重要的是,供应链的不可视使得食品安全隐患变得不可追溯,不可控。
  近年在日本的食品供应上出现了可喜的变化,农家绕过中间环节直接供应消费者的情况越来越多。战后推动农产品供应规模化、效率化的农业协同组合、超市等环节被直接跳过。
  “看得见农家的农业”在农产品之上叠加了交流、信任、感性和品质,不仅提升了农产品的价值,而且使农业本身也变得更加具有魅力。因此,最近在日本,大学农学部的女生明显增多,“到农村去”的年轻人也越来越多。


横山祯德:
  在日本,无论是农业还是渔业都正在摸索构建与消费者互动的新型生产流通体系。也有人把这种农业产品的生产、加工和消费三联动的产业形态称之为“第六产业”。


周牧之:
  在发达国家,制造业的生产和消费也出现了同样的情况。
  在制造业的供应链中,过去在企业间交易信息中,不可以外传、不能够外传的隐性知识的比重非常高,为了确保隐性知识的机密性和磨合沟通的顺畅,企业之间重视长期的合作关系,甚至资本的提携。
  供应链上的企业关系是金字塔型的,是IT技术通过标准化和数字化很大程度上减少了隐性知识的比重,大幅度削减了企业间信息交流的时间和成本。同时模块生产方式更是公开了设计规则,使得全球的企业能够公平地参与供应链上的竞争。由是,供应链得以冲破隐性知识的束缚向全球延展。
  供应链上的企业关系也从紧密的金字塔型转变为扁平的网络型,这一切给发展中国家参与全球供应链提供了前提条件。同时,以中国为首的发展中国家的参与使得工业产品的价格大幅度地下降。这种将隐性知识最小化的全球供应链是典型的交易经济。
  然而随着时代的变化,过去一味追求低价格的消费者们开始更多地注重感性、个性和与生产者之间的互动。使这些成为可能的大背景是工业生产模块化进入了一个新的阶段。模块化生产使非熟练工人也可以参与组装等工业生产活动,是制造业供应链全球化的基础,是发展中国家新工业化的前提。
  今天,模块化已经进化到可以与个性化设计叠加,实现多样化、个性化的小批量生产。在模块化的基础上,生产者与消费者通过互动可以生产出更具有设计性和个性的产品。


横山祯德:
  日本是一个模块化与个性化互动发展的先行国家。一户建住宅就是一个好例子,通过用户与设计师互动的个性化设计、工厂的模块化生产、现场熟练建筑工匠严丝无缝的拼装,既实现了效率,也实现了用户的个性化自我彰显。


周牧之:
  汽车的个性化定制和流水线生产结合得最早、做得最好的,也是日本厂商。


横山祯德:
  新型的制造业供应链是一个消费者与生产者互动的新体系,制造业的回归美国或者日本肯定不是简单的工厂搬迁,而应该是在构建崭新的供应链体系。


周牧之:
  可以想象未来的制造业,一方面是像半导体芯片这样高技术含量核心模块的全球化供应;另一方面是在核心模块的基础上,用户与生产者互动生产个性化的终端产品,后者供应链的动线会既短又可视。
  这次制造业向发达国家的回归,其中很大一部分是向市场的回归,是更进一步地走近消费者的回归。
  即使没有特朗普、没有新冠疫情,这种回归也会发生,这是制造业从交易经济向交流经济进化的一种表现。


横山祯德:
  随着中国生产成本的上升,一部分对利润空间敏感的制造业离开中国是不可避免的。中国更应该重视的是这种先进制造业向发达国家的回归。
  另外还需要重视的一点是非数字化模拟技术的重要性。例如光学镜头的生产很难实现完全的数字化,需要模拟技术和数字技术的高度结合。在这点上,索尼、奥林巴斯等日本厂商把光学领域模拟技术的发展和传承当成核心竞争力。


周牧之:
  制造业终端产品的生产将会越来越个性化,越来越本地化,而核心的元器件和模块却是需要全球供应的。
  所以,我最近向远大科技集团的张跃总裁建议集中力量攻关臭氧传感器。
  如果能将臭氧传感器成本压缩到100美元以下,一方面能迅速推广臭氧在有人空间的应用,遏制新冠病毒的室内传播;另一方面远大通过向世界各地的臭氧设备生产厂家供应传感器,有望成为核心元器件的全球性企业。


横山祯德:
  日本一个类似的案例是村田制作所的电容器,市场占有率世界第一。这个企业现在是全球领先的电子元器件制造商。


周牧之:
  制造业的交流经济化是部分制造业向西方回归的本质,实际上是一种市场取向型的回归。因此,中国的制造业要及时认识到这一点,努力更新迭代,加强与市场的沟通和互动,重新定位自己在全球供应链中的特色。
  值得欣慰的是,中国已经不光有强大的制造业基础,本身也拥有巨大的市场,相信一定能在制造业的交流经济化中走出自己的新路。

三、要在认识世界的基础上彰显个性


周牧之:
  汽车制造的关键过去是发动机,到了电动汽车时代,关键变成了设计。


横山祯德:
  是呀,就连车门关闭时的声音也是一个重要的设计要素,这个声音甚至对销售都有很大影响。看得见的部分和看不见的部分的综合设计能力变得非常重要,这里边包含有文化的特性。例如,意大利人做的沙发就特别舒适,但是要德国人做出比意大利沙发更舒适的沙发就比较困难了。


周牧之:
  所以我家里的椅子和沙发都是好朋友意大利设计大师马里奥·贝利尼的作品(笑)。最近,在欧洲比较擅长的感性领域,日本厂商也开始获得很高的国际评价,例如白葡萄酒、威士忌、巧克力等。在日本理工科毕业女生最有就职人气的企业排名中,现在食品关联企业很多。感性丰富的女性愿意去这些企业,也是感性和文化彰显的一个表现。


横山祯德:
  国际间人员交往越来越多,目的性也非常丰富,有旅游、商务、学术等。


周牧之:
  全球国际旅游人数30年前是年4亿人次,2018年猛增到年14亿人次。


横山祯德:
  我认为,其中特别值得重视的是有一定文化背景的专业人员的交往,例如艺术家、建筑师、设计师甚至医生。


周牧之:
  还有餐饮领域的大厨。


横山祯德:
  餐饮大厨本来就很重视游历和学徒。过去在日本,这些人年轻的时候都要游历到几个不同的地方做学徒,等技艺达到一定水平以后,再回到家乡开店做主厨。现在厨艺学徒的游历和修行更是早就已经全球化了。


周牧之:
  我好几个朋友的孩子都在国外学厨艺,有的甚至已经成为顶级大厨,他们的父亲有著名的大学教授,还有主板上市公司的大老板。


横山祯德:
  厨艺领域的海外研习带动了日本料理与西餐之间的融合和借鉴,但并没有导致同化。日本料理现在受到世界欢迎的一个重要原因,是有这么一批在见识世界的基础上,践行彰显地域特色的大厨。


周牧之:
  努力认识世界和努力让世界认识自己,是全球化进程中每一个负责任的国家和每一个负责任的个人应该具有的认知。


对谈嘉宾简介

周牧之
云河都市研究院院长,东京经济大学教授,经济学博士。
历任哈佛大学客座研究员、麻省理工学院客座教授、中国科学院特聘研究员、日本财务省财务综合政策研究所客座研究员。兼任日本环境卫生中心客座研究员,MTI株式会社(东京证券交易所主板上市公司)独立董事。


横山祯德
东京大学校长室顾问、原麦肯锡东京分社社长
历任日本经济产业研究所上席研究员、日本产业再生机构监事、一桥大学研究生院客座教授、东京大学特任教授、日本国会东京电力福岛核电站事故调查委员会委员、日本健康医疗开发机构理事。兼任三井住友金融集团独立董事、三井住友银行独立董事、欧力士生命保险独立董事。


该文发表在2020年5月9日的光明日报上,并为众多媒体和平台转发。