矢作 弘
龍谷大学研究フェロー
都市の「かたち」は時間の積層である。すなわち、時代の変化を反映して変容を重ねる。ここで「かたち」は、可視的、建築的な意味にとどまらず、人々の働き方/暮らし方を含む都市総体を意味して使っている。そして縮小都市(Shrinking City)も、20世紀末から21世紀を迎えてまでのこの間、その「かたち」を変えてきた。
都市学が縮小都市に注目し、国際会議が果敢に開催され、関連の書物が相次いで出版されるようになったのは、1990年代半ば以降だ。2005、2006年に、著書 Shrinking Citiesの2分冊が出版された。それぞれ700ページ、800ページある分厚い著作だ。ドイツ連邦文化財団が主催した編集グループが尽力し、社会科学/自然科学/人文学の研究者、ジャーナリスト、官僚、建築家/都市計画家、アーティスト、市民運動家・・・など多彩な職業の人々が寄稿者になった。それもドイツに限らず、アメリカ、そしてアジアからも寄稿者が集められた。縮小都市研究の決定版である。
多分野から広く寄稿者を集めたことには、次の事情があった。都市縮小には、幾つもの時代状況が影響しており、当然、縮小の「かたち」も多様で複雑だった。それゆえ、多彩な執筆に寄稿を依頼し、結果的に分厚い2分冊になった。当該書は、なぜ都市が縮小するのか——その時代背景、どのように縮小しているか——その現状、をつまびらかにする、というミッションを掲げて編集作業に着手した。一般的に縮小都市は、ある一定規模以上の都市が、社会的、あるいは自然的人口動態で厳しい人口の減少を経験し、都市構造が経済的、社会的に危機的状況に直面している都市、と定義されている。
では、都市が縮小する背景として、どのような時代の変化が指摘されたのか。
まず、脱工業化である。産業革命以来、資本主義経済を牽引して来た製造業都市が20世紀後半に失墜した。煤煙工場が並ぶ重厚長大型産業が凋落し、高付加価値産業、および情報依存の軽薄短小型産業が主流になった。この流れにグローバリズムが追い討ちをかけた。工場が、そして労働集約的な雇用機会がヨーロッパ、アメリカ、そして日本などから途上国に流出した。煙突から煙が消え、工場や倉庫は閉鎖され、跡地にセイタカアワダチソウが繁茂する風景が広がった。仕事がなくなり、雇用者が減った。そして都市人口全体もマイナスに転落した。この範疇の縮小都市には、ドイツ・ルール地方の製鉄業都市、アメリカ中西部の自動車/製鉄業都市、および東海岸の石油化学/製鉄業都市などが含まれる。半世紀に人口を半減させた都市もあった。同じ時期にエネルギー革命が進行し、鉱業(石炭)が衰退を経験した。日本では、北九州市、およびその背後の筑豊地域の都市がこの範疇に入る。
20世紀後半以降、新自由主義が喝采され、都市間競争が奨励されてきた。その結果、資金と有意な人材の集積に成功し、ハイテククラスターの形成に成功したスーパースタート都市が独り勝ち(Winner−take−all)するようになった。それ以外の都市は、スーパースター都市に労働人口を吸い取られ、人口がマイナスに転じる一因になった。
「ベルリンの壁」が1989年に崩落した。それ以降、雪崩のごとくに東ヨーロッパの国々で社会主義政権が潰れた。旧東ドイツでは、国境がなくなったため、仕事と自由な社会/文化を求めて若者を中心に旧西ドイツ側に大量の移住者が出た。効率の悪い国営企業が相次いで破綻したことも、西側移住を加速した。一時期、ベルリン以外の旧東ドイツ都市は、例外なく縮小都市に転落した。その結果、20世紀末には、旧東ドイツ側に100万戸の空き住宅ができた、といわれている。その後、東ヨーロッパの国々が相次いでEU(欧州連合)に加盟した。「域内移動の自由」を認められ、これらの国々から西ヨーロッパへの大量移住がおきた。
都市の縮小には、少子化の影響もある。豊かになると世帯当たりの子供の数が減少する傾向にある。子育て、特に子供に高等教育の機会を与えたい、と考える中間所得階層は、子育てでも「少数精鋭主義」に走る。出生率が2.1人を下回ると人口がマイナスに転じるが(社会的な人口動態を考えない)、先進諸国の多くがその水準を下回っている。韓国や台湾なども、厳しい状況に直面している。雇用構造が変化し、不安定雇用が増えているために、若者が将来不安を抱え、結婚を躊躇していることが少子化につながっている、という指摘もある。また、地球環境の汚染や多発するテロルなどのニュースに「漠とした将来不安を抱き」、家庭をもつ、あるいは子供を産む、という決心を出来ずにいる、という若者の話も聞く。
以上が21世紀を迎えて以降、2010年ごろまでの縮小都市の「かたち」であった。それぞれの要因は個別にではなく、しばしば重なって縮小が加速した。しかし、この10年ほどの間に、幾つかの縮小都市をめぐる時代状況に大きな変化がおきている。したがってその「かたち」もそれ以前とは変容している。
この間、貧困と飢餓のために凄まじい数の難民が生まれた。内戦、そして国境を越える戦乱が故郷から弱者を追い出し、難民にした。アフリカ、そして中東イスラム圏からの難民は、その過半がヨーロッパに漂着した。西ヨーロッパの国々が「人道支援」の旗を掲げて難民を受け入れた。その多くは、依然、難民キャンプで厳しい生活を強いられているが、親類縁者を頼って都市のそれぞれの移民コミュニティに暮らしの場を作った人々も多くいる。そこで満足な所得を稼げる仕事に就けているかどうかは別の話だが、難民を多く受け入れた都市は、人口減少という縮退傾向に変化がおき、新たな都市問題に直面している。
アメリカの縮小都市も、その「かたち」を変えている。中西部のデトロイトやクリーブランドは、自動車産業で繁栄したが、その人口は1950年代にピークに達し、以降、右肩下がりで人口を減らし、半世紀の間に人口が半減した。ところが昨今の人口動態は下げ止まりだ。セントルイス、ロチェスター、バッファローなどの旧産業都市でも同じような傾向にある。東海岸のフィラデルフィアは、人口動態が反転し、プラスに転じた。
なぜ、そうしたことがおきているのか。その背景には、「腐っても鯛」ということがある。換言すれば、「歴史的遺産を活かす都市再生」だ。これらの産業都市は、19世紀末から20世紀初期に勃興し、アメリカ資本主義を先導してきた。その間に巨万の資本蓄積が行われ、その余剰資本は大学の創立/支援、総合病院の設立、美術館や音楽ホール、そしてオーケストラの結成など文化投資に向かった。すなわち、それらが今日、都市再生を促す「歴史的遺産」になっている。
ワシントン大学(セントルイス)、ビッツバーグ大学(ピッツバーグ)、ペンシルバニア大学(フィラデルフィア)、ロチェスター大学(ロチェスター)、ジョンズ・ホプキンス大学(ボルチモア)などは、アメリカでもトップクラスにランクされる大学だ。それぞれに医学部と附属病院がある。クリーブランドクリニック(クリーブランド)、メイヨークリニック(ロチェスター)は、先端的な、研究・医療の総合病院だ。エンジニアリングでも、カーネギーメロン大学(ピッツバーグ)などの優良大学が多くある。
生命科学の時代、そしてニューエンジニアリングの時代を迎え、これらの歴史的遺産がシナジー効果を発揮し、それが縮小都市の再生につながっている。
事例=クリーブランド:20世紀初期の、全盛期に建てられたアールデコやモダニズム建築のオフィスビルが並ぶダウンタウンから車で20分弱のところに、ユニバーシティ・サークルがある。深い緑陰に囲まれた学術文化地区である。そこにクリーブランド・クリニックス、ユニバーシティ・ホスピタル、子供総合病院、退役軍人病院、癌研究センターなど一大医学医療クラスターが形成されている。隣接してエンジニアリングの強いケース・ウエスタン・リザーブ大学、音楽大学、美術大学が立地している。クリーブランド美術館、老舗のクリーブランド管弦楽団はアメリカでもトップクラスである。
ユニバーシティ・サークル全体がAMC(Academic Medical Complex=先端治療医学複合体)になっている。クリニックは医学大学院を併設し、最先端の生命科学研究、医療で実績を重ねている。ほかの病院と連携がある。それだけではなく医療機器開発では、病院と大学工学部が協働し、精神科の医療、および研究では病院と美術大学、音楽大学が連携している。病院経営をめぐっては大学のビジネススクールが医療経営学、医療経済学の講座を用意している。クリーブランドは縮小都市を経験し、市内に空き建物が散在する。クリニックがそれらの建物を買い上げて修復し、病院や大学をスピンオフする若い研究者に安い家賃で貸し出し、研究を支援している。そうやってライフサイエンス研究のクラスターが高度化している。
中西部や東海岸の縮小都市でも、クリーブランドと同じようにAMCの構築が進行している。そしてAMCの形成をめぐって厳しい都市間競争がある。それがまた、AMCの高度化を促している。こうした歴史的遺産をめぐる縮小都市再生の話題は、AMCに限らず、ニューエンジニアリングの分野でも拾い上げることができる。
新型コロナウイルス感染症が爆発し、アメリカ、ヨーロッパの都市も大きな影響を受けた。コロナ禍が縮小都市の将来にどのような影響を残すか、それを見定めるのは、まだ難しい。アメリカでは、ニューヨークの打撃が大きかった。そのため「高密度」な「スーパースター都市の終焉」論が聞かれた。しかし、ニューヨークと並び、「高密度」なサンフランシスコは、少なくとも第一波を軽微に終えることができた。結局、都市政府が、そして市民が、早く(速く)、どのように「行動」したのか、その違いが被害の大きさを決定づけた。「高密度な都市」イコール「感染症に脆弱」という議論は短絡である、という批判を免れないと思う。
しかし、少なくとも「ウィズコロナの時期」には、「高密度」な都市は嫌われ、テレワークも進展する。コロナ禍の最中には、ニューヨークの中間所得階層以上が暮らすコミュニティでは、40%以上が郊外都市や山岳地帯の都市に逃げ出し、そこからテレワークをして悪化する状況を凌いだといわれている。そうしたことを踏まえ、ここしばらくはスーパースター都市からの人口流出が続く、という見方が有力だ。その行き先は、郊外都市に加えて都市再生のプロセスに入った縮小都市が候補に挙げられている。いずれも100万人以下の中規模都市だ。それほど「高密度」ではないが、「腐っても鯛」——文化的、学術的環境が整い、また老舗レストランやカフェなど都市アメニティにも恵まれているからだ。縮小都市がこの流れを「ポストコロナの時代」にも継続することができるか——それはもっぱら、それぞれの都市政府がどのような都市政略を打ち出すかにかかっている。
プロフィール
矢作 弘 (やはぎ ひろし)
1947年東京生まれ。1971年横浜市立大学卒、日本経済新聞ロサンゼルス支局長、編集委員、オハイオ州立大学/ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス客員研究員、大阪市立大学大学院創造都市研究科教授などを経て、龍谷大学政策学部教授を歴任し、2019年より現職。社会環境科学博士。
近著に、『町並み保存運動 in U.S.A.』(学芸出版社)、『ロサンゼルス』(中公新書)、『大型店とまちづくり』(岩波新書)、『都市縮小の時代』(角川新書)、『縮小都市の挑戦』(岩波新書)、『持続可能な都市』(共著、岩波書店)、『トリノの奇跡』(共著、藤原書店)、『ダウンサイジング・オブ・アメリカ』(ニューヨークタイムズ編著・翻訳、日経BPM)。