【対談】吉澤保幸 VS 周牧之(Ⅱ):文化芸術エンタメあふれる世界が究極の平和

■ 編集ノート:吉澤保幸氏は、日本銀行勤務を経て、ぴあ社専務、ぴあ総合研究所社長を歴任し、日本のエンターテイメント業界を支えている。同時に場所文化フォーラムを立ち上げ、全国各地で新たな交流の場作りと、地域の経済活性化、交流促進、持続可能社会を柱に活動を拡げている。東京経済大学の周牧之教授の教室では2025626日、吉澤氏を迎え、日本のエンターテインメントの現状と行方について伺った。

※前回記事【対談】吉澤保幸 VS 周牧之(Ⅰ)はこちらから

2022年7月21日、周牧之ゼミでゲスト講義する吉澤保幸氏
2022年7月21日、周牧之ゼミでゲスト講義する吉澤保幸氏

■ アジアのエンタメ集積地としての日本を発信 


吉澤保幸:京都で始めたミュージックアワードを、音楽団体が集まってやっていて気づいたことがある。日本だけでなく今アジアで流れている楽曲からも選出をしたことで、日本でいま話題になっている曲が日本を越え世界に共有されていると判った。ボーカロイドの初音ミクやYOASOBI、韓国のKPOPも人気だ。アジアの中のエンタテイメント集積基地の一つとしての日本、という思いで日本の今後の産業を考えることが大事だ。その意味でもミュージックアワードジャパンはアジアにとっても重要だ。中国、台湾、韓国などアジアに広げていけるものとして捉え、継続的にやってほしい。

例えば、演劇の野田秀樹さんは、演劇企画制作会社のNODA MAPを設立され、昨年は、「正三角関係」をロンドンで上演し、大好評を博し、東宝も「千と千尋の神隠し」のロンドンロングラン公演を実施して、大喝采を浴びている。日本からもそういうコンテンツが出て来ている。日比谷音楽祭では音楽プロデューサーの亀田誠治さんが、NYのセントラルパークのサマーステージをまねて「フリーでボーダレスな音楽祭」の開催を目指して頑張っている。

ヨーロッパではイギリスのエジンバラフェスティバルがある。エジンバラを中心にイギリス全土で毎年7月〜9月あたりに各世代から様々な人が参加する。それと同じようなことが日本でできないか?東京、千葉、横浜でフェスティバルをやろうという話を今、文化庁とも話しながら考えている。

周牧之:ぴあ希肯というぴあの合弁会社が北京にある。この会社が北京国際流行音楽週間(Beijing International Pop Music Festival)を2015年から毎年主催している。いまや北京の一大名イベントになっている。集客力も物凄くある。谷村新司や岩井俊二、JO1など日本のアーティストも参加した。そこに更に日本のコンテンツをどんどん入れ込んだ方がいいと思う。

吉澤:いろいろなアーティストが中国に出ていけばいいと思う。日本発のコンテンツがどんどんこれからも大事になる。音楽が好きであれば、アメリカのポップスの登竜門にどんどん日本のアーティストが行く。言葉の壁は全くない。日本はアジアのエンターテイメントのハブになることが大事になる。

周:日本と比べると後発だった韓国音楽業界の世界進出は、大きな成功を収めている。K-POPを成功事例として、日本の音楽業界はもっと積極的に世界に出ていくべきだ。

吉澤:心の豊かさを広げ、エンターテインメントで人々の心の変容をもたらし、構造変容をもたらし、SDGsの目標を達成していく。日本は決してそういうことを無視しているわけではないと世界に発信していくことが必要だ。

オリンピックの森喜朗会長がおっしゃったことで、皆さんも多分そう感じると思うことがある。それは、エンターテインメントを人々が広く享受できるのは、究極の平和な状況だ、ということだ。今、ガザあるいはウクライナは戦争状況の中で、エンターテイメントを楽しめる状況にはない。やはり平和を作っていくためにエンターテイメントの力が必要だというメッセージもSDGsで発することができる。それこそが日本の外交で強いメッセージになる。そんなことを感じながらやっている。

周: 昔、私はイタリアのフィレンチェのフェスティバルで音楽を聴きながら、そこに集う様々な人種の人たちを見て、平和が如何にかけがえのないものであるかを深く実感した。

2017年周牧之ゼミでゲスト講義する吉澤保幸氏
2017年 周牧之ゼミでゲスト講義する吉澤保幸氏

■ スタジアムやアリーナを地域創生の起爆剤に


吉澤:集客エンタメ産業で地域を盛り上げることに関連した取り組みで、ぴあは、コロナの真最中に、神奈川県横浜のみなとみらい地区に、ぴあアリーナMMという一万人キャパシティーの音楽ホールを作った。ゆずがこけら落としのコンサートをする予定だったが、コロナ禍で出来ず、最初1年ぐらいは閑古鳥が鳴いていた。その後、エンターテイメントがどんどん盛り上がってきた中で活況を呈してきた。横浜市と連携しながらミュージックシティ横浜を作るちょっとした場所になった。

地域にできた箱をどう生かすかのエリアマネジメントをうまくやることで、地域にさまざまな人を集め、つなぎ、経済的効果だけでなく、社会的な価値を作り、他の地域に展開できる。今、高知県高松に新しくできた香川アリーナを起点に、エリアマネジメント会社を作る働きかけ等をやっている。エリアマネジメントは、地域の価値の向上のために、さまざまな地域の関係者が連携し主体的に取り組むものだ。

1つのエリアマネージメントとコアになるアリーナがあり、そこで単にスポーツをやるだけではなく、アメリカのマジソンスクエアガーデンのように多機能型で、コンサートやさまざまなイベントができるような場にする。例えば代々木体育館や、今千葉でやろうとしているバレーボールのネーションリーグ会場などでもコンサートができるようにする。東京ドームは、野球だけでなく大型の海外アーティストがコンサートをやれる音楽スポーツ併設アリーナになっている。

周:すでにあるスポーツ施設という箱を活かすことは、集客エンタメ施設の不足を解消し、地域振興のコアにもなる。このアプローチはまさしく一石二鳥だ。2022年東京経済大学の学術フォーラムにパネラーとして吉澤さんが連れていらした日本政策投資銀行の桂田隆行さんがまさしくそうした活動の先駆者だった(フォーラム】笹井裕子 VS 桂田隆行:集客エンタメ産業の高波及効果を活かした街づくりを 参照)。

吉澤:エリアマネージメントが地域にもたらす効果の一つは経済効果だ。こうしたイベントでどれほどの経済規模になるのか。簡単に言うと、フジロックや北海道大神宮祭など地域のフェスで、例えばチケットが一枚5000円で1万人来ると、結構な売り上げになる。チケットの売り上げが数十億であれば、その3倍から4倍の経済価値があるといわれている。30億がチケットの売り上げだとすると、だいたい百億近い経済効果を生む。そのため今、地方の自治体当局はそういうフェスを持って来たい。

今、北海道でも首都圏の近郊でもフェスがあることで街中に賑わいが生まれ、経済効果がある。地域に人が集まり人口が増える。地域外から人、モノ、カネ、テクノロジーが集積していく。

イベントを単に一回で終わらせず継続的に進めていくと、人、モノ、カネ、テクノロジーがさらに集積する。いろいろな人たちが集まってくるので、さまざまなソーシャルキャピタルが向上していく。特にスポーツ等は、学校などで人をつなげ育てる効果がある。ぴあアリーナは、横浜まで地下鉄が延伸しているので埼玉から1本でみなとみらいまで来られる。また意外に横浜であれば名古屋地区、大阪地区からも人が集まってくる。通常のところより5、6倍人が集まってくる。その賑わいをどう効率的かつ効果的に創出するか。これは、行政と地域の人たち、地域団体等が集まり仕掛けをつくっていくことで出来る。横浜でもウオーターフロントラインでの取り組みということで、横浜のまちづくりに「横浜アリーナ」と「Kアリーナ横浜」などの場が地域貢献をしていける。

周:スポーツを集客エンタメとしてアイデンティティのシンボルに育てられれば、地域や都市の繁栄に大きく貢献する。私が住んでいたボストンには、フェンウェイ・パークをホームスタジアムとするレッドソックスがある。ボストンっ子にとってまさしくアイデンティティシンボルだ。日本から松坂大輔投手がレッドソックスに来ていた時はボストンの日本人コミュニティが沸いたことをよく覚えている。

デトロイトには、NBA (ナショナルバスケットボールアソシエーション)のピストンズ 、MLB (メジャーリーグベースボール) のタイガース、NFL (ナショナルフットボールリーグ)のライオンズ、NHL (ナショナルホッケーリーグ) レッドウィングスといった市民から熱狂的な支持を受けるスポーツチームがある。2013年に財政破綻し元気を失ったデトロイトが、スタジアムで試合のある時だけは活気を取り戻していた。これを見て、私はデトロイトの復興にスポーツは無くてはならない存在だと感じた。

吉澤:その通りで、アリーナをどう使い倒すかが行政も地域の企業も大事なポイントだ。

周:スタジアムやアリーナを核としたエリアマネジメントは、まさしくこれからの地域創生の起爆剤となる

③ 2022年11月12日、東京経済大学  学術フォーラム「供給サイドから仕掛ける地域共創の可能性」 セッション1「集客エンタメ産業による地域活性化への新たなアプローチ」に
2022年11月12日、東京経済大学 学術フォーラム「供給サイドから仕掛ける地域共創の可能性」 セッション1「集客エンタメ産業による地域活性化への新たなアプローチ」にて南川秀樹元環境事務次官と吉澤保幸氏

■ 学生起業スタートアップ企業の先駆的存在


吉澤:会社は、上場企業であれば有価証券取引、企業経済活動を決算等々と合わせて開示する。これらと合わせて今義務付けられているのは、会社の企業活動がどうサステナビリティとつながった格好になっているかを、サステナビリティレポートとして有価証券報告書に書き込むことだ。ぴあらしい形で株主および外部の人に発信しようと先日の株主総会で発表したのが、この「ぴあサステナビリティレポート」だ。

ぴあは創業して53年になる。1972年に矢内廣が大学3年の時に創業したベンチャー企業だ。中央大学の映画好きの連中が集まって、立ち上げた。

周:ぴあは学生起業スタートアップ企業の先駆的存在だ。矢内廣さんはオーナーとしてそしてCEOとして半世紀以上にわたり企業の成長を引っ張ってこられた。

吉澤:ぴあでは、POC(ぴあオーナーシップカンファレンス)として、ぴあの社員全員に株主になってもらうことで社員株主総会のようなものを定期的に行っている。また、ぴあはエンターテイメントの会社なので、ぴあ社内で各種エンタメ部活動をコロナ禍明けに始め、助成をしている。今20ぐらいの部活動がある。

環境分野の取り組みや法令遵守のガバナンスにも、ぴあは様々取り組んでいる。通常のサステナビリティレポート、統合レポートは厚みのある本で、読む人は少ないようだが、ぴあでは皆さんに見てもらうため冊子にした。

周:出版物からスタートしたぴあらしい取り組みだ。

吉澤: 1998年にぴあアイデンティーとして「1人1人が生き生きとし、誰1人取り残さない」という言葉を17年前に掲げた。それはSDGsのキーワードそのものだろう。会社の存続に必要なのは、利益を求める経済性だけではない、社業を通じてこうありたい社会を作っているということとの両輪で進めるのが大事だ。携帯電話もインターネットもなかった時代、見たいものを見たい、聞きたいものを聞きたい、という人々の根源的な思いを形にしたのが情報誌ぴあだ。以来50年一貫してエンターテインメント領域で事業やサービスを生み出してきた。

エンターテイメントの作り手と受け手を作り、人々の生き生きとした暮らしと社会を支える「感動のライフライン」というぴあのビジョンを具体化したいのがぴあとしての思いだ。エンターテイメントを通じて一人一人に感動を届ける情報企業として重要なものがある。

2018年7月19日、『中国都市ランキング−中国都市総合発展指標』出版記念パーティにて、安斎隆、吉澤保幸氏
2018年7月19日、『中国都市ランキング−中国都市総合発展指標』出版記念パーティにて吉澤保幸氏と安斎隆セブン銀行元会長

■ 産業育成の根底には人材育成がある


吉澤:ぴあのもう一つ社会貢献は、人材文化の創造、育成、継承だ。文化の承継や時代性に沿った酸素を生み続けることが大切な使命だと思っている。情報誌ぴあ創刊後間もなくスタートした自主映画上映会ぴあフィルムフェスティバルは、48年を迎える。日本を代表する約200人の映画監督を輩出した。昨年はついに中学生が1時間半の映画を作り入選作品となった。どうやって作るのか聞いたら、スマホで作り編集も全部自分でやったそうだ。

コロナ禍ではまた、落語をやる寄席が壊滅的な状況になった。それを支えるためにぴあ落語三昧というサブスクサービスを始めた。落語が好きな方はぜひ試してほしい。若手バンドを応援するグラスホッパーというようなこともやっている。

人材育成が課題のスポーツ業界では、ぴあスポーツビジネスプログラムとして、同プログラムで学んだ人たちが各々のスポーツチームのフロントに入るようなことも始めている。

周:産業育成の根底には人材育成がある。ぴあフィルムフェスティバルは、日本の映画産業に大きな貢献をしている。東京経済大学の入試面接で聞くとスポーツビジネスを将来やりたいという学生が結構多い。ぴあの人材育成事業は彼らの夢をつなげるかもしれない。エンタメを地域活性化のコアにするためには今後エリアマネジメントの人材育成も不可欠となる。

2018年7月19日、『中国都市ランキング−中国都市総合発展指標』出版記念パーティにて、吉澤保幸氏
2018年7月19日、『中国都市ランキング−中国都市総合発展指標』出版記念パーティにて、中井徳太郎環境省総合環境政策統括官、吉澤保幸氏、新井良亮ルミネ元会長(左から

インバウンドには本物のコンテンツ需要


周:これからインバウンドも大事になる。コロナ直前の2019年に中国と香港を合わせた来日インバウンド客は1000万人くらいだった。昨年もだいたいそれぐらいのレベルまで回復している。近いうちにチャイニーズのインバウンドだけでも3000万、5000万人のレベルまで回復すると私は思う。その時に、コンテンツの消費がもの凄く求められる。

吉澤:そういう意味でやはり日本のエンターテイメント、スポーツのコンテンツの質をどんどん上げていくことだ。

文化芸術の世界からやっていく。食文化も和食が世界遺産になり、日本酒も日本の本物をみんなで楽しめるよう、世界的に日本の本物を外の人にも語れるようにすることが大事だ。インバウンドの方がどんどん日本の地域に入り込み、日本人も気がついてないようなところまで覗きに行っている。みんなそれぞれの地域で、文化芸術をもう一回きちんと深掘りしてもらえればいいと思う。

周:日本のエンタメやカルチャーをもっと発信していくことが大切だ

吉澤:フィリピンやインドネシアなど、アジアの大学から日本のコンテンツを知りたいという話が来ている。日本のボップカルチャーにニーズがあるのかと思っていたら、意外にもうちょっとディープな歌舞伎など日本の古典文化芸能を知りたいというぴあは歌舞伎の本を以前出したことがあるが、もう一度それを出し直してアジアに伝えていくことも考えられる。我々にとっては、APECの連携も含めインドチャイナとの寄せ方一回どうやってやるが一番大きな課題になっている。

進化するエンタメの今後


周:コロナ禍で、エンタメは大打撃を受けた。しかしオンラインライブが一時期急激に伸びた。動画配信でONE OK ROCKのステージを見たが、ZOZOマリンスタジアムでのコンサートをオンラインライブするやり方が大成功した。

コロナパンデミックだった2020年、日本での有料オンラインライブ市場は448億円に急成長した。オンラインライブは非常に可能性があることを示したが、コロナ後は、縮小している。

オンラインライブは今後、大きな可能性があると思う。その将来性はリアルライブでは出来ない見せ方を如何に引っ張り出すのかにかかってくる。ライブの場合も、オンラインは今後面白い見せ方をしてリアル作品との相乗効果を作っていける。

もちろんオンラインライブとは逆の方向性として、よりリアルな対面接触型のエンタメビジネスも求められる。

吉澤:いまホスピタリティチケットというのがある。もう一歩上の体験ができる。スポーツホスピタリティは今度世界陸上でもやる。一日スポーツを楽しんでもらうものだ。サッカー、ラグビーといったスポーツの試合を単純に見るだけでなく、観戦の前後にみんなで集い、食事をし、試合が終わった選手と懇談し、写真を撮ったり話を聞いたりする。通常のチケットよりも高額になる同チケットを購入してもらうことで、通常の一般や学生のチケットの値段を抑えられる。あるいは身体の不自由な方々が気楽に観戦できるよう施設を整えることに繋げられる。

イベントでは新宿の新国立劇場でも、バックステージツアーをバレエ、オペラで始めた。オペラやバレエで、その日演じていただいたプリマに終わってから来ていただき、観客がそのプリマと当日の演目について語り合う。通常のチケットであれば1万5000円ぐらいのものが、12万円くらいになるが、そのようなサービスをやることによって、身体の不自由な方にも観覧していただける社会関係が出来る。エンターテイメントの価値をみんなに享受してもらえる。

周:中国奥地の貴州省榕江県というド田舎で、アマチュアサッカーリーグが話題を呼んでいる。村同士の対決をサッカー・スーパーリーグに例え、「村超(村のスーパーリーグ)」と名付けたイベントだ。SNSで全国に拡散したことで人気が沸騰し、多くの観光客を集めている。

昨春、私も現地まで見に行き、熱狂的な盛り上がりを目の当たりにした。SNSで中継するにわか解説者があちこちにいて、ドローンを飛ばしながら対戦を煽っていた。会場まで案内してくれた副県長が、全国から集まる観客の宿泊先、飲食、安全性の確保に必死だと言っていた。いま町中がホテルとレストランの建設で溢れかえっている。

 中国でプロのサッカーリーグが人気を失う中、こういった村同士の対決が盛り上がっていることが、SNS時代の新しい方向性を示していると実感した。

吉澤保幸

2022年11月12日、東京経済大学学術フォーラム「供給サイドから仕掛ける地域共創の可能性」にて司会をする吉澤保幸氏


プロフィール

吉澤 保幸(よしざわ やすゆき)

場所文化フォーラム名誉理事、ぴあ総研(株)代表取締役社長  1955年新潟県上越市生まれ、東京大学法学部卒。1978年日本銀行に入行、日本銀行証券課長など歴任。2001年ぴあ(株)入社、現在同社専務取締役。  場所文化フォーラム代表幹事、ローカルサミット事務総長などを歴任し、地域の活性化に尽力。  主な著書に『グローバル化の終わり、ローカルからのはじまり』(2012年、経済界) 等。

【対談】吉澤保幸 VS 周牧之(Ⅰ):SDGsに文化・エンタテインメント・スポーツを

■ 編集ノート:吉澤保幸氏は、日本銀行勤務を経て、ぴあ社専務、ぴあ総合研究所社長を歴任し、日本のエンターテイメント業界を支えている。同時に場所文化フォーラムを立ち上げ、全国各地で新たな交流の場作りと、地域の経済活性化、交流促進、持続可能社会を柱に活動を拡げている。東京経済大学の周牧之教授の教室では2025年6月26日、吉澤氏を迎え、日本のエンターテインメントの現状と行方について伺った。


■ 市民の地方創生活動が「地域循環共生圏」作りへ


周牧之:吉澤さんは日本バブルの後始末に最も働いた日銀マンのお一人だ。その後、環境、金融のアプローチから、そしてエンターテイメントの面から、地域に活力を入れる取り組みに力を注いでこられた(【ディスカッション】吉澤保幸・中井徳太郎・小椋正清・太田浩史・深尾昌峰:地域と金融 を参照)。周ゼミ生の指導にも長年、熱心にお力添えいただいている。

吉澤保幸:私は今年70歳になるから、学生の皆さんの祖父の世代と言ってもいい。1978年から1998年まで日本銀行で仕事をした。1998年は日本で金融危機があった。山一證券に特別融資を出しさまざまトラブルがあり20年勤めた日銀を辞めた。ぴあ社は、映画、演劇などエンタメの様々な情報を出す雑誌が人気を博し、一時は100万部出して「ぴあ世代」と言われた。ぴあが上場する際、お手伝いしたご縁で2000年に入社した。

同時に地域創生を手がけてきた。日本各地で地方創生をやっている仲間たちが集まり、「場所文化フォーラム」を2003年から始め20年以上経った。仲間の中には財務省の官僚や環境省の事務次官がいて、環境省が2017年に第5次環境基本計画で「地域循環共生圏」の構想を立ち上げた。地域が自立するだけでなく、地域と都市と地域を繋ぎ合わせ、それぞれが持っていない地域資源を循環させながら地域同士が連携し地域創生させる。私たち市民がやってきたことをモデルとし、環境省が国の政策として落とし込んだものだ。これが四半世紀の歩みだ。

周:周ゼミにゲスト講師としていらした中井徳太郎元環境事務次官や小手川大助元IMF日本代表理事らが吉澤さんとは日銀時代からのお付き合いだ。

■ エンタメは人間生存の本源的価値を持つ


吉澤:学生のみなさんはコロナの時は高校生で、大変だったはずだ。コロナ禍ではエンターテインメントの興行やチケットを扱うぴあは、エンターテインメントは不要不急の産業だからやってはいけない、と国から言われた。
「不要不急ってことはないだろう、文化芸術がなくなったら人間は生きていけないだろう」という思いがあった。コロナ禍で人が集まってはいけないとされた。
ところが、コロナ禍にあって「エンターテイメントは不要不急だから集まってやってはいけない」というのは主要国では日本だけだった。ドイツやイギリスは文化芸術を守るため携わっている人たち、そしてコンサートや舞台芸術をやっている人たちに対する補助金や助成金を出した。一方の日本は、びた一文出さなかった。ぴあ社は2020年当時の売り上げ取扱高で1000億円規模もあったのが、コロナ禍で100億円に減った。8割9割なくなった。

周:日本は欧米諸国と同様、ウイズコロナ対策をやった為、感染拡大の波に次から次へと襲われ、集客エンタメへの傷が大きかった。他方中国は、ゼロコロナ政策を徹底したことで、コロナパンデミックから数カ月で国内のコロナ感染者をなくした。コロナの時期、経済学者の私は必死に各国のコロナ政策を比較研究した。ウイズコロナ政策が如何に失敗だったかを痛感した(【論文】周牧之:比較研究:ゼロコロナ政策とウイズコロナ政策(Ⅰ)2020 ―感染抑制効果と経済成長の双方から検証― を参照)。ゼロコロナ政策のおかげで中国の人々は国内でほぼ普通に映画館をはじめとするエンタメの場に出られ、中国は2020年と2021年は世界最大の映画興行マーケットに躍り出た(【ランキング】世界で最も稼ぐ映画大国はどこか? 〜2021年中国都市映画館・劇場消費指数ランキング を参照)。私が多少お手伝いをしているぴあの中国合弁会社も業績を伸ばした。

吉澤:日本では皆さん方が楽しんでいた興行やイベント、エンターテイメントができなくなった。ぴあは上場企業だが本当に生きるか死ぬかのところを経験し、回復するのに結局5年かかった。今ようやくその時傷んだ財務的な基盤を取り戻し、今年度は六期ぶりに配当を出せる状況まで戻ってきた。私も財務担当役員として本気になってやった。
不要不急だとされてエンターテインメント、スポーツ等が出来なくなり、このままでは本当に日本の文化、芸術やスポーツがなくなる危機感を持った。

周:東京オリンピックも無観客で開催せざるを得なかった。チケッティングサービスを提供する業務委託事業者としてぴあも大変だった。

吉澤:社業を通じた社会貢献として、ぴあ総研というエンタメで唯一のシンクタンクを2000年に発足させた。コロナが明け始めた2022年5月、ぴあ創業50周年も相まってぴあ総研主催シンポジウムを東京・豊洲で開いた。それが第1回で、2回、3回と続き、先日4回目をやった。
ぴあ総研シンポジウムで我々がメッセージしたのは、集客エンタメ産業すなわち人が集まってみんなで賑わい楽しみ、集客産業の場を作り出すことは、全く不要不急ではないということだ。人間が生きていくのに必要で、人間の生存のための本源的な価値を持っている。これを世に問い、さらにはコンサート、イベント、スポーツを、今後の日本の基幹産業にするシュプレヒコールを上げるため第1回目のシンポジウムを行った。

周:吉澤さんがおっしゃる通り、コロナ時に苦労したエンタメ産業の下支えを如何に支援するかが凄く大切だった。例えばエンタメの街であるニューヨークはミュージシャンを支えるため音楽家に随分補助金を出した。ニューヨークの日本人ジャズミュージシャンがコロナ禍で仕事がなくなり苦労して大変だったが補助金で助かった、とのNHKの番組もあった。
エンタメ産業の厚みは実際裏方にある部分が特に大きい。裏方は中小企業と個人事業者が主体となっているため、危機に弱い。コロナ禍の経済対策として日本はGOTOトラベルキャンペーンはやったものの、エンタメ産業の直接的支援は行き届かなかった。
その意味ではいかに政府の支援を引っ張り出せるかについて、リーディングカンパニーとしてぴあの存在は大きい。吉澤さんが主催するぴあ総研シンポジウムはエンタメの重要性をアピールするだけでなく、エンタメ産業を代弁する役割もある。

2017年周牧之ゼミでゲスト講義する吉澤保幸氏
2017年 周牧之ゼミでゲスト講義する吉澤保幸氏

■ SDGsの18番目に文化・エンタテインメント・スポーツを


吉澤:ぴあ総研シンポジウム2回目はSDGsの17の目標、169の小目標がある中で、一言も文化芸術という言葉がないのはおかしいと提起した。もともとSCGsは、国連の世界の発展目標で、いわば途上国、グローバルサウスの国をどうエンカレッジしていくかが柱だ。誰1人取り残さないとし、先進国、途上国を含め誰一人落ちこぼれないよう世界全体をレベルアップし、地球環境にきちんとアタッチメントし、共存できる世界を作ることが、人類が生き残るために必要なことだという目標だ。

しかし、その目標に文化芸術とエンターテイメントがないのはおかしい。そこで我々は第2回目のシンポジウムで、SDGsの18番目に芸術・エンターテイメント、スポーツを掲げることを世界に対して提唱した。

ついこの間京都で、ミュージックアワーズジャパンをやった。矢沢永吉、YOASOBIら有名なミュージシャンが出演した日本版グラミー賞だ。これを推進したのはピンク・レディーの歌を作った作曲家で文化庁長官の都倉俊一さんだ。都倉さんは2021年に文化庁長官就任後いち早く「エンタテインメントは不要不急ではない」と世界にメッセージした。これこそが人間が生きていくための本源的な価値を持っているとのメッセージだった。都倉さんと一緒にSDGsの18番目に文化・エンターテイメント・スポーツを入れようという話をしている。それを第2回目のシンポジウムでやった。

第3回目のぴあ総研シンポジウムではエンタメをどう社会に実装していくかについて、地域創生と絡めた集客エンタメ産業とスポーツの推進事例を集めた。横浜の山中竹春市長のほか、岡田武史日本サッカー前監督が今愛媛県今治でFC今治をJ3からJ1に引き上げるようスポーツでの地域活動を一生懸命やっていらっしゃる。そうした事例を集めた。

今回4回目のぴあ総研シンポジウムで、ちょうど文化庁が京都に移転をしたので都倉長官を呼び、東京藝術大学の日比野克彦学長といった方々も集まり、1回目から4回目までのシンポジウムを取りまとめた。

周:確かにSDGsには文化が抜けている。これをぴあから発信し、SDGsに文化・エンタテインメント・スポーツを加えることが出来れば、世界に大きな貢献となる。

2021年11月24日歓談する新井良亮ルミネ元会長、周牧之教授、吉澤保幸氏、中井徳太郎環境事務次官(左から)
2021年11月24日 歓談する新井良亮ルミネ元会長、周牧之教授、吉澤保幸氏、中井徳太郎環境事務次官(左から)

■ エンタメによって日本の街がさらに魅力的に


吉澤:年間を通じて行ってみたい場所を、これから多く作っていくべきだ。日常的にエンターテインメントに触れられることが、街づくりの中でも力を持つ。政府、企業、金融市場、そして国民1人1人のエコシステムがうまく作られていき、アート、スポーツ、経済、社会の好循環が確立していることが大事ではないか。

つなげる、育てるというところを重視し、さまざまな取り組みの循環の中で集客産業がどう貢献できるのかという考え方も重要になってくると感じている。

コロナの中、人類は人との交わり、温かさに触れることがいかに大切かを、身をもって経験した。人と人の触れ合いそのものが文化芸術であるという心のオペレーティングシステムを整える仕掛けとして、SDGsの18番目に文化、エンタメを加えたい。文化芸術エンターテインメントがあふれている世界は、究極の平和状態だ。人間の生活の客観と主観の裏側にも、エンタメや文化が存在している。

周:コロナ禍の時に周ゼミが学生アンケート調査を実施した。その結果をベースに東京経済大学では2022年11月12日、学術フォーラムを開いた。吉澤さんも参加し、集客エンタメセッションの司会を務めてくださった(【フォーラム】吉澤保幸:集客エンタメ産業で地域を元気に  を参照)。そのアンケートからコロナ時の学生が集客エンタメに非常に飢えていることが浮き彫りになった。また学生たちは大学のホームタウンである国分寺市での映画館など集客エンタメを切望していた。周辺に数多くの大学を立地する学園街たる国分寺ですら映画館を立地していないことは、日本の都市にエンタメがいかに欠けているかを表す事例だ。吉澤さんがエンタメを地域振興の要に置こうとすることは大切なアプローチだ。エンタメによって日本の街がさらに魅力的になる。その意味では文化芸術そしてエンタメの要素を強化していくことが日本の都市の大切な進化方向性だ。

吉澤:その土地の芸術、芸能としてあるもの1つ1つを、楽しんで受け止めると、豊かに暮らしていける。日常的にみんなが集まることを習慣化し、文化芸術の質を上げるため教育、投資がいろいろあると豊かになるのではないか。物質的な成長でなく、文化的な目に見えない資本の成長で、幸せに生きていける。そういう社会に変わっていかないと、必ず行き詰まる。

横浜の素晴らしい町並みを面的に回遊していただき、さまざまなITコンテンツを街の魅力と有機的につなげることに取り組んでいる。お客と一緒になって感動を分かち合える時間と空間を真ん中に据える。ライブ文化は、いろんなものが進化しようとも、人間はそこに戻りたいと思う文化であり、そうした土壌に、もっと手軽に気軽にアクセスできるようにすることがすごく重要だ。

文化芸術がコンテンツとして多様な人たちが自然とつながり合う。そうしたところから発信をしていきたいと思っている。我々が心の豊かさを持っていくこと、それから人と人がつながり合うこと。それが人間の生きることの本質だ。それを取り戻さない限り豊かな明日は来ない。

周:製造業と違い、目下世界経済のエンジンたるテック産業の発展する所は、エンタメと美食の盛んな町であることが多い。いまシリコンバレーで創業したテック企業でもニューヨークなどエンタメ都市に大きなオフィスを構えることが多い。やはりトップ級の人材は、エンタメと美食があるところに集まる。人材獲得のためにも企業は高額な賃料や賃金を払ってでも大都市に集まる。東京や横浜に世界中からテック企業を集めるためにもエンタメの役割が高い。

私は日本の都道府県に相当する中国の297都市を評価する研究をしている(中国都市総合発展指標について を参照)。そこでもテック産業とエンタメには大変強い相関関係があるとの研究結果が出た。

2025年8月9日、周牧之教授、吉澤保幸氏、李丹ぴあ希肯総経理
2025年8月9日、周牧之教授、吉澤保幸氏、李丹ぴあ希肯総経理

世界から人材を集めるにはエンタメが必須


吉澤:第1回ぴあ総研シンポジウムで中曽宏前日銀副総裁が基調講演をした時にも紹介したのが、東京で国際金融都市をつくろうという構想だ。国際金融都市としての東京に、世界からいろいろな人材を集めていくとき、やはり必要なのは、金融取引などをやった後にリフレッシュし、発想を変えられるようなエンターテインメントのナイトライフエコノミー等だ。それはロンドンやニューヨークを見ればわかる。あるいはカナダのモントリオールでもジャズが盛んだ。そういう例を挙げて、東京にもエンターテイメントの集積地を作らなければならないと話をした。

周:私もかねてから東京を国際金融都市にすべきだと言ってきた。吉澤さんの旧友でIMF元日本代表理事の小手川大助さんが先月ゲスト講師でお見えになった時も、この話をだいぶ議論した(対談】小手川大助 VS 周牧之(Ⅵ):アジア経済の成長が日本のチャンスに を参照)。国際金融都市になるにはエンタメや美食の集積が大事だ。ただ、東京の金融市場に思い切って規制緩和し、世界中の企業とお金が集まって来られるようにしなければならない。

吉澤:都倉長官が2022年、文化大臣会合がローマで開かれた時に、SDGsの18番目に文化芸術エンターテイメントが必要だと発信をしてくれた。日本からは都倉さんが1人で行かれ、欧米のマスコミが応援してくれたと都倉さんがおっしゃった。東京オリンピック、パラリンピックは無観客で行ったが、そういった世界的なグローバルなエンターテインメント、スポーツのイベントは、文字通りダイバーシティ、インクルージョンをやっていく上で必要だと、当時のオリンピック事務総長の武藤敏郎さんがおっしゃった。

ちょうどその時Jリーグ30周年で、Jリーグを仕掛けた川渕三郎さんが、Jリーグは元々地域に根ざしたチームをつくることで、Jリーグ百年構想を1992年に作ったとおっしゃった。老若男女がスポーツですぐに集まれる地域の場所作りをするため、Jリーグを地域のホームタウン制で作ったことだと言う。今、結構地方でさまざまな場所でスタジアムが出来ている。ついこの間は長崎が出来、香川でも立ち上がった。Bリーグ、バスケットのチームも、沖縄で出来ている。北海道も前は札幌ドームがあったが今は北広島に新しいスタジアムでエスコンフィールドができて、それが1つの環境になっている。

第1回のぴあ総研シンポジウムではまた、三菱地所の吉田淳一社長は、大手町、丸の内、有楽町で町づくりをやる時にも祭りやスポーツが欠かせないとおっしゃった。それを実行するためにさまざまな人材育成が世代を超えて必要だと、日本総研理事長の翁百合さんが発言された。

第2回目には、さまざまなエンターテイメントに関わっている方々が参加し、ホリプロの堀会長、狂言師の野村万斎さん、瀬戸内芸術祭のアートディレクター北川フラムさん、漫画家の里中満智子さん等が、お話をされた。脳科学者の茂木健一郎さんは、エンターテインメントは人間の脳を活性化し、様々な災害等が起きても生き残れるレジリアンスのための装置だと話された。

地域をさまざまに活性化していく上で経済だけを言いがちだが、根源的にはエンターテイメント、スポーツの楽しさをいかにシェアできるかが必要ではないだろうか。そういうフェーズに入ってきたのではないか。そうした論考で「地域循環共生圏」の中に、ライブ、エンターテイメント、スポーツ等を組み込んでいくことが大事だ。

周:確かに近年、三菱地所の丸の内界隈は随分魅力的になってきた。私も銀座へ行くときは東京駅から降りて界隈を歩いていくのが楽しい。

21世紀の競争は国家の競争より、都市の競争だ。そこではエンタメで如何に地域や都市を魅力的にしていくことが問われる。


プロフィール

吉澤 保幸(よしざわ やすゆき)

場所文化フォーラム名誉理事、ぴあ総研(株)代表取締役社長  1955年新潟県上越市生まれ、東京大学法学部卒。1978年日本銀行に入行、日本銀行証券課長など歴任。2001年ぴあ(株)入社、現在同社専務取締役。  場所文化フォーラム代表幹事、ローカルサミット事務総長などを歴任し、地域の活性化に尽力。  主な著書に『グローバル化の終わり、ローカルからのはじまり』(2012年、経済界) 等。

【ランキング】中国都市総合発展指標2024:杭州・成都・重慶など准一線11都市が一世風靡

雲河都市研究院

■ 編集ノート:中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司と雲河都市研究院が共同で開発した「中国都市総合発展指標2016」の公表以来、雲河都市研究院は中国の地級市及びそれ以上の297都市を、経済・社会・環境という三つの軸で、包括的に評価してきた。このほど、9年目となる2024年度「中国都市総合発展指標」を発表、中国都市発展の成果と課題を多角的に分析し、今後を展望した。本稿は「中国都市総合発展指標2024」発表の第2弾として、製造業輻射力、IT輻射力、科学技術輻射力の三分野におけるランキングを示し、準一線都市の発展特性を分析した。


中国都市総合発展指標2024

 「中国都市総合発展指標2024」の総合ランキングでは、北京が引き続きトップを維持し、上海が第2位、深圳が第3位、広州が第4位となった。

 総合ランキング偏差値は、経済、社会、環境の3つの大項目偏差値の合計を300とする。「中国都市総合発展指標」(以下、「指標」)では、偏差値200以上を一線都市と定義している。上記の4都市はいずれも偏差値200を上回る突出したパフォーマンスを示し、一線都市に該当する。

 偏差値175以上200未満の準一線都市は、杭州、成都、重慶、南京、武漢、蘇州、天津、西安、厦門、寧波、長沙の11都市となった。2023年と比較すると、寧波と長沙の2都市が新たに加わった。内部順位では、杭州が成都を上回り、準一線都市の先頭に立った。

 偏差値150以上175未満の二線都市は68都市、偏差値150未満の三線都市は214都市を数える。

 明暁東中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司元一級巡視員・駐日中国大使館元公使参事官は、「経済、社会、環境の三大項目における偏差値の合計によって都市を一線都市、準一線都市、二線都市、三線都市の4階層に区分する手法は、都市の位置付けを明確にする。さらに、社会および環境との調和的発展を重視する方向性に都市発展を誘導する効果を持つ」

 「今回の発表は、中国都市発展における新たな構造と特徴を示している。まず、北京、上海、深圳、広州の4都市は、長年にわたり圧倒的な総合力を示し、一線都市の地位を堅固に保っている。4都市は、GDP総量や全国時価総額上位100社に占める割合などの面で絶対的な優位性を持ち、中国における経済、科学技術、文化等のハブとして、世界にも重要な影響力を持つようになった」と高く評価した。

左から、《中国都市総合発展指標2022中国都市総合発展指標2023《中国都市総合発展指標2024》

■ 準一線11都市各々の個性が鮮明に


 準一線11都市のGDP全国シェアは19.8%に達し、一線4都市の12.7%を上回っている。一方、全国時価総額上位100社に占める割合を見ると、準一線11都市は12.1%にとどまり、一線4都市の同78.4%の6分の1にも満たない。このことは、高時価総額トップ企業が一線都市に集中していることを示している。

 準一線都市の中では、蘇州の1人当たりGDPが20.6万元と最も高く、一線都市である深圳に匹敵する水準にある。続いて、南京19.3万元、杭州17.3万元、寧波18.6万元が上位を占め、長江デルタの4準一線都市は、準一線都市における1人当たりGDPの第1グループを形成している。

 第2グループは、厦門16.1万元、武漢15.3万元、長沙14.4万元、天津13.2万元である。第3グループは、成都10.9万元、西安と重慶がともに10.1万元にて構成される。

 同じ準一線都市であっても、1人当たりGDPの水準には2倍以上の開きがある。このことから、経済、社会、環境の総合ランキングで同じ高偏差値帯に位置する都市であっても、その発展モデルや強みは多様であり、各々異なる分野で競争力を発揮していることが分かる。すなわち、準一線都市は総括することが難しく、「各々が独自の強みを発揮している」。

 準一線都市の分布状況を見ると、「第13次五カ年計画」において計画された19のメガロポリスのうち、長江デルタに4都市、成渝に2都市、長江中遊に2都市、京津冀に1都市、関中平原に1都市、粤閩浙沿海に1都市が位置している。

 本稿は、「中国都市総合発展指標2024」発表の第2弾として、製造業輻射力、IT輻射力、科学技術輻射力という三つのランキングを用い、準一線都市における多様な発展特性を分析する。

■ 製造業輻射力が最も強い準一線都市:蘇州と寧波


 輻射力は、都市の広域的影響力を評価する上で重要な指標である。製造業輻射力は、都市における製造業の輸出競争力や製造業就業者数などを総合的に評価している。

 「指標」に基づく「中国都市製造業輻射力2024」の上位10都市は、深圳、蘇州、東莞、上海、寧波、仏山、無錫、広州、杭州、厦門となっている。これら製造業スーパーシティは、全国輸出総額の42.4%、および製造業就業者数の21.8%を占めている。

 メガロポリス別の分布を見ると、これら製造業スーパーシティ上位10都市のうち、長江デルタが5都市、珠江デルタが4都市、粤閩浙沿海が1都市を占め、長江デルタと珠江デルタの二大メガロポリスの製造業における圧倒的な優位性がわかる。

 製造業輻射力トップ10には4つの準一線都市がランクインしている。とりわけ、蘇州と寧波はそれぞれ第2位、第5位と高い順位を占めている。

 2024年の輸出総額を見ると、準一線の蘇州と寧波はそれぞれ中国全国第3位、第4位に位置し、準一線11都市の全国シェアは25.2%に達している。

 製造業就業者数から見ると、蘇州と寧波はそれぞれ中国全国第3位、第4位に位置している。準一線11都市が全国に占める製造業就業者数のシェアは16.4%に達している。

 東京経済大学の周牧之教授は、「直近では2025年の最初の11か月間における中国の貿易黒字は1兆米ドルを超え、人類史上の奇跡とも言える成果を記録した。強力な輸出能力を備えた製造業スーパーシティこそが、中国の製造業大国としての地位を支える重要な基盤である。長江デルタと珠江デルタの二大メガロポリスは、すでに世界最大級の製造業集積地へ成長した」と指摘している。

 中国一線4都市の企業は、世界で経済力が最も強い都市と肩を並べる企業力を有するだけでなく、国内における集中度も際立っている。一線4都市に集まる「フォーチュン」世界500強企業78社は、中国同123社の63.4%を占める。上海・深圳・香港・北京のメインボードに上場する企業の31.3%も、一線4都市に集中する。中国でのユニコーン企業の一線4都市への集中度はさらに53.1%に達する。

 企業時価総額から見ても、中国の時価総額トップ100企業の総額は全国上場企業時価総額の52.4%を占める。さらに、中国の時価総額トップ100企業の時価総額のうち、78.4%が一線4都市に集中している。

 東京経済大学の周牧之教授は「中国の改革開放とIT革命はタイミングが高度に一致し、多くのイノベイティブ企業の成長をもたらした。第14次五カ年計画でイノベーション駆動が重視されたことで、電気自動車、新エネルギー、新素材、半導体、AIなどの分野で多くのイノベイティブなテック企業が急成長した。一線4都市はこの発展の潮流を担い、世界トップクラスの大都市へと躍進するとともに、長江デルタ、珠江デルタ、京津冀の三大メガロポリスを大発展させた」と指摘している。

中国都市総合発展指標2018》中国語版・日本語版・英語版

■ IT輻射力が最も強い準一線都市:杭州と南京


 「指標」に基づく「中国都市IT輻射力2024」の上位10都市は、北京、上海、深圳、杭州、南京、広州、成都、蘇州、武漢、西安である。これらIT産業スーパーシティは、全国のメインボード上場IT企業数の74.1%を占め、情報伝達・コンピュータサービス・ソフトウェア産業の就業者数の46.4%を占めている。

 メガロポリス別の分布を見ると、IT産業スーパーシティ10都市は、京津冀が1都市、長江デルタが4都市、珠江デルタが2都市、成渝が1都市、長江中遊が1都市、関中平原が1都市となっている。

 IT産業スーパーシティ10都市のうち準一線都市は6都市がランクインし、杭州と南京はそれぞれ第4位、第5位を占めている。

 製造業スーパーシティ10都市が長江デルタおよび珠江デルタに高度に集中している構図と比較すると、IT産業スーパーシティ10都市は、各地域の中核都市へと分散する傾向を示している。

 2024年における上海、深圳、香港、北京の4大メインボード市場に上場するIT企業数を見ると、準一線の杭州と南京はそれぞれ中国全国第4位、第5位に位置し、準一線11都市の全国シェアは21.5%に達している。

 情報伝達・コンピュータサービス・ソフトウェア産業の就業者数では、杭州が第5位、南京が第7位にランクインし、いずれも中国を代表するIT都市となっている。準一線11都市の全国シェアは26.1%である。

 周牧之教授は「IT産業は、今日の世界経済を牽引するリーディング産業であり、最も活発で、時価総額規模も最大の企業群を形成している。世界のIT産業はすでに米中二強競争の構図を形成しており、かつて製造業時代に強い競争力を有していた欧州や日本は、相対的に第二グループへと後退している。AI駆動の時代においては、この構図は今後さらに強まるだろう。IT産業スーパーシティ10都市は、中国IT産業の中核的要素を集積している。大規模言語モデルのDeep Seek、ロボットのUnitree Robotics を始めとする杭州「六小龍」を代表例として、準一線都市も数多くの注目すべき成果を上げている」と述べている。

中国都市総合発展指標2017》中国語版・日本語版・英語版

■ 科学技術輻射力が最も強い準一線都市:杭州と蘇州


 「指標」に基づく「中国都市科学技術輻射力2024」の上位10都市は、北京、深圳、上海、広州、杭州、蘇州、武漢、南京、東莞、寧波である。これら科学技術スーパーシティは、中国全国の特許授権件数の39.2%、および科学研究・技術サービス業の就業者数の34.5%を占めている。

 メガロポリス別の分布を見ると、科学技術輻射力上位10都市は、京津冀が1都市、長江デルタが5都市、珠江デルタが3都市、長江中遊が1都市となっており、京津冀・長江デルタ・珠江デルタの三大メガロポリスが科学技術分野において圧倒的な優位性を有している。

 科学技術輻射力上位10都市のうち準一線都市は5都市がランクインしており、杭州と蘇州はそれぞれ第5位、第6位を占めている。

 2024年の「ネイチャー・インデックス」における世界研究機関トップ500を見ると、準一線都市の杭州は中国全国第9位、蘇州は第16位に位置しており、準一線11都市の全国シェアは36.2%に達している。

 各研究分野における論文引用数上位1%の研究者数は、杭州が中国全国第5位、蘇州が第13位となっており、準一線11都市の全国シェアは32.1%を占めている。

 特許授権件数は、蘇州が中国全国第4位、杭州が第6位にランクインしており、準一線11都市の全国シェアは23.7%となっている。

 科学研究・技術サービス業の就業者数は、杭州および蘇州はそれぞれ中国全国第9位、第12位に位置している。準一線11都市が全国に占める就業者数のシェアは24.2%に達した。

中国都市総合発展指標2016》中国語版・日本語版・英語版

 周牧之教授は、「『第14次五カ年計画』期間における科学技術イノベーションへの大規模な投入は、多数の科学技術スーパーシティを生み出し、京津冀、長江デルタ、粤港澳という三大国際科学技術イノベーションセンターの台頭を促した。研究開発投資、研究者数、科学出版物論文数、PCT特許出願数で、世界の科学技術イノベーション力はすでに米中二強競争の構図を形成しており、これが中国の製造業およびIT産業の発展を力強く推進する原動力となった」と強調している。

 明暁東氏は「準一線都市の発展は顕著であり、その数は11都市へと拡大した。これらの都市は、長江デルタ、成渝、長江中遊、京津冀、関中平原、粤閩浙沿海といったメガロポリスに分布している。準一線都市内の序列にも変化が見られ、杭州が成都を上回り、準一線都市の先頭に立った。これらの都市は、製造業輻射力、IT輻射力、科学技術輻射力などの面でそれぞれ異なる強みを有し、中国の都市発展が多彩に展開していることを示している」と述べた。また、「準一線都市全体の総合力は強化されている。とりわけ、蘇州・寧波に代表される製造業スーパーシティ、杭州・南京に代表されるIT産業スーパーシティ、杭州・蘇州に代表される科学技術スーパーシティの台頭は、中国実体経済の堅固な基盤とイノベーション主導型発展の強い推進力を明らかにしている」

 一方で、「一線都市と比較すると、高時価総額のトップ企業の集積においては依然として大きなギャップがある。また、準一線都市間においても発展の不均衡が見られ、1人当たりGDPになお大きな開きがある」と総括している。

 この記事の中国語版は2025年12月23日に中国網に掲載され、多数のメディアやプラットフォームに転載された。


【ランキング】中国都市総合発展指標2024:上海・北京・深圳が経済規模世界トップ10入り

雲河都市研究院

■ 編集ノート:中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司と雲河都市研究院が共同で開発した「中国都市総合発展指標2016」の公表以来、雲河都市研究院は毎年、中国の地級市及びそれ以上の297都市を対象に、「中国都市総合発展指標」を発表している。同指標は経済・社会・環境という三つの軸で中国の都市を包括的に評価するもので、9年目の今年は、世界の大都市を比較、中国の一線4都市の顕著な成長に焦点を当て、その課題を分析し、今後を展望した。


中国都市総合発展指標2024

 恒例の「中国都市総合発展指標2024」は2025年末に発表された。北京は総合ランキングにおいて9年連続で、全国297の地級以上都市のトップの座を揺るぎなくした。上海が第2位、深圳が第3位、広州が第4位となった。これら一線4都市のパフォーマンスは突出し、そのGDP合計は全国の12.7%を占めた。

《中国都市総合発展指標2024》掲載記事一覧

 「中国都市総合発展指標」は総合ランキング偏差値に基づき、都市を一線都市、準一線都市、二線都市、三線都市に分類している。総合ランキング偏差値は、経済、環境、社会の3つの大項目偏差値の合計を300とする。偏差値が200以上と定義された一線都市はわずか北京、上海、深圳、広州の4都市である。

 中国都市の経済規模は、すでに世界のトップクラスに成長した。2024年の一線4都市のうち、上海、北京、深圳が世界の都市GDPランキングにおいてトップ10入りを果たした。その順位は、上海が第5位、北京は第6位、深圳は第10位で、広州は第14位となった。

 世界の都市GDPランキングトップ10は、米国(ニューヨーク、ロサンゼルス、ヒューストン)と、中国(上海、北京、深圳)が3都市ずつ占め、日本(東京)、フランス(パリ)、英国(ロンドン)、シンガポールが1都市ずつ入った。都市数とその経済規模の両面で、中米都市間大競争の構図が鮮明となっている。

 本稿は「中国都市総合発展指標2024」発表の第一弾として、資本市場で大きな存在感を持つニューヨーク、東京、ロンドンの三大国際都市をベンチマークに、中国一線4都市のパフォーマンスを比較分析する。

左から、《中国都市総合発展指標2022中国都市総合発展指標2023《中国都市総合発展指標2024》

1.強大な企業力が一線都市を世界トップクラスへ


 中国都市の台頭の背後には、中国企業の飛躍がある。「フォーチュン」世界500企業のうち、本社を北京に置く企業は52社に達した。東京の29社、ニューヨークの16社、ロンドンの13社を大きく上回り、北京は世界で「フォーチュン」500企業本社の集積度が最も高い都市となった。これは、中国企業の力強い発展と、大手国有企業が首都に集中する傾向を表している。上海には「フォーチュン」500企業が12社、深圳と広州にはそれぞれ8社と6社あった。一線4都市に集積する「フォーチュン」500企業は合計78社で、世界全体の15.6%を占めた。

 各国の上場企業時価総額トップ100企業数を見ると、東京は日本の時価総額トップ100企業のうち73社で、突出した集中度を示した。ロンドンはイギリス同企業のうち64社、ニューヨークは米国同企業のうち15社を集めている。北京、深圳、上海はそれぞれ中国の時価総額トップ100企業の39社、15社、12社を有する。これにより、日本とイギリスの高い一極集中度と比べ、大国である米国と中国では高時価総額企業の分布がより多中心化していることが見られる。

中国の時価総額トップ100企業トップ3:テンセント、中国工商銀行、貴州茅台

 数だけでなく、企業の時価総額においても中国都市は際立っている。各国の時価総額トップ100企業が所在する都市別総額を見ると、最も高いのはニューヨークの同15社である。これに続くのが北京で、同39社の時価総額合計はニューヨークの88%に達し、東京(同73社)の1.1倍、ロンドン(同64社)の1.3倍、深圳(同15社)の2.6倍、上海(同12社)の5.6倍となる。中国一線4都市のトップ企業はすでに世界の主要都市の企業と時価総額で競えるまで成長している。

 未上場で評価額10億米ドルを超えるユニコーン企業は、都市の経済活力を測る重要な指標である。「Hurun Report」に基づくユニコーン企業数では、ニューヨークが119社で最多、北京が78社と続く。上海65社、ロンドン49社、深圳35社、広州24社で、東京は7社と最少である。

 ユニコーン企業の評価額総額では、北京がこれら都市の中で最高となり、ニューヨークの1.6倍、上海の2.5倍、ロンドンと深圳の3倍、広州の3.5倍、東京の43.8倍に達した。中国一線都市におけるイノベーティブ企業の勢いは非常に強い。

中国のユニコーン企業時価総額トップ3:バイトダンス、アントグループ、SHEIN

 中国一線4都市の企業は、世界で経済力が最も強い都市と肩を並べる企業力を有するだけでなく、国内における集中度も際立っている。一線4都市に集まる「フォーチュン」世界500強企業78社は、中国同123社の63.4%を占める。上海・深圳・香港・北京のメインボードに上場する企業の31.3%も、一線4都市に集中する。中国でのユニコーン企業の一線4都市への集中度はさらに53.1%に達する。

 企業時価総額から見ても、中国の時価総額トップ100企業の総額は全国上場企業時価総額の52.4%を占める。さらに、中国の時価総額トップ100企業の時価総額のうち、78.4%が一線4都市に集中している。

 東京経済大学の周牧之教授は「中国の改革開放とIT革命はタイミングが高度に一致し、多くのイノベイティブ企業の成長をもたらした。第14次五カ年計画でイノベーション駆動が重視されたことで、電気自動車、新エネルギー、新素材、半導体、AIなどの分野で多くのイノベイティブなテック企業が急成長した。一線4都市はこの発展の潮流を担い、世界トップクラスの大都市へと躍進するとともに、長江デルタ、珠江デルタ、京津冀の三大メガロポリスを大発展させた」と指摘している。

2.三大国際科学技術イノベーションセンターの台頭


 『中華人民共和国国民経済・社会発展の第14次五カ年計画および2035年までの長期目標綱要』は、北京・上海・粤港澳大湾区の国際科学技術イノベーションセンター建設を加速し、世界的影響力を有する科学技術拠点の形成を支持することを明確に打ち出している。

 三大国際科学技術イノベーションセンターの中核として、一線4都市は顕著な成果を示し、すでに世界的な影響力を備えた科学技術ハブとなっている。

 質の高い大学はイノベーションを支える重要な基盤である。「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション 世界大学ランキング2025」の世界トップ500校を見ると、これらの都市の中ではロンドンが11校で最多、北京6校、上海5校、広州と東京が各3校、深圳とニューヨークが各2校となっている。

中国都市総合発展指標2018》中国語版・日本語版・英語版

 高度な研究機関も科学技術を支える主要な基盤である。「ネイチャー・インデックス」世界研究機関トップ500を見ると、北京は20カ所を有し最多で、上海9カ所、広州8カ所、ニューヨークとロンドンが各7カ所、東京が3カ所、深圳が2カ所となっている。

 企業もイノベーションの重要な担い手である。「EU産業R&D投資スコアボード」における企業R&D投資世界トップ2000の研究開発投資を見ると、北京は東京をわずかに上回り最多で、深圳の1.6倍、ニューヨークの2.6倍、上海の3.3倍、ロンドンの4.8倍、広州の12.2倍に相当する。

中国のPCT国際特許出願件数トップ3企業:HUAWEI、国家電網、テンセント

 強力な基盤と莫大な投資がもたらす成果は驚異的である。世界知的所有権機関「2025グローバル・イノベーション・インデックス報告書」の科学出版物論文数では、北京が世界最多であり、上海・蘇州クラスターの1.6倍、深圳・広州・香港クラスターの1.7倍、東京・横浜クラスターの2.9倍、ニューヨークの4.4倍、ロンドンの5.8倍に上る。

 各研究分野で論文引用数上位1%に入る研究者は、国際的なリーダーシップを示す指標である。クラリベイト・アナリティクスのデータによれば、北京は世界最多であり、ロンドンの3倍、ニューヨークの3.7倍、上海の4.8倍、広州の9.3倍、深圳の17.1倍、東京の20.2倍となっている。中国の一線4都市が多くの分野で国際的影響力を持つ研究者を抱えている。

 世界知的所有権機関「2025グローバル・イノベーション・インデックス報告書」のPCT特許出願数を見ると、東京・横浜クラスターが世界最多であり、深圳・広州・香港クラスターの1.1倍、北京の2.7倍、上海・蘇州クラスターの3.2倍、ニューヨークの9.9倍、ロンドンの19.4倍に達している。深圳・広州・香港クラスターは東京・横浜クラスターに迫る勢いを見せている。

 周牧之教授は「『第14次五カ年計画』期間において、中国一線4都市はイノベーションにおける投資と成果が爆発的に拡大し、三大国際科学技術イノベーションセンターの原型を確立した。これにより中国は世界最先端の科学技術分野で成果を上げ続け、製造業サプライチェーンで全方位の優位性をほぼ確立させた」と指摘している。

中国都市総合発展指標2017》中国語版・日本語版・英語版

3.資本市場の発展とビジネス環境の改善


 情報技術を始めとするテクノロジーの急速な発展は、学際的な協働を加速させ、産業チェーン・技術チェーン・資金チェーンの国際的な協働を促し、多数の新興産業と新興企業を誕生させている。この潮流の中、資本市場は企業発展を支える役割をますます強めている。とりわけイノベーティブ企業の成長は、証券市場とベンチャーキャピタルの支援なしには成り立たない。

 主要証券取引所上場企業の時価総額合計を見ると、NYSEとNASDAQを有するニューヨークは世界最大であり、上海の8.1倍、東京の9.2倍、深圳の12.6倍、ロンドンの17倍に相当する。上海証券取引所はすでに東京を上回り、深圳証券取引所はロンドンを上回った。

中国都市総合発展指標2016》中国語版・日本語版・英語版

 世界知的所有権機関「2025グローバル・イノベーション・インデックス報告書」のベンチャーキャピタル取引件数を見ると、これらの都市の中ではニューヨークが最多であり、ロンドンの1.1倍、上海・蘇州クラスターの1.3倍、深圳・広州・香港クラスターの1.6倍、北京の1.7倍、東京・横浜クラスターの2.2倍で、中国一線4都市におけるベンチャーキャピタルの活発さが解る。

 活発なイノベーションと起業には、開放性の高い相互学習の場が欠かせない。国際会議は交流と知の刺激が起こり得る重要な場である。ICCA「ビジネス分析—国家・都市ランキング」によれば、ロンドンは国際会議の開催件数においてこれらの都市の中で最多であり、東京の1.1倍、ニューヨークの3.5倍、北京の3.8倍、上海の4.7倍、深圳の16.5倍、広州の19.8倍となっている。中国一線4都市は国際会議開催の舞台としてまだ向上の余地がある。

 国際航空旅客数を見ると、これらの都市の中ではロンドンが最多であり、東京の3.3倍、ニューヨークの3.4倍、上海の5倍、広州の11.3倍、北京の12.9倍、深圳の34.2倍に達している。中国一線4都市は、国際的な人的往来を支えるプラットフォームとして更なる努力が必要である。

 ホテルも国際交流の重要なプラットフォームである。「フォーブス・トラベルガイド」の星付きホテル数を見ると、ニューヨークが最多で、ロンドンを若干上回り、東京の2.2倍、上海の3.4倍、北京の4.3倍、広州の15.7倍、深圳の23.5倍となっている。

 雲河都市研究院の研究によれば、世界都市におけるテック産業の発展と高級レストラン数には非常に高い相関が見られ、高級レストランが国際交流の場として不可欠な存在であることを示している。「ミシュランガイド」の星付きレストラン数では、東京が世界最多であり、ロンドンの2.1倍、ニューヨークの2.3倍、上海の3.3倍、北京の5.2倍、広州の8.1倍に相当する。但、美食文化が豊かな中国においては、高級料理店は多種多様であり、「ミシュランガイド」は一つの参考指標に過ぎない。

 周牧之教授は「イノベーションは典型的な交流型経済であり、その発展は人と人との交流や刺激に依存する。このため、都市にはより高い開放性と発展環境が求められる」と述べている。

 明暁東中国国家発展改革委員会発展戦略計画司元一級巡視員・駐日中国大使館元公使参事官は、「時が経つのは早いもので、『中国都市総合発展指標』の発表はすでに9年連続となった。2024年指標発表の第一弾は多くの注目すべきポイントがある。第一に、一線4都市をニューヨーク、東京、ロンドンといった国際トップクラスの都市と直接比較し、世界のGDP上位10都市の中で米中両国の都市が3都市ずつ占める構図を示した。これにより、中国一線4都市の国際競争力が大きく上昇している状況が明らかにされた」

 「第二に、企業力、科学技術イノベーションの主要基盤、資本市場の発展とビジネス環境の改善という三つの側面から分析を展開し、世界トップ500企業数、研究開発投資、PCT特許等のデータで裏付け、一線都市発展のロジックを明らかにし、国内都市の発展に模範的なベンチマークを示している」

 「第三に、一線4都市が企業の時価総額、科学技術イノベーションの成果、資本の活発度といった面で達成した成果を示しただけでなく、国際会議の開催件数、航空旅客数、高付加価値サービスといった面での不足にも正面から向き合い、全体の分析は客観的で弁証的だ」と「中国都市総合発展指標2024」の発表を高く評価した。

 この記事の中国語版は2025年12月8日に中国網に掲載され、多数のメディアやプラットフォームに転載された。


【対談】中井徳太郎 VS 周牧之(Ⅲ): 大陸との葛藤、現代日本の岐路

■ 編集ノート:東京経済大学の周牧之教授の教室では2025年10月9日、日本の環境政策を牽引した中井徳太郎元環境事務次官と周牧之教授が、縄文・弥生のルーツ、「環日本海・環シナ海」交流圏、日中関係やエネルギー政策に至る現代日本の岐路を論じた。

2022年11月12日、東京経済大学学術フォーラム「供給サイドから仕掛ける地域共創の可能性」にて講演を行う中井徳太郎・前環境事務次官(肩書は当時)

■ 上野村の大自然で過ごした原体験


中井徳太郎:母の実家は群馬県の上野村で、日航機墜落事故の現場として知られる御巣鷹山の周辺だ。子どもの頃から、夏も冬もそこで過ごし、川で遊び、ブヨに刺され、草にかぶれ…そんな自然の中で過ごした。

 その体験が「自然が身に染みついている」「水が恋しい」という感覚につながっているのだろう。その感覚を持ったまま、1985年に社会人になった。ちょうど高度成長期が終わり、しかしバブルはまだ弾けていない時期で、世の中には「サステナブル」「持続可能性」といった問題意識はほとんどなかった。私自身も、正直なところ当時そういうことを深く考えてはいなかった。

周牧之:中井さんの自然への感性は非常に豊かだ。縄文杉などの大木を見た時、大半の人はただ「でかいな」と感じるくらいだ。中井さんは巨木を抱きしめて感動する。滝を見ればその中に入って打たれて感動する。沖縄でも上野村でも私は何度も中井さんに滝の中に連れ込まれた(笑)。

中井:職業選択としては、当時は今よりもずっと「官僚」という仕事にステータスややりがいのイメージがあり、大蔵省に入った。いろいろな仕事を経験しているうちに、「20世紀から21世紀へ、大きな時代の転換点に自分は生命体として立ち会っている」という感覚を強く持つようになった。

 人類全体が、とてつもなくチャレンジングな大転換期に生きている。そこで生命を受けた意味はとても重いし、せっかく生まれてきた以上、ちんけな人生にはしたくない。これが、私のモチベーションの原点だと思う。

群馬県上野村を流れる神流川

■ 日本海を発想の源流に


中井:そうした感覚を持ちながら富山県に出向し、「逆さ地図」と出会った。日本海を中心に、循環と共生の視点で21世紀を捉え直そうと、「日本海学」を立ち上げた。海を中心にした循環共生圏という、一つの生命体のようなイメージがわっと湧いてきて、そこからこの地域総合学を組み立てた。

 富山での勤務が終わって財務省に戻り、その中で周先生と出会った。一方で、自分にとって大きかったのが、2011年の東日本大震災だ。原発事故や放射性廃棄物の処理など環境省が大きな役割を担うことになり、その渦中、私は課長として環境省に出向した。

 そこで地球環境問題、カーボンニュートラルといった大きなテーマのど真ん中に入り込み、11年間環境省に在籍した。最後の2年間は事務方のトップである事務次官を務め、3年前に退官した。振り返ると、環境省で「地球沸騰」とも言われる状況下の政策をつくる際、日本海学の発想がかなり根底で活きた。

周:先ほど少し話したが、20年前に中井さんに富山へ案内されたときのことをよく覚えている。当時一緒にいたのは、私と中井さん、そして三人兄弟のように付き合っているもう一人の楊偉民さん。羽田空港で飛行機に乗る前に、当時中国国家発展改革委員会の五カ年計画担当局長だった楊さんらが中井さんから半ば強制的に環境に関する講義を受けた。そして富山に着くと、雪山に連れて行かれ、雪の壁に積もった黄砂を見せられた。

 日本海を題材に、アジアが直面する環境問題を考えさせられた。楊さんは中国に戻り、「生態文明」政策を大きく打ち出した。後に中国共産党中央財経領導小組弁公室元副主任になった楊さんは、中国の生態文明政策をさらに推し進めた。

 今では中国が環境政策を文明論のレベルにまで高めた国だと評価されることがある。その思想の源流には、実は中井さんの発想や影響が深く関わっている。

 中井さんは楊さんが中国で生態文明政策を体系化したことを喜ぶと同時に、日本でも同じような政策を立てる必要があると、私に何度も言っていた。これが中井さんは財務省から環境省に行き、日本の環境政策に新風を吹き込んだ動機にもなっているはずだ。

2024年11月30日、東京経済大学国際シンポジウム「グリーントランスフォーメーションにかける産業の未来」懇親会にて、左から順に中井徳太郎・元環境事務次官、楊偉民・中国第十三回全国政治協商会議経済委員会副主任、周牧之・東京経済大学教授、徐林・中米グリーンファンド会長(肩書は当時)

■ 縄文人・弥生人のルーツ


中井:日本列島の歴史をひもとくと、日本海側には今は人口が少ないが、縄文海進で暖かかった時代には、東北から北海道あたりがむしろ豊かだった。三内丸山遺跡のような大規模集落が示すように、狩猟採集や採集漁労で豊かに暮らしていた時代があり、気候変動とともに人々は九州などへ移っていった。

 そういう長いスパンの歴史を見ていくと、日本海側の意味もまた違って見える。縄文人はどこから来たのか、弥生人はどこから来たのか、ロマンのある仮説もいろいろある。ユダヤ人との関係を説く人もいるし、東北大学名誉教授の田中英道先生のように、思わず納得してしまうような説を唱える人もいる。

 いずれにせよ、地球環境が激しく荒ぶる時代に今、私たちは存在している。その事実は否定できないとなると、すごく意味があるはずだ。「どうせ生きるなら何かいいことをしたい」という感覚が私の原点だ。それは誰もが気づきさえすれば、できることだ。

周:日本人のルーツはそもそも大陸との関わりが深い。大陸で大きなパワーシフトが起きるたびに日本に影響を及ぼした。そうしたロジックと「環日本海・環シナ海」のスケールで考えると、縄文人・弥生人がどこから来たのかという話は凄くドラマチックだ。

 およそ紀元前2500年頃(約4500年前)に、黄帝が率いる黄河文明の部族と炎帝が率いる長江文明の部族が、蚩尤が率いる三苗の部族相手に大きな戦争をした。現在の山東省あたり本拠地の後者が負け、南へ敗退した。これが今日中国の南から東南アジアまで広く分布しているミャオ族のルーツと言われている。自分のアイデンティティを固く守るミャオ族はまさに「生きた化石」だ。彼らの文化は数千年も変わっていない。ミャオ族の村に行くと、「傩(nuo)」という日本の「能」そのもののような芸能があり、「能」の発音もまったく同じだ。

 私は近年よくミャオ族の村々に行く。私の仮説だが、ミャオ族は大陸の南だけでなく、海を渡り日本にも一部逃げてきたかもしれない。大陸から日本列島への人口移動としてミャオ族は最初の一つの大きな波だったと考えられる。

 紀元前1046年の「牧野の戦い」で周の武王が殷の紂王を破り、殷王朝が倒された。敗れた殷の人々はさまざまに散らばり、その一部はベーリング海峡を渡り、北米や南米まで行ったという説もあり、インディアンは殷の子孫だという説も根強い。

 私は、朝鮮半島と日本には、殷の残党がかなり入っていると考えている。紂王の叔父にあたる箕子は、朝鮮半島に渡り、「箕子朝鮮」を建国したという説も、多く歴史文献に残されている。

 そもそも周王朝は殷の人々を完全には滅ぼさず、現在の河南省あたり、宋、陳、衛、鄭など複数の小国として温存した。周王朝の前半(西周)は比較的平和に共存していたが、後半(東周)春秋時代から戦国時代への移行期において、斉、楚、韓、秦、魏など大国の勢力争いに巻き込まれ、次々と滅亡していった。 こうした殷系諸侯の亡国民の一部も朝鮮半島や日本に渡ったはずだ。

 殷の人々がこうして数百年かけて、日本列島へ渡った。これが大陸からの人口移動の第二波だったと考えられる。周は赤色を好む。殷は白が好きだ。大陸では今日、結婚式などのめでたい儀式にはよく赤色を使う。これに対して朝鮮半島や日本はこうした儀式によく白を使う。

 春秋戦国時代はさらに沢山の諸侯国が潰され、最後に秦が中国を統一した。日本では有名な呉越を始め、亡国の民の一部は次々と日本に渡ったはずだ。これは第三波と考えられる。つまり、環シナ海交流圏の中で日本の原型ができていった。

2013年12月27日、中国で開催の「都市と環境国際シンポジウム」主催者として中井徳太郎・環境省大臣官房会計課長、周牧之・東京経済大学教授、南川秀樹・環境事務次官(肩書は当時)

■ 幸運な島国が何故か大陸に侵攻し続けた


周:日本はその後、大陸との交流の中で国として形づくられていった。中国漢王朝の光武帝から「漢委奴国王」に冊封され、卑弥呼が「親魏倭王」の称号をもらい、やがて遣唐使を派遣し唐王朝から政治制度、文化、宗教を直接導入して律令国家を築いた。特に中国との貿易で莫大な富を得た。

 ただし、中国は巨大な内陸国家で、貿易にあまり積極的ではなかった。世界の中でも中国は巨大な富を国内だけで作れる極めて珍しい存在だ。国内だけで完結しようとする内向きの意識が強かったため、貿易で稼ぐよりは国家が管理する傾向があった。

 いわゆる「朝貢貿易」は、冊封される国からの輸入を朝貢と見なし、数倍から数十倍の返礼をする一方、取引量が限られる仕組みだった。

 それでは物足りないと反発する勢力が日本で現れ、密貿易に手を出す。これがいわゆる「倭寇」だ。

 同じユーラシア大陸の両端に位置する島国でも、イギリスはヨーロッパ大陸からの侵略が繰り返し受けた。これと比べ日本は内向きの中国から殆ど侵攻を受けることなくむしろ、大陸に何度も侵攻を試みた。663年の白村江の戦いは日本による最初の大陸侵攻だ。

 倭寇は14世紀半ばから16世紀末頃まで、中国 や朝鮮半島沿岸で略奪と密貿易を行った。この中には日本人だけではなく倭寇に化けて密貿易に関わっていた中国沿海部の人もいた。オランダ支配から台湾を奪還した鄭成功はその代表的人物だった。彼の父親はニセ倭寇で、母親は日本人だ。

 1592年から1598年の秀吉による朝鮮出兵は3度目の大陸侵攻に当たる。

 近代以降、日清戦争から朝鮮・台湾併合、日中戦争、太平洋戦争まで、大陸に侵攻する狂気の時代が続いた。

 一方で、歴史上、大陸側から日本への軍事侵攻は1274年と1281年の蒙古襲来2回のみだ。大陸のすぐそばの島国としてこれは非常に幸運な歴史だ。しかしこの幸せな島国が何故か大陸に侵攻し続けた。

2015年12月19日、東京経済大学「環境とエネルギーの未来 国際シンポジウム」にてディスカッションを行う周牧之・東京経済大学教授(左)、中井徳太郎・環境省大臣官房審議官(右)

日本は何故「大陸回避」傾向になったのか


周:大陸との交流は日本にとって常に大きなイシューだった。今の日本はアメリカの方を向いているが、歴史的には大陸との関係がメインだった。

 その点で戦後の動きも興味深い。1972年に田中角栄首相が中国へ飛び、国交正常化を行ったとき、日本国内では激しい論争があった。いわゆる台湾派と中国派の対立だ。しかし台湾派であれ中国派であれ、「中国との関係が大切」というスタンスが根底にあった。要するに中国の誰と付き合うか、の争いだった。

 当時を象徴する政治家として、三木武夫氏、田中角栄氏、福田赳夫氏が思い浮かぶ。三木氏は田中氏より先に一議員として訪中し、当時の周恩来首相との交流を重ね、自らが日本の首相となった暁に訪中する道筋をつけようとした。

 中井さんと同じ群馬県出身の福田赳夫氏は、当時は強い台湾派だった。田中氏の訪中に猛烈に反対した。しかしその息子である福田康夫元首相は、私も関わって立ち上げた「北京―東京フォーラム」などで積極的に中国と交流し、深い信頼関係を築いている。

 つまり、彼らは「台湾か中国か」という立場の差はあっても、「中国との関係」を重視する政治家だったと言える。ところが最近では、日本と中国の関係が経済まで冷え込んでいる。そこに私は強い危機感を覚える。

 しかし現状を見ると、日本には「大陸を無視する」空気が強くなっているように感じる。貿易量で見れば、中国は日本にとって最大の相手国であり続けているのに、心情的には「目をそらす」傾向がある。

 例えば、三菱商事は最近、洋上風力発電事業から撤退した。原因は、欧米企業と組むためのコストが高かったからだ。しかし一方で、中国企業と組む選択肢もあったはずだ。中国の風力設備は現在、ヨーロッパよりも技術力もコスト競争力も高いのに、なぜそこを活用しないのか。

 日本にとって最大の貿易相手国は中国だが、中国にとって日本は最大の相手国ではない。私の感覚では、日本が中国との貿易を伸ばせていない印象がある。世界各国が中国との経済取引を拡大する一方で、日本はむしろ慎重姿勢を強めている。

中井:難しい問題だが、おそらく警戒感が背景にあるのだと思う。

周:その警戒感はどこから生まれるのか。

中井:政治的リスクだろう。結局、アメリカと中国の動きに影響されている。

周:確かに田中角栄氏が中国に行けたのは、アメリカのニクソン大統領が先に中国を訪問して動きやすくなったという背景があった。

中井:中国は、日本がもじもじと取り組んできた資本政策や技術の「良い種」を見つけるのが上手で、それを一気にスケールアップする資本力がある。日本はそこが苦手なので、日本で生まれた良い技術が、あっという間に中国が国を挙げて投資し、巨大な産業にしてしまう。

周:20年前と異なり、現在の中国は特許数、論文数など技術力を測る多くの指標で、桁違いに日本を上回っている。むしろ日本企業は中国へ行き、技術を学ぶくらいの方がいい。技術力でこれだけの格差が広がっているのに、日本のメディアが伝えようとしないのも不思議で仕方がない。

2018年7月19日、日本語版『中国都市総合発展指標』出版パーティにて挨拶を行う中井徳太郎・環境省総合環境政策統括官(右)と周牧之・東京経済大学教授(左)(肩書は当時)

■ 米中関係の行方と日本の立ち位置


周:一方で、中国から日本への観光客は急増している。この流れを、より有効な交流としていかにつなげるかが重要だ。大陸が富を生むセンターとして動いたとしても、いまの日本はその恩恵を避けているように見える。これは日本の低成長の原因の一つかもしれない。

中井:企業的な発想だと、競争の中で技術やノウハウを吸い取られ、すべて中国に飲み込まれてしまうのではないかという恐れがあるのだろう。

周:確かにその恐怖心は感じる。これまで日本が得意とした半導体、家電、液晶パネル、太陽光パネルなどの産業が競争に負け、消え去っていった。こうした心理的な問題を、どう払拭するかが重要だ。実際は、中国に飲み込まれるというより、競争に負けた日本企業が中国企業に引き取られたケースが多い。

 さらにアメリカの影響も大きい。第一次トランプ政権の時から米中の対立が激しくなると、日本は優等生としてアメリカに「言われる前に」対中交流を避けようとする傾向がある。

中井:アメリカの顔色を見て慎重に立っている。

周:しかし、アメリカはいずれ必ず中国と折り合いをつけ、大交流を再開する。そのとき、日本は大変なショックを受ける。私は、米中関係そのものはあまり心配していない。両大国は喧嘩しながらも、交流量も質も極めて大きい。そこをどう見極めるかが重要だ。

中井:以前は中国市場を開拓してガンガン儲けてやろうという日本企業があったが、今はそうした元気が見られない。

周:元気な世代は引退したのかもしれない。例えば、日系自動車はかつて中国市場で3割を超えた時期があった。しかし、今ではわずか1割程度だ。厳しい見方をすると、今後さらに急激に縮小する可能性がある。

 その理由は、EV競争に日系自動車メーカーが本気で参加しなかったからだ。これは「時代の読み方」の問題だ。変化を戦略的に読み解く力が、テック時代には必要だと思う。

2020年11月21日、東京経済大学創立120周年記念シンポジウム「コロナ危機をバネに大転換」にてディスカッションを行った、周牧之・東京経済大学教授、大西隆・日本学術会議元会長、中井徳太郎・環境事務次官(左から順に)(肩書は当時)

■ 「すでに起こった未来」を確認する姿勢


周:洋上風力の話に戻ると、日本海は波が荒く扱いにくいエリアだが、その分、強い風力という資源を持つ。洋上風力には適した地域だ。

 私は30数年前、日本開発構想研究所というシンクタンクに勤め国土計画関連の仕事をしていた。当時議論していた日本の将来ビジョンの一つに、「日本のエネルギーは洋上風力でかなりの部分を賄える」「そうすれば日本海側地域が豊かになる」という構想があった。それなのに、残念ながら今の日本には洋上風力メーカーが一社もない。

 なぜ30年前には見えていた話を、国策として育てられなかったのか。一つの大きな理由は、中井さんも事故の後始末に大変苦労された原子力の問題にある。

中井:当時、経産省は再生エネルギーにほとんどやる気がなかった。

周:経産省は原子力推進政策に全力を注いだ。が、いざ原発が行き詰まったらお手上げ状態になった。本来なら、「A案」「B案」として並行して進めるべきだったのに、国の政策にも、企業の意思決定にも、日本では「A案しかない」という思考がけっこう見られる。

 水素の話もそうだ。水素技術は非常に重要で、将来のエネルギーとして大きな可能性を持っている。しかし、日本では水素にこだわるあまりEVを軽視する構図になった。日系自動車メーカーは、「水素で行く」と言ってEVをどこか馬鹿にするようなスタンスを長くとってきた。

 実際、「A案とB案を並行して持つ」という視点が必要だ。日本はパックスアメリカーナにしがみつく「A案」の他に、中国をはじめとする近隣国と緊密な関係を築き上げる「B案」も必要ではないか。

 ドラッカーは「すでに起こった未来」を確認することが大切だと言う。その意味では日本は中国に対する警戒心よりも、中国が世界経済の新興センターになった「すでに起こった未来」を見て見ぬふりをする姿勢こそ最も心配だ。特にわざと関心を持たせないようにするメディアの姿勢が良くない。

 だからこそ、日本海学を「環シナ海交流圏」へと広げ、日本がその中で積極的に役割を果たしていくべきだ。それは今の時代にこそ必要な取り組みだ。

2020年11月21日、東京経済大学創立120周年記念シンポジウム「コロナ危機をバネに大転換」にてディスカッションを行う中井徳太郎・環境事務次官(左)と周牧之・東京経済大学教授(右)(肩書は当時)

■ 示すべき「調和」のビジョン


中井:おっしゃる通りだ。最終的には、「人類全体が調和する絵」を掲げなければいけまない。宗教やイデオロギーを超え、「何を信じていてもいい、イスラム教でもキリスト教でも何でもいい。でも、みんなが仲良く楽しく、おいしいものを食べ、気持ちよく生きられる世界をつくろう」という、感覚的なものをきちんと享受できるイメージだ。みんな苦しいけど我慢しようなんて、誰も付き合わない。日本の知見がある仲間と、今まさに「三千年の未来会議」で目指しているものでもある。

周:本当にその通りだ。人として楽しさを共有できるのは最高の関係だ。そこから信頼を得られて、事業にもつながる。

中井;日本は、そうした「何でも受け入れて、ふわっと良いものに仕上げる力」がある国だと思う。そのベースには、激しい自然と向き合ってきた歴史がある。地震や噴火、津波の脅威がある一方で、おいしい水や豊かな食材、美しい景色をもたらしてくれるのも同じ自然だ。この「自然との付き合い方」に関する知恵は、日本人が世界に発信できるものだと私は思う。

 自然と真剣に向き合っていれば、「人間同士が排除し合っている場合ではない」という感覚が身につく。日本人は真面目で視野が狭くなりがちな一方、草の根のレベルでは「良いものは良い」と受け入れる柔らかさも持っている。政治的には韓国と対立していても、韓流ドラマやK-POPが日本で大人気になる。こうした「民間レベルの交わる力」は、日本の強みだ。

 だからこそ、視野狭窄で縮こまるのではなく、胸襟を開き、チャレンジ精神を持ち、実利も得ながら世界とつながっていくべきだ。その根底には、日本人の自然観から生まれた融通無碍な発想がある。私はそう信じている。


プロフィール

中井 徳太郎(なかい とくたろう)/日本製鉄顧問、元環境事務次官

 1962年生まれ。大蔵省(当時)入省後、主計局主査などを経て、富山県庁へ出向中に日本海学の確立・普及に携わる。財務省広報室長、東京大学医科学研究所教授、金融庁監督局協同組織金融室長、財務省理財局計画官、財務省主計局主計官(農林水産省担当)、環境省総合環境政策局総務課長、環境省大臣官房会計課長、環境省大臣官房環境政策官兼秘書課長、環境省大臣官房審議官、環境省廃棄物・リサイクル対策部長、総合環境政策統括官、環境事務次官を経て、2022年より日本製鉄顧問。

【対談】中井徳太郎 VS 周牧之(Ⅱ):地域循環共生圏、そして三千年の未来へ

■ 編集ノート:東京経済大学の周牧之教授の教室では2025年10月9日、長年の親友であり元環境事務次官の中井徳太郎氏を迎え、日本海そしてシナ海を一つの生命体として捉える発想から、カーボンニュートラルやネイチャーポジティブ、日本的な自然観と祭りの知恵までをつなぎ、「三千年の未来」を見据えた文明論的ビジョンを伺った。ローカルな足元からグローバルなダイナミズムへと視野を広げるこの構想は、現代の生き方と将来像を問い直す大きなヒントになる。

※前回記事【対談】中井徳太郎 VS 周牧之(Ⅰ)はこちらから

2020年11月21日、東京経済大学創立120周年記念シンポジウム「コロナ危機をバネに大転換」にて講演を行う中井徳太郎・環境事務次官(肩書は当時)

■ 地球沸騰の気候危機に直視を


中井徳太郎:今、地球環境は「地球沸騰」とも言われる状況にある。今日も台風が接近していて、幸い本土上陸はしないが、八丈島や伊豆大島などで風速70メートルというとんでもない状況になっている。

その背景にあるのは、海面水温の異常な上昇だ。二酸化炭素(CO₂)などの温室効果ガスは、太陽光が地表で反射した赤外線を吸収し、大気の温度を、人間や生物が生きられる範囲に保つという重要な役割を果たしている。しかし、産業革命以降、人類が化石燃料という地下資源を大量に燃やし続けた結果、CO₂濃度が上昇し、太陽からの熱を吸収する「保温の膜」の厚みが増してしまった。その結果、大気の温度が上がってしまった。

産業革命以降、平均で見ると地球の気温は約1.1度上昇していると言われている。年によっては1.5度近くになる。ここで言う「気温」は主に大気の温度だが、実際、地球には海という巨大な水の塊があり、大気が温まると、その熱は海にも移っていく。熱容量の大きい海水まで温まってしまったのが、現在の深刻な状況だ。

水を沸騰させると、なかなか冷めない。大気であれば比較的すぐ温度は変化するが、海はそうはいかない。熱容量の大きい海水の温度が上がってしまうと、簡単には冷めない。その結果、水蒸気の量も増え、台風や集中豪雨といった「症状」が出やすくなっている。

異常気象が続いているのに、トランプ大統領のように気候変動そのものに対して懐疑的な立場がいまだに存在する。アメリカでは以前から、「人間の活動が本当に気候変動を引き起こしているのか」という議論が続いてきたが、トランプ大統領は特に「温暖化対策は意味がない」と強く主張している。

 しかし、国連を中心に、気候変動についてはすでに膨大な議論と研究が積み重ねられている。気候変動枠組条約に基づき、世界中の科学者の知見を集約したIPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、これまで6次にわたり報告書を出している。その内容は、「人間の化石燃料使用によって大気が温まり、現在の気候変動を引き起こしている」という事実を、科学的にほぼ100%の確度で証明している。

 つまり、これは科学的なファクトであり、トランプ大統領が何を言おうと、その科学的結論が揺らぐわけではない。その確立された事実の中で、現在の異常気象は進行している。

周牧之: 気候問題に関するアメリカの政策がバイデンからトランプへの政権交代により大きくブレる中、2024年11月30日開催の東京経済大学国際シンポジウム「グリーントランスフォーメーションにかける産業の未来」で中井さん始め日中の産学官のオピニオンリーダーが両国のGXに関する取り組みを紹介し、議論し合った。アメリカの政策はどうあれ、日中は共にGXを推進していくとの意思を確認し合った。

2024年11月30日、東京経済大学国際シンポジウム「グリーントランスフォーメーションにかける産業の未来」にて講演を行う中井徳太郎・前環境事務次官(肩書は当時)

■ 地球の体質改善にも気候転換点を超えてはならない


中井:地球を人間の身体に例えると、今起きている現象は「慢性病」に近いと言える。メタボリック症候群や、お酒を飲み続けて肝臓が悲鳴を上げている状態だ。ちょっと転んで膝を擦りむいた、という一過性の怪我ではなく、体質改善のために時間をかけて進めないといけない段階に来ている。しかも、すでに症状が出ているので、それが簡単には消えない。だからこそ、今から対処しないと取り返しのつかない「ティッピングポイント(気候転換点)」を超えてしまう危険がある。

 ティッピングポイントとは、例えばシベリアなどの永久凍土が本格的に溶け出し、大量のメタンガスが放出されるような状況だ。そこには、古い菌やウイルスが眠っている可能性も指摘されている。こうした「症状」を放置すれば、まさに肝硬変やがんのように、治療が難しい段階に入ってしまうかもしれない。

 熱中症や異常気象として私たちの目の前に現れているのは、その「症状」の一部だ。海水温が上がり、大きな渦を巻く台風のような現象が起きやすくなっている。もちろん、台風そのものは自然の循環に必要な面もある。

 先週、屋久島に行ってきたが、今年は屋久島周辺で全然魚が獲れないと聞いた。理由の一つは、台風のルートが変わり、屋久島や九州に大きな台風があまり来ていないことにある。台風が来ると、海をかき混ぜる効果があり、表層と深層の水が入れ替わって海の中の代謝が進む。台風が少ないと、温かい表層水がそのまま滞留し、魚にとって適温ではない状態が続いてしまう。自然は非常に微妙なバランスの上に成り立っていることが、こうした現象からも分かる。

2013年12月26日、中国で開催の「中国都市総合発展指標専門家会議」にて議論を行う武内和彦・地球環境戦略研究機関理事長・東京大学特任教授、中井徳太郎・環境省大臣官房会計課長、南川秀樹・環境事務次官(左から順に)(肩書は当時)

■ SDGs、パリ協定そしてカーボンニュートラル


中井:このような状況を受け、2015年には二つの大きな出来事があった。一つは、国連でSDGs(持続可能な開発目標)が採択されたこと。もう一つは、気候変動に対応するためのパリ協定が採択されたことだ。パリ協定では、温暖化の進行を産業革命以降の上昇幅で2度以内に抑えること、できれば1.5度以内に抑えるべきだという目標が掲げられた。

 その3年後の2018年には、IPCCが、2度上昇と1.5度上昇では影響が全く違う、0.5度の違いが人類にとって非常に大きな意味を持つとする報告書を出した。海面上昇による島嶼国の水没リスクや、極端気象の頻度などを考えると、できる限り1.5度に抑えたい。そのためには、2050年までにCO₂排出を実質ゼロ(ネットゼロ)にする必要がある、というのが現在の国際的なコンセンサスだ。

 つまり、残された時間はあと約25年。2050年までに人類全体としてカーボンニュートラルを達成できれば、科学的なシナリオ分析上、1.5度で温暖化を止められる可能性がかなりある。だからこそ、世界中で2050年カーボンニュートラルに向けた努力が行われている。

 一方で、エネルギー需要は増え続けている。スマートフォンだけでなく、AIやブロックチェーンなど、膨大な電力を消費するテクノロジーが次々と社会に組み込まれている。便利さと効率性をもたらす一方で、その裏側で巨大な電力が必要となっている。今の電力供給の多くは、依然として石炭火力やガス火力に依存している。この構造を変えない限り、CO₂排出は減らない。

 日本は2020年、菅総理の時代に、2050年カーボンニュートラルを国としてコミットした。当時、私は環境省の事務次官で、小泉進次郎環境大臣とともに、この目標の実現に向けた議論の最前線にいた。日本は非常に真面目な国なので、一度掲げた目標は守ろうとする。2050年ゼロに向けて、2030年には46%削減という中期目標を掲げ、つい最近は2035年に60%、2040年に73%という新たな目標も設定した。

周:中井さんが環境事務次官として、このカーボンニュートラル宣言を支えたことは、大きな政策貢献だ。

中井:現時点では、日本はおおむねオン・トラックで排出を減らしているが、2030年以降が本当に大変だ。技術革新が鍵となる。私は現在、日本製鉄の顧問も務めているが、鉄をつくるには膨大なエネルギーが必要だ。鉄鉱石を石炭で還元する高炉プロセスは、CO₂排出の象徴のような存在で、日本製鉄は日本で最もCO₂を排出している企業の一つだ。その日本製鉄が「2050年に排出ゼロを目指す」と宣言したことは、日本の産業界にとって非常に大きなインパクトがあった。

 それまで経済界は、「2050年カーボンニュートラル」に対して慎重だった。できないことを軽々しく口にするのは日本的ではない、できる範囲で現実的な目標を掲げるべきだ、という空気があった。しかし、日本製鉄が「鉄の未来を考えたら、CO₂を出さない鉄づくりに挑戦するしかない」と覚悟を決めたことで、経団連も含め、日本の産業界全体がカーボンニュートラルを真正面から受け止めるようになった。

 もちろん、石炭を使わない製鉄や、大量の電力を必要とする電気炉への転換、水素の活用などには、膨大な技術開発と投資が必要だ。政府も税金をベースとした支援を行う必要がある。私はそのあたりも含めてお手伝いをしている。

2013年12月27日、中国で開催の「都市と環境国際シンポジウム」主催者として中井徳太郎・環境省大臣官房会計課長(肩書は当時)

■ 日本海学と環境政策をつなげた地域循環共生圏


中井:こうして見ていくと、地球環境、特に日本海学でいう「地図を見た瞬間に、ここが一つの生き物のように見える」という感覚──と、現在の環境政策は深くつながっていることが分かる。国境や県境にとらわれず、日本海側には森があり、豊かな海があり、水の循環があり、その中に生きとし生けるものが存在している。この「循環」「共生」「日本海」の視点が、日本海学の三つの視点として整理された。

 カーボンニュートラルやサステナビリティを考えるときも、結局は「循環」と「共生」に行き着く。そういう意味では、私にとって日本海学で考えたことを、日本全体の環境政策として展開している、という感覚がある。

周:「生き物」そして「循環」と「共生」の3点セットは大事な視点だ。

中井:私が関わった環境省の政策では「地域循環共生圏」という概念を、閣議決定まで持っていくことが出来た。「地域循環共生圏」は目指すべき社会像として位置づけている。カーボンニュートラル(エネルギーの転換)、サーキュラーエコノミー(循環経済)、ネイチャーポジティブ(自然再興)。この三つを組み合わせた社会を目指そう、との構図だ。

 カーボンニュートラルは、「地球に負荷をかけない」というメルクマールであり、2050年までにCO₂排出実質ゼロを目指す。エネルギーを使いながらも、地球全体の健康を損なわない形に変えていく。エネルギーは人間の活動に不可欠だが、その使い方を変えないと、地球という「身体」が持たない。CO₂を増やさないエネルギーの調達・利用構造への転換が求められている。

 サーキュラーエコノミーは、経済・社会の仕組みを「すべてがつながっている」という前提で見直し、それを無駄なく循環させる考え方だ。これまで、あたかも地球に無限の資源があるかのように、中東から石油を、大陸から天然ガスを大量に輸入し、それを使って大量生産・大量消費・大量廃棄を行ってきた。プラスチック製品などが典型で、安く大量に作れるがゆえに、簡単に使い捨てられ、その結果、2050年には海の中のプラスチックの量が魚の量を上回る、とまで言われている。地球上のすべてはつながっており、どこかで捨てたものは、最終的に海に流れ着く。だからこそ、「使い捨て」ではなく、「循環」を前提とした経済社会の仕組みをつくる必要がある。

 ネイチャーポジティブは、自然との共生を重視する考え方だ。生き物や水、森、山、海など、自然界のあらゆる要素と、どのように折り合いをつけて生きていくか。その関係性を改善し、自然の回復力を高めていく発想だ。

周:地域を生命体として捉える大事な発想だ。

中井:それぞれの地域や主体がそれぞれの持ち場で個性を豊かに発揮し、多様性の中から価値を生み出し、全体を調和させていく。「人間は自然を壊してしまった」との認識が世界共通になる一方で、「ならば人間は自然を回復させることもできるはずだ」という前向きな認識も共有されつつある。これが、ネイチャーポジティブのコンセプトだ。

 このとき必要なのは、人間と自然を別々の対象として切り分けるのではなく、「全体が一つの生命体である」という見方だ。

 私たちの身体を例にとると、細胞が基本単位であり、父と母から受け継いだ受精卵1個の細胞が分裂を繰り返し、約37兆個の細胞になる。その細胞が心臓、脳、筋肉になり、毛細血管を通じて酸素や栄養が行き渡り、老廃物が排出される。個々の細胞が元気で、互いに連携しているからこそ、全体として身体は調和して動ける。

 私は、地球環境や社会も同じように捉えるべきだと思う。一つひとつの生き物、一つひとつの地域・コミュニティ、一つひとつの文化が元気で自立的でありながら、全体とつながっている状態。それぞれ個性を発揮しながら、全体として調和する状態が「共生」だ。

2018年7月19日、日本語版『中国都市総合発展指標』出版パーティにて挨拶を行う中井徳太郎・環境省総合環境政策統括官(左)と周牧之・東京経済大学教授(右)(肩書は当時)

環境・生命文明社会を目指す


中井:生物学や医学の知見も、今まさにそうした見方に近づいている。こうした発想でものを見ることが、新しい時代のキーワード「環境・生命文明社会」だ。

 エネルギーも食も水も空気も、できるだけ身の回りで賄い、人間の技術と叡智を使って豊かに暮らす。過度な人口集中によって、都市では大量消費と大量廃棄が進み、いわば自然の「内臓」にあたる農山漁村では人が減り、お金も回らず、田畑や森は荒れている。

 このアンバランスを、自立した地域同士の助け合いで是正する。環境省の「地域循環共生圏」は、これを政策として徹底的に進めようとしたものだ。カーボンニュートラル、サーキュラーエコノミー、ネイチャーポジティブを同時に実現していく。

 そして、この軸にある発想の原点が、日本海学だ。日本海学で地図を見たときに「ここは全体が一つの生き物だ」とする感覚と直結している。

 環境省は、この「地域から循環と共生の世界をつくる」考え方を、「森・里・川・海」という図で表現している。山があり、森があり、里(集落・田畑)があり、川が流れ、海に注ぐ。この中で水が循環し、その循環の中にすべての生き物が存在している。

 循環型のシステムは、時間のスケールを伸ばせば、チベットやヒマラヤからガンジス、黄河、長江が流れ出るような巨大な流域の循環にも見えるし、富山なら「山から黒部川を通り富山湾へ」というローカルな循環にも見える。その“流域”というイメージの中に、あらゆる存在が含まれる。だからこそ、「流域」という単位で地域循環共生圏を考えようとしている。

 日本海という一つの円環を通して、「周辺の循環」「地域の循環」「アジア全体の循環」と、階層的に循環を見ていく。小さな循環と大きな循環をどう結びつけるか。その接点を議論することが重要だ。

周:そもそも人類の文明は、「流域」単位で誕生してきた。大小「流域」単位で「地域循環共生圏」を構築していくことが、新しい文明のあり方だ。

地域循環共生圏

■ 人口集中と農山漁村の衰退──バランスの崩れ


中井:もっとも現状では、都市部に人口が集中し、農山漁村から人がいなくなっている。田畑は荒れ、森林は手入れが行き届かず、祭りやコミュニティも維持が難しくなっている。一方で、都市部の人々は、食料やエネルギーを外部から大量に買って生活している。その背後に化石燃料などの大量消費があり、地球という「内臓」に負荷をかけている。

 このバランスを取り戻すために、AIやITといった最先端の技術も活用しながら、「全体が一つの生命体として調和して循環する世界」「個性が輝きながら共生する世界」をつくっていこう、というのが地域循環共生圏の発想だ。環境省では、これを「環境・生命文明社会」と呼んでいる。単なる経済文明ではなく、「生命」を軸にした文明への転換だ。

 もう少し具体的には、「流域」という単位で考えると分かりやすいかもしれない。国土交通省が管理するだけでも、日本には2万以上の河川がある。それぞれの流域で、河川氾濫や集中豪雨による浸水リスクが高まっている。そうしたリスクに向き合いながら、どこに住み、どのように土地利用をしていくのか。流域単位での調和を考える必要がある。

 この「森・里・川・海・流域」という発想と、「地域循環共生圏」というビジョンを組み合わせ、さらに日本海学的な「外に開かれた視点」を重ねると、日本は単に縮小していく国ではなく、「人類のフロントランナー」として新しいモデルを世界に示す実験場になり得る。

 人口は減っていくが、生活の質、文化の厚み、民度は非常に高い。日本のアニメ、食文化、デザイン、ボーカロイドなどの音楽は、今や世界中で人気だ。こうした「日本の良さ」を、ローカルな実践からグローバルに発信していく。これを「ローカル」と「グローバル」を掛け合わせた「グローカル」と呼び、その方向で取り組みを進めている。

 流域の問題は、今まさに差し迫っている。一旦大雨が降れば、一瞬で浸水・氾濫するような状況が各地で起きている。気候変動が「地球沸騰」と言われるまでに進んでいる今、自然との向き合い方が強く問われている。

周:2020年東京経済大学創立120周年記念シンポジウム「コロナ危機をバネに大転換」で中井さんと日本学術会議元会長の大西隆先生を迎え議論した。その時、里山の大切さについて大分話した。純粋な原始林より、自然への人間の適度な介入がもたらした里山の生態系の方がより豊かで災害にも強い。しかし里山のベースである自然集落は今日本で、急激に消えつつある。

2020年11月21日、東京経済大学創立120周年記念シンポジウム「コロナ危機をバネに大転換」にてディスカッションを行った、周牧之・東京経済大学教授、中井徳太郎・環境事務次官、大西隆・日本学術会議元会長(左から順に)(肩書は当時)

■ 日本人の自然観と祭り・建築に込められた知恵


中井:私たち日本人は、東日本大震災をはじめ、多くの自然災害を乗り越えてきた。日本列島では、3万5千年~4万年前とされる人骨も見つかっている。この間、地震、火山噴火、津波など、さまざまな自然災害が繰り返し起こったが、それらを乗り越え、自然と賢く付き合ってきた歴史がある。

 日本人は、自然に対して「畏れ」と「感謝」を同時に抱きながら暮らしてきた。富士山のような美しい山の景色に感動し、そこから湧き出る水の恵みに感謝し、その水からおいしい米や酒が生まれる。その一方で、地震や噴火、台風の脅威もよく知っている。こうした感覚が、秋祭りや収穫祭、春の田植えの祭りなどを通じて、文化にビルトインされてきた。

 例えば、伊勢神宮は20年に一度建て替えを行う。祇園祭は、貞観地震の後に京都で疫病が流行したことをきっかけに、「疫病退散」を祈って始まった祭りだ。八坂神社の龍穴に「邪」を封じ込めるという祈りから始まり、毎年7月17日に山鉾が巡行する形で受け継がれている。

 祇園祭のような祭りは、想いを共有する場であると同時に、伝統技術を磨き続ける場でもある。毎年行われることで、技術はどんどん洗練される。また、祭りは「無礼講」の場でもあり、普段は口数の少ない人も自然と関わるようになる。ある意味、「日常の中の防災訓練」、「コミュニティの結束の場」としての機能も果たしている。

 こうした自然との向き合い方、祭りや行事に込められた知恵を、現代にどう活かすか。日本人はそのポテンシャルを十分に持っている民族だと思う。

 法隆寺や奈良・京都の仏教寺院の建築も、本来はインドや中国を経由して伝わってきたものだが、日本に来てから独自に磨き上げられ、最も美しい形で残っている。現代的な例でいえば、カレーライスやラーメンもそうだ。インドの人に日本のカレーを食べさせると「これはカレーじゃない」と言うが、それは日本が独自にアレンジし、別の料理に昇華させてきたからだ。ラーメンも、中国から伝わった麺料理が、日本各地で多様なスタイルに発展し、世界的にも評価される存在になった。

 これは、何でも工夫し、発酵させる「醤油漬け文化」とでも言えるかもしれない。外から来たものを日本流に磨き上げる力が、日本にはある。その力を自覚し、世界に向けて発信していきたいという想いがある。

2015年12月19日、東京経済大学「環境とエネルギーの未来 国際シンポジウム」にてディスカッションを行う周牧之・東京経済大学教授、中井徳太郎・環境省大臣官房審議官、安藤晴彦・経済産業省戦略輸出交渉官、和田篤也・環境省廃棄物対策課長(左から順に)(肩書は当時)

■ 「三千年の未来」と日本文明の「続ける力」


中井:私は今、「三千年の未来会議」という団体にも関わっている。役人を辞めた後、同時期に事務次官を務めた4人や、テレビ局の代表取締役、民間の人たちと一緒に、長期的な「三千年」というスケールで未来を考えることを試みている。

 三千年先の未来を考えるとは、「続ける力」を持つことだ。細胞が常に生まれ変わりながら全体として生命が続くように、社会や文明も変化しながら存在し続ける。それを、良い形で持続させていく力が日本文明にはある――私はそう考えている。

 奈良や京都の仏教寺院、法隆寺など、1500年近く立ち続けている建物がある。日本に入ってきた思想や文化が、自然との付き合い方と結びつき、長い時間軸で継承されている。そこには、地震や津波、火山噴火といった荒々しい自然への畏れと、富士山から湧き出る水や豊かな海の恵みへの感謝が、同時に織り込まれている。

 秩父夜祭のような秋祭りは、水の恵みへの感謝の収穫祭でもある。祇園祭のような祭りがユネスコの世界無形文化遺産となり、その様式が日本各地の山車祭りにも広がっている。日本には伝統を維持しながら発展してきた歴史がある。

 日本人は、そうした自然への「畏れと感謝」を織り込みながら日本列島で暮らしてきた、多様な出自を持つ人々の集まりだ。「八百万の神」という感覚があり、クリスマスでキリスト教的な顔をし、除夜の鐘を聞き、元旦には神社に参拝し、バレンタインも楽しむ。あらゆる宗教や文化を自然に受け入れる。

 それを単純に「無宗教」と呼ぶのは正確ではなく、むしろ、多様な自然観や文化を包み込んできた“包容力”だと私は思う。人類が千年後も地球で生きているとすれば、最終的にはこのような感覚に行き着くだろう。今のイスラエルとハマスのような紛争を見ても、本来、人間の身体と同じように、どこか一つの源から分かれた細胞であり、「個性は違っても根っこは同じだ」というところに立ち戻らなければならないはずだ。

 日本海学もまた、その一つの流れの中に位置づけられるべきだと思う。

2024年11月30日、東京経済大学国際シンポジウム「グリーントランスフォーメーションにかける産業の未来」懇親会にて、左から順に中井徳太郎・前環境事務次官、楊偉民・中国第十三回全国政治協商会議経済委員会副主任、徐林・中米グリーンファンド会長、周牧之・東京経済大学教授(肩書は当時)

■ 富山の雪山から生まれた政策転換


周:中井さんが話してくれた「日本海学」「地域循環共生圏」「三千年の未来」という三つのキーワードは、実はどれも、普通の官僚からはなかなか出てこないコンセプトだ。しかも、この三つをきちんとつなげて構想している。その発想のパワーは一体どこから出てきたのかを考えてみたい。

 おそらく一つのルーツは、中井さんのご実家にあるのかもしれない。中井さんのお母様のご実家は、神社の宮司をされている。そこから来る感覚もあるのではないか。

 コロナ禍の前、毎年のように中井さんに呼ばれ、お母様の故郷の群馬県上野村で一泊し、川で水浴びをしたりして楽しく過ごした。今思えば、上野村は中井さんの「原体験」だった。そこから中井さんの今の発想が育ってきたのではないかと感じる。

 なぜこの話をするかというと、中国の環境政策の話とも関係しているからだ。中国は、環境政策を「生態文明」という文明論のレベルにまで引き上げた唯一の国だ。その原点は、中井さんとも関係ある。

 二十年前、中井さんのご案内で私と当時中国国家発展改革委員会の五カ年計画担当局長だった楊偉民さんと一緒に富山を訪れた。富山の山に登り、雪の上に黄砂が積もっているのを一緒に眺めた。中井さんは、私たちにその光景を「見せつけた」。

 その時のインパクトはとても大きかった。モンゴル高原から飛んできた黄砂が、日本海を越えて富山まで辿り着く。その光景は、「大陸と日本が、良い面でも悪い面でもつながっている」という事実を象徴していた。

 黄砂がなければ日本海の豊かな生態系は成り立たない部分もある。他方、黄砂や大気汚染物質が運ばれてくることは、悪い面でもある。その両面を含んだ「近さ」が、富山の雪山の上で一気に可視化された。その時の経験が、私も今日のような話を考える際の原点になっている。

 楊偉民さんもこの体験を原点にし、後に中国で生態文明政策の原型を作り上げた。

 里山の話の延長線だが、新型コロナパンデミックの中で、欧米諸国と比べ日本の致死率が随分低かった。これはどんな要因なのか?このファクターXについて、たくさんの議論があった。2020年に私は東京経済大学創立120周年記念シンポジウム「コロナ危機をバネに大転換」での中井さんとの議論で、下記の仮説を立てた。

   稲作的な里山は生物多様性をもたらし、ウイルスの病原菌の巨大な繁殖地にもなっている。そこで生活してきた我々の体の中に様々な免疫ができている。もちろん新型コロナウイルスの親戚の各種コロナウイルスからも沢山の免疫ができた。こうした免疫を「交差免疫」と言う。この交差免疫によって、稲作をするアジア諸国の致死率が低くなった。

   日本だけではなく、アジアでは、中国はもちろん、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ等もこの恩恵に預かった。西洋諸国と比べて、これらの国は決して医療のリソースが豊かというわけではない。しかし、揃って致死率が格段に低かった。私はこれが、稲作地域の里山の恩恵ではないかと思っている。

   こうした尺度からも里山を貴重な存在として捉えるべきだ。


プロフィール

中井 徳太郎(なかい とくたろう)/日本製鉄顧問、元環境事務次官

 1962年生まれ。大蔵省(当時)入省後、主計局主査などを経て、富山県庁へ出向中に日本海学の確立・普及に携わる。財務省広報室長、東京大学医科学研究所教授、金融庁監督局協同組織金融室長、財務省理財局計画官、財務省主計局主計官(農林水産省担当)、環境省総合環境政策局総務課長、環境省大臣官房会計課長、環境省大臣官房環境政策官兼秘書課長、環境省大臣官房審議官、環境省廃棄物・リサイクル対策部長、総合環境政策統括官、環境事務次官を経て、2022年より日本製鉄顧問。

【対談】中井徳太郎 VS 周牧之(Ⅰ):日本海学の歩みとスケールアップ

■ 編集ノート:東京経済大学の周牧之教授の教室では2025年10月9日、長年の親友であり元環境事務次官の中井徳太郎氏を迎え、日本海そしてシナ海を一つの生命体として捉える発想から、カーボンニュートラルやネイチャーポジティブ、日本的な自然観と祭りの知恵までをつなぎ、「三千年の未来」を見据えた文明論的ビジョンを伺った。ローカルな足元からグローバルなダイナミズムへと視野を広げるこの構想は、現代の生き方と将来像を問い直す大きなヒントになる。

2020年11月21日、東京経済大学創立120周年記念シンポジウム「コロナ危機をバネに大転換」にて講演を行う中井徳太郎・環境事務次官(肩書は当時)

周牧之:人類が「地球沸騰」の時代をどう生き抜き、どんな未来をつくるのか?「日本海学」「地域循環共生圏」「三千年の未来」という3つのキーワードを掲げ、日本の環境政策を牽引してきた中井徳太郎元環境事務次官にゲスト講義していただく。

■ 官僚としての歩みと環境政策の原点


中井徳太郎:私は1985年に大学を卒業して社会人になった。当時の勤務先は、今で言う財務省が、当時は大蔵省という名前だった。大蔵省に入省し、さまざまな経験をさせてもらった。

 1999年に富山県に出向し、富山県庁の部長として3年間お世話になった。その頃、大蔵省は金融と財政が分離され、金融庁と財務省の二つに分かれた。私もその後、富山県から財務省に戻ってすぐに周牧之先生とのお付き合いが始まった。

周:後に金融庁長官になった畑中龍太郎大蔵省文書課長に中井さんを紹介された時の、中井さんの様子を鮮明に覚えている。その後、中井さんに何度も富山県に連れていってもらった。

中井:この富山県での3年間が、20世紀から21世紀への橋渡しとなる重要な局面となった。ローカルな立場から物事を考えるポジションに立つことになり、その中で「日本海学」を、富山県発の地域総合学として県の政策に位置づけた。今日はそのお話をしたい。

 日本海学を立ち上げた後、私は再び財務省に戻り、農業関係予算の主計官を務め、その前に東京大学に出向し、いろいろな仕事をした。

 2011年の東日本大震災では、地震による原発事故が起こり、福島県で放射性廃棄物の問題が深刻化した。これを国としてどう処理するかで、廃棄物を所管する環境省が対応することになった。福島第一原発そのものは東京電力の問題だが、その周辺に大量に飛散した放射性物質については、除染という前代未聞の取り組みを国として行うことになった。今では、原発のすぐそばに国有地を取得し、中間貯蔵施設として運用している。

 こうして環境省が大混乱している時期に、私は環境省に課長として出向した。福島の問題に関わりながら、日本の持続可能な社会をどう描いていくのかという、いわゆる環境政策のビジョンづくりにも携わることになった。日本政府の中で持続可能な社会のビジョンを提示する役割を担うのが環境省であり、その仕事に深く関わることになった。そして11年間環境省に在籍し、3年前の7月に退官した。

2013年12月27日、中国で開催の「都市と環境国際シンポジウム」主催者として中井徳太郎・環境省大臣官房会計課長(左)と周牧之・東京経済大学教授(右)(肩書は当時)

■ 政策の根幹にある「循環」と「共生」


中井:振り返ってみると、これからお話しする日本海学の中に、「循環」と「共生」というキーワードがある。この発想をもとに、財務省に戻ってからも、環境省に移ってからも、同僚や後輩たちと議論しながら政策をつくってきた。

 結局、日本海学で構想したことが日本の環境政策、つまり持続可能な社会を描く政策の根幹にある、と今では思う。いろいろな場で話をする際にも、自分にとってのスタート地点は日本海学なのだとお話ししている。

 日本海学は、「地域から、循環と共生の視点で総合的にものを見る」という考え方だ。周先生とのお付き合いを通じて、日本の地域からものを見る視点──ある意味では強くローカルな視点──を持ちながら、一方で北東アジア全体、さらにはアジア全体のダイナミズムを、歴史や交流の蓄積も踏まえ、もっとダイナミックかつリアルに捉えるべきではないか、という問題意識もずっと持ってきた。

 そのことを、今後も周先生と一緒に考えていきたい。そのスタートアップとしての話が、今日のテーマでもある。

2013年12月26日、中国で開催の「中国都市総合発展指標専門家会議」にて議論を行う中井徳太郎・環境省大臣官房会計課長(肩書は当時)

■ 「逆さ地図」から読み取る日本海学の発想


中井:この日本海の地図の話から始めたい。1999年に私が富山県に行ったときには、すでにこの地図が存在していた。富山県が平成6年に作った「逆さ地図」で、日本海を中心に南北を逆転させた地図だ。

 この地図を見ると、朝鮮半島と九州、その右側に東シナ海や黄海が見える。当初の地図では、九州から沖縄、台湾にかけてのエリアがギリギリ入るか入らないか、という状態だった。実際には、もっと入っていないバージョンもあった。

 この南北逆転の地図を、日本海を中心に見てみると、まず「物事を逆さに見る」という視点自体が、私たちの頭を柔軟にしてくれる。「一体これは何なのか?」と素朴に考え直すきっかけを与えてくれる。思い込みを外す効果がある。

 1999年に富山県に赴任したとき、私の部下がこの地図を持ってきて、「部長、面白いものがあります」と見せてくれた。もともとは、北陸新幹線や日本海側の高速道路整備を国に訴えるために、土木部が作った地図だ。日本海側にも新幹線や高速道路が必要だ、というロビー活動の道具として作られた。

 しかし、私はこれを見たときに、単に道路や鉄道の整備を訴えるための資料にとどめるのはもったいないと感じた。20世紀から21世紀へと移り変わる時代の中で、この逆さ地図から発想を広げ、もっと大きなことを考えていこうと提案した。

 地域のことを考えるとき、この地図がイメージさせてくれるのは、日本海を中心に、富山県と富山湾はここに位置し、この日本海を囲む全体が一つの「和」の世界として連関している、という姿だ。そして国のことを考えるとき、ここに日本という国があり、北方領土問題を抱えるロシア、朝鮮半島(韓国・北朝鮮)、そして中国があり、国境線が複雑に絡み合っている。

 しかし、国境にとらわれず、もっと長い時間軸で日本列島の成り立ちを考えてみるとどうなるか。地球がいつ生まれ、大陸がどう形成され、プレートがどう動いてきたか。自然科学、特に地学や地理学の発展により、完璧ではないにせよ、大陸や日本列島の成り立ちはかなり分かってきている。

 それによると、この日本列島は、約2500万年前から1700万年前という途方もなく長い時間をかけて、大陸とくっついていたものがプレート運動によって引き離され、しかも曲がりながら今の形になっていったとされる。こうした成り立ちに想いを馳せると、「ここに生きる人間はどうやってこの地にたどり着いたのか」という問いが自然と湧いてくる。

周:壮大なロマンとリアリティーがこの逆さ地図から読み取れる。

逆さ地図

■ 人類の起源と日本列島への移動ルート


中井:人類そのものはどこで生まれたのか。これも自然科学、生物学、とくにDNA解析の発展によってかなり明らかになってきた。アウストラロピテクス、ネアンデルタール人など、さまざまな系統の「仲間」が枝分かれする中で、最終的にホモ・サピエンスが生き残った。そのホモ・サピエンスがアフリカのどこかで誕生し、そこから世界各地に広がっていった、という。

 つまり、私たちも、どこか遠い地で生まれた人類が長い時間をかけてここまで来た結果として、ここに存在している。ここで突然、人間が虫のように湧いて出てきたわけではない。

 では、その人類はどのようなルートでここに来たのか。日本海があり、その周辺に太平洋があり、海流や潮の流れがある。南方から丸木船に乗って海流に乗ってやってきた人々もいれば、気候変動に伴う氷期・間氷期の変動の中で、海面が上がったり下がったりするタイミングで、陸路に近いルートを辿ってきた人々もいる。

 例えば、縄文海進の時期には、現在よりも海面が約5メートル高かったことがわかっている。逆に氷期には海面が低くなり、対馬列島あたりはほとんど歩いて渡れるほどだった時期もあったと言われる。そうなると、朝鮮半島から北九州へ直接渡るルートもあったでだろうし、大きな黒潮に乗って南方から来るルートも考えられる。また、アフリカを出た人々の一部は中央アジア、シベリアを経由し、サハリンなど北から日本列島に入ってきた可能性もある。

 こうしたさまざまなルートや仮説をたどっていくと、「私たちは何者なのか」という問いに自然と行き着く。この問いを学ぶことが、日本海学の重要な視点の一つだ。

2018年7月19日、日本語版『中国都市総合発展指標』出版パーティにて挨拶を行う中井徳太郎・環境省総合環境政策統括官(左)と周牧之・東京経済大学教授(右)(肩書は当時)

■ 日本海学の定義と学際的アプローチ


中井:一方で、現代の課題に目を向けると、この地域には北朝鮮という閉鎖的な国があり、日本との交流はほとんどない。ロシアは今、ウクライナと戦争状態にある。中国とは仲良くできるポテンシャルはあるものの、その時々の政治状況によって摩擦が生じることも多い。こうした状況の中で、日本だけで生きていくことはできない。この地域でどのように共存していくのか、という課題がある。

 その答えを探る際にも、歴史や自然環境、地球規模の変化などを踏まえながら、解決策を見出していく必要がある。こうしたさまざまなことを、日本海学という枠組みに込めて、大風呂敷を広げながら議論していこう、ということで、私は富山県で企画書を作った。

 その企画書の中で、日本海学を次のように定義した。
「日本海学は、日本海とその周辺及び関連地域全体を、生命の源である海を共有する一つのまとまりとして捉え、海との関わりを軸に、その自然、文化、歴史、経済などを総合的に研究し、新たな領域を創生するとともに、地域間の交流を促進し、生命の輝きが増す未来を構想する取り組みである」

 これは、県庁の職員たちと議論を重ねながら作り上げたものだ。具体的には、自然科学の知見(すでに蓄積されている地学、気候、海洋などの知識)と、人文社会科学の知見(歴史、考古学、経済交流、文化など)を合わせて総合的に物事を見よう、という学際的な総合学として構想した。

 ちょうど2000年前後は、学際的な総合学という考え方が注目されていた時期でもあった。その流れも踏まえ、「根こそぎ勉強して未来を描こう」という意気込みで、日本海を中心に考える新しい学問を企画した。

 この企画書を持って、当時、東大にいらした比較文明学会会長の伊藤俊太郎先生(トインビーと親交の深かった歴史家)に相談に行った。伊藤先生は地図と企画書をご覧になって、「中井さん、これはとんでもなく、すごいことですよ」と非常に高く評価してくださった。そして「これでやりましょう!」と後押しをしてくださり、歴史学、自然科学など各分野の専門家を紹介していただいた。

 こうして、歴史の専門家、自然科学の専門家、経済の専門家など多様な人々が結集し、日本海学という新しい研究分野が立ち上がった。研究分野としては、大きく「自然環境」「交流」「文化」「危機と共生」という柱を立て、現代的なテーマとして整理した。

2020年11月21日、東京経済大学創立120周年記念シンポジウム「コロナ危機をバネに大転換」にてディスカッションを行う中井徳太郎・環境事務次官(左)と大西隆・日本学術会議元会長(右)(肩書は当時)

■ 日本海学から「シン日本海学」へ


中井:日本海学は、富山県の政策に活かすことを目的にスタートした。県庁内に担当課を置くと同時に、「日本海学推進機構」という別組織をつくり、そこに事務局を置いて毎年事業を行う仕組みにした。日本海学をテーマとしたシンポジウムを毎年開催し、さまざまな研究機関と連携して出版も行ってきた。

 私は富山を離れて久しいが、いまも立ち上げメンバーの一人としてアドバイザーを務めている。当初は、非常にユニークな地域学・総合学として注目され、角川書店から毎年1冊ずつ研究総集編を刊行し、8年連続でかなりしっかりした本を出した。東京や大阪で大きなシンポジウムを開き、毎日新聞などの全国紙にも大きく取り上げられた。

周:さまざまな分野の研究者を巻き込み、シンポジウムの形で議論し、角川書店『日本海学の新世紀』シリーズにまとめた。私もシンポジウムに参加し、その内容を同シリーズに載せていただいた。

中井:最近では、考古学や経済学、自然科学など各分野の先生が引き続き関わってくださっているものの、少し落ち着きが出てきており、日本海学の活動全体としてはやや小ぢんまりした印象もある。富山湾を中心とした「富山湾学」のような形に縮小している面もあり、本来のスケールに比べるとやや小さくなってしまったな、という感覚がある。

 活動が落ち着いてくると、どうしても各研究者は自分の専門分野に視野が狭まりがちになる。しかし、地球環境が大きな危機に直面し、本当に持続可能な未来を描かなければならない今こそ、自分たちの足元である日本を見つめ直し、地域から循環と共生の世界を構想する必要がある。

 その意味で、日本海学をもう一度バージョンアップさせたい。『シン・ゴジラ』や安宅和人さんの『シン・ニホン』になぞらえて言えば、「シン日本海学」のような新バージョンを立ち上げたいと、周先生と語り合ってきた。今日は、その想いも込めてお話をしている。

 富山県というのは非常に真面目な県で、一度始めたことは粘り強く続ける県民性がある。これは日本人全体にも共通する、とても良い特性だと思う。「大事だ」と思って始めたことを、愚直に継続していく。その継続性という意味では、日本という国は本当にすごい力を持っている。

周:中国の漢方薬を富山経済の基幹産業に仕上げた富山人の県民性は、まさしくそうだ。

中井:私自身は富山を離れた後、財務省に戻り、その後環境省で気候変動や災害多発という状況の中で、政策の最前線を担う立場になった。

2024年11月30日、東京経済大学国際シンポジウム「グリーントランスフォーメーションにかける産業の未来」懇親会にて、左から順に徐林・中米グリーンファンド会長、中井徳太郎・前環境事務次官、楊偉民・中国第十三回全国政治協商会議経済委員会副主任、周牧之・東京経済大学教授(肩書は当時)

■ 環シナ海・日本海交流圏という広域の視点


周:日本海学について、私なりの考えを少し補足すると逆さ地図で日本海を中心に見ることは、とても意味のある発想だ。更に、もう一つの別の地図で見ると、少し視点を変える必要も見えてくる。

 これは衛星データから人口分布を解析した地図で、雲河都市研究院のスタッフが時間をかけて作った。この地図を見ると分かるように、日本海沿岸には人口があまり集まっていない。一方で、ユーラシア大陸の人口が最も集中しているのは、二つのエリアだ。一つはヒマラヤ山脈の麓のインド「亜大陸」だ。もう一つは東シナ海・南シナ海を含む「シナ海」沿岸とその内陸部だ。

環シナ海・日本海交流圏の人口分布図

周:日本海は荒れやすく、人間にとって利用しにくい海でもある。大陸との交流のルートは、九州から日本海側にも伸びていったが、人口の多い太平洋側に回る方がより多かった。なぜなら、太平洋側の海がより穏やかで、海運にとって利用し易い。四国や本州の太平洋側に、交流の拠点が自然と形成されていった。

 例えば、鑑真は中国の揚州を出発し、東シナ海を渡って天平勝宝5年(753年)に薩摩半島(鹿児島)に上陸、難波津(大阪)を経て平城京(奈良)に至った。これはまさしく太平洋側ルートだ。

 広島県福山市にある鞆の浦 に行ったことがある。宮崎駿監督『崖の上のポニョ』の原風景とされている場だ。瀬戸内海のほぼ中央に位置する「潮待ちの港」として、2000年以上にわたる非常に長い歴史を持っている。このような交流の拠点が太平洋側ルートを形成していた。

 その結果、江戸や大阪といった大きな町が太平洋側に並ぶ形になっていた。今日、東京、名古屋、大阪といった大都市の形成について、戦後アメリカとの関係だけで説明する人が多いが、実際は大陸との交流がその下地を作っていた。

 日本海は非常に重要だが、「日本と大陸の交流のメインルート」ではなかった。その意味では、「日本海」だけでなく、「環シナ海・日本海」という、より広いスケールで考える必要があると私は思う。その方が、より大きくて面白い話が展開できる。

2019年1月26日、国際シンポジウム『「交流経済」×「地域循環共生圏」—都市発展のニューパラダイム』懇親会にて閉会挨拶に立った周牧之・東京経済大学教授、楊偉民・中国共産党中央財経領導小組弁公室元副主任、中井徳太郎・環境省総合環境政策統括官(右から順に)(肩書は当時)

■ 東アジアとASEANを含めた地域連携の重要性


周:私は経済学者なのでやはり数字を見せたい。環シナ海・日本海の交流圏に含まれる国を挙げると、東アジア地域には中国、日本、韓国、北朝鮮、ロシアが含まれる。ロシアの人口は殆どヨーロッパエリアにあり、北東エリアの人口は極端に少ない。

 東アジアとASEANを合わせ、「環シナ海・日本海交流圏」と定義してみると、この地域には約23.5億人が暮らしている。世界人口の約28.7%、3割弱だ。貿易の面では、この地域の輸出額を合計すると年間約8兆ドルになり、これは世界の輸出額の33%、ちょうど3分の1を占めている。輸入も世界シェア約28%、こちらも3分の1弱だ。つまり、人口も貿易も「世界のほぼ3分の1」が、この地域に凝縮されている。

 日本にとっては、この地域とのつながりがどのくらい重要かというと、日本の輸出の45.9%でほぼ半分。輸入もほぼ半分がこの地域との取引になる。さらにインバウンドを見ても、約8割がこの地域から来ている。このスケールで物事を考えることが日本にとっては重要だ。その意味でも、「環シナ海・日本海」という枠組みで議論したら面白い。

中井:おっしゃる通りだ。日本海沿岸に人が少ないことは、もともとよく分かっていた。周先生がおっしゃるように、最初に富山の地図を見たときも、「台湾が入っていないじゃないか」と指摘し、地図の範囲をぐっと広げてもらった経緯がある。

 日本海学という名前で始めたが、実際には「環日本海」「環シナ海」「ASEAN」まで視野を広げて考える必要がある、というのは私も同じ考えだ。

(※【対談】中井徳太郎 VS 周牧之(Ⅱ)はこちらから)

2015年12月19日、東京経済大学「環境とエネルギーの未来 国際シンポジウム」にてディスカッションを行う周牧之・東京経済大学教授、中井徳太郎・環境省大臣官房審議官、安藤晴彦・経済産業省戦略輸出交渉官、和田篤也・環境省廃棄物対策課長(左から順に)(肩書は当時)

プロフィール

中井 徳太郎(なかい とくたろう)/日本製鉄顧問、元環境事務次官

 1962年生まれ。大蔵省(当時)入省後、主計局主査などを経て、富山県庁へ出向中に日本海学の確立・普及に携わる。財務省広報室長、東京大学医科学研究所教授、金融庁監督局協同組織金融室長、財務省理財局計画官、財務省主計局主計官(農林水産省担当)、環境省総合環境政策局総務課長、環境省大臣官房会計課長、環境省大臣官房環境政策官兼秘書課長、環境省大臣官房審議官、環境省廃棄物・リサイクル対策部長、総合環境政策統括官、環境事務次官を経て、2022年より日本製鉄顧問。

【対談】鈴木正俊 VS 周牧之(Ⅲ): 情報化時代の波にどう乗るか?

東京経済大学創立120周年記念シンポジウム「コロナ危機をバネに大転換」 で講演を行う鈴木正俊・ミライト・ホールディングス元社長

編集ノート:
 NTTドコモ副社長、ミライトホールディングス社長を歴任された鈴木正俊氏は、日本のインターネットの黎明期を支え、IT時代の発展を一貫して引っ張ってこられた経営者の一人だ。東京経済大学の周牧之教授の教室では2025年6月5日、鈴木氏を迎え、情報技術の急速な進化にどう対処するかについて伺った。

※前回の記事はこちらから


情報の歴史は傍受の歴史


鈴木:情報の歴史とは、傍受の歴史だ。傍受とは、盗聴だ。盗聴の歴史で1つだけ、申し上げておきたいことがある。昔のケーブルでの通信ではイギリスと、ヨーロッパのノーザンテレコムが回線を支配していたが、途中で情報が抜かれてしまった。

 電信は江戸時代までは、のろし、飛脚、伝書鳩、手旗信号、鉄道などでやっていたのが、電気でやると、瞬間に情報が伝わるようなった。天候も関係なく、昼でも夜でも関係なく、情報が通じるようになったのが、明治時代。アメリカなどとの国で結ばれた不平等を解消する予備交渉という大義名分を持って、岩倉使節団が明治4年にヨーロッパを視察した。これからの日本を作るためにはどうしたらいいか勉強に行った。

 その時に、横浜からサンフランシスコにたどり着いた視察団が、「ちゃんと無事にサンフランシスコにつきました」という通信を東京に向けて打った。

 当時どういうルートで東京まで届いたかというと、サンフランシスコから、ニューヨークまで大陸の中の通信を使って、電信を使ってニューヨークに行き、ニューヨークからロンドンまで海底線ケーブルに伝わり、ロンドンからまた海底線ケーブルで、ロシアのサンクトペテルブルにつながり、シベリア大陸をずっと横断してウラジオストックに通信が来て、ウラジオストックから海底線で長崎まで来ているという歴史がある。

 当時、長崎から東京までの間を連絡するのは飛脚だった。だから、サンフランシスコから長崎まで、ほぼ一日で通信が来たが、それを東京に送るのに飛脚でやって、計14日かかっている。日本にはそういう通信がなかった。世界の中で日本は閉じていた。海底線自身も海外の会社を引いているため、通信が東京に行かず長崎に行ってしまった。

周:電信の国際通信と飛脚の国内通信との組み合わせだ。

鈴木:歴史を見ると、通信を持っている人間は、必ず途中で情報を見る。岩倉具視がワシントンに行った時に、条約の交渉をしてもいいが、まずは日本国政府から全権の資格をもらえとアメリカ大統領から言われた。交渉できるのであればもらうと言い、岩倉は全権を取ろうとした。ところが、東京は禁止だと言った。アメリカ大統領は全権をもらえと催促してくる。この時点で岩倉は、通信をアメリカに見られていることに気づいたことが、記録に残っている。東京からの返事がいつもノーだという通信が来ていることをアメリカに知られているから、大統領が催促してくるのだと気づいた。催促をするタイミングが良すぎた。

 通信は必ず盗聴されているのだということを前提にやらないとダメだと岩倉は気づいた。太平洋戦争も同様だが、全部盗聴されていく歴史があり、それを互いに防御し合ってきた。

オープンなだけでは戦えない


鈴木:通信は便利だからいい、公明正大にやればそれで済むとは言うが、本当に今、力のある人、アメリカのトップ、中国トップ、ロシアのトップ、大国のトップは、みんな自分で考え、自分でやり、他人を信用しきってやる感じではない。中国は子供のころにお年寄りから「だまされるなよ。だまされてはいけないよ」としっかり教育される。韓国・朝鮮は「負けるなよ、負けてはいけないよ」と教育される。日本人は「とにかくうそをつくな、他人に迷惑をかけるな」と教育されて育つ。日本はうそをつかず、絶えずオープンの場でものを言うよう教わってきた。しかしそれでは今日の国際競争では勝てないというのは半分冗談話ではある。が、日本は社会に頼ってやっている部分が大きいので、ある面、身内にはオープンだ。でも、それだけでは世界で戦えない。会社をシステムだけで運営するというのではいけない。

周:政府やマスコミの話を信じる日本の国民性はこのようにして出来上がったのかもしれない。しかし政府やマスコミは常に正しいとは限らない。政府やマスコミが誤った事を煽る時、日本の国民性はネガティヴに働く。

鈴木:東京経済大学を創始した大倉喜八郎が非常に苦労し、明治時代に自分で稼いだ財力でいろいろな産業をやり、学校を創ったのがこの東京経済大学の前身の商業高校、専門学校だ。財産を成しただけでなく、お金を使い学校を創ったこのモデルは海外のシステムと同様だ。アメリカの会社も稼ぐが、社会とmentionする。

周:財閥で教育機関を設立し、大学に発展させたのは大倉喜八郎だけではないが日本では極めて珍しい。

鈴木:中国も外で行って稼いだ華僑が故郷に投資し、これから生きていく人の役に立っていく。大倉喜八郎がやったような日本のシステムは、非常に海外との親和性がある。戦後日本で、日本国憲法ができてから、いい意味でも悪い意味でも、平等化社会を目指そうとした。

 でも、現実には社会にはある程度の格差がどうしても出来ていき、そのことによって社会が進展するという事実がある。明治時代の財閥の役員の給与は、どう決まっていたか、ある方に訊くと、昔は、利益の半分は役員、半分は従業員に分けた。半分の役員は数が少ないから給与が高い。明治時代の従業員は数が多いから、1人当たりの給与は少なかった。その代わり役員は自分が使う車の運転手もすべて自分個人で調達したと言う。   

 戦前の財閥世界がいいと言っているわけではないが、今は、日本のサラリーマンは接待費を会社で出さなければならない。接待費の基準や役員の待遇など頭を悩ませられ非常に限られた基準になっている。

 情報というのは、自分の活動のために取ることが多いので、日本の情報は、すべてアメリカが見ている。「スノーデン」の告白を見てもわかるように、インターネットでも全部覗かれている。これが日米交渉のプロセスであったということは、はっきりしている。力の世界だから、仕方がないという感じはするが、情報に対する感性はしっかり持ちながらグローバルな世界の中で生きていかなければならない。若い人はいろいろな情報を取りながら勉強したらいいと思う。

周:情報を収集し判断する力は、今の時代に最も必要な能力だ。実はインターネットで公開されている情報の海から十分価値のある情報をキャッチし、それに基づいてかなりの判断が出来る。

鈴木:通信が広がったことによって、AIで自動翻訳ができ、今はニューヨークタイムズは瞬間に日本語に翻訳できる。フェイクメールも区別がつかない。東京電力や銀行からを語ったフェイクメールかどうか区別のつかないようなものが、東京の中でありふれて流れる。それに対する対策もやっていく必要がある。

 言語でだけ認識すると、現実の世界とは違っている。言葉で理解するアメリカと現実のアメリカは違う。アメリカ人はすごく付き合いやすい。フランクな人が多い。それが歴史の過程で社会が違ってきている。今トランプがアメリカは海外に利用され被害者になっているから国を閉じると言っている。しかし現実的に閉じることはできない。サプライチェーンが回っている。

 自国で自給をしていて明るい国もある。食料自給率100%、エネルギー100%のフランスがそうだ。日本のような食料自給率40%、エネルギー自給率3%の国は、海外との交流を断ち切られたら、もうお手上げ状態になる。日本には納豆があるじゃないかなどというが、大豆は90%以上が輸入だ。そういう中で生活が成り立っていることを理解することが、いろいろな面で大事だ。学校にいる時に、情報を集約すれば、実体験はなくても、社会にいろいろなことがあることを、ぜひ知識として持ち関心を持っていただきたい。

東京経済大学・進一層館と創設者・大倉喜八郎像

信用に足る実践こそ肝要


周:鈴木さんは2012年北京で私が主催したシンポジウムに来てくださった。シンポジウム終了後、レセプションに参加せずに「私はこれからヨーロッパに戻ります」とおっしゃったので驚いた。実はその日、鈴木さんはわざわざ出張先のヨーロッパから北京に飛んできてシンポジウムに参加してくださり、また急いでヨーロッパにお戻りになった。鈴木さんは「信用も資本」とおっしゃった。それを鈴木さんは本当に実践されている。

鈴木:信用は大切だ。半導体の会社の社外取締役をいまやっているが、半導体の世界は、軍事技術もあれば、AIの世界的な競争も激しい。半導体の会社のロジックにはさまざまな種類があるが、アメリカでもCEOをやっている人にはインド系、パキスタン系、イラン系、台湾系のアメリカ人が多く、アングロサクソンの人はあまり見ない。競争が激しいので、頭はいいが社会的には恵まれずエリートコースには乗らない人が半導体の世界を引っ張っていることも多い。

 私が役員を務めていた日本の企業のCEOのところに、海外の相手先CEOが来た時、大抵、昼飯か夕飯を一緒にする。いつも飯を食いながら雑談している。世の中がいまどうなっていて、アメリカとの関係をどう考えていて、中国はどうなっていて、日本の中でどう見ているか等、半導体とは関係のない話をしょっちゅうする。

 CEOがそうやって来るようになるのが1つの大事なところだ。CEOが来るとスピードが速くなる。「この半導体の工場を作れるか」と問われ「問題はあるが、やってみる」と返事をすると、ほぼ話は決まる。その中で、やはりこいつは信用できるなと思うようになる。仕事をよく知っているやつだから任せられる。その代わり、信用で契約をして進めても結果として期限までに完成品が作れないことがある。作れなかったら、もう次はない。信用できない。

 だから、信用というのは事実によって裏付けられないといけない。「知り合いだから受注しているのだ」と外から僻む(ひがむ)人間がいるが、そんな生易しいものではない。互いに依存し合って生きているから、自分が立派な技術を実現していかなければ、もう次のステージでは、仲間に入れてもらえない。厳しい世界だ。

 スタート地点で、従来の技術を説明しているだけでは、最先端のことはできない。今はない新しいモノを作り出す必要がある。「おまえを信用して契約する」という世界だ。半導体のような最先端のところから、そうした事実が現れていると実感している。信用されるということは厳しいことで、実際の力がないと、必ず次はダブル返しで持っていかれてしまう。

周:空間的なバリューチェーンを実際につなげているのが信用だ。

鈴木:勘違いする人がいる。友達の友達は友達だとか、どこの高校出身、大学の出身だからあいつはいいやつだよとか、「俺はあの社長を知っているから頼めばなんとかなる」等は、個人や集団によって違いがあるが、そういうものを手段として使う人が現れるが、そんな甘いものではない。1回か2回成功することがあるが、重なると最後まで続かない。そういう人は各国にいるが、日本は特にそういう人が他国と比べて多い。公と私が分かれていない。仕事とプライベートが正直あまり分かれていない。

周:日本人は出身大学、所属企業のブランドを自分の信用力に安易に置き換えていく傾向が確かに強い。本当の信用は自分で勝ち取るものだと解っていない人たちが多い。それは世界では通用しない。25年前、産業政策の大御所の清成忠男法政大学総長と私は、シリコンバレーにおける日本人と中国人のパフォーマンスの違いに関する議論をした。日本人が組織にしがみつくことを清成先生が随分嘆いていらした。

2012年3月24日、北京で開催の国際シンポジウム「中国の生活革命と日本の魅力の再発見」にて交流する鈴木氏と周教授

ビジネスは技術だけでは進まない


周:東京経済大学の昨2024年11月30日開催のシンポジウムに岩本敏男NTTデータ元社長がいらした(【シンポジウム】岩本敏男:ビッグイノベーションIOWN計画でGXをリード)。NTTグループは、いま取り組むIOWNがうまくいけば、再度、世界企業時価総額トップ10入りにもどってくるかも知れないと思っている。そうなるにはどうしたらいいか? ひと昔前、日本の次のドル箱になるべき半導体、太陽光パネル、液晶などが韓国、台湾、中国などによる圧倒的な投資競争に負けた。本来、資本力は日本の方があったはずだ。しかし資本集約産業で何故か日本は負けた。何か問題があるはずだ。今のIOWNに匹敵するような技術の開発には中国も取り組んでいる。国際競争の中どうしたら勝てるのか?液晶の二の舞にならないような、打つ手があるのか?

鈴木:反省も含めてだが典型的な例がある。1970年に大阪万博で展示し10数年かけて第2世代2G、第3世代3G、第4世代4G、今5Gと10年単位で進めた。私がドコモの副社長をしていた時は3Gだった。当時ヨーロッパに行くと通信事業者の集まりの中で「お前たちは何故3Gという進んだ技術をやるのか?」と文句を言われた。「通信モバイルで電話機が小さくなり持ち運べるようになり今、広まっているではないか。3Gだと基地局の方式を新しく転換しなければいけない。投資が必要になる。放っておけば携帯電話は沢山売れる。通信の投資だけでリターンは大きい」と返した。にも関わらず、「お前らは勝手に最先端技術で便利にし、音声以外に文字もファイルで転送できるようになって便利だというが大きな迷惑だ。お前らはビジネスが分かってない」と相当言われた。

 彼らが何を言っているかというと、「ビジネスというのは技術ではない、技術ではあるけれども、技術ではない」ということだ。需要があって投資をしてもリターンがあるということで、営業力、事業の構想力が大事だ。事業をやるために必要なことは何かというと、ものを作る人、運ぶ人、売る人も必要だ。徳川家康が言ったのは、輿に乗る人、担ぐ人、わらじを作る人など、いろいろな役割を持った人が集合しないと物事は動かないということだ。技術開発があり、それをメーカーの人が理解して作る。それを早く運送できる、販売網がどんどんさばいていく、故障したら問い合わせできるネットワークを作る。それをグローバルでどう作るかの知恵がないといけない。それは、技術力という最初のところを擁護しすぎた。技術が進んでいれば、おのずとついてくるといった思想が若干、日本にはあった。

 家電の世界で、ソニーのウォークマンをやったら凄く売れるようになり、事業力があると言われたが、ソニーの人に言わせると「ソニーなんて技術力がないんだ」と。その代わりに、トータルに事業をデザインすることが上手だ。味方を作り販売店を増やせる。  

 ビジネスの成り立ちは、技術はもちろん大事で、技術がだめだと裏切られたときに全然相手にされない。しかし、技術は必要条件だが十分条件ではない。十分な条件とは、いろいろなビジネスプロセスがあるということだ。

 サプライチェーンもできると同時に、儲けをどこで得るか、販売だけが儲けるのではなく、サプライチェーンの途中で儲けることでいいわけだ。正直言うと、利益は必ずしも売った時だけのものが利益ではなく、事業者間の取引の間に、サプライチェーンが儲けることがある。

周:おっしゃるとおりに、技術力に酔ってしまう場合は、すごく良くない。

鈴木:そうだ。

周:実際はマーケティングが要になる。あとは投資の決定権がどこにあるのか、ということも大事だ。私の親友の1人が、10数年前、中国のTVメーカー最大手TCLの社長をやっていた。この人は液晶をシャープと一緒に組んでやりたいと思った。お金は全部TCLが出し、中国で工場を作って世界を制覇しようとした。一生懸命にシャープを説得したが結局振られた。

 当時シャープは自社の技術力に酔っていたのだと思う。「俺たちの技術は世界一だ」と。しかし、相手は巨大なマーケットを持っていた。その後、あまり時間が経たないうちにシャープの経営は行き詰まり台湾の鴻海精密工業に身売りされた。ちなみにTCLはいま世界の液晶生産のトップメーカーの一つに大成長した。

経営者にはIT技術進歩のリズム感が重要


鈴木:周先生の話は本質をついている。そこに最近は規模というのが出てきた。GAFAM5社は東京証券取引所に出ている約2,000社の時価総額に匹敵する。投資能力が違えば、世界的な規模で投資して回収すると、単価規模が10万、100万、1,000万、億の単位になり1個当たりの単価が全然違ってくる。日本が栄えたのは1億2,000万人口という小さくないマーケットで成功したモデルを持っていたからだ。今それをグローバルマーケットに持っていったらまずい。大規模な百万、千万台を相手にすると、いきなり単価の競争力の違いが生じ、規模の経済力で負けてしまう。そうすると、大きい投資をやって失敗したら自分は当然首を切られ、金も貸してもらえない、会社は倒産する。倒産だけは済まなくなる。日本自体の投資規模が、アメリカの会社などと比べると、殆ど小さくなってきた。世界のGDPの15%だったのが今5%ぐらいになってしまった。世界にとっての日本は小さくなって大きな投資はもちろんできなくなる。自分の体力でできるGAFAMはどんどん広げていき、技術的に優秀で、単価の安いものを作る。                   

 それから、人材が今アメリカに集まっていることも日本とは大きな違いだ。日本は技術力、質で勝るものを探し求めているが、なかなか難しい。本当におっしゃるとおり、競争の質が違ってしまっている。

周:日本の半導体産業や液晶産業が失敗した最大の原因は、投資の決断力が韓国、台湾、中国に負けたことだと思う。例えば、韓国の場合は、自国のマーケットを日本ほど持っていないが積極的な投資を続けた。半導体需要の波(シリコンサイクル)を乗り越え勝ち抜いた。日本の各社は投資に慎重し過ぎ、萎縮した。

鈴木:台湾でも、アメリカのテキサスインストルメントに人材を送り、技術担当の副社長になったのを、今度は台湾に戻した。台湾の中で育成されたのではなくアメリカのビジネスをやり副社長になった人を台湾に引っ張り、産業発展を支えてもらう。アメリカのトランプが「台湾に技術を盗まれた」と言っているが、技術を盗んだのではなく、台湾の人が台湾に戻っただけだ。

周:鈴木さんが指しているのはTSMC(台湾積体電路製造)創業者の張忠謀だ。ただ彼は台湾がアメリカに送り出した人材ではない。中国江蘇省寧波で生まれ、自ら渡米しMITの機械工学学士号と修士号、スタンフォード大学の電気工学博士号を取得し、テキサス・インスツルメンツに入社し、副社長に上り詰めた。まさしく自力でアメリカ半導体の世界でトップになった人だ。台湾は張忠謀氏をヘッドハンティングし、TSMCを作らせた。

 トランプの「盗まれた」という言い方、捉え方が良くない。華人がアメリカの半導体発展に多大な貢献をしている。今、アメリカ半導体トップ4社NIVIDIA、Broadcom、AMD、IntelのCEOはすべてチャイニーズ(華人)だ。

 私自身は元々工学系出身なのでどうしても工学系の人の肩を持ちたくなる。日本企業はテックカンパニーであっても経営トップに工学系ではない人も多い。台湾では企業がお金を出し合って協会を結成し、MIT(マサチューセッツ工科大学)に高額な寄付をして最新の技術動向を台湾の人に伝授してもらうことをやっていた。2008年に当時MIT客員教授だった私に声がかかり、同協会の要請でMITを代表して台湾に講演に行った。講演会には台湾のテック企業大手のオーナーがわんさと来た。全員工学系だった。面白かったのは、息子と娘婿は連れて来てもサラリーマン経営者は連れてこなかった。最高で最新の情報は、息子と娘婿だけに聞かせることを徹底させていた(笑)。

鈴木:技術が何か、ということが再び問い直されている。日本では技術というと、製造業をすぐ連想する。ものづくりのところに技術がある。だから、日本は非常に微細加工というが、国際的に限って今の先端技術の、例えば、3ナノとか2ナノと言ってやっているような事だけが技術ではない。Softwareが大事だ。Softwareで半導体の力をいかに活かせるかがポイントになっている。

 匠の技術だけではなくSoftwareの発想力があるかどうかで、物事が動いている。Softwareの技術とは、技術の範囲をもっと広げて考えなければならない。技術の裾野が変わってきている。システムそのものの組み方も技術になっている。

周:おっしゃる通りだ。日本での技術の捉え方を、IT時代の捉え方に置き換えておかないと、うまくいかない。会社の経営陣に技術者をもっと抜擢した方がいいと私は思っている。IT技術進歩のリズム感は文系出身の人にはなかなか理解できないところがあると思う。例えば半導体の進化には「ムーアの法則」がある。「ムーアの法則」では、半導体が1年半ごとに倍の能力をつけ値段は半分になるという。ハイテク技術出身者の皆さんには常にこのスピード感に追われている感覚がある。これは財務、法務出身の皆さんにはなかなか伝わらない感覚だ。

 半導体、通信、AIなどのIT技術が急速に進むことを前提に物事を考えられる。それが、経営者には物凄く大事だと思う。

【激論】武田信二・鈴木正俊・周牧之:コロナ危機で加速する産業のデジタル化(※画像をクリックすると動画ページに移動します)

課題をイメージし解決の組み立てを


鈴木:大変重要だ。私たち現場サイドで考えると、例えば、自動運転の車は今、サンフランシスコで試験を受けて一時止まっていたのが動き出し、先月からロスアンジェルスで自動運転のタクシーが始まることなった。来年はロサンジェルスだけでなくフロリダでこのサービスが進むことになる。

 3〜4年前ぐらいは、自動運転は実現しないという議論がまだあった。バッテリーだから冬になると、ニューヨークから北の寒い地方はバッテリーを使ったらすぐに寿命が来てしまう。だからニューヨークから北のユーザーには売れない車だと言われた。と同時に、ドローンと同様で爆弾を積んで自動運転で走らせれば、走るテロ兵器になる。そんなものを解禁したら、大変なことになると言う。

 例えば自動運転の車に爆弾をセットし、ビルの1階に突っ込ませるとする。遵法で信号があったら待ち、高速道路へ入ったら一定速度で走ると捕まえようがないが、実は載せているのが爆弾で、最後は突っ込むということになる。そんなものはとてもやれない、自動運転はどうしても利用者側のニーズ、国のニーズから言っても限界がある、したがって、技術が進んでも社会的に受け入れないという議論だった。

 そんな極端なことを考えることはなく、日本であればお年寄りを乗せれば、病院に自動的に行ってくれるから、凄く良いサービスだといってプラスの面だけ考える。アメリカはプラスの面からアプローチする力が強い。技術的な進展上の問題という社会の受け止め方の解決を、同時に自分でどんどんやっていける。

 そういうことがイメージできるかどうかだ。社会に入ると、課題をイメージし、1つずつ解決法を組み立てていけることが非常に大切になる。

周:大変に大事な話をしていただいた。やらない理由を言う人たちが、日本では実は非常に多い。技術開発でも、マーケットの開発でも新しい取り組みをするのでも、やらない理由を強烈に並べる人が沢山いる。

 実際、技術者のリズム感は違う。特にエンジニアは問題解決的思考だ。つい最近まではバッテリーは冬に弱いと言われていたが、いまはそんなことはなくなった。

 ロボタクシーをすでに運営している会社は米中に複数ある。テスラの自動運転ソフトのFSDが物凄いスピードで進んでいる。

自動運転で走行するテスラ車

ネットワーク力が物を言う


鈴木:優秀だということと、仕事ができて仕事をやっている事は、また別の次元という気がする。

周:例えば日本の官僚は優秀だがビジネス経験者からのし上がる人がいない。でかいプロジェクトを実際にやったこともない。だからちょっと違った優秀さだ。

鈴木:それもそうだし、どういう政治家と出会うかといった縁も大事だ。本人が優れているのは基本的なことだが、いい人に巡り合っていくことが大事だ。そういう外的な要因が大きい。かといって、外的な要因で損したとだけ言っている人は多分、本人の力不足がある。私は出会いが大事だったと感じる。

周:鈴木さんのいまの言葉は大事だ。ここで鈴木さんの話が聞ける学生の皆さんは幸せだ。鈴木さんに出会い、そのお話を聞けるということが幸せだ。

鈴木:私は周先生との出会いで学んだことが多い。

周:私が大学生の時に出会った素晴らしい方の一人に、中国の経済学の大御所、于光遠先生がいる。当時の中国の国師のような存在だ。この方との出会いは私の人生を変えた。私が工学から経済学に進んだのは于先生の勧めだった。

 だから学生の皆さんはアンテナを張って鈴木さんの話、さまざまな人の話を聞き、そこから触発されることだ。

中国の著名な経済学者、于光遠・中国社会科学院元副院長(左)と周教授(右)

鈴木:人生でいろいろ出会った他の世界の人に言われたことが、当時はわからなくても、自分がそのことに直面したときに「ああこれを言っていたのか」と分かる時がある。多少記憶に残ったことがあるベースを持っていると腑に落ちる。自分でわかるまでは仕方がない。日本の教育が立派だと思ったことがある。昔アフリカのことが分からないまま、チュニジアに行ったことがあった。当時は、「そういえばイブン・バートゥータと言う人がここにいたと習ったな」くらいに思っていた。

 それで、現地で秘密警察の人が来てなんだか引っ張られそうになった時に、「この銅像はイブン・バートゥータなのか」と言ったら、周りの人が親切にしてくれた。私はイブン・バートゥータという名前しか知らなかったが、その名を口走ったらいきなり世界が変わってきた(笑)。こんなところで役に立つんだなと思った。

 くだらない話だが、ちょっとした引き金があるかどうかは大事だ。日本の教育は大して深くはない。浅く広くダーッと広げていくのを、試験をやるので覚えている。当時は正直、大して思いがあったわけではないが、それが役に立った。

 でもいっぺんには分からない。やはり自分があちらこちらに分け入って、砂漠の真ん中に行ってようやく分かったというようなことだ。後々付いてくる。そういう意味では本を読むのも、読んだ当時はそう思わなくても、経験に出会うことによって或いはある人に出会うことによって、腹に落ちるようにわかる。それはものすごく大きい。ああそうだったのかと気づく。今役に立つかということではない。

周:静かに人生を変えてくれる。

鈴木:良い言葉だ。

周:鈴木さんのような方と出会えるのは周ゼミのいいところだ(笑)。

鈴木:みなさん、周ゼミで小手川大助さんのような人が登場するというのはめったにないことだ(笑)。

周:平成で最も仕事した官僚のひとりだ。先々週5月22日にも周ゼミにゲスト講義にいらした(【対談】小手川大助 VS 周牧之(Ⅲ):トランプ政権でアメリカ復興成るか?)。

鈴木:小手川さんの話を聞くのは面白い。日本人も実際はしっかりやってきているんだと痛感する。そうした人は沢山おられる。私の尊敬する人で経産省を退官された方がいる。彼はヨーロッパで例えば翌日に国際決議をするに当たり本当に困った時は、夕飯に各国の外交官、審議官らを呼び、飯を食わせるという。そうすると、次の日うまくいく。その夕飯にはよくジューリッシュ(ユダヤ人)を呼ぶそうだ。国が違ってもユダヤ人ネットワークがある。そこにつながるのだと言っておられた。そういう付き合いが出来る役人が日本にいる。そうした人的交流を、どう日本のためにやっていくかが大切だ。

周:国際的な仕事はまさしくそうしたネットワーク力が物を言う。

講義を行う鈴木正俊・ミライト・ホールディングス元社長(右)と周牧之・東京経済大学教授(左)

プロフィール

鈴木 正俊 (すずき まさとし)
NTTドコモ元代表取締役副社長、ミライト・ホールディングス元代表取締役社長

 1951年静岡県生まれ。1975年東北大学経済学部卒業、日本電信電話公社入社。NTTドコモ取締役広報部長、同取締役常務執行役員、同代表取締役副社長。ミライト・ホールディングス代表取締役社長、ミライト代表取締役社長、ミライト・ホールディングス取締役相談役などを歴任。

【対談】鈴木正俊 VS 周牧之(Ⅱ): IT革命の本質はテックパワーの民主化

講義を行う鈴木正俊 ミライト・ホールディングス元社長

編集ノート:
 NTTドコモ副社長、ミライトホールディングス社長を歴任された鈴木正俊氏は、日本のインターネットの黎明期を支え、IT時代の発展を一貫して引っ張ってこられた経営者の一人だ。東京経済大学の周牧之教授の教室では2025年6月5日、鈴木氏を迎え、IT革命の本質と行方について伺った。

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IT革命が個人の能力を無限大に


周牧之:鈴木さんには前回、デジタル時代、インターネット時代の本質のお話をしていただいた(【講義】鈴木正俊: 激動する時代を生き抜くための要件とは)。この時代の本質は「テックパワーの民主化」だと私は思う。私が通信のパワーを、自分の人生の中で初めて感じたのは1985年、中国の経産省とも言える機械工業部(省)に配属された時だった。自分の机の上に、世界のどこへでもかけられる国際電話があった。当時は、中国ではまだ地域間の通話料金が高く、長距離電話がなかなかかけられなかった。個人が当時、海外へ自由に電話できるような状況にはなかった。机の上から国際電話がかけられるのは凄いパワーだと実感した。

 いまは皆SNSどこへでも通信できる。これは一種の通信パワーの民主化だ。コンピューティングパワーからすると、鈴木さんがおっしゃっていたように今のスマホは、20年前の大型コンピュータの数台分のコンピューティングパワーを持っている。誰でも物凄いテックパワーを持てるようになった。これはテックパワーの民主化だ。

 大学での私の専門はオートメーションだったので、この40年間、IT革命とは何かとずっと考えて研究していた。私はIT革命の本質は、「個人の能力を無限大にすること」と考えている。コンピューティング力、通信力、発信力…。SNSで個人でも数百万のフォロワーを集めることができる。つい最近まで考えられなかったことだ。これは素晴らしい話だ。

 しかし、個人のテックパワーは無限大になったが、格差はむしろ広がっている。大型コンピュータ数台分のパワーを持つ携帯電話を所有するだけで、みんながスーパーマン並みの潜在力を持つこととなった。しかし、このスーパーパワーを十分に使いこなせるかが問題だ。学歴や才覚そして努力を結合させ、テックパワーを活かし、富を作れる人が沢山出てくる。もちろん、こうしたテックパワーを破壊的に使う人もいるだろう。

 テックパワーを活かせる人たちと、潜在力を持っていながら活かせない人たちとの間に、当然格差が起きる。国と関係ない。昔は、日本国民或いはアメリカ国民である以上は、中国やインドの人々よりは、良い生活が保証されていた。今そういう時代ではなくなった。中国にも億万長者はいっぱいいる。インドもいる。新しい産業を興している人たちがどこの国にも現れている。他方、アメリカの白人も貧困化し、スーパーマン的な可能性を持ちながら、貧困が急激に進む人が増えている。こうした中、若い人はどうしたらいいか?

世界で格差問題による分断


鈴木正俊:これは難しい問題だ。いま世界で注目されるトランプ政権の本質的なところは何かを考えたい。アメリカ建国の父が独立宣言で自由と民主主義と書いた。自由で、公平で差別がない世界を目指した。それから200年間経って、差別はなくならない。建国当時は自由と民主主義は、ヨーロッパでは動きがなかった。王がいて、革命勢力がいるかもしれないが、投票で政府が決まっていくこともなかった。アメリカという国を、大きなフロンティアとして、貧しいながらも自由と民主主義の理想的な国を世界に作ると言った。今トランプが掲げた鎖国のような「アメリカンファースト」は、歴史の中でいくつも現れてきた。

周:実はアメリカの独立宣言に民主主義という言葉は書いていない。建国の父とされている人たちの中には、むしろ民主主義に対して強い警戒心や懐疑的な見方を持つ人が多かった。彼らが強調するのは独立だ。一種の「アメリカンファースト」とも言える。

鈴木:モンロー主義のようにアメリカは、ヨーロッパにアメリカの市場を使われているだけだ、関係を断って関与しない、アメリカは独立していなければいけない、と言うことは度々あった。黒人を差別してはいけないとリンカーンは宣言したが、現実を見れば今も相変わらずある。理想と現実のギャップで、みんな悩んでいる。アメリカは、ものすごい金持ちがいる反面、自動車産業の労働者は報われない、いつも差別されている。そこにトランプが登場し、製造業と労働者を主人にしようというギャップを埋める運動が始まった。

周:アメリカの非農業部門の雇用者のうち、製造業で働く人の比率は第二次世界大戦直後の40%弱から一貫して減り続け、現在数%しか残っていない。今からこの傾向を反転させるのはそう簡単ではない。

鈴木:その前の時代の民主党はあまりに理想的だった。米軍の女性士官に日本大使の富田浩司氏が「最近アメリカの女性の司令官がどんどんパージされ、解職させられていく。これは、女性は軍隊にはいられないということなのか」と質問した。「アメリカはDEIすなわちDiversity=Inclusion で、多様性、公平性、公正性を考え、女性士官は勿論、属性を割り当てなければならない。有色人種は黒人も主要なポストに入らなきゃいけない」と答えた。ところがトランプになってから、有色人種の閣僚はいない。黒人の閣僚は1人もいない。女性が軍隊に行っても、女性を登用しなければいけない代わりに、本来登用されるべき男がなれなかったという不満が軍の中でもの凄く多い。しかし世界は変わっている。

 女性を地位につけたことでなるべき人がなれなかったという不満が大変に大きいことで、政府が制度を変えるといったことも起こっている。キャスターが国防長官になるということも出てきた。

 そうした矛盾は、ものすごく出ている。多様性を言ったら建前ばかりになり、そんな政治をするから惨めな人たちが出るとする勢力が大勢いてトランプ革命につながった、と解説をする人が多い。理想と現実のギャップがあり、周先生がおっしゃった格差もある。

 中国も勿論格差がある。インドも世界の金持ち上位10位内に必ずインド人が2〜3人入っている。その格差はものすごく大きい。中国もお金のある方は沢山いる。日本に大勢観光に来ている。

 アメリカも格差が激しい。紙屑だらけの街があり、この通りから向こうは危険なので行ってはいけないとされる街も沢山ある。

周:アメリカの街の中ですら、格差によってかなり分断されている。

鈴木:世界を見れば、微動だにしないような不公平性がある。日本は格差がまだ小さいというが数字的には多少格差が広がってきている。

ニューヨークで行われたDEI支持のデモ

エリートをどう選ぶかが大事


周:鈴木さんは、前の授業で、日本の大卒の初任給がどの人も大体同じことが本当に良いことなのか、と言っていた(【講義】鈴木正俊:通信の世紀、サイバーの時代)。先週、ここでIMFの日本代表理事だった小手川大助さんがゲスト講義をされた時に、日本では相続税が高すぎたかどうかについて学生と議論された。どこの国でも歴史上常に格差と平等の話がある。

 格差を是正するには如何に公平にエリートを抜擢するかが最も大事だ。中国は紀元前356年商鞅の大改革(変法)で秦国に世界で最初の官僚システムをつくった。世襲をする貴族ではなく、官僚が地方を支配し国政をするシステムで、約2370年前のことだ。後に官僚政治の導入で強くなった秦国による中国統一で、秦王朝は官僚制を一気に全国へ導入した。しかし、官僚をどう選ぶかの模索にその後千年もかかった。隋の時代にようやく科挙制度が出来た。科挙試験に参加し成績がよければ、貧乏人でも、外国人でも、選ばれる。遣唐留学生だった阿倍仲麻呂(中国名:晁衡)も科挙に合格した。その後中国では永遠に続く大門閥がなくなった。社会末端の出身者も官僚そして首相にまでなれる道が開かれた。

鈴木:戸籍問題がまだ残っている。

周:中国では戸籍問題は現在だいぶ緩和された。計画経済の中で戸籍問題が一番厳しかった時でさえ、地方貧農の息子でも大学試験に受かれば幹部になれる。試験成績だけではなく、仕事も頑張るヤツが出世するシステムになっている。例えば私は大卒後、機械工業省に入った。何千人ものいる役所の中で課長クラス以上の幹部出身地はどこが多いのかについて、仲間たちが冗談半分で数えたことがある。結果、北京出身の人はほとんどいなかった。地方から出て来た御上りさんたちが出世していたわけだ。

鈴木:日本の役所も一緒だ。

周:日本の初任給が皆な同じことは工業化時代での仕組みだ。しかし情報化時代では 大問題だと思う。才能のある人、結果を出す人を無視するような仕組みは、IT革命以降日本の発展を邪魔している。例えば私は経済学博士号を取っているが、そのことが私の給料に反映したことは一度もない。そうした個人の教育投資を評価しない風潮のせいで、主要国の中でも日本は博士号取得者数が少なく、さらに減少傾向にある。

鈴木:就職する時にアメリカとのギャップで悩むのが、初任給だ。日本では大学を卒業すると、初任給は工学部卒でも経済学部卒でもどの学部でも一緒だ。こんな国は世界にない。IR(Investor Relations:インベスター・リレーションズ)で、仕事に賃金がリンクし、博士号取得者は給与が違うのが当たり前のアメリカやイギリスの投資家に説明に行くときに、日本の初任給の話は通用しない。日本の場合は、会社はドクターだろうがマスターだろうが一律だ。これは海外では説明できない。グローバル化しなければいけないのに困っている状態にある。

 皆さんも就職するときに、会社に行くとしたら、初任給が一律であれば技術を持っている人間は不満なはずだ。日本はいい国だが、非常に特殊なところもたくさんある。

 大学で勉強するときに、国の現実が違うという点は認識をする。日本で働いていても、お客さんは海外かもしれない。遠洋漁業ビジネスもある。近海漁業だけ食べてるわけではない。

2012年3月24日、北京で開催の国際シンポジウム「中国の生活革命と日本の魅力の再発見」にて参加者と交流する鈴木氏と周教授

各国に各社会制度の理由有り


鈴木:確かに平等ではないことがどこの国でもある。イスラム諸国に行ったことがあったが、イスラム文化圏は相続税が無い。だから金持ちの息子に生まれたら金持ちで、いい大学に行けて、社会的地位が高い。日本は三代続くと無一文になる。金持ちの息子は金持ちではなくなる。

周:日本の高い相続税はいいシステムだ。

鈴木:日本はシステム的に珍しい。皇室があるが、こんなに金のない皇室は世界で珍しい。イスラム諸国では大学も国王がお金を出して作っている。自分の私財がある。イギリスの王室も土地を持っている金持ちだ。デンマークもそうだ。国家の予算だけで何も財産を持っていない皇室は珍しい。皇室を讃美するために言っているわけではない。システムとして日本は珍しい国だ。

 力のある人間がいた方がいいと民衆が信じているのは、例えば、ロシアや中国で、トップの人は力がものすごく強い。ある意味独裁制といわれるかもしれない。強い人がいる方が、やはり社会が安定すると思っている。いつも社会が混乱にまみれていると被害を被るのは庶民だと。日本はすぐ内閣総辞職などして総選挙を使ってやるが、人々の間に絶対的な違いのある社会を是とはしない。

周:それぞれの国にそれぞれの社会制度の理由がある。他国の制度を鵜呑みにして導入すると大変なことになる。例えば日本は消費税を上げる議論の時、北欧諸国も消費税が高いじゃないかという話がよく持ち出された。だから日本も消費税を導入するんだ、という結論につなげた。小選挙区導入するときも、北欧の話が取り上げられ根拠にされた。しかしそれは、最初から議論を間違えている。人口数百万人の北欧の国と、人口1億3千万人の日本はサイズが違う。サイズの桁が違う国の制度を一緒に考えてはいけない。これを間違えると大惨事になる。

 中国では、秦という初めての統一帝国があった。官僚制度を導入した帝国だ。秦は中国を統一したが10数年しか持たなかった。なぜ10数年しか持たなかったのか?これはその後2000年間ずっと中国の為政者を悩ませてきた大きなテーマだった。最近、その理由について「サイズ」だという新説が出た。つまり、戦国時代に秦王国は数百年かけて自分の諸侯国で自国の制度を磨いてきた。秦は他の諸侯国を倒し中国を統一したことを機に、自国の制度を一気に中国全土へ導入した。しかし、一諸侯国の制度で、膨らんだ国土と人口を統治しようとした途端、システムはパンクし、王朝崩壊につながった。

 日本は、人口は一億人強だが、人口10億人を超える国の社会制度が自国のそれとはかなり違うことを意識する必要がある。ましてやサイズだけでなく、陸続きのユーラシア大陸の国の在り方と、島国の国の在り方は全然違う。

鈴木:オーストリアの人口は700万人、スイスは900万人。1,000万人以下の国が一国としてみんな成立している。ヨーロッパは、フランス、ドイツ、英国、スペインを除けば小さく少数単位でやっている話し合いの国と、やはり14億人いる国は違う。日本の1億2,000万人は世界で12番目の人口規模で、決して少なくない。

周:少なくない。ただ、小選挙区でうまくいった国はサイズが小さい。村社会型だ。

鈴木:村社会だ。

周:日本は1億人以上が暮らす国で、決して小さい国ではない。税金をたくさん集めてうまくやれるのは小さい国だ。やっていることが皆に見える国だ。人口が1億人ぐらいになると霞ヶ関が、永田町が実際何をやっているのかが人々には見えなくなる。それで予算規模がどんどん大きくなっている。

鈴木:見えない。官僚組織という中間層が多くなって、現場と上の間が全然見えない。台湾ではコロナ禍で、オードリータンというIT大臣がコロナの情報を集約し活躍したが、彼が言っていたのは、台湾は透明性があり、下から見ても上から見ても何をやっているかが分かる。

東京経済大学創立120周年記念シンポジウム「コロナ危機をバネに大転換」 で講演を行う鈴木正俊・ミライト・ホールディングス元社長

小選挙区と消費税導入が日本停滞へ


鈴木:テーマが少しずれてしまうかもしれないが、インターネットの世界ではグローバル化がガンガン進み、国境がないようにも思える。日本企業の例ではカメラのオリンパスは今、主力製品は胃カメラだ。胃カメラで、世界の圧倒的なシェアをオリンパスが持つ。カメラではなく、医療機器でトップを走っている。

 オリンパス本社は東京だが、法務担当はワシントンにいる。何故ワシントンにいるのか?マーケットがグローバルだから、日本の法律担当がいても役に立たない。アメリカの法に触れるかどうかがわかる人が必要だ。健康に対してアメリカは厳しいので、事故が起きて医療機器として安全を守っているかどうか対策をやらなければいけない時に日本でやっていても駄目だ。ワシントンのヘルスケアでOKになれば、グローバルでもOKとなる。だから本社は東京でも、グローバルに適応する法務担当はワシントンにいる。

 マーケットが日本で、会社も日本にあり、社長も日本人で成立するのは、日本に閉じているから成り立つ。だから、Amazonのように、東京で注文すると、注文はアメリカのサーバーに行き、アメリカのサーバーから世田谷に住む鈴木に発送しろという指示だけが千葉の倉庫に飛び、千葉の倉庫に集めたものが配達される。

 政府の審議会で言ったら、それはおかしいと。アメリカに注文したら消費税がかからず日本のスーパーに行ったら消費税がかかるのはどういうことだと。税金を直してもらわなきゃいけないと。当然だが日本の消費税に合わせて、アメリカが修正するわけでもない。税率も違う。

 でもマーケットは世界になり、商品がどこの国のものかよくわからなくなっている。安全、税など社会システムに密着しているものが、国境がグローバルに広がっている中で、端境期の不整合性が今起こっている。

周:日本の消費税は名前と実態がかなりかけ離れていて、実際は取引税だ。関税も取引税だ。これらの取引税金は分業を妨げる。社会の活力を損なわせる。グローバリゼーションで関税が限りなく低くなっていく中、日本は消費税を導入した。その途端、経済成長が止まった。日本の失われた30年の原因についていろいろな人がいろいろな事を言っているが、私はその一番大きな原因は、消費税と小選挙区制の導入だと思う。

【激論】武田信二・鈴木正俊・周牧之:コロナ危機で加速する産業のデジタル化(※画像をクリックすると動画ページに移動します)

■ 利益率低い製造業をアメリカ自ら切り捨てた


周:トランプは持っている帳簿が違う。例えば、日本ではデジタル赤字が今6.7兆円あるが、トランプはその話に触れない。日本のデジタル赤字のほとんどが実はGAFAが稼いでいる。モノの貿易だけに注目しているのが今のトランプ政権だ。アメリカの製造業が衰退したのは、中国のせいでもないし、日本のせいでもない。30年前は日本のせいにして、今は中国のせいにしているがそれは事実ではない。

 クリントン政権の2期目にルービン財務長官がいた。クリントン政権の変質は実に面白かった。1期目は日本の製造業と競争するためドル安円高政策を掲げた。しかし1995年にゴールドマン・サックス会長だったルービンが財務長官になると、ドル高がアメリカの国益だと言い、ドル高政策を進めた。日本では、内閣官房長官だった加藤紘一らがそれに合わせて、円安政策を進めた。

 実はその瞬間、アメリカは製造業を捨てたことになった。つまり、アメリカはお金を世界中から集め、IT産業に突っ込む政策を取った。ITバブルにつながったがIT産業は今やアメリカで大成功した。

 トランプはアメリカ自らが捨てた製造業を、もう一回復活させると躍起になっている。しかしその政策はアメリカの半導体や、ソフトウエアなどの中国への輸出に制約をかけるものとなっている。アメリカのITの王者たちはトランプの政策に困惑している。例えば、INVEDIAのCEOは中国マーケットに入れないことを大いに嘆いている。

鈴木:アメリカのIRを見ればよく分かる。Investor Relationsは、投資家に年に一回、説明に行く。彼らの考えている利益率は違う。利益率が20%ぐらい。日本の中では抜群に高い。しかしアメリカに行くと、お前は経営する能力があるのかと非難される。アメリカの携帯電話会社は利益率30%が当たり前だった。

 日本の当時の製造業の利益率は3%だ。日本の製造業のいろいろなメーカーとはアメリカとはこの辺の価値観が違う。アメリカは利益率が高いところに向かうムーブメントができるのが、経営者として優秀であるとなる。そうすると、製造業は、実際のものを作っているので、利益率が低い。だから、利益率の低いところは、極端に言えば、アメリカにとっては製造業は日本とか中国とかアジアに作らせてやればいい。結局、金融だ。株式投資や投資リターンというものを売る、会社をM&Aをやって買収するなど金融の世界、物の形のない世界の方が、利益率が高い。

廃墟となったデトロイトの自動車工場

周:利益率が低いものづくりをどんどん辞めて利益率が高いハイテクや金融に集中していたのはアメリカ自身の選択でした。

鈴木:モノの形をしたものを製造する時は自分たちで外に出してしまっている。それをトランプになって製造業を戻せと言うが、製造業を戻すとしても技術もないと同時に、経営者としては、そんなに低い利益で国内に持ってくることは出来ない。これは投資家との関係でいけば、自分のポストを自分でクビにするようなものだ。そこでアメリカ自身も矛盾を抱えている。利益率の価値観は国によって、ものすごく違う。

 日本は、稼がなくても社会に貢献しているからいいではないかというのが、十分まかり通っている。逆に、ちょっと利益率が高いと、お前ら暴利を貪っているという。今のコメ騒動もそうだ。なぜ米が出回らない。安くしたら農家が困るからもっと高くしろ、安くすればいいということではない、ということになってしまう。価値観が、国によって物凄く違っているということは、頭に入れておいた方がいい。

周:自国が切り捨てた製造業を取り戻すために全世界に高関税をかけようとするトランプのやり方は理不尽だ。

鈴木:脱線するが、先月息子の嫁さんと孫がカナダのオタワから帰って来た。アメリカではトランプが登場した瞬間に、テスラのイーロンマスクが気に入らないから、アメリカ製品不買運動をやり、テスラは全然売れなくなった。カナダを第51番目の州などと言ったものだから、カナダでは抵抗運動になっている。アメリカ製品のボイコットをやっている。カナダの家の近くのスターバックスはガラガラだ。ボイコットだから、暴力を使っているわけではなく、みんな行かないことで意識を示している。東京に来ると、スターバックスの店が満杯で、日本ではトランプがいいのか悪いのかどうでもいいようで、あまりにも日本人はのんびりしていると言われた(笑)。世の中で起こっていることが、身近なことに置き換えられるというのは、やはり凄いと思う。

周:日本人はもう少し世界の変化に敏感になった方がいいと思う。急激に進むパラダイムシフトは身近な変化につながっている。この自覚のある無しが重要だ。

【対談】鈴木正俊 VS 周牧之(Ⅲ): 情報化時代の波にどう乗るか?に続く)

講義を行う鈴木正俊・ミライト・ホールディングス元社長(左)と周牧之・東京経済大学教授(右)

プロフィール

鈴木 正俊 (すずき まさとし)
NTTドコモ元代表取締役副社長、ミライト・ホールディングス元代表取締役社長

 1951年静岡県生まれ。1975年東北大学経済学部卒業、日本電信電話公社入社。NTTドコモ取締役広報部長、同取締役常務執行役員、同代表取締役副社長。ミライト・ホールディングス代表取締役社長、ミライト代表取締役社長、ミライト・ホールディングス取締役相談役などを歴任。

【対談】鈴木正俊 VS 周牧之(Ⅰ): 通信の世紀、サイバーの時代

講義を行う鈴木正俊 ミライト・ホールディングス元社長

編集ノート:
 NTTドコモ元代表副社長、ミライトホールディングス社長を歴任された鈴木正俊氏は、日本の情報通信業界を引っ張ってきたビジネスリーダーの一人だ。東京経済大学の周牧之教授の教室では2025年6月5日、鈴木氏を迎え、「通信の世紀、サイバーの時代」と題して、情報通信という日本戦後経済史上まったく新しい一時代を、総括していただいた。


牧之きょうは通信業界のビジネスリーダーである鈴木正俊さんに通信史から見た世界と日本の過去、現在そして未来についてお話しいただく。

海底ケーブル切断がもたらす緊張感


鈴木正俊:私はNTTの前身、電電公社に勤めていた。その後、通信建設を行うミライトホールディングスの社長をし、今は半導体企業の社外取締役を務め、一貫して通信関係のそばにいた。

 最近の新聞記事を見ると、海底ケーブルが頻繁に切られている。先々月、台湾の海底ケーブルを切ったのは中国だろうとも言われる。ケーブル切断は、ちょっと古い2018年から23年迄の5年間で、世界で27本切られている。バルト海に中国貨物船がいたということで電力送電線、海底送電ケーブルもバルト海のところで切られた。戦争が始まる前は必ず通信を切るところから始まる。日清戦争の前日も日本海海底ケーブルを切っている。要するに通信を遮断したところから実は戦争が始まっている。通信は非常に大事な情報のためプラスの面もあるが、マイナスの面では戦争時の武器になっている。それが頻繁に今起こっている。

 いまは放送、通信の世界の中で99%が海底光ケーブルだ。そこを切られると情報は全然止まる。皆ネットを普通に日本語で見ているかもしれないが、アメリカのサーバーから経由しているものが非常に多い。だから、通信ケーブルが切れると、パッと見えなくなるサイトがたくさんある。これは日本の中のサイトで見ていてもアメリカ経由できている、あるいはヨーロッパから来ている。通信の状態は、生活の環境が日本で日本語を使っているから日本の活動なのかと言われると、必ずしもそうではない。 あるいは日本で発信し、アメリカ経由で日本に来るということだ。

 Amazonで買い物する時は、今はだいぶ変わったが、当初は注文するとアメリカ大陸のサーバーに行った。靴を買いたいとなってサーバーに入ると、注文が千葉の倉庫に行き、千葉の倉庫から家に宅配される。注文したら翌日すぐに届くため、自分では日本国内で注文し送付されているつもりになる。

 アメリカに注文すると何が違うか?消費税がかからない。日本のリアルのスーパーでは、10%消費税がかかる。ネットであれば国際ルールが消費税で統一されていないため、国の制度設計によって、その分の収入はアメリカに上がる仕組みになっている。それでいいとか悪いとか申し上げているわけでは無く、そうした世界に私たちの生活がかなり深く入っていることを申しあげたい。

 ケーブルの切断事件が最近頻発をしていることは、非常に緊張感があり、軍関係の方はアメリカ軍もそうだが、海底ケーブルが切られたら翌日から戦争が始まるんじゃないかという物凄い緊張感がある。そういうことが歴史の前提としてある。

民間企業がサイバー戦の立役者に


鈴木:ロシアとウクライナ戦争もある。2022年の開戦以来、2014年のクリミア併合をテレビなどで翻って見ると、当時はあっという間にクリミア半島が占領されてしまった。ロシアは元々自分の領土だとし侵略したとは思っていないかもしれないが、ウクライナになっていたところを占領し、セバストポリという海軍の軍港をロシアが取り戻してしまった。そこから戦争が続き、2022年にロシアが攻め込んで徹底的にウクライナの自由革命をひっくり返そうとした。

 2014年の時は、ロシアがまずサイバー戦をやり、軍あるいは政府の情報をみんな遮断した。だから、ウクライナは何が起こっているか分からず気がついたらクリミアにロシアの軍隊がいた状態だった。そこで反省し、アメリカ、イギリスの応援を得て、マイクロソフトなどの民間企業が応援し、サイバー戦への対抗を10年間ずっとやっている。

 従って2020年ロシアは、前段で通信遮断をしようとし、実際の部隊がキーウに進軍すれば終わりだと考えて来た瞬間、反撃に遭い死者を出して撤退した。そこから戦争が続いている。ロシアは2014年に味を占めたが、いわば麻酔が効かず、覚醒剤をソフトで作ったのでロシアの的が外れ、戦いが長引いているのが今の実態だ。軍隊だけでない。マイクロソフトの社内報は、ロシアとウクライナのそれぞれの軍隊組織のあり方の特集を組んでいる。これが民間企業だろうかと思うような状況がある。そこにサイバー戦が出てきているのが実情だ。

 目に見える画像では大砲を撃ったり、ミサイルを打ったりだが、その裏の半分はサイバー戦を戦っている。そこで、通信が遮断されたので、イーロンマスクがスターリンクという低軌道衛星を使い、それをウクライナに開放した。ウクライナは諸外国と交渉なり連絡ができるようになった。陸上経由ではできなくとも低軌道衛星経由で各国と話ができる。イーロンマスクは「赤字だ、費用をもらっていない」と騒いでいるが、それがいまある現象の一つだ。

東京経済大学創立120周年記念シンポジウム「コロナ危機をバネに大転換」 で講演を行う鈴木正俊・ミライト・ホールディングス元社長

■ 身近に広がるサイバー攻撃


鈴木:もう1つは、新聞、週刊誌でたくさん報道されているサイバー犯罪だ。金融機関や政府がDDoS攻撃(Distributed Denial of Service attack/分散型サービス拒否攻撃)をされ通信機能を麻痺させられる。或いは、ランサムウェアという「身代金をよこさないと通信を回復しない」という犯罪被害に遭っている。これは日本で頻繁に起こり昨年は約220件あった。

 インターネット空間を利用した犯罪もある。インターネットバンキングのフェイク画面が出てくる。「Amazonから請求があります」とか、銀行からの「口座を確認しなければいけないので返信してください」の通知に返信した瞬間に情報を取られることが身近に頻繁にある。インターネットバンキングの被害総額が87億円という古い統計があるが、いまはこんなものでは済まなくなっている。フィッシング被害は昨年171万件だった。私もドコモが止まったのでドコモに電話をしたら3件怪しい送金履歴があったので止めた。「そこで買い物した記憶がありますか」と聞かれたが無い。通信会社に止めてもらったお陰で助かったが、アイルランド経由通信だと分かった。現実に身の回りで起こっている。サイバー犯罪の頻発、SNSの拡散、参議院選挙でもどうSNSの不正選挙を防げるのかに取り組んでいる。

 能動的サイバー防御法、アクティブサイバーディフェンス(Active Cyber Defense: ACD)の法律が今年成立した。早く攻撃を受けた発生源を先制的に止めに入り、そのための通信管理を行うものだ。国内通信は対象外だ。サイバー犯罪の99%は国外から来ているからだ。外から日本に、日本から外に行く、あるいは日本をホップして外から日本、日本からまた海外へとサーバーをホップする。その情報を、政府が一元的に救い、情報の内容は見ないという制度を作っている。一応恣意的な運用を始めるための制度がある。情報を先制攻撃して止めるという法律が5月16日に出来た。

 インターネットの利用率は一昨年で86%、9割近い人が使っている。今日話すことは皆さんの身の回りで起こっている、全体で起こっている現象を自分で理解できるように歴史を紐解いていきたい。個別現象と全体の仕組みは、ますます裏表の密接な状態になっている。そういう思考を持っていただくことが大事だ。

電信で世界が1日で情報を伝え合う


鈴木:日本の通信事始めを言うと、電線導線1本で昔の電報のような信号送りが最初にできたのは明治2年、1869年だ。 そこで東京-横浜間で電信網が出来た。その翌翌年、1871年、明治4年、明治政府になってからウラジオストックー長崎―上海まで海底ケーブルができた。ノーザンテレコム社というデンマークの会社が引いた。日本はまだ東京―横浜間ぐらいしかできていなかった。 彼らは国際通信網で、長崎とウラジオストックを結んだ。それは、南回りの回線をイギリスのグレートイースタンテレコム社、オールレッドルートにイギリスが情報網を引いたことに対抗した。ドイツやロシアがこれを承認し自分がアジアに対して通信網を持たなければいけないとしてデンマークの会社がやった。

 デンマーク王室には王女が2人いて、1人はロマノフ王朝に、1人はイギリスの王朝に嫁いだ。デンマークは国が小さいから情報を取っても戦争にならないということで、デンマークの会社が担い、ロンドンからサンクトペテルブルク、ロシアのシベリア大陸を通り、ウラジオストックまで出ていった。

 日本はウラジオストック経由でロシアに発信できる、上海へもノーザンテレコムという会社の投資で通信ができるので認めた。まだ日本国内はそれができない時に、次から次に、イギリス対その他フランス、ロシア、ドイツの戦いが通信網を巡ってあった。

 1980年以降どんどん海底ケーブルが増えてきた。現在、太平洋に光ケーブルが入っていて、いま通信業をやっている人たちにはNTT、ソフトバンク、KDDIなどの通信会社があるが、一番多いのグーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル、マイクロソフトなどいわゆるガーファム(GAFAM)の会社だ。彼らが独自に海底ケーブルを使う。太平洋の海底ケーブルの7割はガーファムが使っている。

周:つまり一番通信需要の多いGAFAMが自ら海底ケーブルを次々敷いている。NTTのような通信インフラをベースとした企業にとっては大変な脅威だ。

鈴木:日本の通信も世界の中に組み込まれている。典型的な通信網がここに象徴されている。ケーブルの結節点がグアムなどいくつかにあり、非常に重要な地域になっている。

 電信が現れたのは早くは1851年と言うが、日本は明治時代からようやく電信が現れた。電信は情報を電気信号に変えることだ。電気信号に変わる前までは狼煙(のろし)、駅伝、飛脚、手旗信号、伝書鳩などが通信手段だった。日本は飛脚と船がほとんどだった。

 船は、例えば長崎から東京まで大体3日は最低かかった。が、電気信号に変えると1時間で行く。世界も1日で行く。目に見える通信は雨の日か晴れの日か天候により見える時と見えない時あった。また、夜になると手旗信号や狼煙は見えにくかった。ところが電気信号は天候も昼夜の別も全く関係なく、瞬間的に伝わる。モールス信号しかりだ。

 日本で言えば1870年の明治が始まって少ししてから、情報伝達が月日単位から時間単位に変わる画期的なことが起こった。国際間をつなぐ海底ケーブルができてから、世界が1日で情報を伝えるようになった。

■ 電信と切っても切れない暗号


鈴木:伝送技術の観点では、有線通信即ち線のある通信か、あるいは電波による無線通信かで、各々長所と短所がある。イギリスが有利になったのは盗聴が出来たからだ。電報が読まれ、信号の途中で情報が抜かれる。情報を持っているところが圧倒的有利になることは、近年までずっと続いている。通信ケーブルにすると高いと言われ、無線にした時代もあったが無線は途中で電波が捕まると聞こえてしまう。情報が取られることになる。

 最初はイギリスが海底ケーブルでやっていた。無線に転換しても秘密が漏れる。また海底ケーブルに戻る、を行ったり来たりしている。現在は海底ケーブルが99%で、量的にも経済的にも非常に重要な存在になっている。

 有線通信の欠点は、例えば、台湾海峡のケーブルを傷けられると通信ができなくなる。切断されるとつながらなくなる。無線通信は切断されないが、盗聴や傍受には弱く情報戦が非常に複雑になる。暗号を使い分からないようにすると今度は暗号解読の戦いが始まる。第二次大戦も含めずっとこの歴史が続いている。最近ネット見ていると、中国のある大学の方が海底線ケーブルを切断する技術を学会に論文で発表したとあった。そんな技術をどうするのかと思うが、世界はみんなやっている。

 電信にとって切っても切れないのは暗号だ。暗号表を使い、いろいろなことが起こっている。岩倉具視対外使節団の時も世界のこの動きを認識したが、第二次大戦の時もそうだった。一方のタイプライターで打つと、他方のタイプライターには暗号化された情報が出てくる。それを送り合うので第三者が見ても分からない機械式暗号だ。

 日本は、開戦暗号があった。真珠湾攻撃時に「ニイタカヤマノボレ一二〇八」だった。「ひとふたまるはち」という。何言っているかわからないが日本で一番高い山、当時台湾にあった山が新高山だった。

 ドイツのエニグマなど機械式の暗号があった。今インターネットになると秘密キーがある。ネットスケープが組み込んだSNL暗号がある。htttpでなく、htttpsと書いてあるのがある。これはインターネットで疑似的な、秘密暗号式が入っている。これはほとんど解けてしまうので、次世代の暗号合戦が起こっている。通信の裏側には他人に見られるということがある。これは通信が始まった時から起こっている問題だ。

ユダヤ資本が情報をカネに


鈴木:通信社が誕生し、世界にAP通信社、ロイター、アバスなどが出来た。通信社は、国際的な情報で何を送ったのかをみんな収集する。収集された情報の中から国別の各新聞社が情報を拾い、新聞紙面に載せる産業だ。アバスもAP通信もロイターもみんなユダヤ系がやっている。情報が早ければカネになる。相場情報、株価、金、先物の情報は、昔から非常に大事だった。フランクルトの相場が動くと次はロンドンの相場に反映する。ロンドンの相場とパリの相場が連動する。最初は伝書鳩を飛ばし、その日の終値はフランクフルトが引け値だとロンドンで同じ金融商品を買い、この値段から始めるような事をやっていた。通信は非常に金融情報と密接だ。伝書鳩の時は、時間がかかることも着かないこともあった。電信ができたら瞬間的に伝わる。フランクフルトに相場が回ったら、次はロンドンの相場が始まる。 次はニューヨークの相場が始まる。地球は回っているので相場が時差によって生まれてくることが非常に盛んになった。

 最初の1850年代に、ヨーロッパに三大通信社すなわちフランスのアバス通信社 、ドイツのヴォルフ電報局、イギリスのAFPの前身のロイター通信社があった。この三社が 独占した。アジア地域はロイター通信社の管轄範囲にしようと、3社がそれぞれ特派員を派遣するのは無駄だとし、 アジアのロイター通信が発する通信が現実になった。だから、ロイターがどう情報を出すかによって、日本、台湾、香港などアジア全体の情報がヨーロッパやアメリカに伝達されることになっていた。秘密協定でロイター社が日本のことを伝えるのが独占だと知らなかった。これが後に日露戦争に非常に大きな影響をもたらした。日本が有利なのか、ロシアが有利なのかの情報は全部そのロイター社が出す。ロイターが出す情報によって、お金を調達しなきゃいけない。 高橋是清が「借金をしないと戦争が継続できない」と言う。ロンドンやニューヨークで金利をいくらにするか情報で決める。日本が勝っているか勝っていないかで金利が上下に変化する。戦争に対する情報は全てロイター社だったことが日露戦争そのものにも影響が出た。

日本海海戦で日本が世界に先駆けて無線通信


鈴木:明治時代、有線通信で電報しか通じなかった時に日本海海戦で日本が世界に先駆けて無線通信をやった。無線通信で連合艦隊の機動あるいはバルチック艦隊が来ることを探知するのを世界で初めてやった。日本の技術は実用化に向いていた。それまでは手旗信号をしたが手旗信号は晴れていないと見えない。対馬海峡は広い。敵の近くに船を並べるわけにいかないので、発見した船が無線で直ちに連絡する警戒体制を世界で初めて取った。信濃丸が、戦艦三笠に、敵の第二艦隊が二〇三地点に現れたと暗号方式を用いて明治36年製の無線機で連絡をした。これが非常に画期的な通信方式だった。 

 ただ、その旗艦三笠は朝鮮にいて、そこから東京の大本営に連絡しなければならない。この大海戦で負けたら日本は敗戦しロシアの艦隊に蹂躙され滅亡すると危機感で、東京の大本営に海底ケーブルで連絡するが無線ではできなかった。当時できた海底ケーブルを通じて広島まで送り、広島から東京までの陸上ケーブルを使い電信が行き「敵艦隊見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、これを撃滅せんとす。本日天気晴朗にて波高し」と海底ケーブルの有線で電報を打った。無線の1世代前の通信方式だった。

 次にバルチック艦隊と戦う時に「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」と指示を発した有名な言葉がある。旗艦三笠にZ旗を掲げると、これから戦闘が始まる合図と認識する。古い方式だ。国際信号旗といって船は国を越えていくので信号機を国際的に取り決めていた。文字型の一次信号の組み合わせでAから順番にBC と続き、最後はZ。それぞれの旗に意味がある。本来のZ旗の意味は、「港に入る引き船をよこしてくれ」だ。日本の軍部が勝手に変えてしまった。これは軍だけでなくて民間でも使っていた信号だ。ちなみに、ニュースで見るとロシア軍がウクライナに侵攻した時、戦車の後ろにZ旗がかかった。昔ウクライナはソ連だったので、ロシアもウクライナも同じ戦車を使った。そうすると、どれが敵かどれが味方か分からないからZ旗を掲げたのがロシア軍で、Z旗が無い戦車はウクライナのだと識別用に使っただけだった。

1890年日本で電話サービス開始、大倉喜八郎は最初の加入者


鈴木:1890年、明治23年に東京―横浜間で電話サービスが始まった。この電話サービスは開始当初、東京で155加入、横浜で42加入だった。お客さんがかけると交換手が出て、相手につなぐ。1番、2番、3番、4番という電話番号だ。今のような03から始まって桁数が多いのではなく、あの人は1番、あの人は2番という具合だった。東京府庁という今の都庁は1番、2番は電報局、 3番は司法省、と役所まで軒並みだった。内務省、外務など。155加入には個人もいた。例えば渋沢栄一とか。その中に159番に大倉喜八郎という名前が出てくる。東京経済大学の創設者、大学に銅像が立っている。最初に電話が始まった当初に入っている個人はごく少数だった。司法省も一回線だけであり、大倉さんも自宅に一回線あった。日本で初めての電話サービスの加入者だ。

周:これはお金を払っているのか? それとも特権なのか?

鈴木:払っているが、ある種の特権だ。ほとんどの財閥が入った。入っているのは官庁すなわち役所、日銀、第一銀行など一部だ。十五銀行が入っていた。軍、新聞社など日本の骨格となるところもだ。一社1本で、渋沢栄一が入っていたのは第一銀行の役員であると同時に、非常に財界の力があったからだ。大倉さんの位置付けも非常に高かった。産業の世界でいろいろなことを手掛けて相談事も引き受けていたからだ。

 様々な通信方式が起こったが、最初は銅線1本だった。マレーシアで見つかったゴムの樹脂のようなものを銅線の周りに巻き海底に沈めると水が入ってこない。それに回線を張って信号を送る。1分間に20文字送れればいい方だ。非常に貴重で、暗号で取り決め通信をやれば通信料が安くなり、非常に便利だったのが有線の歴史だ。無線、有線、衛星、光ケーブルと、いろいろな変遷をたどってきた。

 ようやく1970年の大阪万博の時に、モバイル、携帯電話の原型が、いまから55年前に出た。当時は電話を申し込んでもなかなか全国につながらない。遠距離は交換手がつなげた。

 私は電電公社に入社し、最初は鹿児島に赴任した。郵便局に「3番からかかってきた」と言われて行くと「酒屋の5番だ」と交換手、つまり人が伝えていた。その時代に私は入社した。1970年代で大型の交換機がビルの2フロア全部が1つのシステムだった時代だった。ようやくモバイルの原型が出てきた。 

 1980年代になると自動車電話、モバイル電話が出た。自動車電話は自動車の中で通話ができる。なぜ自動車電話かというとバッテリーが大きくトランクにしか入らないからだ。バッテリーの能力がよくないため、自動車で電話しないとバッテリーがもたない。最大のクレームはバッテリーを自動車電話につけることで、ゴルフバッグが乗らないからゴルフに行けない、なんとかしろというのが1980年代の一番のクレームだった。

モバイルは40年間で通信速度が100万倍に


鈴木:コンピューターが小さくなりネットワーク化され1990年にインターネットの商用利用が始まった。1995年にウインドウズ95という画期的なパソコンOSがあり、そこからはインターネットの革新が始まる。1990年代には携帯電話がどんどん広がった。携帯電話機の最初は、今のようなスマホではなく小さな肩掛けカバンのようなもので新聞社や政治家が提げていた。モバイル電話が出てきてインターネットが始まった。1997年にネットワークがデジタル化した。0と1の記号で、一文字を1ビット8桁で表現する。情報を数字の組み合わせに置き換えられるようになったことが非常に大きい革新だった。ネットワークを整備するNTTが急速に光ケーブルを進めた。2000年代にブロードバンド、ADSLという銅線を使ったインターネットで光ファイバー、モバイルが3Gに進化してきた。2010年のスマホの能力は1970年の大型コンピューターの能力と同等で、電池は小さくなり能力は高くなった。2010年ぐらいから急速にスーパーコンピューターが始まった。2020年になり低軌道衛星でAIが広まり、大阪関西万博にも出ている。サイバーは、インターネットが形成する情報空間で、サイバースペースと呼ぶ。情報空間で起こっているテロをサイバーテロという。サイバーセキュリティは、インターネット空間でのセキュリティ問題、テロ問題で大きくなっている。

 1970年に携帯を出来てモバイルでは40年間で通信速度が100万倍と、情報あたりの速度がもの凄く速くなり映像が使えるようになった。インターネットは1990年代から30年間に急速に進んだ。インターネットが意味するのは、国境のないグローバルな情報、社会のシステムだ。とすれば、日本語、英語、フランス語は表現上いくらでも違うが、システム上はグローバルにつながってしまう。夜中に電話がかかって国番号を見ると、ヨーロッパの国の電話だ。ガチャンと切ると次はポーランド、次はイタリア、次はイギリスの国番号で、犯罪者にとって国境は関係ない。TCP/IPというプロトコル(通信手順)がインターフェースを決めたことにより、世界でこれを統一しさえすれば、通信ができる。一時期、インターネットは原爆を落とされてもアメリカの通信が途絶しないようにするため作ったとの話が出た。これは都市伝説だ。アメリカでも軍用インターネットを民間に開放した。日本では大学で使っていたのを民間の我々が使えるようになったのが1988年だ。

固定通信の仕組みは地域割


鈴木:1990年にようやくWWW(ワールド・ワイド・ウェッブ)の仕組みが出てきた。つい30年ちょっと前のことだ。日本はウインドウズ95で、インターネットが爆発的に広がった。基本的に使っているものは光ファイバー、電線、無線通信、あるいはそこにルーター、サーバーがつながっている。学術あるいは軍のネットワークから日常生活のインフラに転換した。インターネット以前の仕組みは電話だった。それぞれ電話をすると、その都市内の交換局に行く。例えば国分寺市の交換局が大阪に通信し、大阪の高槻市の利用者に電話が入る。順番に回線を辿り通信がいく。東北の例をあげると加入者の方が古河市の電話局を通じて仙台に上げて、仙台から東京に行く。こうした回線を取っていく仕組みが日本全国にある。局番が振られていて、北海道はゼロ1から始まる。東北は02から始まる。 東京は03、04は関東、05号は東海、06は大阪、07は中国地方、09は九州のように番号が土地に応じて振られている。最近、電話による詐欺が起こっている。電話番号が地元の交換局についているので、物理的にお金を取りに行くには、その地域でやらざるを得ない。携帯電話でやるとどこにいるか分からず電話が北海道につながったりするのでお金を取りに行けない。必ず地域ごとに発生するのは固定電話を使うからだ。自宅の地元警察から、「防犯のために固定電話は留守番電話に設定してください」と言われる。「私はこの電話をつける仕事をずっとやってきた」と思わず言いたくなるが、言えずに留守番電話に切り替えて通じないようにしている。固定通信の仕組みは、地域割りになっている。 携帯電話も全国どこでも動けるようになるが、一応その地域の移動通信局があり、そこから通じている。 例えば北海道だと札幌の基地局から光ファイバーで東京まで行き、東京の基地局から個人のところに無線でいき電話をし合う仕組みだ。

 インターネットは無秩序とは言わないが、ルーターがバラバラで、ルーターも日本の中だけでなく世界のルーターがつながっている。アメリカも通じている。世界のルーターがITPCの仕組みの中で、ルーターを使い合って通信ができている。土地にくっついていない。どこにこのルーターがあり、どこにサイバーがあるのかと問われる。金融決済をネットで決済すると、今シンガポールにAmazonのサーバーがあり、互いに隣同士で「周さんが今日これを買います」といった情報を計算し、シンガポールでお金が出たり香港でお金が出たりしている。決して日本で決済しているから日本にお金が入っているわけではない。インターネットの世界は、こういうものが非常に完成されてきている。

現実社会とサイバー空間が融合


鈴木:今まで衛星通信は3万6,000キロの上空にあり、地球の自転と同じで地球が回ると衛星も一緒に同じように回るので、衛星を通じて通信をする。しかし3万6,000キロも離れているので大きなアンテナが必要になり、放送設備は大きいものが要る。3万6,000キロの距離を往復すると、画像が悪かったり、アメリカと国際同時通訳をテレビでやると音声が遅れ、ディレーする。しゃべってるうちに日本語がどんどん遅れていく状態が起こるのは、やはり距離が遠いからだ。

 それに対して、Elon Musk氏が率いるSpaceX社の低軌道衛星スターリンクは、高度550キロぐらいまで上がる。いま地球の周りを7,000基ぐらいのスターリンクが飛んでいる。アメリカの連邦通信委員会FCCの 許可を得ている1万2,000基のうち7,000基だ。さらに許可が下りて、今後4万基まで増やしたいと言っている。

 Amazonも独自に衛星を打ち上げた。1つのロケットに60個ぐらいの衛星を載せ一度に打ち上げ宇宙空間にばらまいている。中国もインドも2030年までにやると言われている。2030年を予測計算すると大体10万機ぐらい上がっているのではないか。今は7000基にならずまだ5,000基ぐらいと思うが日経新聞に載った図を見ると、夜空に衛星の軌道がピュンピュン飛んでいる。これが10万機になるとどんな夜空になるだろうと思う。iPhoneの15、16、17は直接通信する機能が載っている。これからはその510キロの衛星であれば動画はゆっくりになるかもしれないが、ファイルだったら自由に直接できるようになる。

 これだけのものが打ち上がった時、どういうことになるか。情報が途中から入れることになると、当然その会社は見ることが出来る。情報も全部知られることも可能性として高い。

周:衛星で世界のどこでも通信サービスが受けられるとNTTのような通信インフラ企業にとっては大変な脅威になる。

鈴木:今の現実の社会で起こっていることと、自分ではちょっと確認できないサイバー空間で起こっていることが、融合してくる。スマホを使いながら生活すると、リアルな世界からではないサイバー空間が残っていることを認識せざるを得ない。ヘルスケア、自動運転もそうだ。アメリカのロサンゼルスで自動運転が開放され、次にフロリダ、ニューヨークだという。順番に来年、再来年とアメリカで自動運転の車が実際走っていく。タクシーは日本はどうなるか?

周:テスラを始め、いま米中のEVメーカーは争って自動運転のロボタクシーサービスを開始している。タクシーの無人化がすでに現実となっている。問題は規制大国の日本がいつこれを受け入れるかだ。

プライバシー保護の対策が要


鈴木:インターネット社会は、少なくとも概念上は国境がない。利便性が非常に高い。だが、脆弱性を持ちサイバー攻撃があり、社会的なものが麻痺する危険性は非常にある。日本ではあまり身近に感じないがテロ対策が重要だ。インターネットは社会的にも基本的にもまだ安定していない。商取引でもプライバシーをどう守るかが非常に大事な問題だ。インターネットでは多くのサーバーがアメリカにあるということだ。アメリカが確実に情報の中心になっている。政権が変わり様々なことが起きている。通信アプリのシグナルを大統領補佐官が使い、入れてはいけない仲間がシグナルに入りホワイトハウスの情報が漏洩した事件が起こった。脆弱性と隣り合わせだ。通信の秘密は、日本は憲法上検閲してはならない。実際にどうするかを考えていかなければならない。

 ハッカーの世界に簡単に触れたい。ちょうど独立行政法人情報処理推進機構(IPA)が挙げた情報セキュリティの重大脅威2025が出た。この中で1番目に挙がっているのがランサム攻撃、身代金だ。身代金ビジネスの攻撃と被害が脅威になっている。2番目はサプライチェーンの中から情報を抜いたり紛れ込ませたりすること。3番目はシステムの脆弱性を突いた攻撃だ。最近心配なのは地政学的リスクに起因するサイバー攻撃だ。誰が攻撃しているのか分からないが何となくわかりそうなところがある。ロシアはGDPで言えば日本の二分の一ぐらいの規模しかないがサイバー攻撃が技術的に強い。北朝鮮も韓国の1/30しかGDPがないが、この分野が強い。大元をたどるとロシア、北朝鮮、中国あたりらしいとわかる。日常的な脅威がある。

 一企業からすると毎回起こるわけではないが、社会全体とすると結構な件数だ。サイバー攻撃が進化している。最初は 環境団体がどこかを訴える、或いは中国を攻撃するなどが多かったが、最近は人権侵害、攻撃の右傾化が目立つ。フェイク事件もAIを使った攻撃も多い。少し前はロボットが様々なものを分散する通信が多かったがだいぶ変わってきた。これらが丸ごと起こり ディスコードもランサムウェアもある。

 ランサムコードの例では、サイバー攻撃というと1人か2人でやっていると思われがちだが、基本的には身代金を取る脅しをするのも組織的にやっている。客を集める人、専用の情報を集める人も、事業者が沢山いて、このビジネスが成立している。身代金を請求する者、集める者、攻撃する者など分業体制が、1つの業界を形成している。身代金を払うと次はあまりやらない。警察の人に聞くと仁義がなければ身代金を払ってもなお攻撃が来る。すると新しいお客さんが身代金を払わなくなり効率が悪いという。いったん身代金を払っていただいた方は終わりにし、次の人にする。ビジネスのようだが信用がそれなりに大事な世界だ。サプライチェーンは情報を取ると次の取引先のところにジャンプしていく。その取引先から情報を取るとき一斉に送りつけるとみんなの情報が企業から漏れる。金融機関から漏れていつも申し訳ないと記者会見をしているが、あの情報はいろいろなところに蓄積している。それをポンと投げる先のリストを一生懸命作っている。

 サイバー攻撃は普通の戦争、犯罪と一緒だ。無作為にやることはない。斥候や偵察隊を出し、どこをやれば効果的であるかを考えている。私の友人に聞くと、車は絶対に傷つけられない方法がある。駐車場へ行ったらものすごくゴージャスな車の隣に止める。家を建てる時は、屋敷の隣に小さい質素な家を建てる。犯罪者は絶対に、同時に2つはできず、効率の高いところから行くから、防犯のためにはその逆を行けばいいと言われる。だから目立つやつが横にいると被害が少ない。サイバー攻撃は、ソフトウェアの斥候ファイルのようなものが出て、いろんなところにいて探っていく。そうすると、ある場所の取引額が多くシステムが弱いことがわかる。脆弱性のある企業がわかったら、そこに向かって本体が攻撃に行く。

 サイバー会社の仕事は斥候すなわちソフトが飛んでくるのを如何に早く発見するかにある。発見し偵察隊がいるうちに遮断することだ。警備会社と一緒の仕事だ。パトロールが大事なのは交番と一緒だ。サイバーの世界だからといって、やってることは突拍子もないことではない。現実の世界で人間のやることを置き換えてやっている。手順があり防ぎようがある。と同時に技術的に追いかけるのが大変だ。普通に入社した企業との間のやり取りから入っていき、その企業に穴を見つけ、そこから侵入し斥候隊を送る。この企業のシステムは脆弱だと思えばドーンと入る。偽サイトも含め、サイバーセキュリティについては、アメリカの標準化団体がフレームワークを作っている。それぞれリスクを特定し防御をどんな形でやるのか考え、脅威があれば検知する。検知したら対処法は実はいくらでもあるのでそれで復旧させていく。

被害情報収集からの防御法


鈴木:今の日本の話をすると、サイバーテロで先ほど防御法を話した。サイバーディフェンスの確立について前述したが、今の日本に対するサイバー攻撃では統計を取ると99%は海外からだ。すべて影響があるかどうかわからない。海外の1カ所ではなく何カ所かホップしてくる。被害は年々増加しているのが現実だ。情報通信機構がとった統計では 13秒に一回ずつ攻撃が来ている。攻撃が来てすぐ被害が現れるわけではないが、現実は攻撃が日本でもかなり頻繁になっている。電力設備、銀行の金融システムなどインフラになるところに入られると、影響がものすごく大きい。ウクライナでも攻撃は電力設備、製鉄所、製造工場を狙っていく、あるいは放送局を狙うなど目的はかなり特定されている。

 能動的サイバー防御として防御法が完成した。実を言うと政府、警察では既に起こっていることが分からない。個別の企業や個別の人間に起こっているため被害があると認知できない。そのため認知できるように被害のあった企業は、情報を上げてくださいという法律だ。航空会社、電力会社でも被害があったら知らせ、それを解析し、みんなの情報をひっくるめて相手を特定し、そのサーバーを事前に防御するのが前提の仕組みだ。軍隊のように戦争が起こって戦地に行くというのではない。どこで起こるか分からないのがサイバーの世界に難しいところなので、法律で担保をしないと実際に活動できない。実際に無害化する行動は、警察や自衛隊など専門的なところがやる。前段の状況は国内の協力がないとできないので法律が出来た。とくにインシデント情報、携帯インフラの会社から電子計算機の情報を取る。あるいは通信情報を取る、行政機関の中から被害情報を取るなど、いろいろな情報を集め分析をしていくのは第一歩だ。

遅延の無い新通信技術で文化を体感


鈴木:2025年の3次元の空間を、前の万博をやっていた吹田からNTTパビリオンという夢の島のあるところに3次元伝送をし、空間を伝送する実験をやろうとしている。新しい通信のシステムはどうなるのか。IOWN (Innovative Optical and Wireless Network)構想という光技術、無線のネットワーク技術を革新的にやろうという光電融合だ。電気の信号ではなく光の信号によって通信をやっていく技術を実験的にやっている。吹田でやり、台湾ともやった。台湾は京劇、日本は歌舞伎をIOWNパビリオンでやる。非常に文化的な融合が現実に出てくる。知らないものを目で見ることにより、単なる音声で聞く或いは目で見るだけではなく体感的に感じることができる可能性が非常に大きいと言う。このシステムで実現しようとするのが省電力だ。情報データセンターの電力問題だ。関東周辺では、データセンターを作るのは電力的に限界になりつつある。電力を百分の一ぐらいに抑えるような仕組みを考えなければいけない。これが1つの技術の問題で、伝送容量も125倍、遅延は200倍、 1/200だ。この前、大阪万博で北海道から九州まで日本全国合唱団が歌を歌った。万博会場で1つの音楽にして流したところ違和感が全くなかった。演奏会場の同期の技術だ。次の技術がどうなるか。非常に時間がかかり、2030年までにうまく行けばいいような息の長い話になる。

 通信の歴史はこの150年、インターネットはこの30年で劇的に変わった。150年前の時間と今とは、時間単位が全く違う。岩倉使節団は明治4年、不平等条約を直す手はじめにするため、あるいは欧米の各国の現場を調べるため、日本から52人が船に乗り、120日間で世界を一周してきた。岩倉がサンフランシスコに船が着き、東京の政府に無事にサンフランシスコに着いたと知らせることになった。長崎県知事に向けて日本政府に知らせてくれとの文章を電信で打った。当時は太平洋ケーブルがないので、実はサンフランシスコからニューヨークまでアメリカの陸路を横断して電報を打った。ニューヨークから海底ケーブルでロンドンへ行き、ロンドンから海底ケーブルでロシアのサンクトペテルブルグ、当時のロマノフ王朝の首都に行ってそれからシベリアをイルクーツクからウラジオストックを出て長崎へ行ったので、長崎県知事に送ることになった。この長崎知事宛への電信が一日で来た。ところが長崎から飛脚で東京まで10日間かかった。翻訳をしなければならないから合計14日かかって東京に行き、「サンフランシスコに無事到着した」との知らせが届いた。ネットワーク自体はノーザンテレコム社のネットワークを通じて行っているが、日本はそれくらいの遅れ、ギャップがあって、長崎などの海底線のおかげで、ようやく連絡がついた。飛脚で行ったのが明治の実情だ。そこからたどたどしく開発が始まった。日本の最初の国際通信は、デンマークの会社が日本との通信をやったことに始まる。

 インターネットができてから30年、大変な変化を引き起こした。これからの時代に更にどれくらい変化があるかわからないが、非常に情報量が多い世界になってくる。急速にスピードが速くなっているところに立ち至っている。

サイバーでもリアルでも外と付き合うことで逞しくなる


周:鈴木さんに150年の時間軸で、壮大なスケールで情報の時代を語っていただいた。150年前の人類の情報伝達は本当に限られていた。私の最初の専門はITで、博士論文のテーマは50年前から爆発的に成長した電子産業についてだった。情報の伝達を扱う電子機器機械が今から50年くらい前に爆発的に発展した。テレビ、コンピューター、携帯電話、半導体など、いまは当たり前のものが半世紀前にはほとんど存在しなかった。情報の伝達も早くなったと同時に、それを処理するハードウェアも大発展した。

 アジア工業化を一番引っ張った産業が電子産業だった。電子産業が日本、中国、ASEAN、NIES、NEICSで発展した。地政学的に大きな変化が起こったのは、情報伝達がスピードアップし、さらにそれを扱う電子機器を生産する産業が世界最大産業となったからだ。さらにハードウェア、ソフトウェアのネットワークのスピードが上がり、コンテンツ産業もものすごく発展した。世の中が変わるスピードはどんどんアップし、基礎の部分は、鈴木さんが大きな貢献をしてくださった通信産業だった。今日はこの歴史を非常にクリアにまとめていただいた。

鈴木:日本は難しいなと今思う。通信は、技術的にはものすごく進んだが例えば日本語は非常に特殊な言語だ。日本語は、主語が出てこない。例えば、紫式部が書いた『源氏物語』には主語が出てこない。人との関係で誰が話しているかを判断する。敬語、丁寧語、あるいは命令などの言葉によって、誰が誰に向かって話しているかをはっきりわからせる言語だ。例えば求婚をする時に、英語では「アイラブユー」、日本語の中ではそのフレーズを今の若い人は使うかもしれないが、「 私はあなたを愛しています」ということは言わない。「好きです」とか「結婚してください」だろう。極端な話、互いに向かい合いベンチに座って月を見て夏目漱石のように「今晩の月がきれいだ」など、何を言ってんだろうかと思うわけだ。互いにいい空間にいるねと知らせる。日本語は主語が出てこないゲームだ。

 ところが通信を媒介すると、誰が誰に向かって何をするか、物事を構成をするものが大事になる。皆は親しければ親しいほど同じ空間にいるから分かる。同じ空間にいるからどこかへ行こうとか言うが、違う空間にいた時には通じない。日本語が通じる中にいるから、そうした言葉でしゃべっても非難されない。日本語のように国に1つだけの言語という国は珍しい。中国も最近はマンダリンで統一化しつつあるが、地方によって全然言葉が通じないことはしょっちゅうある。インドの標準語はヒンズー語でも3億人しかしゃべっていないという。英語は3億4,000万人話している。違う言語で話をしていると、例えばジュネーブのお土産屋のおばさんは、フランス語も 英語も完璧にしゃべる。もちろん生活用語だ。そういうことに慣れていないまま日本語だけでやっていると何の違和感もなく会話がパンパン進む。

 だが、サイバーの世界、通信の世界は、誰が何をしているか、はっきりしないとわからない世界だ。ましてや国際間の自動翻訳が出てきた。どうするか? このあいだある会社でCEOが怒り狂っていた。「うちはマーケットの8割が海外なのに、海外の株主からみると日本の経営は解らない」。初任給制度は日本しかなく、経済学部、教育学部、工学部、どこであれ大学を卒業すれば、同じ初任給だ。海外で「一律初任給を2割上げた」と日本人が言ってもそんなことは通じない。要するに職業の能力によってそれぞれ給料が違う。大学を卒業した人も当然ながら給料が違うのは当たり前なのが世界の標準だ。言語の問題以前だ。

 言語の主語の問題も含め、日本のシステムは、いい制度といいシステムがたくさんある。が、日本のシステムは世界とは異なることを、自分の頭の中に認識をしておくことだ。言葉のやりとりを含め、ソフトウェア的なものが 非常にこれから大事になる。技術的な話だけではない。翻訳ができればできるほど分からない。英語でやっていたから互いに通じていた。だが自動翻訳を通じてやると間違える。

周:日本は本当に幸せな島国だ。同じ島国でもイギリスと比べ歴史上攻めてくる外敵もあまりなく外から受けた攻撃があっても神風が吹いて助かると言う。こういう国はユーラシア大陸から来た私から見るとすごく幸せだ。幸せの国で何が起こるか。例えばインドネシアあたりの島で原始人が絶滅した原因は、外と交流しなかったため脳がものすごく小さくなってしまった。外からの攻撃を受けた途端たちまち絶滅した。内に閉じこもる幸せに浸りすぎると思考力がなくなる。だから、そういうサイバー空間でさまざまなところと付き合うことでむしろ若者はさらに鍛えられ、逞しくなっていくと良い。

【対談】鈴木正俊 VS 周牧之(Ⅱ): IT革命の本質はテックパワーの民主化に続く)

講義を行う鈴木正俊 ミライト・ホールディングス元社長(左)と周牧之 東京経済大学教授(右)

プロフィール

鈴木 正俊 (すずき まさとし)
NTTドコモ元代表取締役副社長、ミライト・ホールディングス元代表取締役社長

 1951年静岡県生まれ。1975年東北大学経済学部卒業、日本電信電話公社入社。NTTドコモ取締役広報部長、同取締役常務執行役員、同代表取締役副社長。ミライト・ホールディングス代表取締役社長、ミライト代表取締役社長、ミライト・ホールディングス取締役相談役などを歴任。