周牧之 東京経済大学教授
編者ノート:2020東京五輪は、新型コロナウイルスパンデミックによる1年の延期を経て、2021年7月23日から8月8日まで開催された。様々な困難を乗り越え競技自体は順調に展開された。
同大会での金メダルランキングを見ると、中国は38枚、日本は27枚と、アメリカに次いで第2位、第3位に入った。オリンピック125年の歴史上、金メダルトップ3に、初めてアジアの国が2カ国入った。東京経済大学周牧之教授は、五輪でのアジア躍進の裏にあるもう1つの金メダル攻防戦を解き明かす。
1. 金メダルの鉱脈をどう作る?
日本は2020東京オリンピックで27枚の金メダル、14枚の銀メダル、17枚の銅メダルを獲得、計58枚のメダル奪取は日本の五輪大会参加史上最高数となった。とくに柔道は、金メダル9枚を奪い、日本の金メダル総数の三分の一を稼ぐ最大のゴールド競技種目となった。
表1で示すように2020東京五輪は、史上最多の33競技種目が行われ、なかでも柔道は15枚の金メダル数を誇る一大競技種目だった。
柔道は1964東京五輪で初めて採用された競技種目で、当時の金メダル数は僅か4枚であった。その後、種目メダル数を徐々に増やした柔道は、水泳、陸上、体操、自転車、レスリング、カヌーに次いでメダル数を誇る五輪競技種目となった。まさに「小さく産んで大きく育てた」成功事例である。
表1 2020東京五輪33競技種目における金メダル数
柔道は、正式なオリンピック競技種目となって以来、一貫として日本の最大の金メダル競技種目であり続けた。
表2で示すようにとくに、1992バルセロナ五輪、1996アトランタ五輪、2000シドニー五輪、2004アテネ五輪において柔道は、日本の金メダル総数のそれぞれ67%、100%、80%、50%を稼いだ。柔道は、これらの五輪大会で日本の金メダル争奪戦の支柱であった。
柔道が競技種目から外された1968メキシコシティ五輪及び日本が参加をボイコットした1980モスクワ五輪を除き、これまでに柔道競技種目のあった五輪大会は計13回あった。日本はこれら13回の大会で獲得した計134枚の金メダルのうち、柔道だけで48枚をも稼いだ。メキシコシティ五輪を入れても、1964東京以降の五輪大会における日本の金メダル獲得総数の中で、柔道種目が占める割合は33%に至った。全体として見ても日本にとって柔道は、五輪で最も貢献度の高い競技種目であった。
これらの五輪大会での柔道種目の金メダルは計152枚あり、日本はその32%を勝ち取った。同種目における王者ぶりを見せつけた。
表2 各五輪大会において日本が獲得した柔道金メダル数
2020東京五輪では新たにスケートボード、スポーツクライミング、サーフィン、空手、野球・ソフトボールの5つの競技種目が加わった。これらの新設競技種目も直ちに日本の金メダル獲得に大きく貢献した。
日本は同新設5競技種目で、金メダル6枚、銀メダル4枚、銅メダル4枚を勝ち取った。これは今大会で日本が得た金メダル総数の22%、銀メダル総数の29%、銅メダル総数の24%に当たる。新設競技種目が果たした効果は絶大であった。
表3で示すように、1964東京五輪で新設した柔道とバレーボールの2競技種目も加えれば、二度の東京五輪で新設した計7競技種目で、今大会の日本チームに、合わせて15枚の金メダルがもたらされた。これは2020東京五輪における日本の金メダル獲得総数の56%にも相当する。
表3 2020五輪各競技種目における日本の金メダル数
2.アジア四度の五輪における種目新設ゲーム
初回の1896アテネ五輪大会では陸上、競泳、ウエイトリフティング、射撃、自転車、レスリング、体操、フェンシング、テニスの9競技種目しかなかった。2020東京五輪になると、種目数は33に増え、金メダル数も339枚に上った。1896アテネ五輪から2020東京五輪までの125年間で多くの国が、自国に有利な競技種目をオリンピックに引き入れた。
(1)国際オリンピック委員会と開催国とのパワーバランス
オリンピックにおける競技種目の新設はハードルが高く、審議の過程が複雑である。しかし競技種目の新設に関しては、時期によって多少違いはあるものの、五輪開催国が一定の提案の権限を持つ。
大雑把に整理すると、1984ロサンゼルス五輪まで、五輪大会のビジネスモデルが確定せず赤字続きで大会開催国(都市)の確保が困難だった。そのため、国際オリンピック委員会(IOC:International Olympic Committee)と開催国(都市)のパワーバランスはより後者にあり、競技種目の新設に関する主導権も後者に有利だった。
1984五輪では開催都市の申請はロサンゼルスのみであった。それを契機に、ロサンゼルス五輪ではピーター・ユベロスの主導で放送料権の入札、1業種につき1社に限定でのスポンサー契約など思い切った取り組みが行われ、テレビ放送料権、スポンサード(協賛金)、観戦チケット販売の3本柱からなるビジネスモデルが確立され、五輪大会の収益が急増した。さらに、衛星伝送技術による全世界に向けたテレビ中継により五輪人気が高まった。これにより、IOCのパワーが増大し、新設種目に関するIOCの規制も徐々に強まった。
(2)アジア五輪での競技種目の新設
アジアにおいて、初めてのオリンピック開催は1964東京五輪であった。日本は開催国の地位をうまく活かし、柔道とバレーボールを新設競技種目として取り入れることに成功した。
1964東京五輪で、日本は4枚あった柔道の金メダルのうちの3枚を取った。バレーボールでは2枚の金メダル争いのうち、いわゆる「東洋の魔女」が女子の金メダルに輝き、男子は銀メダルを獲得した。同大会で日本は合わせて16枚の金メダルを獲得し、その四分の一を新設競技種目の柔道とバレーボールが占めた。
アジアでの二度目のチャンスは、1988ソウル五輪であった。この大会では卓球が新設競技種目入りし、バドミントン、テコンドー、野球も初めて公開競技としてオリンピックの舞台に登場した。
ソウル五輪で、卓球は直ちに韓国に2枚の金メダルをもたらした。バドミントンと野球はソウル五輪での公開競技を経て1992バルセロナ五輪に、テコンドーは2000シドニー五輪でそれぞれ正式競技種目となり、韓国の金メダル獲得種目となった。卓球、バドミントン、テコンドー、野球の4種目はこれまでの五輪大会で、韓国に合わせて22枚の金メダル、13枚の銀メダル、27枚の銅メダルをもたらした。
残念ながら2008北京五輪において、競技種目の新設は成らなかった。中国は自ら金脈を掘るチャンスを逃した。
日本は、競技種目の新設にあたり、1964東京五輪の経験と、その後半世紀の準備期間を踏まえ、2020東京五輪で一挙に5つの競技種目を新設することに成功、金メダル攻防戦における礎をさらに強固にした。
3.中国のオリンピック金脈:強くても、メダル数に欠け
二度の東京五輪とソウル五輪で新設された競技種目は、10種目にのぼる(公開競技として登場し、その後正式競技種目になったものを含む)。この10種目すなわち柔道、バレーボール、卓球、バドミントン、テコンドー、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィン、空手、野球・ソフトボールのほとんどは、アジア人の身体能力に適した競技種目である。
実は、こうした競技種目は中国の金メダル獲得にも多大な貢献を果たした。今回の東京五輪大会で、中国はこの10種目で金メダル6枚、銀メダル8枚、銅メダル2枚を獲得した。
とりわけ中国は卓球で4枚、バドミントンで2枚の金メダルを奪った。これは、この2つの競技種目の金メダル数の、各々五分の四、五分の二に当たる。
これまでの五輪大会で、中国は卓球で累計32枚の金メダルを獲得した。これは同競技種目の金メダル数の86%を占めている。バドミントンでは中国は合計20枚金メダルを獲得し、これは同競技種目の金メダル数の51%を占めた。卓球とバドミントンの両競技種目は圧倒的優位で、中国金メダルの大鉱脈となった。
しかし、金メダル数からすると、この二競技種目で獲得できる枚数はなかなか増えていない。その理由は、卓球がソウル五輪以来、金メダル数は4枚に止まり、2020東京大会でようやく5枚となったことにある。
バドミントンも、1992バルセロナ五輪で正式種目となり、4枚の金メダルを据え、1996アトランタ五輪でバドミントンの金メダル数は5枚になったものの、その後金メダル数に変化はない。
卓球とバドミントンの金メダル数は、柔道のように当初の4枚から現在の15枚へと大金脈に発展するような展開にはなっていない。
それにも関わらず、中国のこれまでの五輪での金メダル獲得総数の中で卓球は、水泳、ウエイトリフティング、体操に次いで第4位の競技種目である。バドミントンも同第6位の種目となっている。
上記の分析から、強い競技種目における金メダル数を如何に増やしていくかについても、オリンピック金メダル攻防戦における一つ重要な課題であることが分かる。
4.武術の五輪への道程
武術をオリンピック競技種目にするのは中国人の夢である。特に柔道、テコンドー、空手が相次ぎ五輪正式競技種目となったいま、夢実現への思いはさらに強まっている。
(1)武術はこれまで、なぜ五輪の正式競技種目になれなかったのか。
武術にとって2008北京五輪は正式競技種目になる絶好のチャンスであった。しかし主催国の「特権」を駆使したにも関わらず、武術は最終的に同五輪期間では「2008北京五輪武術トーナメント」としての特別開催にとどまった。その後の五輪大会においても武術はいまだオリンピック正式競技種目にはなれていない。
十分な準備期間がなかった故であろうか?
柔道の場合は、1951年に国際柔道連盟(IJF:International Judo Federation)の設立から1964東京五輪で正式競技種目になるまで13年かかった。テコンドーの場合は、1973年にワールドテコンドー(WT :World Taekwondo)が設立し2000シドニー五輪で正式競技種目となるまで27年かかった。空手は、1970年の世界空手連合(WUKO:World Union of Karate Organizations)設立から2020東京五輪での正式競技種目採用まで50年を費やした。
武術の場合は、1990年国際武術連盟(IWUF:International Wushu Federation)の設立から2008年の北京五輪まで18年もあった。この時点ですでに柔道の場合より準備期間が長かった。さらに2020東京五輪までは30年の準備期間を擁していた。その意味では決して時間が足りなかったとは言えないだろう。
実際の問題は、武術の競技種目としての中身の設置戦略にあった。
武術を北京五輪正式競技種目として申請するにあたり、2001年に国際武術連盟がIOCに提出した設置案の中身には、男子は長拳、南拳、刀術、棍術の4種目が、女子は長拳、太極拳、剣術、槍術の4種目が挙がった。競技種目としての中身が煩雑で統一したルールもなく、審議が通らなかったのも当然であった。
(2)柔術をスポーツへと生まれ変わらせた柔道
前述のように、武術と対照的な事例は柔道である。柔道の成功要因には、嘉納治五郎が早くも1882年に柔術理論及び技術の体系をとりまとめ、危険性のある技を取り除き、近代的な訓練方法を制定したことが挙げられる。これにより伝統的な柔術は、近代的な柔道というスポーツへと生まれ変わった。1909年東洋初のオリンピック委員会委員となった嘉納治五郎のような近代スポーツに理解のある人物による柔術のスポーツへの改造が、極めて重要な役割を果たした。
第二次大戦後、日本は世界に柔道を積極的に広めると同時に、スポーツとしての柔道の規範をさらに改善し、世界に受け入れられる競技へと発展させた。
1964東京五輪で日本は柔道を金メダル4枚の正式競技種目として、織り込んだ。その後徐々に性別、重量別の金メダル数を増やし、最終的に15枚の金メダルを誇る一大競技種目に仕立て上げた。柔道は、いまや日本のオリンピックにおける大金脈となっただけでなく、日本の歴史文化を世界へ伝える一大ソフトパワーともなっている。
柔道の経験から見ると、武術の五輪への道は先ず種目の中身をシンプルに絞る必要がある。数多くの武術種目をいくつかの競技種目に分け、段階的にオリンピックに織り込んでいくことが考えられる。
何より大事なのは、伝統的な武術を近代的なスポーツへと変貌させていくことである。そのためには、柔術を柔道へ変身させた嘉納治五郎や、テコンドーを近代スポーツとして形を整えた崔泓熙のような人物を中心に協議を重ね、五輪競技種目化への整備を進めることが重要となる。
(3)太極拳に的を絞る
上記の分析から、武術の五輪への道は先ず、国際的な愛好者の多い太極拳に的を絞って進めることが考えられる。
現在、世界の太極拳愛好者は億人単位にのぼると言われ、国際的な知名度も好感度も高まっている。太極拳を五輪種目入りさせるには、以下に挙げる3つのステップが必要であろう。
① 数多くの流派がある太極拳を、近代スポーツとしての太極拳として、その統一的な競技ルールを取り決める。
② 太極拳を国際武術連盟に属するひとつの種目として留め置くことなく、独立した国際太極拳連盟を設立し、IOCの認可を得る。
③ 国際的な普及を進め、オリンピック正式競技種目として申請する。正式競技種目となった後にも継続して同種目における金メダルの設置数を増やしていく。
自国の伝統文化をオリンピックの金脈として形作るには、正確な戦略と長期にわたる努力が欠かせない。
5.アジア五輪での新設競技種目はアジアに貢献
前述したように初開催の1896アテネ五輪大会では9つの競技種目のみであった。当時アジアでは近代スポーツに関する認識がまだ薄かった。これらの種目にもアジア発のものはなかった。
アジアで、これまで四度行われた五輪のうち、東京五輪とソウル五輪で新設された競技は、10種目にのぼる(公開競技として登場し、その後正式種目になったものを含む)。表1が示すように、これらアジア五輪新設種目は今回の東京五輪の33種目の30%にあたり、その金メダル数は全種目合計339枚の16%に当たる。
アジア五輪で新設された競技種目のほとんどは、アジア人の身体能力に適した種目である。こうした競技種目の増設により、アジア諸国のオリンピックにおける存在感も高まった。2020東京五輪で金メダル獲得数のトップ3に中国と日本という2つのアジアの国が入ったことは、競技種目の新設努力によるものが大きい。
表4が示すように1964東京五輪以来、アジア五輪新設競技種目が稼ぎ出した金メダル数は、日本の金メダル獲得総数の40%にものぼった。
表4 アジア五輪の新設競技種目で日本が獲得した金メダル数
表5が示すように、韓国が1964東京五輪以来、アジア五輪新設競技種目で稼ぎ出した金メダル数は、同国の金メダル獲得総数の34%にものぼった。アジア五輪新設競技種目は韓国の五輪の成績にも大きく貢献した。
表5 アジア五輪の新設競技種目で韓国が獲得した金メダル数
表6が示すように中国は1984ロサンゼルス五輪で初参加して以来、アジア五輪新設競技種目が稼ぎ出した金メダル数は、同国の金メダル獲得総数の26%にのぼった。アジア五輪新設競技種目は中国の五輪成績に大きく貢献した。前述したように卓球とバドミントンがすでに中国の強い競技種目となっていた。それだけではなく、これまでに柔道、テコンドーでもそれぞれ8枚、7枚の金メダルを獲得した。バレーボールも人気が高く、これまでに3枚の金メダルを獲得している。これらのアジア五輪新設競技種目は中国に金メダルをもたらしただけではなく、人気スポーツとして中国での普及が進んでいる。
表6 アジア五輪の新設競技種目で中国が獲得した金メダル数
アジア五輪新設競技種目には柔道、テコンドー、空手などアジア諸国の歴史文化のバックグラウンドを持つ競技もある。これらの競技種目は、関係国のソフトパワーを世界へ発信する大きなチャンネルとなった。
特記すべきは、こうした新設競技種目が、アジアにおける人的交流をも一層促進したことである。
6.中国における卓球の「北強南弱構造」
卓球は1988ソウル五輪から正式競技種目になって以来、合計37枚の金メダルが出た。中国はそのうち86%に当たる32枚を獲得した。卓球はいまやオリンピックおける中国の最強種目となっている。
中国を、長江を境として北部と南部とに大雑把に分け、これまでの計29人の卓球五輪金メダリストを出身地別に見た。21人が北部出身であり、特に東北地方出身者は10人にのぼった。南部出身者は8人であった。すなわち中国卓球五輪金メダリストの出身地では北部は72%、南部は28%となっている。
表7 中国の卓球五輪金メダリスト出身地
中国の卓球オリンピック金メダリストに北部出身者が多いだけではない。興味深いのは、日本のトップクラスの卓球選手の多くが、流暢な北部訛りの中国語を喋ることである。日本の一流選手のコーチに、中国北部出身者が多い故である。
中国の卓球選手が選手として、そしてコーチとして、世界各国で活躍して久しい。
この現象はスポーツとしての卓球の世界的普及に大きな役割を果たしてきた。日本でも大勢の中国出身の卓球コーチが日本人選手育成に尽力している。これら中国北部出身のコーチは日本で教えるだけでなく、教え子をふるさと中国での強化合宿に連れて行く。中国での特訓で育てられた日本人選手は、自然と北部訛りの中国語を会得する。
例えば四度の五輪出場を果たした日本人卓球選手の福原愛は、専属コーチも専属スパーリングパートナーも中国東北地方出身者であった。彼女はまた中国遼寧省にある本渓鋼鉄クラブに所属したことで、東北訛りの中国語にさらに磨きをかけた。
卓球のオリンピック金メダル分布は、中国で「北強南弱構造」になっているだけではなく、世界的に見ても中国、日本、韓国といった北東アジアに集中する構造になっている。
これまでのオリンピック大会の卓球競技の結果を見ると、中国は金メダル32枚、韓国は同3枚、日本は同1枚を取り、三カ国合計で同種目97%の金メダルをものにした。唯一の例外は1992バルセロナ五輪でスウェーデンの選手が金メダルを1枚獲得したことである。
北東アジア三カ国が、オリンピックにおける卓球金メダルを総ナメできたことは、同地域における濃厚な人的交流の賜物である。
卓球は日本ではオリンピックで決して強い種目ではないものの、人気が高い。これは中国の選手との長い交流や切磋琢磨の歴史が寄与しているといっていい。
これに加え、卓球を介した歴史的なエピソードも残っている。1971年、愛知県名古屋市で行われた第31回世界卓球選手権に、中国が6年ぶりに出場し、大会終了後に中国がアメリカの卓球選手を自国に招待したことを契機に世界のパワーバランスが大きく変わった。同年7月にキッシンジャー大統領補佐官が極秘に訪中、1972年2月にニクソン大統領が訪中、のちの日中国交正常化もすべてがこの「ピンポン外交」の賜物であった。中国の改革開放そしてソ連の崩壊も、こうしたパワーバランスの変化の結果といえよう。卓球を介した歴史の大転換を記念する行事は、いまなお日本で開催されている。
AI対話アプリを提供するSELFが2020東京五輪の直後に実施した「東京オリンピックに関するアンケート調査」では、「東京オリンピックで、あなたが最も楽しんだ競技は?」の回答で、ダントツ1位に輝いたのは卓球だった。オリンピックで最も金メダルを稼いだ柔道は第3位であった。卓球の絶大な人気には、アジアの人的交流の積み重ねがある。
歴史のさまざまな要因で北東アジアの国と国との関係と感情には、いまだ対立と不信感が残っている。しかし、長い交流の歴史があるゆえに、北東アジアにおける個人と個人の間には、強い磁力がある。
7.中国におけるバドミントンの「南強北弱構造」
中国での卓球の「北強南弱構造」と真逆なのが、バドミントンの「南強北弱構造」である。
バドミントンは1988ソウル五輪で公開競技種目となり、1992バルセロナ五輪で正式競技種目となった。その後のほぼ30年間の五輪大会で、バドミントンは合計39枚の金メダルを出した。中国はそのうち51.2%にあたる20枚をも獲得した。バトミントンは中国にとってオリンピックで金メダルを稼げるもうひとつの強い競技種目であった。
五輪史上中国の計22人のバドミントン金メダリストの出身を調べると、表8が示すように今度はなんと南部出身者が多かった。具体的には、長江以北が僅か5人で、長江以南が17人に上った。すなわち中国バドミントン五輪金メダリストの出身地では南部は77%、北部は23%となっている。
表8 中国のバドミントン五輪金メダリスト出身地
視野を中国からアジアに拡げると、オリンピックのバドミントン金メダル数は累積で中国のほかインドネシア8枚、韓国6枚、日本1枚、中華台北1枚となっている。オリンピックのバドミントン金メダルにおけるアジアの国と地域の獲得率は92%にものぼる。ここに、もう1つアジアにおける人的交流の道が見えてくる。
中国でのバドミントンの発展は、インドネシア華僑の貢献が大きい。1954年王文教ら4人の華僑がインドネシアから中国に帰国したことが、スポーツとしてのバドミントンの中国展開の始まりであった。1960年、インドネシアから湯仙虎、侯家昌、方凱祥、陳玉娘ら青年選手が相次いで帰国したことが、中国のバドミントンパワーのさらなるアップにつながった。これらインドネシア華僑が選手として、またコーチとして中国のバドミントンの礎を築いた。
上記に鑑みれば、これら華僑のルーツにあたる中国の南部でのバドミントンの人気と強さは当然であろう。
8.新時代におけるさらなる国際交流を
歴史の流れで見れば、今日のアジア諸国は周辺の国々との交流の中で形作られてきた。中国の北部と北東アジアにしろ、南部と東南アジアにしろ、それぞれ密接な人的交流を重ねてきた。こうした脈絡はオリンピックで活躍する選手の背中から伺える。
アジアの国家間のセンシティブな関係は多くの場合、歴史的な重荷として捉えられている。だが、いま、アジアにおける濃厚な人的交流をこそ、貴重な歴史遺産として認識すべきである。今日、世界のパラダイムシフトの中で、こうした歴史遺産を活かし、アジアにおける平和と繁栄を築いていくべきである。
1984年ロサンゼルス五輪以来、テレビ中継をテコに、オリンピックは人気と収益の増大を実現させた。しかし、時代はすでにテレビからネットへ、そして国本位から人間本位へと急速にシフトしている。こうした新時代にふさわしい競技種目の選定、そして五輪の新しいビジネスモデルの確立が大きな課題となっている。IOCもこれを意識し、2021年3月12日の第137次IOC総会で採択された「オリンピック・アジェンダ2020+5」は、「連帯」、「デジタル化」、「持続可能な開発」、「信頼性」、「経済的・財政的なレジリエンス」を訴えている。
IOCの改革を受けて、ネット時代におけるデジタル交流を含む人的国際交流の一層の深まりが期待される。
(本稿では雲河都市研究院主任研究員の甄雪華、趙建の両氏がデータ整理に携わった)
日本語版『東京オリンピックから見たもう1つの金メダル攻防戦』(チャイナネット・2021年10月19日)
中国語版『从东京奥运会看亚洲人文交往格局』(中国網・2021年8月31日)
英語版『A look at Asia’s people-to-people exchanges from Tokyo 2020』(China Net・2021年9月6日)