天津市

CICI2016:第5位  |  CICI2017:第5位  |  CICI2018:第5位  |  CICI2019:第8位


GDPの水増しで物議を醸す

 天津市は中国4大直轄市の1つである。西側には北京市、東側には渤海を望み、かつて洋務運動の重要な拠点として、中国で西洋の制度及び技術を最も早く取り入れた都市の1つである。面積は約11,917km2と秋田県とほぼ同じ面積で、約1,517万人の常住人口を抱えている。また、世界第10位のコンテナ取扱量(2017年)を誇る天津港を有している。天津港は中国北方における貿易の窓口を担い、後背地はモンゴルやカザフスタンにまで及んでいる。

 ところが、天津市は、市内に設置された「経済開発区(浜海新区)」の GDPの水増し問題で最近世間を騒がしている。2018年1月の同市政府発表によると、同経済開発区2016年のGDPに3割の水増しが発覚した。

 中国ではかねてより地方政府による統計の水増しが指摘されてきた。現在、中央政府は統計基準の調整や捏造への罰則を強めるなど対策に本腰を入れている。統計への疑義を指摘されている地方政府はまだ多数あり、今後も統計データの修正は続いていくと予想される。

(2016年度日本語版・トップ10都市分析)


第15回中国(天津)国際工業博覧会

 2019年3月、「第15回中国(天津)国際工業博覧会」が開催された。同博覧会は世界三大工業博覧会の1つに数えられ、今回の博覧会には世界20以上の国と地域から有名企業約千社が一堂に会し、世界中の先進的な設備や技術が展示された。

 天津は清朝末期、「洋務運動」で中国の工業化を牽引する役割を果たしただけではなく、国際的な商業都市としても栄えた。しかし新中国建国後は、計画経済のもとで工業都市に特化した。改革開放以降も工業を中心として発展を遂げてきた。

 その結果、〈中国都市総合発展指標2018〉によると、「製造業輻射力」全国ランキングにおいて、天津は北方都市の最高順位である第8位を獲得した。上記の国際工業博覧会の天津での開催にはこうした背景がある。

 同じ直轄市の中でも北京や上海は国際的な商業都市として、サービス産業の発展が著しい。これに対して、天津はサービス産業の発展が相対的に遅れている。〈中国都市総合発展指標2018〉によると、「飲食・ホテル輻射力」ランキングで上海は第1位、北京は第2位であるのに対して、天津は第16位と引き離された。「文化・スポーツ・娯楽輻射力」ランキングでは北京が第1位、上海が第2位に対して、天津は第13位だった。さらに、「卸売・小売輻射力」ランキングでは北京が第1位、上海が第2位、天津は第10位であった。

 近年、中国ではIT産業の発展が目覚ましい。しかし製造業とは異なり、IT産業の発展は、都市の商業環境に大きく左右される。南開大学、天津大学といった名門大学を抱えながら、天津のIT産業の発展は芳しくない。「IT産業輻射力」ランキングでは、第39位と、直轄市にふさわしくないパフォーマンスだった。

(2018年度日本語版・トップ10都市分析)

天津が推進するナイトエコノミー

 天津もサービス業の発展を推し進めるために、様々な施策を行っている。その1つに「ナイトエコノミー」がある。2018年11月、天津市政府はナイトエコノミーの発展を加速する「意見」を発布した。天津は、臨海部という立地を活かした景観づくり、東西文化を融合させたナイトエコノミー集積地の形成、豊富な生活文化娯楽コンテンツの設置など、多岐にわたる施策やプロジェクトを立ち上げている。

 もともと中国では北方の都市の夜は早仕舞いが一般的だった。首都北京ですらレストランの閉店時間が早く、南から北京に来る客の不満が絶えなかった。というのは、南の都市の夜は長く、賑やかだからだ。

 計画経済で商業都市の面影をほぼ消し取られた天津の夜は、長く闇に包まれていた。活気を入れるため天津はナイトエコノミーを打ち出した。しかし、施策やプロジェクトの中身を見てみると、ライトアップ、屋台街の設置などのインフラ整備や、過剰ともいえる政府の介入がほとんどであった。ナイトエコノミーは自発的なものであることがあまり意識されていないようだ。

(2018年度日本語版・トップ10都市分析)

ブームが去ったシェア自転車

 かつて中国が自転車王国だった時代、三大国産自転車ブランドの1つが天津産だった。こうした天津のブランド自転車は、当時若者にとって新婚生活“三種の神器”の1つとしても、人気が高かった。

 急激なモータリゼーションにより中国の街で自転車の存在感はだいぶ薄まった。自転車が再び注目を集めたのは、シェア自転車ブームであった。シェア自転車は中国で2015年に誕生し、1年も経たないうちに爆発的に全国に拡大した。北京などの大都市では、街そのものがシェア自転車駐輪場の様相を呈した。

 天津は、シェア自転車ブームに乗って、上海、深圳と並んで三大自転車産地になった。中国北部で最大の自転車生産規模を誇っていた。

 だが、過当競争や放置自転車問題、保証金トラブルなどを理由に、5年がたった今ではシェア自転車ブームは急激に色あせていった。

 狂想曲のようなブームが落ち着いたシェア自転車だが、それでも都市交通に自転車を呼び戻した功績は大きい。また、中国経済や文化に「シェア」という概念を持ち込んだことは大きな意味をもつ。

(2018年度日本語版・トップ10都市分析)


天津の都市文化「相声(漫才)」

 近年、中国では再び「相声」ブームが巻き起こっている。相声とは日本の「漫才」に似た中国の伝統的な大衆芸能の一つである。諸説あるが、「相声」はおよそ100年前に北京で生まれたとされ、その後天津で発達し、今や天津を代表する文化となっている。「相声」を含む天津の「無形文化財」は〈中国都市総合発展指標2017〉で全国第9位となっている。

 一時は低迷した「相声」に再び脚光を浴びせた立役者が、天津出身の相声芸人・郭徳綱である。郭徳綱は伝統的な「相声」を現代風にアレンジし、ユーモアに溢れながらも世相を辛辣に皮肉ることで人々の心をつかんでいる。今や彼の人気は老若男女問わず高く、相声界のフロントランナーとして中国内外で活発な活動を展開している。郭徳綱は2017年夏、日本をはじめて訪れ、東京公演で大成功を収め、在日華人らを爆笑の渦に巻き込んだ。好評のため翌2018年に再び東京公演を行い、ファンを増やしている。

 「相声」は2008年に中国の国家無形文化遺産に登録された。天津の歴史的な民俗文化と市民文化の象徴として、天津人の精神の拠り所ともなっている。

(2017年度日本語版・トップ10都市分析)

新たなランドマーク公共図書館「浜海新区文化センター」がオープン

 天津市の経済開発区、浜海新区に2017年末、従来の中国の図書館のイメージを覆す公共図書館「浜海新区文化センター」がオープンした。新たなランドマークとなった同センターは、地上6階建てで高さは約29.6 m、総面積は3.4万 m2にもおよび、開館時の蔵書数は20万冊で、収蔵能力は120万冊の規模を誇る。

 建物は流線形の近未来的なデザインで構成され、壁沿いには天井から床まで覆う階段状の書架がうねりながら棚田のように連続している。来館者は書棚の横を歩きながら自由に上下階を行き来できる。設計・デザインは、世界的に著名なオランダの建築設計会社「MVRDV」が手がけて話題を呼んだ。

 「浜海新区文化センター」の様子がネットで公開されるやいなや、国内外のさまざまなメディアが取り上げ、米国『タイム』誌は2018年の観光地ランキング「行く価値のある世界100カ所」の中で、「浜海新区文化センター」を映えある第1位にランク付けした。

 「公共図書館蔵書量」全国第8位の天津に相応しい「浜海新区文化センター」には、週末に平均1.5万人が訪れるという。もはや図書館だけの機能にとどまらず、世界中の人々を魅了する21世紀の社交空間としても日々存在感を増している。

(2017年度日本語版・トップ10都市分析)

天津進出25周年を迎えた伊勢丹

 日本の老舗百貨店伊勢丹が2018年、天津進出25周年を迎えた。1993年オープンした上海淮海路店に続き、同店は中国第2号店である。当時、天津市政府側には、北京、上海に次ぐ中国第三の都市として国際的な百貨店を誘致したいとの意向があり、外資系大型百貨店としては同店が天津市で第1号となった。2013年には浜海新区に天津2号店もオープンしている。

 1992年の中国小売業の開放により、日系百貨店は早い段階から中国市場に進出した。

 参入初期こそ日系百貨店は売場、商品、販売サービスなどの面で消費者の支持を得て業績を伸ばしたものの、現在では業績不振が続き、撤退を余儀なくされる百貨店も少なくない。中国の百貨店は全体として国内資本のパワーアップも相まって競争が激化し、さらに消費者ニーズの変化やeコマースへの対応も後手に回り、大いに苦戦を強いられている。

 伊勢丹も中国内の一部地域では業績が伸び悩んでいるものの、天津での売上は好調である。その強さの理由は、顧客満足度の高さだという。困難な時代を乗り越えていくために顧客情報の丁寧な分析によって常に顧客ニーズに合った商品を展開させ、店舗づくり、組織改革、商品開発などあらゆる面で、徹底的に改革を続けている。日本の百貨店が〈中国都市総合発展指標2017〉の「卸売・小売輻射力」全国第7位の都市で善戦を続けている現実は、海外小売業界の中国展開にひとつの示唆を与えている。

(2017年度日本語版・トップ10都市分析)


停滞する天津エコシティ開発

 統計水増し問題のあった浜海新区には、中国とシンガポールが共同で建設を進めている「天津エコシティ(中新天津生態城)」がある。天津エコシティとは、天津市郊外の約30km2の塩田跡に、2020年ごろまでに人口35万、住戸11万戸を建設する環境配慮型の次世代都市建設プロジェクトである。投資額は約500億元を見込み、環境配慮型都市開発のモデルとなることが期待されていた。

 中央政府肝いりではじまったこのプロジェクトは、2008年9月から建設が開始され、2018年で工事開始から丸10年が経過する。天津市政府発表では、2016年末で人口は7万人に達し、住戸数は2.7万戸を供給済み、固定資産投資額は累計で約324億元(約5.4兆円)に到達したという。

だが、これら発表された数値を見ても、建設の進捗状況は芳しくないのが実情のようだ。浜海新区全体の開発も遅々として進まず、その閑散とした様子は「鬼城(ゴーストタウン)」と揶揄されている。

 さらにこうした状況に拍車をかけたのが2015年8月、同開発区内の危険物倉庫で発生した大規模な爆発事故である。この事故により天津港は一時港湾機能が麻痺状態に陥り、経済損失額は直接的なものだけで約68.7億元(約1,200億円)にのぼるという。

(2016年度日本語版・トップ10都市分析)

日本との交流

 アヘン戦争後の1860年にイギリスが天津市に租界を設立してから、新中国成立に至るまで日本を含む9カ国が天津市に租界を設立していた。近代日本と中国の最初の接点は上海市と天津市であり、天津市からは華北地域の特産品である「栗」が日本に多く輸出されたことで、「天津甘栗」の名前が馴染みである。

 中国の改革開放後、日本政府は巨額な有償・無償の経済援助を行い、日本企業の対中直接投資も拡大を続け、天津にも多くの日系企業が進出した。貿易については、中国の輸入先として2016年、日本は国別で第2位に、金額は1,456億ドル(約15.5兆円)となった。輸出でも1,292億ドル(約13.8兆円)で同第2位となり、日本は中国にとって重要な貿易パートナーとなっている。中国北方の玄関口としての天津が果たした役割は大きい。

 そうした日中関係を象徴するように、2016年に天津市を訪れた外国人は約309万人で、その約4割が日本人であったことが市政府の発表で明らかになった。

(2016年度日本語版・トップ10都市分析)