【ディスカッション】世界経済を支える東アジア経済圏の成長 〜竹中平蔵・大西隆・黒川清・周牧之〜

上海・東京グローバル・コンファレンス


編集ノート:
リーマンショックの直後、中国成長への期待が高まる中で開かれた「上海・東京グローバルコンファレンス」で竹中平蔵氏をモデレーターに、大西隆氏、黒川清氏、周牧之氏がアジアの課題と将来について議論した。10数年前に「世界のパラダイムシフト」「大都市の時代」「都市の魅力」「アントレプレナーシップ」「アジアの活力」「中国からエネルギーを」「グローバルコミュニティに積極的に参加」などのキーワードで語られた内容を、今日再読すると、日本と中国の変化と変わらないところが鮮明に浮き上がる。


日時:2009年11月18日開催

モデレーター:
竹中平蔵 
アカデミーヒルズ理事長、慶應義塾大学教授

パネリスト:

大西隆 東京大学教授
黒川清 政策研究大学院大学教授
周牧之 東京経済大学教授

※肩書きは2009年当時


1.日本と中国のパートナーシップのカギは“都市”


竹中平蔵 アカデミーヒルズ理事長/慶應義塾大学教授

竹中平蔵:きょうお集まりのパネリストの皆さんは、それぞれバックグラウンドの分野が違う先生方です。したがって、あえて厳格に問題設定せずに、最初にお一方5分ずつ、東アジアの交流の問題、ないしは上海・東京の都市問題にどのような視点をお持ちかということを話していただこうと思います。

大西隆:私は都市工学という分野の人間です。「アジアの時代が来る」「都市の時代だ」とよく言われますが、私は地域を見るときに「いろいろな活動の総和は、ある程度人口で代弁される」と思っているので、最初に人口に着目します。

 ご承知のように、アジアの人口は今世界で一番シェアが高くなっています。一方、都市人口を見てみると、第二次大戦直後は欧米で5割以上。つまり世界の都市に住んでいる人のうちの半分以上は北アメリカとヨーロッパの都市にいたのです。

 100年後の2050年、約54%はアジアの都市に住むと予想されています。アフリカの都市には約19%が住み、アジア、アフリカに世界の都市人口の70%以上が住むことになる、欧米の都市人口は15%ぐらいにシェアが下がるというのです。

 一概に人口だけではいえませんが、そこが文明や経済活動の中心になる可能性が大きいということを考えると、まさに「アジアの時代」という気がします。アジアは東アジアだけではなく、インドを中心とする南アジアも東南アジアもそうです。アジアの南から東までの一帯が次代に重要な役割を果たすようになってくると考えています。

 その中で、中国と日本です。中国は「第11次5カ年計画」で初めてメガロポリスという言葉を使い、「大都市が中国にとって大事だ」と述べています。つまり、都市の力を中国全体が評価し始めたのです。

 中国は「一人っ子政策」で人口はあまり増えないと言われていますが、都市人口は非常に増えていくとされています。ざっと30年ぐらいの間に都市人口が4億人ぐらい増えるのではないかと言われているのです。

 世界で一番大きな都市は、実は東京です。この大都市をつくるため、我々は公共交通の仕組み、土地の使い方など効率的に都市を組み立てていくノウハウを蓄積してきました。私は、これが中国の参考になると考え、大学の中で交流をしているのです。

 一方、人口が減ってきている日本にとって、若い中国のパワーを受け止めて、それを日本社会に新しい流れとして還元していける面もあります。日本と中国はパートナーとして、お互いに都市を舞台にして吸収していく点があると、非常に関心を持っています。

2.技術大国日本の問題は、海外に出て行かないこと


黒川清:10年ぐらい前までは、国際的枠組みは「インターナショナル」と言っていたのですが、最近は「グローバル」と言うようになりました。なぜでしょう。

 リーマン・ショックの一件でもわかるように、ファイナンスは国境がなくなってしまいました。サイエンスにも、企業にも国境はありません。多くの人が世界を意識し始め、NGOがたくさん登場しています。さらに社会起業家たちが出てきて、国境なく連携しています。

 日本はまだ世界2番目の経済大国です(2009年現在)。私は先日、APECに行ってきました。シンガポール政府が呼んでくれたもので、日本の政府が私に要請したわけではありません。こういうとき、私以外、日本人が一人もいないことが多いので、日本のプレゼンスのためにガンガン、ディベートをしてくるのです。

 APECでは、鳩山総理が2日目の最後にスピーチをしましたが、日本のビジネスマンがどのぐらいいたかというと、私が会ったのはたった4人です。中国の企業人は全部で400~500人いたと思います。そういう場に日本人がなぜ出ていかないのか、私にはわかりません。

黒川清 政策研究大学院大学教授

 2010年は日本がAPECのホストです。だから、「アジェンダ設定をして旗を揚げよう」と経産省などと話しています。日本には環境技術や材料化学、クリーンエネルギーなど、いろいろな強みがあります。でも、世界の成長している場所に、日本人は出ていません。

 この1カ月前には、インドでクリーンエネルギーのポテンシャルについて話しました。ここには日本の企業人が結構いましたが、プレゼンに迫力がありませんでした。聴衆の心を射止めていないのです。

 インドは10億の人がいて、これから数%ずつ、10年間ずっと成長します。しかし日本のビジネス関係者はインド全体で何人いると思いますか? たった3,300人です。売る物があるのなら、社内だけで言っていたってしょうがないのに海外に出ていっていない。

 技術力が素晴らしい日本に期待している人は海外にたくさんいます。その需要にどうやってデリバーするかが問題です。海外の滞在経験がある日本人は多いけれど、世界で勝負できる人はなかなかいません。相手とどういうパートナーを組めばいいかを知るには、相手国から期待されていることを感覚的にわかっていなければなりません。

 アメリカ、インドなど多くの企業人たちがグローバルにつながりながら、アジアの成長地点に拠点を移してきている状況で、そこに日本が出遅れているというのはものすごい損失だと思っています。

3.中国はエネルギーを制度改革、都市改革へむけよ


周牧之:1990年、上海の浦東開発区を訪ねたことがあります。当時東京から行った日本人の皆さんも、同行した北京の中央政府の面々も、 浦東開発の大きな夢が成功する、実現するとはあまり信じていませんでした。

 ところがふたを開けてみると、想像をはるかに超えた成長、発展が実現できました。冷戦後の20年、IT革命、市場化、グローバリゼーションなど、完全に世界のパラダイムは変わりました。パラダイムが変わったからこそ、中国は改革・開放をしてそのパラダイムに必死に合わせようと努力したのです。その結果が今日の成長です。

周牧之 東京経済大学教授

 この20年ずっと私は中国での政策調査、地域計画に携わってきました。90年代の半ばから、中国政府に都市化政策のガイドラインをつくるように頼まれ、中国と日本の両国政府がからんだ数年がかりの大きな計画調査もやりました。

 こうした調査の責任者として私は、3つのことを中国政府に提言しました。1つは、中国に都市の時代が到来したことを告げ、長江デルタ、珠江デルタ、そして環渤海地域に、3つの「メガロポリス」が形成され、そこに中国の経済、人口は集約していくだろうから、これに関心を払わなければいけないと強調しました。

 2つ目は、農村からたくさんの人が都市にやってくること。中国の戸籍制度は、都市に入ってくる人たちを規制していますが、都市でこうした人々を温かく受け入れるシステムをつくっていく必要がある。社会保障システムと合わせて、戸籍制度の改革をやるべきだと提言しました。

 3つ目は、来るべき自動車社会にきちんと対応しなければいけないということ。そして大規模高密度の社会をつくるには、きちんとしたコンセプトが必要だと言ったのです。

 中国政府は1つ目に対して、すばやく反応しました。第11次5カ年計画をつくるに当たって政策担当者は我々と議論を繰り返し、「メガロポリス政策」を大胆に打ち出したのです。ただし、2つ目の戸籍制度の改革は依然としてあまり進んでいません。数にして億単位もの出稼ぎの人たちは、今も大きな制度的制約を受けています。

 3つ目の自動車社会の話に対しては、当時は耳を傾ける人はほとんどいませんでした。みんな自動車社会なんて遠い将来だと思っていたのです。しかし、SARSを機にあっという間に自動車社会が中国に到来し、都市の生活を一変させました。いまや大都市では渋滞、長時間通勤、交通事故など、さまざまな弊害が顕在化しています。

 中国が持っているエネルギーをこれからさらに制度改革、都市改革にもっていかなければいけない時代になってきたのです。

中国都市化政策に関する日中共同調査報告書とメガロポリス戦略イメージ図

4.日本社会がアジアと伍していくには、言葉の問題解決が不可欠


竹中平蔵:ここまで、都市工学の専門家、医療及び医療政策の専門家、日中の経済社会問題の専門家と、違う立場からご発言いただきましたが、そこに共通点がありました。

 グローバル化の中で、アジアと中国のダイナミズムに大いに注目すること。その中で都市の時代、都市のダイナミズムを見直すこと。そして、先見の明を持ち、個々人がアントレプレナーシップ(起業家精神)を持たなければいけないということです。

 大西さんのキーワードは、「都市の人口に注目」「中国の若い力、若い活力を取り込んでいく」ことでした。黒川さんは、「グローバルコミュニティにおいて積極的に参加していく姿勢と、戦いながら前に向かっていく姿勢が必要だ」と言われました。周さんは、「世界のパラダイムシフトの中に私たちはいる」という趣旨で、中国の都市問題に対する姿勢について話されました。

 議論の入り口として、「アジアの活力」とともに、「アジアの弱点」をいかに解決していくかをお話いただけませんでしょうか。

周牧之:「アジアの活力」には2つあると思います。1つは改革で、パラダイムシフトに合わせた改革をやったということです。日本の場合、パラダイムシフトを迎えたときに最頂点にいました。成功体験にずっと甘んじてきたのです。改革そのものを好まない風潮が強く、かつて竹中先生が改革を進めたときにも、ものすごい抵抗があったのです。

 中国の場合、パラダイムシフトを迎えたとき、すでに計画経済が行き詰り、どん底にありました。だから一所懸命時代の変化に合わせて今日に至った。これが1つ目の活力です。

会場の様子

 もう1つの活力は起業家精神です。現在の中国経済の発展を支えている企業の大半は、この20年間に誕生したものです。もしくは20年以上前に誕生していたとしても、当時は取るに足らない存在にすぎなかった。この20年間、一所懸命、パラダイムシフトに合わせてビジネスモデル、企業価値、世界との接点をつくってきたのです。

 日本の場合、この20年間に世界的な企業になった会社はほとんど出てきませんでした。なぜ日本の改革精神、創業者精神が失われたのか、真面目に考えなければいけないと思います。

大西隆:私の研究室は2つに分かれていて、1つは「国際都市計画・地域計画研究室」という日本人学生と留学生を中心とした従来の研究室です。もう1つは社会人の大学院です。

 前者のメンバーの半分以上は外国人で、多いのはやはりアジア人です。そこでは10年ぐらい前から、研究室の公用語を英語にしようと、英語で会議をやっています。

 日本社会がアジアと伍していくには、言葉の問題を解決する必要があります。特に研究者や第一線で活躍する人が、結果的に英語になると思いますが共通語を設定し、コミュニケートする習慣をつくっていくことが必要です。

 研究室を運営していて、一番悩むのは卒業時です。文科省は「日本で教育を受けた人は、その成果を自分の国を育てるのに使ってください」という考えです。しかし、卒業後も日本で働きたい留学生に門戸を開き、また英語が中心言語という大学院卒業生を受け入れることを前提として社会を再構築することが必要だと思っています。

5.日本人には「世界市場を制覇する!」という意志がない


黒川清:日本には素晴らしいところがたくさんあります。しかし弱いところも認識し、どうするかを考えるべきです。グローバル化はものすごい勢いで進んでいるので、弱いところをゆっくり克服しようとしてもスピードに追い付きません。

 一番いい例が携帯電話です。毎日、世界で約300万台が売れ、23億人が携帯電話にアクセスしています。毎日売れている300万台のうち、2009年11月現在、約37%がノキアです。2番目はサムソンで約20%。3位はLG、その次がモトローラです。日本企業はというと、5位にソニーエリクソンが入っていますがシェアは減少傾向です。日本の携帯電話メーカーのシェアは4%ぐらいですが、機能は一番いいんです。

 日本の弱さは、最初から世界のマーケットをとろうと思っていないことです。世界をとるためには、さまざまな障害を乗り越える発想を持たなければなりません。マニュファクチャリングのエンジニアはいいが、エンジニアが必ずしもいい経営者とは限らない。つまり、強さと弱さをしっかり認識することです。

黒川清 政策研究大学院大学教授

 もう1つ例を挙げます。「味千(あじせん)」という熊本のラーメン屋は、今や世界的なブランドになっていて、海外に約400店舗、日本に約100店舗あります。これほど成長する前のこと、中国のある女性経営者が味千のラーメンを気に入り、中国で出店するライセンス契約を結びました。彼女はすぐに香港で上場して、中国で次々と店舗を広げていったのです。

 彼女は中国で約300店舗出していて、味千の海外店400店舗のうち300店舗は彼女が広げた店です。一般に日本人は、よい味をさらに深めていこうと、どんどん深く掘っていきます。それは日本のいいところですが、横に広げることを忘れているのです。

 アントレプレナーシップは日本語で「進取の気性」です。ビジネスだけでなく、大学でも役所でも、進取の気性に溢れている人が少なくなったようです。みんな指示待ちで、上から言われたことに対して「それは違うんじゃないか」と言える人たちがあまりにも少なくなっています。

竹中平蔵:日本の携帯技術はよく「ガラパゴス」と言われます。地上波デジタルテレビも実はガラパゴスでしたが、私が総務大臣のときにブラジルに働きかけて、ブラジルで採用されました。そうしたらチリ、アルゼンチン、ベネズエラに広がったのです。でも、ブラジルに実際に出ている企業は圧倒的に韓国なんです。日本の企業はどこか腰が引けています。

6.東京と上海の間でスムーズに行き来できる環境を整えよ


竹中平蔵:日本が発展したのは「変化したからだ」と、みんな言います。また「中国の変化の速度がすごい」とも言います。一方でアメリカからは「中国も日本も輸出依存で、内需に依存していない。アジアは変化がない」という批判もあります。

 そこで、「変化」をキーワードにして、東京、上海のことを知り尽くした皆さんに、都市の問題、ないしは都市生活の問題の変われる力・変われないもどかしさ、そういう問題提起をしていただきたいと思います。

黒川清:味千の話ですが、中国の女性経営者の年商はおそらく300~400億円です。彼女は「あと2年で倍にする」と言っています。この「やってやろう」が大事なんですよ。日本にはそういう人があまりいない。文句ばかり言っていないで、どんどんやればいいと思います。

大西隆:上海市中心の人口は大体1,000万人ぐらいの規模で、東京ほど大きくありません。けれど先ほどお話した戸籍問題が解禁になれば、農村にいる人が都市圏にドッと流れてきます。大都市化時代がこれから中国に起こってくるわけです。

 これからは都市を充実させるとか、人々の生活レベルを上げていくことに投資されるようになるでしょう。上海でも「内面をどう充実させていくか」という街づくりの時代がこれから始まると思います。もしかしたら、もう始まっているかもしれません。

 現在では、情報は瞬時に世界中に広まるので、皆、同時に同じことが必要だと気がついて、それをどう消化するかという時代になっています。環境に優しい街をどうつくっていくのかなど、街づくりに関しても同様だと思います。

周牧之:上海と東京を考えるとき、まず認識しなければいけないのは、これまで東京と上海の大都市圏が、お互いの国を背負っているということです。要するに、国の成長センターです。これからは、東京の皆さんは上海を視野に入れてビジネスをする、上海の皆さんも東京を見据えてビジネスをする、そうすることで全く違う世界を描けるのです。上海と東京はアジアの成長センターに変貌していくでしょう。

 ただし、そのためには東京と上海の間でスムーズに行き来できる環境を整えなければなりません。羽田と虹橋という2つの国内空港を東京—上海間の国際線で利用することによって、上海と東京との間のビジネス環境は一挙に改善されました。これは大いに評価できます。

 ただ、中国から来た人が羽田や成田のイミグレーションで指紋をとられるのは、時代に逆行しています。人や物のスムーズな往来を準国内的にできるように、制度を変えていくことが必要でしょう。

7.世界における日本の“存在感のなさ”を解消するには?


竹中平蔵:大西さんは「アジアの都市人口増」に対して、一体私たちは何をすべきだとお考えですか。そして「中国の若い活力をもっと日本が取り込む」ために、具体的に私たちは何をすればいいのでしょうか。

大西隆:先ほど周さんは、「中国で『メガロポリス』という言葉が使われている」とおっしゃいました。中国全体の人口は増えないのに、都市に住む人が増えるので、それを受け止めていくことに必死なわけです。

会場の様子、左から竹中平蔵氏、黒川清氏、周牧之氏、大西隆氏

 大事なことは都市間のネットワークです。中国は急速に通勤社会になっています。拠点をいかに結んでいくか、あるいは住宅と職場をどう結んでいくかという交通のネットワークをつくっていくことが大きな課題です。これは、日本の都市技術が大いに貢献できる分野だと思います。

 「中国からエネルギーをもらう」という意味では、日本の大学がもっと中国やアジアの方を受け入れて、ある種の多民族社会を大学からつくっていくことです。長い期間を経て日本に定着していくと思いますが、そういう流れをつくることが大事だと思います。

竹中平蔵:黒川さんの「日本のビジネスのプレゼンスが世界的にない」という話は、ダボス会議などに出ても強く感じます。その危惧を経団連に何度申し上げても、のれんに腕押しなんです。それに対してどうすればいいのか、黒川さんはどうお考えですか。

黒川清:日本国内の理屈ばかりではだめです。「相手から見た日本」を全く見ず、日本の都合でみんなやっているのです。役所も企業もそうなので、ぜひ変えてもらいたい。

 今までの年功序列、男性中心社会では変わりません。私は大学も企業も政治も、責任あるポストは50歳以下の人にしてほしいと思っています。トップが60歳を過ぎていたら、変えるエネルギーは生まれてこない。

 ケンブリッジ大学のトップはアリソン・リチャードという女性です。マサチューセッツ工科大学は、イエール大学から引っ張ってきたスーザン・ホックフィールドという女性が学長です。ブラウン大学もシアトルから黒人女性のルース・シモンズを迎えています。一方、日本は89の国立大学で、女性がトップなのはお茶の水女子大学だけです。

 私のブログは日本語と英語、2つあります。メールの返事は基本的に英語です。みなさん、日本語で話している限りは“日本の中にいる”ということをぜひ認識してください。もし英語の習得に乗り遅れたと思っているなら、中国語を勉強した方がいいと思います。

8.提言~世界のパラダイムシフトに対応するために~


竹中平蔵:例えばビザの話も法務省に対して経済財政諮問会議でいくら言っても、「ごもっともです」で終わりなんです。つまり、何か問題が起こったら責任をとるのが嫌だから、「安全上の問題がある」とかなんとか理由をつけて拒む。

 そこをどう突破するかは一人ひとりが議論しなければいけません。日本では一般的に権力が分散されているので、非常に我慢強くやらなければなりません。誤解を招くかもしれませんが、変人と思われるぐらい一所懸命執着しないと、1つのことすら達成できないのです。

 周さん、日中両国の交流という観点に加えて、世界のパラダイムシフトに対応していくために、何か具体的な提言がありますか。

周牧之:私は日本の教育のシステムや研究施設が、中国やアジアの皆さんになぜもっと利用されないのかが気になっています。少なくとも、東京はアジアの教育のハブになれます。ただ、言葉の問題があります。それから留学生に対して、これからは「日本で活躍してもらおう」との方針で環境を整えていかないといけません。 私は、アジアの将来は留学経験者たちの手でつくり出されるのではないかと思うのです。

 さらに、日本社会も以心伝心のコミュニケーションから、外国人にも通じるコミュニケーションのスタイルに変えていかないといけない。それが確立された日に、東京は本当の意味での世界都市になるでしょう。

会場からの質問:東京がもっと魅力的な都市でなければ、外国の方々を受け入れるのも恥ずかしいし、海外へ出て行く日本人も信用されないと思います。この点について、ご意見をいただけますか。

黒川清:大学では学部生をどんどん海外に行かせ、海外からは学生を来させています。また2年ぐらい前から、沖縄で15、6歳のアジアと日本の学生に合同合宿をさせています。ここで培ったネットワークこそが、ナショナルセキュリティの根幹です。

 全ての大学が「毎年200人出て行かせ、200人海外から来てもらう」となれば、街もどんどん明るく魅力的になってくると思いますね。

大西隆:私は今までに数十人の留学生を研究室で受け入れましたが、途中で、「日本は嫌だ、帰りたい」と言った人はいません。だから日本の魅力はあると思うのです。

会場の様子

 ただ、非常に気になっていることは、例えば日本の学生が中国や韓国の学生と同じ数だけ行き来しているかというと、やっぱり偏っているわけです。そこは今欠けている大事なステップだと思っています。

周牧之:街の魅力はますます大事になってきます。アメリカでは非常にいいプログラムを持っている大学でも、魅力ある都市に立地していない場合が多いです。そういう大学は、最近は奨学金を出しても、「ニューヨークがいい」などという優秀な海外の学生に逃げられてしまうのです。「魅力のある都市だからこそ、人が集められる」という視点が大事です。

会場からの質問:マスコミや今世の中を牛耳っている世代が、「変化」の抵抗勢力になっている気がします。この人たちを変えるためには、何をしたらいいのでしょうか。

黒川清:将来があるのは若い人だから、抵抗勢力にいくら言ったって理解しませんよ。できない理由ばかり言うから。やはり若い人のネットワークを横に広げること。そうしないと5年10年先、変わらないですよ。私はそれが一番気になっているのです。

竹中平蔵:やや否定的なことを言うならば、10年前、「今の若手が育てば、10年後は変わる」と言われていました。その10年前も同じことを言っていたんです。つまり、歳をとるとみんな変わってしまい、保守的になってしまう。これはみなさんの組織でも、思い当たるでしょう?(笑)

 結局、みんな中間管理職みたいないい子になってしまっているのです。保身のためだけにやっていて、そこが変わらないことが問題なのです。若い人の交流は必要ですが、それだけですべてが解決するとは思えません。一人ひとりが志の原点に帰ることがないと難しいのではないかと思います。

9.グローバル・アジェンダの解決には、私たちの関与が必要


竹中平蔵:最後に、みなさんから一言ずつお願いします。

黒川清:「変わろう」という人が、各レイヤーにいなさすぎます。進取の気性の溢れる社会という意味でのアントレプルナーシップが大事です。今週(2009年11月16日~23日)はグローバル・アントレプレナーシップ・ウィークです。「Global Entrepreneurship Week/JAPAN」というウェブサイトを見てください。さまざまなプログラムをやっています。

大西隆:日本と中国で一番大きな変化は「ビジット・ジャパン・キャンペーン」に乗って、訪日外国人、中国人が増えているということです。来年(2010年)までに訪日外国人を1,000万人、さらにその先に3,000万人にしようとしています。

 海外から日本に3,000万人が訪れると、大半は中国人になります。それを不安に思っている日本人もたくさんいます。歴史をどう考えているのか、日本と中国の文化をどう理解したらいいのかという議論もやって、真の相互理解を進めることが重要です。

周牧之:私の自宅の近くに「三鷹の森 ジブリ美術館」があります。そこに毎日、中国人を含め、たくさんの外国人観光客が来ています。

 このように、これからは世界の人々の心にきちんと響くような文化産業をメインにして発展させたらどうでしょう。そうすれば、都市はさらに魅力を増して、皆さんが幸せを感じられるような社会になっていくと思います。

竹中平蔵:どの時代、どの社会でもそうですが、結局は比較的少数の人が頑張って時代を切り開いてきました。しかし今は以前に比べると、頑張れる可能性がある人も増え、政府の中にもたくさんの民間人が入るようになって、重要な役割を果たすようになりました。

 一方で、昔よりリスクが少なくなっていながら、なかなか変化できない状況でもあります。日本と中国は交流を通して、互いに活性化していくことが求められています。グローバル・アジェンダは政府だけでは解決できません。やはり私たち一人ひとりが問題意識をシェアし、関与していくことが必要だと思います。

 今、スカイツリー(第二東京タワー)がつくられています。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』には、建設中の東京タワーが出てきますが、この映画を見たときに、「ああ、こうして頑張った時代があったのか」と思いました。私はスカイツリーが出来上がっていくのを毎日見ていこうと思っています。50年後、「あのとき頑張ったから、今日があるんだ」と思えるように。みなさん、本日はありがとうございました。(終)


アカデミーヒルズ「上海・東京グローバル・コンファレンス
『世界経済を支える東アジア経済圏の成長』
」(2010年)掲載