【コラム】中国のメガロポリス政策につながった開構研での下積み

周牧之 東京経済大学教授

『UEDレポート 研究所が歩んで来た半世紀をふりかえる』、一般財団法人 日本開発構想研究所、2022年

編集ノート:財団法人日本開発構想研究所は1972年7月に設立され、今年2022年に50周年を迎えた。日本の国土政策、東京湾臨海地域開発などにおいて数多くの知的貢献を果たした。同研究所の50周年記念で発行されたレポート『研究所が歩んで来た半世紀をふりかえる』に東京経済大学の周牧之教授が寄稿し、若き日の下積み時代と中国の都市化政策における日中政策協力について回顧した。


 大学院修士課程を終える時、私の政策研究志向をあと押ししようと、東京経済大学の増田祐司教授が日本開発構想研究所を紹介してくださった。

 中国の国土政策、都市政策へ私が多少なりとも力を果たせたとすれば、それは日本開発構想研究所で経験した調査活動から得られた知の蓄積が土台になったことに間違いはない。

1.東京湾臨海部調査で受けた刺激


 阿部和彦さんが増田先生とは東京大学の同窓だったこともあり、1991年4月、私はたいへん温かく研究所に迎えられた。

 開構研で、「臨海工業地域活性化戦略事業」、「川崎臨海部産業整備調査」、「東京湾地域における総合利用と保全に関する調査」、「東京湾南西地域総合再生計画調査」、「東京湾超長期ビジョン策定基礎調査」、「川崎臨海部将来像の在り方に関する調査」、「京浜臨海部再編整備調査」など東京湾関連調査に参加したことが、私の後の研究活動に大きな影響を及ぼした。とりわけ臨海部の企業を数多くヒアリングし、「工場等制限法」のもとでも企業が歯を食いしばるようにして湾岸部にへばりついていた理由をリアルに聞けたことが、大変刺激的だった。   

 中国機械工業部(省)で、新日鉄の君津製鉄所をモデルにした宝山製鉄所プロジェクトに携わっていた私は、臨海部の立地メリットに関心が高かった。宝山製鉄所建設にあたり長江入り江の臨江部に何故立地するかの論争があり、一時期、建設がストップさせられた程であった。開構研での調査は、臨海部における産業集積の性格と重要性を理解するまたとない経験であった。後年私が珠江デルタ、長江デルタ、京津冀など中国の臨海部でグローバルサプライチェーンをベースとした大集積の形成を前提とする「メガロポリス政策」を提唱したのは、まさにこうした調査から得られた確信があったからだ。

 当時はデータベースのソフトもようやく使えるようになった時期で、「桐」という名のデータベースソフトを使い、日経テレコムの新聞検索を利用し東京湾臨海部の企業動向をデータベース化した。これによって臨海部の動きがはっきりわかるようになった。この経験で、私は基礎情報のデータベース化の重要性を強く意識するようになった。後年、中国の297都市をすべて網羅する評価システム『中国都市総合発展指標』を作った遠因のひとつだと思う。

 Windowsが発売され、Word、123、エクセルなどのソフトが普及し始めたころだ。開構研のレポート作成はまだ、専用のワープロでタイピストに打っていただく状況だった。研究所の中で初めてパソコンでレポートを仕上げたのはおそらく私だっただろう。パソコンに大変詳しい杉田正明さんに助けていただきながら取り組んだことが、懐かしく思い起こされる。最新のカラー液晶付き折りたたみ式のパソコンも購入していただいた。しかし重さが10キロを超えていたため携帯用といっても自宅には一度しか持って帰れなかった(笑)。

 開構研で仕事をしながら週に一度東京経済大学に行き、野村昭夫教授へレジュメを出して指導を受ける生活を送っていた。こうした生活を3年ほど続け、博士論文の最終仕上げのために退職した。『メカトロニクス革命と新国際分業―現代世界経済におけるアジア工業化』と題した博士論文を、日本の臨海工業地帯における産業変遷の研究をベースに、東アジアの工業化の性格が情報革命に触発された新国際分業のもと展開されたとする仮説でまとめた。同論文は1997年、ミネルヴァ書房で出版し、日本テレコム社会科学賞奨励賞を受賞した。

『メカトロニクス革命と新国際分業』

周牧之著『メカトロニクス革命と新国際分業―現代世界経済におけるアジア工業化』(ミネルヴァ書房、1997年)

2.楽しかった開構研の日々


 開構研所在地だった霞が関、虎ノ門、日比谷周辺での昼食時は、さまざまなテーマで議論した。仕事後も杉田さんは若い所員を集めて勉強会を開いていた。日本経済、世界情勢の話から、マルクスなど古典を含む経済書の読書会まで、実に幅が広かった。しかしその勉強会のメンバーは次々と脱落し、最後まで残ったのは杉田さんと私だけだった(笑)。

 新橋あたりでの秋山節雄さん、大場悟さん、本多立志さんとの飲み会も大変楽しかった。情緒あふれる飲み屋さんで延々と続く話……意識朦朧のなか帰宅したものだ。

 毎年行われていた研究所の所員旅行にも同行させていただいた。浦東開発が始まったころに行った上海で阿部さんが、著名な哲学者であられるご尊父阿部吉雄先生のご著書を、私の父に手渡してくださった。ふるさと中国を離れ留学後も引き続き日本で暮らす私のことを、父は「阿部さんとお目にかかって安心した」と喜んでいた。

 私の結婚を祝う会を杉田さんの呼びかけと名司会、そして開構研所員の皆さま全員のご参加で、開いていただいた。大変心温まる嬉しい会だった。おかげさまで銀婚式も超えて、我が家の日中関係はいまだ磐石です(笑)!

 理事長の本城和彦先生には結婚祝いとして霞が関ビル最上階のレストランで妻共々ご馳走にあずかった。本城先生は、国際協力事業団(JICA)が中国で実施した初めての地域総合開発調査「海南島総合開発計画調査」の団長を務められた。後に私は中国で実施された同スキームの2回目の「江西省九江市総合開発計画調査」に関わり、その後同スキームの「吉林省地域総合開発計画調査」を始め、「中国中小都市総合開発ガイドライン策定調査」、「中国郷村都市化実験市調査」、「中国西部地域中等都市発展戦略策定調査」など案件形成と実施を、実質主導した。

 開構研初代理事長の向坂正男氏は、改革開放政策実施直後、中国政府の要請で大来佐武郎氏、下河辺淳氏とともに中国に数多くの経済政策や国土政策のアドバイスをされた。私が開構研に入った時はすでに鬼籍に入られていた向坂氏との面識はない。振り返れば中国の国土政策には開構研に繋がるさまざまな方が関わった。

3.中国メガロポリス政策作りへの協力


 1992年に財団法人国際開発センターから中国調査の手伝いの誘いを受けた際、阿部さんが快く承諾してくださったことが、私がODAの仕事に携わるきっかけとなった。博士号取得後、国際開発センターで中国の都市化政策調査を実施した折、開構研の関係者の皆様に大きな力添えをいただいた。

 開構研で知り合った今野修平大阪産業大学教授は、私が中国で取り掛かった都市化調査に数多くのアドバイスをし、現地調査やシンポジウムに度々参加してくださった。今野先生は、私がメガロポリス政策を打ち立てる時の一番の相談相手だった。メガロポリス政策は、今野先生との議論から生まれたといっても過言ではない。

1999年10月6日江蘇省現地調査にて左から今野修平、周牧之

 JICA中国都市化調査の集大成として主編した『城市化―中国現代化の主旋律(Urbanization―Theme of China’s Modernization)』(湖南人民出版社、2001年)に今野先生は阿部さんと共に寄稿された。中国の都市化に関する今野先生と私との対談は拙著『托起中国的大城市群(Megalopolis in China)』(世界知識出版社、2004年)に掲載した。

『城市化―中国現代化の主旋律』と中国メガロポリス戦略イメージ図

周牧之主編『城市化:中国現代化的主旋律 (Urbanization: Theme of China’s Modernization)』(湖南人民出版社、2001年)

 今野先生のご紹介でお目にかかった星野進保元経済企画事務次官にもさまざまな薫陶を受けた。星野先生の事務所に何度も呼ばれて議論を重ね、しばしばご馳走にまでなった。私が企画したシンポジウムにも幾度もご登壇いただいた。星野先生、今野先生との議論から、私は確信を持ってメガロポリス政策を提案することができた。私が主編した『大転折(The Transformation of Economic Development Model in China )』(世界知識出版社、2005年)には星野先生、塩谷隆英元経済企画事務次官がともに寄稿してくださった。

『托起中国的大城市群』と『大転折』

左:周牧之著『鼎―托起中国的大城市群(Megalopolis in China)』(世界知識出版社、2004年) 、右:周牧之編著『大転折―解読城市化与中国経済発展模式(The Transformation of Economic Development Model in China)』(世界知識出版社、2005年)

 拙著『中国経済論―高度成長のメカニズムと課題』(日本経済評論社、2007年)には、星野先生、楊偉民中国国家発展改革委員会副秘書長らと私の「中国メガロポリスの発展と東アジア経済」と題したディスカッションを掲載した。

『中国経済論』日本語版と中国語版

左:周牧之著『中国経済論―高度成長のメカニズムと課題』(日本経済評論社、2007年)、右:周牧之著『中国経済論―崛起的机制与課題 (The Chinese Economy: Mechanism of its rapid growth)』(人民出版社、2008年)

 アンチ都市化政策が採られていた中国で、都市化政策そしてメガロポリス政策を進めるべく政策提案を打ち立てることは実に大変だった。JICA中国事務所の櫻田幸久所長の全面的な支援を受け、于光遠元中国社会科学院副院長ら大御所のバックアップで、中国国家発展改革委員会の楊朝光地区経済司副司長、杜平国土開発与地区経済研究所長らとともに綿密な調査を重ねた。2001年9月3日、同7日に、中国国家発展改革委員会と日本国際協力事業団の主催で、上海と広州の二カ所で「中国都市化フォーラムーメガロポリス発展戦略」を大々的に開催した。

2001年9月3日「中国都市化フォーラムーメガロポリス発展戦略」上海会場

 清成忠男法政大学総長、伊藤滋早稲田大学教授、増田先生、阿部さん、林孝二郎元国土庁大都市圏整備課長らも日本から駆けつけ登壇された。シンポジウム後、メガロポリス政策が一夜にして中国の政策議論の的になった。

China faces challenges in urbanization

2001年9月3日「中国都市化フォーラムーメガロポリス発展戦略」開催当日、チャイナデイリー掲載の周牧之:China faces challenges in urbanization

 その後、メガロポリス戦略については五カ年計画策定担当の中国国家発展改革委員会計画司(局)楊偉民司長との間で現地調査、議論及び専門家会議を重ねた。とくに財務省、国際協力銀行、日中産学官交流機構の協力を得て開かれた「都市創新ワークショップ」の東京会議、北京会議、長江船上会議や、日中産学官交流フォーラム「転換点に立つ中国経済と第11次五カ年計画」、「中国のメガロポリスと東アジア経済圏」で、国土政策における日本専門家を大勢集め、中国国家発展改革委員会発展計画司と、メガロポリス政策に関する意見交換を頻繁に持った。

産学官交流機構フォーラム報告書

報告書『都市創新ワークショップ議事録』、『日中産学官交流フォーラム:転換点に立つ中国経済と第11次五カ年計画』、『都市創新ワークショップ:中国のメガロポリス・ビジョンとインフラ構想研究会(長江船上会議)』、『日中産学官交流フォーラム:中国のメガロポリスと東アジア経済圏』

 上記のワークショップやシンポジウムに日本側から星野進保元経済企画事務次官、福川伸次元通商産業事務次官、保田博元財務次官、塩谷隆英元経済企画事務次官、林正和元財務次官、佐藤嘉恭元中国大使、安斎隆セブン銀行社長、大西隆東京大学教授、寺島実郎日本総合研究所会長、小島明日本経済研究センター会長、船橋洋一朝日新聞社コラムニスト、横山禎徳マッキンゼー元東京支社長、生源寺眞一東京大学教授、森地茂運輸政策研究機構運輸政策研究所所長、石田東生筑波大学教授、谷内満早稲田大学教授、田近栄治一橋大学教授、矢作弘大阪市立大学教授、加藤和畅釧路公立大学教授、城所哲夫東京大学助教授、木南章東京大学助教授、小手川大助財務省関東財務局長、田中修内閣府政策統括官付参事官、鵜瀞由己財務省財務総合政策研究所次長、麻生良文同研究所総括主任研究官、西沢明国土交通省国土情報整備室長、進和久全日本空輸元専務取締役、杉田正明日本開発構想研究所主幹研究員、新屋安正日本設計企画部長、大谷一朗経済政策コンサルタントらが参加し、お知恵をいただいた。中国側から現在副首相を務める劉鶴中央財経領導小組副主任をはじめ、朱之鑫中国国家発展改革委員会副主任、楊偉民同委員会発展計画司長ら大勢の政策責任者が参加した。これだけの専門家を動員した高密度の政策交流は、日中の歴史上初めてだった。

「日中産学官交流フォーラム−中国のメガロポリスと東アジア経済圏」

2006年5月11日「日中産学官交流フォーラム−中国のメガロポリスと東アジア経済圏」にて、上段左から福川伸次、楊偉民、保田博;第二段左から星野進保、杜平、塩谷隆英;第三段左から船橋洋一、周牧之、寺島実郎;第四段左から中井徳太郎、朱暁明、佐藤嘉恭;下段左から大西隆、小島明、横山禎徳

 こうした日中政策協力において、後に金融庁長官を務めた畑中龍太郎財務省大臣官房文書課長の指示を受け大変な尽力をされた中井徳太郎東京大学教授(当時財務省から出向、後に環境事務次官)の名を特記しておきたい。楊偉民氏、中井徳太郎氏、私の三人の固い友情はいまも引き続いている。楊偉民氏は現在も中国経済政策をまとめるキーパーソンの一人として活躍されている。

2019年1月26日【シンポジウム】『「交流経済」×「地域循環共生圏」—都市発展のニューパラダイム』懇親会にて左から中井徳太郎、楊偉民、周牧之

 2006年から施行の第11次五カ年計画で、メガロポリス戦略が打ち出され、中国は都市化の時代へと舵を切った。五カ年計画が空間計画に踏み込んだことで、中国国家発展改革委員会発展計画司が都市化政策を所管することとなった。楊偉民氏はさらに、「主体功能区」という中国の国土計画の原型を作り上げ、それを同司の所管とした。私の、「発展戦略和計画司」と改称された同司との交流は今日まで続き、『中国都市総合発展指標』を共同開発し、毎年発表している。

『中国都市ランキング−中国都市総合発展指標』

4.ユーラシアランドブリッジ構想から長江航路浚渫提案へ


 中国のメガロポリス戦略には、集約化経済社会、流動化社会、市民社会、持続発展可能社会というビジョンを掲げた。同調査にあたり、モデルとして「江蘇省都市化発展戦略」を策定した。これは中国で初めて省単位で策定された都市化発展戦略であった。長江下流を包む江蘇省は、グローバルサプライチェーン型産業集積形成のポテンシャルが最も高い地域であった。同戦略の中の提案は江蘇省のさまざまな計画に取り上げられた。

「江蘇省都市化発展戦略」における長江デルタメガロポリスイメージ図

周牧之主編『城市化:中国現代化的主旋律 (Urbanization: Theme of China’s Modernization)』(湖南人民出版社、2001年)

 杉田正明さんは専門家として複数の中国調査に参加し、たくさんのお知恵をいただいた。長江沿いの港湾開発調査にあたり杉田さんと議論し、江蘇省南京から入江までの航路について「マイナス12.5メートルまで浚渫する」提案をしたことを特記したい。私たちは長江の下流地域を「湾」として開発すべきであると考えていた。中国政府はこの提案を受け、マイナス12.5メートルの浚渫という大工事を実施し、今日の長江デルタメガロポリスの基礎を打ち立てた。

 江蘇省鎮江市のニューシティマスタープラン策定にも、杉田さんは参加した。大西隆先生を始め大勢の日本の専門家が現地に訪れ、お力添えをいただいた。路面電車をベースとした敷地面積220平方キロメートル、人口100万人規模のスマートシティ計画は高い評価を得て、中国の都市計画の手本となった。

江蘇省鎮江市のニューシティマスタープラン

 今野先生、阿部さんと向かった中国現地調査では、あわやという体験もした。遼寧省営口港で、止まっていた超特大ダンプカーが、私たちが乗る車が後方にいるのに気づかず、急発進でバックし始めた。ダンプカーに潰される寸前に車から逃げ降り、間一髪のところで大事故から免れた。

 1990年代末には、カスピ海から中国沿岸部までパイプラインで天然ガスや石油を運ぶことを念頭に、日本と中国の大型協力案件として、欧州から日本に至るユーラシア大陸横断の広域インフラ (ガス・石油パイプライン、鉄道、道路、光ファイバー網等)整備と沿線開発を進める構想を打ち立てた。「現代版シルクロード(絹の道)」といえるこの構想が進めば、エネルギー資源や食糧の輸送が効率化でき、それらの世界的な需給ひっ迫も防げると考えた。1999年4月1日付日本経済新聞の経済教室欄に『現代版「絹の道」、構想推進を―欧州から日本まで資源の開発・輸送で協力―』とした私の署名文書が掲載され、大きな反響を呼んだ。その直後、下河辺淳先生から「大変いい構想だ。航空路の話も是非加えるように」との鋭いご指摘をいただいた。その後のランドブリッジ構想や、メガロポリス戦略には空港の重要性を鑑みるようにした。

現代版「絹の道」構想推進を

周牧之『現代版「絹の道」、構想推進を―欧州から日本まで資源の開発・輸送で協力―』、日本経済新聞経済教室、1999年4月1日

 改革開放政策を打ち出した直後の中国で、経済政策を指揮した谷牧副首相は、国土事務次官時代の下河辺淳先生と交流があった。この交流から中国で国土計画を作る動きが生まれた。国土司(局)が中国国家建設委員会に出来、後に計画委員会へ移り、いまの中国国家発展改革委員会の地域経済司に繋がった。そうした動きの中で、中国政府はJICAに「海南島総合開発計画調査」を要請した。中国の改革開放政策には実に多くの日本の政策メーカーが貢献した。

結び


 恩師の増田祐司先生は東京経済大学から東京大学そして島根県立大学へ移られ、北東アジア地域研究センターのトップとして第一線で活躍された。日本、中国や韓国でさまざまな調査、研究にご一緒させていただいた。北京でのフォーラムに出てくださったあと、ホテルで朝まで飲んでお話ししたことが昨日のように思い浮かぶ。先生が島根県立大学を退職されるとき、私は米国ボストンに滞在していた。東京に戻ってきてから、増田先生を慕い敬う方々と一緒に、東京での先生の知的活動場となる研究所づくりに動き始めた矢先、先生ご逝去の悲報を受けた。

 いまでも、大学院生だった当時、午後の暖かい日が差す大学の図書館でばったり会ったときの増田先生の笑顔が目に浮かぶ。あの日、増田先生は私の目の前で開構研の阿部さんに電話をかけ、私を紹介してくださった。あの瞬間こそが、開構研とのご縁の始まりであった。

2001年9月7日「中国都市化フォーラムーメガロポリス発展戦略」広州会場にて。左から林孝二郎、阿部和彦、増田祐司、周牧之

(肩書きは当時)


【参考文献】

周牧之著『メカトロニクス革命と新国際分業―現代世界経済におけるアジア工業化』(ミネルヴァ書房、1997年、第13回日本テレコム社会科学賞奨励賞を受賞)

周牧之『現代版「絹の道」、構想推進を―欧州から日本まで資源の開発・輸送で協力―』(『日本経済新聞』経済教室欄、1999年4月1日)

周牧之主編『城市化:中国現代化的主旋律 (Urbanization: Theme of China’s Modernization)』(湖南人民出版社、2001年)

周牧之著『鼎―托起中国的大城市群(Megalopolis in China)』(世界知識出版社、2004年)

周牧之編著『大転折―解読城市化与中国経済発展模式(The Transformation of Economic Development Model in China)』(世界知識出版社、2005年)

議事録『都市創新ワークショップ:東京会議』(日中産学官交流機構、2005年3月18日)

議事録『都市創新ワークショップ:北京会議』(日中産学官交流機構、2005年7月23~24日)

報告書『日中産学官交流フォーラム:転換点に立つ中国経済と第11次五カ年計画』(日中産学官交流機構、2005年11月7日)

報告書『中国経済研究会』(日中産学官交流機構、2005年11月9日)

報告書『中華人民共和国西部地域中等都市発展戦略策定調査専門家活動報告書』(国際協力機構、2006年1月)

報告書『日中産学官交流フォーラム:中国のメガロポリスと東アジア経済圏』(日中産学官交流機構、2006年5月11日)

報告書『都市創新ワークショップ:中国のメガロポリス・ビジョンとインフラ構想研究会(長江船上会議)』(中国国家発展改革委員会、日中産学官交流機構、2006年7月22~24日)

周牧之著『中国経済論-高度成長のメカニズムと課題』(日本経済評論社、2007年)

周牧之著『中国経済論-崛起的机制与課題 (The Chinese Economy: Mechanism of its rapid growth)』(人民出版社、2008年)

周牧之、楊偉民共編著『第三個三十年―再度大転型的中国(The Third Thirty Years: A New Direction for China)』(人民出版社、2010年)

周牧之、徐林共編著『中国城市総合発展指標2016(China Integrated City Index 2016)』(人民出版社、2016年)

周牧之、陳亜軍、徐林共編著『中国城市総合発展指標2017(China Integrated City Index 2017)』(人民出版社、2017年)

周牧之、徐林共編著『中国都市ランキング―中国都市総合発展指標』(NTT出版、2018年)

周牧之、陳亜軍、徐林共編著『中国都市ランキング2017―中心都市発展戦略』(NTT出版、2018年)

周牧之、陳亜軍共編著『中国城市総合発展指標2018(China Integrated City Index 2018)』(人民出版社、2019年)

周牧之、陳亜軍共編著『中国都市ランキング2018―大都市圏発展戦略』(NTT出版、2020年)

Zhou Muzhi, Chen Yajun, Xu Lin (2020.6) China Integrated City Index ― Megalopolis Development Strategy, Development Strategy of Core City, Pace University Press.


プロフィール

周 牧之(しゅう ぼくし)/東京経済大学教授

1963年生まれ。(財)日本開発構想研究所研究員、(財)国際開発センター主任研究員、東京経済大学助教授を経て、2007年より現職。財務省財務総合政策研究所客員研究員、ハーバード大学客員研究員、マサチューセッツ工科大学(MIT)客員教授、中国科学院特任教授を歴任。〔中国〕対外経済貿易大学客員教授、(一財)日本環境衛生センター客員研究員を兼任。