【対談】横山禎徳 VS 周牧之(Ⅱ)アフターコロナの時代、国際大都市は何処へ向かう?

編集者ノート:新コロナウイルスパンデミックで、ニューヨーク、ロンドン、北京、東京など世界大都市を直撃し、世界の都市がロックダウンに揺れている。人々はグローバリゼーション、そして国際都市の行方を憂いている。今後のサプライチェーンのあり方や交流経済の行方、都市と自然との関係、都市文化の方向性などについて、周牧之東京経済大学教授と横山禎徳東京大学総長室アドバイザーが対談した。

 対談は、二回に分けて中国語、英語、日本語でチャイナ・デイリー、光明日報、チャイナネットなどのメディアに掲載され、好評を博した。


1.グローバリゼーションと大都市化

 周牧之都市は市場から始まり、交易と交流の繁栄で成長する。1950年、人口が1,000万人を超えるメガシティは一都三県からなる東京大都市圏とニューヨークの二都市だけだった。20年後の1970年には、大阪を中心とした近畿圏のみが、メガシティの仲間入りをした。1980年になってもメガシティは僅か5都市に過ぎなかった。しかしその後、猛烈な勢いでメガシティが増えて、いまや33都市になった。これらのメガシティのほとんどは、国際交流の中心地で、世界の政治、経済を牽引する大都会である。メガシティの総人口は、5.7億人に達し、世界総人口の15.7%を占めるに至った。メガシティが爆発的に増えたことの背後にはメカニズムがある。

 横山禎徳18世紀の江戸も大きかった。現代から見るとまだまだのレベルだが、当時の技術による上下水道のインフラが出来たおかげで100万都市人口を支えた。上水は関東平野に流れ込む川の上流から街中に引き込み、下水では生活用水と下肥とを分けて、下肥は千葉の農家に売るシステムが出来ていた。元々広大な湿地帯に作った都市である江戸では運河交通ができた。都市の発展にはインフラのキャパシティーが大切だ。

 我が家の近くにある井の頭公園の泉は、江戸時代の上水“神田川”の源だ。当時、徳川家康は江戸建設のため、水源確保と上水路の敷設に相当力を入れた。

 横山20世紀の初頭、環状線の山手線が業務を開始したことは画期的だった。既に存在した駅である品川、上野、新宿に加えて、池袋、新橋、渋谷、五反田などの駅が出来上がり、私鉄のコミューター・レイルはこれらの駅に結びつく事によって通勤客のモーダル・チェンジ・ポイントとして成長した。これによって丸の内のセントラル・ビジネス・ディストリクト(CBD)だけでなく、多くのミニCBDがこれらの駅の周りにできた。そして、新宿は副都心に拡大した。東京という都市のアクティビティのキャパシティが拡大したのである。

 アメリカの都市はボストンなどが典型的だが、CBDのワンセンターが基本で、そこにすべてが集中する。大きくなれない。東京は都市計画がなく、単に多くの村の寄り集まり、といわれたが、村の集合体でよかった。東京の中に様々な村、すなわち、性格の違うコミュニティが数多く存在している。あるコミュニティは江戸時代からの歴史あるコミュニティであるし、あるコミュニティは戦後の新興コミュニティだ。それらが混然一体となって自律展開をし、都市の有機体的調整機能として働いている。

 インフラのキャパシティーをアップすることが、大都市の重要な対策である。東京大都市圏の人口が1,000万人から3,000万人の間だった時期には、大都市病に最も苦しめられた。いま、人口が3,700万人にも達したのに都市問題は随分緩和された。そこには、高品質のインフラ整備がかなり功を奏した。今回の新型コロナウイルスパンデミックは地球規模で、医療、上下水道、ゴミ処理などの都市公共衛生インフラにおける投資を後押しするだろう。

 当然、都市の物理的なキャパシティと並び、都市の仕事上のキャパシティも重要だ。いいかえれば、人口を吸引する都市の産業力だ。1980年代以降の大都市化を推し進めたエンジンは2つある。1つは製造業サプライチェーンのグローバル的な展開。もう1つは、IT革命の爆発だ。

 33のメガシティの地域的な属性を分析すると、基本的に二種類に分けられる。1つは沿海都市、もう1つは首都をはじめとする中心都市である。東京は両方の側面がある。これは東京が伸び続ける理由の1つだ。

 グローバルサプライチェーンを前提に発展してきた製造業の産業集積は深水港のサポートが必要だ。雲河都市研究院が発表した“中国製造業輻射力2018”のトップ10は深圳、上海、東莞、蘇州、仏山、広州、寧波、天津、杭州、廈門であった。例外なくすべて大型コンテナ港に近い立地優位のある都市だった。このトップ10都市は中国貨物輸出の半分を稼いでいる。

 横山日本の製造業の輸出もこれまで東京、大阪、名古屋の三大都市圏に集中する傾向があった。今後はIntra-Asiaの荷動きがより一層重要になることや、今後、香港の位置づけが変わると予想されるので、その代わり、北九州・博多地域のポテンシャルが重要になるだろう。すでに、長年、北九州地域に自動車関連企業の集積が進んでいるのでサプライチェーンの観点から重要になるだろう。そういう観点からすると太平洋側の東京、大阪、名古屋の港からのランドブリッジが発達していないのは問題だ。

 東シナ海に面する北九州の港湾施設と一旦破棄された福岡の新空港への重点投資が必要ではないか。博多は三大都市に準ずる都市機能を持っているから新しい都市圏として拡大できるだろう。

 実は製造業に比べて、IT産業の大都市集中傾向はさらに強い。

 IT産業は典型的な交流経済として、開放、寛容、多様性の文化環境が求められている。それに対して、沿海都市や中心都市は最もこのような環境を備えている。

 雲河都市研究院が発表した“中国IT産業輻射力2018”のトップ10は、北京、上海、深圳、成都、杭州、南京、広州、福州、済南、西安であった。これらの都市は中心都市と沿海都市のどちらかに限られる。中国のIT産業就業者数、メインボード(香港、上海、深圳)IT企業上場数に占めるこのトップ10都市のシェアは、それぞれ53%、76%に達している。

 横山『現代の二都物語−何故シリコンバレーは復活しボストン・ルート128は沈んだか』という本にあったように、ボストンの周りのルート128と、シリコンバレーをみると、IT関係ベンチャーの展開でシリコンバレーが優位になった。いろいろ理由はあるが、重要なのは人が出会い交流する頻度が、明らかにシリコンバレーの方がルート128より高かったからだ。カリフォルニアの過ごしやすい気候や外向的な人の気質もあるようだ。 

 ソフトウエア開発が重要になるとまた広がって、マイクロソフトがスタートしたシアトルがトップになった。アマゾンも拠点を構えている。いまやニューヨークにも集まり始めた。マンハッタンではいろいろな施設が歩いて行ける範囲内にあることも有利だ。集積都市や地域が時事刻々変わることはあっても、基本的条件は、まず人が出会わなければならない。イノベーションはシュンペーターが言ったように「新しい結合」から生まれるのであれば、それは人と人が出会うことから始まるのだ。かつてGDHDパーティというものを主宰していたことがある。Guzen-no Deai-wa Hitsuzen-no Deai (偶然の出会いは必然の出会い)の意味だ。ことが新しく展開をしたときに振り返ってみると、あの時の出会いから始まったのだと気が付くことがある。

 日本のIT産業はさらに高度に東京に集まっている。東京大都市圏は、東証メインボード上場のIT企業の8割を占めている。これは東京が、様々な人々が出会える素晴らしいプラットフォームであるがゆえにもたらされた。

 製造業輻射力、IT産業輻射力と都市機能との関係を比較するとその秘密がわかる。例えば、広域インフラから見ると、製造業輻射力は、コンテナ港利便性との関係が最も深い。これに対して、IT産業輻射力にとっては人の移動と出会いに不可欠な空港の利便性が最も大切だ。

 都市のその他輻射力との関係から見ると、製造業輻射力との相関関係が深いのは、科学技術輻射力や金融輻射力である。これに対して、IT産業輻射力と最も相関関係が深いのは、飲食・ホテル輻射力、文化・スポーツ・娯楽輻射力であった。まさしく交流経済だ。

 特に注目すべき製造業輻射力は、高等教育輻射力、医療輻射力との相関関係はそれほど深くなかった。それと相反して、IT輻射力と高等教育輻射力、医療輻射力との相関関係は深かった。これは製造業と比べ、IT関係者がより高い教育を受けより高い生活品質を求めていることを意味する。

 要するに、IT産業に集まる人々は、飲食、文化、娯楽、高等教育、医療への要請が高い。これらのアメニティが揃っている大都市が魅力的だ。

 横山ファンドマネージャーは一人でじっくり考える環境を好む。投資の時間軸は比較的長く、時間が比較的ゆっくり流れ、家族とのだんらんを大事にする。一般的に田園的な環境が好みだ。また、そういう気質の人がそういう職能に惹かれる。しかし、ITの関係者は時間がもっと早く流れている。時々刻々の刺激が大事だ。その刺激は同業者だけでなく、芸術、娯楽の世界の人たち、あるいは伝統文化の継承者などからくる。その人たちの催すイベントなどからの刺激も大事だ。だから都市のアメニティが重要なのだ。私は〈中国都市総合発展指標2018〉に都市アメニティの重要性を訴える論文を寄稿した。

2.「里山」式の都市発展を

 新型コロナウイルスパンデミックは、感染症対策関連の技術進歩、イノベーションを加速させるだろう。やがて検査、特効薬、予防接種が出来、ウイルスとの共存が可能になる。そうなるとウイルスが都市に人が集まらない理由ではならなくなる。

 ただし、たとえコロナ禍がなかったとしても、大都市からの脱出願望は根強いものがあった。例えば35年前、アメリカの未来学者、アルビン・トフラーが『第三の波』の中で、情報社会を予測した。彼の予測はほとんど的中し、情報革命によって田舎でも効率よく情報社会での仕事をこなせるようになった。しかし人々の大都市からの脱出は現実にはならなかった。反対に情報革命は、大都市化、メガシティ化を推し進めた。

 横山都市からの脱出はあくまで願望だ。東京への一極集中を激しく批判する建築家と議論したことがある。その人に、今、どこに住んでいるのかと聞くと東京都区内だった。「どこか地方に引っ越しされてから議論しましょう」といったが、このような人たちが結局、最後まで都市に居続けている(笑)。都市には都市特有のアメニティがあるからだ。

 都市づくりには反省すべき点もある。これまで、都市づくりの中で、自然との関係は、うまく処理できなかった。これが、感性豊かな人々に都市からの脱出願望を生じさせたのも当然だろう。

 横山人と自然との関係はある意味では臨界点に達した。人類の過度な開発は、すでに地球というシステムの自己修復能力を超えはじめているようだ。新型コロナウイルスパンデミックには、そうした背景がある。ウイルスも細菌も媒介動物も然りで、昔は一カ所にのみ生存していたのが、分布図が広がった。人の居住範囲が広がりすぎたことも影響しているだろう。その結果としての環境破壊は地球の生態バランスを壊した。

 陸でも海でも異変は起こっている。過度な開発、地球温暖化で、もたらされた。

 横山その通りだ。ウイルスは我々と同じ生命システムの一部であり、撲滅はできない。ワクチンが出来て今回のウイルスを押さえ込み、終息したとしても、今後さらに強いウイルスが出てくる可能性は常にあり、それは昔より広がっていく。インフルエンザも抑え込んだのではない。治療ができるようになり、共存しているというだけだ。一生、徹底的に手に石鹸をつけて洗い続けて行くほかない(笑)。

 最近、オゾンについて研究している。オゾンの濃度は季節によって変わるので、殺菌力をもつオゾンの濃度が高まるにつれ、季節の変化とともにウイルスが一旦終息するだろう。これも一種の地球システムバランスだ。

 ただ、地域によってオゾンの濃度も違う。一番少ないのは赤道付近のアフリカだ。今回のウイルスがアフリカまで蔓延したため、オゾン濃度が薄いアフリカではなかなか収束しないだろう。オゾンが活性化する夏にアジアでいったん終息を見せたとしても、次の冬季にウイルスがアフリカから戻ってくることもありうる。そういう繰り返しになるかもしれない。

 その意味では、ウイルス感染症が地球に与えるダメージに関しての危機感が必要だ。しかし先進国でも世界機関でも長期にわたり感染症の脅威を軽視してきた。

 世界経済フォーラム(WORLD ECONOMIC FORUM)が公表した「グローバルリスク報告書2020(The Global Risks Report 2020)」に並ぶ今後10年に世界で発生する可能性のある十大危機ランキングでも、感染症問題は入っていなかった。また、今後10年で世界に影響を与える十大リスクランキングでは、感染症が最下位だった。

 不幸にして世界経済フォーラムの予測に反し、新型コロナウイルスパンデミックは、人類社会に未曾有の打撃を与えた。

 コロナ禍で、多くの国際都市が被害を受けた。そのためグローバリゼーションや国際都市に対する悲観論が囁かれている。これに対して私が思うのは、ウイルスのパンデミックをもたらしたのは、国際交流や人口密度の多さではない。長期にわたり感染症対策を軽視したことによるものだ。

 横山都市と自然の関係において、考え方を改める必要がある。人は都市の持っている機能とアメニティを捨てる生活を望むことはないだろう。それだけでなく、都市では毎日多くの人が出会い、協力したり、競争したりしながら、事を達成している。もし、分散して住むようなことが起これば人類の持っているエネルギーは段々と衰弱してしまうかもしれない。しかし、多分そういうことは起こらない。今後も都市に人は住み続ける。ただ、今後は新型コロナウイルスの経験を経て格段に賢くなって都市生活を送るだろう。その賢さとは自然に対してもっと素直になることかもしれない。

 「田舎は神がつくり、都市は人間が作った」という人がいる。これには一理あると私は思うが、まったくその通りだとは思わない。

 日本では村落、農地、自然の融合した“里山”がある。里山の生態の多様性が原始の自然に比べて、さらに豊富だ。私の大学ゼミにゲスト講師として来られたNHKのチーフディレクター小野泰洋氏は、「里山は、自然に対する人間の適度な介入がもたらした新しい生態系だ」、という。

 里山は、人間の適度な介入による“人造”と、自然の修復能力という“神がかり”の協働の結果だと、私は考える。

 それに対して、近代都市の建設においては、“人造”の側面が過度に強調され、自然生態との協働が無視された。結果、自然が排除され、都市がコンクリートジャングルとなった。

 横山里山は「適度な介入」という意味で日本的だ。イギリスの自然はもっと人間の手が入っている。しかし、人工的な自然なのだということがわからないように作られている。チャーチルが生まれたマールボロ城(ブレナム宮殿)に行くと、城の背後にホッとする穏やかで綺麗な風景が広がる。昔からあった自然のように見えて、実は3,000人のアイルランド人が連れてこられて人工的に作られた「自然」だ。当然、当時ブルドーザーはなく、スコップとバケツと手押しの一輪車などを使った、大変な労働であったろう。里山を作るのとは比べ物にならない。それだけでなく、自然に対する基本思想が日本とは大きく異なる。

 里山が絶妙なのは、人間の介入と自然回復力の協働で生み出すバランスだ。このバランスは、時に人の想像を超える新しい生態系をつくり出す。ここでのカギは、人工介入の“適度”と“持続”である。近年、農村人口の減少によって、一部の里山が無人化され、自然に戻った。問題は、生物多様性においてこれらの戻った自然が往々にしてそれ以前の里山に比べ、劣ることだ。

 都市の中で自然な空間があることは大切だ。さらに重要なのは、都市の中の自然のあり方だ。自然と人間の絡み合いは欠かせない。例えばいま、北京は周辺部の人々をどかしながら、大規模な緑地を作っている。便宜的に遠いところに緑を植えていて、都市民にとっての憩いにはあまりなっていない。人間のいないところに緑地を広げても面白くない。適切な距離、システムバランスが必要だ。

 横山明治神宮の森は、今から100年前にある構想を持って日本中から集めた木を植えた。いまは自然な景観になっているが、元はそうではなかったのだ。また、皇居には昭和天皇専用の9ホールのゴルフ場があったが、2.26事件の時に反乱兵士の行動に大変怒り、もう二度とゴルフはやらないと天皇は宣言した。そのまま放っておいたら数十年で自然に返った。もはやどこがティーグラウンドでどこがグリーンだったか分からないらしい。そこにトンボもカエルも戻って来た。自然の回復力は驚異的だ。もっとすごいのは、人類が地球から消え、環境破壊を止めると300年程度で緑豊かな地球に戻るらしい。この回復力を理解し、うまく活用したデザインはできると思う。しかし誰もまだやっていない。

 数年前、私は中国江蘇省鎮江市に100万人規模のニューシティのマスタープランを作った。モジュールシティという開発コンセプトを打ち出し、100万人をいくつかのモジュールに分け、モジュールごとに一定の比例で生態空間と人工空間が存在し合うようにして、路面電車でそれらのモジュールをつなげるようにした。

 私の理想は、里山のようなコンセプトを都市の計画に組み入れることだ。

 横山イギリスの田園都市にしろ、オーストラリアの首都キャンベラにしろ、率直にいうと、美しいがなんだかつまらないところだ。なかなか成功したとは言い難い。自然と融合させながら魅力的な場所を作るのは難しい。

3.マスタープランとレアデザイン

 横山グローバリゼーションはやはり何層にもレイヤーが重なった構造になると思う。そのレイヤーをどう定義するかによって、グローバリゼーションの理解に違いが出てくる。例えば、不動産は地域特有で同じものは2つとないが、不動産ベースの金融はグローバルな商品が組み立てうる。その悪い例がアメリカのサブプライム・ローンから始まった世界のリーマンショックだろう。

 サプライチェーンもレイヤーの1つであるし、一方、目に見えない文化のレイヤーもある。都市もマルチレイヤーで出来上がっていて、交通システム、通信、エネルギー供給などのレイヤーのもあるし、食やファッション、芸能など文化のレイヤーも大切。ニューヨークと東京は同じ国際都市だが、生活の違いはあって、個々のレイヤーを見ると違う。都市をレイヤーの重層的集合としてデザインするのが良いのは明らかだが、しかし、そのレイヤーをすべてデザインすることは現実的に不可能だ。

 より大切なのはレイヤーデザインの前のマスタープランだ。

 横山そのために、マスタープランとは何か、の議論を再度する必要がある。伝統的なマスタープランはフィジカルなものが大半であったが、いまやそうではない。街を碁盤の目にするとか五角形にすることを考えることではない。

 デザインの観点で言うと、フィジカルな上水システムや下水システムがある。エネルギー供給はノンフィジカルな側面も重要になっていくかもしれない。文化はフィジカルとノンフィジカル、ヴィジブルとノンヴィジブルなシステムの混合だ。これらのマルチレイヤーを全部デザインするのは、人間の能力ではできないが、今ある都市の中で、いくつかのレイヤーを強化しようという考え方がある。システム間の関係や境界条件は調整しなくていい。都市は自己調整能力を持っているからだ。

 マスタープランは、むしろ思想的、戦略的、コンセプト的なものにしなければならない。

 近年、中国の都市建設を見ると、“新城”あるいは“新区”といった新しい都市エリアをつくりたがる傾向が強い。本来は既存の都市の上にレアの修正を重ねていくべきだったが、これら新区は自然も既存の都市も否定するやり方で展開している。結果、都市はうまく機能せず、生活者も不便さに苦しみ、幸せ感を得られない。

 今までの都市を否定するのでなく、その上にレアの修正を重ねることだ。

 横山そうだ。レアに微調整していく都市デザインはあると思う。

 深圳というのは40年で、村から1,000万人を超えるメガシティに成長した都市だ。日本の同僚を深圳に連れて行くとすぐ帰りたがる。ビルを見るだけではつまらないという。歴史ある広州に連れていくと、口をそろえて魅力的だと言う。

 横山新宿副都心も同様だと思う。魅力を感じない。自律的に展開させてもらえない町だ。広場があっても屋台が出せない。1970年代初頭の学生の暴動に影響されたこともあるが、群衆が集まらないように、都市空間の活用に多くの規制が実施された結果だ。

 文化と生態は同様に、自分で進化し、自分で繁栄する力がある。これを理解し、容認し、誘導していくことが大事だ。

 友人の著名なイタリア人建築家マリオ・ベリーニは私に良いことを言った。「都市は作ろうとして作れるものではなく、壊そうとして壊せるものでもない、都市の背後に文化的なアイデンティティをもつ人々がいるからだ」と。

4. サービス業と交流経済

 日本のサービス業の生産性は低いといわれるが、私はこれこそ日本のサービス業の魅力だと思う。日本ではサービス業、特に飲食や小売で、顧客とのコミュニケーションが多い。このようなコミュニケーションは、標準化、効率化することができない。顧客はこうしたコミュニケーションを楽しんでいる。当然、顧客との交流を通じて、サービスの品質も向上していく。

 横山高級寿司屋に行くのと同じだ。寿司の美味しさはもちろん、寿司屋のオヤジとの会話も大事な楽しみだ。いや、高級寿司屋だけでなく、行きつけのカウンター割烹や小料理屋も同じだ。店主や女将を入れた賑わいも店の魅力でもある。

 勤務先の大学のとある名物大先生が、ある日突然私に「たいへんなことが起こったよ」と言ってきた。学内で政変でも起こったかと聞いてみたところ、行きつけの小料理屋のママが店を畳んだと(笑)。

 ひと昔前、商圏の優劣を評価するときに、チェーン店の数はポジティブなチェックポイントだった。いまや私から見ると、むしろネガティヴなチェックポイントになった。やはり、オーナーや店長が采配を振るうような店がより評価される。こうした店が顧客とのコミュニケーションをより重視し、個性的で面白い。

 私の住んでいる吉祥寺は、日本では住んでみたい街ランキングで常に上位を占める。その評価を詳しく見ると、最も高い評価を得ているのは、商業集積だ。吉祥寺には個人経営の店が多い。最近若者のオーナーも増えていろいろ面白い店が展開されている。個人経営が多いこともあり、吉祥寺の店舗の平均面積は東京の平均のそれより狭い。ただし、商業面積の単位当たりの売り上げは高く、ディズニーランドのそれを超えている。

 日本には400社以上のスーパーがある。地域スーパーが頑張っている。スーパー最大手のイオンさえ、47都道府県の中でシェアがトップになった地域は僅かだ。これをネガティヴに捉える研究者が多い。私は、むしろポジティブに評価したい。地域のニーズを敏感に取り入れ、地域の物産を活かした地域スーパーが日本の地域経済、地域文化そしてコミュニティを保っている面が大きい。

 その意味では、サービス業の将来は、標準化路線よりは個性化路線、コミュニケーション路線をめざすべきではないか。

 横山面白い例にエブリーという広島のローカルスーパーがある。地域の早起きの高齢者に早朝、キャベツ畑にアルバイトに来てもらう。6時から収穫し、8時にエブリーのトラックが来て積んで帰り、10時には店頭に並んで12時には売り切れる。

 東京は世界でミシュランの星付きレストランが最も多い都市だ。これらのレストランは和食だけでなく各国料理を提供している。和食も多様な種類があり、店主のこだわりを反映してかほとんど個性的だ。

 雲河都市研究院が発表した“飲食・ホテル輻射力2018”の中でトップ10都市は、上海、北京、成都、広州、深圳、杭州、蘇州、三亜、西安、廈門である。この10都市の合計五つ星ホテル数や国際トップクラスレストラン数はそれぞれ中国の36%、77%を占めている。

 面白いことに、私たちがIT産業輻射力と、飲食・ホテル輻射力との相関関係を分析したところ、両者の相関関係指数は0.9にも達し、いわゆる「完全相関」だと分かった。要するに、交流経済の典型としてのIT産業の皆さんは、収入が高く、美味しいものが大好きだということになる。もちろん、食事も大切な交流の場だ。中国ではIT産業が強いところは、全部美食の街だ。日本でIT産業がダントツに強い東京もしかり。

 これに対して、製造業輻射力と、飲食・ホテル輻射力との相関関係指数は0.68しかなかった。IT産業に比べて、製造業の皆さんの美食へのこだわりは、少々弱いかな(笑)。

写真:北京の人民大会堂で行われた「国際健康フォーラム」にて、横山禎徳(左一)、周牧之(左二)


「中国網日本語版(チャイナネット)」2020年7月7日