【対談】岸本吉生 Vs 周牧之(Ⅲ):格差是正を時代目標に

2023年1月5日、東京経済大学周牧之ゼミでゲスト講義をする岸本吉生氏

■ 編集ノート:

 岸本吉生氏は経産官僚として、経済産業省環境経済室長、中小企業庁経営支援課長、愛媛県警察本部長、中小企業基盤整備機構理事、九州経済産業局長、中小企業庁政策統括調整官、経済産業研究所理事を歴任、経済産業政策を幅広く研究し、推進した。現在、ものづくり生命文明機構常任幹事。

 東京経済大学の周牧之教授の教室では、リアルな学びの一環として第一線の経営者やジャーナリスト、官僚らをゲスト講師に招き、グローバル経済社会の最新動向を議論している。2023年1月5日、岸本吉生氏を迎え、講義をして頂いた。


■ 結党3度目の渾身の「決議」


岸本吉生:周先生と私は同い年で、同じ頃に大学を出て、ほぼ同じころに私は経済産業省、周先生は中国の機械工業省、日本でいう経産省に入った。もう20年以上のお付き合いになる。

 私が大学に入ったのは1981年で、語学の授業は中国語を選んだ。1000人の東京大学の文系学生のうち、中国語を履修したのは80人。8%の学生が中国語を選んだ動機は大きく二つに分かれていた。一つは、21世紀は中国の世紀になるから先行投資だという人。もう一つは、中国語を専攻すれば大学の友達と麻雀ができるという人(笑)。1981年は中国で改革開放が始まって3年目の頃だ。大学1年生の教科書の内容は、ほとんどが共産党と毛沢東のことだった。30年経って大学生に中国語が一番人気だった時期は、1000人のうち300人ぐらいが中国語を選んだ。時代は変わり、今はスペイン語が一番人気だと聞いている。

 SNSでもマスメディアでも、話題にのぼる国として中国は世界のトップ3に入る。アメリカの関心は相対的に下がったと感じる。音楽、政治、経済などさまざまがアメリカ中心だとしても、アメリカと中国の両方を見る時代になった。

 皆さんは周先生と勉強され、いろいろな感覚を身につけられたと思う。今日はまず習近平国家主席の「歴史決議」について話したい。

周牧之:「歴史決議」には意味がないという感覚の人が多い中、「歴史決議」を真剣に読み解いた方は私の周りでは岸本さんだけだ。

岸本:歴史決議に関心を寄せた理由はシンプルだ。1921年に中国共産党が結党して100年の間に、中国共産党の主席が渾身の力で書いた「歴史決議」は二つある。一つは1945年に毛沢東が書いた「若干の歴史問題に関する決議」。二つ目は改革開放をした鄧小平が1981年に書いた「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」。結党100年目に習近平が書く歴史決議を楽しみにしていた。

 一昨年の11月20日に歴史決議が発表されると、日本ではNHKと読売新聞など何社かが短いニュースを流した。しかし3日経っても1週間経っても日本語の翻訳が出ない。全体の文章を誰も報道しない。中国に対する関心がないのか、中身が読むに値しないのか、訝しんでいたところ新華社通信が日本語で全文を発表した。A4版63ページ。私は3回読んだ。共産党の歴史は1回ではわからなかった。これは大変な文章だと思った。日本の公文書でここまで質の高いものはない。

 昨年の周先生の中国経済論のゲスト講義で、その全体について話をした。今回は全63ページを8ページぐらいに抜粋した。私の主観が入り、説明を省いてあるため、理解できないところがあるかもしれないが皆さんと一緒に考えたいことを抜粋した。

1945年「若干の歴史問題に関する決議」と1981年「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」報告書

■ 経済と社会のバランスを重んじる


岸本:明確に思った一つは、共産党結党からの100年を振り返り、未来の50年を展望している点だ。日本の歴代の総理で、100年前を回顧し50年後を展望するロングスパンの文書を書いた人はいない。

 二つ目に、100年前、毛沢東は共産主義が必要だと考え闘争を始めた。100年前の課題は、民の貧困、社会の動乱、権力の腐敗で、これを是正するために、共産主義が必要だとした。何かを良くするためのものであった。習近平は、中国は世界一の発展途上国だと言う。国家の目標は共同富裕だとはっきり書いている。

 アヘン戦争にまみれた1840年代の清王朝当時、中華民族は欧米から劣った民族だと言われていた。そこから脱却するために中国が選んだ道は中華人民共和国だったと決議では明快に論じている。

 鄧小平の決議が出たのは1980年代だ。1960〜70年代、中国共産党が結党して50年ぐらいのころ、毛沢東政権は文化大革命という過ちを犯した。1920年ないしは国が出来たころ目指した方向を、時代に合わせて調整するのを怠ったためだ。その過ちを正すために、鄧小平がやった改革開放は間違ってないと、決議ははっきり言っている。その後の32年間の改革開放路線は間違ってない。今後も継続する。しかしそれだけでは足りない。

 ロシアを見ても中国を見ても国家体制の問題は根深い。ソ連が解体されてロシアは資本主義の国になった。中国以上に改革開放されたと言ってもよい。しかし社会の病理はある。どんな国にも社会の病理があるがロシアのようになってはいけないということだろう。社会的な問題を解決しながら改革開放を続ける。社会政策と自由経済政策のバランスをとる。それが中国共産党の課題だ。

鄧小平中国共産党総書記

■ 1980年代は自由主義経済が世界の潮流に


岸本:皆さんがまだ生まれていない1980年代、世界に3人の自由主義経済のリーダーが出てきた。この3人は、社会の安定は多少犠牲にしても経済の自由化が必要だと言った。西側諸国でも1970年代までは社会の安定にウエートを置いていた。1980年代に入り自由主義経済を推し進め政府の役割を小さくするのがいいとなった。

周:アメリカのレーガン、イギリスのサッチャー、そして中国の鄧小平に引っ張られ、自由主義経済がその時期の世界の潮流となった。

岸本:鉄鋼、電力、セメントなど重化学産業のウエートが高く、環境問題も、働く人の健康問題も酷かった。そこのバランスをとるための新しい産業が出てくる。コンピュータの出現で、情報化の時代になった。情報化で、小さい企業も成長できることになった。

周:当時は、社会主義の中国と、資本主義の日本、アメリカ、イギリスすべてが国営企業の改革をした。

岸本:それまでは、大きい企業は資本が足りず国から資本を投入していた。日本は1980年代、例えば電電公社がNTTへ民営化し、国有鉄道がJRへと民営化した。中国の国営企業も元気になった。

周:元気がないところは切り捨てられた。

岸本:自由と社会のバランスをどうとるかについては、この30〜40年間、いろいろなアプローチ、アイディアが出された。日本が20年前にやったのは、日本中にインターネットがただで使える環境を作った。光ファイバーを稚内から八重山諸島まで引いたのが20年ぐらい前。Wi-Fiを家に引いたらほとんどお金かからない。

 大学でベンチャーの社長になる人を育て始めたのもこの20〜30年だ。スタンフォード大学では、ビジネススクールを出て大企業へ入ったら「成績悪かったの」と言われる。教育内容を改め情報化社会で活躍する人作りを進めた。

マーガレット・サッチャー首相とロナルド・レーガン大統領

■ 30年間の中国の変化と新しい時代の目標設定


岸本:今の中国は民主主義の国ではないとする人もいるが、憲法を見ると民主主義でないわけではない。

周:中国はこの30年間は変わっていない、とアメリカの一部の人は言う。私は、中国は相当変わったと思う。

岸本:変わった。

周:なぜ変わらないと言われるのかわからない。

岸本:それは政権交代がないように見えるからだ。政権を選択する自由がない。

周:しかし、30年前の日本も同じことを言われた。政治改革をやり、小選挙区をやり、果たしてこれが正しかったのかどうか、非常に疑問を持っている。「歴史決議」の一番大事なところは総括と、新たなテーマ設定だ。

岸本:そうだ。

周:正しい総括と、正しい時代目標の設定が、いま中国の直面する課題だ。実際はアメリカも中国も日本も直面する問題は似ている。制度は民主主義だといっても、不平等、生活格差の問題がある。鄧小平時代は活力はあったものの富の分配に問題があった。共同富裕はそこを意識している。

岸本:習近平は、中国共産党ではエリート中のエリートだ。若いときには文化大革命で父とともに苦労され、共産党入党後は早くから大きな仕事をやってきた。だからある意味、苦しむ人の気持や、貧しい人の気持ちは、自分の体験として知っている。

周:毛沢東の教育を最も受けていた世代だ。文化大革命は何のためだったのか。私はいまこれに関する本を書こうとしているが、文化大革命の本質の一つは人作りだった。今の中国の指導者は、文化大革命の中で教育された世代だ。

 私の歴史観からすると、中国の改革開放が始まったのは1972年、ニクソン訪中と日中国交正常化があった年だ。新中国建国からそこへ持っていくまで相当時間がかかった。毛沢東のリーダーシップの元で世界が中国を受け入れた。今の北朝鮮は、世界に受け入れられないから苦しんでいる。

岸本:そうだ。

周:改革開放は6年後の1978年代に始まったというのが通説になっているが、毛沢東の偉大さを見落とし、鄧小平に改革開放の功績を全部持っていかれた故だ。

1972年2月、ニクソン大統領の中国訪問

■ 時代が決めた目標に応え、人民が採点


岸本:「決議」の抜粋の最後に、新時代の共産党101年目から150年まで、とある。中国共産党は結党以来の最盛期にあり、二つ目の100周年の奮闘目標、中長期的な目標に向けて歩き出した。何をすべきかは時代が決め、答えを書くのは共産党だ。採点するのは12億人の人民だ。これは建前かもしれないが、共産党の公式文書で明快に民主主義を謳っている。

周:本音で書いていると思う。

岸本:そうでなければ共産党が続くはずがない。

周:中国のリーダーは歴史評価を意識している。古来、中国の指導者は、皇帝も宰相も誰もが猛烈に意識するのが、後世に何を言われるのか、だ。

岸本:中国の普遍的な考えだ。中国が抱える課題は、12億人が素晴らしい生活をするために必要なものを供給できる社会だ。中華民族はずいぶん豊かになって発展したように見えても、需要と発展の不均衡があり「まだ道半ばで私達は世界最大の発展途上国」としている。経済成長が7%未満になったなど数字的な問題の先に課題があるとはっきり書いている。そのために次世代の育成をすると言う。清廉潔白で愛国心があり献身的で責任を果敢に負う次世代だ。そうした青年を育てるのは至極真っ当だ。

周:業績重視の幹部育成を非常に意識している。アメリカのように一期目の議員経験しかない人物が大統領になるのを幸せなこととは思えない。

岸本:そう思う。だから習近平も末端からのし上がた。引き抜き、飛び越えは一回もない。

 公式文書が拝金、享楽、自己中心、ニヒリズムの四つを打破すると言うのはインパクトがある。国家が人心に踏み込んでいる。

周:鄧小平、江沢民の時代は経済発展を優先した。

岸本:私も覚えている。習近平は経済優先はよくないと是正しようとしている。「歴史決議」にはいろいろな意味があるが、日本人の私からすると、この部分が一番強い印象を与える。

 習近平が目指しているのは助け合うことだ。助け合うから共同富裕に到達する。格差は社会主義で是正していく。清王朝を振り返ると、皇帝がいて民は貧しい階級社会、格差社会だった。共産党が国家を担い社会を指導もする方が良かったと思うか。

周:レーガン、サッチャー、そして鄧小平のリーダーシップで1980年代から始まった自由主義経済の推進が、経済の効率化やグローバリゼーションそしてIT革命を加速し、人類規模の富の生産拡大をもたらした。中国も一気に豊かになった。しかし格差の拡大が中国のみならずアメリカ、日本にも広がり、世界的な課題になっている。日本は一億総中流社会から格差社会になった。アメリカでは格差拡大により、トランプを大統領に押し上げた。 

講義をする岸本氏と周牧之教授

周:2010年、中国国家発展改革委員会の秘書長だった楊偉民氏をはじめとする政策当局の幹部を集め『第三の三十年』という本を出した。新中国の発展段階を1949年から1979年、1980年から2009年、2010年から2039年の三つの三十年に分け、政策目標の違いを明らかにした。この本では、第三番目の三十年において格差の是正を大きな目標とするべきだと主張した。

 中国はもちろんアメリカもヨーロッパも日本も、格差の是正が大きな課題となっている。

(※後半はこちらから)

周牧之、楊偉民主編『第三個三十年』

プロフィール

岸本 吉生

ものづくり生命文明機構常任幹事

 1985年東京大学法学部卒業後通商産業省入省。経済産業省環境経済室長、中小企業庁経営支援課長、愛媛県警察本部長、中小企業基盤整備機構理事、九州経済産業局長、中小企業庁政策統括調整官、経済産業研究所理事、中小企業基盤整備機構シニアリサーチャー、中小企業庁国際調整官を経て現職。コロンビア大学国際関係学修士、日本デザインコンサルタント協会会員。