【対談】中井徳太郎 VS 周牧之(Ⅰ):日本海学の歩みとスケールアップ

■ 編集ノート:東京経済大学の周牧之教授の教室では2025年10月9日、長年の親友であり元環境事務次官の中井徳太郎氏を迎え、日本海そしてシナ海を一つの生命体として捉える発想から、カーボンニュートラルやネイチャーポジティブ、日本的な自然観と祭りの知恵までをつなぎ、「三千年の未来」を見据えた文明論的ビジョンを伺った。ローカルな足元からグローバルなダイナミズムへと視野を広げるこの構想は、現代の生き方と将来像を問い直す大きなヒントになる。

2020年11月21日東京経済大学創立120周年記念シンポジウム「コロナ危機をバネに大転換」にて講演を行う中井徳太郎・前環境事務次官

周牧之:人類が「地球沸騰」の時代をどう生き抜き、どんな未来をつくるのか?「日本海学」「地域循環共生圏」「三千年の未来」という3つのキーワードを掲げ、日本の環境政策を牽引してきた中井徳太郎元環境事務次官にゲスト講義していただく。

■ 官僚としての歩みと環境政策の原点


中井徳太郎:私は1985年に大学を卒業して社会人になった。当時の勤務先は、今で言う財務省が、当時は大蔵省という名前だった。大蔵省に入省し、さまざまな経験をさせてもらった。

 1999年に富山県に出向し、富山県庁の部長として3年間お世話になった。その頃、大蔵省は金融と財政が分離され、金融庁と財務省の二つに分かれた。私もその後、富山県から財務省に戻ってすぐに周牧之先生とのお付き合いが始まった。

周:後に金融庁長官になった畑中龍太郎大蔵省文書課長に中井さんを紹介された時の、中井さんの様子を鮮明に覚えている。その後、中井さんに何度も富山県に連れていってもらった。

中井:この富山県での3年間が、20世紀から21世紀への橋渡しとなる重要な局面となった。ローカルな立場から物事を考えるポジションに立つことになり、その中で「日本海学」を、富山県発の地域総合学として県の政策に位置づけた。今日はそのお話をしたい。

 日本海学を立ち上げた後、私は再び財務省に戻り、農業関係予算の主計官を務め、その前に東京大学に出向し、いろいろな仕事をした。

 2011年の東日本大震災では、地震による原発事故が起こり、福島県で放射性廃棄物の問題が深刻化した。これを国としてどう処理するかで、廃棄物を所管する環境省が対応することになった。福島第一原発そのものは東京電力の問題だが、その周辺に大量に飛散した放射性物質については、除染という前代未聞の取り組みを国として行うことになった。今では、原発のすぐそばに国有地を取得し、中間貯蔵施設として運用している。

 こうして環境省が大混乱している時期に、私は環境省に課長として出向した。福島の問題に関わりながら、日本の持続可能な社会をどう描いていくのかという、いわゆる環境政策のビジョンづくりにも携わることになった。日本政府の中で持続可能な社会のビジョンを提示する役割を担うのが環境省であり、その仕事に深く関わることになった。そして11年間環境省に在籍し、3年前の7月に退官した。

2013年12月27日、中国で開催の「都市と環境国際シンポジウム」にて議論を行う中井氏(左)と周教授(右)

■ 政策の根幹にある「循環」と「共生」


中井:振り返ってみると、これからお話しする日本海学の中に、「循環」と「共生」というキーワードがある。この発想をもとに、財務省に戻ってからも、環境省に移ってからも、同僚や後輩たちと議論しながら政策をつくってきた。

 結局、日本海学で構想したことが日本の環境政策、つまり持続可能な社会を描く政策の根幹にある、と今では思う。いろいろな場で話をする際にも、自分にとってのスタート地点は日本海学なのだとお話ししている。

 日本海学は、「地域から、循環と共生の視点で総合的にものを見る」という考え方だ。周先生とのお付き合いを通じて、日本の地域からものを見る視点──ある意味では強くローカルな視点──を持ちながら、一方で北東アジア全体、さらにはアジア全体のダイナミズムを、歴史や交流の蓄積も踏まえ、もっとダイナミックかつリアルに捉えるべきではないか、という問題意識もずっと持ってきた。

 そのことを、今後も周先生と一緒に考えていきたい。そのスタートアップとしての話が、今日のテーマでもある。

2013年12月26日、中国で開催の「中国都市総合発展指標専門家会議」にて議論を行う中井氏

■ 「逆さ地図」から読み取る日本海学の発想


中井:この日本海の地図の話から始めたい。1999年に私が富山県に行ったときには、すでにこの地図が存在していた。富山県が平成6年に作った「逆さ地図」で、日本海を中心に南北を逆転させた地図だ。

 この地図を見ると、朝鮮半島と九州、その右側に東シナ海や黄海が見える。当初の地図では、九州から沖縄、台湾にかけてのエリアがギリギリ入るか入らないか、という状態だった。実際には、もっと入っていないバージョンもあった。

 この南北逆転の地図を、日本海を中心に見てみると、まず「物事を逆さに見る」という視点自体が、私たちの頭を柔軟にしてくれる。「一体これは何なのか?」と素朴に考え直すきっかけを与えてくれる。思い込みを外す効果がある。

 1999年に富山県に赴任したとき、私の部下がこの地図を持ってきて、「部長、面白いものがあります」と見せてくれた。もともとは、北陸新幹線や日本海側の高速道路整備を国に訴えるために、土木部が作った地図だ。日本海側にも新幹線や高速道路が必要だ、というロビー活動の道具として作られた。

 しかし、私はこれを見たときに、単に道路や鉄道の整備を訴えるための資料にとどめるのはもったいないと感じた。20世紀から21世紀へと移り変わる時代の中で、この逆さ地図から発想を広げ、もっと大きなことを考えていこうと提案した。

 地域のことを考えるとき、この地図がイメージさせてくれるのは、日本海を中心に、富山県と富山湾はここに位置し、この日本海を囲む全体が一つの「和」の世界として連関している、という姿だ。そして国のことを考えるとき、ここに日本という国があり、北方領土問題を抱えるロシア、朝鮮半島(韓国・北朝鮮)、そして中国があり、国境線が複雑に絡み合っている。

 しかし、国境にとらわれず、もっと長い時間軸で日本列島の成り立ちを考えてみるとどうなるか。地球がいつ生まれ、大陸がどう形成され、プレートがどう動いてきたか。自然科学、特に地学や地理学の発展により、完璧ではないにせよ、大陸や日本列島の成り立ちはかなり分かってきている。

 それによると、この日本列島は、約2500万年前から1700万年前という途方もなく長い時間をかけて、大陸とくっついていたものがプレート運動によって引き離され、しかも曲がりながら今の形になっていったとされる。こうした成り立ちに想いを馳せると、「ここに生きる人間はどうやってこの地にたどり着いたのか」という問いが自然と湧いてくる。

周:壮大なロマンとリアリティーがこの逆さ地図から読み取れる。

逆さ地図

■ 人類の起源と日本列島への移動ルート


中井:人類そのものはどこで生まれたのか。これも自然科学、生物学、とくにDNA解析の発展によってかなり明らかになってきた。アウストラロピテクス、ネアンデルタール人など、さまざまな系統の「仲間」が枝分かれする中で、最終的にホモ・サピエンスが生き残った。そのホモ・サピエンスがアフリカのどこかで誕生し、そこから世界各地に広がっていった、という。

 つまり、私たちも、どこか遠い地で生まれた人類が長い時間をかけてここまで来た結果として、ここに存在している。ここで突然、人間が虫のように湧いて出てきたわけではない。

 では、その人類はどのようなルートでここに来たのか。日本海があり、その周辺に太平洋があり、海流や潮の流れがある。南方から丸木船に乗って海流に乗ってやってきた人々もいれば、気候変動に伴う氷期・間氷期の変動の中で、海面が上がったり下がったりするタイミングで、陸路に近いルートを辿ってきた人々もいる。

 例えば、縄文海進の時期には、現在よりも海面が約5メートル高かったことがわかっている。逆に氷期には海面が低くなり、対馬列島あたりはほとんど歩いて渡れるほどだった時期もあったと言われる。そうなると、朝鮮半島から北九州へ直接渡るルートもあったでだろうし、大きな黒潮に乗って南方から来るルートも考えられる。また、アフリカを出た人々の一部は中央アジア、シベリアを経由し、サハリンなど北から日本列島に入ってきた可能性もある。

 こうしたさまざまなルートや仮説をたどっていくと、「私たちは何者なのか」という問いに自然と行き着く。この問いを学ぶことが、日本海学の重要な視点の一つだ。

2018年7月19日日本語版『中国都市総合発展指標』出版パーティにて挨拶を行う中井氏(左)と周教授(右)

■ 日本海学の定義と学際的アプローチ


中井:一方で、現代の課題に目を向けると、この地域には北朝鮮という閉鎖的な国があり、日本との交流はほとんどない。ロシアは今、ウクライナと戦争状態にある。中国とは仲良くできるポテンシャルはあるものの、その時々の政治状況によって摩擦が生じることも多い。こうした状況の中で、日本だけで生きていくことはできない。この地域でどのように共存していくのか、という課題がある。

 その答えを探る際にも、歴史や自然環境、地球規模の変化などを踏まえながら、解決策を見出していく必要がある。こうしたさまざまなことを、日本海学という枠組みに込めて、大風呂敷を広げながら議論していこう、ということで、私は富山県で企画書を作った。

 その企画書の中で、日本海学を次のように定義した。
「日本海学は、日本海とその周辺及び関連地域全体を、生命の源である海を共有する一つのまとまりとして捉え、海との関わりを軸に、その自然、文化、歴史、経済などを総合的に研究し、新たな領域を創生するとともに、地域間の交流を促進し、生命の輝きが増す未来を構想する取り組みである」

 これは、県庁の職員たちと議論を重ねながら作り上げたものだ。具体的には、自然科学の知見(すでに蓄積されている地学、気候、海洋などの知識)と、人文社会科学の知見(歴史、考古学、経済交流、文化など)を合わせて総合的に物事を見よう、という学際的な総合学として構想した。

 ちょうど2000年前後は、学際的な総合学という考え方が注目されていた時期でもあった。その流れも踏まえ、「根こそぎ勉強して未来を描こう」という意気込みで、日本海を中心に考える新しい学問を企画した。

 この企画書を持って、当時、東大にいらした比較文明学会会長の伊藤俊太郎先生(トインビーと親交の深かった歴史家)に相談に行った。伊藤先生は地図と企画書をご覧になって、「中井さん、これはとんでもなく、すごいことですよ」と非常に高く評価してくださった。そして「これでやりましょう!」と後押しをしてくださり、歴史学、自然科学など各分野の専門家を紹介していただいた。

 こうして、歴史の専門家、自然科学の専門家、経済の専門家など多様な人々が結集し、日本海学という新しい研究分野が立ち上がった。研究分野としては、大きく「自然環境」「交流」「文化」「危機と共生」という柱を立て、現代的なテーマとして整理した。

2020年11月21日東京経済大学創立120周年記念シンポジウム「コロナ危機をバネに大転換」にてディスカッションを行う中井氏(左)と大西隆・日本学術会議元会長

■ 日本海学から「シン日本海学」へ


中井:日本海学は、富山県の政策に活かすことを目的にスタートした。県庁内に担当課を置くと同時に、「日本海学推進機構」という別組織をつくり、そこに事務局を置いて毎年事業を行う仕組みにした。日本海学をテーマとしたシンポジウムを毎年開催し、さまざまな研究機関と連携して出版も行ってきた。

 私は富山を離れて久しいが、いまも立ち上げメンバーの一人としてアドバイザーを務めている。当初は、非常にユニークな地域学・総合学として注目され、角川書店から毎年1冊ずつ研究総集編を刊行し、8年連続でかなりしっかりした本を出した。東京や大阪で大きなシンポジウムを開き、毎日新聞などの全国紙にも大きく取り上げられた。

周:さまざまな分野の研究者を巻き込み、シンポジウムの形で議論し、角川書店『日本海学の新世紀』シリーズにまとめた。私もシンポジウムに参加し、その内容を同シリーズに載せていただいた。

中井:最近では、考古学や経済学、自然科学など各分野の先生が引き続き関わってくださっているものの、少し落ち着きが出てきており、日本海学の活動全体としてはやや小ぢんまりした印象もある。富山湾を中心とした「富山湾学」のような形に縮小している面もあり、本来のスケールに比べるとやや小さくなってしまったな、という感覚がある。

 活動が落ち着いてくると、どうしても各研究者は自分の専門分野に視野が狭まりがちになる。しかし、地球環境が大きな危機に直面し、本当に持続可能な未来を描かなければならない今こそ、自分たちの足元である日本を見つめ直し、地域から循環と共生の世界を構想する必要がある。

 その意味で、日本海学をもう一度バージョンアップさせたい。『シン・ゴジラ』や安宅和人さんの『シン・ニホン』になぞらえて言えば、「シン日本海学」のような新バージョンを立ち上げたいと、周先生と語り合ってきた。今日は、その想いも込めてお話をしている。

 富山県というのは非常に真面目な県で、一度始めたことは粘り強く続ける県民性がある。これは日本人全体にも共通する、とても良い特性だと思う。「大事だ」と思って始めたことを、愚直に継続していく。その継続性という意味では、日本という国は本当にすごい力を持っている。

周:中国の漢方薬を富山経済の基幹産業に仕上げた富山人の県民性は、まさしくそうだ。

中井:私自身は富山を離れた後、財務省に戻り、その後環境省で気候変動や災害多発という状況の中で、政策の最前線を担う立場になった。

2024年11月30日東京経済大学国際シンポジウム「グリーントランスフォーメーションにかける産業の未来」懇親会にて、左から徐林中米グリーンファンド会長、中井徳太郎氏、楊偉

■ 環シナ海・日本海交流圏という広域の視点


周:日本海学について、私なりの考えを少し補足すると逆さ地図で日本海を中心に見ることは、とても意味のある発想だ。更に、もう一つの別の地図で見ると、少し視点を変える必要も見えてくる。

 これは衛星データから人口分布を解析した地図で、雲河都市研究院のスタッフが時間をかけて作った。この地図を見ると分かるように、日本海沿岸には人口があまり集まっていない。一方で、ユーラシア大陸の人口が最も集中しているのは、二つのエリアだ。一つはヒマラヤ山脈の麓のインド「亜大陸」だ。もう一つは東シナ海・南シナ海を含む「シナ海」沿岸とその内陸部だ。

 「環シナ海」という視点から日本を見ると、日本と大陸との交流の接点は、九州あたりが最も濃厚だ。九州と朝鮮半島、さらには大陸との関係は古来、非常に強く、歴史的にも文化的にも深いつながりがあった。

 日本海は荒れやすく、人間にとって利用しにくい海でもある。大陸との交流のルートは、九州から日本海側にも伸びていったが、人口の多い太平洋側に回る方がより多かった。なぜなら、太平洋側の海がより穏やかで、海運にとって利用し易い。四国や本州の太平洋側に、交流の拠点が自然と形成されていった。

 例えば、鑑真は中国の揚州を出発し、東シナ海を渡って天平勝宝5年(753年)に薩摩半島(鹿児島)に上陸、難波津(大阪)を経て平城京(奈良)に至った。これはまさしく太平洋側ルートだ。

 広島県福山市にある鞆の浦 に行ったことがある。宮崎駿監督『崖の上のポニョ』の原風景とされている場だ。瀬戸内海のほぼ中央に位置する「潮待ちの港」として、2000年以上にわたる非常に長い歴史を持っている。このような交流の拠点が太平洋側ルートを形成していた。

 その結果、江戸や大阪といった大きな町が太平洋側に並ぶ形になっていた。今日、東京、名古屋、大阪といった大都市の形成について、戦後アメリカとの関係だけで説明する人が多いが、実際は大陸との交流がその下地を作っていた。

 日本海は非常に重要だが、「日本と大陸の交流のメインルート」ではなかった。その意味では、「日本海」だけでなく、「環シナ海・日本海」という、より広いスケールで考える必要があると私は思う。その方が、より大きくて面白い話が展開できる。

2019年1月26日、国際シンポジウム『「交流経済」×「地域循環共生圏」—都市発展のニューパラダイム』懇親会にて閉会挨拶に立った周氏、楊氏、中井氏(右から順に)

■ 東アジアとASEANを含めた地域連携の重要性


周:私は経済学者なのでやはり数字を見せたい。環シナ海・日本海の交流圏に含まれる国を挙げると、東アジア地域には中国、日本、韓国、北朝鮮、ロシアが含まれる。ロシアの人口は殆どヨーロッパエリアにあり、北東エリアの人口は極端に少ない。

 東アジアとASEANを合わせ、「環シナ海・日本海交流圏」と定義してみると、この地域には約23.5億人が暮らしている。世界人口の約28.7%、3割弱だ。貿易の面では、この地域の輸出額を合計すると年間約8兆ドルになり、これは世界の輸出額の33%、ちょうど3分の1を占めている。輸入も世界シェア約28%、こちらも3分の1弱だ。つまり、人口も貿易も「世界のほぼ3分の1」が、この地域に凝縮されている。

 日本にとっては、この地域とのつながりがどのくらい重要かというと、日本の輸出の45.9%でほぼ半分。輸入もほぼ半分がこの地域との取引になる。さらにインバウンドを見ても、約8割がこの地域から来ている。このスケールで物事を考えることが日本にとっては重要だ。その意味でも、「環シナ海・日本海」という枠組みで議論したら面白い。

中井:おっしゃる通りだ。日本海沿岸に人が少ないことは、もともとよく分かっていた。周先生がおっしゃるように、最初に富山の地図を見たときも、「台湾が入っていないじゃないか」と指摘し、地図の範囲をぐっと広げてもらった経緯がある。

 日本海学という名前で始めたが、実際には「環日本海」「環シナ海」「ASEAN」まで視野を広げて考える必要がある、というのは私も同じ考えだ。

2015年12月19日、東京経済大学「環境とエネルギーの未来 国際シンポジウム」にてディスカッションを行う周教授、中井氏、安藤晴彦氏、和田篤也氏(左から順に)

プロフィール

中井 徳太郎(なかい とくたろう)/日本製鉄顧問、元環境事務次官

 1962年生まれ。大蔵省(当時)入省後、主計局主査などを経て、富山県庁へ出向中に日本海学の確立・普及に携わる。財務省広報室長、東京大学医科学研究所教授、金融庁監督局協同組織金融室長、財務省理財局計画官、財務省主計局主計官(農林水産省担当)、環境省総合環境政策局総務課長、環境省大臣官房会計課長、環境省大臣官房環境政策官兼秘書課長、環境省大臣官房審議官、環境省廃棄物・リサイクル対策部長、総合環境政策統括官、環境事務次官を経て、2022年より日本製鉄顧問。