【コラム】周牧之:知の巨人、横山禎徳氏を偲ぶ/世界への理解と個性の主張

周牧之 東京経済大学教授

■ 編集ノート:横山禎徳氏は卓越した経営プロフェッショナルで「社会システム・デザイン」のパイオニアである。東京大学工学部建築学科卒業後、ハーバード大学デザイン大学院、マサチューセッツ工科大学経営大学院で学び、前川國男建築設計事務所を経て、マッキンゼー・アンド・カンパニー東京支社長。社会システムデザイナーとして国内外で幅広く活躍した。
 横山禎徳氏と周牧之教授は四半世紀に及び親交を深めてきた。2024年12月13日、周牧之教授は横山氏の奥様を始め、南川秀樹元環境次官、土屋了介元国立がんセンター中央病院長、前多俊宏MTI社長ら関係者を募い横山氏を偲ぶ会を開いて同氏との親交を回顧した。

2018年「中国都市総合発展指標」出版記念パーティにて、横山禎徳、竹岡倫示・日本経済新聞社専務執行役員、横山禎徳氏、大西隆・豊橋技術科学大学学長、周牧之教授
2018年「中国都市総合発展指標」出版記念パーティにて、横山禎徳氏、竹岡倫示・日本経済新聞社専務執行役員、横山禎徳氏、大西隆・豊橋技術科学大学学長、周牧之教授(左から)

 2024年4月4日、MTIの前多俊宏社長から電話で横山禎徳さんの訃報を知らされた時、私は北京にいた。まさに青天の霹靂であった。「大変な悲しみがほんの少し整理できた時に偲ぶ会を」と、その電話で前多さんと話した。
 同年12月13日、横山さんと私との共通の友人が集まり、横山さんのご夫人をお招きし、偲ぶ会を行なった。偲ぶ会は少人数の集まりで、参加者それぞれが横山さんを偲び、その人となりについて語った。互いにまだ知らなかった横山さんの一面について分かち合った。
 横山さんは、時代を代表する知の巨人であった。天下国家の議論から、大学経営、企業のコンサルタントまで、その尽きない叡智を発揮され、さまざまな場面で活躍された。

横山禎徳 周牧之
2006年5月「日中産学官交流フォーラム−中国のメガロポリスと東アジア経済圏」懇親会にて、周牧之教授と横山禎徳氏(左から)

■ 東京-北京フォーラムの創設


 横山さんと出会ったのは、2002年前後だった。言論NPOで、政治改革の一環としてのマニフェスト作りと評価について盛んに議論した。
 社会システムデザイナーを自任される横山さんの「国家の強さ・弱さ」を検討するための方法論は、非常に魅力があった。横山さんは言論NPO設立当時からの理事で、その後私も理事となり、出来立ての言論NPOを一緒に盛り立てた。なかでも元通産事務次官で電通顧問の福川伸次さんを座長とする言論NPO「アジア戦略会議」の中で、日本の未来に関して盛んに議論した。とりわけ横山さんとアイワイバンク銀行社長の安斎さんとの喧喧諤諤のやり取りが面白かった。やがて、日中関係が大切なファクターだと気付くに至った。
 「アジア戦略会議」コアメンバーの横山さん、福川さん、安斎さん、東京大学の深川由紀子教授、慶應義塾大学の国分良成教授、言論NPO代表の工藤泰志さんと私は、日中両国の責任のある人たちで議論し合うプラットフォームを作ろうと決めた。これを受け、私は程永華駐日中国公使、趙啓正中国国務院新聞弁公室主任、陳昊蘇中国人民対外友好協会会長、唐聞生中華全国帰国華僑連合会副主席ら中国政府の関係者と相談し、東京-北京フォーラムを作ることへの協力を引き出した。中国の関係者にフォーラム設立について正式に提案する際は、横山さん、安斎さん、工藤さんらと私が一緒に訪中した。
 これまで日中の議論は平行線のままが多かったことに鑑み、横山さんは、東京-北京フォーラムで日中の議論を収斂させるため事前に世論調査を日中同時に実施することを提案した。調査項目の原案作りにも尽力された。のちにこの世論調査の結果を議論することが同フォーラムの一つの特色となった。
 2005年8月、小泉政権下で日中関係が悪化する中、北京で第1回東京-北京フォーラムを開き、横山さんは発足メンバーの一人としてこれに参加した。横山さんはフォーラムで、小泉首相が掲げたインバウンド1,000万人目標は慎ましいとし、アメリカ、スペイン並みの外国人観光者数にならなければいけないと仰った。当時はまだ数十万人しかなかった来日中国人観光者数を3,000万人まで押し上げる必要があると力説された。そのためのシステムデザインが日本で欠かせないと言われた。まさに20年後の今日の状況を見据えた洞察力のある発言だった。
 翌2006年8月、東京で第2回を開催時に、安倍晋三内閣官房長官が登壇し、「日中関係は最も重要な二国関係の一つ」と強調した。冷え込んでいた日中関係について、「日中関係改善のために努力する」という強い意思表明をした。安倍氏は同年9月26日、総理大臣に就任し、10月8日に電撃訪中した。東京-北京フォーラムは日中関係が一気に良好へと向かう土台作りの一役を大きく担った。

2005年8月北京で開催の第1回東京-北京フォーラム終了後の共同記者会見にて、工藤泰志・言論NPO代表、横山氏、小島明・日本経済研究センター会長、国分良成・慶應義塾大学教
2005年8月北京で開催の第1回東京-北京フォーラム終了後の共同記者会見にて、工藤泰志・言論NPO代表、横山禎徳氏、小島明・日本経済研究センター会長、国分良成・慶應義塾大学教授、周牧之教授(左から)

■ 中国でメガロポリス政策の打ち立て


 横山さんは建築家で都市問題にも造詣が深い。2000年代初め、私は中国でメガロポリス戦略を提唱し、その政策導入を推し進めた。第1〜10回までの中国の五カ年計画は、すべて大都市抑制政策を掲げていた。第11回目の五カ年計画では、メガロポリス政策を掲げようという破天荒な話を、五カ年計画策定担当の楊偉民中国国家発展改革委員会計画司(局)司長らと協力しながら進めた。
 ちょうどその頃、私は、大蔵事務次官を務めた長岡實氏と豊田章一郎トヨタ自動車名誉会長から、とある日中交流機構の再生を頼まれた。それは後の日中産学官交流機構だった。同機構を土台に、畑中龍太郎財務省大臣官房文書課長、中井徳太郎広報室長らの協力で、中国のメガロポリス政策作りを支援した。

報告書『都市創新ワークショップ議事録』、『日中産学官交流フォーラム:転換点に立つ中国経済と第11次五カ年計画』、『都市創新ワークショップ:中国のメガロポリス・ビジョンとインフラ構想研究会(長江船上会議)』、『日中産学官交流フォーラム:中国のメガロポリスと東アジア経済圏』

 中国での現地調査、日中の専門家会議を重ねた。とくに財務省、国際協力銀行、日中産学官交流機構の協力を得て開かれた「都市創新ワークショップ」の東京会議、北京会議、長江船上会議や、日中産学官交流フォーラムの「中国のメガロポリスと東アジア経済圏」及び「転換点に立つ中国経済と第11次五カ年計画」で、国土政策における日本の専門家を大勢集め、中国国家発展改革委員会発展計画司と、メガロポリス政策に関する意見交換を頻繁に持った。横山さんは、これらの交流に積極的に参加してくださった。

横山禎徳 周牧之
2006年5月「日中産学官交流フォーラム−中国のメガロポリスと東アジア経済圏」懇親会にて、横山禎徳氏、星野進保・元経済企画事務次官、塩谷隆英・元経済企画事務次官、保田博・元大蔵事務次官、進和久・全日空専務(左から)

 当時、横山さんの知恵を沢山お借りした。時には中国五カ年計画の策定班が東京に来て、原案について、横山さんをはじめとする日本の専門家に直接アドバイスを求めることもしばしばあった。
 その成果としてメガロポリス政策が中国の第11次五カ年計画の中に、大々的に掲げられ、中国の都市化を一気に押し上げた。都市化は、やがて輸出と並び二大エンジンとなって後の中国の高度成長を底支えした。

2006年5月11日「日中産学官交流フォーラム−中国のメガロポリスと東アジア経済圏」にて、上段左から福川伸次・元通商産業事務次官、楊偉民・中国国家発展改革委員会副秘書長、保田博・元大蔵事務次官;第二段左から星野進保・元経済企画事務次官、杜平・中国国務院西部開発弁公室総合局長、塩谷隆英・元経済企画事務次官;第三段左から船橋洋一・朝日新聞社特別編集員、周牧之教授、寺島実郎・日本総合研究所会長;第四段左から中井徳太郎・東京大学教授、朱暁明・中国江蘇省発展改革委員会副主任、佐藤嘉恭・元駐中国日本大使;下段左から大西隆・東京大学教授、小島明・日本経済研究センター会長、横山禎徳氏

■ 鎮江ニューシティのマスタープランと「中国都市総合発展指標」

 横山さんとの議論は、都市の経済発展に留まらず、環境問題や健康医療問題についても盛んに行なった。
 私は2011年、中国江蘇省鎮江市で、100万人のニューシティのマスタープラン策定を任された。横山さんを始めとする大勢の日本、イタリアの専門家が現地に赴き、沢山の叡智をさずけてくださった。これを受けて、立派なプランをまとめ上げ、中国で環境を重視した路面電車中心の高水準な都市マスタープランを打ち出すことが出来た。
 2013年、鎮江市ニューシティマスタープランの発表も兼ねて横山さんは、北京の人民大会堂で開催された国連関連の「国際健康フォーラム」にも登壇してくださった。その前夜のウォーミングアップで、北京飯店貴賓楼でイタリアの著名な建築家マリオ・ビリーニさん、国立がんセンターの中央病院長土屋了介先生、森ビル副社長の山本和彦さんらと美味しいワインを飲みながら、語り合ったときの横山さんはとても楽しそうだった。

北京の人民大会堂で開催された「国際健康フォーラム」にて講演する横山禎徳氏
北京の人民大会堂で開催された「国際健康フォーラム」にて講演する横山禎徳氏

 一つの都市だけでなく、もう少し普遍的に都市の成長を手助けすることが出来ないかとの議論を進めていく中で、横山さんは指標作りが大事だとおっしゃった。それを受けて、中国国家発展改革委員会発展計画司と一緒に、297に及ぶ中国の地級市以上の都市(都道府県相当)を全て網羅する評価指標に取り組むこととなった。これは今日の「中国都市総合発展指標」だ。横山さんは環境、社会、経済という三つの大項目だけでなく、各大項目に三つの中項目、各中項目に三つの小項目という指標体系を提案された。これを受けて、800以上のデータを美しい「3×3×3構造」の指標体系へと仕上げた。

 「中国都市総合発展指標」の日本語版が出版され、横山さんは「普遍性ある新たな指標体系」というコラムで同指標を解説してくださった。さらに、「都市デザインの発展段階説」、「都市のアメニティ」、「中心都市の「移動」戦略」と題したコラムでご自身の都市論を展開し、「中国都市総合発展指標」の書籍及びWebsiteに寄稿した。

《中国都市総合発展指標2018》中国語版・日本語版・英語版
《中国都市総合発展指標2018》中国語版・日本語版・英語版

 2018年「中国都市総合発展指標」出版記念パーティで横山さんはパネリストとして、指標の特徴と意義を解説してくださった。たくさんの友人に囲まれて横山さんも満面の笑顔だった。

2018年「中国都市総合発展指標」出版記念パーティにて横山禎徳氏、周牧之教授、福川伸次・元通産事務次官
2018年「中国都市総合発展指標」出版記念パーティにて横山禎徳氏、周牧之教授、福川伸次・元通産事務次官

 私からの急な海外渡航要請や作業のお願いで、横山さんが奥様との旅行までキャンセルされたこともあった。「また無理なスケジュールを持ちかけられちゃったなあ」、「48時間内でやれと言われたら寝る時間もなくなっちゃうよ」と笑いながらも、こちらを優先してくださった。
 2015年上海臨港地区の戦略を議論する「中国都市化ハイレベル国際シンポジウム」に参加するため、とある大銀行の取締役会をキャンセルして訪中した。講演直後、横山さんは「こっちの方がずっと面白かったよ」とジョークを飛ばせた。上海臨港地区はいま、テスラ初のスーパーファクトリーで大変有名になった。

2015年「中国都市化ハイレベル国際シンポジウム」終了直後の会場にて横山禎徳氏
2015年4月17日「中国都市化ハイレベル国際シンポジウム」登壇直前の横山禎徳氏

■ エムティーアイの戦略検討会議

 私の誘いで、横山さんにMTIの社外取締役になっていただき、同社の発展に尽力していただいた。とくに「戦略検討会議」を設置し、フランクな議論の中で、横山さんに経営論のご教示をいただいた。事業部門のトップらに大きな影響を与えた。
 特記すべきはMTIグループ内のモチベーションワークスの若手起業家への支援を、逆風の中で、私と力を合わせて行なった。その見識と胆力は類稀なかった。いまやモチベーションワークスは、MTI全体を牽引する成長エンジンとなった。
 2024年の1月10日は、前多さん、土屋先生と一緒に、前多さんのお嬢さんがシェフを務める店で新年会をご一緒した。南極の旅から戻ったばかりの横山さんはやや疲れ気味に見えたが、楽しそうだった。同1月26日のMTIの役員懇親会にも出席してくださった。それが、私が横山さんにお目にかかった最後となった。

2024年1月10日の新年会にて、前多俊宏・MTI社長、周牧之教授、前多、横山禎徳氏、土屋了介・MTI社外取締役
2024年1月10日の新年会にて、前多俊宏・MTI社長、周牧之教授、横山禎徳氏、土屋了介・MTI社外取締役

 コロナが猛威を振るっていた時も、横山さんとの議論をZOOMで絶やさなかった。2020年夏、横山さんと「コロナ禍で、如何に危を機にしていくか?」、「アフターコロナの時代、国際大都市は何処へ向かう?」といった対談をした。対談は、日本語はもちろん、中国語、英語でさまざまメディアに取り上げられ、先の見えないコロナ禍にあって多くの人々に元気を与えた。
 この対談で、横山さんは、これから「世界への理解と個性の主張」が大事だと強調した。これが、我々がこの激動の時代を乗り切るための、横山さんのメッセージだ。

(肩書は全て当時)

中国で開催の「中国都市総合発展指標」検討会議にて、南川秀樹・環境事務次官、横山禎徳氏、山本和彦・森ビル副社長
中国で開催の「中国都市総合発展指標」検討会議にて、南川秀樹・環境事務次官、横山禎徳氏、山本和彦・森ビル副社長(左から)

プロフィール

横山 禎徳 (よこやま よしのり)

   1942年生まれ。東京大学工学部建築学科卒業、ハーバード大学デザイン大学院修了、マサチューセッツ工科大学経営大学院修了。前川國男建築設計事務所を経て、1975年マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し、同社東京支社長を歴任。経済産業研究所上席研究員、産業再生機構非常勤監査役、福島第一原発事故国会調査委員、東京大学総長室アドバイザー、県立広島大学経営専門職大学院経営管理研究科研究科長等を歴任。

 主な著書に『アメリカと比べない日本』(ファーストプレス)、『「豊かなる衰退」と日本の戦略』(ダイヤモンド社)、『マッキンゼー 合従連衡戦略』(共著、東洋経済新報社)、『成長創出革命』(ダイヤモンド社)、『コーポレートアーキテクチャー』(共著、ダイヤモンド社)、『企業変身願望−Corporate Metamorphosis Design』(NTT出版)。その他、企業戦略、 組織デザイン、ファイナンス、戦略的提携、企業変革、社会システムデザインに関する論文記事多数。