【シンポジウム】周牧之:ストック依存から抜けて情報革命へ真摯に向かう

■ 編集ノート:中国の台頭を軸とした世界のドラスティックな変化。取り残されかねない日本は将来をかけた国内改革をどう進め、世界にどう向かい合うか。
 2003年3月7日に経団連会館で開催した「言論NPOのアジアシンポジウム」で周牧之教授は、榊原英資(慶應義塾大学教授)、安斎隆(アイワイバンク銀行社長)、柳井正(ファーストリテイリング代表取締役)、ドナルド・P・ケナック(AIGカンパニーズ日本・韓国地域社長)、イェスパー・コール(メリルリンチ日本証券チーフエコノミスト)、加藤隆俊(東京三菱銀行顧問)、谷口智彦(日経ビジネス主任編集委員)らと議論した(肩書きは当時)。
 バブル崩壊後35年を経て日本は今なお経済停滞に喘いでいる。23年前に周牧之教授が鳴らした日本社会への警鐘を今一度振り返る。


周牧之 柳井正 安斎隆 榊原英資 加藤隆俊 谷口智彦 ドナルド・P・ケナック イェスバ・コール

■ ストック神話は改革を妨げる


 いまの日本人は1840年に起こったアヘン戦争後の中国人とよく似ていると私は思います。と言うのは、この十数年間、日本はストック(資産)に対する神話を持ち過ぎてきたのです。社会においても家庭においても個人においても、ストックを持っていれば大丈夫だとの認識が根強くありました。このストックへの過信、あるいは依存症は危機感を薄め、日本の経済社会の改革を妨げています。
 この200年間にアジアを変えた欧米発の革命が二つありました。ひとつは産業革命、もうひとつは情報革命です。この二つの革命によってもたらされた変化への対応には、二つアプローチがあります。ひとつはストックでしのいで行くこと、もうひとつは新しいシステムを作り対応していくことです。革命への対応の違いによってアジアの国々の運命の明暗は分かれました。

■ 構造的貿易黒字がアヘン戦争を招いた


 中国の失敗はアヘン戦争後の対応から始まります。15世紀末にヨーロッパ人は喜望峰をまわり、インド、東南アジア、中国、日本に到達できる航海ルートを発見しました。これによりヨーロッパと東アジアとの東西貿易も直接かつ大規模に行われるようになりました。中国から茶、シルク、綿製品、陶器など中国産のさまざまな農産品と工業製品が大量にヨーロッパへ輸出されていきました。特に1684年に清朝政府が海禁政策を緩和したことにより、対ヨーロッパ輸出はさらに拡大していきました。
 この輸出ブームに支えられた18世紀は、中国にとって黄金の世紀でした。輸出代金としてヨーロッパから入った白銀は、中国で一世紀にわたりインフレーションを引き起こしたほど大量でした。好景気の中で中国の人口は18世紀中に著しく増加し、18世紀末に初めて3億人を突破しました。後世はこの空前の繁栄を「康乾之治」(康熙帝から乾隆帝までの繁栄時期)と呼んでいます。その意味では、18世紀の中国は大航海時代の一大受益者でした。
 中国の好景気と対照的に、当時のイギリスをはじめとするヨーロッパの対中国貿易は、莫大な経常赤字を計上することとなりました。銀の中国への大量流出はイギリスに大変な財政危機をもたらしました。対中国貿易の赤字構造を打開するためイギリスが考え出したのは、インド植民地で阿片(アヘン)を栽培し、中国に持ちこむ方策でした。
 その結果、アヘン貿易は茶の貿易を上回り、18世紀末にはイギリスと中国の貿易構造が逆転しました。アヘン貿易によって大量の白銀が中国からイギリスへと逆流していきました。今度は中国が深刻な財政難に陥り、社会は麻薬吸引者の増大で混乱の一途をたどっていきました。
危機感を抱いた中国政府は1837年、アヘン貿易の全面禁止に乗り出しました。これ対してイギリス政府は、貿易保護と称して艦隊を派遣し、中国と一戦を交えました。これがいわゆるアヘン戦争です。アヘン戦争は、イギリスが本国では禁止されていたアヘンを、中国向けに輸出するために仕掛けた戦争でした。
 産業革命によって国力を著しく増大させていたイギリスの海軍力を前に、海軍をほとんど持たなかった中国は、まともな戦争相手にさえなりませんでした。「巨象の中国」、「世界帝国の中国」はあっという間にイギリスという新興工業国に破れました。1842年南京において中国は初めて不平等条約にサインしました。南京条約で中国は、香港をイギリスに租借し、イギリスが要求する貿易条件を飲みました。

■ 敗戦は抜本的改革に活かせなかった


 Paul Kennedyの『大国の興亡』によると、アヘン戦争が起きる前の1830年に中国の世界の生産高に占めるシェアは29.8%でした。しかも1684年に清朝政府が海禁を緩和してから1840年のアヘン戦争までの1世紀半あまりの輸出ブームによって巨大な富のストックを貯めました。そのストックは今の日本のそれに劣らないほどでした。当時の中国は近代社会への改革のすべての条件を揃えていました。その条件とは改革の体力、富のストック、そしてアヘン戦争という警鐘でした。
 しかし、アヘン戦争に負けた清朝政府はお金を払えば済むと考えていました。また中国の官僚や知識人は、これまで有効に働いていた中国の既存の社会システムを過信していました。1860年代から始まった洋務運動は西洋の武器・弾薬・船舶の国産化を図るものでしたが、農村を中心とした既存の社会秩序を改革するものではありませんでした。洋務運動の目的は、むしろ既存の農業社会秩序を維持するための軍事力づくりでした。
 洋務運動という事実上軍事工業に偏った近代化プロセスの限界が、19世紀末に起きた日清戦争における中国の敗北によって、証明されることとなりました。日清戦争後の中国は最貧国のひとつに転落しました。巨大な富のストックはアヘン戦争後の60年の間に消えたのです。中国の近代化を、富のストックが無くなった条件のもとスタートせざるを得なかったことが、20世紀の中国の苦難をもたらしたとも言えましょう。
 アヘン戦争は中国に対する警告だったのです。日清戦争までには約60年という時間が中国にありました。だからアヘン戦争は、中国にとってはある意味でチャンスだったのです。警告、ストック、時間のすべてが与えられていました。
 にもかかわらず中国の先人たちは、今日の日本人のようにストックを過信し、欧米発の産業革命がもたらす変化に真剣に対応しませんでした。それによって、中国は大航海時代の受益者から産業革命時代の被害者に転落しました。

■ 日本経済停滞は情報革命への乗り遅れから


 日本の社会に警鐘を鳴らしたい。バブルが崩壊した後の日本を見てみると、「いまの状態はバブルの処理とバブル時の政策が悪かったことからもたらされた」と皆が思い込んでいます。情報革命に対応できなかった事実に、きちんと向き合っていないのです。情報経済に適した経済社会システムを作り直す努力が今ひとつです。その理由の恐らく一つはストックへの過信、もう一つは既存の工業経済社会システムへの過信でしょう。この現象はアヘン戦争後の中国の様相によく似ています。
情報革命への対応はアジア問題と関連しています。情報社会と工業社会はどこが違うかと言うと、一番の特徴は工業社会は均一社会なのです。均一であればあるほどいいのです。
 これと対照的に、情報社会は多様化社会です。多様性を持たない議論は不毛です。同じインフォメーションを持つ人が議論しても情報生産にはなりません。情報経済の勝者になるには多様化社会をどう作るかという話に尽きるのです。日本人の中には未だに「われわれはアジア人ではない」と言う人もいるのですが、私は批判しません。他者のアイデンティティはどうであれ尊重しなければなりません。ただし今は、情報経済に適した多様性のある社会をどう作っていくかについて議論しなくてはいけない時期に来ています。こうした議論の中でアジアとの関わりを見直すべきです。

■ グローバルサプライチェーンが国民経済を再定義


 産業問題について研究してきた者の視点から見ると、現在、世界の産業集積は組み替えられている最中です。今までの産業集積は、ある国或いはある地域にフルセットの産業集積を作るもので、それを守っていたのは国民経済という壁でした。フルセット型産業集積にいろいろな不合理性があっても国民経済という壁が守ってくれる。もちろんそれと引き換えにフルセット型産業集積は国民経済を支える。つまり国民経済とフルセット型産業集積とは相互依存してきたのです。
 しかし、この相互依存関係は情報革命によって崩壊してしまいました。産業技術体系の変革によって、どこでもだれでも工業生産活動を展開できるようになったいま、製造業の競争力のカギは、徹底的な効率追求にあるといえます。世界大競争の中で、効率こそが今日、企業生存の最大のファクターとなりました。効率を追求するため、企業は国民経済の壁に閉じ込まれたフルセット型産業集積の不合理性を乗越えなければならない。企業は世界最適調達を目的にグローバルサプライチェーンを構築することに、或いはグローバルサプライチェーンに組み込まれることに、活路を求めざるをえなくなったのです。
 その意味では、情報革命に引き起こされた産業技術体系の変革は現在、フルセット型産業集積を解体し、国民経済そのものを変貌させています。
 グローバルサプライチェーンというビジネス・モデルが普遍的になった今、昔のフルセット型の産業集積はどんどん崩壊しています。グローバルサプライチェーンに対応する形で新しい産業集積が世界のあちこちにいろいろな形態で出てきたのです。たとえばアメリカのシリコンバレー、台湾の新竹、インドのバンガロール、中国では上海を中心とする長江デルタ、香港・広州・深圳を中心とする珠江デルタなど多種多様な産業集積が、新たに作られたグローバルサプライチェーン型産業集積であると言えるでしょう。
 これらの新型産業集積は昔のフルセットの産業と違い、工程間の世界分業を基本とするネットワーク型です。恐らくこれから成功する企業は、こうしたグローバルサプライチェーンに組み込まれるか或いは自分がそれを構築する努力をする企業に限られます。そうした努力をしない企業は失敗するでしょう。つまりグローバルサプライチェーンというネットワークに対応できるか否かが恐らく21世紀の企業の生死にかかわる話なのです。その波の中で、日本と中国の間には新しい産業像、産業協力像、企業協力像が出てくると思います。

■ グローバルサプライチェーンでウィン・ウィンゲームに


 中国はグローバルサプライチェーンにうまく適応したことで伸びたと私は思います。中国では現在大規模な産業集積が形成されつつあります。
 もうひとつ申し上げたいのは産業集積地の流動化です。産業革命以降、「世界の工場」の場所がどんどん変わりました。世界規模の産業集積が次々と場所を移しています。フルセット産業集積と国民経済の時代、産業集積地の変化はオセロゲームによく似ていました。新しい産業集積地の出現によって既存の産業集積地は崩壊してしまう。オセロゲームのように、こちらが黒になるとあちらが白になるのです。
 幸い従来とは異なり、グローバルサプライチェーンは各国それぞれの強みを繋ぎ、世界的な新型産業集積のネットワークが構築していきます。ウィン・ウィンゲームになる可能性を持っています。
 ウィン・ウィンで成り立つビジネス・モデルを作ることが出来れば、グローバルサプライチェーンでの成功が得られるでしょう。もっとも、産業の変化の要請に怠慢に対応する限りオセロゲームのように全て失う事になりかねません。