【専門家レビュー】北野尚宏:日本と中国のSDGs達成に向けた取り組みと〈中国都市総合発展指標〉の意義


北野 尚宏
早稲田大学理工学術院教授、JICA研究所元所長、博士(都市地域計画)


 2019年9月にニューヨークの国連本部で持続可能な開発目標(SDGs)に関するサミットが開催された。SDGsは、2015年に「国連持続可能な開発サミット」で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」の中核をなす目標であり、貧困、教育、都市、気候変動など、経済、社会、環境を統合する17のゴール(目標)から構成される。同サミットでは、首脳レベルでSDGs採択以降の4年間の取り組みがレビューされた結果、目標ごとの進捗に偏りや遅れがあり、取り組みを加速化する必要性が共有された。これを受けて、グテーレス国連事務総長は目標年である2030年までをSDGs達成に向けた「行動の10年」とすることを提唱した。

 SDGsの17の目標には、達成状況をモニタリングするために複数のターゲットと指標が設定されており、合わせると169ターゲットと232指標になる。特徴としては、日本、中国を含む国際社会共通の目標であること、「誰も置き去りにしない」という「人間の安全保障」を基底とする理念を掲げていること、イノベーションなどによる変革が重視されていること、政府、企業、地域コミュニティ、個人にいたるあらゆるレベルで共有できることが挙げられる。国連は、毎年SDGs進捗報告書を公表し、閣僚レベルのハイレベル政治フォーラム(HLPF)で進捗確認を行っている。そして、4年に一度、国連総会においてサミット形式の進捗確認が行われる。上述のサミットはその第1回に当たる。さらに2020年よりは、「行動の10年」を進めるための年次プラットフォームとして「SDGs行動フォーラム」が毎年開催されることになっている。

 日本は、2016年に全閣僚を構成員とする「SDGs推進本部」を設置し、世界のロールモデルになることを目指す「SDGs実施指針」を策定した。「SDGsアクションプラン」を毎年決定・公表し、2017年には自発的国別レビューをHLPFで発表している。SDGsは、2019年6月のG20 大阪サミットや、8月の横浜での第7回アフリカ開発会議(TICAD7)でも中心議題の1つとなった。企業や金融機関、経済団体自治体、教育機関、市民社会、メディアによる取り組みも盛んになり、社会におけるSDGsの認知度も高まりつつある。例えば関西地域では、2025年の大阪万博に向けて立ち上がった関西SDGsプラットフォームが活発に活動している。SDGsに関する多数の啓蒙書、専門書が出版され、17色のSDGsバッジをつけたビジネス・パーソンを見かけることも珍しくなくなった。

 2019年12月に改定された「SDGs実施指針」では、日本のSDGs進捗は、17の目標のうち教育(目標4)やイノベーション(目標9)の達成度は高いが,ジェンダー(目標5)などは低いとの評価も見られるとしている。そして、①ビジネスとイノベーション、②SDGs を原動力とした地方創生、③次世代・女性のエンパワーメントを三本柱とする日本の「SDGsモデル」を推進するために、進捗状況を把握、評価し施策に反映させる仕組みを構築するとともに、実施体制を強化することがうたわれている。ビジネスとイノベーションについては、サイバー空間とフィジカル空間を融合させたシステム構築により人間中心の社会を目指す「Society5.0」ビジョンとSDGsとの連動に力点が置かれている。SDGsを経営戦略に組み込む企業も増えてきている。2020年度からは、小学校の学習指導要領にSDGsが盛り込まれることになっており、子供たちのSDGsに対する認知度は飛躍的に高まることが期待される。

 中国は、2016年に公表された中国の国家中期計画である「第13次5カ年計画(2016〜20年)」の中で「2030アジェンダ」に積極的に取り組むことを明記した。同年7月のHLPFで発表した「2030アジェンダ国別実施計画」の概略にも、「2030アジェンダ」と「第13次5カ年計画」、地方政府の開発計画、さらに「一帯一路」構想とを連動させることが盛り込まれた。中国がホストした同年9月のG20 杭州サミットでは、「2030アジェンダに関するG20行動計画」が策定された。2017年と2019年には「2030アジェンダ実施進捗報告」を公表している。実施体制面では、2016年に外交部(外務省に相当)が事務局を務め43の政府部門から構成されるSDGs推進のための連絡・調整体制が整備された。2019年6月に約3年ぶりに第2回全体会合が開催され、今後のSDGs推進方針が議論された。同年9月の「SDGサミット2019」では、2020年に絶対貧困人口をゼロにし10年前倒しで目標を達成するとともに、開発途上国に対する南南協力を拡大することが表明された。さらに10月には中国国務院発展研究センター、国連などが持続可能な開発フォーラムを北京で開催し、今後の2030アジェンダ実施についての議論が行われた。中国の企業もSDGsを企業の社会的責任(CSR)活動に位置付けはじめている。

 国際協力を通じた海外における取り組みとしては、日本は、例えば国際協力機構(JICA)がSDGsポジション・ペーパーに基づき、民間企業などと連携しながら、各目標と関連付けた活動を全世界で展開している。資金調達面でも、環境・社会・ガバナンスの要素を重視するESG金融が世界的な潮流となる中で、社会課題対応を目的とする事業向けの債券であるソーシャル・ボンドを発行している。中国は、2015年「国連持続可能な開発サミット」のタイミングで、国際貢献策として「南南協力援助基金」、「国連平和発展基金」、国家レベルの国際開発シンクタンク「中国国際発展知識センター」および、留学生が中国の開発経験を学ぶ「北京大学 南南協力・発展学院」設立を表明した。それぞれは既に設立され、多くの国際機関とも連携しながら様々な活動を展開している。筆者は2018年12月に北京大学 南南協力・発展学院にて、アフリカはじめ各地域の開発途上国からの留学生を前に講義を行う機会を得た。

 都市地域計画の分野では、日本は地方創生推進の一環として、SDGs達成に向けた優れた取り組みを提案する自治体を、「SDGs未来都市」としてこれまでに60都市選定しており、2024年度までに210都市まで増やす目標を掲げている。中国は、「国家2030アジェンダ創新モデル区」を6カ所選定し、国連開発計画(UNDP)、国連工業開発機関(UNIDO)、アジア開発銀行(ADB)とも協力しながらSDGsを地域に根付かせる取り組みを行っている。地方レベルでは、2018年に第1回国連世界地理空間情報会議(UN-WGIC)をホストした浙江省の湖州市徳清県を対象に、資源自然部傘下の国家地図情報センターが国内の大学や国連などと連携して、地図情報を活用したSDGs指標の評価を行っている。

 SDGsは日本の多くの大学でも根付きつつある。例えば筆者の所属する早稲田大学の大学院アジア太平洋研究科は、教育、保健分野の目標達成に向けた国際的取り組みの一翼を担っている。理工学術院総合研究所は、新たに7つの重点領域(クラスター)ごとに研究所を開設し、クラスター間の横断的活動としてSDGsを基軸においた早稲田地球再生塾(WERS)を立ち上げた。筆者は、2019年11月に開催された早稲田地球再生塾第4回勉強会「誰も置き去りにしない防災、復興」のコーディネーターを務めた。2019年秋学期より、理工学術院修士課程レベルの英語科目「SDGs」を新たに開設した。一方中国では、例えば、清華大学公共管理学院が清華SDG研究院を立ち上げ、ジュネーブ大学とSDG共同修士課程を開設している。

 このように、日中両国は、国連やG20の場で、SDGsを政府、社会の双方が取り組むべき課題として共有しており、国内外で様々な活動を展開している。一方、SDGs推進における両国のアプローチは、清華大学が行った研究によれば、日本は政府・社会一体型、中国は政府主導型という違いがある。新型コロナウイルス後の両国にとっては、なかんずく、「誰も置き去りにしない」というSDGsの理念を社会へより一層浸透させることが共通の課題といえる。

 中国都市総合発展指標は、経済、社会および環境という3つの側面からなる三層の指標体系を構築し、中国の都市の発展の達成度を総合的、経年的に計測、評価するものである。同指標は、SDGsの構造といわば軌を一にしているといえる。経済協力開発機構(OECD)もプロジェクト「持続可能な開発目標(SDGs)への地域的アプローチ:誰も置き去りにしないための都市・地域の役割」を立ち上げ、2020年2月に都市・地域レベルのSDGs指標を公表した。今後、中国都市総合発展指標が、SDGsとの連動により、日本と中国にとどまらず、「誰も置き去りにしない」世界を目指すグローバル指標に進化していくことに大いに期待したい。


プロフィール

北野 尚宏 (きたの なおひろ)

 1959年生まれ。1983年早稲田大学理工学部卒業(81〜82年中国清華大学土木与環境工学系在籍)、97年コーネル大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。83年海外経済協力基金、同北京事務所駐在員、京都大学大学院経済学研究科助教授、国際協力銀行開発第2部部長、国際協力機構(JICA)東・中央アジア部部長、JICA研究所所長などを経て、2018年より早稲田大学理工学術院教授。JICA緒方貞子平和開発研究所客員研究員、京都大学大学院経済学研究科付属プロジェクトセンター・シニアリサーチフェロー、創価大学理工学部、東京大学公共政策大学院非常勤講師、グローバルビジネス学会常務理事。 研究分野は都市地域計画、開発協力、中国の対外援助。2012年モンゴル国ナイラムダルメダル(友好勲章)受章。

 近著に、「第2章 中国の対外援助のとらえ方」『中国の外交戦略と世界秩序 理念・政策・現地の視線』川島真等編、昭和堂、2019年等。

(『環境・社会・経済 中国都市ランキング 2018―大都市圏発展戦略』に収録

【専門家レビュー】横山禎徳:普遍性ある新たな指標体系


横山 禎徳
県立広島大学経営専門職大学院経営管理研究科研究科長、東京大学総長室アドバイザー、マッキンゼー元東京支社長


 中国の大都市、とりわけ北京市の大気汚染の状況は近年盛んに報道されている。市内の走行車数の制限など対症療法的、短期的施策は適宜実施され、それなりの効果を上げているようだが、最終的な解決にはならない。排気ガスを減少させるためであろうが、長期的にEVへの転換を強力に推し進める政府方針の発表が最近あったが、それが排気ガスの減少という真の成果を上げるには20~30年はかかるであろう。

 EV自体は排気ガスを出さないが、充電をしないといけない。電力需要は増大させるが、一方では電力供給のかなりの部分を占める石炭火力発電を減らしていかないといけない。しかしそれを代替する主要手段としての自然エネルギーは供給量が常に変動する課題を抱えている。需要側も変動するので、その間を絶え間なく微調整する必要がある。そのため蓄電装置が不可欠だが、それを含めて経済的に妥当な価格で提供できる電力供給システムを構築するには、物事の展開のスピードの速い中国でも今後20年はかかるに違いない。


 システムはある日突然完成するのではなく、その間、状況はちょっとずつ良くしていくものである。しかし、それは直線的な改善ではなく、いろいろ紆余曲折を経ていくことになるであろう。その間、政府も国民も短期的な諸問題の対策のための議論にかまけて長期的に目指す方向を見失わないようにする必要がある。それにはどうしたらいいだろうか。その一つの答えがグリーン都市環境指標を確立することである。

 その指標体系は為政者である政府も生活者である国民も共有でき、毎年、その指標に沿ったデータが公開されることによってその進捗状況を確認できるものであり、また、指標間のバランス、進捗状況など、都市間の比較が可能になり、健全な都市間競争の醸成と、各都市の置かれた歴史、風土、自然環境などの特質に応じた重点施策の立案のための情報源になるはずである。そのような発想と視点をもとに本書中国都市総合発展指標の指標体系の開発が行われた。

 都市環境を評価するための指標は数多く抽出することが可能であり、実際数多く存在し、使われているが、それをすべて取り入れるのではなく、全体のバランスや網羅性を失わないようにしながら、指標全体の数を可能な限り少なくすることを目指した。その結果、全体の指標の数を27個に集約した。それをただ羅列するのではなく、三層構造に組み立てた。すなわち、大項目指標3、中項目指標3、小項目指標3の3×3×3で27になる。一般の生活者が大項目指標の三つを記憶することは可能なはずだ。もっと関心のある人は3×3=9、すなわち、中項目指標の九つを記憶すればより一層この指標体系の理解が進むであろう。そして、専門家は27項目のすべてを記憶し、それぞれの改善を追求するという発想である。


 大項目指標は環境、社会、経済の三つから成り立っている。それぞれを三つに分けたのが中項目指標であり、それをまた三つに分け、一層具体的にしたのが小項目指標である。当然のことながら、統計を担当する部署はこれまでそのような視点からデータを取ってきたわけではないので、基本的な三層構造と方向を生かしながら、既存のデータのありようや収集可能性とつきあわせ、大・中・小の指標は修正された。

 基本的な思想として、経済活動の発展と都市生活者の生活基盤の質の向上をバランスさせる視点を重視している。生活者それぞれが自分の住んでいる都市がどのように経済を発展させ、雇用基盤を拡充しながら同時に生活環境を改善していくのだろうか、ということに積極的に関心を持つこと。これが都市行政の担当者にフィードバックされ、結果として都市環境の長期的な方向への持続力を維持することになるはずだ。

 そのためには指標は専門家だけのものではなく、生活者も容易に理解し、記憶でき、自分の住んでいる地域が将来どうなっていくのかに関心の持てるものにするよう留意した。生活者は大項目指標の示す将来展開に常に注目することで、細部は別として大枠の方向は理解できるであろう。より細かい中指標、小指標がどうなっているかについても年ごとの生活実感の変化を追うことで理解できるはずである。


 もう一つ留意した重要な視点を挙げると、都市はそれぞれ独立ではなく、都市間ネットワークが出来上がっていることだ。そのような都市間のお互いの関係は大昔からあった。すなわち、都市と都市は相互依存の関係にあったのである。たとえば、「シルクロード」という表現を聞くと、我々は中央アジアの広大な砂漠をラクダの隊商を組んで一本道をゆっくり進む姿を思い浮かべがちである。しかし実際は、商人たちはシルクロードの起点から終点まで歩んだのではない。沢山の交易都市がきめ細かい道路網というネットワークを組んでいて、そのような都市と都市をつなぐ形で行き来し、商品を売買し、あるいは受け渡していたのである。

 それが、近年の交通機関の発達によって、そのネットワークが一層強化され、メガロポリスと呼ばれるような連携と一体化が進んだのである。そのような文脈の中でそれぞれの都市を捉えることに着目している。それは都市間のインターリンケージ(相互連鎖)である。そのインターリンケージが国境を超えて展開する状況を、グローバリゼーションと我々は呼ぶのである。

 たとえば、都心に近い空港である虹橋、金浦、羽田の間をシャトルと呼んでいい頻度の航空便が提供される時代であり、それによって、上海、ソウル、東京の間のインターリンケージは増していく。このような現象のポジティブな展開を醸成することが都市の活力を増すのは間違いない。ちなみに、この三つの都市および周辺に住む人口は1億人を超えており、その多くは豊かな生活者であり、世界でも有数の経済活動の活発な地域である。


 このような都市のインターリンケージはすなわち、1)都市圏内の中核と周辺、2)都市圏と都市圏、3)都市圏と世界、の三つの様相に分けることができる。そして、今回の都市指標はこの三つのどれかに関係しているといえる。たとえば、「都市農村共生」、「文化施設」、「生活品質」は1)に、「イノベーション・起業」、「広域輻射力」、「ビジネス環境」は2)に、「開放度」、「人的交流」、「広域インフラ」は3)に関係が深いということができるだろう。


 それぞれの大都市の行政官はこのような三つの方向を睨みながら、都市環境を改善していくために重点施策を立案し実施していくことが期待される。そして、それは都市間の競争であると同時に相互にメリットのある連携を確認し、拡大していくことであり、それが世界の都市との連携まで広がっていくという実績を積んでいけば、中国都市総合発展指標は世界に対して普遍性のある新たな指標体系として、認知されていくことになるであろう。


(『環境・社会・経済 中国都市ランキング ー中国都市総合発展指標』に収録


プロフィール

横山 禎徳 (よこやま よしのり)

 1942年生まれ。東京大学工学部建築学科卒業、ハーバード大学デザイン大学院修了、マサチューセッツ工科大学経営大学院修了。前川國男建築設計事務所を経て、1975年マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し、同社東京支社長を歴任。経済産業研究所上席研究員、産業再生機構非常勤監査役、福島第一原発事故国会調査委員等を歴任し、2017年より現職。

 主な著書に『アメリカと比べない日本』(ファーストプレス)、『「豊かなる衰退」と日本の戦略』(ダイヤモンド社)、『マッキンゼー 合従連衡戦略』(共著、東洋経済新報社)、『成長創出革命』(ダイヤモンド社)、『コーポレートアーキテクチャー』(共著、ダイヤモンド社)、『企業変身願望−Corporate Metamorphosis Design』(NTT出版)。その他、企業戦略、 組織デザイン、ファイナンス、戦略的提携、企業変革、社会システムデザインに関する小論文記事多数。

【専門家レビュー】周其仁:生態都市建設と都市総合発展指標

周 其仁

北京大学国家発展研究院教授、経済学博士


 過去20年間、中国の都市化は急速に進み、多くの人々が都市へ移住した。大規模なインフラ整備により、都市の物理的なスケールは拡大の一途を辿った。新中国建国以来長い間遅れていた都市化が、ついに加速しはじめた。

 都市が都市たる所以は、限られた空間に多様、複雑かつ豊富多彩な経済文化活動が存在することである。このように見ると、都市は密度で定義するべきである。

 しかし今まで中国の都市化は、建成区(政府が定める都市的エリア)面積拡張の速度が都市人口増加の速度より速かった。つまり「人口の都市化よりも土地の都市化の方が先んじた」のである。

 中国経済の規模は世界第2位であるが、1人当たりになると未だ低い水準に留まっている。同様に中国の都市も、面積は大きいものの、密度は小さい。

 一つの原因は、中国の「都市」は広域行政区である。都市の行政エリアには市街地も郊外もさらに広大な農村までも含まれている。その意味では中国の「都市」の概念は海外一般の「都市」概念と同じではない。ゆえに行政の主導のもとで、農村エリアを侵食し、スプロール化しやすい。

 「ローマは一日にして成らず」。都市エリアへの急激な拡張は、都市の環境、財政などにおける持続的な発展に大きな問題を突きつけているだけでなく、市民生活の向上や都市文化の育成が追いつかないことが多い。

 中国の都市化は転換点にある。単なる都市エリアの拡大というやり方は、もはや持続不可能である。中央政府も地方政府も中国都市化の次のステップがどこに向かうか真剣に考えなければならない。

 方向性は、中国経済発展にとって最も重要である。2014年3月16日、中国政府は「国家新型都市化計画(2014−2020年)」を発表した。この計画は中国都市化に、都市化法則の重視、人間本位、配置の最適化、生態文明、文化伝承などを明確に示した。

 戦略的な方向性が示された以上は、実行可能な「指揮棒」が必要である。都市間競争に明確な項目およびゴールを示せば、都市のリーダーらは、行動しやすくなる。こうした観点から、周牧之教授と彼のチームは、中国国家発展和改革委員会発展計画司のコミットメントのもとで、徹底的な調査、分析、比較を行い、中国都市総合発展指標として発表し、中国都市化の方向転換を導く科学的な指標システムを提供した。この指標はまさしく新型都市化を推し進める「指揮棒」である。

 特に私は、「密度」を用いて中国の都市問題をとらえる同指標の斬新な知見に賛同している。

 これまでの都市問題の政策議論では、いつも「大都市を発展させるか? 或いは中小都市を発展させるか?」の問題に翻弄されていた。中国都市総合発展指標は、大、中、小といったスケールで都市をとらえるだけではなく、その密度も問題にしている。

 現在、中国の都市には多くの低密度都市空間が存在し、深刻なスプロール化が起こっている。したがって、大、中、小いずれの都市であっても、都市づくりにおいて「密度」を軸にすえていかなければならない。


プロフィール

周 其仁(Zhou Qiren)

 1950年生まれ。中国社会科学院、中国国務院農村発展中心発展研究所での勤務を経て、英国及び米国へ留学し、UCLAにて博士学位取得、1995年帰国。北京大学中国経済研究中心教授、同中心主任、北京大学国家発展研究院院長、中国人民銀行貨幣政策委員会委員など歴任。

 主な著作に、『发展的主题:中国国民经济结构的变革』(1987年、四川人民出版社〔中国〕)、『农村变革中国发展1978−1989 戒(1994年餓関奇丸雁汽閑橘忌大学出版社械香港海)餓懐中国区域发展差调查1978−1989戒(1994年餓関奇丸雁汽閑橘忌大学出版社械香港海)餓懐数网竞争:中国电信业的开放和革戒(2001年餓三聯書店械中国海)餓懐产权制度变迁戒(2004年餓北京大学出版社械中国海)餓懐挑灯看剑:观察经济大时代戒(2006年餓北京大学出版社械中国海)餓懐真实世界的经济学戒(2006年餓北京大学出版社械中国海)餓懐收入是一连串事件戒(2006年餓北京大学出版社械中国海)餓懐世事胜棋局戒(2007年餓北京大学出版社械中国海)餓懐病有所医当问谁:医맣溝列评论戒(2008年餓北京大学出版社械中国海)餓懐中国做对了什么戒(2010年餓北京大学出版社械中国海)餓懐货币的教训戒(2012年餓北京大学出版社械中国海)餓懐竞争宅런荣戒(2013年餓中信出版社械中国海)餓懐革的逻辑戒(2013年餓中信出版社械中国海)餓懐城乡中国戒(上)(2013年餓中信出版社械中国海)餓懐城乡中国戒(下)(2014年餓中信出版社械中国海)駕。

(『環境・社会・経済 中国都市ランキング ー中国都市総合発展指標』に収録。肩書は当時

【専門家レビュー】張仲梁:フラットではない中国をリアルに

張 仲梁

中国国家統計局社会科学技術文化産業司司長


(一)
 2005年に海外から北京に戻った周牧之教授が、私に『The World is Flat』という本をくれた。
 周教授はこの本はアメリカで評判を呼んでおり、「世界は平らになった」という観点が非常に面白いと言う。個人は国家や会社に代わって世界の主人公たりうるようになってきた。能力と想像力さえあれば、世界中のすべての資源にアクセスすることができる。世界は小さくなった。科学技術と通信の領域は電光石火で進歩を遂げ、全世界の人々がかつてないほど相互に接近している。
 次いで、話題を呼んだアメリカの映画があった。一人のアメリカ人がインドへ行き、自分の仕事を将来的に奪うだろうインド人を訓練する葛藤を描いた映画の、その背景はグローバリゼーションである。ますます多くのアメリカ企業が業務を海外へ移転し、インドや中国の安価な労働力を利用した。世界はまさに平らになり、アメリカの高度はゆっくりと下り、インドや中国が高速でのし上がった。
 この映画の名前も「The World is flat」だ。

(二)
 その後10年が過ぎた。
 世界の構造は大きく変化した。
 なかでも中国の勃興は最も目を見張るものであった。
 中国のGDPは2006年の2.75兆ドルから2016年に11.2兆ドルへと増長し、その経済規模も世界第2位へと躍進して久しい。
 近年、ニューヨーク、パリ、東京の観光スポットやブランドショップで、最も頻繁に目にするのが中国人観光客の一群である。2015年に中国人の海外旅行客は1.35億人にのぼり世界第1位となった。

(三)
 10年前、BRICs4カ国は、投資家を大いに興奮させた。しかし現在、ブラジルとロシアは経済停滞の中で喘ぎ、新興国の栄光も色あせた。
 過去10年間で、一つまた一つと「失敗」国家が現れた。これらの国は経済停滞に見舞われただけでなく、社会不穏にも悩まされている。
 アメリカのメディアによる「最も失敗した30カ国」リストがある。これを見た後の感想はといえば、「確かにこの30カ国は失敗した。しかしもっと失敗した国がこれ以外にまだある」。
 実際、過去10年間で、中国など数少ない国がグローバリゼーションの中で大きな収益を上げることができた。一方で相当数の国が大変な代償を払った。世界は平らになったのではなく、凸凹はむしろさらに進んだ。

(四)
 周教授は「過去の10年間、日本では東京大都市圏だけが166.4万人も人口が増えた。これに対して他の数都市は微増で、ほとんどの都市が人口減少状態にある」と紹介した。
 「過去の10年で人類の経済活動はさらに大都市に集中した。こうした大都市は世界で最も優秀な人材、経済資源、最有力企業を集められる」と、周教授は強調した。

(五)
 周教授は、中国の凸凹も進んだと述べている。
 周教授と彼のチームが作り上げた中国都市総合発展指標はこれをリアルに表現している。
 同〈指標〉では、偏差値を用いて都市の各方面のパフォーマンスを表現している。
 たとえば「医療輻射力」項目では、偏差値が60以上の都市は、22都市であり、なかでも北京、上海の偏差値は100にも達している。これに対して、偏差値が45以下の都市は27都市もある。これは激しい凸凹である。
 「人口流動」項目では、偏差値60以上の都市、つまり外部から人口が大量に流入した都市は16都市ある。なかでも3都市が偏差値100に達している。これに対して偏差値が45以下の都市、すなわち人口が大量に流出した都市は46都市もある。これもまた不均衡である。
 同指標を立体的に表現するグラフは数多くある。こうした立体図の中には、目を見張るような山峰があり、一方で深く沈む峡谷もあった。しかも山峰はさらに輝きを増し、峡谷は谷底深く落ち込み続けているのだ。こうした状況は決して軽視できない。

(六)
 周教授は、不動産市場は中国都市の凸凹状況をよく映し出していると言う。
 10年前、ほとんどの都市の不動産価格は上がり続けた。もちろん価格上昇幅は、一部の都市は大きく、一部の都市は小さかった。しかし現在、一部の都市の不動産価格が上がり続けるのに対して、一部の都市は停滞もしくは下落している。
 不動産価格の上昇と下落は、都市の浮き沈みを表している。その背景には、さまざまなパフォーマンスの違いがある。都市競争時代にあって、ある都市は邁進し、ある都市は停滞し、ある都市は転落している。

(七)
 『The World is Flat』で、著者フリードマンは幼い頃に両親が常々彼に言っていた言葉を振り返っている。「トーマス、ご飯は残さず食べなさい。忘れないでね、中国人はいま飢えに喘いでいるのよ」。
 中国都市総合発展指標は、この言葉と同様なことを語っている。
 現在はフラットの時代ではなく、凸凹時代である。

(八)
 凸凹道には、道標が必要である。
 周牧之教授の中国都市総合発展指標は、斬新な道標を指し示してくれている。


(『環境・社会・経済 中国都市ランキング ー中国都市総合発展指標』に収録


プロフィール

張 仲梁(Zhang Zhongliang)

 1962年生まれ。中国管理科学研究中心副研究員、日本科学技術政策研究所研究員、CAST経済評価中心執行主任、中国経済景気観測中心主任、中国国家統計局統計教育中心主任、中国国家統計局財務司司長を歴任、2018年から中国国家統計局社会科学技術文化産業司司長。
 中華全国青年連合会委員、PECC金融市場発展中国委員会秘書長、中国経済景気月報雑誌社社長、中国国情国力雑誌社社長など兼務を経て、現在、中国市場信息調査業協会副会長を兼任。

【コラム】邱暁華:高度成長からハイクオリティ発展へシフトする中国経済


邱 暁華
マカオ都市大学経済研究所所長、中国国家統計局元局長、経済学博士


 改革開放以降、中国経済の持続的な高度成長によるキャッチアップぶりは世界中から注目を集めてきた。経済規模はイタリア、カナダ、フランス、イギリス、ドイツ、日本を相次いで超え、2010年にアメリカに次ぐ第2位となった。しかしここにきて中国経済をとりまく環境は大きく変化し、これまで高度成長を支えてきたものが、制約要因となって、中国経済の成長は鈍化している。中国経済はいま、ハイクオリティの発展へとギアチェンジする時期に来ている。

1. ハイクオリティ発展へとシフトする意義

 中国共産党第19回党大会が、「我が国経済はすでに高度成長の段階からハイクオリティ発展段階へとシフトしている。いままさに発展モデルをチェンジし、経済構造を高度化し、成長原動力を転換する大事な時期に来ている。現代化経済体系の建設は、この転換ポイントを乗り越える切実な要求であり、我が国発展の戦略目標である」 と提起した。この判断は、転換期にある中国経済にとっては重要な意味をもつ。

 改革開放40年、長きにわたる高度成長は人々の生活水準を大幅に向上させた。世界銀行の統計によると、中国の1人当たりGDPは1978年の僅か156米ドルから、2017年には8,826米ドルへと膨らんだ。

 しかし、粗放型の高度成長は、エネルギー浪費、汚染蔓延、格差拡大などの問題をもたらした。さらに、この間、労働力、環境資源、土地、資金、為替レートなどの要素コストも大幅に増大した。

 その意味では、借金漬けの成長、低コスト労働力への依存、資源とエネルギー消耗などの従来型成長は、すでに持続不可能となっている。

 中国経済を高度成長からハイクオリティ発展へシフトさせていくことが、重大な政策転換である。この転換は、中国経済の持続発展の要請によるものであり、今後長期にわたる発展戦略である。

2. 中国経済ハイクオリティ発展に関わる5つの要因

 ハイクオリティな発展には、まず考え方を変えなければならない。数量優先からクオリティ第一また効率優先へと考えを改め、産業構造の高度化、環境保護、社会の発展などを重視しなければならない。発展モデルも粗放型から集約型へ、要素投入型からイノベーション駆動型へと、外需主導から内需主導へ転換することである。そのために現在、中国経済のハイクオリティ発展に関わる以下5つの要因を見直すことが必要である。

 第一は人的資本である。中国の人口年齢構成の変化を見ると、高度成長を支えてきた人口ボーナスはなくなりつつある。中国国家統計局のデータによると、2012年〜2018年、中国の労働年齢人口とそれが総人口に占める比重はともに下がり続けた。結果、この7年間で、労働年齢人口は約2,600万人減少した。この現実を直視する必要がある。

 第二はイノベーションである。これまでの経済成長は、資源投入を中心とする粗放的なものであり、今後イノベーションを中心とするものにシフトしていかなければならない。

 第三は制度改革である。これまでの高度成長の中で、制度疲労も起こっている。制度改革が中国のさらなる発展にとって喫緊の課題となっている。

 第四は、対外開放である。対外開放はこれまで中国の発展に大きな役割を果たしてきた。今後も一層の開放が求められる。

 第五は、環境問題である。粗放型成長が凄まじいエネルギー消費と汚染とをもたらしている。大気汚染、水質汚染、土壌汚染などが極めて深刻である。こうした成長方式を根底から改めるべきである。

3. いかにしてハイクオリティ発展への移行を実現できるか

 高度成長からハイクオリティ発展への移行は、マクロ政策、地域政策、制度改革などにおいて、多大な努力を必要とする。具体的には、以下の7つが重点となる。

 第一は、マクロ経済環境の平穏さを保つこと。経済発展にとって最重要なことは経済環境の平穏さである。大きな起伏を避けることが前提条件となる。クオリティ優先は成長をやめてしまうことを意味しない。合理的な成長スピードが必要である。経済運営においては、安定した経済成長を保つことが肝要となる。

 第二は、人的資本の向上である。国連のデータによると2016年に中国の中等教育および大学教育への進学率は、それぞれ77%、48%であった。これは、世界の平均水準より高いものの、先進諸国と比べるとなお大きなギャップがある。例えば同年、アメリカの中等教育および大学進学率は、それぞれ95%、86%に達した。2012年以降、中国のGDPに占める財政性教育経費の比率は連続して4%を超えていた。ただし、アメリカの同7%と比較すると差は大きい。今後、教育への投入を強化し、あらゆるレベルの教育水準を向上させていかなければならない。

 第三は、イノベーション駆動成長である。イノベーションは、発展を牽引する第一原動力である。中国の人口ボーナスが下がり続ける中、イノベーションによる生産性の向上や資源環境問題の改善などが期待される。そのためには、基礎研究を重視すると同時に応用研究にも取り組み、人材育成にもっと力を入れなければならない。

 第四は、環境保護である。中国では2007年に、1万元当たりのエネルギー消費量は、0.6トン標準石炭になった。これは、改革開放初期と比べ77.2%も下がった。ただし、いま中国は世界最大の二酸化炭素排出国であり、単位GDP当たりの二酸化炭素排出量は日本の5倍、アメリカの3.3倍にも上る。そのため、環境重視の発展モデルと生活様式への転換を急がなければならない。

 第五は、地域の協調発展と郷村振興である。ともに豊かになることが社会主義の本質である。そのために、農村の土地制度改革、農業の現代化などを通じた農村振興を図るべきである。また、地域格差を是正するための努力も欠かせない。

 第六は、制度改革を加速することである。国有企業の改革、知財保護の強化、市場参入の緩和など時代に要請される制度改革を加速しなければならない。

 第七は、対外開放である。国際環境の要請に応じて、輸入を拡大し、貿易均衡を促し、輸出製品の高付加価値を図り、サービス貿易を育成することなどを通じて、さらなる対外開放を推し進めていくことが重要である。


プロフィール

邱 暁華(Qiu Xiaohua)

 1958年生まれ。アモイ大学卒業後、国家統計局で処長、司長、局長を歴任。その間、安徽省省長補佐、全国政治協商会議委員、全国青年連合会副主席、貨幣政策委員会委員などを務めた。現在、マカオ都市大学経済研究所所長。経済学博士。

 主な著書に、『中国的道路:我眼中的中国経済』(2000年、首都経済貿易大学出版社)、『中国経済新思考』(2008年、中国財政経済出版社)。

(『環境・社会・経済 中国都市ランキング 2018―大都市圏発展戦略』に収録

【コラム】岳修虎:中国都市化の変化と不変

岳 修虎

中国国家発展和改革委員会価格司司長


 改革開放40年、中国の都市化においては、都市化の本来の法則に沿った動きと、中国に特徴的な動きの双方がある。これからは、中国の特色よりは、都市化本来のメカニズムがより強く働いていくであろう。

1. 中国経済発展の相当部分は都市化から

 都市化は、経済社会発展における役割が極めて大きい。改革開放以来、経済発展の相当部分は、都市化の進展によるものである。例えば、農村労働力の移動がもたらした労働生産性の向上しかり、都市部における人口規模と密度との大幅な上昇による分業の細分化しかりで、これらが強大な成長力を産み出した。

 農村から都市へ移動した数億人口による生産方式の変化が、家庭および個人の生活方式を変え、考え方に影響を与え、さらに社会構造まで大きく変化させた。

 都市化は、都市と農村を二元化させた戸籍制度を弱めた。市場の力による労働力の流動が、都市と農村の関係を再定義した。

 中国の都市化は計画経済から市場経済体制への移行プロセスと並行して行われてきた。ゆえに、移行プロセスの各フェーズでの発展理念、戦略そして政策が、都市化に鮮明な歴史的軌跡を残した。

 先進諸国の経験からすると、中国の都市化率はまだ大きな上昇空間がある。多くの農村人口を抱えながら耕作地に伸び悩む中国では、農業技術の進歩が、農村人口の都市への移動をさらに後押しする。

 とはいえ、都市化水準は都市化率という指標に限らず、都市の発展のクオリティや都市住民の生活のクオリティを問うべきである。

2. アンチ都市化からメガロポリス推進へ政策大転換

  「都市の勝利」の根本的な要因は、過去においても将来においても、人口集積による規模の経済性にある。14億人口大国の都市化がもたらす国土空間構造の変化については、大きな想像力を必要とする。中国の都市にせよ、メガロポリスにせよ、その発育は、まだ「少年」段階である。

 戸籍制度、土地制度、社会保障制度の絶え間ない改革により、人、モノ、カネが、全国でより自由に流動することで、都市化はさらに巨大な威力となる。メガロポリスは珠江デルタ、長江デルタ、京津冀などの地域で成長し続け、中心都市、大都市、中小都市と郷村が共同で、複雑かつ巨大な都市システムを構成する。ますます多くの人口、産業とイノベーションが集積し、いくつもの「世界都市」を誕生させるだろう。便利になった交通と通信が、中心都市の圧力を一定程度弱めるものの、これは都市の吸引力を削減するものではない。却って中心都市の輻射力とその輻射半径はさらに拡大し、周辺の都市と融合した有機体へと成長するだろう。

 中国の政策は、小城鎮重視、大都市抑制の時代から、「メガロポリスを都市化の主要形態とする」時代へと移った。メガロポリスも政策的な定義から実態を持ったものになりつつある。都市化に関わる中国の政策のドラスティックな変化により、中国はアンチ都市化政策を改め、都市化の法則に従い、メガロポリス政策へと大転換した。

 メガロポリス時代のチャンスとチャレンジに向き合い、膨大な人口の生産、生活への要求を満足させ、安全かつ効率の良い文明的な社会を構築させるには、従来の制度と思考を超えた政策能力が必要となる。ゆえに今後、経済、社会、空間におけるマネジメント力をいかに向上させるかが、メガロポリスそして都市化の未来を左右する。

3. 人間本位の理念が都市間競争の鍵

 都市化の目的は、より大勢の人々に現代的生活を享受させることである。現在、中国で繰り広げられている都市間競争は、結局、“人”の競争である。

 ますます多くの都市が、人口戸籍制限を緩和し、若者を積極的に引き寄せる方向へと移行している。

 都市の意義は市民に良質な生産生活環境を提供することにある。そのために都市の計画、建設、管理に携わる者が人間本位の理念を抱き、大きな都市空間の構築にしろ、小さな生活エリアの再構築にしろ、すべて市民生活の利便性と人の幸福を前提とすべきである。

 これまでの長期にわたる経済成長への偏執が、多くの都市に、急進的な工業化による後遺症をもたらした。な計画や乱開発、生態環境の破壊や、生活環境の不備等々である。

 これに対して、従来の成長志向の考え方を改め、市民のニーズを満足させるために都市改造を行うべきである。

 都市が追い求めるのは、ネオンがきらめくことではなく、高層ビルが林立することでもなく、道路が広がることでもない。これらはすべて手段であり、真の目的は市民の幸せと心地よさである。これからの都市改造は、都市を、より便利かつ清潔で、緑が生い繁り、穏やかであるよう目指すべきである。

 ますます激化する都市間競争の中で、どのような人材を引き寄せるかが、都市の未来を決定づける。とりわけ、都市が求める価値理念、市民ニーズへの感知能力、制度を刷新する能力などをもつ人材を有するか否かにおける差異が、都市間競争の成敗を左右する

4.  「場所」の繁栄より、「人間」の開発を

 都市化の使命は変化している。これは工業化を軸にした経済成長を推し進めることから、社会構造、経済構造、国土空間構造における現代化へと向上していくことにほかならない。これまでの経済重視の都市化から、人間重視の都市化へとシフトしていくべきである。都市のあり方も、これまでの生産型都市から生活型都市へ、また、製造型の都市から創造型の都市へと変化させていかなければならない。

 都市間競争が都市間における格差を拡大させ、一部の都市は「衰退」に陥るだろう。ただし、これをネガティヴに捉えず、「場所」の繁栄にこだわるよりは、むしろ「人間」の開発と幸福に重きを置いていくことが必要である。

結びに

 都市間競争の中では、すべての都市は人々による“移動による”という試練を受ける。さらに多くの人々がメガシティやメガロポリスに集まっていくであろう。この趨勢を止めることはできない。このような動きは中国の国土空間のあり方を大きく変えることになる。

 問題は、いかにしてメガシティやメガロポリスにおけるマネジメント能力を高め、良質な都市空間と都市社会を構築するか、である。

 今後、中国の経済構造、社会構造、空間構造が大きく変わっていくであろう。これに対して都市化や、都市発展の目的は、人間本位であり続けるべきである。

 これが、中国都市化における変化と不変であってほしい。


プロフィール

岳 修虎(Yue Xiuhu)

 1973年生まれ。1997年中国人民大学卒業後、中国国家発展改革委員会発展計画司に入局。長期にわたり国家発展戦略の策定と中長期計画の編成に携わる。「第10次五カ年計画綱要」、「第11次五カ年計画綱要」、「第12次五カ年計画綱要」および、「全国主体効能区計画」、「国家新型都市化計画」などの研究編成に参加。2001-2002年に米国マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。中国国家発展改革委員会副処長、処長、副司長を経て2018年から現職。

(『環境・社会・経済 中国都市ランキング 2018―大都市圏発展戦略』に収録

【コラム】横山禎徳:都市のアメニティ

横山 禎徳

県立広島大学経営専門職大学院経営管理研究科研究科長、東京大学総長室アドバイザー、マッキンゼー元東京支社長


 都市の始まりを考えてみる。まず、最初に、人々が行きかう道があった。そして、すぐに2つの道が交差することが起こったに違いない。その交差点では、多くの人々が立ち止まったり、一息入れたりしただろう。そして人々が出会う。お互い知っているどうしだけではなく、これまで知らなかった人たちと出会うことも起こる。自然にモノのやり取り、交換を始めたであろう。それが相対の取引からから数人の取引に広がっていったに違いない。

 そのようにして、モノのやり取りだけでなく、世間の出来事を語り、人の噂話をし、自分たちの足しになる情報のやり取りをするようになった。便利な場所という噂は広がり、だんだんとやり取りをするグループが広がっていったであろう。そして、そこが市場になったのは自然の成り行きだ。その四つ辻には商売をする人、食事を提供する人、宿を提供する人、そして、賑わいに惹かれて何となく集まってくる人々ができてくる。そう、それが都市の始まりである。すなわち、都市の原初的形態は出会いと交易の場である。日本語の市(いち)とは道の交差するところというのが語源らしい。ちなみにフランスの大手スーパーマーケットである、カルフール(Carrefour)は十字路という意味である。まさに四つ辻なのだ。

 そうやって街並みがだんだんと出来上がってくる。そして、農業や、漁業も交易も直接やらないで、そういう人たち相手に商売をするまちびと、都市生活者がだんだんと増えてくる。その人たちは、経済力もついてきて、都市だけが提供できる便利さを求め、それに十分な対価を払うようになる。そうやって段々と都市らしい生活とそれを支える規律、価値観、センス、美意識が形成されてきた。そういう過程を経て現代の都市が出来上がったのである。

 そうしたかたちで出来上がってきた都市の文脈を考えると、住みやすく(リバブル)、衰退することなく長く繁栄する(サステイナブル)という要素は絶対に譲れない基本である。また、多くの都市と都市は交換、交易を通じてだけでなく、都市機能や役割の分担など、お互いに依存をしているだけでなく、都市とそこに交易のための品物、多くは農水産物を持って集まってくる人たちの多くが住んでいる周辺地域との関係も大事であり、相互依存(サポーティブ)という要素も重要だ。

 シルクロードを例にとってみよう。大陸の遊牧民の歴史を専門にする学者は、実は日本に多いのだが、彼等が主張しているのは、シルクロードは、実はシルクネットワークであるという事実である。中国の長安を出発したラクダの隊商が中東へ向かって砂漠をとぼとぼと歩いている姿を、なんとなく子供のころ見た記憶があるが、実態はそうでもなかったらしい。

 中央アジアは南側には砂漠もあるが、北側の大半は草原であり、草原には最初に説明したような経緯で出来上がったたくさんの交易都市が存在していた。そこには多くの人たちが住み、いろいろなものを売る店やものを作る職人がいて、仕立て屋、床屋、運び屋、食事処、宿屋などの仕事をし、消費をする。すなわち都市生活をしていたのである。隊商も中国から中東までの長旅をしたわけでもなく、交易用の商品である絹や銀器などをもって、そのような都市の間を移動していただけであった。すなわち、中央アジアの諸都市の起源もほかの都市と同じように交易の場であった。

 そういう過程で出来上がった都市生活者という集団は都市だけに期待されるもの、すなわち、都市のアメニティを享受したいという期待値は大きいはずだ。しかし、そのような都市のアメニティは必ずしも数字にならない、すなわち、定量化できないものが多くある。例えば、ニューヨークでいうポケットパークとか東京の公開空地など、あるいは建物の周りの緑の多さ、そのデザインの質、道路の幅、歩道の広さ、その舗装の質、夏の暑さを避ける日陰の配置や冬の寒い風を避ける風よけ、一休みするベンチなどのストリート・ファニチャーの豊富さ、街路や広場での騒音の少なさ、また、公衆トイレの利便性、安全性、清潔性、そして、何よりも、どこをどの時間帯に歩いても身の危険を感じない安心感などである。

 また、現代の都市においては交通事故の少なさ、特に歩行者が車に対する身の危険を感じることなく、安心して動き回れることも大事である。それは目に見えない形、すなわち、飲酒運転の厳しい規制でも達成できることは、数年前の日本での規制強化とその後の交通事故死の大幅な減少でも見て取れる。しかし、目に見える形である都市デザインという形でも達成可能である。アメリカの有名なランドスケープ・アーキテクトであったローレンス・ハルプリンがデザインしたミネアポリスのニコレット・モールは、車を主とし、人間を従に扱いがちの都市内道路を、美的にも心地よい形で人間を主に逆転してみせたことは画期的であった。

 彼は歩道を広くし車道を狭くしただけでなく、その車道を波状にくねらせたのである。このデザインの成功によってその後も、車にとっては、スピードを上げられない、そこを通ることはあまり便利でないと感じさせ、広くなった歩道には色々のストリート・ファーニチャーを配置し、時折、そこでイベントを開催したりするなど人が集まりやすい街路空間のデザインが広がっていった。このような街路空間の展開というデザインの質はなかなか数値化することが難しい。

 また、バスは鉄道と違ってライト・オブ・ウェー(通行権のある道路)が他の多様な自動車用の道路に重なって存在しているため、その混雑状況によっては「いつ来るかわからない」、「いつ着くかわからない」、「どこを通るかわからない」など乗客の不便があることは都市のアメニティの観点からは大きな問題である。それだけでなく、バスが停留所に止まる際、車道に止まっているために起こる他の自動車交通の妨げも問題であり、停留所には歩道にバスが停車できる切込みをつけることも都市のアメニティの1つである。

 これまで述べてきたように、都市の主要な評価指標であるサステイナブルとサポーティブに関する項目は数値化、定量化しやすいし、それをもとに達成目標を明確にすることや、他の都市との比較が可能である。しかし、都市が住みやすい(リバブル)ことを構成する要素は数値化できるものだけでは十分ではなく、アメニティのように数値化できにくいものが多い。特に美観などはかなり主観的な要素が含まれていることもあり、定性的な評価基準も難しいし、皆が妥当と思う評価者を確保することもそう簡単ではない。なぜならば、グローバリゼーションという流れの補完的考え方として、ヴァーナキュラー、すなわち、その土地、地域の気候や、文化風土、そして歴史を組み込んだうえでの住みやすさを評価しないといけないからだ。

 このような定性的評価基準はどのようにつくりあげていったらいいだろうか。1つの考え方は、電柱電線の埋設のように美観だけでなく、自然災害時の安全性に関してはどの地域の都市であるかに関係ない普遍性のある要素から地域特有の美意識の要素までの広がりを3つのカテゴリーに分けて捉えることから始めるのがいいだろう。最初から完璧にはいかないが、時間をかけて組み立てていくことをやれば急速に評価の妥当性は改善していくであろう。

 都市のアメニティで問題になるのは、あったほうがいいが絶対に必要とは言えないものも含まれていることだろう。例えば、東京も含めて日本中の都市には幹線道路を除いて電柱電線があふれている。多くの日本の都市住民は目が慣れてしまって気に留めないようであり、埋設のペースは遅い。1920年ごろ、東京市は九段坂の電線埋設に苦労し、発展途上国の日本にはぜいたくだとあきらめたと聞いている。

 そういうフェーズは終わった現在の日本においても、電柱電線の埋設を推進しようという動きはそれほど大きくない。誰がその資金を出すのか、その見返りはあるのかが相変わらずはっきりしないのだ。電力会社や通信会社が動き出すことは期待できない。彼らは投資に対するリターンがないため株主を説得できないという言い訳ができるのだ。国や地方自治体にとっても、高齢者対策や医療制度の充実に比べると優先順位は高くないという判断だ。

 しかし、都市のアメニティは都市生活者自身の意見が反映されるべきであろう。都市のアメニティ評価の妥当性の検証と改善のプロセスに、市の行政官や学者などの専門家だけでなく、市民も参加してはどうだろうか。つまるところ、都市のアメニティとは市民の大きな関心事である。単に受け身の都市生活者から能動的都市生活者に変わるきっかけにもなるだけでなく、長期的には誰の目にも魅力的な都市をつくり上げていくことに貢献するであろう。


(『環境・社会・経済 中国都市ランキング 2018―大都市圏発展戦略』に収録


プロフィール

横山 禎徳 (よこやま よしのり)

 1942年生まれ。東京大学工学部建築学科卒業、ハーバード大学デザイン大学院修了、マサチューセッツ工科大学経営大学院修了。前川國男建築設計事務所を経て、1975年マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し、同社東京支社長を歴任。経済産業研究所上席研究員、産業再生機構非常勤監査役、福島第一原発事故国会調査委員等を歴任し、2017年より現職。

 主な著書に『アメリカと比べない日本』(ファーストプレス)、『「豊かなる衰退」と日本の戦略』(ダイヤモンド社)、『マッキンゼー 合従連衡戦略』(共著、東洋経済新報社)、『成長創出革命』(ダイヤモンド社)、『コーポレートアーキテクチャー』(共著、ダイヤモンド社)、『企業変身願望−Corporate Metamorphosis Design』(NTT出版)。その他、企業戦略、 組織デザイン、ファイナンス、戦略的提携、企業変革、社会システムデザインに関する小論文記事多数。

【コラム】矢作弘:変容する縮小都市の「かたち」


矢作 弘
龍谷大学研究フェロー


 都市の「かたち」は時間の積層である。すなわち、時代の変化を反映して変容を重ねる。ここで「かたち」は、可視的、建築的な意味にとどまらず、人々の働き方/暮らし方を含む都市総体を意味して使っている。そして縮小都市(Shrinking City)も、20世紀末から21世紀を迎えてまでのこの間、その「かたち」を変えてきた。

 都市学が縮小都市に注目し、国際会議が果敢に開催され、関連の書物が相次いで出版されるようになったのは、1990年代半ば以降だ。2005、2006年に、著書 Shrinking Citiesの2分冊が出版された。それぞれ700ページ、800ページある分厚い著作だ。ドイツ連邦文化財団が主催した編集グループが尽力し、社会科学/自然科学/人文学の研究者、ジャーナリスト、官僚、建築家/都市計画家、アーティスト、市民運動家・・・など多彩な職業の人々が寄稿者になった。それもドイツに限らず、アメリカ、そしてアジアからも寄稿者が集められた。縮小都市研究の決定版である。

 多分野から広く寄稿者を集めたことには、次の事情があった。都市縮小には、幾つもの時代状況が影響しており、当然、縮小の「かたち」も多様で複雑だった。それゆえ、多彩な執筆に寄稿を依頼し、結果的に分厚い2分冊になった。当該書は、なぜ都市が縮小するのか——その時代背景、どのように縮小しているか——その現状、をつまびらかにする、というミッションを掲げて編集作業に着手した。一般的に縮小都市は、ある一定規模以上の都市が、社会的、あるいは自然的人口動態で厳しい人口の減少を経験し、都市構造が経済的、社会的に危機的状況に直面している都市、と定義されている。

 

 では、都市が縮小する背景として、どのような時代の変化が指摘されたのか。

 まず、脱工業化である。産業革命以来、資本主義経済を牽引して来た製造業都市が20世紀後半に失墜した。煤煙工場が並ぶ重厚長大型産業が凋落し、高付加価値産業、および情報依存の軽薄短小型産業が主流になった。この流れにグローバリズムが追い討ちをかけた。工場が、そして労働集約的な雇用機会がヨーロッパ、アメリカ、そして日本などから途上国に流出した。煙突から煙が消え、工場や倉庫は閉鎖され、跡地にセイタカアワダチソウが繁茂する風景が広がった。仕事がなくなり、雇用者が減った。そして都市人口全体もマイナスに転落した。この範疇の縮小都市には、ドイツ・ルール地方の製鉄業都市、アメリカ中西部の自動車/製鉄業都市、および東海岸の石油化学/製鉄業都市などが含まれる。半世紀に人口を半減させた都市もあった。同じ時期にエネルギー革命が進行し、鉱業(石炭)が衰退を経験した。日本では、北九州市、およびその背後の筑豊地域の都市がこの範疇に入る。

 20世紀後半以降、新自由主義が喝采され、都市間競争が奨励されてきた。その結果、資金と有意な人材の集積に成功し、ハイテククラスターの形成に成功したスーパースタート都市が独り勝ち(Winner−take−all)するようになった。それ以外の都市は、スーパースター都市に労働人口を吸い取られ、人口がマイナスに転じる一因になった。

 

 「ベルリンの壁」が1989年に崩落した。それ以降、雪崩のごとくに東ヨーロッパの国々で社会主義政権が潰れた。旧東ドイツでは、国境がなくなったため、仕事と自由な社会/文化を求めて若者を中心に旧西ドイツ側に大量の移住者が出た。効率の悪い国営企業が相次いで破綻したことも、西側移住を加速した。一時期、ベルリン以外の旧東ドイツ都市は、例外なく縮小都市に転落した。その結果、20世紀末には、旧東ドイツ側に100万戸の空き住宅ができた、といわれている。その後、東ヨーロッパの国々が相次いでEU(欧州連合)に加盟した。「域内移動の自由」を認められ、これらの国々から西ヨーロッパへの大量移住がおきた。

 都市の縮小には、少子化の影響もある。豊かになると世帯当たりの子供の数が減少する傾向にある。子育て、特に子供に高等教育の機会を与えたい、と考える中間所得階層は、子育てでも「少数精鋭主義」に走る。出生率が2.1人を下回ると人口がマイナスに転じるが(社会的な人口動態を考えない)、先進諸国の多くがその水準を下回っている。韓国や台湾なども、厳しい状況に直面している。雇用構造が変化し、不安定雇用が増えているために、若者が将来不安を抱え、結婚を躊躇していることが少子化につながっている、という指摘もある。また、地球環境の汚染や多発するテロルなどのニュースに「漠とした将来不安を抱き」、家庭をもつ、あるいは子供を産む、という決心を出来ずにいる、という若者の話も聞く。


 以上が21世紀を迎えて以降、2010年ごろまでの縮小都市の「かたち」であった。それぞれの要因は個別にではなく、しばしば重なって縮小が加速した。しかし、この10年ほどの間に、幾つかの縮小都市をめぐる時代状況に大きな変化がおきている。したがってその「かたち」もそれ以前とは変容している。

 この間、貧困と飢餓のために凄まじい数の難民が生まれた。内戦、そして国境を越える戦乱が故郷から弱者を追い出し、難民にした。アフリカ、そして中東イスラム圏からの難民は、その過半がヨーロッパに漂着した。西ヨーロッパの国々が「人道支援」の旗を掲げて難民を受け入れた。その多くは、依然、難民キャンプで厳しい生活を強いられているが、親類縁者を頼って都市のそれぞれの移民コミュニティに暮らしの場を作った人々も多くいる。そこで満足な所得を稼げる仕事に就けているかどうかは別の話だが、難民を多く受け入れた都市は、人口減少という縮退傾向に変化がおき、新たな都市問題に直面している。

 アメリカの縮小都市も、その「かたち」を変えている。中西部のデトロイトやクリーブランドは、自動車産業で繁栄したが、その人口は1950年代にピークに達し、以降、右肩下がりで人口を減らし、半世紀の間に人口が半減した。ところが昨今の人口動態は下げ止まりだ。セントルイス、ロチェスター、バッファローなどの旧産業都市でも同じような傾向にある。東海岸のフィラデルフィアは、人口動態が反転し、プラスに転じた。


 なぜ、そうしたことがおきているのか。その背景には、「腐っても鯛」ということがある。換言すれば、「歴史的遺産を活かす都市再生」だ。これらの産業都市は、19世紀末から20世紀初期に勃興し、アメリカ資本主義を先導してきた。その間に巨万の資本蓄積が行われ、その余剰資本は大学の創立/支援、総合病院の設立、美術館や音楽ホール、そしてオーケストラの結成など文化投資に向かった。すなわち、それらが今日、都市再生を促す「歴史的遺産」になっている。


 ワシントン大学(セントルイス)、ビッツバーグ大学(ピッツバーグ)、ペンシルバニア大学(フィラデルフィア)、ロチェスター大学(ロチェスター)、ジョンズ・ホプキンス大学(ボルチモア)などは、アメリカでもトップクラスにランクされる大学だ。それぞれに医学部と附属病院がある。クリーブランドクリニック(クリーブランド)、メイヨークリニック(ロチェスター)は、先端的な、研究・医療の総合病院だ。エンジニアリングでも、カーネギーメロン大学(ピッツバーグ)などの優良大学が多くある。

 生命科学の時代、そしてニューエンジニアリングの時代を迎え、これらの歴史的遺産がシナジー効果を発揮し、それが縮小都市の再生につながっている。

 事例=クリーブランド:20世紀初期の、全盛期に建てられたアールデコやモダニズム建築のオフィスビルが並ぶダウンタウンから車で20分弱のところに、ユニバーシティ・サークルがある。深い緑陰に囲まれた学術文化地区である。そこにクリーブランド・クリニックス、ユニバーシティ・ホスピタル、子供総合病院、退役軍人病院、癌研究センターなど一大医学医療クラスターが形成されている。隣接してエンジニアリングの強いケース・ウエスタン・リザーブ大学、音楽大学、美術大学が立地している。クリーブランド美術館、老舗のクリーブランド管弦楽団はアメリカでもトップクラスである。
 ユニバーシティ・サークル全体がAMC(Academic Medical Complex=先端治療医学複合体)になっている。クリニックは医学大学院を併設し、最先端の生命科学研究、医療で実績を重ねている。ほかの病院と連携がある。それだけではなく医療機器開発では、病院と大学工学部が協働し、精神科の医療、および研究では病院と美術大学、音楽大学が連携している。病院経営をめぐっては大学のビジネススクールが医療経営学、医療経済学の講座を用意している。クリーブランドは縮小都市を経験し、市内に空き建物が散在する。クリニックがそれらの建物を買い上げて修復し、病院や大学をスピンオフする若い研究者に安い家賃で貸し出し、研究を支援している。そうやってライフサイエンス研究のクラスターが高度化している。

 中西部や東海岸の縮小都市でも、クリーブランドと同じようにAMCの構築が進行している。そしてAMCの形成をめぐって厳しい都市間競争がある。それがまた、AMCの高度化を促している。こうした歴史的遺産をめぐる縮小都市再生の話題は、AMCに限らず、ニューエンジニアリングの分野でも拾い上げることができる。

 新型コロナウイルス感染症が爆発し、アメリカ、ヨーロッパの都市も大きな影響を受けた。コロナ禍が縮小都市の将来にどのような影響を残すか、それを見定めるのは、まだ難しい。アメリカでは、ニューヨークの打撃が大きかった。そのため「高密度」な「スーパースター都市の終焉」論が聞かれた。しかし、ニューヨークと並び、「高密度」なサンフランシスコは、少なくとも第一波を軽微に終えることができた。結局、都市政府が、そして市民が、早く(速く)、どのように「行動」したのか、その違いが被害の大きさを決定づけた。「高密度な都市」イコール「感染症に脆弱」という議論は短絡である、という批判を免れないと思う。

 しかし、少なくとも「ウィズコロナの時期」には、「高密度」な都市は嫌われ、テレワークも進展する。コロナ禍の最中には、ニューヨークの中間所得階層以上が暮らすコミュニティでは、40%以上が郊外都市や山岳地帯の都市に逃げ出し、そこからテレワークをして悪化する状況を凌いだといわれている。そうしたことを踏まえ、ここしばらくはスーパースター都市からの人口流出が続く、という見方が有力だ。その行き先は、郊外都市に加えて都市再生のプロセスに入った縮小都市が候補に挙げられている。いずれも100万人以下の中規模都市だ。それほど「高密度」ではないが、「腐っても鯛」——文化的、学術的環境が整い、また老舗レストランやカフェなど都市アメニティにも恵まれているからだ。縮小都市がこの流れを「ポストコロナの時代」にも継続することができるか——それはもっぱら、それぞれの都市政府がどのような都市政略を打ち出すかにかかっている。


プロフィール

矢作 弘 (やはぎ ひろし)

 1947年東京生まれ。1971年横浜市立大学卒、日本経済新聞ロサンゼルス支局長、編集委員、オハイオ州立大学/ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス客員研究員、大阪市立大学大学院創造都市研究科教授などを経て、龍谷大学政策学部教授を歴任し、2019年より現職。社会環境科学博士。

 近著に、『町並み保存運動 in U.S.A.』(学芸出版社)、『ロサンゼルス』(中公新書)、『大型店とまちづくり』(岩波新書)、『都市縮小の時代』(角川新書)、『縮小都市の挑戦』(岩波新書)、『持続可能な都市』(共著、岩波書店)、『トリノの奇跡』(共著、藤原書店)、『ダウンサイジング・オブ・アメリカ』(ニューヨークタイムズ編著・翻訳、日経BPM)。

(『環境・社会・経済 中国都市ランキング 2018―大都市圏発展戦略』に収録

【コラム】森本章倫:スマートシェアリングシティの構築に向けて

森本 章倫

早稲田大学教授、博士(工学)


1. 未来の都市モデル

 国連(UN)によると、2019年の世界人口は約77億人であり、2050年には97億人に達する。また、都市居住人口の割合も増加を続け、現在は約半数の55%であるが、2050年には68%となり全体の3分の2に達すると予測されている。今後、世界の多くの都市が過密化や肥大化による問題に悩まされ続ける。一方で、出生率が低下し、少子高齢化により人口減少が進み、都市規模の縮退を余儀なくされている都市もある。

 世界規模での人口分布の急激な再編に対処するためには、それを支える都市自体も未来を予見し、成長と衰退への対応が不可欠である。都市計画の視点でも、様々な持続可能な都市モデルが提案されている。代表的なものとして、無秩序な郊外開発を抑制し、中心市街地の活性化を図りつつ、公共交通を活用した持続可能な都市として「コンパクトシティ」が提唱されている。コンパクトシティでは、公共交通を中心とした開発を意味するTOD(Transit Oriented Development)が拠点を形成し、次世代型路面電車システムLRT(Light Rail Transit)や自動運転車によってその拠点のネットワーク化を図る。また、近年では情報通信技術(ICT)を活用した都市モデルとして「スマートシティ」が世界各地で出現している。スマートシティでは、モノのインターネットIoT (Internet of Things)や人工知能AIなどの先端技術を用いた各種サービス提供や効率化によって、環境や生活、交通など様々な都市問題の解決を目指している。

 前者はフィジカル空間における都市空間の再構築を主眼として、後者はサイバー空間を対象としたサービスの連携と効率化を目指している。どちらも持続可能な社会の構築を目的としているが、各都市モデルが部分的な最適化を目指すと、トレードオフの状況になるケースも見られる。例えば、スマートフォンの利用拡大はUberやLyftといったTNC(Transportation Network Companies)を誕生させ、自動車の相乗りサービス(ライドシェア)が急速に普及した。利用者の利便性は確かに向上したが、その影響によって道路の交通量が増加し、渋滞を悪化させ、地下鉄などの公共交通の利用者が減少する現象が世界各地の大都市で生じた。さらに、Uber/Lyftがカープールサービス(目的地が同じ複数人を乗せる「相乗りサービス」)を開始(2014年)したことで、サンフランシスコの駅徒歩5分以下の不動産価値が相対的に低下したと報告された。ICTの活用により、駅から離れた土地のモビリティが向上する一方で、駅を中心とした街づくり(TOD)に対してブレーキをかけたことになる。


2. コンパクトシティとスマートシティの融合

 コンパクトシティとスマートシティを上手に連携させるためには、その両者の関係を把握し、マネジメントする仕組みが必要となる。ここではフィジカル空間とサイバー空間の両者を融合するためのフレームを提案したい(図1参照)。

図1 コンパクトシティとスマートシティの連携

 まずはフィジカル空間において、コンパクト化の計画である立地適正化計画と、ネットワーク化を進める公共交通網形成計画の両者の融合を図ることから始める。土地利用と交通の将来計画を法的に定め、未来の都市像の共有化を市民合意の上で進めることが肝要である。またサイバー空間における各種情報の統合を図ることも重要である。交通分野においては、自家用車以外のLRTなど多様な交通機関の利用を統合化して、移動(モビリティ)を1つのサービスとして扱うMaaS (Mobility as a Service)の構築がその一例である。また、エネルギー分野では、電力の流れを供給・需要の両側から制御し、最適化できる送電網としてスマートグリッドなどが挙げられる。

 次にフィジカル空間での各種事業と、サイバー空間でのプロジェクトの両者の進行管理(PDCA)をするマネジメントフレームを構築する必要がある。フィジカル空間は数年から十年単位の中長期で変動するのに対して、サイバー空間ではリアルタイムから数日単位で短期的に変動する。短期的な動きを見極めつつ、長期的なフィジカルプランへ反映するためのマネジメント組織が必要となる。行政的な公益性を担保しつつ、民間事業の効率性や収益性を高める組織体が全体を調整する役割を担う。最後はこれらを包括する政策統合フレームである。ここでのキーワードは、科学的根拠に基づく政策立案を意味するEBPM(Evidence-based policy making)にある。これらの4つのフレームは互いに独立して存在するのではなく、相互依存の関係にあるため、総合的に組み立てていく必要がある(図2参照)。

図2 コンパクトシティとスマートシティの統合フレーム

3. スマートシェアリングシティ

 コンパクトシティとスマートシティの融合を深めるためには、概念的にも両者の関係を整理したうえで、双方をつなげる新しい都市モデルを提示する必要がある。コンパクトシティとスマートシティの特徴を対象、視認性、原理、手法で比較すると図6-3のように整理できる。

 コンパクトシティは空間を対象としているため可視化が可能で、主として行政的な計画手法を用いて、拠点となる市街地を形成するのに対して、スマートシティは情報を対象としているので見ることが困難で、IoTの先端技術の活用によって実現する。最も異なる特徴は、前者は空間の集約や縮退を基本原理としているのに対して、後者は情報の連携、拡張を原理としている。そのため情報の拡張が、空間の縮退を妨げることもあり得る。そこで、それを調整する役目として、賢いシェア(Smart Share)という概念が必要となる。このスマートシェアを念頭に置いた新しい都市モデルでは、人や社会の活動を態度変容やマネジメントによって適正化(中庸)することに主眼を置く。

 このような都市モデルを「スマートシェアリングシティ(Smart Sharing City)」という。スマートシェアリングシティとは、「持続可能な社会を実現するために、稼働していない資産を効率的に共同利用している都市」を示す。スマートシェアリングシティでは、個人の便益が増加するだけでなく、社会の便益も一緒に増加する。目指すべき目標は、個人(または団体)が得られる便益をシェアリングによって高めつつ、社会が得られる便益も最大化することにある。

図3 都市モデルの特徴と比較

 

図4 スマートシェアリングシティの交通体系

4. スマートシェアリングシティの交通体系

 どんなに都市をコンパクト化しても、都心部に居住して毎日マイカーで生活していては、渋滞はなくならない。情報技術がライドシェアを実現しても、移動手段が公共交通から車にシフトしただけでは、渋滞は悪化してしまう。重要なのは各個人の行動パターンにある。「足るを知る」という老子の格言は、人々に節制を強要しているのではなく、「満足することを知る人間は豊かである」と説いている。個人の便益をシェアリングによって追求するなかで、社会にとっても便益が増加することが望ましい姿である。

 公共交通は多くの利用者が移動空間をシェアリングすることで成り立っている。個人の利用が公共交通システムを支えているといってもよい。需要密度が高い場合は鉄道や地下鉄の持続的な運行を可能とし、中くらいならバス、少なければデマンド交通やタクシーといった具合に適切な交通機関が異なる。鉄道は大量輸送が可能であるが、決められた駅間の移動しかできない。デマンド交通やタクシーは、輸送量は少ないが柔軟なニーズに対応できる。

 都市には様々な都市交通が存在し、それぞれ相互依存の関係にある。各交通機関の特性や役割を考慮すると、その適切な関係は図6-4のようになる。都市間を高速に移動する交通から、地区内を低速に移動する交通まで、本来の都市交通は階層性を有している。個別交通では高速道路から生活道路までの道路ネットワークを上手にシェアすることで円滑な移動を実現する。公共交通では多くの人が移動空間をシェアする鉄道から、個別のニーズに合わせたタクシーまでが相互に連携をとっている。自動運転技術の導入はこれからの階層性を壊すことなく、既存の交通機関と連携をとりながら普及することが肝要である。
 このように都市空間を上手にシェアする仕組みをつくり、その円滑化や効率性を情報技術が支えていく。無理のない範囲で上手に空間をシェアすることは自分のためでもあるし、それが社会全体のためにもなる。未来の都市像を描いて、人々の日々の生活を豊かにしながら、緩やかにその実現を目指すための仕掛けが大切である


(『環境・社会・経済 中国都市ランキング 2018―大都市圏発展戦略』に収録


プロフィール

森本 章倫 (もりもと あきのり)

 1964年生まれ。早稲田大学大学院卒業後、 早稲田大学助手、宇都宮大学助手、助教授、教授、マサチューセッツ工科大学(MIT)研究員などを経て、2014年より早稲田大学教授。現在、日本都市計画学会副会長、 日本交通政策研究会常務理事なども務める。博士(工学)、技術士(建設部門)。

【コラム】張仲梁:集中化かそれとも分散化か?

張 仲梁

中国国家統計局社会科学技術文化産業司司長


 田園都市運動の創始者、エベネザー・ハワード氏は1898年にある予言をした。それは、当時660万居住民を抱えていた英国ロンドンの人口が20%にまで縮小し、残りの80%がロンドン郊外のニュータウンに移住するというものであった。
 予言は予言に帰し、現実は現実に帰する。ロンドン人口はハワードが述べたような軌跡を辿らずに増大の一途を辿り、1939年には860万人へと膨れ上がった。
 人口の持続的な増大の一方で、「都市病」は日増しに悪化し、これに対応するため、イギリス政府は1940年、ロンドン市人口問題を預かる「パル委員会」による「パル報告」を発表、ロンドン中心地区の工業および人口の分散を主張した。イギリス政府は1946年、「新都市法」を発布し、ロンドン周辺で8つのニューシティ建設を主体とする新都市運動を立ち上げた。50年間の人口の流出を経て1988年に、ロンドンの人口はついに637万人になった。
 何事もメリット、デメリットの両面性を持つものだ。新都市運動はロンドンを過密から「解放」したと同時に、「衰退」もさせた。「衰退」はロンドンにとって不都合であった。ロンドンは新都市運動を終結させ、復興運動を起こした。これは当然の帰結であろう。新都市運動は都市人口を分散させるのに対して、復興運動は人口の都市への回帰を促し、都市の活力を増大させた。人口データがこの効果を示している。2015年末になって、ロンドンの人口は854万人に達し、さらに、これを通勤圏人口規模にすると1,031万人に上った。

 コースは違っても行きつく先は同じである。
 ニューヨークでも私たちはこれに似た状況を見ることができる。
 過去100年間、ニューヨークの人口は3つの段階を経てきた。まず、人口が穏やかに増えた第一段階である。人口と経済活動は持続的に集積され、1950年には789万人まで膨張した。次は、人口増が人口減へと転換した第2段階である。「都市病」の激化に伴い、都市機能拡散計画が実施され、人口は周辺都市へ移動した。1980年には707万人まで人口は縮小した。1980年代を起点とする第3段階では、都市計画の見直しと産業の高度化により、人口が回帰し、2015年には855万人にまで増えた。ニューヨーク大都市圏の人口規模から見ると、1950年はすでに1,000万人を超えており、今日はさらに1,859万人に達した。
 東京も似たような葛藤を経験した。
 第二次世界大戦後、日本は都市化がハイスピードで進んだ。大量の農村人口が大都市、特に東京へ集中した。東京都内の人口は1965年に889万人になった。1960年代、蔓延し続ける「都市病」に対応し、東京の「過密」問題を解消するために多摩ニュータウン、港北ニュータウン、千葉ニュータウン、さらには筑波学園都市などの新都市が、東京周辺地域に次々とつくられ、製造業の地方移転と人口の郊外居住化が同時に進んだ。1995年になって、東京都の人口は797万人まで減った。
 1990年代中後期、人口の郊外居住化が終焉を迎え、「都心回帰」が始まった。都市再生計画の実施や都市インフラの整備により、東京都市部の人口は再び増大した。2015年、東京都の人口は1,353万人を超え、東京大都市圏の人口規模は3,800万人に達した。

 ハワードの予言に戻る。
 都市圏の視点からすると、大都市人口と経済活動の中心部への集中・集約が「集中化(Centralization)」であり、周辺地域への分散を「分散化(De centralization)」と称するなら、ハワードの予言は「分散化」志向であった。
 しかし、世界の都市の進化の過程で明らかになったのは、集中化と分散化は実際には、都市の進化の表裏であり、時には集中化は分散化を圧倒し、時には集中化はまた分散化に圧倒される。また時には双方伯仲し強弱つけ難い状況になる。しかし、総じて集中化の力がより強い。
 事実上、ロンドン、ニューヨーク、東京などのメガシティでは、ほとんど集中化から分散化に進み、再び集中化に戻ってくる過程を辿った。
 都市は集積効果によって発展し、集中化の現象が起こる。しかしその人口と経済活動の集積がある「極限」に達すると、「規模の不経済性」が芽を出し、分散化の力量が働く。
 その結果、人口と経済活動は周辺地域へ移り始める。
 しかしながら、分散化が起こる時、往々にして集中化のパワーはなりを潜める。一定の時期が過ぎて、集中化の力は再び分散化を圧倒し、さらに新しい集積を引き寄せる。
 集中化と分散化の増減の背後には「効率」がある。効率を決定づけるのは交通インフラ水準であり、技術水準であり、都市の智力水準である。
 交通インフラ水準を整備し、技術水準と都市の智力水準が向上すると、集積に対する都市の積載力を高められる。「大都市病」は、都市の過大さゆえに起こったのではない。その交通インフラ水準、技術水準、都市の智力水準が都市の「大きさ」に耐えられなかったため起こったのである。
 50年前に東京都の人口が889万人だった頃、「都市病」が蔓延しているとの焦燥感に悩まされた。しかし今は、東京の人口はすでに1,300万人を超えているにもかかわらず、「過密」だとの訴えは聞かない。
 何故なら、現在、東京の交通インフラ水準、技術水準、都市智力水準が以前と比較できない程向上し、都市の積載力も格段に上がったからである。
 都市の積載力は固定的なものではない。時間と空間の変化によって異なってくる。同様の時期でも都市ごとに積載力には大きな違いが生じる場合もある。同じ都市でも時期ごとに積載力は異なってくる。総じて、交通インフラ水準、技術水準、都市智力水準に応じて都市の積載力は増していく。

 国の視点で見ると、大多数の国の都市化が、集中化から分散化、そして集中化に再度戻る過程を辿っている。
 人口流動を参考にした世界主要国家の都市化過程は、4つの段階に分けられる。第1段階は、中小都市化段階である。人口が農村から都市へ流れ、都市化の主体は中小都市である。
 第2段階は、大都市化段階である。都市化率が50%前後になった後、人口流動の主要形態は中小都市から大都市へと流れる。農村人口は中小都市に流れる場合もあり、また大都市に直接流れ込む場合もある。
 第3段階は、大都市の郊外化段階である。都市化率が70%前後に達し、人口が大都市の市街地から郊外へ流れる段階である。
 第4段階は、大都市圏とメガロポリス段階である。郊外は中小都市へと進化し、大都市の中心市街地とタイアップして大都市圏を形成する。さらに複数の大都市圏が連携を緊密にすることでメガロポリスが形成される。 
 第1段階と第2段階が集中化である。第3段階は分散化で、第4段階は再集中化である。
 都市発展のこうしたS字型曲線は中国の都市化で検証できる。
 改革開放以来、中国の都市化は先進国が100〜200年間かかった道のりを、たった40年間で走り抜けた。 
 1978年、中国の人口都市化率はたった17.9%に過ぎなかった。しかし2016年には57.4%にまで急上昇した。
 1980年代、郷鎮企業 [1]。の急速発展に伴い、小城鎮 [2]が中国各地に出来上がり、中国都市化率は急速に向上した。その意味では1980年代は中小都市の時代である。
 1990年代は、大都市の時代である。大量の労働人口が農村や小城鎮から大都市へ流れた。政策上では、1980年代にも「都市病」への憂慮から「大都市の抑制」が高らかに掲げられた。しかし実際には、集積効果が威力を発揮し、大都市化は急速に進み、中国の大都市がことごとく工事現場化した。
 西暦2000年、中国の都市化率は36.2%台になった。「大都市の抑制」も政策から外した。
 この頃はまた、上海、北京を代表する大都市が中心市街地の「過密」の解消に乗り出し、郊外化を発動した。例えば、上海では嘉定、松江、青浦、南橋、臨港の5つのニューシティが建てられた。これらのニューシティは一定の人口を受け入れたものの、人口密度の高い集積地には至らなかった。
 40年の道のりを振り返ると、中国の都市化と世界主要国の都市化の過程は、本質的に似通っている。
 ただ、中国の国土が巨大なゆえに地域ごとに発展段階が大きく異なり、例えば西部地域はまだ第2段階にある。そして珠江デルタ、長江デルタ地域はすでに第3段階、第4段階に突入している。
 ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・E・スティグリッツ氏は、中国の都市化はアメリカのハイテクの発展と並び、21世紀の人類社会に影響を与える二大ファクターであると言う。中国改革開放後の40年の都市急速発展は、長江デルタ、珠江デルタ、京津冀などメガロポリスを誕生させ、人口と経済活動を大都市へと集約させた。この過程において、分散化の力学も働いたものの、やはり、集中化の力学が圧倒的であった。

 中国では、都市化政策において、中小都市を主体とする分散型都市化と、大都市を主とする集中型都市化という二つの主張が従来より戦いを繰り広げてきた。
 これからの中国の都市化は集中化で進むのか、分散化で進むのか?
 筆者は4つの理由で集中化を進めるべきだと考える。 
 第一に、都市規模が大きくなればなるほど、産業の集積が大きくなり、就業機会と収入も多くなり、生産コストと交易費用は低くなる。インフラ整備と公共サービスコストの分担も減る。
 これと反対に、都市規模が小さくなればなるほど、規模の経済性は実現しにくくなり、インフラの効率も悪くなる。
 世界銀行の研究では、人口規模が15万人以下の都市では、規模の経済性は実現し難いという。
 これに対して、「中国では多くの中小都市が素晴らしいパフォーマンスを見せている」との意見が出るかもしれない。
 実は、中国でパフォーマンスの良い中小都市の殆どは、大都市の周辺に位置している。中国のもっとも末端の都市単位の「鎮」で見ると、経済ランキングトップ100の「鎮」のうちの90%が、ことごとく長江デルタか珠江デルタの中心エリアにある。こうした中小都市の繁栄は、両デルタ地域の巨大都市に依存していることが明らかである。
 これは都市化のメカニズムがもたらした現象である。政策はメカニズムに反することをしてはならない。
 第二に、都市化の第2段階は、国際経験的に都市化率が50%から70%に向かう段階である。この段階では人口が主に大都市へと向かう。アメリカでは、人口500万人以上の大都市の、全国での人口ウエイトが、1950年に12.2%だったのに対して、2010年にはその倍の24.6%に達した。日本では東京、大阪、名古屋三大都市圏の、全国での人口ウエイトが、1920年に35.8%だったのに対して、2015年にはほぼ1.5倍の53.6%に達した。
 2011年から2015年の間で、中国で常住人口増加が最も進んだ都市は、北京、上海、広州、深圳、天津の5都市で、これらは中国で「一線都市」[3]と呼ばれ、この間、年平均1.9%で人口が増えた。また、省政府所在地である省会都市など「二線都市」と呼ばれる都市には、二つのグループがある。一つのグループは9つの都市で、この間、年平均1.2%で人口が増えてきた。もう一つのグループは19都市で、この間年平均0.9%で人口が増加している。ところが、43ある「三線都市」は、この間、年平均人口増加率はたったの0.4%でしかなかった。この間、中国の人口自然増加率が0.5%であることに鑑み、「三線都市」はすでに人口純流出状況にある。
 大都市ほど人口に対する吸引力があることは、潮流であり、政策は潮流に逆らってはいけない。
 第三に、中国では大都市の「過密」を理由に、中小都市の発展を推し進めるべきとの政策主張がある。
 しかし、先進国と比べ、中国の大都市への人口の集約はまだ低く、大都市における人口密度も決して高くはない。上海は中国最大の都市であるが、その人口規模は、全国における比率が僅か3%に満たない。これに対して、イタリアの半分の人口が8%の国土に暮らしている。アメリカの郡の数は3,000カ所にのぼるが、全国人口の半分は、244カ所の郡に片寄っている。東京都の面積は日本の国土面積のたった0.6%に過ぎないが、日本の10%の人口を抱えている。
 実際に、中国の都市を悩ませているのは人口の規模ではなく、交通インフラ水準、技術水準、そして都市の智力の水準が、先進国と比べまだ低いことである。
 大都市へ人口が集中していくことはすでに世界的な常識であり、政策は常識に反することはしてはいけない。
 第四に、そこにやって来た人には、住み続ける磁力を与えることが大都市の腕前であろう。2015年以前は、中国では「北京、上海、広州から逃げる」というフレーズがあった。しかし実際はそれに反して、中国の人口は一貫してこれらの大都市に流れていった。
 大都市ではより多くの就業機会、より高い給料、より多彩な刺激、より様々な娯楽があり、レストランでもより多くのメニューが並んでいる。中小都市は、真似ることができない。
 人は永遠に利に乗じて害を避けようとする。人々は、どこにチャンスが多いか、どこの収入が高いか、どこの生活がもっと快適で、より刺激的かを求め、流れる。もちろん、一つ大前提がある。それは、人々が自分の住処を自由に選択できるという前提である。
 より良い生活を求めて移動する、これこそが人間の本能であり、政策は人間の本能を押さえ込んではいけない。

 中国共産党第19回大会の報告で中国都市化の新しい進路が提出された。これは「メガロポリスを主体として大中小都市の協調発展を進める」ことである。
 「メガロポリスを主体とする」のは、正確かつ現実的な選択であろう。
 今日の国際経済競争はすでにメガロポリスを主体とする競争へとシフトしている。一国の経済発展も、すでにメガロポリスの発展に関わっている。アメリカでは大ニューヨーク地帯、大ロサンゼルス地帯、五大湖一帯の三大メガロポリスが、全国GDPの67%を稼ぎ出している。日本では東京、阪神、名古屋で構成する太平洋メガロポリスが全国GDPの64%を担っている。
 中国ではすでに省を単位とする行政区経済が、メガロポリス経済へとシフトし始めている。京津冀、長江デルタ、珠江デルタの三大メガロポリスを合わせた中国国土面積の5.2%にあたる地域が、全国GDPの40%を稼いだ。
 ところで、メガロポリスは、どこが主体となっているのか?
 答えは中心都市である。
 実際、都市の輻射力の強弱によって国際都市、全国的な中心都市、地域的に異なった様々なレベルの中心都市が作られている。これら中心都市をコアに、メガロポリスが形成されている。
 中心都市には、「集積が集積を呼ぶ」循環が働くゆえに発展する。中心都市の輻射力の強弱もまた集積の規模と強く関係している。
 しかし現在、中国では北京、上海のような大都市で外来人口の移住に対して厳しい抑制政策を取っている。憂慮すべきである。

 大自然には、「大樹の下に草は生えない」という現象がある。大樹の発達した根が、周囲の水分および各種養分をことごとく絡め取るだけではなく、嵩のある樹冠が陽光を遮り、足元に野草すら生えなくする。
 中心都市がもし周辺に恩恵を与えず、養分を吸い取るばかりであるなら、それを中心都市と呼ぶことはできない。
 中心都市たるものは、輻射力をもってメガロポリス、さらに世界へと恩恵を与える存在であるべきである。
 シリコンバレー創業の父、ポール・グラハム氏は、一国の中には総じて1つか2つの都市が若者の視線を集め、そこでは、国の躍動感が得られると語った。
 それはまさに日本にとっての東京であり、イギリスにとってのロンドンであり、アメリカにとってのニューヨークであり、フランスにとってのパリである。
 中国にとっては北京、上海、広州、深圳がこうした都市である。しかし、それだけではもう足りない。中国は少なくとも10カ所以上のそうした輝かしい中心都市が必要なのであろう。


[1] 郷鎮企業とは、農村で村や郷鎮が所有する「集団企業」である。

[2] 小城鎮とは、郷鎮企業の発展によって自然発生した集積である。県および郷鎮の政府所在地で十数万人から数十万人の人口規模になることもある。

[3] 中国では慣例的に国内都市を5つのランクに分けて「○線都市」と呼称する。「一線都市」は、中国を代表する北京、上海、広州、天津、深圳の5都市。「二線都市」は省都や沿海大都市など。「三線都市」は「二線」に次いで経済規模が大きい地方都市。


(『環境・社会・経済 中国都市ランキング 2017―中心都市発展戦略』に収録


プロフィール

張 仲梁(Zhang Zhongliang)

 1962年生まれ。中国管理科学研究中心副研究員、日本科学技術政策研究所研究員、CAST経済評価中心執行主任、中国経済景気観測中心主任、中国国家統計局統計教育中心主任、中国国家統計局財務司司長を歴任、2018年から中国国家統計局社会科学技術文化産業司司長。
 中華全国青年連合会委員、PECC金融市場発展中国委員会秘書長、中国経済景気月報雑誌社社長、中国国情国力雑誌社社長など兼務を経て、現在、中国市場信息調査業協会副会長を兼任。