【対談】岩本敏男 VS 周牧之(Ⅰ):パクス・アメリカーナとその行方

■ 編集ノート:東京経済大学の周牧之教授の教室では2025年11月6日、NTTデータグループ元社長の岩本敏男氏を迎え、「デジタル技術の本質」をテーマに話を伺った。対談では、パクス・アメリカーナの本質、世界の価値観が反転するパラダイムシフト、そしてアジアの時代について議論した。 

岩本 敏男(いわもと としお)
NTTデータグループ元社長
2025年11月6日、周牧之ゼミでゲスト講義する岩本敏男氏

■ 世界的なパラダイムシフト 


周牧之:本日は、私が日本のビジネスリーダーとして尊敬とする岩本敏男さんに来ていただいた。輝かしい経営実績を残しておられる岩本さんが、非常に刺激的な講義をしてくださる。

岩本敏男: 今日のタイトルは「デジタル技術の本質」だ。特に「パラダイムシフト時代におけるテクノロジーのパワー」という観点でお話したい。皆さんはどちらかというと理系ではないので、「テクノロジー」という言葉はあまり馴染みがないかもしれない。ただ、今は生成AIも含め、テクノロジーを理解しないと企業経営はもちろん、国家戦略も立てられない。そんな時代になった。
 最初に、簡単に自己紹介したい。ちょうど50年ぐらい前、当時の日本電信電話公社に入った。そこからNTTへの民営化があり、さらにNTTデータグループへと移り、現在に至る。私は一貫して、さまざまなシステムの構築、その後は営業、そしてグローバル化に携わってきた。
 今年の6月、足掛け50年勤めたNTTグループを卒業した。現在は「IT未来研究所合同会社」という会社を立ち上げ、CEO・所長という形でやっている。これまでの経験を活かし、会社を辞めた後もさまざまな会社の社外取締役や、理事長、評議員会の会長などを務めている。
 今日お話しする内容は、大きく言うと5つ。まず「世界のパラダイムシフト」から入る。
 その流れで「イノベーションとは何か」を考える。イノベーションの背景にあるのはテクノロジーだ。そこで「ITの三大要素技術」についても触れる。周先生も、半導体の法則、18カ月で倍増するという話をされていると思うが、この三大要素技術はAIも含め、すべてのテクノロジーの土台になる。

周:インテル社の創業者の一人となるゴードン・ムーアは1965年、半導体集積回路の集積率が18カ月間(または24カ月)で2倍になると予測した。これがすなわち「ムーアの法則」である。ムーアの法則を信じ、多くの技術者出身の企業家が半導体産業に投資し続けた結果、半導体はほぼムーアの法則通りに今日まで進化した。その結果、「世界のパラダイムシフト」がもたらされた。私は、この間の人類社会を「ムーアの法則駆動時代」と定義した(【論文】周牧之:マグニフィセント・セブンが牽引するムーアの法則駆動産業 ―「半導体・半導体製造装置」、「ソフトウェア・サービス」、「テクノロジー・ハードウェアおよび機器」を中心に を参照)。

岩本:さらに「情報の三階層理論」だ。「データや情報が大切だ」とはよく聞く。でも、なぜデータが重要なのか、立ち止まって考えたことはあるか。チコちゃん流に聞いてみてもいいと思うが、そこを掘り下げる。最後にAIの話まで進めたい。
 では最初に「世界的なパラダイムシフト」についてお話しする。今、世界で起きている問題として、皆さんは何を思い浮かべるか。
 挙げ始めれば、次から次へと出てくる。日本でも高市政権が発足し、トランプ大統領や習近平国家主席との会談が行われている。一方で、イスラエルとハマスの衝突、ロシアによるウクライナ侵攻、ゼレンスキー大統領とのやり取りなど、深刻な国際問題が続いている。トランプ氏にとっては関税問題も大きな争点だ。
 こうしたテーマは一つひとつ取り上げるだけでも、語り尽くせない。それほど世界では多くの出来事が同時に進行している。そんな中で、平和な日本に暮らし、美味しいものを食べ、自由に行きたい場所へ行けるという状況は、グローバルに見れば本当に恵まれている。私自身、海外を回ってきた立場から実感している。

■ パクス・アメリカーナの終焉とは


岩本:今日はその中でも、「パクス・アメリカーナの終焉」についてお話しする。皆さんはこの言葉を聞いたことがあるか。これは、第二次世界大戦後、アメリカが主導して築いてきた世界秩序、いわば「アメリカによる平和」を指す。
 実はこのイメージ図は、私が生成AI(Copilot)に30秒ほどで描かせたものだ。鷲の翼の上に女神が立つ構図だが、欧米の会議や議論では最近、「パクス・アメリカーナの終焉」という言葉が枕詞のように使われるようになっている。
 日本ではあまり使われないが、欧米では共通認識になりつつある。アメリカが築いてきた世界秩序が大きな転換点を迎え、しかもその秩序をアメリカ自身、特にトランプ大統領が壊し始めている。この事実をどう捉えるかが重要だ。
 写真で私と並んでいる人物は非常に有名なアメリカ人で、「ロス・ペロー(Ross Perot)」だ。彼を知らないアメリカ人はほとんどいないだろう。私と身長がほぼ同じで、個人的には親近感を覚えるが、彼は1962年にEDSというソフトウェア企業を創業した。これは、現在のNTTデータのような会社で、当時はIBMのコンピュータを使いながら、数多くの業務システムを構築し、アメリカでトップクラスの企業に成長した。
 彼が一躍有名になったのは1979年のイラン革命だ。アメリカ大使館員を含む100人以上が人質となった事件は有名だが、それより約1年程前、EDSの社員が逮捕された事件が起こった。当時はベトナム戦争が終結した直後で、多くの退役軍人がアメリカ国内にいた。ロス・ペローはある将軍を雇い、私設の軍事組織を編成し、イランへの人質救出作戦を実行した。
この作戦は見事に成功し、その後テレビドラマ化された。タイトルは『On Wings of Eagles(鷲の翼に乗って)』。先ほどのAI画像は、これをヒントに生成させたものだ。
 その後、ロス・ペローはEDSをゼネラル・モーターズ(GM)に売却する。取締役としてしばらく残るが、1988年に再び自らPerot Systems(ペロー・システム)を創業した。さらに彼は、1992年と1996年の2度、共和党でも民主党でもない立場で大統領選挙に出馬した。選挙人は獲得できなかったが、1992年には得票率10%以上を獲得し、大きな話題となった。

パクスアメリカーナ 岩本敏男

■ パクス・アメリカーナを支えた要素


岩本: 「パクス・アメリカーナ」とは何かを、主な要素に分けて整理してみたい。
 まず、戦後直後、つまり1945年以降に確立されたのが「米ドルの基軸通貨体制」だ。金1オンス=35ドルと定められ、米ドルが世界の基軸通貨となった。それ以前の基軸通貨は英ポンドだった。現在も当たり前のように感じている米ドル中心の金融体制は、パクス・アメリカーナの大きな柱だ。
 二つ目は「国際連合の設立」だ。国連は、第二次世界大戦への強い反省から「二度と世界大戦を起こさない」ために、アメリカ主導で作られた。ただし、常任理事国5カ国の拒否権という仕組みは、現在も大きな課題として議論されている。理念は立派でも、実効性が伴っていないという指摘は少なくない。
 三つ目は「自由貿易体制」だ。皆さんはGATT(ガット)という言葉をあまり聞かないかもしれないが、かつてはガット・ウルグアイラウンドなどが盛んに議論されていた。その後、問題点を踏まえてWTOへと移行し、2000年前後には中国も加盟した。関税をできるだけ下げ、自由貿易を推進してきたのも、アメリカ主導の世界秩序だった。
 四つ目は「圧倒的な軍事力」だ。軍事費、兵器の質と量のいずれを見ても、依然としてアメリカは世界トップだ。中国が追い上げているとはいえ、質的な面ではまだ大きな差がある。
 さらに、「科学技術の革新力」も重要だ。インターネットはアメリカ発祥であるし、最近では新型コロナウイルスのワクチンもアメリカで開発された。
 経済面では、統計の取り方にもよるが、GDPの世界シェアは約26~27%と、依然として最大だ。中国が第2位、日本はドイツやインドに抜かれる可能性が語られるなど不安な話もあるが、経済的覇権はまだアメリカにある。
 また、「覇権的外交」に加え、「文化的影響力」も無視できない。私たちの世代は、ニューヨークやロサンゼルス、ハリウッド映画やアメリカのポップミュージックに強く憧れた。「アメリカに行きたい」という気持ちは、多くの若者を魅了していた。
 現在もシリコンバレーには世界中から人が集まるが、一方でサンフランシスコは治安が悪化し、ホテルから「夜6時以降は外出しないでください」と言われるような状況だ。それでも、戦後アメリカが中心となって築いてきた世界秩序がパクス・アメリカーナだ。
 問題は、その体制がまだ80年しか続いていない段階で、トランプ氏自身がそれを壊し始めているように見える点にある。

周:1971年の「ニクソン・ショック」でドルと金の交換が停止された後、アメリカはドルの価値を支える新たな「錨」が必要だった。1974年、当時のヘンリー・キッシンジャー国務長官が主導したサウジアラビアとアメリカの石油取引を米ドルで行う仕組み(ペトロダラー体制)は、締結された他の産油国も追随し、世界中の国々が石油を買うためにドルを必要とする「ドルの覇権」が確立された。しかし、上記の「協定」は2024年6月に期限を迎えた後更新されず、サウジアラビアがBRICSへの加盟や多通貨決済へ動いている。「米ドルの基軸通貨体制」が歴史的な転換点を迎えている。
   第二次トランプ政権発足後、アメリカは、パリ協定(気候変動)、世界保健機関(WHO)、国連人権理事会(UNHRC)、ユネスコ(UNESCO)、国連気候変動枠組条約(UNFCCC)、国連人口基金(UNFPA)、国連女性機関(UN Women)、国連大学など66の国際組織・条約から脱退した。アメリカは自ら国連中心の国際秩序を破壊している。
   さらにトランプの貿易戦争による各国への高関税の乱発は、「自由貿易体制」を揺るがしている。
 「科学技術の革新力」も中国の追い上げに見舞われている。華為(ファーウェイ)を始めとする中国のテック企業への制裁は、アメリカの危機感を表している。
   そうした意味では、パクス・アメリカーナは急激に変質してきている。

岩本敏男

■ パクスの系譜:世界秩序をつくる力とは


岩本:パクス・アメリカーナの原点は「パクス・ロマーナ」にある。「パクス」とは、古代ローマ神話における平和と秩序の女神パクスに由来する。パクス・ロマーナとは、紀元前27年に即位したアウグストゥス帝から、アウレリウス帝まで、約200年間続いたローマ帝国の安定と繁栄の時代を指す。戦争が皆無だったわけではないが、強大な軍事力と行政力によって秩序と平和が保たれていた。
 この後、「パクス〇〇」という言葉が再び使われるまで、長い時間が空く。その次が「パクス・ブリタニカ」だ。1815年のナポレオン戦争終結から、1914年の第一次世界大戦開戦までの約100年間、大英帝国は世界の海を支配し、広大な植民地を持つ覇権国家だった。
 パクス・ブリタニカの基盤となったのは、18世紀にジェームズ・ワットが改良した蒸気機関に象徴される圧倒的な生産力だ。「世界の工場」としての地位が、海軍力と軍事力を支えた。その結果、英語は世界の共通語となった。
 世界秩序をつくる力とは、単に軍事や通貨だけでなく、産業力や文化、言語にまで及ぶ。ドルが基軸通貨になったのはパクス・アメリカーナの時代だが、英語が基軸言語となったのは、パクス・ブリタニカの遺産だと考えるべきだ。イギリスは法律制度の面でも世界に大きな影響を与え、これもパクス・ブリタニカの重要な要素だった。
 さて、「パクス・アメリカーナ後の世界はどうなるのか」という問いを、私は各地でよく投げかけられる。「終わりつつあるのは分かった。では次はどうなるのか、教えてほしい」と。正直に言えば、それが分かるなら、私は今ごろ世界をリードする役割を担っているだろう。それほど、パクス・アメリカーナ後の世界は誰にも分からない。
 トランプ氏自身も分かっていないだろうし、高市さんも同様だと思う。ただ、世界中、とくにヨーロッパの首脳たちが、アメリカ主導の国際秩序が失われた後、「これからどうするか」を真剣に議論している。

周:「パクス・ロマーナ」、「パクス・ブリタニカ」、そして「パクス・アメリカーナ」の本質は、強大な軍事力で帝国の繁栄をもたらす秩序の創出と維持である。決して平和を維持するものではない。帝国は周辺諸国から富を吸い取る秩序を作り出すため、戦争を辞さない。
   第二次大戦後現在までの80年間、アメリカが海外で軍事介入や紛争に関与していなかった期間は、実質「0年」だ。アメリカ議会調査局(CRS)等によると、第二次大戦後、アメリカは100カ国以上で正規戦、空爆、特殊作戦、政権転覆工作など軍事介入をしてきた。1991年から2022年までの間だけでも、海外で250回以上の軍事介入を実施した。
   パクス・アメリカーナ後は、他国を吸い取るような帝国が存在しない世界が目指されるべきだろう。

パクスロマーナ 岩本敏男

■ 世界の中心がアジアに?


岩本: その一つのヒントとして紹介したい人物がいる。フランスの思想家・経済学者である「ジャック・アタリ(Jacques Attali)」だ。日経新聞にも年に数回寄稿している。彼はミッテラン政権で約10年間顧問を務め、1991年には欧州復興開発銀行の初代総裁も務めた。約10年前に著した『21世紀の歴史』の中で、興味深い見方を示している。
 私は彼の考えすべてに賛成しているわけではないが、未来を考えるヒントとしては非常に示唆的だ。アタリは、過去900年間における「世界の中心都市」をプロットした。ベルギーのブルージュから始まり、アントワープ、アムステルダム、そしてヨーロッパではロンドンへ。これがパクス・ブリタニカの時代だ。その後、中心は大西洋を渡り、ボストン、ニューヨーク、ロサンゼルス、そして現在で言えばシリコンバレーへと移っていく。
 彼によれば、この900年の間に世界の中心は9つの都市を移動してきたが、どの都市の繁栄も最長で150年しか続いていない。パクス・アメリカーナは約80年で終焉を迎えようとしているが、アメリカで反映している都市もいずれ150年以内に次の中心へ移る。しかも、中心は一貫して東から西へ動いている、というのだ。
 ロサンゼルスまで来た以上、西へ進めば太平洋を越えるしかない。つまり、次はアジアに移る可能性がある。私はアタリの説を全面的に支持しているわけではないが、「22世紀がアジアの世紀になる可能性は極めて高い」と考えている。
 皆さんは20歳前後ですから、ぎりぎりその時代を生きる人もいるかもしれない。もしそのとき、私の話が当たっていたら、「昔、岩本さんがそんな話をしていた」と思い出してもらえるかもしれない。
 問題は、アジアのどこが中心になるかだ。東京であってほしいとは思うが、北京、南京、ジャカルタ、あるいはニューデリーやムンバイ、アーメダバードかもしれない。正直、どこになるかは分からない。
 ただ理由は明確だ。アジアは圧倒的な人口増加を続けている。インドはすでに14億人を超え、中国を上回った。インドネシアも3億人以上だ。アフリカにも大きな人口があるが、文化的・社会的成熟にはもう少し時間がかかるとすれば、次の主役はまずアジアになる可能性が高い。つまり、次の時代はヨーロッパでもアメリカでもないかもしれない。
 皆さんは、大学を卒業した後、そのアジアの時代をつくる側に回る。私は、皆さんにはそんなミッションがあると思っている。

周:ジャック・アタリはあくまで欧米中心の文明史観だ。8世紀、シルクロードで繁栄を謳歌した唐王朝初の長安はすでに100万の人口を誇る世界最大の都市だった。アタリ氏が言う900年前だとすると、世界最大の都市は北宋の都、開封で、その人口規模も100万人以上とされる。15万以上の人口を抱えていた平安京の京都も、世界有数の大都市だった。まさしくアジアの時代だった。当時ヨーロッパでは大都市であっても数万人の規模だったようだ。アタリ氏が取り上げたベルギーのブルージュの人口規模は5,000人〜数万人と推定される。決して世界の中心都市だったわけではない。
 1950年、世界で人口1,000万人を超えるメガシティはアメリカのニューヨーク(ニューアークを含むニューヨーク都市圏)と日本の東京(東京大都市圏)の2つしかなかった。しかし2015年には、29都市に激増し、その大半はアジアの都市だ(【メインレポート】周牧之:メガロポリス発展戦略 を参照)。ゆえに私はアジアの時代はすでに再来したと思っている。メガシティとしてのアジア勢力の台頭は、まさしくパラダイムシフトを象徴している。
   アジアが生み出す巨大な富が「パクス・アメリカーナ」下のアメリカの繁栄を支えている。一方、アメリカは、力をつけてきたアジアに危機感を抱いている。

世界の大都市分布と各地域の都市化率(2015年):【メインレポート】周牧之:メガロポリス発展戦略

■ 世界の価値観が反転するパラダイムシフト時代


岩本:先ほど「パラダイムシフト」という言葉を使ったが、将来の歴史家が振り返ったとき、「2010年から2030年頃までの約20年、特にこの10年余りは、大きな歴史的転換点だった」と評価されるかもしれない。今まさにその渦中に私たちはいる。
 パラダイムシフトとは、これまで当たり前だと思っていた価値観や認識が、一気に変わることを意味する。少し率直に言えば、私が子どもの頃、小学校や中学校では「男の子は男の子らしく、弱い女の子を守るものだ」という価値観が普通にあった。今では、むしろ女性の方がずっと強いのではないかと思う場面もあるが、当時の価値観をそのまま口にすると、ジェンダーの問題として批判されてしまう。善悪を論じたいわけではなく、価値観が大きく変わったことは事実だ。
 さらに時代をさかのぼれば、江戸時代から明治に移る頃、男性はちょんまげに刀を差していた。それを捨て、ざんばら髪になっただけでも、当時の人々にとっては強烈なカルチャーショックだったはずだ。しかし日本は、そうした大転換を乗り越えてきた。
 この10年ほどの動きが大きいと感じる理由は、SDGsやカーボンニュートラル、パリ協定、京都議定書などに象徴されるように、経済や社会構造そのものを変えようとする時代に入ったからだ。そこに、新型コロナウイルスのパンデミックが重なり、世界に極めて大きな衝撃を与えた。
 さらに、ロシアのプーチン大統領によるウクライナ侵攻も決定的だった。ロシア側には彼らなりの理論と「正義」があるが、私たちから見れば到底受け入れられない。それでも、そうした行動が現実に起きている。同様に、イスラエルのネタニヤフ首相によるガザ地区での行動も、極めて苛烈で無謀に見えるが、イスラエル側にはイスラエルの「正義」があると主張されている。こうした出来事が重なり、地政学リスクが一気に顕在化した。
 そして極めつけは、トランプ氏の大統領就任だ。これまでの価値観や常識にほとんど縛られない人物が大統領になったことで、アメリカ社会の分断は一気に表面化し、極めて深刻なものになっている。いまや、ニューヨークでは初のイスラム教徒の市長が誕生し、自らを「民主社会主義者」と名乗っている。これをアメリカ国民すべてが受け入れているかといえば、決してそうではない。
 こうした世界の変化を、日本の比較的平和な環境にいる私たちも、他人事としてではなく、しっかりと受け止める必要がある。

周:露骨に軍事という「暴力」で自分の「正義」を主張することが激しくなった。これもパクスアメリカーナの終焉の象徴だ。

■ 社会構造の変化がもたらす民主主義の揺らぎ


岩本:私がまだ若い頃、ニューヨークは強い憧れの街だった。ただし当時は「ウエストサイドには行くな」とよく言われていた。皆さんも『ウエストサイド・ストーリー』というミュージカルを聞いたことがあるかもしれないが、実際に私も男友達と二人で昼間に歩いたことがある。正直、かなり怖かった。集団で固まっている人たちがいて、目がうつろで、麻薬をやっているのではないかと思うような雰囲気だった。昼間でも、20〜30代の男性二人が歩いていて恐怖を感じる場所だった。
 ところが今では、そうした場所はすっかり姿を変え、高層ビルが立ち並ぶ街になっている。まさに、パラダイムシフトが現実に起きている時代だと言えるだろう。
 当然、それに伴って社会構造も大きく変化している。先ほど触れたSDGsやパンデミック、カーボンニュートラルといった課題もその一例だ。18世紀にジェームズ・ワットが蒸気機関を発明して以降、人類は工業化を一気に進め、生活は飛躍的に便利になった。ニューヨークへも世界中どこへでも、短時間で行けるようになった。しかしその一方で、地球環境に対して多くの負荷を与えてきたのも事実だ。
 地球は本来、復元力の高い美しい惑星だが、人類はその回復能力を超える負荷をかけ、不可逆的な変化を引き起こしてしまった。これを修復するためには、技術開発だけでなく、社会規範の見直しが不可欠だと私は思う。
 さらに新型コロナウイルスは、私たちの生活様式を大きく変えた。「集まらない」「密を避ける」という制約の中で、在宅やオンライン中心の社会が進み、会社と社員の関係性も変化した。皆さんはまだ実感がないかもしれないが、日本では長く、大学卒業後に一つの企業に入り、その文化を学び、製品やサービスへの誇りを持ちながら自分の価値を高めていく、という生き方が理想とされてきた。
 しかし今、そのモデルは大きく揺らいでいる。よく言われる「ジョブ型雇用」と「メンバーシップ型雇用」の議論だ。私はグローバルに仕事をしているが、アメリカでは優秀な人ほど2〜3年で転職する。より良い条件やポジションがあれば移る。その間は会社に全力を尽くすが、キャリアは常に流動的だ。日本で言われるジョブ型雇用とは、実はかなり意味が異なる。この違いを理解せずに導入すると、日本の良さが失われかねない。
 日本には、1400年以上続く金剛組をはじめ、100年以上続く企業が数多くある。これは世界的にも突出した特徴だ。なぜ日本には長寿企業が多いのか、その背景を深く考える必要がある。
 もう一つ、私が強く懸念しているのは、世界的な分断と民主主義の揺らぎだ。かつて日本は「総中流社会」と言われた。極端な富裕層や貧困層は少数で、9割近くが中流として安定した生活を送っていた。この構造が戦後日本の原動力だった。しかし今、日本でもその前提が崩れ始めている。欧米ではすでに深刻だが、日本も例外ではない。

周:分断と民主主義に関しては、格差が拡大する中で中流階級から脱落した人々の、利益を代弁する政党の不在は大問題だ。アメリカでは本来これは民主党の役割だったが、民主党は金持ち政党へと変質した。共和党のトランプはMAGA(Make America Great Again)を叫び、ラストベルトの人々の代弁者のようにして選挙に勝ち抜いた。しかし金持ちのトランプはこうした人々の代弁者では決してない。
 日本の場合は、左派政党の自滅により底辺の人々への想いが薄れているようだ。公明党だけが立場の弱い人々の受け皿になろうとしている。
 グローバルとテクノロジーの時代に、取りこぼされている人々をきちんと世話しなければアメリカのような分断社会になりかねない。

■ イノベーションとは自然科学と人文・社会科学の「総合知」


周:パラダイムシフトの背後に、大きなイノベーションの波がある。

岩本:そこで「イノベーションとは何か」をお話ししたい。本当はチコちゃん流に「イノベーションって何?」と聞いて「Don’t sleep through life!」と言ってみたいところだ。イノベーションとは何だろう。
 日本がイノベーションを日本語訳したときに、少し間違いが起こったのかもしれない。ここで紹介するのはアルビン・トフラーだ。1980年に『The Third Wave(第三の波)』を書いた。私は1976年に電電公社に入っているので、その4年後に貪るように読んだ記憶がある。この日本語訳は、日本放送出版協会(NHK出版)から刊行されており、あの有名なアナウンサー、鈴木健次さんも訳者の一人だった。
 第三の波とは、人類が狩猟生活(Society1.0)から1万年ほど前の農業革命で定住し、農耕社会(Society2.0)ができた。これが第一の波で、18世紀の蒸気機関を端緒に産業革命が起こって工業社会(Society3.0)に入る。これが第二の波になる。電気、飛行機など、生産力の飛躍的発展で豊かな生活が可能になった。その次の第三の波が情報通信革命だ。インターネットが生まれコンピュータのパワーが全盛期になる、現在われわれが暮らしている情報社会(Societ4.0)だ。

周:『第三の波』が中国で刊行された時、私はオートメーション専攻の大学生だった。情報化社会の有り様を預言するこの本を夢中で読み返した。のちに中国で成功した工学出身の起業家らの話を聞くと、みんなこの本に影響されたと言う。

岩本:そして、日本政府が言い出したのが「Society5.0」だ。リアルな世界とサイバー空間をシームレスに結び、人々が抱える課題を解決する社会を目指す。これを唱えたのは2016年で、内閣の閣議決定をされた第5期(2016年〜2020年)科学技術基本計画に基づき、目指すべき未来社会の姿がSociety5.0として定義された。
 2016年、今から約10年前のことだ。科学技術基本計画は5年ごとに策定されるが、2021年に第6期計画が作られる1年前、大きな転換があった。それは、科学技術基本法が25年ぶりに大改正され、法律名に「イノベーション」が加えられたことだ。こうして「科学技術・イノベーション基本法」となり、2021年3月には「第6期科学技術・イノベーション基本計画」が閣議決定された。
 この計画はSociety 5.0の考え方を引き継いでいる。イノベーションの定義については、経済産業省が示したものがあるが、特に重要なのは「経済社会に大きな変化を創出すること」という点だ。
 イノベーションは、単なる技術革新だけでは不十分であり、自然科学の「知」と人文・社会科学の「知」を融合した「総合知」が必要だとされる。つまり、理系だけでなく、文系の皆さんにとってもイノベーションは不可欠であり、自ら起こしていかなければならないものだ。

■ シュンペーターの視点「成長と発展は別もの」


岩本:イノベーションを語る際、必ず紹介する人物がいる。約100年前の経済学者、「ヨーゼフ・シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter)」だ。彼はオーストリア=ハンガリー帝国時代、現在のチェコ周辺で生まれた。1912年に著した『経済発展の理論』の中で、「成長(Growth)」と「発展(Development)」を明確に定義している。
 グロースは、植物が芽を出し成長し、花を咲かせ実を結ぶような量的拡大だ。経済で言えばGDPの増加などがこれに当たる。一方で、日本ではあまり意識されていないのがディベロップメントだ。これは単なる「開発」ではなく、「質的な変化を伴う発展」を意味する。研究開発(R&D)も、この本来の意味では質的進化を指す。
 SDGs(持続可能な開発目標)の「ディベロップメント」も同じだ。多くの場合「開発」と訳されるが、本質は「質的に向上する発展」だ。サステナブルとは、単に永続することではなく、「次の世代の権利を損なうことなく、今の課題を解決すること」だと定義する人もいる。これは非常に本質的な考え方だ。
 日本の財政は現在、GDPの2倍を超える債務を抱えている。積極財政は必要な場面もあるが、借金はいずれは返済しなければならない。最近は「実質的債務」という言い方もされるが、海外資産と借金を単純に相殺できるわけではない。この点について、私は必ずしも楽観的ではない。
話を戻すと、シュンペーターはグロースとディベロップメントの違いを明確に示した。これは今でも極めて重要な視点だ。さらに彼は、イノベーションの本質を「新結合」にあると述べている。その具体例として、5つの類型を挙げた。
 第一は、新しい財やサービスの創出。ウォークマンやインターネットの登場が典型例だろう。
 第二は、革新的な生産技術。フォードの流れ作業による大量生産は、車を安価に普及させた。
 第三は、新しい販売チャネルやマーケティング。Amazonは、ネットを使ってロングテールの少数需要を集めることで成功した。
 第四は、新しい原材料。航空機は金属から炭素繊維へと進化し、軽量かつ高強度を実現した。レアアースも重要な原材料の一つだ。
 第五は、新しい組織。これは「仕事のやり方を変えること」と言い換えると分かりやすい。
 シュンペーターが100年前に示したこの考え方は、時代を超えて今なお有効なイノベーションの本質だと言える。

周:世界知的所有権機関(WIPO)のグローバル・イノベーション・インデックス(GII)2025によると、科学論文数、PCT国際特許出願数、ベンチャーキャピタル投資案件数の三つの指標で評価する世界の科学技術クラスターのトップ5の中の4つが、アジアの地域だった。第1位は深圳-香港-広州、第2位東京-横浜、第3位サンノゼ-サンフランシスコ、第4位北京、第5位ソウルだ。つまり今日のアジアは工業生産だけでなくイノベーションにおいてもすでに圧倒的なパワーを誇示している。
 アジアの再興はパクス・アメリカーナ終焉後の行方を示唆している。

■ 持続的・破壊的イノベーションを探る「両利きの経営」


岩本:イノベーションの話でもう一人、ぜひ紹介したい人物がいる。クレイトン・クリステンセンだ。2020年、67才で亡くなったが、彼が提唱した有名な概念が「イノベーションのジレンマ」だ。
 イノベーションのジレンマとは、「持続的イノベーション」と「破壊的イノベーション」の間に生じる矛盾を指す。持続的イノベーションとは、既存の製品やサービスを改良し、性能や品質を高めていくことだ。多くの企業は、市場ニーズに応えるため、製品を小さくする、性能を上げる、サービスを改善するなどを継続的に行う。これは当然、必要な取り組みだ。
 一方で重要なのが、破壊的イノベーションだ。これは従来の延長線上にはない、まったく新しいやり方で価値を生み出す。本来はこれにも取り組むべきだが、実際にはなかなかできない。なぜなら、企業の中では「コストが高すぎる」「今は市場がない」「商売にならない」といった否定的な意見が出やすく、開発が途中で止まってしまうからだ。これがイノベーションのジレンマだ。
 分かりやすい例が、写真フィルムの世界だ。かつては銀塩フィルムが当たり前で、富士フイルムやコダックは高性能なフィルムを改良し続けていた。デジタルカメラやスマートフォンは、当初は画質も悪くコストも高かったため、相手にされなかった。それでも技術は急速に進化し、結果として写真の主流は完全にデジタルへ移行した。
 富士フイルムはこの変化を受け入れ、化粧品や新素材など新たな事業へ転換した。一方、対応が遅れたコダックは経営破綻を経験した。これこそが、クリステンセンの言うイノベーションのジレンマだ。
 この問題に対し、解決策を提示したのがスタンフォード大学のチャールズ・オライリー教授だ。2016年、ハーバードビジネススクールのマイケル・タッシュマン教授と共に『Lead and Disrupt』を発表し、持続的イノベーションと破壊的イノベーションの両立が必要だと主張した。
 この考え方は、日本では入山章栄教授によって「両利きの経営」と訳された。非常に秀逸な訳だ。両利きの経営とは、「知の深化(Exploitation)」、つまり持続的イノベーションを続けながら、「知の探索(Exploration)」、すなわち破壊的イノベーションを意識的に探すことだ。
 多くの企業は、既存の強みを磨き続けるあまり、新しい挑戦を潰してしまう。これを「コンピテンシー・トラップ」と呼ぶ。この罠を避けるためには、意識的に両利きの経営を行う必要がある。
 入山教授は、日本の経営者の任期が短すぎるとも指摘している。4〜6年では腰を据えた改革は難しく、赤字覚悟で新分野に投資する判断ができないという。社長の「センスメイキング」、つまり状況を正しく読み取り判断する力が重要という点には、私も同意する。
 いずれにせよ、知の深化と知の探索をどうバランスさせるか。これは非常に難しい課題だが、企業が成長し続けるためには避けて通れない。

周:自動車産業からイノベーションのジレンマを見ると日本企業は、燃費や品質などの「持続的イノベーション」に長けている。しかし、EVやAIによる自動運転などの「破壊的イノベーション」に弱い。テスラやBYD等のEV新興勢力の急拡大により今、日本の自動車産業は危機的な状況に陥っている。
 「日本の経営者の任期が短すぎる」ことは確かに問題だ。ただ、それ以上に世界的に見れば極めて異質な「サラリーマン経営者体制」は、日本企業のリスクテイクに大きな問題をもたらしている。
 一昨年ゲスト講義に招いた日本経済研究センター元会長小島明さんは、「日本では、上場も非上場企業もバブルがはじけた後に怪我せずリスクを取らず、生き残った人が企業のトップになった。人事部、管理部など内部をやった人たちだ。新しいアイディアが下から来ると、マイナスだ、危険があると列挙し、やってみなければわからないのに可能性を考えずネガティブなことばかり挙げる。技術のリスクは、例えば海外で鉄鋼生産、造船、自動車などそれぞれの国が既にリスクをクリアした産業を、日本が導入した。だから先行した国の後で動かせばいいだけだった。リスクテイクはしなかった。今、日本はリスクというとネガティブにとらえ背を向けて逃げる。オーナー企業の経営者には一部まだリスクテイカーがいるが…(【対談】小島明 Vs 周牧之(Ⅰ):何が「失われた30年」をもたらしたか? を参照)」と痛烈に述べた。だから、岩本さんはリスクテイクする稀有なサラリーマン社長だった。


プロフィール

岩本 敏男(いわもと としお)
NTTデータグループ元社長

1976年日本電信電話公社入社。2004年NTTデータ取締役決済ソリューション事業本部長。2005年NTTデータ執行役員金融ビジネス事業本部長。2007年NTTデータ取締役常務執行役員金融ビジネス事業本部長。2009年NTTデータ代表取締役副社長執行役員パブリック&フィナンシャルカンパニー長。2012年からNTTデータ代表取締役社長を務め、海外でのM&Aなどを進めて2018年には売上2兆円を突破した。同年NTTデータ相談役に退き、保健医療福祉情報システム工業会会長に就任。2019年日本精工取締役、IHI監査役。2020年大和証券グループ本社取締役。2022年JR東日本取締役。2023年三越伊勢丹ホールディングス取締役。