【コラム】横山禎徳:中心都市の「移動」戦略


横山 禎徳
県立広島大学経営専門職大学院経営管理研究科研究科長、東京大学総長室アドバイザー、マッキンゼー元東京支社長


 ロシアのプーチン大統領が、かつてサンクトペテルブルグの副市長で、まだ無名であった時、初めて日本に来た。彼は日本の新聞記者にいつものありきたりの質問、すなわち、日本の印象はどうかと聞かれて、「都市に切れ目がない」と答えた。それを聞いてとても新鮮に感じたことを覚えている。たぶん、東海道新幹線の車窓から外を眺めての感想であろう。

 確かにロシアでは都市と都市の間はうっそうとした森林であることが多い。しかし、日本では、俗に言う東海道メガロポリスという国土の10%に満たない地域に約半分の人口が住んでいる。人工衛星からとった夜の日本列島の写真を見ると、東京-名古屋-大阪間の地域がひときわ煌々と輝いているのが見て取れる。

 また、筆者は1時間程度の通勤圏をGTMA(Greater Tokyo Metropolitan Area)と定義しているが、そこには日本の人口の3割程度が住み、日本のGDPとPFA(Personal Financial Asset:個人金融資産)の4割程度が集中している。都市化が世界中で進んでいるというのは周知の事実だ。しかし、これほどの巨大な都市圏が出現するとはだれも想像していなかったかもしれない。

 東海道メガロポリスとGTMAの形成を促進したのは交通システムの貢献が大きいであろう。20世紀の初頭、それまでの折衷主義のアンチテーゼとして機能主義が主張された。様式よりも機能を重視すべきだという主張である。その際、都市の機能は「住む」「働く」「遊ぶ」という考えが提示された。しかし、オーストラリアの首都キャンベラなどの経験をもとに、この3つでは魅力的な都市はデザインできないということが明白になった。その問題に答える模索が行われた。20世紀の半ば頃、都市の機能はもっとあるのではないかということが言われ、日本では磯崎新が「出会う」、黒川紀章が「移動する」を都市の機能に加えるべきだと主張した。その後、「出会う」は大阪万博の「出会いの広場」で見事に失敗した。一つのパビリオンから次のパビリオンに急ぐ多くの入園者はその広場を対角線に突っ切るだけで、人と人は出会わなかったのである。

 しかし、黒川紀章の主張した「移動する」は確かに都市の重要な機能であるかもしれない。東海道メガロポリスでは東海道新幹線、GTMAではJR山手線がその機能を担っているのではないだろうか。東海道新幹線は汽車ではなく、それまでに世界に存在していなかった、すべての車両にモーターが付いている高速電車システムという技術革新であったが、JR山手線はとりわけ新しい技術ではなかった。しかし、哲学的と言ってもいい発想の転換であった。すなわち、CBD(Central Business District)という都市活動の中核を「点」から「円」に拡大したのである。それによって、東京は物理的なサイズがそれほど大きくないにもかかわらず、都市の活動の多様性と密度が拡大したのである。その意味で、世界の都市デザインにおける成功例の一つであろう。

 東京のCBDは明治以降、東京駅と皇居の間の丸の内地区であった。その後、郊外に拡大していく通勤客を対象にした私鉄が勃興した際、すべての私鉄は東京駅に乗り入れることを望んだのである。それに対して、当時の鉄道省は、お雇い外国人であったドイツ人技師が提案し、お蔵入りになっていた、皇居の周りにある東京駅、東北本線の上野駅、中央本線の新宿駅、東海道本線の品川駅という当時の既存の駅を環状に結んだ山手線の案を思い出し、私鉄各社に、東京駅ではなく、この環状線のどこかに接続するように命じたのである。それによって、既存の駅に加えて、新たに池袋、渋谷、大崎などの駅が追加のモーダルチェンジ・ポイント、すなわち、国鉄と私鉄との乗換駅として出現した。そして、それらの駅の周辺が経済活動密度の高い拠点となったのである。すなわち、普通は都市に一つしかないCBDが沢山できたことになった。

 山手線は一周が1時間である。ということは目的の駅まで30分以内に行けるということであり、心理的に許容できる範囲である。しかも環状であるから終点がなく、乗降客数も確保しやすい。ちなみにボストンは20世紀初頭には最高の地下鉄網を持っていたが、その後1960年代まで衰退を続けていた。末端の支線の乗降客が確保できなくなり廃止になるとその先につながっている本線の客も減るという悪循環に陥っていたのだ。その後回復基調にあったが、井桁状にCBDで交差する4つのラインのうち、ハーバード・スクエアを終点としていたレッド・ラインを延長し、環状線とした。自動車中心の都市化を進めてきたアメリカの都市としては珍しい展開だ。しかし、東京のようなモーダルチェンジ・ポイントとしての機能はないという意味で都市の展開は違うようだ。

 このような「移動する」という機能の大発展が都市にもたらしているのが大気汚染である。これはどこの大都市でも大問題だ。東京に比較的その問題が少ないのは、1970年代に排ガス規制を進めたこともあるが、基本的にはモーダル・チェンジがうまく機能するマス・トランスポーテーションが発達していることの貢献度が高いからだろう。しかし、ドア・トゥ・ドアの便利さはなく、通勤地獄の抜本的解消もむつかしい。しかも、今の規模のGTMAにとっては環状線が円ではなく点に近くなっているという制約が出てきている。

 今後は都市の大気汚染の対策として電気自動車を推進するのであろうが、「電気自動車」ではなく、からEPMS(Electric People Mover System)ととらえるべきであろう。自動車の概念にとらわれた、現在の自動車中心の交通システムにおける道路網を前提にするのではなく、もっと自由なライト・オブ・ウェイを活用する交通システムになるであろう。それによって、ドア・トゥ・ドアの利点と、マス・トランスポーテーションの便利さとを連結し、しかも、排気ガスのない都市内、都市間交通網が出来上がってくるであろう。新たなモーダルチェンジ・ポイントも出現し、そこで出来上がる都市の活動ミックスも大きく変わるかもしれない。そのようなことを組み込んだ都市デザインの革新が求められている。


 モータリゼーションがかつてアメリカにおいてCBDの衰退とドーナツ現象を引き起こしたことは記憶に新しい。ここで言うEPMSはそれを避けることができるのであり、そのようにEPMSの展開をもとに都市の中心部であるCBDの変革をデザインし、それらの多くのCBDが東京の環状線とは異なった形態の拡大可能なネットワークを組むように発展を続けていくように仕組むことで、広域経済活動の健全な拡大を進めることができるであろう。


(『環境・社会・経済 中国都市ランキング 2017―中心都市発展戦略』に収録


プロフィール

横山 禎徳 (よこやま よしのり)

 1942年生まれ。東京大学工学部建築学科卒業、ハーバード大学デザイン大学院修了、マサチューセッツ工科大学経営大学院修了。前川國男建築設計事務所を経て、1975年マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し、同社東京支社長を歴任。経済産業研究所上席研究員、産業再生機構非常勤監査役、福島第一原発事故国会調査委員等を歴任し、2017年より現職。

 主な著書に『アメリカと比べない日本』(ファーストプレス)、『「豊かなる衰退」と日本の戦略』(ダイヤモンド社)、『マッキンゼー 合従連衡戦略』(共著、東洋経済新報社)、『成長創出革命』(ダイヤモンド社)、『コーポレートアーキテクチャー』(共著、ダイヤモンド社)、『企業変身願望−Corporate Metamorphosis Design』(NTT出版)。その他、企業戦略、 組織デザイン、ファイナンス、戦略的提携、企業変革、社会システムデザインに関する小論文記事多数。

【コラム】森本章倫:コンパクトシティとスマートシティ


森本 章倫
早稲田大学教授、博士(工学)


1.未来都市の形

 未来都市とはどのような都市像を思い描くであろうか。エベネザー・ハワードは1898年に理想的な都市として、住宅が公園や森に囲まれた緑豊かな田園都市を提唱した。また、ル・コルビジェは「輝く都市」(1930年)の中で、林立する超高層ビル群とそれによって生み出されたオープンスペースによる都市像を示した。全く異なる都市像ではあるが、どちらも当時の急激な都市化によって生じた都市問題を解決する手法として提案された。それから1世紀近くが経過し、当時提唱された都市像は、現在の大都市の都心部や郊外都市などでその片鱗をうかがうことができる。

 20世紀の都市では、産業革命以降の様々な科学技術の進歩が都市の生産性を大幅に向上させ、急激な人口増加や都市部への人口流入が続いた。特に自動車の出現は、人々の日常生活を大きく変化させ、緑豊かな郊外に向けての住宅開発が豊かな都市生活を実現させた。しかし、一方で郊外への無秩序なスプロールは、都市構造にも大きな影響を与えた。過度に自動車に依存した都市では、道路渋滞や交通事故などの交通問題が大きな社会問題として捉えられ、現在でもその解決策が講じられ続けている。その対策はかなり早い段階で議論され、例えば近隣住区論(1924年)では、自動車を前提とした安全な居住地区の整備が提案された。その後も自動車と居住環境の望ましい関係を模索する様々な都市像が提案され、世界各地で多くのモデル地区が出現している。

 21世紀に入り、我が国の人口増加はピークに達し、人口減少時代を迎えている。また、環境問題が地球規模で議論されるようになり、理想的な都市像にも変化が見られる。特に、現在の都市政策に大きな影響を与えているのは、1987年に国連のブルントラント報告のなかで推奨された持続可能な開発の都市モデルである。過度な自動車社会から脱却し、魅力的な都心を形成し、公共交通や徒歩で暮らすことができるコンパクトなまちづくりが進行している。

2.コンパクトシティ政策

 コンパクトシティは行き過ぎた自動車社会に対して、人と環境にやさしい歩いて暮らせる持続可能な都市モデルとして注目を集めている。その定義は様々であるが、総じて以下のような要素を含んだ都市を示す。

 (密度)一定以上の人口密度を保ち、市街地の効率性を高める。
 (空間)一定エリアに機能集約させ、街中の賑わいを創出する。
 (移動)公共交通を活用して、歩いて暮らせる街をつくる。
 (資源)既存の資源を上手に活用し、歴史やコミュニティを大切にする。

 一方で、日本におけるコンパクトシティは少し異なる文脈のなかで必要性が語られている。その一つは急激に訪れる人口減少社会への対応である。2050年までに総人口の23%が減少すると予測されており、20世紀の人口増加期に拡大した市街地を上手に縮退させて持続可能にすることが、都市行政として急務とされている。超高齢化社会で生産年齢人口が減少し、都市インフラの維持管理に関する財政負担は予想以上に大きい。

3.スマートシティ

 一方で、科学技術を活用した新しいまちづくりも模索されている。その一つがスマートシティであり、ICT等の新技術を活用しつつ、全体最適化が図られる持続可能な都市または地区と定義できる。

図5 スマートシティの系譜と事例

 もともとスマートシティの概念は、電力の流れを最適化するスマートグリッドのように、エネルギーの効率利用の視点から、2010年頃から民間企業を中心に広がり始めた。特定の分野特化型の取り組みからスタートしたが、近年では環境、交通、エネルギー、通信など分野横断型の取り組みが増えている。国家主導の「Smart Nation Singapore」や、官民連携としてカナダ・トロントの都市開発プロジェクト「Sidewalk Toronto」など多くの事例が出現している。

 スマートシティとコンパクトシティは何が異なるのか? 2つの都市モデルを多様な視点から比べてみるとその特徴が見えてくる。まず、コンパクトシティは都市空間を対象としているのに対して、スマートシティは主として情報を対象としている。前者は現実空間に実在するため見ることができるが、後者は仮想空間での情報の動きなので目に見えない。コンパクトシティは計画・マネジメントを通して都市空間の縮退を目指すのに対して、スマートシティは情報技術(Connected Technology)を駆使して、市場の拡張がベースとなっている。どちらも持続可能な社会を目指す点では一致するが、その方法等は大きく異なっている。

図6 コンパクトシティとスマートシティの比較表

4.新しい都市像に向けて

 コンパクトシティもスマートシティにも共通する指標として「シェア」がある。市街地を一定のエリアに集約して、都市空間を上手に共有(シェア)するのがコンパクトシティである。人口密度を一定のレベルに保つことは、居住空間の効率的な利用を促していると解釈できる。また、道路空間も私的なマイカーが占有するのでなく、バスや路面電車などの公共交通を利用することで移動空間を効率的にシェアすることになる。つまり、コンパクトシティではシェアによって居住や移動など様々な都市活動の効率性を高めている。

 スマートシティでは情報を対象に、ICT技術を活用して情報をシェアすることで、都市活動の効率性を上げる。エリアレベルでのエネルギーの相互利用や分野横断的な取り組みも、異なる業態の情報シェアがカギとなっている。例えば、移動時の情報シェアはMaaS(Mobility as a Service)のような統合型交通サービスを可能とする。

 換言すると空間シェアをすすめるコンパクトシティと、情報シェアをすすめるスマートシティの融合が、新しい都市像を生み出していく。歩いて暮らせる範囲にコンパクトな都市空間が形作られ、その空間は定時性を確保した魅力的な公共交通がつないでいく。集約エリアの周辺には緑豊かな市街地や田園風景が広がり、自動運転車がエリアの拠点までの足となる。移動は統合的な交通サービスの中で行われ、様々な交通手段を上手にシェアすることで、交通インフラ全体の効率化と環境負荷低減に寄与する。平常時も非常時もシームレスな情報ネットワークで、都市生活の安全性と快適性を確保する。こんな未来都市の実現がもう近くまで来ているのかもしれない。


(『環境・社会・経済 中国都市ランキング 2017―中心都市発展戦略』に収録


プロフィール

森本 章倫 (もりもと あきのり)

 1964年生まれ。早稲田大学大学院卒業後、 早稲田大学助手、宇都宮大学助手、助教授、教授、マサチューセッツ工科大学(MIT)研究員などを経て、2014年より早稲田大学教授。現在、日本都市計画学会副会長、 日本交通政策研究会常務理事なども務める。博士(工学)、技術士(建設部門)。

【コラム】李昕:「集中化」と「分散化」のバランスを如何に

李 昕

北京市政府参事室任主任、中国科学院研究員(教授)、経済学博士


 初めて都市計画に関わったのは、10数年前のことであった。筆者はカナダから帰国し、北京市環境局に入局、当時中国国家建設部(省)大臣であった汪光焘先生が指揮した「北京都市計画と気象条件および大気汚染との関連性に関する調査」に加わった。その後、「北京および周辺五都市における2008年オリンピック大気質量保障措置の研究と制定」を取りまとめた。

 工業化と都市化の急速な進展により、北京では人口が激増し、交通渋滞、水資源の枯渇、公共サービス供給不足と治安問題の頻発などで「都市病」が露呈した。2013年以来、PM2.5によるスモッグの頻発は、人びとの日常生活に一層甚大な被害を与えた。友人の中には汚染問題で国外に移住していった者もいた。

 このとき、北京市門頭溝区の副区長を務めていた筆者は、都市大気汚染低減のため、再び都市計画に取り組むこととなった。エコシティの国際的な事例を参考に、北京市門頭溝区のために、経済発展、社会進歩、生活レベル、資源負荷、環境保護の5つの角度から、34項目の年度発展審査指標を作り、生態優先型経済発展を推し進める総合評価体系を制定した。

 2014年末にはドイツを研究訪問し、都市計画専門家との交流セミナーで、彼等が詳しく述べていた「分散化」のドイツの都市発展モデルに、深い印象を受けた。これは、少数のメガロポリスに人口と経済活動が集中する中国の発展モデルとは明らかに異なっていた。

 2016年に偶然の巡り合いで、幸運にも中国都市総合発展指標2016の出版発表会に参加し、著者の周牧之教授、徐林司長、そして各項目担当の専門家等と知り合った。その後続けて彼らに教えを受け、師としてまたよき友として、お付き合い頂いている。

 周牧之教授は、工業化後発国は都市化において往々にして大都市発展モデルを歩む傾向があるとし、特に第二次世界大戦後、それが世界の趨勢となっていると、述べている。都市の集積効果は、経済発展効率を高め、豊富な都市生活をもたらす。とりわけ、メガロポリスのような大規模高密度の人口集積が、異なる知識と文化を背景とする人々の交流の利便性を高め、知識経済とサービス経済の生産効率を上げる。

 都市病は「過密」がもたらしたものであるとされるのに対して、周牧之教授は「過密」の本質こそが問われるべきだと問題提起している。いわゆる「過密」の原因は都市インフラとマネジメント力の不足にあると言う。

 周牧之教授は東京大都市圏を事例に「過密」問題を解説した。戦後、東京大都市圏が過密問題によりもたらされた大都市病に難儀し、いまの北京と近い発想で、工業や大学などの機能を制限した。しかしインフラ整備を進めた結果、都市圏の人口規模は拡大したにもかかわらず、いわゆる「都市病」は殆ど問題にされなくなった。これは北京の将来を考える際に非常に大切な示唆である。

 周牧之教授は4年以上の時間をかけて、内外の専門家を集め、各国の都市化発展の経験と教訓とをもとに、都市発展を評価する指標作りを試みた。議論を重ね、環境、経済、社会の3つの軸から、中国都市総合発展指標を作り上げた。同指標体系は開放的で、時代の要求に応え、進化可能なシステムである。指標の数は2016年の133項目から、2017年には175項目へと増加した。

 さらに、統計データだけではなく、最新の技術を駆使して衛星リモートセンシングデータやビックデータを大量に取り入れ、GIS技術を活用し、中国の地級市以上の全297都市の分析を行った。このような取り組みは中国では初めてのことである。よって中国の都市は、初めて環境、経済、社会の3つの軸で診断ができるようになった。様々な指標で都市のパフォーマンスが明らかになったことで、都市の課題と潜在力を浮かび上がらせ、より戦略的に都市の発展方向性を定められる。おそらくこれによって中国の都市計画レベルを一気に向上させることができるだろう。

 中国都市総合発展指標から地域ごとの発展も評価できる。これによって、中国の東部、中部、西部地域の都市化進展の違いが確認できた。さらに同指標の2016年のメインレポート(『中国都市ランキング』第5章)では珠江デルタ、長江デルタ、京津冀、成渝の4つのメガロポリスの発展特徴を分析し、その将来性を予見した。同指標を活用し、中国の地域政策も大きく進化するだろう。

 中国都市総合発展指標2017において北京は首都の優位性で連続2年総合ランキングの首位に立った。北京と天津2つのメガシティを中心に、京津冀というメガロポリスも形成された。

 しかし京津冀は、その高密度人口集積に必要なインフラ整備、公共サービス、マネジメント力に欠け、水資源の不足、大気汚染や交通渋滞など都市病の困惑の中にある。
 これに対して北京は、副都心建設を推進し、一部の行政機能などを通州などの周辺地域に移し、過密問題緩和を図ろうとしている。また、雄安新区の設立も、「分散化」の一環としてとらえられるだろう。

 しかし、北京そして京津冀メガロポリスの発展にとっては、中心機能の強化も極めて大切である。「集中化」と「分散化」のバランスを如何に図るかが肝要である。そのために中国都市総合発展指標を活用し、これらの取り組みを常に評価し、軌道修正していくことが必要である。


(『環境・社会・経済 中国都市ランキング 2017―中心都市発展戦略』に収録


プロフィール

李 昕(Li Xin)

 1968年生まれ。中国社会科学院大気物理所副研究員、研究員(教授)を経て、2004年北京市環境保護局に入局、副総技術師兼科学技術国際協力部部長、環境観測部部長、大気環境管理部部長を歴任。2010年北京市門頭溝区副区長、2017年中国人民政治協商会議北京市委員会副秘書長を経て、現職。中国科学院大気物理所研究員(教授)、北京大学環境科学工程学院教授を兼任。