【レポート】周牧之:ゼロ・コロナ対策により成長を続ける中国都市

周牧之 東京経済大学教授


編集ノート:
2020年からの中国における都市政策や都市のパフォーマンスを語るには新型コロナウイルスパンデミックとその対策の分析が避けられない。本稿では様々な情報を収集・分析し、中国また各方面の動向をふまえながら、中国のコロナ下における都市の動静についてマクロ的・ミクロ的観点から考察を加える。


 2020年の中国における都市政策や都市のパフォーマンスを語るには新型コロナウイルスパンデミックとその対策の分析が避けられない。

 2020年1月23日に、中国政府は新しい感染症の爆発を封じ込めるために湖北省の省都武漢を始め3都市をロックダウン(都市封鎖)した。このニュースは世界を震撼させた。翌24日に、湖北省全域が緊急対応レベルを1級にする措置を取った。その後緊急対応1級措置は中国全土に及んだ。

 新型コロナウイルスに襲われた大都市・武漢は、医療崩壊に陥り、数多くの感染者と死者を出した。武漢のみならず世界中数多くの大都市で、医療崩壊危機が起こった。3月11日にWHOが同ウイルスの脅威に対してパンデミック宣言をした。

 筆者はこうした緊迫した状況に鑑み、逸早く武漢の医療崩壊及びその後の対応について研究し、数少ない情報を収集しながら世界各国の動向を踏まえ、4月20日に新冠疫情冲击全球化:强大的大都市医疗能力为何如此脆弱?をテーマとした文章を発表した。同文は、豊かな医療リソースを持つ大都市が、なぜ新型コロナウイルスにより一瞬で医療崩壊に陥ったのかについて解析し、ロックダウンを始めとするゼロ・コロナ対策を検証した。中国語だけでなく、英語、日本語でも発表され、内外の多くのメディアに転載、未知のウイルスとの闘いに苦しむ多くの都市の政策当事者に一定の示唆を与えた。

 2020年11月11日には全球抗击新冠政策大比拼:零新冠感染病例政策Vs.与新冠病毒共存政策という論文を発表し、中国の厳しいコロナ対策を “ゼロ・COVID-19 感染者対策”と位置づけ、日本及び欧米がとってきた “ウイズ・COVID-19 対策”と比較し、そのパフォーマンスを評価した。同論文も中国語だけでなく、英語、日本語でも発表し、内外の多くのメディアに転載された。

1.感染抑制を優先するゼロ・コロナ対策

 2002年〜2003年に起きたSARSの経験を踏まえ、中国政府は『中華人民共和国伝染病防治法』に基づき、『突発公共衛生事件応急条例』、『国家突発公共事件総体応急預案』、『国家突発公共衛生事件応急預案』など公共衛生に関わる突発的な事態に対する条例やガイドラインなどを整備した。さらに、『中華人民共和国突発事件応対法』をもって、上記の法律、条例、応急預案を法的に体系化した。武漢をロックダウンするのに先立ち、2020年1月20日、中国国家衛生健康委員会が、2020年第1号公告をもって、新型コロナウイルス感染症を『中華人民共和国伝染病防治法』で定めた乙類伝染病に該当させ、且つ甲類伝染病の予防、抑制措置を取ることとした。これで、新型コロナウイルス禍との闘いの幕が切って落とされた。

 武漢でのロックダウン及び各地域への緊急対応1級措置の実施は、こうした法的整備があったゆえに可能となった。しかも、これら法律、条例、応急預案は、感染症抑制を優先する傾向が強い。これに該当させ、発動させた以上は、経済と感染抑制の両立の議論は成り立たなくなった。実際、地方政府から、経済の落ち込みを避けるため経済活動の早期再開を求める声はあったものの、新規感染ゼロ状態を待たなければならなかった。

 中国では武漢のロックダウンの解除には厳しかった。解除は、新規感染者がゼロになるだけでなく、ゼロ状態が16日間も続いた後にようやく実施された。徹底的なゼロ・COVID-19 感染者政策である。

 武漢だけではなく他の地域でも、新型コロナウイルス感染症の低リスク地域とするまでには、新規感染者ゼロ状態を14日間以上も継続させる厳しいハードルを設けた。 

 新型コロナウイルス流行第1波を制圧した後も、中国は全国各地でゼロ・COVID-19 感染者状況維持に心血を注いでいる。新規感染者が見つかるたびに、大量検査、厳しい行動制限などの措置を局地的に実施してきた。モグラ叩きのように感染エリアを潰していく厳しい管理政策である。例えば、2020年10月11日、山東省青島市に3人の新型コロナウイルスの無症状感染者が出たことを受け、同市は市内全員を対象とするPCR検査を実施した。すでに市外に移動した者も追跡検査する徹底ぶりだった。同16日までに実施したPCR検査数は1,000万人を超えた。

図 中国COVID-19新規感染者数・死亡者数の日別推移(2020年)


 図が示すように中国では、COVID-19感染者をゼロにする徹底的なロックダウン政策を取ったことによって、逸早く新型コロナウイルスの感染拡大を鎮圧した。これにより、国内においてほぼ普段通りの経済活動を再開させることに成功した。長いスパンで見ると、一時的な痛みを伴う劇薬的な措置が、事態を早期収束に導いたと言えよう。

 その結果、2020年、中国の都市別コロナ新規感染者は、初期の混乱で感染が拡大した武漢をはじめとする湖北省に集中した。雲河都市研究院の集計によると中国297地級市以上の都市(日本の都道府県に相当)における新規感染者数ランキングでみると、新規感染者数の8割がトップ10都市に集中した。これらの都市のすべてが湖北省に属した。つまり他都市での爆発的感染が厳しいゼロ・コロナ対策により抑えられた。

 

2.市民生活がいち早く正常化、世界一の映画市場へ

 ゼロ・コロナ対策の中で市民生活が逸早く正常を取り戻した。

 新型コロナウイルスパンデミックで最も打撃を受けた分野の1つは映画興行であった。中国では、2020年の映画興行収入が前年比68.2%も急落した。だが幸いなことに、中国では新型コロナウイルスの蔓延を迅速に制圧したことで、映画市場は急速に回復した。

 一方、これまで世界最大の映画興行収入を誇ってきた北米(米国+カナダ)は、新型コロナウイルスの流行を効果的に抑えることができず、2020年には映画興行収入が前年比80.7%も急減した。

 その結果、世界で最も速く回復した中国の映画市場が、映画興行収入で世界トップに躍り出た。

 雲河都市研究院は、中国都市総合発展指標を元に、中国297地級市以上の都市を対象とした「中国都市映画館・劇場消費指数2020」を公表した。

 2020年、297都市のうち、「映画館・劇場消費指数」の上位10都市は、上海、北京、深圳、広州、成都、重慶、杭州、武漢、蘇州、西安となっている。これら10都市は、中国全土における映画興行収入の28.9%、映画鑑賞者数の32.1%、映画館・劇場数の21%を占めている。つまり、上位10都市で全国の映画興行収入と映画入場者数の3分の1近くを占めた。

 「映画館・劇場消費指数」の第11位から第30位の都市は、鄭州、南京、長沙、東莞、天津、仏山、寧波、合肥、無錫、瀋陽、昆明、青島、温州、南通、南昌、長春、石家荘、ハルビン、済南、南寧となっている。

 上位30都市は、映画興行収入の53.9%、映画鑑賞者数の51.3%、映画館・劇場数の39.3%を占めている。つまり、297都市の10分の1に過ぎない上位30都市が、映画興行収入と映画入場者数の半分を占めた。

 特に注目すべきは、中国では新型コロナウイルスパンデミック下でも、スクリーン数や映画館数が減るどころか増えていたことである。中国のスクリーン数は、2005年の2,668枚から2020年には75,581枚へと、28倍にもなった。

 映画市場の急回復に支えられ、2020年は中国国産映画の興行成績が非常に目を引く年であった。「Box Office Mojo」によると、2020年の世界興行ランキングで中国映画『八佰(The Eight Hundred)』が首位を獲得した。また、同ランキングのトップ10には、第4位にチャン・イーモウ監督の新作『我和我的家郷(My People, My Homeland)』、第8位に中国アニメ映画『姜子牙(Legend of Deification)』、第9位にヒューマンドラマ『送你一朶小紅花(A Little Red Flower)』の中国4作品がランクインした。また、歴史大作『金剛川(JingangChuan)』も第14位と好成績を収めた。中国映画市場の力強い回復により、多くの中国映画が世界の興行収入ランキングの上位にランクインした。

 2005年以来、中国における映画興行収入に占める国産映画の割合は50%から60%の間で推移していたが、2020年には一気に83.7%まで上昇した。

 新型コロナウイルスが効果的に抑制されたことで、中国の映画興行収入は2021年にはさらに上昇すると期待される。世界最大の興行市場の支えで、中国国産映画は輝かしい時代を迎えるだろう。

 

3.グローバルサプライチェーンの寸断から輸出の急回復へ

 2020年は中国の輸出産業にとってアップアンドダウンが大変激しい年であった。

 IT革命、輸送革命、そして冷戦後の安定した世界秩序から来る安全感によって製造業のサプライチェーンは、国を飛び出し、グローバルに展開した。工場やオフィスの最適立地化が世界規模で一気に進んだ。中国の沿海部での急激な都市化、メガロポリス化がまさにグローバルサプライチェーンによってもたらされた。

 グローバルサプライチェーンは世界規模に複雑に組み込まれて進化してきた。例えば、アメリカのカリフォルニアで設計され、中国で組み立てられるiPhoneの場合、その部品調達先の上位200社だけとってみても28カ国・地域に及ぶ。

 しかし新型コロナショックによるロックダウン、国境封鎖など強力な措置により、グローバルに巡らされたサプライチェーンは寸断され、これまで当たり前のように動いていた供給体制は機能不全に追い込まれた。激化する米中貿易摩擦はさらに追い打ちをかけた。サプライチェーンの乱れによる海外からの部品供給が止まったことで日本国内の工場も操業停止のケースが相次いだ。

 幸い中国国内におけるコロナの制圧により、生産は再び軌道に乗り、輸出も拡大した。その結果2020年、中国の輸出は4%成長を実現した。

 297都市を俯瞰すると、中国輸出全体の73.7%を占めるトップ30都市の中で、蘇州、東莞、北京、無錫、中山、福州、恵州、大連の8都市の輸出がマイナス成長となったものの、他都市はすべてプラス成長であった。「世界の工場」を支える中国のスーパー製造業都市の実力を見せつけた。

 ちなみに金額ベースで輸出規模トップ10都市の順位は深圳、上海、蘇州、東莞、寧波、広州、北京、金華、重慶、仏山となった。トップ10都市は中国輸出全体の45.3%を占めている。

 輸出規模第11位から第30位の都市は、成都、青島、杭州、廈門、無錫、南京、天津、鄭州、紹興、嘉興、煙台、温州、中山、常州、南通、福州、西安、台州、恵州、大連となっている。

 

4.コロナ禍でのGDPプラス成長の実現

 ウイズ・COVID-19政策で新型コロナウイルス感染拡大の波に喘ぐ諸国をよそに、中国はゼロ・コロナ対策が功を奏した。日本、アメリカをはじめとする世界の主要国が軒並みマイナス成長に陥ったのに対し、2020年中国は2.3%の経済成長を実現した。

 297都市を俯瞰すると、中国GDP全体の43%を占めるトップ30都市の中で、唯一武漢が−4.7%成長となったものの、他都市はすべてプラス成長であった。中国の都市、とくに大都市の強靭さを見せつけた。

 ちなみにGDP規模トップ10都市の順位では上海、北京、深圳、広州、重慶、蘇州、成都、杭州、武漢、南京となった。トップ10都市は中国GDP全体の23.3%を占めている。

 GDP規模第11位から第30位の都市は、天津、寧波、青島、無錫、長沙、鄭州、仏山、泉州、済南、合肥、南通、西安、福州、東莞、煙台、常州、徐州、唐山、大連、温州となっている。

 

5.〈中国都市総合発展指標2020

 中国都市総合発展指標2020は、中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司と雲河都市研究院が共同開発した同指標の5年目の発表に当たる。環境・社会・経済のトリプルボトムライン(TBL:Triple Bottom Line)の観点から都市の持続可能な発展を立体的に評価・分析する同指標は、297地級市以上の都市をすべて網羅し研究分析対象とする。

 中国都市総合発展指標のデータ構成にも工夫がある。従来、都市に関連する指標は、統計データによるものであった。しかし、統計データだけでは複雑な生態系と化した都市を描き切れない。〈中国都市総合発展指標〉は、統計データのみならず、衛星リモートセンシングデータ、そしてインターネット・ビックデータをも導入し、都市を感知する「五感」を一気にアップさせた。現在、指標のデータリソースは、統計、衛星リモートセンシング、インターネット・ビックデータは、各々ほぼ3分の1ずつの分量となった。中国都市総合発展指標は、こうした垣根を超えたデータリソースを駆使し、都市を高度に判断できるマルチモーダルインデックス(Multimodal Index)へと進化した。

 近年、中国では“主体功能区”、“新型都市化” 、“メガロポリス政策” 、“都市圏政策”などの斬新な政策が相次いで出された。中国都市総合発展指標はまさにマクロ的には都市化政策を考案する物差しとして、ミクロ的には、各都市のパフォーマンス評価のツールとして開発された。5年を経て同指標はいま政策と評価をサポートする指標システムとして定着している。

 中国都市総合発展指標2020総合ランキングトップ10の都市は、北京、上海、深圳、広州、成都、重慶、南京、杭州、天津、蘇州である。コロナの爆発的感染を受けた武漢はトップ10から脱落した。

 総合ランキング第11位から第30位の都市は、武漢、廈門、西安、寧波、長沙、鄭州、青島、東莞、福州、昆明、合肥、仏山、無錫、済南、珠海となっている。

 中国経済社会発展の底力は都市にある。都市をきちんと分析することで中国の真の姿が見えてくる。


本稿では雲河都市研究院の栗本賢一、甄雪華、趙建氏がデータ整理と図表作成に携わった。


『日中経協ジャーナル』2022年2月号(通巻337号)掲載

中国都市総合発展指標2020


〈中国都市総合発展指標2020〉ランキング


 〈中国都市総合発展指標2020〉が2021年12月28日に発表された。中国都市総合発展指標は、中国における地級市以上(日本の都道府県に相当)297都市を対象とし、環境、社会、経済の3つの側面(大項目)から都市のパフォーマンスを評価したものである。〈指標〉の構造は、各大項目の下に3つの中項目があり、各中項目の下に3つの小項目が設けた「3×3×3構造」になっており、各小項目は複数の指標で構成されている。 これらの指標は、31%が統計データ、35%が衛星リモートセンシングデータ、34%がインターネットビッグデータで構成され、合計882の基礎データで構成されている。その意味で、〈中国都市総合発展指標〉は、異分野のデータ資源を活用し、「五感」で都市を高度に知覚・判断できる先進的なマルチモーダル指標システムである。

 


(1)総合ランキング

 総合ランキング第1位は5年連続で北京となり、第2位は上海、第3位は深圳であった。

 〈中国都市総合発展指標2020〉総合ランキングの上位10都市は順に、北京、上海、深圳、広州、成都、重慶、南京、杭州、天津、蘇州となっている。これら10都市は、長江デルタメガロポリスに4都市、珠江デルタメガロポリスに2都市、京津冀(北京・天津・河北)メガロポリスに2都市、成渝(成都・重慶)メガロポリスに2都市と、4つのメガロポリスにまたがっている。

 総合ランキング第11位から第30位は順に、武漢、廈門、西安、寧波、長沙、鄭州、青島、東莞、福州、昆明、合肥、仏山、無錫、済南、珠海、瀋陽、貴陽、大連、南昌、泉州の都市であった。


(2)環境大項目ランキング

 環境大項目ランキングは5年連続で深圳が第1位、広州が第2位、上海が第3位となった。

 〈中国都市総合発展指標2020〉環境大項目ランキングの上位10都市は、深圳、広州、上海、廈門、三亜、ニンティ、シガツェ、チャムド、北京、海口であった。なかでも廈門、三亜、シガツェはそれぞれ第4位、第5位、第7位に順位を上げている。

 環境大項目ランキングで第11位から第30位にランクインした都市は順に、珠海、東莞、成都、舟山、汕頭、山南、南京、重慶、福州、儋州、仏山、ナクチュ、普洱、巴中、杭州、昆明、武漢、泉州、中山、長沙であった。


(3)社会大項目ランキング

 社会大項目ランキングでは北京と上海は5年連続で第1位と第2位、広州は4年連続で第3位をキープしている。

 〈中国都市総合発展指標2020〉の社会大項目ランキング上位10都市は、北京、上海、広州、深圳、南京、成都、重慶、杭州、天津、西安となっている。なかでも南京、成都、天津はそれぞれ第5位、第6位、第9位に上昇し、西安はトップ10にランクインし、武漢はトップ10から脱落した。

 社会大項目ランキングの第11位から第30位は、蘇州、長沙、廈門、鄭州、済南、武漢、寧波、瀋陽、青島、合肥、昆明、福州、ハルビン、無錫、南昌、貴陽、南寧、大連、太原、長春となっている。


(4)経済大項目ランキング

 経済大項目ランキングは5年連続で上海がトップ、第2位は北京、第3位は深圳となった。

 〈中国都市総合発展指標2020〉の経済大項目ランキング上位10都市は、上海、北京、深圳、広州、成都、蘇州、重慶、天津、杭州、南京となっている。なかでも成都は第5位に躍進し、天津と杭州はランクを落とした。

 経済大項目ランキングで第11位から第30位にランクインしたのは、武漢、寧波、東莞、青島、西安、鄭州、長沙、廈門、無錫、仏山、済南、福州、合肥、大連、昆明、瀋陽、泉州、温州、長春、ハルビンの都市であった。

【ランキング】〈中国都市総合発展指標2020〉から見た中国都市のパフォーマンス 〜趙啓正、楊偉民、周其仁、邱暁華、周南、周牧之によるレビュ〜

〈中国都市総合発展指標2020〉英語版 2022年1月7日付中国国務院新聞弁公室HPで発表


1.新型コロナウイルスパンデミック下、中国都市の強靭さ


 2020年世界最大のテーマは、新型コロナウイルス対策であった。中国都市総合発展指標2020は、中国各都市の感染症対策と経済回復におけるパフォーマンスを、環境・社会・経済の視点から多元的に評価した。

 新型コロナウイルスの流行そのものについては、2020年中国における新規感染者(海外輸入感染症例と無症状例を除く)の80.8%が、新規感染者数上位10都市に集中した。武漢を始め同10都市はいずれも湖北省の都市である。これは、中国が迅速なロックダウン(都市封鎖)措置とゼロ・COVID-19 感染者政策(Zero COVID-19 Case Policy、以下ゼロ・コロナ政策と略称)で流行を早期に収束させ、他の都市で爆発的な感染拡大が起きなかったことを意味している。


(1)日常生活の逸早い回復で世界最大の映画市場に

 ゼロ・コロナ政策は、早期に流行を収束させ、市民生活を迅速に回復させた。新型コロナウイルスパンデミックで最も打撃を受けた分野の1つは映画興行であった。中国では、2020年の映画興行収入が前年比68.2%も急落した。  だが幸いなことに新型コロナウイルスの蔓延を迅速に制圧したことで、中国映画市場は急速に回復した。

 一方、これまで世界最大の映画興行収入を誇ってきた北米(米国+カナダ)は、新型コロナの流行を効果的に抑えることができず、2020年には映画興行収入が前年比80.7%も急減した。

 その結果、世界で最も速く回復した中国の映画市場が、映画興行収入で世界トップに躍り出た。

 特に注目すべきは、中国では新型コロナ禍でも、スクリーン数や映画館数が減るどころか増えていたことである。中国のスクリーン数は、2005年の2,668枚から2020年には75,581枚へと、28倍にもなった。

 映画市場の急回復に支えられ、2020年は中国国産映画の興行成績が非常に目を引く年であった。「Box Office Mojo」によると、2020年の世界興行ランキングで中国映画『八佰(The Eight Hundred)』が首位を獲得した。また、同ランキングのトップ10には、第4位にチャン・イーモウ監督の新作『我和我的家郷(My People, My Homeland)』、第8位に中国アニメ映画『姜子牙(Legend of Deification)』、第9位にヒューマンドラマ『送你一朶小紅花(A Little Red Flower)』の中国4作品がランクインした。また、歴史大作『金剛川(JingangChuan)』も第14位と好成績を収めた。中国映画市場の力強い回復により、多くの中国映画が世界の興行収入ランキングの上位にランクインした。

 2005年以来、中国における映画興行収入に占める国産映画の割合は50%から60%の間で推移していたが、2020年には一気に83.7%まで上昇した。

 新型コロナ禍が効果的に抑制されたことで、中国の映画興行収入はさらに上昇すると期待される。世界最大の興行市場になったことで、中国国産映画も輝かしい時代を迎えるだろう。


(2)航空輸送で旅客は激減、貨物は微減

 航空輸送も新型コロナパンデミックで大きな打撃を受けた分野である。特に、長引く海外旅行規制の影響で国際旅客が激減した。幸い、中国で新型コロナの流行は逸早く抑えられたため、国内の航空輸送は早期回復した。結果、2020年の中国空港旅客数は36.6%減少したものの、欧米や日本などの国々と比べ減少幅は比較的小さかった。


 2020年の中国空港旅客数の上位10都市は順に、上海、北京、広州、成都、深圳、重慶、昆明、西安、杭州、鄭州である。中国の空港旅客数に占める上位10都市の割合は44.9%、さらに同上位30都市の割合は75.5%にも達した。中国の航空輸送は中心都市に集中している。

 空港旅客数に比べ、2020年中国の空港航空貨物取扱量は6%減にとどまった。中国空港航空貨物取扱量の上位10都市は順に、上海、広州、深圳、北京、杭州、鄭州、成都、重慶、南京、西安となっている。このうち、深圳、杭州、鄭州、南京の4都市では、航空貨物取扱量が増加した。これはコロナ禍でも物流が活発に行われ、製造業サプライチェーンも迅速に回復したことを示している。中国の航空貨物取扱量に占める上位10都市の割合は72.8%、さらに同上位30都市の割合は92.5%にも達した。航空旅客輸送と比較して、航空貨物が中心都市に集中する傾向がさらに顕著である。


(3)海運輸送は
プラス成長

 新型コロナパンデミックの影響でサプライチェーンと海運は世界的に大きな混乱を生じ、現在に至ってなお収まってはいない。そうした中、2020年中国のコンテナ取扱量は1.2%成長を実現した。

 2020年の中国港湾コンテナ取扱量の上位10都市は順に、上海、寧波、深圳、広州、青島、天津、廈門、蘇州、営口、大連となり、この中で唯一、大連はマイナス成長に陥った。中国大多数の港湾都市でのコンテナ取扱量のプラス成長は、その背後の製造業輸出力の強靭ぶりをうかがわせる。

 中国の港湾コンテナ取扱量に占める上位10都市の割合は70.8%、さらに同上位30都市の割合は92.6%にも達した。中国のコンテナ輸送が特定の港湾都市に高度に集中していることが浮き彫りになった。


(4)輸出は急回復

 貿易摩擦や新型コロナパンデミックは、中国の輸出産業に大きな打撃を与え、2020年前半には輸出額が落ち込んだ。しかし後半には力強い回復を見せ、輸出額は前年比4%増を実現した。

 〈中国都市総合発展指標2020〉で見た「中国都市製造業輻射力2020」ランキングの上位10都市は、深圳、蘇州、東莞、上海、寧波、仏山、成都、広州、無錫、杭州となった。この10都市のうち、蘇州、東莞、無錫の3都市の輸出額が若干マイナス成長だったのに対して、その他の都市は輸出増を実現した。これら製造業スーパーシティの輸出力の強靭さが際立った。

 製造業輻射力の上位10都市は、中国の輸出額の44.2%を占めた。上位30都市の同シェアはさらに71.7%にも達した。中国の輸出産業はこれら製造業スーパーシティに高度に集中していることがわかる。


(5)IT産業の集中がさらに進む

 2020年は、IT業界にとって大発展の年であった。デジタル感染症対策、在宅勤務、オンライン授業、遠隔医療、オンライン会議、オンラインショッピングなどが当たり前になり、新型コロナウイルス禍で産業や生活のあらゆる分野におけるデジタル化が一気に進んだ。

 中国都市総合発展指標2020で見た「中国都市IT産業輻射力2020」ランキングの上位10都市は、北京、上海、深圳、杭州、広州、成都、南京、重慶、福州、武漢となっている。これらの10都市は、中国のIT業就業者数の58.3%、メインボード(香港、上海、深圳)上場IT企業数の77.6%、中小企業版上場IT企業数の62.5%、創業版上場IT企業数の75.3%を占めている。中国のIT産業はこれら中心都市への集中がさらに進んだ。

 


(6)殆どの都市が経済成長を実現

 2020年、世界の主要国がマイナス経済成長に陥ったにもかかわらず、中国はゼロ・コロナ政策により2.3%の経済成長を遂げた。

 2020年の中国GDPの上位10都市は順に、上海、北京、深圳、広州、重慶、蘇州、成都、杭州、武漢、南京となった。上位10都市は、中国GDPの23.3%を占めた。同上位30都市のシェアはさらに43%に達した。中国経済の上位都市への集中が鮮明になった。

 上位30都市のうち武漢だけが−4.7%成長であったが他の都市はすべてプラス成長を実現した。中国主要都市の強靭さが中国経済成長を支えた。


2.〈中国都市総合発展指標2020〉ランキング


 中国都市総合発展指標2020が2021年12月28日に発表された。中国都市総合発展指標は、中国における地級市以上(日本の都道府県に相当)297都市を対象とし、環境、社会、経済の3つの側面(大項目)から都市のパフォーマンスを評価したものである。〈指標〉の構造は、各大項目の下に3つの中項目があり、各中項目の下に3つの小項目が設けた「3×3×3構造」になっており、各小項目は複数の指標で構成されている。 これらの指標は、31%が統計データ、35%が衛星リモートセンシングデータ、34%がインターネットビッグデータで構成され、合計882の基礎データで構成されている。その意味で、〈中国都市総合発展指標〉は、異分野のデータ資源を活用し、「五感」で都市を高度に知覚・判断できる先進的なマルチモーダル指標システムである。


(1)総合ランキング

 総合ランキング第1位は5年連続で北京となり、第2位は上海、第3位は深圳であった。

 中国都市総合発展指標2020総合ランキングの上位10都市は順に、北京、上海、深圳、広州、成都、重慶、南京、杭州、天津、蘇州となっている。これら10都市は、長江デルタメガロポリスに4都市、珠江デルタメガロポリスに2都市、京津冀(北京・天津・河北)メガロポリスに2都市、成渝(成都・重慶)メガロポリスに2都市と、4つのメガロポリスにまたがっている。

 総合ランキング第11位から第30位は順に、武漢、廈門、西安、寧波、長沙、鄭州、青島、東莞、福州、昆明、合肥、仏山、無錫、済南、珠海、瀋陽、貴陽、大連、南昌、泉州の都市であった。


(2)環境大項目ランキング

 環境大項目ランキングは5年連続で深圳が第1位、広州が第2位、上海が第3位となった。

 中国都市総合発展指標2020環境大項目ランキングの上位10都市は、深圳、広州、上海、廈門、三亜、ニンティ、シガツェ、チャムド、北京、海口であった。なかでも廈門、三亜、シガツェはそれぞれ第4位、第5位、第7位に順位を上げている。

 環境大項目ランキングで第11位から第30位にランクインした都市は順に、珠海、東莞、成都、舟山、汕頭、山南、南京、重慶、福州、儋州、仏山、ナクチュ、普洱、巴中、杭州、昆明、武漢、泉州、中山、長沙であった。


(3)社会大項目ランキング

 社会大項目ランキングでは北京と上海は5年連続で第1位と第2位、広州は4年連続で第3位をキープしている。

 中国都市総合発展指標2020の社会大項目ランキング上位10都市は、北京、上海、広州、深圳、南京、成都、重慶、杭州、天津、西安となっている。なかでも南京、成都、天津はそれぞれ第5位、第6位、第9位に上昇し、西安はトップ10にランクインし、武漢はトップ10から脱落した。

 社会大項目ランキングの第11位から第30位は、蘇州、長沙、廈門、鄭州、済南、武漢、寧波、瀋陽、青島、合肥、昆明、福州、ハルビン、無錫、南昌、貴陽、南寧、大連、太原、長春となっている。


(4)経済大項目ランキング

 経済大項目ランキングは5年連続で上海がトップ、第2位は北京、第3位は深圳となった。

 中国都市総合発展指標2020の経済大項目ランキング上位10都市は、上海、北京、深圳、広州、成都、蘇州、重慶、天津、杭州、南京となっている。なかでも成都は第5位に躍進し、天津と杭州はランクを落とした。

 経済大項目ランキングで第11位から第30位にランクインしたのは、武漢、寧波、東莞、青島、西安、鄭州、長沙、廈門、無錫、仏山、済南、福州、合肥、大連、昆明、瀋陽、泉州、温州、長春、ハルビンの都市であった。


3.専門家レビュー


 中国都市総合発展指標2020の発表に際し、趙啓正、楊偉民、邱暁華、周其仁、周南、周牧之が中国都市のパフォーマンスについてコメントを寄せた。


趙啓正

中国人民大学新聞学院院長、中国国務院新聞弁公室元主任

 中国都市総合発展指標2020の最大の特徴は、新型コロナパンデミックに焦点を当て、中国各都市への影響を多角的に分析していることである。 新型コロナウイルスのような、人類にとって空前の脅威となる疫病はそうそうあるものではなく、〈中国都市総合発展指標2020〉はこれを捉え、都市に与える影響を分析した研究成果が、未来における類似の事態への対処に、非常に貴重な価値がある。

 新型コロナウイルスがパンデミックとなって迫り来る中、世界各国はいち早くワクチンや特効薬の研究開発に着手したが、それらの開発には時間を要する。中国は迅速なロックダウン措置とゼロ・コロナ政策をもってこのタイムラグを稼いだ。このやり方には各国で様々な見方があるものの、中国では伝統文化を背景に、ロックダウン、隔離、マスクへの大きな抵抗感はなかった。周牧之教授と雲河都市研究院が行ったコロナ対策に関する研究は、中国の措置を世界へ紹介し、国際的理解を得ることに一役買った。

 新型コロナウイルスとの戦いにおいて、中国の都市はAI、クラウドコンピューティング、ビッグデータ、ブロックチェーンなどハイテクを活用し、人の移動に伴う感染可能性を効果的に防ぐことを実現した。全国共通の「健康コード」と「旅行コード」などのアプリは、国民に受け入れられ、効果的に実施されている。しかし、各国の文化や制度は異なり、これらの有効的な方法は多くの国で受け入れられていない。

 2020年、新型コロナウイルスが中国及び世界の都市の社会経済に大きな影響を与えた。中国の297都市を対象とした〈中国都市総合発展指標2020〉は、感染症対策やコロナ禍での都市発展を評価したことで大きな意義を持つ。これは、これまでの「指標」にはない特徴であり、中国の都市行政部門や学者の注目を集めるよう期待したい。もちろん、今回の指標は、コロナパンデミックに関心を持つ海外の学者や研究機関にとっても価値が高い。


楊偉民

全国人民政治協商会議常務委員、中国共産党中央財経領導小組弁公室元副主任

 新型コロナウイルスがすべてを乱した中、雲河都市研究院が毎年行う中国都市の「健康診断」は中断されず、予定通り中国都市総合発展指標2020が発表された。私はこれまで、中国都市総合発展指標は中国都市の健康状態に関する「健康診断」であると述べてきた。「健康診断」であるゆえ、1年に1回のチェックが必要で、何があっても止めることはできない。これは、新型コロナウイルス流行の影響を考えると、なおのことである。〈中国都市総合発展指標2020〉は、コロナ禍に直面した中国都市に焦点を当て、各都市の感染症免疫力に対して、どの都市が強く、どの都市が弱いかを示している。

 パンデミック発生以来、中国経済は世界の主要国の中で最も堅調に進んでいる。2020年は2.3%成長を実現、2021年では約8%の成長が見込まれる。一人当たりのGDPは2021年に12,000ドルに達すると予想されている。これは、中国政府が新型コロナウイルスの蔓延をうまく制圧した故であると同時に、中国経済の強大な回復力を示している。中国経済のレジリエンスは、フルセットの産業部門を持ち、サプライチェーンによる製造業輸出能力が高く、そして産業集積が巨大な点にある。このレジリエンスは、世界の主要国の中でも唯一無二なものである。そのため、新型コロナ感染症が突発的に起こったときも、国内の投資や消費が伸び悩むときも、貿易を通じて安定した経済成長を維持することができた。米国政府は中国企業を制裁することはできても、米国消費者の中国製品に対する強い需要を止めることはできない。2020年、中国の貨物・サービスの純輸出の経済成長への寄与度は28%にも達した。2021年の第1から第3四半期に同寄与度は19.5%となり、リーマンショック直前の2006年の14.3%を大きく上回る。

 中国都市総合発展指標2020によると、「中国都市製造業輻射力」の上位10都市と上位30都市は、それぞれ中国輸出総額の44.2%と71.7%を占め、これらの都市のレジリエンスを示している。

 中国の経済発展は「新たな段階」に入り、将来を見据え、国内外の「双循環」が互いに促進し合う新たな発展モデルを構築していくだろう。ここでは「国際大循環」と「国内大循環」のそれぞれを強調することではなく、二つの「大循環」の相乗効果に重点を置くべきである。新しい発展段階において、中国のどの都市が今後も主導的な役割を担っていくのか、注目したい。


周其仁

北京大学国家発展研究院教授

 中国都市総合発展指標は、時間の経過とともにその価値を増している。2020年度版の発表で、読者はより長い時系列で都市の経済・社会・環境における様々な変数の相関分析ができる。これらの変数は、本質的に都市における人間や組織の行動に関係している。

 こうした実証研究では、「比較」が非常に大切である。比較から、都市のダイナミズムが理解できる。「比較」ということでは、1978年にシンガポールを訪問した鄧小平の「比較したければ、世界と比較せよ」という言葉を思い出す。中国の都市は、互いに比較することも大切だが、世界の先進的な都市から学ぶことも大切である。今後の〈中国都市総合発展指標〉に国際都市との指標比較を加えることを、周牧之教授に提案したい。


邱暁華

雲河都市研究院副理事長、中国国家統計局元局長

 中国都市総合発展指標2020で印象深いことは4点ある。第1点は、都市の経済力が、やはりその都市の地位を決める決定的な要因である。経済発展が都市の未来を作る。2点目は、グリーン要素がますます重要になり、環境に配慮した変革が積極的であればあるほど、都市が発展する。3点目は、新型コロナ感染症の発生は経済社会の発展に影響を与え、人々の生活に影響を与えるが、都市の緊急事態対応力も試されており、総合ランキング上位の都市はその点で比較優位に立っている。4点目は、中国は新たな発展段階に入り、新しい発展モデルの構築を加速している。都市の発展もメガロポリスの構築へと移行し、中心都市が主役になる時代が始まった。中国の都市がより好循環な発展モデルを形成することを期待したい。


周南

中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司副司長、一級巡視員

 2020年、突如として発生した新型コロナパンデミックが、世界経済社会のリズムを崩壊させた。中国はコロナ感染症対策、経済発展、社会安定という「同時実現が不可能なトライアングル」に苦心し、見事な答えを出した。中国都市総合発展指標2020によると、2020年のGDP上位30都市は、武漢を除き、すべて1〜5%の経済成長を実現したことがわかる。中国の成績と海外主要国における混乱は対照的である。

 地域発展という点では、長江デルタと珠江デルタの両メガロポリスが、経済、環境、社会の全般で明確な優勢を保っている。中国都市総合発展指標2020の総合ランキング上位100都市のうち、長江デルタは21都市、珠江デルタは12都市を占める。同上位10都市には長江デルタが4都市、珠江デルタが2都市ランキング入りし、その優位性が際立っている。メガロポリスや大都市圏の役割がますます重要になり、地域を牽引し、国際競争の土台となっている。

 総合ランキングは全体的に安定している一方、いくつかの一喜一憂がある。前年度と比較すると、2020年には長江中游メガロポリスに属する合肥が第26位から第21位、株洲が第71位から第68位、九江が第98位から第89位と、上昇した。その一方で、北方地域における都市の順位は大きく下がっている。〈中国都市総合発展指標2018〉と〈中国都市総合発展指標2020〉の総合ランキングを比較すると、3年間で瀋陽は第19位から第26位、ハルビンは第29位から第34位、長春は第30位から第36位に後退している。銀川は第67位から第81位へ、フフホトは第56位から第82位へと順位を下げた。この一連の順位変動は、「時流に逆らって進まなければ後退する」ことを鮮明に物語っている。

 中国都市総合発展指標の「中国都市製造業輻射力2020」から、製造業における都市の位置付けがより鮮明になってきた。メガシティでは一部の製造業が分散化され始めた。2020年には上海と広州が製造業輻射力において2018年比でともに2位ダウンしている。他方、成都、西安、南京、無錫が製造業輻射力を4~7位アップした。

 中国都市総合発展指標の「中国都市IT産業輻射力2020」では、武漢と廈門がIT産業輻射力でトップ10入りし、IT産業の中心都市への集中がさらに進んだ。

 完全無欠な指標というものは存在しない。しかし、〈中国都市総合発展指標〉を尺度に、水平的には都市間の比較優位性を、垂直的には都市の発展度合いを明快に測ることができる。熟読すれば、さまざまな視点からの思考を刺激してくれる。少なくとも、私にとってはそうである。


周牧之

東京経済大学教授

 新型コロナパンデミック以来、雲河都市研究院は、感染症対策の有効性と都市の経済回復について高い関心を寄せてきた。 2020年4月17日には逸早く、レポート「新型コロナパンデミック:なぜ大都市医療能力はこれほど脆弱に?(原題:新冠疫情冲击全球化:强大的大都市医疗能力为何如此脆弱?)」を発表している。 同年11月11日は、論文「ゼロ・COVID-19感染者政策Vs.ウイズ・COVID-19政策(原題:全球抗击新冠政策大比拼:零新冠感染病例政策 Vs. 与新冠病毒共存政策)」を発表し、中国の新型コロナウイルス対策と欧米や日本の政策とを体系的に比較した。「ゼロ・コロナ」の報告書や論文は、日本語・中国語・英語で国際的に発表され、中国の感染症政策の有効性に対する国際的な理解と評価に一役を買った。

 同時に、雲河都市研究院は、フォーラム、セミナー、対談などを通じて内外のトップクラスの専門家とともに、新型コロナパンデミックがグローバリゼーション、国際大都市、グローバルサプライチェーン、IT産業、娯楽産業、航空産業、海運産業などに与える影響を研究・議論してきた。

 中国都市総合発展指標2020は、過去4回発表した〈中国都市総合発展指標〉をベースに、都市の感染症対策の効果やパンデミックが関連産業に与える影響に焦点を当て、パンデミック下の中国都市に関する「健康診断」を届けるものである。

 中国都市総合発展指標2020は、中国経済の底力が主要都市の強靭さにあり、効果的な感染症対策が中国都市の発展を保障していることを示している。


日本語版『〈中国都市総合発展指標2020〉から見た中国都市のパフォーマンス 趙啓正、楊偉民、周其仁、邱暁華、周南、周牧之によるレビュー』(チャイナネット・2022年1月20日掲載)(中国网・2021年12月28日掲載)

中国語版『从“中国城市综合发展指标2020”看中国城市的抗疫与经济』(中国网・2021年12月28日掲載)

英語版『COVID-19 response and economy of Chinese cities from the perspective of China Integrated City Index 2020』(China.org.cn・2022年1月5日掲載)

【対談】白井衛 Vs 周牧之:コロナ禍での日中エンターテイメント産業

2021年11月25日 教室にて周牧之VS白井衛

■ 編集ノート:

   東京経済大学の周牧之教授の教室では、リアルな学びの一環として第一線の経営者をゲスト講師に招き、最新の産業経済を議論している。2021年末は、日本のコンテンツ産業最大手、ぴあ株式会社の白井衛取締役を迎え、新型コロナウイルス禍にあって大きな打撃を受けた日中のエンターテイメント産業について対談した。



1.若者による起業の先駆的存在


周牧之(以下周) 白井さんに毎年ゲスト講義をしていただいている私のゼミの学生は今年度、新型コロナウイルス蔓延の影響でキャンパス外での活動が殆どできませんでした。

白井衛(以下白井) 周ゼミはこれまでぴあのインターンシップや小田原市などで調査をされていましたね。


 周
 ぴあのインターンシップでは学生がコンサート興行やイベントなどを経験し、かなり刺激を受けました。ローカルサミットにも毎年参加し、街頭調査などを活発にしていました。今年はそうした活動の代わりに、大学最寄りの国分寺駅にある百貨店マルイと周ゼミとで議論を始めました。国分寺市も巻き込んで、「国分寺の街を変え、大学でのキャンパスライフを変えよう」というコンセプトでやっています。

 マルイはいま、アイカサという傘のシェアリングサービス会社を応援しています。周ゼミがSDGsとシェアエコノミーを学内で実践するために、キャンパスでこのサービスを導入しました。アイカサ社長は若い起業家で、ゼミ生と年齢差があまりないです。

東京経済大学でアイカサを設置


 白井
 そんなに若い方が起業された。

 周 ぴあも若者による起業の先駆的存在として知られている。

 白井 ぴあは、今のオーナーが若い仲間を集めて雑誌を作ったのが始まりです。雑誌の中身は、まさに今のインターネットと同じ、映画、コンサートと芝居の情報です。例えばある映画がどこの映画館でいつ何時に上映されるかチケット代はいくらか、を載せた文化の時刻表を作ったのです。

 1972年にぴあが創業をし、雑誌を作った。その後チケットぴあというビジネスを始め、ぴあカードというクレジットカード機能をつけ、大阪、名古屋、北京に進出し、たくさんの事業をしてきました。

 私は新規事業担当で、チケットや出版以外に、ホテルぴあでホテル予約システム、グルメぴあでレストランの予約システム、結婚ぴあで式場の予約システムを作ったりしました。これらの原点は、その時代時代に自分たちが一番欲しいと思ったものを作ることでした。こんなものがあったら便利だと思うものを作っただけです。

 周 白井さんはぴあの新規事業をずっと開拓し、北京の子会社も作ったのですね。

1972年雑誌ぴあ創刊号


2.起業の極意とは


 周 起業はいまや社会のキーワードとなっています。私が社外取締役をしているある会社の過去10年間の成長分野を分析すると、多くの新規事業は子会社によって成長しています。

 白井 買収によって子会社になった会社が、伸びているのですね。

 周 新しいサービスを展開するスタートアップ企業を買収し、本社が持つノウハウ、資金力、マーケットを提供し、伸ばしている。数字を見てみるとこうしたパターンは、成長が早い。ただ、現在の若手の起業家を見ると、事業予測が甘く、仕事の詰めが甘いケースが実に多い。創業には、何が一番大切でしょうか。

 白井 一番は、自分がやりたいことを形に表すことです。映画や芝居が好きな若者がたくさんいるのは昔も今変わらない。1972年すなわち昭和47年のぴあ創業当時はインターネットも携帯もない。大学に行き、映画にもライブにも行きたいが、情報を調べる方法がない。それを解決するにはどうすればいいのかを考えた。情報を一覧表にまとめて雑誌スタイルにして印刷し出したら売れるのではないか、という発想でした。

 次いで、チケット買うにはどうすればいいのかを考えた。有名ミュージシャンのコンサートチケットはプレイガイドを見るとほとんど売り切れ。渋谷は売り切れでも八王子の窓口では残っていたなどのアナログシステムを、コンピューターで在庫管理するシステムへと変えた。これも要は自分たちが不便だと思うことを捉え、これがあれば便利だ、を作ったのです。グルメぴあも同様で、どこにどんなレストランがあり値段はどうかの情報を本にまとめた。車に乗る人のためにぴあマップという今のGoogleマップのような地図を作った。カーナビのない時代に、地図を見ながら店を探せるようになった。

 周 まず自分たちから見て「これが必要だ」というスタンスに立ち、手持ちの資金で、手持ちの人脈で、やれるところまでやったのですね。伺ったところ、ぴあはTBSでアルバイトをしていた学生が集まって創業した会社で、各人のバイト経験が事業に活かされたとのことです。事業はシビアである、ということを知っていた?

   白井 ソフトバンクのようにレベルの違う巨大な資金力があれば、他企業を買収して会社の規模を大きくすると手っ取り早い。しかし当時のぴあはそんなことはできなかった。やっと雑誌1冊作りあげ、本屋で販売し、残った雑誌は友達に配り、チケットぴあの事業が始まるぐらいの感じでしたから。

 ぴあのメンバーは元々TBSでアルバイトした仲間が土台で、私もある程度サラリーマン時代の会社の規律や仕組みをわかっていた。もっと言うと当時はいきなり新卒をたくさん取れなかった。働いた経験を持ったプロフェッショナル連中が集まって、待遇は全然良くないけれど面白い会社だなと当時ずいぶん言われました。社員みんな会社が楽しくて仕方なかったです。

 周 本当に、好きなことやってビジネスに仕上げるとそうなりますね。

 さきほどの話に戻りますが、自分で創業しようとしたら、厳しさの感覚を、ある程度持たないと続かない。事業の中身の詰めが杜撰でうまくいかなかったスタートアップ企業が大いにあります。白井さんもそうした経験はおありでしょうか。

 白井 起業にとって大切なのは、会社の中にどのくらい資金があり、どれだけの人を投下できるかを考えて展開すること。当時はお金がなく資金繰りをして事業を立ち上げました。小さく産んで大きくした、それがもう一つのポイントです。

 さらにひとつ大事なことは、創業したのち途中で「もうこれ以上は続けられない、精神力だけで続けられない」というところに来る。マーケットを読み間違えたり、全くニーズのないところに事業を始めてみたりということは現実に起こる。新たな事業を起こすときに大切なのは、例えば3年後に黒字にし、ユーザー数が東京だけで15万人などという基準を作り、その基準に達しないときには、基本的に事業を撤退する。そうしないと、リーダーの気概、創業者精神だけでやろうとしても、社員はただつらい思いをするだけになります。つまり、創業した後も、状況を見据えて、撤退基準まで考えて決断することが重要です。


3.リーダーも社員も大切


 周 白井さんご自身は何故起業したばかりのぴあを選んだのですか?

 白井 私は大学を出てヤマハに勤めました。バイク、リゾート、楽器をやる会社です。元々、音楽とエンジンのついたものが大好きで、自分の若い頃のテーマが音楽とバイクの二つでした。バイク扱う企業はホンダもスズキもあるが、両方やる会社は当時ヤマハしかなかった。ヤマハ発動機とヤマハと二つの会社に分かれており、グループ全体で言うとリゾート開発もやる大きな会社です。1979年入社当時、ホンダとヤマハはバイクのシェア争い真最中でした。新入社員は先ず全員営業所に出向させられ私は日本でも最高激戦区の多摩地区に行かされました。オートバイ店に並ぶホンダのバイクを返品させ、いかにヤマハのバイクをおいてもらうかのノルマ競争で、非常に鍛えられました。顧客の小中学生の子供たちに、塾の講師代わりに勉強を教えてあげて、徐々にバイクを買ってもらえる、というようなこともした。

 当然会社ですから営業は大切です。ノルマが厳しい会社は沢山あります。ただ私はバイクのプロモーションやマーケティングのことをやりたかった。音楽が好きでバイクが好きで入社したのに、ホンダとの競争ばかり考えている。目の前で辞める先輩もものすごい数でいた。400人新入社員がいたのが、1年後には半分になった。入社当初からふるいにかけ、第1関門でホンダ以上に売る競争に勝ち抜いたやつだけがヤマハ本社に行けた。そんな厳しい世界で頑張っても、ヤマハは結局ホンダに負けました。私はこのままでは駄目だと思い、子供の時から憧れていたバイクのヤマハを辞めました。

 周 若手の社員を消耗戦に使う企業はいまも結構あります。

 白井 厳しい営業時代を経験し、自分たちでぴあを経営して思ったのは、雇われる社員の気持ちでした。駄目なときは撤退することを早めに言ってやらないと社員が疲弊する。目標が達成できないとボーナス額も減り評価も下がる。目標を達成しているチームへの給料も少なくなり、チーム全体が次第に崩壊していく。要するに弱い野球チームみたいになって、それぞれが殴り合う。もう全く成功につながりません。

 自分の好きなものを一生懸命やると言っても、結果が出せなければチームがついてこない。結局、創業者として引っ張るリーダーはたいへんです。創業者を支えるメンバーもしっかりしてない限り事業はできない。

 周 創業者のリーダーシップとメンバーのサポーティングのバランスが大切ですね。

 白井 その意味では、リーダーは1人がいい、ということです。リーダーをダブルキャストにして2人でやるのは駄目で、責任者が誰かひとりきちんと決まっていることが必要です。創業時に代表取締役社長を2名置く会社もなくはないものの、基本は友達を集めて興す会社でも、ぴあの例もそうですが、最初は6人の大学生による経営陣がいましたが、最後に残ったのはいまの社長ひとりです。合議制はできない。引っ張っていくリーダーと、支える経営層がいて、ちゃんと社長を中心にまとまっていることが大事です。反対意見をたくさん言い意見交換をするべきですが、最後に社長が決めたことがあれば、それについていくことが大切です。


4.都市にはエンタメが必要


 周 起業について非常に大事な話を聞かせていただきました。続いてエンターテイメントについて伺います。アメリカのデトロイト市に地域調査に行ったところ、デトロイトは戦争直後のごとき退廃ぶりでした。ところが、中心部にあるスポーツ施設、劇場あるいはライブ施設には大勢の観客が集まる。都市が退廃しても周辺の地域から人々がエンタメ施設利用のために訪れる。これを見て、エンタメの力を感じた。デトロイトの復興はエンタメ、さらに大学と医療をベースに展開していくでしょう。

 ニューヨークへは、私はボストンにいた2年間よく通っていまして、世界都市としてのコアがエンターテイメントになっている。それにつられて世界中から観光客が来る。ですので、東京もおそらく今後そうした方向に変わる。東京は確かにたくさん素晴らしいエンタメがあるけれども、ただし地域ごとに詳細に見ると、例えば国分寺にはエンタメの場所は見当たらない。映画館もない。国分寺を議論していくにはエンタメも考えなくてはならないと思う。

 白井 そうですか。学生さんがたくさん往来する素晴らしい街なのにね。

 周 国分寺駅2キロ圏には東京経済大学、東京学芸大学、東京農工大学があり、周辺にはさらに津田塾大学、白梅学園大学、武蔵野美術大学、一橋大学、亜細亜大学、嘉悦大学などがあります。中央線沿線に広げればより多くの大学があります。世界的に見てもこれほど若者に恵まれた立地はなかなかありません。問題は、そのような立地に見合ったエンタメの施設が殆どないことです。

 白井 国分寺に映画館を作ることを考えた場合、新宿や渋谷のTOHOシネマのように、例えば8階建ビルの上階をシネコンにし、下階を飲食店やショッピングエリアにする。中国の戦略は非常にこれに近く、中国が今世界一のスクリーン数を持っており、ほとんどがビルの中です。集客効果を上げています。中国は最新の地方都市の計画にこれが入るところが多い。

 映画を見る場合、TVや携帯、パソコン画面であれば、話の途中で自由に止めてトイレに行きご飯も食べられる。映画館なら2時間大きな環境の中で座って見続け、トイレに行ったら話がわからなくなる。本当の感動を得るためにはやはり映画館で見たい。

 同じ作品を見ても、感動の仕方がインターネットの動画やライブ配信と、ナマのライブでは感動が全然違う。

 エンタメは生活になくてはならないものです。動画と映画とをうまくコラボできるといいですね。集積地も作りつつ、映画を見る環境、ライブが見易い場所をもっと開発していく必要を感じます。

 5.映画とライブはエンタメの基本


  映画はやはりエンタメの基本ですね。私が住む「日本で住みたい街ランキング上位」の吉祥寺にもレストランの集積はかなりあるが、映画館はでかいのはひとつだけ。

吉祥寺のレストラン集積


 白井
 日本の最大の娯楽は映画でした。1958年にスクリーン数が7,067枚、観客数でのべ11億3,000万人という時代がありました。私が子供の頃は家の近くに映画館が三つも四つもあった。

 世界最大の映画市場はアメリカだ、と長く言われていましたが、いまは圧倒的に中国です。中国のスクリーン数が2年前にアメリカを抜いて、コロナ禍の中でなお伸びている。いまや観客数はアメリカの2.5倍です。中国では2020年1月24日から7月19日までほぼ半年にわたって映画館が閉鎖されていたにもかかわらずです。2020年の全世界映画興行収入でダントツが中国映画でした。

 周 逸早くコロナの蔓延を制圧したことで、中国映画市場は回復し、多くの中国映画が世界の興行収入ランキングの上位にランクインした。2020年映画の世界興行ランキングで中国映画「八佰(The Eight Hundred)」が首位を獲得した。また、同ランキングのトップ10には、第4位にチャン・イーモウ監督の新作「我和我的家郷(My People, My Homeland)」、第8位に中国アニメ映画「姜子牙(Legend of Deification)」、第9位にヒューマンドラマ「送你一朶小紅花(A Little Red Flower)」の中国4作品がランクインした。また、歴史大作「金剛川(JingangChuan)」も第14位と好成績を収めた。


   白井
 日本の映画作品としては「鬼滅の刃」が全世界で570億円だったそうです。同ランキングの第5位を獲得した。

   周 エンタメのもう一つの基本にライブが挙げられます。吉祥寺には音楽のライブハウスはあっても余り目立たない。音楽家も漫画家もエンタメ関係者もたくさん住んではいますが。

   白井 東京から新宿を通って吉祥寺までの中央線沿いに文化人が集積している。

   周 世界的に人気の文化施設は吉祥寺周辺ではジブリ美術館が有名ですが、そうした施設が吉祥寺にあと10カ所集積してもよいくらいです。

ジブリ美術館


6.
エンタメはいまや都市のメイン産業


 白井 エンタメの集積と言えば、ニューヨークのブロードウエイに若い人たちは1度行ってきたらいいと思う。私は小学生のときから、ずっとニューヨークに行きたい、行けば人生変わるのではと思っていました。ブロードウエイは通り全部にミュージカルの看板が出ています。ウェイは道ですから要するに吉祥寺の井の頭通りみたいな道が一本あり、両脇に所狭しに劇場があります。ブロードウェイで公演をすることは、エンターテイメントの世界で一番の夢です。

 興行の当たり外れははっきりしています。今から10年前、私はプロジェクトリーダーとしてブロードウェイ作品に投資をしました。一口1億円でプロットつまり作品構成が出た瞬間に買い付け、お金を出す代わりに当たったときは配当をもらう、いわば投資のようなものです。

 当たった作品からはいまだに配当が入っています。逆に、全く駄目で始まって1週間で打ち切りの公演もあった。

 ブロードウエイの凄さは集積地であり公演を全部見たくなるところです。チケットはなかなか取れないが、すごいなと思うのは、ブロードウェイのタイムズスクエアには、ハーフプライスチケットセンターといって、各劇場が非常に限られた枚数の当日券を、観光客用に売り切らないで持っている窓口がある。そこは長蛇の列です。並んでいると何かのチケットを半値で買えるとのことで何度か行ったりしました。それがアメリカの代表格、ブロードウエイです。

ニューヨークのブロードウエイ


 周
 ニューヨークのエンタメ集積は都市の魅力となり、観光客だけでなく人材も惹きつけています。ボストンのハーバード大学やMITは世界のトップ大学ですが、ニューヨークに立地している大学との優秀な学生と教員の争奪戦では、かなり苦労しています。IT企業にしても、最近ニューヨークに集まってきた一つの理由は、トップクラスの人材の獲得にある。

ブロードウェイの名作「オペラ座の怪人」


   白井
 イギリスの代表格がロンドンにあるウエストエンド。ここも劇場だらけです。世界ではこれが2大エンタメの発信地。日本もこれに続かなければいけない。日本がうかうかしていると、他国、例えば中国のエンタメ産業にリードされると思う。世界からお客様を呼ぶのは自然のままでは難しい。日本を代表するようなコンテンツは幾つもあるわけで、それをエンタメ集積地で興行していく流れが、今後必要になる。

   ニューヨークは東海岸で、アメリカ西海岸にはカジノがあるラスベガスがもう一つのエンタメの集積地です。サーカスでは「シルクドゥソレイユ」の各ショーや「ブルーマン」をはじめ、ものすごい数の演目が出ている。同様なのは中国マカオです。マカオではカジノだけでなく、ラスベガス同様に家族連れも楽しめる場所を作ろうとしている。

   日本でこれらに一番近いのは銀座でしょう。銀座には帝国劇場、歌舞伎座や東映も松竹もあるが、規模としてはちょっとまだ小さい。まだエンタメ集積地までいかない。銀座、新橋、日本橋辺りにエンタメ集積を作ることです。

ラスベガスのシルク・ド・ソレイユ サーカスパフォーマンス「O(オー)」


 周
 映画、音楽、漫画、アニメはもとよりあらゆるエンタメの世界に関心が高まっている現状を受けて、「エンタメは都市のメイン産業の一つだ」との発想にならなければいけません。

   白井 そうですね。アメリカは、日本よりはそうなっている。

   周 ニューヨークやラスベガスはもちろん、アメリカではニューオリンズなどもまさしくエンタメが都市のメイン産業になっています。中国では、私のふるさとの湖南省長沙市がエンタメ都市になっています。

ニューオリンズの音楽集積地フレンチクォーター


 白井
 中国はライブエンタメ市場の経済規模が、538億人民元(8,328億円)にもなった。農村部でのお芝居や京劇や全部含めて毎年5%伸びている。公演数でいうと300万公演です。公演数の伸びに比べ、観客動員数はさらに増加しています。つまり一つ一つの興行規模が上がっていることを意味します。ミュージカルが好調で、中国の皆さんもどんどん本物志向になり、「キャッツ」、「ウエストサイドストーリー」などブロードウエイのミュージカルを輸入して見せる。上海がミュージカル公演は圧倒的に多いのですが、日本より早いスピードでチケット完売しています。チケットの値段も日本より高い。

マカオの水上ショー「ザ・ハウス・オブ・ダンシング・ウォーター」


7.
エンタメを支える層への支援を


 周 そういう意味では、コロナで苦労しているエンターテイメント産業の下支えを如何に支援するかが大切です。最近NHKでニューヨークの日本人ジャズミュージシャンの番組を見ました。コロナ禍で仕事がなくなり苦労をして大変だったが、ニューヨークはミュージシャンを応援するため音楽家にかなり補助金を出したようです。

   白井 ぴあのシンクタンク、ぴあ総研の数字でライブエンターテイメント市場規模の推移を見ますと、さかのぼって2011年は3,061億円でした。2019年までの約8年間で6,295億円と倍になった。大勢の方が様々なアーティストの全国ツアーを見に行くようになった。ライブをしたいけれど小屋、つまり舞台、ステージが足りない状態でした。

   それが2020年はコロナの影響で同3月から公演が全部中止になり、1,106億円へと一気に縮まった。

   エンタメ業界は大打撃を受けました。興行が中止されぴあの仕事は払い戻しばかりという状態でした。興行中止で一番困るのは誰か。チケットぴあも困るが、出演アーティストも困る。アーティストは人によって違いますが、大きな事務所に所属し給料制の人もいれば出来高でやってる人もいる。但、実は一番困るのは裏方です。照明、音響、舞台美術など裏方でエンタメを支える人々は、会社組織であってもその小さな会社を自分で経営していると、興行が中止になれば仕事が全くなくなってしまう。

   周 音楽産業の厚みは実際裏方にある部分が大きい。コロナ禍の経済対策として日本は、GOTOトラベルキャンペーンは行ったものの、エンタメ産業の裏方の支援は行き届いていないようです。

   白井 海外からの日本入国者数は2019年で3,188万人が、20年になると412万人、21年は9月までの累計で1万7,700人くらいです。オリンピックが普通に開催されていれば4,000万人は突破したとみられています。

   日本では新型コロナ禍による旅行人口減少に対してGOTOトラベルキャンペーンをしたが、エンタメ産業の人に出したお金は極少です。持続化給付金で、事業を継続するための給付金を会社には最大で250万、最小で100万入れても金額はまったく足りない。国民全員に10万円出したが興行を下支えする人たちへの政府補助は圧倒的に少なかった。とくにエンタメを支えていたミュージシャン、組織に属さず自分でコンサートをやる人たちに対する補助は、最初の10万円と、持続化給付金名目のものしかない。

   ぴあが中心になり、エンターテイメント協議会を作り足並みを揃え、2020年から政府にエンタメに対して補助をすべきだと随分言ってきた。政府からするとなかなか線引きが難しいとして、一律の補助以外の個別補助をすることが現段階では何一つない。個々の芸能人、照明の人、音響の人、舞台を作る人は大変苦労した時期だったと思います。

   周 その意味ではいかに政府の支援を引っ張り出せるかについて、業界を代弁できるエンタメのリーディングカンパニーとしてのぴあの役割は大きいですね。

8.デジタルの力をエンタメに


 周 コロナ禍で、オンラインライブが伸びましたね。動画配信でONE OK ROCKのステージを見ましたが、ZOZOマリンスタジアムでのコンサートをオンラインライブするやり方が大成功しました。

ONE OK ROCKのオンラインライブ


 白井
 エンタメ業界の売り上げがものすごい勢いで減る中、光が出たのが、2020年の有料オンラインライブでした。一気に448億円の市場に急成長した。コロナの影響で2020年1月〜3月がほとんどなかった有料オンラインライブが徐々に出てきて10月〜12月にかけて373億まで稼いだ。リアルな興行ができずお客さんも呼べない中、横浜アリーナなど大きな会場を使い照明、舞台設計、音響の人も動員し、さもお客さんがいるような形でやるものも出た。ドローンを飛ばして撮影するようなことをやりながら映像配信を始めた。それが爆発的に当たりました。有料オンラインライブの客層は圧倒的に20代の女性、男性も20代です。

   周 ソニーの「THE FIRST TAKE」もかなりうまくいきましたね。ライブ業界のDXが一気に進むようになった。

ソニーの「THE FIRST TAKE」


 白井
 業界にとってこれから大事なのは、DX、デジタルトランスフォーメーションをどう作り込むかだと思う。

 野球もコンサートもオリンピックもリアルの方が良いに決まっている。でも例えば、横浜アリーナの2階席からアーティストを見るのであれば、テレビや動画で見るのとほとんど変わらないと感じるかもしれない。1万円ぐらい払ってナマで見れば臨場感は違うが、家にいてオンラインで見れば、3500円で済む。スポーツもテレビで見る方が遥かに見易く、解説もついてわかりやすい利点がある。

   周 オンラインライブの将来は、リアルライブでは出来ない見せ方を如何に引っ張り出すのかにかかってくる。

   白井 DXが進み、携帯が5Gになり、非常に多くの伝送容量が稼げて、より鮮明な映像を携帯でもテレビでも見ることもできる時代になる。DXはもっと進化させなきゃいけない。リアルを超えるDXは作れないのか。リアルの映像を、ドローンを飛ばして、アーティストの正面まで撮って、ドアップで撮るってカッコいいと思った先を、次はデジタルトランスフォーメーションで5Gの力を使ってどう展開するのか。

   例えば乃木坂46をテレビで見る限りは、一人をずっと見ているわけはいかない。自分の好きな一人だけを追いかけたいとすれば、これはDXじゃないとできない。ライブでは一番前の席を取ればいいが、そうでなければ客席から遠すぎて見えない。それを、乃木坂46のカメラDXができて、ドローンから自分の好きな映像だけを選んで見るために5GとDXの力を使う。そうした工夫は、興行側もまだまだ展開できる。

   どうしても私はリアルが一番だと言ってしまいがちです。映像がリアルを超えるときは来るのでしょうか。携帯の性能がよくなりパソコンも通信の容量が大きくなることによって、時代は何年後かに変わっていくだろうし、変わっていかなければならないとは思っていますが。

   周 いままでとは違う見方が求められる。リアルとオンラインとの棲み分けが必要です。さらに、相乗効果の可能性もあります。例えば映画とOTTの関係では、映画としての「鬼滅の刃」が爆発的に売れた一つの理由は、ほぼ世界中のOTTプラットフォームでアニメ「鬼滅の刃」をことごとく流したから。そのやり方は、後の映画版と大きな相乗効果を生んだ。ライブの場合も、オンラインは今後面白い見せ方をしてリアル作品との相乗効果を作っていくことになるでしょう。


 白井
 いま日本映画はこの方式が多く導入されている。テレビでまず連続放映し、続きが映画になる。たとえば、テレビ朝日の「相棒」が20シーズンも続き、その都度映画も出来てヒットする。中身そのものは特別に映画だからといって規模感は大きくなっても、仕掛けは変わっているわけではないのに映画も当たる。

   周 情が移ることを意識する作戦です。テレビをきっかけに見る側が主人公に情感を得ると、映画も見たくなる。それで映画も当たれば、数字的には食べられるということで、作戦としてはいいですね。

   これからデジタルの力でエンタメの新展開が大いに期待できます。


プロフィール

白井 衛

ぴあ株式会社取締役

 1955年生まれ、東京都出身。79年ヤマハを経て、ぴあ株式会社入社。広告営業(電通担当)、大阪支社・名古屋支局開設責任者、新規事業開発(グルメぴあなど)、会員事業担当、アメリカ・カナダでの事業開発を経て、現職は、ぴあ株式会社取締役アジア事業開発担当、ぴあグローバルエンターテインメント代表取締役社長、北京ぴあ希肯副董事長。


中国語版『新冠疫情下的中日娱乐产业』(中国网・2022年2月15日掲載)

【コラム】横山禎徳:都市デザインの発展段階説

横山 禎徳

東京大学総長室アドバイザー、マッキンゼー元東京支社長


 都市の歴史は長い。少なくとも7000年の経験の蓄積がある。これまでに、考えられるほとんどの都市形態が試されたといっていいだろう。都市をデザインするアプローチも進歩してきた。しかし、必ずしも十分ではない。時代からくる制約も大いにあったのだが、都市の活動を組み立てるという視点から重要な考え方が欠けているのではないかと思う。ここで、筆者が新しい発想に基づいた時代の要求に対応するために最も望ましいと思うアプローチを提案してみたい。

 都市のデザインには発展段階説が当てはまると考えられる。実体論的段階、機能論的段階、構造論的段階、そして、筆者が提案するソフトウェア論的段階である。

 実体論的段階とは、形の美しい都市はいい都市だという議論である。中世のヨーロッパには「理想都市」と呼ばれた都市が存在した。現代でもスイスには多角形のきれいな形をした城塞都市が残っている。しかし、誰が考えてもすぐわかるように、形と都市の質とは直接関係はない。実際、それらの「理想都市」は汚れた不衛生な都市であった。また、ペストなどの疫病にも無防備であった。それだけでなく、形自体が閉じていて、都市のダイナミックな発展を阻害した。すなわち、スタティックな発想である。

 今から考えると、素朴なアプローチである。しかし、こういう都市デザインの考え方が現代に全くなくなったわけでもない。例えば、ブラジルの首都、ブラジリアは飛び立たんとする鳥か飛行機の形をしている。最近、ドバイで開発された高級住宅地域のパーム・ジュメイラは空からみると、ヤシの木のような形をしていて美しい。実際にその地域を訪れた印象では、住んでみたいという気持ちが湧いてこない、殺風景な住宅街であった。

 形が美しいだけでは不十分だ、機能が伴っていないといけないという考えが当然出てくる。それが機能論的段階である。都市の機能とは何か、それは、住む、働く、遊ぶという三つの機能だというのが20世紀前半のCIAM(近代建築国際会議)の考え方であった。その思想影響を受けたと考えられるのが、オーストラリアの首都、キャンベラである。基本形は実体論的段階で幾何学模様の組み合わせであるが三つの機能を湖のある地形を生かしながら美しく配置した。

 しかし、一旅行者としての現地の印象は、建設を開始して何十年もたっているにもかかわらず、魅力ある都市への自発的な展開はまだまだのようだった。都市活動の自由な発想は人が動き回ることから出てくることが多いのだが、歩行者にもそれほどフレンドリーでもないことが、その展開を遅らせているようにも感じた。例えば、国会議事堂の一般参観者に対してオープンな雰囲気とその地下にある巨大で閑散とした駐車場の対比が印象的であった。車に頼らないとアプローチがむつかしい設計になっているのだ。

 次に、当然、それらの機能をどのように人間の活動を生かすように配置するのかというアプローチが必要となってくる。すなわち、構造論的段階である。幾何学模様では人が生活する都市の自発性と活気を作り出すことがむつかしいことも分かった。それではどういう形、あるいは構造が望ましいのだろうか。もっとも基本的で普遍的な形であり、様々な都市生活者の活動を受け入れる自由度のある碁盤の目の形は都市の構造として古代から現代までよく使われてきた。ローマの都市、長安や京都、そしてニューヨークのマンハッタンの街区、近年では、ル・コルビジェがデザインしたインドのチャンディガールがある。

 道路を境界とした機能の配置、すなわち、ゾーニングを計画し実行することで、都市の活動をコントロールできるし、あるいは、都市活動をデザインする人間の能力の限界を感じたのか、1kmのグリッドを決めただけで何も計画せず、ダイナミックな都市活動の自律展開に任せた、英国のミルトンキーンズのような大胆な発想も可能である。

 しかし、一時期マンハッタンでは犯罪が多発したことがあったが、その理由を碁盤の目構造をした道路網のせいにすることはできないであろう。もっと別の理由があったのである。当時のリンゼー市長が私服の警官を大量に増やすことで犯罪は減少した。構造論的アプローチだけでは都市生活の質を確保するデザインはできなかったのである。そして、こんごでてくるであろ、これまで経験しなかった新しく多様な課題に対応することはできそうもないのである。

 ではどうするか。それは、筆者の提案するソフトウェア論的段階のアプローチを活用することである。すなわち、都市はその形態の裏に多種の「社会システム」の重層構造で成り立っているという考え方である。誰でもすぐにわかるのは電力供給システム、上下水システム、交通システム、情報・通信システム、医療・衛生システム、治安システム等である。これらはすべてシステムを作動させるオペレーティング・システム・ソフトウェア(OSS)がデザインされている。これらのシステムが都市に備わっていないと都市は機能しないことは明白だ。

 このような当たり前のことも、近年やっと広く認識されるようになった。筆者が40年以上前、ハーバード・デザイン・スクールのアーバン・デザイン学科にいた当時はまだ、タウンスケープとかアーバニティとか都市形態の考え方が主流であり、「都市のソフトウェア」という概念は明確でなかった。教授陣も建築家出身がほとんどであり、そこから転身して「アーバン・デザイナー」としての職能を確立しようとしている段階であった。そのころ、日本のある文芸評論家が「建築家が都市をデザインするのは、万年筆メーカーが小説を書くようなものだ」と皮肉ったが、そういわれても仕方がない面があった。

 アーバン・デザイナーも発展途上であっただけでなく、「アーバンはデザインできない。デザインできるのはアーバン・システムなのだ」ということもわかっていなかった。従って、それらのアーバン・システムをデザインするのがアーバン・システム・デザイナーであり、アーバン・システムを活用するのがシティ・マネージャー、アーバン・マネージャーだという概念も出来上がっていなかったのだ。それから数十年経ち、アーバン・システム・デザインという考え方が段々と出来上がりつつあるように思う。

 都市は「触れて目に見える」フィジカルなシステムから「触れなくて目に見えない」社会習慣や文化に至る大量なレイヤーが重なった複合的システムで出来上がっている。そして、これまで経験したことのないような新しい課題が時代とともに出現している。空気汚染、大量のごみ・廃棄物の処理、集中豪雨や経験のないほど高い気温、そして、これは過去にもあったのかもしれないが、よりグローバルな形で今回のCOVIT-19のような疫病の蔓延などが出てきている。これらの課題に対して新たな「社会システム」をデザインし実施することが強く求められる時代になってきているといえる。

 その課題解決のためには担当部署という「箱」と施設というハードウェアを作る前に、まずOSSをまずデザインすることだ。東京都の地下にある巨大な雨水貯蔵空間も「集中豪雨時対応排水システム」に必要なハードウェアである。

 今後必要が高まってくる都市システムのサブシステムとしての各種の「社会システム」をデザイン能力が都市をデザインする職能の必要条件になってくるであろう。すなわちソフトウェア論的段階の都市デザインのアプローチである。


プロフィール

横山 禎徳 (よこやま よしのり)

 1942年生まれ。東京大学工学部建築学科卒業、ハーバード大学デザイン大学院修了、マサチューセッツ工科大学経営大学院修了。前川國男建築設計事務所を経て、1975年マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し、同社東京支社長を歴任。経済産業研究所上席研究員、産業再生機構非常勤監査役、福島第一原発事故国会調査委員等を歴任し、2017年より県立広島大学経営専門職大学院経営管理研究科研究科長。

 主な著書に『アメリカと比べない日本』(ファーストプレス)、『「豊かなる衰退」と日本の戦略』(ダイヤモンド社)、『マッキンゼー 合従連衡戦略』(共著、東洋経済新報社)、『成長創出革命』(ダイヤモンド社)、『コーポレートアーキテクチャー』(共著、ダイヤモンド社)、『企業変身願望−Corporate Metamorphosis Design』(NTT出版)。その他、企業戦略、 組織デザイン、ファイナンス、戦略的提携、企業変革、社会システムデザインに関する小論文記事多数。

【レポート】周牧之:東京オリンピックから見たもう1つの金メダル攻防戦

周牧之 東京経済大学教授

編者ノート:2020東京五輪は、新型コロナウイルスパンデミックによる1年の延期を経て、2021年7月23日から8月8日まで開催された。様々な困難を乗り越え競技自体は順調に展開された。

   同大会での金メダルランキングを見ると、中国は38枚、日本は27枚と、アメリカに次いで第2位、第3位に入った。オリンピック125年の歴史上、金メダルトップ3に、初めてアジアの国が2カ国入った。東京経済大学周牧之教授は、五輪でのアジア躍進の裏にあるもう1つの金メダル攻防戦を解き明かす。



1.  金メダルの鉱脈をどう作る?


 日本は2020東京オリンピックで27枚の金メダル、14枚の銀メダル、17枚の銅メダルを獲得、計58枚のメダル奪取は日本の五輪大会参加史上最高数となった。とくに柔道は、金メダル9枚を奪い、日本の金メダル総数の三分の一を稼ぐ最大のゴールド競技種目となった。

 表1で示すように2020東京五輪は、史上最多の33競技種目が行われ、なかでも柔道は15枚の金メダル数を誇る一大競技種目だった。

   柔道は1964東京五輪で初めて採用された競技種目で、当時の金メダル数は僅か4枚であった。その後、種目メダル数を徐々に増やした柔道は、水泳、陸上、体操、自転車、レスリング、カヌーに次いでメダル数を誇る五輪競技種目となった。まさに「小さく産んで大きく育てた」成功事例である。

表1 2020東京五輪33競技種目における金メダル数

注1:順位は競技種目の金メダル数順、同数の場合は五輪正式種目になった時期順である。
注2:太文字の競技種目は1964東京五輪、1988ソウル五輪、2020東京五輪で初めて正式競技種目及び公開競技となったものである。

出所:2020東京五輪公式サイト、各競技種目国際連盟公式サイトなどより作成。

 柔道は、正式なオリンピック競技種目となって以来、一貫として日本の最大の金メダル競技種目であり続けた。

   表2で示すようにとくに、1992バルセロナ五輪、1996アトランタ五輪、2000シドニー五輪、2004アテネ五輪において柔道は、日本の金メダル総数のそれぞれ67%、100%、80%、50%を稼いだ。柔道は、これらの五輪大会で日本の金メダル争奪戦の支柱であった。

   柔道が競技種目から外された1968メキシコシティ五輪及び日本が参加をボイコットした1980モスクワ五輪を除き、これまでに柔道競技種目のあった五輪大会は計13回あった。日本はこれら13回の大会で獲得した計134枚の金メダルのうち、柔道だけで48枚をも稼いだ。メキシコシティ五輪を入れても、1964東京以降の五輪大会における日本の金メダル獲得総数の中で、柔道種目が占める割合は33%に至った。全体として見ても日本にとって柔道は、五輪で最も貢献度の高い競技種目であった。

   これらの五輪大会での柔道種目の金メダルは計152枚あり、日本はその32%を勝ち取った。同種目における王者ぶりを見せつけた。

表2 各五輪大会において日本が獲得した柔道金メダル数

注1:1968メキシコシティ五輪では柔道は競技種目から外された。
注2:日本は1980モスクワ五輪参加をボイコットしたため金メダル数はゼロである。
出所:2020東京五輪公式サイト、日本オリンピック委員会公式サイトなどより作成。

 2020東京五輪では新たにスケートボード、スポーツクライミング、サーフィン、空手、野球・ソフトボールの5つの競技種目が加わった。これらの新設競技種目も直ちに日本の金メダル獲得に大きく貢献した。

 日本は同新設5競技種目で、金メダル6枚、銀メダル4枚、銅メダル4枚を勝ち取った。これは今大会で日本が得た金メダル総数の22%、銀メダル総数の29%、銅メダル総数の24%に当たる。新設競技種目が果たした効果は絶大であった。

 表3で示すように、1964東京五輪で新設した柔道とバレーボールの2競技種目も加えれば、二度の東京五輪で新設した計7競技種目で、今大会の日本チームに、合わせて15枚の金メダルがもたらされた。これは2020東京五輪における日本の金メダル獲得総数の56%にも相当する。

表3  2020五輪各競技種目における日本の金メダル数

注1:競技種目順は表1同様。
出所:2020東京五輪公式サイト、日本オリンピック委員会公式サイト、各競技種目国際連盟公式サイトなどより作成。
2021年7月24日、東京五輪柔道男子60キロ級決勝で日本選手の高藤直寿(左)が中華台北選手の楊勇緯を破り、金メダルを獲得。

2.アジア四度の五輪における種目新設ゲーム


 初回の1896アテネ五輪大会では陸上、競泳、ウエイトリフティング、射撃、自転車、レスリング、体操、フェンシング、テニスの9競技種目しかなかった。2020東京五輪になると、種目数は33に増え、金メダル数も339枚に上った。1896アテネ五輪から2020東京五輪までの125年間で多くの国が、自国に有利な競技種目をオリンピックに引き入れた。

(1)国際オリンピック委員会と開催国とのパワーバランス

   オリンピックにおける競技種目の新設はハードルが高く、審議の過程が複雑である。しかし競技種目の新設に関しては、時期によって多少違いはあるものの、五輪開催国が一定の提案の権限を持つ。

   大雑把に整理すると、1984ロサンゼルス五輪まで、五輪大会のビジネスモデルが確定せず赤字続きで大会開催国(都市)の確保が困難だった。そのため、国際オリンピック委員会(IOC:International Olympic Committee)と開催国(都市)のパワーバランスはより後者にあり、競技種目の新設に関する主導権も後者に有利だった。

   1984五輪では開催都市の申請はロサンゼルスのみであった。それを契機に、ロサンゼルス五輪ではピーター・ユベロスの主導で放送料権の入札、1業種につき1社に限定でのスポンサー契約など思い切った取り組みが行われ、テレビ放送料権、スポンサード(協賛金)、観戦チケット販売の3本柱からなるビジネスモデルが確立され、五輪大会の収益が急増した。さらに、衛星伝送技術による全世界に向けたテレビ中継により五輪人気が高まった。これにより、IOCのパワーが増大し、新設種目に関するIOCの規制も徐々に強まった。

2021年7月27日、東京五輪の試合で中国女子バレーボール選手、朱婷がスパイク。

(2)アジア五輪での競技種目の新設

   アジアにおいて、初めてのオリンピック開催は1964東京五輪であった。日本は開催国の地位をうまく活かし、柔道とバレーボールを新設競技種目として取り入れることに成功した。

 1964東京五輪で、日本は4枚あった柔道の金メダルのうちの3枚を取った。バレーボールでは2枚の金メダル争いのうち、いわゆる「東洋の魔女」が女子の金メダルに輝き、男子は銀メダルを獲得した。同大会で日本は合わせて16枚の金メダルを獲得し、その四分の一を新設競技種目の柔道とバレーボールが占めた。

 アジアでの二度目のチャンスは、1988ソウル五輪であった。この大会では卓球が新設競技種目入りし、バドミントン、テコンドー、野球も初めて公開競技としてオリンピックの舞台に登場した。

   ソウル五輪で、卓球は直ちに韓国に2枚の金メダルをもたらした。バドミントンと野球はソウル五輪での公開競技を経て1992バルセロナ五輪に、テコンドーは2000シドニー五輪でそれぞれ正式競技種目となり、韓国の金メダル獲得種目となった。卓球、バドミントン、テコンドー、野球の4種目はこれまでの五輪大会で、韓国に合わせて22枚の金メダル、13枚の銀メダル、27枚の銅メダルをもたらした。

 残念ながら2008北京五輪において、競技種目の新設は成らなかった。中国は自ら金脈を掘るチャンスを逃した。

   日本は、競技種目の新設にあたり、1964東京五輪の経験と、その後半世紀の準備期間を踏まえ、2020東京五輪で一挙に5つの競技種目を新設することに成功、金メダル攻防戦における礎をさらに強固にした。

2021年8月7日、東京五輪野球決勝戦で日本チームが優勝を祝う。


3.中国のオリンピック金脈:強くても、メダル数に欠け


 二度の東京五輪とソウル五輪で新設された競技種目は、10種目にのぼる(公開競技として登場し、その後正式競技種目になったものを含む)。この10種目すなわち柔道、バレーボール、卓球、バドミントン、テコンドー、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィン、空手、野球・ソフトボールのほとんどは、アジア人の身体能力に適した競技種目である。

   実は、こうした競技種目は中国の金メダル獲得にも多大な貢献を果たした。今回の東京五輪大会で、中国はこの10種目で金メダル6枚、銀メダル8枚、銅メダル2枚を獲得した。

   とりわけ中国は卓球で4枚、バドミントンで2枚の金メダルを奪った。これは、この2つの競技種目の金メダル数の、各々五分の四、五分の二に当たる。

   これまでの五輪大会で、中国は卓球で累計32枚の金メダルを獲得した。これは同競技種目の金メダル数の86%を占めている。バドミントンでは中国は合計20枚金メダルを獲得し、これは同競技種目の金メダル数の51%を占めた。卓球とバドミントンの両競技種目は圧倒的優位で、中国金メダルの大鉱脈となった。

2021年8月5日、東京五輪の卓球女子団体決勝で中国チームの陳夢(上左)/王曼昱(上右)が日本チームと対戦。

   しかし、金メダル数からすると、この二競技種目で獲得できる枚数はなかなか増えていない。その理由は、卓球がソウル五輪以来、金メダル数は4枚に止まり、2020東京大会でようやく5枚となったことにある。

   バドミントンも、1992バルセロナ五輪で正式種目となり、4枚の金メダルを据え、1996アトランタ五輪でバドミントンの金メダル数は5枚になったものの、その後金メダル数に変化はない。

   卓球とバドミントンの金メダル数は、柔道のように当初の4枚から現在の15枚へと大金脈に発展するような展開にはなっていない。

   それにも関わらず、中国のこれまでの五輪での金メダル獲得総数の中で卓球は、水泳、ウエイトリフティング、体操に次いで第4位の競技種目である。バドミントンも同第6位の種目となっている。

   上記の分析から、強い競技種目における金メダル数を如何に増やしていくかについても、オリンピック金メダル攻防戦における一つ重要な課題であることが分かる。

2021年7月27日、東京五輪ソフトボール決勝戦で日本チームが金メダルを獲得。


4.武術の五輪への道程


 武術をオリンピック競技種目にするのは中国人の夢である。特に柔道、テコンドー、空手が相次ぎ五輪正式競技種目となったいま、夢実現への思いはさらに強まっている。

(1)武術はこれまで、なぜ五輪の正式競技種目になれなかったのか。

   武術にとって2008北京五輪は正式競技種目になる絶好のチャンスであった。しかし主催国の「特権」を駆使したにも関わらず、武術は最終的に同五輪期間では「2008北京五輪武術トーナメント」としての特別開催にとどまった。その後の五輪大会においても武術はいまだオリンピック正式競技種目にはなれていない。

 十分な準備期間がなかった故であろうか?

   柔道の場合は、1951年に国際柔道連盟(IJF:International Judo Federation)の設立から1964東京五輪で正式競技種目になるまで13年かかった。テコンドーの場合は、1973年にワールドテコンドー(WT :World Taekwondo)が設立し2000シドニー五輪で正式競技種目となるまで27年かかった。空手は、1970年の世界空手連合(WUKO:World Union of Karate Organizations)設立から2020東京五輪での正式競技種目採用まで50年を費やした。

   武術の場合は、1990年国際武術連盟(IWUF:International Wushu Federation)の設立から2008年の北京五輪まで18年もあった。この時点ですでに柔道の場合より準備期間が長かった。さらに2020東京五輪までは30年の準備期間を擁していた。その意味では決して時間が足りなかったとは言えないだろう。

 実際の問題は、武術の競技種目としての中身の設置戦略にあった。

 武術を北京五輪正式競技種目として申請するにあたり、2001年に国際武術連盟がIOCに提出した設置案の中身には、男子は長拳、南拳、刀術、棍術の4種目が、女子は長拳、太極拳、剣術、槍術の4種目が挙がった。競技種目としての中身が煩雑で統一したルールもなく、審議が通らなかったのも当然であった。

2021年8月6日、東京五輪の空手男子形の決勝で日本選手の喜友名諒が金メダルを獲得。

(2)柔術をスポーツへと生まれ変わらせた柔道

 前述のように、武術と対照的な事例は柔道である。柔道の成功要因には、嘉納治五郎が早くも1882年に柔術理論及び技術の体系をとりまとめ、危険性のある技を取り除き、近代的な訓練方法を制定したことが挙げられる。これにより伝統的な柔術は、近代的な柔道というスポーツへと生まれ変わった。1909年東洋初のオリンピック委員会委員となった嘉納治五郎のような近代スポーツに理解のある人物による柔術のスポーツへの改造が、極めて重要な役割を果たした。

 第二次大戦後、日本は世界に柔道を積極的に広めると同時に、スポーツとしての柔道の規範をさらに改善し、世界に受け入れられる競技へと発展させた。

 1964東京五輪で日本は柔道を金メダル4枚の正式競技種目として、織り込んだ。その後徐々に性別、重量別の金メダル数を増やし、最終的に15枚の金メダルを誇る一大競技種目に仕立て上げた。柔道は、いまや日本のオリンピックにおける大金脈となっただけでなく、日本の歴史文化を世界へ伝える一大ソフトパワーともなっている。

   柔道の経験から見ると、武術の五輪への道は先ず種目の中身をシンプルに絞る必要がある。数多くの武術種目をいくつかの競技種目に分け、段階的にオリンピックに織り込んでいくことが考えられる。

   何より大事なのは、伝統的な武術を近代的なスポーツへと変貌させていくことである。そのためには、柔術を柔道へ変身させた嘉納治五郎や、テコンドーを近代スポーツとして形を整えた崔泓熙のような人物を中心に協議を重ね、五輪競技種目化への整備を進めることが重要となる。

2021年7月 25日、東京五輪のテコンドー男子68キロ級の試合で、中国選手の趙帥(右)が韓国選手の李大勲を破り、銅メダルを獲得。

(3)太極拳に的を絞る

   上記の分析から、武術の五輪への道は先ず、国際的な愛好者の多い太極拳に的を絞って進めることが考えられる。

   現在、世界の太極拳愛好者は億人単位にのぼると言われ、国際的な知名度も好感度も高まっている。太極拳を五輪種目入りさせるには、以下に挙げる3つのステップが必要であろう。

   ① 数多くの流派がある太極拳を、近代スポーツとしての太極拳として、その統一的な競技ルールを取り決める。

   ②  太極拳を国際武術連盟に属するひとつの種目として留め置くことなく、独立した国際太極拳連盟を設立し、IOCの認可を得る。

   ③  国際的な普及を進め、オリンピック正式競技種目として申請する。正式競技種目となった後にも継続して同種目における金メダルの設置数を増やしていく。

   自国の伝統文化をオリンピックの金脈として形作るには、正確な戦略と長期にわたる努力が欠かせない。

2018年4月28日、愛好家がマルタ共和国の首都バレッタで太極扇を披露。


5.
アジア五輪での新設競技種目はアジアに貢献


   前述したように初開催の1896アテネ五輪大会では9つの競技種目のみであった。当時アジアでは近代スポーツに関する認識がまだ薄かった。これらの種目にもアジア発のものはなかった。

   アジアで、これまで四度行われた五輪のうち、東京五輪とソウル五輪で新設された競技は、10種目にのぼる(公開競技として登場し、その後正式種目になったものを含む)。表1が示すように、これらアジア五輪新設種目は今回の東京五輪の33種目の30%にあたり、その金メダル数は全種目合計339枚の16%に当たる。

   アジア五輪で新設された競技種目のほとんどは、アジア人の身体能力に適した種目である。こうした競技種目の増設により、アジア諸国のオリンピックにおける存在感も高まった。2020東京五輪で金メダル獲得数のトップ3に中国と日本という2つのアジアの国が入ったことは、競技種目の新設努力によるものが大きい。

   表4が示すように1964東京五輪以来、アジア五輪新設競技種目が稼ぎ出した金メダル数は、日本の金メダル獲得総数の40%にものぼった。

表4 アジア五輪の新設競技種目で日本が獲得した金メダル数

出所:2020東京五輪公式サイト、日本オリンピック委員会公式サイトなどより作成。

 表5が示すように、韓国が1964東京五輪以来、アジア五輪新設競技種目で稼ぎ出した金メダル数は、同国の金メダル獲得総数の34%にものぼった。アジア五輪新設競技種目は韓国の五輪の成績にも大きく貢献した。

表5 アジア五輪の新設競技種目で韓国が獲得した金メダル数

:野球は1988ソウル五輪で公開競技となった。1992バルセロナ五輪で正式競技種目となったが、2012ロンドン五輪で正式競技種目から外された。2020東京五輪で野球・ソフトボールとして正式競技種目になった。本表は便宜のため野球の金メダルを野球・ソフトボール欄に入れた。
出所:2020東京五輪公式サイト、Korean Sport & Olympic Committee公式サイトなどより作成。

   表6が示すように中国は1984ロサンゼルス五輪で初参加して以来、アジア五輪新設競技種目が稼ぎ出した金メダル数は、同国の金メダル獲得総数の26%にのぼった。アジア五輪新設競技種目は中国の五輪成績に大きく貢献した。前述したように卓球とバドミントンがすでに中国の強い競技種目となっていた。それだけではなく、これまでに柔道、テコンドーでもそれぞれ8枚、7枚の金メダルを獲得した。バレーボールも人気が高く、これまでに3枚の金メダルを獲得している。これらのアジア五輪新設競技種目は中国に金メダルをもたらしただけではなく、人気スポーツとして中国での普及が進んでいる。

表6 アジア五輪の新設競技種目で中国が獲得した金メダル数

出所:2020東京五輪公式サイト、中国国家体育総局公式サイトなどより作成。

 アジア五輪新設競技種目には柔道、テコンドー、空手などアジア諸国の歴史文化のバックグラウンドを持つ競技もある。これらの競技種目は、関係国のソフトパワーを世界へ発信する大きなチャンネルとなった。

 特記すべきは、こうした新設競技種目が、アジアにおける人的交流をも一層促進したことである。

2009年8月8日、愛好家34,000人が北京の五輪スタジアム前で太極拳を披露。


6.中国における卓球の「北強南弱構造」


 卓球は1988ソウル五輪から正式競技種目になって以来、合計37枚の金メダルが出た。中国はそのうち86%に当たる32枚を獲得した。卓球はいまやオリンピックおける中国の最強種目となっている。

 中国を、長江を境として北部と南部とに大雑把に分け、これまでの計29人の卓球五輪金メダリストを出身地別に見た。21人が北部出身であり、特に東北地方出身者は10人にのぼった。南部出身者は8人であった。すなわち中国卓球五輪金メダリストの出身地では北部は72%、南部は28%となっている。

表7 中国の卓球五輪金メダリスト出身地

:金メダリストの中には一人で複数の金メダルをとる選手もいるが、金メダリスト一人として換算する。
出所:中国国家体育総局公式サイト及び中国卓球各オリンピック金メダリストの公開情報により作成。

 中国の卓球オリンピック金メダリストに北部出身者が多いだけではない。興味深いのは、日本のトップクラスの卓球選手の多くが、流暢な北部訛りの中国語を喋ることである。日本の一流選手のコーチに、中国北部出身者が多い故である。

 中国の卓球選手が選手として、そしてコーチとして、世界各国で活躍して久しい。

 この現象はスポーツとしての卓球の世界的普及に大きな役割を果たしてきた。日本でも大勢の中国出身の卓球コーチが日本人選手育成に尽力している。これら中国北部出身のコーチは日本で教えるだけでなく、教え子をふるさと中国での強化合宿に連れて行く。中国での特訓で育てられた日本人選手は、自然と北部訛りの中国語を会得する。

 例えば四度の五輪出場を果たした日本人卓球選手の福原愛は、専属コーチも専属スパーリングパートナーも中国東北地方出身者であった。彼女はまた中国遼寧省にある本渓鋼鉄クラブに所属したことで、東北訛りの中国語にさらに磨きをかけた。

2021年8月25日、「ピンポン外交」50周年記念の友好試合が愛知県名古屋市で開催。福原愛が技を披露。

 卓球のオリンピック金メダル分布は、中国で「北強南弱構造」になっているだけではなく、世界的に見ても中国、日本、韓国といった北東アジアに集中する構造になっている。

 これまでのオリンピック大会の卓球競技の結果を見ると、中国は金メダル32枚、韓国は同3枚、日本は同1枚を取り、三カ国合計で同種目97%の金メダルをものにした。唯一の例外は1992バルセロナ五輪でスウェーデンの選手が金メダルを1枚獲得したことである。

 北東アジア三カ国が、オリンピックにおける卓球金メダルを総ナメできたことは、同地域における濃厚な人的交流の賜物である。

 卓球は日本ではオリンピックで決して強い種目ではないものの、人気が高い。これは中国の選手との長い交流や切磋琢磨の歴史が寄与しているといっていい。

 これに加え、卓球を介した歴史的なエピソードも残っている。1971年、愛知県名古屋市で行われた第31回世界卓球選手権に、中国が6年ぶりに出場し、大会終了後に中国がアメリカの卓球選手を自国に招待したことを契機に世界のパワーバランスが大きく変わった。同年7月にキッシンジャー大統領補佐官が極秘に訪中、1972年2月にニクソン大統領が訪中、のちの日中国交正常化もすべてがこの「ピンポン外交」の賜物であった。中国の改革開放そしてソ連の崩壊も、こうしたパワーバランスの変化の結果といえよう。卓球を介した歴史の大転換を記念する行事は、いまなお日本で開催されている。

 AI対話アプリを提供するSELFが2020東京五輪の直後に実施した「東京オリンピックに関するアンケート調査」では、「東京オリンピックで、あなたが最も楽しんだ競技は?」の回答で、ダントツ1位に輝いたのは卓球だった。オリンピックで最も金メダルを稼いだ柔道は第3位であった。卓球の絶大な人気には、アジアの人的交流の積み重ねがある。

 歴史のさまざまな要因で北東アジアの国と国との関係と感情には、いまだ対立と不信感が残っている。しかし、長い交流の歴史があるゆえに、北東アジアにおける個人と個人の間には、強い磁力がある。

2021年7月30日、東京五輪の卓球男子シングルス決勝で中国選手の馬龍がチームメイトの樊振東を破り、金メダルを獲得。


7.中国におけるバドミントンの「南強北弱構造」


   中国での卓球の「北強南弱構造」と真逆なのが、バドミントンの「南強北弱構造」である。

   バドミントンは1988ソウル五輪で公開競技種目となり、1992バルセロナ五輪で正式競技種目となった。その後のほぼ30年間の五輪大会で、バドミントンは合計39枚の金メダルを出した。中国はそのうち51.2%にあたる20枚をも獲得した。バトミントンは中国にとってオリンピックで金メダルを稼げるもうひとつの強い競技種目であった。

   五輪史上中国の計22人のバドミントン金メダリストの出身を調べると、表8が示すように今度はなんと南部出身者が多かった。具体的には、長江以北が僅か5人で、長江以南が17人に上った。すなわち中国バドミントン五輪金メダリストの出身地では南部は77%、北部は23%となっている。

表8 中国のバドミントン五輪金メダリスト出身地

注:金メダリストの中には一人で複数の金メダルをとる選手もいるが、金メダリスト一人として換算する。
出所:中国国家体育総局公式サイト及び中国バドミントン各オリンピック金メダリストの公開情報により作成。

   視野を中国からアジアに拡げると、オリンピックのバドミントン金メダル数は累積で中国のほかインドネシア8枚、韓国6枚、日本1枚、中華台北1枚となっている。オリンピックのバドミントン金メダルにおけるアジアの国と地域の獲得率は92%にものぼる。ここに、もう1つアジアにおける人的交流の道が見えてくる。

   中国でのバドミントンの発展は、インドネシア華僑の貢献が大きい。1954年王文教ら4人の華僑がインドネシアから中国に帰国したことが、スポーツとしてのバドミントンの中国展開の始まりであった。1960年、インドネシアから湯仙虎、侯家昌、方凱祥、陳玉娘ら青年選手が相次いで帰国したことが、中国のバドミントンパワーのさらなるアップにつながった。これらインドネシア華僑が選手として、またコーチとして中国のバドミントンの礎を築いた。

   上記に鑑みれば、これら華僑のルーツにあたる中国の南部でのバドミントンの人気と強さは当然であろう。

2021年8月2日、東京五輪のバドミントン女子ダブルスの表彰式で、インドネシアのグレイシャ・ポリイ/アプリヤニ・ラハユ組が金メダル、中国の陳清晨/賈一凡組が銀メダル、韓国の金昭映/孔熙容組が銅メダル。


8.新時代におけるさらなる国際交流を


   歴史の流れで見れば、今日のアジア諸国は周辺の国々との交流の中で形作られてきた。中国の北部と北東アジアにしろ、南部と東南アジアにしろ、それぞれ密接な人的交流を重ねてきた。こうした脈絡はオリンピックで活躍する選手の背中から伺える。

   アジアの国家間のセンシティブな関係は多くの場合、歴史的な重荷として捉えられている。だが、いま、アジアにおける濃厚な人的交流をこそ、貴重な歴史遺産として認識すべきである。今日、世界のパラダイムシフトの中で、こうした歴史遺産を活かし、アジアにおける平和と繁栄を築いていくべきである。

   1984年ロサンゼルス五輪以来、テレビ中継をテコに、オリンピックは人気と収益の増大を実現させた。しかし、時代はすでにテレビからネットへ、そして国本位から人間本位へと急速にシフトしている。こうした新時代にふさわしい競技種目の選定、そして五輪の新しいビジネスモデルの確立が大きな課題となっている。IOCもこれを意識し、2021年3月12日の第137次IOC総会で採択された「オリンピック・アジェンダ2020+5」は、「連帯」、「デジタル化」、「持続可能な開発」、「信頼性」、「経済的・財政的なレジリエンス」を訴えている。

   IOCの改革を受けて、ネット時代におけるデジタル交流を含む人的国際交流の一層の深まりが期待される。

2021年8月1日、中国選手陳雨菲が東京五輪のバドミントン女子シングルスで金メダルを獲得。

(本稿では雲河都市研究院主任研究員の甄雪華、趙建の両氏がデータ整理に携わった)


日本語版『東京オリンピックから見たもう1つの金メダル攻防戦』(チャイナネット・2021年10月19日)

中国語版『从东京奥运会看亚洲人文交往格局』(中国網・2021年8月31日)

英語版『A look at Asia’s people-to-people exchanges from Tokyo 2020』(China Net・2021年9月6日)

【インタビュー】周牧之:中国経済の成長と新たなアジア世界の展望



編集ノート:独立行政法人経済産業研究所(RIETI)の機関誌『リエティ・ハイライト(RIETI Highlight)』2021SUMMER号で、『シン・アジア』をテーマとした特集が組まれた。周牧之教授は同誌の特集インタビューにて「中国経済の成長と新たなアジア世界の展望」について語った。


独立行政法人経済産業研究所(RIETI)『リエティ・ハイライト』2021SUMMER号


リード:
中国経済は、世界的な新型コロナウイルス感染拡大や米中対立による貿易摩擦の中でも着実な発展を遂げており、GDPではアジアの半分、日本の約3倍の規模となっている。今回のハイライトでは中国の経済成長の原動力を都市ととらえ、中国の国家発展改革委員会などと協力して環境・社会・経済という3つの軸で都市を評価する「中国都市総合発展指標」の開発を主導した周牧之教授(東京経済大学)に、指標から見える中国経済の姿や今後の見通しなどについて聞いた。


コメンテータ: 
安藤晴彦 
RIETI理事

インタビュアー:佐分利応貴 RIETI国際・広報ディレクター


 

メガロポリス戦略


 周:2010年2月10日、「ニューズウィーク」のカバーストーリーに、「ジャパン・アズ・ナンバースリー」という非常に衝撃的なタイトルで、社会学者エズラ・ヴォーゲル教授と私の対談が掲載されました。当時は中国の国内総生産(GDP)が日本を超えた頃で、私は中国の経済成長の原動力を聞かれ、輸出拡大と急速な都市化だと答えました。輸出拡大は、日本の場合はフルセット型のサプライチェーンだったのに対し、中国の場合はグローバルサプライチェーンの下で展開しました。

 

周牧之、エズラ・ヴォーゲル対談『ジャパン・アズ・ナンバースリー』『Newsweek 』2010年2月10日号


 グローバルサプライチェーン、産業集積、そして都市化はドクター論文から今日まで私がずっと追いかけているテーマです。2001年8月には『城市化:中国現代化的主旋律 (Urbanization: Theme of China’s Modernization)』(湖南人民出版社・2001年)という本を出しました。これは国際協力機構(JICA)と中国国家発展改革委員会との共同プロジェクトで、中国で数年間にわたって実施した都市化政策に関する大調査の結果です。私はその責任者でした。

   当時、中国では都市化という言葉すらまだタブーだったのですが、私は中国におけるメガロポリス時代の到来を予測し、都市化政策の必要性を論じました。上海などの長江デルタ、 広州・香港などの珠江デルタ、北京・天津などの京津冀(けいしんき)の三大メガロポリスが中心となって中国経済を引っ張っていくという仮説を立てたのです。

2001年の予言:メガロポリス時代の到来


 中国政府は、このメガロポリス論を政策に取り入れました。私は、当時第11次5カ年計画を作成していた計画司(局)長の楊偉民さんとともにメガロポリス政策を推進しました。それまでのアンチ都市化政策をひっくり返したメガロポリス政策は大当たりし、今や三大メガロポリスで全国のGDPの4割弱、輸出の7割弱を占め、人類史上最大規模の産業集積地が生まれ、世界経済を引っ張る存在になりました。

メガロポリス:2001年の予言と2020年の現実


中国都市総合発展指標とは


   周:中国の都市化の初期段階では、経済を重視し過ぎるあまり、環境問題や民生、社会問題への対処がかなり手薄になっていました。そこで都市を総合的に評価し、時代に合ったディレクションを示す必要があると痛感しました 。いろいろな人と議論して最後にたどり着いたのは、都市を細胞ととらえて、 しっかりと細胞をつなぎ合わせることで体全体が出来上がるような構造を作ろうという、中国都市総合発展指標のアイデアだったのです。指標では環境・社会・経済の3つの軸から中国の全ての都市を評価しました。現在では、統計データの限界を補うため、衛星リモートセンシングとインターネットのビッグデータを集め、全国298都市(都道府県に相当)を網羅した評価システムとなっています。

「中国都市総合発展指標」:五感で都市を感知するマルチモーダルインデックス


 2000年から2019年までで、中国の輸出規模は10倍に伸び、中国の実質GDPは5.2倍になりました。そして都市エリアも約3倍に増えました。まさに輸出と都市化という2つのエンジンが中国経済を引っ張ってきたわけです。

 297都市の製造業輻射力(その都市の製造業の能力を計る指数)を見ると、トップ10都市で貨物輸出の5割を占め、そのうち9都市は沿海部にあります。さらにこの10都市中7都市は昔、製造業とは無縁の小さな地方都市や漁村でした。まさにグローバルサプライチェーンの展開によって誕生したスーパー製造業シティなのです。

新型コロナウィルスへの対応


 周:今回のコロナ禍で研究を進めたことが2つあります。1つは、コロナ対策にオゾン(O3)が結構使えるのではないかということです。私は2020年の2月18日に論文を発表し、オゾンを推奨してきました。オゾン研究でコラボを組んだ中国の遠大科技集団で製作したオゾン発生器付き空気清浄機を武漢の緊急病院に設置した結果、院内感染を抑え、その後ほとんど院内感染は報告されていません。現在、オゾンに取り組んでいる企業が世界中で増えています。

オゾン利用での新型コロナウイルス対策を提唱


 2つ目はコロナ対策に関する研究で、2020年4月からいくつも論文を出しました。私は、世界各国の対策を「ゼロ・COVID-19感染者政策」と「ウイズ・COVID-19政策」の2つのタイプに分けてとらえました。中国は最初から「ゼロ・COVID-19感染者政策」を取っていました。その理由は、2003年に中国がSARS(重症急性呼吸器症候群)を経験し、感染症対策のための強力な法整備を進めていたからです。

いち早く「ゼロ・COVID-19感染者政策」を研究


 2020年1月20日に中国は、新型コロナウイルス感染症を「中華人民共和国伝染病防治法」に適用し、23日に武漢がロックダウンされました。その後、全国各地で相次いでロックダウンがなされました。そして、ロックダウン解除の条件は、域内の新規感染者を2週間ゼロにすることで、これが功を奏しました。人口14億の国でここまでコロナ対策が徹底できたのは、SARSの時の経験を生かせたからです。

ロックダウン77日間で武漢は新型コロナを封じ込めた

中国経済の今後の見通し


 周:2000年以降、世界経済は大きく変わりました。私は、この時期にゲームチェンジが起こり、世界の経済社会の枠組みが変わったととらえています。それまでなかった徹底的なグローバルベースのビジネスの仕組みができ、人類史上最大の繁栄期を創りました。一方で、発展のゆがみも大きく、貿易の不均衡はもちろん、富の分配の極端な偏り、国民国家というコンセプトとグローバリゼーションとの摩擦も激しくなっています。

   ただ、認識しなければならないのは、現在の世界の輸出の7割弱はこの20年間で新たに生まれたものだということです。そのうち4分の1が中国と米国による貢献でした。残念ながら日本は、その増加分の1.8%しか貢献していません。

   世界のGDPの6割以上はこの20年間で増えたもので、その4分の1が中国、2割が米国によるものです。つまり、米中がこの新たなグローバル経済の最大の推進力になっていたのです。この仕組みを壊すのはほぼ不可能ですし、さまざまな衝突と協力の中で進化していくことは間違いありません。

アジアは世界経済成長のエンジン


 佐分利:今後中国を含む新たなアジア世界、シン・アジアが世界経済の中心となると言われていますが、いかがでしょうか。

 周:すでに中国を含むアジアは世界経済のエンジンになっており、アジアと米国は世界の成長エンジンの両輪として過去20年機能してきました。中国の急成長は米国の変革とも絡んでいて、米国はこの20年間で大きく変貌しました。その変革に米中双方が深く組み込まれているのです。

 例えば民主党と共和党は20年前と比べ立場も支持層も随分変わりました。本来、労働者は民主党支持者だったのですが、今ではトランプ支持になっています。まったく様子が変わってきたのです。米国のこれまでの変革に対する反動も米中関係に直接反映されています。

 中・長期的に見れば、米国と中国・アジアとの連携は間違いなくもっと高まるでしょう。グローバリゼーションやグローバルサプライチェーンも、さら に進化していくと思います。

 佐分利: 国民国家は、今後どうなっていくと思われますか。

 周:私は、世界は都市の集合体になっていくと思うのです。国民国家という枠組みが薄まっていく中で、都市をもっと重視した世界的な仕組みを、スケールアップした発想力で考える時に来ています。

 佐分利: 最後に、日本へ向けてのアドバイスをお願いします。

 周:厳しい話をすると、こんなに大きな感染症が起こって1年半たっても今のような状況というのは、大いに反省して、コロナを収束させることを至上命題にして取り組まなければなりません。人の命がかかっているのですから。ロックダウンを2カ月ぐらいきちんと実施すればコロナは制圧できるのです。そうなっていないのは、恐らくコロナウイルスに対する認識が足りないのかもしれません。また、長期的に見ると、過去20年に起こった世界におけるゲームチェンジに対する認識も甘いと思います。

日中の架け橋となる生活文化産業


 安藤: 周先生のメガロポリス政策はまさに「革命」でしたね。中国は、グローバルな戦略を進める一方で、地方が金融リスクを負ってしまい、環境問題も結構厳しくなっていて、国内では貧困の問題も残っています。その点で、中国の「三大堅塁攻略戦」(重大金融リスク防止、貧困脱却、環境汚染防止)は本当に素晴らしい政策だと思います。

 周先生とは生活文化産業に関するシンポジウムを北京の中国科学院で開かせていただきました。素晴らしい会議でしたね。

国際シンポジウム:中国の生活革命と日本の魅力の再発見、2012年3月24日北京で開催


 周:
10年前、アジアに日本の生活文化産業を輸出できるのではないかと考案したテーマでした。後のインバウンドもその意味では生活文化産業の「輸出」です。日本はそれが一番の強みになると予測し、結果的にそうなりつつあります。このテーマに乗った安藤さんの先見性もすごいです。北京での会 議は、大体途中でみんな席を立って消えていくのですが、生活文化産業シンポジウムは土曜日にもかかわらず600人も詰めかけ、みんな最後までいました。やはり日中両国がこの分野で手を携えていくべきだと皆さん感じていたのでしょう。

 佐分利: 生活文化産業は、日中両国の将来を担う重要な分野だと思います。本日は貴重なお話をありがとうございました。

(敬称略)

 


プロフィール

周 牧之(しゅう ぼくし)/東京経済大学教授

1963年生まれ。(財)日本開発構想研究所研究員、(財)国際開発センター主任研究員、東京経済大学助教授を経て、2007年より現職。財務省財務総合政策研究所客員研究員、ハーバード大学客員研究員、マサチューセッツ工科大学(MIT)客員教授、中国科学院特任教授を歴任。〔中国〕対外経済貿易大学客員教授、(一財)日本環境衛生センター客員研究員を兼任。

【コラム】周牧之:恩師を偲ぶ東京物語

《東京経済》 No.374 2020年10月


編集ノート:東京経済大学学友会の雑誌『東京経済』のインタビューで、周牧之教授が野村昭夫、劉進慶、増田祐司の恩師三人との思い出を語った。本企画では、恩師三人への偲ぶ文を加え、留学時代の東京物語を綴る。

 



1.
日本留学までのいきさつ


 中国で大学を卒業した後、機械工業部という日本でいえば経済産業省に当たるところに配属され、宝山製鉄所の建設プロジェクトに従事しました。これは山崎豊子氏の代表作『大地の子』の舞台になったところです。中国建国以来最大のプロジェクトで、1,000 万トン級の最新鋭の製鉄所を造る壮大さは、改革開放のシンボルでした。私は第2期のオートメーション関連の担当責任者でした。今でもその傾向が強いですが、当時中国の関係者は技術の吸収に非常に熱心でした。が、私は技術よりむしろ政策や社会システムの方に関心が高かったのです。機械工業部では当時、技術の習得のため人員を海外へ大勢送り出していました。私が敢えてそうした枠組みを利用せずに日本に私費留学したのは、技術よりは産業政策を学びたかったからです。当時は、日本の産業政策が国際的に高い評価を得ていました。10 年前に私は『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者エズラ・ヴォーゲル氏と対談した時、同氏ら日本を高く評価する人たちの著書に影響されて日本留学を決意したと、冗談半分に言ったものです(笑)。 

1995年7月21日、周牧之の経済学博士学位授与式にて、前列左から富塚文太郎学長、周牧之、野村昭夫教授、劉進慶教授。後列左から堺憲一教授、小島寛教授


2.増田祐司先生との出会い


 最初は東京学芸大学の大学院で梅谷俊一郎先生に就いて経済学を学びましたが、近くの東経大に私が関心を持っている分野に秀でた先生がいると聞きつけ、この先生の授業に潜りました。それが増田祐司先生でした。

 増田先生は日本でいち早くIT産業に注目した方で、IT革命やIT産業政策の一大論者であり、海外でも幅広い人脈を持っていました。最先端にいた先生と会った途端に意気投合し、「ぜひ僕のところに来なさい」と言われたのです。 

3.野村昭夫先生の門下へ


 しかし最終的に私が指導教員をお願いしたのは、野村昭夫先生でした。

 増田先生とは IT 革命というフィールドが共通していたにもかかわらず、何故分野の違う野村先生なのか。それにはエピソードがあります。野村先生と出会った日に、先生は大阪市立大学の留学生だった金泳鎬(キム・ヨンホ)氏が書いた『東アジア工業化と世界資本主義—第4世代工業化論』という開発経済学で当時新しい風を吹かせた本を持ち出して、「これに匹敵するものを書きなさい」と言われました。「君が決意したら僕は他のことはすべて投げ捨ててでも指導に当たる」とまで言ってくださった。私はこの言葉に感動して野村先生の門下に入ることにしたのです。野村先生のフィールドはヨーロッパだったのに対して、私はアジアで、技術や産業に重点を置いています。野村先生は私が何を研究しても干渉しませんでしたが、如何に学問として仕上げるか、に関しては厳しく指導してくださいました。全く違う研究分野の先生を納得させるのは大変でした。以心伝心などは野村先生と私との間にはありませんでした。しかしこれが、かえって良かったのです。先生と学生は以心伝心があってはいけないと私自身も思っています。先生にペーパーを提出すると、最初は真っ赤にして返されました。徐々に赤は減りましたが、卒業後、報告のために送った発表済みの論文にも野村先生は赤を入れて返してきました(笑)。

 1995年に『メカトロニクス革命と新国際分業—現代世界経済におけるアジア工業化』という博士論文を提出し、ミネルヴァ書房で出版し、日本テレコム社会科学賞奨励賞というささやかな賞をいただいた。野村先生のご期待にはある程度答えられたかなと思っています。野村先生の指導は本当に良かった。工学から経済学に移った私にとって、先生の厳格な存在がなかったら、学者としての私はなかったと思います。

周牧之著『メカトロニクス革命と新国際分業—現代世界経済におけるアジア工業化』


4.兄貴のような存在の増田祐司先生


 増田祐司先生に甘えてしまうことを怖れ、野村先生のところに入ったことを増田先生に正直に話し理解していただきました。しかし、その後もずっと増田先生に甘えっぱなしでした(笑)。先生は公私ともに相談できる兄貴のような大切な存在でした。修士卒業後、私の政策研究志向を後押しするために増田先生から財団法人日本開発構想研究所を勧められました。経済企画庁と国土庁所管で国土政策や東京湾の開発などを扱うシンクタンクで、私のフィールドも産業政策から、国土政策へと広がりました。霞が関辺りで多くの人たちと議論をし、リアルなシンクタンク経験をすると同時に、毎週野村先生にも会い、 レジュメなどを提出し、ご指導を仰ぐ。そういう大学院生活後半を過ごしたのです。

2001年9月7日に広州で開かれた「中国都市化フォーラム〜メガロポリス発展戦略〜」にて、右から周牧之、増田祐司


 増田先生編纂のご著書への寄稿、国際シンポジウムでの発表など、増田先生は私を一貫して引っ張ってくださった。私の海外の研究調査にも幾度も応援に駆けつけてくださいました。国内外の出張先では徹夜で飲み議論して、実に楽しい時を過ごしました。私にとってかけがえのない先生でした。

 

5.劉進慶先生と「中国経済論」


 台湾出身の劉進慶先生も私が研究生活で大きな影響を受けた方です。博士論文の審査を終えた直後、劉先生から『中国経済論』を書くようアドバイスされました。劉先生は、『韓国の経済』を書いた隅谷三喜男先生の愛弟子で、世に『台湾の経済—典型NIESの光と影』を出しました。一国の『経済論』を書き上げるのは大変な挑戦ですが、劉先生はご自身の経験から私を後押ししてくださいました。その後、劉先生は隅谷邸で伊藤誠先生、涂照彦先生、私などをコアメンバーにした中国経済に関する研究会を立ち上げました。当時、私は中国をはじめ海外に頻繁に調査出張していた時期でした。東京に戻るたびにこの研究会で調査を報告し、喧々囂々の議論を繰り返しました。隅谷先生は経済思想が非常にしっかりしていた方で、産業経済、労働経済の大御所でもあられました。隅谷先生を囲んだ議論で、中国経済論のフレームワークや思想が相当鍛えられました。

2002年12月7日、「隅谷研究会」にて、前列左から劉進慶教授、隅谷三喜男教授、呉天降教授、後列左から張紀潯教授、伊藤誠教授、周牧之。


 2007年に私は『中国経済論—高度成長のメカニズムと課題』を書き上げ、出版しました。隅谷先生、 劉先生が他界された後だったことが、大変残念でなりません。

周牧之著『中国経済論—高度成長のメカニズムと課題』(日本語版、中国語版)

 

6.そして東経大に戻るまで


 1990年代末、劉先生には、ご自身のメイン課目だった「中国経済論」を私が担当するようにと言われていました。当時、私は財団法人国際開発センターで、ODA関係の研究調査に没頭していました。年間 8カ月も海外出張をしていましたので、なかなかお受けできませんでした。それでも劉先生は定年退職される2年前に、私に非常勤講師として「中国経済論」を引き継がせました。いろいろスケジュールを調整し、海外出張から戻り集中講義をするのはなかなか大変でしたが劉先生のご期待に添えるようにと必死でした。

 劉先生に引っ張っていただき2002年に専任教員として東経大に戻ってきました。劉先生の研究室にあった書籍も、そのまま譲り受けました。

 院生時代、東経大では大勢の先生方、職員の皆様にお世話になりました。天安門事件のときには毎週、富塚文太郎先生のゼミでの社会主義についての議論が一種の精神安定剤でした。高山満先生の研究室での授業には毎回、おやつが出ました。長島誠一先生にはよく授業の後にカラオケに連れて行って頂きました。堺憲一先生はよくテニスを勧めてくださいました。柴田徳衛先生には中国政府からの訪問団のレクチャーをお願いしました。

 数年前、後に在中国日本大使にもなった横井裕氏から、「あなたが大学院に在籍していた時の東経大には優秀な中国人留学生が集まっていた。このことは当時外務省にいた僕も認識していた」と言われました。私に言わせれば、これは、当時の東経大の素晴らしい教員陣に魅了されて優秀な留学生が集まった結果です。母校にもっとも恩恵を受けたものの一人として、ご恩返しに努力しなければいけません。

《東京経済》 No.374 2020年10月


 

劉進慶先生を偲んで

周牧之 東京経済大学教授

編集ノート:劉進慶先生は、日本統治下の台湾に生まれ、東京大学に留学し、隅谷三喜男教授のもとで経済学博士を取得。東京経済大学教授、(中国)対外経済貿易大学客員教授、北京大学客員教授、スタンフォード大学客員研究員、1992年ハーバード大学客員研究員を歴任。

 劉進慶先生は、1975年に『戦後台湾経済分析—1945年から1965年まで』を著し、台湾経済研究のフレームワークを初めて世に提示した。その後『台湾の経済—典型NIESの光と影』、『激動のなかの台湾—その変容と転成』、『台湾百科』、『日韓台の対ASEAN企業進出と金融—パソコン用ディスプレイを中心とする競争と協調』、『台湾の産業政策』、『東アジアの発展と中小企業—グローバル化のなかの韓国・台湾』をはじめとする数多くの著作を出版し、激動するアジア経済について多くの論点を提起、アジアの時代を展望する膨大な業績を残された。2005年10月23日に他界。

 周牧之教授は三度にわたり「劉進慶先生を偲ぶ会」を主催し、日本、中国大陸、台湾から大勢の方々が参加し劉先生の功績を讃えた。これを踏まえ、東京経済大学報2005年12月号に寄稿し、劉進慶先生への想いを綴った。



 台湾ご出身の劉進慶先生が勉学のため一九六二年、来日されたのには深い志があってのことでした。戦後の台湾経済に関する研究が長い間進まず、台湾での社会科学研究がゆがめられてきた状況を、戦前は「日本帝国主義の抑圧下にあって(台湾出身者が)自ら台湾の政治経済を研究することが困難な状況にあった」ことと同時に「抑圧に屈した台湾知識人自身のふがいなさ」の結果であったと、劉先生はご著書『戦後台湾経済分析』(東京大学出版会)のはしがきで言明されています。

   さらに戦後の台湾は、国共内戦のため長きにわたって戦時体制下にあり、戒厳令がしかれて思想言論が厳しく統制された時代が続きました。「学問研究、とりわけ人文社会科学の分野においては、多くの政治的「禁忌」が研究の前に立ちはだかっていたことが、台湾での研究活動を萎縮させ、学問の進歩や研究の成果を期待できる状況をもたらさなかった」(同上)とし、当時の台湾の「研究状態のゆがみが、研究のゆがみをもたらしている」点、さらには「台湾経済研究の乏しさが台湾経済発展の足かせになっている」点について先生は殊更意識されました。とりわけ、「台湾出身者による台湾研究の必要性と重要性」に鑑み、台湾経済の発展に役立つ真の経済研究を志して、日本留学を決意されたと伺っております。劉先生のたゆまない学究生活の出発点には以上のようなことがあったのです。中国に生まれ東京で中国経済研究を続ける者として、私は先生のご研究の出発点となったこの高い理念について、いま改めて深い感銘と共感を禁じえません。

2002年3月14日、「劉進慶先生のご定年を祝う会」にて、左から劉進慶教授、陳焜旺日本華人華僑連合総会会長


 来日後は、東京大学の隅谷三喜男先生の元でご研究を重ねられ、『戦後台湾経済分析』を世に出されたのは一九七五年でした。戦後三十年の台湾経済を総括した同書は、大陸、台湾双方で翻訳出版され、台湾では一九九二年度十大優秀図書賞を受賞されました。劉先生は台湾経済研究を初めて体系化された、まさに先駆的存在でした。

 台湾が一九七〇年代から工業化の道をひた走り、輸出が急増してNEISの一員となると、先生はそれまでのご業績をふまえ、台湾のNEIS化のメカニズム解明にあたり、NEIS研究の第一人者としても大きな役割を果されました。

 さらに一九九〇年代からは中国経済発展のメカニズムを解き明かすために研究を進められました。先生の大陸研究の着眼点は農民農村問題でした。それまでの台湾研究のエッセンスを土台にし、まさしく現代中国が抱える最重要課題のひとつである農民農村問題についていち早く注目されたことで、私たち中国経済研究の後進に中国農村農民研究への貴重な示唆を与えてくださいました。

 個人的には、劉先生の恩師であられる隅谷三喜男先生のご自宅に、劉先生に伴われ月に一度伺い、議論の輪に加わらせていただきました。若輩の私が失礼も省みず隅谷先生に真正面から論争を展開し、議論の応酬になってしまいましたのを、劉先生はあの独特の優しい眼差しでじっと見守っておられましたが、実は内心少々困ったなと思っていたのだと後で笑いながら打ち明けてくださったことが懐かしく思い起こされます。隅谷先生は私のことを面白がってくださったのか、その後数年間、隅谷先生がお亡くなりになるまで毎月ご自宅をお訪ねし、勉強させていただきました。劉先生の直接の弟子ではなかった私が劉先生に身近にご指導いただくようになったのは、この「隅谷研究会」が始まりでした。学問上のご指導に留まらず、劉先生の信頼感あふれる温かいお人なりから多くのことを学びました。

 劉先生はまた何よりも東京経済大学を「わが大学」としてこよなく愛してこられました。二十七年間研究、教育に全力を傾け、学部長、図書館長、入試委員長ほか数々の要職にあって大学の発展に情熱を注ぎ、多くの後進を育ててこられたことは周知の通りです。 

 劉先生が東経大にことのほか思いを寄せておられたのには特別の訳があります。「一九七三年、台湾政府に睨まれて、パスポートを取り上げられた。母国に戻れぬ外国の「棄民」のこの身を、わが大学はなんら問うことなく、終身雇用していただいた」(東京経済大学報 二〇〇二年春号)とあります。東経大の当時の執行部のリベラルな見識が劉先生の東経大への強い帰属意識を培ったのだと伺いました。

   劉先生はご出身の台湾と、大陸との両岸関係の正常化への努力を惜しまず続けてこられました。ご定年後も大陸と台湾との間を奔走された先生は、病窓で何度となく両岸関係正常化をこの眼で見られないことの無念さをおっしゃっていました。

   ご遺志を引き継ぎ、たゆまず研鑽を重ねることで劉先生の魂をお慰み申し上げたいと思っております。

《東京経済大学報》2005年12月号

2002年3月14日、「劉進慶先生のご定年を祝う会」にて、周牧之が劉進慶教授ご夫妻へ祝辞

 

野村昭夫先生を偲んで

周牧之 東京経済大学教授

編集ノート:野村昭夫先生は、世界経済研究所、日本リサーチセンター研究員を経て、桃山学院大学、福岡大学で教鞭をとられ、1985年から東京経済大学教授。

   野村昭夫先生は、世界経済の構造変化とヨーロッパ経済の産業構造の転換について一貫して研究を重ね、『現代資本主義と経済統合』、『自由化とEEC』、『世界経済と多国籍企業』、『現代世界経済論』、『国際経済論』、『現代の世界経済』をはじめとする数多くの著作によって、世界経済とヨーロッパ経済について多くの論点を提起し、広範かつ激動の歴史過程を体系的にとらえる業績を残された。2008年5月7日に他界。

   2009年10月3日に周牧之教授は関係者を募い偲ぶ会を主催、恩師への想いを述べた。



 野村昭夫先生に初めてお目にかかったのは1988年、いまから20年前です。

   当時、わたしは東京学芸大学大学院に在籍していました。学芸大はたいへんいい大学ですが、教員養成大学で、経済学を専門的に学び続けたいと思っておりました私には進路を新たに考え直す必要を感じていました。

   ちょうど当時、野村先生の学生だった人が私の同郷の友人であったことから野村先生を紹介してくれました。

   初めてお目にかかった日、2時間以上、相当長くお話しをしました。野村先生がその日、お話しの最後におっしゃったことが非常に印象深く残っています。

   金泳鎬(キム・ヨンホ)という、のちに韓国の通産大臣になり、その当時は大阪大学で博士学位をとって論文を出版された直後の方の話でした。この本が当時、日本の開発経済学界では大変高く評価されていまして、私も読んでいましたが、野村先生は、「私のところで、大学院生としてやっていくなら、この本を超える論文を書く志をもちなさい」と言われました。その決心があるのなら最大限に指導し、協力しましょうとおっしゃったのです。そのお言葉に励まされ、先生の元で学ぶ決心をいたしました。

   野村先生は、一貫して新仮説を打ち出すことを前提として論文指導をしてくださいました。わたしはIT革命を東アジア工業化と結びつける仮説の提示を研究の軸としておりました。先生のその後のご指導は厳格かつたいへん御丁寧でした。私の書いたものに毎回赤字を入れながら、一字一句丹念に読んでくださいました。私はそれを受け取り、さらに精進するという共同作業を、論文完成まで6年間続けました。

   野村先生は現場と理論とのバランスをとりわけ重視されました。

   その後、私は財団法人日本開発構想研究所という経済企画庁、国土省所管のシンクタンクに在籍しながら、ドクターコースで学んでいました。

   霞が関での調査、中国での調査で芽生えた発想、考え、アイディアを、野村先生に報告いたしますと、先生はそれを大変重視してくださり、学問への結びつきについて指導してくださいました。

   実は野村先生と私とは、専門分野が違います。野村先生はヨーロッパ経済が軸で、私は中国、東アジアを中心にした産業論、国土政策、都市計画です。

   しかし専門は違っても先生とわたしの師弟関係は非常にうまくいったのではないかと思います。

   それは野村先生ご自身もシンクタンクにいらっしゃったご経験があり、現場の実情と理論との調和や、現場の事実を学問的に、体系的に捕らえる方法に非常に長けていらしたゆえです。

2002年3月14日、「劉進慶先生のご定年を祝う会」にて、左から隅谷三喜男教授、野村昭夫教授


 野村先生はまた、男のロマン、人間として大きなロマンをお持ちでした。私は大陸出身で、大きなことを考えがちですが、先生はそれをいいことだ、とおもってくださるようなところがありました。恩師がロマンチストだったことが、私にはたいへん幸せでした。

   IT革命をどう東アジアの躍進に結び付けていくのか、ということ。あるいは現代版シルクロードの構想、中国の都市化、メガロポリス化の発想に先生は賛同してくださり、理論化への指導をしてくださいました。

   先生はさまざまなロマンをお持ちだったと思うのですが、そのうちのひとつとして、江戸時代を題材にして歴史小説を書きたいと、いつかおっしゃっていたことがありました。お酒をご一緒しながら、あるいは先生のシャンソンを聞きながら、先生のロマンを伺いました。

   私の結婚に際して、野村先生にいただいたお言葉があります。

   「静かにゆくものは健やかにゆく、健やかにゆくものは遠くゆく」

   このお言葉には何よりも野村先生ご自身の生き方が現れていると思います。このお言葉をこれからも、研究者としての、また生活者としての指針として、歩いてまいりたいと思います。

   本日は大勢の先生、みなさまにお集まりいただきまして、ほんとうにありがとうございました。会のコーディネーターを務めるにあたり、多くのみなさまのお力をいただきました。人と人とのつながりの大切さを、あらためて深く感じました。

   心より御礼を申し上げます。ありがとうございました。

2009年10月3日「野村昭夫先生を偲ぶ会」にて

2009年10月3日、「野村昭夫先生を偲ぶ会」にて、右から周牧之、富塚文太郎教授、野村公子夫人


増田祐司先生を偲んで

周牧之 東京経済大学教授

編集ノート:増田祐司先生は、機械工業振興協会経済研究所で研究者として第一歩を踏み出した。アメリカ・クリーブランドの研究所に出向後、東京経済大学教授、欧州委員会(EC)科学技術局第XII総局上級研究員、東京大学大学院教授、島根県立大学北東アジア地域研究センター所長・副学長を歴任。

   増田祐司先生は、1970年代半ばから、『経済評論』、『週刊 東洋経済』、『週刊 エコノミスト』などの経済専門誌の常連執筆メンバーとして脚光を浴びた。『技術先端産業』、『情報通信の新時代 ニューメデイア技術の行方』、『知識化社会への構図』、『情報経済論』、『情報の社会経済システム』、『人間重視の社会経済』、『北東アジア地域研究序説』、『北東アジア世界の形成と展開』、『北東アジアの新時代─グローバル時代の地域システムの構築』をはじめとする数多くの著作によって、情報革命が世界経済そして北東アジアに与える影響について多くの論点を提起し、時代のパラダイムをとらえる思考で現代社会を展望する膨大な業績を残された。2010年11月2日他界。

   2011年4月23日に周牧之教授は関係者を募って「増田祐司先生を偲ぶ会」を開き、恩師への想いを述べた。



 増田祐司先生とは1988年の秋、東京経済大学のキャンパスで初めてお目にかかりました。先生の御専門の産業技術論は、私が志望していた専門と大変近かったことに加え、先生の発想の豊かさ、心優しいお人なりに惹かれ、大学院のゼミに加えていただきました。

   私の大学院生活で最も楽しかった時代が、増田ゼミでの2年間でした。ゼミの時間が終わってから時折、国分寺駅周辺へ飲みに連れて行ってくださり、深夜まで語り合いました。お酒の席での先生の寛がれたときの笑顔は、いまも目に浮かんできます。

   東京経済大学が創立90周年を迎えた1990年には、増田先生が中心となられて90周年記念国際シンポジウムが開催されました。先生の幅広いご人脈で世界中から高名なエコノミストが招かれ、論点の鋭さ際立つ議論により大成功をおさめました。

   昨年は東京経済大学の110周年記念の年でした。110周年記念シンポジウムは、今度は私が力を尽くす番でした。20年前のシンポジウム開催時の増田先生のご尽力に思いを馳せ、そのお姿に学び、海外から高名なエコノミストや実業家を多数招いて盛大に行いました。

   博士課程に進んだときに、先生から「大学の中に閉じこもって机の上だけで研究するのでは足りないから」と言われ、財団法人日本開発構想研究所をご紹介いただき、私はそこで職を得て働きながら学ぶこととなりました。先生のご学友の阿部和彦氏、杉田正明氏をはじめ所員の皆さんに大変よくしていただき、日本の国土開発政策そして地域開発政策について実地に学ぶ機会を得られました。

   先生はその後東京経済大学のサバテイカル休暇を利用しヨーロッパに出向かれ、EU委員会科学技術局第XII総局上級研究員を務められました。東京大学社会情報学研究所の教授に就任された後も、私の博士論文の執筆には先生から数々の示唆をいただきました。先生のご指導を仰いだ同論文で博士号を取得し、『メカトロニクス革命と新国際分業』(ミネルヴァ書房)として出版いたしました。

   増田先生は私たち後進にとって素晴らしい研究リーダーでもありました。常に私たちの研究意識を高め、数多くの研究プロジェクトを立ち上げられました。わたしも先生のお誘いを受け、いくつかのプロジェクトに呼んでいただき、先生主編の5冊以上の本に、執筆者として加えていただきました。

   私は1995年、財団法人国際開発センターに移籍し、中国を中心とするアジア各国の政策支援とプランニングに従事しました。増田先生を私が関わったプロジェクトにお迎えしたことも度々ありました。とくに先生は私が中国で提唱したメガロポリス政策に関連して、清成忠男、伊藤滋、田中直毅、星野進保、福川伸次、保田博、塩谷隆英、今野修平氏ら日本の蒼々たる学識者らとともに、中国でのシンポジウムに御登壇され、中国政府関係者との議論に積極的に参加してくださいました。努力が実り、中国の第11次5カ年計画にて従来の大都市抑制政策が見直され、メガロポリス政策への転換が図られる事となりました。今日の中国の大発展はこの政策実施の結果でもあります。増田先生がこのプロセスに大きく貢献されたことをここに明記しておきたいと思います。

2000年12月15日に中国南京で開かれた国際シンポジウム「中国都市化戦略とアプローチ」にて、増田祐司教授(左)、右から今野修平教授、周牧之


 振り返れば北は北京から南は広州にいたる中国各地、そして韓国と、アジアへの調査及びシンポジウム参加のため様々な機会を利用して、増田先生とは毎年のように旅をご一緒しました。旅先での先生との議論は一層格別でした。宿泊先のホテルで飲み明かしたときは、先生はよく奥様自慢をされ、ご家族思いでいらっしゃることに感銘を受けました。

   私は2007年から2009年まで米国マサチューセッツ工科大学の客員教授を務めました。渡米前に、増田先生は送別会を開いてくださいました。私の妻も呼んでいただきました。その日先生は大変にお元気で、いつもに増して明るく、ユーモアを連発されました。あの晩は、恩師増田先生と友人と共にこれからの日本、中国、アジアの社会を大きく展望しました。生涯忘れる事のできない夜となりました。あの日が増田先生とお目にかかった最後の日になるとは思いもよりませんでした。

   米国から東京に戻ってまもなく、先生自らお電話で入院されたと仰いました。お見舞いに伺いたいと申し上げたところ、先生は「もう少し元気になったら呼びますから、家族連れで銚子にいらっしゃい。アジアの広さとつながりを展望できるとても良い場所ですよ」とおっしゃいました。昨年、増田先生を知る友人と、島根から戻られた先生に、東京でご活躍していただく場を作りましょう、と相談していた矢先、突然の訃報を受けました。まさに青天の霹靂でした。

   人生最良の師を失った私にとって、残された道は、増田先生が抱かれた壮大な夢と志、そしてひと際豊かな発想力を継承し、テクノロジーがいかに社会を変えていくか、そして東アジアをいかに統合させていくかについて探求し、東アジアの統合と発展、そして平和に力を尽くすことです。これを恩師増田先生のご恩に報いる最善の道と心を新たにしております。

2011年4月23日「増田祐司先生を偲ぶ会」にて

2001年9月7日に中国広州で開かれた「中国都市化フォーラム〜メガロポリス発展戦略〜」にて、左から周牧之、増田祐司教授 

プロフィール

周 牧之(しゅう ぼくし)/東京経済大学教授

1963年生まれ。(財)日本開発構想研究所研究員、(財)国際開発センター主任研究員、東京経済大学助教授を経て、2007年より現職。財務省財務総合政策研究所客員研究員、ハーバード大学客員研究員、マサチューセッツ工科大学(MIT)客員教授、中国科学院特任教授を歴任。〔中国〕対外経済貿易大学客員教授、(一財)日本環境衛生センター客員研究員を兼任。

【コラム】福川伸次:日中関係、新次元への昇華の途を探る 〜質の高い経済社会の実現と新グローバリズムの形成に向けて〜

福川 伸次

東洋大学総長、元通商産業事務次官



本稿英語版『Tokyo and Beijing can pave way for global trust』(CHINA DAILY, 3 Dec 2021)


1.日中関係新次元への昇華への期待

 日中両国は、2022年9月国交正常化50周年を迎える。中国は、その間、目覚ましい経済成長を遂げ、政治、経済を通じて世界で重要な地位を占めるに至った。両国の協力関係も中国が「改革と開放」政策に重点を置いた段階から新たな次元に昇華しなければならない。

 1979年12月、私は、故大平首相の訪中に秘書官として同行する機会を得た。毛沢東主席も、周恩来首相もすでに他界され、中国は1978年に実施した「改革と開放」政策のもと、「新しい中国」への歩みを始めていた時期であった。

 12月7日、政協礼堂で講演した大平首相は、国交正常化交渉の当時を振り返り、「我々の胸中は、大きな期待とそれに匹敵する不安に満たされておりました。しかし、その不安も故周恩来首相の『小異を残して大同を求める』という言葉によって表現された中国の指導者、並びに中国国民の大きな度量によって解消され、日中国交の正常化の大業は成就いたしました」と当時の思いを語った。大平氏は、当時外相として田中首相を補佐し、国交正常化に向けて緻密に準備し、その実現に漕ぎつけただけに、その後の中国の動向には深い関心を懐いていた。

日本経済新聞「私の履歴書」をベースにした福川伸次著『ジャパナビリティ 世界で生き抜く力』

 「改革と開放」政策に確かな手応えを感じた大平首相は、滞在中に中国の産業活動の基礎となるインフラ整備などに円借款供与の方針を明らかにした。

 その後、中国は、日本をはじめ諸外国の経済改革の経験を取り入れながら構造改革を着実に進めた。1990年代以降高度成長の過程に入り、2001年には世界貿易機構(WTO)に加盟した。そして2010年には日本の経済規模を抜いて世界第2の経済大国となり、現在では日本の約3倍の経済規模を持つ。その間、中国は、経済改革と技術開発を進め、日本の最大の貿易相手国となり、先端技術分野において米国に迫る能力を持つようになった。その反面、政治、経済、技術、軍事などの運営について他の先進国から警戒感をもって見られている。

 故大平首相は、先に引用した演説を将来への警告で締めくくっている。「国と国との関係において最も大切のものは、国民の心と心の間に結ばれた強固な信頼関係であります。日中両国は、一衣帯水にして2000年の歴史的文化的なつながりがありますが、このことのみをもって両国国民が十分な努力なしで理解し合えると考えることは極めて危険なことではないかと考えます。・・・一時的なムードや情緒的な親近感、さらには経済的な利益、打算の上にのみ日中関係の諸局面を築きあげようとするならば、所詮砂上の楼閣に似たはかないものになるでありましょう」と。

 当時、両国では大平演説におけるこの部分はさして注目を惹かなかったが、彼は、長きにわたる日中関係の信頼と発展を真摯に願い、次世代の政治家、経済人、研究者に真剣な努力を求めたのである。 

 歴史は、世界の政治経済構造が常に変化することを教えている。中国は、やがて経済力で米国と比肩し得る水準に達し、国際政治の運営にそれなりの責任と役割を担うことになろう。情報関連分野をはじめ高度技術の分野でも、世界に知的な貢献を果たすに違いない。

 2021年1月米国大統領に就任したバイデン氏は、自由経済と民主主義に基づく世界秩序の再建に努力しようとしている。同年7月習近平国家主席はAPEC非公式首脳会議で「新発展枠組みを構築し、より高いレベルの開放型経済新体制」を築くと述べた。日本は、「平成の停滞」を超えて、新しい次元に立った「令和の改新」の途を探求し始めている。

 私は、こうした変化を見るとき、故大平首相が示唆したように日中関係を絶えず新しい基盤の上に昇華する努力を続けなければならないと考えている。

 

2.AI(人工知能)基軸の「質の高い経済」を構築すること

(1)「質の高い経済」の目指すもの

 日中両国が21世紀において努力すべき課題の第一は、AI主導の革新的な情報通信技術を基軸とした「質の高い経済」を実現することである。世界経済が資源の有限性と地球環境の悪化に苦悩しているとき、我々が選択できる道は、資源への依存度や地球環境への負荷が低く、創造性と付加価値が高く、人間機能が発揮できる「質の高い経済」の実現でしかない。幸いにして、人類は、AIを活用した情報革新を進め、これによって「質の高い」新しい経済(New Economy)を実現する手段を手に入れることができた。

 日本産業は、1980年代から90年代前半にかけて世界でトップ・レベルの産業力と技術力を誇ったが、その後バブル経済が崩壊して産業力が停滞し、現在その回復に努力している。中国は、情報通信技術を先導した米国を追って優れた成果をあげ、先端技術分野では米国に比肩し得るようになった。米国はこれを警戒し始めている。

 2020年初頭から急速に拡大した新型コロナ感染症(COVID-19)は、人類の健康と生命に脅威を与え、経済社会を停滞に追い込んでいるが、一方でDX(Digital Transformation) を加速し、「新しい経済」システムの構築の契機ともなっている。

 「質の高い経済」の実現に向けて日中両国が協力すべき分野は多方面にわたる。

(2)イノベーションの積極展開

 第一は、イノベーションの積極展開を図ることである。21世紀は、AIなどを中心に、イノベーションが新展開をみせる時代である。20世紀に入った当時、世界は石油時代を迎え、ヨーゼフ・シュンペーター教授は、1910年イノベーションを「経済活動の中で資源、労働力などの生産手段を今までと異なる方法で新結合すること」と定義したが、私は、現代の情報通信革命時代のそれを「経済活動の中で革新的なIT技術の活用を通じて情報を整理、統合、活用し、新しい知的価値を創造すること」と定義したい。

 我々は、今や、AIなどの情報技術の活用により人間の肉体的限界を超越して情報価値の伝達を効率化し、複雑性の限界を克服して付加価値の向上を実現することができる。サイバー空間と物質空間の融合を通じて正確性の確保、効率性の向上、時間価値の充実を実現し、経済活動を物的生産主義から価値利用主義へと進化させることになる。

 AIの活用は、設備の自動化により工場や店舗の無人化を実現し、高度な遠隔治療を可能にし、スマホ決済、キャッシュレス化、仮想通貨を実用化する。情報伝達の正確性、迅速性、効率性、最適選択性を高め、付加価値の向上を実現することが可能となる。

 イノベーションの進展分野は、高度情報技術を軸に、生化学、新素材、宇宙、海洋、高度医療、新エネルギー、電気自動車、蓄電装置、ドローン、水素利用など多岐に及ぶ。

 イノベーションの国際競争は、ますます激しさを増し、先導する米国を中国が迫っている。ドイツ、英国、フランス、イスラエル、そして日本、台湾、韓国などがこれに続く。日本は、1990年代に入っていわゆる「バブル経済」が崩壊して経済が停滞し、イノベーション力が落ちてきたが、最近それに気づき、政策的に力を入れ始めている。

 イノベーションを加速するため、主要国は、研究開発への政策支援、知的人材の育成、新たな競争条件の整備などに力を入れている。市場条件の整備に当たっては、革新性、公平性、効率性、そして競争性が鍵となる。最近のイノベーションは、米国のシリコンバレー、中国北京の中関村、深圳の南山区などが示すように、都市の知的機能の集積が大きく貢献している。周牧之教授が指導する中国都市総合発展指標の研究は重要な意義をもつ。

2008年9月19日「北京―東京フォーラム晩餐会」にて

(3)グローバル市場の効率運用

 第二は、グローバル市場の効率運用に協力することである。それには、グローバル市場ができるだけ自由で、合理的で、かつ公平、安全なルールのもとに運用される必要がある。日中両国は、それに向けて米国、EUなどと協力して合意を形成するとともに、世界貿易機構(WTO)の機能の復活に先導機能を果たす必要がある。 

 そのつなぎとしては、RCEP、TPP、APECなど地域的な自由貿易協定を合理的に推進、活用する必要がある。日中両国は、人口、世界貿易規模で世界の3割を占めるRCEPの早期発効とインドなどの加盟国の拡大に努める必要がある。TPPに関しては、英国が参加を表明し、中国が加入の検討を示唆しているが、その具体化は、世界貿易体制の整備に役立つに違いない。また、米国と英国の間で、新大西洋憲章の締結が協議されている。

 情報通信技術の進歩は、技術独占など世界の競争条件に大きな影響を与え、企業活動の拠点が集中化する危険がある。これらについても、適正な国際ルールを設定する必要がある。日中両国がこうしたルール設定に向けて、先ずはその経験を持ち寄り、「質の高い経済」の実現に向けて先導すべきだと思う。

(4)企業経営の改革

 第三は、企業の経営手法の改革に協力することである。経営の側面では、情報通信技術の進展によってその効率化が進むとともに、電子オフィスなど働き方の改革が進む。コロナ感染症の拡大は、企業経営のDX化を促進する契機となっている。企業経営のDX化は、それに止まらず、企業経営を根本から変革する力をもつ。例えば、利益構造を規模の利益から情報、連結、時間の利益へと変革し、全体最適を実現する手法を可能にする。企業経営の目的は、収益価値、顧客価値、従業員価値及び社会価値の総和の極大化にあるが、AIは、これを実現する手法を提供してくれる。

 今後の企業経営には、人間安全保障の実現など新しい制約要因が加わる。同時に、知的所有権の保護、情報独占の弊害の除去などの市場管理が求められる。こうした市場の枠組みは、合理的で、全体最適でなければならない。日中両国は、その最適な条件整備に英知を結集する必要がある。

3.政治安全保障体制の確立を図ること

(1)国際構造の歴史的変化

 国内利益の擁護と拡大を図ることは、政治の宿命である。トランプ前大統領が「米国第一主義」を掲げ、国内産業を保護しようとしたことは、短期的には、政治の必然である。しかし、それは、国際政治体制を動揺させ、長期的には米国経済の衰退を招く。

 18世紀から19世紀にかけて、欧州を中心に、君主制が崩れ、市民社会が形成されたが、主要国の政治は、拡張主義、強国主義、軍国主義、植民地支配を志向した。その結果、主要国の間で熾烈な抗争が生じ、20世紀には2度の世界大戦を招く。そして、主要国は、国際連合を設立し、国際協調主義を志向するようになる。しかし、政治体制の違いから米ソの東西対立の時代となるが、1989年ベルリンの壁が崩壊し、世界の政治は、これを契機にグローバリズムを志向するようになる。

(2)国際社会の多極化

 かかる国際社会構造の変化は、自由な経済活動の動きから中進国、発展途上国の経済拡大を招き、世界経済は多極化へと向かう。その結果、主要国の主導力が低下し、多極化した世界の政治構造では、国連をはじめ国際機関の合意形成が困難となり、世界秩序が動揺する。

 こうした中で、米国ではトランプ前大統領が前述のように、国内利益を擁護する政策に出た。一方中国が経済力を強化し、技術力を充実させ、米国との間で貿易紛争が厳しさを増し、さらに経済、政治、技術、軍事などの面で米国と覇権を争うようになる。

 こうした変化と並行して、情報関連技術は益々進歩し、経済活動は、世界で同じルールによって運営することが求められる。かつてのように、特定の国がその政治力を背景に国際市場を支配することはもはや困難になっている。加えて、地球温暖化など国際協力が不可欠な現象が起きている。国際政治は、もはや国内政治の延長では律しられない。

 最近、中国をめぐる国際情勢は、複雑なものがある。4月16日の日米首脳会談では、尖閣列島の帰属、台湾海峡の安全問題などが取り上げられた。日米を中心にインド太平洋の協力、QUAD(Quad-lateral Security Dialogue) の協力体制などが進められ、中国は、「一帯一路」政策を推進している。これらについて、相互理解が進むよう緊密な対話が期待される。

(3)グローバリズムの意義

 国際社会においては、人権の尊重、自由貿易の保証、主権の尊重、法の支配が保証されなければならない。そうしたうえで、国際協力が展開される必要がある。

 国際社会を形成する各国がどのような政治体制を取るかは各国の選択である。問題は、各国が国際社会のルールを設定するにあたり、グローバリズムの健全な運営に貢献することが決め手となる。日中両国は、連帯、信頼、自由、創造に支えられた望ましい世界の構造は何か、人類が人間としての価値と能力を発揮できる国際環境はいかなるものか、世界に「新しい経済」を導く最善の仕組みをいかに形成するかなどにつき議論を深め、米国、EUなど他の主要国との対話を進める必要がある。

2004年「アジアシンポジウム」にて、上段左から福川伸次(通商産業事務次官)、邱暁華(中国国家統計局副局長)、加藤紘一(日本衆議院議員);第二段左から楊偉民(中国国家発展改革委員会計画司長)、周牧之(東京経済大学助教授)、馬建堂;(中国国有資産監督管理委員会副秘書長)第三段左から安斎隆(セブン銀行社長)、林芳正(日本参議院議員)、小林陽太郎(富士ゼロックス会長);下段左から横山禎徳(産業再生機構監査役)、塩崎恭久(日本衆議院議員)、国分良成(慶應大学教授)

4.人間の安全保障体制を充実すること

(1)人間の安全保障の必要性

 私は、日中両国が人間の安全保障体制の充実に向けて共同して世界をリードすることを期待したい。これは、中国都市総合発展指標においても、重要な機能を持つ。

 国連環境開発計画(UNDP)は、1994年人間の安全保障政策を公表し、健康、医療、教育、テロ防止、自然災害への対応などを提案した。そして、国連総会は、これを発展させ、2015年9月SDGs(Sustainable Developments Goals)を目標に、No Poverty、Zero Hunger、 Decent Work and Economic Growth、Climate Actionsなど17の目標、169の行動計画を採択した。SDGs は世界の各企業が真剣、かつ、効果的に実践すべきものであり、日中企業もその展開に協力する必要がある。

(2)新型コロナ感染症

 新型コロナ感染症(COVID-19)への対応は、人間安全保障の確立の重要な一環をなす。日中両国は、主要国と協調してこれに対応する体制を先導すべきである。残念ながら、世界保健機構(WHO)は、感染源の特定、治療法の確立、ワクチンの普及などに十分な機能を発揮できず、主要な感染国はロックダウンと経済回復策の選択に苦悩している。

 2021年に入って、コロナ感染症対策として、英国、イスラエル、米国、中国などでワクチンの普及が広がってきた。ワクチンの有効性の確認と供与は、政治上の駆け引きの対象とすることなく、人道上の見地に立って、国際協力のもとに供与すべきものである。日中両国は、そういった意識を世界に定着させるとともに、今後の感染症の拡大に備えてその原因と考えられる諸要因、例えば自然破壊の防止、”Human-Animal Relations”の健全化などにも貢献することを期待したい。

(3)地球温暖化対策

 地球温暖化現象は、今や、人類の最大の脅威となっている。米国、中国、欧州などでは今年もすでに激しい熱波や豪雨に見舞われ、多くの犠牲者が出た。地球温暖化の主要な原因である二酸化炭素の排出の抑制や循環経済(Circular Economy)体制への移行は、もはや人類にとって喫緊の課題となっている。

 日本では、菅政権が2050年にカーボン・ニュートラルの実現を公約し、中国も2060年に同様の目標を掲げている。地球環境問題は、中国都市総合発展指標でも取り上げられ、その精緻化によってこの問題の解決に役立つに違いない。

 米国は、バイデン政権がパリ議定書への復帰を宣言し、今や世界は「グレート・リセット」の体制を整えつつある。それには、技術開発を軸に循環経済への改革が決め手であり、太陽光、風力などの新エネルギーの開発と供給のネットワーク化、電気自動車の開発普及、蓄電設備の改革、二酸化炭素の固定化、さらにはSmart Cityの実現などが喫緊の課題である。EUは炭素税の導入を検討しており、フランスのジャック・アタリ氏は、世界共通の炭素税を提案されたことがある。本年10月にはG20が、11月にはCOP26が予定されており、日中両国が積極的な貢献を果たすことを期待したい。

 日中両国は、これまでもエネルギー消費の効率化、公害防止技術の移転などについて、日本側経済産業省、中国側商務部の連携のもと、日中経済協会などがエネルギー・環境フォーラムなどの開催を通じて協力を続けてきたが、両国は、今後とも、技術開発を含めて広範な協力を展開し、世界にその技術成果を普及する努力を続けることが肝要である。

(4)少子化、高齢化対策

 もう一つの課題は、少子化と高齢化による人口構造の変化への対応である。日本は、すでに人口減少と高齢化の段階に入っている。中国も、最近人口政策を変更し、「一人っ子政策」を打ち切っているが、近い将来おそらく人口の減少過程に入るであろう。日本では、人口の高齢化に対応して、高齢者の健康、介護、医療など社会保障の充実が財源の確保も含めて深刻な課題となっている。中国でも、やがてその問題に直面することになる。両国は、相互に経験を交流し、社会福祉政策の充実に協力する必要がある。

2006年5月11日「日中産学官交流フォーラム−中国のメガロポリスと東アジア経済圏」にて、上段左から福川伸次(通商産業事務次官)、楊偉民(中国国家発展改革委員会副秘書長)、保田博(元大蔵事務次官);第二段左から星野進保(元経済企画事務次官)、杜平(中国国務院西部開発弁公室総合局長)、塩谷隆英(日本総合研究開発機構理事長、元経済企画事務次官);第三段左から船橋洋一(朝日新聞社特別編集員)、周牧之(東京経済大学助教授)、寺島実郎(日本総合研究所会長);第四段左から中井徳太郎(東京大学教授)、朱暁明(中国江蘇省発展改革委員会副主任)、佐藤嘉恭(元駐中国日本大使);下段左から大西隆(東京大学教授)、小島明(日本経済研究センター会長)、横山禎徳(産業再生機構監査役)

5.文化により国際社会の絆を強めること

(1)文明の衝突

 サミュエル・ハンチントン教授は、1996年「文明の衝突」と題する著書を発表した。これは、世界を8つの文明圏に分け、21世紀中にイスラム文明の中の争い、キリスト教文明とイスラム文明の衝突、そしてキリスト教文明と儒教文明の対立を予言した。確かに米国ではトランプ前大統領時代からそのイスラエル支援をめぐってアラブ諸国との対立が深刻となったほか、米中間では2018年頃から貿易紛争が激化し、さらに政治、経済、軍事、技術、通貨などをめぐって覇権争いが激しさを増している。

(2)文化の持つ力

 人類発展の歴史を見ると、文明は、目覚ましく進歩したが、文化もまた確実に進化してきた。ギリシャ、ローマ時代の文化の発達は目覚ましく、やがてこれが中世の欧州文化に開花した。中国、インド、イスラムなどはそれぞれに固有の文化の発達を競い合ってきた。日本は、遣隋使、遣唐使を派遣してその文化を取り入れ、固有の文化との融和を図るとともに、その後も欧米の技術や文化を導入し、社会発展の基礎を創った。日本は、伝統的に異文化に対して寛容であり、歴史的に積極的に異文化を取り入れてきた。

 文化は、本来人類が持つ高次元の価値であり、精神文明の極致である。「美」は、人類の共通の憧れである。日本は、自然との共生のなかに「美」を見出し、自然との調和の中に文化を形成してきた。「匠の技」によって優れた芸術品を産み、自然と人工の調和によって「美」を表現する日本庭園を造り、自然の味覚を尊重して独特の日本料理を提供し、世界から高い評価を受けている。一方、中国は、優れた文学、書画、陶磁器、仏像などスケールの大きい文化を提供している。中国料理は世界中に広がっている。

 こうした伝統的な文化に加えて、最近では情報通信技術の粋を集めた新しい文化が生まれている。2001年米国のジャーナリスト、ダグラス・マックグレイは、「日本はGNPでは停滞しているが、GNC(Gross National Cool)では優れたものがある」と指摘した。アニメ、漫画、キュイジンヌ、ファッション、文化情報関連機器などがそれである。情報関連技術は、産業と文化、技術と芸術の融合発展に新境地を開いている。最近、中国でも伝統的な文化、そして新しい文化を対象に情報関連技術を取り入れつつ、文化の振興、文化市場の拡大、芸術家の育成などに力を入れている。

(3)文化による世界の融和

 「文明の衝突」はあり得るが、「文化の衝突」は先ずないというのが私の考えである。「文化」は、芸術性と技術性の総和であり、国際融和の象徴である。とりわけAIなどの情報関連技術の進歩は、商品、サービスそのものの文化性の向上、表現方法の芸術化、文化情報伝達の高度化、文化性と効率性の両立を実現する。

 日中両国がこの分野で協力する可能性は大きい。文化の交流により文化市場の拡大を図るとともに、市場における文化性の測定方法の開発、関連データの収集、技術と文化の適合可能性の研究などがそれである。感性価値の計量化もその例である。中国都市総合発展指標においても、この分野の研究に貢献することが期待される。

 私は、日中両国が、産業と文化、技術と芸術の融合に協力していくことは、人間の価値意識の向上を通じて文化の相互理解を導き、ひいては世界の安定と人類の融和に大きく貢献できるであろうと考えている。

6.質の高い経済社会の実現と新グローバリズムの形成に向けて

 私は、最近の内外の政治経済社会を分析するとき、日中両国の協力が世界の安定と人類の進化に貢献する可能性が高まっていると考えている。

 日中両国の国民は、一時期の不正常な時期を除いて、二千年余の長きにわたり、経済、技術、文化、教育などの分野で密接な交流を続けてきた。私は、今後、両国の国民が百年、二百年、そして千年に向けて固い「信頼の絆」で結ばれ、その交流を通じて人間の「知」を深め、「価値」を高めていくことを期待したい。それができれば、地球社会の安定と繁栄に大きく貢献していくことができると確信している。

2018年7月19日「『中国都市ランキング−中国都市総合発展指標』出版記念パーティ」にて、前列右から杉本和行(日本公正取引委員会委員長、元財務事務次官)、安斎隆(東洋大学理事長)、福川伸次(元通商産業事務次官)、古川実(日立造船会長)、阿部和彦(日本開発構想研究所理事)、竹内正興(国際開発センター理事長)、竹岡倫示(日本経済新聞社専務)

(※肩書きは各イベント開催当時)


プロフィール

福川 伸次(ふくかわ しんじ)/東洋大学総長、地球産業文化研究所顧問

通商産業事務次官、神戸製鋼所代表取締役副社長・副会長、電通顧問、電通総研代表取締役社長兼研究所長、日本産業パートナーズ代表取締役会長、東洋大学理事長、機械産業記念事業財団会長、日中産学官交流機構理事長、日本イベント産業振興協会会長など歴任。


英語版『Tokyo and Beijing can pave way for global trust』(CHINA DAILY, 3 Dec 2021)

【コラム】初岡昌一郎:「人新世」(アントロポセン)時代の曲がり角 〜都市は文明を先導、だが崩壊危険要因も顕在化〜

初岡 昌一郎
国際関係研究者、姫路独協大学元教授


 百科事典で検索すると、文明とは都市化であるという意味の解説が一般的になされている。広く日本で用いられている『広辞苑』では、「都市化(civilization)」と記載されている。歴史を振り返ると、これまでのところ都市文明は発展の一途をたどってきたように見える。しかし、すべてが生成し、発展の後に、やがては没落・消滅するという万物の一般的法則から見ると、都市文明の永続的な繁栄が右肩上がりに持続的に続くのを想定するのは根拠不十分な楽観論にすぎない。


メガ都市化で危険がメガ化した現代


 歴史を紐解いて見れば、戦争や外部からの侵略によって破壊された都市もあるし、火山の噴火や自然環境の変化によって消滅したものもあった。 それだけではなく、自らの発展に起因する内在的な要因により自滅したものもある。例えば、ごみ処理や水の安定供給を組織できず、居住不能となり放棄された例もある。現代の都市も自らの発展が生みだした発展や成功の重みで自滅する要因を抱えており、メガ都市はその潜在的な危険もメガ化している。

 自然災害や予期しない人災は、巨大都市におい想定外にそのインパクトを増幅させ、制御不能な深刻な危機を生む。現下のコロナ禍はそれを可視的に警告している。都市の過密はパンデミックの温床となりやすい。ばい菌やビールスは人類を今後も脅かし続けるだろうが、都市の特性である過密自体が高い伝染の蓋然性を内包しているし、自然災害をも増幅する条件となっている。都市の将来を考察する時、都市工学的な技術主義的視点だけではなく、地球史的なマクロの観点も視野に入れる必要がある。

 多くの巨大都市は沿岸部に位置しているので地球温暖化による気候変動の影響を受けやすく、自然災害に脆弱な構造を内包している。海水位の上昇は多くの国で基幹的都市部の水害・水没の危険を招来する。すでに、洪水と高波による浸水と氾濫による災害を頻発させている。さらに、工業化や都市生活に急増するす資源需要を賄う地下水の過剰な汲み上げが規制されていない都市も少なくなく,広範囲の地盤沈下による海没の危機を生みつつある都市さえ増加している。


成長神話と過剰消費からの脱却が不可避


 最近、「人新世」という、これまでに聞きなれない用語を時々見かけるようになった。アントロポセンという原語はもともとドイツの科学者が地球史的時代区分に用いたのを嚆矢とするそうだ。人間が自然に従ってその環境の中で暮らす生活から、自然環境を自分の都合に合わせて改変する時代に移行したこと表す用語である。

 瞥見するところ、その時代区分上の定義は確立しているとはみえない。人が「火」を用い始めたことや、農耕と定住に人新世の起源を求める人もいるが、時代区分としては産業革命と化石燃料に依存した工業化の時代以後を指してこの概念を用いるのがその趣旨から見て分かり易い。 

 地球環境の本格的な改造と破壊は産業革命以後のことだから、アントロポセン史観は地球環境の保全に人類とすべての生物の未来を託することを当然最重視する。したがって、産業革命とその後の工業化の否定的な側面の規制と今後の資源利用の抑制を重視することになるが、それだけではなく、人間とそれを取り巻く動植物種の保全を含む、自然環境の保護・再生を目指している。

 地球環境と資源の過大な利用や乱用が問題視され、持続的発展が国際的な幅広い合意とされている現代は、人新世後期の入り口に差し掛かっていると理解されよう。この時代には、従来の価値観とこれまで当然とされてきた前提や開発目標が再検討を求められずにはおかないし、資源消費度の高い産業や地球環境を破壊する恐れのある産業と経済活動はより厳しい規制ないし禁止の対象となる。これは、現行の人間生活様式の全般的な見直し、特に都市型文明の再検討をラジカルに迫るものである。


近未来の水不足と食糧危機に備える環境政策と行動を


 都市生活はこれまで継続的かつ飛躍的にエネルギー、水、食料の消費を拡大してきたが、それらの原料や資源、生産物の大部分を外部に依存しており、その安定的かつ継続的な供給がほぼ自明のこととされてきた。こうした文明の形は資源を食い荒らし、すべての都市文明が国土、特に森林を犠牲にしてきた。その結果、大規模な自然環境破壊と森林喪失、大気汚染や地球温暖化を招いている。全般的な環境悪化の中で、特に深刻なのは、水(真水)の不足が顕在化していることだ。農業と工業化は水の大量需要に依存している。生活が高度化している国・地域では水の消費量が拡大し、都市における水不足はますます深刻化すると予測されている。さらに、森林の急速な喪失が国土の保水力を低下させ、水資源の枯渇に拍車をかけている。枯渇が騒がれた石油には自然エネルギーという代替が準備されているが、真水には代替できるものがない。海水の淡水化はまだ実用化にほど遠く、莫大なコストがかかる。現状では国土の大規模な緑化と節水と効率的利用など、重層的かつ総合的な対策が求められている。

 水不足に劣らない切迫した危機は近未来における食糧供給難であり、その不安の足音が昨今聞こえてくるようになった。これまで「人の増加が食料供給力を上回る」という、マルサスの予言は幸いにして現実とならなかった。私の人生スパン中の1935年から80有年の間に人類は3倍近く急増し、今世紀半には100億人の大台を突破することは確実とみられている。3分の2以上の人口が都市に住んでおり、その割合は増加の一途をたどっている。これは、半面では農村の過疎化、農地の荒廃と農地の粗放的使い捨て的な利用をほうちして、若者の農業離れと都市生活への移動を招いてきた。

 しかしながら、都市と農村の生活格差を縮小し、その間の双方向的な移動を促進する可能性を生かす知恵と技術を現代のわれわれは持っている。これをもっと意識的に追求すべきだ。生活と労働のIT化により、居住地にかかわりなく情報を共有しうる。加えて交通輸送手段の発達が、都市と農村の格差と壁を引下げ、新しい有機的な融合の可能性を生んでいる。

 安全で健康的な生活を保障するために、水と食料の供給をグローバルな視点から構築するチャンスを人類はまだ生かせるはずだ。そのためには、人類は地球環境の限界と可能性より良く認識し、人類の間でより調和のとれた連帯と公正な関係を実現するように努力するだけでなく、すべての動植物と共生する生活様式を獲得しなければならないだろう。謙虚に身を処し、身の丈に応じた暮らしを薦めた先人の知恵を噛みしめるために、私たちは脚下照顧の時を迎えている。


鉄とセメントによる強靭化よりも共生と連帯の社会


 時代の変化につれて、都市の発展度を測る尺度も当然変化する。人口、GDP、集積度などの量的な指標よりも、人間開発指標と社会文化的なインフラ、そして指数化困難な社会的レジリエンシー(耐性、弾力性)が重視されるだろう。都市の社会経済的なインフラだけではなく、それにもまして市民の社会的な参加と連帯(自発的な活動と協力、ボランティア活動や助け合い)という、社会の強靭性によって都市生活の質を高めることが評価の重要な側面となる。

 都市と文明の成熟は鉄とコンクリの工学的な強度よりも、人間的な結びつきの成長と社会的結束力によって評価される時代になる。そして、都市とヒンターランドである農山村部ともっと調和のとれた発展、さらに地球環境保全のために地域と国境を越えた都市の貢献を都市政策の根幹に据えるべきだ。大気汚染対策は世界的に進んできているが、大量なごみが投棄による深刻化する海洋汚染により魚類と海中生物の急減が進んでいる現状を国際的な連携により改善することが急務となっている。海が死することは、その中から生まれた生物の仲間である人類の死の前兆に他ならない。

 

サハリンで開催のセミナーにて、右から周牧之、初岡昌一郎、江田五月(2019年8月29日)

プロフィール

初岡 昌一郎(はつおか しょういちろう)

 国際郵便電信電話労連東京事務所長、ILO条約勧告適用員会委員、姫路獨協大学教授を歴任。研究分野は、国際労働法とアジア労働社会論。