【講義】志田崇・中井徳太郎:竜宮礁で海を再び豊かに

2024年11月21日、東京経済大学の進一層館前で、左から周牧之教授、志田崇氏、中井徳太郎氏

■ 編集ノート:

 志田崇氏は、青森で建設業を営みながら、海でアマモの保全活動をしている。昨夏、志田氏の案内で青森の海に潜った。大変に豊かな海で、アワビが獲れた。アマモは、ブルーカーボンとしてCO2を吸収し、豊かな海を育む。東京経済大学の周牧之ゼミは2024年11月21日、志田氏をゲストに迎え、中井徳太郎元環境事務次官に加わっていただき、海における脱炭素と環境保全の取り組みについて語り合った。


八甲田山のミネラルでホタテ養殖


志田崇:青森県陸奥湾でアマモという海草の保全をやっている。青森県は本州の最北端にあり、大間のマグロ、夏のねぶた祭、世界遺産となった縄文の三内丸山遺跡や、都市伝説だがキリストの墓もある。温泉が豊かで、海産物、畜産も豊富、コメも日本酒もいい。野菜は人参、牛蒡が沢山獲れる。

 私は青森市内で建築や土木工事、砕石を行う建設業を営みながら、サステナブル事業室で豊かな海作りや、アマモの保全活動をしている。

 青森県は三方に四つの海域を持つ。まず日本海だ。潮の流れが早い津軽海峡、太平洋、そして陸奥湾がある。海岸線の距離は約796kmで、陸奥湾は、津軽半島と下北半島に囲まれているため閉鎖的で、穏やかな海域となっている。2016年にはホタテの養殖で日本一になった。八甲田山から川を伝って森のミネラルがたっぷり陸奥湾に注がれるためホタテ養殖が栄え、漁業の中心となった。ミネラルで植物プランクトンがよく育ち、ホタテの餌になっているためだ。

2024年11月21日、東京経済大学でゲスト講義をする志田崇氏

ブルーカーボンを担う海藻類


志田:アマモ保全のきっかけは、26歳で青森に帰り家業の建設業を継いで漁港の整備に携わり、漁業者からアマモの重要性を聞き知ったことだ。

 子供のころ海水浴に行くと足に絡んで邪魔な奴だと思っていたアマモが、とても重要だと気づいた。陸奥湾は波が穏やかで、栄養が堆積しアマモが沢山生い茂っている。

 アマモは、昆布やワカメとは違う海草(うみくさ)で、種子植物だ。根があり、茎があり葉がある。生殖花を年に1回出し、雄花と雌蕊が花になり、種をつけて種子を作る。茎の部分を噛むと甘いからアマモと言われ、白い花を咲かせている。

 種は米粒かゴマのような形をしている。昔はアマモの種をネイティブアメリカンが食べていたとの伝説もある。アマモの種類は四つ。陸奥湾に多く分布しているアマモはコアマモで、幅がマッチ棒ぐらいの細い草だ。スゲアマモは、草むらや小砂利によく生息している。アマモは茎が横に伸びるのに対してスゲアマモは縦方向に伸びて繁殖していくので、斑状(むらじょう)に生育する。タチアマモは高さ7mを超えるような世界で最長級のものが陸奥湾に生えている。

 これらアマモがまとまって生えているのがアマモ場だ。光合成をするので、二酸化炭素を吸って酸素を供給する役割を持つ。最近ようやく耳にするようになったブルーカーボンの役割を果たしている。ブルーカーボンは、海洋の生物によって大気中の二酸化炭素が取り組まれ、海域に貯蔵された炭素のことを言う。

 大気中の二酸化炭素が海に溶け込み、それをアマモが吸い海中に溜め込むことをブルーカーボンという。アマモに限らず昆布、わかめ、マングローブ等、海草藻類全てがブルーカーボンの対象となる。森など陸上でCO2を吸収するのがグリーンカーボン、海の海草藻類が吸収するのがブルーカーボンと言われる。

2024年夏のねぶた祭

ブルーカーボンが最も二酸化炭素を吸収


志田:二酸化炭素が1年間で95億トン排出されるうち、陸上のグリーンカーボンが約20億トン、海洋のブルーカーボンが約28億トン吸収する。海洋の方が、より多くの二酸化炭素を吸収している。中でも浅い海域の海底で貯蔵されるブルーカーボンは海洋全体の約80%で、海藻がよく生える浅瀬の海が、CO2を沢山吸収してくれている。

 海藻類は光合成をして生育する際に、葉や根に二酸化炭素を溜め込む。海藻や昆布はヌルヌルしている。それはポリフェノールで、分解されにくい物質になりCO2を溜め込む。

 吸収係数の研究によると、アマモは1年間1ヘクタールで4.9トンのCO2を吸収する。ブルーカーボンは2050年のカーボンニュートラルに貢献できると今期待されている。水質浄化の効果もあり、生活排水の栄養があるアンモニア、リン酸、窒素などを栄養分として吸収し、赤潮を防いでくれる。小魚たちの住処にもなっている。

ゲスト講義にて中井徳太郎氏、周牧之教授、志田崇氏(左から)

■ アマモ場は漁業生産基地を支援


志田:私がアマモの活動を始めたのは生物多様性の漁業支援からだ。漁港を整備し漁港が賑わうため何が出来るか考えた時に、アマモを増やし、イシダイ、クロダイなど好きな魚を増やして食べられるようにし、漁港を盛り上げたいというのがアマモ活動の始まりだった。

 アマモ場にはマコガレイ、カワハギ、ハゼ類、アイナメ、キヌバリ、クロダイ、マダイ、カラスミにして食べるとうまいボラ、コウイカ、シャコ、石ガニ、ウスメバルの稚魚、クロソイの幼魚たちも沢山いる。

 アマモは、小さな魚が大きな魚に食べられないよう隠れる場所になり、また、アマモ自体が波を揺らせてとても居心地の良い場所となり、海のゆりかごと呼ばれている。餌を食べる場所にもなっていて、スゲアマモにナマコは張り付くように生息している。卵を産む場でもあり、アオリイカはアマモに卵を産む。ホタテが発生する場所として、ホタテの稚貝が、アマモの葉について発生している。

 アマモ場が多いほど、カレイやアイナメの漁獲量が多いという研究のデータもある。アマモ場は、漁業生産の基地支援になっている。漁業者にとって、そして我々魚を食べる人の生活にとっても、大変重要な場所である。

陸奥湾沿いの海鮮食堂

■ 陸奥湾のアマモ場が急減


志田:陸奥湾のアマモ場は環境省の1990年の調査では、海域が日本最大規模で、6,862ヘクタールあった。但し1978年の調査に比べて369ヘクタール消滅しており、消滅面積も日本一だった。

 2020年の環境省の調査では、陸奥湾は2,068ヘクタール減ってしまった。調査方法が違うので何とも言えないが確かに減少している。1990年の調査より4,794ヘクタール減ってしまったことになる。アマモの吸収係数は、前述のように年間、1ヘクタール毎に4.9トン吸収してくれる。2,068ヘクタールの面積でCO2の吸収量を換算すると、年間約1万133トン、CO2を吸収してくれていることになる。

 2023年、1世帯あたりCO2が2.52トン発生するとのデータで換算すれば、大体4,021世帯分のCO2を陸奥湾のアマモが吸収してくれていることになる。但し1990年にアマモ場が6,862ヘクタールあった時は、1万3342世帯分ものCO2を吸収してくれていた。

釜臥山展望台からの陸奥湾の眺め

■ アマモを保全するコンクリート構造物「竜宮礁」を開発


志田:アマモが減った原因は、東京と同様に埋立地を作り砂地がなくなったことにある。港湾、漁港に海岸工事をする建設業者としては耳が痛いが、これで潮流や水質が変化し砂地がなくなり、濁りが出来て光合成ができずに、消滅した。

 水温が高くなったのも原因だ。水温が30度を超えるとアマモは枯れて死んでしまう。

 また陸奥湾で特徴的なのが、ホタテの桁引き操業でアマモを刈り取ってしまうことだ。桁引き網は底曳網で、爪を常に引っ掛けてナマコやホタテを浮かせ、後から追ってくるかごに入れる漁法だ。ナマコやホタテを取るのと同時にアマモも削ってしまう。ナマコとアマモが混合して取れるため、漁師さんたちも仕分けるのは大変だ。

 とはいえ私が青森に帰って2、3年後の平成19年、漁獲量が大きく増え漁獲金額が30億円以上になった。漁師さんたちはお金を稼ぎたい、獲りたい。当時の青森県の漁獲金額のデータで、スルメイカが漁獲金額の28.1%を占めて第1位。次いで帆立貝、3番手はナマコの5.9%で、マグロに勝っている。

 問題解決のため、桁引き操業の邪魔にならないようスゲアマモの地下茎をほぐし、ナマコの育成場にもなるような堅牢な構造物の開発を2007年からスタートした。

 出来上がったのが穴開きのドーム型のコンクリート構造物だ。特許も取り、「竜宮礁」と名付けて商標登録した。最初に潜って調査したときに魚やナマコが沢山来て、まるで竜宮城のようだったから付けた名だ。

ゲスト講義で竜宮礁の仕組みを紹介する志田崇氏

■ モニタリングで効果を実証し事業化を推進


志田:竜宮礁は直径1.5m、高さ30センチで、流体の抵抗を受けにくいドーム型にした。流れを可視化し、陸奥湾内に150基ぐらい設置し、実証実験を2年かけて行った。ナマコは夏に寝るので、その仮眠場となり、冬は動きが活発になるので表面に付いた。1カ所からナマコが最大23個体出て、小さいナマコも見られた。スゲアマモを穴の中に移植し桁引きをしたところ、底引網の通った爪跡の残る中でスゲアマモがきちんと守られていた。様々なメバル、アイナメなどが見られている。

 この成果が県に認められ、青森県の水産環境整備事業に2013年度から取り入れられ、これまで4万機以上、陸奥湾に設置されている。1機当たり5万5000円で販売し、22億円以上になった。設置しただけでなく、実際に効果が出て、仕事として続けていけることが重要だ。私も潜り、ナマコ、アワビが生息し住み替えしているのを確認し、きちんとモニタリングして効果を確かめている。

 さらに面白いことにヤリイカが、竜宮礁の天井裏に産卵しており、多機能な効果を生むことが確認できた。その他にも、アマモの保全だけでなく、表面に昆布、アワビ、サザエの餌になるフシスジモクがついて、アマモ場の効果も確認した。

 陸奥湾のアマモ場の動向は、1990年から2020年まで約2,000ヘクタールで、2010年が最少だった。竜宮礁設置を2013年にスタートしてからアマモ場が増えてきたのは、漁師さんたちが竜宮礁の場所を禁漁区にするなど工夫しアマモ場を守ることに協力してくれるおかげでもある。

 竜宮礁は、閉鎖的で波が穏やかという波浪条件が優しい陸奥湾用なので、直径1.5m高さ30センチだった。実際の効果を踏まえ、日本海、津軽海峡、太平洋に持っていくために大型化をした。

 直径4.5m高さ1.1mで15トンの重いものを、青森県の津軽海峡と日本海に設置し、実証したところ、見る影もなかった昆布が付着し、水ダコがいて、ヤリイカが産卵し、シマダイが1機あたり30匹いた。日本海の方は、マダイや、10センチ程のサビハゼが3,000匹ぐらい上にいて、それを捕食しようとヒラメ、マダイ、ウマヅラハギがいる効果を実証した。

獲れたての陸奥湾アワビ

■ 風力発電で揚水し、アマモを育成


志田:青森の日本海の南側ではいま洋上風力の公募が行われている。洋上風車が立つと恐らく禁漁区になり、安全の面から漁ができなくなる。それなら、魚礁をおき、藻場を増やし、生物を増やし、ブルーカーボンの効果が出るようにしたい。事業者が決まったらアプローチしていきたい。

 2008年から魚礁をつくるだけでなく、実際にアマモ移植を実施してきた。

 ドームに入れるアマモの種子を生産し、漁師さんと一緒に種ができるものを取り陸上の水槽で保管、選別し、砂を敷いた陸上水槽で種を植え、種苗を作り、青森駅前干潟にも移植した。

 移植1年後に、アマモがすくすくと成長して伸び、3年後には2メーター程のアマモ棚を作り、5年後には2.5m〜4mぐらいの広さのアマモ棚を形成し、その脇にカレイが生息するようになった。このような取り組みをしていたところ、5年前の2019年、日本テレビ「鉄腕DASH」のロケ地になり話題を呼んだ。

 ブルーカーボン効果がある種苗を生産するのに、化石燃料で発電された電気を使うことに疑問を感じていたため、再生可能エネルギーの風力エネルギーである垂直軸の風車を利用し、漁港内の海水をくみ上げ、陸上の水槽に入れ、スゲアマモの種を育てて生産した。出来た種苗は漁港内の海底に移植した。移植後の9カ月後、生育を確認し、3年後にはスゲアマモの群落を作ることができた。出来た種苗は竜宮礁の中にも移植している。

ゲスト講義で洋上風力との連携構想を紹介する志田崇氏

■ 民間のブルーカーボンクレジットを活用


志田:人が介入し、アマモ場を作り、海藻養殖をし、吸収したCO2を定量化して売買することが可能になった。ジャパンブルーエコノミー技術研究組合JBE は、独自の Jブルークレジットを創設した。

 国が主体となったJクレジット制度は2013年に開設されたが、取引は、省エネ設備の導入、再生可能エネルギーの導入、適切な森林管理が主体で、海草藻場の造成保全が入っていない。

 これに対してJブルークレジットは国主体ではなく、ボランタリークレジットつまり民間のクレジット制度だ。創設した者、使う者にとって互いに良い取引となっている。

 NPO市民団体等が、アマモ場の造成保全をし、どの大きさの藻場でどの程度CO2を減らし吸収しているかの算定を、 JBEにプロジェクトとして申請する。一方、企業団体等クレジット購入者、とくに大企業はCO2を削減しろと社会的責任を問われているものの、工夫してもなかなか全部ゼロにはできない。そうした時、プロジェクトで創出したクレジットを買うことが、CO2削減になる仕組みだ。

 市民団体が活動するためにはボランティアだと長続きしない。ある程度買ってもらいお金に換えて活動することで、持続的なアマモ場、海藻の造成ができる。売る方も買う方もCO2の削減を担うことになり、互いにウィンウィンの制度になっている。

ゲスト講義でブルーカーボンについて解説する志田崇氏

■ 暮らしの真ん中に海を


志田:青森駅前干潟が拡大し、2021年4月に青森駅前ビーチという海浜公園が開園した。そこでもJブルークレジットを利用し、アマモ場を作った。規模は小さく、砂浜3,500平方メートル、干潟が1,500平方メートル、海中2,000平方メートルで、端から端まで100m程の小さなビーチだが、青森駅前ビーチは青森駅から走って30秒の近さと、青森ウォーターフロントエリアという観光施設、クルーズ客船の停泊場の一角であることが魅力だ。

 昔の青森港は、明治末期には家があり、子供たちが海で戯れる場所だった。大正末期も漁業者が魚を捕ってくると100人200人の人だかりができ、漁獲されたものを見ている風景があり、まさに海に寄り添った暮らしをしていた。それが、昭和になり北海道の函館と青森を結ぶ青函連絡船、人と物を運ぶ重要な連絡船ができたことで、岸壁が増え、砂地を壊し、人よりは船にとって良い場所になった。1940年頃には青函連絡船で貨車をそのまま船に乗せて行く形になった。当時は岸壁が三つあった。

 1988年に青函トンネルができ青函連絡船は廃止された。岸壁があり柵があり、ただ眺めるだけの海で、利用価値が全くない海になった。そこで県が2014年から2015年にかけて、青森港を元のように人が行き交い潤いのある空間にしようと、第1岸壁を干潟に造成した。

 さらに、魚が住む砂浜を作ろうということになり、海洋専門家の木村尚さんの助言を受け、青森駅前ビーチを作った。キャッチコピーは、「暮らしの真ん中に海を」となった。

 2021年7月にオープンし、私たちが県からの要請で管理している。キャッチフレーズは「人と水生生物が共存する居心地の良い空間作り」にした。陸奥湾の中でも風向きによってゴミが溜まり、海草藻類が流れ着く場なので、日常的に海岸を清掃している。保全活動してきた中でアマモが増え、青森駅前ビーチにはアマモに寄り添うカレイの幼魚、ハゼ類、ボラなど魚も増えてきた。

 アマモの移植活動には大人だけでなく子供たちも巻き込み、アマモの種を上から撒いてもらっている。針のない注射器のシリンジでアマモの種を海底に打ち込むやり方だ。子供たちには網を引かせ、生物調査をやり、アマモの大切さを座学でも行っている。

ゲスト講義でアマモ場を紹介する志田崇氏

■ 地域の課題をクリアしながら持続展開


志田:2021年7月から活動を続け2023年6月、ベイブリッジの上から撮った写真を見るとアマモが沢山生息しているのを確認できた。200平方メートル以上ある同地の面積でJブルークレジット認証を申請することにし、ドローンで空撮し、正確な面積を把握し、どのくらいの密度でアマモが生えているか調べた。Jブルークレジット申請の手引きにあった計算式に、調査から得られた数字を当て、1年間で0.3トンのCO2を吸収していることがわかった。

 JBSに申請したところ、確実性の評価で、いろいろ差し引かれ、青森駅前ビーチでは1年間で0.2トンのCO2を吸収していると証明された。

 津軽海峡の青森と函館を結ぶ青函カーフェリーが購入してくれた。クレジットの1トンあたりの取引金額は約7万円で結構高い。私達は0.2トンなので1万4000円換算になるところを、0.1トンを5万円、すなわちトン当たり50万円で購入してくれた。我々の行動活動を応援してくれた。

 Jブルークレジットで実感したのが、同制度ができて、購入者から資金を得ると、持続可能な活動が展開できることだ。二酸化炭素の取引以外に、生物多様性の創出、水産振興、食料供給、水質浄化につながった。   

 ビーチには子供から大人まで観光客もいろいろ訪れる。人と人のコミュニティの場として、新たな価値が取引価格にも反映されている。創出者も購入者もこの制度によってカーボンニュートラルに貢献し、気候変動対策をし、豊かな海作りに貢献できる。地域の課題をクリアしながらお金を回していける。

議論する中井徳太郎氏、周牧之教授、志田崇氏(左から)

■ 自然共生サイトに登録し生物多様性向上を


志田:青森駅前ビーチは、生物多様性のポイントの自然共生サイトに登録を申請している。自然共生サイトは、2021年G7サミットで日本が国内外に向けて約束した2030年までに国土の30%以上を自然環境エリアとして保存する「30by30」という取り組みがある。海も陸上もどちらも30%以上、自然環境エリアとして保全する。

 国が認定した自然共生サイトは、OECMすなわち「民間の取り組み等によって生物多様性の保全が図られる」と国が認定する区域だ。認定区域は、国立公園などを除いた地域で、保護地域との重複を除き、「OECM」として国際データベースに登録される。

 国立公園などの保護区ではない地域のうち、生物多様性を効率的かつ長期保全を集中して行う地域を、国際的に登録する。国際的なデータベースに載せる。例えば青森駅前ビーチが自然共生サイトそしてOECMになると、環境保全エリアとして世界的に発信できる。Jブルークレジットとは違い、まだクレジットにはなっていないが企業や団体が、生物多様性の取り組みを明示化することで、企業の投資家や一般消費者、利用者にPRでき、事業の価値を高めるメリットがある。

 青森駅前ビーチも価値を高めていきたい。自然共生サイトのポイントは、生物多様性の向上であるため青森駅前ビーチでリストを作り実践している。

 ブルーカーボン、自然共生サイトへの登録を通じて、地域の自然環境を保全することで様々な価値を上げていきたい。と同時に、継続的な活動をするために資金を回していきたい。地域の環境問題対策、地域経済、豊かな自然、幸せな未来に向けて、歯車が合えばいいと思う。

青森駅前ビーチ

■ 海を豊かにする再生事業


周牧之:アマモを選んだ理由を伺いたい。砂地や温度が関係してくるということだが、成長のスピードは? 

志田:多年草なので成長は早い。定着してくると地下茎を通って繁殖していく。生育地は砂地、砂利場が多く、昔は青森の海が日本一のアマモ場だったポテンシャルもあって、アマモを選んだ。アマモが生物多様性に貢献していることで、造成を進めた。 

周:アマモと昆布やワカメとの棲み分けは?

志田:昆布やワカメは硬い所に吸着し生育していくので砂地ではない。竜宮礁は表面が硬いコンクリートなので、胞子が吸着し、昆布が増えているところもある。日本製鉄でもやっていると思うが、着底気質を持つものを入れ、昆布やワカメを増やすことも可能だ。 

周:竜宮礁を作ったことで海が豊かになった。その点、漁業者としてのメリットは数値化されているのか?例えばナマコがものすごく増えたとか、

志田:何とも言えない。藻場があると密漁があって獲られたりすることもある。青森のナマコは輸出できていない。

周:中国人はナマコが大好きだ。高く売れる。

志田:いまは原子力排水の問題があり、輸出は出来ない。

中井徳太郎:ナマコを獲る桁引き網はいまもやっているのか?

志田:やっているところもある。潜って獲ることもある。竜宮礁を作ったところは桁引きの邪魔にならない。実際、漁師さんたちは、竜宮礁を保護区にするため漁はしない。海藻類もついているので発生場として保護しようということだ。

周:ナマコは養殖しているのか?

志田:していない。種苗は生産している。完全養殖は中国でやっていると思うが日本はまだやっていない。

中井:青森の人はナマコをよく食べるか?

志田:買って食べることはしない。貰って食べる。青森ではりんご、ホタテ、ナマコは貰って食べる。買うことはしない。

周:ナマコはアマモの落ちた枯葉を食べる?

志田:相性がいい。ムラ状に生えるので、ナマコは木の下で寄り添っているような形で枯葉を食べている。 

周:ナマコも美味しく食べられる。レシピ次第かもしれない(笑)。アマモ場を活用し、今の手法で、養殖場として使えるのか?先日実際に潜ってみて、陸奥湾が実に豊かな海だと実感した。今後、漁業よりは養殖のウエイトが大きくなるのでは?海の再生の話と、養殖のことを絡めていくのも一つの筋ではないか?

志田:海の使い方、漁業経営のあり方が違う。海岸線は自由に使えない。

周:藻場を入れる場所はどのように決めているのか? 

志田:業者さんと、どこに入れるかをヒアリングし、ここに設置してほしいという希望のあった場所に入れる。

中井:そこは本来、漁場だったのか?漁業者が魚を獲っていた場所か?

志田:そうだ。漁場だったのが、桁引きをし過ぎて砂地になってしまったところなどがある。

中井:それを漁場に戻す必要がある。 

志田:竜宮礁を入れた結果を漁師さんに見てもらい、また入れようという話になる。それが漁獲量と、漁獲金額にどれだけ反映されているのかわからない部分もあるが、評判はいい。

ゲスト講義で議論する中井徳太郎氏

■ 竜宮礁の更なる展開と課題


周:地方自治体の意識の高さも影響しそうだ。他の地域でやっているのか?

中井:酒田でやった?

志田:酒田で竜宮礁を設置した。アカモクの母藻を表面に付けた。アマモも移植したが根付かなかた。

中井:アカモクは根付いて広がったのか?

志田:全部で6基入れた中で、なぜか一つだけに付いた。徐々に広がっている。他の竜宮礁のところにも広がってくる。他の単体の方にも流れていっているかもしれない。

中井:陸奥湾以外でやっているのは?

志田:酒田と佐渡でやった。佐渡もとてもいい結果が出ている。ナマコが豊富で、ナマコのために設置してくれと言われて設置した。マメタワラ、ホンダワラが表面に付いた。

中井:全国展開のポテンシャルがある。海の状態に合わせて、バリエーションのある展開を考えていける。

周:アマモは海を再生する力を持っている。竜宮礁は陸奥湾だけでなく、全国展開、世界展開もできそうだ。特許は取ったのか?

志田:あと5年くらいで切れる。

周:私は若い時、政府開発援助(ODA)に携わった。20数年前に東南アジアで調査した時に、養殖が海岸に深刻なダメージを与えたのを目にした。

志田:養殖で海が汚れる。

周:竜宮礁で、海が修復できるのではないか。

志田:ナマコはホタテの下にいて、糞を食べてくれると言われている。 

周:竜宮礁を使い海の環境がかなりの面積で改善されるかもしれない。

学生:竜宮礁は太平洋に置いているか?

志田:置いてない。太平洋は岩盤が多いからだ。震災前は昆布など海草も生い茂っていたが、震災でそれらがなくなってしまった。竜宮礁を設置してみないかという話もあったが、太平洋は岩盤が多く起伏があるため、置いても安定しないことから設置してない。砂地に置いて、海藻の付着や魚のすみかを作っている。

学生:脱炭素化を目指す上で、洋上の風力風車をしている海に竜宮礁を設置する際の課題はなにか?

志田:洋上風車をしているところは風がいい。風が強いので波も立ち、海底の砂も移動してしまう。置いた竜宮礁が、砂の移動で埋没することもあるため、身長を高くするといった課題がある。

ゲスト講義で学ぶ周牧之ゼミ学生

■ 竜宮礁事業を支える仕組み


周:竜宮礁事業は地方自治体が資金を出して実施している?

志田:そうだ。公共事業で、水産庁と青森県の資金が入っている。 

周:アマモは1年間1ヘクタールで4.9トンものCO2を吸収する。それが大きな宣伝効果を生むはずだ。海上風力とのセットでやるのはいいアイディアだ。標準化すればよいのでは? 

志田:海草が生えるところなので10〜15mぐらいの水深だ。水深が浅い所の風車とセットにするのがいい。 

中井:アマモは多年草だから、一度認定された0.2トンのクレジットは、毎年続くのか? 

志田:毎年続く。毎年1年間で吸収したCO2の量をクレジット化する。

中井:1回申請して認定されたら、毎年買ってもらえるのか?

志田:毎年買ってもらえるかどうかは、わからない。津軽海峡フェリーが来年また買ってくれたとしても金額が低くなるかも知れない。

中井:ブルークレジットを取ったとき申請事業主体はどこか?

志田:私が所属しているNPO団体として私の会社も入って出した。

中井:竜宮礁として展開するのと、地道にアマモ場を作って再生していくのと、両方やっている? 

志田:そうだ。竜宮礁の設置にお金がかかるので民間団体だけでは難しい。

中井:4.5mの外海洋の竜宮礁は、志田内海が製品化しているのか?

志田:製品化している。 

中井:日本海側と津軽海峡側で出したのは?

志田:自前でやったのも洋上風車の事業者のスポンサーがついたのもある。

中井:竜宮礁は、真ん中のところにアマモを付ければそれを保全できるが、アマモだけではない? 

志田:昆布は自然に付いたが、昆布の補草を他から持ってきて付けて促すこともした。竜宮礁の中はアマモで、表面に他の生物がつく。

中井:まさに森里川海的だ。陸奥湾は鉄分の問題などはないのか。 

志田:ミネラルが流れてきていると思う。陸奥湾の外海はわからない。鉄分が不足しているかもしれない。

中井:鉄分が原因で、藻場が枯れているところもある。そこは竜宮礁と合わせてやればいい。

 JブルークレジットはCO2を金に変えてくれる点で非常にいいことだ。志田さんが元々、生物多様性を戻そう、自然を戻そうという問題意識を持っている。それはいま世の中の潮流になっている。脱炭素のカーボンニュートラルが大きなテーマであると同時に、もう一つ、ネイチャーポジティブで自然を戻そうということが世界的潮流になっている。

 ネイチャーポジティブ的なことで何ができるか考えたときに、海の再生にとって藻場の話はド真ん中だ。CO2をカウントしたクレジットが高く売れるのは二つの意味合いがある。単に削減する価値のクレジットは、買う側の企業からしても、自分が削減するのが本来だが、削減しきれないから他の人の分を買うという話で捉えられる。

 一方で吸収は、自然を戻すという付加価値になっている。CO2を吸収してくれるのでお金になるというわかりやすい世界がある。海の再生に企業が協力しているという企業イメージを出すことが重要だ。

 森林再生も同様で、森林吸収クレジットも4、5万円で高額だ。森林吸収への取り組みを説明したい大企業のニーズがある。

カーボンニュートラルは2050年までにゼロという目標が立っている。サーキュラーエコノミーとネイチャーポジティブとの三つを全部統合する青森のアマモは、大事なプロジェクトだ。

議論する周牧之教授、中井徳太郎氏、志田崇氏(左から)

プロフィール

志田崇(しだ たかし)/志田内海株式会社代表取締役会長

 1980年生まれ。青森県青森市出身。建設業に携わる一方、海の環境保全活動に尽力している。コンクリート製の海草アマモ増殖礁「竜宮礁」を開発して特許を取得。弘前大学大学院理工学研究科の社会人大学院で学んだ。
 2022年第10回 環境省グッドライフアワード環境大臣賞受賞。

中井 徳太郎(なかい とくたろう)/日本製鉄顧問、前環境事務次官

 1962年生まれ。大蔵省(当時)入省後、主計局主査などを経て、富山県庁へ出向中に日本海学の確立・普及に携わる。財務省広報室長、東京大学医科学研究所教授、金融庁監督局協同組織金融室長、財務省理財局計画官、財務省主計局主計官(農林水産省担当)、環境省総合環境政策局総務課長、環境省大臣官房会計課長、環境省大臣官房環境政策官兼秘書課長、環境省大臣官房審議官、環境省廃棄物・リサイクル対策部長、総合環境政策統括官、環境事務次官を経て、2022年より日本製鉄顧問。

【シンポジウム】索継栓・岩本敏男・石見浩一・小手川大助・周牧之:GXが拓くイノベーションインパクト

■ 編集ノート:東京経済大学は11月30日、国際シンポジウム「グリーントランスフォーメーションにかける産業の未来」を開催した。後援:北京市人民政府参事室、China REITs Forum。メディア支援:中国インターネットニュースセンター。セッション2「GXが拓くイノベーションインパクト」では、周牧之東京経済大学教授、索継栓北京市人民政府参事・中国科学院ホールディングス元会長、岩本敏男NTTデータグループシニアアドバイザー・元社長、石見浩一エレコム社長・トランス・コスモス元共同社長、小手川大助大分県立芸術文化短期大学理事長兼学長・IMF元日本代表理事が両国企業の取り組みと成果を報告し、GX分野での日中協力について展望した。

国際シンポジウム「グリーントランスフォーメーションにかける産業の未来」セッション2会場

■ ムーアの法則駆動時代を駆け抜ける


 司会の周牧之東京経済大学教授は、いまの激動の時代を「ムーアの法則駆動時代」と定義した。インテルの創業者でもあったゴードン・ムーアが1965年、同法則を発表し、半導体集積回路の集積率が18カ月ごとに2倍になり、価格が半減するとした。その後60年間、半導体はほぼ同法則通りに進化し、人類社会を大きく変える数々の新しい製品やサービスを誕生させた。この時代、ハイテク技術を基盤にしたイノベーションが社会発展の原動力となり、産業発展を牽引した。今日議論するテーマGX(グリーントランスフォーメーション)も同様に、テクノロジーの影響を受けて進行していく。これからの社会は、イノベーションが一層重要な役割を果たし、環境負荷の低減やエネルギー効率の向上など、持続可能な社会の実現に向けた技術的な解決策が求められると述べた。

周牧之 東京経済大学教授

 ビデオ動画で参加した索継栓北京市人民政府参事・中国科学院ホールディングス元会長は、中国政府は炭素排出量のピークアウトと炭素ニュートラルの実現を戦略的に進めていると説明した。中国科学院は低炭素技術の開発など、多くの施策を講じてきた。特に注力しているのが、ゼロからイノベーションを生み出す技術の開発だ。二酸化炭素削減に向けて、既存技術の改善だけでなく、新たな技術を創造し、飛躍的に進歩することが求められる。

 中国科学院は、研究機関と企業との連携強化も非常に重視している。基礎技術の開発から重要技術のブレークスルー、さらにはその技術の実証まで、総合的な開発体制を築いてきた。これにより、化石エネルギーの転換、新エネルギー技術、再生可能エネルギー技術の進展など、さまざまな分野で顕著な成果を上げてきた。

索継栓 北京市人民政府参事、中国科学院ホールディングスシニアディレクター、元会長

 索氏は、数々の中国科学院の研究成果を紹介した。例えば、石炭を原料とした合成油という技術開発により、石炭資源の効率的な利用が可能となり、環境への負荷を低減できた。また、リチウム電池をはじめとするエネルギー貯蔵技術の研究に長年取り組んだ結果、現在のリチウム電池産業の発展に大きな影響を与えた。特に、固体リチウム電池の開発は、EV(電気自動車)や電動船舶、ドローン等さまざまな分野での利用が期待される。さらに、ナノ粒子電池の研究も、将来的にエネルギー貯蔵の分野で広く応用されることが予想されている。

 岩本敏男NTTデータグループシニアアドバイザー・元社長は、NTTデータが1988年に独立し、現在では売上高約4.4兆円、従業員数約20万人の規模に成長し、50カ国以上に拠点を持つと述べた。NTTデータの取り組むイノベーションとして、JAXAの衛星データを活用した全世界デジタル3D地図の技術と、バチカン図書館のデジタルアーカイブプロジェクトを紹介した。これらの技術はGX、自然災害復興、インフラ整備、人類の遺産の保全と活用などに役立っている。

岩本敏男 NTTデータグループシニアアドバイザー、元社長

 石見浩一エレコム社長は、同社が創業から38年を迎え、現在ではPCやモバイル周辺機器だけでなく、調理家電やペット家電など、多岐にわたる製品を開発していると詳述。製品の93%が中国で生産されているのに対し、マーケットとしての海外シェアはまだ3%であり、この3年間で20%を達成したいと力説した。そのためには何よりも「人」が大事で良い人材を育成し、企業のビジョンを実現するための取り組みを続けたいと述べた。

 エレコムが取り組むGX活動については、森林再生プロジェクトや太陽光発電の活用、石油由来プラスチックの削減などを説明。また、新ブランド「think ecology」を立ち上げ、環境に優しい素材や再生可能な素材を使用した製品を提供していると紹介した。

パネリストの岩本敏男氏、石見浩一氏

■ 環境対策と産業競争力の両立が鍵


 小手川大助大分県立芸術文化短期大学理事長兼学長・IMF元日本代表理事は環境問題に関連するドイツの政権破綻について解説した。ドイツのリントナー財務大臣が、環境予算とウクライナ支援の継続に強く反対したため、ショルツ首相は11月6日に同財務大臣を解任せざるを得なくなった。その結果、ドイツ政府は機能しなくなり総選挙が行われることになった。しかし現在、勢いがある極右・極左政党は共通してウクライナへの支援に強く反対し、行き過ぎた環境政策を即時に中止すべきだと訴えている。ドイツ主要企業の多くは環境政策が原因で他国へ移転してしまっている。今後ドイツは、環境政策とウクライナ支援よりも、経済の安定を最優先する方向へ進んでいく可能性が高い。その影響が欧州全体、ひいては世界にどのように波及するのかに注視することが必要だ、と強調した。

 これに対して、周氏は、環境対策と国内産業の競争力を両立できるかどうかが、現在、ヨーロッパやアメリカで大きな課題となっているとした。中国では、EVや再生可能エネルギーなど、環境関連産業が急速に発展し、国際競争力を高めることに成功している。これにより、環境対策と産業の競争力が両立できる形になったと述べた。

小手川大助 大分県立芸術文化短期大学理事長兼学長、IMF元日本代表理事

起業家精神が時代を牽引


 続いて周氏は、資本市場における企業評価の変遷を解説した。1989年の世界時価総額ランキングトップ10では銀行、通信、電力などを中心に日本企業が多く占めていたが、2024年現在は、マイクロソフト、アップル、エヌビディア、テスラ、アルファベット、メタ、アマゾンなどテック企業が主導する形になっている。これらテック企業7社すべてがスタートアップ企業だった。その時価総額が現在12兆ドルを超え、「マグニフィセント7」と呼ばれ、圧倒的な存在感を持つ。ムーアの法則に基づく成功は、創造力に支えられたスタートアップ企業が、リスクを取りながら成長していくパターンだ。対照的に、大企業はリスクを取ることが苦手で、新技術の開発や新規事業の立ち上げに消極的になりがちであると指摘する。

 周氏は、アメリカと中国の時価総額トップ100企業の中では1980年代以降に創業した企業が多く、創業者がリーダーシップを発揮して産業の変革を牽引していると言及した。技術力と企業家精神が企業の発展を左右し、特にGX時代においては企業家精神が成長と変革の鍵となると述べた。

 索氏は1984年に設立されたレノボを挙げ、中国科学院と密接に連携し成長した事例を紹介した。レノボは英語のオペレーティングシステムを中国語に変換するイノベーションや、IBMのPC部門の買収、Googleからのモトローラ事業の取得などを通じて世界的な企業に成長した。この成功は、企業家精神とイノベーションへの挑戦を象徴し、中国の産業転換を促進する重要なステップとなった。

 石見氏は過去に200社以上の企業の面倒を見た経験から、成功する経営は「実行」に他ならないと強調した。実行するために必要なのは、計画段階で目標を定めることであり、目標達成に向けどう行動するかを考え続けることだとした。

 具体的には、企業のビジョンの明確化が最重要で、10年後、20年後にどんな企業になりたいかを考えることが、企業の方向性を決定づける。ビジョンがないと、企業文化や戦略も定まらない。マーケットやテクノロジーの変化を意識し、変化に対応できる戦略や戦術を立てることが、企業化精神の一部だと述べた。

 実行力にはリーダーシップが求められる場面も多く、決断が速かったことが成功の鍵となった。特に、ベンチャー企業はスピードが重要で、新製品やサービスを開発し、市場の動向に迅速に対応し、変化し続ける力が不可欠だとし、失敗後の回復力を強くし、失敗を恐れず、復活するために必要なエネルギーと強い意志を持ち続けることだと力説した。

司会の周牧之氏とコメンテーターの小手川大助氏

IOWNで究極のデータセンターGXを


 岩本氏はAIの進化により、データセンターの電力消費はますます増加するとした。AIの学習には大量の電力が必要で、特にエヌビディアのようなGPUを使う処理は非常に高い消費電力を伴う。これに対して、NTTグループは、AI向けのデータセンターの効率化を進める技術を導入している。エネルギー効率を向上させる「IOWN(アイオウン)」という計画がある。これは、光通信技術を使い、従来の電気を使った通信インフラを光に置き換える。光通信は非常に低消費電力であり、遅延が少なく、大容量のデータを効率的に扱うことができるため、今後の通信インフラにおいて大きな役割を果たす。この技術を使うことで、さらにカーボンニュートラルに向けた効率化が進む。これが、GXの将来に向けて重要な役割を果たすと強調した。

 これについて周氏は、今、世界はAIブームで沸騰中だ。しかし、AIは膨大なエネルギーを必要とし、さらにそのエネルギーで発生する熱を冷却するために非常に高いコストがかかる。この問題が驚くべき規模で進行している。すでに「原子力」の復活の議論にまでつながり、原子力ブームを再来させる可能性もある問題だとした。この問題の解決には、IOWNプロジェクトが非常に重要なイノベーションとなる。同プロジェクトは、光技術を活用し、エネルギー消費を最小限に抑え、究極のデータセンターGXを実現できる。この大きなインパクトを持つビッグイノベーションが成功すれば、NTTは再び世界時価総額トップ企業に返り咲くと期待を述べた。

GXにおける日中の協力


 岩本氏は百数十回にわたる中国訪問歴があり現在、NTTデータは中国に約10カ所の拠点を構え、4千人以上の従業員を擁している。中国企業と信頼を持って協力し合えると述べた。将来的にも、中国との関係を深め、ビジネスや文化、そしてGXの交流を促進していく意向を示した。

 石見氏は、中国の製造能力と技術に依存している現実を認識し、中国と協力して世界市場を開拓する必要性を強調し、新たにR&Dセンターを設立して製品検証を進めていると紹介した。GXを進めるうえで、最も大事だと思うのは「協同」だとし、グループ会社や中国の製造パートナーとの協力が不可欠で、目的や具体的な取り組みを共有し、一緒に進めていくことが成功への鍵だとした。アジア市場では、中国と共に新しいビジネスモデルを構築し成長していくことが必要だとし、日中両国が協力してバリューチェーンを構築し、グローバル市場でも競争力を発揮する努力が、最終的にGXの実現に繋がると展望した。

パネリストの石見浩一氏

 小手川氏は、日中関係は地理的に隣接し、経済的にも非常に深い結びつきがあるため、今後も友好的な関係を築いていくことが必要不可欠だとした。日本の背後にはアメリカという大きな影響力を持つ国が存在し、その政治的な立場や方針には、時に理解し難い面もあると述べた。アメリカは常に自国の利益を最優先に考え、ルールや倫理より自国の経済的利益を追求する。これを鑑みれば、今後の日中米関係では、単に表面的な外交政策や交渉にとどまらず、各国の実際の行動と戦略の見極めが求められると述べた。特に、日本と中国、アメリカとの関係は非常に微妙であり、いかにして互いに利益を得るための協力を深めていくかが、今後の鍵となると語った。

 周氏はアメリカという国は、ユーラシア大陸から見て「島国」として位置づけられる。アメリカが行うユーラシア政策は、まさにイギリスのユーラシアパワーを叩くマッキンダーのハートランド論的なものを踏襲している。と同時にアメリカには孤立主義も根深い。トランプの大統領としての再登板は、まさしくそうしたぶれを反映している。GX政策で重要なのは、私たちが何をすべきかをしっかり見据え、そのようなぶれの影響を受けずに実行し続けることだと強調した。

 現在、日本には中国の人々が大勢訪れている。今年だけでも1,000万人前後の中国人観光客が来日している。人と人との交流が続く中で、日中関係に対する憂慮や懸念は自然と薄れていくと信じる。毎年3,000万人、そして5,000万人という規模の中国人の訪日が近い将来に実現すれば、日中関係に関する困難な問題は、全部吹き飛んでしまうだろうと期待した。

シンポジウム当日の東京経済大学キャンパス

■ シンポジウム掲載記事


GX政策の競い合いで地球環境に貢献
http://japanese.china.org.cn/business/txt/2024-12/30/content_117632819.htm

気候変動対策を原動力にGXで取り組む
http://japanese.china.org.cn/business/txt/2025-01/02/content_117641894.htm

GXが拓くイノベーションインパクト
http://japanese.china.org.cn/business/txt/2025-01/02/content_117641551.htm

■ 登壇者関連記事(登壇順)


【コラム】福川伸次:日中関係、新次元への昇華の途を探る 〜質の高い経済社会の実現と新グローバリズムの形成に向けて〜

【フォーラム】鑓水洋:地域活性化策には明確なコンセプトが求められる

【刊行によせて】楊偉民:都市のハイクオリティ発展を促す指標システム

【刊行によせて】楊偉民:全く新しい視点で中国都市の発展状況を評価する

【講演】中井徳太郎:カーボンニュートラル、循環経済、自然再生の三位一体のイノベーション—地域循環共生圏構想

【フォーラム】中井徳太郎:分散型自然共生社会を目指して

【刊行によせて】中井徳太郎:生態環境社会への移行に寄与

【ディスカッション】中井徳太郎・大西隆・周牧之:コロナ危機を転機に 

【ディスカッション】中井徳太郎・安藤晴彦・和田篤也・周牧之:省エネ・再生可能エネルギー社会への挑戦と自然資本

【フォーラム】南川秀樹:コミュニケーションの場としてのエンタメを

【刊行によせて】南川秀樹:中国大都市の生命力の源泉は何か

【コラム】邱暁華:高度成長からハイクオリティ発展へシフトする中国経済

【ディスカッション】小島明・田中琢二・周牧之(Ⅰ):誰がグローバリゼーションをスローダウンさせた?

【ディスカッション】小島明・田中琢二・周牧之(Ⅱ):ユーラシア大陸を視野に入れた米中関係

 【専門家レビュー】周其仁:生態都市建設と都市総合発展指標

【刊行によせて】周牧之:新型コロナウイルス禍と国際大都市の行方

【論文】周牧之:二酸化炭素:急増する中国とピークアウトした日米欧

【論文】周牧之:アメリカ vs. 中国:成長と二酸化炭素排出との関係から見た異なる経済水準

【論文】周牧之:世界の二酸化炭素排出構造と中国の課題

【刊行によせて】徐林:中国の発展は都市化のクオリティ向上で

【対談】小手川大助 vs 周牧之:(Ⅰ)転換点で激動の国際情勢を見つめる

【対談】小手川大助 vs 周牧之:(Ⅱ)複雑な国際情勢をどう見極めるか?

【シンポジウム】南川秀樹・邱暁華・徐林・田中琢二・周其仁:気候変動対策を原動力にGXで取り組む

国際シンポジウム「グリーントランスフォーメーションにかける産業の未来」セッション1会場

■ 編集ノート:東京経済大学は11月30日、国際シンポジウム「グリーントランスフォーメーションにかける産業の未来」を開催した。後援:北京市人民政府参事室、China REITs Forum。メディア支援:中国インターネットニュースセンター。セッション1「GXにおける日中の取り組み」では、南川秀樹日本環境衛生センター理事長・元環境事務次官、邱暁華マカオ都市大学教授・中国統計局元局長、徐林中米グリーンファンド会長・中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司元司長、田中琢二IMF元日本代表理事、周其仁北京大学国家発展研究院教授が日中両国のGX分野での政策と成果を報告し、今後の展開について議論した。


南川秀樹・邱暁華・徐林・田中琢二・周其仁:東京経済大学国際シンポジウム「グリーントランスフォーメーションにかける産業の未来」セッション1「GXにおける日中の取り組み」2024年11月30日

■ 「グリーン化」が中国を世界で最も多くの再生可能エネルギー設備を持つ国に


 シンポジウムのセッション1「GXにおける日中の取り組み」は南川秀樹日本環境衛生センター理事長・元環境事務次官の司会で、パネリストの邱暁華氏マカオ都市大学教授・中国国家統計局元局長、徐林中米グリーンファンド会長・中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司元司長、田中琢二IMF元日本代表理事と、コメンテーターの周其仁北京大学国家発展研究院教授が登壇した。

 東京経済大学で客員教授を務めていた南川秀樹氏はまず以下の問題提起をした。気候変動の問題は、従来の環境問題とは異なる点がある。過去の環境問題は、誰かが原因を作り、特定の人々が影響を受ける形だった。しかし、気候変動問題は、CO2やメタンを排出する国があれば、その影響は全ての国に均等に及ぶ特徴がある。つまり、原因者と被害者が直接的に結びついておらず、プレッシャーをかけにくい。このような背景下、先日のCOPで発展途上国からは、「CO2を多く排出して経済成長している国々が、なぜ自分たちを支援してくれないのか」という不満の声が上がった。もちろん、中国や日本も積極的に取り組んでいるが、まず中国や日本が排出削減や適応対策をどう進めているのかを世界に向けて発信する必要がある、と述べた。

南川秀樹 日本環境衛生センター理事長、元環境事務次官

 邱暁華氏は中国経済が歩んできた歴史的な変遷について、特に中国が現在直面する「三大変化」に焦点を当てた。三大変化を「デジタル化」「スマート化」「グリーン化」と定義し、各々の中国経済の発展への寄与について説明した。これらの変化が、中国経済の成長に新たなダイナミズムをもたらしていると強調した。

 中国経済が直面する地政学的な課題については特に、アメリカや西洋諸国との経済的・政治的な対立が経済成長に与える影響に関して、発展途上国が直面する地政学的な影響を無視できないとした。

シンポジウム当日の東京経済大学キャンパス

 中国の「グリーン化」について、邱氏は具体的なデータを用いて解説した。中国政府は、2030年にCO2排出のピークを迎え、2060年までに排出量の実質ゼロを目指すと発表し、同目標を実現するためにさまざまな取り組みが進んでいると述べた。特に、再生可能エネルギーの導入拡大、産業構造の転換、循環型経済が促進し、これらの施策が中国の経済成長と環境保護を両立させる鍵となるとした。

 2024年8月末時点で、中国の再生可能エネルギーの発電設備の規模は、全発電能力の40%以上を占めるようになったと紹介し、中国の再生可能エネルギーへの積極的な取り組みが会場に強い印象を与えた。

邱暁華 マカオ都市大学教授、中国統計局元局長

■ 中国ではイノベーションで太陽光発電コストが下がり、政府補助金が不要に


 徐林氏は、中国は、低炭素への転換を「生態文明」という高い政策次元にまで引き上げた国であると強調し、具体的なデータを示しながらその取り組みを紹介した。例えば、過去40年間中国で100万平方キロメートルの緑地が増加した。この面積は、日本の国土面積の約3倍に相当し、中国の環境保護活動がいかに大規模であるかを示している。

 再生可能エネルギーの拡大については、特に風力、太陽光、原子力の発電容量が急増し、中国が世界で最も多くの再生可能エネルギー設備を持つ国になったと述べた。徐は、この進展が中国経済の成長を支え、同時に環境保護に大きな貢献をしていると強調した。

 徐氏は、中国の太陽光発電技術の進歩でコストも下がり、同分野で政府の補助金が不要になり、商業投資の機会が増えていると紹介。従来低炭素への移行はプレッシャーとなっていたが、現在では技術の進展とグリーン電力への投資の成果が相まって経済成長の原動力となり、もはやプレッシャーではなくなっていると力説した。

徐林 中米グリーンファンド会長、中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司元司長

 田中琢二氏はIMFでの経験を基に、気候変動問題に対する国際的なアプローチを説明した。日本が直面する環境問題と、その取り組みについては、日本が掲げる温室効果ガス削減目標について言及し、2030年の温室効果ガス削減目標を達成するため2013年の14億トンの CO2を7.6億トンに削減する必要がある。この中で、エネルギー起源のCO2削減が最も重要な部分を占め、特に電力由来のCO2削減が重要なポイントとなっている。電力由来のCO2削減は全体の半分を占めており、再生可能エネルギーの導入が進むことで、この目標を達成することが可能になるとした。

田中琢二 IMF元日本代表理事

 田中氏は、国際的に日本と中国をはじめとする国々が気候変動対策に貢献しつつ、経済成長を実現するため連携を深めていると述べた。特に、日中間では再生可能エネルギー技術の輸出や、カーボンプライシング制度の連携が進み、中国が同分野で実施する非常に先進的な取り組みの経験を参考にしながら、日本も国際的な気候変動対策に貢献することが求められていると、強調した。

 田中氏はまた、日本は再生可能エネルギーの導入拡大や次世代技術の研究開発、特に洋上風力や水素技術、蓄電池製造サプライチェーンの強化や次世代型太陽電池の開発などが重要だとした。さらに、カーボンプライシングや新しい金融手法がGX(グリーントランスフォーメーション)の進展を支える重要な要素であると指摘し、これらの政策が民間投資を引き出し、経済成長と脱炭素化を同時に実現する道筋だと示した。社会的公平性の確保にも触れ、特に影響を受けやすい労働者や地域経済への支援が不可欠であると強調した。気候変動対策が経済的な格差を広げない配慮が、持続可能な社会の実現にとって重要だと述べた。

パネリストの邱暁華氏、徐林氏、田中琢二氏

気候変動対策はやれることからどんどんやっていくことが大事


 コメンテーターの周其仁氏は、中国は環境保護に大きな努力をしているが、その道のりは決して簡単ではないと指摘。中国は経済成長の過程で、大量のエネルギーを消費し、環境を犠牲にしてきたが、今はその成長を持続可能にするために環境重視にシフトしなければならない。それに伴って発展途上国特有の課題をどう乗り越えるかが重要であると強調した。経済的な発展と環境保護のバランスを取るためには、各国が独自の状況を考慮した政策を採る必要があるとした。

周其仁 北京大学国家発展研究院教授

 司会の南川氏は、アメリカの「インフレ抑制法」実施とEU(欧州連合)「国境環境税」の導入議論について取り上げ、環境対策における経済的な保護主義に対して懸念を示した。

 これに対して周氏は、大国のリーダーの中に、気候変動の進行を信じていない人がいるが、それでもなお全球的な協議の実現に向けて、まず大国間で協力の道を模索することが重要だと力説した。人類はこれまで、大きな問題を協議で解決することがなかなか出来なかった。軍事的な問題でも、解決には時間がかかり、多くの命が失われている。気候変動のような長期的で大規模な問題は、さらに難しい課題であり、全球的な協議に対する期待を過度に高く持つのは現実的ではないかもしれない。地道に現実的な解決策を見つけどんどんやっていくことが大切だと述べた。

司会の南川秀樹氏とコメンテーターの周其仁氏

■ シンポジウム掲載記事


GX政策の競い合いで地球環境に貢献
http://japanese.china.org.cn/business/txt/2024-12/30/content_117632819.htm

気候変動対策を原動力にGXで取り組む
http://japanese.china.org.cn/business/txt/2025-01/02/content_117641894.htm

GXが拓くイノベーションインパクト
http://japanese.china.org.cn/business/txt/2025-01/02/content_117641551.htm

■ 登壇者関連記事(登壇順)


【コラム】福川伸次:日中関係、新次元への昇華の途を探る 〜質の高い経済社会の実現と新グローバリズムの形成に向けて〜

【フォーラム】鑓水洋:地域活性化策には明確なコンセプトが求められる

【刊行によせて】楊偉民:都市のハイクオリティ発展を促す指標システム

【刊行によせて】楊偉民:全く新しい視点で中国都市の発展状況を評価する

【講演】中井徳太郎:カーボンニュートラル、循環経済、自然再生の三位一体のイノベーション—地域循環共生圏構想

【フォーラム】中井徳太郎:分散型自然共生社会を目指して

【刊行によせて】中井徳太郎:生態環境社会への移行に寄与

【ディスカッション】中井徳太郎・大西隆・周牧之:コロナ危機を転機に 

【ディスカッション】中井徳太郎・安藤晴彦・和田篤也・周牧之:省エネ・再生可能エネルギー社会への挑戦と自然資本

【フォーラム】南川秀樹:コミュニケーションの場としてのエンタメを

【刊行によせて】南川秀樹:中国大都市の生命力の源泉は何か

【コラム】邱暁華:高度成長からハイクオリティ発展へシフトする中国経済

【ディスカッション】小島明・田中琢二・周牧之(Ⅰ):誰がグローバリゼーションをスローダウンさせた?

【ディスカッション】小島明・田中琢二・周牧之(Ⅱ):ユーラシア大陸を視野に入れた米中関係

 【専門家レビュー】周其仁:生態都市建設と都市総合発展指標

【刊行によせて】周牧之:新型コロナウイルス禍と国際大都市の行方

【論文】周牧之:二酸化炭素:急増する中国とピークアウトした日米欧

【論文】周牧之:アメリカ vs. 中国:成長と二酸化炭素排出との関係から見た異なる経済水準

【論文】周牧之:世界の二酸化炭素排出構造と中国の課題

【刊行によせて】徐林:中国の発展は都市化のクオリティ向上で

【対談】小手川大助 vs 周牧之:(Ⅰ)転換点で激動の国際情勢を見つめる

【対談】小手川大助 vs 周牧之:(Ⅱ)複雑な国際情勢をどう見極めるか?

【シンポジウム】福川伸次・鑓水洋・岡本英男・楊偉民・中井徳太郎:GX政策の競い合いで地球環境に貢献

■ 編集ノート:東京経済大学は11月30日、国際シンポジウム「グリーントランスフォーメーションにかける産業の未来」を開催した。後援:北京市人民政府参事室、China REITs Forum。メディア支援:中国インターネットニュースセンター。挨拶と基調講演では、福川伸次東洋大学総長・元通商産業事務次官、鑓水洋環境事務次官、岡本英男東京経済大学学長、楊偉民中国第十三回全国政治協商会議経済委員会副主任、中井徳太郎日本製鉄顧問・元環境事務次官が両国の政策と成果を報告し、GX分野での日中協力について展望した。

国際シンポジウム「グリーントランスフォーメーションにかける産業の未来」会場

■ 混迷の国際情勢で薄れる環境への関心に技術革新で挑む


 福川伸次東洋大学総長・元通商産業事務次官は開会挨拶で、ロシアのウクライナ戦争やイスラエルとガザ地区の情勢などでエネルギー市場が混乱し、環境問題への関心が薄れる危険性があるとした。米国ではトランプ氏の大統領再任により、環境問題への関心が薄れる懸念がある。グローバルサウスの国々は経済成長を重視し、地球環境問題に対する意識が乏しいとの危惧もある。

 エネルギー消費増加に伴う課題解決には技術革新が欠かせず、太陽光や風力の拡大、安全性の確認された原子力、水素エネルギーの活用が鍵だとした。また、資金調達の必要性に触れ、発展途上国支援や革新的技術開発のため資金供給メカニズムの検討を提案した。

 中国はソーラーパネルや電気自動車、風力発電の分野で世界をリードしている。日中協力の発展を期待し、GX(グリーントランスフォーメーション)分野での成功が世界の産業発展の中心となると力説した。

福川伸次 東洋大学総長、元通商産業事務次官

 鑓水洋環境事務次官は、GXに関する日本政府の政策について詳述し、温室効果ガス排出削減を目指す「GX経済公債」の発行やカーボンプライシング制度の導入などを紹介した。これら施策は、10年間で150兆円を超える官民投資を実現し、脱炭素化と経済成長の同時達成を目指している。また、COP29の結果にも触れ、途上国への資金支援拡大や都市建物の脱炭素化について報告した。

 現在日本政府が検討している「GX2040ビジョン」については、エネルギーの脱炭素化や水素関連産業の集積、GX製品の国内市場創出などが重要な課題だと紹介した。特に、グリーン鉄やグリーンケミカル、CO2吸収コンクリートなど素材の性能向上及びコストダウンについて、カーボンプライシングを加えてGX製品の価値を見える化し、需要創造や市場創出に取り組むことを目指している。

鑓水洋 環境事務次官

 岡本英男東京経済大学学長は、同大学が周牧之教授や尾崎寛直教授を中心に従来取り組んできた数々の環境問題関連のシンポジウムを振り返りつつ、東アジアをはじめとする国々との連携が、地球環境問題の解決に不可欠であると述べた。

岡本英男 東京経済大学学長

■ 風力発電、太陽光発電など再生可能エネルギー導入進む中国


 基調講演は「迫りくるGX時代」をテーマに、楊偉民中国第十三回全国政治協商会議経済委員会副主任、中井徳太郎日本製鉄顧問・元環境事務次官が、それぞれの視点から持続可能な社会を実現するための課題と取り組みについて検討した。

 楊氏はまず、グリーン経済が中国にとって重要なテーマであると指摘。2006年からの中国第十一次五カ年計画はエネルギー消費効率の20%改善、主要汚染物質の10%削減を目標とした。持続可能な発展に向けた同取り組みの延長線上に、現在の「カーボンピーク」と「カーボンニュートラル」という目標があると述べた。

 習近平中国国家主席は2020年、二酸化炭素排出量を2030年までにピークとし、2060年までにカーボンニュートラルを達成するという目標を発表した。中国が気候変動対策の分野で世界的なリーダーシップを果たすための枠組みとして位置づけられている。これにより、中国では風力発電や太陽光発電などの再生可能エネルギーの導入が急速に進んでいる。2023年には再生可能エネルギーの設備容量が12億キロワットに達し、2030年目標を6年も前倒しで達成した。しかし、完全なエネルギー転換にはまだ課題が多く、これらを克服するためのさらなる努力が必要であると述べた。

シンポジウム当日の東京経済大学キャンパス

 楊氏は続いて、中国経済の現状について短期的な景気課題と長期的な構造課題の二つの側面から論じた。2024年第3四半期の成長率は4.6%であり、前年度の目標として掲げた5%成長の達成には更なる努力が必要である。この背景には、消費の停滞と住宅市場の低迷がある。一方、中国は産業基盤や人材資源、インフラの整備状況など、その強みは他国と比べても際立っている。長期的な課題として、従来の投資主導型経済モデルから消費中心のモデルへの転換が必要である。更に環境問題や社会福祉の充実など、構造的課題の解決が、今後の経済成長に重要な鍵となると指摘した。

 都市化の進展も重要なテーマである。中国の都市化率は依然として先進国に比べて低く、農村部の改革や労働市場の自由化が消費拡大の鍵となる。これにより、中産階級の成長を促し、経済の新たなエンジンとしての役割を果たすことが期待されるとした。

 楊氏は最後に、中国がグリーン経済への転換を実現することの重要性を強調した。再生可能エネルギーの普及や産業の環境負荷の低減は、経済の効率性を高め、持続可能な発展を実現するために不可欠である。こうした政策が、中国だけでなく、地球規模での気候変動対策に貢献すると述べた。

楊偉民 中国第十三回全国政治協商会議経済委員会副主任

■ GX政策は単なる環境政策ではなく、産業政策や経済政策とも密接に関連


 中井氏は講演の冒頭で、気候変動がもたらす影響について、地球温暖化はすでに観測可能な形で進行中だとし、この100年間で地球の平均気温が約0.7度上昇したことに伴い、CO2濃度も400ppmを超えるなど、温室効果ガス増加が深刻化したと詳述。これは、地球環境そのものを変容させ、日本国内で日常生活や経済活動に直接的な影響を及ぼしているとした。

 具体的には、集中豪雨や台風の頻発により水害が増加し、農作物の不作が生じている。また、海面上昇や海洋酸性化が海洋生態系に与える悪影響は、漁業をはじめとする海洋産業にも甚大な打撃を与えている。問題は自然災害の増加だけでなく、エネルギー供給や食料安全保障などの分野にも波及し、社会全体の持続可能性を脅かしている。

 日本は四季が明確で自然災害が多いため、気候変動の影響を受けやすいことから、中井氏は気候変動への取り組みを単なる環境保護問題としてではなく、国の安全保障や経済政策の重要な要素として捉える必要性を強調した。

 日本政府が推進するGX政策の最終的なゴールは、2050年までにカーボンニュートラルを達成し、2030年までに温室効果ガスの排出量を2013年度比で46%削減することである。目標達成に向けて、日本政府は「経済成長と環境保護の両立」を基本理念として掲げている。

 日本政府はGX政策を進めるため約150兆円規模の投資を見込み、その一環として20兆円の先行支援を決定した。この支援には、脱炭素社会に向けた企業の設備投資の支援や、再生可能エネルギーの導入促進、グリーンイノベーションの研究開発支援などが含まれる。中井氏はこれらの投資が、日本経済全体に大きな波及効果をもたらすと述べ、GX政策が単なる環境政策にとどまらず、産業政策や経済政策とも密接に関連していると強調した。

 またGX政策の柱として「カーボンプライシング」と「排出量取引制度」の導入について説明、カーボンプライシングとは、炭素排出に価格を付け、そのコストを経済活動に組み込む。同制度の導入で企業や個人へ温室効果ガス削減を促すインセンティブが提供される。

 日本政府はこの制度を段階的に導入しており、排出量取引市場の整備や炭素税の見直しが進行中である。排出量取引市場では、企業間で排出権を取引し、削減コストを最小化しつつ全体の排出量削減を目指す。また、炭素税の収益は再生可能エネルギーの研究開発やインフラ整備に再投資される予定であり、持続可能な成長を実現する仕組みを構築する。中井氏はこうした政策が、日本の産業競争力を高め、国際的な環境目標達成にも寄与すると述べた。

 GX政策を推進する上では、技術革新の重要性を強調した。日本は従来、省エネルギー技術やクリーンエネルギー分野で世界をリードしてきた実績があり、今後もイノベーションを通じて脱炭素化の実現を目指すべきだと述べた。特に、水素エネルギー技術やカーボンキャプチャー・アンド・ストレージ(CCS)技術、次世代型バッテリー技術などは、エネルギー供給の安定化や排出削減のコスト削減に寄与すると期待されている。

 中井氏は、GX政策の成功には国際的な連携が不可欠であると力説した。日本は先進国として、他国と協力し技術やノウハウを共有し、気候変動問題に対処するリーダーシップを発揮する責任がある。また、日本国内で成功した取り組みを他国に展開し、地球規模での環境改善に寄与することが求められていると締めくくった。

 総合司会を務めた東京経済大学の尾崎寛直教授は、「グリーントランスフォーメーションにかける産業の未来」という今回のシンポジウムのテーマが、気候変動や資源枯渇など、地球規模の環境問題が深刻化する中で、社会の持続可能性を高めることが急務だとの認識に基づいているとし、産業界もこれをチャンスとして活かしていくべきだと述べた。

尾崎寛直 東京経済大学教授

■ シンポジウム掲載記事


GX政策の競い合いで地球環境に貢献
http://japanese.china.org.cn/business/txt/2024-12/30/content_117632819.htm

気候変動対策を原動力にGXで取り組む
http://japanese.china.org.cn/business/txt/2025-01/02/content_117641894.htm

GXが拓くイノベーションインパクト
http://japanese.china.org.cn/business/txt/2025-01/02/content_117641551.htm

■ 登壇者関連記事(登壇順)


【コラム】福川伸次:日中関係、新次元への昇華の途を探る 〜質の高い経済社会の実現と新グローバリズムの形成に向けて〜

【フォーラム】鑓水洋:地域活性化策には明確なコンセプトが求められる

【刊行によせて】楊偉民:都市のハイクオリティ発展を促す指標システム

【刊行によせて】楊偉民:全く新しい視点で中国都市の発展状況を評価する

【講演】中井徳太郎:カーボンニュートラル、循環経済、自然再生の三位一体のイノベーション—地域循環共生圏構想

【フォーラム】中井徳太郎:分散型自然共生社会を目指して

【刊行によせて】中井徳太郎:生態環境社会への移行に寄与

【ディスカッション】中井徳太郎・大西隆・周牧之:コロナ危機を転機に 

【ディスカッション】中井徳太郎・安藤晴彦・和田篤也・周牧之:省エネ・再生可能エネルギー社会への挑戦と自然資本

【フォーラム】南川秀樹:コミュニケーションの場としてのエンタメを

【刊行によせて】南川秀樹:中国大都市の生命力の源泉は何か

【コラム】邱暁華:高度成長からハイクオリティ発展へシフトする中国経済

【ディスカッション】小島明・田中琢二・周牧之(Ⅰ):誰がグローバリゼーションをスローダウンさせた?

【ディスカッション】小島明・田中琢二・周牧之(Ⅱ):ユーラシア大陸を視野に入れた米中関係

 【専門家レビュー】周其仁:生態都市建設と都市総合発展指標

【刊行によせて】周牧之:新型コロナウイルス禍と国際大都市の行方

【論文】周牧之:二酸化炭素:急増する中国とピークアウトした日米欧

【論文】周牧之:アメリカ vs. 中国:成長と二酸化炭素排出との関係から見た異なる経済水準

【論文】周牧之:世界の二酸化炭素排出構造と中国の課題

【刊行によせて】徐林:中国の発展は都市化のクオリティ向上で

【対談】小手川大助 vs 周牧之:(Ⅰ)転換点で激動の国際情勢を見つめる

【対談】小手川大助 vs 周牧之:(Ⅱ)複雑な国際情勢をどう見極めるか?

【論文】周牧之:マグニフィセント・セブンが牽引するムーアの法則駆動産業 ―「半導体・半導体製造装置」、「ソフトウェア・サービス」、「テクノロジー・ハードウェアおよび機器」を中心に

A comparative analysis of top 100 companies by market value in US, China, and Japan: Performance of Moore’s Law-driven Industries

周牧之 東京経済大学教授

■ 編集ノート: 
 マイクロソフト、アップル、エヌビディア、アルファベット、メタ、アマゾン、テスラといったマグニフィセント・セブンは、世界経済において圧倒的な存在感を示している。周牧之東京経済大学教授は、論文『時価総額トップ100企業の分析から見た日米中のムーアの法則駆動産業のパフォーマンス比較』で、これらテックカンパニーの成長パターンを「L字型成長」と解明した。論文の前半では、ムーアの法則駆動産業としての「半導体・半導体製造装置」、「ソフトウェア・サービス」、「テクノロジー・ハードウェアおよび機器」の日米中パフォーマンスを比較分析した。


 日米中三カ国の時価総額トップ100企業を比較し、各国におけるムーアの法則駆動産業パフォーマンスについて分析した。

1.マグニフィセント・セブンが牽引するムーアの法則駆動産業


 世界の産業構造がいま激しく変化している。時代が昭和から平成へと切り替わった1989年、世界時価総額ランキングトップ10企業のうち日本企業が7社を占めていた。GICS(世界産業分類基準)[1]の産業中分類[2]から同トップ10企業を見ると、「銀行」が日本興業銀行、住友銀行、富士銀行、第一勧業銀行、三菱銀行の 5社、「石油・ガス・消耗燃料」がエクソン(Exxon)、シェル(Shell)の2社、「電気通信サービス」がNTTの 1社、「公益事業」が東京電力の1社、「ソフトウェア・サービス」がIBMの1社となっている[3]。このうち第6位のIBMだけがテックカンパニーであった。

 これに対して35年後の2024年、世界時価総額ランキングトップ10企業の構成[4]は、完全に塗り替えられ、テックカンパニーの存在感が一気に高まった。GICS産業中分類で見ると首位のマイクロソフト(Microsoft)は「ソフトウェア・サービス」、第2位のアップル(Apple)は「テクノロジー・ハードウェア及び機器」、第6位のエヌビディア(NVIDIA)は「半導体・半導体製造装置」である。いずれもGICSでは「情報技術」大分類に属している。

 「メディア・娯楽」に中分類される第4位のアルファベット(Alphabet、グーグル)の親会社と第7位のメタ(Meta、旧Facebook)は歴然としたIT企業である。第5位のアマゾン(Amazon)は「一般消費財・サービス流通・小売」に中分類されているものの、ネット販売、データセンター、OTTのリーディングカンパニーである。第9位のテスラ(Tesla)は「自動車・自動車部品」に中分類されているが、こちらも自動運転の先駆者としてIT企業の色彩が濃い。以上5社はすべて情報技術を用い、既存業界の在り方を転換させたテックカンパニーである。

 上記テックカンパニー7社の時価総額合計は、12.2兆ドルに達し、世界時価総額合計96.5兆ドルの12.6%を占める。これは東証時価総額[5]6.3兆ドルの約2倍に相当する。テックカンパニー7社の存在感は計り知れない。アメリカでは「Magnificent 7」(マグニフィセント・セブン、M7と略称)という表現で、市場におけるこれら企業の圧倒的な存在感を示している[6]

 世界の産業構造にこうした大変革をもたらしたのは、「ムーアの法則」の駆動に他ならない。アメリカの未来学者アルビン・トフラーは1980年、著書『第三の波』で来るべき情報化社会の具体像を描いてみせた。驚くべきことに今から見ればトフラーの未来社会予測はほとんど当たっていた。トフラーの未来社会予測の想像力の源泉こそが「ムーアの法則」であった。

 後にインテル社の創業者の一人となるゴードン・ムーアは1965年、半導体集積回路の集積率が18カ月間(または24カ月)で2倍になると予測した。これがすなわち「ムーアの法則」である。ムーアの法則を信じ、多くの技術者出身の企業家が半導体産業に投資し続けた結果、半導体はほぼムーアの法則通りに今日まで進化した。その結果、世の中は激動の時代に突入した。筆者は、この間の人類社会を「ムーアの法則駆動時代」と定義する。

 産業別でいうと、電子産業はまさしくムーアの法則駆動産業として最初に爆発的な成長を見せた。同産業は1980年代以降、世界で最も成長が速く、サプライチェーンをグローバル展開させた。電子産業のこうした性格がアジアに新工業化をもたらしたと仮説し、筆者は『メカトロニクス革命と新国際分業―現代世界経済におけるアジア工業化―』と題した博士論文を書いた[7]

 ムーアの法則駆動産業は電子産業だけに留まらない。電子産業はGICSの分類では、「情報技術」大分類の中分類「テクノロジー・ハードウェア及び機器」に当たる[8]。現在、アップルはその代表的な企業である。同大分類に属する「ソフトウェア・サービス」、「半導体・半導体製造装置」のほか二つの中分類産業も、典型的なムーアの法則駆動産業であり、マイクロソフト、エヌビディアがそれぞれ代表的な企業である。

 さらに今、アルファベット、メタ、アマゾン、テスラが、情報通信技術を用いて「メディア・娯楽」、「一般消費財・サービス流通・小売」、「自動車・自動車部品」など産業のリーディングカンパニーとなった。DXでこれら伝統的な産業をムーアの法則駆動産業へと置き換えたのである。

 ムーアの法則駆動産業になったことで、上記産業の製品やサービスの性能は飛躍的に向上した。と同時に、製品やサービスにかかるコストを激減させた。市場も地球規模へと急速に拡大した。ムーアの法則駆動産業になった分野では、業界の従来秩序が一気に崩れ、多くのスタートアップ企業が新しい製品・サービス、新ビジネスモデルを用いて登場したことで、産業そのものが急速に成長した。

 マイクロソフト、アップル、エヌビディア、アルファベット、メタ、アマゾン、テスラのM7は、すべてスタートアップテックカンパニーであった。ムーアの法則駆動産業となった分野が猛成長したことで、これらのリーディングカンパニーも一気に飛躍した。

2.L字型成長


 スタートアップテックカンパニーが大きな成功を収めるには、新しい製品・サービス及びビジネスモデルの開発と、既存の産業の再定義が必要となる。

 既存業界の再定義は容易ではない。先ず、ムーアの法則のもと、斬新な製品・サービス及びビジネスモデルを描く想像力が要となる。これらの開発は膨大な時間とリソースを必要とする。企業を起こし自らリスクを引き受けられるリーダーシップと、それを支えるチーム力が欠かせない。リスクテイクが苦手な既存の大企業は組織の性格上、こうした想像力、開発力、リーダーシップそしてチーム力を備えるのは極めて困難である。

 スタートアップテックカンパニーは、リスキーで長いトンネルをくぐり抜けた後にようやく成功に漕ぎ着けられる。M7はすべてそうしたパターンを経験している。株価で見るといずれも長い低迷期を経た後、一気に飛躍した形だ。成功に至るまでの株価曲線が、左側に倒れた“L”字に見えるため、筆者はこれを「L字型成長」と定義する。

 1989年の世界時価総額ランキングトップ10企業で第6位のIBMは、唯一のテックカンパニーであった。しかし1911年創業のIBMは1989年当時すでに巨大な古参企業となっており、斬新な製品・サービス及びビジネスモデルにチャレンジできる体質を持ち合わせていなかった。世界に君臨したIBMはその後、業績が低迷し現在、世界時価総額ランキング第79位に後退した。

 これに対し、M7は、鮮度が高い。創立年次順で、マイクロソフトが1975年、アップルが1976年、エヌビディアが1993年、アマゾンが1994年、アルファベットが1998年、テスラが2003年、メタ Platformsが2004年である。7社の平均企業年齢は、32歳である。特に創業者がCEOを務めるテスラ 、エヌビディア、メタの 3社は勢いがある。これら企業の鮮度の良さはイノベイティブな体質を保つカギである。

 本論では、2024年1月の世界時価総額ランキングトップ10企業中のテックカンパニー7社が、ムーアの法則駆動時代を牽引することに注視する。前述の問題意識を用い、M7が其々属する「ソフトウェア・サービス」、「半導体・半導体製造装置」、「テクノロジー・ハードウェア及び機器」、「メディア・娯楽」、「一般消費財・サービス」、「自動車・自動車部品」の6分野において、日米中企業のパフォーマンスを比較分析し、世界経済のパラダイムシフトのリアリティを描く。

 なお同トップ10企業内の非テックカンパニーは、第3位のサウジアラムコ(Saudi Aramco)が「石油・ガス・消耗燃料」、第7位のバークシャー・ハサウェイ(Berkshire Hathaway)が「金融サービス」、第10位のイーライリリー(Eli Lilly)が「医薬品・バイオテクノロジー・ライフサイエンス」に属している。これら3分野は、本論の分析対象外とする。

3.日米中3カ国の時価総額トップ100企業


 本論では日米中3カ国の時価総額トップ100企業における、ムーアの法則駆動6産業のパフォーマンスを比較分析する。

(1)時価総額トップ100企業の絶大な存在感

 米国の時価総額トップ100企業の時価総額合計は、30兆1,543億ドルに達している。これは米国企業全時価総額の61%に相当する。中国の時価総額トップ100企業の時価総額合計は、5兆7,948億ドルである。これは中国企業全時価総額の88.2%に相当する。日本の時価総額トップ100企業の時価総額合計は、4兆6,450億ドルである。これは日本企業全時価総額の78.5%に相当する。

 日米中3カ国における時価総額トップ100企業の存在感は極めて大きい。米国、日本、中国の順でその国内におけるシェアは高い。高シェアのトップ100企業をピックアップし、全体像を掴む本論のアプローチは妥当であろう。

図1 日米中3カ国時価総額トップ100企業のシェア比較

注:時価は2024年1月15日時点のものである。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータなどより作成。

(2)過大評価される米国と、過小評価される中国

 日米中3カ国トップ100企業の時価総額において、アメリカを100%とした場合、中国と日本はそれぞれ僅か17%と12.1%となっている。米国の存在感は圧倒的である。

 米著名投資家のウォーレン・バフェット氏が投資対象国を検討する際に用いるとされるバリュエーション指標にバフェット指標(Buffett Indicator)がある。バフェット指標は、当該国全企業時価総額から当該国名目GDPを割るものである。同指標は100%を適正評価とし、100%を超える場合は過大評価と見做す。逆に100%を下回った場合は過小評価と見做される。

 図2で確認できるように2022年の時点で、米国のバフェット指数は158.4%と、明らかに過大評価されている。日本の同指数は126%でやや高い評価となっている。中国は63.8%で明らかに過小評価されている。世界全体のバフェット指数はほぼ100%に近くなっている。

 すなわち、企業価値で見ると、過大評価される米国と過小評価される中国という構図になっている。

図2 日米中3カ国バフェット指数の推移

出典:CompaniesMarketcap.com、Yahoo! Finance及び世界銀行のデータなどより作成。

(3)米国企業はムーアの法則駆動時代を牽引

 米国が過大評価され、中国が過小評価されるのは何故か?そこには為替レートの問題を除き、ムーアの法則駆動時代を牽引する米国のテックカンパニーの存在がある。

 1971年世界初のCPU「4004」を発売したのはインテル、1976年世界初のパーソナルコンピューター「Apple I」を発売したのはアップル、2007年世界初のスマートフォン「iPhone」を発売したのもアップルである。アマゾンは1995年にネットブックマーケットを、Googleは1998年に検索エンジンサービスを、フェイスブックは2004年SNSサービスを開始した。エヌビディアは1999年に第一世代のGPU「GeForce256」を、テスラは2008年に電気自動車(EV)「Roadster」を発売した。

 米国のパイオニア的なテックカンパニーは画期的なイノベーションでムーアの法則駆動時代を引っ張ってきた。もちろんそれらの企業もトップランナーとして莫大な利益を稼ぎ出し、米国企業全体の価値を持ち上げた。

図3 2024年世界トップ10証券市場の時価総額

注:時価は2024年1月31日時点のものである。出典:India Briefingのデータなどより作成。

 中国企業が過小評価されるもう一つの理由は、中国資本市場の未熟さにある。中国で資本市場が確立したのは改革開放以降で、上海証券取引所と深圳証券取引所はともに1990年に開所した。1812年にニューヨーク証券取引市場を開いた米国、1878年に東京証券取引所を開業した日本と比べ、中国の資本市場の未熟さは際立っていた。

 幸いにして1891年に開業した香港証券取引所は、中国企業IPO[9]の一大受け皿となっている。また中国企業はニューヨーク証券市場やナスダックなどの国際市場に上場することで、企業ガバナンスも徐々に鍛えられてきた。中国証券市場と中国企業の双方が成熟するにつれ、その評価は高まっていくであろう。

4.半導体・半導体製造装置


 半導体産業はまさしくムーアの法則駆動産業の代表格である。米国時価総額トップ100には「半導体・半導体製造装置」産業が10社も名を連ねている。これらの企業の時価総額は、3兆ドルを超え、米国トップ100企業全時価総額の10%に達している。

 この分野における米国の競争力は圧倒的である。中国と日本それぞれの時価総額トップ100企業において、「半導体・半導体製造装置」企業は中国2社、日本5社となっている。その時価総額の合計は、米国の上記10社合計の僅か1.6%、6.2%に過ぎない。

 米国国内の半導体産業の競争も激烈である。2024年8月30日にインテルは15%の雇用者を退職させると公表し、世間を騒がせた。インテル56年間の歴史上最大規模のレイオフとなり、1.5万人が失職するもようだ。パソコンの時代をリードしたCPU(Central Processing Unit)王者、インテルの衰退は、スマホ及びAI時代における半導体競争の敗北に起因する。

表1:日米中3カ国時価総額トップ100における「半導体・半導体製造装置」企業

注:時価は2024年1月15日時点のものである。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータより作成。

(1)米国はAIブームで繁栄を謳歌

 米国では、「半導体・半導体製造装置」企業としてエヌビディアをはじめ10社が同国時価総額トップ100に入っている。同産業は名実ともにアメリカのリーディング産業となっている。そうした企業の中には、1930年創業のテキサスインスツルメントのような老舗もあれば、1993年創業のエヌビディアのようなスタートアップ企業もある。裾野の広さが特徴で、人材の蓄積も分厚い。

 従来、半導体企業は、半導体設計部門と生産部門双方を抱え込んできた。1987年、台湾積体電路製造( TMSC:Taiwan Semiconductor Manufacturing Company)は、半導体の設計部門と生産部門を分割したビジネスモデルを創出し、半導体生産のOEM[10]に特化し、その後猛成長した[11]。これにより、アップルとエヌビディア、AMDなどは、半導体設計に資源を集中させ、スマホやAI時代の半導体競争に勝利した。現在のAIブームにおいて、その計算力に不可欠なGPU(Graphics Processing Unit)開発でリードするエヌビディアなどは繁栄を謳歌している。これに対して設計部門と生産部門双方の抱え込みに頑なだったインテルは敗北を喫した。

 米国半導体企業の株価高騰の背景には、AIブームがある。エヌビディアはまさしくAIに特化したGPUメーカーとして急成長している。しかし、自国の半導体生産の大半を東アジアのファウンドリー[12]が担うようになったことに米国は危機感を抱いている[13]。米国は2022年8月に、CHIPS[14]および科学法を成立させた。同法を通じ今後5年間で連邦政府機関の基礎研究費に約2,000億ドル、国内の半導体製造能力の強化に約527億ドルを充てると決めた。ファウンドリー最大手のTSMCの半導体工場をアリゾナ州に誘致するなど、米国での半導体生産力の新たな構築を急いでいる。

(2)中国は国産化で追い上げを急ぐ

 中国では、「半導体・半導体製造装置」企業として中芯国際集成電路製造 (SMIC:Semiconductor Manufacturing International Corporation)と、LONGi Green Energy Technologyの2社が時価総額トップ100企業に入っている。中国の半導体分野への進出は遅れた。2社とも創業は2000年である。

 中国企業の同分野における世界の存在感はまだ小さいものの、米国の警戒心は非常に高い。米国は現在、中国への先端半導体の輸出規制だけでなく、半導体生産の設備や技術の対中輸出も厳しく制限している[15]。さらに米国の対中規制は日本、オランダなど西側諸国を巻き込む形で進んでいる[16]

 これに対して、中国は世界最大の半導体マーケットをベースに国産化を急ピッチで進めている。中国半導体産業の投資は、2019年の約300億人民元から2021年の約3,876億人民元へと一気に約13倍に膨らんだ。その結果、中国は2023年、世界半導体輸出におけるシェアを26%へと向上させ、急激な追い上げを見せた。

 中国のファーウェイ(HUAWEI)は2023年8月、自社設計の回路線幅7ナノメートル(nm)の高性能半導体を搭載したハイエンドスマホ「Mate 60シリーズ」を発売した。アメリカの制裁を乗り越え、同社がハイエンド携帯電話の生産発売に復帰を果たした背景には、中国最大のファウンドリーとしてのSMICの存在がある。米国の制裁以後、SMIC はTSMCの代わりにファーウェイのチップを生産している。

 ファーウェイがアップル「iPhone16」の対抗馬として2024年9月に発売した「Mate XT」は、主要な半導体からOSまで全てを国産化で作り上げた。

 AI半導体での中国の追い上げも急ピッチで進んでいる。ファーウェイの自主開発したAIチップ「Ascend 910C」の性能はエヌビディアが昨年披露した「H100」と同等の水準だとの報道もある[17]

 ファーウェイ半導体国産化の立て役者である子会社の海思(HiSilicon Technology)は、既に同業界で大きな存在感を見せているものの、未上場企業である。国産化の成果はいずれ中国半導体企業の時価総額に反映されるだろう。

(3)日本は製造装置と素材で存在感

 日本では、「半導体・半導体製造装置」企業として東京エレクトロンを始め5社が、時価総額トップ100企業に入っている。家電製品で世界を席巻していた時代の日本は、半導体大国であった。特に日本はDRAM(Dynamic Random Access Memory)メモリが強かった。

 1980年代半ばには半導体の世界シェアのトップ3はNEC、日立、東芝といった日本企業が独占していた。家電製品からパソコン、スマホ、AIへと時代が移り変わったことで、CPU、GPU等演算用半導体の投資巨大化が進んだ。しかし日本の半導体メーカーは設計部門と生産部門双方の抱えこみに固持し、これら分野での競争力を持てなかった。メモリの分野においても投資に追いつかず、韓国企業の追い上げに負け越した。

 いま日本の「半導体・半導体製造装置」企業は、半導体の製造装置と素材とで稼いでいる。特に半導体製造装置において日本は、米国、オランダと並ぶ一大輸出大国になっている。

 半導体生産を日本で復権させるため近年、日本政府が巨額の資金を投入しTMSCの工場を熊本に誘致したことが話題を呼んでいる[18]。さらにTMSCの日本版を作るため、日本政府はラピダスというトヨタ自動車、デンソー、ソニーグループ、NTT、NEC、ソフトバンクグループ、キオクシア、三菱UFJ銀行の8社出資の半導体メーカーに、巨額の政府支援を行っている。同社は2027年の先端半導体量産開始を目指し、北海道で工場を建設している。総額5兆円の資金が必要とされ、政府はこれまで合計9,200億円の支援を決めており、残りの4兆円規模の資金確保が必要となっている[19]。資金のみならず生産技術の確立、マーケットの確保など課題が累積している。ラピダスプロジェクトの成功の可否は、日本の半導体産業の命運を左右する。

5.ソフトウェア・サービス


 ソフトウェア産業は半導体産業と並び、ムーアの法則駆動産業のもう一つの代表格となっている。米国時価総額トップ100企業には「ソフトウェア・サービス」企業が9社も名を連ねている。これらの企業の時価総額は4兆ドルを超え、米国トップ100企業全時価総額の14.4%に達している。

 この分野における米国の競争力は圧倒的である。中国と日本の各々の時価総額ランキンングトップ100企業内の「ソフトウェア・サービス」企業は、中国1社、日本4社となっている。その時価総額の合計は、上記米国9社の合計の僅か0.4%、1.8%に過ぎない。

表2:日米中3カ国時価総額トップ100における「ソフトウェア・サービス」企業

注:時価は2024年1月15日時点のものである。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータより作成。

(1)世界をリードする米国

 米国では、ソフトウェアに関して、突出しているマイクロソフトだけでなく、オラクル(Oracle)、アドビ(Adobe)など10社も同国時価総額トップ100に入っている。OS[20]をはじめ、ソフトウェアの世界でリードするのはほとんど米国企業である。莫大な利益を稼ぎ出す米国の「ソフトウェア・サービス」企業は、同国時価総額トップ100企業において、企業社数、時価総額は共に最大となっている。

(2)国産OS開発に励む中国

 中国の「ソフトウェア・サービス」企業として、ディディ(DiDi)一社だけが同国時価総額トップ100企業に入っている。配車アプリを開発運営する同社は、中国トップ100企業の時価総額におけるシェアは0.4%に過ぎない。

 セキュリティソフトウェアのアップデートが原因で2024年7月、世界で約850万台のWindowsデバイスにシステム障害が発生し、多くの国で大パニックが起こった。しかし、中国はほとんどその影響を受けなかった。この出来事の背後には、中国産OSの普及がある。現在中国には、9億台のHarmonyディバイスを有するファーウェイのOSを始め、麒麟のKylinOS、シャオミのHyperOS、OPPOのColorOS 、VivoのOriginOS、AlibabaのAliOSなどコンピューター、スマートフォン、自動車、家電製品及び設備などを作動できる独自のOSシステムが開発されている。

 「ソフトウェア・サービス」分野において、中国は米国依存からの脱出を急いでいる。

(3)国内市場で健闘する日本

 日本では、「ソフトウェア・サービス」企業として富士通、NTTデータを始め4社が、同国時価総額トップ100企業に入っている。日本のトップ100企業における4社の時価総額シェアは2.2%である。

 「ソフトウェア・サービス」分野で圧倒的な強さを持つ米国企業に対して、日本企業は細分化された国内市場において健闘している。

6.テクノロジー・ハードウェアおよび機器


 「テクノロジー・ハードウェアおよび機器」産業も代表的なムーアの法則駆動産業である。同産業の主製品が家電からパソコンそして通信機器、スマートフォンへと移り変わる中で、主役たる企業も変化してきた。

 米国時価総額トップ100企業には「テクノロジー・ハードウェアおよび機器」企業がアップルとのシスコ(Cisco)2社しかない。とはいえ両企業の時価総額は、3兆ドルを超え、同国トップ100企業全時価総額の10.2%に達している。

 この分野は、中国と日本を始め東アジアが世界のメイン生産基地となっているにもかかわらず、時価総額においては米国企業の存在感に遠く及ばない。中国と日本それぞれの時価総額トップ100企業において、同分野の企業は中国6社、日本5社となっている。時価総額の合計は其々、米国の上記2社合計の僅か6%、10.4%に過ぎない。

表3:日米中3カ国時価総額トップ100企業における「テクノロジー・ハードウェアおよび機器」企業

注:時価は2024年1月15日時点のものである。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータより作成。

(1)アップルでリードする米国

 世界時価総額ランキング第2位のアップルはスマホ時代の王者である。同社は2023年2.4億台のスマートフォンを販売し、世界シェアが21.1%を占めた。世界初のパソコンとスマートフォンを開発したアップルは、PCとスマホ時代の開拓者であった。創業者のジョブス亡き後も、同社は生産工場を持たないビジネスモデルで設計とマーケティングに特化し、高い利益率を維持している。

 世界時価総額ランキング第54位のシスコは情報通信機器メーカーである。現在、中国のファーウェイと熾烈な競争を展開している。

(2)生産大国中国

 中国では、「テクノロジー・ハードウェアおよび機器」企業としてシャオミ(Xiaomi)をはじめとする6社が同国時価総額トップ100企業に入っている。

 時価総額ランキング世界第390位のシャオミは2023年、1.5億台のスマートフォンを販売し、世界第3位の12.5%シェアを獲得した。同社は2024年3月、初のEV車「SU7」で電気自動車市場に参入し、大きな注目を集めている。

 ハイクビジョン(Hikvision)は世界最大の監視カメラメーカー、またBOEテクノロジー(BOE Technology)は世界最大の液晶ディスプレイメーカーである。フォックスコン・インダストリアル・インターネット(Foxconn Industrial Internet)とリシャープ・パーメーション(Luxshare Precision)は共にアップル製品の生産を請け負う主なOEMメーカーである。ZTE はファーウェイと並び中国を代表とする大手通信機器メーカーである。

 ファーウェイは、アメリカの制裁を乗り越え、中国国内市場においてはアップルの「iPhone」を抑え、ハイエンド携帯電話の王者となり、世界市場に再び進出し始めた。米国の対中制裁は結局「より強いファーウェイ」という結果を生んだ。なお同社は未上場であるため、時価総額ランキングには反映されていない。

(3)部品で健闘する日本

 日本は「テクノロジー・ハードウェアおよび機器」企業としてソニーをはじめとする5社が時価総額トップ100企業に入っている。家電製品及びパソコン時代を謳歌した日本企業は勢いを失った。時価総額ランキング世界第113位のソニーグループはすでに映画、音楽、ゲームを中心としたコンテンツ企業に変身している。同社は「テクノロジー・ハードウェアおよび機器」企業としていま、イメージング&センシング・ソリューションで名を馳せている[21]

 キーエンス、村田製作所、キャノン、パナソニックの4社もセンサー、画像処理機器、セラミックコンデンサー、電池を始めとする部品製造を現在、大きな収益源としている。

※後編に続く


 本論文は東京経済大学個人研究助成費(研究番号24-X)を受けて研究を進めた成果である。 
 (本論文では日本大学理工学部助教の栗本賢一氏がデータ整理と図表作成に携わった)


 本論文は、周牧之論文『時価総額トップ100企業の分析から見た日米中のムーアの法則駆動産業のパフォーマンス比較』より抜粋したものである。『東京経大学会誌 経済学』、323号、2024年。


[1] GICS(世界産業分類基準)は、S&Pダウ・ジョーンズ・インデックスとMSCIが1999年に共同開発した、先進国及び発展途上国を含む世界中の企業を一貫して分類できるよう設計された分類基準である。

[2] 2023年現在、GICSは11のセクター(大分類)、25の産業グループ(中分類)に分類され、産業構造の変化等に伴い定期的に見直されている。GICS中分類は、企業の多くの事業から代表的な分野を抽出し表現している。例えば半導体からハードウェア、そしてソフトまで手がけるIBMはソフトウェア・サービスに分類されている。Amazonは現在、ネット販売だけではなく、データセンターからOTTまで手がけるが、一般消費財・サービス流通・小売に分類されている。こうした限界はあるものの、本論では同中分類を用いて業界分析を行う。

[3] 1989年世界時価総額ランキングトップ10企業は、米ビジネスウィーク誌『THE BUSINESS WEEK GLOBAL 1000』1989年7月17日号に因る。

[4] 本論の2024年の時価総額データは2024年1月15日現在のもので、CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeから収集整理した。

[5] ここでの東証時価総額とはプライム、スタンダード、クローズ市場の合計時価総額である。

[6] マグニフィセント・セブンについて詳しくは、Cedric Thompson “Magnificent 7 Stocks: What You Need to Know” in Investopedia 27 June 2024 (https://www.investopedia.com/magnificent-seven-stocks-8402262)を参照。

[7] 周牧之著『メカトロニクス革命と新国際分業―現代世界経済におけるアジア工業化―』、ミネルヴァ書房、1997年。

[8] ここでいう電子産業はGICS中分類の「テクノロジー・ハードウェア及び機器」に当たる。1980~90年代当時の代表的な製品は家電製品、パソコンであった。現在の代表的な製品は、通信機器、スマートフォンなどである。

[9] IPOとは、Initial Public Offeringの略語で、新規公開株式や新規上場を表す。

[10] OEMとは、Original Equipment Manufacturingまたは Original Equipment Manufacturerの略語で、委託者のブランドで製品を生産することを指す。

[11] 1987 年創業のTMSCは世界で初めてファブレス (設計専門企業) とファウンドリ (ウェハプロセス受託製造企業) の分業モデルを構築し、半導体業界の在り方を置き換えた。

[12] ファウンドリーとは、他社からの委託で半導体チップの製造を請け負う製造専業の半導体メーカーを指す。その先駆者は、TMSCである。

[13] SIA(Semiconductor Industry Association:米国半導体工業会)によれば、世界の半導体生産に占める米国の比率は2020年ごろには12%に下がった。

[14] CHIPSはCreating Helpful Incentives to Produce Semiconductorsの略称。

[15] 2019年5月、米国商務部は「国家安全」を理由にファーウェイなどの中国企業に半導体関連の製品と技術の輸出規制を発動した。その後、米国による対中規制は厳しさを増し、先端半導体の輸出を規制するだけではなく、半導体関連技術と生産設備の輸出まで広く規制するようになった。

[16] 米国は、露光装置メーカーのASML、薄膜形成用装置メーカーの東京エレクトロンなどオランダ企業、日本企業の対中輸出にも制限を掛けている。中国半導体生産能力の向上を阻止するために半導体サプライチェーンの上流にある装置の対中輸出を実施している。

[17] ファーウェイのAIチップについて詳しくは「ウォールストリートジャーナル」2024年10月16日を参照。

[18] 経済産業省は、TSMCの熊本第一・第二工場招致のため、1兆2,000億円を支出した。

[19] ラピダスの資金繰りについて詳しくは「日本経済新聞」2024年10月11日を参照。

[20] OSとは、Operating System(オペレーティングシステム)の略称、コンピュータのオペレーション(操作・運用・運転)を司るシステムソフトウェアである。例えば、パソコンのOSには、Windows OS、mac OSなどがある。スマートフォンのOSには、android、iOSなどがある。

[21] 2023年、ソニー「イメージング&センシング・ソリューション」事業の売上と営業利益は16,027億円と1,935億円に達し、グループの売上と営業利益に占めるシェアは各々12.3%、16%であった。

【論文】周牧之:イノベーティブな起業家精神は繁栄を呼ぶ―「メディア・娯楽」、「一般消費財・サービス流通・小売」、「自動車・自動車部品」を中心に

A comparative analysis of top 100 companies by market value in US, China, and Japan: Performance of Moore’s Law-driven Industries

周牧之 東京経済大学教授

■ 編集ノート: 
 マイクロソフト、アップル、エヌビディア、アルファベット、メタ、アマゾン、テスラといったマグニフィセント・セブンは、世界経済において圧倒的な存在感を示している。周牧之東京経済大学教授は、論文『時価総額トップ100企業の分析から見た日米中のムーアの法則駆動産業のパフォーマンス比較』で、これらスタートアップテックカンパニーが世界経済のパラダイムシフトを如何に引き起こしたかについて解明した。論文の後半では、ムーアの法則駆動産業としての「「メディア・娯楽」、「一般消費財・サービス流通・小売」、「自動車・自動車部品」の日米中パフォーマンスを比較分析した。

 (※前半はこちら


1.メディア・娯楽


 「メディア・娯楽」産業は、伝統的な産業であるが、近年ムーアの法則駆動産業へと大きな変身を遂げつつある。米国時価総額トップ100には「メディア・娯楽」企業が4社、名を連ねている。これらの企業の時価総額は、3兆ドルを超え、米国トップ100全時価総額の10.4%に達している。「メディア・娯楽」産業はまさしく米国のリーディング産業であり、同分野における米国の競争力は圧倒的である。

 中国時価総額トップ100企業において、同分野の企業は5社で、その時価総額の合計は、上記米国4社合計の僅か15.6%となっている。日本時価総額トップ100企業の中で、同分野の企業は4社で、その時価総額の合計は、米国の同5.4%に過ぎない。

表4:日米中3カ国時価総額トップ100における「メディア・娯楽」企業

注:時価は2024年1月15日時点のものである。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータより作成。

(1)米国はパイオニアカンパニーが引っ張る

 「メディア・娯楽」産業におけるリーディングカンパニーはネット検索のアルファベット(Google)とSNSのメタ(Facebook)である。それぞれ世界時価総額ランキングの第4位と第7位となっている。

 アルファベットとメタが当初からのテック企業であるのに対して、世界時価総額ランキング第48位のネットフリックス(Netflix)と第71位のウォルト・ディズニー(Walt Disney)は、元は非テック企業であった。ネットフリックスはオンラインでのDVDレンタル事業からスタートし、ストリーミング配信サービス(OTT)で、大きく成長した企業である。ウォルト・ディズニーは伝統的なメディア企業であるが、近年OTT事業にも参入している。その意味ではネットフリックスとウォルト・ディズニー共に、DXによって、伝統的な企業からムーアの法則駆動企業へと変身でき得た。

(2)米国の後を追う中国

 中国では、「メディア・娯楽」企業として世界時価総額ランキング第25位のテンセント(Tencent)をはじめとする5社が、同国時価総額トップ100企業に入っている。同トップ100企業の時価総額におけるシェアは9.6%を占め、中国のリーディング産業となっている。5社は揃ってインターネットをベースにしたメディア企業である。

 中国では、SNSのテンセント、検索エンジンのバイドゥ(Baidu)からOTT、オンラインゲームまでネットメディアの各分野において活力のあるテックカンパニーが存在している。これら企業は海外展開にも意欲的である。例えば、テンセントのウィーチャット(Wechat)のユーザーは2023年、全世界で13.4億に達している。未上場のティックトック(TikTok)は世界で19億人のユーザーを有し、地球上最も影響力のあるSNSの一つとなっている。

(3)日本はゲームで健闘

 日本では、「メディア・娯楽」企業として世界時価総額ランキング257位のリクルートと、同267位の任天堂をはじめとする4社が、同国時価総額トップ100企業に入っている。同国のトップ100企業の時価総額におけるシェアは4.7%である。

 人材派遣などITソルーションサービスを手がけるリクルートと、LINE・ヤフーをベースにしたZホールディングスが日本国内市場中心であるに対して、ゲーム機及びゲームソフトの開発で名を馳せた任天堂とオンラインゲームのネクソンは、海外でも強い競争力を持つ。

 なお中国と同様、テレビ、映画などの伝統的なメディア企業は日本の時価総額トップ100企業には入っていない。

2.一般消費財・サービス流通・小売


 「一般消費財・サービス流通・小売」産業は、伝統的な産業であるが、ネット販売などでいま大きく変貌している。ムーアの法則がかなり浸透している産業である。

 米国時価総額トップ100に同産業は4社、名を連ねている。4社の時価総額は2兆ドルを超える。この分野においても米国の競争力は高い。

 中国の時価総額トップ100企業において、「一般消費財・サービス流通・小売」企業は7社ある。その時価総額の合計は、上記米国4社合計の26.8%に相当する。

 日本の時価総額トップ100企業において、同分野の企業は4社ある。その時価総額の合計は、上記米国4社合計の6.9%に過ぎない。

表5:日米中3カ国時価総額トップ100における「一般消費財・サービス流通・小売」企業

注:時価は2024年1月15日時点のものである。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータより作成。

(1)米国ではアマゾンが牽引

 アメリカでは「一般消費財・サービス流通・小売」企業としてアマゾンを始め、4社が時価総額トップ100入りしている。4社は、同国トップ100企業時価総額の7.3%を占めている。

 1994年に創業したアマゾンは、電子取引だけではなく、クラウド事業やOTT事業も手掛けるテック企業である。

(2)中国ではECが席巻

 中国では、「一般消費財・サービス流通・小売」企業としてピンドゥオドゥオ(Pinduoduo)を始めとする7社が時価総額トップ100企業に入っている。同7社の時価総額は、中国の同トップ100企業の11.5%を占める。特にピンドゥオドゥオ、アリババ(Alibaba)、メイトゥアン(Meituan)、ジンドン(Jingdong Mall)などのEC企業は、中国消費市場の在り方を大きく変えている。「一般消費財・サービス流通・小売」分野は、まさしく同国のリーディング産業となっている。

 シーイン(SHEIN)、ティームー(Temu)など中国越境ECサイトの海外展開も、注目されている。ピンドゥオドゥオのティームーは2023年7月に日本市場上陸後、ユーザー数が毎月220万人のペースで増加し、勢いを強めている。ティームーの日本ユーザー数は2024年1月に1,500万人を突破した。ビジネスモデルの刷新により、中国の越境ECサイトは伝統的な小売業界の壁を打破し、海外市場とMade in Chinaとを直接つなげ、海外の消費者に便利で割安且つ多様な選択肢をもたらしている。

 ファーストファッションを越境ECサイトで展開するシーインは2021年にアマゾンを抜き、アメリカで最もダウンロードされたショッピングアプリになった。2022年にはバイトダンス、スペースXに次ぎ3社目に企業価値1,000億ドルを突破した未上場の巨大ベンチャーとなった。

 中国系企業のビジネスモデルのイノベーションに対して2024年10月10日、ファーストリテイリングの柳井正会長は決算説明会の質疑応答でシーイン、ティームーといった中国のECビジネスは長続きしないと明言した。この発言は、ムーアの法則駆動時代における日中の認識のギャップの大きさを物語っている。

(3)日本では伝統的な業態がなお主流

 ビジネスリーダーの認識は、リアルに産業のあり方を示している。日本では、「一般消費財・サービス流通・小売」企業としてファーストリテイリングを始め4社が時価総額トップ100企業に入っている。ファーストリテイリングはカジュアル衣料の生産販売を手掛ける。大手流通企業のセブンイレブンとイオン、インテリア・家具小売業のニトリが続く。4社とも伝統的な小売業社で、ムーアの法則の浸透度が低い事業展開が特徴的だ。その意味では日本の「一般消費財・サービス流通・小売」分野でのテック企業の存在感は薄い。

 なお日本資本のEC最大手である楽天は、同国時価総額トップ100企業内には入っていない。

3.自動車・自動車部品


 日米中3カ国それぞれの時価総額トップ100にランクインした自動車企業は、日本7社、米国1社、中国6社となっている。米国の1社すなわちテスラは、EVのリーディングカンパニーとして現在、大きな存在感を示している。中国6社の合計時価総額はテスラの27.2%に過ぎない。日本7社の合計時価総額もテスラの63.7%となっている。

 今や自動車産業もEV化によってムーアの法則駆動産業となり、猛烈なスピードで進化している。ガソリン車の王者であるトヨタは最高益を更新しているが、実情は厳しい。現在、自動車産業はEVへの取り組み如何がその企業価値を定めている。テスラは2020年7月、時価総額でトヨタを上回った。当時、テスラの販売台数は、トヨタの30分の1、売上高はトヨタの11分の1だった。資本マーケットは自動車企業の販売台数より電気自動車への取り組みをより評価した。

 EVは自動車駆動エネルギーをガソリンから電気へと変え、自然エネルギーをよりふんだんに使用可能とした。これは一大エネルギー革命だと言えよう。またAIによる自動運転は、より安全且つ安価での移動手段を人類に与える。さらに、ガソリンエンジンを無くすことで、自動車部品を大幅に減らし、自動車生産プロセスを一気に簡素化し、大幅なコスト削減を実現できた。

 2023年世界で最も売れたEV車種ランキングトップ20の中で、テスラは第1位のModel Yと第3位のModel 3を合わせて1,740,888台販売した。これは、同トップ20合計の28.8%を占める。中国の自動車メーカーはBYDを始めとする16車種が同トップ20入りし、合計で3,978,363台を販売した。同トップ20合計の65.7%を占めた。なかでもBYDの7車種は2,490,191台を販売し、同トップ20合計の半数に迫る41.2%を占めるに至った。

 米中両国のEVメーカーが、同トップ20の販売台数の94.5%を占め、世界EV車市場をほぼ独占する形で、突出した米中2強態勢を作り上げた。

表6:日米中3カ国時価総額トップ100における「自動車・自動車部品」企業

注:時価は2024年1月15日時点のものである。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータより作成。

(1)米国ではテスラ一強による独走状態

 米国の自動車産業は、テスラ一強となっている。米国製造業の象徴的な存在だったビッグ3は同国時価総額トップ100企業から脱落した。ガソリン車はまだ売れているものの、米国におけるガソリン車メーカーの価値は、大きく下がっている。

 テスラの将来性について特筆すべきは、AI自動運転への取り組みである。自動運転が人類の輸送手段を、より安全かつ低コストにする。

 ARK Investの年次レポート『BIG IDEAS 2024』[1]によると1871年、馬車による移動コストは、1マイルが1.7ドルであった。1934年、量産自動車の登場で移動コストは大幅に下がり、同コストは1マイルが0.7ドルとなった。その後長い間、移動コストに変化は無く、2016年になっても1マイルは0.7ドルだった。しかし自動運転の導入で2030年、移動コストは1マイルが0.25ドルまで下がると同レポートでは予測されている。

 上記の移動コストには運転手のコストは加味されていない。同レポートによれば、現在、欧米諸国でのタクシー及びウーバーによる移動コストは1マイル2〜4ドルとなっている。これが、自動運転によって1マイル0.25ドルとなれば、コストが急激に下がり、タクシーなどによる移動マーケットは現在の毎年340億ドルから一気に11兆ドルへと膨れ上がる。

 テスラの自動運転ソフトFSDは世界の自動運転技術をリードしている。2024年10月10日、テスラが発表したロボットタクシーは、この展開を一気に加速している。テスラはこの日、ハンドルの無い無人タクシーや無人大型バンの試作車を公開し、2026年の量産を目指すと公表した。テスラは、自動車を車の形をしたロボットに再定義したことで、同社は、エンジンを無くしたEV 時代の確立に次いで、自動車業界のあり方を再度覆した。

 安全性でも自動運転への期待は高まっている。上記のARK Investレポートによると、現在、人類による運転では19.2万マイルに一度、自動車事故が発生している。これに対して、グーグルの自動運転ソフトWaymoを使う場合は、平均47.6万マイルに一度、自動車事故が発生する。テスラのFSDを使用した場合、事故発生確率はさらに低下し、320万マイルに一度まで発生率が下がる。つまりFSDの安全性は、人類による運転の16.7倍に及ぶ。これは2023年のデーターであり、FSDの進化によって自動運転の安全性は日進月歩で高まっている。

 これに対してほとんどのガソリン車メーカーは、自動運転への取り組みが未だ遅れている。例えばGMの自動運転ソフトCruiseは、平均4.3万マイルで一度の事故発生率となっている。この安全性は人類による運転にも及ばない。

 ガソリン車メーカーが、潤沢な資金を有しながら自動運転への取り組みが遅れた最大の原因は、企業の体質として、ムーア法則駆動型進化への理解が欠如していることにある。

 テック企業のバックグラウンドがあるテスラや、ファーウェイ、シャオミなど新勢力は、自動運転に莫大な投資をしている。テック企業によるこのような先行投資は、旧来の自動車メーカーには理解の及ばない新しい時代を創り上げている。

 テスラは時価総額では世界最大の自動車メーカーに成長したものの、未だ米国トップ100企業全時価総額の2.3%に過ぎない。現在のテスラの時価総額には、上記のような自動運転関連要素への評価は、未だ加味されていない。自動運転時代への流れと共に、テスラの存在感は益々大きくなっていくだろう。

(2)中国ではEV新勢力が群生

 中国は世界最大の自動車生産大国及び自動車市場になって久しい。EV化が進み、中国自動車産業の新勢力の伸びは著しい。米国同様、中国でも自動車産業において大きな構造変化が起きている。

 中国では、「自動車・自動車部品」企業としてBYDをはじめとする6社が同国時価総額トップ100企業に入っている。6社はすべてEVの波に乗った企業である。なかでもBYD、リ・オート(LI Auto)、ニーオ(NIO)の3社は、EVに特化した新勢力である。

 これに対して従来、中国自動車産業の王者だった第一自動車、東風(第二自動車)が同国時価総額トップ100企業から脱落した。上記6社合計時価総額は、中国トップ100企業全時価総額の3.7%に達している。

 2023年中国の自動車輸出台数は初めて日本を超えて世界第1位となった。2024年になって中国国内新車販売台数におけるEV車の割合は50%を超えた。

 電気自動車の発展には、最重要部品であるバッテリーの競争力が欠かせない。現在、世界で車載バッテリーの主導権を握るのは中国企業だ。販売台数で昨年テスラを超え、EVの世界最大手になったBYDは元々バッテリーメーカーだった。2022年6月、BYDの時価総額はフォルクスワーゲン(VW)を抜いて世界第3位に躍進した。

 EVのもう一つの生命線である自動運転においても、中国企業はテスラとしのぎを削っている。

 アップルは2024年3月27日、10年がかりで進めてきたEV開発計画から撤退した。数十億ドルを投じた「アップル・カー」プロジェクトは終了した。翌3月28日、中国のシャオミが初のEV車「SU7」でEV市場に参入し、僅か27分間で5万台を販売した。シャオミは、EVプロジェクトを立ち上げて僅か3年で、新車発売にこぎつけた。中国自動車産業のサプライヤーの裾野の広さを見せつけた。シャオミはアップルが成し遂げられなかったEVへの進出を見事に叶えた。

 ファーウェイ、シャオミなどテックカンパニーの、業種の壁を超えたEV市場進出で、中国自動車業界はさらに大きく変化するだろう。EVをベースに躍進する中国自動車産業の世界進出への勢いは、止まるところを知らない。

(3)日本はガソリン車が今なお主流

 日本では、「自動車・自動車部品」企業としてトヨタ、ホンダ、デンソー、ブリジストン、スズキ、日産自動車、スバルが同国時価総額トップ100企業に入っている。この7社はすべて伝統的なガソリン車の完成車メーカー及び部品メーカーである。同7社の合計時価総額は、日本トップ100企業全時価総額の12.2%に達し、日本経済において大きな存在感を示している。

 しかし上述のARK Investレポートが明らかにしたように、1934年から2016年までに1マイル当たりの自動車の移動コストは、0.7ドルと変わりがなかった。これは、この間、ガソリンエンジンをベースにした自動車産業に決定的なイノベーションが無かったことを意味している。ガソリンエンジン時代の自動車メーカーは現在、電気自動車時代のEVメーカーによる衝撃を、もろに受けている。

 トヨタは2023年、販売台数が初めて1千万台を超え、世界最大の自動車メーカーとしての地位を誇示した。しかし、時価総額で見ると、テスラやBYDなどEVメーカーの躍進と比べ、トヨタの時価総額は相対的に低迷し、世界第35位に甘んじている。

 他の日系完成車メーカーの時価総額はさらに低い。ホンダ、スズキ、日産自動車、スバルの時価総額の世界順位は、それぞれ第338位、第842位、第1100位、第1165位に甘んじている。かつての世界自動車大国日本のトップメーカーとして、時価総額パフォーマンスに芳しいものは最早見られない。最大の理由は、日本の自動車メーカーがEV化への取り組みに、軒並み遅れをとっていることにある。

 テスラのCEOイーロン・マスクは2024年8月15日、X(旧ツイッター)で「自動運転問題を解決出来ない全ての自動車メーカーは倒産する」と述べた[1]。EVの流れに遅れた日本の自動車メーカーが衰退すれば、日本経済に対する打撃は甚大なものとなりかねない。

4.まとめ:イノベーティブな起業家精神は繁栄を呼ぶ


 これまでの分析で、ムーアの法則駆動産業を牽引するトップ企業は、すべて米国企業だったことが明らかになった。

(1)米国経済がムーアの法則駆動産業を牽引

 米中日3カ国時価総額トップ100企業における「情報技術」大分類の3つの産業、すなわち「半導体・半導体製造装置」、「ソフトウェア・サービス」、「テクノロジー・ハードウェア及び機器」の3産業の時価総額の合計を比較すると、米国100%に対して中国と日本は僅か2.4%と5.6%に過ぎない。米国の圧倒的な存在感は、同国の情報技術産業における絶大のリーダーシップを表している。

表7 日米中情報技術分野3産業

注:時価は2024年1月15日時点のものである。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータより作成。

 米中日3カ国時価総額トップ100企業における「メディア・娯楽」、「一般消費財・サービス流通・小売」、「自動車・自動車部品」というDXによりムーアの法則駆動産業化された3産業の時価総額の合計で比較すると、米国が100%なのに対して中国と日本は21%と12.7%である。これら産業においても米国企業が先導し、中国と日本は後追いしている。

 注目すべきは、米国と中国がテックカンパニーの活躍によってこれら産業をムーアの法則駆動型に置き換えたのに対して、日本は未だDXに遅れをとっていることである。

 AI技術の発展が、いま産業におけるムーアの法則駆動化を一層加速させている。中国社会は新テクノロジーへの関心度と許容度が高く、AI社会浸透率は、世界でもトップクラスにある。AI技術では米国との間にまだ一定の開きはあるものの、中国のAIの社会実装はより進んでいる。

表8 日米中DXでムーアの法則駆動化した3産業

注:時価は2024年1月15日時点のものである。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータより作成。

(2)米国が既にムーアの法則駆動経済

 米国、中国、日本3カ国のトップ100企業の時価総額において、「半導体・半導体製造装置」、「ソフトウェア・サービス」、「テクノロジー・ハードウェア及び機器」という「情報技術」3産業の合計シェアはそれぞれ、34.6%、4.9%、16%となっている。

 情報技術産業は米国経済を牽引するリーディング産業へと成長した。同産業は中国でも存在感を増しつつあるが、資本市場での評価は未だ極めて低い。日本の情報技術産業は、従来の国際競争力は失いつつあるものの、国内経済においてまだ大きなシェアを維持している。

 米国、中国、日本3カ国のトップ100企業の時価総額において、「メディア・娯楽」、「一般消費財・サービス流通・小売」、「自動車・自動車部品」のDX3産業の合計シェアはそれぞれ、20%、24.8%、21.1%と、いずれも大きな存在となっている。米国と中国は、テックカンパニーの活躍によってこれら産業がムーア駆動産業に置き換わった。対する日本はDXに遅れをとり、伝統的な産業の性格が色濃い。

 特筆すべきは、米国のトップ100企業の時価総額において上記の6つの産業の合計シェアが54.6%に達し、同国がまさしくムーアの法則駆動経済となっていることである。

(3)スタートアップ企業は世界経済のパラダイムシフトを起こす

 米国と中国では新たなテック企業が次々誕生している。L字型成長を実現したテック企業が群生しつつある。

 日本の場合は、スタートアップのテックカンパニーが少ない。このため一時優位に立っていた「半導体・半導体製造装置」、「ソフトウェア・サービス」、「テクノロジー・ハードウェア及び機器」の「情報技術」分野では、いま遅れが目立つ。

 「メディア・娯楽」、「一般消費財・サービス流通・小売」、「自動車・自動車部品」の3産業においても、ムーアの駆動産業には成り得ず、米中企業の強さに圧倒されている。

 日本の時価総額トップ100社のうち1980年以降の創業は5社のみで、21世紀創業はゼロである。大企業の官僚化は、投資リスクのある新規事業に消極的になりがちだ。結果、ムーアの法則駆動産業の発展が遅れ、日本は海外のテックカンパニーに支払うデジタル赤字が、2023年に5.5兆円にまで膨らみ、5年で2倍増となった[2]

 対照的に、米国トップ100企業のうち、1980年以降の創業は32社で、そのうち21世紀創業は8社ある。これら鮮度の高いスタートアップカンパニーこそ、世界のムーアの法則駆動産業を牽引している。

 中国トップ100企業のうち1980年以降の創業は82社に達し、そのうち21世紀創業は25社にものぼる。中国のトップ企業の鮮度の良さは顕著であり、創業者のリーダーシップでイノベーションや新規事業への取り組みが素早い。

 上記の分析からわかるように、今日の世界における企業発展のロジックは完全に変わった。技術力と起業家精神に秀でたイノベーティブスタートアップ企業が、世界経済パラダイムシフトを起こす主要勢力となっている。

(4)証券市場依存の功罪

 クリントン政権のルービン財務長官が1995年、これまでのドル安政策からドル高政策へと切り替えたことで、米国製造業は大きな打撃を受け国際競争力を弱めた。それは同時に、米国証券市場のバフェット指数を持ち上げ、ITバブルを誘発した。結果、スタートアップテック企業が潤沢の資金を得て、急成長した。

 ヘッジファンドがスタートアップ企業に投資し、上場させ、大きく膨らませる。これが、米国テック企業の資本調達のメイン手段となっている。

 後にそのパターンは、中国でも再現された。米国系ヘッジファンドが中国のスタートアップテック企業に投資し、米国で上場させるケースが多数見られるようになった。

 これに対して製造業の場合は、どこの国でも銀行からの資金借り入れが、メインの調達手段となっている。

 米国のドル高政策による高金利に、銀行から資金調達する製造業が苦しめられている。これが米国製造業衰退の一因ともなっている。

 これに対して中国も日本も、銀行からの低金利資金調達で製造業が持続的に発展してきた。だが、これら製造業企業の資本市場での評価は低い。

 米国は高金利で世界中の資金を自国へ集め、証券市場で潤沢な資金を調達する発展パターンが、スタートアップテック企業に大発展の道筋をつけた。しかしその反動として製造業の衰退がもたらされた。

 トランプ元大統領が2024年の大統領選において、ドル安政策により製造業をアメリカに取り戻すスローガンを高く掲げている。尤も、30年前のルービン財務長官が掲げたドル高政策をひっくり返し、米国の製造業を再生させることはそう容易いものとは言えない。

(5)世界を「分断」する米中デカップリング

 産業はムーアの法則駆動型になることで技術進歩が加速し、投資規模が巨大化し、世界市場とグローバル分業に依存せざるを得なくなる。つまり、ムーアの法則駆動産業は、グローバリゼーションを後押しする。

 本論では、ムーアの法則に沿った半導体の進化と世界貨物商品輸出の拡大との相関関係を分析した。図4は両者の高い相関関係を表している。同図から、グローバリゼーションが、ムーアの法則の駆動で急拡大していることが見てとれる。

図4 半導体の進化と世界貨物商品輸出の拡大との相関関係

出典:Our Word in Data、国連貿易開発会議(UNCTAD)等のデータベースにより作成。

 しかし米国は中国に対し現在、ハイテク分野での貿易規制など制裁を発動し、中国テック産業の成長を阻止することで、グローバリゼーションに急ブレーキをかけている。

 とはいえ現状では、米国による対中制裁が最も厳しい半導体分野においてさえ、必ずしも米国の思惑通りにはなっていない。2024年上半期、中国の半導体輸出は5,427.4億人民元(11.2兆円[3])に達し、25.6%の成長を実現した。半導体は、いまや自動車、携帯電話を超え、中国の一大輸出製品となった。

 進む米中デカップリングは、世界を二つのシステムに分断しかねない。


 本論文は東京経済大学個人研究助成費(研究番号24-X)を受けて研究を進めた成果である。 
 (本論文では日本大学理工学部助教の栗本賢一氏がデータ整理と図表作成に携わった)


 本論文は、周牧之論文『時価総額トップ100企業の分析から見た日米中のムーアの法則駆動産業のパフォーマンス比較』より抜粋したものである。『東京経大学会誌 経済学』、323号、2024年。


[1] 自動運転技術のインパクトについて、ARK Invest “BIG IDEAS 2024” in Annual Research Report 31 January 2024、pp122-132を参照。

[2] 2024年8月15日付イーロン・マスクによるX(旧ツイッター)上の原文は“Any car company that fails to solve self-driving will die”。

[3] 日本のデジタル収支赤字構造について詳しくは、神田慶司など『貿易・デジタル収支「赤字体質」の構造的課題を検証する』大和総研レポート、2024年5月28日を参照。

[4] 1元=20.55円の為替レートで換算。

中国都市総合発展指標について

1.〈中国都市総合発展指標〉とは 

周牧之 東京経済大学教授


 改革開放40年、中国は豊かさを求めて猛進し、いまや世界第2の経済大国に成長した。しかし、中国を構成する最も重要な細胞たる都市では、GDPの大競争を繰り広げてきた結果、環境汚染、乱開発、社会格差、汚職腐敗などの大問題を生じさせた。こうした状況に鑑み、中国で都市化行政を主管する中国国家発展改革委員会発展計画司と雲河都市研究院は、環境、社会、経済という三つの軸で都市を包括的に評価する〈中国都市総合発展指標〉を協力して開発した。これは都市を評価する物差しを単純なGDPから総合的な指標に変えることにより、都市をより魅力的で持続的なものへと導く試みである。
 そもそも中国の都市はこれまで外から見えづらかった。中国都市総合発展指標は中国の地級市(日本の県に近い行政単位)以上のすべての都市をカバーする包括的な指標として、都市のあり方をさまざまな角度から分析できるようにした。このことにこそ大きな価値がある。また、都市を的確に捉えるだけでなく、個々の都市の情報を集合させることにより、中国全土を従来なかったリアリティで分析できた。指標はさらに、グラフィカルな表現を駆使し、膨大な情報量を理解しやすいものにした。こうした意味では中国研究をまさに異次元の段階へ押し上げたといっても過言ではない。毎年公表するこの指標を基本素材として、さまざまな中国研究が一気に前進することが期待できるだろう。
 指標の研究開発にあたり、環境省、そして多くの日本の有識者にご協力いただいた。社会主義市場経済の道を歩む中国は、そのロジックの独特さゆえに、外から分かり難い部分が多い。中国の都市問題に普遍的なロジックを持つ物差しを日中協力で作り上げたことで、中国研究の透明度が一気に上がるだろう。

 中国では今日、298の地級市以上の都市のうち117都市の常住人口が戸籍人口の規模を超えている。つまりこれらの都市に外部から人口が流入し、実際の人口規模を示す常住人口が、戸籍制度で確定された固有の人口規模を超えている。常住人口から戸籍人口を差し引いた数が、人口の超過部分である。この超過人口は、上海市では963.3万人、深圳市では818.1万人、北京市では811.5万人に達している。これらが流入人口規模の大きい上位3都市である。
 他方、常住人口が戸籍人口より少ない都市も181都市にのぼる。これらの都市から他都市へと人口が流出している。このなかでは周口市が381.8万人、重慶市が314.7万人、信陽市が265.6 万人、戸籍人口より実際上の人口が少なくなっている。これら3都市は中国では人口流出規模が最も大きい。
 上記データは現在の中国における人口移動の激しさをリアルに表している。都市化による大規模な人口移動がすでに中国のすべての都市に多大な影響を与えている。
 都市化は中国近代化の主旋律であり、経済成長のエンジンである。また、中国の経済社会構造の大変革も引き起こしている。
 本来、都市化がもたらす大変革を見据えて、中国は財政制度、戸籍制度、社会保障制度、土地制度などの制度改革を先行させる必要がある。だが、残念なことに、急激な都市化の波に比べ、中国では都市化に関する政策や制度の議論はいまだ充分に行われていない。それによって大きな社会的、経済的弊害がもたらされている。
 都市計画制度上の欠陥も都市発展に大きなマイナス影響を及ぼしている。計画のない都市空間は一種の悪夢のようなものであるが、拙劣な都市計画もまた然りである。
 本来、都市計画は気候風土に考慮し、総合的で長期的な戦略をもって策定されなければならない。しかし中国の現行の計画策定はメカニズム上、これがきちんと踏襲されていない。中国の都市建設の関連計画は、非常に細分化され、発展計画、都市計画、土地利用計画、交通計画、環境計画、産業計画などが異なる行政部門で縦割りに策定されている。縦割り行政はどこの国にも見られるが、計画経済の余韻を残す中国ではよりたちが悪く、各部門間の連携がなされていないことが多い。ゆえに急速に膨らんできた中国の都市では空間配置のアンバランス、交通網の未整備、生態環境の破壊といった問題が生じている。
 これまでの中国都市化はマクロ的に見てもミクロ的に見ても、その急激な進行度合いに比べて、ビジョン作りや制度作りが大変に遅れていた。原因の1つは数字による分析と管理能力の欠如にある。アメリカで活躍していた著名な中国人歴史家の黄仁宇氏は、中国の歴史上最大の失策は、数字による管理の欠如にあると指摘した。この欠陥の遺伝子がいまなお受け継がれている。
 近年、“主体功能区”、“新型都市化”などの斬新な政策が相次いで出され、都市化によい方向性が示された。こうした政策を今後いかに具体化し、そして評価監督していくかが試されている。
 そのため、中国では、政策と計画をサポートする指標システムの整備が急務である。つまりマクロ的には都市化政策を考案する物差しとして、ミクロ的には、都市計画のツールとして、さらに政策と計画を評価するバロメーターともなる指標が必要である。
 上記の考え方のもとに、専門領域も国の違いも超えた有志で構成する中国都市総合発展指標研究チームが、中国都市化における問題のありかを探り、国内外の経験と教訓を整理し、定量化した都市評価システムを開発した。中国の都市に「デジタル化された規範」を提示できた。
 中国都市総合発展指標は以下の三大特徴がある。

① 「生態環境」をより広義に評価

 これまでの急速な工業化と都市化の中で、環境汚染や生態破壊などの問題が中国で深刻化した。これに対して、中国政府は2014年に打ち出した「国家新型都市化計画」で、「生態文明」理念を高々と掲げ、「生態環境」を新型都市化の鍵とした。以来、中国では、「エコタウン」や「美しい村」を探すブームが広がった。しかしそれらは自然環境に恵まれた中小都市や辺境の村がほとんどであった。近代的な都市を分析評価するものではなかった。
 環境、社会、経済の三大項目で構成する中国都市総合発展指標は、より広義に「生態環境」をとらえ、総合的に都市を評価する。同指標は、単に環境関連の指標にのみ焦点を置くのではなく、同時に、経済や社会の指標にも「生態環境」を求めた。
 こうした意味では、単純にGDP、鉄道、道路などハード面を測る指標とは異なり、〈中国都市総合発展指標〉が提唱するのは、発展の質である。同指標は狭義の環境要因だけを評価するものではない。生態環境の質はもちろん、経済の質、空間構造の質、生活の質、そして人文社会の質など幅広い内容を評価の対象としている。

② 簡潔な構造で都市を可視化

 中国の都市化が向き合う問題と課題とを整理し、内外の経験と教訓を吸収したうえで都市のあり方を数値化し、指標化する作業そのものが、困難極まりないチャレンジであった。4年間にわたる専門家による研究討論の積み重ねで、中国都市総合発展指標は、簡潔な3×3×3構造を作り出した。環境、社会、経済の三大項目は、それぞれ3つの中項目で構成され、9つの中項目指標がさらに各々3つの小項目で構成されている。各小項目指標はまた、1つあるいは多くのデータで支えられている。
 このような3×3×3構造の指標体系は膨大なデータに裏付けされたものである。しかし中国では指標を支えるデータの収集と整理自体が、大変に困難で煩雑な作業であった。中国では都市ごと、部門ごと、年度ごとにデータのフォーマットが異なり、統一性や連続性に欠けていた。データの信憑性も大きな問題であった。加えて多くのあるべきデータ自体が存在していなかった。
 中国都市総合発展指標では、データを選定する際に、特にその信憑性のチェックを重視した。と同時に、統計データ以外に、できる限りビックデータを集め、さらに最新のIT手法で膨大なビックデータを指標用データに仕立て直した。また、衛星リモートセンシングデータと地理空間データをも存分に活用した。
 こうした努力を積み重ね、初めて中国の298の地級市以上の都市を網羅した評価システムを完成させた。

③ 先鋭な問題意識

 中国都市総合発展指標は、都市の構造と内容を立体的に分析するフレームワークを作り上げた。中国の都市発展の質的向上を促す同指標は、リアリティのある問題意識と先進的な理念を掲げる使命を負った。
 指標の「環境」重視、文化伝承への関心、発展の質の追求などは、すべてこうした使命感から来るものである。
 たとえば、中国都市総合発展指標はDID(Densely Inhabited District:人口集中地区)という斬新なコンセプトを中国で初めて導入した。さらに衛星リモートセンシングの力を借り、中国における都市人口分布の分析に成功した。こうした人口分布とDID分析を重ねた結果、中国では、ほとんどの都市でスプロール化の問題をかかえていることがわかった。こうした構造的問題が、まさに交通問題、環境問題、不便な生活、サービス産業の未発達など諸々の都市問題の根っこにある。
 都市の最大の問題は、人口問題である。数十年にわたりアンチ都市化政策を取ってきた中国の為政者たちはこの点に関して未だ意識が低い。億単位の人たちが農村部から都市へすでに移動している今日でも、人口を分断する戸籍問題の抜本的な改革は成されていない。さらに、北京、上海などの代表的な都市では、いま人々を外に追い出す動きが見られる。
 中国都市総合発展指標はDID概念を導入し、人口の集積の大切さを中国で広げ、中国の都市がより活力と魅力ある高密度な空間作りに向かう指針を示すように努める。


指標対象都市

 中国都市総合発展指標は、297地級市(地区級市)以上の都市を研究分析および評価対象とする。すなわち以下の直轄市、省都、地級市の行政区分を対象都市としている。

 ・直轄市(4都市:北京市、天津市、上海市、重慶市)
 ・省都・自治区首府(27都市:石家荘市、太原市、フフホト市、瀋陽市、長春市、ハルビン市、南京市、杭州市、合肥市、福州市、南昌市、済南市、鄭州市、武漢市、長沙市、広州市、南寧市、海口市、成都市、貴陽市、昆明市、ラサ市、西安市、蘭州市、西寧市、銀川市、ウルムチ市)
 ・計画単列市(5都市:大連市、青島市、寧波市、廈門市、深圳市)
 ・その他地級市(261都市)

注:本書では、特に明記のない限り、データはすべて中国都市総合発展指標によるものである。なお、本書の中で使用するすべての地図は指標の意図を視覚的に表現する意味で作成した「参考図」であり、本来の意味での地図ではない。

2.中国の行政区分


中国の行政階層

 現在、中国の地方政府には省・自治区・直轄市・特別行政区といった「省級政府」と、地区級、県級、郷鎮級という4つの階層に分かれる「地方政府」がある。都市の中にも、北京、上海のような「直轄市」、蘇州、無錫のような「地級市(地区級市)」、昆山、江陰のような「県級市」の3つの階層がある。
 なお、地級市は市と称するものの、都市部と周辺の農村部を含む比較的大きな行政単位であり、人口や面積の規模は、日本の市より県に近い。
 また、地級市の中でも有力な市は「計画単列市」と称され、行政管理上「直轄市」に準じる権限が与えられている。日本で言えば、政令指定都市に似た扱いの都市である。現在、計画単列市は、大連、青島、寧波、廈門、深圳の5都市である。

3.指標構成


中国都市総合発展指標構造図

指標構成

 中国都市総合発展指標は、環境・社会・経済のトリプルボトムライン(TBL:Triple Bottom Line)の観点から都市の持続可能な発展を立体的に評価・分析している。
 ここで言うトリプルボトムラインとはある種の持続可能性を評価する代表的な方法であり、「環境」「社会」「経済」の3つの軸で人々の活動を評価するものである。国連持続可能な開発会議(UNCSD:United Nations Conference on Sustainable Development)が発表した「持続可能な発展指標(SDIs)」、2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」をはじめ、世界の多くの持続可能性に関する調査研究がトリプルボトムラインによって評価されている。一つの大国の全都市をトリプルボトムラインによって評価した〈中国都市総合発展指標〉は、先駆的な取り組みである。

3×3×3 構造

 中国都市総合発展指標は「3×3×3構造」を踏襲している。指標体系は環境、社会、経済の各三大項目が、それぞれ3つの中項目で構成され、計9つの中項目指標がさらに各々3つの小項目で構成されている。すなわち、大、中、小項目、合計39項目の指標で構成され、簡潔明瞭なピラミッド型の「3×3×3構造」となっている。この明快な構造を通して、複雑な都市の状況を全方位的に定量化し、可視化して分析を行っている。

データサポート

 〈中国都市総合発展指標2019〉は、2018年版指標データの更新を行った上、一部の指標データを改善し、新たな指標データを追加した。これにより2019年版は、191項目の指標データにより「3×3×3構造」を支え、より多角的で正確な指標体系を確立した。

 191項目の指標データは、おおむね均等に三分割した。つまり、「環境」大項目は55項目の指標データで全体の29%、「社会」大項目は58項目の指標データで同30%、「経済」大項目は78項目の指標データで同36%となっている。

 また、データソースもおおむね均等に三分割した。878項目の基礎データのうち、統計データは31.1%、衛星リモートセンシングデータは33.6%、インターネット・ビッグデータは35.3%となっている。

 指標構造とデータ選択における独自性と整合性は、指標体系が都市の総合発展に反映することを保証する。

4.ランキング方法


データの採集と指標化

 中国都市総合発展指標は、収集可能な最新データの使用に注力している。2019年版のデータ出所は、①各地方政府機関発表による統計データ(2017-2019年のデータ)、②ビックデータの収集(2018-2019年のデータ)、③衛星リモートセンシングデータ(2019年のデータ)の3種に分類される。

 中国都市総合発展指標では採用した191指標について偏差値を算出し、評点付けを行った。偏差値は、その値が全体の中でどの辺りに位置しているのかを相対的に表現する指標で、様々な指標で使われている単位を統一した尺度に変換して比較することが可能となる。

評価方法

 中国都市総合発展指標はそれぞれ191の指標データについて平均値を50とする偏差値を算出し、それらの偏差値を統合し総合評価を算出している。まず27の小項目レベルの偏差値をそれぞれ計算する。小項目レベルの偏差値から、9つの中項目レベルの偏差値を算出する。中項目レベルの偏差値を合成し、大項目レベルの偏差値を算出する。大項目レベルの偏差値を合成し、総合評価を算出する。〈中国都市総合発展指標〉の重要な特徴の1つは、各階層まで分解して評価を行い、都市の詳細な発展状況を立体的に分析したことである。

5.指標一覧表


中国都市総合発展指標指標一覧表 : 環境
指標一覧表 : 環境
中国都市総合発展指標指標一覧表 : 社会
指標一覧表 : 社会
中国都市総合発展指標指標一覧表 : 経済
指標一覧表 : 経済

6.プロジェクトメンバー


中国都市総合発展指標(CICI)専門委員長・本書編著者
  周牧之 東京経済大学教授
  陳亜軍 中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司〔局〕司長〔局長〕

首席専門委員
  楊偉民 中国人民政治協商会議全国委員会常務委員 中国共産党中央財経領導小組弁公室元副主任

専門家委員(アルファベット順)
  杜平   中国国家信息センター元常務副主任
  胡存智  中国土地鑑定士土地代理人協会会長、中国国土資源部〔省〕元副部長〔副大臣〕
  南川秀樹 日本環境衛生センター理事長、元環境事務次官

  李昕   北京市政府参事室任主任、中国科学院研究員(教授)
  明暁東  中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司元一級巡視員、中国駐日本国大使館元公使参事官
  森本章倫 早稲田大学教授

  穆栄平  中国科学院創新発展研究センター主任
  大西隆  豊橋技術科学大学学長、日本学術会議元会長、東京大学名誉教授
  邱暁華  マカオ都市大学経済研究所所長、中国国家統計局元局長
  武内和彦 東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構機構長・特任教授、中央環境審議会会長、国際連合大学元上級副学長
  徐林 中米グリーンファンド会長、中国国家発展改革委員会発展計画司元司長
  横山禎徳 東京大学総長室アドバイザー、マッキンゼー元東京支社長

  岳修虎  中国国家発展改革委員会価格司司長
  張仲梁  雲河都市研究院首席エコノミスト、中国国家統計局社会科学技術文化産業司元司長
  周南   中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司副司長
  周其仁  北京大学教授

雲河都市研究院 CICI & CCCI 開発実務チーム主要メンバー
  甄雪華  雲河都市研究院主任研究員
  栗本賢一 雲河都市研究院主任研究員
  趙建   雲河都市研究院主任研究員
  数野純哉 雲河都市研究院主任研究員

企画協力
  東京経済大学周牧之研究室、株式会社ズノー

 

7.著者・編者紹介


中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司〔局〕

 中国の経済・社会政策全般の立案から指導までの責任を負う国務院(中央政府)の中核組織。政策立案および計画策定を担うと同時に、各産業の管理監督、インフラなど公共事業の許認可にも強い権限を持つ。国の経済政策を一手に握る職務的重要性から「小国務院」とも呼ばれ、同委員会の長(主任)は、国務院副総理や国務委員が兼任することも多い。同委員会の発展計画司は中国の「五カ年計画」の策定および都市化政策を主管する部署である。

雲河都市研究院

 雲河都市研究院は日本と中国双方に拠点を置く、都市を専門とする国際シンクタンクである。シンポジウムやセミナーの企画・開催を通して国際交流を推進し、調査研究、都市計画および産業計画をも手がける。


周牧之
東京経済大学教授/経済学博士

1963年生まれ。(財)日本開発構想研究所研究員、(財)国際開発センター主任研究員、東京経済大学助教授を経て、2007年より現職。財務省財務総合政策研究所客員研究員、ハーバード大学客員研究員、マサチューセッツ工科大学(MIT)客員教授、中国科学院特任教授を歴任。〔中国〕対外経済貿易大学客員教授、(一財)日本環境衛生センター客員研究員を兼任。

著書:『歩入雲時代』(2010年、人民出版社〔中国〕)、『中国経済論—崛起的机制与課題』(2008年、人民出版社〔中国〕)、『中国経済論—高度成長のメカニズムと課題』(2007年、日本経済評論社)、『メカトロニクス革命と新国際分業—現代世界経済におけるアジア工業化』(1997年、ミネルヴァ書房、第13回日本テレコム社会科学賞奨励賞を受賞)、『鼎—托起中国的大城市群』(2004年、世界知識出版社〔中国〕)。

編書:『環境・社会・経済 中国都市ランキング—中国都市総合発展指標』(2018年、NTT出版、徐林と共編著)、『中国城市総合発展指標2016』(2016年、人民出版社〔中国〕、徐林と共編著)、『中国未来三十年』(2011年、三聯書店〔香港〕、楊偉民と共編著)『第三個三十年—再度大転型的中国』(2010年、人民出版社〔中国〕、楊偉民と共編著)、『大転折—解読城市化与中国経済発展模式』(2005年、世界知識出版社〔中国〕)、『城市化—中国現代化的主旋律』(2001年、湖南人民出版社〔中国〕)。

 


陳亜軍
中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司司長/管理学博士


1965年生まれ。国家産業政策や中長期計画制定に長年携わり、第10次五カ年計画〜第14次五カ年計画を立案する主要メンバーである。また「成渝メガロポリス発展計画」などのメガロポリス発展計画を立案するメンバーでもある。


徐林
中米グリーンファンド会長/元中国城市和小城鎮改革発展センター主任/元中国国家発展改革委員会発展計画司司長


1962年生まれ。南開大学大学院卒業後、中国国家計画委員会長期計画司に入省。アメリカン大学、シンガポール国立大学、ハーバード・ケネディスクールに留学した。中国国家発展改革委員会財政金融司司長、同発展計画司司長を歴任。2018年より現職。
中国「五カ年計画」の策定担当部門長を務め、地域発展計画と国家新型都市化計画、国家産業政策および財政金融関連の重要改革法案の策定に参加、ならびに資本市場とくに債券市場の管理監督法案策定にも携わった。また、中国証券監督管理委員会発行審査委員会の委員に三度選ばれた。中国の世界貿易機関加盟にあたって産業政策と工業助成の交渉に参加した。

編書:『環境・社会・経済 中国都市ランキング—中国都市総合発展指標』(2018年、NTT出版、周牧之と共編著)、『中国城市総合発展指標2016』(2016年、人民出版社〔中国〕、周牧之と共編著)。


『中国都市ランキング2018 <大都市圏発展戦略>』

目 次

 

中国都市ランキング|トップ10都市分析 北京


トップ10都市分析:北京-01
トップ10都市分析:北京-03
トップ10都市分析:北京-05
トップ10都市分析:北京-02
トップ10都市分析:北京-04

図で見る中国都市パフォーマンス


GDP規模
人口流動:流入
空港利便性
PM2.5指数
製造業輻射力
IT産業輻射力

メインレポート|大都市圏発展戦略


メインレポート|大都市圏発展戦略-01
メインレポート|大都市圏発展戦略-03
メインレポート|大都市圏発展戦略-02
メインレポート|大都市圏発展戦略-04

中国都市総合発展指標2023


〈中国都市総合発展指標2023〉ランキング


 中国都市総合発展指標(以下、〈指標〉)は、中国の297都市を対象とし、環境、社会、経済の3つの側面(大項目)から都市のパフォーマンスを評価したものである。〈指標〉の構造は、各大項目の下に3つの中項目があり、各中項目の下に3つの小項目が設けた「3×3×3構造」になっており、各小項目は複数の指標で構成されている。これらの指標は、882のデータセットから構成されており、その31%が統計データ、35%が衛星リモートセンシングデータ、34%がインターネットビッグデータから構成されている。この意味で、指標は、異分野のデータ資源を活用し、五感で都市を高度に感知・判断できる先進的なマルチモーダル指標システムである。


(1)総合ランキング

 〈指標2023〉総合ランキングのトップ10都市は順に、北京、上海、深圳、広州、成都、杭州、重慶、南京、天津、蘇州となっている。これら10都市は、長江デルタメガロポリスに4都市、珠江デルタメガロポリスに2都市、京津冀メガロポリスに1都市、成渝メガロポリスに2都市と、4つのメガロポリスにまたがっている。

 総合ランキング第11位から第30位は順に、武漢、廈門、西安、長沙、寧波、青島、鄭州、福州、東莞、無錫、済南、珠海、仏山、合肥、瀋陽、昆明、大連、海口、貴陽、温州の都市である。

 総合ランキング上位30都市のうち、25都市が「中心都市」に属している。中心都市とは4直轄市、5計画単列市、27省都・自治区首府から成る36都市である。つまり、総合ランキングの上位30位以内に7割近くの中心都市が入っており、中心都市の総合力の高さが伺える。

 総合ランキングについて、詳しくは【シンポジウム】メガロポリス発展を展望:中国都市総合発展指標2023を参照。


(2)環境大項目ランキング

 環境大項目ランキングは8年連続で深圳が第1位を獲得した。上海が第2位、広州が第3位となった。

 〈中国都市総合発展指標2023〉環境大項目ランキングの上位10都市は、深圳、広州、上海、廈門、海口、北京、珠海、東莞、三亜、武漢であった。

 環境大項目ランキングで第11位から第30位にランクインした都市は順に、福州、成都、杭州、汕頭、重慶、仏山、南京、普洱、舟山、中山、長沙、温州、萍郷、茂名、寧波、南平、貴陽、竜岩、泉州、蘇州であった。


(3)社会大項目ランキング

 社会大項目ランキングでは北京と上海は8年連続で第1位と第2位、広州は7年連続で第3位をキープしている。

 〈中国都市総合発展指標2023〉の社会大項目ランキング上位10都市は、北京、上海、広州、成都、深圳、杭州、重慶、南京、天津、西安となっている。

 社会大項目ランキングの第11位から第30位は、武漢、長沙、鄭州、蘇州、廈門、済南、青島、瀋陽、寧波、福州、無錫、合肥、珠海、ハルビン、長春、大連、貴陽、昆明、南寧、石家荘であった。


(4)経済大項目ランキング

 経済大項目ランキングは8年連続で上海がトップ、第2位は北京、第3位は深圳となった。

 〈中国都市総合発展指標2022〉の経済大項目ランキング上位10都市は、上海、北京、深圳、広州、成都、杭州、蘇州、重慶、天津、南京となっている。

 経済大項目ランキングで第11位から第30位にランクインしたのは、武漢、寧波、青島、西安、東莞、無錫、長沙、鄭州、廈門、仏山、済南、合肥、福州、大連、瀋陽、昆明、温州、常州、長春、煙台であった。


【対談】有賀雄二Vs周牧之(Ⅱ)驚きと感動のものづくり

2024年6月6日、東京経済大学でゲスト講義をする有賀雄二氏

■ 編集ノート:

 日本産の日本酒、ウイスキーそしてワインがいま世界を魅了している。東京経済大学の周牧之ゼミは2024年6月6日、有賀雄二勝沼醸造代表取締役をゲストに迎え、国際的に高い評価を得るワイン作りの極意とその道程について披露していただいた。

※前半はこちらから


作り手の思いを伝える流通で


有賀:販売も特殊な方法を取っている。限定流通だ。我々作り手にとってパートナーは伝え手で、その先にお客さんがいる。ところが今の流通は、問屋、スーパー、コンビニ、デパート、ネット販売などだ。本来、ワインに限らず

 ものづくりは、作り手の考え方や思いの表現である。だから、世の中に形があるものはどんなものもそうだが、必ず作っている人の考え方や思いが隠れている。作り手の考え方や思いを、商品と一緒にお客さんに伝えることが私の考えている本来の流通だ。

 社会はいま流通が、運ぶ物流に変わってしまった。それを私は危惧している。私どもはお客様に我々作り手の考え方、思いを一緒に伝えてもらうやり方で流通をしている。

 現在全国に140社の特約店さんがある。幸い、アルガブランカを2007年にJALが国際線で初めて採用し、ファーストクラスとビジネスクラスで出されるようになった。ビジネスクラスは1年間でクラレーザが1,000ケースも出た。2017年と2018年の2年間で2,000ケース。2,000ケースは2万4,000本だ。本当にありがたかった。日本のワインが世界で話題になったのは、JALでの甲州ワインの登場がきっかけだった。

周:私のJALの国際線に乗る時のひとつの楽しみは有賀さんのワインを飲むことだ(笑)。

有賀:2008年には、フランスのワイナリーシャトーが、私どものワインを世界に販売してくれるようになった。フランスのボルドーグラーブにあるシャトーで、シャトーパッククレマンという。オーナーの息子さんが、私どものワイナリーに急にやってきて、一緒にワインビジネスをしましょうと言った。

 びっくりして聞いたら、日本の甲州を世界に出す手伝いをしたいと言ってくれた。我々のワインはフランス、イギリス、スイス、ベルギー、カナダ、アメリカに彼らが販売してくれていて、非常に大きな反響を呼んでいる。

 彼には「君には間違いが二つある」と指摘を受けた。どういうことか聞くと、「なぜ君は世界をマーケットにしない?」と問われた。「君のこのワインがわかる人は日本にそんなに多くいるのか?君のワインは世界に出せば、今よりももっと価値がはっきりする」と言われた。

 世界にはワイン好きがたくさんいる、価値のわかる人が世界にいるから、世界に出せということだった。

 もう1個の間違いについて聞くと、「君はワインの価値を知らない」と言われた。私がワインにつけている値段が間違っていると言うのだ。「君がつけているその値段でいいなら、僕に全部分けてくれ。僕は君の3倍で売る自信がある」と。日本では、ワインに限らず、いろいろなものを作っている方々はみんな原価積み上げ式で値段をつけていると思う。うちもそうだ。ぶどう代、営業費、労務費、減価償却を重ねていき、利益を乗せて値段付けるのが、一般的だ。彼は、それは価値ではないと言った。つまり、コストと価値は全く別のものだということを彼が教えてくれた。

2018年7月19日、有賀雄二氏が東京で開催の『中国都市ランキング−中国都市総合発展指標』出版記念パーティにて挨拶

地域ブランディング戦略


周:周辺で契約した農家のぶどうでワインを作るのは、規模が限られている。この規模でブランディングするのは限界がある。ヨーロッパもそうだ。だから地域をまとめたブランディングは、ワインの世界で特筆すべきところだ。アルガブランカは今かなり愛好家に親しまれているが、これにとどまらず、甲州のワイナリーのまとめ役としての有賀さんは、地域ブランディングに尽力している。 

有賀:翌2009年にはKOJというプロジェクトがスタートした。KOJは、ジャパンオブ甲州(Koshu of Japan)の略だ。世界へのワイン情報発信基地はロンドンなので、ロンドンに甲州ワインを出すことで評価が得られれば、その評価が世界に伝播するという訳で、2009年からロンドンプロモーションを始めた。

 2010年にはフランスのパリに本拠地がある国際ぶどうワイン機構に甲州をワイン用ぶどうとして登録した。2013年には赤ワイン用のマスカットベリーも登録し、これによって今、世界のワイン関係者は日本の甲州と赤のマスカットベリーに非常に興味を持っているのが現状だ。

 一昨年ボルドーにワインミュージアムができた時、先方から甲州ワインを飾りたいと要請があった。今、いよいよ甲州ワインとこのマスカットベーリーAのワインが、やっと世界を舞台にできるかどうかの瀬戸際になってきたと思う。

 2013年に地理的表示山梨が、国税庁から認定された。山梨のワインの場合はエチケットのどこかにこのGIYAMANASHIと書いてあるものを選ぶと、そのワインは全部山梨のぶどうを使っていることが証明されている。しかも、審査会に合格しないと付けられないので、山梨のワインを選ぶ時は一つの基準としてぜひ知っておいていただきたい.

 GIは日本ではちょっと馴染みが薄いが、ジオグラフィカルインディケーションという意味で、ヨーロッパでは非常に信頼が高い制度だ。例えばボルドー、ブルゴーニュ、シャンパンという言い方は、全部GIだ。チーズでも、カマンベールとかブリという言い方をするのも全部GI。

 だから日本で作ったチーズに、カマンベールと付けては、本当はいけない。ワインに山梨と表示があったら、そのワインは山梨のぶどうを100%使っている。

周:GIとは地理的表示保護制度(Geographical Indication)で、地域のブランディングに非常に有効な手段だ。とくにワインのような地域性の高い農産品にとっては、その価値を高める保護制度となっている。GIYAMANASHIの恩恵が山梨全域に渡り、山梨が世界に知れ渡るツールとなる。

有賀:GIは、日本では最近は北海道、大阪などだんだん増えてきている。

勝沼醸造ワイナリー前に広がるぶどう畑

目指すは「和食にはアルガブランカ」


有賀:今世界は和食ブームなので、それに合わせたワインとして興味を持たれ、大きな反響を呼んでいる。

 2010年頃からどこをマーケットにするかを考えた場合、今まで長い間、私もワインというと、洋食に合わせるものだと思ってきた。しかし、和食とワインという取り合わせもある。特に日本の風土で出来たこの甲州ワインは和食との取り合わせがいいので、積極的に力を入れている。

周:和食に合うワインを作る発想は凄い。アルガワインの大事なキーワードだ。

有賀:東京・日本橋に「ゆかり」という和食店がある。店主の野永さんは早くから和食には甲州ワインがよく合うということで弊社のワインをお使いいただいている。

 ニューヨークにロバートデニーロと一緒にレストラン「NOBU」を出した松久信幸さんは、和食にグローバリゼーションをもたらした第一人者で、東京にも店がある。私は彼に会いたくて、15年前から東京の店に通い、そのご縁が実りやっと2013年からロンドン始め、世界の「NOBU」でワイン会をさせて頂き、大きい反響があった。

 ただ、まだ世界で和食に甲州ワインが当たり前のように供されている状況ではない。和食に甲州ワインを合わせることが当たり前にするのが私の夢だ。

 東京のミシュラン星付きの和食店では割と今、私どものアルガブランカを使って頂いているが、京都などの和食店ではどうしてもワインといえば、輸入ボトルワインだ。ブランドで飲むことが多いので、和食にはアルガブランカと言ってもらえるよう今後やっていきたい。

周:東京はいま世界で最もミシュランの店が多い街だ。なかでもとにかく和食の店が多い。インバウンドで海外からの大勢の客がこれらの店に集まってくる。そこに有賀ワインが浸透していけば凄いことになる。

アルガブランカを推奨するレストラン「NOBU」

■ 和食の進化にワインの役割大


周:日本に来て30数年になる私の目から見ても、和食は大きく進化を遂げた料理だと思う。

有賀:そうだ。世界で和食の関心は更に高まっている。「NOBU」のニューヨーク店の年商は、40億円だ。一軒の店の売り上げが年間40億円というのは、毎日1000万円を売り上げて36億5000万円になる程、和食が世界でエネルギーを持っている。それだけ和食を食べたい人がいる。これを我々日本人は知らない。

 ロンドンにKOJで毎年行くようになってわかったことに、ロンドンには和食店が沢山ある。そこで働いているマネージャーは大体日本人の女性が多く、何故か出身が揃って日本の外資系ホテルだ。

 ある時、今一番話題の和食店に案内してもらったところ、セクシーフィッシュという店に案内され、行ってみると、サービス係にも料理人にも日本人が誰もいない。メニューは日本語で、下に英語が書いてある。出てくる料理は本物の和食で、美味しい。

 案内してくれた女性とその店のシェフとは、ある和食レストランの立ち上げのときに一緒で知り合いだったそうで、その日はサービスで沢山料理が出てきた。彼女から「私はこうしたサービスをしてチップを毎日10万円から20万円もらう」と聞き驚いた。そうした大きなエネルギーを和食が持ち、日本文化が持っている。

 今ロンドンで寿司がしっかり握れたら年収2,000〜3,000万円は保障されると聞く。それほど和食は今、世界中で注目されている料理になっている。

周:和食は日本文化の伝播に大きな役割を果たしている。いま中国でも和食は人気で、北京や上海などでは数千店舗の和食レストランがある。毎年数千万のインバウンド客にとって来日の目的の一つが、本場の和食を味わうことだ。

 この和食の進化にワインの役割は大きい。ワインに合う和食作りに一生懸命取り組むことが和食の進化を促すと思う。

 これに対して中国料理は世界で沢山展開しているものの、ワインに合わせる努力がまだ足りない。私がマサチューセッツ工科大学(MTI)の客員教授をしていた時にボストンの何軒ものトップクラスの中国料理店に、ワインに合う料理作りを促すアドバイスをしたが、なかなか進まなかった。中国料理のこれからの進化の一つのキーワードがまさにここにある。

有賀:今、中国は世界の第4位か5位のワイン生産国だ。 

周:ワインの消費量では中国が世界の第1位。私が見ると中国人がワインを中国料理に合わせようと試みたら、中国料理がもっと飛躍すると思う。

 前述した有賀ワインを研究していた私の大学院の学生の、故郷山東省も沢山ワインを作っている。中国も新世界に仲間入りしようとしているが、中華に合うワインを作り出すと面白い展開になるだろう。

 有賀さんが和食と相性の良いワインを作っていることは、和食の進化、さらにはワインの進化を推し進めることにつながっている。ワインに合う素晴らしい和食と、和食に合う素晴らしいワインが日本の文化力を一層高める。

有賀:私は現在69歳で、23年前36歳のときに作ったレストランがある。23年前はやはりワインは洋食に合わせるものだと思い洋食のレストランにした。もしこれから私が新しくレストランを作るとしたら、和食にしたい。

周:この「風」という店では、ヨーロッパ風の建物で和牛を使った料理と有賀さんのワインとの絶妙なコンビネーションが味わえる。そして広大なぶどう畑の景色が楽しめる。最高の店だ。

有賀:店の自慢の料理はローストビーフだ。ローストビーフをわさびとたまりじょう油を使って刺身に見立てる。肉に甲州ワインを合わせる。そうするとみんな驚いて、「お肉には白ですね」と言われるようになったので、ぜひ皆さんも機会があったらお越しいただきたい。長崎の大浦天主堂をモチーフにして作ったレストランだ。

有賀雄二氏が手がけるレストラン「風」

■ 新世界の中の新世界を目指す挑戦と継承


周:ヨーロッパの旧植民地でヨーロッパのぶどうでワイン作りをし、国際的に流通させるワインを新世界ワインとするのに対し、有賀さんは甲州という食用ぶどうを使っている。甲州はワインにとっては異質なぶどうだった。今まで世界で売られているワインのぶどう品種ではなかった。また、山梨の風土は旧世界でもない新世界でもない異質なものである。有賀さんは、その風土で出来た異質なぶどうを研究と工夫とで美味しいワインにし、世界に認められるレベルまで持っていった。

 その意味では有賀さんのワインは、簡単に新世界のワインと位置付けるべきではない。これは新世界の中での新世界を目指したワインだと思う。

 さまざまな新しい課題に挑戦すると同時に、有賀さんのワイン作りは、ヨーロッパの旧世界でも通じ合うコンセプトを徹底的にクリアし、成し遂げた。

 今、三人の息子さん全員がワイン作りの事業を継いでいらっしゃる。新しいワインをご長男が一生懸命美味しく作り、お父さんの味とちょっと違う味を出そうとしているのは、素晴らしい。挑戦する魂はちゃんと遺伝するものだ(笑)。

学生:いま販売されているワインは、学生でも手にとれるような値段なのか?

有賀:日本の場合はコストが高いため、コンビニで売られているワインに比べると私共のワインは値が張る。ただ、うちのワインも実はコンビニに並んでいる。いろいろな窓口に入れるようにしている。一番リーズナブルな価格のものは、フルボトルで1800円ぐらい。一番高いのは6000円。値段が安いから美味しくないということはない。一番おすすめしたいのは2000円に消費税で2200円のワインだ。

 県内いろいろなところから収穫されるぶどうを収穫地ごとにワインにし、最終的にブレンドする。そうすると、単一の場所より味わいも香りも複雑さが増す。量と品質を両立させるためには、ブレンドに値しないものを外せば品質が高まる。

 私どもは2007年のヴィンテージのワインから、田崎慎也さんに私どものワイナリーにお越しいただき、どんなブレンドがいいかを一緒にやっている。私どものワイナリーは山梨で一番多くワイン生産し、品質的にも非常に自信を持っている。そのワイナリーで一番たくさん作っているワインの品質がどれだけ高いかが大事だ。

学生:収穫から商品ができるまでどのくらいの時間がかかるのか?

有賀:ヌーヴォーという収穫した年に発売するワインがある。甲州で作るヌーヴォーは収穫期が大体9月中旬から10月いっぱいだ。収穫期の違いは、盆地の地形がすり鉢状のところで栽培するため、標高の低いところが一番早く熟す。高い方に行くに連れてだんだん収穫期がずれていく。

 ヌーボーは一番の低地で最初に作ったのを9月20日ごろ収穫し、発売が11月3日と結構早い。多くのワインは10月までに収穫したもので、翌年の4月から6月ごろ発売するのが一般的だ。しかし中には樽に入れて長く熟成したり、瓶に入れてあえて熟成を楽しむワインを作る場合は、3年後に発売するものもある。いろいろなタイプを楽しんでもらうといい。

 他にシャンパンのようなスパークリングワインは、炭酸ガスが中に入っている為、他の炭酸ガスが入ってないワインより長い熟成に耐える。酸化しにくい。できれば10年熟成し、熟成を楽しむようなワインにしていきたい。

 甲州は糖分が低い。糖分が低いぶどうは逆にメリットもある。シャンパンは寒い地方だから、ぶどうは熟さない。だからシャンパンも糖度が低い。

 シャンパンやスパークリングワインは糖分が低いので、最初にアルコールの低いワインを作る。そのワインに砂糖と酵母を入れ、それを瓶の中に閉じ込める。最初は王冠にしておき、瓶の中でもう1回アルコール発酵が起きるときに炭酸ガスが出る。その炭酸ガスを閉じ込めたやつがシャンパン。あるいは本格的なスパークリングワインで、これを瓶内2次発酵という。

 それを作る上では甲州はすごく向いている。アルコールが低いワインを作らないと2次発酵がしにくくなる。つまり、最初にアルコールが高いワインだともう1回発酵を起こすのは難しくなる。だから、ベースワインという最初のワインを作るにはアルコールの低い方が都合よく、それに甲州はぴったりくる。甲州は糖分が低いから駄目だと考えず、それが特徴だと考え、メリットを生かしたやり方をすればいい。

 アルコール市場ではウイスキーが大変な人気だが、ワインを蒸留するとブランデーになる。ブランデーに人気が出ないのは何故か疑問だ。ブランデーを作る上でも、ベースワインはアルコールが低いワインの方が良い。甲州は日本固有の品種でいろいろな可能性がある。

2023年11月24日、リニューアルしたワイナリーにて有賀雄二氏

■ 甲府盆地のぶどう畑保全を


周:最近リニューアルした有賀さんのワイナリーは素晴らしい和風建築物だ。

有賀:日本でもワイナリーの数がすごく増えていて、10年前には200社ぐらいだったのに、今はなんと500社を超えた。国内のワイナリーの数が増えて全国各地にあり、いろいろなワインを作っている。甲州は山梨が中心だ。ワイナリーなので建物はみんな洋風だが、私どもは和風な建物で、令和元年に登録有形文化財になった。和風のワイナリーを特徴にしていきたい。インバウンドの方々を迎えた時に畳の部屋でテイスティングできるワイナリーがいい。

周:建物の上に登り、ぶどう畑を眺めるのも爽快だ。

有賀:中央線国分寺駅から1時間乗ると、山梨のぶどう産地の景観が車窓から見えてくる。私は学生時代、世田谷に下宿していて、毎週中央線に乗って実家に帰る時、笹子トンネルを抜け甲府盆地が見えて、気持ちが良くなった。

 八ヶ岳があり南アルプスがあり盆地のすり鉢状の東側傾斜地帯を使ってぶどうが栽培されている。このぶどう畑の景観は、先人が何世代にもわたり我々に残してくれた尊い遺産だ。それが老齢化や後継者不足で、どんどん蝕まれ失われている。レストランへ行ったらアルガブランカがあるか聞いてほしい。あったらぜひ1本飲んでいただき、ぶどう景観保全の手伝いをしてほしい。

 ぶどうの栽培面積が大型ショッピングセンターにならずに、ずっとぶどう畑の形でいられる。それを私はしっかりと守って、次の世代にバトンタッチしていきたい。その手伝いをしてくれたら嬉しい。

 ワインは前述したように、ボトルの裏側に、以上のような背景が隠れている。そして、一つ一つの畑に人間が携わっている。畑とその人に価値をつけることがワインになる。ワインのボトルの裏側にはこうした背景があることを、ぜひ感じ、飲んでいただけたら嬉しい。

(了)

2023年11月24日、ワイナリーの上から眺めるぶどう畑

プロフィール

有賀 雄二(あるが ゆうじ)/勝沼醸造 代表取締役社長

 東京農業大学卒業後、1981年に勝沼醸造に入社。99年に社長に就任し、2006年に山梨県ワイン酒造組合副会長に就任。2023年から同組合会長。

【対談】有賀雄二Vs周牧之(Ⅰ)世界を唸らせる甲州ぶどうワイン

2024年6月6日、東京経済大学でゲスト講義をする有賀雄二氏

■ 編集ノート:

 日本産の日本酒、ウイスキーそしてワインがいま世界を魅了している。東京経済大学の周牧之ゼミは2024年6月6日、有賀雄二勝沼醸造代表取締役をゲストに迎え、国際的に高い評価を得るワイン作りの極意とその道程について披露していただいた。


世界をマーケットに


周牧之:きょうは日本ワインの旗手である有賀雄二さんをゲスト講師に迎え、甲州の地から世界へ飛び込み、日本のワインを一気に飛躍させた物語をご披露いただく。

有賀雄二:祖父が製紙業を営む傍ら1937年、勝沼醸造を創業しワイン造りを始め、私で3代目になる。生産量はボトルでワインが年約40万本、ぶどうジュースが同約8万本だ。

 ぶどうは思いっきり絞ると75%ぐらいまでジュースが取れる。ワインボトル1本作るのに必要なぶどうの量は、1kgだ。私共が使う甲州という名のぶどうは、一房が200gから250gなので、1本作るのに4房から5房必要になる。

 ワインとジュースを合わせると約50万本で、毎年500tのぶどうがないと作れない。山梨県には今、約100社のワイナリーが点在している。山梨のぶどうでワインを作る量では、私どもの勝沼醸造ワイナリーが最大になる。

 ワインは、国際商品だ。どこの国のワインを見ても、生産する自国だけではなく、世界をマーケットにしている特性がある。そういう意味ではワインは国際商品だ。ところが長い間日本のワインは、国内だけで消費されてきた為、ワインが持つ本来の国際商品としての特性を備えてなかった。私共は世界に通ずるワイン、世界のマーケットに通じるようなワイン作りを目標にしている。

2012年3月24日、有賀雄二氏が北京で開催の国際シンポジウム「中国の生活革命と日本の魅力の再発見」にて挨拶

■ 新世界の代表はアメリカ


有賀:ワインの伝統的な生産国を旧世界と言う。それに対して新しい生産国をニューワールド、つまり新世界と言う。旧世界はフランス、ドイツ、イタリア、オーストリア。新世界はアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどだ。

 フランスのワインに次ぐブランドは、いまアメリカのワインと言っても過言ではない。新世界と言われるには一定の法則がある。1976年にイギリス人のワイン商が、アメリカの良いワインを集めた。白はシャルドネというぶどうで作る。赤ワインは、カベルネソーヴィニヨンというぶどうで作る。シャルドネは、フランスのブルゴーニュが産地で、同地の良いワインを全部集めた。カベルネソーヴィニヨンはフランスのボルドー地方が本家本元なので、ボルドーの1級シャトーのワインを集めた。そして、パリでフランス人のワイン専門家を10人集め、前述したアメリカ産ワインとフランスワインを全て目隠しにして並べ、一番いいと思うワインを挙げてもらった。

 結果、選ばれたワインは、白も赤もすべてアメリカのワインだった。フランス人が選んだ結果だから、フランス人はぐうの音も出ない。これが当時ワインの世界で「パリスの審判」と呼ばれた大事件だ。この事件によってアメリカのワインは世界的な注目を集め、ニューワールドの代表になった。

周:それまでの良いワインは基本的に地中海の周辺、すなわち旧世界で作られた。新世界は北米、南米、オーストラリア、ニュージーランドで、そこが植民地の拡張をしていた頃、欧州からワインぶどうが持ち込まれた。本当に認められるワインの味を出せてから歴史的に時間はそれほど経ってはいない。

アメリカワインの一大産地カリフォルニア州ナパ・ヴァレー

■ 甲州ぶどうに特化したワイン作り


有賀:ぶどうは世界に1万種類以上ある。どのぶどうでワインを作っても良いが、問題は産地の風土、つまり自然と、どのぶどうが適合するかを検証していくことだ。それがいわばワイン作りの土台になる。

 ぶどう1万種類を大きく分けると、ワインに向くヨーロッパ系、原産地はジョージア即ちかつてロシア領だった頃のグルジア。一方、ワインに向かないアメリカ系があり、他に東洋系がある。この三つに分かれる。

 東洋系は山ぶどうなどで、アメリカ系はコンコルド、ナイアガラ、デラウェアといったぶどうだ。アメリカがアメリカ系のぶどうでワインを作っていた頃は、アメリカのワインを殊更取り上げて言う人は世界にいなかった。

 ロバートモンダビとスタックスリープというワイナリーが、カリフォルニアにあり、これらのワイナリーがフランスワインをしのぐような良いワインを作ろうということで、ヨーロッパ系の白ワイン用のシャルドネやベルネソービニヨンといったぶどうをアメリカの地に植えた。そうした努力が実ったのが1976年の大事件だ。

 それで私もこのようなぶどうを日本で栽培したいと考え、1990年からヨーロッパのような垣根式栽培で、カベルネソーヴィニヨンを300本、シャルドネを300本植えた。日本の風土で、たとえ一樽でも最高のものが出来ればという思いで、私自ら栽培し、懸命にやってきた。

 私は子供が4人いて、一番上は女の子、下の男の子3人がワイナリーを一緒にやっている。長男はフランスのブルゴーニュ、サヴィニー・レ・ボーヌにあるシモンビーズというワイナリーで4年間研修をしてきた。

 長男はフランスから帰ってきて3年後、私がせっかく植えたシャルドネとカベルネを全部抜いて、全て甲州に植え替えてしまった。日本では棚式栽培が一般的だが、シャルドネとカベルネはヨーロッパのような垣根式でやっていた。日本は雨が多く、降った雨の水分が下草から蒸散する。ぶどうはその水分の影響で病気になりやすくなる。長男がこれを抜いた理由に「ここまでやっても、フランスのワインに勝てるようなものは作れない」という思いがあった。「うちは甲州に特化したワイナリーになるんじゃないのか」と息子に諭され、ワイン作りが何かということに、逆に気付かされた。

周:ヨーロッパから持ち込んだワインぶどうを使うこれまでの新世界ワインの作りと違うコンセプトで、世界に通用するワインを作る大きなチャレンジだった。

勝沼醸造ワイナリー前に広がるぶどう畑

■ 感動とブランドで勝負


有賀:日本の風土、あるいは私共の山梨県勝沼の風土は、ぶどう栽培に最適な条件とは正直言い難い。より良い場所を求めれば世界にたくさん良い場所がある。効率だけ求めたら最適な場所に行って作った方がいい。

 少々哲学的な言い方だがワインは自然と人間が向き合うことだ。ぶどうに傘掛けなどの手間をかければ、コストは世界一高くなる。日本産ぶどうでワインを造るには厳しい現状がある。日本のぶどうだけでワインボトルを一本作るなら2000円以上の値段をつけないとワイナリー経営は難しい。

 しかし市場で売れている2000円以上のワインは6%しかない。日本のマーケットで圧倒的に売れているのは、コンビニなどで買える一本500円から700円ぐらいのワインで、それが5割を占める。

周:シビアな日本のワインマーケットでは、感動とブランドで勝負するしかない。

有賀:コストが高いと競争力がないのかといえば、そうではない。物の価値は驚きで決まる。コストよりも驚きや感動が大きいものを作る必要がある。これは一つのポイントだと思う。

 ものの価値を決めるのに、コストで決める部分も常にあるが、やはり驚きや感動に訴えかける物作りをしていかないと続けるのは難しい。

アルガブランカ(出典:勝沼醸造ホームページより)

■ シルクロードで日本に渡来したぶどう


有賀:日本古来のぶどう品種である甲州ぶどうは、1300年前に仏教と一緒にシルクロードを通り中国から日本に渡来したと考えられている。勝沼の町の東に国宝の寺があり、薬師如来がぶどうを携えている。甲州ぶどうは、718年にこの国宝の寺を開いた仏教僧の行基が、当時薬として伝えたとの説が有力だ。

 1300年も前の話だから明確な根拠はないが、最近はDNA鑑定ができるようになり、カリフォルニア大学や、広島の国立の酒類総合研究所でDNA鑑定したところ、甲州は中央アジアのコーカサスが原産地だと証明された。中国で刺ぶどうと呼ばれる、ぶどうの蔓にトゲが出るぶどうがある。それと交配されている。25%それが混ざっているからこそ、日本の厳しい風土、厳しい自然に耐性を持ったと思う。私どもは、この甲州ぶどうで世界に通ずるワインを作る目標でやってきた。

周:甲州ぶどうは、元はヨーロッパからシルクロードを通り中国に来た。甲州は今日に至るまで連綿と栽培されてきた。唐の時代、中国の人々はワインを飲んでいた。唐の偉大な詩人、李白の詩の中にもワインの話題が沢山出てくる。だがやがて中国にワインがなくなってしまった。いま中国の酒となると茅台など白酒や紹興酒など黄酒だ。

 甲州ぶどうは日本での1300年以上の歴史を経て食用ぶどうになった。このぶどうを用いて、日本ワインを世界に認められるものにしようとした有賀さんの発想は凄かった。これを実現するには大変な努力が必要だった。

リニューアルしたワイナリー内部

■ 革新的な冷凍果汁仕込み製法


有賀:白ワイン用であれば有名なシャルドネ、リースリング、ソーヴィニヨンブランなど世界で有名なぶどうは沢山あり、そうしたぶどうとこの甲州ぶどうを比べると、甲州はちょっと糖分が低いデメリットがある。

 山梨にある100社のワイナリーのうち、勝沼町に40社が集中していて、そうしたワイン作りの仲間と話すとき、仲間はいつも「甲州はね」と言う。シャルドネ、リースリング、ソーヴィニヨンブランなど世界で有名なぶどうには敵わないという意味で、「甲州はね」と言っていた。それが私はすごく嫌だった。世界に通用しないワインしか作れないなら、早くこのぶどうを諦めて、他を探す必要がある。だから私は甲州で作るワインが、世界を舞台にできるかどうかを検証したい思いから、他のワイナリーとは違う作り方を考えた。

 また、みんなが甲州は他のぶどうに敵わないと言うのは、糖分が低いことが原因ではないかと考えた。

 つまり、伝統的な日本のワイン作りはぶどうを搾り、ジュースを作り、糖分が足りないから砂糖を入れる。アルコールの原料は糖分だ。酵母が二酸化炭素とアルコールに分解して、アルコールが出来る。例えば米、麦、芋、そば等の穀類を原料にしている酒は、実は糖分がない。だから穀類のデンプンを一度アミラーゼという酵素で糖分に変え、それをまたアルコールに変えることをする。しかし穀類は水分がない。だから必ず水が必要になる。

 私がよく山梨でワイン作っていると言うと、「山梨は水がいいですものね」と言われるが、ワインは水を使わない。ワインはぶどうを絞ったジュースの中の糖分をアルコールにするだけだ。ぶどうが持つ糖分によって、出来たワインのアルコール度数は決まる。水は一切使わない。糖分が低いぶどうは、ワインにしたときもアルコール度の低いワインしか作れないため砂糖を補ってきた。

 それに対して私が考えたやり方は、冷凍果汁仕込みというやり方だ。一般的なワインは15度ぐらいしかないのを、22度に補填するやり方だ。甲州を絞ってジュースを作ると75%ぐらいまで取れる。私が考えたのは75%取るときに圧力を加えずに取るジュースと、加えて取るジュースを二つに分ける。加えないで取るジュースをあえて凍らせる。凍る時は水分から凍るため、凍った氷を取ってしまい、溶けているところだけを集めると、ジュースは濃くなっている。そうして砂糖を入れず濃いジュースでワインを作ることを私共のワイナリーは1993年からやっている。

周:冷凍果汁仕込み製法は、東京農業大学醸造学科卒の有賀さんだからこそ出来た一大イノベーションだ。

勝沼醸造ワイン工場

■ 国際的に認められるワインに


有賀:世界中にワインコンクールがたくさんある中で、2003年にフランス醸造技術者協会が主催する国際コンクールに初めて出品した。世界35カ国から2300種類も出品される中で、初めて銀賞が取れた。翌2004年にも続けて取れたので、甲州で世界に通ずるワインができると自信がついた。

周:有賀さんのワイン、そして山梨のワインが世界に躍り出た瞬間だった。

有賀:フランスを初め、イギリスやスロベニアなど世界中のワインコンクールで、我々の甲州ワインが入賞することが珍しくなくなった。

 その頃から、「お宅の甲州はおかしい、甲州らしくない、変な甲州」と言われるようになった。変な甲州でないと世界には通じない、あるいは変な甲州を作るのが、我々の目標だと気づかされた。それで、我々は2004年、甲州ワインの新しいブランドを発表した。アルガブランカというシリーズだ。アルガは私のファミリーネームでブランカはポルトガル語で白の意味だ。

 ワインの瓶のラベルをエチケットと言う。ラベルに、何年の収穫で、どこで採れて、何の品種かをしっかり書くのがエチケットだということから来ている。このエチケットにはどこにも甲州とは書いていない。他の甲州ワインの多くが漢字で甲州と書いてある。うちのは変な甲州なので、甲州と書かず、アルガブランカにした。ブランドコンセプトはあくまで変な甲州だ。

勝沼醸造の入賞歴(出典:勝沼醸造ホームページより)

■ テロワールで世界へ


周:私の大学院の学生が、有賀ワインのテロワールを研究して、修士号をとった。テロワール(terroir)とは、もとは「土地」を意味するフランス語terreから派生した言葉で、気象条件(日照、気温、降水量)、土壌(地質、水はけ)、地形、標高などブドウ畑を取り巻くワイン産地の自然環境的特徴を指す。フランスワインは、よくこのテロワールをブランドにしている。例えば、ロマネ・コンティ、ムルソー、モンラッシェなどは産地名をワインの名前にしている。有賀さんは日本で初めてテロワールのコンセプトを使い、アルガブランカ・イセハラというワインを売り出した。

有賀:山梨県内各所に甲州を栽培する場所は沢山あり、少し前までは、収穫場所に因ってできるワインに違いがあり個性があるという考え方はなかった。そこに一石を投じたのは、アルガブランカ・イセハラというワインだ。山梨の笛吹市御坂町の伊勢原というところから取れる甲州でワインを作ると、それまでの甲州ワインの概念を全く変えてしまうような、全く違う形のワインができることを発見した。

 イセハラは、天皇陛下の即位の礼に採用されたワインだ。ANAのファーストでも出している。甲州の中では実に特異で世界の人がびっくりするような良い味わいになっている。

周:イセハラは天皇陛下の即位の礼に採用されたことでまさしく日本ワインの顔になった。

※後半に続く

天皇陛下の即位の礼

プロフィール

有賀 雄二(あるが ゆうじ)/勝沼醸造 代表取締役社長

 東京農業大学卒業後、1981年に勝沼醸造に入社。99年に社長に就任し、2006年に山梨県ワイン酒造組合副会長に就任。2023年から同組合会長。