編集ノート: 地域の空洞化、東京への一極集中、情報革命とグローバリゼーション、そして待ったなしの環境問題—地域と大都市をとりまく課題をどう見据え、発展への道のりをどうさぐるかー。東京経済大学と一般財団日本環境衛生センターは2017年11月11日、学術フォーラム「地域発展のニューパラダイム」(後援:環境省、一般社団法人場所文化フォーラム)を東京経済大学大倉喜八郎進一層館で開催し、地域活性化への多様な方向性が提示した。ここで「セッション1:地域と環境」のディスカッションを振り返る。
東京経済大学 学術フォーラム:地域発展のニューパラダイム
日時: 2017年11月11日(土)主催: 東京経済大学、一般財団法人日本環境衛生センター場所: 東京経済大学 国分寺キャンパス 大倉喜八郎 進一層館(東京都選定歴史的建造物) 後援: 環境省、一般社団法人場所文化フォーラム
セッション1:地域と環境
司会: 南川秀樹 東京経済大学客員教授/一般財団法人日本環境衛生センター理事長/元環境事務次官
パネリスト: 田中幹夫 富山県南砺市長鈴木悌介 鈴廣かまぼこグループ代表取締役副社長信時正人 横浜国立大学客員教授袖野玲子 慶應義塾大学准教授
総合司会: 尾崎寛直 東京経済大学准教授
開会挨拶: 堺 憲一 東京経済大学学長/東京経済大学教授/経済学博士
※肩書は2017年当時
■ 地域の発展、再生、活性化のために
堺憲一 本日は、私どもの学術フォーラムに、たくさんの方がご参加を頂き大変ありがとうございます。
開催に当たり、皆様にお礼を申し上げたいと思います。もうおひと方の主催者一般財団法人日本環境衛生センター、後援団体の環境省、そして場所文化フォーラム、いずれの皆さまありがとうございます。
中国からお越しいただいた中国第13次5カ年計画専門家委員会杜平秘書長はじめ中国のさまざまな分野でご活躍のキーパーソンの皆さま、中国大使館公使参事官のお二方にお礼を申し上げます。
本学の周、南川、尾崎の3名の教員が実行委員会を作りました。尚、南川秀樹先生にはとても嬉しいニュースがございます。中国政府から、中国の首相に直接アドバイスを行う中国の環境と開発に関する国際協力委員会の委員にご就任され、おめでとうございます。このメンバーは、世界の主要国の中で各一人だけ選ばれる大変重要なポストです。
本学は2020年に、創立120年を迎えることになります。今回の運営に当たり非常に大きな役割を果たしたのは、周ゼミの学生たちです。いろいろ至らないところはあるかとは思います。周先生の方針で、教育の一環で行っております。ひとつ温かい目で見てやっていただきたくお願い申し上げます。
開会挨拶する堺憲一東京経済大学学長
尾崎寛直 セッション1は、司会を南川先生にお願いをしております。南川先生は、まさに環境省が環境庁として発足する当時の頃に入庁され、環境事務次官をお務めになり、そして現在は、日本環境衛生センター理事長です。
第1フォーラムのセッションのパネラーの皆さんをご紹介申し上げます。皆さまから向かって左手、田中幹夫様です。富山県の南砺市の市長をお務めです。2008年より現在3期目で、南砺市は皆さんよくご存じのところで言えば、世界遺産の合掌造りの集落です。あれで有名な利賀村が合併されて南砺市の一部になっています。
向かって右手、鈴木悌介様です。鈴木様は、慶応元年、1865年から続く小田原のかまぼこの老舗、鈴廣かまぼこ株式会社の代表取締役の副社長です。副社長の重責の傍ら、日本商工会議所の青年部会長をお務めになり、また場所文化フォーラムの理事等を歴任され、地方創生に大変造詣の深い方です。どうぞよろしくお願いします。
そのお隣、信時正人様です。三菱商事、日本国際博覧会協会、東京大学特任教授等を経て、2007年より横浜市にお勤めで、温暖化対策の統括本部長、環境未来都市推進担当理事等を歴任され、現在株式会社エックス都市研究所理事です。どうぞよろしくお願いします。
そのお隣、袖野玲子様です。慶應義塾大学環境情報学部准教授です。もともとは環境庁にお勤めになられ、環境庁地球環境局の環境保全課課長補佐等を歴任され、2015年より現職です。よろしくお願いします。
総合司会をする尾崎寛直東京経済大学准教授
■ 地域経済と環境の両立の事例
南川秀樹 ご紹介いただきました南川でございます。今日は多くの方に来ていただきありがとうございます。また、中国からも杜平さんはじめ、大変お世話になっている方に来ていただき、本当にありがとうございます。先ほどご紹介いただきましたが、私もますます中国とのご縁が深くなりました。環境という問題を通じて、日中の友好がより深まるように努力をしてまいります。どうぞよろしくお願いいたします。
冒頭に全体の地域と環境の考え方として、何を考えているかについて簡単に報告をさせていただこうと思います。ちょっと見にくいですけど、よろしいですか。
まず経済と環境というのは両立できるんだというところから話をさせていただきます。当然ながら地域の問題も絡んでくるわけでございます。こういう問題、実は今に始まったわけではなく、かつて長くございました。明治以来、日本の経済成長の発展が始まったときから経済と環境と地域という問題は、常に背中合わせになったり、あるいは握手をしたりして進んできたという歴史があります。
非常に残念な例から申しますと、足尾銅山の例です。田中正造の「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」という遺言があります。
事件は皆さんご存じだと思いますので省きますが、要は明治の中頃から後半、大正にかけて、古河鉱業の操業で出てくる、精錬による大気汚染、あるいは廃棄物が川に流れ込む中で、渡良瀬川が汚染され、下流の渡良瀬地域が全てさまざまな有害金属で汚染されました。そういう中で、田中正造以下が戦って結局敗れ、環境も壊れましたけど村も敗れたということで、まさしく経済発展のために地域を壊した残念な事例です。
これが当時の足尾です。私も役所に入ってすぐに足尾に参りましたが、残念ながらそのときは山も裸に近かったということで、非常に対策が遅れた残念な事例です。
いろんな例がございます。さまざまな形で問題を克服した、地域と環境と経済をうまくマッチングさせた例もあります。これは別子の銅山で、愛媛にあります。新居浜地域ですがもともとは別子銅山から取った銅の精錬過程で、新居浜にある工場からの煙で大変な汚染が広がったということです。
当時の住友の総領事の、伊庭貞剛さんが大変な努力をされました。まず沖合20kmにある四阪島に精錬所を移転しました。その上でさまざまなトライをして硫黄分を減らす。さらに硫黄分から硫酸を作る。そういった努力もされ、荒れ果てた別子の山々も速やかに回復されたという事例で、全て自らの判断で行ったということです。
これがその当時の写真です。私元来この問題に関心を持ったのは、仕事の関係で皇居に行くことが多く、皇居に行くと楠木正成の銅像があります。この下の看板を見ますと、別子銅山から取った銅で作ったと書かれておりまして、それで非常に大きな関心を持って現地にも訪れました。
今はこういう形で、非常にきれいな山になっております。こうしたことを経て現在の住友化学、住友林業という会社になったということで、後の経済発展にもつながった事例です。
同様のことは、実は日立についても言えます。日立製作所のルーツがここにあるわけでして、日立銅山、鉱山が大変な環境問題を引き起こす中で、経営者が地元の青年たちと協力し合い、ぶつかり合い、なお協力し合って、一番下にその精錬所があります。
そこから三百数十メーター、ムカデ煙道という煙道で上へ上げます。山の上からさらに折れたあとに、150mを超える煙突を造ります。いわゆる逆転層が起きても、その上に飛ばし、被害を減らす努力をされております。そういった日本で初めての高層気象観測を含めて対応しました。技術者のひとり小平氏がこの地に日立製作所をつくったという事例です。
これが新田次郎の小説になっています。165mの煙突で、関という大変な秀才で旧制一高に通った青年が地元の公害問題を戦っていくという話です。会社の社長も政府の勧告とは関係無しに、高い塔を造る。そして高層気象観測を行った上でこの煙突を造って問題の解決に尽力したという話です。今の日本が忘れてしまったアントプレナーと若者の心意気が如実に伝わってくる物語です。
ぜひ本を読みたいなと思っています。新田次郎さん自身がもともと気象の専門家ですので、高層気象について深い洞察が書かれています。
■ 水俣の大被害から規制強化へ
南川 戦後、大高度成長の時代でございます。1955年から73年、約20年弱に平均10%という世界まれに見る高度成長を達成しました。循環工業をはじめとした設備投資、技術各種、そういったことによってコミュニティーを灯してきたわけですが、片や大変な環境汚染の深刻化という問題も出ました。
当然ながら経済成長で生活は豊かになります。いわゆる三種の神器ということで白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が飛躍的に普及をする中で、多くの国民が豊かになり、生活も豊かになりました。
反面、さまざまな問題も起こりました。特に残念な事例が水俣です。あまり詳しくは延べませんけれども、私自身この問題を長く公務員として担当していました。非常に残念です。特に胎児性の水俣病患者の方をたくさん見ました。本当に目を合わせるのが申し訳ないような悲惨な状況で、生まれ落ちたときから立って歩けない、目が非常に不自由な方です。今若い方ですと、50歳ぐらいの方がおられます。窒素によって成り立っている町、水俣でありながら、町を壊し住民を殺し窒素を生産したことが非常に残念です。
たまたま今朝、日経新聞を見ておりました。私はいつも5時半に起きて、5kmほど走ってから日経新聞を読むのが趣味でして日経新聞見ていましたら、たまたま今上天皇のことが書いてございました。その中に、水俣の問題が沖縄と並んで大きく出ております。これ感動したものですから読みますと、「真実に生きるということができる社会を皆でつくっていきたいものだと改めて思いました。今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています」。これは僕も知っていたんですが、その後に「事前に用意した文面ではなく、困難な道を歩む、困難な生を歩んだ人々を前面に、足跡で吐露された心情だ」と出ております。
非常にこれを見て私感動しまして、朝から涙ぐんでおったわけですけれども、逆にそれぐらい窒素が水俣においてやったことは多くの国民を苦しめ、また町を破壊したという残念な事例です。
それから、これはもちろん経済的に言えば非常にマイナスです。チッソにとってもマイナスでございまして、普通に対策をとれば1年に1億円ちょっとで済んだものが結局、保証額とか汚染対策ということで、年に126億円。やはり対策は、問題が分かってすぐ取ると安く済むということが証明できたと思っております。
当時は、やはり日本の社会自身がまだ若うございました。そういう中で多くの設備投資がなされております。この図にございますように、1970年には全ての民間設備投資の6%が環境汚染対策投資、75年には17%ということでございます。やはり高度経済成長の果実があったからできたと思います。
もともと大気汚染や水の清らかさ、さらに自然の美しさというものは経済の外にあります。つまり市場では取引できないものでが、これを内部化する。そのためには税とか、あるいは規制とか、あるいは補助金とかいろいろございますけれども、多くは、まずはその規制、そして補助金となっていったわけです。
規制は1970年から急に強化されます。やはり1970年にいわゆる環境対策国会というのがございました。これはいわゆる四大公害裁判の結論が出る前ですが、やはり当時の佐藤栄作総理、あるいは山中貞則長官いう大変大局観がある政治家がおられたということは、言ってみれば、規制という形で費用を内部化することに大きな貢献があったと、私自身は感じています。
もちろん、日本の企業も若かったわけでございます。典型な例では米国のマスキー法です。ロサンゼルスはじめ、アメリカにもさまざまな環境問題ございましたが、特に光化学スモッグが大きな問題になりました。そして、マスキー法という法律ができまして、それによって5年間で車から出てくる汚染物質を10分の1に減らそうと決まったわけでございます。ところがアメリカではビッグスリー等の反対でつぶれてしまう。
日本はいろいろ最初行いましたが、結局ホンダをはじめ、いくつかの企業はトライします。そして適合するものを作ったということですし、そのときに徹底的に内燃機関の勉強を深め、知見を深める中で、いわゆる大気汚染対策だけではなく省エネルギーにつながるような改革もでき、それがその後の自動車産業の大きな発展につながったと考えております。
これがその通時の経緯です。シビックという車で、本田宗一郎をはじめとした大変な努力によってできたということで、これから日本の車の時代が始まりました。
■ 遅れをとる日本の温暖化対策
南川 次に、温暖化でございます。ご承知のとおりでございますけれども、左側の図は、これは上が地上の平均気温、下が海面の上昇でございまして、当然ながらこれだけ数字が上がっています。それから右側は北半球の積雪面積が減っています。さらに北極海の海氷が減っています。ということで、明らかに影響が出ているということでございます。
実はいろいろなリスクが、たくさんあります。農業から災害、さらに健康という面で多くのリスクがあり、難民も出ます。この中でパリ協定が合意されまして、2年前でございますけれども、パリは大変な動乱の中で会議が開かれたということで、フランス政府の努力に敬意を払いたいと思います。その中で、パリ協定が昨年11月に発効されました。
全世界の中で目下加盟してないのは、実はシリアだけです。あとは困ったことに、トランプ大統領のほうでアメリカが脱退すると宣言されていますし、さまざまな大きな摩擦が今あるところです。いずれにしてもパリ協定をきちんと守ろうと、そして産業革命から比べて2℃以下にその上昇を抑えよう、できれば1.5℃にする。そのためにはできるだけ早くCO2等のガスと吸収のバランスを取りたいということです。
カーボンバジェットということもあります。要は気温上昇を2℃で抑えるためにはあと残りが約1兆トンしかない。そういったバジェットという観点から残り少ない排出量、許される排出に、いかに抑えてくかの発想が大事です。従って、その後に下げ止まりになるようなことはやめよう。石炭火力をばんばんつくるとか、非常に環境負荷が大きいインフラ都市構造についても、ぜひ考えてもらいたいということです。
その中で、一つの目安として炭素生産性を上げていこうということでして、炭素当量当たりのGDPを増やす。要はCO2等を出さないで、いかにGDPを上げていくかということです。いろんな都市が努力をされています。
残念ながら、1人当たりの排出量を見ます。日本は赤でして、あまり減っていない、なおかつヨーロッパの国と比べると高いということもあります。アメリカでは少ないということです。ただし、隣に1995年のデータがございますけれども、残念ながらCO2の下がり方は、日本は一番少ない。ある意味で成績が悪いということが言えるわけでございます。
炭素生産性についても同じことが言えます。あまり芳しくないということでございます。先日の日経にも出ていましたのは、GDP成長率とグリーンハウスガス、温室効果ガスの変化を見ると、日本は経済も成長していないし、炭素の排出量もあまり減っていないということです。残念な数字が出ているわけでます。CO2はこれからどんどん増えてまいりますけど、その中で経済成長はしているというわけでして、経済成長をしながら世界的にはCO2排出量は横ばいです。
これはちょっと大事です。後でまた出ますけれども、今、脱炭素化に向けてさまざまな経済対策が世界で取られています。その一つがESG投資でございまして、環境と社会、企業統治いうものについて、投資あるいは逆に投資を撤退するという大きな仕様になっております。ヨーロッパ、アメリカでは、これに対する投資が非常に大きな額を占めていることだけ知っていただきたいと思います。
累積排出量をどんどん減らそうということで、積分の世界でいかに排出を減らすかということが大事になっていきます。再生エネルギーですけれども、非常に日本も伸びてきてはおりますが、まだまだですし、太陽光を中心で風力、風火、それ以外についてはあまり伸びてないというのが現状です。
残念なのは、実は太陽光だけではなく、風力も、バイオマスも少しずつ増えてきていますが、その中で日本のシェア自体は減っています。特に日本の企業のシェアは減っていまして、国内ですら、実は太陽光発電にしても、風力にしても、バイオマスのボイラーにしても、ほとんど日本企業の製品が使われてないという残念な実態があります。
これは太陽電池のセルの販売でございますけども、かつては日本も1位2位を占めていました。2010年頃にはシャープ、あるいは京セラという所がベスト10に入っておったわけでございます。今はトリナとか、JAソーラーとか、あるいはハンファQセルズとか、中国、韓国こういった所の企業が世界のトップを走っています。
残念ながら、日本の企業の影はどんどん薄くなっております。太陽電池だけじゃございませんので、風力発電、バイオマスボイラーについても、日本企業の製品というのは日本の発電に関わる企業ですら使わない、使えないというのが残念ながら実情でございます。
スピーチする南川秀樹東京経済大学客員教授
■ 環境省に原子力規制委員会
南川 そういう中で環境省のほうで長期ビジョンをまとめています。ぜひ皆さんにもご覧いただきたいと思っております。ポイントだけ言いますと、一つはエネルギー消費量を減らしましょう。それからできるだけ、それぞれ低炭素化しましょう。その中でも電気は非常に低炭素化しやすいということで、電気の割合を増やそうということです。
発電のことについて言いますと、CO2が出ない再エネ、あるいは原子力、それからCCS無しじゃなくて、これはCCS付きです。間違っていますが、CCS付きの火力発電ということで、一番下の部分がCCS無しの火力発電もガス発電はあるだろうと想定し、9割の発電を要はCO2が出ない形に持っていきたいということです。暮らしも移動も同様です。
震災後、結果的には行政措置が大きく変わり、かつて経産省のエネ庁の下にあった原子力保安委員会委員、内閣府にあった原子力安全委員会というものが、全て環境省の外局として今、原子力規制委員会です。
私、当時その責任者していて言われたのは、経産省からどこに置くのがいいかという議論があり、内閣府という意見もありましたが、内閣府は経産省の影響が強すぎる、あるいは原子力安全委員会はもとは内閣府にあったということから、結局、経産省から一番遠い環境省、ということで置かれたと承ったわけです。自分が動いたわけではないですが、そんなことで今やっています。中国でも、環境省に原子力関係の規制組織があると承知しています。
独立性の高い委員会ということで活動しておられます。規制基準を新たにしまして、今や世界のトップクラスということでございます。田中委員長も先日退任されましたけれども、科学者の誇りを持ってこの基準を作られ、審査に当たられてこられました。最後に本人が退任される前に、柏崎刈羽のゴーサインを事実上出して退任されましたけれども、彼自身は、大変自信と誇りを持ってそうしたということでございます。
■ 環境倫理の確立を
南川 生物環境も実はお金の問題が難しゅうございます。大気とか水の問題、まだすぐ目に見えるんですが、いかに生物や自然というものを経済に入れていくか。経済官庁から一番遠いものをいかに入れるかということが、実は生物多様性の骨子でございます。自然を守ること、それから生物の多様性、遺伝子を守る、種を守る。それがいかに経済的にもペイするかをしっかり入れたいということが、もともと生物多様性条約の根幹でございます。
そういった観点から名古屋で会議が行われまして、大きな成功を見たということでございます。これが名古屋議定書の内容でございます。これは新聞等でご覧いただきたいと思います。いかに生物の恵みを産業活動に生かすかということで、逆に提供国にも利益を一部還元する。従って、資源を守る国についてはメリットがあることをはっきりと出したいということで、こういった議定書があるわけでございます。
さっき森本さんから話がありました。国立公園も同じでございます。国立公園を立派にしようということでございます。規制だけでは守れません。その中で特に外国人のインバウンドも含めて想定して、立派にしようということでございますが、立派にするということは逆に看板をきれいにしたりということではございません。自然をきっちり守るということが必要なわけでございます。自然をきっちり守れば海外からお客さんがたくさん来て、お金も入るということでございまして、守ることはつまり経済的な豊かさにもつながるということを、ぜひこういったところから果たしていきたいと思うわけでございます。
もう一つは、今年、妙高戸隠連山国立公園ができました。その開所時に呼ばれ、入村市長、月尾嘉男先生、竹内和彦先生等と一緒に行きました。隣に石の看板があります。国立公園ではなく生命地域発祥の地というように彫り込んであります。
これは市長の発議で、国立公園というのはもちろんお金もあるけれども、お金だけではなく生命地域の発祥の地という、市の倫理です。要するに環境を倫理に入れて、それを市の精神的なよりどころにし、また経済発展にも使っていきたいということで、さまざまな動きが行われています。従ってお金も大事ですけれども、環境というのはお金だけでは守れないところがございます。環境倫理を、もう一つ打ち立てていくことを強く感じております。
■ 大気汚染と温暖化対策で日中協力を
南川 最後、中国でございます。これは今の日中センターですけれども、環境友好センターです。かつて竹下総理と李鵬首相が握手をして合意をしたということで、北京の日中友好環境センターを中心に、さまざまな友好行事が行われております。そういう中で合意の文書も作られましたし、その後トキの問題、大気汚染と温暖化の問題のコベネフィット協力なども行われるところでございます。
現在、特に中心になっていますのは、大気汚染の協力で、中国の多くの都市と日本の都市が結びついて、連携しながらこの問題に考えていこうということで、各地域の経験を私どもセンターも関わっていますけれども、中国と一緒に勉強しながら、どうしたら中国の大気が改善できるかということを一緒に研究しているところでございます。
僭越でございますが、先月中国に参りまして、中国で日本の環境問題ということで出版をいたしました。多くの方に読んでいただいて大変光栄です。ぜひ中国の方との親交を深めながら、中国の環境保全に尽力をしてまいりたいと思います。
日中韓3国での大臣会合も頻繁に行われています。中川大臣もこの問題大変関心を持っておられます。ぜひ日中韓の協力の中で、環境問題を改善していき、環境問題を一つのコアにして協力を深めたいと思っております。
■ 南砺市のエコビレッジ構想の取り組み
田中幹夫 ご紹介いただきました、富山県南砺市長の田中でございます。このような所に住んでおります。私、場所が多分皆さんお分かりじゃないと思うんですけれども、富山県の南西部、隣が金沢市、そして南が白川村と飛騨市で、石川県と岐阜県のちょうど挟まれた、そういった場所でございます。
今日は本当に素晴らしい学術フォーラムに呼んでいただいて感謝を申し上げます。また中国の皆さまがたにお会いできたということも本当に嬉しく思いますし、この花の横で先ほどから素敵な香りがずっとしています。ありがとうございます。中国との関係は、私の大好きな紹興市と今、姉妹都市を結んでおります。我々の故郷から出た松村謙三先生と周恩来先生が仲良く、日中友好の礎を築いた関係から、紹興市との姉妹都市関係を結んでいます。
それでは南砺市の取り組み、まさにアクトローカリー、地域から何ができるかを今実践しておりますので、少しその辺りの紹介をさせていただきたいと思います。南砺版の「エコビレッジ構想」を、市として計画しました。
これは2011年の3月11日、東日本大震災が発生したその年に、今吉澤さんもいらっしゃいますが、ローカルサミットを南砺市で開催しました。そのとき南砺からの発信をするためには、やはりエネルギーやさまざまなものまで、小さなエリアで循環できる地域デザイン計画をしようではないかと。その中でエコビレッジ構想をつくることにしました。
ちょっとヒッピーのようなイメージもあったのかもしれませんが、我々は南砺市版のエコビレッジ構想づくりで、自然と共生し、環境への負担が少ない暮らしを営む共同体、そして地域の自給率を高めようと考えました。私たちの市には、世界遺産の合掌集落がございます。白川郷と五箇山の合掌造り集落が、1995年の12月に世界遺産登録に至っています。その集落において、循環型がしっかりと小さなエリアで保たれてきている、そういうものが評価されたと思っています。それをシンボルとして市全体に広げていこうということです。
この小さな合掌造りの世界遺産の部落、四つの町と四つの村が、平成16年に合併してできたのが南砺市です。町の人と山の人、また途中にいる中山間地の人、平野の人、いろんな人たちが一緒になってこれから町をつくっていこうということでしたので、こういったものを立ち上げました。
なぜエコビレッジなのか。先ほど少しお話しさせていただきましたが、経済優先社会がこのまま進んでいってはいけないのではないか、また自然の大きさの、いろんな災害が発生しているではないか。そして人間関係も非常に希薄になってきて、今まで我々は「結」という、隣近所みんなで協力し合って暮らしてきて、その中で豊かな暮らしを得てきたと思うのです。また上流から、きれいな水をちゃんと下流の家の人たちの所へ流してあげる、そういう関係性も非常に豊かで幸福感を感じていたわけですけれども、やはり人と人との関係も薄くなってきたのだと思います。
そういう中でもう一度、自然と共生し、先ほど言いましたけれども、とにかく地域が自立するためにはどうあるべきか考えましょうと。新しい暮らし方をやはり発信していこうではないか。地域資源、人、物、文化、情報、お金、こういったものを地域の中で循環させていこうではないかと、こういうことでプランを作らせていただいたわけです。
■ 市民が幸福感を得る街づくりを
田中 小さな循環による地域デザインということで、南砺市のエコビレッジ構想を平成25年の3月に策定をさせていただきました。再生可能エネルギーによる地域内エネルギーの自給と技術の育成。農林業の再生と商工観光業との連携。健康医療、介護福祉の充実と連携。未来をつくる教育、次世代の育成。ソーシャルビジネスやコミュニティービジネスによるエコビレッジ事業の推進。そして森里山の活用。こういったことで基本方針を六つ掲げさせていただきました。
実は地方創生など、私が2期目ぐらいの選挙のときにいろいろとつくってみたのです。私は市民の皆さんの幸福感を高めることが仕事だと思っていますし、南砺に暮らす人たち、もしくは南砺の価値を高めるのが私の仕事で、道路を造ったり水路をつくったりだけが仕事ではないと言い続けていました。それでだいぶ反発を食いまして、「道造るのが仕事だろう」とかいろいろ言われましたけれども、そうではないと。いろんなことをしながら、トータル的に市民の皆さんが幸福を感じる街づくりをしていかなければならないのです。
それと最近は合併しましたので、いろんな施設がたくさんあります。私たちは今まで、この次の時代に何をつくっていくかということではなくて、私たちは次の世代に何を残していけばいいのかという発想から、今後街づくりを考えていかなければなりません。
これは合掌造りの家をイメージしています。屋根があって、柱があって、地盤があって、基盤があって、ここにちょうど家で言うと基礎ですね、基礎石。この辺りにエコビレッジ構想というものを掲げて、その上に政策の4本柱を立ち上げていき、人口ビジョンだとかいろんな政策を組み上げていこうということです。私が一生懸命しゃべっていても、職員の皆さんがなかなか分からないということで絵に描いてみましたが、「余計に分からない」と言われまして……。そういうものでございます。
これもエコビレッジ構想の柱でございます。命だとか、賑わいだとか、自然エネルギーだとか、元気農業。この後のセッションで、太田住職という私の尊敬する南砺市の太田住職が、いろんな命とかそういったところどんどん発信されます。
大きくいくつかありますが、まずは子どもたちと一緒に「エコビレッジ部活動」というものを市内の高校生、中学生と一緒に取り組んで、勉強会をする活動をしております。また最近は、環境省の皆さんが本当に興味を持って取り組んでいただいています。エコビレッジモデル事業の「オーガニック街道」というすごい街道をつくって、ここで農業をやっている吉田さんという大変素晴らしいカリスマ性のある方と一緒にチームを作って、いろんなバイオマスを利用しながら農業をしています。既にそれも動いています。
そして木質エネルギーの利活用、この後また少しずつ詳しく書きますが、エコビレッジ住宅、エコビレッジのそういったコンセプトを持った住宅地を造成しようではないかと。向こう側に行きますと、我々の合掌造り集落のある村でございますが、一つ一番古い合掌造りの家屋が、モデル事業をやる桜ケ池という所にあります。それをこれからリノベーションし、シンボルの一つにして広げていきたいなと思っています。
まずは森林活用事業ということで、やはり我々は8割が森林ですので、その森林の材をどう使うかなんですが、実を言いますと、本当に銘木というものがなかなか取れない山です。雪が4m、5m降りますので、完全に根が曲がっています。いろんな手法でいい木を作っている人はいますが、なかなかうまくいかない。しかし用材は用材としてしっかり使って、市の我々も、住宅を建てるときには市の材木を使おうと市民に訴えながら取り組みます。
B材、C材、D材といろいろと使うところは使いますが、最終的にはエネルギーとして、バイオマスで熱源を利用してこの施設に使おうということで、行政が今管理している体育施設、病院、温泉施設などの所に木質のボイラーを入れてやっています。また、民間の人たちの家にも、何とかペレットストーブ入れてもらうための助成をしながら進めています。
今までほぼできていたものと今後の計画を作っていますが、南砺市の民間の皆さんで、「南砺森林資源利用協同組合」を作ってもらいました。山の仕事をしている方もいらっしゃいますし、南砺と言えば、一つは木彫刻の町でもあります。木製バットの町でもあるんです。木に関わるいろんな人たち、小さな企業や、一般の方も加わって、組合を作っていただきました。
そこに今回の補助金をいただきながら、ペレット工場を今工事中でございます。そのペレット工場ができれば、一番山に近い所に集めてきて、そこで燃料として供給できる、そのシステムを今作っています。山のほうは、ペレット工場までに持ってくる前に薪にして、木の駅、薪の駅を造って、そのままボイラーで薪のまま燃やす。
こういう形で、二段構えで今取り組んでいるところです。上流から下流までのニーズを、今調査をしていますけれども、そんなに大きなキャパをつくり上げることはできないですが、我々が使う範囲は、しっかりここで供給できる仕組みを作ろうということです。
次に、先ほど言いましたけど、これが一番古いといわれている「加須良」。これは移築してきた古い合掌造りなんですが、そこを、今度は新たな拠点として今、開発をしています。ここに書いてありますが、一般社団法人リバースプロジェクトさんは東京にあるんですが、伊勢谷友介さんら俳優さんがお創りになっている会社なんです。その会社とタイアップし、隣の市の金沢大学さんと連携をしながら、現在いろんなプランを作っています。住民の皆さんはじめ様々な方々がここへ寄り集まって、プランを作っていきます。
これがイメージ図です。南砺市のいろんな顔を言いましたけれども、もともと合掌造りというのは、下が住居であり、仏壇がありますのでお寺であり、牛がいたり、そして働く場所があるわけです。2階、3階、4階は大体お蚕さんを飼っているんですね。そして生糸を生産して、その生糸を紡いで城端という所へ出して、城端で絹織物にして、金沢のほうに出し、京都へ出す。こういう元々の文化があります。合掌造りの中でお蚕飼っている家は今や全く無いので、もう1回そういったものができる仕組みも作っていこうということしています。
■ コミュニティ作りで「小規模多機能自治」へ
田中 エコビレッジの住宅も計画中です。燃料も材料も、そこに住む皆さんの思いを一つにしながら、エコビレッジの住宅ゾーンをつくることを、民間の皆さんと勉強会を立ち上げながら進めています。
この中で、最終的には我々の町は、3世代同居というものを推進しています。家で3世代同居になれば一番いいんだろうと思いますけれども、新たな住民の皆さんとか、新たな価値が理解できる人が集まってきた中でも、年代もやはりいろいろとバラエティに富んだ人たちが、より素晴らしいコミュニティーをつくっていくということが大事だと思っておりますので、そういったものができないだろうかということでございます。
現在、南砺市の人口が減っていく中でいろんな政策をやっています。やっぱり一番大事なのは住民自治ということで、再度、自治振興会の皆さんと2年間の勉強期間を置いて、新たな住民自治の仕組みをもう1回考え直そうということで進めているところです。
従来の今までの自治、俺の所は全部やっているんだよと言いながらも、やはり婦人会の皆さんに負担が掛かったり、一部の人たちに負担が掛かったり、若い人たちがなかなかそこに定住しない。そういう原因も一つあるのではないかということで、今までやってきたことを棚卸して、新たな地域の住民自治の仕組みを作ろうということであります。
これを今、日本のいろんな地方で実験的にやっていらっしゃるんですが、「小規模多機能自治」と言うんですね。なんか福祉事業のような名前なんですが。いろんなことをやっていきますと、結果的には教育であったり、産業だったり、イベントだったり、そこにまた福祉の分野もちゃんと生まれてくるんですね。もともと我々はそういう地域で暮らしてきた、そういった地域をつくってきた、そういう地域の皆さんと一緒に、もう一度戻ってみようと、こういうことでございます。
これは今、ペレットボイラーを一生懸命設置しております。ペレットを作っていますが、こういったものをどんどん増やしております。
これも小水力発電、やはり山があって雪国ですので、小水力を使わない手はないということで、南砺市内、積極的に小水力、民間の力もお借りしながら、今どんどん広げていきたいと思っています。
これが先ほど言いましたように、吉田さんという農家のグループで、バイオマスの熱と二酸化炭素でものすごく発達が早い野菜が作れます。熱源もそこで確保できるということですので、こういった農業をさらに広げ、オーガニック街道へつなげていきたいと思います。
地域には、野菜のいろんな作り手がいるんですけれども、それをどう売ろうか、どうしようかって言っていたところ、このシェフがミシュランの一つ星を取り、そこにパンだとか、野菜の余ったものを使っていろんな料理を今後作っていこうということで、組合が立ち上がりました。高校生がエコビレッジ部活動ということで、行政と一緒に取り組んでいます。いろんな商品が生まれつつあります。
これは地域の所得循環機能、南砺市の場合です。一番右側にかなり外へやっぱり出ているんですね。何十億、燃料だとか、エネルギーだとかというのはやっぱり外部へ出ていますので、できるだけ外部へ出ないようにしようと。できるだけ入ってくるものを増やしながら、こぼれていくものを埋めながら、そういう仕組みを作ろうとしています。
まだいっぱいあります。今度はファンドの話になりますが、今、吉澤さんら様々な方々にご協力いただいて、我々の地域の課題を自分たちで解決するためにどうあるべきか、からスタートしています。コミュニティービジネスのスターター支援ということで、今勉強会を進めていただいているところです。東近江の市長さんもお越しですけれども、ファンド利用で東近江で今取り組んでいただいていることを全てパクリながら、一生懸命進めていきたいと思っているところです。
スピーチする田中幹夫富山県南砺市長
■ 地産地消の再エネで経済振興につなげる
鈴木悌介 私は小田原からまいりました。先ほど学長先生のお話を伺いながら、少しご縁があるなと思ったんですが、実は、大倉喜八郎先生の別荘が小田原にございました。共寿亭、共に寿の亭と言いまして、今はちょっと空き家になっておりまして、何とかしなきゃいけないかなと思った次第でございます。
今日の「地域と環境」という政策テーマについて、エネルギーと経済という視点で少しお話をさせていただきたいなと思います。まず少し自己紹介的に、私の所は、先ほどご紹介いただきましたけれども、江戸時代の末期からかまぼこ屋をやっております。合わせて今日お手元に、資料の中でちょっと細長いパンフレットが入っておりますが、やけに長い名前の会。「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議」という会議のパンフレットが入っておりますが、私は今ここの主催をしております。
この会は2012年の3月に作り、全国で370社程の、地域の経済の下支えをしている中小企業の経営者がメンバーになって、エネルギーのことをしっかりと正面から捉えていこうということで今、エネルギーの活動を一生懸命させていただいております。なぜ、かまぼこ屋がということですけど、今日はパワポがたくさんあるのでポンポン飛ばしてきます。
「いただきます」。ここに尽きるのかなと思っています。食の仕事をずっとやっておりますが、食べ物は全て命のあるものです。言うまでもありませんが、人間がうまいものを食いたいとか、栄養が欲しいとか、今日は仲間で盛り上がろうとか、人間の勝手な理由で自分以外の命を使っているのが、ものを食らうということだと思っております。そういう意味では、その大切な食を、命の問題に関わる仕事をさせていただいた立場で話をすると、大変責任が重たいなと思っております。そんな、かまぼこ屋がなぜエネルギーのことを考えているのかを、少しお話させていただきます。
直接のきっかけは、6年半前の東日本大震災でございました。そのときに、私の地元のほうも大変な思いをいたしました。私どもの小田原、箱根は観光地ですので、福島原発事故後に、箱根は全くお客様いらっしゃらなくなる状況が続きました。また300km離れた所にありますが地元のお茶が2年半ほど全く取れない状態がありました。
それまでエネルギーのこと、特に原発については無関心でございましたが、少しかじりながらやってみると、こりゃとんでもない仕組みだなと思いました。環境問題的にもごみの問題もあり、経済合理性も全くない仕組みを早く蘇生をしなきゃいかんと決心いたしました。
もう一つ思ったことは、経済活動の大事な点で、普通に街を歩け、普通に空気が吸え、普通に水が飲める当たり前の暮らしがあって初めて経済活動があるわけです。それを壊す、あるいは汚す仕組みに頼ってすることは納得いかん、と思ったわけです。
■ 顔の見える関係の大切さ
鈴木 東日本大震災のとき、私は商工会議所の青年部の活動をしていましたので、被災地にたくさん友達がおりました。その中で、少しいろんな形で支援の活動をさせていただきましたけども、その中で感じたことが二つありました。一つは顔の見える関係の大切さということと、もう一つは、いわゆる従来型の大規模中央集権型の仕組みと、小規模な分散型、独立型、直接型の仕組み、この両方をやらなければいけない。
簡単に説明いたしますと、顔の見える関係であれば、私は被災地にたくさん友達がいましたので、どんどんいろんな情報が入ってきますし、信頼できる仲間がいます。多分、そういう関係がなければ、私はテレビの前に座って「大変だな」と思いながら赤十字に義捐金を送るぐらいしかできなかったかもしれません。
一つ、未だに苦い思い出ですけども、当時3月のまだ寒い状況でありました。現地に行きますと、体育館みたいな寒い所で避難している方が本当にお風呂も入れない、あったかい御飯も食べられない、プライバシーもない中で本当に凍えてらっしゃる。一方、私ども箱根は、福島原発がぼんといったわけでお客様がゼロになった。部屋空いているじゃないですか。だったら温泉も出ているし、布団もあるし、あったかい御飯出せるからということで、小田原の市長さんと箱根町の町長さんと、旅館組合の組合長さんに話しに行って、避難の人たちを受け入れませんかと。1週間でも10日でもいてもらって、英気を養ってもらって帰ってもらえばいいじゃないですかということで、仕組みを作りました。
700人受け入れ体制を作りました。ところが、どなたもいらっしゃいませんでした。私のイメージは、関西の地震のときの経験があったので、あんまり人をばらばらに動かしちゃうと後で地域コミュニティーがばらばらになりますから、避難所単位であれば大体ご近所の方がいらっしゃいますので、バスで1台、2台で来てもらって帰ってもらおうと思ってバスも用意しましたが、結局どなたもいらっしゃらなかった。
よく分かったことは、確かに遠かったのです。気仙沼にしても陸前高田にしても、そこから小田原、箱根までは。ただ遠くても、箱根の誰々ちゃんは友達だとか、小田原の誰々君知っているとか、そうした関係があれば違ったのかなと思っています。特に極限状態の精神状態にいるときに誰も知らない所に行くことは・・・。分かったことは、どんなに仕組みを作っても、そこに人間同士の顔の見える関係がないとその仕組みは動かんということです。
もう一つの中央集権型の仕組みと分散型という話ですけども、ある私の仲間が現地で被災をし、避難所のリーダーになりました。彼の所に何かすぐ送りたいってことで、かまぼこだったらすぐ送れるなっていうことで、「どこに送ったらいい?」と聞いたんです。今日は業者の方いらっしゃらないからいいですね?(笑)「災害対策本部にだけは送らないでくれ」と言われたんです。そこに送っちゃうと二度と出てこなくなるって言うんですね。
確かに私も何回も行きましたけども、いつもこんな山積みの状態にあります。今回の場合は、現地の業者も被災しているので一方的な非難はできませんが、そこで思ったのは、やっぱりこういう中央集権的な仕組みは、何もないときには非常に効率よく動くんですが、ちょっと想定を超えることが起こるとカチッと止まっちゃう。そんな状態のときにものを言うのは私の友人とできたような関係の分散型、独立型、直接型の仕組み。これ両方ないと、いろんな場面に対応できないことがよく分かりました。これはエネルギーについても同じことが言えるなと思ったわけです。
■ エネルギーの地産地消を実施
鈴木 会議は二つのことやっています。原発の反対運動をやろうと思っておりませんで、私たちは経営者でございまして実りのあることをちゃんとつくっていかなきゃと思っていますので、地域で再生可能エネルギーを中心としたエネルギーの、まずは仕組みを作っていこうと。もう一つは省エネをもっとやっていきましょうということです。
省エネに関して言うと、中小企業はまだまだ省エネが遅れています。大企業は専門の部署があって専門のスタッフがいますから、製造業中心に「乾いたタオル」と言われていますが、中小企業はまだじゃぶじゃぶでございます。私もそうですけど、エネルギーはともかく難しいし、よく分かんないし、全部自分でやんなきゃいけない。そうすると、省エネってお金が掛かるでしょ、って終わっちゃうケースがたくさんあります。ということで、この二つを大きなテーマにして活動しています。
どうやっているかというと、私は組織の中に「エネルギー何でも相談所」という機能を持っています。これは企業のOBの方が今30名ほどボランティアで登録していただいていて、太陽光発電とか、小水力化とか、風力だとか、断熱だとか、バイオマスだとかって、強い方にアドバイザーになっていただいています。例えば私どもの会員さんが、自分の所の会社の倉庫が空いていて屋根が何かできないかなと言ったら、飛んで行って提案をする。それするためには少し補助金が欲しい。補助金は面倒くさいところがあるので、お手伝いをする。
あるいは私どもは、経済産業省の地域プラットフォームの「省エネ診断」の受託をしておりますので、私どもの会でやると中小企業の省エネ診断がゼロ円でできます。そんなことを今、全国で進めているところです。
その中でいくつか事例をお話したいと思います。時間がないので飛ばしていきます。ほうとくエネルギー、湘南電力、小田原箱根エネルギーコンソーシアム、そして私の会社のこと、ちょっと簡単にご説明させていただきます。ほうとくエネルギーです。二宮尊徳先生の生誕の地でございます。まず地域の企業で、34社で5400万円ほどお金を集めまして、「ほうとくエネルギー株式会社」という会社をつくりまして、第1期の事業としてメガソーラーを一つ、山の中でやりました。
約4億円掛かりましたけども、資本金と地元の信用金庫さんから融資をいただいて、残りの1億円を市民ファンドを通して1口10万円でお金を募りまして、第1期の工事が始まりました。小田原市は、行政はお金を出してもらう代わりに、メガソーラーの固定資産税を少し減免するという形で協力をしていただいております。全て工事関係も、パネル以外の工事を全部地元で発注しました。作った電気は、当初は某東京電力さんに売っていましたが、今は売っていません。この話は後でいたします。何をしたいかというと、地域でお金を回したいということです。
次に湘南電力の話をいたします。私ども、地元に今年J1に上がりました湘南ベルマーレがございます。また来年J1から落ちるとまずいなと思っているんですけど、ベルマーレと東京のエナリスっていう会社で「湘南電力」という会社を創ってもらいました。
何をやっているかと言うと、例えばほうとくエネルギーでつくった電気を、湘南電力に今全部売っています。湘南電力がその電力をこの地域に販売をしています。私の会社、鈴廣は、もう3年ぐらいになりますが東電さんから電気買っていません。全部湘南電力から買っていまして、ここだけの話ですけど少し安くなりました。さらにそれが少し進化しておりまして、ご案内のように去年4月から電力の小売りが自由化になりました。
ところが湘南電力という会社は、社員が数人しかおりませんので到底、何千件というお客さまのサービスはできません。今、ちょうど絵の真ん中のほうに小田原ガスという会社と、FURUKAWAというローマ字で書いてある会社ありますが、これは地元の資本の都市ガスの会社とプロパンガスの会社、100年企業です。この2社が手を組んで今、電力の小売りをやってくれています。ということで、これによって初めてつくった電力が全部地元で売れるという仕組みができました。いわゆる地産地消の仕組みができました。
■ 地方創生はエネルギーで
鈴木 私どもの会社の話はちょっとスキップさせていただいて、最後ちょっとエネルギーから経済を考えるとのテーマでお話をいたします。これはデータが2010年でちょっと古いですが、日本の国がどこの国との貿易で儲かっているか、赤字になっているかというグラフです。おかげざまで、中国からは若干日本はまだ利益が出ていますね。
日本を一番儲けさせてくれている国は、アメリカです。グラフでは倍ぐらいですけど。あと日本が赤字になっている国は、中東、ロシア、オーストラリア、マレーシア、インドネシアであります。中東は14兆円ですから、3倍ぐらいのグラフになりますが、足すと28兆円ぐらいあります。
何を示しているかと言うと、これは日本が一生懸命ものをつくって、外国に売って、お金を全部アラブの底に貢いでいるというのが今私どものやっていることであります。何を買っているかと言えば、化石燃料を買っているわけであります。
化石燃料の輸入の、左側が金額と右側が数量です。2011年の原発事故後の数字を見てください。左側の数字、確かに28兆円増えていますが、右側の数字、数量は減っています。なぜでしょうか。省エネをしているからです。なぜ増えていったか、円高とそもそもの原油が上がっちゃったということです。ですから、原発が動いているか動いていないかという話と、日本の貿易収支の話は関係がないということです。ということで最後に伝えたいことが二つだけあります。
エネルギーイコール電力ではない、と言ったら意外と思われるでしょうか。エネルギーの話をすると、すぐ電気の話になってしまうんですが、実は私、神奈川県のエネルギー政策を作る委員をやっていますけども、神奈川県全体でいくと最終エネルギーの中で電力だけ使っている部分は33%しかありません。小田原市は人口20万ですが、約47%です。ですから実は半分以上、私たちは何を使っているかと言うと、熱を使っています。冷たいの、あったかいの。そこに目を当てないと、本当にエネルギー全体は見えてこないはずです。熱という観点を見ると、先ほどスキップしましたが、私の会社では太陽熱の湯沸かし器、井戸水のエアコンシステム、いろんなことを熱を中心にやっており、非常に実感しています。
日本は化石燃料がないけれども、使ってない熱という観点を見ていくと、地元の足元に使ってないエネルギーがいくらでもある。それを使っていくテクノロジーはいくらでもあって、ただ機械が高い。なぜかと言ったら量産してないからです。ここのブレークスルーが必要かなと思っています。最後に地方創生はエネルギーでという話です。
小田原市、今人口20万ですが、環境部に調べてもらったら、毎年300億円ほど外からエネルギーを買っているデータがありました。先ほど、南砺のところで78億と出ていましたけれども、私の友人が東京の板橋区で新しく市民電力をつくりまして、調べてもらったら、板橋区55万人口で、570億円だそうです。毎年、毎年。
こないだ北海道の下川町に行きました。3400人のほぼ無くなりそうな村ですが一生懸命に森を活用しようと、そもそも13億円ぐらいしかお金ないのでどんどん減りつつも、地域のバイオマスボイラーをとどんどんやり、今お客さんが入ってきている話を聞きました。
小田原市300億、南砺市78億、板橋区570億。これ全部足して、さっきの28兆円になるんじゃないでしょうか。ですから、あの28兆円の全部を賄うのは難しいと思いますが、1割でも2割でもここで賄うことができたら、ものすごく大きなお金がこの国にはもう1回まわるわけです。それが雇用を増やすとか、介護だとか、教育だとか、医療といった地域の課題の解決に使えるお金の原資になるんじゃないでしょうか。
全体で見ると大きなお金ですけども、例えば小田原300億の30億円だったら、さきほどの仕組みをもう少し動かしていけば何か道が見えてくる気がいたしますし、先ほどの南砺が78億円でしたら、そのうちの1割で何とか見えてくる気がするんです。各地域でそれをやることが、私はこの国の経済活性化には一番いいと思っています。
私は今、地元で小田原箱根商工会議所の会頭をやっております。箱根は2000万人お客様が来る観光地ですので、今必死になって観光振興をやっております。観光振興は結局、最終的にはインバウンドが増えますが、南砺に行くよりは箱根に来てくださいって言わなきゃいけないので、地域間競争になるんです。ましてや定住人口を増やそうと思うと、今人口が減っていくわけですから、どこかからかっぱらってくるしかないわけで、必ず勝つ人が出れば負ける人が出ます。まさに定住人口を増やそうというのは、地域間競争そのものです。
そういう経済政策と比べると、このエネルギーは最近気が付いたんですが、全く地域間競争はありません。小田原300億円は自分でやればいい。南砺78億円は自分でやればいい。全く他の地域と関係なくやることで、ウィンウィンなわけです。
唯一困るのは、大きな電力会社さんとアラブの王様だけですが、知ったことではないので、とにかくそういう意味で、エネルギーのことをしっかりと地産地消、それも再生可能エネギーをしっかりやるということが、私は今、この国にとっての最大の経済振興策なのではないかと思っております。
以上です。ありがとうございました。
スピーチする鈴木悌介鈴廣かまぼこグループ代表取締役副社長
■ 横浜市のブルーカーボンと新産業の芽
信時正人 こんにちは。信時でございます。僕は横浜市にいたこともありまして、日本の自治体の中で一番大きな373万人の横浜でどういう形で環境政策をやってきたのか。今日は「環境と地域」という題ですので、それを紹介させていただきながら、少し他の都市と違ったことをやっていますので、ブルーカーボンのご説明をさせていただきたいと思います。
今日は横浜国立大学客員教授ということで来ていますが、1人時間差というのがありますけれど、私は1人産官学と言うのでしょうか、これから働き方を改革してくるとこういう人間が増えてくるんじゃないかと思います。一応、産官学をやってきまして、今、民間をしておりますけども、こういう形でこれからお互いがやっぱり認識し合わないとまずいかなと思ってやっています。
僕は2007年から横浜市役所に入り、2008年に環境モデル都市募集がありました。その1年前から横浜市でこうした体制を組んでいます。少し名前は変わりましたが、建制順?というのがあり、福祉をすぐ下に置いています。
普通、政策、財政、総務は一番上のほうにきますが、その上に実は温暖化対策がありまして、市の姿勢としてそれを一番上に置こうということをしたんです。それまでは環境創造局という所の地球温暖化対策課という非常にローカルな所でしかやってなかったのです。PVやEVに対する補助金、環境啓発だとかです。
そのとき副市長らと話しまして、それじゃCO2下がらんだろうと。ハード部局も協力してもらわなきゃ駄目じゃないか、ということでこういたしました。上に置いたからといって、みんなが言うこと聞いてくれるわけではありませんが、いかに我々自身が動くかがリードしていくことになっていく。約10年経って今、横浜市では割と動き出した感じがします。
その時に、CO-DO30という、横浜ではバイクのような温暖化対策のCO-DO計画なんですけど、全庁的な委員会を作りました。嫌がる局長さんを引っ張り出して、各部会のトップに据えてやってもらいまして、約1年かけて作りました。
環境モデル都市に選ばれたときの提案書の概要があります。我々のテーマは373万人、めちゃくちゃ人が多いということで、市場プル型。横浜市が変われば費用も変わる、仕様も変わるだろうということをテーマにしたのがこの項目です。
このように、13都市全部でやられました。今、環境モデル都市から未来都市になっていますけども、未来都市は2011年に選ばれたんですね。今11都市といいますか、一部地域になっていますがモデル都市は何かと言いますと、低炭素都市活性化です。未来都市は、実はそれプラス環境、ハイテク、自然、あるいは少子高齢化、経済成長、国際展開がテーマになっています。
さらに多分来年ですけども、SDGsというテーマで都市の募集が行われるのではないかということで今動き始めています。どういう形になるか詳細は決まっていませんけれども、この目標のうちに今動いているところでございます。
■ 郊外の立て直しをはかる
信時 これは我々の、横浜市の未来都市をつくったときの基本の構造です。一番上に書いていますのは目に見える都市です。普通、ここでどういうビルを建てるかとか、どういう産業をするかという話をし、これだけで終わる。真ん中はインフラ。我々のスマートグリッドなどのエネルギーインフラもここにあります。それからソフトですけど、医療、福祉、介護とか当然ゴミだとか電力、みんなそうなんですね。
さらにもう一つ一番下ですね。土圏、地圏、大気圏。ここまでもう1回いかないないといけないんじゃないか。都市をやる連中はここまでほとんど頭いっていません。我々はもう一度、ここから考え直そうと。防災のことを考えても、そもそもどこに川があり、どこに崖があるか。そういうことから考え直さないと都市はつくれないんです。特に横浜は崖が多い。ついこの間も、ちょっとした雨で崖が崩れたりしています。
もう一度ここから見直すということで、さらにオレンジ色の線はITです。従来通りのやり方でなく、ITを使ったいろんなやり方がこの三つのエリアにあるんじゃないかということです。蛇足ですが、ピンク色はオープンデータ、自治体の姿勢を表していまして、オープンデータをやらない都市は、未来都市でもなんでもないという姿勢を貫いてきています。
これは未来都市の中でも一番大きなプロジェクトです。経産省の年間数十億円に突っ込んできたスマートグリッドの実証実験であり、実証の段階に来ています。
そういう中で、「みなとみらい」という横浜の顔みたいなところと、さらに住宅地、郊外住宅、多摩プラザなど非常にいい所があるんですが、ここはもう高齢化していて高齢者も住みにくくなってきている。若者もこういう所を住む場所に選んでいないという状況があります。二重苦があります。郊外をどうするか、です。
大昔、『金曜日の妻たち』という番組があり、これは横浜の郊外が舞台になっています。その当時、古谷一行さん、いしだあゆみさんが30代だったんです。今は70代になっています。この町もそのようになってきているということでして、非常に町全体が古くなってきています。いろんな形で政策を打っていこうというのが、横浜市の二本柱であります。
■ 産業政策をSDGsとつなげて進化
信時 SDGsですが、こういう絵はもう皆さんどこでも見ていらっしゃると思います。今みたいな課題をこれからどうSDGsに当てはめていくかというとちょっとおかしいですけど、基本的にはこの八つに絞り込んだ形で、これからやっていこうということになっています。
横浜としても未来都市からSDGsへということで、実はもう始動しています。当たり前ですが、未来都市は一応、経済、社会、環境という、トリプルボトムラインからいこうということです。そもそもSDGsのことを予習して、もうやっていたというところがあります。そういう意味では移行しやすいのかもしれないですね。いろんなステークホルダー、例えば産学官とステークホルダー等を目標にしながらやっています。これも、今までの実例が在ります。
ともかく良い環境を目指してさらに進化していこうということと、超高齢化時代だけども、やはり経済をどうするかというところが重要です。横浜市はいろいろ大きいと言われますけど、ほとんど住宅都市です。ディベロッパーさんに任せてしまうと、住宅か業務棟か、あるいは商業、そのぐらいのものです。
産業はどうなっているのか。食いぶちがないと都市はつくれないと思っています。東京は本社が多いですけど、横浜は支店経済です。それだと、やはり東京に通わなきゃいけないですが、交通地獄はそのままです。私は産業政策すべきだということはずっと主張してきておりますが、政策、ハードをつくってほしいなと。まず産業。食いぶちをどうつくるかというところが問題で、これがSDGsにどう移っていうかということであります。
実は、いろんな形で作戦をつくって、実はまだ詳しく今日は言えませんので、他の自治体さんもいらっしゃるので、できませんが、これから移動手段とかSDGsということと、何かエネルギーミックスを今考えています。それから、やはり「フューチャーセンター」っていう言葉が最近よくあります。「イノベーションセンター」とか。そういうものを横浜市内にいくつもつくっていこうということです。
そもそも横浜にスクールをつくってきて、ハイテクの技術だとか文化、それは結構なのですが、最終的なユーザーは市民です。要するに最終的にお金出すのは市民です。その市民がグレードアップさせないと意味がないということでやってきています。そういう新しい教育があって、今ESDもありますけども、やっと横浜市の教育委員会が動いてくれて、全て横展開、縦割りではない横展開のプロジェクトを目指していこうという方針です。
■ 海洋都市を活かした「ブルーカーボン事業」
信時 経済という意味では、環境モデル都市のときに、「グリーンバレー構想」というものを作りました。これはシリコンバレーのグリーン版っていうことですけども、環境あるいはエネルギーにやさしい産業つくっていこうということで、一番南の金沢区に、今1000社近い中小企業が立地しています。
そういう意味でそこを選んだわけですけども、詳しいことは言いません。ここは緑あり、町あり、海あり、横浜市で唯一の自然海岸が実はあります。140kmの海岸線の中で1.2km、自然海岸があるのはここなんです。ここが味噌であります。
これはブルーカーボン事業ということで、山の森林でのカーボンセットというのは、至る所でやっていると思います。横浜も実は、水源になります山梨県の道志村の2800haの森林を持っていますけども、そこでニュークレジットをつくったりしています。我々はよく考えたら、海洋都市です。目の前に海があるのに、何にも使わないってどういうことよ、ということであります。
これまで港湾だとか、漁港だとかで非常にセグメンテーションされてきたので、1.2kmと申し上げましたけども、横浜市の市民は目の前で取れた物をなかなか食えないと。海水浴もできないと。よく海洋都市って言うなっていうことを言われまして、実は海でやろうということで、「ブルーカーボン」という言葉を見付けてきました。
2009年にUNEPが提唱した言葉でありますが、これをやっちゃおうじゃないかということで、八景島シーパラダイスのセンターベイをお借りし、ワカメを作り始めたんです。子ども用の施設なので、収穫と種付けには子ども呼んだりして、非常に盛り上がりました。要するに、ワカメがどれだけCO2を減少させるかということであります。
いろんなメリットがあるとのことで、これまでも海岸の清掃だとか藻場再生とか、NPOさんがいろいろやっています。ちただそこに、ブルーカーボンとかクレジットをつくっていこうじゃないかということになりました。結論から言いますけども、そこでつくったクレジットで、横浜でやっているトライアスロン大会は、全部カーボンオフセットしています。完全超ローカルルールをつくってやっています。
昨年度は、トライアスロン2つと、タモリさんがやっているタモリカップ、ヨットレースです。石井造園さん、地元の企業さんがこのクレジットを買ったということで、小さい経済が回り始めています。
そういうことをやっているっていうことで、世界「CNCA」というグループがありコペンハーゲン、ニューヨーク、ロンドン、バンクーバー、メルボルンと横浜。全部で17都市の6つのリーダーで今年、プレゼンテーションして認められ、資金を出していただきました。来年度は一躍、世界都市になって毎年ここで発表しなきゃいけないということになりました。よく分からないと言いながらバンクーバーが一番ついてきてくれている感じです。
これから課題等いろいろありますけども、さらにブルーカーボンの研究をしないといけません。国立港湾空港技術研究所の桑江先生、環境んの研究もとっているようで、日本経済研究所等々、いろんな所とやっています。さらに世界の動きを見ながら、また逆に、漁協とか市民団体との連携もしないといけません。
パリ協定発効には、実は今年度からオーストラリアもこのブルーカーボンのGHGインベントリを開始しています。それが緩和策になるのではないかということで、これだけの国が検討を始めています。右上は、ブルーカーボンの本で、私も共著で書いています。詳しいことはこの本を買っていただくとわかりますが世界で動き始めているということです。
昆布のことを最後に言いますけども、大きなことばっかり言っても、やはり先ほど申し上げました市民の方がどう動くかということです。「里海イニシアティブ」という社団法人ができました。市民が作ったもので、このブルーカーボン昆布のプロジェクトはSDGsに該当するのがいっぱいあります。
これが横浜で取れた昆布です。北海道昆布は非常に厚いんですが、横浜の昆布は薄い。厚いのはだしを取るのにはいいんですけど、食えない。実は薄いのはぽりぽり食えるんです。一番ラッキーだったのは、横浜のある老舗の料亭の料理長が、これを好んで今使っていただいていまして、横浜産昆布っていうことで出してもらっています。それから中華街でも小龍包に入れるとか、うどんに混入するとかいろいろ出てきています。
大きなエアラインが機内食で使ってくれるということで、がぜん横浜で取れる昆布が足りなくなってきまして、もう一つぐらい漁協やってくれないかとか他地域と連携しようかということが動いています。昆布で繊維を作るなどの新産業の芽も見えてきております。
ちょっとしたクレジットをやっていたのが、地域産業ができていく楽しみを生みつつあるというところで、今日は終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。
スピーチする信時正人横浜国立大学客員教授
■ SDGs を使った地域ブランディング
袖野玲子 皆さんこんにちは。慶應大学から参りました、袖野と申します。私は大学で環境政策を研究していまして、特にSDGsを使ってローカライゼーションですとか、オリンピックの持続可能性評価等の研究プロジェクトに参加しています。
本日はもう先ほどからいろいろ、地域の魅力的な取り組み等ご紹介いただいておりますので、私からはSDGsを使った地域づくりとして、少し全体的な話をさせていただければと思います。
今日は森本次官のご挨拶から、SDGsという言葉出てきていましたが、今日初めてSDGsという言葉を聞いた方、いらっしゃいますでしょうか?
ありがとうございます。ほとんどご存じの方も多いようですけども、2015年に国連で合意された国際的な目標になります。もともとは、ミレニアム開発目標という、途上国への援助の開発目標の後継の目標として設定されたんですが、MDGsが主に貧困ですとか社会的な問題に焦点を当てていたのに対して、SDGsは持続可能な発展ということで、経済、社会、環境の3分野を不可分であると。避けて別々には対応できないということで、3つ統合的に対応するということで、全ての目標、全ての分野を網羅した形になっています。
ですので、こちらが17の目標で、例えば1番。「貧困をなくそう」なんですけれども、貧困とか飢餓とかいう形でロゴを作ったわけではなくて、「貧困をなくそう」とか、「飢餓をゼロに」という意味で目標を掲げています。アクションが必要であるということで、そこまで書き込んだ形のロゴになっています。
2030年の世界目標ということで、今、世界がこの目標の達成に向けて動いてきているわけです。17の目標の下に、それぞれより具体的な169のターゲットがあります。さらに、そのターゲットに紐付く指標がありまして、3つの構造になっています。
このSDGsの2030年に向けたアジェンダの中の基本理念が、5Pと呼ばれている5つのPです。PEOPLE、PLANET、PROSPERITY、PARTNERSHIP、PEACEということで、5つのPがあり、それぞれの17の目標をどこに分類するかは、分け方も何種類かあります。
例えばPEOPLE、主に社会的な話です。貧困や飢餓という話、ジェンダーですとか、教育。PLANETのところに水ですとか気候変動、生物多様性、こういった環境の話。PROSPERITYのところにエネルギーであったり、インフラであったり、こういった経済の話というのがあります。
SDGsの特に特徴的なところは、全ての目標、ターゲットが密接に関係している。どれか一つだけを達成すればいいのではなくて、何かを達成しようとすると、他のターゲットにも必ず波及効果があるところが、非常に特徴的です。
例えば気候変動を見ても、PROSPERITYのエネルギーとは大変関係が深いです。また、社会問題を見ても、気候変動の、例えば自然災害といった影響を一番に受けるのは貧困に苦しむ人たちです。全てを分野横断的に見ながら対策を考える必要があります。
これはそのターゲットレベルで見たときの、ターゲット間の関係を研究したものです。ターゲット間で調整が必要なターゲットがあったり、同時達成ができるものであったり、またトレードオフの関係になるもの。例えば沿岸地域の資源を保全するというターゲットに対して、それをもしかすると飢餓をゼロにするというターゲットとは相反するものかもしれないということで、ターゲット間ですね。関係性を特に注目していく必要があり、こういう関係性を今、世界の研究者たちが分析しているところです。
■ SDGs を使った村の施策づくりを
袖野 SDGsを活用する意義ですけれども、先ほど申し上げたように、SDGsが世界の共通言語であります。全ての行動が17のロゴで表すことができるということで、このロゴを見れば、国が違っていても、同じ目標に向かってやっているんだなということが一目で分かります。そういう意味では、正当性や公共性を示すことができます。また、先ほど言った分野間の連携にもつながっていくことが挙げられます。
もう一つが体現主義的な活動を広げるツールということです。課題の見える化ですね。それから2030年に向けた長期の話ですけれども結局、国連で決まって国も今SDGsの実施指針を出してなんですが、人々が生活しているのはローカルな所になります。結局、地域の取り組みが非常に重要になってきます。このグローバルからローカルの話。横の水平展開。こういったものがSDGsを使うことで、連携が可能になってくるのではないかと。
パートナーシップの創出、ベストプラクティスをお互いに学び合うということは、よりやりやすくなるのではないかと考えられています。
このSDGsに関する自治体の取り組み状況ですけれども、半分ぐらいの方が認知されているのですが、実際に取り組まれている所が35%ということです。まだまだ日本の自治体の取り組みとしては、今始まったところという状況です。
先ほど少しお話に出ました下川町ですね。こちらが環境未来都市の一つに選定されている所です。例えば高齢化社会への対応としていろいろな施策があり、これをSDGsのターゲットとマッピングし、実際に高齢化率を減少させることに成功されている自治体です。
一つが、慶應大学が決起プロジェクトとして進めている沖縄県の読谷村です。こちらは今まさに分析が始まったところですが、村民ファーストを挙げている村で、隣の恩納村とは全然違うんです。恩納村は、海岸沿いにリゾートが立ち並んで、これまでも注されることの多かった地域ですけれども、読谷村はサトウキビ畑が広がっていて、村の人の生活環境の保全が第一で、リゾートお断りという形で、海岸沿いは村が土地を買い占めてしまっているような所がありまして、これがいろいろな課題を抱えています。やはり雇用の問題など課題に対して、SDGsを使って村の政策を作れないかと、検討が進んでいるところです。
例えばということで、メインのステークホルダーです。特に読谷村は、漁業と農業が大きな産業になるんですけれども、これに対して観光というのもまた一つあります。そうすると農業では農薬ですとか赤土が海岸に流れ出て、サンゴ礁を傷めてしまいます。一方で漁業のほうは、漁業も観光も海洋の保全が大事ですので、ここが協力してサンゴ礁の保全に取り組んではどうか、とかです。
そういった分野間の連携で課題を解決していくということが今検討されています。やはり先にあるのは、先ほど南砺市長からもお話がありましたけれども、村のみんなが幸せになれる成長です。どこかの分野だけが儲かり得するとかではなく、みんなで幸せになるんだという目標を掲げてやっておられます。
■ 地域独自のプランディング、オリジナリティで
袖野 まとめますと、地域にとってのSDGsということで、2030年に向けてどういう地域になりたいかビジョンを掲げる。それに2030年の自分たちの在りたい姿から、逆キャスティングで今何をすべきかを考えていく。特にSDGsは、国際的に決められたゴールが17ありますけれども、17等しくやるということではなくて、地域の状況に応じて、自分たちにとっての優先順位を選んでやっていくことが謳われております。まさに地域のブランディング、オリジナリティというところがここに出てくるのではないかなと思います。
このSDGsを使うことで、課題の可視化、魅力の掘り起こし、それから進捗を計るということで指標がありますので、目標達成度を客観的に計ることができます。また環境、経済、社会の政策統合で、より効果的な政策を打つことができると考えられます。さらに、その地域の活動が世界につながっていくことで、町民や村民の誇りにつながるのではないかなと考えます。
一方で、課題ですけれども、やはり先ほど申し上げましたように、ターゲット間のシナーズです。同じ方向でウィウィンの関係でいく場合と、トレードオフの場合があるということです。トレードオフの場合は調整が大変になってきますので留意する必要があります。
それから評価基準のことですけれども、グローバルに今作られている指標が、そのままローカルに持ってこられるかというとそうでもなくて、やはりその地域の目指す姿にあった指標の設定も大事ではないかなと思います。また低い認知度というのがありまして、今オリンピックに向けて持続可能なオリンピックという方向性も打ち出されていますので、こういったものを契機に、SDGsはこれからますます広がっていくことが期待されます。
そして今日の話を聞いていて、やはりどの地域の方もいろんな取り組みを既にやられています。既にされている取り組みがうまくこのSDGsのマッピングと合えば、よりグッドプラクティス、うまくいっている例を学び合って、パートナーシップの創出につながっていくのではないかなという気がいたしました。こういったところが今後期待されると思います。
南川 袖野さん、ありがとうございました。それでは、ひと言ずつ皆さまからコメントいただきたいと思います。今日のお話しを伺って、それこそ地域さまざまです。決して日本大きな国ではございませんけれども、人口はどんどん減少する。山なども荒れてしまうということで、結果として、何もしないのに自然がどんどんボロボロになっていく。挙げ句の果ては、土地所有者が分からない土地がたくさんできるという地域もございます。
かたや、世界の最先端を争う中で日本を引っ張っていこうという都市もあるわけです。いろんなタイプがございます。従って、今日は皆さま、地域のリーダーの方もおられます。環境問題での研究を深めている方もおられます。それぞれの立場から、自分たちの地域をこういう形で環境を守りながら発展させていくんだ、あるいは研究の、こういった分野で環境等を経済地域について深めていき、それによって全体としての環境の向上に寄与していく、などについて、ひと言ずつ決意と意欲をお伺いしたいと思います。
■ 自分たちの暮らしで循環させていく
田中 実を言いますと、昨日まで島根県の大田市に行っていました。これは、世界遺産サミットで、全国21カ所の世界遺産の組長関係者が集まる会議で、そこと今日の話と、すごくよく似た話題が出ました。そこだけ私のひと言で話しをさせていただきます。
世界遺産になると観光客が増えます。登録されて10年たつと観光客が減ります。客が減る議論ばかりが先に行ってしまうんです。石見銀山の良さ、先ほど少しいろんな公害の話がありましたけれども、石見銀山というのは、本当に緑豊かなきれいな山の中にあります。共生しながら世界の銀の30%をそこから採ったということなんですけれども、本当に計画的にしっかりやっておられる。そういう所のノウハウを市民にまずは知ってもらうってことからスタートしないといけないだろうなと。そして市民が誇りを持てる世界遺産でなくてはいけないだろうなど、いろんなご意見が出ました。
まさに我々、これから環境政策だとか地域の活性化だとか、人口が減少する中でどうしていけばいいか。やっぱり根本には、自分たちの変わりつつある暮らしを、もう一度、我々の手の届く範囲の暮らしで、しっかり循環をしていくことが重要だと思いました。
南川 ありがとうございました。では鈴木さんお願いします。
■ 小さいからこそできることがある
鈴木 ありがとうございます。私たちは本当に地域の中小企業でありますので、大した大きなことはできませんが、私たちは自分の会社という自分がある程度影響力、責任もってきちっと業務を発揮できる現場を持っています。それから、顔の見える仲間のいる地域という現場を持っています。
それぞれの現場で、中小企業の経営者として、より良き方向に新しい現実をつくっていく。本当に小さくてもいいからつくっていく。私は、小さいというのは決して消極的な意味ではなく、小さいからこそできることがたくさんあると思うんです。そのことを全国に仲間を増やしていく。それによって大きな力になっていく。
そんなことを信じながら、先ほどから何回も出ていますけども、これから次の世代に何を残していくのか。その中で私たち地域の、中小企業のおやじがとにかく今月売上どうしようかとか、給料どう払うかってことばっかりですが、それと合わせてやっぱり自分たちが自分たちの地域に何を残せるかという心を持ちながら進めたいと思っています。今日はありがとうございました。
南川 続きまして、信時さんよろしくお願いいたします。
■ 既存のものを組み合わせる発想力と行動力
信時 ひと言でいえば横連携だと思っています。例えば、横浜市はOECDの持続可能な高齢社会、実は富山市と共に選ばれているんです。会議でちょっとスピーチしたときあって、横浜市の一番の売り物は、ウォーキングポイントと言って、みんな600円ぐらいで万歩計をもらって、それでポイントを貯めて商店街で経済的に使っていくというものです。それがもう30万近く入っています。
その説明をしたら、リスボンの副市長から「それは分かったけど、それとハードはどう関係あるのか」と話をされました。ウォーキングポイントは結構だが、それと都市の構造はどう関係するのだと言われまして、はっと思ったんですが、「いや、それは歩きたくなる道と行きたくなるような公園を造っています」と、僕は嘘のような本当の話をしたんです。
造っているのは本当です。本当だけれども、一つの政策の中で、ウォーキングポイントと公園と道は一体ではないです。一つの中で言えないです、今のところは。たまたまそこに健康の道路造りと、健康とか付けているけれども、一つの政策でやっているわけではない。
だから、そんなものをどう組み合わせるかが、これからものすごく重要です。新しいことを生み出すことも大事かもしれないけど、既存のものをどう組み合わせるかの発想力と行動力だと思います。
南川 袖野さん、お願いします。
■ 違う分野同士から生まれる相乗効果
袖野 読谷村のケースで言いますと、やはり分野連携ということで、村であっても農業と漁業の人が話をしたことがないとか、なかなか横連携は難しいと感じています。
一方で、例えば漁業で言うと、定置網に引っ掛かったカメは猟師さんにとったら網を破く有害な生き物ということで、すぐその場で放流しちゃうんですけれども、観光業の人にとっては、それってイベントに使えるということで、定置網に引っ掛かったカメをホテルのほうでカメの放流会という形で試験的にやったことがあります。
違う分野の人が集まることで出てくるアイデアもあって、やはりそういった相乗効果、新しいものが生まれることを今後期待したいなと思います。我々、研究者は外部の人間ですので、最後どういう村にしたいのかを考えるのはそこに住んでいる方たちだと思います。
そういういろんな地域で今、大変魅力的な取り組みが進んでいるところですので、そういったものがグッドプラクティス等を提供できればと考えております。
〈第一セッション了〉