中国都市総合発展指標について

1.〈中国都市総合発展指標〉とは 

周牧之 東京経済大学教授


 改革開放40年、中国は豊かさを求めて猛進し、いまや世界第2の経済大国に成長した。しかし、中国を構成する最も重要な細胞たる都市では、GDPの大競争を繰り広げてきた結果、環境汚染、乱開発、社会格差、汚職腐敗などの大問題を生じさせた。こうした状況に鑑み、中国で都市化行政を主管する中国国家発展改革委員会発展計画司と雲河都市研究院は、環境、社会、経済という三つの軸で都市を包括的に評価する〈中国都市総合発展指標〉を協力して開発した。これは都市を評価する物差しを単純なGDPから総合的な指標に変えることにより、都市をより魅力的で持続的なものへと導く試みである。
 そもそも中国の都市はこれまで外から見えづらかった。中国都市総合発展指標は中国の地級市(日本の県に近い行政単位)以上のすべての都市をカバーする包括的な指標として、都市のあり方をさまざまな角度から分析できるようにした。このことにこそ大きな価値がある。また、都市を的確に捉えるだけでなく、個々の都市の情報を集合させることにより、中国全土を従来なかったリアリティで分析できた。指標はさらに、グラフィカルな表現を駆使し、膨大な情報量を理解しやすいものにした。こうした意味では中国研究をまさに異次元の段階へ押し上げたといっても過言ではない。毎年公表するこの指標を基本素材として、さまざまな中国研究が一気に前進することが期待できるだろう。
 指標の研究開発にあたり、環境省、そして多くの日本の有識者にご協力いただいた。社会主義市場経済の道を歩む中国は、そのロジックの独特さゆえに、外から分かり難い部分が多い。中国の都市問題に普遍的なロジックを持つ物差しを日中協力で作り上げたことで、中国研究の透明度が一気に上がるだろう。

 中国では今日、298の地級市以上の都市のうち117都市の常住人口が戸籍人口の規模を超えている。つまりこれらの都市に外部から人口が流入し、実際の人口規模を示す常住人口が、戸籍制度で確定された固有の人口規模を超えている。常住人口から戸籍人口を差し引いた数が、人口の超過部分である。この超過人口は、上海市では963.3万人、深圳市では818.1万人、北京市では811.5万人に達している。これらが流入人口規模の大きい上位3都市である。
 他方、常住人口が戸籍人口より少ない都市も181都市にのぼる。これらの都市から他都市へと人口が流出している。このなかでは周口市が381.8万人、重慶市が314.7万人、信陽市が265.6 万人、戸籍人口より実際上の人口が少なくなっている。これら3都市は中国では人口流出規模が最も大きい。
 上記データは現在の中国における人口移動の激しさをリアルに表している。都市化による大規模な人口移動がすでに中国のすべての都市に多大な影響を与えている。
 都市化は中国近代化の主旋律であり、経済成長のエンジンである。また、中国の経済社会構造の大変革も引き起こしている。
 本来、都市化がもたらす大変革を見据えて、中国は財政制度、戸籍制度、社会保障制度、土地制度などの制度改革を先行させる必要がある。だが、残念なことに、急激な都市化の波に比べ、中国では都市化に関する政策や制度の議論はいまだ充分に行われていない。それによって大きな社会的、経済的弊害がもたらされている。
 都市計画制度上の欠陥も都市発展に大きなマイナス影響を及ぼしている。計画のない都市空間は一種の悪夢のようなものであるが、拙劣な都市計画もまた然りである。
 本来、都市計画は気候風土に考慮し、総合的で長期的な戦略をもって策定されなければならない。しかし中国の現行の計画策定はメカニズム上、これがきちんと踏襲されていない。中国の都市建設の関連計画は、非常に細分化され、発展計画、都市計画、土地利用計画、交通計画、環境計画、産業計画などが異なる行政部門で縦割りに策定されている。縦割り行政はどこの国にも見られるが、計画経済の余韻を残す中国ではよりたちが悪く、各部門間の連携がなされていないことが多い。ゆえに急速に膨らんできた中国の都市では空間配置のアンバランス、交通網の未整備、生態環境の破壊といった問題が生じている。
 これまでの中国都市化はマクロ的に見てもミクロ的に見ても、その急激な進行度合いに比べて、ビジョン作りや制度作りが大変に遅れていた。原因の1つは数字による分析と管理能力の欠如にある。アメリカで活躍していた著名な中国人歴史家の黄仁宇氏は、中国の歴史上最大の失策は、数字による管理の欠如にあると指摘した。この欠陥の遺伝子がいまなお受け継がれている。
 近年、“主体功能区”、“新型都市化”などの斬新な政策が相次いで出され、都市化によい方向性が示された。こうした政策を今後いかに具体化し、そして評価監督していくかが試されている。
 そのため、中国では、政策と計画をサポートする指標システムの整備が急務である。つまりマクロ的には都市化政策を考案する物差しとして、ミクロ的には、都市計画のツールとして、さらに政策と計画を評価するバロメーターともなる指標が必要である。
 上記の考え方のもとに、専門領域も国の違いも超えた有志で構成する中国都市総合発展指標研究チームが、中国都市化における問題のありかを探り、国内外の経験と教訓を整理し、定量化した都市評価システムを開発した。中国の都市に「デジタル化された規範」を提示できた。
 中国都市総合発展指標は以下の三大特徴がある。

① 「生態環境」をより広義に評価

 これまでの急速な工業化と都市化の中で、環境汚染や生態破壊などの問題が中国で深刻化した。これに対して、中国政府は2014年に打ち出した「国家新型都市化計画」で、「生態文明」理念を高々と掲げ、「生態環境」を新型都市化の鍵とした。以来、中国では、「エコタウン」や「美しい村」を探すブームが広がった。しかしそれらは自然環境に恵まれた中小都市や辺境の村がほとんどであった。近代的な都市を分析評価するものではなかった。
 環境、社会、経済の三大項目で構成する中国都市総合発展指標は、より広義に「生態環境」をとらえ、総合的に都市を評価する。同指標は、単に環境関連の指標にのみ焦点を置くのではなく、同時に、経済や社会の指標にも「生態環境」を求めた。
 こうした意味では、単純にGDP、鉄道、道路などハード面を測る指標とは異なり、〈中国都市総合発展指標〉が提唱するのは、発展の質である。同指標は狭義の環境要因だけを評価するものではない。生態環境の質はもちろん、経済の質、空間構造の質、生活の質、そして人文社会の質など幅広い内容を評価の対象としている。

② 簡潔な構造で都市を可視化

 中国の都市化が向き合う問題と課題とを整理し、内外の経験と教訓を吸収したうえで都市のあり方を数値化し、指標化する作業そのものが、困難極まりないチャレンジであった。4年間にわたる専門家による研究討論の積み重ねで、中国都市総合発展指標は、簡潔な3×3×3構造を作り出した。環境、社会、経済の三大項目は、それぞれ3つの中項目で構成され、9つの中項目指標がさらに各々3つの小項目で構成されている。各小項目指標はまた、1つあるいは多くのデータで支えられている。
 このような3×3×3構造の指標体系は膨大なデータに裏付けされたものである。しかし中国では指標を支えるデータの収集と整理自体が、大変に困難で煩雑な作業であった。中国では都市ごと、部門ごと、年度ごとにデータのフォーマットが異なり、統一性や連続性に欠けていた。データの信憑性も大きな問題であった。加えて多くのあるべきデータ自体が存在していなかった。
 中国都市総合発展指標では、データを選定する際に、特にその信憑性のチェックを重視した。と同時に、統計データ以外に、できる限りビックデータを集め、さらに最新のIT手法で膨大なビックデータを指標用データに仕立て直した。また、衛星リモートセンシングデータと地理空間データをも存分に活用した。
 こうした努力を積み重ね、初めて中国の298の地級市以上の都市を網羅した評価システムを完成させた。

③ 先鋭な問題意識

 中国都市総合発展指標は、都市の構造と内容を立体的に分析するフレームワークを作り上げた。中国の都市発展の質的向上を促す同指標は、リアリティのある問題意識と先進的な理念を掲げる使命を負った。
 指標の「環境」重視、文化伝承への関心、発展の質の追求などは、すべてこうした使命感から来るものである。
 たとえば、中国都市総合発展指標はDID(Densely Inhabited District:人口集中地区)という斬新なコンセプトを中国で初めて導入した。さらに衛星リモートセンシングの力を借り、中国における都市人口分布の分析に成功した。こうした人口分布とDID分析を重ねた結果、中国では、ほとんどの都市でスプロール化の問題をかかえていることがわかった。こうした構造的問題が、まさに交通問題、環境問題、不便な生活、サービス産業の未発達など諸々の都市問題の根っこにある。
 都市の最大の問題は、人口問題である。数十年にわたりアンチ都市化政策を取ってきた中国の為政者たちはこの点に関して未だ意識が低い。億単位の人たちが農村部から都市へすでに移動している今日でも、人口を分断する戸籍問題の抜本的な改革は成されていない。さらに、北京、上海などの代表的な都市では、いま人々を外に追い出す動きが見られる。
 中国都市総合発展指標はDID概念を導入し、人口の集積の大切さを中国で広げ、中国の都市がより活力と魅力ある高密度な空間作りに向かう指針を示すように努める。


指標対象都市

 中国都市総合発展指標は、297地級市(地区級市)以上の都市を研究分析および評価対象とする。すなわち以下の直轄市、省都、地級市の行政区分を対象都市としている。

 ・直轄市(4都市:北京市、天津市、上海市、重慶市)
 ・省都・自治区首府(27都市:石家荘市、太原市、フフホト市、瀋陽市、長春市、ハルビン市、南京市、杭州市、合肥市、福州市、南昌市、済南市、鄭州市、武漢市、長沙市、広州市、南寧市、海口市、成都市、貴陽市、昆明市、ラサ市、西安市、蘭州市、西寧市、銀川市、ウルムチ市)
 ・計画単列市(5都市:大連市、青島市、寧波市、廈門市、深圳市)
 ・その他地級市(261都市)

注:本書では、特に明記のない限り、データはすべて中国都市総合発展指標によるものである。なお、本書の中で使用するすべての地図は指標の意図を視覚的に表現する意味で作成した「参考図」であり、本来の意味での地図ではない。

2.中国の行政区分


中国の行政階層

 現在、中国の地方政府には省・自治区・直轄市・特別行政区といった「省級政府」と、地区級、県級、郷鎮級という4つの階層に分かれる「地方政府」がある。都市の中にも、北京、上海のような「直轄市」、蘇州、無錫のような「地級市(地区級市)」、昆山、江陰のような「県級市」の3つの階層がある。
 なお、地級市は市と称するものの、都市部と周辺の農村部を含む比較的大きな行政単位であり、人口や面積の規模は、日本の市より県に近い。
 また、地級市の中でも有力な市は「計画単列市」と称され、行政管理上「直轄市」に準じる権限が与えられている。日本で言えば、政令指定都市に似た扱いの都市である。現在、計画単列市は、大連、青島、寧波、廈門、深圳の5都市である。

3.指標構成


中国都市総合発展指標構造図

指標構成

 中国都市総合発展指標は、環境・社会・経済のトリプルボトムライン(TBL:Triple Bottom Line)の観点から都市の持続可能な発展を立体的に評価・分析している。
 ここで言うトリプルボトムラインとはある種の持続可能性を評価する代表的な方法であり、「環境」「社会」「経済」の3つの軸で人々の活動を評価するものである。国連持続可能な開発会議(UNCSD:United Nations Conference on Sustainable Development)が発表した「持続可能な発展指標(SDIs)」、2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」をはじめ、世界の多くの持続可能性に関する調査研究がトリプルボトムラインによって評価されている。一つの大国の全都市をトリプルボトムラインによって評価した〈中国都市総合発展指標〉は、先駆的な取り組みである。

3×3×3 構造

 中国都市総合発展指標は「3×3×3構造」を踏襲している。指標体系は環境、社会、経済の各三大項目が、それぞれ3つの中項目で構成され、計9つの中項目指標がさらに各々3つの小項目で構成されている。すなわち、大、中、小項目、合計39項目の指標で構成され、簡潔明瞭なピラミッド型の「3×3×3構造」となっている。この明快な構造を通して、複雑な都市の状況を全方位的に定量化し、可視化して分析を行っている。

データサポート

 〈中国都市総合発展指標2019〉は、2018年版指標データの更新を行った上、一部の指標データを改善し、新たな指標データを追加した。これにより2019年版は、191項目の指標データにより「3×3×3構造」を支え、より多角的で正確な指標体系を確立した。

 191項目の指標データは、おおむね均等に三分割した。つまり、「環境」大項目は55項目の指標データで全体の29%、「社会」大項目は58項目の指標データで同30%、「経済」大項目は78項目の指標データで同36%となっている。

 また、データソースもおおむね均等に三分割した。878項目の基礎データのうち、統計データは31.1%、衛星リモートセンシングデータは33.6%、インターネット・ビッグデータは35.3%となっている。

 指標構造とデータ選択における独自性と整合性は、指標体系が都市の総合発展に反映することを保証する。

4.ランキング方法


データの採集と指標化

 中国都市総合発展指標は、収集可能な最新データの使用に注力している。2019年版のデータ出所は、①各地方政府機関発表による統計データ(2017-2019年のデータ)、②ビックデータの収集(2018-2019年のデータ)、③衛星リモートセンシングデータ(2019年のデータ)の3種に分類される。

 中国都市総合発展指標では採用した191指標について偏差値を算出し、評点付けを行った。偏差値は、その値が全体の中でどの辺りに位置しているのかを相対的に表現する指標で、様々な指標で使われている単位を統一した尺度に変換して比較することが可能となる。

評価方法

 中国都市総合発展指標はそれぞれ191の指標データについて平均値を50とする偏差値を算出し、それらの偏差値を統合し総合評価を算出している。まず27の小項目レベルの偏差値をそれぞれ計算する。小項目レベルの偏差値から、9つの中項目レベルの偏差値を算出する。中項目レベルの偏差値を合成し、大項目レベルの偏差値を算出する。大項目レベルの偏差値を合成し、総合評価を算出する。〈中国都市総合発展指標〉の重要な特徴の1つは、各階層まで分解して評価を行い、都市の詳細な発展状況を立体的に分析したことである。

5.指標一覧表


中国都市総合発展指標指標一覧表 : 環境
指標一覧表 : 環境
中国都市総合発展指標指標一覧表 : 社会
指標一覧表 : 社会
中国都市総合発展指標指標一覧表 : 経済
指標一覧表 : 経済

6.プロジェクトメンバー


中国都市総合発展指標(CICI)専門委員長・本書編著者
  周牧之 東京経済大学教授
  陳亜軍 中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司〔局〕司長〔局長〕

首席専門委員
  楊偉民 中国人民政治協商会議全国委員会常務委員 中国共産党中央財経領導小組弁公室元副主任

専門家委員(アルファベット順)
  杜平   中国国家信息センター元常務副主任
  胡存智  中国土地鑑定士土地代理人協会会長、中国国土資源部〔省〕元副部長〔副大臣〕
  南川秀樹 日本環境衛生センター理事長、元環境事務次官

  李昕   北京市政府参事室任主任、中国科学院研究員(教授)
  明暁東  中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司元一級巡視員、中国駐日本国大使館元公使参事官
  森本章倫 早稲田大学教授

  穆栄平  中国科学院創新発展研究センター主任
  大西隆  豊橋技術科学大学学長、日本学術会議元会長、東京大学名誉教授
  邱暁華  マカオ都市大学経済研究所所長、中国国家統計局元局長
  武内和彦 東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構機構長・特任教授、中央環境審議会会長、国際連合大学元上級副学長
  徐林 中米グリーンファンド会長、中国国家発展改革委員会発展計画司元司長
  横山禎徳 東京大学総長室アドバイザー、マッキンゼー元東京支社長

  岳修虎  中国国家発展改革委員会価格司司長
  張仲梁  雲河都市研究院首席エコノミスト、中国国家統計局社会科学技術文化産業司元司長
  周南   中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司副司長
  周其仁  北京大学教授

雲河都市研究院 CICI & CCCI 開発実務チーム主要メンバー
  甄雪華  雲河都市研究院主任研究員
  栗本賢一 雲河都市研究院主任研究員
  趙建   雲河都市研究院主任研究員
  数野純哉 雲河都市研究院主任研究員

企画協力
  東京経済大学周牧之研究室、株式会社ズノー

 

7.著者・編者紹介


中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司〔局〕

 中国の経済・社会政策全般の立案から指導までの責任を負う国務院(中央政府)の中核組織。政策立案および計画策定を担うと同時に、各産業の管理監督、インフラなど公共事業の許認可にも強い権限を持つ。国の経済政策を一手に握る職務的重要性から「小国務院」とも呼ばれ、同委員会の長(主任)は、国務院副総理や国務委員が兼任することも多い。同委員会の発展計画司は中国の「五カ年計画」の策定および都市化政策を主管する部署である。

雲河都市研究院

 雲河都市研究院は日本と中国双方に拠点を置く、都市を専門とする国際シンクタンクである。シンポジウムやセミナーの企画・開催を通して国際交流を推進し、調査研究、都市計画および産業計画をも手がける。


周牧之
東京経済大学教授/経済学博士

1963年生まれ。(財)日本開発構想研究所研究員、(財)国際開発センター主任研究員、東京経済大学助教授を経て、2007年より現職。財務省財務総合政策研究所客員研究員、ハーバード大学客員研究員、マサチューセッツ工科大学(MIT)客員教授、中国科学院特任教授を歴任。〔中国〕対外経済貿易大学客員教授、(一財)日本環境衛生センター客員研究員を兼任。

著書:『歩入雲時代』(2010年、人民出版社〔中国〕)、『中国経済論—崛起的机制与課題』(2008年、人民出版社〔中国〕)、『中国経済論—高度成長のメカニズムと課題』(2007年、日本経済評論社)、『メカトロニクス革命と新国際分業—現代世界経済におけるアジア工業化』(1997年、ミネルヴァ書房、第13回日本テレコム社会科学賞奨励賞を受賞)、『鼎—托起中国的大城市群』(2004年、世界知識出版社〔中国〕)。

編書:『環境・社会・経済 中国都市ランキング—中国都市総合発展指標』(2018年、NTT出版、徐林と共編著)、『中国城市総合発展指標2016』(2016年、人民出版社〔中国〕、徐林と共編著)、『中国未来三十年』(2011年、三聯書店〔香港〕、楊偉民と共編著)『第三個三十年—再度大転型的中国』(2010年、人民出版社〔中国〕、楊偉民と共編著)、『大転折—解読城市化与中国経済発展模式』(2005年、世界知識出版社〔中国〕)、『城市化—中国現代化的主旋律』(2001年、湖南人民出版社〔中国〕)。

 


陳亜軍
中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司司長/管理学博士


1965年生まれ。国家産業政策や中長期計画制定に長年携わり、第10次五カ年計画〜第14次五カ年計画を立案する主要メンバーである。また「成渝メガロポリス発展計画」などのメガロポリス発展計画を立案するメンバーでもある。


徐林
中米グリーンファンド会長/元中国城市和小城鎮改革発展センター主任/元中国国家発展改革委員会発展計画司司長


1962年生まれ。南開大学大学院卒業後、中国国家計画委員会長期計画司に入省。アメリカン大学、シンガポール国立大学、ハーバード・ケネディスクールに留学した。中国国家発展改革委員会財政金融司司長、同発展計画司司長を歴任。2018年より現職。
中国「五カ年計画」の策定担当部門長を務め、地域発展計画と国家新型都市化計画、国家産業政策および財政金融関連の重要改革法案の策定に参加、ならびに資本市場とくに債券市場の管理監督法案策定にも携わった。また、中国証券監督管理委員会発行審査委員会の委員に三度選ばれた。中国の世界貿易機関加盟にあたって産業政策と工業助成の交渉に参加した。

編書:『環境・社会・経済 中国都市ランキング—中国都市総合発展指標』(2018年、NTT出版、周牧之と共編著)、『中国城市総合発展指標2016』(2016年、人民出版社〔中国〕、周牧之と共編著)。


『中国都市ランキング2018 <大都市圏発展戦略>』

目 次

 

中国都市ランキング|トップ10都市分析 北京


トップ10都市分析:北京-01
トップ10都市分析:北京-03
トップ10都市分析:北京-05
トップ10都市分析:北京-02
トップ10都市分析:北京-04

図で見る中国都市パフォーマンス


GDP規模
人口流動:流入
空港利便性
PM2.5指数
製造業輻射力
IT産業輻射力

メインレポート|大都市圏発展戦略


メインレポート|大都市圏発展戦略-01
メインレポート|大都市圏発展戦略-03
メインレポート|大都市圏発展戦略-02
メインレポート|大都市圏発展戦略-04

中国都市総合発展指標2021


〈中国都市総合発展指標2021〉ランキング


 中国都市総合発展指標(以下、〈指標〉)は、中国の297都市を対象とし、環境、社会、経済の3つの側面(大項目)から都市のパフォーマンスを評価したものである。〈指標〉の構造は、各大項目の下に3つの中項目があり、各中項目の下に3つの小項目が設けた「3×3×3構造」になっており、各小項目は複数の指標で構成されている。これらの指標は、882のデータセットから構成されており、その31%が統計データ、35%が衛星リモートセンシングデータ、34%がインターネットビッグデータから構成されている。この意味で、指標は、異分野のデータ資源を活用し、五感で都市を高度に感知・判断できる先進的なマルチモーダル指標システムである。


(1)総合ランキング

 〈指標2021〉総合ランキングのトップ10都市は順に、北京、上海、深圳、広州、成都、杭州、重慶、南京、蘇州、天津となっている。これら10都市は、長江デルタメガロポリスに4都市、珠江デルタメガロポリスに2都市、京津冀メガロポリスに2都市、成渝メガロポリスに2都市と、4つのメガロポリスにまたがっている。

 総合ランキング第11位から第30位は順に、武漢、西安、廈門、寧波、長沙、青島、東莞、福州、鄭州、無錫、仏山、昆明、珠海、合肥、済南、瀋陽、南昌、海口、三亜、貴陽の都市である。

 総合ランキング上位30都市のうち、24都市が「中心都市」に属している。中心都市とは4直轄市、5計画単列市、27省都・自治区首府から成る36都市である。つまり、総合ランキングの上位30位以内に7割近くの中心都市が入っており、中心都市の総合力の高さが伺える。

 総合ランキングについて、詳しくは、「メガシティの時代:中国都市総合発展指標2021ランキング」を参照。


(2)環境大項目ランキング

 環境大項目ランキングは6年連続で深圳が第1位を獲得した。上海が第2位、広州が第3位となった。

 〈中国都市総合発展指標2021〉環境大項目ランキングの上位10都市は、深圳、上海、広州、ニンティ、チャムド、廈門、シガツェ、三亜、北京、ナクチュであった。上海と広州の順位が逆転し、なかでもニンティ、チャムド、ナクチュはそれぞれ第4位、第5位、第10位に順位を上げている。

 環境大項目ランキングで第11位から第30位にランクインした都市は順に、海口、重慶、山南、東莞、武漢、珠海、南京、福州、杭州、儋州、汕頭、巴中、成都、仏山、長沙、普洱、中山、蘇州、寧波、舟山であった。


(3)社会大項目ランキング

 社会大項目ランキングでは北京と上海は6年連続で第1位と第2位、広州は5年連続で第3位をキープしている。

 〈中国都市総合発展指標2021〉の社会大項目ランキング上位10都市は、北京、上海、広州、成都、深圳、杭州、南京、西安、重慶、武漢となっている。なかでも成都、杭州、西安はそれぞれ第4位、第6位、第8位に上昇し、武漢はトップ10に舞い戻り、天津はトップ10から脱落した。

 社会大項目ランキングの第11位から第30位は、天津、蘇州、長沙、鄭州、廈門、済南、青島、寧波、福州、珠海、瀋陽、昆明、無錫、合肥、南昌、ハルビン、貴陽、三亜、南寧、海口となっている。


(4)経済大項目ランキング

 経済大項目ランキングは6年連続で上海がトップ、第2位は北京、第3位は深圳となった。

 〈中国都市総合発展指標2021〉の経済大項目ランキング上位10都市は、上海、北京、深圳、広州、蘇州、成都、重慶、杭州、天津、南京となっている。なかでも蘇州、杭州はそれぞれ第5位、第8位に上昇し、成都と天津は順位を落とした。

 経済大項目ランキングで第11位から第30位にランクインしたのは、武漢、寧波、青島、西安、東莞、長沙、鄭州、無錫、廈門、仏山、合肥、済南、福州、大連、昆明、瀋陽、泉州、長春、常州、温州であった。


〈関連記事〉

メガシティの時代:中国都市総合発展指標2021ランキング

北京:政治・文化・科学技術でひときわ輝く「帝都」【中国中心都市&都市圏発展指数2021】第1位

中国中心都市&都市圏発展指数2021〉第1位


 北京市は、中国中心都市&都市圏発展指数2021の総合第1位に輝いた。同市は「中国中心都市&都市圏発展指数」が2017年に発表されて以来5年連続首位に立った。首都としての実力を見せつけた。

 中国中心都市&都市圏発展指数は、中国都市総合発展指標の派生指数として、4大直轄市、22省都、5自治区首府、5計画単列市からなる36の中心都市の評価に特化したものである。同指数は、これら中心都市を、全国297の地級市以上の都市の中で評価している。10大項目と30の小項目、116組の指標からなる。包括的かつ詳細に、中国中心都市の発展を総合評価するシステムである。

CCCI2017 | CCCI2018 | CCCI2019 | CCCI2020

〈中国中心都市&都市圏発展指数〉:【36中心都市】北京、上海、深圳、広州、成都、天津、杭州、重慶、南京、西安、寧波、武漢、青島、鄭州、長沙、廈門、済南、合肥、福州、瀋陽、大連、昆明、長春、ハルビン、貴陽、南昌、石家荘、南寧、太原、海口、ウルムチ、蘭州、フフホト、ラサ、西寧、銀川


行政副都心計画と人口抑制政策

 首都・北京市は、中国の政治、経済、教育、文化の中心地であり、四大直轄市の1つである。元、明、清の三大王朝の都として、万里の長城、故宮、頤和園、天壇、明・清王朝の皇帝墓群、周口店の北京原人遺跡、京杭大運河といった7つの世界遺産をもつ北京では、胡同と呼ばれる明・清時代の路地を残した街区等、多くの歴史的建造物が存在している。一方では現代的な高層ビルが次々と建設され、新旧が入り交じった独特の街並みを形成している。2008年には夏季オリンピック、2022年には冬季オリンピックが相次ぎ開催された。北京市の常住人口は2,152万人で、2010年からの4年間で約191万人も増加した。世界屈指のメガシティである。

 世界的に本社機能が最も集中している都市の一つとして北京市は改革開放以降、繁栄を極めてきた。一方で、膨らむ人口が慢性的な交通渋滞や水不足、大気汚染等「大都市病」をもたらした。2017年9月に発表された「北京市総体計画(2016—2035年)」では、人口抑制政策を大々的に打ち出し、市内から一部の人口を市外へ転出させ、同市の常住人口を2,300万人に抑えるとしている。北京市政府は、自ら行政機能を郊外の「行政副都心」に移転させた。

 2017年11月、北京市は、出稼ぎ労働者が多数住むエリアでの火災事件を契機に、違法建築を取り壊すなどして10万人単位の出稼ぎ労働者らを市外へ追い出し、物議を醸した。結果、2017年末の北京市の常住人口は1997年以来、20年ぶりに減少した。その後も北京市の人口抑制政策は引き続いている。

冬季オリンピック開催により、ウィンタースポーツ人口が3億人に

 2022年冬、ゼロコロナ政策の中で北京冬季オリンピックが開催された。〈中国都市総合発展指標2021〉で「文化・スポーツ・娯楽輻射力」全国第1位に輝く北京市では、市民のウィンタースポーツ熱がさらにヒートアップした。

 北京冬季オリンピックは北京だけでなく中国全土でウィンタースポーツの普及に火をつけた。元々ウィンタースポーツが余り普及されなかった中国で、いまやウィンタースポーツを楽しむ人口が3億を超えた。一度の五輪開催によりこれほど多くのウィンタースポーツ人口を増やしたことはかつてなかっただろう。

 中国のウィンタースポーツ産業の全体的な規模は2015年の2,700億元(約5.4兆円、1元=20円で計算)から2020年には6,000億元(約12兆円)と2倍以上の規模に増加し、2025年には1兆元にまで拡大する見込みである。

 2021年初めの時点で、全国には標準的なスケート場が654箇所あり、2015年に比べて3倍以上増加した。屋内外の様々なスキー場も803箇所に上り、2015年に比べて4割増加している。


北京第二国際空港が竣工

 首都・北京では現在、世界最大級の国際ハブ空港の建設が進められている。新国際空港は「北京大興国際空港」、または「北京第二国際空港」と呼ばれる。2019年7月末に完工し、同年9月末に運営を開始した。

 新国際空港は北京市の大興区と河北省廊坊市広陽区との間に建設され、天安門広場から直線距離で46 km、北京首都国際空港から67 km、天津浜海空港から85 kmの位置にある。総投資額は約800億元(約1.3兆円)にのぼる。

 計画では、2040年には利用客は年間約1億人、発着回数は同80万の規模となり、7本の滑走路と約140万 m2のターミナルビル(羽田国際空港の約6倍)が建設される。2050年には旅客数は年間約1.3億人、発着回数は同103万、滑走路は9本にまで拡大予定である。空港には高速鉄道や地下鉄、都市間鉄道など、5種類の異なる交通ネットワークが乗り入れ、新空港が完成すれば、中国最大規模の交通ターミナルになる。空港の設計は、日本の新国立競技場のコンペティションで話題となったイギリスの世界的建築家、ザハ・ハディド氏(2016年没)が設立したザハ・ハディド・アーキテクツが担当しており、空港の規模だけではなく、ヒトデのような斬新なデザイン案も国内外から大きな注目を集めている。

 新国際空港が建設されたのは、北京の空港の処理能力が限界に達していることが背景にある。中国中心都市総合発展指標2021によれば、現在、北京の「空港利便性」は全国第2位であり、旅客数も第2位である。新空港が完成すれば北京は上海から同首位の奪取も視野に入る。京津冀(北京・天津・河北)エリアの一体化的な発展を推進する起爆剤ともなるだろう。

ユニバーサル北京リゾートが開業

 2021年9月、「ユニバーサル北京リゾート」(Universal Beijing Resort)がオープンした。同リゾートは通州文化観光区の中心部に位置している。中心エリアの面積は120ヘクタール、リゾートエリア全体の面積は280ヘクタールにおよぶ世界最大規模のユニバーサルスタジオである。リゾート内にはテーマパーク、デパートやレストラン、ホテルなどの様々なエンターテインメントコンテンツが整備されている。また、中国の豊かな文化遺産を反映したユニークなテーマパークも設けられている。

 2015年11月に起工式が行われ、新型コロナウイルス禍の影響で工事が一時中断していたものの、2021年のオープンに向け急ピッチで工事が進められた。建設ゴミの削減や中水の再利用など、環境に配慮したインフラが設けられたことも注目を集めている。ユニバーサル北京リゾートに直通する地下鉄2路線も開通し、交通利便性も良い。

 2018 年5月付のウォール・ストリート・ジャーナル紙は、中国のテーマパーク産業が米国を抜いて世界一の市場になる時期を2020年と予測した。実際はまだアメリカに及ばないものの、2021年には中国テーマパーク産業の市場規模は367.1億元(約7,342億円、1元=20円)に達した。

 中国中心都市総合発展指標2021では、「社会」大項目中の中項目「文化娯楽」において北京は全国第1位である。ユニバーサル北京リゾートのオープンによって、その地位は、ますます揺るぎないものとなるだろう。


中国都市総合発展指標2021〉第1位


 北京は6年連続で総合ランキング第1位を獲得した。 首都としての強みをもつ北京は、「社会」大項目がダントツ全国第1位である。「社会」大項目の「ス テータス・ガバナンス」「伝承・交流」「生活品質」の3つの中項目は、北京は他の都市と比べ、 飛び抜けて優れている。

 同大項目の9つの小項目の中で北京は、「都市地位」「人口資質」「歴史遺産」「文化娯楽」「居住環境」「生活サービス」の実に6項目で第1位を獲得している。「社会」大項目では58の指標データを採用しており、北京はそのうち24の指標データにおいて全国第1位であった。

 北京の「経済」大項目は、2020年度と同様、第2位である。中項目で見ると、「発展活力」は第1位を獲得した。「経済品質」「都市影響」ではともに上海に遅れ第2位であった。9つの小項目のうち、「経済構造」「ビジネス環境」「イノベーション・起業」「広域輻射力」の4つが第1位となっている。

 「環境」大項目で北京は2020年度と同様、第9位を獲得している。3つの中項目の中で「空間構造」が第3位、「環境品質」が第37位となったものの「自然生態」が依然として遅れをとり 第239位に甘んじている。これは北京が環境保全においていまだ多くの課題を抱えていることを示している。

 中国中心都市総合発展指標2021について詳しくは、メガシティの時代:中国都市総合発展指標2021ランキングを参照。

CICI2016:第1位  |  CICI2017:第1位  |  CICI2018:第1位
CICI2019:第1位  |  CICI2020:第1位  |  CICI2021:第1位


市庁舎が副都心に正式移転

 2019年1月、北京市政府の庁舎が市の中心部から通州区の行政副都心に正式に移転した。副都心は天安門広場から南西約25キロに位置し、すでに市政府の一部機能が移転を終えており、新たな所在地では、移転した当日に業務が始まった。

 北京では首都機能および市の行政機能の一極集中が課題とされ、その是正が議論されてきたが、この度、副都心の建設によって市政府行政機能の分散化が実現した。河北省で建設が進む「雄安新区」もその流れを後押ししている。北京都心、通州副都心、雄安新区、の3エリアを核とし、京津冀(北京・天津・河北)メガロポリスの一体化的な発展を目指している。

 問題は本来、北京市民のための市政府機能が人口集中地区から離れた遠隔地に移され、大きな弊害が起こり得ることである。また、市政府に勤務する人々も、長い通勤時間を強いられる。

 2019年末には通州副都心に直結する地下鉄も試験営業を開始し、2020年3月には、「2020年北京副都心重大工程行動計画」が発表され、総投資額約5,225億元(約7.8兆円、1元=15円として計算、以下同)を費やし、インフラや生活環境の整備など197の重大プロジェクトを推し進めると発表された。 

 北京では人口抑制政策が行われており、〈中国都市総合発展指標2018〉では、北京の「常住人口規模」は全国第3位であったが、2018年の常住人口データでは、2017年に比べて人口は16.5万人減少した。

 現在、東京、ロンドン、パリ、ニューヨークなど世界の大都市の中心部が、再開発によって大きく変貌し「再都市化」が進む中、北京では逆行するように「反都市化」の動きを見せている。

(2018年度日本語版・トップ10都市分析)

2018年は227日が青空に

 北京市の大気汚染が改善しつつある。北京市は2018年、年間で計227日、大気質が基準値をクリアし、青天だった。「重度汚染」の基準を超えた日数は15日まで減少し、3日以上連続で「重度汚染」の日が続かなかったのは、大気汚染の悪化が著しくなった2013年以降、初めてのことであった。

 〈中国都市総合発展指標2018〉では、「空気質指数(AQI)」は第50位で前年度から213位上昇、「PM2.5指数」は第42位で前年度から224位上昇した。

 「PM2.5指数」は、2018年度に年平均濃度が減少したトップ20都市のうち、第1位は北京であり、前年比で40.4%濃度が減少した。第5位の天津は濃度が8.3%改善した。北京に隣接する河北省においても同様の傾向がみられ、河北省は10都市中、4都市が20位以内にランクインした。

 北京に大気汚染をもたらす要因の1つは、周辺の工場群や発電所などから発生する大気汚染物質である。中国当局は工場移転を促し取り締まりを強化し、また燃料の石炭から天然ガスへのシフトを進めることで、以上の成果を上げた。ただし、大気汚染のもう1つの原因は自動車の排気ガスである。排気ガス削減の道のりは依然として遠く、問題はまだ解決の途上にある。

(2018年度日本語版・トップ10都市分析)


京津冀エリアの大動脈「北京大七環」が全線開通

 北京首都エリアの高速環状線、通称「北京大七環(北京七環路)」が2018年に全線開通した。東京の環状七号線は全長約53 kmであるのに対して、「北京大七環」はなんと全長940 kmにものぼる。「北京大七環」の完成によって、北京市内で深刻化する渋滞問題の緩和が期待される。河北省の発表では、全線開通後は、1日あたりの通行量は2.5万台に達した。同環状線の開通は、京津冀エリア、特に北京市の郊外エリアや衛星都市とのネットワークを大いに強化し、物流や人の流れを促進させる。〈中国都市総合発展指標2017〉では、北京市の「道路輸送量指数」は全国第4位であり、「都市幹線道路密度指数」は全国第12位であるが、今後この順位は上がっていくであろう。

(2017年度日本語版・トップ10都市分析)

京津冀協同発展、新首都経済圏、雄安新区

 中国政府は三大国家戦略のひとつとして「(北京・天津・河北)協同発展」を打ち出している。北京の都市輻射力を発展のエンジンとした「新首都経済圏」の構築を目指す構想である。

 2017年4月、中国政府はその一環として、河北省の雄県、容城県、安新県の3県とその周辺地域に「雄安新区」の設立を決定した。雄安新区は中国における19番目の「国家級新区」となり、「千年の計」と位置づけられた習近平政権肝いりのプロジェクトである。雄安新区は北京市から南西約100km、天津市から西へ約100kmに位置し、その計画範囲は、初期開発エリアが約100km2、最終的には約2,000km2(東京都の面積と同程度)にまで達するとされている。雄安新区は北京市の「非首都機能」を移転することで、同市の人口密度の引き下げ、さらには京津冀地域の産業構造の高度化等を目指している。

(2016年度日本語版・トップ10都市分析)

北京市の突出した本社機能とスタートアップ機能

 米『フォーチュン』誌が毎年発表する世界企業番付「フォーチュン・グローバル500」の2017年度版によると、500社にランクインした企業のうち、北京市に本社を置いている企業数は56社もあった。

 企業の内訳を見ると、第三次産業の企業が4分の3を占め、そのうち国有企業は52社、民営企業は4社であった。中国全体では前年より7社多い105社がランクインしており、その半数以上が北京市に本社を置いていることになる。第2位の上海市が8社、第3位の深圳市が6社ということからみても、北京市の本社機能は突出している。

 また、中国フォーチュン(財富)が発表した「フォーチュン・チャイナ500(中国500強企業)」ランキングの2017年度版によると、第1位の北京市には100社、第2位の上海市には31社、第3位の深圳市には25社が本社を置いている。北京市政府は2017年に本社機能をより強くする方針を打ち出しており、同市への本社機能の集約は今後さらに進むであろう。

 また、北京市政府はスタートアップ機能の促進にも力を入れており、同市は今や中国最大のベンチャー企業集積地となっている。2017年に市内で新たに上場した企業数は1450社にのぼり、第2位の上海市の878社と第3位の深圳市の686社の合計にほぼ相当する。北京市政府発表によれば、同市内に拠点を構えるネット系ベンチャー企業の数は、中国全土の約40%を占めている。

(2016年度日本語版・トップ10都市分析)


【講義】塩谷隆英:地域格差と格闘する国土計画

レクチャーをする塩谷隆英氏

 中国は現在、主体効能区、メガロポリス(大都市群)、大都市圏といった国土政策・都市化政策を体系的に実施している。都市化政策に後発な中国はこれらの政策の立案において日本の経験を大いに参考にした。なかでも中国政策立案者は日本の国土政策の当事者との交流から貴重な経験と智慧を得た。塩谷隆英元経済企画事務次官は2015年1月31日、来日した杜平中国国家信息中心常務副主任岳修虎中国国家発展改革委員会発展計画司副司長らに、日本の国土計画に関するレクチャーをおこなった。国土計画作りの真髄と苦労を語り、また「北東アジアグラウンドデザイン」についても展望した。舘逸志国土交通省大臣官房審議官(国土政策局担当)、張仲梁中国国家統計局財務司司長、穆栄平中国科学院創新発展研究中心主任、胡俊凱新華社『瞭望』週刊誌執行総編集長、周牧之東京経済大学教授、杉田正明雲河都市研究院研究主幹が参加した。

(※役職は当時)


■ 日本も中国も地域格差是正が大きな課題


塩谷隆英:日本の国土計画が地域格差是正のためにいかなる役割を果たしたかの経験を、失敗の歴史も含めてお話します。良いところだけを参考にされて中国の国土計画作りに生かしていただくことを願っています。

 2004年3月に上海で行われた中国国家発展改革委員会のシンポジウムに招かれ、「日本における総合開発計画の役割」と題する報告を英語でさせていただいたことがあります。

 そのとき、きょうこの場においでくださっている杜平主任にお目にかかりました。そのときから新しい勉強をしておりませんので、おそらく同じ話を今度は日本語ですることになりますが、新しい状況に関しては館審議官から説明していただきます。

 周牧之教授が書かれた『中国経済論』を読むと冒頭に、いま中国は大きな課題の解決を迫られており、第一に地域格差の拡大とそれに伴う地方経済のひずみをただしていかなければならないとあります。そして、中国経済は三大メガロポリスというエンジンによって牽引され、三大メガロポリスとは香港、マカオ、広東を中心とする珠江デルタ、第二は上海、江蘇省、浙江省を含む長江デルタ、そして3番目は北京、天津、河北からなる京津冀。これらエンジンである三つの地域に形成されたメガロポリスに、中国が依存する構造が出来上がった。そのために、地方ごとの自給自足を基本とした地域秩序が崩れ、大規模な人口移動と産業集積ができているとのことです。結果、大発展を謳歌するメガロポリスと、内陸との格差が広がっている。この格差是正が大きな課題であると言っておられます。

 この現象は日本と非常に似ているように思えます。日本の場合1960年代から地域格差の是正が大きな宿題となっており、その宿題がいまだに解決されていない。日本ではこれからお話する第一次全国総合開発計画から、第五次全国総合開発計画まで五本の国土計画が策定されております。政府として閣議決定をした計画ですが、それらの計画はすべて地域格差の是正が中心課題となっています。

塩谷隆英著『下河辺淳小伝 21世紀の人と国土』(商事法務、2021年)

■ 工業を地方分散させる第一次全国総合開発計画


塩谷隆英:まず、第一次全国総合開発計画です。出発点は1960年、池田勇人内閣によって策定された国民所得倍増計画にあります。日本の高度経済成長の出発点が、この国民所得倍増計画にあるといってよろしいと思います。中国経済で申しますとたぶん鄧小平さんの1992年の南巡講和あたりから改革開放が進み、中国の高度経済成長が始まったわけですが、日本の場合にはこの国民所得倍増計画のころから高度成長が始まりました。京浜、名古屋、阪神、北九州という四大工業地帯によって日本経済を牽引していこうという考え方を中心にした経済計画です。

 この四大工業地帯はほとんど太平洋岸にあります。北九州は日本海側ですけれど、これらの工業地帯を結ぶ帯状の地域は「太平洋ベルト地帯」と呼ばれることがあります。ちょうど中国と同じように沿岸部のエンジンによって経済全体を牽引していこうという考え方です。

 しかしこれを閣議決定しようとしたときに、後進地域から猛烈な批判が起こりました。そこで、所得格差是正のために全国総合開発計画を策定し、地域格差の是正をするので、この計画を決定させてほしいということにして、計画の前文に但し書きをつけて、ようやく決定しました。日本において地域間の所得格差が政治的な問題となった最初の事案だったと思います。

レクチャー当日の風景

 そうした経緯があり、2年間の検討を経たのちに1962年に第一次全国総合開発計画が策定されました。その計画の基本的な考え方は、地域の所得格差の是正のために工業を地方分散させる計画でした。工業の地方分散といった場合に、まんべんなく分散するのでなく、いくつかの拠点をつくりそこに工業を分散させ、それを起爆剤に地方を発展させる考え方でした。これを「拠点開発方式」と呼んでおります。

 その具体的な戦略手段として特別に法律が制定され、1964年から66年にかけて、新産業都市が15地区、それから工業整備特別地域として6地域の整備が行われました。これらの法律は、拠点へと工業分散をはかり、それから周辺地域に産業を拡大していく考え方に立っています。

 この新産業都市工業整備特別地域に関しては、西暦2000年度を目標年次とする第6次計画まで策定され、特にインフラ整備を特別な補助率の嵩上げをして促進する計画が作られました。

 累積で97兆円の投資が行われたと言われています。しかしは八戸とか秋田、仙台など、いま振り返ると多くの地域で格差是正の起爆剤にはなっていなかったことが分かります。比較的うまくいったと思われるのが茨城県鹿島地区です。それから瀬戸内海の岡山地区、九州の大分地区。これらの地区を除く他は、いまだに工業開発が行われていません。とくに秋田はほとんど工場が分散されなかった結果になっています。

 第一次全国総合開発計画の想定した計画成長率は7.2%、これは国民所得倍増計画の想定した成長率と同じでした。7.2%で成長するとちょうど10年間で国民所得が倍になることから、「国民所得倍増計画」と名付けたわけです。

 ところが実際の経済成長はそれをはるかに上回る10%以上の経済成長が続いた。結果、計画の意図した方向とは異なり、人口、産業の大都市への集中は依然として続き、過密の弊害が一層深刻化する一方、急激に人口が流出した地域では過疎問題が生じるようになりました。このころから過密過疎問題という言葉が言われるようになりました。

第一次全国総合開発計画コンセプト図・新産業都市及び工業整備特別地域指定図

■ 国土利用の抜本的再編成を図った第二次全国総合開発計画


塩谷隆英:これを解決するために1969年に第二次全国総合開発計画が策定されました。第二次全国総合開発計画、当時は「新全総」と呼ばれていました。この計画は日本の国土計画の中で最も戦略性に富んだ優れた計画だと私は思いますが、策定当初から高度成長の歪みとして公害問題などが続発したため、国民の間に環境破壊の元凶といったいわれなきレッテルを貼られ、あまり評判がよくありませんでした。

 この第二次全国総合開発計画を中心となって策定したのが中国でもかなり有名な下河辺淳という方です。上海市の顧問などもされた方で中国の国土計画作りのお手伝いも随分されました。この第二次全国総合開発計画は、情報化、高速化という社会の新しい変化に対応するために、新幹線や高速道路によって非常なスピードをもって移動ができるという新たな観点から国土利用の抜本的再編成を図り、国土を有効に利用開発するための基本的な方向を示した点に特徴があります。

 基本的なツールとしては、まず「大規模開発プロジェクト方式」が採られました。大規模開発プロジェクト方式の第一は、全国のネットワーク作りを図ることです。東京を中心に北は札幌まで、西は福岡までの1000キロを国土の主軸と位置づけ、その主軸を中心に日本列島のネットワークを形成しようという形です。

 この手段として新幹線と高速道路が用いられました。新幹線は東京から福岡まで、建設が早く完成しました。東京から札幌までの新幹線はいまようやく青森から函館までが青函トンネルを使い、間も無く開通することになっています。札幌まではまだまだかかります。計画してから60〜70年かかるわけです。長期戦略の国土計画でした。

 第二のタイプは大規模工業基地を東京から離れた地域に作るものです。そのプロジェクトとしては北海道苫小牧東部、東北のむつ小川原、それから南九州の志布志湾という三つの場所が計画されました。しかし直後に石油ショックの影響で日本経済が屈折をし、高度成長から安定成長に向かったことと、石油ショックを契機に石油をたくさん使う工業が減っていく産業構造の転換があり、重工業のために用意された広大な土地が当初の目的に使われず放置されて今日に至っています。むつ小川原地域は青森県ですが、行ってみるといまの時期だと地吹雪で、荒涼たる大地がそのまま残っています。石油ショックの経験から石油の備蓄が政策課題となり、ちょうどむつ小川原に広大な土地があり、そこが石油タンクの国家備蓄をするために使われています。

 しかし広大な敷地が当初の目的に使われることなく放置されている状況です。大規模工業基地の政策は失敗に終わっているということです。

塩谷隆英、星野進保両氏が寄稿した周牧之主篇『大転折(The Transformation of Economic Development Model in China )』(世界知識出版社、2005年)

 もう一つ「広域生活圏構想」がこの計画に盛り込まれています。この構想は地域開発の基礎単位となるもので、中核となる地方都市を整備し、これと圏域内各地の交通体系を結ぶことによって広域生活圏を形成する考え方です。この考え方は、次の第三次、第四次、第五次の総合開発計画にずっと受け継がれています。しかしこの第二次の運命は、先ほど申しましたように環境問題の悪化とそれによる市民の反開発感情、オイルショック、狂乱物価で翻弄されました。

 それに輪をかけて田中角栄内閣が1972年に発足し、日本列島改造論を政策の中心に据えました。それは第二次総合開発計画の考え方をほとんど踏襲しておりましたが、田中内閣はロッキード事件と金脈事件で倒れ、日本列島改造論は絵に描いた餅になってしまいました。それと共に高度経済成長が終わったと言っていいと思います。日本の高度成長は1960年代の初めから1970年代の初めくらいまでせいぜい15年くらいの間、と言えます。中国の高度成長は1990年代の初めからいまだに7%を上回る数字が続いています。もう20数年です。日本の当時の高度成長は奇跡であると世界中から言われましたが、中国の経済成長はもっと奇跡で、世界中が驚いています。

第二次全国総合開発計画コンセプト図・国土利用の考え方

■ 定住圏構想の第三次全国総合開発計画


塩谷隆英:高度成長が終わった時代に作られたのが第三次総合開発計画です。この計画の考え方は「定住圏構想」です。全国を200から300の定住圏に分けて人と自然の安定した居住環境を作っていこうというものです。江戸時代の藩をモデルにした川の流域に沿って森と田畑と町が相互に依存しながら循環型の居住地域を形成するいわゆる「流域圏」の概念を掲げています。これはさきほど申しました下河辺淳さんが国土庁の計画調整局長として策定した計画で大変ユニークな計画です。その後大平内閣が田園都市国家構想を政権の中心に据えました。この第三次全国総合開発計画に従って全国に44のモデル定住圏が制定され、一定の財政援助が行われる仕組みを作ったのですが、運命はあまり芳しいものではなく、ほとんどモデル定住圏がうまく作られた話は聞きません。従って第三次総合開発計画もあまり成功したものではないという評価になると思います。

第三次全国総合開発計画コンセプト図・モデル定住圏構想

■ 多極分散型国土を作る第四次総合開発計画


塩谷隆英:第四次総合開発計画が1987年に作られますが、これは石油ショックが1973年、79年と二度あり、その時は人口の東京圏への集中はちょっと鈍りましたが、80年代に再び首都圏への一極集中がひどくなりました。この状況に対応して第四次総合開発計画が作られました。この計画の理念は「多極分散型国土」を作るという考え方です。全国に高規格道路1万4000キロ、高速道路にすると1万1000キロのネットワークを創り、日本全国が地方中枢中核都市及びその周辺から一時間程度でその道路を利用できるようにする計画でした。

 この高速道路は閣議決定では7300キロまでに縮小しまして、その7300キロも民主党政権の仕分けを経てかなり凍結されている部分が出てきています。それと同時に東京を国際金融都市にしようということで事務所をたくさん作ろうとの提唱があり、ビルをたくさん建設する計画でした。いま振り返ると、時代背景はバブルで、そのバブルを一層煽る計画になったと思います。

 この第四次全国総合開発計画を作ったのは星野進保さん(元経済企画事務次官)で、周先生の親友です。星野さんが国土庁計画調整局長時に作った計画です。星野さんがいらっしゃらないところで批判をするのもなんですが、バブルを煽った罪作りな計画であったとも言われています(笑)。

第四次全国総合開発計画コンセプト図・総合保養地域整備同意基本構想分布図

■ 並列的な国土構造を目指す第五次総合開発計画


塩谷隆英:次は私が批判を受ける番で、第五次全国総合開発計画です。これは私が国土庁の計画・調整局長として作った計画です。最後までやらずに経済企画庁に呼び戻されましたので最後の閣議決定まで担当はいたしませんでしたが、原案はすべて私が局長に時代に作ったものです。考え方は、新しい時代に変化する世界の状況を視野にいれ、従来の行政縦割りやブロックを超えた国土構造の再編成が求められている、ということで従来の延長線上にはない新しい理念に基づいた計画を作ることが出発点でした。

 新しい概念として国土軸という概念を導入しました。「太平洋新国土軸」、「日本海国土軸」、「北東国土軸」、「西日本国土軸」という四つの国土軸を日本列島に考えました。ポイントは日本列島の主軸を東京を中心にして南北に一つ、その他にもう三本の軸を作ろうということで、一番喫緊の課題は日本海側に太平洋ベルト地帯と並ぶような軸、「日本海国土軸」を作ろうというのが出発点でした。

 なぜその発想が出たかというと1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災の教訓からです。この震災で国土の主軸と言われた太平洋ベルト地帯が真ん中で寸断されてしまった。これにより日本経済が3カ月くらい麻痺したと言っていいです。東海道新幹線は、1月17日から4月15日まで3カ月ストップしました。日本列島が一本の太平洋ベルト地帯で支えられていた。それが切れてしまって、麻痺した。だから太平洋ベルト地帯に依存しない国土軸をもう一本つくっておけば、一つが切れたとしても他に一本あればやっていける。さらに全体で4本の軸で経済を支えていけば、つまり直列的ではなく並列的な国土構造です。

 その構造を作るための四つの戦略として、一つは多自然居住地域の創造、二つ目は大都市のイノベーション。三つは地域連携軸の展開、四つ目は広域国際交流圏の形成という四つの戦略を練りました。とくに四つ目の広域国際交流圏の形成では、「東アジア一日交通圏」を考えました。東アジアの主要都市まで1日で行って帰ってこられるような広域国際交流圏を構想しました。

 この計画がどう評価をされたかは私の口から申し上げにくいです。作った本人がきょう参っておりますので問題提起をなさってください(笑)。

第五次全国総合開発計画コンセプト図・国土軸

■「東アジア共同体」を視野にいれた国土計画を


岳修虎:日本の第一次全国総合開発計画からその後の計画に至って、流域圏、生活圏、国土軸など空間的にさまざまなコンセプトを作ってきた。実施してみて必ずしも理想的ではなかったとの話もありましたが、中国の国土開発計画を策定するにあたり、必須なもの、あってもいいもの、なくていいものは何でしょうか。

塩谷隆英:基本的な要素としては、人口の推移が重要だと思います。中国もたぶん2030年くらいから人口が減ってくるのではないでしょうか。また、13億の人口の高齢化率が高まってくる社会にどう対応するかが、中国の国土計画の一番の要素だと思います。

 第二に中国経済は20年以上7%を超える高度経済成長していますが、環境制約、エネルギー制約をどう克服していくかが大きな課題です。周牧之教授のお話にあった三大メガロポリスは人口と産業の集中によって、環境が著しく悪化しています。その状況をどう解決していくか、です。

 もうひとつ、中国は高速道路を年間1万キロ伸ばすような猛スピードで建設しています。2006年に東京で周先生が主催したシンポジウムでは楊偉民さんも杜平さんもこられて討論しました。中国の交通体系をどうするかという問題では、自動車に依存しない鉄道交通体系の見直しの必要があると私は問題提起を当時しました。いまもこの考え方は変わりません。新幹線、リニアモーターカーのネットワークなど中国大陸でこそメリットを発揮できるような交通手段を交通体系に取り入れていくことではないでしょうか。そうすれば、エネルギー制約、環境改善に対してもかなり解決の方向が大きく見えてくると思います。

2006年5月11日「日中産学官交流フォーラム−中国のメガロポリスと東アジア経済圏」にて、上段左から福川伸次(元通商産業事務次官)、楊偉民(中国国家発展改革委員会副秘書長)、保田博(元大蔵事務次官);第二段左から星野進保(元経済企画事務次官)、杜平(中国国務院西部開発弁公室総合局長)、塩谷隆英(日本総合研究開発機構理事長、元経済企画事務次官);第三段左から船橋洋一(朝日新聞社特別編集員)、周牧之(東京経済大学助教授)、寺島実郎(日本総合研究所会長);第四段左から中井徳太郎(東京大学教授)、朱暁明(中国江蘇省発展改革委員会副主任)、佐藤嘉恭(元駐中国日本大使);下段左から大西隆(東京大学教授)、小島明(日本経済研究センター会長)、横山禎徳(産業再生機構監査役)

舘逸志:過去の計画の中で最も重視すべきだったのは、正確に人口動態を予測し、より現実的な計画を早くから立てていたらよかったと思います。また、国土計画というビジョンではどうしても夢を語りたい、こうあるべきだという政治的なメッセージを出したくなるが、振り返ると、やはり市場経済のメカニズムには逆らえません。さまざまにこれまで出してきた政治的な構想の中で、市場原理に逆らったものは成功していない。

 一方で中国が有利だと思うのは、急速なインフラ整備ができる点にあります。短期間に効率的に先取りして土木を中心にインフラ整備ができています。日本はこれに失敗しています。

 大規模なインフラ整備、都市計画には強大な権力の集中が必要だが、これは民主化の過程で失われていくもので、世界を見ても立派な都市だと思うものは王政時代に築かれたものが多いです。権力が集中できる時代に、大規模な土木工事を中心としたインフラ整備を急ぐべきだとわたしは思います。但しその時に、塩谷先生もおっしゃったようにきめ細やかで合理的な計画をベースとすべきです。

 市場の失敗をどう制御するかが世界的な課題です。中国のような大きな影響力を持つ大きな経済が市場失敗をどう克服するか。これが世界にとっても最大の課題です。環境問題、住宅投資バブルをどう制御し、貧富の格差をどう是正し、市場の失敗をどう克服するかが大きな課題です。もう一つ言えることは、技術革新は予想できない。物凄いイノベーションは次々と生活サービス、電気機械、ITの分野で起こってくるがゆえに、既存のものの前提にとらわれると失敗します。

岳修虎:中国では「主体効能区」という国土政策を打ち出し、その中でも日本の経験を参考にしています。中国の国土の中に開発を制限或いは禁止する地域を設けて、生態環境と農業生産拠点をできるだけ保護していく方針です。また、高速交通網によって都市地域をつなげていきます。いま直面する課題は、生態地域に制定されていても自然環境を保護するのは難しいことです。また、内陸においていくつか都市発展を促す地域を制定したが、なかなか成長しません。環境が守られ各地域のバランスのとれた発展をしていくことは、実際はたいへん難しいです。

レクチャー当日の風景

塩谷隆英:第二次全国総合開発計画の失敗について申し上げました。新幹線を東西南北に向けて東京を中心として整備をしたら、東京にどんどん人口が集まる。ストロー効果になった。地方に分散をはかるために高速ネットワークを作ろうとしたのが、逆の効果になって現れました。

 それは雇用機会の問題があったからです。地方に雇用機会がない状況で高速交通ネットワークを作ると、雇用機会のある大都市に人口が集まる。中国も、内陸の都市に雇用機会がないと成長しない。雇用機会をいかにして内陸に作るかが大きな課題です。内陸だから大規模な工業立地は難しいので、あまり公害を出さない機械工業などを内陸に分散することを考える必要があるのかもしれません。機械工業に関しては中国でも西安などでかなり発展していると聞いているが、そうした先例を内陸全体に発展させていくのが一つの方向かと思います。

岳修虎:国土開発計画の実施のためにどういった法律を作ったのでしょうか。

塩谷隆英:ひとつは国土総合開発法という法律がありました。1950年に作られた法律で、戦後間も無くで、全国総合開発計画の前に特定地域総合開発計画を、国土総合開発法で作り、全国で22の特定地域開発をしました。これは戦後の復興の起爆剤にしようということで、アメリカのTVA方式を勉強し、これにならって特定地域開発をしました。二番目は第一次全国総合開発計画の拠点開発方式を実施するため、新産業都市建設促進法という法律と、工業整備特別地域整備促進法という法律を作りました。その法律の要は、インフラ整備に対して国庫補助を優遇する点です。例えば新しい法律によって、国庫補助を三分の二にするといった仕組みです。定住圏構想を促進するためには、モデル定住圏を44指定して、予算で補助率をあげていく措置がなされました。高速道路1万1千キロに対しては新しい法律でなく、従来の国土幹線道路建設促進法に従い建設しました。

舘逸志:工業等制限法といった人口の東京への流入を防ぐ法律もあります。東京での工場と大学の建設を制限する法律で、工場を新産業都市などに移させるものです。またハイテク製造業の地方立地を促進するテクノポリス法もあります。

塩谷隆英:先ほど申し上げた内陸に機械産業を持っていくものとして、テクノ法、頭脳立地法などは、高度な技術を使う機械産業をなるべく地方に立地するという考え方を実施するための法律です。中国でもこうした法律を研究されたら如何かと思います。

周牧之:塩谷先生と館審議官に話を伺い、国土計画において大変なご苦労と模索の連続だったと改めて感じました。都市と国土の未来の計画策定は、人類にとって未知への挑戦です。担保になっているのは、国土の形と人々の幸せであり、これは重大な責任を伴います。人類の最高の叡智と想像力を結集させる戦いと言っていいでしょう。

 この日本の国土計画の紹介の中で、塩谷先生も館審議官も、「失敗」という言葉を何度もおっしゃっていた。これは計画が失敗したわけではなく計画策定当事者としての悔しさから出てきた言葉だと思います。計画があったゆえに今日の日本の国土の形と人々の幸せがある。この模索と挑戦の故にたくさんの経験値を積むことができた。この経験値は、これからの中国の国土計画にとっても非常に貴重な価値があります。

 今日の話からいくつか思い当たることがあります。日本の国土計画の一番の悔しさはおそらく人口移動に関するものです。人口については、東京を始めとする大都市圏に集中集約する力が非常に強かった。これはいかなる計画を用いてもうまく是正することが出来なかった。

 もうひとつは計画と市場の力関係で、市場の力が非常に大きかったことです。市場の失敗を是正するには大変な努力と知恵が必要です。

 三つ目は、大規模なインフラ整備の重要性と、戦後日本の制度から来るさまざまな制約の中でやらざるを得なかった苦労だと思う。塩谷先生から中国の皆さんに向けた言葉を私なりに翻訳すると、「中国はいまや大規模なインフラ整備や都市開発をやれる時期ですが、戦略的に体系的なデザインを描くことを綿密にやる必要性がある」、これは大変貴重で重要なメッセージです。

 環境制約、エネルギー制約、交通体系の構築に関する日本の経験は、中国の現在と将来にとって非常に大きな意味を持ちます。

 下河辺さんが偉大だったのは、新全総のときから情報化、高速化という当時としては大変先見性のある発想を持って、時代を大きく先取りした飛躍感がある国土計画を作り出したことです。こういうところで国土計画を担った方々の偉大さがわかります。ぜひ中国は学ぶべきでしょう。

 日本の国土計画の流れで感じ取ったのは、継承と進化です。脈々と継承されてきた部分と、従前の計画に関する自己批判、そして新たなチャレンジへのこの流れは、敬意を表すべきものです。きょうの会合を通じて、中国の国土計画に携わる皆さんと日本の国土計画に携わってきた皆さんとの交流が、日本にとって中国にとって、アジアにとって非常に大切だと改めて感じました。

塩谷隆英:その通りです。すばらしいまとめで、大変勉強になりました。最後にひとこと、21世紀、将来の国土計画はいかにあるべきかを申し上げます。「東アジア共同体」を視野にいれた国土計画を作りたいと思います。例えば交通ネットワーク、石油・天然ガスパイプライン、あるいは電線網などは、北東アジア全体の、国境を超えるインフラ整備の建設が必要だと思っています。政府ではないですが、NIRA(総合研究開発機構)で「北東アジアグラウンドデザイン」を作ったことがあります。こういう構想をまず作り、各国が其々の国土計画に落としていく発想が必要かなと思います。


プロフィール

塩谷 隆英(しおや たかふさ)
元経済企画事務次官、総合研究開発機構元理事長

 1941年生まれ。東京大学法学部卒業後、経済企画庁に入庁。調査局審議官、国民生活局審議官を経て、国土庁計画・調整局長、経済企画庁調整局長、経済企画事務次官、総合研究開発機構理事長を歴任。

【講義】鈴木正俊: 激動する時代を生き抜くための要件とは

東京経済大学創立120周年記念シンポジウム「コロナ危機をバネに大転換」 で講演を行う鈴木正俊・ミライト・ホールディングス元社長

編集ノート:
 東京経済大学の周牧之教授の教室では、リアルな学びの一環として第一線の経営者やジャーナリスト、官僚らをゲスト講師に招き、グローバル経済社会の最新動向を議論している。ミライト・ホールディングス元社長の鈴木正俊氏が2022年6月23日のゲスト講義で、激動の時代に生きる心構えについて学生に説いた。グローバル化、環境制約、少子高齢化という日本を襲う三大変化には、デジタルとSDGsそして個性をもって乗り切ることだと力説した。


■ リモート技術がコロナ禍の救世主に


 コロナ禍で日常が大きく変化した部分を、IT 関係でプロットしてみると、リモートシステムが整い、カメラ付きパソコンが普及し、ZOOMが出現した。 Wi-Fi やスマホがすでに存在していたため、これらが急激に進んだ。

 携帯電話で従来とはっきり変化が出たのは4Gからだ。いわゆるガラケーからスマホ=4Gになり、次いで4Gから5Gに変わると、トランスクリプト量が2.5倍になり、中身の仕様がどんどん進化した。5年前ならリモートはできなかっただろう。見えないところで進んできた技術と、コロナという疫病蔓延の事態が重なり、リモートが救世主となった。

 日本で一番大きい変化は、Wi-Fi の環境だ。私がドコモにいるとき、役所から電話がかかった。「Wi-Fi を広げなければオリンピックの開催地に日本は立候補できない。海外からの観客が通信できないような国は、開催地には選ばれない」。これは大問題だと大急ぎで進め、4、5年後にようやくWi-Fi 環境が整った。オリンピックがなかったらWi-Fiはこれほど進まなかったかもしれない。Wi-Fi があったからZoom を円滑に使えた。接続量が格段に増えて、データ量が1000倍ぐらいになり、これに耐えられる通信網ができた。

▼東京経済大学創立120周年記念シンポジウム
「コロナ危機をバネに大転換」
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■ 見る角度によって異なる事実


 皆さんの目に見える現実の世界と、クラウドの世界の間に情報の往復がある。メタバースが既に現実に起こっている。これをどう考えるか。

 皆さんの意識にはないかもしれないが、30年前を知る我々の年代の意識には「日本の製造業は素晴らしい、日本は輸出大国だ」と信じ込んでいるところがある。それは30年前のことで、今はとんでもない状態にあり、日本はもうそんな国ではなくなった。

 私が生まれた1951年の日本は、農業人口が半分だった。今は数パーセントしかいない。社会の生活基盤が大きく変わっている。過去の経験を持って見ているか、今の現実をしっかり見ているかによって、物の見え方は違う。持つ宗教によっても違う。政治の状態や経済の状態でも見える姿は違う。あるいは、どこの国に生まれたかによっても見る角度が違う。見方は一つではないことを心に留めておく必要がある。自分たちの見えている姿だけが事実ではない。見る人や考える人分の事実があり、事実は一つではない。どの角度から見るかが非常に重要だ。

 今から60年以上前、1961年にソ連が人工衛星を上げ、ガガーリンが地球一周して帰ったときの有名な言葉が「地球は青かった」。たかだか60年前は、地球が青いことが意外だった。若い皆さんからしたら当然のことかもしれない。1969年には、アメリカがロケットを打ち上げ月に人が行き、「地球は浮かんでいる」と認識した。頭の中だけでわかっていたことが視覚で確認でき、「地球には国境がない」とわかった。地球がブルーだということもわかった。

 今から52年前、1970年に、ローマクラブ宣言が「成長の限界」を叫んだ。もうこれ以上地球は成長し続けると駄目になる。食糧生産は人口の増加に追いつかないと52年前に言っていた。先駆的な人がこれは問題だといい、研究者や有力者が議論をし、穀物輸入は水を輸入することと同様で水がなければだめだと宣言した。その後、井戸は枯れ、水は枯れ、温暖化も深刻になり、だんだん認識し問題視するまで40年も50年もかかった。頭で思っていたことを現実の行動に移すまで、長い距離があった。

 今から7年前、2015年9月の国連サミットで採択された持続可能な開発目標SDGs が世に向けて唱えられた。Society 5.0が出て情報化が進む新しい世界の中で、グリーンリカバリーは、テクノロジー、デジタル化を利用しないと対処できないと叫ばれた。続いてのテーマはグレートリセットだ。グレートリセットしないと環境問題はアウトになると分かり、IT を駆使し、テクノロジーを使えば克服できると考え、それがデータートランスフォーメーションに繋がった。コロナで一斉にリモートになり、非常にプリミティブで、以前から言われながら気がつかなかったこと、つまり、デジタル化によって解決する道があることがわかった。コロナパンデミックによるマイナスは多いが、あえてプラスがあるとするなら、さまざまな気付きを得たことだろう。

■ 環境とデジタルが時代の要


 皆さんは、資本主義そのものを議論する時代、そして環境とエネルギーと経済をセットに考えなければいけない時代になったいま、大学におられる。いまの時代は、デジタルとグリーンが要だ、ということは、ぜひ忘れないでいただきたい。

 CO2排出量を2030年、2050年に向けてどう減らしていくか。アメリカも中国も2050年に向けてものすごい勢いで減らす方向で動いている。各企業単位でも提案が出されている。皆さんが卒業後に勤める企業でも事業計画、経営計画が変わっているはずだ。企業は売り上げを出し、株価を上げ、利益を出すために従来、事業計画を立てた。姿が変わったのは非財務の目標だ。非財務とは例えば女性雇用率向上、CO2削減といった会社の経営的な利益の数字以外の計画。実施しなければ追いつかないのが今の環境問題だ。

 例えば四国の四万十川保全運動では、川を保全するために山を守らなきゃいけない。海があり雲があり雨を降らして、山が保水して川に水を出し、また海に流れる。この循環の間を人が暮らしているという当たり前に戻ろうということだ。森里川海の確保だ。過疎化、高齢化、人口減少、気候変動といった問題の中で循環を作っていかなければならない。過疎化によって、田舎の山が植林できなくなり、あるいは伐採する人がなくなって山が茂り過ぎて自然機能や補整機能が落ちている。補整機能が落ちると川に良い水ができない。水ができないと、海の魚が健康に育たない。こうした状態がもう目の前に現れていながら見えていない。どう対処していけばいいのかもわからない。

 46億年ぐらい前に地球が誕生し、生物が出てきたのは40億年前、人間が出てきたのは40万年前から25万年前、農業が始まったのが1万年前と言われている。地球が生まれてから今までの時間軸を1日24時間とすると、人類の誕生は55秒からスタートし、文明を起こしてからは0. 1秒しか時間が経っていないことになる。

 いま石油、ガスの供給が滞ることでロシアが非難されているが元はと言えば資源は人間が作ったのではなく、地球が作ってきたものを線引きし、これは俺たちのものだと主張している。地球には国境がない。人間は自分で稲作をし、自分で収穫していると言うが、実際は、地球が延々と土を作ってきたプロセスがあって初めて畑ができ、農業ができている。種を植えるのは人間がやっていても、土自体は人間の意思に関わりなく出来てきた。温暖化で地球が危機的な状況になり、どう解決すべきか考えざるを得ない時代に入ったことに、皆さんの認識を合わせていただきたい。

■ グローバルに繋がり変化する現状を捉え


 世界人口が急激に膨れ上がった。第二次大戦が終わった頃が23億人、現在80億人。3.5倍近く増えた。牛がゲップをするとCO2が増えるといった話をすることがあるが、人間もCO2を吐き出している点では牛どころの話ではない。人間はCO2を活用して生きている。温暖化問題は生命の根源的な問題になっている。

 工業化社会になってから長い時間が経ったが、IT 社会が立ち上がったのは最近だ。今皆さんが向かう世の中は、大変便利でいい世界かもしれないが変化が急激だ。さまざまな問題で、昔と最近との差が著しい。変化率が速い時代に皆さんは生きていることをぜひ頭の片隅に置いていただきたい。地理的にもいろいろなことが起きている。グローバル化と言われて久しいが、自分と家族が暮らす地域あるいは国が、急激にグローバルに他と繋がっている。資本主義は非常に大きく変わってきている。グローバル資本主義で、世界中で物が国境を越え移動し始めることは経済の不安定要因にもなる。伸びている国と伸びていない国、モノがありあまる国と限られている国など極端な差が生じてくる。IT 化で現状を逸早く見ることが大事だ。大学でも問題意識を持って学んでほしい。蟻の目鳥の目とよく言われるが、上から見た姿と細部の動きは、両方が繋がっていると考えていただきたい。

 物の売り買いの手法もどんどん変化している。私が会社に入ったころは、M&Aは考えられなかった。会社自体が売れるものと認識したのは、せいぜい30年前からだ。当初はアメリカで会社を買うのは理解できても、日本で会社を買うことは想像できなかった。つい30年前までは考えられなかったことが世界中で起こり、普通になっている。利益主導で食い付くことが、環境破壊に繋がっている部分も結構大きい。

■ どのようなグレートを求めるか(ショートトーク)


鈴木正俊:グローバル競争の結果、言われるのが富の分散の滞りだ。アメリカ人口の1%が国の所得の20%を保持している程格差が広がった。以前、社長の給料が新入社員の何倍か、について世界各国の事例を比べる調査をした。日本は15倍から20倍だ。アメリカは500倍とか600倍とか圧倒的な差がある。日本は世界から見るとまだ平均的な社会だ。

周牧之:文革以前の中国は平等だった、悪平等だったかもしれない。私の祖父の給料は最高部類で300人民元台だった。当時国営企業の若手労働者の給料は18元だ。この18元で家族を養えた。この格差も20倍くらいだ。だから祖父は相当の数の友達とその家族に送金し、養っていた(笑)。改革開放後その格差は格段に広がった。現在、格差は大きな問題になっている。

鈴木:わかりやすい例を出すと、私がバングラデシュに行った時、現地で、日本の大手アパレル企業に製品を収める工場作りについて、相談を受けたことがある。当時、現地の給料水準がいくらか聞いたところ、日本円換算で1日120円程だった。日本では500円の新品Tシャツを安いと感じるが、そのうち人件費はいくらかといえば数円だ。今、皆さんの入る会社の新入社員給与は20万円、あるいは最低賃金制で東京都は時給1,041円となったから1日で9,000円になる。ユニクロやH & M の服の裏側のタグを見るとバングラデシュ製とある。消費する側は、物が安くていいと思うが、原価はもっと低い。当然今中国は人件費が高くなっているが、かつて日本の企業は人件費の安さを理由に中国に行った。

周:ひと昔前、中国労働者の給料と日本のそれとは40倍の差があった。いまだいぶ縮まった。

鈴木:企業は人件費の安い国へどんどん行った。従来日本の中で生産し日本の中で買えばよかったのが、そういう世界ではなくなった。アメリカのトランプ大統領が「Make America Great Again」と大声で叫んだ。考えてみれば、最近アメリカが、いやロシアもみんな“Great”なりたいと言う。第二次世界大戦が終わったときに核兵器を持った二大パワーの大国意識は強い。
 ロシアの面積はアメリカの倍ある。人口はアメリカの半分で日本とほぼ同じ1億4000万だ。しかしGDP はアメリカの7%、日本の4分の1以下だ。グレートなのは国土か軍隊か。経済的にはグルートではなくても歴史的にグレートであるとの意識を持ち続けている。

 中国も中華帝国の復興をしようと言っている。英語で言えば「Make China Great Again」だ。清の時代は、世界GDPの4割が中国だった。当時は世界の中心部は中国以外の何者でもなかった。グレートは一体何なのか。どういう国を作ればいいのか、何を目標にするのかが、新しい課題として現れている。

 明治時代の日本は、列強に占領されないよう富国強兵で経済を強くし軍隊を強くしようとした。戦後も貧しいから豊かになりたい一等国になりたいとグレート路線を採った。復興し、高度経済成長してきたが、この30年で成長が止まった。そして環境問題が深刻化した。物量的な限界が来るときに今後どう新しいものを作るのかがテーマになった。

周:分断的な国民国家の枠組みでなく、グローバルな経済社会におけるグレートを目指して欲しい。

ディスカッションを行う鈴木正俊・ミライト・ホールディングス元社長(右)と周牧之・東京経済大学教授(左)

■ 日本に特徴的な集団志向


 一橋大学の中谷巌先生によると「日本は特徴的」だ。西欧の植民地にならなかった。旧来、四方が海に囲まれた混合民族の国だ。征服された意識があまりない。日本人の怖いものは、古い落語を聞くと地震、雷、火事、親父で、戦争でも疫病でもない。いまの感覚では疑問もあるが、とかく自分たちのペースでやってこられたという意識がある。農民が大半だった時期、畑作をやり村の生活をやり、コンビニもスーパーマーケットもない時代、みんなが寄り添っていないと生活できなかった。非常に周りを大事にし、嫌われたくない気持ちが強い。陸続きの国とは全然違っていた。

 外国の文明と文化を、自分流に焼き直すのが上手い。日本に合うように変えるのが得意だ。人々の行動パターンについて各国別に個人志向と集団志向を調べた資料を見ると、同じ国でも全員が均一でない。アメリカ人だから、スペイン人だからといった違いではなく、個人個人さまざまだ。なるほどと思う点もある。日本は集団志向で、細く長く付き合おうという傾向が強い。アメリカは、個人志向で短期的にどんどん変化し、儲からない事業はカットし、勤める投資会社が駄目ならすぐ辞めて別の職場に行く傾向がある。

 中国、韓国、日本、ベトナムは遠からず集団志向の傾向はあると思う。各国別調査によると、ハイコンテクスト文化と、ローコンテクスト文化、つまり微に入り細に入り丁寧な国と、ストレートの国とがある。日本は、直接的な表現よりは、持って回った描写、曖昧な表現が多く、論理的な飛躍があると言われる。IとかYOUの主語がなく、直接的な事を言わずに推測で会話が成立する珍しい国だとされる。日本は、沈黙は金、饒舌は銀とされ、余計なこと言うとたたかれるから黙っている。昔の日本は徹底的にそういう文化だった。プレゼンする人に質問するのは失礼で、質問すると周りの人間が自分をどう見るか気になるからなかなか手が挙がらない。相手の気持ちを慮り、空気を読む。

 ローコンテクストは、直接的でわかりやすい表現をする。単純でシンプルで明確に言う。架空のことは評価しない。アメリカでは質問は?と聞くと、はいはいと一斉に手が上がる。欧米では相手に質問するのは、その人やその人が喋ったことに関心がある表れで、失礼でもなんでもない。私はあなたの話をよく聞き、わからないこともあるから聞くプラスのイメージだ。日本では最初に理由を言い最後に答えはこうなると言う。対して欧米ではストーリーよりも結論が大事で、結論を言ってからbecause なぜなのかを言う。彼らはNoと言われてもそんなに傷つかない。違うのであれば違うでいい、そういう意見なのだろうという感覚が非常に大きい。わからないことは、聞かなければわからないのが当たり前だから思ったことを言う。これはグローバル化においては大切だ。

■ 日本の三つの変化:グローバル化、環境制約、少子高齢化


 日本人は新しいものが入ると、どんどん理解して進めていけるが、他の人を押しのけるようなことはせずに、根底は仲良くした上で新しいものを取り入れる。私にはアメリカとの貿易摩擦に挟まれてやる仕事が多かった。当時アメリカは非常に寛容なところがあり、工場見学したいと言うと自慢して見せてくれた。日本はアメリカのものを真似し、発展させてきたことが、アメリカからすれば「日本人はわが工場を見にきて真似をし、自分のところでもっと良いものを作る。これはおかしい」という感覚が、貿易摩擦のころはあった。アメリカの本のマーケットに行って「いまはどんな本が話題か?」と聞き、その本を持ち帰って日本語に翻訳し、本屋に並べると売れた。日本より進んだ国、文明的に先を行くアメリカからものを持ってきて日本に合うものにする発想でやってきた時代が、いまは完全に切り替わった。

 日本を襲う三つの変化として挙げられていることの一つは、グローバル化、ボーダレス化だ。物差しがみんな世界の物差しになっている。利益、売上、あるいは ROE といった物差しががはっきりし始め、主体になる。次に、環境制約、資源制約だ。環境対策抜きに物事を進めていくことはできなくなった。三つ目は少子高齢化。日本は真っただ中にあり、大変なインパクトだ。日本の人口は2000年から減少してきた。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放映されているが、鎌倉時代の日本人口はだいたい800万人だった。江戸時代は3,000万人、明治維新で3,300万、戦後は7,000万人だった。1億2,690人に上がってから下がり始め、将来予測で2100年は4,700万人になる。あと80年ほどで人口は江戸時代くらいに戻る。この人口変動幅はものすごく大きい。

 成長の半分は人口が増えているところで起こる。経済成長での人口数のウエイトは大きい。日本が少子高齢化国家として、うまくいくかどうか別にして対応を取らざるを得ない。

 そういう意味で、今皆さんは、ジェットコースターのこの地点に乗っていると考えていただきたい。問題を考えるときに悲観する必要はないが、こうなることがほぼ確実な将来に向かって、何がみんなに必要とされるか、大事にされるものは何なのか、重要なことは何かを、考えなければいけない。

■ SDGsへの目的を持った企業の取り組みを


 日本は景気変動も含めて、40年周期説、30年周期説さまざま言われる。江戸時代から大政奉還で明治時代に入り、帝国憲法を作って陸海軍を作ったような富国強兵は、日清戦争で中国、日露戦争でロシアに一応勝ったころピークになった。日露戦争の日本海開戦で東郷平八郎がバルチック艦隊を打ち破った記録があるが、日本海軍の軍艦に日本製は1隻もなく、イギリス製、イタリア製の軍艦を買って使っていた。

 その後第二次大戦までがまた一つの節目で、全艦艇全て日本製だった。技術、産業の基礎ができたと考え、極端に言えば気分だけは、自分たちは何でもできる、となった。第二次大戦に負け、日本国憲法で民主制度になり世の中が変わった中で成長した。1975年に変動相場制になり、アメリカが一方的な為替政策をやり、日本が伸びすぎてニューヨークのビルなどアメリカのものを買い漁ったとマスコミから攻撃された。対日感情が最悪になった1985年を機に、為替がガラリと変わった。日本の成長が頭打ちになった。95年にバブルがはじけて以降の30年間、日本経済は停滞し続けた。

 私が新卒入社したときは、毎年給料が5%から8%上がった。1990年から給料も物価も上がらない時代が30年間も続いた。経済研究所のある役員が、「30年間賃上げもインフレもなかったため経済予測する側もインフレが肌でわからない。物価が上がりインフレが起こることが頭ではわかっても、実感としてはわからない」と言う。

 大きな変化の時代だ。中国の製品は品質がよく、マーケットが大きい。日本は人口も経済環境も変わり、追いつかない状態になった。非常に勤勉で、異質のものを吸収し、繊細な感性を生かして実績をあげた経験を活かし、意識して工夫を重ね、イノベーション、技術力を高め、考えてやっていかなければならない。

 さまざまな企業が、SDGs になる自らのパーパスを定めようとしている。世の中に貢献するにはパーパスがなければいけない。会社は儲けさえすればいいところではない。企業、団体、あるいは集団で、ミッションを明確にしていこうとの流れになっている。パーパスを日本語で目的と翻訳すると少々違う。自分たちはどう行動するかは、国により人により異なる。過去の蓄積や管理者の価値観も違う。次に求められているものを再度見直さなければいけない。日本は、繊維業、自動車産業もほとんど海外生産をし、国内市場は縮んでいる。大企業の相手は世界だ。日本は、中堅中小の企業数が99%。中小企業が普段目の前に見ている日本の風景と世界とは、ちょっと違う。しかしその違いを生かすやり方もある。世界のニーズは何か、自分の持つ能力は何かをよく考え、社会の中で独自の強みを生かしていくことが、一つの大きな流れだ。

■ 人生100年時代とはいうけれど


 人生100年の時代と言われる。私は大きい病気をしているので、頭で考える自分の状態と実際の体とは違うとの実感がある。体の成長のピークは思春期で、その後、体は確実に劣化する。人により個人差はあるが、皆さんも既に体力的には劣化の過程に入り、免疫力を含めてピークを過ぎている。

 職業人生が40年という人生ステージでいくと、私は職業人生の終わりに来ている。30代、40代が働き盛りで、私は50代が非常に能力を発揮できるだろうと思っていたが、体力が落ちたのを実感した。精神活動が人の進化を決めるとはいえ体力あってこそだ。体は自分の頭でコントロールできない面が多いことに、なかなか気がつかない。

 衰え方でいえば、厄年とされる47歳前後から体力は段階的に落ち、ある年齢になって、がたっと落ちる。典型的なのは70代だ。免疫力は15歳くらいまでに完成し20歳以降徐々に低下すると科学で明らかになっている。データを集めた専門家によれば、40歳代の中頃から変わるという。40代に肌が変わり、筋肉量が1%ずつ減る。30年経てば30%減る。年をとったら腰が痛くなるから、薬を飲みましょうとなる。高齢者は腰が痛くなり、歩きにくくなり、足がしびれる。明らかに筋肉量が減るからだ。

 日本人が実施した「嘘つき能力」の研究がイグノーベル賞を受賞したと、ある大学の医学部長に聞いた。嘘つきの能力を各年齢別に3000人ほどサンプル取り、嘘を一番つく年齢は何歳か調べたら、一番多いのは思春期で、年とともに嘘をつく回数が減った。 原因について医学部長は「年をとると記憶力が衰え、つじつまが合わなくなる。思春期は頭の回転が良く、自分の嘘を覚えていて、小さな嘘は修正を効かせられる。歳をとると面倒くさくなり、嘘はバレるから最初からつかない方が気楽だ、と考える」と半分冗談で言っていた。思春期は記憶力でも体力でも大事な時代だ。体力の落ち方は皆共通といっていいが、能力は違う。経験などを組み合わせて伸びていく。磨いていけば能力は高まる。

■ 目前と全体の両方捉える視線を


 ロシアがウクライナ侵略したときのアメリカの世論調査で「強い関心がある」との答えは26%だった。先週の世論調査では「関心がある」が6%だった。人間の気持ちは時間とともに移ろう。人間は変化する多様な存在であるがゆえに、協力する力、知識や技術や経験を蓄積しつつ工夫をし、協力して生きていく必要がある。人間は愛情もあるが嫉妬もあり、多様ではあるが、基本的には友達の友達は友達という世界で出来上がっている。各々特徴を持ち、様々考えながらやっていることが、良いところに収斂してくる。私の考えは「人生は思った通りには進まないが、結構面白い」だ。

 神道の考え方に「今中」がある。真ん中だ。過去現在未来の中心に今中があるというのが、日本古来の教えだ。今が繋がっているから将来があるとの思想だ。大きな世界の中の日本人として、行動し、考えていくことが大事だ。質問があるか問われてシーンとなっていていいのだろうか?周りの言うことも大事だが最後は自分の立つところで考えることを意識していただきたい。

 作家遠藤周作が、仕事とは何かと問われ「一番面白い仕事は、楽しいけど苦しい仕事だ」と答えた。楽しいばかりは楽しくない。苦しいばかりでも続かない。楽しく、苦しいのを乗り越えていく仕事は面白い。

 皆さんには大学で、徹底的に勉強する、本を読む、ディスカッションするなど、なんでもいいから、いろいろな材料に深くぶつかってほしい。自由な時間はもうあまりない。今この時間はものすごく貴重だ。いろいろやっていると何か化学反応が起こる。ああ、こういうことだったのだと気がつく。私が非常に感心したのは宇宙飛行士の山崎直子さんが講演の中で言っていたことばだ。彼女は火星に行くかと聞かれ、行きたいと答えた。彼女の一番大好きな言葉は「Wonderful」。「Wonder」はわからないとか不思議だということで、「Ful」というのはいっぱいあるということ。「不思議でわからないことがいっぱいあることが楽しく、素晴らしい。これが「Wonderful」の実感だ」と言われた。すごい人だと感心した。

 わからないことに挑戦するのは苦しいが、わかってくるとまた一歩進もうと思う。これは人類共通だ。全てが予定されている世界が続いても魅力的ではない。変化を怖がる必要は全くない。変化によって生活の実感が湧いてくる。

講義を行う鈴木正俊・ミライト・ホールディングス元社長(右)と周牧之・東京経済大学教授(左)

■ 環境の異なる場所に身を置く


 知識、技術、経験は力だが、経験だけを重視しすぎると稀に間違えてしまう。昔はこうだったとの考えに繋がってしまう。世の中変化しているから昔とは違うことがある。経験が邪魔になることがある。

 一番のポイントは、クエスチョン能力だ。何がわからないかをはっきりさせる。何がわからないかがわからないままなのは、最悪だ。何がわからないか知るために勉強する。勉強するとわからないことがよりはっきりする。クエスチョン能力は一番大きなドライバーだ。

 全体がどうなっているのかは、ぼんやりしかわからなくても、目の前で見えていることと、全体との、両方見ることを絶えず意識してほしい。目の前のものが全てと思っていたことが、コロナ禍になり極端に変わった。体験の中で知識を学ぶしかない。自分なりにものを見ながら、目の前と全体との両方を考えれば、自分にとっての物差し、自分の価値観が得られる。日本ではどうしても、私も含めて、儲けとか利益の着地点を最初に考える。それは当然だが自分の物差しで何を大切にしようか考えることが必要だ。現実にさまざまなことが起こったとき、やるかやらないかが図れる自分の物差しを作ってほしい。

 コロナ禍でなかったら皆さんも国内、海外問わず行ってきたはずだ。違う場所に体を移せば違う環境の中で学ぶことは多い。考えているだけでなく体を移すことをやられた方がいい。環境を自分で意識して変えていく。1日のうちでも環境を変えれば、ずいぶん気づくものが多くなる。コロナ禍の制限が解除されたら、活発に活動をしてほしい。

■ 個性と好感を兼ね備えた若者に(ショートトーク)


周:企業のトップから見て、どんな若者に入社して欲しいか。どんな若者に期待しているか?

鈴木:基本は自分の見方を持っていること。それから忍耐力のある人だ。集団では自分の意見だけ通るとは限らない。そのときこの場は合わせようという忍耐力が必要だ。情熱があり忍耐力のある人が一番ほしい。インターネットなどからパクってこうだ、と言うような省力化する人は要らない。自分はこう考えるが、皆で決めればそのようにやっていくと言える人、自分と他者の違いを糧にし、やがて自分が主体になったときに次の結論が出せる人が欲しい。過去の採用面接で「私はいろいろ努力した、サークルではキャプテンをやり、こんな活動を取りまとめた」という同じ答えが、人は違うのに続いて嫌になった。なぜこれを言うのかの理由に、自分の考え方が出てくる人が貴重だ。

周:決まった解答でなく、個性を上手に出すことが求められている。

鈴木:そうだ。個性を強く出そうと認識する人もどうかと思う。違うことを強調するだけの人も困る。

周:ごく自然に個性を出せる人がいい。

鈴木:そうだ。一番の早道は、環境の違うところに身を置き、環境の違いを自分で経験してみることだ。家庭環境が違い、田舎育ち都会育ちの違いで、見てきたものは違ってくる。さらに海外行くと、様々な視点で物事を見られるようになる。違う国へ行けば歴史も学ぶ。人の営みは、歴史を見て時間軸の違いを見るなかで理解できる。自分で様々経験するのがやはり一番早い。

 運を呼び寄せる方法を問われた松下幸之助の答えは、「ありがとうと言えばいい」だ。なんでも感謝し、些細なことを良かった、ありがたかったと言って回ると、必ず好感を持たれて次に続く。好感を持てない人に「こんなチャンスがある」と人は言わない。他国比較の統計で「自分のキャリアビジョンはいつ考えたか?」の日本人の答えは、圧倒的に大学時代だった。他国の答えは、中学以前、中学時代、高校時代など分布していた。日本では受験プロセスに皆がはめこまれる教育システム、家庭システムがあるためか、大部分の人が、大学卒業時にさて仕事はどうするかと突然考え、難しいことになるという統計だった。自分で意識し様々見たり聞いたり言っていくことが大事だ。

周:要するに企業にとっては個性と好感を兼ね備えた若者が欲しい(笑)。

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「コロナ危機をバネに大転換」
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プロフィール

鈴木 正俊 (すずき まさとし)
NTTドコモ元代表取締役副社長、ミライト・ホールディングス元代表取締役社長

 1951年静岡県生まれ。1975年東北大学経済学部卒業、日本電信電話公社入社。NTTドコモ取締役広報部長、同取締役常務執行役員、同代表取締役副社長。ミライト・ホールディングス代表取締役社長、ミライト代表取締役社長、ミライト・ホールディングス取締役相談役などを歴任。

銀川:イスラム教徒が多く住む西北の中心都市 【中国中心都市&都市圏発展指数2020】第53位

 フフホト市は、中国中心都市&都市圏発展指数2020の総合第53位にランクインした。同市は2019年度より順位を3つ下げている。

 中国中心都市&都市圏発展指数は、中国都市総合発展指標の派生指数として、4大直轄市、22省都、5自治区首府、5計画単列市からなる36の中心都市の評価に特化したものである。同指数は、これら中心都市を、全国297の地級市以上の都市の中で評価している。10大項目と30の小項目、116組の指標からなる。包括的かつ詳細に、中国中心都市の発展を総合評価するシステムである。

 銀川市は、中国の中でもイスラム教徒が多く住む都市であり、中国唯一の回族自治区寧夏の首都である。現在、3区2県1市を管轄し、総面積は9,025平方キロメートル(鹿児島県と同程度)である。銀川市は多民族都市であり、回族のほか漢族、満州族、モンゴル族、朝鮮族など26の民族が居住している。

 銀川市は中国北西部の寧夏平原の中央部に位置し、東にはオルドス山脈、西にはヘラン山脈がそびえ、市内には黄河が流れている。地形は平坦であり、南西から北東にかけて徐々に傾斜し、平均標高は1,100メートルある。四季ははっきりしており、夏は暑く、冬は寒くなく、年間平均気温は8℃前後である。東部の賀蘭山麓はワイン用ブドウの最良の産地であり、中国の「ボルドー」とも呼ばれる。

 同市は水資源が豊富で、200以上の自然湖がある。一人当たりの湿地面積が全国平均の6倍に及ぶことから、中央政府から「国際湿地都市」に指定されている。

 銀川市の都市としての歴史は1,300年以上あり、かつては、古代西夏王国の首都であった。市内には、宮殿、楼閣、寺院、仏塔、モスク、長城跡など60以上の名所がある。特に、「中国のピラミッド」と呼ばれる西夏古墳群が著名である。

 同市は黄河文明、西夏王国、イスラム文化が混じり合う、多様性に満ちた交流・交易都市である。中国・アラブ諸国博覧会の常設会場にもなっている。

 銀川市は同自治区の中心都市として近年、都市化が急速に進行している。常住人口は288万人、都市化率は81.4%、直近10年間(2011〜2021年)で常住人口は約90万人増えた。大量の移住者により、「生産年齢人口(15〜64歳)率」は69.1%と中国で27位に位置し、人口構成が非常に若い。2021年、銀川市のGDPは2,263億元(約4.5兆円、1元=20円換算)で、中国では137位である。

 中国国務院は、銀川市を「一帯一路」の重要な結節点として、西部大開発戦略の重要なゲートウェイと位置付けている。広域インフラ整備によって同市の「高速道路密度」は現在、中国35位となっている。中央アジアなどへ向かう国際貨物列車も定期的に運行されている。

 市内交通インフラ整備も進んでおり、「都市軌道交通指数」は中国で38位、「一人あたり公共バス利用客数」は中国で5位と高い。

 近年では、都市機能を高めるため、デジタル化にも力を入れており、「デジタル銀川」プロジェクトが進行している。


〈中国中心都市&都市圏発展指数〉:【36中心都市】北京、上海、深圳、広州、成都、天津、杭州、重慶、南京、西安、寧波、武漢、青島、鄭州、長沙、廈門、済南、合肥、福州、瀋陽、大連、昆明、長春、ハルビン、貴陽、南昌、石家荘、南寧、太原、海口、ウルムチ、蘭州、フフホト、ラサ、西寧、銀川

中国中心都市&都市圏発展指数2020
中国中心都市&都市圏発展指数2019
中国中心都市&都市圏発展指数2018
中国中心都市指数2017

【ランキング】メガシティの時代:中国都市総合発展指標2021ランキング

雲河都市研究院

 雲河都市研究院は、中国における地級市以上の297都市(日本の都道府県に相当)を対象とした〈中国都市総合発展指標2021〉の総合ランキングを発表した。北京が6年連続トップ、上海が2位、深圳が3位となった。


 中国共産党中央財経領導小組弁公室元副主任、全国人民政治協商会議常務委員の楊偉民氏は、「私にとって親しみ深い中国都市総合発展指標が約束通り再び公表された。この指標は、誕生以来、常に新しい発見をもたらしてくれる。今回、中国都市総合発展指標2021では、都市規模別、地域別の分析が追加された。総合指標、そして経済・環境・社会的評価を用いて、都市を規模や地域ごとに分類、比較研究し、新たな知見をもたらしている。京津冀(北京・天津・河北)、長江デルタ、珠江デルタ、成渝(成都・重慶)などの地域におけるメガシティから中小都市に至るパフォーマンスが可視化されたことで、第20回中国共産党大会(2022年10月に開催)が打ち出した、メガシティと特大都市の、発展モデルの転換を加速させる政策の背景にある深い思考が窺える」と称賛した。

1.先進的なマルチモーダル指標で都市を「五感」で評価


 中国都市総合発展指標(以下、〈指標〉)は、中国の297都市を対象とし、環境、社会、経済の3つの側面(大項目)から都市のパフォーマンスを評価したものである。〈指標〉の構造は、各大項目の下に3つの中項目があり、各中項目の下に3つの小項目が設けた「3×3×3構造」になっており、各小項目は複数の指標で構成されている。これらの指標は、882のデータセットから構成されており、その31%が統計データ、35%が衛星リモートセンシングデータ、34%がインターネットビッグデータから構成されている。この意味で、指標は、異分野のデータ資源を活用し、五感で都市を高度に感知・判断できる先進的なマルチモーダル指標システムである。

 深圳市元副市長、香港中文大学(深圳)理事の唐傑氏は、「今回の〈指標〉は前年度と比較すると、総合ランキングのトップ10都市は安定しており、杭州は8位から6位に順位を上げた。中国都市勢力図では、成都、杭州、南京、重慶、蘇州が新一級の都市として安定し、北京、上海、深圳といった一級都市に追いつく勢いを強めている。〈指標〉の特徴として、経済規模、経済構造、経済効率、ビジネス環境、広域インフラ、輻射能力など9つの小項目指標が都市の経済を評価している。また、自然生態、汚染負荷、環境努力、交通ネットワークなど9つの小項目指標が都市の環境を評価している。加えて、居住環境、生活サービス、文化施設、人的交流など9つの小項目指標が社会発展を評価している。都市発展を総合的に評価するこの27の「小項目指標」は、中国都市の量的成長から質の高い発展への移行を、定量的に評価するバロメータである」と指摘する。

 指標2021総合ランキングのトップ10都市は順に、北京、上海、深圳、広州、成都、杭州、重慶、南京、蘇州、天津となっている。これら10都市は、長江デルタメガロポリスに4都市、珠江デルタメガロポリスに2都市、京津冀メガロポリスに2都市、成渝メガロポリスに2都市と、4つのメガロポリスにまたがっている。

 総合ランキング第11位から第30位は順に、武漢、西安、廈門、寧波、長沙、青島、東莞、福州、鄭州、無錫、仏山、昆明、珠海、合肥、済南、瀋陽、南昌、海口、三亜、貴陽の都市である。

 総合ランキング上位30都市のうち、24都市が「中心都市」に属している。中心都市とは4直轄市、5計画単列市、27省都・自治区首府から成る36都市である。つまり、総合ランキングの上位30位以内に7割近くの中心都市が入っており、中心都市の総合力の高さが伺える。

図1 〈中国都市総合発展指標2021〉総合ランキング トップ100都市

2.メガシティと特大都市が中国の都市発展をリード


 都市規模と発展水準の関係分析を可視化するために、指標2021では、箱ひげ図と蜂群図を重ね合わせ、タイプごとに都市の偏差値分布とその差異を比較した。

 これに対して、中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司元一級巡視員、中国駐日本国大使館元公使参事官の明暁東氏は、「〈指標2021〉のこの試みは画期的だ。これによって、各種指標のランキングに、箱ひげ図が重ねられ、異なるタイプ都市の分布と差異が可視化された。2021年中国都市全体の発展状況が非常に正確に示されている。読者に中国都市の実力をより立体的かつ直観的に印象づける。これ自体が、一つの重要なイノベーションである」とコメントしている。

 指標2021では、都市を人口規模に応じて、人口1000万人以上の「メガシティ」、500万人以上1000万人未満の「特大都市」、300万人以上500万人未満の「第Ⅰ種大都市」、100万人以上300万人未満の「第Ⅱ種大都市」、100万人未満の「中小都市」と分類している。 この分類は、「都市規模分類基準の変更に関する中国国務院通達」の都市分類と同じだが、「通達」では「都市部人口」を用いているのに対し、〈指標〉では「常住人口」を用いている。

 直近で実施された中国第7回国勢調査のデータを用いて297の地級市以上都市を分類すると、メガシティは17都市、特大城市は73都市、第Ⅰ種大都市は107都市、第Ⅱ種大都市は79都市、中小都市は21都市となる。

 17メガシティの常住人口は2億7千万人に達し、日本総人口の2倍以上に相当する。メガシティと特大都市を合わせると90都市で、総人口は7億8,000万人に達し、これはアメリカ総人口の2倍に相当する。これについて、東京経済大学の周牧之教授は、「中国人口の半分以上がこれらの都市に住んでおり、メガシティ化、大都市化は、中国ですでに現実のものとなっている」と指摘している。

 箱ひげ図中の横線は、サンプルの中央値、箱の上辺は上位四分位点(75%)、箱の下辺は下位四分位点(25%)、箱本体は50%のサンプル分布を示している。蜂群図は、個々のサンプル分布をプロットした図である。箱ひげ図と蜂群図を重ね合わせることで、サンプルのポジションと全体の分布の双方を示せる。

 指標では、評価方法に偏差値を用い、全国での各指標における各都市のパフォーマンスを測っている。これによって、各指標で用いられる異なる単位を、偏差値という統一的な尺度で総合的に比較することが出来た。各都市における偏差値の中央値は、図2に見られるように、メガシティのみ全国平均を上回っている。環境、経済、社会の三大項目の偏差値を積み重ねた総合評価の全国平均値は、150である。図2で示すように、各タイプ都市の中で、唯一メガシティの中央値が全国平均値を超えた。

 周牧之教授は「メガシティは、疑いなく中国都市発展のエンジンとなっている。但し、メガシティの中でもその評価は芳しくない都市もある。例えば、临沂の総合評価偏差値は全国の平均値を下回った。また石家荘の総合ランキングは全国第46位である。これに対して、石家荘より180万人も人口の少ない南京は、人口規模では特大都市でありながら、総合ランキングでは第7位に輝いている」と解説する。

 これは、指標が「環境」「社会」「経済」の総合評価であることに起因している。人口規模と環境、社会、経済の三大項目との相関を分析すると、人口規模は「環境」との相関が弱く、「社会」との相関がやや強く、「経済」との相関が最も強いことがわかる。つまり、人口規模が大きい経済パフォーマンスの良い都市でも、「環境」の得点が低い場合は、総合ランキングの順位を引き下げることがある。

図2 〈中国都市総合発展指標2021〉総合ランキング 人口分類別分析

出典:雲河都市研究院〈中国都市総合発展指標2021〉より作成。

3.地域発展で先行する華東地域と華南地域


 中国は国土が広大であり、気候や地理的条件、社会発展の状況も地域によって大きく異なる。指標2021では、華北、東北、華東、華中、華南、西南、西北といった7地域の都市パフォーマンスを比較分析している。

 各地域の都市の数と人口規模を比較すると、華北は33都市で人口1.64億人、全国に占める人口シェアは11.6%である。東北は34都市で0.96億人、同6.8%である。華東は77都市で4.25億人、同30.1%と全国で最大規模の人口を抱えている。華中は42都市で人口2.14億人、同15.1%、華南は39都市で人口1.82億人、同12.9%、西南は39都市で1.71億人、同12.1%である。西北は33都市で0.79億人、同5.6%と全国で最少となっている。中国人口分布は地理的に偏在し、その重心は、沿海部と長江沿いに集中している。

 さらに、各地域の流動人口を見ると、華北は-371.3万人、東北は-400.1万人、華東は1645.9万人、華中は-126.6万人、華南は1685.0万人、西南は-974.5万人、西北は-1007.5万人で、各地域から華東、華南への人口移動が著しい。この人口移動は中国の人口分布の偏在をさらに顕著にしている。

図3 〈中国都市総合発展指標2021〉総合ランキング 地区別分析

出典:雲河都市研究院〈中国都市総合発展指標2021〉より作成。

 図3に示すように、中央値が全国平均の150を超える地域はない。東北地域は、中央値が最も低く、その中心都市4都市はいずれも総合順位が高くないと同時に、一般都市のほとんどもその低い中央値周辺に集まっている。それに対して西北地域は、総合ランキング12位の西安が同地域の中央値を引き上げている。

 総合ランキングトップの北京と同10位の天津はスコアを伸ばしたことで、華北地域の中央値が東北・西北地域の中央値より高くなっている。

 華中地域も武漢、長沙、鄭州の3つの中心都市の牽引力に頼るところが大きい。一般都市の中では宜昌だけが総合偏差値で全国平均を上回っている。

 中央値が最も高い華東地域は事情が異なる。上海に代表される中心都市だけではなく、蘇州、無錫に代表される一部の一般都市の成績も非常に優れていることから、箱ひげ図の箱のサイズが大きく、中心都市と一般都市が一体となって中央値を引き上げている。華南地域も同様で、中心都市である深圳や広州の牽引力が強いと同時に、東莞や仏山といった非中心都市の存在感も目を引く。この2つの地域では、すでに一部の一般都市が中国都市発展の最前列に並んだ。


【日本語版】
チャイナネット「メガシティの時代:中国都市総合発展指標2021ランキング」(2023年3月29日)

【中国語版】
中国網「超大城市时代:中国城市综合发展指标2021排行榜」(2023年2月21日)

【英語版】
China.org.cn「The era of megacities: China Integrated City Index releases 2021 rankings」(2023年3月14日)

中国国務院新聞弁公室(SCIO)「The era of megacities: China Integrated City Index releases 2021 rankings」(2023年3月14日)

他掲載多数


西寧:西部大開発の拠点都市【中国中心都市&都市圏発展指数2020】第52位

 フフホト市は、中国中心都市&都市圏発展指数2020の総合第52位にランクインした。同市は2019年度より順位を1つ下げている。

 中国中心都市&都市圏発展指数は、中国都市総合発展指標の派生指数として、4大直轄市、22省都、5自治区首府、5計画単列市からなる36の中心都市の評価に特化したものである。同指数は、これら中心都市を、全国297の地級市以上の都市の中で評価している。10大項目と30の小項目、116組の指標からなる。包括的かつ詳細に、中国中心都市の発展を総合評価するシステムである。

 西寧市は、青海省の省都で、チベット高原の東玄関口として、中国西北部の中心都市である。現在、5区2県を管轄し、総面積7,660平方キロメートル(宮崎県と同程度)で、2021年における地域内総生産は、前年比8.1%増の1548.8億元(約3.1兆円、1元=20円換算)で、中国では188位である。

 同市は、東西に細長い形をしており、南西部が高く、北東部が低い地形となっている。南は南山、北は北山に囲まれている。海抜2,261メートル(長野県・有明山の標高と同程度)の高原都市で、年間平均降水量は380ミリメートル、年間平均日照時間は約1,940時間、年間平均気温は7.6℃、最高気温は34.6℃、最低気温は-18.9℃で、寒暖差は激しい。夏の平均気温は17〜19℃と過ごしやすい。

 青海省の東部、湟水河(青海省に源を発し甘肅省に流入する黄河上流の重要な支流)の中流域に位置する西寧市は、古代シルクロードや「唐蕃古道(とうはんこどう)」の交易都市として、古来より栄えた。唐蕃古道は、かつて中国中原とチベットを結んだ交易ロードである。唐は唐朝のことを指し、蕃はチベットのことを示す。

 西寧市は、黄土高原とチベット高原の結節点に位置することから、色彩豊かな民俗文化を有する多民族都市である。現在は、漢族、チベット族、回族など多民族が居住している。チベット仏教の聖地・タール寺は、観光名所として名高い。

 2000年から始まった「西部大開発」は同市に大きな発展をもたらしている。西部大開発とは、東部沿海地域と内陸の西部地域の格差を是正し、内陸経済の発展を促す国家政策である。同政策によって、西寧市の空港、鉄道や道路などの広域インフラ整備は急速に進み、経済発展が加速した。その結果、青海省の都市化率は、2000年の34.8%から、2021年には61%に達した。西寧市の人口は、2000年の197.9万から、2021年には247.6万となり、この間、約50万人も増加している。

 青海省は、チベットに続く中国で2番目に草地が多い省である(「【コラム】黄砂襲来に草地を論ず 〜中国都市草地面積ランキング2019〜」を参照)。西寧市は、市内の半分以上の面積が草地である。しかし、上記のコラムでも指摘しているように、中国では乱開発の影響により、草地の減少が大きな環境問題となっている。近年、「主体効能区」政策の実施によって、草地の資源状況が大幅に改善されている。西寧市の豊富な自然資源は現在、観光資源としても注目を集めている。


〈中国中心都市&都市圏発展指数〉:【36中心都市】北京、上海、深圳、広州、成都、天津、杭州、重慶、南京、西安、寧波、武漢、青島、鄭州、長沙、廈門、済南、合肥、福州、瀋陽、大連、昆明、長春、ハルビン、貴陽、南昌、石家荘、南寧、太原、海口、ウルムチ、蘭州、フフホト、ラサ、西寧、銀川

中国中心都市&都市圏発展指数2020
中国中心都市&都市圏発展指数2019
中国中心都市&都市圏発展指数2018
中国中心都市指数2017

【フォーラム】高井文寛:自然回帰で人間性の回復を

ディスカッションを行う高井文寛・スノーピーク副社長

 東京経済大学は2022年11月12日、学術フォーラム「供給サイドから仕掛ける地域共創の可能性」を開催した。和田篤也環境事務次官、南川秀樹元環境事務次官、中井徳太郎前環境事務次官、新井良亮ルミネ元会長をはじめ産学官のオピニオンリーダー16人が登壇し、周牧之ゼミによるアンケート調査をネタに、新しい地域共創の可能性を議論した。高井文寛・スノーピーク副社長がセッション2「地域経済の新たなエンジン」のパネリストを務めた。

 

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学術フォーラム「供給サイドから仕掛ける地域共創の可能性」
セッション2:地域経済の新たなエンジン

会場:東京経済大学大倉喜八郎進一層館
日時:2022年11月12日(土)


■ すべての社員、会員の組織でアーバンフィールドから自然の中までつなぐ


 周牧之(司会)今回東京経済大学周ゼミのアンケート調査で面白い数字があった。国分寺にキャンパスがある東経大の学生のうち4割近くが国分寺の豊かな自然資源に接していなかった。私も非常に驚いた。コロナという特別の事情があったにせよ、自然資源はそこにあるだけではなく、アクセスさせるための仕掛けが必要だと強く感じさせられる調査結果だった。

 その点で、スノーピークは自然へのアクセスを仕掛けるビジネスを展開し、コロナ下でもキャンプ事業、関連事業を含めて業績を伸ばしている。本社は新潟にあり、キャンプ場も併設されていることで、地域密接型の事業を展開し、学生からも高い関心を集めている。アンケートの中で「あなたが知っているアウトドアキャンプ企業を教えてください」という設問に対して、スノーピークは第3位にランキングされた。国内の企業では1位だった。

高井文寛:ます、学生さんのアンケートで3位に入ってほっとしている。ようやくアウトドアのブランドとして日本では認知されたかなと、ありがたい。

 スノーピークは野遊び、地方創生ということで取り組みをしている。本社を置くのは新潟県燕三条だ。地場産業で金属加工が得意な地域で、1958年に地場産業の金属加工でキャンプのギアを作り始めたところからブランドがスタートした。今では先ほどご紹介いただいたように、地域密着企業で地方創生型の企業だと思う。2011年に地元の遊休地に本社を移し、年間大体4万人以上のキャンパーさんがここを訪れてくださる。スパやホテル、レストランも今年併設したので、今年でいうと大体6万人以上の方がお越しいただけるというような状況だ。

 スノーピークが地方に貢献できる強みを少し紹介させていただきたい。事業領域というところ、スノーピークは全ての社員がキャンパーであるという企業だ。そのキャンパーの集まりが、「アーバンアウトドア」というまちづくりから自分たちのフィールドの自然の中までを繋ぐ形で多くのビジネスを展開している。その事業領域を包括的に地方創生の場に活かしている形だ。

 もうひとつは、スノーピークには国内に76万人ほどの会員の組織がある。この会員の組織を使うとともに、日本全国に100店舗ほどスノーピークのスタッフがついている店舗があるので、地方創生で生まれた商品の販売という形でも貢献させていただいている。さらに、デジタルコミュニティあるいはデジタルのプラットホームという形で、76万人の会員さんとさらに新規の方を取り入れるために「野遊び」というコミュニティアプリを展開している。デジタル上でもお客様とのコミュニケーションを重視している。

 今、日本の話をさせていただいたが、実はグローバルに拠点を展開しており、英国、米国、韓国、それと地域では台湾で拠点を持っている。このグローバルのネットワークでは、地方創生に携わらせていただいた地域へグローバルでのブランディングをさせていただいている。

第2セッション・ディスカッション風景

■ 地元の遊休地を人と自然、人と人がつながるプラットフォームに


高井文寛:地方創生の方法について、ご説明したい。スノーピーク自体が地元燕三条に根ざした地方創生型企業で、キャンプ場をオープンさせてから年間では6万人、過去を振り返ると20万人以上のキャンパーさんにご利用いただいている。本社でやるイベントには9万人が参加する形で、地元の遊休地を自然と人、人と人が繋がるプラットフォームに変えてきた。

 その燕三条での地方創生型の拠点運営で培ったソリューションとして、製品開発、体験開発、運営ノウハウがある。それと会員の基盤だ。さらには顧客基盤と地域との繋がり、地域密着をノウハウとして持っている。それらを利用し、具体的に地域課題の解決と、地域の持続可能な開発に貢献していきたいということで、4つの開発を行っている。ひとつ目が、拠点の開発。2つ目が体験開発。3つ目が製品開発。そして4つ目に顧客開発だ。拠点開発・体験開発は特に地方創生という部分に貢献できている。プラットフォームを通じて製品開発と顧客開発は持続可能な地域の創生に貢献できているかなと思う。

■ 地域課題の解決をビジネスモデルに


高井文寛:拠点開発の事例では、長野県白馬村でグランピング施設をやっている。こちらは地域課題として、ホワイトシーズンに強い地域だが、グリーンシーズンは通過型の町になってしまうという課題があった。そこで、夏のスキー場を活かし、夏しかオープンしないオンリーワンなグランピングにし、今では稼働率も高く運営できている。

 体験開発においては、ローカルツーリズムという体験を各地でやっている。これは衣食住働遊というところに掛けて、地元の地場産業、文化、食をツーリズム商品として展開している。

 製品開発でひとつの事例としては、地方創生に携わった奥日田で地元の林業に根差した製品である日田下駄をアウトドア用にプロデュースさせていただき、例えばアメリカニューヨークの店舗でも販売した。実は全国でもグローバルでも、これが一番売れたのがニューヨークだったということが起きている。

■ 地域課題の解決をビジネスモデルに


高井文寛:拠点開発の事例では、長野県白馬村でグランピング施設をやっている。こちらは地域課題として、ホワイトシーズンに強い地域だが、グリーンシーズンは通過型の町になってしまうという課題があった。そこで、夏のスキー場を活かし、夏しかオープンしないオンリーワンなグランピングにし、今では稼働率も高く運営できている。

 体験開発においては、ローカルツーリズムという体験を各地でやっている。これは衣食住働遊というところに掛けて、地元の地場産業、文化、食をツーリズム商品として展開している。

 製品開発でひとつの事例としては、地方創生に携わった奥日田で地元の林業に根差した製品である日田下駄をアウトドア用にプロデュースさせていただき、例えばアメリカニューヨークの店舗でも販売した。実は全国でもグローバルでも、これが一番売れたのがニューヨークだったということが起きている。

■ 地域資源を魅力的にリデザインしてコンテンツ化する


高井文寛:具体的な地方創生の事例を3つだけご紹介したい。スノーピークでは、都市から自然の中までということで、4つの形態で地方創生の拠点を開発している。今、全国では14拠点に携わらせていただいた。まずは十勝ポロシリという地域だ。見過ごされていた冬の魅力をコンテンツ化し、既存の施設の活用を通して、キャンパー、アウトドアパーソンの皆さんに届けたところ、利用者数を3.6倍、施設収入を36倍ぐらいにできている。

次に、大分県の奥日田。こちらは既存施設の改修のコンサルをさせていただいた。林業の町の地域資源を野遊びでリデザインする形で、利用者数を3.3倍、施設収入を6.5倍にした。

あとは高知県の仁淀川だ。仁淀川は最後の清流と言われ、すごい自然資源を持ちながら、滞在型の拠点がなかったことで観光としては通過型の町になっていた課題があった。そこで町と一緒に本当の新規開発ということでキャンプ場を出現させた。それにより、この越知町の宿泊において新規観光入込数1万人を年間で獲得できた。

以上のように、スノーピークという自然を知っている企業が、その地域とのプラットフォームとコミュニティを通じ、我々が持っている会員組織とリソースをその地域に集約していく形で地方創生を行わせていただいている。

周牧之:スノーピークという社員は全員キャンパーで、非常に現場力が強いという印象を持っている。野遊びで地域の活性化につながるビジネスなどを展開することで、若者の心をつかんでいる。

高井文寛:全員がキャンパーで、本社がキャンプ場にあるという変わった立地なので、入社応募してくる方もほぼキャンパーというような、その辺うまくできていると思う。地方創生の展開をしていることもあるのか、最近新卒の方でスノーピークに入社したら一番何がやりたいかという話をすると、地域貢献、地方創生と言ってくる学生さんがすごく増えている現状もある。

周牧之:今回のアンケートにあったように、東京経済大学が立地する学生の町、国分寺では学生がたくさんいるにも関わらず、地元と若い人たちとの関係性はそれほど強くない。豊かな地域資源があるにもかかわらず、若い人たちはあまり接していない、使っていない。駅に大型の集合施設があっても、そんなに使っていないようで、その結果、地元の国分寺に対する愛着もそれほど強くはない。

実はこうした現象はおそらく国分寺だけではなく、全国的に起こっている。やはり若い人たちと地元との関係性をいかに強めていくかが、ひとつの地域活性化の根幹に関わる話だと思う。

高井文寛:地方創生をやるにあたってわれわれが一番大事にしているのが、モニタリングキャンプだ。一方通行にならないように、われわれ事業者も、行政とそこに暮らす人たち、町のキーパーソンも、企業の方々も、みんなを巻き込んで、焚き火をし、まずどういう地域課題があり、どういうものがあったらいいか、地域の特徴など全部お話しさせていただく。すごい小さな変化かもしれないが、それをやることによって、みんな「自分ごと」になる。拠点ができた時にみんなが関心を持ってくれる。

うまくいかない「地方創生」は、みんながやはり「自分ごと」に思わず、関心を持ってくれない。それによって事業者だけで孤立する状況もよく見てきている。小さな変化だが、そういうエリアが増えていくことによって、連携が深まっていくのかなと感じている。

周牧之:最後に一言、コロナ世代の学生へのメッセージを。

高井文寛:僕もキャンパーとして言うと、どれだけデジタル化が進んで働き方が変わっても、実際やはり、人間性が回復できるという部分では、もう自然の中、自然に触れるということが絶対役立つと思うので、ぜひ無理してでも自然の中へ行ってほしい。


プロフィール

高井文寛(たかい ふみひろ)/スノーピーク 代表取締役副社長

 1973年、新潟県生まれ。91年入社、営業管轄の役職を歴任、取締役執行役員営業本部長、専務取締役を経て、2020年より現職。近年は地方創生の業務にも従事、2019年スノーピーク地方創生コンサルティング代表取締役社長に就任。


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ディスカッションを行う内藤達也・国分寺市副市長

 京経済大学は2022年11月12日、学術フォーラム「供給サイドから仕掛ける地域共創の可能性」を開催した。和田篤也環境事務次官、南川秀樹元環境事務次官、中井徳太郎前環境事務次官をはじめ産学官のオピニオンリーダー16人が登壇し、周牧之ゼミによるアンケート調査をネタに、新しい地域共創の可能性を議論した。内藤達也・国分寺市副市長がオープニングセッション「学生から見た地域共創ビジネスの新展開」のパネリストを務めた。

 

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学術フォーラム「供給サイドから仕掛ける地域共創の可能性」
オープニングセッション:学生から見た地域共創ビジネスの新展開

会場:東京経済大学大倉喜八郎進一層館
日時:2022年11月12日(土)


■ 自治体経営上、汲み取りにくい20代の若者の意見


尾崎寛直(司会):周ゼミの皆さんから非常に網羅的なアンケート、そしてまた鋭い分析を提示していただいた。そして、学生の皆さんからそれぞれコメンテーターの皆様にも問題提起が投げかけられたので、これよりコメンテーターの皆さんも含めてパネルディスカッションを進めていきたい。

 今回のアンケートはコロナ時代の若者、とくに学生を対象にしたものだ。次世代を担う若者というのはやはり大事なキーワードであり、供給サイドからどのようにその若者に対して仕掛けていくのかも大きく問われていくところだろう。

 もうひとつは、若者✕地域という2つが大きなキーワードになる。大学の地元・国分寺市についての学生のアンケート結果では、なかなか親しみを感じるという割合が多くなかったと。たぶん国分寺市の本当の良さが伝わっていない側面もあるかも知れない。現在、地方自治体も人口減少の中で、住民の住みやすさをめぐって大きな自治体間競争の渦中にあると思う。

内藤達也:私どもが市民の皆さんの意見をいただき、市政に活かすという時に一番難しい世代が、実は皆さんの世代だ。20代の方の回答が非常に少ないもので・・・。実は国分寺市も市民アンケートを毎年やっていて、全体の回答率40.8%という中で、20代のところは8.2%という感じだ。そのため行政の経営の中で皆さんの世代の意見をどうやって反映するかが非常に厳しい時代になってきている。高校生までは学校に直接お願いをする方法があり、意見はいただくことはできるが、20代の方をつかむのは非常に難しい。そのため今回のアンケート調査の結果は、私どもにとっても非常にありがたいなと思う。

 ご指摘はご指摘という形で受け止め、皆様にまだまだ国分寺市の魅力が周知されていない現状が把握できましたので、これからお知恵を借りながら、どうやったら国分寺の魅力をさらに知っていただけるのか展開していきたい。こちらの市民アンケートの方でも、実は交通の便が良いというのが、市民が国分寺市を選択してお住まいになった理由の一番に来ている。これは学生の皆さんも最終的には交通、利便性というところで国分寺市に愛着を感じている。これをさらに高めるためにどうすればいいのかは、私どもだけではなく、東京都も巻き込んで行っていることは、まず中央線の連続立体交差事業があり、三鷹で停まっている複々線を立川まで持ってこようということをお願いしている。実はもう都市計画ができていて、あとは実行のボタンをいつ押してもらえるかという状況だ。これができると、三鷹の次は国分寺、が一般化されるので、さらに便利が増すと思う。

■ 地場産業の「供給サイドから仕掛ける」


内藤達也:そういったハードの部分に加えて、私どもの考え方は、国分寺も市民の皆さんとさまざまなイベントを展開していて、あるいは定着をしている。今回の「供給サイドから仕掛ける」というところでは地場の農業、農家の皆さんが国分寺市の地場野菜を国分寺市で消費できる仕組みをつくろうということで、10年目を迎えている。その「こくベジ」が浸透してきている。それをさらに若い人達に手伝ってもらうという言い方はおかしいが、この良さを知ってもらう。良いこと尽くめであることは確かだ。国分寺で作った野菜を皆さんが食べる、食堂や飲み屋さんで供給される。そうすると、当然移動コストがなくなる。SDGsにも貢献できる。

 国分寺にはイタリアン、中華レストランなど、たくさん飲食店があるが、実はこれまで作っていなかった野菜について、農家の皆さんがオーナーシェフやシェフの希望の野菜を作っていくことによって、品種が非常に増えてきている。今まで私どもが見たことないような野菜も、国分寺で育てて作っている。これは非常にいい展開になっているなと思っている。そういった取り組みを皆さんが知っているかどうかも含め、私ども行政の仕事を知っていただく部分、さらにそこに加わってもらう仕組みを考える必要があると思う。

 これまでの地域の産業をどうやったら、さらにもう一歩上に向かせられるのか。これはたぶん、若い人の支えや、若い人の思いが加わることによってひとつ突破できる気はしている。皆さんの意見を汲んだ店舗経営や、地域経営をしていかないとじり貧になってしまう。そういった視点での新たな地域おこしができないかなと思っている。

■ 若年世代の定着をめざす仕掛けづくり


内藤達也:あとはアンケートの中にもあったが、やはり若者が定着していただける、国分寺にこれから住んでみたいなと思うようなまちづくりができていけるか。これは逆に言えば、どんなまちに住みたいかっていうことになる。国分寺の魅力は農地があり、湧水があり、そして雑木林が残っていて、歴史がある。そういったことを知っていただいて、さらに一緒に仕掛けづくりができないかなと思っている。それがまちの魅力になって、相乗効果を生んでいくのではないか。あとは、集客を重んじた、若い人達が足を運んでくれるようなイベントをどう展開するか。実は今月の末から「ぶんぶんウォーク」という国分寺の地域の皆さんと立ち上げた新しいイベント、これも8年目になるが、やっとコロナが解禁されてフルで行うようになる。ここに参加すると、畑をめぐるとか、それから野菜を採るとか、芋を掘るとかそういうような体験もできるし、それを食べることもできる。ぜひ一緒にイベントを作っていって地域の皆さんとWin-Winの関係が作れるまちにしていければなと思う。

尾崎寛直:私が見る限り、かなり国分寺地域では若い方々が仕掛けたお祭り、ぶんぶんウォーク、音楽やアートのイベントとかたくさん育ってきているかと思うので、そこにもう一段若い人達が絡んでいくと、大きなうねりになるだろうなという気がする。 

 エンタメだとか、市民の文化ニーズに応えようとすると、自治体の今までの施策としては、やれ立派な文化会館を造るとか、ホールを造るとか、インフラ投資、設備の整備が主目的になりがちだったと思う。これまで議論してきたように、エンタメはいろいろなレベルであり得るし、ある意味どこででもできる。国分寺市には大きなオープンスペースもあるし、史跡だってある。自治体経営の中で今後のエンタメの取り入れ方と可能性についてはいかがか。

オープニングセッション風景

内藤達也:実は2022年、武蔵国分寺が史跡に指定されて100周年という記念の年になる。そのためにイベントをひとつ企画し、史跡の金堂後に舞台を設置して、そこで東経大OBも加わるバンド「荒川ケンタウロス」のライブを行った。これが非常にヒットして、皆さんに喜ばれる使い方ができた。史跡の金堂跡であれば、それほど騒音もなく皆さんにご迷惑掛からない。ひとつ感触をつかんだので、今後は違う使い方も出てくると思っている。

尾崎寛直:従来だったら、文化財の場所でそんなことをやったら罰当たりだと言われる(笑)?

内藤達也:はい(笑)。文化庁の方も大きく転換をして、「保存」だけじゃなくて「活用」もしろと。「活用」があっての史跡だということになったので、それを受けて、われわれもひとつ突破したような手応えがある。ぜひこれからは、今日知り合ったぴあの白井様とか、皆様のアドバイスをいただきながら、若い人の思いを実現できるような仕掛けを作れる場所ができたらいいかなと思う。新しい展開が見えている。文化会館は造るまで何年かかるか分からないが、史跡を転用する分なら借用書1枚でできそうではないかということでやっていきたい。


プロフィール

内藤 達也(ないとう たつや)/国分寺市副市長

 公務のかたわら、青少年育成活動、自治会活動をはじめ、相模原や多摩の里山保全ボランティア活動に従事。現在、(NPO法人)さがみはら環境活動ネットワーク副代表理事。また、協働政策、地域活性化政策の研究を行う。(株)公共経営・社会戦略研究所客員研究員、明治大学大学院兼任講師。日本協働政策学会理事、日本地方自治学会会員、日本ソーシャルイノベーション学会会員。地元の鎮守である内藤神社宮司も務める。


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