【シンポジウム】メガロポリス発展を展望:中国都市総合発展指標2023

■ 編集ノート:2024年雲河東京国際シンポジウム「中国企業の新たな旅立ち:イノベーション、集積、海外進出」が2024年12月1日午後、東京オペラシティで開催された。北京市人民政府参事室と雲河都市研究院が共同主催し、中国インターネットニュースセンターがメディアサポートした。


2024年雲河東京国際シンポジウム「中国企業の新たな旅立ち:イノベーション、集積、海外進出」会場

 郭旭傑駐日中国大使館経済参事官と耿新蕾北京市人民政府参事室副主任の挨拶の後、雲河都市研究院が「中国都市総合発展指標2023」を発表した。 北京は8年連続で総合ランキング第1位、上海は第2位、深圳は第3位となった。広州、成都、杭州、重慶、南京、天津、蘇州は総合ランキング第4位から第10位となった。総合ランキング第11位から第30位の都市は、武漢、厦門、西安、長沙、寧波、青島、鄭州、福州、東莞、無錫、済南、珠海、仏山、合肥、瀋陽、昆明、大連、海口、貴陽、温州となった。

 シンポジウムの出席者は、発表された指標について活発な議論を交わした。

周牧之 東京経済大学教授


 「中国都市総合発展指標2023」は、2016年以降、8回目の発表となる。同指標の専門家チームの主要メンバーが東京に集まったこの機会に、メガロポリスの発展について議論し、展望したい。

 中国の第1次から第10次までの五カ年計画はすべて大都市発展抑制を謳っていた。しかし第11次五カ年計画でいきなりメガロポリス発展戦略を採った。これは中国でアンチ都市化政策から都市化促進政策への大きな転換であった。いまや中国国家発展改革委員会が19ものメガロポリスを指定している。

 これらのメガロポリスの発展をどう評価するかが重要な課題となった。また、中国では一線都市など都市分類の定義を巡り様々な説が行き交い混乱している。これらを踏まえ、昨年より中国都市総合発展指標の総合ランキング偏差値に基づき、都市を一線都市、準一線都市、二線都市、三線都市に分類した。さらに 19のメガロポリスに属する223都市の総合評価偏差値の「箱ひげ図」及び「蜂群図」の分析で、各メガロポリスを評価した。今年も引き続き、こうした分析で各メガロポリスの発展を評価する。

周牧之 東京経済大学教授

 総合ランキング偏差値は、経済、環境、社会の3つの大項目偏差値の合計が300である。偏差値が200以上と定義された一線都市はわずか北京、上海、深圳、広州の4都市である。これら一線都市はすべて長江デルタ、珠江デルタ、京津冀の三大メガロポリスに集中している。

“中国都市総合発展指標2023” 都市分類

 偏差値175~200の準一線都市は9つあり、長江デルタ、京津冀、成渝、長江中流、粤闽浙沿海、関中平原などのメガロポリスに分布している。偏差値150~175の二線都市は43あり、広く分布している。偏差値150以下の三線都市は241あり、その中には銀川、西寧、フフホトの3つの中心都市も含まれている。

“中国都市総合発展指標2023” 都市分類 一線都市(4都市)+準一線都市(9都市)

 メガロポリスを評価する際、まず注目すべきは、そのメガロポリスに中心都市がいくつあるか、そしてそれらの中心都市のランキングがどの程度か、ということである。長江デルタには最も多くの中心都市があるが、一線都市は上海のみである。京津冀の一線都市も北京のみである。これに対して珠江デルタには深圳と広州という2つの一線都市がある。しかしいずれも偏差値では北京や上海とはかなり距離がある。

 次に、メガロポリス内各都市の全体的な発展を分析する必要がある。箱ひげ図中の横線は、サンプルの中央値、箱の上辺は上位四分位点(75%)、箱の下辺は下位四分位点(25%)、箱本体は50%のサンプル分布を示している。蜂群図は、個々のサンプル分布をプロットした図である。箱ひげ図と蜂群図を重ね合わせることで、サンプルのポジションと全体の分布の双方を示せる。この分析から、三大メガロポリスのうち、珠江デルタ内部の都市が最もバランス良く発展し、長江デルタがそれに次ぎ、京津冀では中心都市とそれ以外の都市の発展格差が非常に大きいことがわかる。

■ 楊偉民 中国第十三回全国政治協商会議経済委員会副主任


 周牧之教授と私は、長年協力してきた。2001年、周教授は『都市化:中国近代化の主旋律』という本を出版し、中国はメガロポリス発展戦略を採るべきだと提言した。その後、私たちは『第三の三十年』という本を共同主編した。1999年に中国国家発展改革委員会の私の部署が都市化戦略を提唱し、後に「城鎮化」と呼ばれるようになった。 第11次5カ年計画策定時に、私は国家発展改革委員会計画司の司長として、メガロポリス戦略を提案した。当時、指導部は中小都市の発展を望んでいたが、実際には大都市の発展が必要だった。そのバランスを取るため、メガロポリス戦略を打ち出した。実際、私は周教授の著書を読み、メガロポリスの発展という考えに確信を持った。

中国都市総合発展指標2023」報告書

 私は「中国都市総合発展指標」にも一貫して注目してきた。以前、同指標を都市の健康診断書だと述べたことがある。現在、一部の都市や省庁が都市の健康診断報告等に取り組んでいる。しかし、それらは都市建設に偏り、経済問題等まで充分カバーしきれていない。そのため、「中国都市総合発展指標」は環境、社会、経済を網羅し、非常に信頼性が高い。

 中国国家発展改革委員会計画司が何故19のメガロポリスを設定したのか? そこには地域間の政治的なバランスが働いた面がある。しかし今は経済の法則に立ち返る必要がある。 したがって、「中国都市総合発展指標」を用いてメガロポリスの発展を客観的に評価することが大変重要である。

楊偉民 中国第十三回全国政治協商会議経済委員会副主任

■ 邱暁華 アモイ都市大学教授、中国国家統計局元局長


 周牧之教授の「中国都市総合発展指標」には、4つの特徴がある。1つ目の特徴は、包括性である。同指標は経済、社会、環境という3つの大項目、9つの中項目、27の小項目から成る。社会の大項目には文化も含まれるため、中国で現在謳われている経済建設、社会建設、生態文明建設、文化建設についてもカバーしている。その意味では同指標は非常に包括的な都市評価となっている。

 2つ目の特徴は定量性である。同指標は定性的だけでなく定量的な視点も重んじている。使用する878の指標は、統計データ、インターネット・ビックデータ、衛星リモートセンシングデータの3分の1ずつで構成されている。これは、ほぼすべての入手可能なリソースから収集したデータに基づく定量的な評価である。マルチ的な定量手法を用いて、中国297の都市の発展具合を示し、説得力がある。

 3つ目の特徴は継続性である。 「中国都市総合発展指標」の研究はすでに10年以上にわたって続けられている。指標評価を一回きりで終わらせるのではあまり意味がない。継続して実施することに大きな意義がある。周教授による継続的な指標評価は戦略的意義が大きく、国家、企業、国民が都市を理解する上で非常に参考になる。国家は戦略を策定し、企業は事業計画を策定し、個人はどの都市を選択するのかの答えを、すべてこの指標評価から見つけられる。この指標評価は、温度を感じさせるデータによる答えを提供している。 私は、これは都市の辞書であり、中国を理解するための都市の辞書であると思う。

 4つ目の特徴は科学性である。指標評価には、データの比較可能性と入手可能性、そして測定可能性と観察可能性が必要である。これらはすべて科学的手法に依存する。周教授はまさしく科学的手法を的確に用いて都市を定量的、視覚的、継続的に評価している。その結果は信頼性が高い。同研究がもたらす多大な貢献は称賛に値する。

邱暁華 アモイ都市大学教授、中国国家統計局元局長

■ 李国平 北京市人民政府参事、北京大学首都発展研究院院長


 周牧之教授の「中国都市総合発展指標」を発表の現場で議論できることを大変光栄に思う。研究分野が近い為、私はずっと周教授の著書を参照し、「中国都市総合発展指標」の関連研究も様々なルートで入手した。「中国都市総合発展指標」は、指標システムの構築にしろ、データサポートにしろ非常に優れている。評価結果も実態に合致している。

 中国では中心都市の輻射力がますます重要になっている。長江デルタメガロポリスには一線都市は一つしかないが、二線都市が数多くある。全体的な地形や各種条件から判断すると、珠江デルタと比べても長江デルタは依然として比較的有利である。長江デルタはボリュームが大きく、その上流には長江経済ベルトがあり、さらにその上には成都・重慶があり、潜在力が非常に強い。

 北京についてはどうだろうか。北京は総合的な強さでは第1位だが、天津や河北のことを考えると、京津冀メガロポリスの協調的発展が重要になる。北京はイノベーション力に強く、北京がイノベイティブな成長の原動力を発揮できれば、京津冀にも希望が持てる。重要なのは、京津冀の産業チェーンとイノベーションチェーンをいかに効果的に結びつけるかだ。現状では長江デルタや珠江デルタほどの域内連携が京津冀ではまだ十分ではない。

李国平 北京市人民政府参事、北京大学首都発展研究院院長

■ 周其仁 北京大学国家発展研究院教授


 集中とは、皆が非常に混雑した場所に押し寄せることを意味し、経済活動が集まることを求める。「人は高い場所に行く」との諺を借りると、人は大勢の人が集まる場所に行く。多くの人が集まることで多くの問題も生じるが、利益は問題を上回る。さらに、人が集まることから生じる問題は、都市建設や技術によって改善することができる。その意味では対処の仕方次第で、人々の都市集中は、うまくいくケースもあればそうでないケースもある。

 「中国都市総合発展指標」のフレームワークは非常に優れているが、最新の人々の流動性の動向について、ぜひ周教授の視野に入れていただきたい。航空運賃が下がり、ネット通信が発展し、AIが進歩している今、人々は将来も都心で働かなければならないのだろうか?今、人々は離れて暮らしながらオンラインで一緒に仕事ができる。上海のオフィスビルの空室問題は長引く可能性がある。新型コロナパンデミックは、人々に新たなつながり方、暮らし方、仕事の仕方を味わわせた。これは必ず空間的に反映していく。

 鍵となるのは、世界で最も生産性が高く、最も活動的で、最もダイナミックな人々が、現在実際にどのように動いているのか、そして空間的にどう影響を与えているのか? ということである。

周其仁 北京大学国家発展研究院教授

徐林 中米グリーンファンド会長、中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司元司長


 都市のガバナンスは、特に注目に値する。「中国都市総合発展指標」に都市のガバナンスの評価を加えることを検討すべきである。都市のガバナンスは、その都市の総合評価に影響を与えるはずだ。 このイシューをデータで客観的に表現することは難しいかもしれないが、国内外の都市の比較で主観的な評価を行うことは可能であろう。

 良い都市は、開放的で、包容力があり、便利でなければならない。そして、そのような都市こそが、より魅力的な都市となる。

徐林 中米グリーンファンド会長、中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司元司長

 この記事の中国語版は2024年12月26日に中国網に掲載され、多数のメディアやプラットフォームに転載された。

左からディスカッションを行う周牧之教授、楊偉民氏、邱暁華教授

■ 登壇者関連記事(登壇順)


【刊行によせて】周牧之:新型コロナウイルス禍と国際大都市の行方

【論文】周牧之:二酸化炭素:急増する中国とピークアウトした日米欧

【論文】周牧之:アメリカ vs. 中国:成長と二酸化炭素排出との関係から見た異なる経済水準

【論文】周牧之:世界の二酸化炭素排出構造と中国の課題

【刊行によせて】楊偉民:都市のハイクオリティ発展を促す指標システム

【刊行によせて】楊偉民:全く新しい視点で中国都市の発展状況を評価する

【コラム】邱暁華:高度成長からハイクオリティ発展へシフトする中国経済

 【専門家レビュー】周其仁:生態都市建設と都市総合発展指標

【刊行によせて】徐林:中国の発展は都市化のクオリティ向上で

【対談】小手川大助 VS 周牧之(Ⅵ):アジア経済の成長が日本のチャンスに

対談を行う小手川氏と周牧之教授

■ 編集ノート: 
 小手川大助氏は、財務官僚として1990年代終わりの日本の金融機関の破綻処理や公的管理を担った。その後、産業再生機構を設立し、日本企業の再生を行った。また、2008年秋以降はIMF日本代表理事としてリーマンショック後の世界金融危機に尽力した国際通でもある。東京経済大学の周牧之教授の教室では2025年5月22日、小手川氏を迎え、激動する世界情勢の現状と行方について伺った。

※前回の記事はこちらから


2025年1月20日、ワシントンDCの米国議会議事堂のロタンダで行われたトランプ大統領就任式

■ トランプ政権で「Don’t panic!」


小手川:トランプ政権になったことで、日本はあまり心配する必要はない。ハガティ前駐日大使は1980年代ボストンコンサルティンググループの東京支店で働いた。当時非常に元気がよかった日本の企業の工場を、自分の出身地であるテネシー州に誘致した。彼はずっとトランプを応援し、2016年トランプが勝った選挙後に、誰を政府の重要な地位につけるかを決める非常に少人数の委員会のトップになった。彼は希望すればどんなポジションでもつくことができたが、彼は自分を駐日大使に指名した。ハガティは1980年代の日本駐在の経験で、日本に対していいイメージを持っていたため、もう一度日本に行きたいと思っていたのである。3年務め、選挙の準備でアメリカに帰り、地元から立候補し、上院議員になった。

 ハガティが上院議員になりバイデン政権下で最初にやったことがある。共和党も民主党も全員賛成で、中国との間で問題になっている尖閣列島について「日米安保条約の対象内である。」すなわち尖閣列島について必要があれば、アメリカ軍は尖閣列島を守るとの決議をアメリカ上院下院で通した。それの仕掛け人がハガティだった。

 今回の選挙後もハガティは国務長官か財務長官になるのではないかといろいろと言われたが、結局、彼はどれにもならなかった。その代わり、ハガティはトランプに一番近い人たちが集まるキッチンキャビネット、台所の内閣と言われる5人から10人の集まりの中心人物になった。

 昔ポルトガル大使をしていた新しい駐日大使のグラスは、別荘がトランプの近隣だとのことで、トランプとはツーカーの仲だ。グラスは御子息が英語の先生として神戸に20年住んでいることもあり、生まれた初孫の顔を見たいと駐日大使として来日した。トランプ大統領と近い関係にあるので、何か問題があったらすぐに電話できる。ハガディとも毎日のように連絡を取っている。

 東京の米国大使館でのハガディのメッセージはずっと変わっていない。最初の3カ月間のメッセージは「Don’t panic!」慌てるな、騒ぐな、全然心配する必要はない、という言葉だった。淡々と交渉をやっていけばいいということだ。ただ、心配なのは、トランプの頭の中が、2000年に書いた自著当時の認識から、あまり進んでない可能性がある。

ローレンス・サマーズ米財務長官と小渕恵三首相

■ アメリカの交渉ターゲットは日本から中国に


小手川:今、日本政府が一生懸命トランプに言っているのは、当時とは違うということだ。私がアメリカと交渉をした1991年初め頃はアメリカの貿易赤字の3分の2、すなわち67%が対日だった。だから日本との交渉は、アメリカにとって本当に重要だった。

 ところが現在はがらりと変わり、日本が占める赤字の割合は、昔の10分の1で、6%しかない。中国との間の赤字はアメリカ赤字全体の26%で、EUとの間の赤字は同20%だ。これだけでもアメリカの貿易赤字の半分ぐらいになる。基本的にはアメリカのターゲットは、この2つの地域だ。

 しかも日本は6%で、それでもアメリカに対して貿易黒字を約8.6兆円持っているが、実は、日本人が使っているGoogleなどデジタル対米赤字が6.6兆円ある。8.6兆対6.6兆円で、実質はアメリカの赤字が2兆円に過ぎないということになる。

 1960年代から1990年代までのいろいろなアメリカとの摩擦を踏まえ日本の企業はどんどんアメリカに出ていきアメリカに工場を作った。結果、自動車で見ていくとアメリカ国内で日本の会社は1,067万台今生産している。そのうち約3分の1の330万台を、アメリカの車として海外に輸出している。だからむしろ日本の自動車会社はアメリカの貿易赤字の減少に、非常に貢献している。

 その全く逆が韓国だ。韓国にゼネラルモーターズの工場があり、韓国で作られたゼネラルモーターズの車がアメリカに輸出されている。その数が42万台。

 私が最後にアメリカと厳しい交渉をしたのは1994年だが、その後は中国が日本の役割を全部変わってくれた。1995年以降はすべてのアメリカの交渉のターゲットは中国になった。私のカウンターパートだった有名なローレンスサマーズというノーベル賞を取ったゼネラリストがいる。2019年暮れに中国の有名なテレビ局の開催で、北京でシンポジウムがあった。そこに私が行くとサマーズがいて「今のアメリカと中国の交渉の状況は、お前と俺が30年前にやった交渉のデジャブだな」とニコニコしながら私に言った。

周:2024年アメリカの貿易赤字相手国ダントツ1位は中国で、対米赤字規模は日本の4.4倍だ。当然、アメリカの貿易戦争の第1のターゲットになる。日本は対米貿易赤字国で第8位になっているが、同第2位はメキシコ、第3位はベトナムだった。この二つの国の対米輸出の相当の部分が日系、中国系の工場によるものだ。

米国通商代表部(USTR)

■ トランプ式対外交渉術への対処を


周:トランプ関税の観点からすると、小手川さんがおっしゃった通りのトランプの交渉パターンが出ている。2025年4月初め中国との間で最後は140%を超える高関税をかけるとしたものの、その一カ月後には中国との交渉で高関税が見直された。米中会議に参加した人の話では、会議は非常にハッピーだった。トランプの交渉力は現実主義の一つの表れだ。とんでもない要求を出すが、テーブルに座れば相互利益を考える。

小手川:一番大事なことは交渉することであって、交渉の結果ではない。

周:プロセスをエンジョイするタイプだ(笑)。

小手川:そういうことをちゃんとやっていると、自分のサポーターであるアメリカ国民に示したい。だから交渉では一番難しい問題に、任期が切れるまでずっと取り組む姿勢だ。その間トランプは「やっている」ことを、自国民に示している。結果がどうなるかは関係ない。それを日本政府はきちんと辿っていけばいい。

周:日本は今回、トランプ政権との貿易交渉では珍しく頑張った。石破政権がかなり強気で臨んだ印象だ。

小手川:私たちが1994年ぐらいまで日米交渉を担当した時、アメリカから最強硬派として出てきたのはUSTR通商代表だった。当時USTRにはスタッフが75人いた。だが、前回のトランプ一期目は25人しかいなかった。今回は人数がどうなるか?前回USTRスタッフ数が減った時、一番喜んでいたのは日本の外務省だった。アメリカの方から「そろそろ合意したいので、合意の案を作ってくれないか」と言われ、日本の外務省で合意案を作ってアメリカ側に投げると、殆ど変更なしで向こうから「これで良い」と返ってきたからだ。日本はアメリカの下請けをやっていると言われても、実際は日本が欲しいところを外務省は全部書いていた。今回もそういう格好になってくると思う。

周:強気でも通る秘訣をつかんだわけだ(笑)。

小手川:ミャンマーで大地震があった当時、各国がミャンマーに救援隊を出し、アメリカも出した。アメリカ兵がミャンマーに着き飛行機から降りてきたら、大使館から連絡がありそのメンバーの半分がクビになっていた。アメリカの行政改革で人員削減をしていたからだ。出動したアメリカ兵の半分が公務員ではなくなっていたそうだ。

周:実際のところ、どこまで改革ができるのか?

小手川:イーロン・マスク以外にも急進的な行政改革担当をしている人たちがいる。彼らは公務員無しでもほとんどの公務を遂行できると思っている。

ロンドンで開催された芸術と植民地主義の関係を探る展覧会「Entangled-Pasts,-1768–now:Art,-Colonialism-and-Change」

■ コモンウエルス・カントリー


周:インド・パキスタン問題は何故このタイミングで沸騰したのか?

小手川:あまり心配する必要はないと私は思う。一定の期間をおいて両国はそれぞれの存在を世界に知らしめたいと思う。

また、コモンウェルス・カントリーといってオーストラリア、ニュージーランド、カナダなどが加わる英連邦がある。私の友人のカナダ人が言うには、コモンウェルス・カントリーは人事が共通で、カナダ人の彼はイギリスの中央銀行で働いていた。アメリカが加わるのではという意見があったが、彼は有り得ないと言う。アメリカがコモンウェルスに加わることになったら、コモンウェルス・カントリーの間での移動は全部自由になり、いまアメリカが一生懸命やっている移民の完全シャットアウトが壊れてしまうからだ(笑)。コモンウェルスは、英語圏のカナダ、イギリス、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドが全部集まって、一つの国を作っている、ということだ。

周:全部元々はイギリスの植民地だ。

小手川:そう考えておかないと読み間違えると思う。

周:インドとパキスタンはもともとイギリス植民地だが、その対立の根っこはイギリス植民地の禍根とも言える。更に言えば、パキスタンはイスラム教国家だ。中東情勢も絡んでくる。

東京証券取引所

東京を国際金融都市にする条件


小手川:中国関連では、2022年12月頃から中国人がどんどん日本でマンションなどを買っている。昔は投資物件として買っていたがいまはマンションを買った人は一家で引っ越してくる。その人たちが「一家で食事をした後に楽しめる場所を作ってほしい」と言う。私が「東京には世界で一番有名なアーティストがたくさん訪問してきている。コンサート等に行ったら如何か」と言うと、「それをやりたいが一つ問題がある」。「ぴあに中国語版と英語版がない」。ぴあの社長が友人なので「こういう声がある」と伝えた。これから日本の人口は減り、集客にはインバウンドの人たちが重要になる。

 実際いま日本にいる中国人は100万人を越した。これまで在日韓国人が62万人くらいだったのをあっという間に抜いた。これから住宅を買おうと言う人は大変だと思うが、山手線の内側の住宅地価が1年間で二倍になった。次いで大阪が上がり。名古屋が上がっている。いまのところ九州で福岡はあまり人気がなく、長崎や大分の地価が上がっている。熊本はTSMC(台湾積体電路製造)の進出で地価が3倍になった。

周:最近、時折中国の友人から電話があり「東京のこの場所はいい場所か?」と聞かれる。「いいところだ」と言うと彼らは物件を買ってしまう。東京で今山手線の内側で3億円前後の物件が人気だそうだ。

小手川:それに関連して子どもの入試状況が変化した。昨年の入試から始まったが、今年の春の高校入試で判ったのが、東京の有名な開成、麻布、筑波大附属、女子は桜蔭などの高校は、中国人学生が2割いるとのことだ。

周牧之、エズラ・ヴォーゲル対談『ジャパン・アズ・ナンバースリー』『Newsweek 』2010年2月10日号

周:中国人の子弟がこうした名門校にも続々入っているのか?

小手川:入っている。私の姪が九州大学の医学部に入ったが、同級生でトップと2番が共に中国人の子どもだった。

周:東京の金融市場は、アジアの企業がIPO新規上場をし易いようにすれば、アジアの優良企業がわんさと来ると思う。これに関連し、アジアの企業家やその家族は大勢東京に移住することになるだろう。お金も人も、東京に流れることにより、新たな繁栄を呼ぶはずだ。金融政策キーマンの小手川さんが仕掛けたらすごいことになる。

小手川:アメリカのくびきが外れたらやれると思う。マネーロンダリングの問題があるため、日本がやることにアメリカは絶対反対する。

周:マネーロンダリングよりはアメリカにお金がいかなくなってしまうことを恐れているだろう。アジアのお金がアメリカではなく日本に流れてきてしまうとアメリカの金融マーケットに大きな変化が起こるはずだ。

小手川:そうだ。

周:いま東京都の小池百合子知事が、東京をアジアの国際都市にしようと頑張っても、東京都知事の力だけでは東京金融マーケットの国際化は難しい。

小手川:10年前に、ワンストップサービスで、海外の人が来た時に住宅問題だけでなく学校の問題などを全部相談できるオフィスを作った。それに一番制限を掛けてきたのが、私が元いた金融庁だ。そのバックにいるのがアメリカで、マネロン規制を使い、ぎゅうぎゅうに絞ってくる。日本が日米安保条約を破棄してもいいと言って金融マーケットの国際化を進めないと難しい。

周:東京がアジアの金融センターになれれば、アジアの成長を取り込み、日本はより大きな繁栄を謳歌できるはずだ。

故・エズラ・ボーゲル氏と周牧之教授(詳しくは、【コラム】周牧之:エズラ・ボーゲル氏を偲ぶ/『ジャパン・アズ・ナンバースリー』を参照)

■ 5年毎に中国は日本経済一個分のGDPを新たに作る


周:先週イギリスの『エコノミスト』のカバーストーリーに、「Make China great again」と文字が入ったトランプの帽子を習近平がかぶっているフェイク写真が出た。トランプは「Make America great again」。習近平は言うならば「Make China great again」だ。もう一つ習近平は、「共同富裕」というスローガンを持つ。ボトムアップして中国の底辺層の底上げをしていきたい。この二人をみると同じ政治的な使命を抱えている気がする。

小手川:習近平は中国共産党の存在意義をどう表明するかがポイントだ。中国の弱みは政治、民主主義だ。中国共産党の存在意義を毛沢東は独立、反日闘争に求めた。鄧小平は中国共産党の下でみんな頑張れば生活水準が上がる、党と政府の力が強くなるとした。実際に経済成長には官僚の努力が必要だった。

 習近平はそれをどこに求めたか?一つは、共産党の下で中国が世界の強国になる。問題はそれが一般の人にはなかなかわかりにくい。富裕になったかは分かり易いかもしれない。これをどう上手く分かりやすくするかが、中国のいま最大の問題だと思う。

英『エコノミスト』に掲載されたMake China great again

周:強国になる必要性を、中国人は皆痛切に感じている。中国は1840年にイギリスにアヘン戦争でやられた。当時の中国の経済規模は世界の三分の一、貿易規模は今同様、世界トップだった。なのに、アヘン戦争でイギリスにやられた。経済、貿易をいくら頑張っても大丈夫ではなかった。二度とそういうことにならないよう強国にすることに国民は反対しない。

 共産党は平等な社会づくりを一貫として訴えている。それが、共産党がうまくいっているかどうかの、最大の試金石であるといってもいい。例えば今年、中国で最も経済水準の低い地域の貴州省に行った。ところが同省のミャオ族の街は、アメリカのバンス副大統領の出身地の経済水準よりはるかに高いと感じた。山脈地帯でも高速道路や高速鉄道などの世界的にハイレベルなインフラ整備が整っている。大規模なインフラ整備によって、これまで閉ざされていた少数民族地域が世界に開かれ、豊かになるストーリーが現実となっている。

小手川:トランプは共産主義を特に嫌っているわけではない。

周:今年の春節前後に 3カ月近く中国に戻っていて、貴州省、福建省、広東省は余裕綽々になってきたと感じた。大変な成長ぶりだった。

 ハーバード大学教授のエズラ・ボーゲル氏と「Japan as number three」と題して対談した2009年に、中国の経済規模が日本を超えて大きくなったことが話題になった。いまの中国経済の規模は日本経済規模の4倍になった。つまり対談後、5年毎に中国は日本経済一個分のGDPを新たに作り上げた。その点について日本では余り議論されていない。日本のマスコミにはむしろ中国経済が破綻するといった報道で溢れている。中国の社会経済の発展をきちんと認識し、付き合っていくことが、日本の大きなチャンスにつながるはずだ。

 日本と中国の関係がもっと互いに協力し合うようになるといい。中国の観光客がいま1,000万人規模で日本に来ている。これがさらに3,000万人、5,000万人レベルになれば面白い展開になる。日本の皆さんも、もう少し中国に行けばさらに良くなる。

中国人インバウンドで賑わう東京・浅草寺

■ ひとたび戦争が起これば人類壊滅に


学生:私は台湾出身だ。ウクライナとロシアとの関係は、台湾と中国との関係に影響を及ぼすか?

小手川:それは全く無いと思う。プーチンは領土を拡張する欲望はない。東ウクライナのロシア語を話している人たちが「自分たちを守ってくれ、ゼレンスキー政権が酷いことをしているのをストップさせてくれ」と言ってきていた事が今回の侵攻の原因である。プーチンは自分の選挙民、自分を支持してくれる人を幸せにしたいというのが最大の願いだ。今回の戦争は、イギリスとバイデンが仕組んだことなので、台湾と中国とは全然違う。

 もし習近平が本気で台湾をなんとかしようとしたら、台湾の弱みは電力だ。天然ガスを利用しており、天然ガスの備蓄は二週間分しかない。台湾海峡の周りに船を派遣し、天然ガスの輸入をストップすれば台湾は電力がすぐになくなる。しかもアメリカなどがそれを抗議したとしても「これは国内問題である。台湾は中国の一部だから」と言えば済む。このことが、台湾の人からすると一番リスキーだと思う。ただそれだけのリスクを中国が取るかどうか?むしろ一番怖いのは中国国内の政治経済がうまくいかなくなり、外に仮想敵を作って国内をまとめるというナショナリズムに訴えることだ。

 これはあまり知られていないが、軍事力で台湾を攻めることは凄く大変だ。台湾の北は浜辺があるが中国に面している西側は全部断崖だ。上陸することができない。更に台湾を自分のものにしようと思ったら台湾の制空権、空軍力を全部自分のものにしなければならない。そうなると最初に攻撃しなければならないのは沖縄の嘉手納基地だ。これは直ぐに中米戦争に発展する可能性があり物凄くリスキーだ。米台相互防衛条約の対象になっていない金門島と馬祖島の二つの島の占領は、アメリカとの間では問題にはならない。

周:製造業の衰退で、アメリカではいま最新鋭の飛行機を作れない程になっている。造船能力も随分なくなっている。このような国が中国を叩く力があるとは思えない。

小手川:いまアメリカの造船能力は中国の200分の1だ。第2次世界大戦時に日本軍がなぜ負けたか。1つの大きな理由は輸送船が足りなかったから戦争が続かなかった。しかし、今の戦争でそれは関係ない。原爆一発で終わりだ。

周:中国も核保有国で、そこまでアメリカはやるつもりなのか?

小手川:そこまでやるつもりだ。今どこの国の指導者にも言いたいのは、戦争をやったら本当に人類は滅びる、そのひとことだ。

(終)


プロフィール

小手川 大助(こてがわ だいすけ)
大分県立芸術文化短期大学理事長・学長、IMF元日本代表理事 

 1975年 東京大学法学部卒業、1979年スタンフォード大学大学院経営学修士(MBA)。
 1975年 大蔵省入省、2007年IMF理事、2011年キヤノングローバル戦略研究所研究主幹、2016年国立モスクワ大学客員教授、2018年国立サンクトペテルブルク大学アジア経済センター所長、2020年から現職。
 IMF日本代表理事時代、リーマンショック以降の世界金融危機に対処し、特に、議長としてIMFの新規借入取り決め(NAB)の最終会合で、6000億ドルの資金増強合意を導いた。
 1997年に大蔵省証券業務課長として、三洋証券、山一證券の整理を担当、1998年には金融監督庁の課長として長期信用銀行、日本債券信用銀行の公的管理を担当、2001年に日本政策投資銀行の再生ファンドの設立、2003年には産業再生機構の設立を行うなど平成時代、日本の金融危機の対応に尽力した。

【対談】小手川大助 VS 周牧之(Ⅴ):激しく揺れ動くヨーロッパ

対談を行う小手川氏と周牧之教授

■ 編集ノート: 
 小手川大助氏は、財務官僚として金融機関破綻後の公的管理を担った。その後、産業再生機構を設立し、バブル崩壊後の処理に当たった。日本の金融危機の対応に継続して努めたのみならず、IMF日本代表理事としてリーマンショック後の世界金融危機に尽力した国際通でもある。東京経済大学の周牧之教授の教室では2025年5月22日、小手川氏を迎え、激動する世界情勢の現状と行方について伺った。

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2022年4月9日、ウクライナ・キーウを電撃訪問し、ゼレンスキー大統領と会談したボリス・ジョンソン英首相

■ イギリスの介入が戦争を長期化


小手川:2020年3月29日にイスタンブールでウクライナとロシアが交渉をし、一旦合意した。しかしその5日後にイギリスのボリスジョンソンがキエフに行き、「もっと戦争しろ」と言ったのだ。

 これは本当にひどい話で、あの時もし止めていれば、今ロシアが占領するウクライナ西側のケルソン、東側のマリウポリ、それからザポロージエを、まだ当時ロシアは占領していなかったので、今の状況に比べれば圧倒的にウクライナの領土は大きいままだった。ところが、ジョンソンの介入の結果、今日のようになってしまった

 だから、それはイギリスが責任を全部取るべきだと私は思う。ちなみにこの時のウクライナ側の交渉官は、その1カ月後にキエフの街中で夜、轢死体で発見されている。

周:誰に殺されたかは分かったのか?

小手川:今でも分からない。おそらくネオナチの連中だろうと言われている。

 欧米は嘘ばかりついていたが、ついにトランプが大統領になったこともあり、正直な意見を言う人が出てきた。今年3月の初めに『ザ・ヒル』という信頼できるアメリカの議会雑誌に、アランクーパーという大学教授が正直なペーパーを書いた。この人はもともと民主党のスタッフで反トランプで、軍事戦略と紛争管理が専門だ。

 その人が「ロシアのウクライナ侵攻は防ぐことができた。一番責任があるのはゼレンスキーとバイデンだ」「これまでマスコミが一貫してロシアの侵攻は挑発されたものではないとしてきた論調は、全くの誤りだ」と言い、そこで大事な3つの理由を述べている。「ドイツ、フランスと一緒に打ち方止めの合意をしたのに、それをウクライナのネオナチが壊し、あのような事態になったということ。2つ目はミンスク合意を何回も違反したのは、ゼレンスキーだということ。そして2021年11月と12月にバイデンに対してプーチンが、『そろそろ堪忍袋の緒が切れるから何とかしろ』と何回も警告した。それに対してバイデンは何もしなかった」つまりすべて責任は彼らにあることを公に発表した。

周:ボリス・ジョンソンは、当時イギリスの首相だった。過去数百年、イギリスは一貫してヨーロッパでのまとまろうとする勢力を潰してきた。今回、ロシアとウクライナを戦わせる事に執念を燃やすのも、その一環だと思われる。ちなみに、ボリス・ジョンソンは、2016年イギリスのEU離脱を主導した人物だ。

ノーベル賞授賞式晩餐会の会場・ストックホルム市庁舎

■ 固定化するイギリス階級社会


周:イギリス年金基金の7〜8割が外国株を買っている。恐らく主にアメリカ企業の株を買っている。イギリス国内企業株を買うのは1割もいない。つまり投資先としての良い企業はイギリスに無くなっている。金融立国のイギリスは自国に投資しなくなった。これはイギリス経済の困窮ぶりを表している。

 にもかかわらず、なぜイギリスは、ヨーロッパの中で最も戦争を煽るのか?同じ島国の日本からイギリスはどう見えるのか。

小手川:イギリスに残っている産業は金融業と兵器産業だけだ。イギリス製兵器のパーツを作っているのはスウェーデンだ。だからスウェーデンはいつもイギリスと同じような行動をする。ノーベル賞もそうした観点から選ばれる。例えばノーベル賞を受賞する中国人はことごとく中国政府に反対している人たちだ。

周:ノーベル賞はダイナマイトを開発し戦争で築いた巨万の富を元に設立された。とくにノーベル平和賞や文学賞などは反体制的なイメージも強い。トランプは自分が幾つかの戦争を終結させたことでノーベル平和賞を取ると訴えていたが、それはノーベル平和賞の本質を理解していなかったわけだ(笑)。

小手川:イギリスと日本の1番の違いは、イギリスが階級社会であることだ。貴族の称号を持っている人は、一生どころか永遠に保障される。

 正確に言うと、イギリス人は土地の使用権しか持てない。すべての土地は国王陛下が持っているため、一般国民は使用権しか持ってない。だが、貴族たちは、その所有権を未来永劫何代にわたってずっと持っていられる。王室は表に出ない隠された資産をたくさん持っていて、それを使いWWF等さまざまなNPOの援助をしている。

 日本との違いはイギリスが階級社会で階級間の移動がないため社会がものすごく固定化している点だ。低い階層に生まれた人は希望がない。

 私がいろいろな場面で感じたのは、世界で一番日本人を嫌っているのはイギリス人だという事だ。めったに表に出さないが、何かのきっかけでイギリス人は、彼らが第二次世界大戦前一番進んでいた鉄鋼業、造船業、ミントンという有名な陶磁器さえ、日本との競争に敗れたと、日本側に被害感情を見せることがある。1990年代半ばに「フルモンティー」という映画があった。失業しガス自殺を図った若者が男性ストリップをして何とか暮らしていく悲惨な映画だ。イギリスの昔の工場地帯が舞台になっている。

周:「世界の工場」としてのイギリスにとどめを刺したのは日本だ(笑)。

ウィンストン・チャーチル英国元首相

■ アメリカを上手に抱き込んだチャーチル


小手川:もう少し古い歴史から紐解くと、ロシアの仇敵はイギリスだ。イギリスはロシアが大嫌いだ。イギリスにとって一番重要な植民地だったアメリカが独立したときに、アメリカの独立を一番助けたのがロシアだったからだ。

 もちろんフランスも助けたが、ラファイエット公爵の個人的な感情があったためだ。一方ロシアは、エカテリーナという元ドイツ人だった女帝が有名なフランスの啓蒙思想家ヴォルテールに感化され、民主主義を良しとし、アメリカ独立を支援した。それは百年後、南北戦争時のイギリスの南軍との関係に連なる。南は主たる産業が綿花で、奴隷をたくさん使っていた。その頃のイギリスは奴隷貿易で儲かっていた。産業革命時に、蒸気船を作った有名なアメリカ人フルトンに投資していたのが奴隷商人だった。それに対し当時のロシア皇帝アレクサンドル2世はリンカーンをサポートした。ロシア艦隊をアメリカ東海岸に送り、イギリスの艦隊は南軍と一緒に北を攻められていた。1776年のアメリカ独立以来、アメリカの最大の脅威はイギリス、一番の仲間はロシアとなった。

 これが変わったのは1939年の6月だ。第2次世界大戦が始まろうかという時に首相になったチャーチルは母親がアメリカ人だった。ドイツに勝とうと思ったらアメリカを引っ張り込むしかない。それで当時のイギリス国王に頼み、国王夫妻にカナダに行ってもらっている間に、アメリカ政府と交渉した。ニューヨークのハドソン川にあったルーズベルト大統領の私邸で、アメリカ風のピクニックをやった。これは「ハドソン川のピクニック」という映画にもなっている。

 その時、有名なルーズベルト夫人エレノアが、王妃に対してファーストネームでアメリカ風に名前を呼ぶので、王妃はものすごく嫌な顔をするものの立ち場上ひっくり返すわけにはいかない。その時に初めてイギリスとアメリカの関係が良くなった。それは、ドイツがポーランドに侵入する1カ月前だった。これはイギリスにとっては大博打だった。その一年半後、日本が真珠湾攻撃をした時、喜んでシャンパンを開けたのがチャーチルだった。地団駄を踏んだのがヒットラー。まさに現代化の流れがそのようになっている。そう考えると全体が見えてくる。

周:第二次大戦勝利の一手はチャーチルがアメリカを上手に抱き込んだことだ。これと対極に、日本の真珠湾攻撃は、負け戦の一手だった。蒋介石は真珠湾攻撃のニュースを聞き、興奮のあまり一晩眠れなかった。

ドイツ・ツヴィッカウにあるフォルクスワーゲンの電気自動車工場

■ 恵まれ過ぎて失敗したドイツ


小手川:ヨーロッパがいま大失敗しているのはあまりにも恵まれすぎたからだ。1991年にソ連が崩壊し、東ヨーロッパ、ロシアまでヨーロッパの新しいマーケットになった。モノがどんどん売れた。一番儲かったのがドイツだった。ユーロが出来るまではドイツマルクが強すぎてドイツの人件費がスペインの二倍くらいあった。通貨が統一されたあとユーロでドイツの人件費とスペインの人件費がイコールになった。単に東ヨーロッパの国々がマーケットになっただけでなく、西の貧しかったスペインやポルトガルもモノを買う力がどんどん付いてきた。

 市場は伸び、しかも彼らが買ったのがドイツ製品だったため、これがドイツ人を甘やかしてしまった。緑の党という最悪の党が出来た。私のよく知っている日本人女性でドイツ人と結婚した人が1カ月に2回くらい面白いペーパーをYouTubeに出している。ドイツの環境省次官がいきなり環境NGOのトップになる。環境NGOのトップが環境省の局長になるといった事が頻繁に起こる。非常に腐った関係になる。さらに彼らはつるんでドイツの有名な企業、シーメンスやフォルクスワーゲンに対して「環境規制をごまかしているだろう」などと脅迫をする。「証拠はある。公開されたくなければ緑の党に政治献金を出せ」と迫る。

 このままいけば近々フォルクスワーゲンも潰れる。この前、大分に来たエストニアの有名な指揮者が言っていたのは「ベルリンフィルハーモニーが、今お金がなくなっている。いま中国政府に支援をお願いしている」。今年のバイロイト音楽祭、ザルツブルク音楽祭の予算は3文以下っとになるなど、ドイツは本当に悲惨な状況になった。2024年11月末にフォルクスワーゲンは労使交渉が終わり、合意したが、その内容はひどい。2030年までにフォルクスワーゲンのドイツ国内工場の従業員を30万人クビにする。それを組合が飲んだ。そうでないともうやっていけない。

 その最大の失敗は、中国と組んだことだ。これからはEVの時代だとして中国企業と合弁した。中国の企業にEVのノウハウを全部渡した。その時ドイツは、中国が自分たちの最大のマーケットになると思い、これで成功したと思った。中国政府が国内の自動車会社に補助金を出し、あっという間に中国に物凄い数のEV生産工場が出来て世界最大のEV車生産国になった。ドイツにはEVの分野で将来はない。主要政党である緑の党は少しも問題意識を持っていない。緑の党を応援している人がほとんど公務員で、社会の経済状況の良し悪しは自分たちには関係ないと考えているからだ。

周:ドイツはガソリン車に強いが、EVには弱い。バッテリーにしても自動運転にしても、そもそもドイツの自動車メーカーには技術が無い。中国は逆で、EVが強い。バッテリーは世界で大半のシェアを取っている、自動運転も、テスラと真正面から勝負しているのは、中国企業くらいだ。ドイツの問題は、あまりにも恵まれすぎてIT革命に乗り遅れ、産業技術が何世代も遅れていることだ。もう1つ、ロシアとウクライナの戦争でエネルギー不足が大問題になっている。

小手川:そうだ。ドイツが非常に恵まれていたことの大きな要因は、ロシアからパイプラインで送られる天然ガスが非常に安価だったことだ。それが今度の戦争で全部止めになった。

 ドイツの私の知り合いがベルリンで会議があるから行ってみたら、ベルリンの立派なパーティ会場が暗かった。「もっと明るく」と言ったら「できません。この3年間で電気料金が8倍になったから」。すでに電力がないから使えない状況になっている。

周:知人の経済学者の話では、ドイツでは中国の技術やサプライがないとモノが作れなくなっている。10年前の中国の製造業のイメージとは真逆なことが起こっている。

ベンジャミン・ネタニヤフ・イスラエル首相と会談を行うドナルド・トランプ米大統領

「帝国」のブレが「周辺」と大きな摩擦を生む


周: 外交面においては、トランプはバイデン政権との逆をやっている。バイデン政権は一生懸命に同盟国をまとめようとしたのに対して、トランプは同盟国を「ゆすり集団」として容赦なく高関税を課している。こうした帝国のブレが、関係諸国との大きな摩擦を起こす。

 歴史から見ると、これに似ているパターンが第二次大戦後に2つ事例として取り上げられる。1つは、1956年にソ連のフルシチョフによるスターリン批判が起こった時、中国と東欧の一部がソ連に反発したこと。結果、中国とソビエトとの関係は、とことん悪化し、1969年ウスリー川の珍宝島での中ソ国境紛争に発展した。

 もう1つは、鄧小平が実権を握り毛沢東批判をした時、毛沢東の盟友たる北朝鮮やベトナムとの関係が悪化した。1979年の中越戦争もその延長線上で考えれば見えてくる風景が違ってくる。

 第2次トランプ政権は、ヨーロッパの盟友、そして隣国カナダにも厳しい姿勢を取っている。つまりトランプはヨーロッパの現在の首脳らを、バイデン政権の「代理人」と見做しているところがある。これに対してヨーロッパ諸国やカナダもトランプのアメリカに批判的だ。 

 そもそも帝国とはそういうものだ。帝国内部で起こる大転換は、それまで付いてきた周りの諸国の人々にとっては困惑させられるものだ。いまのヨーロッパの情勢を判断する一つの視点となる。

学生:第1次トランプ政権時、彼を支持するいわゆるユダヤ系の人が政権の中枢を占め、イスラエル問題に強く介入するイメージがあった。今回のガザ地区での紛争に関して、トランプはどの方向へ動くのだろうか?

小手川:イスラエル問題に関するポジションは、いまのところネタニヤフとの関係を損なわない方が米国の国内政治的にいいとトランプは思っている。トランプはドイツ系とスウェーデン系で、親戚にユダヤ系はあまりいないが娘婿のクシュナーがユダヤ人だ。トランプの父親は不動産業をニューヨークのクイーンズで成功させたが、クイーンズはニューヨークではトップの地区ではない。トップはマンハッタンだ。マンハッタンの不動産は全てユダヤ系が握っている。トランプはマンハッタンに進出しようと自分の娘にユダヤ系の人を選び、娘婿と一緒にマンハッタンの土地開発をやった。娘婿クシュナーは、ユダヤ系の少数派メンバーだ。彼の属する少数派のユダヤ人グループの発祥地は白ロシアの境目のところにある。ユダヤ人ではないが、同地域の出身で有名な作曲家にラフマニノフがいる。ロシアのユダヤ系マフィアはプーチンが大統領になった時、選択肢を与えられた。亡命する等して出ていくか、或いは、経済力を剥奪された。例外は有名なロンドンのサッカーチームのチェルシーを持つアブラモビッチというロシアの大金持ちで、彼も同じユダヤ教の非常に少数の宗派のメンバーで、彼はプーチンとの関係を保っている。

モスクワ国際ビジネスセンター(MIBC)に林立する超高層オフィスビル

ロシア人は日本好き


小手川:私は日本の一番いいところは日本では職業に貴賎がないところだと思う。いい仕事悪い仕事がない。例えば、お手洗いの掃除をしている人の仕事ぶりを周りの人はよく見ていて、その人が真剣にプロフェッショナリズムで任された仕事をきっちりやれば、その人は日本では尊敬される。最高の美徳とされる。

周:社会主義国家中国で育った人間からすると、それは1番素晴らしいことだと思う。階級を無くし平等を訴える毛沢東はまさしくそうした発想を中国社会に植え付けた。私は小学校から農村で農作業をする課外授業を受けていた。農民や労働者に敬意を払うべきであると強く教えられた。

小手川:社会は変わっている。昔と違いGDPが増えたとか、パワーキャピタルがどれだけ多いかが、競争の題材になっている。一度しかない人生をどこでどう過ごすのが幸せか?その選択の時代に入っていると思う。

 新型コロナ明けの人々の行動を見て分かるのは、日本人が認識しているかどうかは別にして、世界の人々の認識は、特にロシア人は、日本が1番いい、日本に来たいという事になっている。日本は清潔で、美味しいものが安く買える。治安の心配がない。夜9時以降の電車に女性が一人で乗っていられる場所を世界中で日本以外に見たことはない。文化的に癒されるものが沢山ある。温泉他さまざまな日本の文化を見て、日本は世界で1番愛される国だとロシア人の84%が言っている。二番目はブラジルだ。ただブラジルは日系人が多いことも影響していると思う。

 ロシア人がなぜ日本を好きかというと、まず、日本製品が信頼できて壊れない。日本人は嘘を言わない。長い関係を重要視している。それから日本の文化が素晴らしいという。古い日本の文化にお茶、お花がある。生け花教室が世界で一番多い都市は、モスクワだ。冬場は雪道がずっと続くので、せめて家の中ぐらいは綺麗な花で飾りたい、ということだ。そうした日本の古い文化だけでなく、アニメとコスプレはロシアの若い人たちにとって最大の憧れだ。

 ロシア人は日本好きで、逆にロシア人が一番嫌いなのは中国だとも言われる。面白いのは、世界各国にいくと必ず中華料理屋があるが、モスクワで中華料理屋を探すのは難しい。日本料理屋はモスクワに山のようにある。モスクワだけで、寿司屋と名が付く店は650件ある。

周:ところがマスコミや外交政策で見ると何故か日本人はロシアが余り好きでは無いようだ。

バンス米国副大統領による著書『ヒルビリー・エレジー』

■ 戦後の社会システムが日本の支え


周:アメリカの友達はアメリカ社会の基盤が壊れていると言う。例えばバンス副大統領の著書『ヒルビリー・エレジー』を読んでみると分かるように地方や家庭が痛々しいほど崩壊している。

 それに対して、グローバリゼーションを経験しある程度の格差社会になった日本では、社会の崩壊は起きていないのは何故かということだ。これは、戦後日本の社会システムがかなり効いているからではないか。この社会システムこそ非常に大きな強みだ。グローバル社会の中でどうしても格差が生じているが、幸いにして日本文化の影響もあり、社会システムそのものの良い面がまだ活きている。

小手川:そうだ。中国政府の方から聞いて面白いなと思った言葉は、「中国は多くを日本から学んだが、1つだけ日本から学べなかったことがある。それは社会主義だ」。日本は今世界で一番社会主義的な国だという。

 これは別に社会主義がいいとかではなく、もともと日本は農業社会だと思う。農業社会はどうしても皆で一緒にいろいろな仕事をしないといけないので、共同意識が強い。確かに、私の出身の九州の田舎は、みんなが自分を見ていて、うるさく感じることがあるが、結果的にそれが平等につながる。いわゆる欧米の狩猟民族的なところとは全然違うところがあると、私は思う。そういう意味で日本人に近いのがロシア人であり、また東ヨーロッパ人であり、双方農耕社会だ。

周:ロシアはソビエトという共産主義国家の70年間で、かなり社会主義的な思想が浸透しているはずだ。それも「社会主義的な日本」に親近感を持つ一つの理由かもしれない。

対談(Ⅵ)に続く


プロフィール

小手川 大助(こてがわ だいすけ)
大分県立芸術文化短期大学理事長・学長、IMF元日本代表理事 

 1975年 東京大学法学部卒業、1979年スタンフォード大学大学院経営学修士(MBA)。
 1975年 大蔵省入省、2007年IMF理事、2011年キヤノングローバル戦略研究所研究主幹、2016年国立モスクワ大学客員教授、2018年国立サンクトペテルブルク大学アジア経済センター所長、2020年から現職。
 IMF日本代表理事時代、リーマンショック以降の世界金融危機に対処し、特に、議長としてIMFの新規借入取り決め(NAB)の最終会合で、6000億ドルの資金増強合意を導いた。
 1997年に大蔵省証券業務課長として、三洋証券、山一證券の整理を担当、1998年には金融監督庁の課長として長期信用銀行、日本債券信用銀行の公的管理を担当、2001年に日本政策投資銀行の再生ファンドの設立、2003年には産業再生機構の設立を行うなど平成時代、日本の金融危機の対応に尽力した。

【対談】小手川大助 VS 周牧之(Ⅳ):ロシア・ウクライナ戦争が危うく人類滅亡の危機に

講演を行う小手川氏

■ 編集ノート: 
 小手川大助氏は、財務官僚として金融機関破綻後の公的管理を担った。その後、産業再生機構を設立し、バブル崩壊後の処理に当たった。日本の金融危機の対応に継続して努めたのみならず、IMF日本代表理事としてリーマンショック後の世界金融危機に尽力した国際通でもある。東京経済大学の周牧之教授の教室では2025年5月22日、小手川氏を迎え、激動する世界情勢の現状と行方について伺った。

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2024年12月16日、労働省で演説するバイデン米大統領

■ 2024年9月の人類滅亡危機


小手川大助:実は私は2024年9月15日、あと3日ぐらいで自分が死ぬと思っていた。なぜか。核戦争が始まると思っていたからだ。核戦争が始まると生き残るのはアメリカ、ロシア、中国のように国土が広い国だ。日本のように狭い場所に人口が集中する所は全滅する。イギリスとウクライナが組んでロシアを挑発し、核戦争を始めようとする事件が9月13日から15日にかけて何回か起こった。

イギリスは、残っている産業がアメリカと同様に兵器産業しかない。金融業も危機に陥っているので戦争するしかない。そこでアメリカの部品で作ったイギリスのミサイルを、ウクライナがロシアに打ち込むようにしたかった。その許可をバイデンにもらうためにワシントンにスターマーが行った。バイデンはアルツハイマーで何の話か分からなかったと思うがNOと言った。その1週間後に、今度はゼレンスキー自身がバイデンのところへ行き、言質を取ろうとした。その時にはアメリカ政府にその話が十分入っていたため政府がバイデンに説明し「ゼレンスキーには絶対NOと言ってください。そうでないと本当に核戦争が始まる」と言ったのが9月13、14、15日だった。

最初の段階でバイデンがYESと言っていたら恐らく私たちは死んでいた。日本全体が核爆弾の犠牲になったからだ。一番困るのはそういう戦争になると、地球の周りに核の雲が出来、全世界の平均気温が10度ぐらい下がる。そして全世界はひどい農業問題が起こり人々は飢餓になる。原爆1発で、人は数日間も経たずに死ぬ恐れがある。生き延びても数年間のうちに飢え死にする。そんな状況が非常に近づいたのが2024年9月だった。

 なんとかその状況は脱した。その状況を知っていた我々の仲間は、11月にトランプが勝った時、「本当によかった、バイデンが勝っていたら核戦争が始まり、人類が滅亡したかもしれない」と、本当に真剣に互いに話し合った。

周牧之:バイデン政権は、何故そこまでやるのか?

小手川:バイデン大統領はあの時脳が動いていなかった。

周:いまのトランプ政権の国務省の中にそうした考えの人はまだいるのか?

小手川:まだそういう考え方を持っている人が、若干残っていることは間違いない。ただ、その人たちの上に国務長官、それから国家情報局長になったハワイ出身の女性トゥルシー・ギャバードが立っている。

周:もともと民主党議員だった人か?

小手川:そうだ。民主党から国会議員になった人でお父さんがポリネシア人、お母さんは白人だが、白人では珍しいヒンズー教徒だ。ギャバード自身は今も軍人で、軍資格を持ったまま議員をやっている。ちょうどバンス大統領がイラクに行った時期とほぼ同じ時に、ギャバードも自ら進んでイラクに行っていた。

 トゥルシー・ギャバードは、CIAなどアメリカの16ぐらいある情報関係局の一番上に立っている。情報関係局は毎日大統領にブリーフィングペーパーで説明する。そのペーパーを全部彼女がチェックし、彼女がOKしたものだけが取り上げられる。極めて重要なポジションだ。彼女がアメリカ議会の承認を得るときは大変な騒ぎだった。いわゆるディープステート、今まで勝手なことをしていたFBIなどの人たちが大反対し、ギャバードに問題があるというキャンペーンをやった。結局、ギャバード本人が非常に素晴らしい人で、人格の良さにより案外順調に承認された。今回はそうした人がいて、目を光らせていることは大きい。

2025年10月17日、トルコ・イスタンブールで開催された「ゼロ・ウェイスト・フォーラム」でスピーチを行う様子ジェフリー・サックス コロンビア大学教授

■ ネオコンに乗っ取られたアメリカの対露政策


周:私が常に疑問視するのは、何故アメリカにロシアを最後まで潰そうという勢いがあるのかだ。

小手川:ロシアの経済改革を後押ししたアメリカの著名な経済学者ジェフリー・サックスがいる。ロシアに行った時は30代初めぐらいだった。そのジェフリー・サックスが、1990年代の初めソ連に行き、ゴルバチョフに会い、エリツィンに会った際の話の内容が少し長いが1時間半ぐらいのインタビューでYouTubeに全部載っている。読む価値がある。彼はポーランドに行き、ポーランドが共産主義をやめれば、アメリカ政府は多額の経済援助をすると言い、それを実践してポーランドは経済が良くなった。それを横目で見ていたロシアは、ゴルバチョフもエリツィンも、同じようなことを自分たちにもやってくれと依頼し、ジェフリー・サックスは了承してワシントンに帰った。ところが、当時ワシントンでブッシュ政権を固めていたのはネオコンのメンバーだった。その人たちのほとんどが東欧圏にいたユダヤ人だ。彼らはソ連への援助に反対しサックスの計画は潰れた。

周:ソビエト政権樹立の中心メンバーの大半はユダヤ人だった。ロシアではユダヤ人が共産主義政権を作ったと思っている人が多い。しかし、スターリンが政権を握るとユダヤ人幹部を大粛清した。レフ・カーメネフ、イオナ・ヤキール、グリゴリー・ソコリニコフ、カール・ラデック、レフ・トロツキーなど著名なユダヤ系の政治家も犠牲になった。とにかくロシア帝国時代以来、ロシアとユダヤとの関係は、非常にややこしくて、酷い。大勢のユダヤ人がこのためロシアからアメリカに移民した。この人たちの流れがいまネオコンの勢力に化け、アメリカという覇権国家を乗っ取りロシアに復讐しているようにも見える。

小手川:ジェフリー・サックスのインタビューの中に、1990年代初めの段階で、ウクライナの2014年クーデターにかかわったビクトリア・ヌーランドが出てくる。面白いので、一度読むといい。

周:ジェフリー・サックスのインタビューYouTubeを見た。前回の講義で小手川さんはビクトリア・ヌーランドがウクライナ問題で果たした役割を詳しく紹介した。彼女はニューヨーク生まれだが、父親が東欧系ユダヤ人移民だ。クリントン政権では国務副長官の首席補佐官、ブッシュ政権では国家安全保障問題担当大統領補佐官首席次官、オバマ政権では国務省報道官、国務次官補、バイデン政権では国務次官を務めた。共和党政権、民主党政権共に仕えた国務畑のディープステイトの代表的存在としてウクライナで反ロシア政策を煽り、反ロシア政権を打ち立てた。

ヴィクトル・ヤヌコヴィッチウクライナ前大統領

■ ウクライナ問題の座標軸は人口


小手川:ウクライナ問題の一番の座標軸は人口だ。ソ連が崩壊した時にウクライナは人口が5,000万人いた。これはヨーロッパでは相当な人口で、スペインより大きい。一番多いのはドイツ、次いでイギリス、フランス、アルメニアだ。ドイツが8,500万、イギリス、フランスが其々6,000万ぐらい。それに続いてウクライナの5,000万、次がスペインの4,000万だ。人口の多いウクライナが、25年後のいまは当時の半分の人口に減った。

 なぜ5,000万人が25年間で半分になったのか。経済が悪いからみんな外国に行ってしまった。戦争開始後、ウクライナから亡命者が増えている。ここまではマスコミは言うが、マスコミが言わないのは、亡命している人の8割が全部ロシアに行っていることだ。当然と言っていい話だ。問題になっている東ウクライナの人たちの母国語はロシア語だ。ゼレンスキー自身も母国語はロシア語。彼は大統領になってから慌ててウクライナ語を勉強したため、今でも彼のウクライナ語は上手くない。

 ヨーロッパでは歴史のこともあり残念ながらウクライナ人は信用されていない。「ウクライナ人は信用できず、何をするか分からない」というのが、ヨーロッパ人が普段ウクライナ人に持つ印象だ。ウクライナがNATOのメンバーになることはない。ロシアが嫌がっているからでなく、今のNATOのメンバーは皆嫌がっているからだ。ウクライナがNATOのメンバーになりどこかで戦争を始めたら、自分たちはそれに共連れになる。ウクライナと一緒に叩かれるのは絶対嫌だとウクライナ以外のヨーロパ人は思っている。

 いまウクライナは厳しい状況なので、東京に最近、若いウクライナ人女性がどんどん増えている。しかも相当いいところの出身で父親が弁護士、医者という人が多い。その人たちは日本でいろいろな学校に入って勉強している。なぜ来たか聞くと、両親から「今のうちだから早く行けと言われた」「今は難民として日本に入れてくれる。戦争が終わったら難民の地位はなくなり、日本に入れてくれなくなる」と言う。ウクライナ人もみんなもうそろそろ戦争が終わると思っている。

 実際に現場で苦労している人と話すと極めてよくわかる。2004年の12月大統領選挙で、ヤヌコビッチという人が当選したが、選挙に不正があった事を西側のマスメディアがどんどん書いた。これはソ連崩壊のいつものパターンの一つだ。世界を支配していると自認するマスメディアがキャンペーンを始め、イギリス政府とジョージ・ソロスという有名なお金持が作った様々なNPOが煽る。

 イギリス政府がやっているのはWWFという環境保全のNPOで、お金を払いデモに参加する人を募る。それでデモが発生すると、その模様を映像にし、民主化の動きが起こっているとしてニュースをどんどん流す。結果、2004年の選挙でユシチェンコが大統領になった。が、このユシチェンコが欧米に接近して経済が破綻した。ウクライナの貿易の3分の2はロシアや旧ソ連諸国が相手だ。その3分の2に代わるだけのお金をEUやアメリカがくれたら、経済は何とかやっていけた。だがそれはやらずに、ちょっかいだけ出して政権を変え、当然経済が破綻した。2010年2月に大統領選をやった結果、もう選ばれなかった。

2013年12月11日、キエフの独立広場における市民抗議運動(「ユーロマイダン」または「尊厳の革命」)

■ プーチンは軍事行動に極めて慎重


小手川:その前、ちょうど私がIMFにいた時に大変な話が起こった。ロシアからウクライナを通ってヨーロッパに天然ガスのパイプラインが引かれている。このパイプラインは、ヨーロッパがあまりガスの必要がない夏の間にロシアから送ってもらう。ウクライナの西の方にガスの貯蔵施設があり、冬になると、天然ガスを必要とするヨーロッパに天然ガスを売る。夏の終わりに最後の輸送をしてから後の約6カ月間、冬まで間隔がある。だから、ウクライナ政府がロシアに天然ガス代金を渡すのを6月まで待ってもらい、いよいよ冬の初め、ヨーロッパにお金が入ってきたら相殺するような格好で、6月まで政策投資銀行、政府関係の金融機関が関わってやっていた。 ところが2009年、この政策投資銀行がいきなり廃止された。一体何が起こったのか?ウクライナとロシアの間の話は、実は国家対国家の話ではなく、ウクライナのマフィアとロシアのマフィアの間のさまざまなグループの間の関係で話し合われ、極めて分かりにくい。そこで私のカウンターパートのロシアの代表に、何が起こるか聞いてみた。明快な答えが返ってきた。

 「2004年の大統領選挙のやり直しで勝った大統領ユーシェンコ、女性首相のティモシェンコの2人が、2008年ぐらいから完全に仲違いした。2009年にティモシェンコ首相が、ウクライナの政策投資銀行のトップがユーシェンコの選挙資金を相当出していることに気付き、政府命令でその銀行を廃止した。」

 そうすると、6月からファイナンスをする人がいなくなった。これで大騒ぎになり、当時のIMFトップのフランス大蔵大臣ドミック・ストラス・カーンが「このまま放っておくとヨーロッパの冬にガスがなくなる。なんとかIMFにお金を出してほしい」ということになった。

 IMFはそもそもウクライナを全然信用しないので、お金を貸したら何時返ってくるか分からない。議論した挙げ句、年明けて2010年の1月の選挙で、ヤヌコーヴィチが帰って来ればロシアとの関係も良くなり、経済も良くなり、普通の状況になるだろう。だからヤヌコーヴィチが帰ってきた後にIMFもお金を出そうということになった。その通りだったのでヨーロッパが破綻することはなかった。

 2013年に、ロシアのプーチンがヤヌコーヴィチに対し、「毎年175億ドル、約2兆円の援助をする」と言い、しかも天然ガスの割引についても、引き続きやると言った。「その代わりEUと自由貿易交渉に入るのはやめなさい。あなたのためにならない。EUと貿易交渉になって例えば農産物を自由化したら、ヨーロッパの農産物は政府の補助金漬けなので、その農産物が山のようにウクライナに入り、ウクライナの主要産業の農業が破綻する。だからやめた方がいい」と言って、双方で約束した。

 ところが、それを見て、ウクライナの西部の人たち、ヨーロッパに近い人たちは反対運動を起こした。2014年2月22日にクーデターが起きた。前日にロシアとフランスとドイツが、再交渉しようと約束したが、それをウクライナが無視してのクーデターだった。2月22日夜に銃撃戦が起こり政府側の警察もデモ隊のメンバーも何人か死んだ。 この死んだ人たちの面倒を見たのが、私の知り合いのウクライナ人の女性医師だった。その人のレポートには、「同じ弾で打たれた」とあった。

周:撃ったのは第三者だったのか?

小手川:そうだ。間違いなくMI6 あるいはCIAが戦争を起こした。

周:昔クリミアで起こったのと同じだ。

小手川:その通りだ。クーデターが起こった途端、クリミアの住民が独立を宣言し、ロシアの一部になる。それから東ウクライナの2つの州、ルガンスク州と、ドネスク州も自分たちで投票し自治をしたいと宣言する。それで内戦になったが、2014年9月にベラルーシの首都ミンスクで停戦合意が成った。これはドイツ、フランス、ウクライナ、ロシアで仕組んだことだ。 アメリカは入っていない。

 最近判ったことが、その時の当事者のドイツのメルケルと、フランスのオランドが、「当時、戦争が始まったが、ウクライナ軍がものすごく弱く、放っておくとすぐにロシアに占領されることが明確だった。そのため時間稼ぎの合意をした。自分たちはミンスク合意にのっとって平和を続けようという気は全くなかった」と、公の席で発表した。 だから何も知らないTVコメンテーターが「プーチンは嘘をついた」「プーチンは騙した」というが、全く逆だ。だましたのは西側で、常にだまされているのはロシアだ。それが1つの原因だ。

 2019年にゼレンスキーは経済を良くしたいと言い、ロシアと仲良くしたら経済が復活すると発表し、73%の票をとって大統領になった。大統領になった途端にゼレンスキーはネオナチから、殺人の脅迫を受けた。その半年後にアメリカの政権がバイデンに変わったことでゼレンスキーは180度姿勢を変えた。ロシア語を禁止するなど、ロシアを次々挑発した。

 プーチンが一番弱いのは、自分が治めている民衆からの陳情だ。特に東ウクライナ、ロシア語を話す人たちが、「なぜこれだけウクライナから砲撃を受けているのに、ロシアは自分たちを助けてくれないのか? 」といった陳情をし、また、東ウクライナに対するウクライナ政府からの砲撃が、ミンスク合意に反して2021年暮れから激しくなった。

 結局この陳情に我慢できなくなり、プーチンは軍事行動を始めてしまった。最初は3日で終わるつもりだった。2014年12月に作戦が成功したので、今回も機動部隊を大型ヘリコプターに乗せ、キエフを急襲し3日で終えるつもりで始めた。ところが、この約10年間に、イギリスのMI6とアメリカのCIAががっちり情報網をキエフの周りに張り巡らせたため、ヘリコプターが全部打ち落とされた。

 それで3日では終わらずに少し長引いたが、やはりロシアが優勢だった。そのため2020年3月29日にイスタンブールでウクライナとロシアが交渉をした。ウクライナを信用してないロシアは事前にウクライナのポジションをペーパーで出すよう要求した。ウクライナ政府の提案には、ウクライナは永世中立としてNATOに入らない、クリミアはロシアの領土として認めるとあった。

周:しかし、イギリスのちょっかいで、せっかくまとまった交渉も破綻し、戦争が今日まで長引いている。

2025年9月23日、ニューヨークの国連本部で開催された国連総会(UNGA)第80回会合にて、二国間会談を行うゼレンスキー大統領とトランプ大統領

ゼレンスキー大統領は「俳優」?


周:ゼレンスキーは2025年2月28日、アメリカのホワイトハウスでトランプと口論になり、大失敗した。ウクライナとロシアの戦争はゼレンスキーでソフトランディングができるのか。彼はもともと大統領としての任期も終わっているはずだ。トランプは何度もゼレンスキーにこの点を指摘している。

小手川:ソフトランディングとは?

周:例えばウクライナの次の大統領選で平和を望む声が出て、ゼレンスキーが退くような事があり得るか。現実離れした話を持ち出して対ロシア交渉に臨むゼレンスキーの発想は、個人の発想か、それとも後ろ盾のイギリスの発想なのか、或いは周りの誰かが言わせているのか?トランプもずっとゼレンスキーは「俳優だ」と言っている。俳優でも脚本がいる。一体誰が脚本を書いているのか。そもそもゼレンスキーは一体どういう人なのか。

小手川:ゼレンスキーの母語はロシア語だ。ウクライナには、ロシア語でクリボイドローク、ウクライナ語でクリーブイリークという名の、日本でいう広島ぐらいの町がある。ゼレンスキーはその町の出身で、彼は俳優、コメディアンだった。

 2014年2月キーウでネオナチがクーデターを起こし、同年6月に大統領選挙がありポロシェンコが大統領になった。ポロシェンコも欧米寄りであまりロシアとはうまくいってなかったので、どんどん経済が悪くなった。ウクライナは、マフィアというかオリガルヒという大金持ちの人たち、昔の中国でいう地方豪族の集まりで成り立っている。ウクライナで1番大きい町がキーフ、2番目がハリコフ、3番目がオデッサだ。このハリコフという町の知事をやっていたのがコロモイスキーで、名前から分かる通り純粋のユダヤ系だ。コロモイスキーは大金持ちでウクライナのマスメディアを握っていた。彼は最初新しい大統領のポロシェンコとうまくやっていたが、途中で喧嘩を始めた。

 結局、ポロシェンコが大統領在任中にコロモイスキーをクビにし、州知事の地位を失わせたばかりか州知事時代の買収や不法行為の捜索を始めた。身の危険を感じたコロモイスキーは、最初はスイスに逃げ、その後イスラエルに逃げて今イスラエルに住んでいる。コロモイスキーは恨みを晴らしたいと自分が握っていたマスコミを使い、ポロシェンコを茶化す番組を作り、一般国民から凄く受けた。そのコメディの中でポロシェンコ役を演じたのがゼレンスキーだった。ゼレンスキーは完全な傀儡で、周りにいるのはイギリスのMI6とアメリカのCIAだ。彼の個人としての意思は殆ど無い。

2025年10月31日、ウクライナ戦没者墓地で行われた戦没兵士への追悼式

アメリカが本気になれば戦争は終わる


小手川:一番明確なのは、周先生が冒頭おっしゃったようにゼレンスキーがホワイトハウスで大失敗し、その後アメリカが8日間、ウクライナへの援助を全部ストップした。武器援助だけではなく、さらに重要なのは現金の援助だった。アメリカは現金をどんどんウクライナに送っている。もう1つは情報のシェアリングで、ロシアの今の動きなど情報のシェアリングをしていたのも8日間ストップした。

 8日間ストップした間に、あっという間にウクライナはロシアに攻め込まれ、クルスクという都市が完全にロシアの領土に復帰してしまった。

 つまりトランプが本当にこの戦争をやめさせようと思ったら、援助をやめればいい。これに対しウクライナは何もできない。ヨーロッパも力もお金もない。

 なぜ現金が重要かというと、現金は今のウクライナの兵士の給料になるからだ。完全に代理戦争で、ヨーロッパとアメリカがウクライナ人の兵士を雇い、自分たちの代わりにロシアと戦わせている構図だ。

 トランプがプーチンと話をし「もうこれでいい」と思ったらウクライナにその決定を飲ませる。飲まなければ援助をストップすると言えば終わる。

 ちなみにウクライナは今兵隊が足りない。すでに戦死者が58万人いる。私の知り合いのウクライナ人で今招集令状が来ている人は55歳だ。この年齢の人に招集令状が来ている程だ。若者はほとんどが招集を嫌がり国外に脱出している。甚だしい例は、召集を避けるために自分の足を自分の銃で撃ち、病院に入院して兵隊にならずに済ませる。そういう人たちが随分いるのが実情だ。

周:むごい事だ。

ヴァレリー・ザルジニー駐英ウクライナ特命全権大使

■ ゼレンスキー大統領では終わらない戦争


周:ユダヤ人はイギリスを乗っ取り、アメリカを乗っ取ったことで、世界の覇権国家をある程度掌握した。バイデン政権時、セキュリテイ関連のトップは殆どユダヤ人が占めていた。外交政策の対ロシア、対イスラエル問題で、恐らくいまトランプはロシアと仲良くしたいと考えている。ところが、中東問題をどう解決するのか?

小手川:バイデン政権の最大の失敗は、中国をロシアに近づけてしまったことだ。ロシアを中国側に追いやってしまった。なんとかしてロシアを中国から引き剥がし自分たちの方に持ってきたいというのが、トランプの最大の問題意識だ。ウクライナとの戦争を止めさせたいと思っているが、世界中でウクライナの戦争、イスラエルの戦争を絶対にやめたくないと思っている人が二人いる。戦争が終わった途端に自分たちは殺されると思っている二人で、一人はゼレンスキー、一人はネタニヤフだ。

 順番からするとまずゼレンスキーを切って、昨年春にイギリス大使になったウクライナ人が戻ってきて大統領に推されるだろうとされている。

周:ゼレンスキーに解任されたウクライナ軍総司令官のヴァレリー・ザルジニーだ。この人はウクライナでゼレンスキーより人気がある。

小手川:現在ロシアに占領されている地域はそのままにし、朝鮮戦争方式で間に緩衝地帯を起き、現場をそのままにする。それを最終的にやるには戦争を始めたゼレンスキーが大統領のままではまずいので、新しい大統領を立てて掌握する話が2024年11月末、アメリカとロシアの双方から入っている。

 イスラエルに住むユダヤ人は全部で600万から700万人いる。アメリカに住むユダヤ人600万人を加え、世界のユダヤ人は全部で1億人はいない。

 一方アラブ人は全世界に3億人いる。イスラエル全人口900万人の200万人はアラブ人だ。民主主義の数の論理でいけばアラブが優勢だ。ユダヤ人になかなか明るい未来が来ないとされるのは、アメリカの中であまり好かれていないこともある。

対談(Ⅴ)に続く


プロフィール

小手川 大助(こてがわ だいすけ)
大分県立芸術文化短期大学理事長・学長、IMF元日本代表理事 

 1975年 東京大学法学部卒業、1979年スタンフォード大学大学院経営学修士(MBA)。
 1975年 大蔵省入省、2007年IMF理事、2011年キヤノングローバル戦略研究所研究主幹、2016年国立モスクワ大学客員教授、2018年国立サンクトペテルブルク大学アジア経済センター所長、2020年から現職。
 IMF日本代表理事時代、リーマンショック以降の世界金融危機に対処し、特に、議長としてIMFの新規借入取り決め(NAB)の最終会合で、6000億ドルの資金増強合意を導いた。
 1997年に大蔵省証券業務課長として、三洋証券、山一證券の整理を担当、1998年には金融監督庁の課長として長期信用銀行、日本債券信用銀行の公的管理を担当、2001年に日本政策投資銀行の再生ファンドの設立、2003年には産業再生機構の設立を行うなど平成時代、日本の金融危機の対応に尽力した。

【対談】小手川大助 VS 周牧之(Ⅲ):トランプ政権でアメリカ復興成るか?

講義を行う小手川氏

■ 編集ノート: 
 小手川大助氏は、財務官僚として金融機関破綻後の公的管理を担った。その後、産業再生機構を設立し、バブル崩壊後の処理に当たった。日本の金融危機の対応に継続して努めたのみならず、IMF日本代表理事としてリーマンショック後の世界金融危機に尽力した国際通でもある。東京経済大学の周牧之教授の教室では2025年5月22日、小手川氏を迎え、激動する世界情勢の現状と行方について伺った。


周牧之:小手川さんは、財務官僚として日本のバブル時代の後始末に尽力された。ある意味では小手川さんは平成時代に最も仕事をした財務官僚だ。バブルの後始末に力を尽くされただけではなく、国際政治経済への知見、視点、そして国際的なコミュニケーション力と情報収集力で小手川さんの上に行く方はいないと思う。

 きょうの講義では、トランプ大統領はなぜ再選できたか、また、これがアメリカの社会、経済に与えたインパクト、そして国際政治に与えた影響について伺いたい。選挙中、トランプ大統領はロシア・ウクライナ戦争について「私が大統領なら1日で終わらせる」と述べた。しかしロシア・ウクライナ戦争の行方はいまだ混沌としている。なぜヨーロッパの方がなかなかこの戦争を終わらせようとしないのか。また、イスラエルのガザ地区への攻撃はどうなるのか、中東情勢はどうなっていくのか。南アジアでは、インドとパキスタンの関係が激化したのは何故か。さらに、トランプ関税の行方も含めて幅広いお話をいただきたい。

IMF(国際通貨基金)本部

■ 国内外の破綻処理に奔走


小手川大助:私は財務省に35年務め、この間スタンフォード大学ビジネススクールに留学し大蔵省の役人としてでは初めてMBAを取った。その後ずっと日本とアメリカの金融や貿易の交渉をした。また、世界銀行のスタッフとして、これも日本人として初めて事務方として、交渉がどう裏側で行われているのかを当時、私の上司のアメリカ人とパキスタン人の2人から徹底的に教えてもらった。

 1996年から大蔵省の金融担当になり2年目に山一証券が破綻した。1998年に大蔵省が分割され金融庁ができ、私が最初のメンバーとして担当したのが長銀、日債銀の破綻処理だ。その後、2002年に産業再生機構を作る話になり、2003年春、同機構を作り40社の再生を担った。

 2007年にIMF国際通貨基金の日本代表として、ワシントンに行った。翌年リーマンショックが起こり、今度はリーマンショックの破綻処理をするために必要なお金を全世界から60兆円を集めた。例えばイギリス経済が破綻してもお金がなくて助けられないということがないようにした。

 私は学生時代アルバイトでロシア語通訳をやっていて、日本人の中には経済がわかりロシア語ができる人間があまりいないということで、2010年に役所を辞めてからはロシアで行われた多くの経済フォーラムに呼ばれた。ほぼ毎年4〜5回はロシアに行く生活が続いた。昔私が通訳の仕事をした時の相手方が有名な音楽家、指揮者、バレエダンサーになっていたことから、ほぼ世界中の有名な指揮者、オペラ歌手と知り合いになった。例えば、ボリショイバレー団のトップ15人のうちの10人が私の親友という非常に楽しい人生をこれまで送ってきた。

周:小手川さんは国内外の破綻処理に奔走し、また人生も謳歌されている。

2016年米大統領選にてヒラリー・クリントン氏とドナルド・トランプ氏が直接対決したテレビ討論会

■ 幅広い人間付き合いが判断力に


小手川:2004年まだ役所にいた頃からマスコミの報道がおかしいと感じた。報道に出る事と私が実際に会った人たちの話が違うからだ。私が最初に感じたのは日本に出稼ぎに来たウクライナ人女性達で、彼女らの意見は普段マスコミで聞く情報と全く違っていた。それで、マスコミ報道を信じてはいけないと思うようになった。その後アメリカに行った時に、世界中の情報が集まるワシントンの中でも最もできる人たちで構成される2つのグループと知り合い、日本に帰ってからも、彼らと毎週2度ZOOM会議をしている。

 一つはトランプに近い親トランプ派、共和党派。もう一つは反トランプ派すなわち民主党系の人たちで、毎週土曜朝と月曜朝にZOOM会議を1時間やっている。その人たちを選んだのは、まずその人たちが言っていることが全部当たっていたからだ。なぜ当たるかいろいろ調べて分かった。彼らはいわゆるアメリカの情報筋、CIA、FBI、軍、国務省、国防省のOBだ。今は皆OBだが昔は相当有名人だった人ばかりだ。

 例えば、自分が仕事している時に、偉くなった大学の先輩から「今君たちはこんな仕事をしていると聞くが、それはこうした理解でいいのか」と聞かれたら、先輩に対して全く嘘を言うわけにはいかない。だから会議の相手方も皆肝心な時は自分の後輩に聞きに行く。後輩は真実を言えないにしても真逆のことは言えないので、ほぼ正しい情報が集まるという訳だ。

 そのおかげで私は2016年に、トランプが大統領選挙で勝つと予測できた。日本では私ともう1人、フジテレビの木村太郎さん2人だけがトランプ勝利を予測した。実は当時、日本の外務省、アメリカの国防省に随分知り合いがいたが、彼らは完全に予測が外れた。トランプの当選が決まった時の日本の外務省、アメリカの国務省の慌てふためきぶり狼狽ぶりは、本当に忘れられない。トランプが4年やり、バイデンになり、昨年11月の大統領選挙になった。

 前回2023年10月の周先生のゲスト講義(【対談】小手川大助 vs 周牧之:(Ⅱ)複雑な国際情勢をどう見極めるか?)で、2024年大統領選挙を予言したが、私が申し上げたことがそのまま当たったと思う。

周:私の小手川さんとのお付き合いは四半世紀を超えている。私から見ると、小手川さんはそもそも人間が大好きで、さまざまな国のさまざまな立場にある人と幅広く付き合い、それを楽しむと同時に、得てきた事柄をご自身の判断力の強みに置き換えてこられた。

2008年9月15日に倒産したリーマン・ブラザーズ社

■ 全てリーマンショックから始まった


小手川:全て今起こっていることは、2008年のリーマンショックから来る。変だなと思った最初は、リーマンショックの時だ。なぜか。2008年9月にリーマンショックが起こり、11月に共和党政権が倒れ大統領選挙でオバマが勝ち、共和党のブッシュ大統領からオバマ大統領に変わった。

周:リーマンショックそしてオバマが大統領選に出た時、小手川さんはIMFの日本代表理事としてワシントンにいらした。私もMITの客員教授としてボストンにいた。リーマンショックとオバマ大統領誕生という二つの出来事が、アメリカの転換点になったことを現場で強烈に感じた。

小手川:私が担当した1998年の日本の金融危機当時、同時期に起こったアジア経済危機の当時の担当者が逮捕され牢獄に送られ、私の友人を含め何人かが責任を感じ、自殺した。

 アメリカも政権が変わったため、本当はそうした責任追求ができるはずだった。にもかかわらず、新大統領として赴任したオバマは誰1人として責任追及しなかった。政府の人間だけでなく、リーマンショックに一番責任があったウォール・ストリートの銀行マンを1人も捕まえなかった。アジアの政府では、相当数の人たちが捕まった。アジアの政策のトップの人たちだ。日本と同じように自殺する人もずいぶんいた。

 それがアメリカではなぜ起こらなかったか疑問を抱いたのがスタートだった。日本には「銀行を救済するな」と言っていたアメリカが自分自身の問題になると、責任追及が無かったのだ。

 更に、オバマ政府は、ゼネラルモーターズを莫大な金額の税金を使って救済した。これは基準や規則あるいは法律を、自分の場合と他人の場合で全く別の扱いをするダブルスタンダードだ。これで苦労したアジアの人たちは、「俺たちには厳しくしたのに、自分の話になると手のひら返して何でもやる」と、アメリカを全く信用しなくなってしまった。

 大企業と大銀行を税金使って救済していながら、結果、GMは、バランスシートは綺麗になったが、代わりに従業員を大量に解雇した。完全な失業者あるいはパートタイマーになってしまったブルーカラーの人たちの不満が、トランプを大統領にした。今でもトランプはアメリカに工場を戻し、その人たちに仕事を与えていると言っている。

周:オバマ政権でリーマンショックという世界的な金融危機の責任追求が完全に無くなった。なぜこのような金融危機が起こったかについての反省も欠いたまま同じゲームが繰り返されている。

 私は2007年夏にワシントンで小手川さんと会った。その時アメリカの金融市場がおかしいという議論をした。秋に東京に戻った時、小手川さんが産業再生機構の社長に引っ張った斉藤惇さんが東京証券取引所の社長をやっていた。私は斉藤さんにアメリカの金融危機が有り得るから早めに準備した方がいいと申し上げた。斉藤さんは、日本はバブルの債務をきれいにしたところで、大丈夫だと言っていたが、1年後見事にやられ日本経済も大変なことになった。

2025年1月20日、ドナルド・トランプ氏大統領就任式に出席するバラク・オバマ前米国大統領

■ なぜオバマが大統領に選ばれたか


小手川:思い返すと、2016年選挙の前の2008年にオバマが大統領に選ばれた時の対抗馬はヒラリー・クリントンだった。当時は皆ヒラリーが当然勝つと思っていたがオバマが勝った。私もアメリカにいて疑問に思った。しばらくたってその原因が分かった。2008年の選挙時のヒラリー・クリントンは8年後の2016年の選挙時のヒラリー・クリントンとは全く別人だった。2008年の選挙時ヒラリー・クリントンは、ウォールストリートに厳しい立場を取っていた。リーマンが破綻したのは2008年9月で、その半年前の3月にベアースターンズという中堅の証券会社が破綻し、ウォールストリートに暗い雰囲気が漂い始めていた。私の周りの国際通貨基金のアメリカ人スタッフが、アメリカ政府の要請で急遽アメリカの中央銀行や財務省に帰り、ベアースターンズに続く金融危機が起きないよう懸命に頑張っていた。実際、後で聞いたら、3月の事件が起こり、リーマン破綻までの6カ月間、彼らは週末さえ一日も休みがなかった。全休日返上でなんとか金融危機を避けたいと粘ったが、リーマンショックが起こってしまった。そうした雰囲気の中、ウォールストリートとしては自分たちに厳しいヒラリー・クリントンが大統領になると困る。

 もし当選すればアメリカ史上初の女性大統領になるヒラリーに対抗できるような大統領候補は、初のアフリカ系アメリカ人がいいとなった。それで当時、上院議員として唯一のアフリカ系アメリカ人だったオバマが選ばれた。

 オバマが候補になってからは、とにかくオバマに関するイメージ作りをウォール・ストリートが莫大なお金を出して始めた。オバマは新しいタイプの政治家で草の根の活動をしツイッターなどを使ってお金を集めたとのイメージが作られたが、実際はそうでない。オバマの選挙資金の8割はヘッジファンドから来ていた。アメリカはとにかく、選挙が日本とは比較にならないぐらい腐敗している。

周:アメリカにいた時に私は中国新華社の『環球』誌にコラムを書いていた。オバマ政権がなぜ誕生したのか、また、リーマンショックの後始末の不可解さ等について、小手川さんとまったく同じ問題意識を持ち、「オバマは悪魔と取引をした」と結論付けて書いたことがあった。民主党大会でオバマに負けたヒラリーによる敗北スピーチは実に素晴らしかった。それをネタにコラムを書いたこともある。

小手川:安倍派が3年間で5億円を自分のポケットに入れたというキックバック問題があった事を、私がアメリカのZOOM会議の相手方にしたら皆びっくりした。当時のレートで5億円は300万ドルだ。「お前それはジョークだろう」と言うので「アメリカならその1万倍は使うのか?」と聞くと、「その通りだ」との答えだった。

 ZOOM会議の仲間の1人が非常に細かいレポートを作り、私に送ってくれた。2020年の選挙では、大統領選挙と上院議員選挙、下院議員選挙、全部が一緒に行われた。当然お金がかかる。実際選挙に使われた金は20兆円だった。20兆円は、安倍派の問題になった5億円の2万倍だ。

 同選挙でバイデンは10億ドル、1500億円を集めた。バイデンはアメリカ大統領候補の中で、初めて10億ドル以上を集めた候補だ。それに対しトランプは6億ドル。どういう人が、バイデンとトランプに献金したかの調査結果を、私のZOOMグループが全部送ってくれた。非常に明確で、トランプに金を出している人は皆小口で、人数が多かった。一方バイデンはほとんどが大口のウォール・ストリートからで銀行、大金持ちが献金し、件数、人数は非常に少なかったことがはっきり分かった。

2024年9月10日、ドナルド・トランプ氏とカマラ・ハリス副大統領候補によるテレビ討論会

■ 2016年大統領選での3つの敗者


小手川:2016年に勝ったトランプを支持したのは白人労働者だった。トランプは候補の中で唯一、金融機関、銀行業から献金をもらっていなかった。

 一方で完全に負けた3グループがあった。1つはウオール・ストリートだ。2つ目のグループはネオコン。ネオコンとは新しい保守派のことで、この人たちはソ連が崩壊した後もソ連を徹底的にやっつけようと主張した。それがアメリカの国の利益になるからではない。その人たちはほとんどが父親、祖父の代がロシア、あるいはソ連に住んでいたユダヤ人でロシア革命後あるいはスターリン時代に、アメリカに亡命してきた。その個人的な恨みを晴らしたい。それが2つ目のネオコングループだ。今マスコミで出ているネオコンの人の経歴を見ると明らかなのは、ほとんどの出身がロシア、ウクライナ、ポーランド、バルト諸国出身のユダヤ人の子孫だ。したがって、彼らはアメリカの国の利益でなく、自分たちの個人の利益のために戦争を仕掛けている。

 3つ目の敗者は、主要マスメディアだ。アメリカには、ABC、NBC、CBSという三大テレビ網やCNNに加えて新聞のニューヨークタイムズ、ワシントンポストなど有名なマスメディアがある。2016年トランプが勝った時の主要マスメディアの幹部の名前を見ると、みんなオバマの関係者だった。

 当然のことながら、その人たちは正確な情報を報道するわけがない。次の2020年の選挙も同様だった。今回の選挙も同様で、民主党候補カマラ・ハリスを一生懸命持ち上げ、ハリスが勝つイメージを作ったのが、主要マスメディアだった。

 カマラ・ハリスは、選挙演説でどういうことを言っていたのか?一番重要なのは経済問題だったが、「物価が上がっています。パンの値段が上がる。ガス料金が上がる。私たちは、その意味するところを理解したいのであります。それはすなわち自分たちの生活費が上がるということです。人の生活に少しずつ影響があるということです。だからこれは大問題であります」で終わった。インフレ問題をどう解決するのかの主張が全くなく、インフレの定義を述べることしか発言しなかった。

 Perplexityという面白いアプリがある。優秀なアプリで、キーワードを入れるといろいろな話がわっと出てくる。このアプリにカマラ・ハリスと名前を入れ、もう一人ウィリー・ブラウンという有名なサンフランシスコの政治のドンだった人の名を入れる。すると「カマラ・ハリスはどうやって偉くなったか?彼女は弁護士をしていた29歳の時に、当時サンフランシスコ市議会議長をしていた60歳で既婚のウィリー・ブラウンの愛人になった。この愛人関係を利用し、彼女はどんどん上に上がっていった」と回答が出てくる。私の知り合いのロシアの情報筋の人物が「これはすごい話になるよ。人類の歴史上、初めて売春婦が主要国の大統領になる」と言った。

周:この3グループの反発も凄まじかった。それゆえにトランプ政権の1期目はトラブル続きだった。トランプがホワイトハウスに連れて行った最初の側近の大半は、FBIのでっち上げ調査でやられた。メディアはトランプを「妖怪」に仕立て上げただけでなく、大統領選最中の2021年1月にツイッター、グーグル、アップル、アマゾン各社が「暴力行為をさらに扇動する恐れがある」として、トランプ大統領の個人アカウントを永久凍結しサービス提供を停止した。つまりアメリカ大統領としてのトランプのSNS言論封じ込めまで仕出かした。

 2021年にトランプ政権を1期だけで終わらせ、バイデン政権を樹立させた勢力はイデオロギー政治を暴走させた。ロシア・ウクライナ戦争はその「傑作」のひとつである。カマラ・ハリスを副大統領にし、次いでトランプ対抗馬の大統領候補にしたのは、もう一つの「傑作」というべきだ。

『尊敬できるアメリカ(America we deserve)』

■ 労働者に仕事を与えるスローガンで大統領に


小手川:トランプのやりたい一番重要なことは、白人労働者に仕事を与え、彼らの収入を増やすことだ。NAFTA(北米自由貿易協定:North American Free Trade Agreement)は昔アメリカが結んだメキシコとカナダとの協定だ。メキシコやカナダに工場を作ると有利になるので、アメリカ企業そして日本の自動車産業もどんどんメキシコやカナダで工場を作り、そこからアメリカに輸出することになった。今から40年ぐらい前の話だ。

 今は時代が変わり、アメリカの仕事がどんどん逃げている。これを見直そうとしている。メキシコとの国境に壁を作り、賃金が安く白人労働者の競争相手になる人たちのアメリカ入境をSTOPしようというのがトランプの基本的な路線だ。

 さまざまなニュースに惑わされず、次に何が起こるかを見る事が必要だ。トランプを理解するための鍵が、彼が2000年に出した著作『尊敬できるアメリカ(America we deserve)』にある。その中に将来大統領選挙に出て必ず勝つと述べていた。尊敬する歴代大統領はフランクリン・ルーズベルトとニクソンで、両者の共通点はアメリカの労働者に市場を与え、仕事を与えたことだ。

周:不動産屋の大金持ちのトランプが、その対極にある製造業の労働者に目を付けたのは凄い政治的センスだ。グローバリゼーションの中で、金融やハイテクに突き進むアメリカでは、製造業がどんどんなくなり、旧産業地帯が廃れていった。私は何度も自動車産業の中心地だったデトロイトに調査に出かけた。ゴーストタウンや廃墟となった都市と工場の跡地風景は悲哀に満ちていた。日本のような国土政策が無いアメリカでは、その地域の人たちに対するケアは殆ど無い。逃げられる人は逃げ、残された人はどうしようもない状況に置かれている。でも、票田としては大きな政治的価値がある。トランプはここに目を付けた。この結果、労働者に仕事を与えるスローガンでこれらの地域で大勝したトランプが、2016年の大統領選をものにした。しかし、トランプ関税まで発動しても、製造業を今後どれほどアメリカに取り戻し、これら地域を再生できるか?そのリアリティは未知数だ。

リビエラカントリークラブ(HPより)

■ アメリカでの製造業復活は茨の道


小手川:いまトランプがやろうとしている製造業の復活は、プラットフォームとしてはいいと思う。単に貿易赤字を言うのでなく、一番の問題はアメリカが生産をアウトソーシングし海外で作って自分のところへ持ってくることだ。製造業を復活させないといけないとトランプは考えている。新しい動きとしてはいいと思う。実際トランプが就任後100日間でやったことは、バイデンが4年でできなかったことで、それをどんどん進めている。

 しかしおっしゃるように製造業の復活は茨の道だ。例を挙げる。ロシア人の娘さんでロサンジェルスに長らく住み、ヨーロッパ人の大金持ちの為にロスの土地や豪邸を買って商売をしている知り合いがいる。最近大火事が起こった現地にパシフィック・パリセーズという有名な大豪邸群がある。その真中にリビエラカントリークラブという1988年に日本人に買収された最高のゴルフクラブがあり、有名なPGA大会が毎年2月末にそこで開催されている。周りが高いところでゴルフ場は谷底にあったため、大火事で周りは全部焼けたがそこは残った。その時、彼女が言っていたのは、今ロスでいい土地を見つけ、買って設計して家を作り上げるまで最低2年はかかる。日本でいう大工さんがいない。左官がいないからだ。家を作れる人がいないのが今のアメリカの現状だ。

周:私のアメリカの友人も、家を建てる時に大工集めに大変苦労した。

ニューヨーク・マンハッタン島

■ 思い込みが強いオバマとディール好きなトランプ


小手川:トランプがニュヨーク出身であることも見逃せない。ニューヨークと言ってもいろいろなニューヨークがあり、中心となるのはマンハッタン島だ。トランプの出身地はその東側のクイーンズ地区で、南に行くとブルックリン地区があり、もう少し北に行くとブロンクス地区がある。ニューヨークでクイーンズ出身者について何が言われているのかが、トランプを理解するもう一つの鍵になる。「彼が何を言っているかを気にする必要はない。実際どういう行動をするかが重要だ(Don’t listen to him, Watch what he does)」。この言葉通りで、トランプ政権は言っていることと実際の行動が全く違う。

 オバマと違うのは、トランプは現実主義者のビジネスマンだ。とにかく交渉し、ディールをして、双方がプラスになるのが大好きだ。相手をやっつけようとかというのではない。

 オバマは思い込みが強く、人権、環境保護、民主主義など抽象的な話しかしない。オバマの8年間のことをアメリカ人は「ハイスクールボーイ、テキストブックポリシー」と言う。高校生が習うような政治教科書の中に書いてあることしかオバマは言わない。そんなことは誰でもできる、という意味だ。

 オバマはアメリカで初めてのアフリカンアメリカンだったが、大統領在職8年間、奴隷制のことを1つも言わなかった。これを私はおかしいなと思った。偶然、私がワシントンでIMFに勤めていた時、私が今まで会った中でも極めて優秀な同僚のカンボジア人がいた。彼はクメールルージュ時代に親戚が全員殺されてしまった。戦争中日本軍がプノンペンを占領した時に建てた日本語学校で日本語を勉強したので、彼は日本語が出来る。戦後、カンボジアが独立した時に、彼のお父さんが初代の駐ソ連大使になり、一緒にロシアに行ったためロシア語も出来る。彼の父親はカンボジアに戻り総理大臣になるが、その後赤いクメールに処刑されてしまう。本人はカンボジアに戻らずヨーロッパに残り、フランスの大学を卒業後、アメリカに渡りサンランシスコでPHDを取った。その後IMFに入りスタッフになった。サンフランシスコに行く前に、当時ハワイに設立されたイーストウエストセンターという、日本政府も随分関係した新しい学校に、彼はしばらく入っていた。第1期生で、同級生は8人。日本政府から日本銀行、大蔵省の2人が行っていた。その8人の中にいたのがオバマの父親だった。 オバマの父親はアメリカのケニアから来た。オバマの父親は非常に頭が良く、ケニアで一番西にあるビクトリア湖のほとりに住んでいる少数民族で、日本と同じ主食が魚で頭脳明晰な民族として名高い。だが少数民族のため、ケニアの中ではリーダーになれないとして、オバマの父親はアメリカに留学した。

 問題はこの少数民族は奴隷狩りをする民族だったことだ。周りのアフリカ人を捕まえ、場合によっては誘拐し、それを白人の奴隷商人に売るのが、その少数民族の伝統的な仕事になっていた。だからオバマは絶対に奴隷制のことは言えなかった。一方、オバマの妻のミシェル・オバマは、アメリカに連れてこられた奴隷の子孫だった。

 対するトランプは、現実主義者で交渉が大好き、特に1対1の交渉を好む。従来一貫して不動産業で成功してきた自信があるため、1対1の交渉になれば、自分は絶対勝つと思っている。何が一番重要かというと、どう相手を交渉の場に引っ張り出すかだ。相手が交渉の席に着いたら、オレの勝ちだと思っている。

 ではどうすれば相手が交渉の席に出てくるかというと、交渉の席に出ないと大変なことになるという意識を相手に与える必要があり、相手を交渉の席に引っ張り出すためトランプは常にその高いボールを投げる。今回で言うと関税率が何百%になると言うわけだ。相手が交渉の席に出て交渉が始まるとあっという間に現実的になり折れてくる。

周:キッシンジャー元国務長官は、トランプについて、何でも取引として考え、戦略的な発想がないと言っていた。それが本当であれば、トランプの取引大暴走が、アメリカそして世界に何をもたらすのだろうか?

トランプ大統領とバンス副大統領

■ ガラッと変わったトランプ政権2期目のスタッフ


小手川:2期目のトランプ政権に対してそれ程心配する必要はなく、ちょっと頭に置いておくといいと思われるのは、1回目のトランプと今回のトランプは少し違うという点だ。むしろ、いい方に違っている。一番大きいのは人事の失敗がないことだ。2016年の時は、彼は初めてワシントンに来たので、ワシントンにどんな人がいるのか全然知らなかった。そのため誤って戦争好きな人物達を重要なポジションに任命してしまった。国務長官ポンペオ、国務次官ボルトン、国連大使ニッキー・ヘイリー、中国に対する最強硬派のスティーブ・バノンといったメンバーだ。

 今問題の日本製鉄によるUSスティール買収が一度潰れてしまった。当初何が間違っていたかというと、日本製鉄がポンペオをアドバイザーに雇ってしまったことだ。トランプが一番嫌っているポンペオだ。なぜそんなことをしたのか?理由は2つ。1つは、日本製鉄は経済産業省と全く相談せずに話を進めた。発表2日前に、経済産業省に伝えたため、経済産業省に残っているいろいろな知識を日本製鉄に伝え、ポンペオは絶対ダメだと言う時間もなかった。そのため、経済産業省はどうぞ勝手に1人でおやりくださいとのスタンスだった。2つ目は、誰が一体ポンペオを紹介したのか?安倍晋三さんと菅義偉さんのもとで、絶大な権力を持っていた警察官僚の北村滋氏は私と同じ大学出身で、もともと警察官僚で経済の方は全然知らないものの安倍・菅時代に約10年間権力を握っていて、今回、日本製鉄にポンペオを紹介した。「この人を介せばすべてが動き出す」と進言し、日本製鉄がそれを信用し、ポンペオを雇った背景がある。

 アメリカ政府の人事の失敗は今あまりないが、1人だけ危なっかしい人がいる。ヘグセス国防長官だ。もともとテレビのコメンテーターだった。今回の選挙を仕切っていたのはスーザン・ワイルズという女性で、お父さんはアメリカンフットボールのヒーローだった。ニックネームは「氷の女」で、すごく落ち着いている人だ。唯一トランプに対して「Shut up(黙れ」」と言い、トランプがそれに言い返せないという女性だ。彼女がヘグセス以外の重要人物については全部スクリーニングにかけて議会に推薦しうまくいった。ところが、へグセスだけが決まるのが非常に早くスクリーニングを受けていなかった。

 2024年7月13日にトランプ暗殺未遂があり、あの時は1cmの違いでトランプが助かった。実はあの事件の1週間前に、選挙の状況からトランプが絶対勝つだろうとわかってきた。そうなるとイギリスのMI6、アメリカのFBI、CIAに残された道は1つ、それはトランプ暗殺だと私はある公の場所で1週間前に喋っていた。すると本当にその1週間後に暗殺事件が実際に起こったのでみんなびっくりし、「どこからそんな情報がその入った?」と問われた。情報は入ってないが論理的に考えればそうだ。

 その2日後にJDバンスが副大統領候補になった。これはものすごいメッセージになった。JDバンスはトランプ以上に戦争反対だ。だから「俺を暗殺しても、もっとすごい奴がくるぞ!」というのがトランプの明確なメッセージとなった。JDバンスは大変苦労した人で、お母さんが麻薬中毒になり3回離婚した。それでお姉さんと2人で祖父母に、ずっと育てられた。バンスは頭が良かったが、アメリカは日本以上にひどいところで教育についてはお金がないと将来はない。ハーバード、イエールといったアメリカの有名大学はほとんどが私立大学だ。公立大学はせいぜいUCLA、バークレーなどカリフォルニア以外にない。大学に進学したいがお金が無い人たちは軍人になる。JDバンスは志願して軍人になった。軍人になると、軍が大学へ推薦して奨学金を出してくれるからだ。

 バンスは唯一、自分が大学に行ける道として軍に入隊した。バンスが実際に送られたのは戦争が始まったばかりのイラクだった。彼はイラクで2年間過ごし、戦争がいかにひどいものか、身に染みて経験した。2年後にアメリカに帰り、地元のオハイオ州にあるお金がかからないオハイオ州立大学に入る。軍の方からはいい奴だと話が行き、オハイオ州立大学で極めて優秀な成績を取ったため、4年後にスカラシップをもらい、イエール大学法学部に入った。イエール大学でインド系の大金持ちの娘さんと知り合い結婚したのが今の妻だ。

 副大統領JDバンスは戦争が嫌いなことに加え、麻薬の問題解決に極めて熱心だ。今アメリカで問題の麻薬はモルヒネやコカインではない。一番の問題はフェンタニルという強烈な痛み止めだ。歯が痛い時に飲むロキソニンの最も強烈なタイプだ。このフェンタニルはパーツが全部中国で作られ、中国政府が補助金を出している。パーツが東南アジア経由でメキシコとカナダに持ち込まれて最終製品になり、国境を越えアメリカに密輸されている。だからバンスが国境を封鎖しろというのは、まさに自分の母親が麻薬問題の犠牲者だという強い経験から来ている。トランプが高い関税を提案した時に中国、メキシコ、カナダに対しフェンタニル問題を自ら解決しない限り交渉に応じない、と非常に強い態度を取るのもJDバンスの思いがあるからだ。

周:2期目トランプ政権のスタッフは確かに豪華だ。但し、その経験値と団結力については大きな課題がある。すでにイーロン・マスクが政権を離脱し、政権内の喧嘩も絶えない。

対談(Ⅳ)に続く

 

講義(【対談】小手川大助 vs 周牧之:(Ⅰ)転換点で激動の国際情勢を見つめる)をする小手川氏(右)と周牧之教授(左)

プロフィール

小手川 大助(こてがわ だいすけ)
大分県立芸術文化短期大学理事長・学長、IMF元日本代表理事 

 1975年 東京大学法学部卒業、1979年スタンフォード大学大学院経営学修士(MBA)。
 1975年 大蔵省入省、2007年IMF理事、2011年キヤノングローバル戦略研究所研究主幹、2016年国立モスクワ大学客員教授、2018年国立サンクトペテルブルク大学アジア経済センター所長、2020年から現職。
 IMF日本代表理事時代、リーマンショック以降の世界金融危機に対処し、特に、議長としてIMFの新規借入取り決め(NAB)の最終会合で、6000億ドルの資金増強合意を導いた。
 1997年に大蔵省証券業務課長として、三洋証券、山一證券の整理を担当、1998年には金融監督庁の課長として長期信用銀行、日本債券信用銀行の公的管理を担当、2001年に日本政策投資銀行の再生ファンドの設立、2003年には産業再生機構の設立を行うなど平成時代、日本の金融危機の対応に尽力した。

【論文】周牧之:スタートアップ企業の「解放区」― 時価総額から見た日米中の「ムーアの法則駆動産業」(2024-2025)その3 ―

[Article] Zhou Muzhi: The “Liberated Zone” of Startups — A Market Capitalization Perspective on “Moore’s Law-Driven Industries” in Japan, the US, and China (2024-2025) Part 3

周牧之 東京経済大学教授

■ 編集ノート: 
 いま世界経済を牽引するのは、マグニフィセント・セブンに代表されるハイテク企業である。これらの企業のほとんどは、IT革命以降のスタートアップ企業である。その分布はアメリカと中国の「解放区」とも言うべきカリフォルニア州、広東省等の地域に集中している。周牧之東京経済大学教授は、論文『時価総額から見た日米中の「ムーアの法則駆動産業」(2024-2025)』で、各国の時価総額トップ100企業のデータを駆使し、日米中のハイテク企業、そして「解放区」のパフォーマンスを比較分析した。


1.L字型成長スタートアップ企業がパラダイムシフトの主役


 「ムーアの法則駆動経済」の進み具合は、主役となるスタートアップ企業の成長に依るところが大きい。

 1980年代以降、IT革命の中で情報技術を駆使し、多くのスタートアップ企業が、新しい製品・サービス、新ビジネスモデルを用いて、上記6大「ムーアの法則駆動産業」の製品やサービスの性能を飛躍的に向上させ、生産と市場が共にグローバルに拡大した。

 ムーアの法則駆動時代、イノベイティブなスタートアップテックカンパニーという新しい企業形態が誕生した。図1で示すように2025年、世界時価総額トップ10企業入りしたアップル、エヌビディア、マイクロソフト、アルファベット、アマゾン、メタ、テスラ、TSMC、ブロードコムの9社は、すべてイノベイティブなスタートアップテックカンパニーであった。ムーアの法則駆動経済におけるこれらのリーディングカンパニー自身も飛躍的な成長を遂げた。

図1  業種で見た時価総額世界トップ10企業(2025)

注1:時価は2025年1月15日時点のものである。
注2:ここでの産業分類は、GICS(世界産業分類基準)の中分類(産業グループ)である。
注3:サウジアラムコ(Saudi Aramco)を除く時価総額世界トップ10入りの9企業はすべて6大「ムーアの法則駆動産業」に属している。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータなどより作成。

 スタートアップテックカンパニーが大きな成功を収めるには、情報技術を用いて、新しい製品・サービス及びビジネスモデルの開発と、既存の産業の再定義が必要となる。

 既存業界の再定義は容易ではない。斬新な製品・サービス及びビジネスモデルを描く想像力を要する。企業を起こし自らリスクを引き受けられるリーダーシップも欠かせない。

 成功したスタートアップテックカンパニーは、すべてリスキーで長いトンネルをくぐり抜けた後にようやく成功に漕ぎ着けられるパターンを経験している。株価で見るといずれも長い低迷期を経た後、一気に飛躍した形だ。成功に至るまでの株価曲線が、左側に倒れた“L”字に見えるため、筆者はこれを「L字型成長」と定義する。

 

2.日米中3カ国「ムーアの法則駆動産業」パフォーマンス


 本論は、日米中3カ国時価総額トップ企業における1980年代以降の企業数を比較した。

図2 日米中時価総額トップ100における1980年以降に創業した企業数(2025)

注:時価は2024年1月15日と2025年1月15日時点のものである。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータより作成。

 図2が示すように、2025年に前年度同様、日本時価総額トップ100企業のうち、1980年代から1999年までに創業した企業は僅か5社で、2000年以降に創業した企業は無かった。IT革命の時代にスタートアップテックカンパニーを大きく育ててこなかった故、日本では「ムーアの法則駆動産業」の発展が遅れている。その結果、図3が示すように日本は海外のテックカンパニーに支払うなどのデジタル赤字が、2024年に6.8兆円にまで膨らみ、インバウンドで稼いだ旅行収支の黒字を相殺した。

図3 日本のデジタル赤字はインバウンドの潤いを相殺(1999-2024)

出典:財務省・日本銀行のデータより作成。

 対照的に、米国時価総額トップ100企業のうち、1980年以降の創業は36社で、そのうち21世紀創業は9社を数える。これら鮮度の高いスタートアップカンパニーこそ、ムーアの法則駆動時代を牽引している。

 中国時価総額トップ100企業のうち1980年以降の創業は82社に達し、そのうち21世紀創業は27社にものぼる。中国のトップ企業の鮮度の良さはさらに顕著である。リーディング企業の創業者のリーダーシップでイノベーションや新規事業に素早く取り組んでいることが中国経済の強みとなっている。

 今日の世界における企業発展のロジックは完全に変わった。米国と中国では新たなテック企業が次々誕生している。L字型成長を実現したテック企業が群生し経済発展を牽引している。その結果、図8が示すように、中国のGDPは米国を除いたG6の合計に匹敵する規模にまで成長を見せた。ムーアの法則駆動時代における米中二頭体制が鮮明になってきた。

図4 世界GDPにおけるG6比率が急低下:米中二頭体制に

注:ここでのG6はイギリス、フランス、ドイツ、日本、イタリア、カナダを指す。
出典:世界銀行オープンデータサイト(World Bank Open Data)のデータより作成。

 その結果、図4が示すように、中国のGDPは米国を除いたG6の合計に匹敵する規模にまで成長を見せた。ムーアの法則駆動時代における米中二頭体制が鮮明になってきた。

 技術力と起業家精神に秀でたイノベーティブスタートアップ企業が、世界経済パラダイムシフトを起こす主要勢力となっている。

 

3.「ムーアの法則駆動産業」が育つ「解放区」


 人類の歴史から見ると革命は常に周辺で起こる。既得利益集団の支配や旧態依然の発想から逃れるところに革命は起こり易い。毛沢東[1] 。このようなロジックを心得て、辺境地域に「解放区」を打ち立てた。そこで育った新勢力を用い、新中国を樹立させた[2]

 改革・開放の時代、鄧小平[3] は広東省を「解放区」とし、「経済特区」[4] などを設置し、新しいロジックのもとでの新勢力育成に励んだ。結果、広東省は中国経済の牽引車となった。現在広東省は、深圳、広州を始めとする多くのスーパーシティを持ち、香港、マカオとの連携が進み、一大メガロポリスとなった[5]

 「ムーアの法則駆動産業」の発展にも型破りな事が出来る「解放区」が必要である。実際、米国と中国には、6大「ムーアの法則駆動産業」の発展が解放区に集中することが本論で明らかになった。

(1)カリフォルニア:米国スタートアップの聖地

 米国のIT企業がカリフォルニアのシリコンバレー[6] に集中していることは周知の事実である。現在インテル、アップル、エヌビディア 、アルファベット(Google)、メタなどIT産業のリーディングカンパニーがここに本社を構える。世界中から起業家が集まるイノベーションの一大拠点である。

 何故、旧来の産業集積地[7] から遠く離れた西海岸のカルフォルニアに、IT産業のスタートアップ企業が集結したのか?これも既存産業の支配の無い新天地に、新しい産業が産まれ易いという「解放区」の仮説で説明できる。

 電気自動車を作るテスラも、デトロイトという米国自動車産業の従来の中心地から遠く離れたカリフォルニアのシリコンバレーで誕生した[8] ことは、同仮説を力強く立証する。

図5 米国:時価総額トップ100企業における6大「ムーアの法則駆動産業」の企業立地分布(2025)

注:時価は2025年1月15日時点のものである。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータなどより作成。

 図5が示すように2025年米国時価総額トップ100における6大「ムーアの法則駆動産業」33社のうち22社がカリフォルニアに集中している。時価総額で見ると、これら6大産業の63.4%が、カリフォルニアという「解放区」に集まっている。

(2)広東省:改革開放のドリームランド

 中国では改革開放で全土が「解放区」になったと言っていい。中でも、広東省が改革開放の尖兵を務めている。故に中国の「ムーアの法則駆動産業」も、同省に収集している。

図6 中国:時価総額トップ100企業における6大「ムーアの法則駆動産業」の企業立地分布(2025)

注:時価は2025年1月15日時点のものである。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータなどより作成。

 図6が示すように2025年中国時価総額トップ100企業における6大「ムーアの法則駆動産業」27社の中で、8社が広東省に集中している。時価総額で見ると、これら6大産業の43.4%が、広東省という「解放区」に集まっている。

 広東省は改革開放のドリームランドであり、そこに数多くの未上場スタートアップ企業が群生している。中国ITのトップランナーであるファーウェイや世界ドローンのトップシェアを持つDJI、越境ECのファストファッション世界最大手のSHEIN、半導体設備大手の深圳新凱来技術(SiCARRIER)など広東省に立地するテック企業の多くが未上場であることを鑑みれば、「ムーアの法則駆動産業」における広東省の存在感は、際立っている。

(3)待たれる日本の新天地「解放区」

 日本には、カリフォルニアや広東省のような「解放区」は目下、存在しない。「ムーアの法則駆動産業」になりきれない上述の6大産業は東京、愛知、大阪といった旧来の産業集積地に集中している。

図7 日本:時価総額トップ100企業における6大「ムーアの法則駆動産業」の企業立地分布(2025)

注:時価は2025年1月15日時点のものである。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータなどより作成。

 結果、図7が示すように2025年日本時価総額トップ100企業における6大産業29社の中で、22社が東京、愛知、大阪に集中している。時価総額で見ると、これら6大産業の80.1%が、上述の旧産業地帯に集まっている。空間的に既得利益集団の支配や旧態依然の発想から逃れ難いことが、テック時代の新産業をなかなか育成できない一因かもしれない。


 本論文は東京経済大学個人研究助成費(研究番号24-15)を受けて研究を進めた成果である。
 (本論文では日本大学理工学部助教の栗本賢一氏がデータ整理と図表作成に携わった)


 本論文は、周牧之論文『時価総額から見た日米中の「ムーアの法則駆動産業」(2024-2025)』より抜粋したものである。『東京経大学会誌 経済学』、327号、2025年。


[1] 毛沢東が中国西北辺境の延安で、新しい理念と組織論の下、如何にして「解放区」を作り上げたかについては、エドガー・スノー著『中国の赤い星』筑摩書房、1995年4月6日を参照。

[2] 毛沢東率いる中国共産党は1949年10月1日、北京で中華人民共和国樹立を宣言した。

[3] 当時、中国の最高実力者たる鄧小平が如何にして広東省で中国改革開放の「解放区」を作ったかについては、エズラ・F・ヴォーゲル著『 現代中国の父 鄧小平』日本経済新聞出版、2013年9月3日を参照。

[4] 1979年、中国は深圳、珠海、汕頭、厦門を中国初の「経済特区」に指定し、改革開放の「解放区」とした。深圳、珠海、汕頭はいずれも広東省にある。中でも深圳は当時、一漁村に過ぎなかった。深圳は現在、1800万人の人口を抱え、経済規模で香港を超える中国のシリコンバレーと称される一大「ムーアの法則駆動産業」集積地へと大きく成長した。

[5] 広東省の経済発展、そしてそのメガロポリス化について詳しくは、周牧之著『環境・社会・経済 中国都市ランキング2016 〈中国都市総合発展指標〉』、NTT出版、2018年5月31日参照。

[6] シリコンバレーとは、カリフォルニア州のサンフランシスコ・ベイエリア南部に位置するIT企業集積地の通称。サンフランシスコから南に広がる地域で、パロアルト、サンノゼ、マウンテンビュー、サニーベールなどの都市が含まれる。シリコンバレーについて、マーガレット・オメーラ著『The CODE シリコンバレー全史 20世紀のフロンティアとアメリカの再興』KADOKAWA、2023年12月27日を参照。

[7] 伝統的にアメリカの産業は東海岸や五大湖周辺に集まっていた。しかし鉄鋼、自動車、石油化学など伝統的な産業が衰退し、これら旧産業地帯の寂れが大きな問題となっている。2013年7月18日のデロイト市破産申告は象徴的な出来事であった。

[8] テスラは、2003年7月にシリコンバレーで創業した。2021年、本社をテキサスのオースティンに移転した。

【論文】周牧之:EVで変貌する自動車産業 ― 時価総額から見た日米中の「ムーアの法則駆動産業」(2024-2025)その2 ―

[Article] Zhou Muzhi: The Transforming Automotive Industry Driven by EVs — A Market Capitalization Perspective on “Moore’s Law-Driven Industries” in Japan, the US, and China (2024-2025) Part 2

周牧之 東京経済大学教授

■ 編集ノート: 
 電気自動車(EV)が猛成長している。その旗手テスラは、自動運転で業界の有り様を塗り替えようとしている。中国では電気自動車をテコに世界最大の自動車輸出大国に成った。周牧之東京経済大学教授は、論文『時価総額から見た日米中の「ムーアの法則駆動産業」(2024-2025)』で、各国の時価総額トップ100企業のデータを駆使し、日米中自動車産業のパフォーマンスを比較分析した。


1.「自動車・自動車部品」産業:自動運転で「ムーアの法則駆動産業」化 が加速


 EV(電気自動車)は自動車駆動エネルギーをガソリンから電気へと変え、自然エネルギーをよりふんだんに使用可能とした。これは一大エネルギー革命だと言えよう。またAIによる自動運転は、より安全且つ安価での移動手段を人類に与える。さらに、ガソリンエンジンを無くすことで、自動車部品を大幅に減らし、自動車生産プロセスを一気に簡素化し、大幅なコスト削減を実現できた。それ故に自動車産業は、情報技術の導入により伝統産業から「ムーアの法則駆動産業」へ置き換えられている代表格である。

 図1が示すように2025年、日米中3カ国それぞれの時価総額トップ100にランクインした自動車企業は、米国1社、中国6社、日本7社、となっている。米国の1社すなわちテスラは、EVのリーディングカンパニーとして現在、自動運転などで大きな存在感を示している。中国の6社合計と日本7社合計の時価総額はそれぞれテスラの16.5%と28.4%に過ぎない。

 とはいえ、同産業における日中のポジションは異なる。日本はかつての自動車王国として、未だガソリン車を死守する構えだ。その意味では自動車産業は日本では未だ「ムーアの法則駆動産業」にはなっていない。一方、中国は電気自動車の普及と生産に国を上げて取り組んでいる。現在、中国の新車販売におけるEV率は、50%を超えている。BYDをはじめとする電気自動車メーカーが世界進出を急いでいる。ファーウェイやシャオミ(小米)など異分野からのEV参入も相次いでいる。今や、EVの世界は突出した米中2強態勢となっている。

図1 日米中3カ国時価総額トップ100における「自動車・自動車部品」企業(2025)

注:時価は2024年1月15日と2025年1月15日時点のものである。
出典:CompaniesMarketcap.com 、Yahoo! Finance及び世界銀行オープンデータサイト(World Bank Open Data)のデータより作成。

(1)自動運転で米国でのテスラ一強は一層顕著に

 米国の自動車産業は、テスラ一強となっている。ガソリン車はまだ売れているものの、米国におけるガソリン車メーカーの価値は、大きく下がっている。ゼネラルモーターズ(GM)やフォードなど米国製造業の象徴的存在だったビッグ3は同国時価総額トップ100企業からすでに遠ざかっている。

 テスラの将来性を最も牽引するのは、AI自動運転への取り組みである。自動運転が人類の輸送手段を、より安全かつ低コストにする[1] 。同分野でテスラは世界をリードしている。

 2025年6月22日、テスラは米国のテキサス州オースティンでロボットタクシーのパイロット運用を始めた。現在、全米での普及を目指している。テスラは、AIを盾にし、自動車を車の形をしたロボットへと再定義した[2] 。同社は、エンジンを無くしたEV 時代の確立に次いで自動車業界のあり方そのものを再度革命的に覆した。

 日系を始めとするガソリン車メーカーは、早くから自動運転研究開発に取り掛かってきた。しかし、伝統的な自動車メーカーは潤沢な資金を有しながら自動運転への取り組みが遅れた。その最大の原因は、企業の体質として、テクノロジーにおけるムーアの法則駆動型進化のスピード感への理解が欠如していたことにある。

 他方、テック企業のバックグラウンドがあるテスラや、グーグル傘下のWaymo、百度(Baidu)のApollo、ファーウェイ、シャオミなど新勢力は、自動運転に莫大な投資をし、大きな成果を上げている。テック企業によるこのような自動運転へのアプローチは、旧来の自動車メーカーには理解の及ばない新しい時代を創り上げている。

 昨2024年1月15日に比べ、2025年同日にテスラの時価総額は6,962億ドルから1兆3,746億ドルへと倍増した。テスラはいまや米国の経済を牽引するリーディングカンパニーである。

 2025年にテスラは米国トップ100企業全時価総額の3.5%に達し、前年度と比べ1.2%ポイント向上させた。現在のテスラの時価総額には、自動運転関連要素への評価は、未だ充分に加味されていない。自動運転時代への流れと共に、テスラの存在感は益々大きくなっていくだろう。

(2)中国ではEV新勢力が猛成長

 世界最大の自動車生産大国及び自動車市場になって久しい中国では、EV化が急速に進んでいる。これに反映され、中国自動車産業の新勢力の伸びは著しい。米国同様、中国でも自動車産業において大きな構造変化が起きている。ガソリン時代の王者の衰退ぶりは明らかで、中国自動車産業の代表格だった第一自動車集団、東風自動車集団(第二自動車)は同国時価総額トップ100企業入りが出来なくなった。

 2025年に中国では、「自動車・自動車部品」企業として6社が同国時価総額トップ100企業に入っている。比亜迪(BYD)、賽力斯集団(Seres Group)、上海自動車集団(SAIC Motor)、長城自動車(Great Wall Motors)、理想自動車(LI Auto)、吉利(Geely)6社はすべてEVの波に乗った企業である。同分野での競争は激しく、未来集団がトップ100企業から離脱し、代わりに吉利がトップ100企業入りした。

 上記6社合計時価総額は、前年度同様、中国トップ100企業全時価総額の3.7%となっているものの、時価総額そのものは1,893億ドルから2,263億ドルへと大きく伸びた。

 電気自動車の発展に牽引され、中国の自動車輸出台数は2023年に初めて日本を超え世界第1位となった。電気自動車製造には、最重要部品であるバッテリーの競争力が鍵となる。目下、世界で車載バッテリーの主導権を握るのは中国企業だ。販売台数でテスラを超え、EVの世界最大手になったBYDは元々バッテリーメーカーだった。BYDの時価総額は2022年6月、フォルクスワーゲン(VW)を抜き、自動車企業でテスラ、トヨタに次ぐ世界第3位に躍進した。

 自動運転においても、中国企業はテスラとしのぎを削っている。特には百度のApollo 、ファーウェイ、シャオミなどテックカンパニーの業種の壁を超えたEV市場進出は、中国の自動運転技術の躍進を促している[3]。但し、ファーウェイは未上場で、百度は本業の「メディア・娯楽」、シャオミは本業の「テクノロジー・ハードウェア及び機器」に分類されているため、これら企業の時価総額は、中国の「自動車・自動車部品」分野の時価総額には反映されていない。

 EV化によって「ムーアの法則駆動産業」となった中国自動車産業は急激な成長を遂げ、世界進出にエンジンをかけている。

 

(3)EVシフトの遅れで日本自動車メーカーの時価額が低迷

 日本では、カルロス・ゴーンの逮捕劇[3] から始まった日産自動車の迷走ぶりが際立っている。結果、同逮捕劇から僅か6年の2025年に、日産は日本時価総額トップ100企業から離脱した。

 2025年日本の時価総額トップ100入りの「自動車・自動車部品」企業は、トヨタ、ホンダ、デンソー、ブリジストン、スズキ、スバルと、新たに入った住友電工を合わせ7社となっている。

 ここで強調したいのは、この7社がすべて伝統的なガソリン車の完成車メーカー及び部品メーカーだったことだ。その意味では、日本の「自動車・自動車部品」は旧態依然で「ムーアの法則駆動産業」にシフトできていない。

 上記7社の合計時価総額は、2025年1月15日時点で、3,897億ドルで、2024年同日の4,436億ドルを大きく下回った。因って、「自動車・自動車部品」産業が日本トップ100企業の時価総額に占めるシェアも1.5%ポイント下げ、10.7%となった。

 日本経済において大きな存在感を持ってきた自動車産業の低迷は、時代を見誤ったことに因るものが大きい。トヨタの時価総額が2020年7月、テスラに抜かされた当時、テスラの自動車販売台数はトヨタの僅か30分の1、売上高は同11分の1だった。資本マーケットは自動車企業の販売台数より、電気自動車への取り組みを高く評価するシグナルを明確に発した。にもかかわらず、トヨタを始めとする日本の自動車業界は、電気自動車へのシフトが緩慢だった。

 2025年、世界時価総額ランキングにおいて、トヨタは第44位となり、前年比で9位下げ、時価額でテスラの17.3%でしかない。

 ホンダは、2025年世界時価総額ランキング第460位と、2024年比で122位下げた。デンソーも同第523位となり前年比で142位下げた。ブリヂストンは同第847位となり、209位下げた。スバルは同第1426位となり、前年比で261位下げた。日産は同第1660位となり、前年比で560位下げた。

 日本の主要自動車メーカー時価総額の、軒並みの低迷は資本マーケットからの強い警告と受け止めていいだろう。日本の自動車産業はこれを受けて「ムーアの法則駆動産業」へのシフトに全力でかからなければいけない。EVの流れに遅れた日本の自動車メーカーが衰退すれば、日本経済に対する打撃は甚大なものとなる。

 

2.6大「ムーアの法則駆動産業」の日米中パフォーマンス


 本論はさらに日米中における6大「ムーアの法則駆動産業」のパフォーマンスを分析した。

(1)情報技術分野における日本企業の国際競争力の著しい低下

 2025年に日米中3カ国時価総額トップ100企業における「情報技術」大分類の3つの産業、すなわち「半導体・半導体製造装置」、「ソフトウェア・サービス」、「テクノロジー・ハードウェア及び機器」の時価総額の合計を比較した。

 2024年に比べ、2025年に米国の時価総額トップ100企業入りした上記3産業企業の時価総額合計は、10.4兆ドルから14.6兆ドルへ1.4倍となった。これら情報技術分野の3産業は、米国の経済を力強く牽引している。

 中国の同3産業の時価総額の合計は、2024年の2,535億ドルから2025年の3,835億ドルへ1.5倍となり、米国とほぼ同じ成長を見せた。

 これと対照的に、日本の同分野の時価総額は2024年の5,854億ドルから2025年の3,057億ドルへと大幅に下げた。情報技術分野における日系企業の国際競争力の低下は著しい。

表1 日米中情報技術分野3産業(2025)

注:時価は2025年1月15日時点のものである。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータより作成。

(2)DXによる「ムーアの法則駆動産業」化産業日米中の成長性の相違

 2025年に日米中3カ国時価総額トップ100企業における「メディア・娯楽」、「一般消費財・サービス流通・小売」、「自動車・自動車部品」というDXにより「ムーアの法則駆動産業」化された3産業の時価総額の合計も比較した。

 2024年に比べ、2025年に米国の時価総額トップ100入りした上記3産業企業の時価総額合計は、6兆ドルから8.9兆ドルへ1.5倍となった。これらDXにより「ムーアの法則駆動産業」化された3産業も、米国経済の力強い牽引車となっている。

 中国の同3産業の時価総額の合計は、2024年の1.3兆ドルから2025年の1.5兆ドルへ1.2倍となり、中国経済の成長を下支えした。AI技術の発展が、産業における「ムーアの法則駆動」化を一層加速させている。中国社会は新テクノロジーへの関心度と許容度が高く、AIの社会実装は米国よりも進んでいる。その結果、上記3産業における中国のAI社会浸透率は、世界でもトップクラスにある。

 これと対照的に、日本の同分野の時価総額は2024年の7,648億ドルから2025年の7,708億ドルへとほぼ横ばいであった。同分野のDX度合いの低さが日本企業の成長性を阻んでいる。

表2 日米中DXによる「ムーアの法則駆動産業」化3産業(2025)

注:時価は2025年1月15日時点のものである。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータより作成。

3.ムーアの法則駆動経済に猛進する米国


 図2が示すように、2025年に米国トップ100企業の時価総額において、「半導体・半導体製造装置」、「ソフトウェア・サービス」、「テクノロジー・ハードウェア及び機器」、「メディア・娯楽」、「一般消費財・サービス流通・小売」、「自動車・自動車部品」という6大「ムーアの法則駆動産業」の合計シェアは60.5%に達した。2024年の同54.6%と比べ、5.9%ポイントも上げた。これは米国がすでにムーアの法則駆動経済となっているだけでなく、急速にその度合いを深めていることを示している。

 2025年に中国トップ100企業の時価総額における6大「ムーアの法則駆動産業」の合計シェアは29.8%で、2024年とほぼ横ばいであった。

 同年、日本トップ100企業時価総額における6大「ムーアの法則駆動産業」の合計シェアは37.1%で、2024年とほぼ横ばいとなった。但し、日本では自動車、小売り、メディア・娯楽など伝統的な産業におけるDXの度合いは低く、同シェアは必ずしもムーアの法則駆動経済を反映してはいない。

図2 日米中トップ100企業時価総額における6大「ムーアの法則駆動産業」の合計シェア (2024ー2025)

注:時価は2024年1月15日と2025年1月15日時点のものである。
注:6大「ムーアの法則駆動産業」とは、GICS中分類の「半導体・半導体製造装置」、「ソフトウェア・サービス」、「テクノロジー・ハードウェア及び機器」、「メディア・娯楽」、「一般消費財・サービス流通・小売」、「自動車・自動車部品」を指す。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータより作成。


 本論文は東京経済大学個人研究助成費(研究番号24-15)を受けて研究を進めた成果である。
 (本論文では日本大学理工学部助教の栗本賢一氏がデータ整理と図表作成に携わった)


 本論文は、周牧之論文『時価総額から見た日米中の「ムーアの法則駆動産業」(2024-2025)』より抜粋したものである。『東京経大学会誌 経済学』、327号、2025年。


[1] 自動運転技術のインパクトについて、ARK Invest “BIG IDEAS 2024” in Annual Research Report 31 January 2024、pp122-132を参照。

[2] 2024年10月10日、テスラはカリフォルニア州のワーナー・ブラザーズ・ディスカバリー映画スタジオでの「We, Robot」と題したイベントで、自動車を、車の形をしたロボットであると再定義した。

[3] 2024年3月28日、シャオミが初のEV車「SU7」でEV市場に参入し、発売僅か27分間で5万台を販売した。シャオミは、EVプロジェクトを立ち上げて僅か3年で、新車発売にこぎつけた。他方、ファーウェイはシャオミと異なり、完成車メーカーにIT技術を提供する形でEV業界に進出している。

[4] 2018年11月19日に金融商品取引法違反の容疑でカルロス・ゴーン日産自動車会長・ルノーCEO兼会長・三菱自動車会長が逮捕された。

【論文】周牧之:AIブームで沸騰する半導体産業 ― 時価総額から見た日米中の「ムーアの法則駆動産業」(2024-2025) その1 ―

[Article] Zhou Muzhi: The Surging Semiconductor Industry Amid the AI Boom — A Market Capitalization Perspective on “Moore’s Law-Driven Industries” in Japan, the US, and China (2024-2025) Part 1

周牧之 東京経済大学教授

■ 編集ノート: 
 AIブームで半導体産業が沸騰している。エヌビディアの時価総額が4兆ドルを超え世界一になっただけでなく、STMC、ブロードコムといった半導体企業も世界時価総額トップ10企業入りした。米中の半導体戦争も激化している。周牧之東京経済大学教授は、論文『時価総額から見た日米中の「ムーアの法則駆動産業」(2024-2025)』で、各国の時価総額トップ100企業のデータを駆使し、日米中半導体産業のパフォーマンスを比較分析した。


 2024年に引き続き[1] 2025年も各国の時価総額トップ100企業を比較し、日米中3カ国の「ムーアの法則駆動産業」パフォーマンスについて分析する。

1.ムーアの法則駆動産業


 後にインテル社の創業者の一人となるゴードン・ムーアは1965年、半導体集積回路の集積率が18カ月間(または24カ月)で2倍になると予測した。これがすなわち「ムーアの法則」である。その後60年間、半導体はほぼムーアの法則通りに今日まで進化した。半導体の急激かつ継続的の進化は、世界の産業構造を激しく変化させている。筆者は、この間の人類社会を「ムーアの法則駆動時代」と定義し、半導体の進化に駆動されて新しい成長パターンを見せる産業を「ムーアの法則駆動産業」とする。

 産業別でいうと、電子産業はまさしく「ムーアの法則駆動産業」として最初に爆発的な成長を見せた。同産業は1980年代以降、サプライチェーンをグローバル展開させ、急成長した。電子産業のこうした性格がアジアに新工業化をもたらしたと仮説し、筆者は『メカトロニクス革命と新国際分業―現代世界経済におけるアジア工業化―』と題した博士論文を書い[2] 同書では中国、NEIS、ASEANの新工業化は電子産業の発展によって引っ張られた側面が大きいと同仮説を立証した。

 電子産業はGICS(世界産業分類基準)[3] の分類では、「情報技術」大分類(セクター)の中分類(産業グループ)「テクノロジー・ハードウェア及び機器」に当たる。同産業の1980〜90年代当時の代表的な製品は家電製品、パソコンであった。現在の代表的な製品は、通信機器、スマートフォンなどである。2025年世界時価総額第1位のアップル(Apple)はその代表的な企業である[4]

図1  世界産業分類基準(GICS)

注1:GICS(世界産業分類基準)は、S&Pダウ・ジョーンズ・インデックスとMSCIが1999年に共同開発した、先進国及び開発途上国を含む世界中の企業を一貫して分類するように設計された分類基準。
注2:2025年現在、11のセクター(大分類)、25の産業グループ(中分類)、74の産業、及び163の産業サブグループに分類され、産業構造の変化等に伴って定期的に見直されている。
出典:S&P ダウ・ジョーンズ・インデックス「GICS:世界産業分類基準」より 作成。

 図1が示すように、「情報技術」大分類には電子産業たる「テクノロジー・ハードウェア及び機器」だけではなく、さらに「ソフトウェア・サービス」、「半導体・半導体製造装置」の二つの中分類産業も属している。これら産業も典型的な「ムーアの法則駆動産業」である。

 2025年世界時価総額第3位のマイクロソフト(Microsoft)は、「ソフトウェア・サービス」産業の代表企業である。同第2位のエヌビディア(NVIDIA)、第9位のTSMC(台湾積体電路製造:Taiwan Semiconductor Manufacturing Company)、そして第10位のブロードコム(Broadcom)は揃って「半導体・半導体製造装置」産業の代表的な企業である。

 さらに今、情報通信技術の浸透で「メディア・娯楽」、「一般消費財・サービス流通・小売」、「自動車・自動車部品」など伝統的な産業は、DX(デジタルトランスフォーメーション)で「ムーアの法則駆動産業」へと置き代わっている。

 その代表的な企業として、2025年世界時価総額第5位のアマゾン(Amazon)は「一般消費財・サービス流通・小売」産業を、同第4位のアルファベット(Alphabet)と第7位のメタ(Meta)は「メディア・娯楽」産業を、同第8位のテスラ(TSLA)は「自動車・自動車部品」産業を、それぞれ見事に「ムーアの法則駆動産業」へと置き換えた。

 「ムーアの法則駆動産業」になった分野では、業界の従来秩序が一気に崩れ、多くのスタートアップ企業が新しい製品・サービス、新ビジネスモデルを用いて登場したことで、産業そのものが急速に成長している。「ムーアの法則駆動産業」になったことで、上記産業の製品やサービスの性能は飛躍的に向上している。と同時に、その市場も地球規模へと急拡大し、そのリーディング企業も著しく成長している。

 その結果、図2が示すように2025年世界時価総額トップ10企業に、上述した「テクノロジー・ハードウェア及び機器」、「ソフトウェア・サービス」、「半導体・半導体製造装置」、「メディア・娯楽」、「一般消費財・サービス流通・小売」、「自動車・自動車部品」といった6つの「ムーアの法則駆動産業」から、9つの企業が占めることとなった。

 同9企業の時価総額合計は、19.9兆ドルに達し、世界時価総額の17.4%を占めたことから、世界経済における巨大な存在感を示している。

 本論は2025年各国時価総額トップ100企業のデータを駆使し、これら「ムーアの法則駆動産業」、特に半導体と自動車の両産業に焦点を当て、日米中3カ国の産業構造を分析した[5]

図2  業種で見た時価総額世界トップ10企業(2025)

注1:時価は2025年1月15日時点のものである。注2:ここでの産業分類は、GICS(世界産業分類基準)の中分類(産業グループ)である。注3:サウジアラムコ(Saudi Aramco)を除く時価総額世界トップ10入りの9企業はすべて6大「ムーアの法則駆動産業」に属している。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータなどより作成。

2.日米中3カ国における時価総額トップ100企業の絶大な存在感


 図3が示すように、2025年に米国の時価総額トップ100企業の時価総額合計は、39.1兆ドルに達した。これは米国企業全時価総額の62.9%に相当する。中国の時価総額トップ100企業の時価総額合計は、6.2兆ドルである。これは中国企業全時価総額の52.4%に相当する。日本の時価総額トップ100企業の時価総額合計は、3.6兆ドルである。これは日本企業全時価総額の57.8%に相当する。

 日米中3カ国における時価総額トップ100企業の存在感は極めて大きい。時価総額トップ100企業をピックアップし、各国産業構造の全体像を掴む本論のアプローチは妥当であろう。

 2024年[6] と比べ2025年は、米国、中国共にトップ100企業の時価総額合計が1.2倍になった。しかし日本は横ばいである。後述の分析でわかるように、「ムーアの法則駆動産業」化の進みが遅れたことで、日本のトップ企業の成長性を押し留めている。

 2025年日米中3カ国トップ100企業の時価総額において、アメリカを100%とした場合、中国と日本はそれぞれ僅か15.9%と9.3%となっている。米国の存在感は圧倒的である。

 ここでは、米国と中国のトップ企業時価総額の格差が、米国企業への過大評価と、中国企業への過小評価に因るものもあると特記したい[7] 企業価値で見ると、過大評価される米国と過小評価される中国という構図が底辺にある。

図3 日米中3カ国時価総額トップ100企業(2024-2025)

注:時価は2024年1月15日と2025年1月15日時点のものである。
出典:CompaniesMarketcap.com 、Yahoo! Finance及び世界銀行オープンデータサイト(World Bank Open Data)のデータより作成。

3.「半導体・半導体製造装置」産業: AIブームで大繁盛


 半導体産業はムーアの法則駆動産業の代表格である。この分野における米国の競争力は圧倒的である。2025年に日米中3か国それぞれの時価総額トップ100企業において、「半導体・半導体製造装置」企業は米国11社、中国2社、日本4社となっている。しかしその時価総額の合計で比較すると、米国を100とした場合、日本と中国はそれぞれ僅か3.1%と1.6%に過ぎない。米国の半導体分野での圧倒的な優位性が窺える。

(1)半導体は米国の最大産業に

 時価総額トップ100企業で見ると、「半導体・半導体製造装置」は米国の最大産業で2025年にそのシェアは14.8%に達している。2024年と比べ、4.8%ポイントも上昇した。その結果、世界の時価総額トップ10企業の中で米国の半導体企業がエヌヴィディアとブロードコムの2社も入った。

 AIブームの中で半導体産業は繁栄を謳歌しているものの、同分野における競争は激化し、老舗のインテル(Intel)が同国時価総額トップ100企業から離脱した。パソコンの時代をリードしたCPU(Central Processing Unit)王者、インテルの衰退は、スマホ時代及びAIブームにおける半導体競争の敗北に起因する。巨大企業となったインテルは、時代の大変革に、技術発展の進路を立て続けに読み間違え、エヌビディアのようなスタートアップ企業に、先を越された。

 昨2024年1月15日と比べ、2025年同日に米国の時価総額トップ100企業入りした「半導体・半導体製造装置」企業11社の時価総額合計は、3兆ドルから5.6兆ドルへとほぼ倍増した。同11社に名を連ねるのは、エヌビディア、ブロードコム、AMD、クアルコム(Qualcomm)、テキサス・インスツルメント(Texas Instruments)、アプライド・マテリアルズ(Applied Materials)、マイクロン・テクノロジ(Micron Technology)、アナログ・デバイセズ(Analog Devices)、ラムリサーチ( Lam Research)、マーベル・テクノロジー・グループ(Marvell Technology Group、KLAである。

 半導体産業はいまや米国の経済を牽引するリーディング産業である。データセンター建設ブームの中で、如何にエヌビディア のAIチップGPU(Graphics Processing Unit)を積み上げていくかが、各テック企業のAI計算能力大競争の鍵となっている。故に、エヌビディアの株価は高騰し続け、2025年7月9日に時価総額4兆ドル突破、世界時価総額トップ企業に躍り出た。AIブームの中で半導体産業は世界経済を牽引している。

図4 日米中3カ国時価総額トップ100における「半導体・半導体製造装置」企業(2025)

注:時価は2025年1月15日時点のものである。
出典:CompaniesMarketcap.com及びYahoo! Financeのデータなどより作成。

(2)中国は世界最大の半導体輸出大国に

 中国では、2025年に中芯国際集成電路製造 (SMIC)が、「半導体・半導体製造装置」企業のトップの座を維持したものの、隆基(LONGi)が時価総額トップ100企業から離脱した。代わりに、半導体設備製造の中微(AMEC)がトップ100企業入りした。

 米国は半導体分野における中国の台頭を非常に警戒し、中国への先端半導体の輸出規制だけでなく、半導体生産の設備や技術の対中輸出も厳しく制限している[8] 。さらに米国の対中規制は日本、オランダなど西側諸国を巻き込む形で進んでいる[9]

 これに対して、中国は世界最大の半導体マーケットをベースに国産化を急ピッチで進めている。その結果、中国は半導体を、自動車や携帯電話を超える最大の輸出アイテムに育て、世界最大の半導体輸出大国になった。

 アメリカによる対中半導体制裁を受け、半導体チップの生産をTSMCなど外部へ依存したファーウェイ(HUAWEI:華為)は大打撃を受けた[10] 。ファーウエイの自主設計と外部OEM生産を組み合わせた半導体モデルが崩れ、スマホ用の半導体供給が絶たれた。同社製スマホの売上が、世界第2位[11] から一気に壊滅状態へと陥った。その後、ファーウェイは壮絶な半導体の国産化を進め、2023年から国産の自社設計高性能半導体を搭載したハイエンドスマホを次々と発売した[12] 。この出来事は、中国における最先端の汎用半導体の設計と、生産能力の急激な追い上げを象徴している。

 AI半導体での中国の国産化も急ピッチで進んでいる。ファーウェイや中科寒武紀科技(カンブリコン)は自主開発したAIチップを次々と発売している。アリババも同分野に進出し、最先端のAIチップを開発したと公表した。米中AIバトルの中で、米国のAIチップ無しで中国が自国のソフトウェアとハードウェアの連携でやっていける態勢が整いつつある。中国新興AIのディープシーク(DeepSeak)の大規模言語モデルの開発は、ファーウェイやカンブリコンのチップに支えられている。特にカンブリコンは「中国版エヌビディア」と称され、株価が高騰している。カンブリコンの時価総額は2025年8月22日、SMICを超え、中国の半導体企業の時価総額で首位となった。

 中国企業による急進撃は、すでにAIチップ分野でエヌビディアの覇権を脅かしている。

 昨2024年1月15日に比べ、2025年同日に中国の時価総額トップ100企業入りした「半導体・半導体製造装置」企業の時価総額合計は、484億ドルから755億ドルへと大きく伸びた。その後のカンブリコンの時価総額の急騰を加味すれば、2025年に同産業の時価総額はさらに大きく伸びていくだろう。さらに、ファーウェイ半導体国産化の立て役者である子会社の海思(HiSilicon Technology)を始め、中国の半導体企業の多くは若く、また未上場の場合も多い。その猛成長が、時価総額ランキングに反映されるにはもう少し時間を要する。

中芯国際集成電路製造 (SMIC)

(3)日本は製造装置と素材で健闘

 日本の「半導体・半導体製造装置」企業は現在、半導体の製造装置と素材とで稼いでいる。2025年にレーザーテックがトップ100から離脱した。結果、日本で時価総額トップ100企業入りの「半導体・半導体製造装置」企業は、東京エレクトロン、アドバンテスト、ディスコ、ルネサンスエレクトロニクス4社となった。その時価総額合計は、トップ100企業合計の4.8%である。前年度比で、0.3%ポイント縮小した。中国という最大のマーケットが米国から規制をかけられたことで、半導体の製造装置と素材で優位性を持つ日本企業は、マーケットの縮小を余儀なくされた。さらに、国産化ニーズに潤う同分野での中国企業の台頭も、大きな脅威となっていくだろう。

 昨2024年1月15日に比べ、2025年同日付で日本の時価総額トップ100企業入りした「半導体・半導体製造装置」企業の時価総額合計は、1,877億ドルから1,743億ドルへと下がった。半導体産業が世界的に猛成長する中での日本の主要企業の時価総額の縮小を、厳しく受け止めるべきであろう。

 日本政府は半導体産業の復興を狙い、TMSCの日本版たるラピダスに、巨額の政府支援を行っている。同社は2027年の先端半導体量産開始を目指し、北海道で工場を建設している。しかし巨額の資金調達のみならず生産技術の確立、マーケットの確保など課題が累積している。ラピダスプロジェクトの成功の可否は、日本の半導体産業の命運を左右する。


 本論文は東京経済大学個人研究助成費(研究番号24-15)を受けて研究を進めた成果である。
 (本論文では日本大学理工学部助教の栗本賢一氏がデータ整理と図表作成に携わった)


 本論文は、周牧之論文『時価総額から見た日米中の「ムーアの法則駆動産業」(2024-2025)』より抜粋したものである。『東京経大学会誌 経済学』、327号、2025年。


[1] 周牧之著『時価総額トップ100企業の分析から見た日米中のムーアの法則駆動産業のパフォーマンス比較』、『東京経大学会誌(経済学)』第323号、2024年。

[2] 周牧之著『メカトロニクス革命と新国際分業―現代世界経済におけるアジア工業化―』、ミネルヴァ書房、1997年。

[3] GICS(世界産業分類基準)は、S&Pダウ・ジョーンズ・インデックスとMSCIが1999年に共同開発した、先進国及び発展途上国を含む世界中の企業を一貫して分類できるよう設計された分類基準である。

[4] 本論文の2025年の時価総額データは、すべて2025年1月15日付のものである。

[5] 「テクノロジー・ハードウェア及び機器」、「ソフトウェア・サービス」、「メディア・娯楽」、「一般消費財・サービス流通・小売」といったその他「ムーアの法則駆動産業」の分析については、周牧之(2024)前掲論文を参照。

[6] 本論文の2024年の時価総額データは、すべて2024年1月15日付のものである。

[7] 周牧之(2024)前掲論文では、米国の株価は過大評価され、日本の株価もやや過大評価され、中国の株価が過小評価されていることについて、バフェット指標を用いて解説した。

[8] 2019年5月、米国商務部は「国家安全」を理由にファーウェイなどの中国企業に半導体関連の製品と技術の輸出規制を発動した。その後、米国による対中規制は厳しさを増し、先端半導体の輸出を規制するだけではなく、半導体関連技術と生産設備の輸出まで広く規制するようになった。

[9] 『中国都市総合発展指標』で使用する「輻射力」とは広域影響力の評価指標であり、都市のある業種の周辺へのサービス移出・移入量を、当該業種従業者数と全国の当該業種従業者数の関係、および当該業種に関連する主なデータを用いて複合的に計算した指標である。

[10] 米国は、露光装置メーカーのASML、薄膜形成用装置メーカーの東京エレクトロンなどオランダ企業、日本企業の対中輸出にも制限を掛けている。中国半導体生産能力の向上を阻止するために半導体サプライチェーンの上流にある装置の対中輸出を実施している。

[11] 2020年、米国は米国技術を使うファウンドリー(TMSC等他社からの委託で半導体チップの製造を請け負う製造専業の半導体メーカー)の、中国企業のOEM受注を禁止した。

[1] 2019年、ファーウェイは17.6%の世界シェアでアップルを超え、サムソンに次ぐ世界第2位の携帯電話メーカーとなっていた。

[12] 2023年8月、ファーウェイは、自社設計の回路線幅7ナノメートル(nm)の高性能半導体を搭載したハイエンドスマホ「Mate 60シリーズ」の発売を皮切りに2024年10月「Mate 70シリーズ」を発売し、ハイエンドスマホ機種への復活を見事に成し遂げた。

【シンポジウム】楊偉民:GXを見据えた中国発展モデルの大転換

■ 編集ノート:東京経済大学は2024年11月30日、国際シンポジウム「グリーントランスフォーメーションにかける産業の未来」を開催した。福川伸次元通商産業事務次官、鑓水洋環境事務次官、岡本英男東京経済大学学長、楊偉民中国第十三回全国政治協商会議経済委員会副主任、中井徳太郎元環境事務次官、南川秀樹元環境事務次官、邱暁華中国統計局元局長、徐林中米グリーンファンド会長、田中琢二IMF元日本代表理事、周其仁北京大学教授、索継栓中国科学院ホールディングス元会長、岩本敏男NTTデータグループ元社長、石見浩一エレコム社長、小手川大助IMF元日本代表理事、周牧之東京経済大学教授、尾崎寛直東京経済大学教授をはじめ産学官のオピニオンリーダー16人が登壇し、日中両国のGX政策そしてイノベーションへの努力などについて議論し、未来に向けた提言を行った。楊偉民氏は基調講演をした。


楊偉民 中国第十三回全国政治協商会議経済委員会副主任

■ 野心的なカーボンニュートラル目標が産業構造変革を


 今回の会議のテーマ「GXにかける産業の未来」は中国にとっても大変重要な課題です。実は、私が策定担当をした第十一次五カ年計画において、当初から強調していた目標があります。それは、GDP当たりエネルギー消費を20%削減すること、そして主要な汚染物質を10%削減することです。この目標は、持続可能な発展に向けた初期の試みとして、当時非常に注目されました。同計画策定から約15年、私たちはさまざまな改革を経て、いま新たな目標、すなわち「カーボンピーク」と「カーボンニュートラル」を掲げています。

 中国の習近平国家主席は、2030年までに二酸化炭素の排出ピークを迎え、2060年までにカーボンニュートラルを達成するという野心的な目標を2020年に発表しました。これは単なる数値目標にとどまらず、中国がグローバルな気候変動対策においてリーダーシップを取るための重要な一歩です。これらの目標は、中国経済の将来を決定づける重要な枠組みとなり、中国の産業構造にも大きな変革をもたらします。

 これまで、中国は風力や太陽光発電などの再生可能エネルギーを急速に拡大してきました。今年のデータによると、中国の風力発電と太陽光発電の設備容量はすでに12億キロワットに達しました。これは当初の目標より6年前倒しでその目標を実現したことになります。現在、中国の発電設備の約40%がグリーンエネルギーとなり、その普及が進んでいます。もちろん、まだ完全な再生エネルギー転換には時間がかかるものの、この分野は確実に進展しています。

楊偉民 中国第十三回全国政治協商会議経済委員会副主任

 今日のテーマGXに関連する内容は、私の後に登壇される中国の専門家がさらに深掘りしていきます。そのため、私は中国経済の現状とその将来に向けた課題について、少しご紹介します。

 まず、現在の中国経済についてお話しします。今年、中国政府は中央政治局会議と全国人民代表大会常務委員会という二つの会議を追加開催しました。二つの会議では、中国経済が抱える困難をどう乗り越えるか、また今後の経済政策について重要な議論が交わされました。中国は、世界経済の中で重要な位置を占めており、中国経済の不安定は、世界全体に波及する可能性があります。日本を含む世界各国が、中国経済の動向を注視していることは言うまでもありません。

シンポジウム当日の東京経済大学 大倉喜八郎 進一層館

■ 中国経済の動向と構造的な課題


 現在の中国経済は、短期的、周期的な要因の影響を受けていますが、長期的、構造的な要因によるものもあります。

 まず、短期的な経済状況です。2024年の中国経済は、第1四半期は比較的良好でしたが、その後成長率はやや低下し、第3四半期には4.6%となりました。これにより、当初の目標である5%の成長を達成するためには、かなりの努力が求められています。

 次に、長期的な構造的課題についてです。中国は現在、世界第2位の経済規模を誇る国であり、非常に大きな潜在力を持っています。産業基盤や人材資源、インフラの整備状況など、中国の強みは他国と比べても際立っています。

 しかし、40年近くにわたる経済成長の中で、従来の経済モデルには限界が見え始めています。特に、過去経済成長の原動力であった投資依存型のモデルから、消費中心のモデルへの転換が求められています。加えて、環境問題や社会福祉の充実など、構造的な課題の解決が今後の経済成長にとって重要な鍵となります。

楊偉民 中国第十三回全国政治協商会議経済委員会副主任

 産業構造については、過去10年間で最も成長に貢献した産業は、主に3つのカテゴリーに分類されます。1つは金融、不動産、建設です。2つ目は製造業です。3番目は、行政、医療、教育です。特に住宅などの家計消費の増加、政府支出における教育と医療の増加はこれらの産業を牽引しています。

 今後の産業政策の基本的な方向性は、新興産業を積極的に発展させ、未来の産業を育成し、伝統産業をアップグレードすることです。特に消費産業の発展により注力されるべきだと私は考えています。それにより、経済発展のニーズの家計消費へのシフトが加速するでしょう。

 空間構造については、都市化の進展が今後の成長にとって重要です。中国の都市化率はまだ先進国に比べて低く、都市化は今後数十年にわたる経済成長の大きな原動力となります。特にいま約3億人口が都市に移動したにもかかわらず戸籍などの原因で未だ十分な社会福祉や公共サービスを受けられていません。これらの人々の社会福祉の向上や不動産購入などの資産能力の向上は、経済発展に大きな可能性をもたらすでしょう。

 過去10年間の中国の国土構造の変化を見ると、現在、長江デルタ、珠江デルタに中国で最も発展する都市が集中しています。両デルタ地域が中国経済に占める比重が、今も向上し続けています。また過去10年間、新たに7000万人の人口が、メガシティに移動しました。これらの国土構造の変化が中国経済発展の効率を一層高めていくでしょう。

福川伸次・元通商産業事務次官と楊偉民・中国第十三回全国政治協商会議経済委員会副主任

■ 改革の加速で、高度な社会主義市場経済体制の構築を


 中国共産党第20期中央委員会第3回会議(以下、三中全会)は、都市・農村の二元構造の緩和を提唱しています。このため、より多くの雇用を創出し、農村人口の都市への移転を促し、人口の都市化率を高めていく必要があります。同時に、農村から来た人々の、都市での就労定住問題にも重点的に取り組みます。さらに、農村の土地制度を改革し、所有権、請負権、請負地の経営権を分離することも必須です。中国独自の財産権制度の改革により、農民が自宅を賃貸し投資できるようにし、住宅用地の価格を下げ、農民の収入も増加できるでしょう。

 中国の構造問題を解決するには、改革を加速し、高度な社会主義市場経済体制の構築を加速することが最も重要であると思います。これは、2024年夏開催の三中全会で出された全体目標です。すなわち市場主導の資源配分と政府の役割をより発揮できる体制を作り上げること。資産権については更なる属性と責任の明瞭化、保護の厳格化、売買のスムーズ化の制度を完備すること。中央政府と地方政府との間に、より明確な財権と責任分担体制を整えること。イノベーションを奨励し、質の高い新たな生産力を持続的に生み出す体制を作ること。新たに、より効果的な生態保護、環境対策を進める体制を整備すること。国際的なルールに則った全面開放体制を整えること。これらの改革を一層進めていきます。


プロフィール

楊 偉民 (Yang Weimin)

 1956年生まれ。中国国家発展改革委員会計画司司長、同委員会副秘書長、秘書長を歴任。中国のマクロ政策および中長期計画の制定に長年携わる。第9次〜第12次の各五カ年計画において綱要の編纂責任者。中国共産党第18回党大会、第18回3中全会、同4中全会、同5中全会の報告起草作業に参与した。同党中央第11次五カ年計画、第12次五カ年計画、第13次五カ年計画提案の起草に関わるなど、重要な改革案件に多数参画した。

 主な著書に、『中国未来三十年』(2011年、三聯書店(香港)、周牧之と共編)、『第三の三十年:再度大転型的中国』(2010年、人民出版社、周牧之と共編)、『中国可持続発展的産業政策研究』(2004年、中国市場出版社編著)、『計画体制改革的理論探索』(2003年、中国物価出版社編著)。

■ シンポジウム掲載記事


【シンポジウム】GX政策の競い合いで地球環境に貢献

【シンポジウム】気候変動対策を原動力にGXで取り組む

【シンポジウム】GXが拓くイノベーションインパクト

【シンポジウム】福川伸次:技術革新で挑む地球環境問題

【シンポジウム】鑓水洋:脱炭素化と経済成長の同時達成を

■ 登壇者関連記事(登壇順)


【コラム】福川伸次:日中関係、新次元への昇華の途を探る 〜質の高い経済社会の実現と新グローバリズムの形成に向けて〜

【フォーラム】鑓水洋:地域活性化策には明確なコンセプトが求められる

【刊行によせて】楊偉民:都市のハイクオリティ発展を促す指標システム

【刊行によせて】楊偉民:全く新しい視点で中国都市の発展状況を評価する

【講演】中井徳太郎:カーボンニュートラル、循環経済、自然再生の三位一体のイノベーション—地域循環共生圏構想

【フォーラム】中井徳太郎:分散型自然共生社会を目指して

【刊行によせて】中井徳太郎:生態環境社会への移行に寄与

【ディスカッション】中井徳太郎・大西隆・周牧之:コロナ危機を転機に 

【ディスカッション】中井徳太郎・安藤晴彦・和田篤也・周牧之:省エネ・再生可能エネルギー社会への挑戦と自然資本

【フォーラム】南川秀樹:コミュニケーションの場としてのエンタメを

【刊行によせて】南川秀樹:中国大都市の生命力の源泉は何か

【コラム】邱暁華:高度成長からハイクオリティ発展へシフトする中国経済

【ディスカッション】小島明・田中琢二・周牧之(Ⅰ):誰がグローバリゼーションをスローダウンさせた?

【ディスカッション】小島明・田中琢二・周牧之(Ⅱ):ユーラシア大陸を視野に入れた米中関係

 【専門家レビュー】周其仁:生態都市建設と都市総合発展指標

【刊行によせて】周牧之:新型コロナウイルス禍と国際大都市の行方

【論文】周牧之:二酸化炭素:急増する中国とピークアウトした日米欧

【論文】周牧之:アメリカ vs. 中国:成長と二酸化炭素排出との関係から見た異なる経済水準

【論文】周牧之:世界の二酸化炭素排出構造と中国の課題

【刊行によせて】徐林:中国の発展は都市化のクオリティ向上で

【対談】小手川大助 vs 周牧之:(Ⅰ)転換点で激動の国際情勢を見つめる

【対談】小手川大助 vs 周牧之:(Ⅱ)複雑な国際情勢をどう見極めるか?

【シンポジウム】索継栓:起業でイノベーションの可能性を拓く

索継栓 中国科学院ホールディングス元会長

■ 編集ノート:東京経済大学は2024年11月30日、国際シンポジウム「グリーントランスフォーメーションにかける産業の未来」を開催した。福川伸次元通商産業事務次官、鑓水洋環境事務次官、岡本英男東京経済大学学長、楊偉民中国第十三回全国政治協商会議経済委員会副主任、中井徳太郎元環境事務次官、南川秀樹元環境事務次官、邱暁華中国統計局元局長、徐林中米グリーンファンド会長、田中琢二IMF元日本代表理事、周其仁北京大学教授、索継栓中国科学院ホールディングス元会長、岩本敏男NTTデータグループ元社長、石見浩一エレコム社長、小手川大助IMF元日本代表理事、周牧之東京経済大学教授、尾崎寛直東京経済大学教授をはじめ産学官のオピニオンリーダー16人が登壇し、日中両国のGX政策そしてイノベーションへの努力などについて議論し、未来に向けた提言を行った。索継栓氏はビデオでセッション2「GXが拓くイノベーションインパクト」のパネリストを務めた。


周牧之・索継栓・岩本敏男・石見浩一・小手川大助:東京経済大学国際シンポジウム「グリーントランスフォーメーションにかける産業の未来」セッション2「GXが拓くイノベーションインパクト」

 私は中国科学院の索継栓です。仕事の都合により本日の会議に直接参加できず、大変残念です。ビデオを通じて皆さまと交流し、学べることを光栄に存じます。

 今回の会議テーマはGX、中国語でいう「双碳(カーボンピークアウト、カーボンニュートラル)」です。これは世界が共通して関心を持つテーマで、「双碳」は中国政府が打ち出した地球規模の気候変動に対応する重要な取り組みです。

■ イノベーションでGXと低炭素発展に貢献


 「双碳」の実現は、エネルギー転換、低炭素発展を促進し、経済の高品質で持続可能な発展のための重要な手段です。今後の発展理念と生態文明建設への中国の決意を表し、国際社会への責任ある大国としての姿勢を示すものです。

 中国科学院は、中国の科学技術戦略の主幹として、GXと低炭素発展を推進するため数々の措置をとり、一定の成果を上げてきました。

 「双碳」戦略を実施するため、イノベーションに支えられる行動計画を発表しました。ビックイノベーションの突破にフォーカスし、特に0から1へのイノベーション、すなわち革新的な基盤技術の突破に注力しています。企業と研究機関との協力で、基礎研究から重要技術の突破、そして総合的な実証まで一体化した発展システムを築いています。こうした行動計画のもとで、中国科学院は、化石エネルギーのクリーン化、再生可能エネルギーの核心技術、先進的な原子力システム、気候変動対策、汚染防止と総合的環境管理など、多くの分野で世界的にもオリジナルな成果を挙げました。沢山の重要な実証プロジェクトを実施し、数多くのイノベイティブスタートアップ企業も育成しています。

 中国は「石炭が豊富、石油が不足、天然ガスが少ない」というエネルギー構造を持っています。毎年5億トンを超える石油を輸入する一方で、石炭資源が化石燃料全体の90%以上を占めています。石炭のクリーン且つ効率的な利用は、GXのカギとなります。これは、従来の石油を原料とする化学工業の発展経路をシフトさせる重要課題でもあります。中国科学院は石炭による合成油、オレフィン、エタノーなどの精製に関する多くの技術上の難題を克服しました。

 これら技術に関しては、中国科学院山西石炭化学研究所が長年にわたる研究開発を通じて、多くの技術において、世界をリードする成果を上げました。こうした成果をもとに中科合成油公司を設立し、技術移転と応用を進めています。現在、千万トン規模の石炭による油精製工業装置を建設し、石炭資源の効率的かつクリーンな利用に有効なアプローチを獲得しました。

 また、中国科学院大連化学物理研究所が、石炭によるオレフィン精製技術を数十年にわたって研究してきました。現在、この技術は内モンゴル、陝西、新疆、寧夏といった主要な石炭産地で実用化されています。すでに23基の大規模工業装置が稼働し、オレフィンの年間生産規模は年間3,000万トンを超えました。

 再生可能エネルギーや蓄電技術においても、中国科学院は大きな成果を上げました。再生可能エネルギーの拡大にあたっては、蓄電技術のイノベーションが不可欠です。蓄電技術は、大規模な再生可能エネルギー発電を電力網へ接続する際の不安定性を緩和する基盤です。

中国科学院

 中国科学院物理研究所は、蓄電分野において、長期にわたり研究を積み重ね、特にリチウム電池で顕著な成果を収めています。中国のリチウム電池産業の発展は、同研究所の研究成果に大きく支えられていると言っても過言ではありません。

 2016年に衛藍新能源を設立、固体リチウム電池製品を開発し、電気自動車、ドローン、電気船舶など多くの分野に応用され、広範な将来性を持っています。例えば、衛藍新能源の固体リチウム電池を搭載した蔚来(NIO)の電気自動車は、航続距離が1000キロを超えました。また、低空経済をはじめとする新たな分野においても広い応用の可能性を秘めており、さらに蓄電分野においても大きな発展余地を有しています。

 同時に、中国科学院はナトリウムイオン電池の開発に力を入れ、すでにエネルギー貯蔵産業において大規模な実証を行い、中国エネルギー貯蔵産業の発展に基盤を築いています。

 中国科学院工程熱物理研究所は、圧縮空気エネルギー貯蔵分野で継続的に研究開発を行い、大きな成果を上げました。2021年と2024年には、それぞれ世界初の100メガワット級、300メガワット級の圧縮空気エネルギー貯蔵実証プロジェクトを完成させました。

 さらに、中国科学院は、フロー電池、核融合などのエネルギー技術で大きな成果を上げています。

 中国科学院はイノベーションを通じて、GXと低炭素発展に大きく貢献し、中国の「双碳」目標の実現と、経済社会の持続可能な発展を支えています。

中国EVメーカー 蔚来(NIO)

■ レノボに代表される起業家精神が開花


 中国科学院は、中国の戦略科学技術の主幹として、中国の科学技術進歩を推進し、高水準の科学技術自立自強を実現する重要な使命を担っています。特に起業家精神を発揮し、イノベイティブなスタートアップ企業を奨励するために、一連の取り組みを進めてきました。

 まず中国科学院の投資企業については、中国科学院の研究成果の市場化、産業化という重大な使命を担っており、新たな生産力を育成する重要な「イノベーションの発信拠点」として、また産学研融合を推進する重要な「インキュベーション拠点」としての役割を果たしています。これら企業は、新興産業に焦点を当て、重要なコア技術分野での研究開発に取り組んでいます。そのことによって、中国の経済社会発展を支える科学技術基盤を提供しています。

 中国科学院が出資する企業は1900社を超え、その多くはAI、半導体、ソフトウェア、環境保護などの分野に集中しています。現時点で、そのうち52社が上場しています。これら企業はそれぞれの分野で業界をリードする存在になりつつあります。中国科学院の成果を基盤として設立された企業は、技術を改良・高度化するため、科学院との連携を緊密に保っています。中国科学院高能物理研究所が2021年、国科控股と共同で設立した企業国科中子が一つの好例です。同社は加速器を用いたホウ素中性子捕捉療法(BNCT)の成果を産業化しました。

 2015年の「科学技術成果転化促進法」の改正が研究者の起業意欲を大いに喚起し、企業と研究機関との人材交流を促進しました。それ以降、中国科学院の直接投資で555社の企業を設立し、そのうち90%が科学技術成果の産業化を目的としたものです。

 起業を促す制度保障、資金支援、人材育成などの政策も打ち出しました。まず人事や評価制度に関する政策を策定し、研究者が科学技術成果の産業化に積極的に参加できるよう奨励し、その権益を保障します。資金支援の面では、科学技術成果の産業化を促す行動計画を立ち上げ、重要な科学技術成果の実用化を後押しします。さらに人材育成と交流の面では、大学や企業と協力し、科学技術産業化の専門人材を育成、各種交流活動を行い、企業と研究機関との交流・協力を強化し、イノベーション企業に人材的支えを提供しています。

国際シンポジウム「グリーントランスフォーメーションにかける産業の未来」セッション2会場

 皆さんもよくご存じのレノボグループ(Lenovo:聯想)は、実は中国科学院から生まれた企業です。1984年、柳伝志氏は中国科学院計算所の研究者10人と共に、わずか20万元の設立資金で、聯想の前身となる「中科院計算所新技術発展公司」を創立しました。創業初期、聯想は主にIBM、HP、SUN などの海外ブランドの販売代理を手掛けました。当時の中国産業はまだ非常に遅れていたため、聯想は積極的に事業を模索しました。同時に、研究開発を強化し、独自に「聯想式漢字カード」を開発、英語のオペレーティングシステムの中国語翻訳に成功しました。これが聯想発展の基盤となりました。

 聯想は2004年、 IBMのパーソナルコンピュータ事業を買収し、本格的に国際化の道を歩み始めました。IBMのPC事業は世界的に大きな影響力を持っていたからです。当時、零細企業聯想が大企業IBMを飲み込んだとして大きな話題になりました。この買収を通じ、聯想はより広大な市場と先進的な技術を獲得し、産業システム化によって国際競争力を一層高めました。

 その後、聯想は 2011年にNECのノートパソコン事業を買収し、さらに2014年にはグーグルからモトローラ・モビリティを買収しました。そして2017年には富士通の完全子会社FCCLの株式51%を取得しました。聯想は一連の国際的な買収を通じて、グローバルな経営体制を整え、世界のPC市場でチャンピオンとなりました。聯想は、国際市場を積極的に開拓し、自ら挑戦し続ける、いまや中国企業の代表的存在となりました。

 レノボグループの発展は、まさに起業精神に満ちた奮闘の歴史です。また中国科学院の成果の産業化、そして国際化への一つの典型的な事例です。これらの企業は、中国のイノベイティブなスタートアップに貴重な経験を提供し、中国の科学技術分野に大きく貢献しました。

レノボ社製品

■ 日中技術交流に更なる可能性拡げるGX


 私は、日中両国が科学技術分野において、広範な協力基盤があると確信しています。日中両国は低炭素・GXに向けて共通の目標とニーズを有し、幅広い共通利益と協力の余地を持っています。

 石油や天然ガスといった化石エネルギーは、その埋蔵量の有限性、地理的依存性、分布の不均衡性から、強い地政学的属性を帯びています。日中両国はいずれも化石エネルギーの対外依存度が高く、輸入先が集中しているため、資源獲得をめぐる競争は不信感やエネルギー安全保障の不安を招きやすい状況にあります。それに対して、風力、太陽光、グリーン水素、原子力といったクリーンエネルギーは、その供給力がイノベーションに依存し、気候変動緩和とエネルギー安全保障の両立を支える柱です。したがってGX分野は、今後さらに両国の産業構造やエネルギー構造に大きな変化をもたらし、相互補完と相互依存を一層強め、技術交流と協力に可能性を拡げるでしょう。GX分野における協力は、日中両国の共通の利益に合致しています。

 中国は広大な市場を有し、再生可能エネルギー設備、省エネ技術、二酸化炭素回収・貯留(CCS)など日本の技術に大きなマーケットを提供できます。中国における社会実装は日本企業に豊富な技術応用シナリオや実証機会を提供し、技術の絶え間ない改善と高度化に寄与します。

索継栓 中国科学院ホールディングス元会長

 水素エネルギーを例に挙げると、日本はいち早く同分野の技術開発に取り組み、高分子電子材料、電磁力、極板などの重要技術において世界をリードしています。他方、中国は重化学工業のサプライチェーンが強く、水素エネルギーの大規模産業化において優位性を持っています。中国政府も現在、水素利用を強力に支援し、大規模な水素利用に必要な条件を備えています。水素産業の発展で、日中両国のカーボンニュートラル目標の達成に大きく寄与するでしょう。

 中国が新たな発展段階に入るにつれて、科学技術分野における日中協力の可能性は更に拡がります。産業協力で両国はそれぞれ強みを持ち、相互補完性も高いです。日本はマテリアルサイエンス、特に高性能複合素材や特殊金属素材の分野で顕著な優位性を持ち、さらに高精度測定機器、光学機器、産業用ロボットなどの先端装備製造においても豊富な蓄積があります。また、省エネ・環境保護技術、エネルギー管理や資源循環利用の分野で豊かな経験を有しています。他方、中国は5G通信やビッグデータなど情報技術の分野で急速に発展し、新エネルギー産業化でも顕著な成果を挙げています。特に太陽光発電や風力発電の設備容量は世界最大規模となりました。EV、リチウム電池、太陽光発電製品はいまや中国の輸出における新“三種の神器”となっています。

 日中両国は、幅広い共通の利益を持ち、広大な協力の可能性を持っています。両国の科学技術分野、とりわけGXでの協力は、必ずやアジアの発展、さらには人類の発展に重要な貢献を果たすものと確信しています。


プロフィール

索 继栓(さく けいせん) 
中国科学院ホールディングス元会長

 1991年中国科学院蘭州化学物理研究所で理学博士号を取得。蘭州化学物理研究所国家重点実験室副主任、精細石油化工中間体国家工程研究センター主任、所長補佐・副所長、中国科学院蘭州分院副院長を歴任。2014年より中国科学院ホールディングス取締役に就き、その後党委書記董事長(代表取締役)を務める。2023年より現職。その他、中国科技出版伝媒集団董事長、北京中科院ソフトウェアセンター董事長、深圳中科院知的財産投資董事長、上海碧科清潔能源技術董事長を兼任し、レノボの非執行董事・監査委員会委員も務めた。蘭州市科学技術進歩賞(二等)、甘粛省科学技術進歩賞(一等賞)を受賞。

■ シンポジウム掲載記事


【シンポジウム】GX政策の競い合いで地球環境に貢献

【シンポジウム】気候変動対策を原動力にGXで取り組む

【シンポジウム】GXが拓くイノベーションインパクト

【シンポジウム】福川伸次:技術革新で挑む地球環境問題

【シンポジウム】鑓水洋:脱炭素化と経済成長の同時達成を

■ 登壇者関連記事(登壇順)


【コラム】福川伸次:日中関係、新次元への昇華の途を探る 〜質の高い経済社会の実現と新グローバリズムの形成に向けて〜

【フォーラム】鑓水洋:地域活性化策には明確なコンセプトが求められる

【刊行によせて】楊偉民:都市のハイクオリティ発展を促す指標システム

【刊行によせて】楊偉民:全く新しい視点で中国都市の発展状況を評価する

【講演】中井徳太郎:カーボンニュートラル、循環経済、自然再生の三位一体のイノベーション—地域循環共生圏構想

【フォーラム】中井徳太郎:分散型自然共生社会を目指して

【刊行によせて】中井徳太郎:生態環境社会への移行に寄与

【ディスカッション】中井徳太郎・大西隆・周牧之:コロナ危機を転機に 

【ディスカッション】中井徳太郎・安藤晴彦・和田篤也・周牧之:省エネ・再生可能エネルギー社会への挑戦と自然資本

【フォーラム】南川秀樹:コミュニケーションの場としてのエンタメを

【刊行によせて】南川秀樹:中国大都市の生命力の源泉は何か

【コラム】邱暁華:高度成長からハイクオリティ発展へシフトする中国経済

【ディスカッション】小島明・田中琢二・周牧之(Ⅰ):誰がグローバリゼーションをスローダウンさせた?

【ディスカッション】小島明・田中琢二・周牧之(Ⅱ):ユーラシア大陸を視野に入れた米中関係

 【専門家レビュー】周其仁:生態都市建設と都市総合発展指標

【刊行によせて】周牧之:新型コロナウイルス禍と国際大都市の行方

【論文】周牧之:二酸化炭素:急増する中国とピークアウトした日米欧

【論文】周牧之:アメリカ vs. 中国:成長と二酸化炭素排出との関係から見た異なる経済水準

【論文】周牧之:世界の二酸化炭素排出構造と中国の課題

【刊行によせて】徐林:中国の発展は都市化のクオリティ向上で

【対談】小手川大助 vs 周牧之:(Ⅰ)転換点で激動の国際情勢を見つめる

【対談】小手川大助 vs 周牧之:(Ⅱ)複雑な国際情勢をどう見極めるか?