【ディスカッション】小島明・田中琢二・周牧之(Ⅱ):ユーラシア大陸を視野に入れた米中関係

■ 編集ノート:

 米中貿易戦争、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ侵攻などで世界情勢は揺れ動いている。東京経済大学の周牧之ゼミは2024年4月18日、小島明日本経済研究センター元会長、田中琢二IMF元日本代表理事をゲストに迎え、激動の世界情勢について解説していただいた。

※前半はこちらから


40年間の改革開放で中国は自信をつけた


周:私は2018年に華為(HUAWEI)のある取締役から「アメリカのマーケット、アメリカからの技術輸入を諦めた」と聞いた。つまり、その時からアメリカから槍玉に上げられた同社はすでに脱アメリカを進めてきた。いまは、中国の半導体、ハイテク産業で脱アメリカが猛烈に進んでいる。

 13億の人口とユーラシア大陸をバックに持つ中国の脱アメリカは、確実に進んでいる。小島先生が敬愛されるドラッカーの言葉で「すでに起こった未来を確認する」というのが、私は一番大切だと思う。

小島:冷戦後のグローバルなスーパーパワーはアメリカだけだった。中国は自分の力が上がってきてアメリカから言われるだけでなく言うべきことを言うようになった。アメリカは超大国だが縮み始めた。アメリカ自身もそのことを認識し始めたから厳しい対中政策が出てくる背景になった。

田中:中国の立場になって考えたときに「とても覇権を握ろうと考えていない」という人たちが同世代にいらっしゃるのも事実だとは思うが、今のリーダーシップは、「アメリカ人に対抗する」あるいはそれ以上の昔の中華大帝国を再生しようという意欲は持っていらっしゃると思う。

 その中で、ポジティブな面で着々と進められているのは、今おっしゃったように、脱アメリカでしっかりと経済を成長させていく基盤を作ろうというのはもう間違いない。その中で、BRICSなどで仲間の国を増やし、ドルを使わず人民元で、例えば石油を決済するような試みをされていると思う。

 これは良い意味で中国が世界のグローバルパワーになっていく意図を体現していくプロセスだと思う。ただ一方で今、非常に困難な状況に陥っているのは、中国の経済活動だ。例えば不動産の問題がひとつ。投資偏重で供給力が少ないときには投資によってインフラを整備することは政策効果があったが、供給能力が出てきたときに、目先のことだけ考えて短期的な投資で経済成長率を一定程度維持することが、本当に持続的なのかどうか。この点は周先生に伺いたい。今中国の経済は中期的に見て、グローバルパワーへの道筋は、しっかりと戦略に持っている。中国の立場から見るとそう思う。ただし一方で、経済の現実が、それをどう阻んでいるのか、あるいは阻んでいないのか?

2018年8月2日、華為( HUAWEI)主催のフォーラムにて基調講演する周牧之教授

■ 中国で「新勢力」が急速に台頭


周:私は中国の産業や企業を「新勢力」と「旧勢力」に分類できると考えている。例えば不動産は、中国経済を改革開放から今日まで引っ張ってきた「旧勢力」だ。

 他方、近年急速に台頭してきた「新勢力」がある。これは電気自動車、半導体、新エネルギー、越境ECなどが典型的だ。中国では最近、これら「新勢力」を「新たな質の生産力」と言うようになった。

 中国経済のミソは「旧勢力」が失速する時に、「新勢力」が台頭したことだ。例えば昨年、深圳の輸出輸入のデータを見ると、輸出は伸びているが輸入が減っている。輸入に頼っていたチップの国産化が進んだためだ。

田中:自国生産だ。

周:中国はいま世界最大の半導体マーケットだ。これがアメリカの半導体産業の研究開発や設備投資を支えてきた。アメリカがチップを売ってくれないため中国は自国で作るようになった。中国は自分のマーケットがあるため思い切って研究開発や設備投資が出来る。年間新たに数百万人のエンジニアが生まれる中国では投資し続ければ半導体産業は育つ。

 日本の半導体は何故凋落したのか?私から見ると、投資を続けなかったからだ。日本の半導体産業は最初、社内やグループ内のマーケットをあてにして成長してきた。しかしムーアの法則に従って半導体が進化し、次第により大きな投資が必要となった。それに相応するマーケットをゲットする能力がないと投資が続かなくなる。

田中:売り上げがなくなる。

周:ムーアの法則によると18カ月間で半導体は一世代進化する。能力が倍増し値段が半減する。1960年代から半導体はずっとムーアの法則通りに進化し続けてきた。半導体メーカーの投資がこのリズムに間に合わなくなると、3年間で脱落する。エヌビディアがなぜ今すごいか?CEOの黃仁勳が、ムーアの法則を上回るスピードで投資し続けたからだ。

■ 組織と社会のイノベーションが必要


小島:1980年代、日本の半導体産業は元気であり、米国にとっては脅威だった。いまは半導体産業は安全保障上も経済発展の為にも戦略的に重要産業と見なされ、日米ともに自国優先で技術力と経済力を国内に止めようという戦略的な動きになっている。

 WTOはアメリカが先導して作ったが、最近はWTO違反の輸出規制や輸入規制をアメリカが勝手にやっている。本来ならWTOのルール違反だとなるはずが、紛争解決パネルの判事の任命を、アメリカが拒否している。WTOにとって一番重要だと思われた紛争解決のパネルの機能が停止したままだ。WTOは半分死んでいる。

周:その意味ではWTOなどの国際組織の役割をきちんと果たせるようにし、グローバリゼーションを一層推し進めなければならない。

講義をする小島明氏

小島:日本はグローバリゼーションが、片道切符だ。日本企業は約10兆円海外に投資しているが、日本国内の投資は少ない。外国から入る投資も少ない。直接投資ギャップがある。日本は世界のグローバリゼーションに貢献したが、日本国内のグローバリゼーションは非常にスローだった。日本はこの30年間内向きになり過ぎた。

 グローバリゼーションの中で、技術革新で新しいものを作るのが重要だが、どうも日本社会では技術革新を単に人の発明と思っている人が多い。1950年代当時、経済白書でイノベーションを紹介している。そのとき、イノベーションを技術革新とした。ところが、イノベーションという言葉を最初に普及させたシュンペーターは、「新しいモノの生産、市場開拓、流通、付加価値をもたらすこと全てがイノベーションだ」と言った。日本ではそのような広がりのある発想で、経済社会の動きを考えていかなければならない。

 これが日本政府の課題であり、実際に経済社会を動かす1人1人の力にかかっている。日本はグローバリゼーションを加速させ、チャンスを掴み、活用していかなければならない。

周:小島先生の仰る通り、そもそも日本はグローバリゼーションの波の中で、スローだった。2000年以降、世界は新たに増えた輸出総額において中国は20%を占めたのに対し、日本は僅か1.7%に過ぎなかった。グローバリゼーションの波に乗るのは、組織のイノベーション、そして社会のイノベーションが必要だ。

図 マッキンダーのハートランド論

出典:”The Geographical Pivot of History”, Geographical Journal 23, no. 4 (April 1904)

「島国」とユーラシア大陸との緊張感


学生: 中国が脱アメリカで、大中華帝国を目指して大きい国になろうとしている点がどんなところに具体的に見られるかお聞きしたい。

周:大中華帝国を目指して議論する中国の学者や官僚に、私自身は会ったことはない。何故か日本の新聞などにそうした論調が時折出ている。これは島国から大陸を見た時の発想かもしれない。

 ヨーロッパの島国といえばイギリスだ。数百年にわたり、イギリス人の外交は、ヨーロッパをまとめないよう努めてきた。スペイン、オランダ、ナポレオン、ドイツ、ロシアといったヨーロッパをまとめる勢力が出て来れば、イギリスは必死に叩いた。これは島国の一つの生き方だ。先ほど田中さんが言及したマッキンダーのハートランド論はまさしくそのような発想の産物だ。ハルフォード・マッキンダーは、イギリス出身の地理学者・政治家で、ユーラシアのランドパワー抑えるため練った戦略により、20世紀初頭にイギリスやアメリカで大きな影響力を及ぼした。

 日本は明治維新以降、大陸に関わった時間は歴史的に見れば一瞬だった。本来はイギリスほどの緊張感は要らないはずだ。

 アメリカは大きい国だが、ユーラシア大陸から見ると大きな「島国」ともとらえられる。アメリカ対ユーラシア大陸の姿勢は、イギリスのそれを引き継いでいる。覇権を維持したいアメリカは、ユーラシアに大きなパワーが出てくることに、凄まじい緊張感を持っている。

 第二次大戦が終わった直後、ファシズムに共に戦ったアメリカとソビエトの関係が何故急激に悪くなったのか。急に対峙して冷戦になったのは、アメリカとソ連の双方に緊張感があったからだ。

 冷戦後も、ロシアに対する根強い緊張感がアメリカにある。ハリウッドも映画でロシアを悪役に描き続けている。初期のプーチンは親米だった。米大統領に、NATOに加盟したいと言ったのが、拒否された。その後NATOはあれやこれやでロシアの近くまで拡張し続けた。それが今のロシアとウクライナ戦争の原因になっている。

 いまアメリカ対中国が、アメリカ対ロシアと同じ構図になっている。実は中国も欧米に対して大変な緊張感を持っている。先ほど述べたアヘン戦争とその後に列強に侵略された歴史があるためだ。それを理解しないと大変なことになりかねない。中国がでかくなったからアメリカと対抗意識を持つようになったと言われるが、朝鮮戦争の時の中国はでかくなかった。新中国建国一年未満ですべてこれからの国だったがアメリカと必死に戦った。ベトナム戦争時も中国の国力はまだ弱かった。当時、世界経済における中国の存在は3〜5%しかなかった。今20%弱だ。弱い時ですら戦う時は戦う。双方のこの緊張感をどう和らげたらいいのか、今の状況を心配している。

講義をする田中琢二氏

相互依存関係こそが最大の安全保


周:もう一つは、日中関係だ。2005年、日中関係が非常に悪かった時に私がかなりコミットして作った北京・東京フォーラムがある。小島先生も何度も参加して協力してくださった。このフォーラムの2回目開催時、安倍晋三氏が登壇し、日中関係の改善を訴えた。それを契機に、日中関係は急速に改善した。何か良いきっかけがあれば関係改善が可能だ。

 恐らく米中関係も同じだ。誰かが仕掛けを作れば関係は改善される。もちろん緊張感を煽ろうとする人もいる。緊張関係、そして戦争などで得する人もいるのが事実だ。しかし実際、相互ベネフィットが多ければ関係は良くなる。冷戦終結後はみなそれを信じてきた。

田中:その通りだ。

周:2022年9月にバルト海を経由してロシアとドイツを結ぶ天然ガス供給海底パイプラインを爆発したのは誰だったのか?パイプラインを遮断し、ロシアとドイツの共通利益をなくすことを誰が望み、誰が得したのか?

 グローバリゼーションの中で、互いにしっかり利益を得られるようにし、世界の平和に努力することが大事だ。不平和で利益を得ようとすれば、世界は大混乱に陥る。

2008年9月19日「東京―北京フォーラム」にて、司会を務める周牧之教授。左から塩崎恭久(衆議院議員)、岡田克也(衆議院議員)、加藤紘一(衆議院議員)、松本健一(麗澤大学教授)。

田中:中国全体では大中華を構想するつもりはないとの前提が一つあるとしても、今後中国がより大きな役割を担うとしても、それは今、中国だけの意図でやれるものでなく、アメリカがそれをまた封じ込めようとする力が出てくる。中国自身も研究が進んでいるソフトパワーの力で、どういったやり方で世界との調和の中で自分たちの経済力なり成熟度を高めようとするのかを、考える必要がある。したがって一国だけが大きくなる姿を想定して議論をするのはちょっとやや危険な感じがするので、どういう形で国際的な協調を保ちながら、まさにさっき言ったいろんなスーパーパワーが共存する社会になっていくと思う。そういう方向で対話が必要になる。

 もう一つ覇権論、ヘゲモニースタビリティセオリーが、19世紀はイギリス、20世紀はアメリカ、イギリスの前はオランダ、その前はスペインと、150年ぐらいのスパンで世界のスーパーパワーが変遷するとの議論がある。そうした議論に乗ると、必ず次は中国だろうという議論が一時盛んに行われた。ただし今アメリカが踏ん張り、覇権から降りることに抗う難しい歴史的局面かと思う。

 イギリスが徐々に衰退し、アメリカが上ってきた時、世界大恐慌、世界戦争が起こった。いま中国が大きくなり、アメリカの相対的な力が落ちてきていると争い事が起きやすい。そんな時こそ対話が大事だというのが周先生のお話だ。フォーラムなどいろいろ作ってみんな参加し、議論を進めたらいい。

小島:G7、G20と言われる中で最近聞くのはGゼロだ。80年間もアメリカがグローバルリーダーとして理念やシステムを作り上げた。いまでは、中国は力を持ち、アメリカ一国で紛争その他を調整することが出来なくなった。

 Gゼロで、指導する力を持った国がなくなったところで今本当に紛争が多発している。冷戦後は、国と国との戦いはない、テロや一部の民族同士の争いはあっても国同士の戦いはないというイメージだった。が、地域紛争が増えてきた。古典的な国と国との紛争が復活し歴史が反転したという見方もある。

 少なくとも、どの一国も問題を管理しコントロールすることが出来なくなってしまった。中国は発言権を高め発言し始めている。グローバルシステムはアメリカ製だと言う人もいる。それを修正すると言っても、どのような世界のシステムや制度を出すのかは、まだ中国からのメッセージとして生まれていないと思う。中国はそのプロセスにあるかもしれない。アメリカ中心のグローバルな理念やシステムが揺らいでいる中で、それに代わるものがない。

 強いグローバルパワーはなく、Gゼロという状況になり、国際システムは、非常に不安定な状態がこれから中長期にわたって続くことを考えなくてはいけない。政治のレベルで特に重要だが、それによって政治が不安定になる中で、企業はあるいは個人がどう対応するかと耐えず考えなければならない。時代的なチャレンジだ。

 VUCA(ブーカ)という言葉がある、もともと軍事面で言われた概念だが今は経済面で、企業経営の面で言われる。VはVolatility(変動性)、UはUncertainly(不確性)、CはComplexity(複雑性)、AはAmbiguity(多様性)で、先々の展開がよみにくい時代だ。

周:時代の要請を受けて国際社会を仲良くするようチャレンジし、若い世代もこれからの時代を背負って、平和な繁栄を築き上げていくことが大切だ。

(終)

2008年9月19日「東京―北京フォーラム」にて、左から趙啓正(中国国務院新聞弁公室元主任)、小島明氏、周牧之教授。


プロフィール

小島明(こじま あきら)/日本経済研究センター元会長

 日本経済新聞社の経済部記者、ニューヨーク特派員・支局長、経済部編集委員兼論説委員、編集局次長兼国際第一部長、論説副主幹、取締役・論説主幹、常務取締役、専務取締役を経て、2004年に日本経済研究センター会長。

 慶應義塾大学(大学院商学研究科)教授、政策研究大学院大学理事・客員教授などを歴任。日本記者クラブ賞、ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。新聞協会賞を共同受賞。

 現在、(一財)国際経済連携推進センター会長、(公財)本田財団理事・国際委員長、日本経済新聞社客員、(公財)イオンワンパーセントクラブ理事、(一財)地球産業文化研究所評議員

 主な著書に『横顔の米国経済 建国の父たちの誤算』日本経済新聞社、『調整の時代 日米経済の新しい構造と変化』集英社、『グローバリゼーション 世界経済の統合と協調』中公新書、『日本の選択〈適者〉のモデルへ』NTT出版、『「日本経済」はどこへ行くのか 1 (危機の二〇年)』平凡社、『「日本経済」はどこへ行くのか 2 (再生へのシナリオ)』平凡社、『教養としてのドラッカー 「知の巨人」の思索の軌跡』東洋経済新報社。

田中琢二(たなか たくじ)/IMF元日本代表理事

 1961年愛媛県出身。東京大学教養学部卒業後、1985年旧大蔵省入省。ケンブリッジ大学留学、財務大臣秘書官、産業革新機構専務執行役員、財務省主税局参事官、大臣官房審議官、副財務官、関東財務局長などを経て、2019年から2022年までIMF日本代表理事。

 現在、同志社大学経済学部客員教授、公益財団法人日本サッカー協会理事。

 主な著書に『イギリス政治システムの大原則』第一法規、『経済危機の100年』東洋経済新報社。

【福州】華僑を輩出した歴史港湾都市【中国都市総合発展指標】第18位

中国都市総合発展指標2022
第18位




 福州は中国都市総合発展指標2022総合ランキング第18位であり、前年度の順位を維持した。

 「環境」大項目は第11位で、前年度より順位を7つ上げた。3つの中項目のうち「環境品質」「空間構造」は第18位、「自然生態」は第48位であった。9つの小項目のうち、トップ10入りした項目はなかったものの、「資源効率」は第12位、「コンパクトシティ」は第17位、「都市インフラ」は第21位、「交通ネットワーク」は第25位と、4項目がトップ30に入った。なお、「汚染負荷」は第43位、「気候条件」は第44位、「環境努力」は第124位、「水土賦存」は第180位、「自然災害」は第221位であった。

 「社会」大項目は第22位で、40前年度より順位を3つ下げた。3つの中項目のうち「ステータス・ガバナンス」は第19位、「生活品質」は第23位「伝承・交流」は第26位だった。3項目のうちトップ10入りした項目はなかったものの、すべてトップ30入りした。小項目で見ると、トップ10入りした項目はなかったものの、「消費水準」は第19位、「居住環境」は第22位、「都市地位」は第23位、「人口資質」は第26位、「文化娯楽」は第28位と、5項目がトップ40入りした。なお、「人的交流」は第31位、「社会マネジメント」は第39位、「生活サービス」は第43位、「歴史遺産」は第115位であった。

 「経済」大項目は第23位で、前年度の順位を維持した。3つの中項目で「経済品質」は第19位、「発展活力」は第24位、「都市影響」は第27位であった。3項目のうちトップ10入りした項目はなかったものの、すべてトップ30入りした。小項目で見ると、トップ10入りした項目はなかったものの、「経済構造」「都市圏」は第18位、「ビジネス環境」は第21位、「経済規模」は第22位、「経済効率」は第23位、「イノベーション・起業」は第24位、「広域中枢機能」は第26位と、9つの小項目のうち7項目がトップ30に入った。なお、「開放度」「広域輻射力」は第31位であった。

■ 貿易で栄えてきた古都


 福州市は、福建省の省都は中国東南地域沿岸部に位置し、長江デルタメガロポリスと珠江デルタメガロポリスの中間地点に位置する。2020年末には、6市区、6県、1県級市を管轄し、総面積11,968平方キロメートル(秋田県と同程度)、常住人口は845万人を抱えている。

 福州が位置する地域は、典型的な河口盆地で、周囲を山や丘陵に囲まれ、そのほとんどが標高600〜1000mの高地である。地形は多様性に富み、西部と北部は山地が優勢である一方、東部には平野が展開している。福州の気候は亜熱帯モンスーン気候に分類され、冬は短く夏は長い。温暖湿潤で、年間平均降水量は900〜2100mm、年間平均気温は16〜20℃を記録する。最も寒い月の1〜2月でも、最低気温は9度前後と暖かい。中国都市総合発展指標2022によれば、「気候快適度」は中国第46位である。

 河川である閩江が市内を流れ、その河口デルタに市街地が発達している。海岸線は約1,137キロメートルに及び、多数の島嶼が点在している。周辺には寧徳市、三明市、南平市などが隣接しており、地域間の連携がみられる。

■ 福州市の古代から現代への歩み


 福州の歴史は古く、その起源は紀元前202年にまで遡る。秦・漢の時代、この地域は初めて「冶」と名付けられた。その後、市域内に位置する福山にちなんで「福州」と改称された。この改称は、地理的特徴と地域のアイデンティティを反映したものだった。

 福州は、長い歴史を通じて福建省の中心地としての地位を確立してきた。その影響力は社会、経済、文化、政治など多岐にわたる分野に及んでいる。社会面では、多様な文化の交差点として独特の構造を発展させ、海上交易の拠点としての役割も地域の社会形成に大きな影響を与えた。経済的には、古くから商業の中心地として栄え、特に宋代以降は海外貿易の重要な港として発展した。茶葉や陶磁器の輸出で知られ、「海のシルクロード」の重要な拠点となったことは特筆に値する。

 文化面では、福州は文人や芸術家を多く輩出し、独自の文化を育んできた。福州方言、閩劇(地方劇)、福州彫刻など、地域特有の文化遺産を生み出し、これらは今日まで受け継がれている。中国都市総合発展指標2022によれば、「無形文化遺産」は中国第24位である。政治的には、歴代王朝下で重要な行政中心地として機能し、特に明代には「福建布政使司」が置かれ、省全体の政治の中枢となった。

 近代以降も福州は重要性を保ち続け、1949年の中華人民共和国成立後は福建省の省都として、政治・経済の中心地としての役割を果たしている。2000年代に入ってからは、「海峡西岸経済区」の中核都市として、さらなる発展を遂げている。この地域の経済成長と国際化に重要な役割を果たしており、中国南東部の重要な都市としての地位を確立している。

 このように、福州市は2000年以上の歴史を通じて、常に福建省の中心として機能し、その影響力は現代にまで及んでいる。古代から現代に至るまでの連続性と変化が、今日の福州市の多面的な特徴を形作っている。伝統と革新が共存するこの都市は、中国の歴史と現代化の縮図とも言える存在として、今後も注目され続けるだろう

 2022年には、福州市のGDPは1兆元2,038億元(約24.1兆円、1元=20円換算)で、中国の都市では18位であった(詳しくは【ランキング】世界で最も経済リカバリーの早い国はどこか? 中国で最も経済成長の早い都市はどこか?を参照)。

■ 中国の重要港湾都市としての発展


 福州は、その地理的優位性を活かし、古代から現代に至るまで中国の重要な港湾都市として発展を遂げてきた。古くは遣唐使の時代から、日本や東南アジアとの海上交通の要所として機能し、シルクロードの海上ルートにおける重要な中継地点としての役割を果たしてきた。この歴史的背景は、福州市の国際的な性格と開放性の礎となっている。

 特筆すべきは、福州の馬尾港が中国近代海軍発祥の地の一つとして名高いことである。19世紀後半、清朝政府が近代化政策の一環として福州船政局を設立し、西洋式軍艦の建造や海軍人材の育成を行ったことは、中国海軍史上極めて重要な出来事であった。この歴史的遺産は、現在も福州の誇りとなっている。

 福州の国際的重要性は、近代以降さらに高まった。1842年の南京条約により、広州、厦門、福州、寧波、上海の5港が開港され、福州はこの中の一つとして選ばれた。これにより、福州は西洋列強との直接的な貿易が可能となり、国際的な商業港としての地位を確立した。この開港は、福州市の経済発展と国際化に大きな影響を与え、現代に至るまでその影響が続いている。

 1978年の改革開放政策の実施後、福州は中国政府によって海外に開放された最初の14都市の一つに選定された。この決定は、福州の歴史的な国際性と地理的優位性が評価された結果であり、同市の更なる発展と国際化への道を開いた。以来、福州は外資誘致や国際貿易の拡大に積極的に取り組み、中国南東部の重要な経済拠点としての地位を確立している。

 福州の港湾としての重要性は、現代の統計データにも明確に表れている。中国都市総合発展指標2022によると、「コンテナ港利便性」では中国20位、「コンテナ取扱量」では全国18位と、中国国内でも上位に位置している(詳しくは【ランキング】世界で最も港湾コンテナ取扱量が多い都市はどこか?)を参照)。

 さらに、福州市の国際的な地位を示す指標として、2022年における世界のコンテナ取扱量ランキングが挙げられる。福州港は世界第63位にランクインしており、これはロンドン港の64位を上回る成績である。この数字は、福州市が単に中国国内の重要港湾であるだけでなく、世界的な規模で見ても無視できない存在であることを示している。

■ 福州の多様な産業と独自の発展モデル


 福州の地域経済は、水産業、紡績産業、機械産業、電子情報産業、不動産・建材産業、観光産業という6つの主要産業を中心に構成されている。これらの産業は、福州の地理的特性と歴史的背景を反映しており、相互に補完しあいながら市の経済発展を支えている。

 水産業は豊かな海洋資源を活用し、紡績産業は伝統的な技術と現代的な需要を融合させている。機械産業、特に造船業は福州の工業化の象徴となっており、電子情報産業は新たな成長のエンジンとして急速に発展している。不動産・建材産業は都市化の進展と共に成長を続け、観光産業は豊かな歴史的遺産と自然景観を活かして発展している。

 福州経済の特筆すべき特徴は、海外移民との強いつながりを活かした独自の発展モデルにある。海外在住の福州出身者からの送金が重要な資金源となっており、これらは家族の生活支援だけでなく、地元での投資にも向けられている。特に中小企業の発展に大きな役割を果たしており、地域経済の活性化に貢献している。

 さらに、この海外とのつながりは民間金融の発展にも寄与している。伝統的な互助金融システムや現代的な小規模金融機関の発展により、中小企業や起業家が必要な資金を調達しやすい環境が整っている。このような独自の経済構造は、福州に経済の柔軟性と強靭性をもたらしている。

 海外ネットワークを通じた資金流入や情報交換は、福州の国際化や文化的多様性の促進にも貢献している。新しいアイデアや技術、ビジネスモデルが地元経済に刺激を与え、イノベーションを促進している点も、福州経済の特徴と言える。その結果として、福州の「IT産業輻射力」は中国第13位に躍進している(詳しくは【ランキング】中国IT産業スーパーシティはどこか?を参照)。

■ 華僑の都市としての国際的地位


 福州は、300万人以上の華僑を輩出した中国を代表する華僑の故郷として知られている。この特徴は、現代の福州市の国際的な位置づけと経済構造に大きな影響を与えている。

 中国都市総合発展指標2022の結果は、福州の独特な国際性を明確に示している。「交流」中項目で全国第31位という順位は注目に値するが、より興味深いのは個別指標における対照的な結果である。

 「国内旅行客数」が中国32位、「国内観光収入」が中国42位である一方で、「海外旅行客」は中国第11位、「国際観光収入」は中国14位という好成績を収めている。これらの数字は、福州市が国内よりも国際的な訪問者、特に華僑やその子孫たちにとって重要な目的地となっていることを示している。

 この統計は、福州の経済が国内市場よりも国際市場、特に華僑ネットワークとより強く結びついていることを表している。海外在住の華僑による故郷訪問、ビジネス目的の渡航、投資活動などが、福州市の国際的な地位を高めている。

 さらに、このつながりは観光にとどまらず、ビジネスや投資、文化交流など、より広範な分野での国際的な活動の基盤となっている。華僑ネットワークを通じた情報交換、技術移転、資金流入が、福州市の経済発展と国際化を加速させている。

 この「華僑の都市」としての特性は、福州市に独自の強みをもたらしている。グローバル経済においてネットワークの重要性が増す中、福州市は既存の華僑ネットワークを活用し、国際的な競争力を維持・強化している。

 今後、福州市はこの強みをさらに活かし、国際的なビジネスハブとしての地位を強化しつつ、国内経済とのバランスを取りながら、より総合的な発展を目指すことが課題となるだろう。


【ディスカッション】小島明・田中琢二・周牧之(Ⅰ):誰がグローバリゼーションをスローダウンさせた?

2024年4月18日、東京経済大学でゲスト講義をする小島明氏、田中琢二氏および周牧之教授

■ 編集ノート:

 米中貿易戦争、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ侵攻などで世界情勢は揺れ動いている。東京経済大学の周牧之ゼミは2024年4月18日、小島明日本経済研究センター元会長、田中琢二IMF元日本代表理事をゲストに迎え、激動の世界情勢について解説していただいた。


スローバライゼーションが何を意味するか?


周牧之:田中さんはいまグローバリゼーションからスローバライゼーションになっているとおっしゃった。実はグローバリゼーションで2000年以降、急激に世界の貿易量が増えた。私の記憶がもし間違ってなければ、今日の世界貿易の7割のボリュームは2000年以降作られた。今日、世界経済のGDPの6割は、2000年以降の4半世紀で積み上げられた。つまり2000年以降、急速に進んだグローバリゼーションが人類史上最も富を作った時期であった。

田中琢二:そう。

周:各国を潤わせたグローバリゼーションを、止めようとしたのはアメリカのトランプ政権だった。この点で、トランプ政権が終わった後のバイデン政権は更に酷くなった。これをどう説明するか。

小島明:グローバリゼーションは、冷戦が終わった1991年から30年ぐらいは引き続いた。冷戦前は世界が東と西に二つに分かれ、例えば西からの旧ソ連に対する投資は無かった。1990年代末にコカ・コーラが初めて中国に投資しロシアに行った事が話題になった。

 東西の垣根を越えて、資本、人材が移動し始め、世界経済は活性化した。しかし近年、エコノミック・ステートクラフトという言葉があるが、経済を外交の手段、あるいは軍事的手段にする動きが出てきた。

 この結果Deglobalization、或いはSlowbalizationと言われる反動的な動きが生まれている。

 冷戦が終わった直後の1991年〜93年には、民主主義は最終的に理想的な形を完成したとされ、それ以上は歴史の発展はないとする「歴史の終焉」の議論をする人が出てきた。民主主義があまねく世界を照らすということだ。

周:フランシス・ヨシヒロ・フクヤマの『歴史の終わり』は、このような考えの代表作だ。

図 世界輸出総額推移

(出典)国連貿易開発会議(UNCTAD)データセットより雲河都市研究院作成。

小島:しかし冷戦から30年近く経ち、民主主義がおかしくなった。民主主義に分類される国が減ってきた。或いは民主主義とは名ばかりの権威主義が出てきた。またアメリカの中で民主主義がおかしなことになった。 

 直面する重要な問題はグローバルな情報化だ。情報化はAIの活用が重要だが、落とし穴、つまりフェイクがある。ある調査結果では、インターネット情報をほとんど信用するという学生が圧倒的多数だった。近年のフェイク民主主義のきっかけはいろいろあるが、権力闘争が情報戦になったことが一因だ。フェイク情報戦の状況がどんどん広がって、ロシアもウクライナも相手のイメージを壊すためフェイク情報をどんどん作る。民主主義国ではトランプを始め選挙戦でフェイク戦が始まったのではないか?

 グローバリゼーションが、安全保障上あるいはヘゲモニー争いの中で、ブレーキがかかっている。最近、非経済的な貿易制限が増えている。従来なら、輸入に対する制限が貿易制限の一番の中心だった。戦略的、外交的に大事なものは輸出しない、重要な技術は輸出しないという制限だ。

 外交的手段として直接投資を規制し、技術や資源を輸出しない。全くこれまでなかった貿易の流れが、グローバリゼーションの逆風になっている。

 しかし基本的にはグローバリゼーションは進む。1991年以前に戻ることはない。これから重要になるのは無形資産だ。情報、各種サービス、パテントなど技術を有しているものだ。従来は単純なモノの生産と貿易が中心だった。今は付加価値においては無形資産がどんどん増えている。

 頭の中で生み出す無形資産が、これからは極めて重要になってくる。物を作る職人さんも重要だが、デジタル革命、情報革命、知識革命の中で、無形資産、知恵が極めて重要だ。

田中:周先生の問いは、「スローバライゼーションがなぜ起きたのか」だ。起きたという現象面で捉えるべきなのか、あるいは何か人為的に起こしているのであれば、それは何故かといえば、中米関係がすごく大きいと思う。中国のロジックはまた別として、アメリカ人のメンタリティをどう考えるかというと、世界貿易機関(WTO)に中国が加盟したのが2001年。1995年にWTOが出来て、2001年に中国が加盟する際に、アメリカは応援した。中国が自由貿易の世界に参加し、一緒に成長する青写真があった。

 ただ中国からアメリカへの輸出が凄まじく多くなり、アメリカの企業も安い労働賃金を目指し中国へ工場移転した。アメリカ国内の工場が減り、中国で生産した安い生産物がアメリカに入り消費者が享受した。その限りではよかったが、今まで工場で働いていたアメリカ人にとっては自分の職を奪われ中国に生産拠点が移動してしまった感覚があった。ラストベルトと言われるアメリカの中西部の白人が多く昔は豊かな中産階級を形成していたアメリカ人層が、非常に貧困になった。そこが、トランプ大統領が支持を集める背景になっている。

 トランプがアメリカファーストと言う意味は、アメリカ人が働いてアメリカ人が所得を増やしていくべきで、外国の人に作ってもらってもいいが自分たちの職が奪われるのはけしからんという発想だ。そうした発想が徐々に直接投資、貿易に関する一つの政治課題として上がってきた。

 そうすると、貿易を制限しようとなる。それが進むと、一番大事な半導体の技術が、対価無く報酬のないまま技術移転がなされているのではないか等、様々な議論が出た。そして中米関係が見直されてくる。今まで蜜月で自由貿易のパートナーとして一緒にやっていく考え方だったのが、180度変わった。

周:今のアメリカの中国批判は、私が日本に最初に出張で来た1986年当時から1990年代までの、アメリカの対日本批判によく似ている。

田中:そうだ。

田中琢二(2024)『経済危機の100年: 「危機なき世界」は実現するのか』東洋経済新報社

■ ユーラシア大陸とアメリカとの関係の中の米中関係


田中:日本にとっては極めて難しい状態になった。というのは、日中は大事な経済関係であり、日米も関係が深い。アメリカが中国に敵対的な意思を示せば示すほど、日本はどう動けばいいのか非常にわかりづらくなった。

 実はドイツもそうだ。ドイツもメルケル前首相が中国との関係が第一番だと言っている。中国にはフォルクスワーゲン、アウディがいっぱい走っている。北京の外国車といえば大体この二つだ。そのぐらい中国とドイツの関係が深くなったが、どうもトランプあたりが中国との関係を見直すことをしている。全体的に先進国と中国との関係に変容が起きてしまいつつある。

 モノと財に関しては、フラットな関係が2010年から10年間続いた。そこはもうちょっと詳しく議論する必要がある。もしかしたらリーマン・ショックの影響を受けて、世界全体の経済のパイが小さくなったからか? 2010年以降のフラットの前半と後半は少々理由が違うかもしれない。グローバリゼーションが止まっているとは言えないとの議論も検討していく必要がある。

周:ユーラシア全体で捉えると、今アメリカと緊張関係にあるのは、ユーラシア大陸の両側の日本と西欧北欧以外のほとんどだ。田中さんが先ほどの講義で紹介したシカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授の考え方は、私には評価できない。冷戦後、アメリカはロシアをずっと攻め続けてきた。NATOが東への拡大を続けてきた結果、ロシアとウクライナの戦争に繋がった。中東については、戦後アメリカがイスラエルを無条件で擁護したことで、アメリカと中東との関係は複雑化した。アメリカは中東地域に何度も直接出兵し、アフガニスタンやイラクなどに対して国潰しまで行った。

 米中関係はユーラシア大陸とアメリカとの関係の中でとらえるべきだ。ユーラシア大陸全体とアメリカとの関係は決して良くはない。ヨーロッパとアメリカの関係に至っても一枚岩ではなく揺れ動いている。中東そしてロシアとアメリカとの緊張関係はそう簡単に緩和されない。アメリカは中国に対抗するため、ロシアと中東との関係を緩和し東アジアに軸足を置くべきだとのミアシャイマー教授の主張は現実的とは思わない。むしろ中国とアメリカの関係は今まだ管理されている方だ。朝鮮戦争とベトナム戦争以降、米中の武力衝突はない。

田中:シカゴ大のミアシャイマー先生の話は、「ロシアと事を起こす必要はない」として今までの外交政策を批判した。アメリカの全体の議論ではない。

周:ミアシャイマー氏が主張した中国との対立は、結果的にアメリカの中東とロシアとの緊張関係に加え、更に中国との緊張関係を作り出すことになる。これはとてもスマートな考えとは言えない。アメリカと自分の庭先の南米との関係すら必ずしも幸せではない。しかし最も深刻なのはユーラシア大陸との関係だ。その意味ではアメリカにとっては、中国との緊張関係を煽るのではなく緩和する努力が必要だ。

田中:地政学という学問の中に、マッキンダーのハートランド論がある。ユーラシア大陸を制覇するところが世界を制覇するという理論だ。その古典と言われる理論の中で、ロシア、中国、イラン、サウジアラビアといった中核のところが、今ライクマインドという「仲間意識」を意味する言葉がよく使われ、ライクマインドの国になりつつある。これはBRICSを中心に、あるいは上海協力機構を中心にして何となく固まっている。

 だからこそアメリカは、そこのポイントであるところのロシア、中東、中国と対立せざるを得ない。中国とは管理された競争だが、そうせざるを得ない。周先生のユーラシアという言葉からマッキンダーを思い出してそう感じた。


講義をする小島明氏

アメリカ社会の亀裂は、外交姿勢にも大きなブレ


周:アメリカの国内においても今は考え方がかなり分裂していることに注目する必要がある。選挙でのトランプ陣営とバイデン陣営との闘いぶりを見ると、アメリカの社会的な亀裂は、今までになく深刻だ。この揺れるアメリカの国内状況は、アメリカの外交姿勢にも大きなブレを生じさせている。このようなリスクを最小限に抑えるため、ヨーロッパでは、トランプが政権に戻ったときの対処への議論も出てきている。日本でも麻生太郎元首相がこの4月、トランプに会いに出かけている。

田中:アメリカの分裂についてバイデン、トランプ両者の類似点と相違点を並べると、いろいろ論点があると思うが、政府の役割について、共和党は政府を小さくと言っている。バイデンは政府の役割を大きく認めている。

 アフガニスタン撤退や中国との関係は、バイデンもトランプも提唱しているが、国内政治の分断ではバイデンとトランプは民主主義に対する視点が違う。

 外交政策は同盟国中心か、あるいは同盟国でも競争相手とみなして厳しく対応するかだ。日本は同盟国だが、アメリカは日本との間の貿易赤字は許さない。

 貿易に関してトランプは保護貿易主義的で、バイデンも完全な自由貿易主義者ではない。考え方に若干の違いはあるが完全な自由主義ではなくなってきている。

 時代認識は、バイデン大統領はこの時代を民主主義と独裁主義の争いとみなし、アメリカは世界中の民主的な友好国を助ける必要があると主張している。一方でトランプは、意外とプーチンに対する共感があり、また習近平とも、もしかしたら個人的に交流しているかもしれない。朝鮮のリーダーについてもなかなか彼は見どころがあると言っている。ある意味では独裁者とされる彼らと仲が良く、彼らの政治姿勢に親近感を持っているようだ。

バイデン大統領とトランプ元大統領(出典:NBC NEWS

田中:気候変動問題に関してバイデン政権は推進している。しかしながら、トランプはCOPからの脱退、離脱も考えるだろうと言っている。

 移民政策においては多国間協力の必要性をバイデンは言っている。最近は不法移民対策を若干強化しているけれども、トランプは、不法移民は絶対認めない姿勢でアメリカ人ファーストの姿勢を出している。

 人工妊娠中絶に関しては、バイデンは容認し、トランプは容認しない。日本人の感覚ではわからないことで、アメリカの人工妊娠中絶に関する国内世論は非常に分裂対立関係にある。

 例えばLGBTに対する見方も論点になる。国民の関心ある論点に二つの両極の考え方が出て、なかなか妥協点を見出す話でもない。分断が顕著になっている。それに対して日本はどう付き合っていくのかが非常に難しい。

 去年までは安倍総理がトランプ大統領と非常に個人的にいい関係を結んでいたが、今の政治のリーダーシップでトランプと対等にやっていける人が本当にいるのかどうかの問題が一つある。ただ一方で、周先生とは異なる意見になるが、中国の台湾政策との関連で日米の軍事的な近さが何をさておいても大事だというトランプが大統領になるとすれば、政治外交上日本とアメリカは近いとは思う。

 ただし、経済政策に関しては、やはり先ほどのアメリカファーストという考え方をより打ち出してくると思う。同盟国に対しても、アメリカとの一定の貿易の赤字幅の縮小化への要求はすごく大きくなると思う。

 気候変動問題に関して日本はしっかりとコミットしているけれども、アメリカがCOOPから離脱していることに対して、国際社会がどう対応するのか準備できていないと思う。日本で一番大変になってくるのは、貿易問題だ。対応をこれからしっかりしなければいけない。

 一つ象徴的なのは、今日本製鉄がアメリカのUSスティールを買収しようとしているが、バイデンも反対を明確化し、トランプも絶対反対と言っているので、同盟国日本といえども、是々非々ということでアメリカが対応してくると思う。

田中琢二(2007)『イギリス政治システムの大原則』第一法規

アメリカに叩かれ従う日本と抵抗する中国


小島:アメリカとユーラシア特に中国とロシアとの関係を見ると、第二次世界大戦後、特に冷戦が始まった頃は、中国という存在はまだ成長発展の初期段階で、安全保障上レーザースクリーンから見ると小さかった。だからむしろ中国を応援しソ連に対抗させようとして、ヘンリーキッシンジャーが中国に行った。今では中国が急激に大きくなり、アメリカ経済に挑戦する脅威となった。

 1980年代日本はアメリカに叩かれた。日本はエネミーのNo.1で、自動車や鉄鋼が制限され、自由に貿易できない状況にあった。1985年にプラザ合議があり円が切り上げられた。

 その頃アメリカの対日世論は確実に悪化した。当時のアメリカの世論調査で、ソ連からの軍事的脅威と日本からの経済的脅威のどちらが重要かとの問いに対して、日本からの脅威が重要だとなった。

 当時はそういう戦いだった。しかし日本はその後縮んでしまい、アメリカにとって日本は脅威ではなくなった。そもそも日本はアメリカのヘゲモニーに挑戦する存在では初めからなかった。

 ところが中国の外交姿勢と経済発展のあり方を見たアメリカは、中国がアメリカの覇権に対抗するとの認識を持つようになった。

 1980年代の日米の経済問題と、今の中米の経済問題はかなり違う。部分的に調整されても、ヘゲモニーで考えると、中国とアメリカは、言葉では協調というがライバル意識や対抗心は長期にわたって続くと私は思っている。

周:中国では日本の失われた30年の原因の一つが、アメリカに叩かれて従ってしまうところにあるとの議論が多い。

小島:日本は、中国としっかり関係を続けるのはもちろん、経済など互いに重要な部分を軸に中国ともアメリカともそれぞれ仲良くするしかない。人によっては米中の仲介を日本がすればいいと言うが、そんな大それた力は日本にはない。仲良くし協力することしか日本には道がない。

 もう一つは、日本は政府が中国に対して何かを言い出すと、民間がみんなそれに倣う。アメリカは、政府レベルで中国と対立しても民間レベルでは中国と交流を展開している。アメリカの企業はどんどん中国に行き様々ビジネスをしている。

 日本の場合は、政府が中国との関係を調整しようと言うと企業がみんな中国に行かなくなる。そこが問題だ。中国が始めたアジア投資銀行への対応に日本はNOと言った。気をつけて見ていると、アメリカのゴールドマンサックスが中国政府機関のアドバイザーになっている。やはり経済は、お互いに手を繋ぐことは繋ぐ。政治や安全保障上はどうあっても、仲良くやるべきことはやり、互いの利益になることはどんどんやるべきだ。一時的な政府の外交政策に全部右に倣えといった日本の空気があるが、そうではなく、経済はもっとダイナミックに相互依存を続けて動いていいと思う。

 国として政策レベルでやるべきことと、それぞれの企業、産業がやるべきことはちょっとアプローチが違ってしかるべきだ。

周:おっしゃる通りだ。日本で新聞を読むと、こうした議論の際に、中国の視点がどうしても欠けている。アメリカの視点はあるが中国の視点はない。中国人がどう思っているかの視点がなさすぎる。私の世代は改革開放世代だ。改革開放時に大学に入学し、改革開放の恩恵を受けたこの世代が、いま政府の中枢にいる。アメリカのヘゲモニーへ挑戦しようという気持ちは同世代には毛頭ない。ただし、日本と違い、アメリカの押し付けには負けないとの思いがある。朝鮮戦争時もベトナム戦争時もその気持ちが強かった。押し付けられたら不愉快だ。けれども、アメリカのヘゲモニーへの挑戦はない。

 中国はソ連、アメリカ両方と対峙していた時期に自力更生で自国の産業基盤を作り上げた自負がある。二大スーパーパワーと同時に対峙した時の気概がある。

 ソ連の国作りは非常に短期間で行われた。レーニンはあまり苦労せずにドイツの支援を受け一瞬にして政権を取り、国を作った。結果、ソ連の崩壊も一瞬だった。一瞬にできた体制は大抵一瞬で終わる。これに対して中国の1949年にできた政権はアヘン戦争以来、100年以上の苦難の果てに作られた。そう簡単に屈服する訳がない。

小島明(2023)『教養としてのドラッカー 「知の巨人」の思索の軌跡』東洋経済新報社

■ 貿易大国中国の挫折感が対米姿勢に繋がる


周:1840年のアヘン戦争は、イギリスが植民地のインドで作ったアヘンを、中国に密輸入したことに起因する。イギリス政府はアヘンを自国内で禁止していた。にもかかわらず、中国政府がイギリス商人に密輸入されたアヘンを没収し燃やしたことを問題にし、イギリスは艦隊を派遣しアヘン戦争をしかけた。これが中国の近代史の始まりとなった。

 なぜこの戦争が起こったか。茶と磁器とシルクの中国からの輸出でイギリスは貿易不均衡が長年続いた。イギリスは中国に売るものがなかった。でも、生活革命で茶を始めとする中国物産を日常生活に取り込んだイギリス人は中国からの物資輸入が止められなかった。これについて私は20年前に海外の資料を集め論文を書いたことがある。

 長年にわたる対中貿易赤字に喘いだイギリスは、インドで麻薬を栽培して麻薬の吸い方まで開発し中国に売りつけた。その規模が徐々に大きくなって中国政府が取り締まりに乗り出し、アヘン戦争となった。

 トランプ政権は貿易問題をイシューにした時、中国だけではなく日本もヨーロッパも標的にした。しかし最後に深刻になったのは中国とだけだ。トランプの貿易戦争の結果、米中双方から両国間貿易に高額な税金が掛けられている。それでも中国とアメリカの貿易は減っていない。アメリカの対中貿易赤字も減っていない。要するに、アメリカが中国から物を買うのをやめられない。高い関税は、アメリカの物価高につながっている。

 その意味では、今の米中貿易問題は、アヘン戦争前のイギリスと中国の貿易問題に似た構図だ。中国からの輸入を止められないアメリカが、中国に対して「お前はけしからん」ということは理不尽である。これは中国にしてみたらあの屈辱的なアヘン戦争を彷彿とさせる。 

田中:そうだ。納得させることはできない。

周:アメリカは、アヘン戦争時のイギリスのように中国からの輸入を止められない一方で、大きな貿易赤字も我慢できない。

※以下、後半に続く

講義をする田中琢二氏

プロフィール

小島明(こじま あきら)/日本経済研究センター元会長

 日本経済新聞社の経済部記者、ニューヨーク特派員・支局長、経済部編集委員兼論説委員、編集局次長兼国際第一部長、論説副主幹、取締役・論説主幹、常務取締役、専務取締役を経て、2004年に日本経済研究センター会長。

 慶應義塾大学(大学院商学研究科)教授、政策研究大学院大学理事・客員教授などを歴任。日本記者クラブ賞、ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。新聞協会賞を共同受賞。

 現在、(一財)国際経済連携推進センター会長、(公財)本田財団理事・国際委員長、日本経済新聞社客員、(公財)イオンワンパーセントクラブ理事、(一財)地球産業文化研究所評議員

 主な著書に『横顔の米国経済 建国の父たちの誤算』日本経済新聞社、『調整の時代 日米経済の新しい構造と変化』集英社、『グローバリゼーション 世界経済の統合と協調』中公新書、『日本の選択〈適者〉のモデルへ』NTT出版、『「日本経済」はどこへ行くのか 1 (危機の二〇年)』平凡社、『「日本経済」はどこへ行くのか 2 (再生へのシナリオ)』平凡社、『教養としてのドラッカー 「知の巨人」の思索の軌跡』東洋経済新報社。

田中琢二(たなか たくじ)/IMF元日本代表理事

 1961年愛媛県出身。東京大学教養学部卒業後、1985年旧大蔵省入省。ケンブリッジ大学留学、財務大臣秘書官、産業革新機構専務執行役員、財務省主税局参事官、大臣官房審議官、副財務官、関東財務局長などを経て、2019年から2022年までIMF日本代表理事。

 現在、同志社大学経済学部客員教授、公益財団法人日本サッカー協会理事。

 主な著書に『イギリス政治システムの大原則』第一法規、『経済危機の100年』東洋経済新報社。

【青島】中国北方で第3位の経済規模を誇る国際交易拠点【中国都市総合発展指標】第16位

中国都市総合発展指標2022
第16位




 青島は中国都市総合発展指標2022総合ランキング第16位であり、前年度の順位を維持した。

 「経済」大項目は第13位で、前年度の順位を維持した。3つの中項目で「都市影響」は第11位、「経済品質」「発展活力」は第14位で、この3項目のうちトップ10入りした項目はなかったものの、すべてトップ20入りした。小項目では、「広域中枢機能」は第6位と、9つの小項目のうち1項目がトップ10に入った。なお、「開放度」は第12位、「ビジネス環境」「イノベーション・起業」は第13位、「経済規模」「広域輻射力」は第14位、「経済構造」は第15位、「都市圏」は第28位、「経済効率」は第40位であった。

 「社会」大項目は第17位で、前年度の順位を維持した。3つの中項目のうち「伝承・交流」は第17位、「ステータス・ガバナンス」は第18位、「生活品質」は第20位だった。小項目で見ると、トップ10入りした項目はなかったものの、「社会マネジメント」は第11位、「文化娯楽」は第16位、「人的交流」「居住環境」は第18位と、4項目がトップ20入りした。なお、「生活サービス」は第23位、「消費水準」は第24位、「人口資質」は第29位、「都市地位」は第35位、「歴史遺産」は第115位であった。

 「環境」大項目は第55位で、3つの中項目のうち「空間構造」は第30位、「環境品質」は第88位、「自然生態」は第191位であった。9つの小項目のうち、トップ10入りした項目はなかったものの、「都市インフラ」は第11位、「環境努力」は第12位、「交通ネットワーク」は第24位と、3項目がトップ30に入った。なお、「コンパクトシティ」は第43位、「資源効率」は第89位、「水土賦存」は第134位、「汚染負荷」は第139位、「気候条件」は第178位、「自然災害」は第205位であった。

■ 山東半島の国際港湾都市


 青島は、山東省に属する計画単列市で、中国の主要な港湾の一つであり、国際的な海運業の中心地である。

 同市は、山東半島の南東、黄海の東に位置し、総面積は11,293平方キロメートル(秋田県と同等)で中国第163位、7つの区と3つの県級市を管轄している。

 青島は、海岸沿いの丘陵都市であり、全長816.98キロメートルに及ぶ海岸線は優美な曲線を描き、大小さまざまな島が点在している。市の地形は東部が低く、西部が高い傾向にある。南北の両端は盛り上がっており、中央部は凹んでいる。全体として、山地が総面積の15.5%を占め、丘陵が2.1%、平野が37.7%、低地が21.7%を占める。

■ 避暑地として人気の青島


 青島は温帯夏雨気候に属し、海洋の影響を強く受け、四季がはっきりと分かれている。夏季は湿度が高く降雨が多いが、厳しい暑さはない。そのため、避暑地としても人気がある。春と秋は短く、冬季は風が強く寒さは厳しいが、降雪は年10日程度と少ない。冬季の影響により、「気候快適度」は中国第187位となっている。「降雨量」は中国第186位である。

 風光明媚な景観により、観光・保養地としても名高い。「青島」の名は、市内に豊富に存在する常緑樹の景色にちなんで付けられた。

■ 租界の歴史


 青島は、屈指の歴史文化都市であり、道教の発祥地とされている。

 青島の膠州湾は唐宋時代以降、北方の重要な港となった。青島が最初に租借地となったのは1897年であり、当時、ドイツが青島とその周辺地域を占領した。翌1898年、ドイツと清朝との間で「膠澳租界条約」が締結され、青島はドイツの租借地となり、これが青島租界の始まりとなった。

 ドイツは青島を東洋における重要な軍事基地かつ商業中心地と位置づけ、都市開発を積極的に行った。また、ドイツの文化や技術が導入され、それが現在の青島の建築様式や世界的に知られる「青島ビール」などに影響を与えている。ドイツ占領時代の建物の多くは今も保存され、青島の風景の一部を形成している。その街並みの優美さから当時は「東洋のベルリン」と称されていた。

 第一次世界大戦勃発後、1914年に日本がドイツに宣戦布告し、青島は日本によって占領された。第二次世界大戦後、青島は1945年に中国に返還された。新中国成立後、青島は中国の重要な工業都市と港湾都市として発展し、今日の姿に至っている。

■ 中国北方の製造業スーパーシティ


 青島は中国北方の重要な経済中心地の一つである。2022年青島の地域内総生産(GDP)は1兆4,921億元(約29.8兆円、1元=20円換算)に達し、中国第13位であった。中国北方では北京、天津に次ぐ第3位の経済規模を誇る。一人当たりGDPは14万4,272元(約289万円)で、中国第22位だった(詳しくは【ランキング】世界で最も経済リカバリーの早い国はどこか? 中国で最も経済成長の早い都市はどこか?を参照)。

 青島は製造業基地として存在感が大きく、「製造業輻射力」は中国第12位である。山東省内第2位の煙台は中国第25位に留まっているため、省内で圧倒的な順位を誇っている。特に家電産業では、ハイアール等、中国有数の企業が青島市に拠点を置いている(詳しくは【ランキング】中国で最も輸出力の高い都市はどこか?を参照)。

■ 渤海湾の巨大貿易地


 青島は港湾都市としての存在が大きい。世界130カ国以上の地域と450以上の港との間で貿易が行われており、コンテナ取扱量は世界第5位に名を連ねている。「コンテナ港利便性」も中国第4位である(詳しくは【ランキング】世界で最も港湾コンテナ取扱量が多い都市はどこか?)を参照)。

 2022年における青島の輸出入総額は前年比7.4%増の9,117億元(約18.2兆円)で、中国第10位であった。うち輸出総額は前年比9.0%増の5,361億元(約10.7兆円)で、中国第10位。輸入総額は前年比5.1%増の3,756億元(約7.5兆円)で、中国第10位であった。輸出入ともに、青島は山東省内トップの規模を誇る。

 また、青島は日本とのビジネス関係が深く、対日輸出額は中国第2位であり、対日輸入額は中国第3位である。特に、野菜・水産物等の食品関連の対日輸出が大きなウエイトを占めている。

■ 国際的な総合交通ハブ


 青島は港湾だけでなく、空港、高速鉄道、高速道路を軸とした総合交通運送システムの構築も進めている。

 2021年8月12日には、39年間青島市民を支えてきた青島流亭空港が閉鎖され、山東省初の4F級空港である青島膠東国際空港が開業した。〈中国都市総合発展指標〉の「空港利便性」項目で青島は中国第16位、航空旅客数も同第17位である。いずれも山東省内では第1位である(詳しくは【ランキング】中国で最も空港利便性が高い都市はどこか?を参照)。

 鉄道では、〈中国都市総合発展指標〉の「鉄道利便性」は中国第22位、「高速鉄道便数」も第20位で、「準高速鉄道便数」は第19位であった。これらいずれの指標も山東省内第1位である。

■ 山東省の最大人口吸収都市


 2022年末の常住人口は約1,034万人で中国第17位、山東省内では第1位であった。人口の流出入を示す「流動人口(非戸籍常住人口)」では、山東省内16都市のうち9都市は、外へ人口が流出している。これに対して青島は、流動人口が約180万人の大幅プラスであり、周辺から多くの人口を吸い上げている。よって青島は中国第24位、省内第1位の人口流入都市となっている。

■ 一大観光都市


 青島はその美しい海岸線と歴史的な建築物で知られ、多くの観光客を引きつけている。主な観光地には、青島海洋世界、青島動物園、青島科学技術博物館、青島ビール博物館、八大峡公園などがある。特に海外からの観光客が多く、〈中国都市総合発展指標〉の「海外観光客」で、青島は第10位と、第15位の済南を上回り、山東省内で最も高い順位である。

■ ヨットと映画ロケの聖地


 青島は豊かな文化遺産と活気あるエンタメを持つ都市である。〈中国都市総合発展指標〉の「文化・スポーツ・娯楽輻射力」は中国第18位である。市内には、青島大劇院、青島市図書館、青島市美術館など、多くの文化施設を有する。「博物館・美術館」は中国第15位、「動物園・植物園・水族館」は中国第19位、「公共図書館蔵書数」は中国第29位である。

 また、青島は映画の都としても知られ、映画ロケ地を多く持ち、映画祭や音楽祭も多数開催されている。その影響もあり、青島の〈中国都市総合発展指標〉における「映画館・劇場消費指数」は中国第20位であり、山東省内で最も順位が高い(詳しくは【ランキング】世界で最も稼ぐ映画大国はどこか?を参照)。

 スポーツにおいても、青島は多くのスポーツイベントを開催している。青島は2008年の北京オリンピックのヨット競技の会場となり、その後も多くの国際的なヨット大会が開催されており、いまや中国におけるヨットの聖地となっている。また、青島はプロサッカーチーム、青島中能の本拠地でもある。〈中国都市総合発展指標〉の「スタジアム指数」は中国第8位と、トップの規模を誇る。

■ 科学技術・本社機能・高等教育


 青島は近年では科学技術の発展にも注力している。〈中国都市総合発展指標〉の「科学技術輻射力」で同市は中国第18位と、省内トップの実力を有する。「特許取得数指数」は中国第10位と全国トップ10に入る成績を誇り、「R&D要員」は第14位、「R&D支出指数」は第19位に躍進している(詳しくは【ランキング】科学技術大国中国の研究開発拠点都市はどこか?)。ただし、「中国都市IT輻射力」は第27位と、第14位の済南に水をあけられており、今後の発展が望まれている(詳しくは【ランキング】中国IT産業スーパーシティはどこか?を参照)。

 同市は屈指の交流交易機能を活かし、本社機能の立地も進んでいる。「メインボード上場企業」は中国第18位と済南の第27位を上回る。ユニコーン企業は5社立地している。

 また、青島には多くの有名な大学と研究所が立地している。青島科技大学、中国海洋大学、青島大学など、多くの学生がこれらの教育機関で学んでいる。

 〈中国都市総合発展指標〉の「高等教育輻射力」で青島は中国第17位と山東省内トップクラスの成績を誇る。


【長沙】エンタメ・グルメのニューメガシティ【中国都市総合発展指標】第15位

中国都市総合発展指標2022
第15位




 長沙は中国都市総合発展指標2022総合ランキング第15位であり、前年度の順位を維持した。

 「社会」大項目は第14位で、前年度より順位を4つ上げた。3つの中項目で「生活品質」は第11位、「ステータス・ガバナンス」は第15位、「伝承・交流」は第16位で、3中項目のうちトップ10入りした項目はなかったものの、すべてトップ20入りを果たした。小項目で見ると、9つの小項目のうち、「居住環境」は第9位とトップ10入りし、「消費水準」は第13位、「文化娯楽」は第14位、「人口資質」「人的交流」「生活サービス」は第16位、「都市地位」は第18位と、6項目がトップ20に入った。なお、「社会マネジメント」は第73位、「歴史遺産」は第97位であった。

 「経済」大項目は第15位で、前年度より順位を3つ下げた。3つの中項目で「経済品質」および「発展活力」は第15位、「都市影響」は第19位で、3中項目のうちトップ10入りした項目はなかったものの、すべてトップ20入りを果たした。小項目では、トップ10入りした項目はなかったものの、「広域輻射力」は第12位、「ビジネス環境」「イノベーション・起業」は第14位、「経済規模」は第15位、「経済構造」は第16位、「広域中枢機能」は第17位、「開放度」は第19位と、9つの小項目のうち7項目がトップ20に入った。なお、「経済効率」は第21位、「都市圏」は第25位と、9つの小項目のうちすべての項目がトップ30に入った。

 「環境」大項目は第20位で、前年度より順位を5つ上げた。3つの中項目のうち「空間構造」は第22位、「環境品質」は第31位、「自然生態」は第129位であった。9つの小項目のうち、「資源効率」は第2位とトップ10入りを果たした。また、「都市インフラ」は第14位、「交通ネットワーク」は第20位と、2項目がトップ20に入った。なお、「コンパクトシティ」は第30位、「環境努力」は第36位、「気候条件」は第95位、「汚染負荷」は第176位、「水土賦存」は第184位、「自然災害」は第265位であった。


「星城」長沙


 長沙市は湖南省の省都であり、「星城」と称される。同市は東に江西省の宜春、萍郷、西に娄底、益陽、南に株洲、湘潭、北に岳陽と隣接し、長江中流域の重要な地域中心都市である。また、米どころ・魚どころである。北京を始めとする中国の都市は長い歴史の中で、さまざまな理由により都市の中心地が変動してきた。そうした中、長沙は、三千年にわたって都市の位置が変わらない「楚漢名城」である。

 長沙の総面積は11,819平方キロメートルにおよび、15のニューヨーク、11の香港、6つの深圳に相当する広さである。中国国内では第157位の規模であり、日本では秋田県と同等の大きさである。

 2022年末の常住人口は1,042万人で、ニューヨークを上回り、スウェーデンの全人口を超えるメガシティである。中国国内では第16位の人口規模である。

 同年のGDPは1.4兆元(約20.8兆円、1元=20円換算)に達し、中国第15位の経済規模がある。これはスリランカのGDPに匹敵する規模である(詳しくは「【ランキング】世界で最も経済リカバリーの早い国はどこか? 中国で最も経済成長の早い都市はどこか?を参照)。

歴史の深さ、継続する文脈、名人の輩出


 長沙は、その長い歴史と豊かな文化資源で知られる。特に、「岳麓書院」は、宋、元、明、清の四つの王朝を経て、現在の湖南大学につながり、世界で最も古い高等教育機関の一つとして人材を輩出し続けている。毛沢東を始め曽国藩、左宗棠ら中国の近代史を形作った偉人が岳麓書院から大勢出ている。まさに岳麓書院正門に掲げられた「惟楚有才,于斯為盛(楚に人材あり、ここに集まる)」という対聯の通りである。

 現在、長沙には23の大学と37の専門学校から成る60の高等教育機関がある。湖南大学、中南大学、国防科学技術大学、湖南師範大学の4校は、国家重点大学「211大学」に含まれ、うち3校は「985大学」に名を連ねる名門校である。

 現在、同市の高等教育能力の高さを示す「高等教育輻射力」は中国第7位である。

 歴史上、長沙生まれ或いは長沙で活躍した傑出人物は数多い。前漢の思想家・文学家である賈誼、唐代の書家・文学家の欧陽詢。近代では画家・齊白石、辛亥革命先駆者の黄興、蔡鍔、文学者の周立波、周楊ら多くの著名人を生んでいる。

 同市は現在なお「傑出文化人指数」で中国第13位、「傑出人材輩出指数」で中国第22位と、好成績を誇っている。

 人材に活躍の場を与える長沙は、外からも人々を吸引し成長している。人口の流出入を示す「流動人口(非戸籍常住人口)」では、湖南省内13都市のうち12都市は、外へ人口が流出し、その規模は約845万人である。これに対して長沙は、流動人口が約264万人の大幅プラスである。よって長沙は中国第14位の人口流入都市となっている。

 住宅価格を低く抑える政策も独特である。中国の省都の中でも長沙の住宅価格は最も低い水準にある。これも、長沙の人口吸入力になっている。長沙は現在、「幸福感都市認定指数」で、杭州、成都と並び、中国第1位の都市である。

バラエティのリーダー・湖南衛星テレビ


 「湖南衛星テレビ」は、もともと「湖南テレビ局」という名称であったが、1997年に衛星放送を開始して以来、「湖南衛星テレビ」として知られるようになった。マンゴーを模したロゴから「マンゴーチャンネル」という愛称で親しまれ、現在では湖南文化や長沙を象徴する存在となっている。

 このテレビ局は、常に新しい分野を切り開き、全国の他のテレビ局の一歩先を進んでいる。番組の視聴率は、省レベルの衛星テレビ局の中で常にトップを走っている。20年以上にわたって人気を博している「快楽大本営」や、オーディション番組の「スーパーガール」など、多数のヒットバラエティ番組やエンターテイメント作品が生まれた。これらの番組は、SNSで話題となり、特に「スーパーガール」や「快楽男声」は、20年前から中国の若い消費層にトップレベルのエンターテイメントを提供している。

 湖南衛星テレビは、人気バラエティ番組を多数製作するだけでなく、優れた司会者、俳優、歌手を輩出している。何炅、汪涵、謝娜、李宇春など人気タレントが名を連ねている。

 エンタメ都市として名高い長沙は、「文化・スポーツ・娯楽輻射力」で中国第12位であり、「映画館・劇場消費指数」は中国第11位である(詳しくは『【ランキング】世界で最も稼ぐ映画大国はどこか?』を参照)。

■ グルメとインフルエンサーの都市


 長沙は現在、「インフルエンサー都市」と呼ばれる。長沙は優れた自然環境と、長い歴史と文化を背負った美食の都市でもある。湖南衛星テレビの積極的な宣伝が功を奏し、湖南料理が、全国的に根を張り巡らせた。SNSの時代となり、大勢のインフルエンサーが長沙の食の魅力を広げている。

 長沙には、小龍蝦(ザリガニ)、臭豆腐、米粉(ビーフン)といった、独特で多様なグルメが存在する。中国一辛いと言われる「湖南料理」が、多くの観光客を魅了している。ミルクティー業界のスタバとも言われる「茶顔悦色」が2013年に設立され、長沙の新しいグルメの象徴的な存在となった。

 長沙は眠らないエンタメ都市としても有名であり、ナイトエコノミーが、多くの観光客を引き寄せている。

 交通の便も観光都市長沙へのアクセスを容易にしている。「鉄道利便性」が中国第7位、「空港利便性」が中国第15位と、交通の便が高いことも魅力のひとつとなっている(詳しくは【ランキング】中国で最も空港利便性が高い都市はどこか?を参照)。

 観光都市・長沙の「卸売・小売輻射力」は中国第13位、「ホテル・レストラン輻射力」は中国第18位である。

■ 強い機械産業を持つ


 長沙はソフトパワーだけでなく、製造業も優れている。長沙には、三一重工、中聯重科、鉄建重工、山河智能といった世界トップクラスの機械製造企業を擁している。長沙の「製造業輻射力」は中国第36位である(詳しくは「【ランキング】中国で最も輸出力の高い都市はどこか?を参照)。

 併せて、研究開発も活発であり、「科学技術輻射力」は、中国第15位である。国家を代表する研究者の排出数を示す「中国科学院・中国工程院院士指数」は第15位と、ここでも人材の豊富さを窺わせる(詳しくは『【ランキング】科学技術大国中国の研究開発拠点都市はどこか?』)。


【講義】神津多可思:金融財政政策が結果に結びつかなかった訳

2023年12月21日、東京経済大学でゲスト講義をする神津多可思氏

■ 編集ノート:

 神津多可思日本証券アナリスト協会専務理事は、日本銀行の調査統計局経済調査課長、考査局考査課長、金融機構局審議役(国際関係)、リコー経済社会研究所所長を歴任し、現在まで一貫して日本の金融、財政の第一線で活躍されてきた。

 東京経済大学の周牧之教授の教室では、リアルな学びの一環として第一線の経営者やジャーナリスト、官僚らをゲスト講師に招き、グローバル経済社会の最新動向を議論している。2023年12月21日、神津多可思氏を迎え、日本の金融財政政策を解説し、これからの日本経済を展望について講義をして頂いた。


■ 安定化を狙う金融財政政策


神津多可思: 経済は、好況のときもあれば不況のときもある。金融財政政策が本来やることは、景気が良くなり過ぎた時に凹ませ、悪くなり過ぎた時には推し上げ、景気の変動の振れをなだらかにすることだ。テンションが高くなったり低くなったりすると、経済活動の中で企業が疲れる。消費者も景気がいいと借金して高いものを買い、景気が悪くなるとバイト代も下がり、クレジットが返せなくなり疲弊する。このため、景気の振幅がなるべく無い方が良いと考えられている。

 金融政策と財政政策の双方を合わせてマクロ安定化政策と呼ぶ。経済は長い目で見ると拡大する流れの中で凸凹があり、それを平準化するのがマクロ安定化政策の基本的な発想だ。つまり景気が良いときは金利を上げ、財政を出さない。景気が悪いときは金利を下げ、財政を出す。

 日本のバブル崩壊の後始末は2005年に終わったと言われる。その後、マクロ安定化政策は、経済成長の傾きを高めようとした。バブル崩壊後、成長スピードを上げるため金融緩和し、財政赤字を出した。成長のトレンドを高くするよう努めたものの、思ったほどうまくいかなかった。

 日本銀行が四半期に1回、ディフュージョン・インデックス(DI)もある短期経済観測調査を発表している。大企業1万社にアンケートを出して得た統計データだ。その中の業況判断DIは「あなたの会社は今景気がいいか、悪いか、どちらとも言えないか」の三つの選択肢で聞く。いいと答えた人、悪いと答えた人の双方の割合を計算し、引き算をしたのがDIだ。

 このDIを一定の期間でみると、景気が良くなっているのか悪くなっているのかを数字で見ることができる。

 意外に景気の実態を捉えているのが、この業況判断DIと呼ばれる日銀の短観データだ。景気が悪い時は金融財政政策で経済を下支えし、景気が良い時には、下支えをとり景気が過熱しないよう、またインフレにならないよう金融財政政策が考えられてきた。バブルが崩壊し景気が悪くなった後も、興味深いことに景気には上下があった。バブル崩壊後2005年ぐらいまでバブルの後始末をしていたが、その間にも景気が良い時、悪い時があった。

全国企業短期経済観測調査結果推移(製造業・非製造業)

[出所]日本銀行(2024年3月)「全国企業短期経済観測調査」

■ 叶わなかった実力相応の好景気実現


神津:特に問題なのはバブルの後始末が終わった後の金融財政政策だ。金融財政政策は、バブルが壊した日本経済を何とか元通りにしようと懸命になった。金融財政政策はバブル崩壊後の成長トレンドの低下を元に戻そうとして、かなり経済を刺激したが、ついこの間まで持続的なインフレにもならなかった。

 日本経済を2%の成長に戻すのが多くの人の希望だったように思う。しかし今1%そこそこの成長しかない。2005年以降、企業がどの程度景気がいいと感じたかを先ほどの業況判断DIでみると、バブル前に企業が景気はそこそこいいと感じていた頃と変わらないくらいのDIの水準もあった。

 2010年代の非製造業の業況判断DIは、バブル前の水準に比べむしろ高いくらいだった。しかし、いま日本経済が絶好調との話は聞かない。バブル時代が羨ましいと社会に出た若い人たちは言う。バブルの時代を思い起こせば、皆元気だったことは事実だが、同時に多くの人は疲れ果てていた。あまり良い思い出が残っていない。日本経済の実力相応の好景気を実現できなかったという大きな反省が残っている。

 バブルの後始末が終わった後、経済はまずまずいいと企業が思っていた時に、政府日銀はなぜ更に良くするべきだと考えたのか?それは答えがない問いだ。政策に携わる人の多くが日本経済の実力はもっとあるとの気持ちを根底に持っていたのかもしれない。客観的な企業の景況感と、経済社会全体が持つ経済が不調だという感じは、うまくフィットしない。

 人口が伸びていた頃は、経済成長率も高かった。人口の増加率が下がると、低い成長率になる場合が多い。人口が増える時と、減る時では経済の様子が違う。確かに人口増加率が1%の時の経済成長率の幅は広い。このことからは、経済成長率は人口の増加率だけが決めているわけではないことが分かる。したがって、人口増加率がマイナスでも、経済が成長することは十分あり得るが、働く人数が増えている時よりも高い成長を経済全体として遂げることは難しい。日本国内だけを見れば、金利を下げ、財政の支出を増やせば、経済成長率も上がると単純に考えていた。それが、うまくいかなかった最大の理由ではないか。

実質経済成長率と人口増加率の関係

[出所]内閣府ホームページ「国民経済計算」、総務省ホームページ「人口推計」

■ 進む少子化と新技術への期待


神津:厚生労働省の白書から「日本の平均的な家計」の変化を示したものを抜粋した。バブル前の1985年は、「父母と子」が平均的な家庭の姿だった。私の両親の世代は3〜4人兄弟が多かった。3人兄弟が各々結婚すれば、合計6人の子が4人の親の老後を支えればよかった。

 今は大きく変わった。一人っ子が多くなり、結婚すれば2人で老親4人の世話をしなければならない。現役の若い世代にとっては大変だ。今は昔と違い、AI、スマホ、ロボットがある。単純に割り算して「自分らの将来は大変だ、暗い」と思う必要はない。しかしコストを念頭に置き、成長率を元に戻すにはどれくらいコストがかかるかを考えなければいけない。

 統計で見ると、今の若い人は結婚しなくなった。高齢者の単身世帯が増え、結婚せずに高齢者になる人も多くなった。年をとった両親たちは、ご飯3杯は食べない。春夏秋冬ごとに新しいファッションを買うこともしない。車は次第に運転できなくなる。タンス、冷蔵庫を買うこともめったにしない。消費しない世代が増えてきている。結婚し子供をつくり、家や家具、食品も買おうと考える世代はどんどん減少している。

 マクロ経済学の悪いところは、常に代表的な家庭、平均的な家庭を考えるところだ。40年間、同じ家庭のままだとの仮定をする。しかし日本の場合、平均的な家庭のイメージは30年で大きく変わった。消費が以前のように元気にならないとは考えなかった。

 とはいえ、日本の社会は結構いい線で変化したのかもしれない。悪いところばかり見えるようだが、良いところは良い。だからこそ悪いところを直せる。

 日本経済に何が見合っているかをみる上では、何歳の人間が何人いるかを見る人口ピラミッドをみると良い。

 GDPは、働く人が生み出す新しい付加価値を金額で表現したもので、働く人が減れば、日本全体として生み出される価値の額は減る。20歳から64歳の人は1990年から2020年までの間に672万人減った。65歳以上でも20歳以下でも働いている人はいる。しかし、主力の働き手の数が672万人減った中で、1980年から90年までの間と同様の経済成長を2020年の時点で成し遂げようとすれば、減った働く人たちの数を補わない限り、同様の成長はできない。

 1990年代は法律が変わり、労働時間の上限が下がった。あまり長時間、過重な労働をしてはいけないことになったので、働く人の数が減っただけでなく、1人の人が働く時間も減った。経済成長率が下がっても、働かなくて済むような社会であれば、悪い社会ではない。悪い社会ではないが、成長率がより高まるともあまり考えられない。

 推計では、2020年から2025年は、働ける人の数の減少スピードが少々緩やかになり、300万人ぐらいしか減らない。しかし、2040年まで推計を伸ばすと、1000万人ぐらい減る。2040年、いまの大学生が社会に出て最先端で働く時期に、働く人は大きく1000万人減る。

 だからといって萎縮してはいけない。インターネットは1990年代、スマートフォンiPhoneが出たのが2000年代。技術進歩がありインターネットとスマホを前提にした様々なビジネスが出た。働く人が1000万人減る時代に、こうした技術進歩が経済成長率にどう影響を及ぼすだろうか。

神津多可思(2022)『日本経済 成長志向の誤謬』日経BP 日本経済新聞出版

■ 中国を始めとする新興国の経済大躍進と課題


神津:もうひとつ日本経済が考えなければいけなかったのが、新興国経済の大躍進だ。1980年代までの日本は、米ソが対立する東西冷戦構造の中で、経済が高度成長した。

 1989年ベルリンの壁が崩壊し、ロシアも中国も一斉に世界経済の中に組み込まれた。日本経済にとってはアジア、アメリカ経済にとっては南米、ヨーロッパ経済にとっては旧社会主義国だった東欧が、一斉に同レベルで経済活動の中に入ってきた。

 賃金の水準は、例えば2000年は日本の方が高かった。しかし、中国で日本と同じものが作れる時代が到来し、日本企業は賃金の安い中国で作ったものを輸入した。

 日本企業は、中国だけでなく世界で一番儲かる場所に工場と支店を作り、グローバル化のプロセスに入った。モノは輸出したり輸入したりできるが、サービスはなかなか輸出入ができないので、まずモノから始まった。その後中国でより安く作れるものは日本では作らないことになった。日本だけでなく世界中が中国に投資した。

 13億人口の中国が経済の大躍進を遂げた。かつての日本経済の「奇跡の成長」と、中国のそれとは、スケールが全然違う。グローバル化の影響を見れば、隣国中国からの影響は、日本経済にとって大変大きい。昔と同じやり方では日本は成長できない。

周牧之:神津さんの話はその通りだ。2000年から2022年の間に中国の輸出は14.4倍になった。その一部は日本に輸出した。中国は経済成長と同時に都市化が進んだ。私は中国各都市の人口問題を分析している。今、中国では日本より早いスピードで少子化、高齢化が進んでいる。

 2009年、中国経済が日本経済と同じ規模に達した時、私はハーバード大学のエズラ・ボーゲル教授と対談し、日本と中国は経済が台頭したときの条件が同様に輸出拡大だったと話した。輸出拡大で中国は元気の良い時期が続いたが、都市化が進んだ現在、問題となっているのは、その人口構造だ。

神津:日本の高齢化の急速な進展は1990年代後半からだ。生産年齢人口すなわち15歳〜64歳の人口が減り始めたのは1990年代後半だ。日本はバブルの後始末に追われた時で、人口減問題の重要性にあまり着目しなかった。当時の日本と同じぐらいのスピードで2010年代後半から中国は高齢化が進んだ。日本が気づかず失敗した要素が、中国の今後を左右するだろう。

 中国都市化で一つ知っていた方がいい言葉に「ルイスの転換点」がある。日本にも「ルイスの転換点」はあったと言われる。日本の都市化は地方から都市に人を集めることによって起こり、高度成長を実現させた。1950年代後半から60年代、列車に乗って地方から集団就職で向かった先の東京、大阪、名古屋など大都市で、今と比べれば厳しい条件で人々は働いた。統計をみると、都市部への人口流入が止まる点が必ずある。都市化が進むと「ルイスの転換点」を通過したかどうかが重要になる。中国は、ルイスの転換点を通過したか否かが議論されているだろう。

 北京、上海など大都市は完成した大都市になった。それ以外の各省の都市を都市化し、農村部にいる人たちを集め、経済成長の原動力にしようという努力を、中国はこの十年くらい懸命に取り組んだ。だが、人口の少子化、高齢化による経済成長率へのマイナス影響は、日本も中国も同じだ。

 ただ、中国が大変なのは人口が日本の10倍ある点だ。国家運営は本当に大変だ。中国は日本の10倍大変なはずだ。

周牧之、エズラ・ヴォーゲル対談『ジャパン・アズ・ナンバースリー』『Newsweek 』2010年2月10日号

■ 新グローバル化の影響とIT産業参入の遅れ


神津:以上が日本の経済成長を制約した2つ目の要素であるグローバル化の話だ。ロシアと中国は、これまでのグローバルな企業活動から、現在、どちらかというと自国の中での完結した企業活動に向かおうとしている。日本の企業がこれまで味わってきたグローバル化の影響が、今後少々違う形で出てくるかもしれない。

 日本の経済成長を制約した3つ目の要素は新しい情報通信技術の発展だ。日本は、その新しいテクノロジーに乗り遅れた。この10年間、インターネットとスマートフォンを中心にさまざまビジネスが出て、第3次産業革命とも呼ばれている。インフォメーション、コミュニケーションのテクノロジーのイノベーションに関連して、10年おきに1990年、2000年、2010年、2020年の大きな企業のデータを拾った。2021年の段階で、世界の時価総額トップ10企業には、Apple、マイクロソフト、アマゾン、アルファベット(Google)、フェイスブックなどGAFAMと呼ばれるアメリカのテック企業が並ぶ。他に石油会社のサウジアラムコがあり、中国はデジタルビジネスのアリババとテンセント、アメリカ自動車メーカーのテスラ、台湾はチップメーカーのTSMCだ。

 1980年代後半、バブル崩壊前の世界時価総額トップ10企業には日本企業が6つ入っていた。NTT(日本電信電話)、日本興業銀行、第一勧業銀行、富士銀行(今のみずほ銀行) 、住友銀行、三菱銀行だ。しかし日本経済は30年かけて変わり、現在の世界時価総額トップ10企業に日本の企業は1つも入っていない。日本だけでなくヨーロッパの企業も入っていない。

 日本の企業は新しいテクノロジーに噛めなかった。昔からやっているモノ作りにしがみついたところがある。そこに成長率を高められなかった理由の三つ目がある。

世界株価時価総額トップ10企業 1989年 vs  2023年

 [出所]米ビジネスウィーク誌(1989.7.17号),「THE BUSINESS WEEK GLOBAL 1000」(2020年8月末)、各種データをもとに雲河都市研究院作成

■ 供給構造の変化に遅れ


神津:そもそも何が起きていたのか再度考えてみたい。日本はデフレだと言うが価格がなかなか上がらないのは、日本中の総需要と総供給を考えたときに需要が弱いからだ。需要が強ければインフレになる。

 人口動態の話で言うと、免許を持つ人数は減るにも関わらず2シーターのオープンカーの生産を増やすことはあり得ない。もっと言えば環境問題が深刻な時にガソリンを使った内燃エンジン車をどんどん作ること自体が大問題だ。

 人口動態の変化があり、また日本では既に作っても儲からないものがあり、日本以外で作らないと儲からないもの、輸出ができなくなるものなど、需要には入れ替わりがある。

 人々が皆スマートフォンを持つことで様々なサービスを受けている。それに支払う費用は海外に行き、日本の国内供給は新しい需要に対応したものに変わる必要があるのに十分変わらない。金利を下げ財政を出すなど景気の刺激を一生懸命やってきたが、高齢化、グローバル化、IT化に追いつけない。古い供給が残り、需要は新しい方に移り、物価は上がらない。供給の入れ替えは難しい。昨日まで道路工事をやっていた人に急にゲームソフトを作れと言ってもできない。企業が倒産するか人員がクビになるかだ。

 供給構造を変えることは大変だ。リスキリング(職業能力の再開発、再教育)が最近言われ出したのは、供給構造を変えなければならないことに気づいたからだ。変化する世界の中で、日本国内だけが従来同様なら、国内での儲かるビジネスは先細りになる。失業の増加に繋がる。その危機感がリスキリングにも表れている。

■ 利下げは供給構造の変換に繋がらず


神津:金融政策を考える際イールドカーブという言葉がある。例えば国債の金利について、1年物の国債から40年物の国債までの金利、つまり短い金利から長い金利まで繋ぐ裾のようなものをイールドカーブと言う。

 銀行同士が「今日はお金が余った」「今日は足りない」というのを調整するインターバンク・マーケットがある。異次元緩和が始まる前は、そこで形成する今日から明日への1日分の短い金利を、日本銀行は誘導していた。それが、10年物国債の金利がマイナスになるまで金融緩和を強化したのが、ここ30年間の金融緩和の歴史だった。特徴は、長い金利を下げたことだ。それが設備投資や住宅投資に影響が及ぶからであり需要を刺激する。

 国債の金利は日本で一番信用できる金利だ。例えば長期10年の金利の上に、信用できない人からは高い金利を取る。信用できる人からは低い金利を取るという色々な金利がある。まあ、マイナスの金利では貸さない。住宅ローン金利は下がってきたとはいえプラスだ。

 これまでの金融緩和では、あらゆる金利を下げようとしてきた。金利が下がれば、経済活動が刺激されるが、しかし金融政策で金利を下げただけでは供給構造変換がうまくいかなかったのが、過去の反省だ。

 そうした金融政策をやってきて、どういうことになったか。財務省が昨年9月に作った統計では、発行された国債の残高は1,065兆円で、半分は日本銀行が持っている。つまり日本銀行が圧倒的に国債の金利に影響を与えている。日本銀行は国債を沢山買った。国債の需要が強くなれば、低い金利でも売れるようになるから金利は下がる。短期の金利がゼロになってしまった後は、長期金利を気にしながら、金融政策をやらざるを得なかった。

 昔は、日本銀行が調節するのは長期金利でなく短期金利とされた。今では、金融市場で金融資産を売買する人の経済先行きの予想に応じて長期金利が決まればいいとは言えない。マイナス金利はほとんど意味のない政策であるにもかかわらず、日本銀行がマイナス金利の解除に躊躇したのは、国債の需給への影響を気にしたからだと思う。

1990年以降のイールドカーブの変化

[出所]神津多可思(2022)『日本経済 成長志向の誤謬

■ 社会保障費増大が国債の膨張に


神津:財政政策はどうだったか。コロナ前の2020年の数字で、政府の債務残高の対名目GDP比率は、日本はギリシャ並みで200%を超えていた。日本国民全員が無給で2年働かないと今の借金は返せないということだ。

 1年間の財政赤字を国の経済の大きさとの対比で見ると、アメリカはものすごく赤字が大きい。バイデン政権の大きな政府政策の現れだ。日本より遥かに赤字幅を大きくし、経済を刺激する財政政策をやったため、インフレになったとも言われている。コロナが明けた後、インフレになり金融を引き締めなければいけなかったのは、2020年に今言ったようなことをしていたからという側面がある。

 日本について、財務省の数字で、1990年度の当初予算と2023年度の当初予算を比較した。ここで特例国債とは、赤字国債のことで、税収で賄えないほど歳出を膨らませたときに発行する国債だ。1990年度は、特例国債が発行されなかった最後の年だった。

 今はその赤字国債を約30兆発行しないと予算が組めない状態だ。以前と比較して一番大きく膨れ上がった歳出は社会保障だ。年金、医療、介護の分野にお金を使っている。11兆だった社会保障費がいま36.9兆円だ。増加分は25.3兆円。特例国債を出さなければならない理由の一つは、この社会保障の増大にある。社会保障の三つの柱、年金、医療、介護はどれも保険だ。

 具合が悪くなる人とならない人がいる。長生きする人としない人もいる。亡くなる最後の数年間に、介護が必要な人と必要としない人がいる。その見通しはつかないため、みんな同額を出し、助けを必要とする人はみんなの積立金の一部をもらう。その出すお金と使うお金のバランスをとるのが保険だ。そうでなければ保険会社はみんな倒産してしまう。

 しかし社会保障の保険三つに関して言うとそうではない。積み立てる保険金以上に、医療費を出し、年金を出し、介護費用を出している。政府が借金をして調達したお金で国民は年金、医療、介護のサービスを受けている。社会保障は命と健康の値段なので、借金して良いサービスができるならそれでいいとも言える。GDPの200%、2倍の借金を抱え何か悪いことが起きているわけではないという話にもなる。良い薬や治療法が出れば高額でも保険でまかなえるなら保険料は上がり、政府の税投入も増える。本格的に速いスピードで高齢化が進むのはこれから数十年だ。社会保障政策の維持が可能かどうか問われる。ここでは意見が分かれ、問題なしと言う人もいる。だが古今東西の歴史を見れば、大きな財政赤字を抱えて長く栄えた国は無い。

財政赤字の国際比較

[出所]神津多可思(2022)『日本経済 成長志向の誤謬

■ 社会保障費節約か?税負担増か?


神津:国債というと近代的に聞こえるが、そもそも国家が借金を始めたのは、戦費の調達のためだ。占領された地域の人たちは収奪されて借金を返すために酷い目に遭わされた。アメリカやヨーロッパは、歴史上、出た借金は先に返しておかないと次の戦争ができないという感覚があるのだろう。今日、日本以外の先進国は、借金が多い状態を放置できないという感覚が強い。借金が増えれば増えるほど、うまくいかなくなったときが大変になる。いくら借金をしても構わないといった議論はしない方がいい。

 OECDは、先進国クラブと呼ばれる32カ国がメンバーの組織だ。それぞれの国で財政支出と租税収入はどれくらいかを、GDP対比で比較できる形にして比べてみる。社会保障費、社会保障費以外の政府サービスを、どれくらい出しているか。社会保障費以外の政府サービスは防衛費、文教費、公共事業などだ。

 日本は先進国の中では社会保障費の割合は中程度だ。しかし社会保障以外の歳出は抑えている。他方、租税収入は少ないというバランスだ。例えば、フランスは社会保障費の支出比率がトップだ。社会保障費以外の支出は第9位、税金の取り具合は第4位。つまりフランスは沢山税金を取り、それを使っている。そうした政府のあり方をフランス国民は選んでいる。

 一方でアイルランドは社会保障を出さない。社会保障以外の支出もしない。しかし税金も取らない。国民は勝手にやり、政府は何もやらないことをアイルランドの国民は選んでいる。日本はあまり税金を取らず社会保障は出している。先進国の常識からすれば日本は租税収入を増やし、社会保障以外の支出を増やし、社会保障費は抑制するといいバランスになる。

 文部科学省の科研費など政府による研究助成はギリギリに削られ、学会出張すらできない先生がいる。出すか出さないかの議論が割れる防衛費もある。老朽化した橋や道路などインフラも改修しなければならない。日本には台風は来るし地震も多い。日本は社会保障だけにお金を使える国ではなく、バランスが必要だ。社会保障は命の値段といってもいい。単にサービスを減らすのは解決にはならない。しかし高額な薬を保険でもらえ、病院に行くと使いもしない貼り薬をもらえ、病気でもないのに友達に会いに病院に行く人が多いといったことがあるなら改善の必要がある。そこで節約した分を学校の教育、子育てに使い、壊れた道路や橋の補修に使うのがいいバランスだ。それができないなら租税負担になる。消費税、所得税など税金の取り方は様々あるができるだけ経済成長に影響を与えない形で、税負担を増やすのが一つの鍵になる。

OECD諸国・社会保障以外の歳出比較

[出所]財務省(2023)「これからの日本のために財政を考える」

■ 過度の国債発行は円安、インフレをもたらす


神津:財政が悪化するか否かの判断で大事なことは何か。銀行の窓口で融資を申し出ると銀行は、まず返済可能かを考える。所得と融資額を対応させ何年で返せるかを見通してお金を貸す。国の場合は、ほぼ税金の収入はGDPに比例している。GDPそのものは国の収入ではないが、GDPと借金の残高を割り算したとき、借金の残高が租税の収入に対して増え続けていくような場合には、金融市場でいつか国債を売れなくなる。なぜなら返ってこないお金は貸さないし、金融商品は買わないからだ。

 内閣府が出した借金残高の対名目GDP比率は、日本政府がこれから得る収入と、今の借金残高の割り算をしたものを近似している。これが上昇し続けるなら見限られる。もうこれ以上貸せない、つまり銀行が国債を買わなくなる。

 2030年ぐらいまでを展望すると、多少上に向かっていてもその数字は発散しないので、すぐにはひどいことにはならないとも思われる。が、経済同友会のタスクフォースで、2050年まで伸ばした2021年実施の試算を見ると、2030年代は上にぐんと上がる。圧倒的に高齢者が増えるからだ。高齢者が増えれば年金は増える。人間は死ぬ前の1年間の医療費が一番高い。今後高齢化が進むと医療費は確実に増える。介護も高齢化に伴い増えるという試算になる。

 そうしたことが明確になると、民間銀行は日本政府が発行する国債を買わなくなる。金融市場で必要な国債の発行が十分できなくなると、日本銀行しか国債を買わなくなる。政府が発行する国債を全額日銀が買うような国債は、全く人気がないということだ。人気がないので国債の金利を高くしなければ、誰も買わない。政府は金利を上げ、高金利となる。

 国民は、政府が発行する国債を直接大量に持っている訳ではない。しかし、民間銀行が国債を買っているので、銀行に預金のある人は間接的に国債を持っていることになる。預金の一部が国債に向かっているのである。

 従って、国債に人気がなくなれば、皆そんな国債を買っている銀行にお金を預けようとは思わなくなる。アメリカの株を買い、ドル預金をしようとする。それが進むと、円安になる。ドル建ての投資信託を皆が買えば、円をドルに替える動きが強まり、円安になる。円安になればインフレになる。民間銀行が国債を買わなくなる時点で、インフレ、円安になり、円安がまたインフレを呼ぶ。70年前の日本と同様のことが起きうる。そんなリスクはコントロールした方がいい。借金残高の対名目GDP比率が上昇し続けるような政策はしない方がいいとの主張だ。

公債残高の対名目GDP比率長期予想

[出所]経済同友会(2021)「持続可能な財政構造に向けて」

■ 緩和超過で為替レートに皺寄せ


神津:2023年4月に新しい日銀総裁になった植田さんが直面する問題の一つは為替レートだ。円、ユーロ、スイスフラン、英国ポンドなどを様々な国の通貨を加重平均した為替レートのことを実効為替レートという。英語ではeffective exchange rate(EER)だ。

 また実質為替レートとは、例えば円をドルに変えニューヨークで使う際にどれだけ買えるかを見たものだ。パリ、ローマ、ロンドンなどでも同じように考えて、貿易のウェイトで加重平均したのが実質実効為替レートだ。それを見ると1980年に円が持っていた力を今は持っていない。1980年は私が大学を卒業した年で、卒業旅行でカリフォルニアに行った。当時買えた土産すら今は買えない。日本の金融政策で金利を低くしている結果、その影響が自由に動ける為替レートの方に皺寄せとして現れている。

 今為替レートは安くなりすぎた。金融市場の為替レートを使い、日本とアメリカの1人当たりの名目GDPを比較した。アメリカには3億人ぐらい人がいて経済規模も3倍ぐらいあるので、日本との比較には、1人あたりを比べる。アメリカに住む人1人が、1年間に生み出す新しい付加価値と、日本に住む人1人が1年間に生み出す新しい付加価値を比較した。

 人口には赤ちゃんから老人までいるので、そういう働けない人も含めての平均的な1人だが、今、日本は3万5000ドルぐらい。アメリカは7万ドル。1人当たりの名目GDPは、日本はアメリカの半分ということになる。いくら何でも半分はないだろうとの実感がある。1990年代は円高で苦しかった。名目実効為替レートでは1990年代はとんでもない円高だったわけではない。が、当時の円高は実は日本の1人当たりの名目GDPの方がアメリカより高いという評価になるぐらいの円高だった。企業にとっては大変だった。GAFAMも全部アメリカの企業で、新しいビジネスを生み出す経済であるにもかかわらず、日本の方が一人当たりの付加価値生産額が高いのは、何となく妙だ。

 今は為替レートが75円であればアメリカと同じになる。大手輸出企業に話を聞くと、110円ぐらいなら居心地がいいというのが本音のようだ。日本は金融を緩和し過ぎて2%を上回るインフレで為替レートに皺寄せがいっていることが、植田さんが抱える宿題の一つだろう。

植田日銀の金融政策

[出所]神津多可思(2022)『日本経済 成長志向の誤謬

■ 10年先を見据えた設備投資を


神津:経済成長率を高めるためにはどうしたらいいのか。潜在成長率という概念があり、経済の成長の実力をさまざまな格好で推定するものだ。日銀が推計したものをみると、三つの要素に分かれている。

 経済成長の生産関数の中に入ってくるのは資本と労働、それから技術の進歩である。TFPというのはトータル・ファクター・プロダクティビティと呼ばれ、技術の進歩を表す。資本投入は企業が設備投資をし、機械を入れ、オフィスを増やすなどのことだ。労働投入は、人が一定時間働いて付加価値を生むことだ。労働投入は1990年代に潜在成長率を下押しした。当時、働く人数が減っていないのに下押しをしたのは法律によって労働時間が短縮されたからだ。昔は、就職すると長時間働かされていた。いまは働く時間が短くなっている。そうなれば、1人の人間が生み出す付加価値の額も小さくなり、それによって成長率が下がってくる。

 また、トータル・ファクター・プロダクティビティについては、どうすればその成長に対する影響が大きくなるかは研究の対象だが、今これが結構いいところまで来ている。労働投入つまり働く人の数と働く人の時間は、高齢化に伴い労働市場から抜ける人がいる為、昔に比べて経済成長を押し上げられない。

 2%の経済成長まで来るためにはどうしたらいいか。昔と今で一番違うのは資本投入だ。資本投入とは企業が設備投資をして、新しいビジネスをすることだ。古いことに設備投資するのは駄目だ。GX、DXの時代で、今後10年商売を続けていける分野を探し、積極的に投資をすれば日本経済の成長実力は上がる。財政がそれを手助けし、金利が低い方がそれをやり易いとの発想で2005年以降も金融緩和をし財政赤字を重ねてきた。

 財政赤字は社会保障から生まれたと言ったが、社会保障で配るお金は老人たちが医療費や、介護で使う。使うこと自体は需要が出てくるので経済成長に寄与する。だが、次の成長の種にはなっていない。次の成長の種を蒔くには、企業が設備投資をしなければならず、儲かる話に投資をしなければいけない。儲かるということの意味は、長く続く商売になるということだ。

 これまで懸命に金融政策と財政政策は成長率を押し上げる工夫をしてきた。が、十分ではなく、これからは、企業がどれくらい頑張れるかが大事になり焦点になる。一生懸命、企業がかんばらなければ駄目だと東京証券取引所も言う。金融庁も、高いコストで集めたお金を、定期預金に置いたままではいけないと言う。企業もそれに応え、新しい時代に次の成長の種となる設備投資を始めたというのが、現時点だ。

日本の潜在成長率

[出所]日本銀行(2024)「経済・物価情勢の展望:潜在成長率」

■ スタートアップ企業が続出する社会へ


周:1989年の世界時価総額トップ10の企業に、日本の企業、特に銀行がたくさん入った時の特徴の一つは、イノベーティブなベンチャー企業がゼロだったことだ。第6位のIBMは科学技術力があっても100歳近い古い企業だ。

 2023年で見てみると、テック系のベンチャーが8社も入っている。創業が一番若いのは、2003年のテスラと2004年のフェイスブックだ。若く、技術のイノベーション、ビジネスモデルのイノベーションに一生懸命だ。旧勢力の企業と新勢力の企業とは性格が全く違う。神津さんの話を表現を変えて言うと、日銀がやってきたことは旧勢力に金を注ぎ込んだものの経済効果に繋がらなかった。その原因は、新勢力についてあまり意識してこなかった点にある。

 結果は2023年日本企業時価総額トップ30、平均年齢104歳。1960年以降創業したのは5社だけ。1980年代以降創業したのは1社で1986年のソフトバンクだ。日本の政策は旧勢力に気を配りすぎた。しかし、旧勢力は未来が見えず投資しない。米中の新勢力企業によって世界の産業地図が大きく変わった。

神津:日本銀行は直接企業に金を貸さないので、今の周先生の話を正確に言うと、日本の銀行がこういう人たちばかりに結果的に貸していたということだ。

周:スタートアップ企業にどうお金を流せるかが課題だ。

神津:学生が就職するとき、ぽっと出のベンチャーに、来てくれよ、一緒に頑張ろうと言われ内定もらっても、旧勢力の方に行ってしまうことはあるはずだ。日本の銀行、日本の政策、あるいは金融庁の金融指導に問題があったのはその通りだが、日本は試行錯誤を許さない面も強い。1回失敗したらなかなか浮上できないような社会のあり方、企業組織のやり方がある。ベンチャーには千三という言葉があり、一千回やって三つあたれば御の字という意味だ。アメリカのベンチャーに何故お金が行くのか?金を持っている人がいて、千投資をして三つOKでもいい、面白いから投資するといったことが行われているからだ。

 日本の経済は残念ながらそこまでは豊かになっておらず、そこまでなかなか金が回らない。今は、例えば商社、KDDI、日立、ホンダなどが、口を出さず千のうち三つ成功すればいい分野に、お金の一部を選り分けるようにはなった。日本社会全体として、試行錯誤を許さないような風土では、若い企業が育たない。

 もう1つ日本の弱点は、IPOをやったらそこで終わってしまう人が多いことだ。大きい会社にならない。何か新しいことを思いついて、ビジネスを起こし、東証に上場する。未公開株を持っているところに値段がついて金持ちになる。そこでゲームオーバーにし、企業をさらに大きくする人が少ない。

 オイシックスの高島社長は「売上高を1桁増やすためには、いろいろに階段がある」と言う。「100億、1000億、1兆円と売り上げを増やす段階で、それまでと同じ事をやっていたのでは企業は拡大しない」と。Appleも最初はガレージでパソコン作り始めたところから生まれた。階段を上るためには、経験のあるさまざまな新たな人材を入れる必要がある。日本は試行錯誤も、リスクを取ることも奨励してこなかった。同時に、ちょっと成功したらもうこれでいいやと思う人が多かったところにも問題がある。

 以上のことは日本でもずっと議論になってきた。古い企業でも失業しなければいいとみんなが思っているときに、いやダメだ、リスクを取って新しいビジネスに挑戦しようと言っていても、例えば両親や学校の先生に就職先を相談したときに何と言われるか、という点から変えていかないとアメリカのようなダイナミックなケースにならない。あるいは中国のようなダイナミックな経済にはならない。我々の世代はそんな社会を作ってしまった責任を感じる。若い力がそこは少しずつでもいいから直してほしい。

 もう一点、いい人材は、古いタイプの企業に入社しても3、4年経つと辞めるケースが増えている。彼らはベンチャーに行くことが増えた。失敗が許されない文化で百年運営している会社の中で、あれが駄目これが駄目、お前は間違えただろうといったことを3年言われれば、嫌になってしまう人が出てきても仕方がない。魅力的に映るのは、意味のないことで怒られたりしない会社だ。ベンチャーは、雇用は不安定かもしれない。だが働き手にとっては、仕事は面白い方が良い。

日本企業・時価総額トップ30社(2023年6月)

 [出所]strainerデータベースより雲河都市研究院作成

■ 国際金融マーケットの整備を


神津:日本の証券市場に何が起きているのかと言うと、日本国内の金融市場のルールを、ニューヨークやロンドンに近いものにしようとしている。規制を部分的にやめて、さまざま金融取引を自由化してきたのがもう一つ。それから、日本国内でアメリカやイギリスの銀行、証券も活動できるようにしていく。非居住者も居住者と同じような活動ができるようにしたことがこの三つ目のトレンド。ほとんどやり尽くし東京のマーケットの国際化は形としては成し得た。

 では、なぜアメリカの銀行、ヨーロッパの銀行が入ってこないのか。それは失敗したくない日本人の国民性にも関係している。日本のポートフォリオ、つまり日本の家計がもつ金融資産の合計は2000兆円を超している。その中の半分以上が現預金だ。アメリカではたった13%、英国では30%だ。日本の銀行がまだ力を持っているため外国の証券や銀行が入ろうとしてもビジネスチャンスが日本においてはない。日本は金融資産立国を目指しているが、私の考えでは英国タイプになるだろう。アメリカ国民の多くが個別株を持っているが、日本人には投資信託、年金などに積み立てる方が合っているのだろうか。貯蓄から投資へ日本人の行動が変わっていけば、外国の証券会社もチャンスがあるので入ってくる。

 インベストメント・チェーンと政府が呼んでいることで、金融機関はアドバイスをし、アドバイスをされる側も勉強し、一体自分は何のために金融資産を形成し、何歳でいくらぐらいの金融資産がどういう目的で欲しいのかを自分でも考えてみる。個別株を持つのは大変だとすると、投資信託や年金基金にお金を預ける。良い資産運用、アセットマネジメントの会社に、資産の運用を頼むようにする。一方で、投資される企業は、株主の利益を意識し、無駄なお金を定期預金で積み上げず、株配当として還元し、賃金として還元する行為が一体となって、資産運用立国が出来上がるという考え方だ。若い人も考えることが大事だ。自分で10年後20年後30年後にこういう目的でお金がいるから資産を作りたい、定期預金やNISAなど比較をしながら、自分のポートフォリオを考えることだ。

 東京都は、国際金融都市構想を立ち上げている。東京で活動する企業が沢山あれば都は税収が得られる。東京都が今おそらく一番力を入れているのは東京を英語で暮らして不便がないような都市にすることだ。子供の教育や、病気になったときの医療サービス、あるいは市役所、区役所での手続きを欧米並みに簡潔化し英語が可能な環境にし、海外の人たちを呼び込んで金融都市を作る国際金融都市構想だ。

周:東京都のこの構想はたいへん良い。だがこれは東京だけではやれない。香港のマーケットの時価総額が1997年から大きく伸びた。中国の内陸の企業をたくさん上場させたからだ。香港には世界中からお金が集まる。東京は、世界中からお金を呼び寄せるためにアジアから元気のいい企業を呼び込み、アジアの企業を次々上場させることだ。東京の立地条件は素晴らしく、これにより高い成長が有り得ると私は思う。アジアの企業が成長してアメリカでなく、東京を目指すときに、日本の繁栄がもう一度来る。

 私は中国にある日中の合弁会社の世話してくれと言われ、行ってみたら、最初は全然話にならなかった。日本の本社とのコミュニケーションはうまく取れておらず、取締役会もペーパーすら出てこなかった。どうたて直したか?私はこの企業に、北京の新三版という中小企業にとって上場し易いマーケットに上場するようアドバイスした。その結果、証券会社が来て企業を指導し、同社の経営スタイルは大きく変わった。これも金融市場の一つ重要な役割だと思う。

 日本のスタートアップ企業が1回上場してゲームオーバーするのは、マーケットに問題があるからだ。上場するのにエネルギーを使い果たしてしまう。また、上場を維持するのも大変だ。東証がマーケットのあり方を改革するだけで、大きな可能性が出てくるだろう。 

神津:特区を作り、日本のルールとは違うマーケットを作れば、今の問題は一気に解決する。それを実現するためには、英語が通じる都市になる必要がある。片言でもいい。発音もアクセントが正しければ通じる。英語をコミュニケーションの普通の言葉として使えるようにしていくことだ。

講義をする神津氏と周牧之教授

プロフィール

神津 多可思(こうづ たかし)/日本証券アナリスト協会専務理事

 1980年東京大学経済学部卒、同年日本銀行入行。金融調節課長、国会渉外課長、経済調査課長、政策委員会室審議役、金融機構局審議役等を経て、2010年リコー経済社会研究所主席研究員。リコー経済社会研究所所長を経て、21年より現職。主な著書に『「デフレ論」の誤謬 なぜマイルドなデフレから脱却できなかったのか』『日本経済 成長志向の誤謬』(いずれも日本経済新聞出版)がある。埼玉大学博士(経済学)。

【寧波】港湾機能をベースとした製造業スーパーシティ【中国都市総合発展指標】第14位

中国都市総合発展指標2022
第14位



 寧波は中国都市総合発展指標2022総合ランキング第14位であり、前年度の順位を維持した。

 「経済」大項目は第12位で、前年度の順位を維持した。3つの中項目で「経済品質」は第11位、「発展活力」および「都市影響」は第13位で、3中項目のうちトップ10入りした項目はなかった。小項目では、「開放度」「経済構造」は第10位と、9つの小項目のうち2項目がトップ10に入った。なお、「経済規模」「広域中枢機能」は第11位、「経済効率」は第13位、「ビジネス環境」「イノベーション・起業」は第16位、「広域輻射力」は第18位、「都市圏」は第19位と、9つの小項目のうちすべての項目がトップ20に入った。

 「社会」大項目は第18位で前年度の順位を維持した。3つの中項目で「生活品質」は第16位、「ステータス・ガバナンス」は第21位、「伝承・交流」は第23位、3中項目のうちトップ10入りした項目はなかった。小項目で見ると、9つの小項目のうち、トップ10入りした項目はなかったものの、「居住環境」は第13位、「文化娯楽」は第15位、「社会マネジメント」「消費水準」は第18位と、4項目がトップ20に入った。なお、「生活サービス」は第24位、「都市地位」「人口資質」「人的交流」は第32位、「歴史遺産」は第33位であった。

 「環境」大項目は第25位で、前年度より順位を4つ上げた。3つの中項目のうち「空間構造」は第23位、「環境品質」は第60位、「自然生態」は第70位であった。9つの小項目のうち、トップ10入りした項目はなかったものの、「都市インフラ」は第17位と、1項目がトップ20に入った。なお、「環境努力」は第22位、「コンパクトシティ」は第26位、「交通ネットワーク」は第30位、「気候条件」は第68位、「資源効率」は第72位、「自然災害」は第81位、「汚染負荷」は第101位、「水土賦存」は第205位であった。

■ 古くからの一大貿易拠点都市


 寧波は、浙江省の東部に位置する計画単列市であり、中国東部沿岸の重要な港湾都市である。2021年までに、寧波は6つの区、2つの県級市、2つの県を管轄し、総面積は9,816平方キロメートル(青森県と同程度)である。寧波は雨量が多く、亜熱帯モンスーン気候に属し、温暖湿潤で、四季がはっきりしている。

 地理的に、東は舟山群島が点在し、西は紹興市、南は台州市と隣接している。海岸線が長く、その総延長は1,594キロメートルにも達し、大小614の島を有している。

 寧波は7000年前の稲作文化として名高い「河姆渡新石器遺跡」を有し、また秦の時代、徐福の大船団が寧波から出発した伝説がある。唐の時代、寧波はすでに揚州や広州と並ぶ中国三大貿易港の一つとなっていた。

 1127年に南宋が杭州に都を置いた後は、寧波の地理的な重要性が更に高まり、杭州の対外貿易のほとんどを担うようになった。この時代に寧波は、広州、泉州と並ぶ対外貿易の三大港の一つに数えられていた。

 しかし、明朝初頭に、倭寇や海賊対策のため、寧波は重要な海防基地となった。政府から遠洋舶の製造が禁止され、沿海部の貿易が厳しく制限されて寧波の経済発展が後退した。

 1545年に、ポルトガルが寧波で貿易活動を展開しはじめ、最初は密貿易であったが、1567年以後、公的な貿易も行うようになった。その後、オランダやイギリスからも商人が相次ぎやってきて、寧波は再び一大貿易拠点都市となった。

■ 群を抜く港湾能力


 現在、寧波は港湾機能中枢都市の地位をより高め、2022年に寧波―舟山港のコンテナ取扱量は世界第3位を誇っている(詳しくは、「【ランキング】世界で最も港湾コンテナ取扱量が多い都市はどこか?」を参照)。

 寧波―舟山港は中国の一大鉄鉱石中継基地、原油・石炭輸送基地、穀物輸送基地である。寧波は240以上の国際航路で、100以上の国・地域とつながっている。

■ 民営経済の活力をベースに


 改革開放以降、寧波経済は活力に満ちている。その原動力は民営経済である。寧波は、中国商人発祥の地とも呼ばれ、上海人の1/4は寧波出身者と言われている。また、寧波は華僑の故郷としても有名で、30万人以上の寧波人が世界50以上の国と地域に居住している。海外の寧波人は、寧波市と世界を結ぶ重要な架け橋となっている。

 2022年末までに、寧波には香港、上海、深圳の三大メインボードに上場する企業が89社立地し、中国で第9位の規模を誇っている。現在、寧波GDPの80%以上が民営経済によって生み出されている。

 2022年、寧波の地域内総生産(GDP)は1兆5,704億元(約31.4兆円、1元=20円換算)で、中国第12位であった。成長率は、前年比3.5%であった。一人当たりGDPは16万3,280元(約327万円)で、中国第14位だった(詳しくは「【ランキング】世界で最も経済リカバリーの早い国はどこか? 中国で最も経済成長の早い都市はどこか?」を参照)。

■ 人口吸収でメガシティが目前に


 経済成長が人口を吸引し、2022年末の常住人口は約962万人で中国では第21位の人口規模であった。人口の流出入を示す「流動人口(非戸籍常住人口)」では、浙江省内11都市のうち9都市は、外部から人口が流入している。寧波は、流入人口が杭州とほぼ同等で約336万人であり、全国から多くの人口を吸い上げている。よって寧波は中国第12位の人口流入都市となっている。寧波は人口1000万人を超えるメガシティになるのも時間の問題だ。

■ 製造業スーパーシティとしての発展


 寧波は、港湾と民間活力をベースに現在、一大製造業スーパーシティに成長した。「中国都市製造業輻射力2022」では寧波は中国で第5位。2022年、同市の工業付加価値は6,682億元(約13.4兆円)を達成し、前年比で3.3%の増加となった。輸出総額も前年比8%増の8,231億元(約16.5兆円)で、中国第5位(詳しくは「【ランキング】中国で最も輸出力の高い都市はどこか?」を参照)。

 製造業の成長に伴い、科学技術への投資も大きく拡大している。「中国都市科学技術輻射力2022」で寧波は中国第9位であり、トップ10にランクインした。「R&D人員」は中国第9位、「特許取得数指数」は中国第16位、「国際特許取得総数」は中国第12位と、科学技術力を測る多くの指標が高い成績を収めている。その結果、市内にユニコーン企業が2社立地し、その企業価値は1,060億ドル(約21.2兆円)に達している。


【西安】一帯一路で甦る古都長安のパワー【中国都市総合発展指標】第13位

中国都市総合発展指標2022
第13位



 西安は中国都市総合発展指標2022総合ランキング第13位であり、前年度の第12位から、順位が1つ下がった。

 西北地域の中心都市として「社会」大項目は第9位で、前年度に比べ順位が1つ下がった。3つの中項目で「ステータス・ガバナンス」「伝承・交流」は第8位でトップ10入りし、「生活品質」は第14位だった。小項目で見ると、「歴史遺産」は第2位、「社会マネジメント」は第5位、「人口資質」「人的交流」は共に第9位、「都市地位」は第10位と、9つの小項目のうち5項目がトップ10に入った。なお、「居住環境」は第11位、「生活サービス」「文化娯楽」は第12位、「消費水準」は第15位であった。西安市内に最高等級病院「三甲病院」は26カ所で、その規模は中国第8位である。医療従事者は12.3万人で、そのうち医師は4.3万人と中国第12位の規模を持つ。

 「経済」大項目は第14位であり、前年度の順位を維持した。3つの中項目で「発展活力」は第12位、「都市影響」は第17位、「経済品質」は第20位で、3項目のうちトップ10入りした項目はなかった。小項目では、「広域輻射力」は第9位と、9つの小項目のうち1項目がトップ10に入った。なお、「イノベーション・起業」は第12位、「経済規模」「経済効率」は第16位、「広域中枢機能」は第19位、「ビジネス環境」「経済構造」は第21位、「都市圏」は第24位、「開放度」は第83位であった。

 「環境」大項目は第57位で、3つの中項目のうち「空間構造」は第14位、「環境品質」は第160位、「自然生態」は第195位であった。9つの小項目のうち、「環境努力」は第6位と、1項目だけがトップ10に入った。「交通ネットワーク」は第13位、「コンパクトシティ」は第16位、「都市インフラ」は第20位と、3項目がトップ20に入った。

 なお「資源効率」は第91位、「自然災害」は第103位、「気候条件」は第173位、「水土賦存」は第189位、「汚染負荷」は第276位であった。2021年のPM2.5年間平均濃度は51.3マイクログラム/標準立方メートルで、前年より8.6ポイント悪化し、全国順位は第292位と芳しくない。二酸化炭素の排出量も多く、その規模はワースト30位と落ち込んでいる。西安市政府はその現状を打破するため、環境改善に向けた努力に多くのリソースを注いでおり、「環境努力指数」は第5位と善戦している。

■ 西北地域の最大都市


 西安は陝西省の省都で、中国西北地域の政治・経済・文化の中心地である。古くは長安や鎬京と呼ばれ、関中平原メガロポリスの中心都市となっている。2021年末現在、西安市は11区と2郡を管轄し、東西は204キロメートル、南北は116キロメートルにわたり、面積は10,752平方キロメートル(岐阜県と同程度)で中国第170位である。

 西安は紀元前11世紀からから約2,000年の間、秦、漢、隋、唐など13の王朝の都として栄えてきた。1981年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)が選定した世界十大古都の一つに数えられている。西安は中華文明の重要な発祥地であり、シルクロードの起点でもある。

■ 豊かな自然資源の恵み


 西安は中国の北西部、関中平野の中央に位置し、北は渭河、南は秦嶺山脈に囲まれ、地理的な境界が明確な都市である。8つの河川が潤すことから、古くから「八水繞長安」と評されている。

 市内の海抜変化は大きく、中国で最も高度差が激しい地域である。秦岭山脈の海抜は2,000〜2,800メートルで、中でも最南西部にある太白山の最高峰は海抜3,867メートルあるのに対して、渭河平原の海抜は400〜700メートルとなっている。

 秦岭山脈には、高山の灌木草地、針葉樹林、針広葉混交林、落葉広葉樹林などの自然植生タイプが垂直に分布している。秦岭山脈は野生植物資源の宝庫であり、138科681属2224種の野生植物が存在し、中国の種子植物の重要な遺伝資源庫の一つである。また、野生動物資源も多く生息し、哺乳類55種、鳥類177種が含まれ、その中にはジャイアントパンダ、金絲猴、扭角羚秦岭亜種、スマトラカモシカ、オオサンショウウオ、黒鶴、白冠長尾雉、血雉、金雞などの希少動物も含まれている。自然生態系と珍種動植物資源を保護するため、3つの国家級自然保護区が設けられている。西安の「国家公園・保護区・景観区指数」は中国第21位である。

 西安は暖温帯の半湿潤大陸性季風気候に属し、寒暖、乾湿の差があり、四季がはっきりしている。年平均気温は13℃、年降水量は600-650ミリメートルで、その大部分が夏季に集中している。「気候快適度」は中国第173位、「降雨量」は中国第195位である。

■ 内陸部の一大消費地


 2021年における西安の地域内総生産(GDP)は1兆688億元(約21.4兆円、1元=20円換算)で、中国第24位であった。成長率は、前年比4.1%増、過去2年の平均成長率は4.6%であった。その中で、第一次産業GDPは308億元(約6,160億円)で6.1%増、第二次産業GDPは3,585億元(約7.2兆円)で0.9%増、第三次産業GDPは6,794億元(約13.6兆円)で5.7%増であった。一人当たりGDPは8万3,689元(約167万円)で、中国第91位だった(詳しくは【ランキング】世界で最も経済リカバリーの早い国はどこか? 中国で最も経済成長の早い都市はどこか?を参照)。

 住民消費価格(CPI)は前年比1.7%上昇し、商品小売価格は1.4%上昇した。新築住宅の販売価格は7.5%上昇し、中古住宅の販売価格は6.3%上昇した。

 企業の小売売上動向を示す社会消費品零售総額は4,963億元(約9.9兆円)で、前年比0.8%増であった。その中で、内訳がわかる限度額以上企業の小売売上高は2,420億元(約4.8兆円)で、前年3.8%減少した。

 西安の消費力は西北部地域で群を抜いて高く、「国際トップブランド指数」では深圳、広州などを抑えて中国第5位にランクインしている。

■ 内陸部三大貿易地の一つ


 2022年における西安の輸出入総額は前年比3%減の4,380億元(約8.8兆円)で、中国第21位であった。うち輸出総額は前年比16.7%増の2,748億元(約5.5兆円)で、中国第22位。輸入総額は前年比19.6%減の1,632億元(約3.3兆円)で、中国第21位であった。これは成都、鄭州に続く内陸都市としての好成績である(詳しくは【ランキング】中国で最も輸出力の高い都市はどこか?を参照)。

■ 一大人口吸収都市


 2022年末の常住人口は約1,300万人で中国第9位であった。人口の流出入を示す「流動人口(非戸籍常住人口)」では、陝西省内10都市のうち9都市は、外へ人口が流出している。これに対して西安は、流動人口が約317万人の大幅プラスであり、周辺から多くの人口を吸い上げている。よって西安は中国第13位の人口流入都市となっている。

■ 西北地域における航空、鉄道の中枢


 西安は中国西北部の重要な交通ハブを担っている。その機能は一帯一路政策によってさらに強化されている。

 中国都市総合発展指標の「空港利便性」項目で西安は中国第9位、航空旅客数も第9位である(詳しくは【ランキング】中国で最も空港利便性が高い都市はどこか?を参照)。

 「鉄道利便性」は中国第18位、「高速鉄道便数」も第18位で、「準高速鉄道便数」は第4位であった。


■ 中国トップクラスの観光都市


 西安は中国屈指の観光地である。市内には現在、秦始皇陵、兵馬俑、大雁塔、小雁塔、唐長安城の大明宮遺跡、漢長安城の未央宮遺跡、興教寺塔などの世界遺産があり、その他にも西安城壁、鐘楼・鼓楼、華清池、終南山、大唐芙蓉園、陝西歴史博物館、碑林などの著名な観光地を有している。その結果、中国都市総合発展指標の「世界遺産」において、西安は中国第5位、「無形文化財」は第6位、「重要文化財」は第10位と高順位を誇る。

 こうした文化遺産に魅了された観光客が毎年大勢国内外から同市を訪れている。中国都市総合発展指標の「国内観光客」で、西安は第5位、「国内観光収入」は第9位となっている。

■ 文化・娯楽都市としての輝き


 内外の観光客を惹きつけているのは、文化遺産だけではない。西安は文化・娯楽も盛んな都市である。中国都市総合発展指標の「文化・スポーツ・娯楽輻射力」で中国第9位となっている。

 文化面では、市内には博物館(民間のものを除く)が136館あり、「博物館・美術館指数」は中国第8位、「動物園・植物園・水族館」は中国第15位である。公立図書館は14カ所あり、その蔵書量は中国第30位を誇る。コンベンション産業の発展度合いを示す「展覧業発展指数」は中国第14位であった。

 娯楽面では、「映画館・劇場消費指数」が中国第13位である。スポーツ面では、「スタジアム指数」は第100位に甘んじているものの、西安からはオリンピック金メダリストが4名排出され、「オリンピック金メダリスト指数」は中国第20位となった。

■ 名門大学が数多く立地


 新中国成立以来、西北の中心地である西安に、多くの大学が置かれた。西安交通大学、北西理工大学、西安電子科技大学など7つのトップクラスの大学が立地している。

 中国都市総合発展指標の「高等教育輻射力」で西安は中国第6位を誇り、高等教育機関(大学・専門学校)は63校で、学生は78.4万人で中国第7位。

 大学が数多くあることで、西安は人材輩出の豊富さを示す「傑出人物排出指数」で中国第9位に輝いている。また、国家を代表する研究者の排出数を示す「中国科学院・中国工程院院士指数」は第4位と、中国トップクラスの順位である。他方、住民の教育水準を示す「人口教育構造指数」も第7位である。