【ディスカッション】小島明・田中琢二・周牧之(Ⅰ):誰がグローバリゼーションをスローダウンさせた?

2024年4月18日、東京経済大学でゲスト講義をする小島明氏、田中琢二氏および周牧之教授

■ 編集ノート:

 米中貿易戦争、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ侵攻などで世界情勢は揺れ動いている。東京経済大学の周牧之ゼミは2024年4月18日、小島明日本経済研究センター元会長、田中琢二IMF元日本代表理事をゲストに迎え、激動の世界情勢について解説していただいた。


スローバライゼーションが何を意味するか?


周牧之:田中さんはいまグローバリゼーションからスローバライゼーションになっているとおっしゃった。実はグローバリゼーションで2000年以降、急激に世界の貿易量が増えた。私の記憶がもし間違ってなければ、今日の世界貿易の7割のボリュームは2000年以降作られた。今日、世界経済のGDPの6割は、2000年以降の4半世紀で積み上げられた。つまり2000年以降、急速に進んだグローバリゼーションが人類史上最も富を作った時期であった。

田中琢二:そう。

周:各国を潤わせたグローバリゼーションを、止めようとしたのはアメリカのトランプ政権だった。この点で、トランプ政権が終わった後のバイデン政権は更に酷くなった。これをどう説明するか。

小島明:グローバリゼーションは、冷戦が終わった1991年から30年ぐらいは引き続いた。冷戦前は世界が東と西に二つに分かれ、例えば西からの旧ソ連に対する投資は無かった。1990年代末にコカ・コーラが初めて中国に投資しロシアに行った事が話題になった。

 東西の垣根を越えて、資本、人材が移動し始め、世界経済は活性化した。しかし近年、エコノミック・ステートクラフトという言葉があるが、経済を外交の手段、あるいは軍事的手段にする動きが出てきた。

 この結果Deglobalization、或いはSlowbalizationと言われる反動的な動きが生まれている。

 冷戦が終わった直後の1991年〜93年には、民主主義は最終的に理想的な形を完成したとされ、それ以上は歴史の発展はないとする「歴史の終焉」の議論をする人が出てきた。民主主義があまねく世界を照らすということだ。

周:フランシス・ヨシヒロ・フクヤマの『歴史の終わり』は、このような考えの代表作だ。

図 世界輸出総額推移

(出典)国連貿易開発会議(UNCTAD)データセットより雲河都市研究院作成。

小島:しかし冷戦から30年近く経ち、民主主義がおかしくなった。民主主義に分類される国が減ってきた。或いは民主主義とは名ばかりの権威主義が出てきた。またアメリカの中で民主主義がおかしなことになった。 

 直面する重要な問題はグローバルな情報化だ。情報化はAIの活用が重要だが、落とし穴、つまりフェイクがある。ある調査結果では、インターネット情報をほとんど信用するという学生が圧倒的多数だった。近年のフェイク民主主義のきっかけはいろいろあるが、権力闘争が情報戦になったことが一因だ。フェイク情報戦の状況がどんどん広がって、ロシアもウクライナも相手のイメージを壊すためフェイク情報をどんどん作る。民主主義国ではトランプを始め選挙戦でフェイク戦が始まったのではないか?

 グローバリゼーションが、安全保障上あるいはヘゲモニー争いの中で、ブレーキがかかっている。最近、非経済的な貿易制限が増えている。従来なら、輸入に対する制限が貿易制限の一番の中心だった。戦略的、外交的に大事なものは輸出しない、重要な技術は輸出しないという制限だ。

 外交的手段として直接投資を規制し、技術や資源を輸出しない。全くこれまでなかった貿易の流れが、グローバリゼーションの逆風になっている。

 しかし基本的にはグローバリゼーションは進む。1991年以前に戻ることはない。これから重要になるのは無形資産だ。情報、各種サービス、パテントなど技術を有しているものだ。従来は単純なモノの生産と貿易が中心だった。今は付加価値においては無形資産がどんどん増えている。

 頭の中で生み出す無形資産が、これからは極めて重要になってくる。物を作る職人さんも重要だが、デジタル革命、情報革命、知識革命の中で、無形資産、知恵が極めて重要だ。

田中:周先生の問いは、「スローバライゼーションがなぜ起きたのか」だ。起きたという現象面で捉えるべきなのか、あるいは何か人為的に起こしているのであれば、それは何故かといえば、中米関係がすごく大きいと思う。中国のロジックはまた別として、アメリカ人のメンタリティをどう考えるかというと、世界貿易機関(WTO)に中国が加盟したのが2001年。1995年にWTOが出来て、2001年に中国が加盟する際に、アメリカは応援した。中国が自由貿易の世界に参加し、一緒に成長する青写真があった。

 ただ中国からアメリカへの輸出が凄まじく多くなり、アメリカの企業も安い労働賃金を目指し中国へ工場移転した。アメリカ国内の工場が減り、中国で生産した安い生産物がアメリカに入り消費者が享受した。その限りではよかったが、今まで工場で働いていたアメリカ人にとっては自分の職を奪われ中国に生産拠点が移動してしまった感覚があった。ラストベルトと言われるアメリカの中西部の白人が多く昔は豊かな中産階級を形成していたアメリカ人層が、非常に貧困になった。そこが、トランプ大統領が支持を集める背景になっている。

 トランプがアメリカファーストと言う意味は、アメリカ人が働いてアメリカ人が所得を増やしていくべきで、外国の人に作ってもらってもいいが自分たちの職が奪われるのはけしからんという発想だ。そうした発想が徐々に直接投資、貿易に関する一つの政治課題として上がってきた。

 そうすると、貿易を制限しようとなる。それが進むと、一番大事な半導体の技術が、対価無く報酬のないまま技術移転がなされているのではないか等、様々な議論が出た。そして中米関係が見直されてくる。今まで蜜月で自由貿易のパートナーとして一緒にやっていく考え方だったのが、180度変わった。

周:今のアメリカの中国批判は、私が日本に最初に出張で来た1986年当時から1990年代までの、アメリカの対日本批判によく似ている。

田中:そうだ。

田中琢二(2024)『経済危機の100年: 「危機なき世界」は実現するのか』東洋経済新報社

■ ユーラシア大陸とアメリカとの関係の中の米中関係


田中:日本にとっては極めて難しい状態になった。というのは、日中は大事な経済関係であり、日米も関係が深い。アメリカが中国に敵対的な意思を示せば示すほど、日本はどう動けばいいのか非常にわかりづらくなった。

 実はドイツもそうだ。ドイツもメルケル前首相が中国との関係が第一番だと言っている。中国にはフォルクスワーゲン、アウディがいっぱい走っている。北京の外国車といえば大体この二つだ。そのぐらい中国とドイツの関係が深くなったが、どうもトランプあたりが中国との関係を見直すことをしている。全体的に先進国と中国との関係に変容が起きてしまいつつある。

 モノと財に関しては、フラットな関係が2010年から10年間続いた。そこはもうちょっと詳しく議論する必要がある。もしかしたらリーマン・ショックの影響を受けて、世界全体の経済のパイが小さくなったからか? 2010年以降のフラットの前半と後半は少々理由が違うかもしれない。グローバリゼーションが止まっているとは言えないとの議論も検討していく必要がある。

周:ユーラシア全体で捉えると、今アメリカと緊張関係にあるのは、ユーラシア大陸の両側の日本と西欧北欧以外のほとんどだ。田中さんが先ほどの講義で紹介したシカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授の考え方は、私には評価できない。冷戦後、アメリカはロシアをずっと攻め続けてきた。NATOが東への拡大を続けてきた結果、ロシアとウクライナの戦争に繋がった。中東については、戦後アメリカがイスラエルを無条件で擁護したことで、アメリカと中東との関係は複雑化した。アメリカは中東地域に何度も直接出兵し、アフガニスタンやイラクなどに対して国潰しまで行った。

 米中関係はユーラシア大陸とアメリカとの関係の中でとらえるべきだ。ユーラシア大陸全体とアメリカとの関係は決して良くはない。ヨーロッパとアメリカの関係に至っても一枚岩ではなく揺れ動いている。中東そしてロシアとアメリカとの緊張関係はそう簡単に緩和されない。アメリカは中国に対抗するため、ロシアと中東との関係を緩和し東アジアに軸足を置くべきだとのミアシャイマー教授の主張は現実的とは思わない。むしろ中国とアメリカの関係は今まだ管理されている方だ。朝鮮戦争とベトナム戦争以降、米中の武力衝突はない。

田中:シカゴ大のミアシャイマー先生の話は、「ロシアと事を起こす必要はない」として今までの外交政策を批判した。アメリカの全体の議論ではない。

周:ミアシャイマー氏が主張した中国との対立は、結果的にアメリカの中東とロシアとの緊張関係に加え、更に中国との緊張関係を作り出すことになる。これはとてもスマートな考えとは言えない。アメリカと自分の庭先の南米との関係すら必ずしも幸せではない。しかし最も深刻なのはユーラシア大陸との関係だ。その意味ではアメリカにとっては、中国との緊張関係を煽るのではなく緩和する努力が必要だ。

田中:地政学という学問の中に、マッキンダーのハートランド論がある。ユーラシア大陸を制覇するところが世界を制覇するという理論だ。その古典と言われる理論の中で、ロシア、中国、イラン、サウジアラビアといった中核のところが、今ライクマインドという「仲間意識」を意味する言葉がよく使われ、ライクマインドの国になりつつある。これはBRICSを中心に、あるいは上海協力機構を中心にして何となく固まっている。

 だからこそアメリカは、そこのポイントであるところのロシア、中東、中国と対立せざるを得ない。中国とは管理された競争だが、そうせざるを得ない。周先生のユーラシアという言葉からマッキンダーを思い出してそう感じた。


講義をする小島明氏

アメリカ社会の亀裂は、外交姿勢にも大きなブレ


周:アメリカの国内においても今は考え方がかなり分裂していることに注目する必要がある。選挙でのトランプ陣営とバイデン陣営との闘いぶりを見ると、アメリカの社会的な亀裂は、今までになく深刻だ。この揺れるアメリカの国内状況は、アメリカの外交姿勢にも大きなブレを生じさせている。このようなリスクを最小限に抑えるため、ヨーロッパでは、トランプが政権に戻ったときの対処への議論も出てきている。日本でも麻生太郎元首相がこの4月、トランプに会いに出かけている。

田中:アメリカの分裂についてバイデン、トランプ両者の類似点と相違点を並べると、いろいろ論点があると思うが、政府の役割について、共和党は政府を小さくと言っている。バイデンは政府の役割を大きく認めている。

 アフガニスタン撤退や中国との関係は、バイデンもトランプも提唱しているが、国内政治の分断ではバイデンとトランプは民主主義に対する視点が違う。

 外交政策は同盟国中心か、あるいは同盟国でも競争相手とみなして厳しく対応するかだ。日本は同盟国だが、アメリカは日本との間の貿易赤字は許さない。

 貿易に関してトランプは保護貿易主義的で、バイデンも完全な自由貿易主義者ではない。考え方に若干の違いはあるが完全な自由主義ではなくなってきている。

 時代認識は、バイデン大統領はこの時代を民主主義と独裁主義の争いとみなし、アメリカは世界中の民主的な友好国を助ける必要があると主張している。一方でトランプは、意外とプーチンに対する共感があり、また習近平とも、もしかしたら個人的に交流しているかもしれない。朝鮮のリーダーについてもなかなか彼は見どころがあると言っている。ある意味では独裁者とされる彼らと仲が良く、彼らの政治姿勢に親近感を持っているようだ。

バイデン大統領とトランプ元大統領(出典:NBC NEWS

田中:気候変動問題に関してバイデン政権は推進している。しかしながら、トランプはCOPからの脱退、離脱も考えるだろうと言っている。

 移民政策においては多国間協力の必要性をバイデンは言っている。最近は不法移民対策を若干強化しているけれども、トランプは、不法移民は絶対認めない姿勢でアメリカ人ファーストの姿勢を出している。

 人工妊娠中絶に関しては、バイデンは容認し、トランプは容認しない。日本人の感覚ではわからないことで、アメリカの人工妊娠中絶に関する国内世論は非常に分裂対立関係にある。

 例えばLGBTに対する見方も論点になる。国民の関心ある論点に二つの両極の考え方が出て、なかなか妥協点を見出す話でもない。分断が顕著になっている。それに対して日本はどう付き合っていくのかが非常に難しい。

 去年までは安倍総理がトランプ大統領と非常に個人的にいい関係を結んでいたが、今の政治のリーダーシップでトランプと対等にやっていける人が本当にいるのかどうかの問題が一つある。ただ一方で、周先生とは異なる意見になるが、中国の台湾政策との関連で日米の軍事的な近さが何をさておいても大事だというトランプが大統領になるとすれば、政治外交上日本とアメリカは近いとは思う。

 ただし、経済政策に関しては、やはり先ほどのアメリカファーストという考え方をより打ち出してくると思う。同盟国に対しても、アメリカとの一定の貿易の赤字幅の縮小化への要求はすごく大きくなると思う。

 気候変動問題に関して日本はしっかりとコミットしているけれども、アメリカがCOOPから離脱していることに対して、国際社会がどう対応するのか準備できていないと思う。日本で一番大変になってくるのは、貿易問題だ。対応をこれからしっかりしなければいけない。

 一つ象徴的なのは、今日本製鉄がアメリカのUSスティールを買収しようとしているが、バイデンも反対を明確化し、トランプも絶対反対と言っているので、同盟国日本といえども、是々非々ということでアメリカが対応してくると思う。

田中琢二(2007)『イギリス政治システムの大原則』第一法規

アメリカに叩かれ従う日本と抵抗する中国


小島:アメリカとユーラシア特に中国とロシアとの関係を見ると、第二次世界大戦後、特に冷戦が始まった頃は、中国という存在はまだ成長発展の初期段階で、安全保障上レーザースクリーンから見ると小さかった。だからむしろ中国を応援しソ連に対抗させようとして、ヘンリーキッシンジャーが中国に行った。今では中国が急激に大きくなり、アメリカ経済に挑戦する脅威となった。

 1980年代日本はアメリカに叩かれた。日本はエネミーのNo.1で、自動車や鉄鋼が制限され、自由に貿易できない状況にあった。1985年にプラザ合議があり円が切り上げられた。

 その頃アメリカの対日世論は確実に悪化した。当時のアメリカの世論調査で、ソ連からの軍事的脅威と日本からの経済的脅威のどちらが重要かとの問いに対して、日本からの脅威が重要だとなった。

 当時はそういう戦いだった。しかし日本はその後縮んでしまい、アメリカにとって日本は脅威ではなくなった。そもそも日本はアメリカのヘゲモニーに挑戦する存在では初めからなかった。

 ところが中国の外交姿勢と経済発展のあり方を見たアメリカは、中国がアメリカの覇権に対抗するとの認識を持つようになった。

 1980年代の日米の経済問題と、今の中米の経済問題はかなり違う。部分的に調整されても、ヘゲモニーで考えると、中国とアメリカは、言葉では協調というがライバル意識や対抗心は長期にわたって続くと私は思っている。

周:中国では日本の失われた30年の原因の一つが、アメリカに叩かれて従ってしまうところにあるとの議論が多い。

小島:日本は、中国としっかり関係を続けるのはもちろん、経済など互いに重要な部分を軸に中国ともアメリカともそれぞれ仲良くするしかない。人によっては米中の仲介を日本がすればいいと言うが、そんな大それた力は日本にはない。仲良くし協力することしか日本には道がない。

 もう一つは、日本は政府が中国に対して何かを言い出すと、民間がみんなそれに倣う。アメリカは、政府レベルで中国と対立しても民間レベルでは中国と交流を展開している。アメリカの企業はどんどん中国に行き様々ビジネスをしている。

 日本の場合は、政府が中国との関係を調整しようと言うと企業がみんな中国に行かなくなる。そこが問題だ。中国が始めたアジア投資銀行への対応に日本はNOと言った。気をつけて見ていると、アメリカのゴールドマンサックスが中国政府機関のアドバイザーになっている。やはり経済は、お互いに手を繋ぐことは繋ぐ。政治や安全保障上はどうあっても、仲良くやるべきことはやり、互いの利益になることはどんどんやるべきだ。一時的な政府の外交政策に全部右に倣えといった日本の空気があるが、そうではなく、経済はもっとダイナミックに相互依存を続けて動いていいと思う。

 国として政策レベルでやるべきことと、それぞれの企業、産業がやるべきことはちょっとアプローチが違ってしかるべきだ。

周:おっしゃる通りだ。日本で新聞を読むと、こうした議論の際に、中国の視点がどうしても欠けている。アメリカの視点はあるが中国の視点はない。中国人がどう思っているかの視点がなさすぎる。私の世代は改革開放世代だ。改革開放時に大学に入学し、改革開放の恩恵を受けたこの世代が、いま政府の中枢にいる。アメリカのヘゲモニーへ挑戦しようという気持ちは同世代には毛頭ない。ただし、日本と違い、アメリカの押し付けには負けないとの思いがある。朝鮮戦争時もベトナム戦争時もその気持ちが強かった。押し付けられたら不愉快だ。けれども、アメリカのヘゲモニーへの挑戦はない。

 中国はソ連、アメリカ両方と対峙していた時期に自力更生で自国の産業基盤を作り上げた自負がある。二大スーパーパワーと同時に対峙した時の気概がある。

 ソ連の国作りは非常に短期間で行われた。レーニンはあまり苦労せずにドイツの支援を受け一瞬にして政権を取り、国を作った。結果、ソ連の崩壊も一瞬だった。一瞬にできた体制は大抵一瞬で終わる。これに対して中国の1949年にできた政権はアヘン戦争以来、100年以上の苦難の果てに作られた。そう簡単に屈服する訳がない。

小島明(2023)『教養としてのドラッカー 「知の巨人」の思索の軌跡』東洋経済新報社

■ 貿易大国中国の挫折感が対米姿勢に繋がる


周:1840年のアヘン戦争は、イギリスが植民地のインドで作ったアヘンを、中国に密輸入したことに起因する。イギリス政府はアヘンを自国内で禁止していた。にもかかわらず、中国政府がイギリス商人に密輸入されたアヘンを没収し燃やしたことを問題にし、イギリスは艦隊を派遣しアヘン戦争をしかけた。これが中国の近代史の始まりとなった。

 なぜこの戦争が起こったか。茶と磁器とシルクの中国からの輸出でイギリスは貿易不均衡が長年続いた。イギリスは中国に売るものがなかった。でも、生活革命で茶を始めとする中国物産を日常生活に取り込んだイギリス人は中国からの物資輸入が止められなかった。これについて私は20年前に海外の資料を集め論文を書いたことがある。

 長年にわたる対中貿易赤字に喘いだイギリスは、インドで麻薬を栽培して麻薬の吸い方まで開発し中国に売りつけた。その規模が徐々に大きくなって中国政府が取り締まりに乗り出し、アヘン戦争となった。

 トランプ政権は貿易問題をイシューにした時、中国だけではなく日本もヨーロッパも標的にした。しかし最後に深刻になったのは中国とだけだ。トランプの貿易戦争の結果、米中双方から両国間貿易に高額な税金が掛けられている。それでも中国とアメリカの貿易は減っていない。アメリカの対中貿易赤字も減っていない。要するに、アメリカが中国から物を買うのをやめられない。高い関税は、アメリカの物価高につながっている。

 その意味では、今の米中貿易問題は、アヘン戦争前のイギリスと中国の貿易問題に似た構図だ。中国からの輸入を止められないアメリカが、中国に対して「お前はけしからん」ということは理不尽である。これは中国にしてみたらあの屈辱的なアヘン戦争を彷彿とさせる。 

田中:そうだ。納得させることはできない。

周:アメリカは、アヘン戦争時のイギリスのように中国からの輸入を止められない一方で、大きな貿易赤字も我慢できない。

※以下、後半に続く

講義をする田中琢二氏

プロフィール

小島明(こじま あきら)/日本経済研究センター元会長

 日本経済新聞社の経済部記者、ニューヨーク特派員・支局長、経済部編集委員兼論説委員、編集局次長兼国際第一部長、論説副主幹、取締役・論説主幹、常務取締役、専務取締役を経て、2004年に日本経済研究センター会長。

 慶應義塾大学(大学院商学研究科)教授、政策研究大学院大学理事・客員教授などを歴任。日本記者クラブ賞、ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。新聞協会賞を共同受賞。

 現在、(一財)国際経済連携推進センター会長、(公財)本田財団理事・国際委員長、日本経済新聞社客員、(公財)イオンワンパーセントクラブ理事、(一財)地球産業文化研究所評議員

 主な著書に『横顔の米国経済 建国の父たちの誤算』日本経済新聞社、『調整の時代 日米経済の新しい構造と変化』集英社、『グローバリゼーション 世界経済の統合と協調』中公新書、『日本の選択〈適者〉のモデルへ』NTT出版、『「日本経済」はどこへ行くのか 1 (危機の二〇年)』平凡社、『「日本経済」はどこへ行くのか 2 (再生へのシナリオ)』平凡社、『教養としてのドラッカー 「知の巨人」の思索の軌跡』東洋経済新報社。

田中琢二(たなか たくじ)/IMF元日本代表理事

 1961年愛媛県出身。東京大学教養学部卒業後、1985年旧大蔵省入省。ケンブリッジ大学留学、財務大臣秘書官、産業革新機構専務執行役員、財務省主税局参事官、大臣官房審議官、副財務官、関東財務局長などを経て、2019年から2022年までIMF日本代表理事。

 現在、同志社大学経済学部客員教授、公益財団法人日本サッカー協会理事。

 主な著書に『イギリス政治システムの大原則』第一法規、『経済危機の100年』東洋経済新報社。

【対談】小島明 Vs 周牧之(Ⅱ):ムーアの法則駆動時代をどう捉えるか?

2023年12月7日、東京経済大学でゲスト講義をする小島明氏

■ 編集ノート:

 小島明氏は、日本経済新聞社の経済部記者、ニューヨーク特派員・支局長、経済部編集委員兼論説委員、編集局次長兼国際第一部長、論説副主幹、取締役・論説主幹、常務取締役、専務取締役、日本経済研究センター会長、政策研究大学院大学理事を歴任、日本記者クラブ賞、ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。新聞協会賞を共同受賞。

 東京経済大学の周牧之教授の教室では、リアルな学びの一環として第一線の経営者やジャーナリスト、官僚らをゲスト講師に招き、グローバル経済社会の最新動向を議論している。2023年12月7日、小島明氏を迎え、講義をして頂いた。

※前半はこちらから


ムーアの法則駆動時代に遅れをとった日本


小島:スイスの研究機関IMDが、毎年国別デジタル競争力ランキングを出している。日本のデジタル競争力は、最新データで30位に入ってない。昨年は28番、今年は32番まで落ちた。

周:その理由は?

小島:今のシステムを変えず、部分的に運用を変えているだけだからだ。時代のニーズ、マーケットに合わせシステムそのものを変えないとうまくいかない。

 例えばマイナンバーカードが普及しない理由は便利でないからだ。「マイナンバーカードがあれば、コンビニで住民票や印鑑証明を出せる」というが、ほとんどの国は住民票、印鑑証明などの書類はすでに必要ない。自分のIDナンバーを入れれば自動的に行政手続きを済ませられる。デジタルで行政手続きができるか否かの比較をOECDで実施したら、30数カ国の行政手続きのうち6割は全部ネットだけで出来た。日本はメキシコより下位だ。紙をプリントアウトし束ねて印鑑を持って役所へ行かなくてはならない。

 韓国も日本よりデジタル化が進んでいる。韓国は1998年に財政が破綻しデフォルトになりかけてIMFが介入した。予算は減り赤字が膨らみ役人の数を減らしたが、行政ニーズはあるため残業しても追いつかない。そこでデジタル化を進めた。書類への署名や発行がなくなり全部ネットでできる。

周:1980年代の初め、アルビン・トフラーの『第三の波』が出た当時大学生だった私は、読んで興奮した。凄かったのは、トフラーの未来社会予測がほとんど当たったことだ。素晴らしい想像力だった。

 私は工学出身でベースはITだ。その世界にはムーアの法則がある。後にインテル社の創業者のひとりとなるゴードン・ムーアは1965年、半導体集積回路の集積率は18カ月間(または24カ月)で2倍になると予測した。これがトフラーの未来社会予測の想像力の源泉だった。

 ムーアの法則を信じ、多くの技術者出身の企業家がリスクテイクして半導体に投資し続けた結果、半導体はほぼムーアの法則通りに今日まで進化した。結果、世の中は急激に変化した。

 私は、この間の人類社会は「ムーアの法則駆動時代」だと定義している。しかし、日本では、高級官僚も大企業の役員も法学部出身者が多く、世の中が日々著しく変わることが理解できない。規制と人事で世の中を動かそうとしている。

小島:依然として日本は、成功体験だった20世紀型産業経済、ものづくり経済を続けようとしている。当時日本はアメリカの自動車産業を脅かす程ものづくりをした。イギリスの産業革命から始まったものづくり競争の最終段階で、日本は一応成果を収めた。ところが、ピークに至ってムーアの法則が生きる情報社会になり、新しいパラダイムが始まったにもかかわらず日本は20世紀型産業のままいこうとした。今のアメリカのスタートアップ企業は企業価値の7割は無形資産だ。日本は7〜8割は有形資産で、もの中心だ。

 日本はバブル崩壊で七転八倒した金融危機の1995年あたりが、グローバルに見てインターネット元年だった。アメリカと日本の経済競争も、アメリカは自動車等ものづくりの世界では日本にかなりやられたが、デジタル、情報サービスという新しい世界でスタートアップできた。これに対してドラッカーは「日本は終わった戦争を依然として戦っている」と言った。

アルビン・トフラー(1982)『第三の波』中公文庫

■ ムーアの法則駆動産業になった自動車産業が大変貌


周:問題は、ものづくりもムーアの法則に染められてしまうことだ。電子産業はまさしく最初にムーアの法則駆動産業になった。電子産業は1980年代以降、世界で最も成長が速く、サプライチェーンをグローバルに展開する産業となった。電子産業のこうした性格が、アジアの新工業化をもたらした。これを仮説に私は博士論文を書いた。

 今や、電気自動車(EV)もムーアの法則駆動産業になった。猛烈なスピードで進化している。ガソリン車の王者であるトヨタは最高益を更新しているが、実際は大変なピンチだ。 

小島:完全にトヨタが読み違った。バッテリーが弱いからEVは売れないと思っていたがイノベーションが進んだ。今なって投資し、企業を買収している。実際にEVを大量生産できるのは2026年と言うのでだいぶ先の話だ。

周:EVのこれからの主戦場はバッテリーよりAI駆動の自動運転だ。テック企業のバックグラウンドがあるテスラや、小米、華為など自動車新勢力はこの分野に賭けて莫大な投資をしている。旧来の自動車メーカーにとってそこまで理解できているか否かが将来を左右する。

小島: iPadの値段を例えば500ドルとする。500ドルで売ったものをどの国がどう手に入れているか。重要な部品をドイツと韓国と日本が作る。部品がなければ製品はできない。だが部品を全部合わせて161ドルだ。中国は大量に作っているから、掛け算すると収入は多いように見える。だが、取り分は1台あたり6ドルだ。収入の大半はデザインしたアメリカへ行ってしまう。製造業に絡むスマイルカーブは今、急速に進み、デザインをしたところが儲かっている。

周:いまは大分状況が変わっている。華為がiPhone15の対抗馬として2023年9月8日に発売したMate 60 Proは主要な半導体からOSまで全てが国産になっている。

 電気自動車では、さらに中国がリードしている部分が多い。中国自動車産業の新勢力はEVの一番大切な部品であるバッテリーの競争力を非常に重視している。現在、世界で車載バッテリーの主導権を最も握っているのは中国企業だ。昨年テスラを超え、EVの世界最大手になったBYDは元々バッテリーメーカーだった。前述したようにEVの究極の生命線は、自動運転だ。そこも中国企業がテスラとしのぎを削っている。さらに、華為も小米もBYDも、ブランドとデザインを重視している。そして周辺の部品産業に投資し、コントロールできるようなサプライチェーンを再編している。

ムーアの法則駆動時代

■ 自分をマネージメントする時代に


小島:ドラッカーは組織のマネジメントを議論したけれども、これからの問題は、自分自身のマネジメントだ。企業など組織の寿命より人間の寿命が長くなった。これは人類史上初めてだ。企業の経営は企業がやればいいが、1人1人が自分をマネジメントすることが必要だ。自分でチャレンジし学ぶべきものを絶えず考え、自ら鍛え続ける癖をつけるのが学生時代だ。若い人には将来のチャレンジ、自分自身のマネジメント、人生マネジメントをしっかり行い、大学の体験をベースにし、本当の意味の生涯学習、リスキリングを続けてほしい。

 人間の寿命は伸び、社会システムの改革も必要だ。そうでないと医療費も医療制度もパンクし若者に負担が来る。 

周:その通りだ。今までの60歳定年は工業時代の労働年齢だ。

小島:筋肉が衰えて使えなくなるというので定年になった。いまは筋肉ではなく頭脳だ。ドラッカーも95歳まで原稿を書いて現役だった。

周:生産年齢を100歳までとして、人生設計しなければならない(笑)。

小島:日本は中途半端な制度だ。定年延長ではなく雇用延長という言葉を使っている。定年延長では賃金も減らせないので企業は反対するからだ。今の世界の流れは、定年廃止だ。ノウハウや能力を持つ人なら80歳でも雇用される。定年廃止とは、年齢を雇用の条件にせず、能力で評価することだ。日本の企業は圧倒的多数が60歳定年だ。私が学生時代のときは55歳定年だった。55歳定年は90年前に生まれた。三井の大番頭が、従業員に55歳まで働いていいと言った当時、日本の平均寿命は40代だったからつまりは終身雇用だった。日本の寿命はその後、倍になったが、定年は55歳から60歳にしか伸びていない。“終身”でなく“半身”雇用になってしまった。このギャップが人々のやる気をなくす。

 企業に雇用延長がなく80歳でも何歳でも働けて、年齢だけで区別しない制度になれば、いろいろな人がチャレンジできる。賃金体系も若い頃の安賃金から段々良くなるのでなく、仕事ができる人は最初から高水準であるなど労働価値が雇用主に判断されるようになればいい。

 新しいノウハウを持つ人には最初から社長クラスの給与を出していい。年齢だけで給与を決めているから、有能な人が割り込む余地がない。負担だけが大きくなる。インセンティブも失くしてしまう。

周:日本的な組織の中で、個性や個人の能力への評価と、貢献への対価の支払いが非常に遅れている。

小島:自分でトレーニングし努力してチャンスを掴むことが大切だ。私の息子は52歳だが5回転職した。自分に合ったスキルを持ち、金融関係でファンドをし、転職するたびに年棒が上がる。その代わり凄く勉強している。そのように働く時代が普通になる。終生勉強しなければ完全に時代に取り残される。終身雇用時代ではなくなった。昔は銀行が一番安定し賃金が良いと言われた。今は銀行も数が減り従業員が必要なくなった。モルガン銀行はトレーダーが100人いたが数人になった。AIでできるから窓口は要らなくなっている。

 若い人には未来を見据え自己研鑽し、チャレンジしてほしい。人生100年、時代の先端でやれるような自己研鑽の決意をぜひとも固めてほしい。そういう人がスタートアップもする。

ピーター・ドラッカー

■ 年金基金社会主義はいつまで続く?


周:ドラッカーはアメリカを年金基金社会主義国としている。その意味では日本もこれに当たる。ただ、GDPの三倍弱の借金を背負っている日本が年金基金社会主義国家としてソフトランディングできるのか。

小島:日本の手並みを世界が見ている。黒田元日本銀行総裁の金融政策は基本的に80%失敗だ。中小企業を救うため無担保無利子融資が政治の力で行われた。返済日が来れば、中小企業はパニックになる。政治が入りまた転がして貸してやれという話になる。本来は生き残るべきものが生き残り、ダメなものは撤退しなければならない。従業員は能力があれば、雇用機会があり移動できる。経営者は自己保身のためにしがみつく。

 日本の最近の財政は野党も与党もバラマキ競争で借金が増えている。カーメン・M・ラインハート(Carmen M. Reinhart)とケネス・S・ロゴフ(Kenneth S. Rogoff)がまとめた『国家は破綻する』は、過去800年の金融危機を分析し、「債務が膨張し悲劇を生んだ歴史から学ばず、危機を繰り返している」と警告している。

周:日本の選挙を見ていると、与野党共に、ばらまきを更に拡大するような政策を煽っている。これではいずれ借金で破綻する。そうなると、今まで積み上げてきた年金基金社会主義も破綻する。

小島:日本のGDPに対する政府債務は270%ぐらいになった。日本は第二次世界大戦時に軍部が金を使い、それを日本銀行に信用をつけさせて借金を増やした。今はそのときのピークをはるかに超えている。この借金をどう調整するか?日本の対応を注視している専門家は多いはずだ。間違うとえらいことになる。第二次大戦後後、大インフレが起こり、お金の価値がなくなった。新円発行で古いお札はもう使えず、新札は基準価値が全然違った。高額紙幣を500万円持ったとしても、10枚だけしかお金が使えなかった。敗戦でGHQ占領が入ってくる異常な状況だからできた。預金も封鎖、預金も下ろしてはいけなかった。そういうことは今の民主主義時代はできないから、マーケットにその圧力が全部来る。マーケットがどう吸収し、どう調整するかが大変難しい問題だ。

カーメン・M・ラインハート、ケネス・S・ロゴフ(2013)『国家は破綻する―金融危機の800年』日経BP

■ アジア金融危機はグローバルなキャピタルシステム危機


小島:次の5年間日本はどうなるか。学ぶべきものは、中国にとっても、どこの国にとっても大変多い。特に最近の変化は大きい。1800年代の中国、インドのスーパー経済大国時代は別として、その後のアジアは植民地化され停滞があった。歴史的には、アジア的低成長の議論が欧米では主流だった。しかし、1970〜80年代、アジアの新工業化はNICS、NEIS、そしてASEAN全体に広がった。1993年には世界銀行のリポートで、アジアの奇跡論が謳われた。その後1997年にタイを起点としてアジア通貨危機があった。突然の危機を予測も説明もできなかったとき、コネや縁故主義のアジア経済社会だから危機が生じたと言われた。純粋なマーケットではなく、アジアの縁故主義を病理として通貨危機が起きたという議論だった。

 しかしアジアはこの危機の後、短期間で急発展した。その急激な回復は、こうした病理説では説明できない。1999年にはロシアのデフォルトになる。それがきっかけにアメリカの中堅ヘッジファンドが破綻し、危機がウオール街まで波及した。アジアだけでなくグローバルな破綻につながった。現実に起こっている変化が、そのときに主流だった議論をどんどん追い越した。あるいは理論が追いつかなかった。となると、現実に何が起こっているかをしっかり観察することが大事である。

周:ドラッカーが言う「すでに起こった未来を」を確認することが大切だ。さらにそれをきちんと理論的に整理することが求められる。

小島:たまたまアジア危機の翌年、1998年1月、ダボスの会議でジョージソロスと一緒に食事をした。「アジア危機はどうか」と問うと、「これはアジア危機ではない。これはグローバルなキャピタルマーケットの、あるいはキャピタルシステムの危機である」と言った。従来は物の生産、流通、消費で、ものを中心に経済が動いてきた。もの作りの企画をし、デザインをし、工場を作り、それで部品を集め、組み立て、完成品を販売するには時間がかかる。

 しかしお金の世界は違う。金融の世界は瞬時に何億ドルという金が動く。ものの経済とお金の経済は、ベースになる価格形成のメカニズムが違う。お金の価格は、金利であったり、為替レートであったり株価だったりする。お金の世界は、マーケットがあると、おびただしい資金がそこで動く。デザインして加工し生産するのでなく、瞬時に需給が出てくる。ある情報がマーケットに出てくると価格が形成される。それは新しいレベルの為替レートであり、新しいレベルの金利である。それが出た瞬間また新しい情報が流れる。

周:新工業化で成功をある程度おさめたアジアの諸国は、こうした金融世界の恐さに対抗できる知識、体力、そして制度整備が必要である。

ジョージ・ソロス

■ 歴史の中で見たアジア新工業化


小島: ヨーロッパの経済学者アンガス・マディソンがOECDと共に『ワールド・エコノミー』という本を書き、過去1000年以上遡り、各国地域のGDPや人口を分析した。

 同書によると、中国の人口は今13億、西暦1820年は中国人口が3億人、インド人口は1億何千万人だった。1820年時の世界経済の中で中国のウエートは実は29%あった。インドは10数%、中印合わせて世界GDPの40数%を占めていた。当時日本は3%ぐらい。今の先進国ではフランスが7〜8%で高かった。アメリカはまだインディアンと戦っていた頃で日本より少なかった。

 その後、イギリス発の産業革命でヨーロッパに工業力が付き、植民政策が始まり、アジアが植民地化され、生活の中での経済のウエートが下がった。植民地から独立し、自国の経済社会を自ら動かし管理するようになった。

周:1840年のアヘン戦争は象徴的な出来事だった。イギリスが中国から茶を輸入し、生活に取り入れた。しかしイギリスは中国に売るモノが無く、長期に亘り貿易赤字になった。貿易赤字解消のため、植民地のインドから麻薬のアヘンを中国へ密輸入した。中国政府がこれを取り締まると、艦隊を中国に送って攻撃したのがアヘン戦争だ。

 経済力はあったものの、近代的な戦力を持っていなかった中国はその後急激に衰退した。新中国成立時は世界経済に占める中国のウエートは5%に落ちていた。

小島: 1991年、ソ連が崩壊し、日本はバブルが崩壊した。インドも経済危機に陥り、外貨準備を急激に失い、財政破綻状態になった。インドは、独立後ヨーロッパ的な制度を排除し、ソ連モデルを導入した。ところがソ連システムが合わなかった。ソ連崩壊を目の当たりにし、インド大蔵大臣のマンモハン・シンというオックスフォード大卒の優等生が、改革開放を始めた。

 翌1992年、中国では鄧小平氏が南巡講話をし、改革開放に思い切りアクセルを踏んだ。中国のリーダーはWTO加盟に必要な条件を満たすため、国内の諸制度を変える決断をした。それを見た世界が、変わろうとする中国とインドにどんどん投資をし始めた。中国に対する投資が圧倒的に多かった。1990年代、世界から中国への直接投資年間合計額が、第二次大戦後のマーシャルプランでアメリカが援助した予算と同額か、それ以上だったとデータにある。優良な資本、技術が入り、10年で中国が世界の工場となった。

周:1992年には中国の世界経済に占めるウエートは最低の1.7%まで陥った。思い切った改革開放をしなければならなかった。

小島:ソ連崩壊は経済分野では歴史上劇的な出来事だった。経済の世界は、国と国が国境を厳しくし競争しているときは重商主義だ。全部自国で作り、売るマーケットが必要な為、商船隊が出る前に軍艦が動いたのが重商主義時代だ。文句があれば軍艦を使った。

 そんなシナリオは第二次大戦後に終わり、自由貿易になった。直接投資は当初は大きくなかったものの、冷戦終結以降1991年を境に、世界経済のダイナミズムは国境を越えた直接投資になった。

 アメリカは直接投資を出す方と、受け入れる両方だったが、中国はとにかく受け入れた。受け入れて生産能力と技術を輸入した結果、30年で中国は今のような「世界の工場」になり、輸出大国になり、貿易面で大発展した。

 日本はバブルがはじけ、その間、国内投資はあまりせずに余分な金があると海外に投資した。日本国内はほとんどゼロ成長だったが、この30年間、中国、インド、ASEAN諸国その他アジア各国に投資をし、それを受け入れた国が発展した。ダイナミズムは直接投資だった。

周:中国、インド、ASEAN諸国の新工業化をもたらした最大の原動力は情報革命だ。私はこれをテーマに『メカトロニクス革命と新国際分業―現代世界経済におけるアジア工業化』と題した博士論文を書いた。ムーアの法則の駆動で、サプライチェーンが猛烈な勢いでグローバル的に展開した。さらに、は初めてのムーアの法則駆動型産業として、爆発的に成長した。それがアジアの新工業化につながった。もちろん直接投資は大きな役割を果たした。

周牧之(1997)『メカトロニクス革命と新国際分業―現代世界経済におけるアジア工業化』ミネルヴァ書房

■ アメリカの経済的「脅威」は日本から中国へ代わった


小島:ヨーロッパの歴史家が書いた『リオリエント』という本がある。アジアが再び新しい発展をし、新しい方向に行くという内容で、ヨーロッパ中心、西洋中心の世界史を、アジアを入れたものに変えていく必要があると述べて話題になった。

 現在中国とアメリカで経済貿易摩擦が起こっている。私が現役で新聞を書いていた頃、アメリカにとって中国は問題の相手ではなかった。ニクソンの1972年訪中は、キッシンジャーが準備立てた。当時アメリカの発想はパワーポリティクスでソ連を牽制するため中国を友として応援し、バランスを取るために米中交流が始まった。軍事的脅威は唯一、ソ連だった。

周:米中の急接近は当時双方にとっても切実な事情があった。ゆえに一気にハイレベルの関係になった。私はハーバードのエズラ・ボーゲル教授にアメリカは当時の米中関係をどう位置づけたかを聞いた。ボーゲルは、キッシンジャーが準同盟関係と言っていたと答えた。

小島:その後経済の問題が1970年代後半からアメリカにとって重大になった。1971年は、ニクソンショックがあった。ニクソンがいきなりドルはもう金と交換しないとし、輸入課徴金を課し、また、日本の円や、ドイツのマルクを大幅に切り上げると一方的に言い始めた。アメリカの貿易が、構造的に赤字になってしまった。1970年代後半から1980年代に、日本と米国には大変多くの交渉が行われ、摩擦が酷くなった。思い出すのは1985年のプラザ合意だ。為替レートが急変動した。それを演出したのはアメリカだった。為替を大幅に動かして日本の対米輸出競争力にチェックをかけようとした。

 アメリカは第二次大戦で、国土が戦場にならずに戦勝国になった唯一の国だ。ヨーロッパや日本やアジアがガタガタになった中、アメリカは産業力が完全に維持され、唯一の大製造業国家となった。貿易は圧倒的に黒字で、作るものは沢山あった。しかし売る相手がいないとして他国を援助しマーケットにした。

 ところが、アメリカは1970年代初めに貿易が構造的に赤字になり、1980年代に貿易以外のものも赤字になりパニックになった。プラザ合意があった年、シカゴに外交評議会というニューヨークの外交評議会の姉妹組織が世論調査をした。現在のアメリカの脅威は何か、という世論調査だった。ソ連の軍事的脅威と日本の経済的脅威を並べ、どちらが一番アメリカで深刻な脅威かと聞いた。結果、日本からの経済的な脅威がトップになった。酷くなった日米摩擦を抑えようと為替レートなどで様々な交渉があった。日本との戦争が近いなどという本さえアメリカで出てきた時代だった。

周:1980年代のアメリカの日本への態度は、いまのアメリカの中国に対する態度とかなり似ているところがある。

小島:1985年、中国のアメリカに対する赤字はアメリカにとって全く問題なかった。もっぱら最大の赤字の対象は日本だった。摩擦が続き、プラザ合意の後は日本が不況になり、それに対応するために金融緩和しすぎてバブルが生じた。1991年にソ連崩壊があり、アメリカにとっての赤字の相手は中国になった。現時点で日本は脅威の対象から外れた。

エズラ・ボーゲル教授と周牧之教授

■ 時代を読む力が運命を決める


小島:国の経済を分析し、政策を考えるときに自国だけで考える時代ではなくなった。歴史の流れの中で考える、あるいはグローバルな位置づけを考える。世界をどう見るかを織り込んで考える必要がある。

周:時代の変化に対応するには、時代を読む力が極めて重要だ。

小島:ドラッカーは2005年11月に95歳で亡くなった。同年の3月まで、クレアモント大学で教鞭をとっていた。生涯現役の教師だったドラッカーが1989年、80歳の時に書いた『新しい現実』という本がある。1989年出版時、まだ誰もその後ソ連が崩壊すると思ってなかったとき、ソ連が確実に崩壊過程にあるとドラッカーは断言していた。

 出版社が、ヘンリー・キッシンジャーにブックレビューを頼んだ。ところが、キッシンジャーが断った。ソ連の崩壊はありえないと思ったのだろう。キッシンジャーによる書評が叶わなかったが、出版2年後の1991年にソ連崩壊が現実になった。

周:キッシンジャーですらドラッカーの時代を読む力に付いていけなかったエピソードだ(笑)。

小島:ドラッカーは一つの領域の専門家というよりは、トータルで人間社会を考え、人の価値観を考え、歴史を考える人だった。

 初めて原稿を書いたのは20代半ば、本が出たのは29歳だ。当時ヒットラーが力を持ち、ヨーロッパ中がナチズムで蹂躙されていた。ドラッカーは「これはおかしい」と全体主義の研究をし、ヒトラーにインタビューした。全体主義について、イデオロギーが問題だと意識し、敵を倒した後は自分自身が矛盾により内部崩壊するとのロジックを基本とした本だ。

 ドイツで見つかったら処刑されるので、原稿を持ってイギリスに逃げたものの良い仕事がなかった為3年後にアメリカに移民し、出版社を見つけ出版した本が今も読まれている。ウィンストン・チャーチルがこの本を絶賛し、イギリス首相になってから同書を、士官学校卒業のエリートに「これは人生で一番の本だから大事に読め」と毎年プレゼントした。

周:あの傲慢で知られるチャーチルが若きドラッカーをそこまで賞賛した。ドラッカーが偉大だったのは、政治的、制度的にファシズムやソ連の行き詰まりを予言しただけでなく、知識社会の到来も予言し、社会や組織、個人の知識社会への向き合い方を研究したことだ。

 いま、ムーアの法則駆動時代への理解如何がまさしく国、企業そして個人の運命を左右する。

講義をする小島氏と周牧之教授

プロフィール

小島明(こじま あきら)/日本経済研究センター元会長

 日本経済新聞社の経済部記者、ニューヨーク特派員・支局長、経済部編集委員兼論説委員、編集局次長兼国際第一部長、論説副主幹、取締役・論説主幹、常務取締役、専務取締役を経て、2004年に日本経済研究センター会長。

 慶應義塾大学(大学院商学研究科)教授、政策研究大学院大学理事・客員教授などを歴任。日本記者クラブ賞、ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。新聞協会賞を共同受賞。

 現在、(一財)国際経済連携推進センター会長、(公財)本田財団理事・国際委員長、日本経済新聞社客員、(公財)イオンワンパーセントクラブ理事、(一財)地球産業文化研究所評議員

 主な著書に『横顔の米国経済 建国の父たちの誤算』日本経済新聞社、『調整の時代 日米経済の新しい構造と変化』集英社、『グローバリゼーション 世界経済の統合と協調』中公新書、『日本の選択〈適者〉のモデルへ』NTT出版、『「日本経済」はどこへ行くのか 1 (危機の二〇年)』平凡社、『「日本経済」はどこへ行くのか 2 (再生へのシナリオ)』平凡社、『教養としてのドラッカー 「知の巨人」の思索の軌跡』東洋経済新報社。

【対談】小島明 Vs 周牧之(Ⅰ):何が「失われた30年」をもたらしたか?

2023年12月7日、東京経済大学でゲスト講義をする小島明氏

■ 編集ノート:

 小島明氏は、日本経済新聞社の経済部記者、ニューヨーク特派員・支局長、経済部編集委員兼論説委員、編集局次長兼国際第一部長、論説副主幹、取締役・論説主幹、常務取締役、専務取締役、日本経済研究センター会長、政策研究大学院大学理事を歴任、日本記者クラブ賞、ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。新聞協会賞を共同受賞。

 東京経済大学の周牧之教授の教室では、リアルな学びの一環として第一線の経営者やジャーナリスト、官僚らをゲスト講師に招き、グローバル経済社会の最新動向を議論している。2023年12月7日、小島明氏を迎え、講義をして頂いた。 


「日本の失われた30年」の三つの原因


周牧之:最近話題になっているのは、「日本の失われた30年」が中国で繰り返されるのかどうかだ。私から見ると「日本の失われた30年」には原因が三つある。一つは消費税だ。消費税ではなく交易税という名にすべきだった。買い物をするときだけに払う税金だと思いがちだが、すべての交易にかかる税金だ。

 アダム・スミスの『国富論』第1章は分業論だ。グローバリゼーションが1980年代から進み、各国の関税は軒並み低くなった。国内で取引するたびに消費税を取られることが、国内における分業を妨げ、海外との分業を後押しした。日本はその交易税的な本質を見極めず1989年に消費税を導入した。その後バブルが崩壊し日本経済は長い停滞期に入った。

 二つ目はデリスキングの経営思考だ。大手企業、財界を見て強く感じるのは、経営リスクを取らないサラリーマン社長が多いことだ。リスク負いを避けたい人が多い。1989年平成元年の世界時価総額トップ10企業には日系企業が7社もあった。しかし時代が急変し、現在同トップ10社に日系企業の姿は無くなった。代わりにイノベイティブなスタートアップ企業が8社入っている。全て創業20〜40年のテック企業だ。これに対して、日本ではイノベイティブなスタートアップ企業が少ない。現在、日本の時価総額トップ30企業の平均創業期は1919年で、平均年齢は100歳を超えている。

小島明:その通りだ。

アダム・スミス

:三つ目は小選挙区制の導入だ。小島先生が信奉するドラッカーの発想の根底には、「すでに起こった未来」を確認することがある。ドラッカーは人口動態問題も知識社会の到来も世間に伝えた。その意味では日本にとって大切なのは現状をいち早く確認し、対処に取り取り掛かることだ。ドラッカーに関する小島先生のご著書には「日本は組織のイノベーション、社会のイノベーションがあまり問われない」とある。大変革時代に日本で組織的社会的なイノベーションが問われない理由は、小選挙区制の導入により政治力、政治家の質が劣化したからだ。時代変革の確認ができず、社会、組織のイノベーションが進まない。 

小島:周先生が言う「日本の失われた30年」の原因の、二つ目と三つ目は100%同意だ。一つ目は半分賛成。アメリカやヨーロッパには消費税という名でないセールスタックス或いは付加価値税と言われる税がある。各取引段階で、ダブらないよう調整する税だ。税率は、日本では10%。ヨーロッパだと25%。消費者個人の租税負担率では日本の方が低い。分業がうまくいかない最大の問題はリスクテイクができないことだ。

周:ここ数年多くの企業家から話を聞いた。「商売していて10%利益を上げることは大変なのに、取引するたびに税金が10%とられ、たまったものではない」と言う。欧米諸国も生産過程で取引するときに消費税が発生するなら、必ず国の産業空洞化につながる。

 消費税にしても小選挙区にしても、導入過程での議論の際に比較対象を間違い易い。日本は1億3,000万の人口がある。ヨーロッパ、特に北欧には小さい国が多い。日本は、自国の10分の1も無い人口規模の国の政治制度や税制度を国の制度改革モデルとする際、人口規模の桁違いを意識すべきだった。

 昔中国も同様なことが起こった。秦の始皇帝が中国を統一したものの十数年で崩壊した。諸説あるが、始皇帝が秦の制度を中国全土に一気に拡大させ、機能不全が起こったのが原因だ。桁の違う国土と人口の制度設計を簡単に一緒にして議論するのは危険だ。

小島:税金を払っても生きていける体力があるかどうか。

:税には良税と悪税の二種類ある。私は資産税を悪税ではないと考える。しかし取引税は分業を妨げる悪税だ。特に今の時代、関税が限りなく低くなっており、国内での取引税は海外との分業を推し進め、空洞化を産む。グローバリゼーションの観点からすれば悪い話では無いかもしれない。

小島明(2023)『教養としてのドラッカー 「知の巨人」の思索の軌跡』東洋経済新報社

■ ゾンビ企業の生き残り作戦


小島:リスクの問題について言えば、日本にはバブル崩壊後に収益を上げた企業があった。しかしその多くは新しい事業を始めたのではなく、人件費をカットした企業だ。人件費カットの仕方はボーナスを出さず、ベースアップをなくし、正規社員の2分の1か3分の1の賃金で働く非正規の人員を増やす、など様々ある。バブル崩壊前、全労働人口のせいぜい15%が非正規だった。今は非正規が4割近くにのぼり、企業側は人件費が節約できる。借金を返し、海外に行かず、投資はしないからビジネス機会が生まれない、雇用も増えない、賃金も上がらない。

:つまりリスクをとって積極的な投資とイノベーションで利益を出すパターンではない。

小島:リスクテイクをする資本家や企業経営者がいなくなった。バブルが崩壊し、金融機関までおかしくなったのは日本にとっては初めての経験だ。

 とくにデフレが始まった1998年の前年末に三洋証券が破綻し、北海道拓殖銀行などの銀行が潰れた。銀行が貸しはがしをし、投資を一生懸命やろうとした企業に、「お前のところは儲かっているから貸した金を返せ」と迫った。経営がダメな赤字の会社は返す金がない。そこを貸し倒れにすると帳簿上、金融機関の損になる。その損を出したくないから転がして追い貸しをする。儲かっている企業から現金を回収し、経営が駄目なところに転がしてやる。日本企業の99%が中小企業と分類されている。政治も中小企業は弱者だからと助け、銀行は追い貸しでいいから貸せと言った。結果、やる気がなく儲からず普通は持続できない企業が長生きしている。

 これはゾンビ企業だ。新陳代謝ができない。この分野は不必要、或いは続けたいが黒字の見通しなく赤字だという企業を援助すれば、経営者から政治家に給付金や献金が来る。日本のバブル崩壊後の対応として本来ゾンビ企業は市場から撤退させ、新しい人材や資本で新たな可能性を広げる必要があった。ところが、ゾンビ企業にカネが使われてしまった。国の財政もゾンビになった。バブルがはじけ不況が長引き事業転換しないと経営が苦しくなる。人件費節約を経営テーマにし、人事部や総務部など国内派が主導した。投資についても支出で収益が減るから投資しない。銀行からの借金は全部返す。株主がうるさいから自社株買いで買い戻す。全体のマーケットにおける株の供給が減るから値段が上がり株主だけでなく役員、従業員も株でもらえる。

:その結果、日本企業には、積極的な投資とイノベーションで新たな製品やサービス、マーケットを創出する勢いがなくなった。

1990年代末における日本の証券会社

■ チャレンジしない組織体質


小島:日本の場合はボトムアップではない。社長が人事権を持ち、人事が気になる社員が社長の顔色をうかがいながら仕事をする。社員みんなの意見聞いて社長がそれに従うのではなく、人事権を通じた徹底的なトップダウンだ。日本では、上場も非上場企業もバブルがはじけた後に怪我せずリスクを取らず、生き残った人が企業のトップになった。人事部、管理部など内部をやった人たちだ。海外でビジネスをし、マーケットを開いた人は、なかなかトップになれない。

:第一線で頑張っている人たちが評価されず、トップにも入り難い。これが企業の経営に大きな影響を及ぼしている。

小島:経理屋、人事屋は、新しいアイディアが下から来ると、マイナスだ、危険があると列挙し、やってみなければわからないのに可能性を考えずネガティブなことだけ列挙した。

 日本からベンチャーは出難い。ベンチャーキャピタルは銀行が作った子会社だ。銀行は絶対リスク取らず、貸したら必ず担保を取り、企業は潰れても担保の不動産はもらう。つまりリスクを取らないビジネスをやっている。いわゆる投資銀行は日本にないため、大蔵省の制度がそうしたやり方で、技術が海外にあれば技術をもらい、確実にこの技術を使えるとなるとカネがつく。ノーリスクでできると考えたからだ。

 技術のリスクは、例えば海外で鉄鋼生産、造船、自動車などそれぞれの国が既にリスクをクリアした産業を、日本が導入した。だから先行した国の後で動かせばいいだけだった。リスクテイクはしなかった。リスクの語源は古いイタリア語から来ていて、可能性にチャレンジする意味だ。可能性、将来性だ。今、日本はリスクというとネガティブにとらえ背を向けて逃げる。オーナー企業の経営者には一部まだリスクテイカーがいるが…

:森ビルの森稔社長は、中国でリスクを取って大きなビルを上海で建てた。大勢の人にやめた方がいいと言われても、やり遂げた。結果、大成功した。

小島:そうだ。人事部が取り仕切る企業は社長がこうしたリスクを取らない。日本は第二次世界大戦後に一時勲章制度を無くしたが、復活させた。勲章をもらうには産業、経済団体のトップにならないと難しい。このため団体トップの順番を待つから、日本は老人支配の社会になる。今の経済人は年を重ね経営能力を失っても会長、名誉会長、特別顧問として会社に居続ける。亡くなるまで社内に自分の部屋があり、秘書に支えられゴルフをする。次の人はその人たちから選ばれるから、誰も辞めさせられない。人事で動く世界だから、ボスの顔をいつも見ている。社長の仲間ばかりが上に行く。海外に出張し海外事業で成功しても数字上でしかトップはわからない。

 日本はリスクを取らない。リスクは潜在的な可能性を持ち、もとより危険なものだ。リスクマネジメントが重要だ。リスク評価とリスク管理の発想は、バブル崩壊後、日本から消えた。

森ビル「上海環球金融中心」

■ 個人が最大の価値を発揮できる組織を


:根底に必要なのは正しい組織論だ。ドラッカーの組織論は、マネージメントを定義した。組織の個人が最大の価値を発揮でき、価値を作り出すことができるのがいい組織だ、とした。

小島:人材はコストでなく、資産であるという発想だ。経営者がみな読んだ1973年出版の“経営のバイブル”とされた『マネジメント』の中で、ドラッカーが繰り返し強調しているのはこのことだ。日本はバブル崩壊後、人材がコストとみなされた。人は少ない方がいいし、賃金は安い方がいい。

:誰にでも取り替えができる人がいい人材で、人が辞めても同じ働きのできる人がいれば良しとする考え方が日本には根強い。昔の工業時代の人材の価値の見方だ。ドラッカーが言う知識社会の発想ではない。知識社会は個性が大事だ。

小島:その通りだ。

:本来、組織の中で権力はいらない。権限とは権力ではなく責任だ。それが今の日本の組織の中では、逆になっている。

小島:本当にそうだ。いつの間にか逆になった。

 バブルがはじけた後の不良債権処理が長引き、銀行が駄目になった。プラザ合意の1985年、日本の投資率が高かったとき、企業は自前の資金が足りず銀行からどんどん借りた。ところがその後日本の企業は成長見通しを下げ、投資率は下がった。貯蓄率はそのままで貯蓄余剰経済になってしまった。金融機関は従来、頭を下げて金を預かったが、余るようになった。結果、リスクを取らない銀行は、土地さえ担保であればいくらでも貸し、それがバブルを生み出した。地価が暴落した。

 1985年から金融機関が資金余剰となり体質改善の必要が出た。ところが金融機関は未だに同じ体質のままだ。ベンチャーやリスクテイカーを応援することにはなっていない。例えばマイクロソフトのビル・ゲイツが日本で創業したいとなったら、日本では彼に金を貸す人は出てこなかっただろう。ゲイツが、私はアイディアを持っていると言っても有形の担保が無く自分のオフィスも無い。賃貸ビルで、自前の工場は持たず、委託生産だ。持っているのは無形のノウハウだけである。日本の従来の金融機関ではそれは担保と見做さないから、断っただろう。日本では起業家を応援する金融システムがない。社会のニーズに対応する金融システムのイノベーションが必要だ。

 イノベーションは単に、ものを新しく作るだけではなく、時代のニーズに対応できるシステムイノベーションが欠かせない。

小島氏とドラッカー氏

■ 元気な新しい企業が出てこない


周:平成元年の1989年、世界時価総額トップ10企業の中に日本の銀行は5社入っていた。その後これらの銀行は合併を繰り返し、いまや世界時価総額トップ100企業の中に1社も入っていない。

小島:100社内にいる日本企業はトヨタともう一社くらいだ。 

:ゾンビ企業は大問題だが、ゾンビ以上に問題なのは元気な新生企業が少ないことだ。いま日本の時価総額トップ30企業のうち1980年代以降に創立した企業はたった一社、ソフトバンクだ。

小島:企業の少子化、設備の高齢化、資本ストックの高齢化が、日本の資本主義の問題だ。

■ 小選挙区制の弊害


小島:小選挙区問題もするどい指摘だ。政治劣化の原因は、小選挙区と政党助成金だ。官邸が役人の幹部に対する人事権を持った。このため役人が何も言えなくなった。

:マスコミも批判しなくなった。日本は選挙で選ばれた人々が政治家に、勉強で選ばれた人たちが官僚になる。公務員試験に受かった人たちが責任ある立場に立ち、実績を作りながら上に行く。さらに企業家、学者、マスコミが加わって、互いにチェックし依存し合うシステムだった。ところが、小選挙区の導入で、政治一強、官邸一強となり、官僚もマスコミも小さくなった。

 財界も迎合する。経団連が消費税を推進している。不勉強なのか、立場を忘れているのか、財界が消費税という取引税を推進すること自体が不可解だ。

小島:小選挙区導入当時は、政治改革すればいいという空気の中で、反対すると守旧派と言われ、言論封殺される。小選挙区の結果、二世議員、三世議員が増えた。しかも、政党助成金の名目で税金から政治資金が各政党のトップに行く。自民党であれば首相と幹事長から「次は公認にしない」と言われれば、選挙に出られずカネも来ない。自民党の中にも、昔は宏池会などさまざま派閥があり、政策論争もやった。今は政策論争がなくなった。

: その意味では昔の方がずっとバランス良く面白かった。

小島:今の政治家は、個人的に話している時は「問題はある」と言うが、リスクは取りたくない。日本の政治は、今だけ、自分だけ、口先だけの「三だけ政治」だ。アメリカも反知性主義的選挙になっている。

 東京大学の学長だった佐々木健は「日本の民主主義は、選挙ファンダメンタリズムだ」と言う。選挙さえ通れば良く、選挙が頻繁にあって短命の政権になる。平成の30年間で日本は17人も首相が生まれた。平均寿命が2年もない。選挙でお礼回りし、少ししたら次の選挙の準備が始まる。宇野宗佑や羽田孜のように2カ月ぐらい或いは数十日しかもたない首相もいた。皆が順繰りにポストが回ってくるのを待つ。安倍政権も長期政権とは言えず、6回国政選挙があった。次の選挙が近ければ、選挙前のあらゆる政策は、次の選挙のプラスになることしかやらなくなる。3年我慢し、4、5年経ったら花が咲き、実がなるという政策が、いま全部お蔵入りし、選挙目当てのバラマキ政治になった。

周:明らかに制度設計のミスマッチだ。民主主義は主義だけでなく制度設計の知恵、知識が必要だ。間違った設計がされたら大変なことになる。ドラッカーが言う社会的イノベーションが必要だ。また、安倍長期政権の一つの理由は、その前の民主党政権が酷すぎたからだ。

小選挙区比例代表選挙・候補者ポスター

■ 百花斉放の自由政策が繁栄をもたらす


小島:失われた30年の原因について、もう一つ私が付け加えたいのは、行政のレギュレーション、規制の問題だ。司馬遷の史記の列伝集『貨殖列伝』に、良い政治は民がしたいようにさせ、次善の政治は民をあれこれ指導する、一番悪い政治は民と利益を争う、とある。古代の中国では自由なときには百花斉放があり、自由な議論があり、文化も経済も発展した。

周:歴史上、中国の繁栄期は全て百花斉放の時だ。漢の文帝・景帝の時代、道学をベースとした自由政策をとり、百花斉放を謳った。その結果、「文景の治」という大繁栄期を築いた。しかし武帝になると、規律規制を重視する儒学を国学とし、それ以外の諸学が排除された。政府が前面に出て対外戦争も次々仕掛けた。結果、漢王朝は一気に下り坂になった。司馬遷は漢武帝の政策に批判的だった。その反省も込めて良い政治、偽善の政治、一番悪い政治というジャッジメントをした。

 延安時代の毛沢東は百花斉放を提唱し、共産党の勢いを形作った。

小島:ところが日本は規制大国だ。総務省が調べたものに、法律、政令、省令、通達、規制、内規、行政指導がある。役所の書類には、少なくとも20種類の言葉がある。評価、認可、免許、承認、承諾、認定、確認、証明、臨床、試験、検査、検定、登録、審査、届け出、提出、報告、交付、申告。これを全部明確に定義できる役人は1人もいない。日本における行政の裁量性が今一番の問題になっている。

 日本がアメリカとの摩擦を起こしたものの一つに、弁護士事務所を認め法曹界を自由にしろという要請があった。ところが自由にしても、アメリカの法律会社は日本に入ってこない。見えない規制があるからだ。法文を見て弁護士がこれは可能だと考えても、「何々等」という言葉が付いた曖昧な法案だ。法律を解釈して理解できるのは半分だけで、残りは役人が裁量権を持つ。接待がバブルのときに頻発したのは役人による裁量行政があったからだ。役人の裁量、権限は、不透明かつ裁量性だ。どの範囲でどう解釈されるかで、企業の存亡が決まることが沢山ある。デジタルも共通の言語がない為、役所ごとに解釈が違う。例えば、デジタルの世界ではモノ作りは経産省、通信は総務省で、繋がっていなかった。

 日本は長らくIT(情報技術)論であり、ICT(情報通信技術)の発想でなく、C(通信)が抜けた発想の政策だった。

周:政治家や官僚だけでなく、日本の経営者も学者も規制を作るのは大好きになった。大学の教授会ですら規制作りの話が多い。結果、皆リスクが取れなくなった。

司馬遷『史記』

■ 優れた経営者はなぜ輩出されなくなった?


周:一昔前には森ビルの森稔、リクルートの江副浩正など日本には優れた起業家がいた。なぜいまいなくなったのか?森稔さんから江副氏とは同級生だと伺っていた。

小島:その人たちは特別だ。実はあまりそういう人はいない。立派なスタートアップ企業がこの30年なかった。唯一ソフトバンクがあるが、これは一種のコリアンブランドだ。小倉昌男が起こしたクロネコヤマトはイノベーション企業だ。彼は、あのモデルが成功したときに沢山の出版社から本書いてくれと言われたが書かなかった。自分がビジネスをやっている間は一切本を書かないと断った。その理由は、ビジネスリーダー、経営者は、あらゆる環境変化にそれぞれの判断でやる必要があり過去に縛られてはいけない、過去の成功体験や前例に捉われず、その都度、真剣な勝負をすることだと言った。

周:昨年50周年を迎えたぴあという会社も学生が作った企業だ。

小島:ぴあの創業者矢内廣が50年間ずっと社長をやっている。

周:立派なスタートアップが昔はあったにも関わらず、この30年はほとんど出ていない。

小島:問題は、技術のパラダイムが変わっているときに、過去の技術でやり続けていることだ。成功体験が今日本の制約になっている。組織内の新陳代謝、発想の新陳代謝が起こらない。行政も縦割りで前例主義になっている。

周:技術のパラダイムシフトに対して、社会のイノベーションが必要だ。

※後半に続く

講義をする小島氏と周牧之教授

プロフィール

小島明(こじま あきら)/日本経済研究センター元会長

 日本経済新聞社の経済部記者、ニューヨーク特派員・支局長、経済部編集委員兼論説委員、編集局次長兼国際第一部長、論説副主幹、取締役・論説主幹、常務取締役、専務取締役を経て、2004年に日本経済研究センター会長。

 慶應義塾大学(大学院商学研究科)教授、政策研究大学院大学理事・客員教授などを歴任。日本記者クラブ賞、ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。新聞協会賞を共同受賞。

 現在、(一財)国際経済連携推進センター会長、(公財)本田財団理事・国際委員長、日本経済新聞社客員、(公財)イオンワンパーセントクラブ理事、(一財)地球産業文化研究所評議員

 主な著書に『横顔の米国経済 建国の父たちの誤算』日本経済新聞社、『調整の時代 日米経済の新しい構造と変化』集英社、『グローバリゼーション 世界経済の統合と協調』中公新書、『日本の選択〈適者〉のモデルへ』NTT出版、『「日本経済」はどこへ行くのか 1 (危機の二〇年)』平凡社、『「日本経済」はどこへ行くのか 2 (再生へのシナリオ)』平凡社、『教養としてのドラッカー 「知の巨人」の思索の軌跡』東洋経済新報社。

【対談】岸本吉生 Vs 周牧之(Ⅳ):相互依存をどう考えるか

2018年7月19日「『中国都市ランキング−中国都市総合発展指標』出版記念パーティ」にて、前列左から岸本吉生、中井徳太郎(環境省総合環境政策統括官)、清水昭(葛西昌医会病院院長)(※肩書きは2018年当時)

■ 編集ノート:

 岸本吉生氏は経産官僚として、経済産業省環境経済室長、中小企業庁経営支援課長、愛媛県警察本部長、中小企業基盤整備機構理事、九州経済産業局長、中小企業庁政策統括調整官、経済産業研究所理事を歴任し、幅広く経済産業政策を研究し、推進した。現在、ものづくり生命文明機構常任幹事。

 東京経済大学の周牧之教授の教室では、リアルな学びの一環として第一線の経営者やジャーナリスト、官僚らをゲスト講師に招き、グローバル経済社会の最新動向を議論している。2023年1月5日、岸本吉生氏を迎え、講義をして頂いた。

(※前半はこちらから)


■ 相互依存が最も富を生む


岸本吉生1980年代と1990年代のキーワードは、相互依存だった。ソビエト連邦が崩壊し、中国は改革開放路線を取り、世界で社会体制の対立はなくなるとされた。体制を巡る闘争はなくなるから、世界が目指すべきは経済関係の相互依存で、相互依存が深まれば、核兵器もいらない、お互い豊かに平和になれる、と信じられていた。

 相互依存を最も果敢にやった国は欧州だ。EUは最初6つの国から始まり、12カ国に増えた。イギリスがその後入り離脱した。

 北米では北太平洋自由貿易協定(NAFTA)が締結された。東南アジア諸国連合(ASEAN)も自由貿易地域の設立を宣言した。相互依存の枠を1990年代から2000年代にかけてどんどん作り、近い人とはより強力に、遠い人とも諍いなく関係を深化させようとした。

 日本では経済安全保障法が制定された。自国が生産しない物が輸入できなくなると、国の運営に関わる。自分で作る力を持つ或いは確実に輸入できる手段を作る。そのキーワードは輸出からサプライチェーンへの転換だ。相互依存の時代は輸出は自分の所得になるからそこに力点を置いていた。今は、輸入が途絶えたらどうするかに政策の力点を置いている。

周牧之:1990年代、私は中国で「開発輸入」を提唱した。これは、後の政策を大きくシフトさせたコンセプトだ。当時、中国でこのまま経済成長や都市化が進むといずれエネルギーや食糧は足りなくなると考え、安全保障の概念が非常に強かった。足りないから輸入したいがエネルギーや食糧輸入はさまざまな理由から不安定だ。輸入に頼ってはいけないというムードが強かった。そこで「開発輸入」だと主張し、「ユーラシアランドブリッジ構想」をぶち上げた。同構想はカスピ海から中国沿岸部に至るガス・石油パイプライン、鉄道、高速道路、光ファイバー網の整備を含み、主な目的は、中国そして東アジアの発展に必要なエネルギー資源や食糧の安定供給を図り、来るべき世界の需給ひっ迫を緩和することであった。

 開発輸入することで相互のベネフィットは固くなる。安定的な輸入ができる。当時そのコンセプトは中国であまり知られていなかった。一生懸命に話しをして徐々に普遍的になった。1999年4月1日、私は『現代版「絹の道」、構想推進を―欧州から日本まで資源の開発・輸送で協力―』とのタイトルで日本経済新聞「経済教室」欄に記事を寄稿し、この構想を公開、国際的な注目を集めた。いま中国は、開発輸入事業が世界で最大になった。

岸本:そうだ。日本の石油自給率はゼロ、天然ガスもゼロ、鉄鉱石もゼロ、小麦と砂糖は10パーセントあるかどうか、銅はゼロ。石炭はゼロ、バナナもゼロ。日本は開発輸入の国で、必死でその努力をした。開発輸入は相互依存の基本だ。

周:そうだ。相互依存を進めることは、最大の安全保障だ。

岸本:いまは半導体、外貨、データ、鉱物資源、食物は、開発輸入では満足できないかもしれない。例えば今、銅の年間生産量は2400万トン。2030年の世界の需要が3000万トンと言われている。8年で600万トンの増産ができなければ、銅を使うのを諦める人たちが出てくる。銅が高くなって需要が減るから問題がないというのは、大学の教室の中の経済学の話であって、銅の値段がもし2割3割と上がったら困る。今だってみんな困っている。サンドイッチや自動車の値段が2割も3割も上がるのは困る。経済安全保障と開発輸入は、これからどうなるか。肝心なところに来ている。

周:忘れてはいけないのは相互依存の世界が、最も富が作れる世界だということ。それをやめてしまうこと自体、人類にとって最大のリスクといっていい。岸本さんは、一度私に電話をかけてきて、ロシアとウクライナの戦争について話をされ、相互依存は最大の安全保障だとおっしゃったことに、私は大いに賛同する。いまは相互依存を否定する論調が横行し、おかしな状況だ。

出所:周牧之『現代版「絹の道」、構想推進を―欧州から日本まで資源の開発・輸送で協力―』日本経済新聞、1999年4月1日。

勝者のない時代


岸本:アメリカとソ連は、軍事上の違いがある。ロシアの国境線は陸地で隣接している国がいくつもあり、相手国と緊張関係にある国はいくつもある。ロシアはいつまでたっても平和な配当をもらえない。

 アメリカの場合は、カナダもメキシコも武力を持っているかもしれないがアメリカと領土の脅威はない。国境は軍事的には脅威ではない。ソビエト連邦が崩壊した瞬間、平和の配当を世界が得た。

周:冷戦後、平和の配当を最も得た国は中国とアメリカだ。なぜかアメリカはこの平和の配当を否定しはじめている。

岸本:そうだ。「平和の配当」という言葉は、ゴルバチョフがソビエトを解体したときにアメリカが言い始めた。核兵器や軍事力を持つ意味がなくなり、それに費やしていた金を社会発展、産業発展に使うという思想だ。

周:もう一つ、平和の配当をたくさんもらった国はドイツだ。ドイツはロシアを身内に取り込み懸命に経済的利益を作ろうとした。今それ自体を否定しようとしていることが理解できない。

 冷戦の時代はソビエトとアメリカの指導者は、互いに緊張感があり敬意もあった。いまのアメリカのやり方を見ていると、危なくて仕方がない。何千発もの核弾頭を持っている国に対して、どこまでやるのか、と思う。核の時代は勝者がない。いまの時代が「勝者がない時代」であることを分かっていないのだろうか。

岸本:ロシアとウクライナの紛争が続いている。元は同じ国だった同士の戦争という意味では、1990年台のユーゴスラビアがそうだった。ロシアとウクライナの紛争は、他地域に軍事的な問題を波及しかねない。

周:外部の勢力が煽っている。

岸本:相互依存を深め、軍事的な問題を起こすまいとの国際的合意がかつてあった。「平和の配当」が言われた1990年代だ。ロシアとウクライナの紛争が始まったから、そうした時代は終わったという人がいる。終わったという人がいるから終わったと思うのか、そう思わないのか。私たち次第だ。

 周先生が「過去をどう見て、未来に投射する」と仰った。いろいろなものの見方があり、隣の人とは価値観が違う。自然観も一人ひとり違う。歴史観も違う。ある国、ある場所に住んでいれば自然と共通化するものもある。皆さんが80年間、同じ村に隣り合わせて住んだら歴史観や自然観が似てくるだろう。他人が聞いて、あなたの言う通りだと共感を呼ぶことが大切だ。

 同じことは二度とおきない。しかし同じことを繰り返している。

周:歴史は人間が作り出すものだ。本質的に捉えると歴史は時代や空間を超えて繰り返される。

岸本:だから歴史を学ぶことで、この辺に来るのではないかという大雑把なことはわかる。

ロシアのウクライナ侵攻で被害を受けた市街地

■ 通商産業政策は「任せる」が基本


岸本:今年度、兵庫県の甲南大学でアダム・スミスについて一年間の講座が開かれている。中村聡一准教授が指導官。1952年からの日本の通商産業政策をアダム・スミスの国富論を参照しながら論じてほしいとの依頼だった。『国富論(中公文庫、2020年)』の全2000ページを通読してみた。300年前、アダム・スミスは通商産業政策を明快に提唱していた。通商産業政策は、幾つもの選択肢があり、どのあり方が国の富を増やすかを論じている。当時、イギリス、フランス、オランダ、スペインなどの王国が競争していた。植民地争いで負けないために国家の財政を豊かにしようと切磋琢磨していた。輸出を増やし、輸入を減らす方法論を競っていた。重商主義の時代だった。アダム・スミスはイギリス、フランス、スペイン、オランダの競い合いを見て、イギリスがこのゲームに勝つにはどうしたらいいか日々考え、書き連ねた。それが『国富論』だ。

 彼は提言は三つある。一つ目は、商売は、王様や官僚にはわからないのだから、商人に任せて好きにやってもらおう。国が許可した特別の商社を設けること、輸出入を政府の許可制にすることはやめた方がいい。

 二つ目は、商人が仕事をしやすくなるためにビジネスインフラを整備する。裁判制度、外国為替制度といった制度は、政府が責任を持つ。

 三つ目は、一般の民間人を徴兵するのはやめて軍隊を持ち、国が職業軍人を雇って軍隊を創設しよう。

 アダムスミスの提言の一部は通商産業政策、一部は社会政策だ。インターネットで詐欺をする人がいるから、インターネット詐欺防止法を作るというのは、通商産業政策、社会政策どちらの面もある。規制が強すぎると個人の創意工夫が削がれてしまう。

周:バランスは政策のミソだ。先ほどの経済安全保障政策と相互依存政策の関係もそうだ。

アダム・スミス

■ SNSが誰一人残さない社会を引き寄せる


岸本:誰ひとり取り残さないことを政策として標榜する日本の役所は、デジタル庁だ。日本の全ての省庁が、誰一人取り残さないためにある。

 SNS社会は、誰一人取り残さないことと深く連動している。どんな境遇にいてもSNSがあれば他人とコミュニケーションできる。知らない人から来たメッセージに返信できるのがSNSの強みだ。SNSは誰一人取り残さない社会を引き寄せる力がある。

 この10年で10回ぐらい中東に出張した。中東の男性はひげがあり、女性はベールで顔が見えない。すんなり仲良くなったわけではないが、中東の人は驚くほど日本人に親しみを持っている。イスラム教といえばアラーの唯一の神を拝み、超越した存在と個人とが対話をしていると考えがちだが、彼らもご先祖様を数珠で拝み、母親孝行を何より大切にしている。中東の文化と日本文化に通じるものがあり、通商文化交流の将来性を感じている。

 中国と日本もそうだ。懐かしいものが目の前に現れるという経験は、中国を訪れる日本人、日本を訪れる中国人が等しく経験することだ。

周:私は国際結婚をしていまして、妻とは互いを外国人だと思ったことがない。

岸本:あーやっぱり。

周:私の親友は、今は日本人にも中国人にも大勢いる。昔、日本にはいろいろな国があった。中国にもいろいろな国があった。ヨーロッパだって現にいろいろな国がEUになり統合していく最中だ。我々はもっと大きなスケールで物事を考えた方がいい。

岸本:そうだ。ジョンレノンさんの「イマジン」は、世界はわかり合えるという歌だ。私はそのことに子供の頃から憧れた。きっかけは8歳の時、大阪万博に何度も通ったことだ。インド人、ドイツ人、アメリカ人、世界中の人がいた。世界がこんなに繋がる時代になり、自分が20歳の頃にはもっと世界中から人々が日本に来るだろう。世界中に行く仕事をしようと私は思った。その頃ベトナム戦争があった。世界平和のために関わりのある仕事に就きたいと思っていた。

 これからはSNSの時代だ。個人の発するメッセージ、データによって互いの感覚で分かり合える。イマジンの歌詞の願いが叶う日は近くまで来ている。

周:但し、デジタル・ディバイドの問題があり、SNS時代の恩恵に預かれる個人格差や世代格差がある。そこを如何に解消していくかが大きな問題だ。

ジョン・レノン

■ 客が喜んで金を払う商売、自分はつらくても頑張れる商売を


岸本:2018年からスタートアップのエコシステムを研究した。日本は世界で最もスタートアップが少ない先進国の一つだとされてきた。成長する社会では良い勤め先がたくさんあったし、大企業に就職した方が中小企業より良いという人が多かった。

 客は喜んでお金を払うのか、仕方がないから金を払うのか。喜んで金を払う客がいるなら、規模の大小は別でも商売にはなる。仕方なく払っている客が多ければ、もっといい売り手があれば客が移っていく。喜んでお金を払っているなら、客はよっぽどのことがなければ移らない。

 喜んでお金を払う客を作る方法はアメリカでは学校の教室で教えられる時代に入っている。ピーター・F・ドラッカーは、1940年台に自動車会社GMから、「会社をもっと発展させるため提案を書いてくれ」と言われ「あなたの会社はこのままでは駄目になる。なぜなら」と、いくつかの理由を書いた。過激な提案だったために出入り禁止になったが、同社はドラッカーが言ったことをやらざるを得なくなった。

ピーター・ドラッカー

周:1946年、ドラッカーはGMでの経験を題材に『Concept of the Corporation 』(邦訳『企業とは何か(ダイヤモンド社、2008)』)を刊行した。企業の存在意義は、社会的な目的、使命を実現し、社会、コミュニティー、個人のニーズを満たすことにあると提唱した。

岸本:顧客の喜びはどこにあるのか。顧客が喜び、かつ、あなたにとってそれが正しいことであれば、つらくても頑張れる。

 アメリカの100年前の映画『モダンタイムス』では、工場労働者が9時から5時まで黙々と仕事をした。今はコンピュータがあり、SNSもあれば、リモートワークもできる。クリエイティブな仕事をただで発信することができる。この仕事の時間と稼ぎの時間をどうデザインするか。そのときどきの仕事の時間から稼ぎが生まれるパターンが増える。お金にならないと思ってやっていることがビジネスになるかもしれない。

周:情報革命は人間という個体の創造力、コミュニケーション力を無限に伸ばした。スマートフォンの計算能力は20年前の大型コンピュータの数台分にも匹敵する。このような文明の力を活かし、世界とどう繋がるのか、どう富を増やすか。それは世界の相互依存をどう深めるのかにかかっている。

講義をする岸本氏と周牧之教授

プロフィール

岸本 吉生

ものづくり生命文明機構常任幹事

 1985年東京大学法学部卒業後通商産業省入省。経済産業省環境経済室長、中小企業庁経営支援課長、愛媛県警察本部長、中小企業基盤整備機構理事、九州経済産業局長、中小企業庁政策統括調整官、経済産業研究所理事、中小企業基盤整備機構シニアリサーチャー、中小企業庁国際調整官を経て現職。コロンビア大学国際関係学修士、日本デザインコンサルタント協会会員。

【対談】岸本吉生 Vs 周牧之(Ⅲ):格差是正を時代目標に

2023年1月5日、東京経済大学周牧之ゼミでゲスト講義をする岸本吉生氏

■ 編集ノート:

 岸本吉生氏は経産官僚として、経済産業省環境経済室長、中小企業庁経営支援課長、愛媛県警察本部長、中小企業基盤整備機構理事、九州経済産業局長、中小企業庁政策統括調整官、経済産業研究所理事を歴任、経済産業政策を幅広く研究し、推進した。現在、ものづくり生命文明機構常任幹事。

 東京経済大学の周牧之教授の教室では、リアルな学びの一環として第一線の経営者やジャーナリスト、官僚らをゲスト講師に招き、グローバル経済社会の最新動向を議論している。2023年1月5日、岸本吉生氏を迎え、講義をして頂いた。


■ 結党3度目の渾身の「決議」


岸本吉生:周先生と私は同い年で、同じ頃に大学を出て、ほぼ同じころに私は経済産業省、周先生は中国の機械工業省、日本でいう経産省に入った。もう20年以上のお付き合いになる。

 私が大学に入ったのは1981年で、語学の授業は中国語を選んだ。1000人の東京大学の文系学生のうち、中国語を履修したのは80人。8%の学生が中国語を選んだ動機は大きく二つに分かれていた。一つは、21世紀は中国の世紀になるから先行投資だという人。もう一つは、中国語を専攻すれば大学の友達と麻雀ができるという人(笑)。1981年は中国で改革開放が始まって3年目の頃だ。大学1年生の教科書の内容は、ほとんどが共産党と毛沢東のことだった。30年経って大学生に中国語が一番人気だった時期は、1000人のうち300人ぐらいが中国語を選んだ。時代は変わり、今はスペイン語が一番人気だと聞いている。

 SNSでもマスメディアでも、話題にのぼる国として中国は世界のトップ3に入る。アメリカの関心は相対的に下がったと感じる。音楽、政治、経済などさまざまがアメリカ中心だとしても、アメリカと中国の両方を見る時代になった。

 皆さんは周先生と勉強され、いろいろな感覚を身につけられたと思う。今日はまず習近平国家主席の「歴史決議」について話したい。

周牧之:「歴史決議」には意味がないという感覚の人が多い中、「歴史決議」を真剣に読み解いた方は私の周りでは岸本さんだけだ。

岸本:歴史決議に関心を寄せた理由はシンプルだ。1921年に中国共産党が結党して100年の間に、中国共産党の主席が渾身の力で書いた「歴史決議」は二つある。一つは1945年に毛沢東が書いた「若干の歴史問題に関する決議」。二つ目は改革開放をした鄧小平が1981年に書いた「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」。結党100年目に習近平が書く歴史決議を楽しみにしていた。

 一昨年の11月20日に歴史決議が発表されると、日本ではNHKと読売新聞など何社かが短いニュースを流した。しかし3日経っても1週間経っても日本語の翻訳が出ない。全体の文章を誰も報道しない。中国に対する関心がないのか、中身が読むに値しないのか、訝しんでいたところ新華社通信が日本語で全文を発表した。A4版63ページ。私は3回読んだ。共産党の歴史は1回ではわからなかった。これは大変な文章だと思った。日本の公文書でここまで質の高いものはない。

 昨年の周先生の中国経済論のゲスト講義で、その全体について話をした。今回は全63ページを8ページぐらいに抜粋した。私の主観が入り、説明を省いてあるため、理解できないところがあるかもしれないが皆さんと一緒に考えたいことを抜粋した。

1945年「若干の歴史問題に関する決議」と1981年「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」報告書

■ 経済と社会のバランスを重んじる


岸本:明確に思った一つは、共産党結党からの100年を振り返り、未来の50年を展望している点だ。日本の歴代の総理で、100年前を回顧し50年後を展望するロングスパンの文書を書いた人はいない。

 二つ目に、100年前、毛沢東は共産主義が必要だと考え闘争を始めた。100年前の課題は、民の貧困、社会の動乱、権力の腐敗で、これを是正するために、共産主義が必要だとした。何かを良くするためのものであった。習近平は、中国は世界一の発展途上国だと言う。国家の目標は共同富裕だとはっきり書いている。

 アヘン戦争にまみれた1840年代の清王朝当時、中華民族は欧米から劣った民族だと言われていた。そこから脱却するために中国が選んだ道は中華人民共和国だったと決議では明快に論じている。

 鄧小平の決議が出たのは1980年代だ。1960〜70年代、中国共産党が結党して50年ぐらいのころ、毛沢東政権は文化大革命という過ちを犯した。1920年ないしは国が出来たころ目指した方向を、時代に合わせて調整するのを怠ったためだ。その過ちを正すために、鄧小平がやった改革開放は間違ってないと、決議ははっきり言っている。その後の32年間の改革開放路線は間違ってない。今後も継続する。しかしそれだけでは足りない。

 ロシアを見ても中国を見ても国家体制の問題は根深い。ソ連が解体されてロシアは資本主義の国になった。中国以上に改革開放されたと言ってもよい。しかし社会の病理はある。どんな国にも社会の病理があるがロシアのようになってはいけないということだろう。社会的な問題を解決しながら改革開放を続ける。社会政策と自由経済政策のバランスをとる。それが中国共産党の課題だ。

鄧小平中国共産党総書記

■ 1980年代は自由主義経済が世界の潮流に


岸本:皆さんがまだ生まれていない1980年代、世界に3人の自由主義経済のリーダーが出てきた。この3人は、社会の安定は多少犠牲にしても経済の自由化が必要だと言った。西側諸国でも1970年代までは社会の安定にウエートを置いていた。1980年代に入り自由主義経済を推し進め政府の役割を小さくするのがいいとなった。

周:アメリカのレーガン、イギリスのサッチャー、そして中国の鄧小平に引っ張られ、自由主義経済がその時期の世界の潮流となった。

岸本:鉄鋼、電力、セメントなど重化学産業のウエートが高く、環境問題も、働く人の健康問題も酷かった。そこのバランスをとるための新しい産業が出てくる。コンピュータの出現で、情報化の時代になった。情報化で、小さい企業も成長できることになった。

周:当時は、社会主義の中国と、資本主義の日本、アメリカ、イギリスすべてが国営企業の改革をした。

岸本:それまでは、大きい企業は資本が足りず国から資本を投入していた。日本は1980年代、例えば電電公社がNTTへ民営化し、国有鉄道がJRへと民営化した。中国の国営企業も元気になった。

周:元気がないところは切り捨てられた。

岸本:自由と社会のバランスをどうとるかについては、この30〜40年間、いろいろなアプローチ、アイディアが出された。日本が20年前にやったのは、日本中にインターネットがただで使える環境を作った。光ファイバーを稚内から八重山諸島まで引いたのが20年ぐらい前。Wi-Fiを家に引いたらほとんどお金かからない。

 大学でベンチャーの社長になる人を育て始めたのもこの20〜30年だ。スタンフォード大学では、ビジネススクールを出て大企業へ入ったら「成績悪かったの」と言われる。教育内容を改め情報化社会で活躍する人作りを進めた。

マーガレット・サッチャー首相とロナルド・レーガン大統領

■ 30年間の中国の変化と新しい時代の目標設定


岸本:今の中国は民主主義の国ではないとする人もいるが、憲法を見ると民主主義でないわけではない。

周:中国はこの30年間は変わっていない、とアメリカの一部の人は言う。私は、中国は相当変わったと思う。

岸本:変わった。

周:なぜ変わらないと言われるのかわからない。

岸本:それは政権交代がないように見えるからだ。政権を選択する自由がない。

周:しかし、30年前の日本も同じことを言われた。政治改革をやり、小選挙区をやり、果たしてこれが正しかったのかどうか、非常に疑問を持っている。「歴史決議」の一番大事なところは総括と、新たなテーマ設定だ。

岸本:そうだ。

周:正しい総括と、正しい時代目標の設定が、いま中国の直面する課題だ。実際はアメリカも中国も日本も直面する問題は似ている。制度は民主主義だといっても、不平等、生活格差の問題がある。鄧小平時代は活力はあったものの富の分配に問題があった。共同富裕はそこを意識している。

岸本:習近平は、中国共産党ではエリート中のエリートだ。若いときには文化大革命で父とともに苦労され、共産党入党後は早くから大きな仕事をやってきた。だからある意味、苦しむ人の気持や、貧しい人の気持ちは、自分の体験として知っている。

周:毛沢東の教育を最も受けていた世代だ。文化大革命は何のためだったのか。私はいまこれに関する本を書こうとしているが、文化大革命の本質の一つは人作りだった。今の中国の指導者は、文化大革命の中で教育された世代だ。

 私の歴史観からすると、中国の改革開放が始まったのは1972年、ニクソン訪中と日中国交正常化があった年だ。新中国建国からそこへ持っていくまで相当時間がかかった。毛沢東のリーダーシップの元で世界が中国を受け入れた。今の北朝鮮は、世界に受け入れられないから苦しんでいる。

岸本:そうだ。

周:改革開放は6年後の1978年代に始まったというのが通説になっているが、毛沢東の偉大さを見落とし、鄧小平に改革開放の功績を全部持っていかれた故だ。

1972年2月、ニクソン大統領の中国訪問

■ 時代が決めた目標に応え、人民が採点


岸本:「決議」の抜粋の最後に、新時代の共産党101年目から150年まで、とある。中国共産党は結党以来の最盛期にあり、二つ目の100周年の奮闘目標、中長期的な目標に向けて歩き出した。何をすべきかは時代が決め、答えを書くのは共産党だ。採点するのは12億人の人民だ。これは建前かもしれないが、共産党の公式文書で明快に民主主義を謳っている。

周:本音で書いていると思う。

岸本:そうでなければ共産党が続くはずがない。

周:中国のリーダーは歴史評価を意識している。古来、中国の指導者は、皇帝も宰相も誰もが猛烈に意識するのが、後世に何を言われるのか、だ。

岸本:中国の普遍的な考えだ。中国が抱える課題は、12億人が素晴らしい生活をするために必要なものを供給できる社会だ。中華民族はずいぶん豊かになって発展したように見えても、需要と発展の不均衡があり「まだ道半ばで私達は世界最大の発展途上国」としている。経済成長が7%未満になったなど数字的な問題の先に課題があるとはっきり書いている。そのために次世代の育成をすると言う。清廉潔白で愛国心があり献身的で責任を果敢に負う次世代だ。そうした青年を育てるのは至極真っ当だ。

周:業績重視の幹部育成を非常に意識している。アメリカのように一期目の議員経験しかない人物が大統領になるのを幸せなこととは思えない。

岸本:そう思う。だから習近平も末端からのし上がた。引き抜き、飛び越えは一回もない。

 公式文書が拝金、享楽、自己中心、ニヒリズムの四つを打破すると言うのはインパクトがある。国家が人心に踏み込んでいる。

周:鄧小平、江沢民の時代は経済発展を優先した。

岸本:私も覚えている。習近平は経済優先はよくないと是正しようとしている。「歴史決議」にはいろいろな意味があるが、日本人の私からすると、この部分が一番強い印象を与える。

 習近平が目指しているのは助け合うことだ。助け合うから共同富裕に到達する。格差は社会主義で是正していく。清王朝を振り返ると、皇帝がいて民は貧しい階級社会、格差社会だった。共産党が国家を担い社会を指導もする方が良かったと思うか。

周:レーガン、サッチャー、そして鄧小平のリーダーシップで1980年代から始まった自由主義経済の推進が、経済の効率化やグローバリゼーションそしてIT革命を加速し、人類規模の富の生産拡大をもたらした。中国も一気に豊かになった。しかし格差の拡大が中国のみならずアメリカ、日本にも広がり、世界的な課題になっている。日本は一億総中流社会から格差社会になった。アメリカでは格差拡大により、トランプを大統領に押し上げた。 

講義をする岸本氏と周牧之教授

周:2010年、中国国家発展改革委員会の秘書長だった楊偉民氏をはじめとする政策当局の幹部を集め『第三の三十年』という本を出した。新中国の発展段階を1949年から1979年、1980年から2009年、2010年から2039年の三つの三十年に分け、政策目標の違いを明らかにした。この本では、第三番目の三十年において格差の是正を大きな目標とするべきだと主張した。

 中国はもちろんアメリカもヨーロッパも日本も、格差の是正が大きな課題となっている。

(※後半はこちらから)

周牧之、楊偉民主編『第三個三十年』

プロフィール

岸本 吉生

ものづくり生命文明機構常任幹事

 1985年東京大学法学部卒業後通商産業省入省。経済産業省環境経済室長、中小企業庁経営支援課長、愛媛県警察本部長、中小企業基盤整備機構理事、九州経済産業局長、中小企業庁政策統括調整官、経済産業研究所理事、中小企業基盤整備機構シニアリサーチャー、中小企業庁国際調整官を経て現職。コロンビア大学国際関係学修士、日本デザインコンサルタント協会会員。

【対談】小手川大助 vs 周牧之:(Ⅱ)複雑な国際情勢をどう見極めるか?

■ 編集ノート: 
 小手川大助氏は財務官僚として、三洋証券、山一證券の整理、長期信用銀行、日本債券信用銀行の公的管理、日本政策投資銀行の再生ファンドの設立、産業再生機構の設立などを担当し、平成時代の金融危機の対応に尽力した。また、優れた国際感覚を持ちIMF日本代表理事を務めるなど世界で活躍している。
 東京経済大学の周牧之教授の教室では、リアルな学びの一環として第一線の経営者や研究者、ジャーナリスト、官僚らをゲスト講師に招き、グローバル経済社会の最新動向を議論している。2023年10月26日、小手川大助氏を迎え、講義していただいた。

※前半の記事はこちらから


■ 米英が絡む中東問題の複雑さ


小手川大助:今回ハマスによるキブツ奇襲を考えるには長い歴史を遡る必要がある。第2次世界大戦まで戻るのでは足りない。16世紀にオスマントルコ帝国の支配下で、パレスチナ地域に主にアラブ人が住んでいた。第一次世界大戦時、イギリスが3枚舌を使い、アラブ人には、アラブ国家の設立を認める「フセイン・マクマホン協定」をした。一方でフランスと合議し「サイクス・ピコ協定」で英仏による中東勢力圏分割をした。ユダヤ人には、ユダヤ人居住地建設に賛成する「バルフォア宣言」を送った。そんな完全に矛盾した内容を約束した。これが今の紛争の根にある。第一世界大戦後しばらくはイギリスが委任統治していたが、ヨーロッパで迫害されたユダヤ人がこの地域に越してきた。1948年にイスラエルが独立宣言し、委任統治が終了するが、第一次から第四次まで中東戦争が起こり、基本的にイスラエルが勝ってきた。

中東戦争の勝利を祝うイスラエル軍兵士たち

小手川:唯一良い方向に行ったのが1993年9月のキャンプデービッド和平合意で、イスラエルと、パレスチナの二つの国家を作ることで合意した。これに反対したのが、今のイスラエル首相のネタニヤフだ。ネタニヤフの祖父はイスラエル建国時のタカ派で、ロシア出身のユダヤ人アドバイザーかつ科学者だったジャボチンスキーのスタッフだった。

1978年9月17日キャンプデービッド和平合意の調印式で、握手を交わすエジプトのサダト大統領、アメリカのカーター大統領、イスラエルのベギン首相

小手川:今回の事件は、ネタニヤフ政権が選挙に敗れ、極右勢力との連立内閣を組織せざるを得なくなり、極右の意見を入れて司法権へ介入する法律案を国会に提出したために、国内で激しい反対運動がおこり、警察も機能しなくなったという状況で起こった。ハマスが事件を起こす3日前、エジプトが、ハマスの計画をイスラエル政府に伝えたのに、イスラエルが全然気がつかなかったという大失敗がある。遡るとハマスを作ったのはイスラエルだ。シャロンという国防大臣とネタニヤエフが、パレスチナの政治勢力を分断させる目的で作ったのがハマスだった。

2017年7月20日ガザで軍事イベントを行うハマス武装勢力

小手川:一番困っているのが中国だ。中国は石油の価格が安定して欲しいのに、中東がおかしくなると石油の価格が上がる為困っている。

 この地域の人口を見ると、イスラエルの人口が900万で、そのうち4分の1ぐらいが1991年のソ連崩壊後ロシアからの移住者だ。ガザの人口は200万だ。アメリカ国内ではユダヤ人が非常に強いと思われるが、米国内全部含めてユダヤ人口は800万。

 1993年9月のキャンプデービッド和平合意の背景については、1991年12月のソ連解体が大きい。ソ連崩壊後はソ連にいたユダヤ人が500万人位来ると予測し、イスラエルが広い土地を準備した。結果、予想の半分の250万人が来た。必要なくなった土地を、パレスチナへの譲歩の材料としたのがキャンプデービッドの合意だった。

 2001年9.11事件と今回のハマスの襲撃は似ている。私のカウンターパートの元アメリカ外務次官は今回の事件はイスラエルの9.11だと言う。その裏には9.11も防ぐことができたのに米国西部内(FBIとCIA)の連絡の失敗で起こり、その失敗を隠すためにアメリカは9.11後、国連を無視しイギリスと組んで本来化学兵器を持たないイラクに侵入するという大失態をした。

 私が4回もアメリカ政府と激しい交渉をしたが、その経験から、アメリカ政府は縦割りで連絡が悪く交渉がまとまっても後に内部の連絡不足で引っ繰り返されたことがあった。合意内容が向こうの関連部署と共有されたことを確認してからでないと危ない。9.11もまさにこの一例だ。

2001年9月11日旅客機の衝突で炎上するワールドトレードセンター

小手川:1975年.エジプトのナセル大統領に近づいていたファイサル国王を、サウジ皇太子のうちの1人が銃で暗殺した。その背景にCIAがいるとされ、それをサウジの人は恨んでいた。アメリカへの報復が9.11として現れた。

 2008年リーマンショック時、私はIMFの理事としてワシントンにいた。当時イギリスが破綻した場合には資金不足が生じるという計算だったことから、私は交渉の議長として、破綻した国にIMFが借金する資金源として新たに60兆円の借り入れの合意に導いた。1956年にエジプトがスエズ運河を国有化させようとした時、運河を作ったフランスと運河を持つイギリスが、イスラエルを焚きつけて戦争を起こした。ところが戦争は西側が負け、イギリスは経済危機になった。それでイギリスがIMFから借金したのが、IMFのメンバーがIMFから借金した最初の例だった。同様なことが起こると大変だとの怖れで、上述の60兆円が用意された。

スエズ運河を航行するコンテナ船

■ オバマ政権の本質


小手川:アラブの春は最初のチュニジアを始めエジプト、リビア、シリアに起こった。これは実際の原因は、リーマンショック後の物価の高騰だ。このときもアメリカが大失敗した。その時はオバマ政権の2度目で、酷い状態だった。オバマ政権内の優秀な人たちは1回目の政権後に皆辞めていたからだ。オバマはひどい恐妻家で、ミッシェル・オバマに頭が上がらない。オバマはハーバードを出てシカゴで州議会議員になろうと思ったが金がなかった。その時ミッシェルと知り合った。結婚後、ミッシェルの友人のヴァレリー・ジャロットというシカゴで有名な黒人女性実業家が、シカゴ最大財閥のハイアットリージェンシーのオーナーファミリーを紹介した。このハイアットリージェンシーがオバマの選挙資金を全部出した。それでオバマは州議会議員から、最後は上院議員になった。

オバマ大統領とミシェル夫人

小手川:オバマはアメリカ初の黒人の大統領でありながら、奴隷制のことは一度も言ってない。それには理由がある。オバマの父親はケニアの少数民族の出身で、この民族は昔、奴隷狩りをし、欧米の奴隷商人に売りさばいていた。それが明るみに出ないようオバマは一切、奴隷制について発言しなかった。これに対してミッシェル・オバマはアメリカに連れてこられた奴隷の子孫であった。

 オバマの大統領選のときの対抗馬はヒラリー・クリントンだった。2008年の選挙の際にヒラリーは、ウォールストリートの金融に対して非常に厳しい態度をとっていた。しかも2008年選挙当時はリーマンショック直前で、ウオールストリートは金融危機が起こると予想しており、ウオールストリートに厳しいヒラリー・クリントンが大統領になるのを防ごうとした。アメリカ初の女性大統領の対抗馬に勝つ為には、初のアフリカンアメリカン大統領だ、として探したところ、当時上院議員で唯一アフリカンアメリカンだったオバマが浮上した。オバマにウオールストリートの金融機関が莫大なお金を注ぎ込んだ。オバマの選挙基金は、草の根募金選挙のイメージだったが、実際はその8割がヘッジファンドからだった。オバマが当選し、そしてリーマン・ショックが起こった。

 私がこの背景を調べたのは、大問題を起こしたウォールストリートの責任をオバマ大統領が全く追求せず、むしろウオールストリートに税金を注ぎ込み、果ては製造業のゼネラルモータースまで全部救済したことに疑問を抱いたからだ。疑問を持って調べることが大変重要だ。

2008年9月15日ニューヨークのニューヨーク証券取引所、メリルリンチがバンク・オブ・アメリカに身売りをするというニュースが流れ、株が急落

周牧之:オバマが大統領選に出たときに私も小手川さんもアメリカにいた。オバマの選挙資金の潤沢さに自分も驚いた。選挙終盤になって相手の共和党マケインは金が無くなり、コマーシャルも流せなくなった。対するオバマ側は本来秒単位のコマーシャルを、10分単位でどんどん流していた。当時私は新華社に頼まれて書いたコラムで、「この候補者は悪魔と手を組んでいる、でなければ、こんなにお金が出るはずはない」と書いた。要するに、金融街とガッチリ手を組んでいたわけだ。

2008年、オバマ大統領選挙広報用コマーシャル「Barack Obama: My Plans for 2008」(https://youtu.be/H5h95s0OuEg?si=bsLkwp5_AeI8jfgs

■ なぜ米の政治は妥協しなくなったのか?


:2016年も一つの転換点だ。トランプとヒラリーの選挙でアメリカは二つに割れた。大都市はヒラリー支持、大都市以外がトランプ支持。今でもこの構図が変わらないばかりか対立が更に激化した。互いに妥協しなくなったという点で、中国の文革に似てきたかなと私は最近思う。文革と選挙はどこが違うか。選挙は妥協があり、選挙後は仲良くやろうよ、ということになるがアメリカは今妥協しなくなった。互いに、相手を倒し切るまでやっている。

2016年米国大統領選挙投票分布図

小手川:今日の学生さんの両親の世代、祖父母の世代は日本が負けた第二次世界大戦後、アメリカの敷いた路線を教科書で勉強してきている。因って基本的にアメリカのやり方は正しいというイメージを持っている。

 私は合計8年アメリカに住んだ。アメリカはイメージと実際が異なるところが随分ある。例えばアメリカの政治は非常に清潔で、アジアは買収された汚い政治だと言う。しかし、ワシントンのロビイストたちは、ローファームという弁護士事務所で働く弁護士だ。ロビイストは、民間会社からお金をもらい国会議員を買収する仕事だ。民間会社が直接国会議員に金を渡せば法律上買収、収賄になるが、間に一つロビイストが挟まると収賄にはならない。これがアメリカの法律だ。

 私は4年前から、アジアの人たちに頼まれ、政治の腐敗にどう戦うかの委員会のメンバーをしている。政治は何らかの手段をもってやる。ルールに則るのか則らないかに違いがある。アメリカの例を出し、ルールを作ってやったらどうかと申し上げている。ワシントンにいた時、東京で言うと中央環状線のような高速道路の分岐点に大きなボードがあり、「このハイウェイは、バージニア州の何々上院議員が作った」と書いてあるので驚いた。それがアメリカでは普通だ。アメリカが言っていることを鵜呑みにし、すべて正しいという前提で日本に押し付ける人がいるがそれは違う。各国にはそれぞれの歴史と国の背景があり、その中でルールが作られていることを皆さんも頭に置いてほしい。

:鵜呑みにして押し付ける人は、どこの国にもいる。

ワシントンの高速道路

小手川:アメリカは、5年に1回国勢調査をし、10年に1回選挙区割りを変える。選挙区割りを変える際、現職議員に有利な選挙区割りをしてしまう。結果、アメリカの全ての選挙区を100とすると約93は共和党が強いか民主党が強いか、完全に決まってしまっている。どちらが議会の選挙、あるいは大統領選挙に勝つかは、残りの7%がどう転ぶかで決まるのが最近の傾向だ。

 すると、共和党か民主党かという最後の本戦より、自分が候補者になれるかどうかの予備選で自分が共和党あるいは民主党の候補になるかが重要になる。93%の選挙区については共和党か民主党が勝つことが間違いないからだ。これらの選挙区では予備選でそれぞれ強い党の候補者になれば間違いなく議員になれる。民主党党員が予備選に勝とうと思えば、急進的な左寄りの主張した方が勝つ。共和党は右寄りの保守的な主張する人が勝つ。従ってアメリカの議員は右と左の両極に主張が分かれ、ワシントンでは主張が離れすぎて、なかなか合意できないという状況になっている。

 加えてオバマがやった二つの大失敗があった。アメリカは世界でナンバー1の国だという自負があるため、本当はアメリカの国民としてはやりたくないと思っても世界の指導者たるアメリカとしてやらざるを得ない政策がある。自分の選挙のためにはならないが賛成してもらわないと困ることがあるときに、伝統的に議員に対しポークバレルをする。ポークは豚肉、バレルは樽。豚の餌箱だ。陣笠議員は日本にもいる。法律に賛成してもらうためポークバレルに予算を振込む。議員が自分の選挙区のために地方に金を引っ張ってきた形にし、地方議員の賛成を取り付けるか或いは黙ってもらう手段だ。これをオバマが止めた為、できなくなった。

 もう一つは、ロビイストの活動だ。確かに問題があるが実際にはロビイストがあちこち根回しをして最終的な合意に到達した案件が多かった。オバマは選挙の公約で、ロビイスト活動を取り締まると言ったため、できなくなった。議会の中が混乱し、各々が勝手なこと言って合意ができなくなった。それが今のアメリカの状況だ。

2005年5月4日ワシントンでの倫理・ロビー活動改革法案に関する記者会見

小手川:2016年トランプが大統領になった時、アメリカの地図で、民主党クリントン支持は国土の両端だった。東海岸のニューヨークとボストン。西海岸はカリフォルニア。沿岸部の大都市が民主党で、あとは全て共和党。理由は、リーマン・ショックだ。ゼネラル・モーターズまで税金を使い救済された。救済された会社は銀行からの借金を棒引きにしてもらうか国がお金を入れて資本を増やし、財務諸表を綺麗にしてもらった。債務超過で破綻するはずの会社が救済され債務超過ではない、となった。

 このように一方で借金の棒引きを大企業にさせながら、例えばゼネラル・モーターズの正規の労働者は首を切られるか正規職員からパートタイムに移された。失業者やパートタイマーになった人たちがトランプを支持した。トランプの選挙公約の第一は、仕事を作り、競争相手の中南米からの移民をシャットアウトすることだった。

 トランプの最重要課題は、従来からアメリカに住む主として白人の生活を守るため仕事を増やすことだった。仕事を増やす観点からトランプは中国企業にもアメリカに来て欲しいと言った。とにかくアメリカで工場を作り、人を雇ってもらえばいい。そういう意味でトランプは完全なビジネスマンで、交渉事、特に一対一の交渉が大好きだ。今までの自分の人生で様々交渉し全部勝ったという自信があるから、中国とも交渉するのも、ロシアとの交渉も好む。そういう意味で非常にわかりやすい人ではある。

 北米自由貿易協NAFTA はメキシコなどと結んだ条約だ。メキシコのアメリカ国境に近い工場で作った製品が非常に低い関税でアメリカに出せるといったメキシコに有利な内容をトランプは見直し、さらに国境に壁を作り移民を排除、財政出動をして公共事業で人を雇おうとした。オバマ前大統領の健康保険の見直し、TPP貿易の問題、CO2環境問題など、自分の支持者の仕事が増えないものには興味がなかった。

2017年1月20日ワシントンで就任演説を行うドナルド・トランプ大統領

■ ドルークになれなかった安倍首相の対ロシア外交


小手川:2012年から安倍首相はロシアとの交渉を様々行ったが、モスクワに長くいる日本人は、「安倍さんではない人が総理大臣だったら2018年に北方領土は日本に帰ってきた」と口を揃える。安倍さんはプーチンと生涯の友人になれなかった。ロシアに「ドルーク」という男性の間しか使えない言葉がある。俺はお前の「ドルーク」だという関係になると、どんな無茶苦茶なことを言ってきても、やらないといけない。逆にこちらがどんな無茶苦茶な要求をしても相手はやってくれる。プーチンは、安倍さんに何度もそういう球を投げた。チェチェンが柔道の熱心な場所で「ぜひ日本からいい柔道の講師を送ってきてほしい」というのを安倍さんは逃げた。何とかやってほしいのでJOCのトップだった山下泰裕さんにお願いした。山下さんは立派な人で、日本でチェチェンは怖いイメージがあり誰も行く人いなかったため、ご自身が行った。チェチェンは最近景気がよい。イスラム教国なためアラブ首長国連邦などからお金がものすごく入り大繁栄している。立派なモールができている。

 安倍さんはプーチンから頼まれた話が5つも6つもあったのを全部断った。プーチンは些細な事さえやらない安倍さんと北方領土の交渉ができるわけないと考えた。   

 2018年にロシアが日本を試そうとボールを投げてきたことがあった。総理のアドバイザーの谷内さんがロシア側から言われたのは、「もし北方領土を日本に返還しアメリカから北方領土に米軍基地を作ると言われたら日米安全保障条約上、日本は拒否できないだろう?」だった。ロシア国防次官が北方領土を初めて口にした大変重要な場面だった。 

 谷内さんは総理のアドバイザーとして、大事な話は自分1人の判断で決まらないから東京に話を持ち帰って総理と相談すると言えばよかった。ところが谷内さんは外務省条約局という自己判断できる立場にいた人だったので、自ら相手側に「条約の解釈をすればそうなる」と返答した。ボールを投げる為にロシア外務省で苦労した人たちが面子を潰され交渉は終わった。領土問題のようなややこしい問題は、双方の政権が安定していないと出来ない。プーチンが安定し、安倍さんも安定していた当時だから出来た。ある意味で北方領土返還の最後のチャンスが失敗したと言っていい。

2019年1月22日クレムリンでの記者会見で握手するロシアのプーチン大統領と日本の安倍首相

■ 中国との関係は岸田政権の大きな課題


小手川:岸田さんは総理になるとき、大きな問題が三つあった。一つは2023年の春の統一地方選挙で、自民党が勝利した。二つ目は、夏の広島のサミットで先進国、特にアメリカは人類最大の戦争犯罪の場の広島行きを嫌がったが、何とか実現した。

 三つ目の課題が最大の課題である原発の処理水だ。岸田さんは対ロシア問題で、アメリカとNATOと離れずにいこうとしてきて、その成果が表れたのが7月末だ。リトアニアでのNATOの会合にNATOメンバーでない岸田さんが参加した会議で、EUが、2011年の3.11以降、日本の水産物に課した輸入制限撤廃を発表した。それで8月末に原発処理水を流す決定をした。

 三課題は全部解決したので、内閣改造し、自分自身の意思で動く。十分注視していく必要があるがマスコミが重要なことを書かない。岸田内閣ほど大臣で英語ができる人が多い内閣は歴史上なかった。岸田さん自身父親が通産省にいた関係で、ワシントンにいた。他に河野太郎さん、林芳正さん、法務大臣の斉藤さん。経産相の西村さん、高市さん、福田康夫さんの息子さんなど全員がワシントンにいてアメリカの生活を経験している。アメリカの私のZOOMの相手方も、ぜひ日本に米中の間をとりもってほしいと最近一生懸命言っている。

:原発処理水を流すことで悪化した中国との関係を、修復するのが大きな課題だ。

2023年9月5日ASEANインド太平洋フォーラムでスピーチする岸田総理

小手川:残念ながら、今の一番問題は日本と中国の間のパイプラインがないことだ。福田康夫さんが中国に行き、民間ベースで一生懸命日本側からアプローチしているが、中国側がまだいわゆるIT監視国家で懸念が残る。

 日本に中国の人を呼びよせ、いろんな話をすることが大切だと私は思う。中国人観光客にどんどん日本に来てもらう。いまは来日する中国観光客数はかなり新型コロナ前に復活している。残念ながら日本から中国に行く人が、昔の6割しかない。本来は10月1日から日本人についてもビザなしになるはずが原発処理水問題の関係で中国側が先延ばししている。それがなくなれば、大勢行くようにはなると思うが、とにかく一般の人の交流が重要だ。

 百貨店に聞いた話だと、関西や福岡はまだそれほどではないが、少なくとも東京は、国慶節の1週間で、百貨店が準備した品物は根こそぎ中国人客が買い在庫がゼロになった。普通のベースで交流をすることが非常に重要だと私は思う。来年にビザが不要になったら、皆さん勇気を出して中国に行ってみていただきたい。中国は南と北の格差があると言う。できれば、上海と北京、大連 など南と北を両方行き、違いを自分の目で確かめことが重要だ。

 今日本には中国以外にも多くの人が来ている。円安のせいでベトナムの留学生も最近はほとんど日本に来なくなった。日本に行ってもいいことはないと彼らはいう。ネパールとかバングラディシュの人が増え、インドネシア、フィリピンの人たちが日本に旅行に来ている。東南アジアの人たちが日本に来るのは5月連休前だ。東南アジアその時期は一番暑く、湿度が高い為東京に避暑に来る。それを念頭に商売上の付き合いや催し物をやるとうまくいく。中国人は、10月の国慶節と、1月から2月の春節に、交流を盛んにしてもらえばと思う。

2023年10月中国の国慶節連休中、銀座の店舗外で列をつくる中国人観光客ら

■ 2024年米大統領選が大きな転機に


学生:中国経済は読者の関心もあるが、報道では中国が世界最大自動車輸出国であることや、中国の人材の厚みを断片的にしか報じていない。

小手川:最近は日本の新聞もテレビも見ない。iPhoneでニュースは見る。さまざまなアプリを使い自分の自由な意見を書いているのを私は読んでいる。

学生:台湾、アメリカで選挙を控える今後、国際的に動きそうなことは?

小手川:一番大きいのは2024年11月のアメリカ大統領選挙だ。バイデンは、この10カ月間、記者会見していない。記者会見する力がない。Zoom会議で私がアメリカ人に聞いたのは、インドのモディ首相とバイデンが久しぶりに記者会見をした際、バイデンの机にプレートが4枚置いてあった。最初の紙に質問するマスコミ名。2枚目に質問をする人の名前、三つ目にはその質問内容、四つ目にはそれに対する答弁が書いてあり、それを読むだけだ。

 インドのモディとのときは、双方で質問が2問と制限された。モディが怒り、意味のない記者会見をキャンセルしそうになったので、慌てて説得し、インド側も一つだけ質問することになった。認識能力が落ちている為、民主党の人たちはバイデンに自ら辞めて欲しい。ところがバイデンは、来年トランプと勝負できるのは自分だとして降りない。

 民主党員だったロバート ケネディ ジュニアは、大統領選挙に出ると言ったところ、一度もバイデンとの討論の機会を民主党が作らないので、第3党から出ると発表した。ロバート ケネディ ジュニアとトランプは、自分が大統領になったらロシアとの戦争をやめると言っている。アメリカの政治は問題も多いが、アメリカをさしおいては動けない。

2024年1月選挙イベントで演説するバイデン大統領

小手川:韓国大統領の任期は5年。再選が禁止で3年半すぎると、誰も言うことを聞かなくなる。韓国は基本的には日韓協定ができたときから国の方針として日本からの賠償金を少数の財閥に集中して渡している。5%の財閥企業が国の経済を引っ張り、日本の大企業とほぼ同じ給与水準だ。残りの95%は、下請け企業で給料が大企業の半分或いは3分の1しかない。経済が財閥企業に引っ張られ生活が良くなった間は、保守政権が続いていたが、経済がうまくいかなくなると保守政権は負ける。 

 今のユン大統領は、1990年代末以来久しぶりに、韓国の最高学府ソウル大学を卒業し検事総長まで行った聡明な人だ。総理大臣のホンさんは三年前まで駐米大使で私も前からよく知っており、私が知る韓国人の中で一番頭のいい人。だから今の大統領と総理の組み合わせは最高だ。失敗しないように日本もアメリカもしっかり支えることが、日中関係で欠かせない。韓国経済がうまくいくかどうかが近場では非常に重要だ。

 アジアで、一番今経済がうまくいっているのはフィリピン。フィリピンの経済成長は今、中国より上を行っている。ベトナムも人口は大体フィリピンと同じで、今年ぐらいに日本の人口を抜く。私もベトナム政府のアドバイザーを何回かやったが、ベトナムは汚職がひどい。

 付き合いにくいが信頼できるのはタイ人だ。タイは伝統があり本音は言わないけれどこちらを観察する。要注意はシンガポールだ。周りの国の人がシンガポールのことをcheerfulな、つまり陽気な北朝鮮と言っている。というのはシンガポールに行くと全部盗撮盗聴され、特に政府の人間と日本の大企業のトップがシンガポールに行ったら、全員盗聴と盗撮されている。

2022年5月10日就任式で宣誓する尹錫烈(ユン・ソクヨル)大統領

■ 生活文化産業で新しい繁栄を


:日本の世界経済におけるシェアを1960年から今日までの60数年のスパンで見ると、1960年が、5.4%、平成初めは10%で、今5.1%に戻った。平成からの30数年をどう評価するか。

日本の政局変化と経済成長分析図

小手川:一言で言えば量から質への転換の時だった。今、世界で一番金融が安定しているのは日本だ。製造業を下支えしていくことが重要だ。今、世界中の人が日本に観光に来るのは世界最高の生活の質があるからだ。量が重要なのではなく、住んでみてどうかの質が重要だ。

 今の日本をどう見るか?みんながどう健康で長生きできるかが、世界中の人々にとっての一番の関心事項。健康で、長生きするには、良いものを食べ、良いものを飲み、良い音楽を聞くなど癒しも必要だ。それを調べていくと全て日本が世界のナンバー1だ。

 東京にはポリスボックス(交番)が826ある。歩いて10分で電車の駅がある。そういうことは世界中にあまりない。自分のうちのすぐ隣に病院があり誰でも行ける。アメリカのように特定の組合に入っていないと病院へいけないことはない。自動車の保険も日本は強制保険だから100%入る。介護保険制度を始めたのは日本が最初だ。人間が気持ちの良い生活をし、長生きしようと思ったら圧倒的に日本だ。自動販売機があるのは日本とロシアくらいだ。治安がいいからだ。歩いて10分で24時間営業のコンビニがある。ここまでになった日本を、おかしくしてはいけない。

周:東京のクオリティは世界一だ。私はアメリカから帰って内閣府と一緒に北京で「生活文化産業交流シンポジウム」を企画し実施した。小手川さんも参加されたこのシンポジウムに、日本企業が何十社も来た。生活文化産業とは生活を支える全ての産業という意味で、日本のクオリティは世界一だと思う。しかし、これらの企業は元々内需型企業で、体質的に海外進出になかなか向かない。だが、海外から日本に来て、楽しむことはできる。これがインバウンドを引き寄せる最大の力だ。

 日中関係も、中国人が毎年3,000万人来日すると変わる。5,000万人くると更によくなる。だから私は長期的に見ると日中関係はあまり心配していない。

2012年3月24日北京で開催の国際シンポジウム「中国の生活革命と日本の魅力の再発見」

小手川:例えば、東京には、寿司屋が5,000軒、中華料理が1万軒、フランス料理が3,621軒、イタリア料理が1,800軒、インド料理屋さんが2,000軒ある。 

:ミシュランのレストランは東京が世界で一番多い。

小手川:高級なものもあれば、5ドルで美味しいものも手っ取り早く食べられる。

:私が暮らす吉祥寺では、駅の500メートル圏内に1,000軒以上のレストランがある。アメリカで住んでいたハーバード大学周辺の集積とは大違いだ。日本のさまざまな魅力が磁力になり、世界中の人が来て金を落とし、交流し、更にいいものが新たに生まれればいい。

(了)

講義をする小手川氏と周牧之教授

プロフィール

小手川 大助(こてがわ だいすけ)
大分県立芸術文化短期大学理事長・学長、IMF元日本代表理事 

 1975年 東京大学法学部卒業、1979年スタンフォード大学大学院経営学修士(MBA)。
 1975年 大蔵省入省、2007年IMF理事、2011年キヤノングローバル戦略研究所研究主幹、2016年国立モスクワ大学客員教授、2018年国立サンクトペテルブルク大学アジア経済センター所長、2020年から現職。
 IMF日本代表理事時代、リーマンショック以降の世界金融危機に対処し、特に、議長としてIMFの新規借入取り決め(NAB)の最終会合で、6000億ドルの資金増強合意を導いた。
 1997年に大蔵省証券業務課長として、三洋証券、山一證券の整理を担当、1998年には金融監督庁の課長として長期信用銀行、日本債券信用銀行の公的管理を担当、2001年に日本政策投資銀行の再生ファンドの設立、2003年には産業再生機構の設立を行うなど平成時代、日本の金融危機の対応に尽力した。

【対談】小手川大助 vs 周牧之:(Ⅰ)転換点で激動の国際情勢を見つめる

講義をする小手川氏

■ 編集ノート: 
 小手川大助氏は財務官僚として、三洋証券、山一證券の整理、長期信用銀行、日本債券信用銀行の公的管理、日本政策投資銀行の再生ファンドの設立、産業再生機構の設立などを担当し、平成時代の金融危機の対応に尽力した。また、優れた国際感覚を持ちIMF日本代表理事を務めるなど世界で活躍している。
 東京経済大学の周牧之教授の教室では、リアルな学びの一環として第一線の経営者や研究者、ジャーナリスト、官僚らをゲスト講師に招き、グローバル経済社会の最新動向を議論している。2023年10月26日、小手川大助氏を迎え、講義していただいた。


2001年9月11日 旅客機の衝突で炎上するワールドトレードセンター

歴史には転換点がある


周牧之:歴史には転換点がある。今から20年前の2001年は一つの歴史の転換点だった。同年9月、私は上海、広州と立て続けに「中国都市フォーラムーメガロポリス戦略」シンポジウムを中国国家発展改革委員会と合同で開催した。このシンポジウムはまさしく中国都市化の幕開けとなった。

 シンポジウム直後に9.11事件が起こり、それまでアメリカが難色を示していた中国のWTO加盟交渉が一気に進み、同年末に中国はWTOに加盟した。

 その後20年間、輸出と都市化を盾に中国は大成長した。その間、中国の輸出は10倍、都市の人口は2倍、GDPは10倍に膨れ上がり、中国はメガロポリス時代に突入した。

 きょうは小手川さんをお迎えし、最近の歴史のターニングポイントについて解説していただきたい。

小手川大助: 私の人生で3回、日本経済もしくは世界経済が潰れかけた事態に直面した。最初は1997年、日本の全ての金融機関が崩壊寸前になった。2回目は、東京三菱銀行がシティバンクに買収されかけた。3回目は私がアメリカ滞在中で、「あと半日で世界中の銀行が潰れる」と聞いた時だ。

 きょうは、真実はどこにあるのかについて考えるヒントを、以下三つの事件で説明したい。一つは2022年2月24日のロシアのウクライナ侵攻。二つ目は2022年8月のナンシーペロシアメリカ下院議長の台湾訪問と米中の緊迫。三つ目が、2023年10月7日のハマスによる襲撃だ。

2023年10月7日、ハマスによるイスラエル襲撃

■ ロシアのウクライナ侵攻の背後にある史実


小手川:私は学生時代にロシア語の通訳アルバイトで旧ソ連に3度行った。2010年後はロシア政府に頼まれ毎年4〜5回ロシアに行っているので最近の状況はよくわかっている。

 ウクライナはロシアの西南側にあり、ウクライナの北西側はポーランドに接している。第一次世界大戦までウクライナ西側の一部分は、ロシアの領土ではなかった。オーストリアハンガリー帝国の領地だった。第一次世界大戦前独立国ではなかったポーランドの貴族が、このウクライナ西地域の社会構造の一番上にいて大土地を所有していた。ウクライナ人はポーランド貴族の下で農民として搾取されていた。ポーランド人とウクライナ人の間に入ったのがユダヤ人で、ポーランド貴族の番頭的な役割で年貢の取り立てをしていた。

 ウクライナ人は、第一次世界大戦後、西ウクライナ地域を中心に独立する動きを起こしたが、新生ソ連共産軍に鎮圧された。西ウクライナの上層部は西側に亡命した。

 第二次世界大戦ではヒトラーがソビエトに侵攻した際、西ウクライナの出身者が自警団をつくって同調した。キエフのバビ・ヤールという深い谷の崖っぷちに、3日間で3万5000人のユダヤ人、ポーランド人、ロシア人を集めて銃殺し、死体を谷に放り込んだ。当時のリーダーで有名だったバンデラとレベジの2人は第二次世界大戦後、西側に逃げた。バンデラはイギリスのMI6のスパイになり、レベジはCIAに雇われニューヨークに移った。バンドラは1950年、西ドイツにいた時ロシアKGBに暗殺された。 

 海外に逃げた西ウクライナ人は、オーガナイゼーションオフユークレイニアンナショナルズ(OUN)という組織を作り、本部をニューヨークに構え、いまでもロシア政府をひっくり返し、自分たちの国を取り戻したいと活動している。

OUNによる抗議デモ

小手川:東欧にはこのように歴史的にロシアに反感を持つ人々が大勢いる。そうした人たちがアメリカの政府高官になったときに問題が起きる。いまはアメリカのブリンケン国務長官がハンガリー系ユダヤ人で、国務省次官ヴィクトリア ヌーランドは祖父が西ウクライナのユダヤ人、彼女の夫でネオコンの理論的指導者のロバート ケイガンの家族はリトアニア出身のユダヤ人だ。

 他方、ウクライナの東の地域ドネツク、ルガンスクは、ウクライナの工業の中心地で人口の3分の1が住み、旧ソ連時代は宇宙産業で有名だった。石炭も豊富に出るためウクライナでは豊かで人口も多く、経済的にも進んでいた。2014年のキエフのクーデター時には、自治権を求めウクライナから離れたいと分離独立運動を始めた。

 キエフはロシア発祥の地。ロシア語とウクライナ語は東京の言葉と関西弁の違い程しかない。ゼレンスキー大統領自身も元々の母国語はロシア語だ。彼はウクライナ語よりロシア語の方が上手で、大統領になってからウクライナ語を真剣に勉強し始めた。

:要するに、ウクライナの最西地域と最東地域ではロシアとの歴史的な絡みや気持ちがまったく違うことが今日の問題の土台にある。

ウクライナの地理的位置

■ 情報戦がフェイクニュースを生む


小手川:私は週2回、アメリカ政府OB、CIA、軍、国務省、国防省のOBたちとZoom会議を十数年続けている。相手方は二つに割れている。一つは、バイデン賛成派。もう一つはバイデン反対派だ。両方の話があればバランスの取れた生の情報が入る。

 2022年2月28日のロシアのウクライナ侵攻の少し前、バイデンに近い人たちから、ロシアがウクライナを攻めるとの話が出た。彼らは、「ウクライナのために血を流す気はない。ウクライナに欧米のナショナルインタレストはないからだ」とし、欧米は実力行使しないから、全面戦争にはならないと仄めかした。

 戦争が始まり、バレエダンサーや音楽家になるためロシアに留学した日本人のご両親から私に「戦争が始まったが大丈夫か」との問い合わせがあった。外務省が日本人に帰国を促したからだ。私は上記の情報があった為、「ロシアにいる限りは安全だがウクライナにいる人はすぐに逃げなさい」と言った。

 実力行使がない戦争は情報戦争になる。自分たちが勝っていて正義であると主張する。残念ながら、日本のマスコミはこれを検証なしに流している。例えば、ロシアが原発を砲撃したと西側が言ったが、実は砲撃の3日前にロシアが原子力発電所を支配下に置き、原発担当国際機関であるIAEAに状況を日々報告していた。だからIAEAはウクライナの嘘がわかっていたが、国際機関は西側に近いため、ウクライナの言うことをはっきり否定しないでいる。

 二つ目は、南の黒海近くのマリオポリで、ロシア軍が産婦人科病院を砲撃し妊娠中の女性が死亡したと西側マスメディアが流した件だ。数日後亡くなったはずの妊婦がテレビに出て「自分は生きている、実際に病院を爆破したのはウクライナのネオナチの連中だ」と言っていた。

 ブチャの虐殺もでっち上げだ。直前の3月29日にロシアとウクライナで和平合意があった。翌30日、ロシア軍が合意に従って撤退した。翌日ブチャ市長が街に入り、「すべて正常だ」とキエフに報告した。4月1日に、ウクライナ軍がブチャに入り「街中はカラだ」とキエフに報告した。ところが3日後の4月4日、AP通信が虐殺があったと報道し、道路両側に死体が転がっている映像を流した。しかし報道の最後の場面で、車の右サイドミラーに死体として転がっていた人がむっくり起き上がったのが見えて、この報道の嘘が明るみになった。

:情報戦はフェイクニュースを生む。

フェイクニュースは世界を惑わす

■ 報道機関の本質の見極めが必要


小手川:マスコミのことを申し上げると、例えばBBCの国内放送はNHKと同様、基本的に国民の視聴料で経営していて中立だ。しかしながら、BBCというと皆信用しがちだが、BBCの国際放送は100%政府資金で賄われ、政府の言うままに報道している。

 NHKは海外取材の力が無いことを自認し、アメリカのCNNをコピーしている。そのためNHKの海外報道は結果として誤りがあっても、悪いのはCNNだと言える構造になっている。朝日新聞とテレビ朝日は、ニューヨーク・タイムズと契約しており、戦争関連についての記事はニューヨーク・タイムズの翻訳版だ。

 最近、割とバランスが取れた報道をしているのは、アルジャジーラという中東の報道機関だ。実は、アルジャジーラは以前、バランスがとれた報道機関ではなかった。アルジャジーラ職員の大半は昔BBCサウジアラビア支局で働いていた。サウジの王様のファミリーに関する報道してはいけないニュースを流したため全員がサウジアラビアから追放され、やむを得ず隣のカタールに移って始めたのがアルジャジーラだ。カタールのアルジャジーラ本社の同じ街路の左4軒目か5軒目がCIAのカタール本部、道の向かいの右側2軒目あたりがイギリスのMI6本部だ。昔は非常に偏向報道が多かったが、独立して20年経ち、最近割合偏向のないニュースを流すので、私は朝のアルジャジーラは欠かさず聞いている。

アルジャジーラのニュースサイト

■ 対ロシア制裁の実態


小手川:日本には正しいニュースが入ってきてないと思う。例えば、欧米も含めた所謂民主主義国の大多数が「ひどいことをやるロシアをやっつけよう」との構図になっているように見えるが、ロシアに制裁をする国は48カ国しかない。全世界に180ぐらいある国の4分の1に過ぎない。アジアでは日本と韓国、シンガポールしかロシアに制裁していない。

 アメリカのお膝元の中南米で、ロシアに制裁をする国は全くない。9.11後アメリカにひどい目に遭った中東では、制裁に参加する国はない。アフリカでも制裁をする国は半分ぐらいだ。制裁に参加するのはEUとカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、日韓、シンガポールだけで実際には圧倒的少数派だ。

 ロシアに制裁をする国にしても、自分の都合のいいように例外や抜け道を作っている。例えば韓国は、金融制裁はやってない。

ロシアのウクライナ侵攻後、ロシアの原油を輸入する国ランキング(出典:ELEMENTS “The Countries Buying Russian Fossil Fuels Since the Invasion”)

小手川:また、天然ガスは制裁の対象外とする国もある。制裁対象にすると自国に天然ガスが入ってこなくなるからだ。イギリスは2022年末までにロシアからの石油の輸入を停止すると言いつつ停止せず、むしろ同年3月のロシアからの石油輸入は前年に比べ増加した。

 現在ロシアの原油を輸入する国は、1位は中国、2位はドイツだ。トルコ、インド、オランダ、イタリアとヨーロッパの国が続き、日本は13位で、韓国のすぐ上ぐらいだ。つまりヨーロッパの国々は事実上制裁はやってない。

 実はアメリカが今でもロシアから輸入するものが三つある。一つはウラニウム、二つ目はディーゼルオイル、三つ目はポタシという化学肥料の原料だ。他国には制裁に加われと言いながら自分はちゃっかりロシアから輸入しているのは、各国共通だ。

 皆さんには様々なニュースを聞く中で、理解できない所に疑問を持ち自分で調べてほしい。携帯電話で検索しても納得いかない場合が相当多いはずだ。そうした時は歴史をさかのぼり、何故今こういうことになっているか調べることが重要だ。

ロシアの天然ガス採掘場

■ ウクライナの経済を見れば、今後がわかる


小手川:経済とは、そこに住んでいる人たちがちゃんと生活をやっていけるかどうかだ。政治や戦争で国が滅ぶことは短期間では起こらない。だが経済は違う。食うものがなかったら即、餓死するしかない。経済がいちばん重要だ。

 今回の件に照らしてみると、ウクライナの貿易額の6割強がロシアと旧ソ連関係だ。アメリカのタカ派が「中国を攻めろ、ロシアを抹殺しろ」等と言う。この人たちに対して、私が申し上げるのは、「そういうことをやった後に、その土地に住む人たちの生活をあなた方は面倒見るのか?」だ。今までの例を見ると、アメリカはイラクに対してもアフガニスタンに対しても、2014年のウクライナクーデター後に対しても、全く援助していない。当時ロシアはウクライナに、175億ドル(約1兆7000億円)の援助を毎年すると約束し、且つ、ロシアからの天然ガスを2割引するとした。ヨーロッパ諸国がクーデター後にウクライナに送った経済援助は5億ドル(約500億円)だった。当然ウクライナの経済は破綻した。

 ソ連崩壊の1992年にウクライナ人口は約5000万あった。5000万というと、ヨーロッパでは大国だ。ヨーロッパで一番人口の多い国はドイツで8500万。イギリス、フランス、イタリアがほぼ一緒で大体5500万から6000万。次がポーランドとスペインで4000万。当時のウクライナはポーランドやスペインよりも人口が多かったが、経済がうまくいかなかった。特に戦争になってウクライナから大勢が海外に逃れた。海外への出国とはいえ、実際は大部分がロシアに行っている。東ウクライナ人はロシアに近く、ロシアに数百万の人が移住した。先月末ウクライナは人口が2000万と、30年間で人口は半分以下になった。人口の数字を見るといかに酷いことになっているかが解る。

ロシアの攻撃から逃れるウクライナ避難民

■ ロシアとウクライナはなぜ今日の状況に?


小手川:最初に西側がウクライナにマスコミを使って横槍を入れたのが2004年12月の大統領選挙だった。東側の国を潰すときに使われるのがNPOだ。NPOは一見格好よく見えるが、NPOほど酷いところはない。NPOが選挙の不正などの問題を最初に報道し、それを西側のマスコミが流す。NPOの問題は活動資金の出どころにある。それは誰も言えない。そのリソースはいろいろある。なかでも有名なのはジョージソロスという大金持ちだと言われている。ハンガリー出身のユダヤ人だ。彼はイギリスポンドの投げ売りで大儲けした。最近はアメリカで大麻が合法化され、ジョージソロスはアメリカ最大のマリファナ販売会社の社長として大儲けした。ワシントンにナショナルエンダウンメント・オフ・デモクラシー(NED)という1960年代にCIAが資金を出して作ったファンドがあり、旧共産主義国に金を入れNPOを作らせて政府への反乱を起こすことを明確に目的にしている。最近では香港騒乱時、学生運動にお金を出したのがNEDだ。尖閣列島に中国人が上陸したのも、NEDが別のNPOにお金を出してやらせたことだ。NPOが自分のバックグラウンドを隠し、世界的なマスコミと組み、情報戦争をしている。

 2004年12月ウクライナの大統領選挙でヤンコビッチが勝った時に、NPOが選挙に関して不正があったと主張し、その結果、再度大統領選挙をやり直したところ最初に負けたユーシェンコが当選した。ユーシェンコは中央銀行に勤め、大学教授時代に毒を盛られ顔が変わったことで有名な人物だ。いまだ毒を盛ったのがロシア側か西側かはっきりしていない。はっきりしているのは、ユーシェンコはウクライナ女性と結婚した後、大学教員を辞めて大統領選に出る時、アメリカから来た亡命ウクライナ人女性と懇意になり、妻と離婚してその新しい女性と結婚した。この女性はOUNの重要人物で、彼女はウクライナに行く前にアメリカのCIAと財務省の秘書をやり勉強を積んだ後、ウクライナに送り込まれてユーシェンコを籠絡し結婚した。ユーシェンコは欧米に接近するが上記の理由で、ウクライナ経済が破綻した。その結果、2010年の大統領選では、前回敗れたヤルコビッチが新しく選ばれた。

2014年2月、ヤヌコーヴィッチ政権を崩壊へと導いたクーデター「マイダン革命」

小手川:これに対して、2014年2月にウクライナでクーデターが起こった。クーデターを仕組んだのはアメリカ国務省の当時局長だったヴィクトリア・ヌーランドという女性だ。昔の名前はヌーデルマン。ヌーデルマンのMANは、ドイツ系の名前で、最後のところがNが二つなのは、普通のドイツ人。Nが一つなのはユダヤ人だ。夫はロバートケイガンというリトアニア出身のユダヤ人で、アメリカの新保守派の理論家でロシアを地上から抹殺しようなどと激しいことを言っている。ビクトリアヌーランドがCIAやMI6と仕組んでやったのが2014年のクーデターだ。結果、2014年にポロシェンコがウクライナの新しい大統領になった。

 これに対して、ロシアが住民投票の形でクリミアを併合した。東ウクライナは独立宣言をし、自治権を主張した。なぜロシアがクリミアを欲しがったかについて、キエフ生まれのロシアの有名な学者グラジエフに聞いたところ、クリミアは暖かいと。その南側に、セバストーポリという街がありロシアの海軍基地がある。セバストーポリの住民の95%は、海軍OBのロシア人で、同地が良い場所だからリタイア後の住処としたそうだ。

 この後ウクライナは内戦状態になった。ウクライナ軍が訓練されていない酷い軍隊だった為、ロシア義勇兵に負けた。2014年9月のミンスク合意前日、4000人のウクライナ部隊がドネツクの飛行場に包囲され、全員殺される直前だった。ロシア大統領プーチンは昔、東ドイツにいた関係で、欧米が好きで完全に敵対したくない為、停戦した。

 ミンスク合意はロシア、ウクライナに加えて、ドイツ、フランスの間で行われた。アメリカは入ってない。最近になって当時のドイツ首相メルケルと、フランス大統領のオランドが、新聞記者会見で公然と「ミンスク合意を守る気は一切なかった、ウクライナ軍が弱く、彼らを再訓練する時間稼ぎのためだけだった」と述べた。合意はあったがウクライナ経済は破綻した。ロシアとうまくやらないとウクライナは経済が立ちいかない。 

 2019年4月にゼレンスキー大統領は、ロシアと仲直りをして、東ウクライナに関しては住民投票で決めようとの選挙公約で、72%の得票で勝った。ところが人口比では3%のネオナチから暗殺するとゼレンスキーは脅された。このためゼレンスキーは180度主張を変え、戦争になった。

 2022年3月29日、ロシアとの対面交渉でウクライナ側が書面で、NATOには入らず中立になると約束した。ロシアはこれを信頼し撤退した。しかし、その後ウクライナ側のこの時の交渉官がネオナチに暗殺され、合意はなかったことになった。

ベルギー・ブリュッセルのNATO本部

■ うまくいった中国と停滞に陥った旧ソ連諸国


:小手川さんのお話をサポートするデータがある。最近私は世界の二酸化炭素排出構造を研究している。2000年から2019年の20年間、世界でメインに二酸化炭素を出している国は79カ国のうち、28カ国は二酸化炭素排出量が減少していると分かった。興味深いのは、二酸化炭素減少国に、旧ソ連の諸国が10カ国入っている。残りは全部先進国だ。二酸化炭素が減少した理由は国によって異なる。先進国は省エネやエネルギーリソースのシフトに資金を投じ、二酸化炭素を減らした。他方、ロシア、ウクライナをはじめ旧ソ連10カ国は、経済が停滞し、二酸化炭素を出す力もないから二酸化炭素排出量が減った。ウクライナ問題の背後に経済問題があるとの小手川さんのお話はまさしくその通りだ。

旧ソ連諸国の二酸化炭素排出量変化分析図(2000〜2019年)

:2009年、私が『ジャパンアズナンバーワン』を書いたハーバード大学のエズラ・ボーゲル教授と対談した。その時、ちょうど中国経済が日本経済を超えた。「ジャパン・アズ・ナンバースリー」と題して『Newsweek』誌に載った対談で、中国の経済成長は、日本の高度成長と同様、輸出拡大が牽引したが、その違いは、日本はフルセット型のサプライチェーンが中心で、中国はグローバルサプライチェーンが中心だ、とした。つまり中国経済は、時代が変わった中で成功した。

日本語版『Newsweek』誌 2010年2月10日号に掲載されたカバーストーリー『ジャパン・アズ・ナンバースリー』

:グローバルサプライチェーンが進んだ結果、今日世界輸出総額の71%は2000年以降に作られた。この中で中国の輸出は最も伸びた。増えた世界輸出総額の内訳を見ると、中国は2割を占めた。次はドイツの6.8%、アメリカが6.1%、日本はわずか1.7%だ。

 中国の急成長に対して、アメリカは2018年頃から貿易戦争を発動し、グローバルサプライチェーンの再構築をしようとしている。中国と反対に、冷戦後、旧ソ連諸国は長い経済停滞に陥っている。これもロシアとウクライナ問題の大きな要因になっている。

世界の輸出総額推移分析図(1948〜2021年)

■ ソ連のアフガニスタン侵攻の遠因にオイルマネー


小手川:疑問点がある時は、歴史を振り返って考えることだ。短期間の歴史でわかることもあるが、長いスパンで見ないとわからないこともある。1975年以降、一番重要な事件は二度のオイルショックだった。石油の値段が上がった結果、ソ連と中東の産油国が当時の石油生産の大半を占めていたため、ソ連と中東に急にお金が流れた。ところが中東は消費能力が非常に低かった。それを見て頭の良いイギリス人がロンドンにユーロ市場を作り、ソ連と中東のお金を受け入れた。ユーロ市場は、それぞれの国の金融市場のいわゆる例外的なマーケットになり、ユーロが全世界で暴れた。これに因って非常に儲かったソ連が調子に乗って、1979年から10年間アフガニスタン戦争に突入した。結果、経済が停滞し、最終的にはソ連崩壊のシナリオにつながった。 

 もう一つ重要なのは、1985年2月にプラザ合意があり、大幅な円高になったこと。当時、1ドルが270円だったものが、プラザ合意の結果、130円へと2倍になった。プラザ合意の円高で二つ大きなことが起こった。一つは日本国内で人件費が高騰し日本の製造業が東南アジア、中国に進出した。1980年代半ばにはアジアが世界の製造業の中心になった。もう一つは、お金を持った日本の金融機関がロンドンに殺到した。その結果、ロンドンの金融機関が儲けていた金利の幅が10分の1になった。SGWarbergなどイギリス王室関連の銀行がバタバタ潰れた。日本の金融機関の進出をストップしようと日本を唯一のターゲットに作られたのが1988年のバーゼル規制だ。

食糧を求めるアフガニスタン難民

■ 米英主導のクーデターが大混乱をもたらす


小手川:遡って1953年には民主的な選挙で選ばれたイランの政府が石油会社を国有化したことに対し、英米がイランにクーデターを仕掛けた。アメリカのCIAと、イギリスのMI6が組んだクーデターが、選挙で選ばれたモサデック総理を失脚させた。モサデック総理がそれまでイランの石油産業を独占的に支配し膨大な利益をあげてきた英国資本のアングロ・イラニアン・オイル会社(現:BP)のイラン国内の資産国有化を断行した為である。

 モサデック総理を退けた後に英米が立てたのがシャーだった。シャーはしばらく国王を務めた。イランの人々はアメリカとイギリスがしたことを覚えていて1979年にイラン革命が起こった。シャーが追放されて、今のようなイランになった。イランはひどい国だと一方的に思いがちだが歴史をさかのぼると、一番悪いのはイギリスだ。選挙で選ばれた人が自分たちの判断で国営化したことに、外国がいろいろ言う権利はない。実はイランの今の状況は、そこからスタートしている。

 アメリカは自分の足元の中南米で、ニカラグアやパナマを始め何回もクーデターを起こしている。中南米以外では1953年のイラン、1986年のフィリピンのクーデターだ。フィリピンのクーデターで、マルコス大統領が失脚した。その後、フィリピン経済はひどいことになった。日本中にフィリピンパブができ、フィリピン人女性が日本中の飲み屋に働きに来たきっかけになった。

 1991年12月ソ連の解体は、本来、ソ連をアメリカ的な民主主義にする最大のチャンスだった。ところがアメリカが教条主義的な学者を送り、自由主義経済、フリートレード、自由化、民営化を主張してソ連経済がおかしくなった。私が学生時代一緒に働いていたバレエダンサーたちと1990年代末に再会した。彼女たちの話によるとロシアの通貨ルーブルは下落、年金は据え置きになり、物価が200倍になったと言う。役人、軍人、教員、科学者だった親たちがもらう年金が、通貨暴落と経済の破綻で一カ月3000円になり、生活できないのが8〜9年続いた。その大変な状況に陥っている時に出てきたのがプーチンだ。ロシア人は1990年代の苦しい時を覚えていてプーチンには頑張ってほしいと願っている。

プーチン大統領を支持する市民デモ

■ ペロシ米下院議長の台湾訪問が問題を激化


小手川:最近の台湾問題は2022年8月のナンシー・ペロシアメリカ下院議長の台湾訪問が発端だ。当時は、彼女はすでに同年11月の中間選挙で負け、11月以降自分が下院議長ではなくなると知っていた。だから、彼女はアメリカ初の女性下院議長として台湾訪問をしたかった。何故かと言うとペロシの選挙区はサンフランシスコで選挙民の3分の1が台湾系の中国人だからである。つまり彼女は自身の選挙運動のために行った。ペロシの出身は東海岸のボルティモアで祖父は有名なマフィアのトップだった。父はボルティモア市長だった。結婚相手がサンフランシスコに住む弁護士だった為同地で立候補した。

 ペロシの台湾訪問は大きな緊張をもたらした。当時もし中国が台湾を攻めるとなれば中国が最初にやることは制空権を取るため沖縄の米軍基地を爆撃するだろうから、日本は米中戦争に巻き込まれると騒ぎになった。ナンシーペロシが台湾に行った当初と比べ、今は米中問題は少しヒートダウンしている。

 当時、もう一つ考えられたシナリオは、中国が台湾と中国本土の間にある金門島と馬祖島を攻めることだ。2島はアメリカと台湾の安全保障条約の対象外だから仮に2島が中国に取られても、アメリカは防衛の義務がない。

 ナンシー・ペロシのような人が出てくるのは、今アメリカは製造業が衰え、役人の天下り先が軍事産業しかないからだ。昔はアメリカにも言うべきことを言う人がいたが今は誰も言わない。自分の再就職先の軍需産業に行けなくなるからだ。

 もっとも心配なのは、米中間には、大臣同士ではなく次官同士のバックチャンネルや民間を使ったサイドチャンネルがない。これらが存在する米露間と異なり、米中間に思わぬ事故が起こる可能性はないとはいえない。

 アメリカは2020年5月に政府全体で米国対中戦略を作った。アメリカ国内には対中関係では三つの勢力がある。一つは中国取り込み派だ。主として金融機関の中国で商売したい人たちだ。次は妨害派だ。アメリカの軍や国防省の人たちで、中国にちょっかいを出し続けている。もう一つが敵対派で、アメリカの上院下院の議員たちだ。

2022年8月、ナンシー・ペロシアメリカ下院議長の台湾訪問

■ 中国そして中国人の本音は何処に?


小手川:2000年には中国に日本人と生活水準が同じ人はいなかったが、2010年に1億人、2020年には日本人の約5倍の7億人が同じ生活水準になった。中国の課題は、一つは2025年からの若年労働者の急激な減少だ。二つ目は、1980年代の半ばから中国が取った一人っ子政策のもと小皇帝と呼ばれた世代が50代になり社会と政治のリーダーシップをとる。彼らは以前の人たちに比べ苦労していない。習近平時代は最後の文化大革命経験世代で、当時ひどい目にあっているから国は安定が一番重要だと信じている。その経験がない人たちがリーダーになる不安定さがある。三つ目は、中国人の投資減。中国でも限界収益比率が下がっており、2025年に日本と同等になる。儲からないから投資をしなくなる。

 私は中国が大好きで何度も行っていた。最近締め付けが厳しくなりシンガポールのように監視カメラを駆使している。2017年の共産党大会前に私は上海へ行った時、党大会直後でお店は再開したのに街中が静かで、運転手さんも全然クラクションを鳴らさない。共産党大会の前後で、上海だけで監視カメラが2億個ついたからだった。クラクションを鳴らすなどの交通違反をすると、監視カメラから判別した車のナンバーが街頭に設置したボードに載り、載ると自動的に銀行から罰金が引き落とされるから、違反がなくなった。新型コロナで監視が更に激化した。

 中国は2022年の北戴河会議で、三つの柔軟と三つの強行という政策を作った。

北戴河会議が行われる河北省秦皇島市北戴河のリゾート地

小手川:柔軟にするのは対米、対西欧、ベトナム、日本と韓国。一方、強行は国内向けで、この中には台湾、香港が入る。そして対外広報。2023年秋の共産党大会で完全に習近平体制になった。

 今週私は北京に行ってきた。同郷の日本大使の垂さんと昼食をした。これからの中国で一番大変なのは共産党の正当性を中国国民にどう認めてもらうかだと垂さんが言ったことに私は共感した。毛沢東はこれを抗日戦争と独立に求めた。鄧小平は共産党と一緒に頑張れば生活は良くなると言った。実際、経済成長したら人々の生活が良くなり安定した。ところが習近平は共産党の元で中国が強くなると言う。生活が良くなることは一般の人たちにもわかるが、中国が強くなることを一般の人にどう感じてもらうのか。そこがうまくいくかどうかにかかっている。

 海外の我々にとって一番重要なことは、中国政府の発表はすべてが国内向けだと知っておくことだ。日本人やアメリカ人が発表を聞いてどう思うかは考えていない。中国の自国民が政府の言うことに同調することだけ考えて発表している。そこは別モノだときちんと整理して認識しておいた方がいい。

 2023年3月頃から日中間の航空便が昔通りになり、私の中国の知り合いが久しぶりに日本に来ている。昔は日本に来るとみんな率直に政府批判もしていたが、いまは率直な話しは、一対一で会った時だけだ。みんな言っていることは同じで、日本の会社を買収したいと言う。昔のように技術が欲しいとかが動機ではない。できる限り早く、自分の会社、自分の工場を中国から日本に移したい。中国政府から接収されるかわからないから日本に移す受け皿として、赤字でもいいから会社を紹介してほしいと言う。東京でマンションを買うのもそれが理由だ。不動産を買ったら妻子を東京に引っ越しさせる。日本の生活の質は最高だからだ。健康保険、交通面で住みやすい国が日本以外ないと、地理的に一番近い中国の人が分かっている。

 私は皆さんに、外国人受け入れに寛容であってほしいと願っている。日本に来た人たちが日本人の考え方に賛成してくれるのは日本が平和、平等、清潔な国だからだ。外国人を日本に取り込み日本の生活が全世界に広まれば戦争もなくなっていく。ぜひとも寛容であってほしい。

※以降、Ⅱに続く

講義をする小手川氏(右)と周牧之教授(左)

プロフィール

小手川 大助(こてがわ だいすけ)
大分県立芸術文化短期大学理事長・学長、IMF元日本代表理事 

 1975年 東京大学法学部卒業、1979年スタンフォード大学大学院経営学修士(MBA)。
 1975年 大蔵省入省、2007年IMF理事、2011年キヤノングローバル戦略研究所研究主幹、2016年国立モスクワ大学客員教授、2018年国立サンクトペテルブルク大学アジア経済センター所長、2020年から現職。
 IMF日本代表理事時代、リーマンショック以降の世界金融危機に対処し、特に、議長としてIMFの新規借入取り決め(NAB)の最終会合で、6000億ドルの資金増強合意を導いた。
 1997年に大蔵省証券業務課長として、三洋証券、山一證券の整理を担当、1998年には金融監督庁の課長として長期信用銀行、日本債券信用銀行の公的管理を担当、2001年に日本政策投資銀行の再生ファンドの設立、2003年には産業再生機構の設立を行うなど平成時代、日本の金融危機の対応に尽力した。

【講義】 阮蔚 vs 周牧之:誰が増え続ける世界人口を養うのか?

レクチャーをする阮蔚氏

■ 編集ノート: 

 東京経済大学の周牧之教授の教室では、リアルな学びの一環として第一線の経営者や研究者、ジャーナリスト、官僚らをゲスト講師に招き、グローバル経済社会の最新動向を議論している。2023年5月18日、農林中金総合研究所理事研究員の阮蔚氏を迎え、講義していただいた。

 緑の革命と貿易拡大によって支えられた世界食糧供給体制と、戦争などがもたらす食糧危機について議論した。


■ ローマクラブの「成長の限界」


周牧之:きょうは世界の食糧と農業に関して深い知識を持つ阮蔚氏を招き、世界の食糧需給バランスと主要国の政策の変遷について講義いただく。その前に、私から現在の世界食糧需給の背景について説明したい。

 1972年、ローマクラブという欧米のエリートが集まる学術団体から『成長の限界』というレポートが公開された。同レポートは、地球がこれ以上の人口を支えられないと予言し、警告したもので、大きな反響を巻き起こした。その内容は当時の政策立案者たちの重要な道標となった。

 同レポートの警鐘にもかかわらず、世界人口は1972年から現在に至るまで倍増し、今もなお増加し続けている。

 『成長の限界』で大きな問題として取り上げられたのが食糧供給問題だが、同レポートの憂慮をよそに、世界食糧供給は増え続けた人口を養えただけでなく、いまや供給過剰になっている。

■ 人類の繁栄を支えた「緑の革命」


周牧之:世界食糧供給を拡大させた要因は主に二つある。一つ目は「緑の革命」だ。「緑の革命」については解釈が様々あるが、基本的には、化学肥料や農薬、品種改良、灌漑施設、遺伝子組み換え、機械化、組織化などの導入を通じて、農業の生産性向上をはかったものである。

 グラフ「緑の革命:単位面積当たりの穀物生産量が大幅に向上」の作成にはかなりの時間を費やしたが、非常に興味深い。『成長の限界』より遡る1961年のデータから始め現在まで、世界の穀物生産用地面積は、たった14%しか増えていない。それに対して人口は1961年から2.5倍に増えた。これに対して、穀物の生産量は、人口の増加率を超え、なんと250%増、すなわち3.5倍になった。穀物生産量増大の最大の要因は、単収(単位面積当たり収穫量)が急激に増加したからだ。言い換えれば、土地の生産性が劇的に向上した。これは「緑の革命」の成果である。

■ 農産物のグローバル・トレード


周牧之:増大し続ける地球の人口を養うもう一つの要素は、農産物の貿易だ。農産物貿易アイテムとして、金額ベースで多いものから順に、園芸作物(野菜、果樹、花など)、油用種子、穀物、肉類、そして魚介類・水産物となる。

 農産物輸出量が最も大きい国は順に、アメリカ、ブラジル、オランダ、ドイツ、中国だ。一方、最も多く輸入している国は中国、アメリカ、ドイツ、オランダ、そして日本となる。

 農産物の二国間貿易において、取引量がトップ5に入る組み合わせを見てみると、最も多いのはブラジルから中国への貿易だ。次いで、アメリカから中国への取引、メキシコからアメリカ、オランダからドイツ、そしてカナダからアメリカへの貿易、と続く。

 こうした大規模でかつ複雑な農産物の貿易と、「緑の革命」によって、我々の生活は支えられてきた。「化学肥料貿易フロー」のグラフが示すように、実は、「緑の革命」自体も、化学肥料貿易に支えられている。

 ところが、1年前のロシアによるウクライナ侵攻は、世界の食糧供給システムを大混乱させた。石油の価格と同様に、穀物価格は急騰した。今は少し落ち着いてきたが、「食糧危機」という近年忘れ去られていた政策イシューが、再び浮上してきた。

 本日のゲスト講師、阮さんに、この複雑な世界の食糧事情について講義していただく。

■ 2022世界食糧危機は人災


阮蔚:周先生が只今説明された世界食糧問題の全体像の詳細について、また、なぜそうなったのかについて、少々時間をかけて説明したい。主に私の著書『世界食料危機』の要点を抽出してお伝えする。

 日本にお住まいの方にはあまり感じられないと思うが、実は世界ではいま食糧危機が発生している。まずはその現状から説明したい。

 昨年、人為的な要因により世界的な食糧危機が発生した。国連食糧農業機関(FAO)、世界食糧計画(WFP)などの報告によれば、2022年に紛争や自然災害で深刻な食糧不足に陥った人々(急性飢餓人口)の数が、過去最多の2億5,800万人に達した。これは日本の人口の倍にあたり、前年に比べて6,500万人増加したことになる。

 この状況はなぜ生じたのか、周先生の説明の中にも含まれていたが、要因の一つに、食糧価格の急騰が挙げられる。昨年、ロシアのウクライナ侵攻によって小麦の国際価格は史上最高値を記録した。

 ロシアとウクライナは近年、世界有数の小麦輸出国となり、両国の小麦輸出量は世界全輸出量の約3割も占めるようになった。ところが、戦争によって両国の小麦は輸出できなくなり、小麦の国際価格が高騰した。小麦の自給率が低く輸入に頼るアフリカなど途上国は、輸入量の減少で大きな打撃を受けた。

 しかし、近年の世界全体の小麦生産量と輸出量、及び期末在庫は中長期的スパンでみると決して低い水準ではない。つまり、世界には「モノ」が存在している。飢餓問題は単に食糧不足や農業問題だけで片付けられない。それより遥かに広範囲で複雑な課題を抱えている。これらの問題を理解するためには多角的な視点が必要となる。

 経済学を専攻している皆さんなら、飢餓問題が食糧供給の問題だけでなく、分配の問題、政治的問題でもあることをすぐに思い起こすだろう。

 例えば、充分な食糧が存在しながらも、不平等な分配やアクセスの格差が原因で、一部の人々が適切な食糧を得られない状況が生じる。また、政治的混乱や紛争は、食糧の生産、輸送、分配にネガティブな影響を与え、飢餓を引き起こす原因となり得る。

 よって、飢餓問題はただ食糧不足の問題というより、むしろ社会経済的な問題、政治的問題としての側面を持つ。ここで私が特に強調したいのは以上の点だ。

レクチャーをする周牧之東京経済大学教授

コメ価格の圧倒的な安定性


阮蔚:2022年に世界の食糧は不足していなかった。そう言い切れる一つのデータがある。それは、世界のコメ価格と小麦価格の関係性を示したデータだ。これまでの数十年間に、コメ価格は一貫して小麦価格を上回っていた。ところが、昨年は世界全体で食糧危機が叫ばれていたにもかかわらず、世界のコメ価格は大きく上がらなかった。さらに、昨年小麦価格が史上最高値を記録した同時期に、小麦価格がコメ価格を上回る逆転現象が発生した。これは、世界では食糧という「物資」が不足していないことを示している。

 小麦とコメは世界の2大主食穀物だ。ただ、世界の多くの国で消費している小麦に比べて、コメは主としてアジアの主食となっている。またアジアのコメは自給自足の色合いが強く、生産量に対する輸出比率は低い。

 アジアの特徴は人口の多さと、その農業規模の小ささだ。零細農家が大半を占めることから、コメの価格が小麦より高い。

 小麦の輸出国は主として米国や欧州、豪州等先進国であり、生産は大規模化・機械化が進み、一般的に小麦の価格は低めに推移していた。

 昨年、その傾向が逆転し小麦の価格が急上昇したが、コメの価格はほとんど変わらなかった。モノ(物資)としての食糧は十分に存在していたからだ。コメの価格は今年に入ってから少し上昇している。昨年の肥料や燃料の価格高騰伴い、コメの生産コストが上がったことが、コメの価格上昇につながった。

■ 貿易財としての小麦


阮蔚:麦のもう一つの特徴は、小麦が貿易材としての役割を果たしている点だ。世界の全体的な輸出比率を見ると、小麦(赤い折れ線)は常に2割以上を占めており、近年ではおよそ25%になっている。これはつまり、小麦生産の2割以上は輸出のためであることを示している。特にアメリカでは、生産される小麦の約半分が輸出用に供されている。

 一方、コメの輸出比率は数パーセントに過ぎない。近年、僅かながら増加傾向にあるが、1961年から2020年までの半世紀以上にわたり、コメの輸出比率は4%から6.9%にでしかない。これは、コメが主に自給自足で用いられ、貿易材としてはあまり重視されていないことを意味する。中国やインドに代表されるアジアの国々では、コメの完全な自給を目指しており、わずかな過不足の調整としてコメを輸出入している。

 輸出量を見ると、小麦は折れ線グラフで示され、下のブルーのラインは米を示している。近年特徴的なのは、トウモロコシと大豆の輸出量が急激に増えていることで、これは中国の影響が大きいと考えられる。

 世界の主要な小麦輸出国に目を向けると、歴史的に長期にわたってのリーダーはアメリカで、これに欧州、カナダ、オーストラリアが続いた。21世紀以降、ロシアとウクライナからの輸出が増加し、2014年以降ロシアがアメリカに代わり世界最大の小麦輸出国となった。

■ 「マルサスの罠」の克服


阮蔚:この半世紀で世界の人口は2.1倍に増えたが、それに伴い穀物生産量は2.5倍、化学肥料の使用量は2.7倍に増加した。これは化学肥料の投入増加により、穀物の増産が可能になり、それによって世界の人口が維持されていることを示している。多くの地域で化学肥料が効果を発揮するための灌漑設備が必要となり、世界の灌漑面積も同様に拡大した。つまり、世界全体でみると、私たちが「マルサスの罠」を克服してきた事実が浮かび上がる。

 化学肥料の輸出は、首位はロシア、次いでベラルーシが多い。一方、アフリカやブラジル、アジアなどの途上国の多くはロシアからの化学肥料輸入に依存している。しかし、現在、米欧がロシアの化学肥料輸出に制裁に近い措置を実施しているため、ロシアの化学肥料輸入に依存する多くの途上国の食糧生産に、影響を及ぼす可能性がある。

レクチャーをする阮蔚氏

■ 異常気象が食糧生産に影響


阮蔚:今、私たちはまた別の重大な問題にも直面している。それは食糧生産における気候変動のリスクだ。以前は「異常気象」と称されていた現象が、近年では常態化し、事実上の「新常態」になりつつある。

 昨2022年の急性飢餓人口のうち、自然災害に起因するのは約6,000万人にものぼった。これは日本の人口の半分に匹敵する数だ。対して2021年の自然災害が原因となる急性飢餓人口は、それの半分程度だった。では、昨年何が起こったのか。一つの要因として挙げられるのが、「アフリカの角」(エチオピア、ソマリア、ケニア、ジブチ、エリトリア等、アフリカ大陸東部の地域)における連続する干ばつだ。これが5期連続となったのは、歴史を見ても初めての事態で、私たちが新たに直面する大きな課題である。

 2022年はまた、世界の三大河に干ばつが発生した。北半球にある三つの大河すなわちライン川、ミシシッピ川、中国の長江が、昨年、同時期に干ばつに見舞われた。これは記録史上初めての現象だ。昨年は干ばつだけでなく、パキスタンなどで大洪水が発生した。干ばつも洪水も、食糧生産に大きな影響を及ぼした。

■米欧の農業「補助金」とアフリカの小麦輸入依存


阮蔚:世界の飢餓に苦しむ人口は、主としてアフリカや中東、南アジアの途上国で増えている。なぜこのような状況になったのか。それはこれら途上国がロシアやウクライナなどからの輸入小麦に大きく依存しているからだ。国別でみると、エジプト、トルコ、ナイジェリア、イエメン、タンザニアなどはロシアとウクライナの小麦の主な輸入国だ。

 国連食糧農業機関が昨年11月に出したレポートによると、昨年10月まで、先進国の食糧輸入量は増加したが、途上国の食糧輸入量は前年比10%も減少している。まさに昨年、アフリカなどの途上国の食料輸入減により、これらの国々で飢餓人口が増えた。

 では、なぜアフリカが輸入に大きく依存しているのか、そしてなぜアメリカとEUが最大の輸出国と輸出地域となっているのか。

 主な要因は米欧の農業分野における巨額の「補助金」にある。EUを例に取れば明らかだ。EUの予算のうち、1990年代までは農業予算が6割から7割を占めていた。1990年代以降、EUは度重なる改革により、農業予算のウエートを低下させたものの、依然として約4割を占めている。アメリカも手厚い農家所得支持措置を採っている。

 こうした補助金の下でアメリカとEUの農家は、穀物の市場価格が下がっても生産が続けられる。主として米欧の穀物供給過剰により、世界は長い間、「穀物供給過剰と価格低迷」という構造問題を抱えている。

 過剰小麦は主としてアフリカに輸出された。言い換えればアフリカは欧米の過剰小麦のはけ口となった。アフリカの主食はもともと非常に多様で、キャッサバやトウモロコシ、バナナなどが今日でも主食だ。また、キャッサバとトウモロコシは粉にして食べる習慣がある。しかし、米欧などからの輸入小麦の拡大により、アフリカの都市部ではこうした多種多様な主食の習慣が廃れつつある。

■ 終焉を迎える米欧の穀物供給過剰


阮蔚:世界は長い間、主として米欧が主導する穀物供給過剰と価格低迷という構造問題を抱えていたが、こうした米欧の穀物供給過剰の状況は終焉を迎えようとしている。要因の一つは世界の飼料原料需要が人間の主食穀物の需要を上回るスピードで増えていることにある。

 1980~2020年までの40年間、世界の主食穀物(小麦とコメ)生産量の年間平均伸び率は、同期間の人口伸び率に見合う程度の伸びしか達成していない。だが、飼料原料となるトウモロコシ生産の年間平均伸び率は2.7%、大豆は3.8%といずれも人口伸び率を大きく上回った。同期間の世界の食肉(鶏肉、豚肉、牛肉)生産量が2.5倍に拡大したことは、トウモロコシと大豆の生産急拡大を支えていることを示す。また、こうした食肉生産の拡大を支えるのは、主として中国やベトナムなどのアジアの食肉需要増加だ。

 一人当たりの食肉消費量をみると、2019年は、アメリカが依然として最も多い。一方で、中国も食肉消費量が増加し、一人当たり64kgに達した。ミャンマーは62kg、ベトナムは57kg、マレーシアは54kgといずれも日本の51kgを上回る。

 中国の食肉増産を支えているのは国内のトウモロコシ生産拡大と大豆の輸入増だ。中国は2000年に世界最大の大豆輸入国となり、2012年以降世界大豆輸入の6割も占めるようになった。近年、インドネシアやベトナムなどアジア諸国の大豆輸入も増加している。今後、途上国での食肉需要が増える中、世界の飼料穀物の生産及び貿易も拡大するとみられる。

■ バイオ燃料による穀物需要の拡大


阮蔚:米欧先進国が主導する世界の穀物供給過剰状況が終焉を迎えているもう一つの要因は、米欧主導の穀物によるバイオ燃料の消費拡大だ。バイオ燃料とは、トウモロコシや大豆など再生可能な有機性資源(バイオマス)を原料に、発酵、搾油、熱分解などによって生産した燃料を指す。現在、バイオ燃料の代表格はバイオエタノール(アルコール)とバイオディーゼルで、それぞれ自動車など輸送用燃料のガソリンとディーゼル油に混合して使われている。

 アメリカで2005年に成立した「2005年エネルギー政策法」では、トウモロコシ由来を主とするバイオエタノール等の再生可能エネルギー使用を義務付ける「再生可能燃料基準 (RFSⅠ= Renewable Fuel Standard)」の導入が決定された。自動車燃料に含まれるバイオ燃料の混合基準量(製油業界に義務付けるバイオ燃料の混合目標量)が義務化されたことで、2005年からトウモロコシ由来のバイオエタノール生産が急増し、2006年以降、アメリカは世界最大のバイオエタノール生産・消費国となった。

 同時に、EUは世界最大のバイオディーゼルの生産・消費地域となった。アメリカのバイオエタノールの原料はトウモロコシ由来で、EUのバイオディーゼルの原料は主として菜種油由来となっている。

 USDAのデータによると2021年、アメリカでバイオエタノール向けのトウモロコシ使用量は1億3076万㌧と生産量の34.1%にも達しており、これはアメリカの畜産飼料(1億4288万㌧)と肩を並べる需要で、輸出量6350万㌧の2倍以上を占めた。生産量に占める輸出の割合は2005年の19.2%から2021年の16.4%と低下をたどり、アメリカのトウモロコシ輸出拡大の意欲は大幅に弱まっている。

 さらに、近年、注目すべきは、バイオ燃料が地球温暖化対策の柱であるカーボンニュートラルへの大潮流のさなかにあることだ。バイオ燃料は自動車などに使えばCO2を排出するものの、もとは大気中のCO2を光合成で吸収、固定化した原料から製造されたもので、CO2を排出しても吸収分と相殺されると見なされ、カーボンニュートラルの燃料とされる。

 米国環境保護庁(EPA)は昨年、トウモロコシだけでなく大豆油を持続可能な航空燃料(SAF)の主な燃料にする目標を発表した。

 バイオ燃料需要が新たに増大している今、穀物輸出大国アメリカは今後、穀物の輸出を抑え、国内市場回帰により一層傾く可能性がある。穀物供給過剰時代の終焉を迎えつつある。

 世界はまさに食糧安全保障強化の時期に来ている。世界各国の穀物増産、食糧自給自足向上の動きは、大きな流れとなるだろう。世界が巨大な人口を養うためには、穀物の輸出入は欠かせない。現在進みつつある「世界の分断」とは異なる「開かれたグローバル穀物市場」を、世界は維持していく必要がある。

ディスカッションを行う周牧之東京経済大学(左)と李海訓東京経済大学准教授(右)

■ 質疑応答


周牧之: 緑の革命は、農業、とくに小麦産業を大規模な資本投入産業へと変貌させた。よって、アメリカとEUは補助金の投入で、強い生産体制を築いた。その捌け口がアフリカなどの途上国となった。しかし、中国をはじめとするアジアの飼料需要の急増や、バイオ燃料という新ニーズの出現によって、欧米にとってのアフリカ市場の重要さが失われた。そこの穴を埋めたのがロシアとウクライナの小麦の輸出であった。しかしロシアのウクライナ侵攻により、この輸出が急速に減少し、アフリカを食糧危機へと陥れた。

 きょうのゲスト講義に参加された本学の農業経済学専門の李海訓准教授から質問やコメントをいただきたい。

李海訓:2000年代末の穀物価格高騰時、インドやサウジアラビアをはじめとする世界の大手穀物メジャーや投資家が新たな投資先を探していた時期、未開発または開発可能な地域は、アフリカ、南米、ウクライナの3つだったと理解している。その中で、ウクライナが開発対象として選ばれた理由は、南米やアフリカに比べ、ウクライナには旧ソ連時代の灌漑施設を含むインフラがある程度整っていたからだ、というのが私の理解だ。今日の講義で阮先生はウクライナには灌漑施設がないとのお話があった。これは、特定の地域に限定された話なのか、それともウクライナ全体を指すのか、詳細をお聞きしたい。

阮蔚:ご指摘いただいた通り、ウクライナには旧ソ連時代に、コルホーズ(旧ソビエト連邦の集団農業制度の一部で、共同所有と共同労働に基づいた農業生産協同組合)など、中国の人民公社に似た組織が存在し、ある程度の灌漑設備が整備されていた。しかし、ソ連解体後、これらのインフラへの再投資が行われず、老朽化により使用不能な状態のものも多い。これは、新たな投資が必要という事態を示している。なお、当時の輸出は少なく、輸出用の港などは限られていた。そういったインフラの整備も必要だ。

会場:ウクライナへの投資について、中国は投資を行った一方で、日本は投資を見送ったとのこと、その選択の背後には、ウクライナ産小麦の品質が影響しているのか。

阮蔚:確かにその視点もあるが、日本が投資しなかった大きな理由は、日本の穀物輸入が大部分をアメリカから依存している事実があると思う。

レクチャーをする周牧之東京経済大学

■ 「開発輸入」による農産品貿易の安定化


周牧之:農産品貿易を安定化させるために「開発輸入」という考え方がある。これに基づき私は20〜30年前、シルクロード沿いでパイプラインを敷設しカスピ海から石油や天然ガスを中国まで引く大規模プロジェクトを計画した。日本、中国、韓国が共同で参画し、沿線開発を進めるアイデアだ。同プロジェクトでは、エネルギーだけでなく食糧の「開発輸入」も行う。当時、中国はまだ食糧の輸出国だったが、中国がいずれ大輸入国になるとの予測があった。それを前提に作った大型プロジェクトだった。

 プロジェクトに当時の小渕恵三内閣と江沢民政権が賛同し、両国間で、ロシアから中央アジアを経由して中国に石油、天然ガス、穀物を供給する包括的な大プロジェクトが動き出した。しかし後に、日本はプロジェクトから降りた。もっとも、中国は、プロジェクトを続行し、新疆から始めて次第にロシアに向けてパイプラインを伸ばした。開発輸入という考え方も、中国の食糧調達の基盤となり、やがて一帯一路政策に組み込まれていったのだと私は思う。

周牧之『現代版「絹の道」、構想推進を―欧州から日本まで資源の開発・輸送で協力―』、日本経済新聞経済教室、1999年4月1日

■「資本集約型産業」に変貌した農業


周牧之:「緑の革命」に話を戻すと、農業が「資本集約型産業」に変貌したことが重要な要素だ。つまり、大きな投資を必要とする産業になったということだ。グラフ「農業の労働生産性:一人当たり農業付加価値額」が示すように、世界各国の農業労働者一人当たりの付加価値額、すなわち労働生産性を見ると、所得の高い国ほど、労働生産性が高いことがわかる。アフリカのような低所得国と先進国との間には、約50倍の差がある。すなわち農業は資本が投入されれば、付加価値も相応に増える「資本集約型産業」だ。

 結果、資本が乏しい国々では食糧供給が問題となり、先進国への食糧供給依存が深まり、構造的な問題が浮き彫りになる。

 グラフ「カロリー供給と繁栄:平均寿命と一人当たりGDP」が、経済力と平均寿命との間の強い相関関係を示している。カロリーをしっかり供給できる国で平均寿命も長くなっている。

■ 「緑の革命」の恩恵と課題


周牧之:しかし「緑の革命」には未だ解決すべき多くの課題が残っている。大いに成果を挙げ、人口増を支えてきた一方で、農地の過度な開発、化学肥料の過剰使用、農薬問題、種子会社の独占、遺伝子組み換えなど、多くの課題もある。これは地球全体の大きな課題であり、日本経済や中国経済について考える際も、無視できない。


プロフィール

阮 蔚 (ルアン ウエイ)
農林中金総合研究所 理事研究員

中国・湖南省生まれ。1982年上海外国語大学日本語学部卒業。1992年来日。1995年上智大学大学院経済学修士修了。同年農林中金総合研究所研究員。2005年9月~翌年5月米国ルイジアナ州立大学アグリセンター客員研究員。2017年より現職。ジェトロ・日本食品等海外展開委員会委員(2005・2006年度)、アジア経済研究所調査研究懇談会委員(2004年7月~2006年6月)、関税政策・税関行政を巡る対話委員(財務省、2002年度)。

【フォーラム】学術フォーラム「供給サイドから仕掛ける地域共創の可能性」

▼ 画像をクリックすると
ハイライトの動画が
ご覧になれます

東京経済大学・学術フォーラム
「供給サイドから仕掛ける地域共創の可能性」

会場:東京経済大学大倉喜八郎進一層館(東京都選定歴史的建造物)
日時:2022年11月12日(土)13:00〜18:00


 東京経済大学は2022年11月12日、学術フォーラム「供給サイドから仕掛ける地域共創の可能性」を開催、学生意識調査をベースに議論した。

 和田篤也環境事務次官、中井徳太郎前環境事務次官、南川秀樹元環境事務次官、新井良亮ルミネ元会長をはじめ16人の産学官のオピニオンリーダーが登壇し、周牧之ゼミによるアンケート調査をネタに、新しい地域共創の可能性を議論した。実行委員長は経済学部の周牧之教授が務めた。


■ オープニング・セッション


 オープニングセッションは「学生から見た地域共創ビジネスの新展開」と題し、尾崎寛直教授が司会を務めた。

 開会あいさつで岡本英男学長は「かつて一橋大学の学長を務め、その後本学で長年にわたって理事長を務めた増田四郎先生の著書『地域の思想』を想起した。明治期以降、富国強兵が要請となるなか、わが国では国民と個人という意識はあっても、デモクラシーの基本概念である市民の意識は育つ余地がなかった。このような我が国のあり方に真剣に対処するためには、一方で意識や生活感情の面で中央集権的な伝統を改め、地域社会やコミュニティの主体性を確立することが急務であり、他方ではその裏づけとして各地域における産業構造のあり方を全体との関連において、自覚的に再編成する意欲をもり立てることが要求される」と指摘した。

 さらに、「本学は誰一人置き去りにすることなく、すべての人間が尊厳と平等のもとに、そして健康な環境のもとに、その持てる潜在能力を発揮することができる社会を目指すというSDGsの理念に深く共鳴し、2021年4月1日に東京経済大学SDGs宣言を公表した。また、その後、自然産業人間生活の調和を意識した新しい地域主義のあり方を国分寺の力、世界に発信する国分寺学派の拠点となることを宣言した」と紹介した。

 挨拶した来賓の和田篤也環境事務次官は、テーマである「供給サイドから仕掛ける地域共創の可能性」について、「非常にインパクトを受けている。『供給サイド』という言葉はあまり好きではなかったが、ちょっと好きになった。理由は、『仕掛ける』という言葉が後ろについていることにある。供給サイドの意図だけではなくて、きちんと何か目的のために仕掛ける。地域共創とは何だろう。市民のニーズとは何だろう。どんな思いを持って、どんな未来に市民は住みたいと思っているのか。これらを理解して、供給サイドは仕掛けてやろうという意気込みが感じられるテーマかと、非常に面白いと思っている。ワクワク感満載かと思っている」と感想を述べた。

 続けて、「戦略的思考としてのGXから地方共創」として、環境省の取り組みを紹介した。まず、「カーボンニュートラルはGXの中で一番バッターだ。かつては本当に温暖化するか、気候変動するかと言われていたが、2000年に入って、どんな影響があるのだろうと心配しだした。今やそれも越えて、対策のステージに移っている」と指摘。続いて、「環境省で大胆なチャレンジを試みたのが、地域脱炭素先行地域だ。なぜ地方自治体に注目したか。市民目線のことを一番しっかり本当は分かっているのは自治体ではないか。中央官庁ではない。大規模アメリカ型の畜産業が発達する北海道の十勝エリアでは、ふん尿を産業廃棄物からバイオマスエネルギーとして活用し、最後に残る『液肥』を肥料で使う」として、地域共創と環境の両立事例を紹介した。

 その後は周ゼミの学生がアンケート結果と分析を披露した。大原朱音さんは「供給サイドから仕掛ける地域共創の可能性」に関連した問題意識を6点ほど抽出し、アンケート調査を行ったと紹介。木村竜空さんは「『国分寺市に対して愛着、親しみを抱いていますか』という設問に関し、国分寺市に愛着、親しみを抱いているという回答は、半数を超えるような結果になった。一方で、愛着、親しみを抱いていないという回答は35.6%とおよそ4割弱という結果になった」と述べた。また、国分寺市に愛着、親しみを感じる理由として一番多かったのが地方や都心へのアクセスがしやすく、交通の利便性が高いという結果になった。一方、娯楽施設の充実といった順位は低かった。

 この結果に対し、国分寺市の内藤達也副市長は「皆様にまだまだ国分寺市の魅力が周知されていない現状というのが把握できたので、どうやったら国分寺の魅力をさらに知っていただけるのかを展開していきたい」と応じた。

 周ゼミ生の前田大樹さんは学生の49.7%が国分寺マルイを利用したことがあると報告した。また、「国分寺マルイを利用しない理由」を尋ねたところ、一番多い回答は映画館などの娯楽施設が整備されていない点が挙げられたとした。周ゼミ生の荻原大翔さんは「欲しいと思うエンタメ施設について、圧倒的に多かったのは映画館であり、約6割の学生が答えた。反対に、かつて非常に人気であったパチンコは回答数が0だった」と報告した。近藤正美・丸井上野マルイ店長は「丸井としても売らないスペース、もしくは提案も考えていこうというのが方向性だ。娯楽施設まではいかないが、娯楽サービスといったところがポイントかと思う」と応じた。

 周ゼミ生の粕谷有利絵さんは「学生のエンタメへの関心度は高く、コロナ禍の反動需要でエンタメ業界には追い風が感じられる。その追い風をどう高めていくのか、さらにはエンタメと地域競争をどう考えるか」と問うた。白井衛・ぴあグローバルエンタテインメント会長は「やっと顧客が戻ってきて、7割から8割方回復しつつある状況ではないか。興行は売ったらすぐ完売というケースもあるが、まだ課題が残る」と述べた。司会を務めた尾崎寛直・東京経済大学教授は「アンケートからは、若い世代は特にモノ消費からコト消費に移っていると分かった。意味ということとか経験とか、そういうものがこの消費社会の中で価値を生み出すひとつの主軸になりつつある。そういうものが今後の地域活性化、地域共創の大きな軸になり得る」と分析した。


■ セッション1


 セッション1は「集客エンタメ産業による地域活性化への新たなアプローチ」と題し、吉澤保幸・場所文化フォーラム名誉理事が司会を務めた。

 吉澤氏は「国分寺には昔、何度か通ったことがあって、国分寺の跡地スペースをもったいないと思っていた。今、リアルとバーチャルの融合からすると、例えばぴあが始めているXRLIVEなど――アニメのキャラクターとリアルと場所を融合させライブ配信するイベント――を、ああいう跡地で国分寺市市民あるいは東経大の学生のイベントとしてやるなど考えられるのではないか」と提案した。また、「アンケートでは都会に住みたいというのと地域に住みたいというのと、自然の豊かさと娯楽がまるで代替財のようになっている。これがぜひいい補完財のように、一緒に楽しめるよっていう場を作れないか。中央線沿線の中では国分寺は非常にいいポジションにある。自然が豊かだし、そういう跡地も残っている」と指摘した。

 ぴあ総研の笹井裕子主任研究員は、公演の開催情報データーベースをもとに、東日本大震災後の8年間は年平均成長率が8.3%に達していたと指摘する。2022年はコロナ前の8割まで回復し、「23年こそはコロナ前の水準に戻る」とみる。加えて、集客エンタメ産業の社会的価値として、「地域に集める、地域に繋げる、地域を育てる」の3点を挙げた。

 日本政策投資銀行の桂田隆行地域調査部課長は「スマートメニュー」を提唱する。「きっかけは各地域において製造業系の工場が相次いで撤退し、大きな土地が空いてしまうという課題が発生した時に、それを何でリカバーしたらいいのか。その時にスタジアムアリーナが整備されれば、スポーツというコンテンツと相まって地域活性化になるのではないか。中心市街地にも貢献するのではないか」と問題意識を述べた。

 そのうえで、「スポーツ業界の人はよくよくご存じの通り、そういうものを作れば、交流人口とか町中のにぎわい創出、そして地域のシビックプライド、アイデンティティの醸成になるのではないか。もっといろんな社会的価値が登場しているような気もしている。例えば、観光や教育、健全な成長という精神的な部分も考えられる」と指摘した。

 コメンテーターを務めた南川秀樹・日本環境衛生センター理事長は「2週間前に実は水戸マラソンを走ったのだが、8,000人以上の人が集まって、ずっと音を立てながら走り回る。コミュニケーションだと強く感じた。国分寺地域としても、スポーツなり、エンタメなり、仕掛けができないか」と問題提起した。


■ セッション2


 セッション2は「地域経済の新たなエンジン」と題し、周教授が司会した。

 まず、パネリストの中井徳太郎・前環境事務次官が「アンケートでは、まったくSDGsネイティブだというデータが出た。一方、都市と地方でどっちに暮らすかというところで、65%が都市に住みたい、35%が地方という。若い世代の意識はSDGsの大事さ、地球の危機とかそういう自然環境やさまざまな問題の危機への問題意識はあるが、いざ自分が暮らすというところは、自分はやっぱり快適な生活が必要だし、楽しい生活が必要だしと。非常に正直なところが出ているのではないか」と問題提起した。

 重ねて、周教授が「意識調査では地域活性化のためには子育て支援が大切との意見が目立つ」と分析結果を示した。これに関連して前多俊宏・エムティーアイ社長は「母子手帳のアプリの『母子モ』をスタートしている。8年が経ち、1,700の自治体のうち500、約3分の1弱の自治体で使っている。これは出生数でいうと28万人、3人にひとりはお手伝いさせていただいている。クラウドの技術を使って住民を中心として自治体、行政機関と、それから医療機関、病院やそれから薬局こういったものを繋げることで、面倒くさいことをカバーし、不安を取り除くようなさまざまなサービスを提供している」と述べ、DXによる地域活性化のモデルケースを示した。

 スノーピークの高井文寛副社長は「2011年に地元の遊休地に本社を移した。地方創生という観点では、地元の遊休地に年間大体4万人以上のキャンパーが訪れている。スノーピークは全ての社員がキャンパーであるというような企業である。このキャンパーの集まりが自然の中の価値観や、キャンプの中にある価値観と体験価値という部分を、アーバンアウトドアというところで街づくりから、それと自分たちのフィールドの自然の中までというところを繋ぐ形で多くのビジネスを展開している。その事業領域を包括的に地方創生の場に活かしている」とした。

 続けて、周教授が「今回のアンケートの中で『将来住みたい場所』を聞いた。吉祥寺や東京が圧倒的で、人気だ。あとは三鷹、立川が続いた。しかし、昔人気あった国立が今の若い人たちには人気があまりないだ」と紹介した。これに対し、新井良ルミネ取締役相談役は「なぜこのように国分寺が大変な状況を迎えているのか。あるいは学生たちにとって不人気なのか、きちんと考え直さなくてはならない。なぜかというと、国分寺の駅の改良は私のときに手がけたが、その後、恐らく手がけていない。そういう意味では、地域包括の行政との取り組みがなされていないのではないかと大変懸念している」と指摘した。

 続けて、「頭から血を出すぐらい考えないと、新しいアイデアは生まれない。長期展望に立たないとオリジナリティは出ない。誰でも考えているわけですから。皆さん、そこのところを1歩でも2歩でも先んじることだと思います。それと疑問があったら、必ずそのままにしないで、行政なりに、何か言ってほしい。それを問いただしていくことだと思う」と地域活性化に向けてエールを送った。

 コメンテーターの鑓水洋・環境省大臣官房長は「地域と若者の関係性という観点からすると、大学の果たす役割が非常に重要かと思っている。今回このように周ゼミが地域のことを考え、大学としてどういうことをできるかという、このようなセッションを作ったことは、すごく地域貢献にこの大学が関わっていきたいという姿勢の表れではないか」と語った。続けて、「コロナ禍ではあるが、本物、リアルの世界にぜひ触れてもらい、自分をまた磨いてほしい」と学生にエールを送った。


■ 関連記事


【フォーラム】和田篤也:戦略的思考としてのGXから地域共創を

【フォーラム】内藤達也:地域資源の活用で発信力を

【フォーラム】白井衛:エンタメで地域共創を

【フォーラム】吉澤保幸:集客エンタメ産業で地域を元気に

【フォーラム】南川秀樹:コミュニケーションの場としてのエンタメを

【フォーラム】中井徳太郎:分散型自然共生社会を目指して

【フォーラム】鑓水洋:地域活性化策には明確なコンセプトが求められる

【フォーラム】新井良亮:川下から物事を見る発想で事業再構築

【フォーラム】前多俊宏:ルナルナとチーム子育てで少子化と闘う

【フォーラム】高井文寛:自然回帰で人間性の回復を

【フォーラム】笹井裕子 VS 桂田隆行:集客エンタメ産業の高波及効果を活かした街づくりを

【ディスカッション】新井良亮・安藤晴彦・山本和彦・竹岡倫示・周牧之:地域とグローバリゼーション

編集ノート:
 地域の空洞化、東京への一極集中、情報革命とグローバリゼーション、そして待ったなしの環境問題—地域と大都市をとりまく課題をどう見据え、発展への道のりをどうさぐるかー。東京経済大学と一般財団日本環境衛生センターは2017年11月11日、学術フォーラム「地域発展のニューパラダイム」(後援:環境省、一般社団法人場所文化フォーラム)を東京経済大学大倉喜八郎進一層館で開催し、地域活性化への多様な方向性が提示した。「セッション3:地域とグローバリゼーション」のディスカッションを振り返る。


東京経済大学 学術フォーラム:地域発展のニューパラダイム


日時:2017年11月11日(土)
主催:東京経済大学、一般財団法人日本環境衛生センター
場所:東京経済大学 国分寺キャンパス
   大倉喜八郎 進一層館(東京都選定歴史的建造物)
後援:環境省、一般社団法人場所文化フォーラム


セッション3:地域とグローバリゼーション


司会:
周牧之  東京経済大学教授

パネリスト:
新井良亮
 株式会社ルミネ取締役会社取締役会長

山本和彦 森ビル都市企画株式会社代表取締役社長
竹岡倫示 株式会社日本経済新聞社専務執行役員
安藤晴彦 経済産業省戦略輸出交渉官/電気通信大学客員教授

開会挨拶:
森本英香 環境事務次官

※肩書は2017年当時


地球の資源をどう活かし、地域の幸福につなげるか


森本英香 皆さん、こんにちは。環境省の事務次官の森本です。本日挨拶の機会をいただき、ありがとうございます。「地域発展のニューパラダイム」という学術フォーラムを環境省が後援させていただくということも含めて御礼申し上げます。

「地域発展のニューパラダイム」は、地域が少子高齢化・過疎化など様々な問題に直面する中で、地域の活性化にどう取り組んでいくのかを議論される場とお聞きしております。この課題は、二つの面で非常に時宜を得たものだと思っています。

 一つはここ数年の国際社会でのSDGsの議論と非常にシンクロをしていると考えるからです。もう一つは、我々環境省が世の中に問うている「環境と経済社会問題の同時解決」とシンクロしていると考えるからです。

SDGsと地域発展


森本 持続可能な開発目標「SDGs」は2015年に国連で採択されました。その中には、貧困を無くそう、あるいは質の高い教育をすべてに、といった17の目標が設定されていて、全ての国が2030年に向けて取り組もうとしています。このSDGsという課題群は、相互に非常に密接に関連をしているため、「同時に解決」していくことが不可欠と強調されております。

 この相互に関連して「同時に」取り組んでいく課題群には、環境問題もたくさん含まれています。気候変動問題、あるいは海や陸の豊かさを守るといったものです。「環境問題を含んだ17の課題、これらを同時に解決していくこと」が国際社会のSDGs宣言の本質です。そういう意味では、先ほどの地域発展のニューパラダイムの「ニュー」でご示唆されたように、地域での課題の設定、課題の解決の方法は、まさにSDGsそのものです。

環境と経済社会問題の同時解決


森本 環境省が世に問うていること、これも実は同じです。今日の環境問題の解決のためには、環境と経済社会問題の同時解決が重要だと宣言しています。

 例えば今現在、パリ協定の実施ルールを決めるために、国際会議(COP24)が開かれていますが、地球温暖化問題に対処するために今世紀末までに2℃目標達成しなくてはいけません。そのために、例えば日本は26%を2030年に実現することを目標としていますが、これをさらに深堀りし2050年目標という世界の長期目標―80%削減―にチャレンジしなければなりません。ほとんどCO2を出してはいけないというレベルです。この問題に取り組むためには、経済社会問題の解決と別個のアプローチでは到底達成できません。必ず環境問題の解決が経済社会の諸問題の解決にもつながるようにしなければならないのです。

 もう少し砕いて申し上げますと、「2050年、80%のCO2削減」を実現しようとすると、まず関係する「ステークホルダー」、つまり国民みんなが取り組んでいく必要があります。すべてのステークホルダーが「持続的」かつ「大胆」に取り組んでいかなければならない。そういったモチベーションを持続的に維持するためには、環境への取り組みがその人の幸福、生活の質の向上、あるいはもう少し大きく言えば日本の経済、企業の成長、地域の発展といったものとシンクロしている形でないと続きません。

 環境省は、ともすれば規制のみの官庁と誤解されますが、実はそうではありません。もちろん時と場合によっては規制が必要です。人の命が関わるような問題に緊急に取り組む時には、経済との調和といった考え抜きに、断固として取り組む必要があります。しかしながら、「CO280%削減」という課題にチャレンジする場合には、同時解決を視野に入れた政策のデザインが、どうしても必要です。

 地域発展に着目しても同じです。地域での環境問題の解決と地域発展のための経済社会問題の解決は「同時」であることが必要です。このため、環境省でも地域発展に着目した取り組みを進めています。二つご紹介したいと思います。

環境省の地域発展の取り組み その1 地域発再生エネルギーの展開


森本 一つは地域での再生エネルギー、太陽光、風力、地熱、あるいはバイオマスーの導入です。今の日本のエネルギー源の構造は、概ね石油等化石資源で成り立っている。基本的に輸入、大半を中東からの輸入に頼り、十数兆円というオーダーです。これは、国富の流出そのものです。もし日本の再生エネルギーのポテンシャル、それは理論上今日本が消費しているエネルギーよりもはるかに大きいですが、この一部でも顕在化できれば、地域に利することになります。

 ただ、その際、再生エネルギーの活用を「誰がやるか」が重要で、東京に本社がある企業がやっては、地域にその収益は還元されません。地域の人が地域でエネルギーを生かす取り組みが必要です。

 今日、各地で、再エネ、省エネ、蓄エネなどを一体的に、総合的にサービスをする「地域エネルギー会社」が少しずつ生まれてきています。ドイツが先行していますが、日本でも広がりを見せています。今日お見えの小田原市でも取り組みを進められていますが、こういった取り組みが地域のニューパラダイムにつながってくるものと考えています。

環境省の地域発展の取り組み その2 国立公園の自然を活かした地域振興


森本 もう一つ環境省がチャレンジしているのは、国立公園の自然を活かした地域振興です。環境省は国立公園を所管しています。国立公園についても、ともすれば環境省は保護のために規制だけすると見られています。日本では、非常に開発志向の強い時期がございました。リゾート法という名のもとにゴルフ場をどんどん造る乱開発には断固として規制で対応していかなければなりません。その印象が強いと思います。しかし今日では、広く国民に、企業も含め、自然は地域の宝、重要な資源という認識が定着しつつあります。むしろ、貴重な自然を活かして、地域の文化や食、温泉等とセットで、外国訪日客を呼び込みたいニーズが非常に高まっています。

 数年前、日本に来られる訪日外国人は大体500万人ぐらいでした。現在2000万人を突破して、今年には2500万人になる見込みです。(2018年末現在3200万人)それだけの外国人観光客が、いわば“一時的移民”として日本に来てゴールデンルートと言われる東京~富士山~京都だけではなく、むしろ地方に行きたいニーズを持っています。それに応えることができれば、また新しい地域の活性化につながっていくと考えています。

 このため、環境省は「国立公園満喫プロジェクト」というネーミングの下に、今の国立公園を世界水準のナショナルパークにするプロジェクトを進めています。自然の磨き上げを進めるとともに、案内板の多言語化、廃屋になったホテルの撤去、高品質のホテル、カフェの誘致などを進めて世界のニーズに応えるナショナルパークにしたいと思っています。そうすることが、自然の貴重さの再認識を通じて持続的で強固な自然の保全に繋がるとの確信を持って取り組んでいます。

「地域発展のニューパラダイム」は今日の最も重要なテーマの一つ


森本 総括して申し上げれば、今日最も需要なテーマは「地域資源の活用」です。本日の「地域発展のニューパラダイム」は、地域資源をどう活用していくか、それを通じて地域の幸福につなげていく命題へのチャレンジであり、非常に重要な問題提起であると考えます。

 そこでのコンセプトは、地域においていろんなものが循環して共生していく。環境と経済が両立するような地域、環境基本計画では「地域循環共生圏」と位置付けられるものを作っていく。先ほどの再生エネルギーの普及も国立公園満喫プロジェクトもその一端です。

 本日ここに来ていらっしゃる皆様方、中国大使館からもおいでいただいていますが、中国と日本が手を携えて、こうした取り組みを進めていくことができれば、東アジア全体の幸せ、平和につながっていくと考えています。

 このフォーラムで非常に実りのある、また日中の友好につながっていく議論がなされることを期待して、挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

開会挨拶をする森本英香環境事務次官

セッション3:地域とグローバリゼーション

[司会:周牧之、パネリスト:新井良亮、山本和彦、竹岡倫示、安藤晴彦]

総合司会 第3セッションからは、いよいよ我が大学の経済学部教授、周牧之先生に司会をお願い致します。周先生はさまざまな分野で活躍中です。特に最近は、経済と環境の観点から日本と中国の架け橋として、さまざまなパイプ作りに奔走されています。

 パネリストの皆様をご紹介致します。周先生のお隣、新井良亮様。新井様は株式会社ルミネの取締役会長です。1966年に国鉄に入社されて以降、JR東日本の常務取締役、代表取締役副社長をお勤めになられ現在は株式会社ルミネの取締役会長をされています。

 皆様から向かって右手に、山本和彦様。山本様は住宅公団から1974年に森ビルに入社され、2003年に取締役専務執行役に就任、2013年に退任されました。兼務で2007年に森ビル都市企画の代表取締役社長に就任され、現在に至られております。

 お隣、竹岡倫示様。日本経済新聞社専務執行役員を務められていらっしゃいます。国際報道や国際情勢分析のベテランとして、各国の政財界のトップとも幅広いネットワークをお持ちだと伺っております。

 そのお隣、安藤晴彦様、経済産業省戦略輸出交渉官です。同時に、学者の側面をたくさんお持ちでして、一橋大学の特任教授等をお務めになられ、さまざまなご著書もあります。現在は電気通信大学で客員教授もお務めです。

 それでは周先生、よろしくお願いします。

グローバリゼーションの恩恵を地域がどう受けるか


 周牧之 こんにちは。東京経済大学の周です。

 このセッション「地域とグローバリゼーション」では中国都市総合発展指標のデータを使って分析し、問題提起します。当フォーラムにご同席の山本さん、杜平さん、中井さん、そして南川先生にも大変にご協力いただき、中国国家発展改革委員会と一緒に毎年、中国の都市を評価する中国都市総合発展指標を作っています。日本語版もNTT出版から、来年早々に出版される予定です。この指標を使い、まず私から問題提起をします。 

 中国都市総合発展指標は環境、社会、経済の3つのジャンルで数百のデータを使い、実は中国だけではなく世界の分析もしています。先ほど小椋市長が「東京一極集中はけしからん」と仰っていました(笑)。地方の市長から見ると、これはけしからんとお思いになるかもしれませんが、世界の潮流で見ますと、この状況は最早当たり前となっています。

 人口1000万人を超えた都市の存在が、データ上で初めて確認できたのは1950年。東京大都市圏の一都三県と、ニューヨークでした。そして1970年に、もうひとつ1000万人を超える都市ができました。近畿圏です。当時、世界には、近畿圏と東京大都市圏、ニューヨークの3つしかなかった。

 しかし2015年、1000万人を超える都市が29に上りました。実は1970年、特に80年以降、世界中で人口が大都市を目指し、急激に大移動しています。「メガシティ」と呼ばれる人口1000万人を超える大都市が瞬く間に29にもなりました。しかも500万人以上1000万人未満の都市もたくさん控えています。

 さらにもっと調べてみると、1980年から今日まで35年間、都市人口が250万人以上増えた都市は、なんと世界では92都市もある。この中で500万人以上増えた都市は35都市。1000万人以上増えた都市は、11都市あります。

 中国は1980年代から今日まで改革開放期で、この、都市人口が250万人以上増えた世界92都市のうち、ちょうど3分の1の都市が中国にあります。30都市あります。なかでも1000万人を超えた都市は、5都市もあります。

 実は、この間に日本では2都市だけ、人口が250万人以上増えました。ひとつは近畿圏、もうひとつは東京大都市圏です。後者は、500万人以上増えた。1950年に、東京大都市圏は人口1000万人を超えました。現在は、3800万人弱です。この間人口はグンと増えて世界最大の都市圏となっています。且つ、人口はまだ増え続けています。

 では、中国は今どういうことが起こっているかと言うと、珠江デルタ、長江デルタ、京津冀という3つのメガロポリスを中心に人口が急増しています。

 逆に、人口が流出している都市もたくさん出ています。現在中国295の地級市(日本の都道府県にあたる)あるいはそれ以上の都市のうち、179都市で人口が流出しています。つまり、東京一極集中と同じことが、中国でも1980年代以降に起こっています。日本は少し早かっただけです。日本が直面している大問題は、地方都市の人口減少です。しかもこの傾向がこれからも続きます。地方で人口がもっと減って、東京や大阪あたりはどんどん人口が増えていく現象は、実はそう簡単に止められません。

グローバリゼーション、輸送革命、IT革命が都市化のエンジンに


なぜ1980年代以降にこういうことが起こったか、今日はあまり時間がないのでひと言でいうと、「グローバリゼーション」、「輸送革命」、さらに「IT革命」、この3つです。この3つが、メガシティが成長していくエンジンとなったのです。

 グローバリゼーションによって地方から人口がとられていく中で、ではグローバリゼーションによって地方に良い風が吹くことはないのかと言うと、実はそうでもないのです。グローバリゼーションは地方に可能性も与えています。「観光」です。ツーリズムです。世界旅行ツーリズム協議会のデータがありまして詳しくは言いませんが、ツーリズム産業は、いま世界で最も成長する産業の一つとなっています。

 2027年までに世界の経済成長率は2.7%と見られている中で、ツーリズム産業の成長率は4%と予測されています。まさしくリーディング産業です。

 しかも、アジア太平洋地域に来る人たちの数はどんどん増えています。現在の1.8億人から、2030年は4.8億人くらいになると予測されています。

 日本は世界のツーリズムに占める割合の中では、まだまだ低いです。日本のツーリズムの成長は、世界平均値よりも低いです。

 最近、訪日外国人数も相当伸びています。地方都市にとって、このツーリズムは非常に期待できます。ツーリズム、言い換えればインバウンドは、グローバリゼーションの恩恵とも言えますが、インバウンドが地方都市の救世主になり得るかは議論しなければなりません。

 次に、日本の観光客の偏差値を見てみると、この色がついたのは偏差値50以上の都市ですが、このグラフから分かるように海外からの観光客は基本的に東京、大阪、京都に集中しています。京都に近い東近江には、そんなに行っていない。あとは北海道、沖縄にも多少行っていますが、海外観光客においても東京に一極集中しています。

 私の問題提起は「グローバリゼーションの恩恵を、地方都市はどのように受けられるのか」です。まずお一人7〜8分話していただきます。新井さんからよろしくお願いします。

司会をする周牧之東京経済大学教授

地域として語り、遠心力で豊かな価値創造を


新井良亮 株式会社ルミネの新井です。よろしくお願いします。今日の表題「地域とグローバリゼーション」ということで、私はいろいろな場所で言っていますが地方という見下すような言い方でなく地域として物事を語っていくべきじゃないか、というのが一つあります。

 もうひとつは、インターナショナルではなくてグローバルというのはどういうことなのか、を本当に考えていかなければならないと思います。私はグローバルというのはやはり、文化と文化のぶつかり合いの中で何を生み出していくのか、であると思います。企業はそこを持たない限り、メーカーさんが海外へ出て行ったのと同じようなことをやり兼ねないと、今いろいろなところで言われています。進出をして金を吸い取って帰っていくだけではないかと盛んに言われてきています。よほど心してかからないといけないと感じています。

 今日は、企業の立場でちょっと考えてみようと思います。企業とは何かと言われていまして、企業も今、非常に不祥事がたくさん起きています。経営という課題、あるいは事業領域、人材をどう考えていくかという時、企業は本当に30年先まで見据えることができるかどうか、にかかって来ます。企業30年説を唱えていまして、企業は確実に30年で世代交代するという前提に立ち、見えないものをどう経営にしていくのかが、真の経営だと思います。

 ややともすれば単年度決算の中で目の当たりにした身近にあるものに必死に取り組むが、やがてそれは消えることです。有り体のものをやることは経営ではないと思います。30年先、50年先を見据えて、さらに身近なところまで遡ることが大事じゃないかなと思います。

 こう考えていると、一つは、大変なことを当たり前にやっていくことです。今の若い世代に特に言いたいことは、大変なことになるとストレスが溜まってどうにもならなくなってしまう点を本当に考えていかなくちゃいけいない。

 一方で、経営側に哲学がない、あるいは、大局観がない、志が異常に低い、会社を私物化してしまう。社会の好機として扱うものに、企業が全然役割を果たしていない。それを踏まえてやっていかなくてはいけない。本当にビジネスをするためには、並大抵のことではできないなと思っています。

 そして、やはりトップはどう舵取りをするか、だと思います。院政を敷くために次の経営者を選ぶのではなく、私はやはり、将来の計画をしっかり語れる人、夢を持てる人、を選ぶことが非常に大切だと思います。トップの形式や、あるいはトップのやり方で企業を破綻させ雇用が守られなくなるようではいけません。

 今起きている8つのことを並べました。利益さえ追えばいいとか、内向きの組織になり非常に身近なことしか見ず30年先、50年先は見えないと思われがちな今だからこそやる経営なんですね。

 若い世代で、頭だけ優秀な人はたくさん入ってきます。机に向かったら優秀な人はたくさんいます。私は、ビジネスの世界は行動してなんぼの世界だと思います。学生時代にいろんなことをやってきた経験を、実際に行動に移す。マーケットを見てどうするかの感度、感性を持つことが大事です。

 そういう意味で若い世代から責任を持たせて、若いうちから大変なことをしっかりやっていく体制を作っていかなければいけない、と思います。投資もそうですし、働き方改革もその一つ、あるいはダイバーシティも一つだと思います。

 ちなみに今、ルミネは3年間務めますと、5年間退職していても5年後に復帰することができます。自己都合やいろんなことで他の会社へ行っても、5年後に嫌になったと思ったらルミネに帰ってきてもいい。並以上の処遇をして、採用します。その期間はいろんな勉強をしているということで、歓迎しています。

外へ向かう力の働かせ方が鍵


新井 こういうことを踏まえていった時に、やはり今、ディテールが大変な状況を迎えています。これは安易な物作りになってしまっているということだと思います。独自価値というものがなくなっている世界の中では、物を売れるはずがない、ということです。

 そういうことを考えていった時に、社会に向けてどう発信をしていくのか、です。長期になればなるだけ求心力に欠けて、内向き組織になっていきます。外を向くことはなくなります。在籍年数が長くなればなるほどそうなる。若い世代が何か物事をやる時に、ほとんど年配者がブレーキをかけます。それは自分の身の安定を図るためです。だから若い世代に仕事をさせることが、いかに大変か。この企業体質について、よっぽどトップは考えていかなくてはいけません。

 求心力を持つことと、内向き組織になることが混同された時に、企業は30年で衰退を迎えます。むしろ遠心力で外に向かっていく力をどう働かせるか。外を見ることがいかに大切か。その一つは新規事業であり、あるいは海外へ行くことであり、あとは地域、地方を見ていくことだと思います。これを、企業の中でどう循環型にし、発想を豊かにする中で新しい価値をつくっていくのか。これをやっていくことが企業のあり方だと思います。

 最後になりますけども、今は地方創生の時代と言われていますが、私は何といっても必要なことは創造することだと思います。人、物、金を動かすことだと思います。外の企業やホールディングの会社が大変な利益を何兆円上げましたと言って、喜んでいる場合ではないです。それだったら子会社、あるいはそれぞれの会社に利益を出させ、物事を動かしていった方が日本のためになり、雇用が創れると思います。地域は変わっていくと思います。

 そうなった時に、一つの例ですけども、地方と首都圏をどう回していくのか。人、物、金、を回す時に、仕組みというオーガナイザーを加えていく中で、先ほど出ましたけども、地方の経営資源をどう使うのか。これは「土徳」という話も先ほどありましたが、そういうものをちゃんと認識をさせた上でやることだと思います。

 一方で、マーケットを直視していく必要があります。マーケットがどこにあるのかはグローバルの中で国内のマーケットだけでなく海外も含めていかなくてはいけないと思います。

 やはり必ずここに必要なことはネットワークを組むことです。地方とネットワークを組み連携をすることで、何か新しい知恵が生まれ、新しいものが必ず生まれてきます。価値観が生まれ学びができます。私はどこの大学出ましたからって、ふんぞり返っている場合ではないということがこうした学びにたくさん現れます。

 もう一つは、情報発信です。情報発信は、新しい価値を創造していく中に情報を出していくことです。今はディテールが大変な状況になっている。情報発信する情報がないからです。マスコミに使われた取材を受けたものを情報として出しているだけです。でも自分たちが新しい価値を創り出し、それをマーケットに出していくことです。やはり地方も仕掛けをしていかない限り、日本は衰退をしていくことになってしまうと思います。

 もう一つ、少子化という単純な考え方ではなくて、私は今の若い世代は体力がないと思います。かなり医療が発達しました。が、今の人たちは若い時から添加物から何からいろんなものを食べてきています。これから今の団塊の世代が70代、80代、90代と迎えていきますけど、おそらく今の若い世代はほとんど、そこまでいかないのではないか。少子化と相まって、生存率が非常に短くなるのではとの危機感も含めて考えていかなくてはいけない。それが今、忍び寄る大変な危機だと思います。そうした中で企業はどう存在していくのか。

 今年11月にはシンガポールに店を出しますけども、今いろんなところとお付き合いをしている中でいみじくも言われたことは、「今、世界の人たちが行きたい国はどこでしょう、新井さん知っていますか?」。「分かりません」と言うと、その人はアメリカ人でして「一番行きたい国は、日本ですよ」と答えた。

 今、世界のビジネスの一番最先端でやっている企業家といわれる人たちは、日本の地方を歩き、その中のビジネスからさまざまな創造をして物を作っているのです。この間もポートランドへ行ってきましたけども、ポートランドの人は様々な場所を旅する中で、日本でヒントを得たと言っています。今の喫茶店のコーヒーが世界で脚光を浴びています。日本のコーヒーの中に、それがたくさん埋もれています。それを企業がピックアップしていくことがある、ということも含めて考えていかなければいけないと思います。

 こんなことを考えておりますので、よろしくお願い致します。

スピーチする新井良亮株式会社ルミネ取締役会社取締役会長

集積の上に魅力ある場所作りを


 昨日、杜平さんをはじめ、中国の皆さんとルミネ新宿店の施設を見学させて頂きました。密度が高く非常に魅力あるこの商業施設は、ある意味では東京のような大都市でしか造れないかもしれません。都市造りは面白くて、1000万や2000万の人口を超えた時の東京をみんなが過密だと言っていました。皆さんは私よりもこの歴史はよくご存知だと思います。今、中国でも同じような過密現象が起こっています。過密だからとの理由で北京から首都機能以外を外に追い出そうとしています。

 日本の場合は、首都移転も相当議論されましたが、今は人口3600万人か3800万人と言われていますが、どうも過密だとの話は東京からあまり聞こえてこなくなった。出てくるとしたら地方都市のトップが恨んで言うくらいです(笑)。

 だから、ある意味では東京の集積は、減らすことはない。東京の集積の上に、魅力のある施設をドカンと造る新井さんが今、非常に重要なキーワードを言ってくださいました。地方とのネットワークです。どうネットワークしていくかが、一つの活路だと思います。山本さん、よろしくお願いします。

文化拠点としてグローバルに通ずる「突き抜けたローカル」へ


山本和彦 森ビル都市企画の山本です。本日はこういう素晴らしい人たちが集まるフォーラムでお話する機会に恵まれて大変光栄に思っております。今、東京の話が出たんですけども、私は専ら東京の都心部で、森ビルの中ではわりと長い間仕事をしてまいりまして、最近になって森ビル都市企画で地方の再開発のお手伝いをしており、そういうことで今回このようなお話を頂いたのかなと思っております。

 まず六本木ヒルズの話を少しします。六本木ヒルズを本格的に検討し始めたのは、まさにバブルが崩壊した後です。六本木ヒルズができたのは2003年です。90年から「失われた20年」と日本では言われていますが、六本木ヒルズはその真っ只中にできたのです。

 本格的に六本木ヒルズを考える時は、正直言ってお先真っ暗でした。東京の都心部は空き地だらけでした。地上げの後です。それから東京はどうしたらいいのかと、森ビル自身も正直言って考えて、しばらく東京では仕事できないんじゃないかなと。そういうことで94年に上海に行きました。

 そういう状況であるからこそ、ゼロから考えた。今までの連動でどうだこうだと追いかけるような街づくりはできない。東京という街はこれからどうなるのか、東京で生活していくにはどういう都市を望み、どういう世界になるのか、から考えて造ったつもりです。

 明らかに、これから都市間の競争になる。先ほど周先生も言ったように、世界の大都市が競合する時代が来ておりますから、東京は確かに大都市だけれども、本当にグローバルに通用する都市かどうか、本当にグローバルに活躍するような人たちがここで楽しんで生活できる、ここで仕事をする、遊ぶ、食事をするのが楽しいという都市になっているかどうか、から考えたわけです。グローバルに活動する人たちにとって、望ましい都市環境をつくれば、これは本当のグローバル都市に東京はなれるのではないかと、そんな想いで造ったつもりです。複合開発でなおかつ、さっき申し上げたようにグローバルに活動する人たちにとって本当に望ましい都市環境をつくろうとしたわけです。

 特に東京で欠けているものは、文化の中心じゃないかなと思ったんですね。それをつくることが、東京が本当に世界都市になれる一つの道ではないかと。それで文化の中心をつくろうということで、これからの時代は単純にモノがたくさんあるということではなくて、やはり感性や心を大事にする時代になる。そういう文化を感じられる、味わえる都市をということで、複合の街を造ったつもりです。

 でも、造るだけではダメなんです。今、ディテールが大変な状態だということを先ほど新井会長がおっしゃいましたけれども、まさにモノ消費からコト消費、まさにオンラインのネット消費がすごく増えていて、コトの消費になっていることだけは間違いないと思います。

 ですからこの六本木ヒルズでご覧いただいたように、たくさんのイベントをさせて頂いています。正直言って最初に真ん中にイベントスペースを作った時に、イベントというのはたまにしかやらないから、やっていない時に淋しい感じになるのはマズいな、それをどうやって防ごうかを考えていました。そして造ったところ、これはどんどんイベントをしなければいけないし、またはイベントをやりたがる人がどんどん増えてきた。ですから今は改造して、本当にイベントをしやすいようなスペースに変えたりしています。

 それから「文化都心」という言葉も本当に定着しました。六本木はもともと夜の街でして、簡単に言うと親御さんは子どもが六本木に行きたいと言ったらダメだ、と言うような場所でした。今は六本木ヒルズに限らず、ミッドタウンの中にも文化施設ができたり、国立新美術館ができたりと、六本木全体が文化の街になりました。

 この10月に「六本木アートナイト」として、24時間アートで六本木の街全体を飾りまして、夜中でも安全に六本木の街をアートで楽しむイベントを東京都もお金を出してくれてやっています。これはもう5、6年続いています。そういう街に変わったことが六本木の街の文化性の高さを表現できるようになったと思います。まさに東京がグローバル都市になり、先ほど周先生からのデータも見て頂いたように、海外からのインバウンドの方もたくさん来ていただいています。これは正直言って、かなり意識しました。それまで東京の街の中で、外の観光客を積極的に入れようとの発想で造ったものはあまりなかったと思います。まさにグローバル都市として世界に競争するには、そういうものでなければいけない。

 簡単に言いますと、我々がニューヨークへ行ったら必ずロックフェラーセンターに行くとか、あるいは美術館のMoMAへ行くとか、メトロポリタンへ行くとか。そういう場所にするつもりで造ったのが、だいたいそうなってきたのかなと思っております。 

独自性の掘り起こしが可能性をつなぐ


山本 一方、地方は正直言って非常に厳しい状態です。なぜ厳しくなったのかの一つは先ほどもお話にありましたように地方の人たちは東京のものを求めているんです。東京のものを持ってくることが、地方の市長さんにとって一番の仕事だということで、東京から百貨店を持ってくる。あるいはシティホテルを持ってくることに、ものすごい力を入れた。

 それが、先ほど申し上げた90年に入った時のバブル崩壊で、みんな手を引いて大変なことになってしまい、その後、車社会が完全に地方に広がったわけです。これも日本独自のもので、軽自動車がものすごく発達しまして、それまでは一家に一台だった車が一人一台になって、地方は完全に車社会に変わり、ショッピングモール、あるいはロードサイドの店に変わっていき、地方の商店街は本当にダメになってしまった。

 そういう中で、私どもがお手伝いすることがいくつか起こりました。その一つが、丸亀町です。四国の香川県の県庁所在地の高松の中心商店街が「丸亀商店街」というのですが、そこの再開発を私どもはお手伝いをしました。いわゆる地方の商店街、アーケード街ですが、高松は最大の土地ですから自転車利用がものすごく多い。よく見ていると、アーケード街の中が自転車専用道路化していた。これでは街の中にお年寄りは来ないし、バギーを持ったお母さんが来ない。アーケード街を広場に変えなければということで広場に変えました。

 それによって自転車通行を止められ、お年寄りもバギーを引いた若いお母さんも来られるようになりました。街へ出れば少しはお洒落をしますし、お洒落をするとそういったお洒落な商品も買うようになる。あるいはそこで美味しいものを食べたくなる。こうした良い循環が少しはできているような感じがします。

 その中でも、うまく地方のニーズに合って商売している人は、車社会ですから当然、街の中では商売せず、郊外で商売をしています。私たちが力を入れたのは、その郊外で商売をしている力のある人たちに「ぜひ街の中に戻ってください」とお願いをし、その人たちがけっこう街に戻ってきてくれました。

 地方は地方の独自性を出すことによって、地方に対する誇りといいますか、「シビックプライド」なんて言い方をしますけれども、それが芽生えてそれを使うことです。それなりに成り立っています。地方でどんどん商売が成り立つのはなかなか難しいです。なんとか成り立つような状態ができたかなと思います。

 その中で我々がよく言うのは、東京の何かを持ってくるのが地方の大事な仕事でしたが、今はもう逆です。ローカルはローカルに徹する。「突き抜けたローカル」にすれば、グローバルに通ずると言う見方をしております。

 皆さんご承知と思いますけど、瀬戸内海で3年に1度、「瀬戸内芸術祭」という現代アートの展覧会を開催しています。これは本当にすごいもので、あまり人がほとんど住んでいない瀬戸内海の島で芸術祭をやるんです。去年は100万人も集まっています。本当に船でしか行けないです。船で着いたら、中にレンタカーもあまりないです。徒歩や自転車でしか周れないところにアート作品を置いて、それが非常に世界の人たちに喜んでもらえるのです。日本だけじゃなく、ヨーロッパの人たちも随分来ています。

 この拠点に、高松がなっている。高松から船が出ますから。これを、離島の離れ小島だけでなく、都市と結びつけないと意味がないだろうということで協力しまして、今大変話題の草間彌生のアートを先ほどの広場に置き、2016年にはその作品の一部を広場に飾って、連携しています。

 このように、ローカル性と現代アートというものをうまく結びつけると、完全にグローバルに通ずるということが証明されたのかなと思います。

 岐阜では、高架下を活用して商業施設を運営しておりまして、岐阜はご承知のようにクラフトが非常に有名です。工芸的なものを習う場所のNHKのカルチャースクールや、それらを作って売る人たちの店を3階に置き、岐阜は飛騨牛を中心にいろんな食材がありますので2階にはそういうものを食べられる場所に。そして1階は生鮮食料品を売るスーパー的なものを、できるだけ地元産を中心にやっています。

 だんだん進めてまいりまして、特に最近は岐阜の工芸品のいいもの、あるいは食料品のいいものを「THE GIFT SHOP」という洒落た名前を付けて造っています。県がかなり力を入れ、そこをやっている人に聞きますと、岐阜はすごいと。岐阜の製品、食料品だけでライフスタイルを表現するものを造ったのが非常に評判で、当初の目標を今、達しております。

 それからイベントもやはりものすごく大事で、ここではクラフトフェアというのを毎年やっております。自分でクラフトを作って売っているような人が、全国にはたくさんいらっしゃいます。そういう人たちを一堂に集め、1.5平米ずつくらいの小さなスペースに自分たちの作ったものを売るということで、300くらいのお店が出てやります。これがクラフトフェアとして全国3つのうちの一つに当たる大きなものになりました。

 そんなことで、どちらかというと県庁所在地くらいのものならば何とかやれるものかと思っているところですが、つい最近、岐阜県の瑞浪というところで喋ってくれと言われ、行きました。人口は3万6000人くらい、多治見、美濃焼の陶器の街です。駅前に行くと本当に人がいなくてどうにもならないところで、唯一可能性があるのが40~50分で名古屋に行けるところです。通勤の最後の場所です。毎日9000人くらい乗車して乗降で1万8000人くらい駅を使っているところで、何とかなるかなというくらいにしか思っていなかった。

 実際に見てみますと、先ほどの南砺の話や東近江の話にもありましたように、本当に突き抜けたローカル性があります。地元に「相生座」という地歌舞伎の小屋があり、そこへ行きますと歌舞伎の衣装とか、かつらとか、全部揃っています。それでいながら、年に1回や2回しか公演していない。

 そして「与左衛門」という本格的な登り窯、これが動いていまして、これも年に1回しか焚けない。3日3晩くらいつけて。もっとすごいのがジビエ料理の「柳家」。これはミシュランの3つ星かなんかを獲るような凄いジビエ料理屋が山の中にあります。

 こういう突き抜けたローカル性をうまく表現し、きちっと整備して表に出せば、グローバルに通ずると思います。こういうことで、まだまだ地方には可能性があることをようやく見せられたところです。以上です。

 ありがとうございます。山本さんが中心となって造った六本木ヒルズは、11haですよね? そこにさまざまな施設を入れ込んで、年間4000万とか5000万人の集客力を持っています。森ビルはいま地方でも商業や文化の拠点づくりの手伝いをされています。文化拠点作りが一つのキーワードだと思います。では竹岡さん、どうぞよろしくお願いします。

スピーチする山本和彦森ビル都市企画株式会社代表取締役社長

地域の魅力を理解し、地域のリーダー育成を


竹岡倫示 日本経済新聞の竹岡です。今はグローバルビジネスの担当をしていますけれども、駆け出しの頃は9年間、大阪、熊本、それから東京の地方部というところで地方記者をずっとやっておりました。その経験と、それから20年くらいの海外特派員生活も含めた経験も踏まえて、お話をさせて頂きたいと思います。

 冒頭に周先生から、インバウンドで地方、地域経済という話がありましたので、そこを最初にサラッとおさらいしておきたいと思います。インバウンド客が増えている状況は、ここに書いてある通りです。昨年で2404万人に達しています。この10年間で、ざっと3倍ぐらい増えているというわけです。

 では次に、今年2017年はどうかというグラフです。上は前年比の増加率。ずっとプラスでいっております。史上最速で9月に2000万人を超えて、9月末までで2119万人が来ている、おそらくこのままいくと2700万人とか、もっといくかもしれないです。

 ちょっと注目したいのが、今日は中国の方もお見えですけれども、一体どこから来ているのか、です。9月のデータで、右側に1から10まで番号を振っておきました。一番多いのは中国で、556万人。2番目が韓国で521万人、3番目が台湾で346万人、となっています。

 最近、月によっては韓国の方が一番多い月もありましたけれども、まぁ中国が多いということです。上の1位から4位を足しますと、ざっと1500万人くらいです。つまり、9月末までで2100万人くらいまでの人が日本に来ましたけれども、そのうち1500万人、7割以上は北東アジア。中国、韓国、台湾、香港からの方です。

 次に、中国から増えていることは、このグラフを見て頂いてもわかると思います。2015年に北東アジア4か国、これが国と地域別に見て1番から4番目ですけれども、中国が2015年にトップに立ったことがお分かり頂けると思います。

 次に、東南アジアになるとグラフのメモリの桁が少なくなりますが、刮目すべきはタイです。タイの人口は、6900万人で日本の約半分です。去年は90万人の人が来ました。私は2月にバンコクに行った時にこの話を聞いて驚いたんですが、日本からこの2倍の180万人が行っていれば、人口当たりの行き来が同じになるんです。でも実は150万人しか行っていない。タイに行ったことがある人は日本の中でけっこういます。でも、それ以上にタイの人は今、日本に来ているということです。

 私は東急田園都市線沿線に住んでいますけど、あの中でもよく見かけます。バンコクに駐在したことがあるので、片言のタイ語で話しかけると案の定タイ人だったりする。そういう状況が起こっているということです。

 次に、私が申し上げたいのは、先ほど環境次官のお話だったでしょうか。デービッド・アトキンソンさんが、日本の入り込み客が8000万人までいくというようなことを言っていらっしゃるというお話がありました。いくつまでいくかわかりませんが、私がすごく注目しているのは先ほどの、「人口あたり、どれくらい日本に来ているか」ということです。

 ブルーをかけたところを見てください。香港の人口は743万人ですが、去年は184万人が来ています。もちろん、リピーターがいますから、割合は約25%です。人口の約4分の1の方が、日本に来ているということです。4人に1人が来ているということにはなりません、何度も来ている人がいますから。でも、こういう割合です。

 台湾の方を計算すると、約18%です。中国の方は増えていると言いますけど、まだたった0.5%です。同じ中華民族の方、香港の方、台湾の方が18%から25%の人口が来ている。中国の方が仮に1%来られると1300万人が来られるということになりますが、やっぱりそのように増えていくのだと思っています。まだまだ増えるということです。

 入り込み客の分析の話は終わります。インバウンドのお客様を生かそうといろんな地域でいろんな努力は続いていますが、最初にちょっと残念な話からしたいと思います。

地元の魅力は客人に聞こう


竹岡 これは、静岡県の清水港の写真です。7月31日の朝、うちの記者が撮りに行った写真で、全長270mのスーパースター・ヴァーゴという大きな客船が着きました。清水市はこういう船が着けるように、上から二行目に書いてありますけれども「国際旅客船拠点形成港湾」というタイトルもとって、そのために何度も清水市のお役所の方は中央に陳情に行かれて、やっと港湾の指定もとって、クルーズ船も来るようになりました。

 ところが、この写真を見てお分かりのように、降りたお客さんはササッとバスに乗り込んでいく。行く先は、皆さんも行かれたことがあるかもしれませんが、御殿場プレミアムアウトレット。御殿場市です。7月10日に初めてこのスーパースター・ヴァーゴが着いた時に、地元の方が20店ほど出店をしておられたのですが、20日後のこの船が着いた31日には、1店しか出ていなかった。期待が大きく空振りに終わる非常に残念な話です。結局、儲かっているのは御殿場プレミアムアウトレット。今は三菱地所グループですから、三菱地所と、そこに出店しているお店だという話です。

 御殿場のプレミアムアウトレットは日本人にとっても面白いところで魅力的なところですが、先ほど山本さんのお話にも瑞浪市の「突き抜けたローカル性」があるとありましたがおそらく地元の方は何とも思っていらっしゃらないのではと思います。「え、うちは突き抜けているの?」と。自覚を持っていらっしゃるかどうかちょっとよく分からないです。

 それから、先ほど新井さんのお話にも、外国人が一番行きたいところは日本で、日本にビジネスのチャンスが転がっているということ。ポートランドのコーヒーのお話も、おそらく地方の方々はたぶん気づいていらっしゃらないと思うんですね。

 やっぱり日本の魅力というのは、インバウンドに関しては訪日客に聞くのが一番だということを申し上げたい。うちのグループの記事で、『日経トレンディ』という雑誌が取り上げた話では、インバウンド客に人気のあるところ、特にSNS映えするところ、インスタ映えするところは、日本人の目からしても魅力があるところもありますけども、そういうところばかりでもない。

 うちのグループの『日経ビジネス』でやった「外国人のSNS分析から見た意外な観光地35」があります。これは西日本だけ抜けていますけども、緑で広島県の大久野島というのを囲っておきました。なぜかと言うと、私の出身地が広島県だからです(笑)。しょっちゅう里帰りをしていて話がしやすいので、そのお話をしたいと思います。

 この大久野島とういのはどういう島かと申しますと、実は戦時中は地図には載っていない島です。なぜかと言うと、毒ガス製造の島だったからです。だから私は子どもの頃によく海水浴で大久野島に行きましたけど、とっても海がきれいです。何故かと言うと、毒ガスを作っていたところだから人が住んでいないので、とってもきれいです。だから海水浴場といえば大久野島というイメージが私にはありました。

 ところが、1971年に大久野島の中の学校が廃校になったのかな、8匹いたウサギをかわいそうだから放しちゃった。それが、人も犬もいないし、外敵がいないものだから、増えに増えてしまったわけです。今は700余りのウサギがいます。それが外国人の目に留まって、「ラビットアイランド」とSNSで大ブレイクしちゃったわけです。

 確か2015年だったと思いますが、10人しか住んでいなかった。あそこには一応、国民休暇村があるので外国人も多く来るようになったので、今20人住んでいるらしく全員が国民休暇村の職員です。そこに今、年間10万人もの人がやって来る。多くは外国人です。

 私も1年に3回くらい、この竹原市の隣の街に住んでいますので、「大久野島にこんな10万人もやって来よるんじゃけん、あんたら、あれを何とかうちの街に引っ張れや」と言うんですけど、なかなか…。「えーなんで、私らは分からんのよね。あがいな糞だらけの島のどこがええんかね」と、同級生の女子なんかは言っていますから(笑)。

 なかなか、その魅力というのは地元の人は気づかないものだな、ということです。この10万人という数字。南砺市の市長さんもいらっしゃいますが、昨日テレビ東京で合掌造りの村人たちの生活ぶりをやっていたので、たまたま観たんですが、世界遺産にも指定されている合掌造りの村に、年間70万人が来るとおっしゃっていました。だから、この糞だらけの島に10万人という数字がどんなにすごいことか、皆さんお分かりいただけると思います。

 それから気づかないという意味では、次です。これは、7月28日に小池東京都知事が発表した、東京の魅力を海外にアピールするための新しいアイコンですね。「Tokyo Old meets New」。左の東京がオールドで、右の東京がニューということですが、注目して頂きたいのは、真ん中に押してある赤い落款です。これは何か左下に拡大しておきました。私は初めて見た時は何か分からなかったが答えは右にあります。渋谷のスクランブル交差点です。

 私自身も経験がありますが、東京駅八重洲口から渋谷に行かなきゃいけなくて、タクシーを止めようとしたら、カナダ人の若いカップルが来て「渋谷のスクランブル交差点に行きたいけど、どうやって行けばいいですか」と聞いてくるので、「今から渋谷に行くから乗せてってあげますよ」と、乗せていったことがあります。

 私も渋谷を通過して田園都市線で通っていますが、できれば降りたくない街で、私みたいな年をとった者にとっては敬して遠ざけていたところですが、やっぱり聖地なんですね。

 この交差点に行ったことが、東京に行った印になるという意味で、この赤い落款です。これもなかなか日本人の目でも気づかない。東京の代表として、このスクランブル交差点を使うことになったわけですけども、外国人の目から見るとそうなのかな、ということです。

 それから次です。「東北風土マラソン」というフェスティバルがあるのですが、その仕掛け人の竹川さんという人が一昨日、うちの会社に来られました。また後にも出てきます。「風土」は食べ物の「フード」と掛けた言葉です。要するに、東北地方のいろんなものを食べながら、ゆるゆると走るマラソンです。5kmからフルマラソンまであるそうです。

 この方が竹川さん。一昨日、日経新聞に来られたこの方が仕掛け人です。竹川さんが言っていたことが非常に印象的だったので、そこへ横書きにしておきました。この方は昔、野村證券にいらっしゃった。それでニューヨークにも行き野村證券を辞めてアメリカでいろいろな起業をされた方ですが、ニューヨークにいた頃にメドックマラソンがあることを知ったそうです。それはワインだけでなく、ステーキとか生牡蠣とか、そういう食べ物を楽しみながら、さらにブドウ畑やシャトーなどの景色を楽しみながら走るマラソンだった。

 その時に東北出身の彼は、「東北にも全部あるじゃん」と思ったそうです。でも、東北の人たちに聞くと、米一つとっても「この辺の人たちに食べてもらえばいいんです」としか言わない。自己卑下をする。竹川さんは、ずっと東北にいたら気づかなかったと言います。ニューヨークに行ってメドックマラソンを知って、実際に参加してみて、そこで気づいたそうです。東北にあるものが全て、魅力的だと。

 今年は来場者数4.5万人で、第1回目の時は外国人が2人とおっしゃっていましたが、今年は132人だったと一昨日おっしゃっておりました。前のパネルで、信時さんだったでしょうか、既存のものをどう組み合わせられるかの発想力と行動力をポイントとしておっしゃっていました。

 まさに竹川さんのような方は、東北にある既存のものを組み合わせられる発想力と行動力がある。こういう方がいらっしゃったから、メドックマラソンがあって外国人もどんどん来るようになったのだと思います。

観光経営人材の育て上げを


竹岡 要するに、何が言いたいかというと「観光経営人材」だと思います。「DMO」とか「DMC」とか、よく言われますよね。「デスティネーション・マネージメント・オーガナイゼーション」ですか。そういうもののリーダーになり得る人。さっきの竹川さんのような方が地域にいないと、なかなかインバウンド客を地域活性化に結び付けることは難しいと思います。

 そういうことを感じているのは、もちろん私だけではなくいろんな方が気づいておられて、地方大学で育成するコースがたくさんできているという記事がこちらです。

 私ども日本経済新聞の会社の中にも、日経ホールという610人入れるホールがあり、そこでもいろんな大学がこういうコースを作った、というセミナーみたいなものをよくやっております。先日は京都大学と一橋大学が、インバウンド客を呼び込んで地域を活性化するリーダーを育てるMBAコースを作った、ということをやっておりました。

 先ほど南砺市の田中市長のお話にもありましたけど、エコビレッジには吉田さんとおっしゃいましたか、すごいリーダーがいるというお話をされていました。やっぱりそういう方がいるかいないかは、大きな違いだと思います。鈴廣かまぼこの鈴木さんも、小田原市にとってはまさにこういう方だろうと、お話を聞いていて思いました。

 次に、これはつい最近の夕刊に載っていたので持って来ました。地域のことをよくご存知なのは、もちろん公務員の方なんですよね。そういう方たちが、今どんどん飛び出していっています。一番上に出ている椎川忍さんは、総務省の元役人です。公務員の方2500人のメーリングリストを持っていらっしゃって、各地の公務員に「飛び出せ、飛び出せ」とおっしゃっているそうです。

 先ほど言いましたように、私は広島県の出身で、今は平成の大合併で東広島市というところの西条という、酒処もある土地です。今日は中国の方もお見えになっていますが、東広島市は姉妹都市が中国の四川省の徳陽市です。外国の人はまだほとんど来てくださらないので、「姉妹都市の徳陽市の方に、まず来てもらったらどうですか」という話をよくするんですが、さすがに中国はスケールがでかくて先ほどの横浜市の話で人口三百数十万人とありましたが、徳陽市は381万人です。かたや、パートナーの東広島市は19万人。実に、人口の差が20倍もあるわけです。

 だからこそ、「来てもらったらどうですか」という話をするわけです。ちなみに面積は、東広島市どころか、徳陽市だけで隣の山口県とほぼ同じ広さがあります。さすが中国はスケールがでかいと思います。

 さて、若者を育てる大学教育の話もしました。飛び出す公務員の話もしました。最後に、民間企業にもいろんな応援団がありますよ、という話です。私の前にお話をされた山本さんの森ビル都市開発もそうだと思いますが、民間企業もどんどん応援団になろうとしていて、それを活かしたらいいという話をしたいと思います。

 私たちのイメージでJTBというのは添乗員さんのイメージがあります。要するに、私たちが海外へ行くときにお世話になる会社、というイメージですが、実は全く違います。明治時代に外国人客を世界中から誘致し、国益に貢献するという国策からつくられた、インバウンド目的の組織なんです。今はまさに「水を得た魚」という状態だと思います。

 それから、私はこんな企業がこんなことをやっているのかと、ちょっと驚いたんですが、東京海上日動火災保険です。地方創生室が去年、設置されました。当初は20人でスタートして、今は150人いる。この方たちが全国に散らばり、受け持ち地域の創生に知恵を絞っていらっしゃる。「東北黄金伝説探報ルート」を作っていて「東北黄金伝説探報ルート」とは、金色堂とか、なぜかゴールデンイーグルスも入っていましたけれども東北には「金」という名にゆかりのある場所が多く、そこを回る企画をやっていらっしゃるそうです。

 東近江市長も「三方よし」の話をされていましたけれども、企業は企業なりに利益に結び付かないと、慈善事業ばかりではなかなかやっていけないところはあると思います。しかし企業の力を利用するのも地域は考えた方がいい、というところで話を終わります。

 どうもありがとうございました。キーワードは「人材づくり」ですね。竹岡さんは、私がこの大学に来てからほぼ毎年、私の授業でゲスト講師として講義してくださっています。竹岡さんの世界経済に対する予測は毎年、全て当たっています。本当に素晴らしい予測能力なので、インバウンドの人数はもっと増えるだろうと竹岡さんが言う以上は、グッと増えるはずでしょう。間違いないです(笑)。では次に、安藤さんよろしくお願いします。

スピーチする竹岡倫示株式会社日本経済新聞社専務執行役員

地域起こしに活かす世界のクリーンテック


安藤晴彦 安藤でございます。今の役職は、戦略輸出交渉官で、何やっているかわかりにくい仕事で、周先生から「国際とグローバリゼーション」で何か珍しいことを話せということと、今日のテーマは「地域発展のニューパラダイム」なので、「ニューパラダイム」というところを中心にご紹介したいと思います。

 周先生のお話で、29都市のメガシティがあり、だいたい港か政治都市です。これまでのお話の流れは、インバウンドで何とか活性化して、日本の中でも地域にチャンスを見つけて行こうじゃないかということでした。では、どうしたらいいのでしょうか。

 私は仕事柄、いろんな国との協力をしているものですから、世界の取組事例をご紹介し、日本でどうやったらいいのかということにつながればと思います。また、経産省の人間なので、キーワードは「テクノロジー」であり、情報革命やクリーンテックなどハイテクをどう使うかということで、2つの事例をご紹介します。

 最初は、戦前のアジア最大の輝ける都市、ラングーンです。今はヤンゴンと呼ばれ、人口600万人です。

 5年位前から本格的に民主化される中で、日本が協力しヤンゴン近くにティラワSEZという工業団地をつくっています。日本とミャンマーの「フラッグシップ・プロジェクト」として、たった2年で400ヘクタールがほぼ完売という状況です。私は担当者です、もう86社と契約しています。日本は43社、中国も1企業、台湾から5企業、アメリカやヨーロッパを始めいろんな国から多くの企業が進出しています。将来的には5、6万人の雇用創出が期待できます。しかし、これは、オールドタイプのモデルでしょう。工業団地に企業をもってきて経済を発展させるという古いタイプです。スライドでお示しする開所式には副大統領も出席され、テープカットでは、私も右端におります。

どうやるかの「HOW TO」が必須


安藤  では、次に、どういう新手法があるのでしょうか。インドの東海岸で、新たな都造りをしている州首相がいます。ナイドゥさんという方で、左の写真は、最初に訪問したときのもので、ちょっと距離感があります。机の前に座らされて講義を受けるゼミ生みたいな雰囲気でしたが、実際にプロジェクトをいろいろ動かした後は、右の写真で、距離感が近くなりました。会議の後に「おい安藤、一緒に写真撮ろうよ」と言ってくれて、しかもにこやかです。このにこやかさもフォトセッションの時の結構大事なポイントで、親近感をどう作っていくのか……そんな余計なこと言っていると時間がなくなりますね(笑)。

 彼は何をやったのかと言うと、ハイデラバードというインド有数のIT都市を造りました。その後、州が分割され、新しく都を造らなければならなくなりました。アマラヴァティという都です。彼は、日本に基礎的なところをやってほしいと依頼してきました。日本は首都圏の3800万人をうまく動かしていますが、交通インフラのプラン作りをお願いしたい。さらに、上下水道、防災レーダー、都市のデータセンターなども検討対象です。都市の姿はシンガポールにも協力を依頼しています。その延長線上には、太陽電池を使って、スマートシティにして、EV化も進めたいということで、電気自動車や自動運転まで取り入れた交通マスタープランを作ってほしいという話になってきています。

 当地の新聞を読んで、ナイドゥ州首相は凄いと思いました。ある日の記事で、なぜかアイオワ大学を訪問しました。不思議に思ったのですが、バイオ団地を造って、インドにある生物の多様性をネタに稼ぐというのです。そうするとバイオ関係者、製薬会社がいっぱい寄ってくるだろうということです。ハイデラバードで成功したように、芋づる式を狙っているわけです。

 もう一つは、フィンテックのコアを州内に造るというのです。これまでデリーでもフィンテックのコアにはなっていません。シリコンバレーは、ICで有名ですが、「インド・チャイナ」のICが有力で、インドの存在感が非常に高いのです。そこで活躍する人たちを引っ張ってきたからこそ、ハイデラバードが世界的なITシティになりました。次は「フィンテック」だというわけです。州首相が、次世代の姿を考えながら、自分の地域をどう活かしていくか構想されています。「ゼロからのリープフロッグ」だと彼は言います。その「リープフロッグ」の裏側にあるのは「芋づる式」で、「一社良いのを連れてくると、その仲間がまた来る」ということです。こういう構想の前段階のインフラ整備では、日本にも協力してほしいということなのです。

 あまり個別に話していてもしかたありませんが、同時期、ビハール州というインドで最も貧しい州を回りました。経済的には貧しくとも生活は豊かです。州内には、ブッダが悟りを開いたブッダガヤというところがあります。日本のお寺が4つありますが日本人の僧侶がおいでになるのは2つだけで、日本人観光客も減っていました。こちらの州首相とお目にかかった時は、「観光と農業でいきたい」という今日の話題のようなことを仰いました。しかし、州都からブッダガヤに行く3時間がすごい道です。距離的には近くても、こんな道ではとても行けないところです。今、日本政府が道路整備をお手伝いしていますが、「観光と農業」と考えた時、どうやるのかの「How to」がないと、実際にはしんどいです。

 もう一つ、こちらはウランバートルです。一昨年の11月に急遽飛んでいきましたら、マイナス37度でした。そこからゴビ砂漠に行きましたら、マイナス20度くらいで涼しく感じました。元朝青龍のダグワドルジさんと一緒に地下1300mまで降りました。銅と金の鉱山の地下で、金の価値だけで5兆円もあります。そういう鉱山が、ゴビの砂漠の中にあるんです。真ん中の写真です。寒そうな感じですね。

 では、モンゴル経済をどう発展させるのか、です。銅を売り、金を売り、あるいは石炭を売る。資源輸出だけは付加価値が取れません。そこで、「石炭化学」に目をつけ、「石炭からポリプロピレンを作りたい」、あるいは、「銅鉱石を国内で製錬まで行って付加価値をとりたい」という話をされます。

 それは悪くないのですが、実は、ウランバートルで問題が起きています。元々、ソビエトが協力して造った時には30万人都市として設計していました。今は130万人になり、交通渋滞が起こり、大気汚染がひどくなり、下水処理も大問題になっています。そこで、「安藤さん、いろいろな新規プロジェクトの前に、下水問題に対処したい」という話を今言われて、そういう協力方策を日本企業とともに探っている最中です。冬場の大気汚染が一番ひどいです。お母さん2万人がウランバートルでデモをしたそうです。北京の数倍くらい厳しく、世界基準からは80倍近くということらしいですが、本当に呼吸器疾患で子どもたちが大変で、将来も懸念されますので、クリーンコールでも日本の協力が大事になってきます。

 それから、4月1日に中国の国務院が発表した「雄安新区」を造る話です。中国には19個くらい新区がありますが、これは、上海と深圳に続く3大新区の一つとして造っていくというのです。習近平国家主席の偉大なる千年計画を、まさに国家千年の大計として、是非やりたいとの話が出てきました。エイプリルフールの発表でしたが、国務院発表ですから間違いありません。

環境問題への取り組みを日中協力で


安藤 周先生は、1日や2日で大都市ができるわけなく、日本の筑波新都市計画も30年、40年もかかっているという現実的な指摘を記事にされています。『日経ビジネスオンライン』では、「千年の大計がだいぶ先か」という記事も出ていますが、私が一番心配しているのが環境問題です。雄安新区は水の流れがちょっと悪いのです。水の汚染問題が始まっています。

 たぶん、こういう部分で日本と中国が協力できるのではないかと、そんな仮説を持っています。今日、日中首脳会談がベトナムでできるかどうか気になりますが、うまくいくと、もう一歩進められるかもしれません。今の時点ではここまでしか申し上げらないのが、ちょっと残念です。

 次が、「ニューパラダイム」です。「地域発展とグローバライゼーション」というテーマで、私が申し上げたいのは2つです。冒頭に、学長先生から、この建物が図書館だったというお話がありました。私は、2012年に米オールバニーのナノテク拠点を視察した際に、ニューヨーク市のチャイナタウンで、ふと目についた建物があり入ってみたんです。それは公共図書館でしたが、図書館の中で、ビジネス支援、ベンチャー支援をしている。しかも、英語だけではなく、マンダリン語での講座もありました。台湾の方や韓国の方が多いクイーンズ地区ということで、2カ国語での起業セミナーをやっていました。本棚には、『女の子が百万長者になるためのビジネスモデル』とかの本もあったりします。すごいなぁと。

 実は、私は、2000年から日本の図書館でビジネス支援をする活動を支援しています。地元の活性化には、やはり中小企業が元気になること、農業が元気になることが重要ということで、図書館の仲間たちと地元に役立つビジネス支援を続けています。

 おかげさまで、ビジネス支援を行う公共図書館は、全国で200館を超えてきて、「公立図書館がビジネス支援をしている」と新聞にも取り上げてもらいました。ところが、アメリカの公共図書館はもっと先を行っています。オバマ政権になって、「メーカーズ」、つまり、3Dプリンターでモノづくり革命を起こすという政策に乗っかる形で、全米の図書館内に3Dプリンターがどんどん置かれてきています。直近のデータを調べましたら、アメリカの1万6,695の図書館のうち、メーカーズイベントを行う図書館が2,520館あります。3Dプリンターでこういうモノづくりができる、というセミナーやったりしています。実際に、3Dプリンターを置いているのが428館です。2012年に『MAKERS』が出版され、ベストセラーになりました。オバマ大統領が、一般教書演説で、3Dプリンター強化を取り上げました。それが全国の図書館に響いて、しかも400館以上が置いている。日本はどれだけ置いているかというと、私がさんざん言っていたものですから、塩尻の図書館長が面白いなと思ってくださり実際に置かれました。でも、まだ1館です。

 地域の活性化には、例えば、こういったところにも可能性があると思います。この方は若宮正子さん82歳です。この年齢でソフトウェア開発を学ばれ、「ひな壇」という高齢者向けアプリを作りました。アップルCEOのティム・クックが絶賛したそうです。地元の図書館が「ソフト開発でこういうことができるのか」、あるいは「3Dプリンターってこういうことなのか」をサポートします。今日のお話にもありましたように、SIBももちろん地域でファイナンスしていくのも大事ですが、最近はグローバル経済の時代ですから、クラウドファンディング、クラウドソーシングをうまく使っていくことが、可能性を広げると思います。

「水素」を地域おこしに


安藤 もう一つはクリーンテックです。蓄電池、電動自動車もそうです。中国は電気自動車に向かっています。フランスもイギリスも、2040年にはガソリン自動車廃止といいます。アメリカではカリフォルニアを中心に9州がZEV(Zero Emission Vehicle)規制で燃料電池車を含む電動自動車導入政策を圧倒的に強化しています。

 こういう流れですが、電気は貯められないのが問題です。電池開発では、サムスンがこの前2倍にしたいと発表しましたが、2030年に開発するというので、ずっと先の話です。長期に大電力を貯めるには何が一番現実的かというともちろんメタンにできればいいですが、「水素」が一つの答えになります。今日も、東芝の水素・燃料電池の開発責任者の方が会場においでです。EV、電気自動車は、所詮、電気の消費器です。消費する電気は何で作るのかというと、フランスでは7割が原子力ですから、EV化でCO2排出量も減りますが、他国では、石炭火力で電気を作ったりしています。「水素」、「燃料電池」、は何がいいかと言うと、実は、発電もでき蓄電もできるということです。日本では、EVの政策とともに、燃料電池や水素社会構築に向けた政策に相当力を入れています。批判もありますが、この10年しっかりやってきました。まさに、「国家百年の大計」です。千年には及びませんけれども(笑)。

 「水素社会」ということですが、この写真は東芝の方から貸していただいたものです。風車もあれば、太陽光もあれば、それを水素に変えて蓄電し、必要な時に電気を取り出します。なぜかと言いうと、風車は風が止まればパタッと電気も止まります。太陽光もお日様が陰ったら、発電しなくなります。こうした不安定な再生エネルギーには、うまく蓄電を噛ませていくことが大事です。その一例が、東芝が溝ノ口駅に設置したシステムで、再生エネルギー、つまり、太陽光や風力で得たエネルギーを水素の形で貯めておいて、「いざ」という時に使うものです。どうしてこの発想なのかというと、東日本大震災の時にJR東日本の皆さんが悩んだのは、お客さんを駅から追い出してしまったことなのです。そのことが一つの反省になっていて、大災害時に最低限の電力をターミナル駅である溝ノ口駅に供給できるシステムを備えておこうというのが、この東芝製「H2One」です。私もついこの間、ホームを通りかかり、このように置いてあるのかと驚きました。「水素」や「燃料電池」を使えば、いつでも発電も蓄電もできます。長崎のハウステンボスにある「変なホテル」という名前のホテルでは、再生エネルギーで電力を全部賄いますが、蓄電池を兼ねたH2Oneで補っています。東芝は、こういったところでも頑張っておられます。

 「水素」を地域起こしに活かそうと頑張っています。山梨は、今や世界最高となった燃料電池研究拠点を擁しています。10年前に立ち上げた後に、アメリカのロスアラモス研究所の研究活動が弱くなったりして、今日では、燃料電池に関しては世界トップの研究所と言われています。燃料電池研究をキーにしながら、先ほども申し上げたような蓄電池、太陽光のメガソーラー、水素ステーションなどを組み合わせながら、地域づくりを強化していこう、そのコアにしていこうという活動をされています。

 なぜそんなことを考えたのかというと、リニア新幹線が山梨を通りますが、山梨で人が降りてくれる理由をつくらなければならないということだったそうです。県庁の人たちが本気で考えました。世界最先端の研究センターを作るためにわざわざ知事公舎跡地を提供しました。この写真の真ん中の方が燃料電池の個人特許で世界一という渡辺先生です。先生を中心に、大学の研究者だけでなく、パナソニックや東芝や日産や三洋からもトップクラスの研究者が集まっています。中には会社を辞めて山梨の研究拠点に来る方もいます。総理も視察に来られています。実は、明後日の月曜日には、中国からおいでの皆さんに山梨拠点を実際に見て頂こうとアレンジ中でして、私もご一緒します。以上です。

スピーチする安藤晴彦経済産業省戦略輸出交渉官

若い世代がより日本の良さを知ること


新井 私は、先ほどからインバウンドの話が出ていますが、インバウンドも非常に重要だなと思いますけれども、まず日本の若い世代の人たちが国内を知らないといけません。もっと国内の素晴らしいところをもう一度見た上で、やっていかなければいけないと思います。また、インバウンドということになれば必ず、そこにはアウトバンドがあって、アウトバンドをしていかなければいけない。パートナーになることが必要です。

 今はシンガポールとキャッチボールしていますけれども、シンガポールの富裕層はどのくらい日本に来ていますかと聞きますと、80回から100回来ている。こういう人たちを抱えた時に、日本の一方通行の受け入れだけでは長いパートナーになり得ないです。その前に、やっぱり日本の良さをもっと知ってほしい。地方との交流も、若い世代に今いろんな意味でせっせと交流を図るために、バスタという新宿のココルミネという店もその拠点づくりにしたい。地方のいいモノづくりのいろんな人たちが来て商品を置いて、買い物ができ、雇用をつくる走りを今やっています。こんな取り組みをやっていきたいと思っております。

 ありがとうございます。山本さん、お願いします。

地方の奥行きという魅力を表現していく


山本 周先生がおっしゃられたように、量的には大都市が圧倒的に強いことには間違いないです。だけど地方ももともと小さな人口しかいないわけで、小さな人口を賄うだけのインバウンドがどれだけあるかという問題です。その可能性は、僕は十分にあると思います。

 今、新井会長がおっしゃったように。私は台湾によく行きますが、台湾は2500万人くらいの人口で、400万人も来ている。ということは、今言ったように来ている人は何度も来ている。どんどん地方の遠いところにも行く。やはり日本の魅力はそこだと思います。

 正直言ってシンガポールは、街自体はいいがそれ以外はないわけです。だから日本人は何度も行く気にはならない。日本は東京だけでなく、いろんなところがある。その奥行きはものすごく広く、可能性は十分にある。やっぱり我々自身が見出して、うまく表現することに慣れていかなければならない。そのために地方自治体自身が、あるいは地方のいろんな人たち自身が、凝り固まっている頭をどうほぐすかが、一番大事だと思います。

 ありがとうございます。竹岡さん、お願いします。

行動する若者を地域で育てていくことが要


竹岡 また出身地の話をして恐縮ですが、私は呉の高校の出身なんですけれども、呉市長選挙がどんな状況かと思って、財務省OBの方も立候補されているので聞くんですが、そのついでに聞くのは愚痴ばかりです。呉市は、かつて戦前は40万人口がいた街ですが、今は23万人まで減っています。合併して23万人。愚痴ばっかり聞く。そんな中からインバウンド客を惹きつける魅力を出すことはなかなか生まれてこないと思うんですね。

 先ほどラビットアイランドの大久野島、毒ガス島の話をしましたが、あそこに来ている10万人をさらに移動させるアイデアもなかなか出てこない。私の故郷は、牡蠣とみかんの島でいいものがある。けれども、それがなかなか活かされていない。

 先ほど新井さんが、行動するやつじゃなきゃダメだとおっしゃいましたが、まさにそうです。行動する人がなかなかいない。それでこの間帰ったら、瀬戸内海の景色とは島がたくさんあってとてもいい眺めです。私も子どもの頃にずっと毎日見て育っていましたから、何とも思っていなかったんですが、住んでいる人は何とも思っていない。

 そんな中で最近、イタリア人とカナダの方が、スーパーヨットで瀬戸内海の間をぐるっと楽しむ企画を立てて会社として作ろうとしている話を聞いて、なぜ地元の人ができないかなと。それは毎日見ているから魅力に気づかないんでしょうけれども、そういうことに気づいて行動する若者を地域で育てていくことが、一番大事なんじゃないか。それが地方創生の要なんじゃないかなと思っております。以上です。

 ありがとうございます。安藤さん、お願いします。

グローバルに考え、地域で行動する


安藤 今日を振り返ってみますと、周先生と南川先生、尾崎先生が作られたこの構成は、非常に絶妙だなと。お世辞を言うつもりもないですけど、本当にそう思っております。最初に、「地域と環境」の話で、穏やかに話が入って、そして吉澤さん、中井さんが問題提起をされて、じゃあそれを動かすために、「血流」をどうしていくんだとなって、「地域とファイナンス」の話をし、さらには、グローバライゼーション、つまり、世界との兼ね合いの中で、どう地域を捉え直すのかということで、それぞれ皆さんからお話があったわけです。

 よく言われるのは、”Think local, Act global”ということです。「地域で考えてグローバルに勝負しろ」と、「今はグローバルの時代だ」と、こういうことではあるんですが、今日の話を聞いていますと、私はその逆もまた真かもしれないなと思いました。「グローバルに考えた上で、地域で行動する」と。

 「行動」こそ大事であり、行動する時にグローバルということが一つのリファレンスになり、じゃあ行動するけどお金ないよといった時に、SIBのようなかたち、あるいは地域の中でのファイナンス。もちろん、クラウドファンディングのように世界中からお金をうまく集めていくことも新しいテクノロジーの時代ですから、できるようになってきています。そして最後に戻るのは、「地域と環境」。環境を大事にしながら、どう発展を図っていくのか。周先生がお示しになったように、「ストロー効果で大変なことになって、メガシティのところしか人がいなくなっちゃうよ」という警告に対して、どう地域で行動していくのか。これが大事なのかなというのを改めて感じたセッションだと思います。ありがとうございました。

 ありがとうございました。安藤さんが私の代わりに総括してくださいました(笑)。さらに私なりに総括すると2点あります。一つは、インバウンドや都市作りの成功には外から見る視点が非常に大事です。もう一つは、行動する若者が必要です。

 ご清聴どうもありがとうございました。


懇親会


司会:
南川秀樹  東京経済大学客員教授/一般財団法人日本環境衛生センター理事長/元環境事務次官

来賓挨拶:
杜平    中国第13次5カ年計画専門家委員会秘書長/中国国家戦略性新興産業発展専門家諮問委員会秘書長/中国国家信息センター元常務副主任
杉本和行  公正取引委員会委員長,元財務次官
谷津龍太郎 中間貯蔵・環境安全地業株式会社代表取締役社長/元環境事務次官
明暁東   中国駐日本国大使館公使参事官(経済担当)
阮湘平   中国駐日本国大使館公使参事官(科学技術担当)
武田信二  株式会社東京放送ホールディングス代表取締役社長
前多俊宏  株式会社エムティーアイ代表取締役社長
長谷部敏治 NTT出版株式会社代表取締役社長
周牧之   東京経済大学教授

会場:
東京経済大学6号館7F大会議室

※肩書は2017年当時


懇親会会場の様子

南川秀樹 皆さま、お待たせいたしました。ただ今より、本日の「地域発展のニューパラダイム」レセプションを開催します。私、司会を致します南川秀樹です。よろしくお願いいたします。

 開催の前に、二つだけお話をいたします。一つ目は展開をお話します。冒頭に、中国から来ていただいた杜平さんからご挨拶をいただきます。続きまして、公正取引委員会委員長の杉本和行さんから、ご挨拶と乾杯をお願いいたします。その後、美味しいお酒と食事を味わっていただきながら、ゲストに20分後より順次ご挨拶をいただきます。   

 ご挨拶いただきますのは、谷津龍太郎さん、明暁東さん、阮湘平さん、武田信二さん、前多俊宏さん、長谷部敏治さんです。そういう順番で、よろしくお願いいたします。

 それから今日のお酒と料理でございますが、今日の総合司会の尾崎先生は、勉強はうるさいんですけれども、食べ物と飲み物にも大変うるさい方でございます。日本酒もワインも、尾崎先生が選びに選びまして提供しています。全て、どういう味がするかとか、どういう意味があるのかとか、うんちくがついておりますので、それも楽しんでいただきたいと思います。料理も、ずいぶん注文を厳しく出されまして、料理をされる方が大変苦心したということも伺っております。パーティーに移ります。冒頭、杜平さん、よろしくお願いいたします。

既存、新分野ともに日中友好は発展する


杜平 ご来賓の皆さま、本日のフォーラムに参加させていただき大変光栄に思います。さらに光栄なのは、このレセプションの場でお話をさせていただく機会をいただいたことです。

 2年前になりますが、中国国家発展改革委員会と日本の環境省の支援の元で、周先生のチームで中国の都市の発展に関する評価研究を始めました。今日、このフォーラムに参加させていただき、その研究からたくさんの成果を上げられたことを心から喜んでおります。また両国政府の多大な支援のもとで素晴らしい成果につながったことを大変嬉しく思います。

 2年前に日本を訪問した際には、中国国家発展改革委員会の団長として参りました。今回は主に中国の企業の代表者を率いて参りました。2回とも、南川先生にお目にかかれたことを大変嬉しく思います。南川先生には中国で新たな肩書きを与えられたことを皆さまご承知かと思います。中国環境発展国際諮問委員会があり、中国の首相の名のもと世界各国から政府高官、あるいは経済界の起業家、高名な学者を招待し、中国の環境に関する提案をしていただく組織です。私が一同を代表しまして、南川先生がこの度この諮問委員会に招かれ新たに中日両国友好のために活躍の場を得られたことに、心よりお祝いを申し上げます。

 実は私、外交の専門家ではありませんが、一中国人としてこの中から一つのシグナルが読み取れると思います。中日両国は、新しい分野、また既存の分野においてもこの友好をさらに発展させる空間は大きく残っており、今後その機能は高まっていくのではないかと思います。今回、このシンポジウムには6人の中国人の企業経営者が参加しており、ここ数日の交流、見学を通じ、まだ私たちには大いにできることがあると感じているところです。

 今日はたくさんの方がご挨拶の予定がございますので、最後に一言だけ申し上げます。今回の日本訪問は、私にとって17回目になります。何回もお目にかかった古い友人もこの場にたくさんいらっしゃいます。唯一、残念なことに日本の皆さんは中国語がご堪能ですが、私は日本語が全く喋れません。古い友人にお会いしても、手をたたいてジェスチャーで私の気持ちを伝えるしかありません。ただ、現在は技術の進歩のおかげで、この問題を解決することができると思います。テクノロジーの発展により翻訳アプリが開発されていますので、それを介して皆さんともっと会話をしたいと考えております。ありがとうございました。

南川 杜平さん、ありがとうございました。では続きまして、杉本さんからご挨拶と乾杯のご挨拶をいただきたいと思います。

自由にチャレンジできる環境を保持していく


杉本和行 皆さま、こんばんは。ご紹介に預かりました、公正取引員会に務めております杉本と申します。よろしくお願いいたします。今ご挨拶がございました杜平さんとは、北京で何回か周先生主催のフォーラムに参加した時から、いろいろお話をさせていただきました。今回また中国の方々とお会いし、いろいろなお話をこの場でできることは非常に光栄です。

 今、世界経済のウエイトは、明らかに東アジアの方向に移っておりまして、その中で日本と中国は非常に大きな地位を占めていると思います。そういう中で、地域経済というものはそれぞれ国の経済の基盤として支えるものです。地域経済をどう発展させていくかということで、今日は非常に有効な議論が行われたと思っております。

 私はフォーラムに参加させていただく時間がございませんでしたが、最後のところだけ聞かせていただきました。結論は、行動が重要だということだったと思います。私の仕事も、フェアで自由なチャレンジをしていける環境を保持していくことが仕事だと思っておりますので、まさにそういう環境のもとでいろんなチャレンジという行動を起こしていくことが地域経済の発展にもこれから重要だと思います。その観点からも、本日のフォーラムは日中両国におきましても関係者にとっても非常によいことだと思います。

 それでは乾杯に移らせていただきます。本日のフォーラムの大成功を祝し、また日中間のさらなる友好関係の発展を祈念しまして、さらにここにご参集の皆さまのさらなるご健勝とご発展を祈念いたしまして、杯を上げたいと思います。乾杯!

南川 では、しばらくご歓談とお酒、お食事をお楽しみください。

挨拶する杉本和行公正取引委員会委員長

<歓談・食事>

福島の地域振興を助けたい


谷津龍太郎 ご紹介いただきました、谷津です。お食事、ご歓談のところ失礼いたします。環境省を3年前に退職いたしまして、今はおもに福島で除染によって出た土の中間貯蔵をやっております。私の仕事は、福島で大量に発生している仮置き場の土をなるべく早くなくしたいということで、福島の地域振興を助けたいということが目的です。そういう意味で、私の仕事は福島において大きなマイナスをゼロにする仕事です。

 今日私は1時半から6時半まで、すべてのセッションを拝聴しました。最近、歳をとって、自分で話をするのは問題ないですが、長時間座って人の話を聴くのは大変苦痛に感じます。しかし、今日の5時間は全く苦痛に感じず、むしろ短く感じられました。これは今日お招きいただいた南川先生、周先生のプログラム、スピーカーの人選が素晴らしかったからです。

 ぜひ、今日学んだモデレーターの方、あるいはパネリストの方のいろんな共感を生かして、福島の復興に邁進していきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。

南川 谷津さん、ありがとうございました。では続きまして、中国大使館公使参事官の明さん、よろしくお願いいたします。

挨拶する谷津龍太郎中間貯蔵・環境安全地業株式会社代表取締役社長

均衡発展の実現に向けて


明暁東 皆さま、こんばんは。私は中国大使館、経済担当の明暁東です。頑張って日本語で話します。本日、学術フォーラム「地域発展のニューパラダイム」の懇親会にお招きいただきまして、誠に感謝いたします。フォーラムの成功を心よりお祝い申し上げます。

 地域経済の発展問題はグローバルな課題でもあり、世界では南北の発展が不均衡になり、アジアでは東西の発展が不均衡になっております。国内においては、日本では東京一極集中で地方が衰退しており、中国では沿岸部と内陸部の発展が不均衡となっております。そのため各地域の国民生活水準は格差が出ており、公共サービスも不平等になっています。

 地域経済研究の大事な目的の一つは以上の不均衡を解決するためです。各地方が公平に生活できるという目標を実現することは、大変な任務であり、経済学者が知恵を絞ったうえで、政府が積極的に取り込むことが第一であります。

 本日の学術フォーラム開催のおかげで、たくさんの知見を得て参考になり、均衡発展の実現にも大きな力になることを確信しております。ご清聴、どうもありがとうございました。

南川 明さん、大変あたたかいご挨拶をありがとうございます。続きまして、中国大使館公使参事官の阮様、よろしくお願いいたします。

日中両国で問題解決に向け協力し合う重要さ


阮湘平 皆さま、こんばんは。ただいまご紹介いただきました、中国大使館の科学技術担当の阮と申します。本日のこの地域発展フォーラムが成功されたことを、心よりお祝い申し上げます。また、今日は南川先生をはじめ、多くの古い友人とこの場でお会いすることができ、また多くの新しい友人とお会いできたことを大変嬉しく思っております。

 本来、原稿を用意してくるべきでしたが、用意すると用意したことをだいたい前の人が喋ってしまうので、今日はやめました(笑)。会場に来てこの横断幕の、「地域発展のニューパラダイム」という言葉を見て、ちょっと感想を申し上げます。

 折しも、中国の発展も新時代に入っています。これはある意味では、ニューパラダイムと通じるところではないかと思います。新時代に入った中国の特色ある社会主義は、この間の党大会で、中国の発展はまだ不十分で不均衡であるという前提を示しました。不均衡の発展の中には、地域発展の不均衡があります。今日のシンポジウムの内容は、日本の問題のみならず、中国の問題でもあり、両国の学者がこの問題について交流を重ね、経験を紹介し合うことが非常に重要だと思います。

 先程お話があったように、中日両国関係はここにきて改善の勢いを見せています。今年は国交正常化45周年、来年は日中平和友好条約締結40周年。この2つの節目の年にあって、両国の地域発展への協力をさらに深めていきたいと思っています。ぜひ、ご臨席の皆さんと一緒に努力してまいりたいと思います。

 今日はおめでとうございます。ありがとうございました。

南川 阮さん、ありがとうございました。あと3人の方からご挨拶をいただきたいと思います。まず、東京放送ホールディングスの武田社長、よろしくお願いいたします。 

中国の研修生の真摯さ、ひたむきさ


武田信二 TBSの武田でございます。先ほど、乾杯の音頭をとられました杉本さんを団長とする訪中団で7、8年前にお邪魔した時に、杜様にもお会いし懇談させていただきました。

 TBS東京放送は、五十数年前に北京に特派員を出したところから日中関係が始まっております。万里の長城などいろいろな番組をつくりましたし、当時の朱鎔基総理をお招きしてタウンミーティング、市民会話をつくりました。

 11年前からは中国メディア大学を対象に奨学金制度を続けております。毎年、研修生が10名近くTBSに来て1週間ほど研修をします。今年もいらっしゃいました。中国の学生の真摯さ、真面目さ、ひたむきさ、これをつくづく感じております。

 この制度は、私が社長でいる限り、続けていきます。よろしくお願いします。

南川 武田さん、ありがとうございました。では続きまして、MTI社長、前多様よろしくお願いします。

挨拶する武田信二株式会社東京放送ホールディングス代表取締役社長

地方を盛り立てるITサービスで貢献


前多俊宏 今日は「地域発展のニューパラダイム」の素晴らしいシンポジウムで、非常に機知に富んだお話を伺うことができましてありがとうございます。杜平さんはじめ、中国の方々とお会いできて光栄に思います。

 ちょっとだけ、私どもの会社の紹介をさせていただきたいと思います。スマートフォンのアプリを展開している会社でして、今、日本で3000万人ほどの利用者に使っていただいています。代表的なコンテンツとしては、「music.jp」という動画、音楽、コミックなどの配信のサイトです。このサイトでは、今年、日中国交正常化45周年ということで、女子十二楽坊のコンサートが今月末に3回開催されるのを後押しさせていただいています。

 今日のテーマの中に地方の過疎化などの問題がありました。我々の会社でもうひとつ大きなサイトは「ルナルナ」という女性向けの健康管理のサイトです。これは、女性の方に排卵日など、どのタイミングが妊娠に適しているかをアドバイスするサイトです。

 今このサイトを使っていただいている方が、日本に1200万人います。日本では1年間に100万人の子どもが生まれますが、そのうち12万人がこのサイトを使っていらっしゃるということで、日本の出生の10%以上に貢献させていただいているというところもあります。

 日本では母子手帳がありますが、その電子化を進めていまして、電子母子手帳のサービスを現在、100ほどの自治体に使っていただいています。じつは南砺市もかなり早い時期から我々の電子母子手帳のサービスを使っていただいています。

 そういった意味では、我々は環境といった面とはまた違いますが、地方を盛り立てていくためのさまざまなサービスに頑張って貢献していきたいと思っています。

 今日はどうもありがとうございました。

南川 前多さん、どうもありがとうございました。それでは、NTT出版社長の長谷部さん、よろしくお願いいたします。

中国都市の画期的な発展指標ガイド


長谷部敏治 ただいまご紹介いただきました、NTT出版の長谷部でございます。本日はこのような素晴らしいフォーラムに参加させていただきありがとうございました。大変勉強になりまして、東京経済大学をはじめ環境省様、関係者の皆さまに心からお礼申し上げます。

 私どもの会社はNTTグループの出版会社でございまして、青木正彦経済学者をはじめ非常に有名な国内、海外の先生方の学術書を出版してまいりました。先ほど、第3セッションでご紹介いただきました通り、周先生をはじめ中国国家発展改革委員会様のご本を出させていただくことになりました。

間もなくあと2カ月ほどで、日本で『中国都市ランキングー中国都市総合発展指標』を出版します。この中国主要20都市の発展指標ガイドブックでございますが、周先生、改革委員会様が新たに開発されました指標を使い、経済、社会、環境の3つの視点から中国都市の現状、課題をそれぞれ表す非常に画期的な本でございます。

 この重要な本を、私どもの会社から出させていただくことは本当に名誉なことです。この本は必ずや、日本の政府、地方自治体、民間企業、大学の研究者の皆様方のお役に立てると信じております。私どもといたしましてもこの本を日本国内で広めていく努力してまいる所存ですので、皆さま方からもぜひご支援いただきたく、よろしくお願いいたします。

 最後に、中華人民共和国及び日本のますますの発展と、ご参集の皆さまのご健勝を心から祈念いたしまして、私の挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

南川 長谷部さん、ありがとうございました。そろそろ、中締めを行いたいと思います。本日のシンポジウムを終始リードしていただきました東京経済大学の周先生より、締めのご挨拶といただきたいと思います。

挨拶する周牧之東京経済大学教授

■ 思考の単位を国から都市、都市から地域へ


周牧之 皆さんに感謝いたします。私はこれまで、たくさんのシンポジウム、フォーラムを主催してきましたが、会場はほとんど都内でした。初めて我が大学のキャンパスでフォーラムをやることになり、実は非常に心配していました。こんな遠いところに皆さん来てくださるかなと思っていました。蓋を開けてみると、都内から、地方から、さらに北海道から遠方から皆様多忙の中お見えになって、本当に感謝しています。

 今回のフォーラムで皆さんに一つ大切なメッセージを送りたいです。今まで我々アジアでことを考える基本単位は「国」でした。しかし、ここ数年ずっと都市を注視していく中で、考える基本単位が間違っているかもしれないと感じました。「都市」という新しい基本単位に注目することが必要です。

 『中国都市ランキングー中国都市総合発展指標』は、中国の295都市を評価しています。この評価で、都市はそれぞれ生きものなのだ、ということを鮮明に抉り出しました。都市はそれぞれ自分の個性と主張があります。これらの都市を全部くっつければ国も全部見えてきます。これは中国研究の斬新なアプローチです。

 しかもこの都市指標は中国の都市にとどまらず、現在、日本の都市も対象として研究を進めています。さらに、韓国、台湾、香港、マカオもカバーするよう努力しています。近い将来、北東アジア研究の新しい基盤を作り上げます。

 東アジアは、思考や議論の単位を国から都市へと向けていけば、見えてくる風景は全然違うものになります。よって、この地域では、さらに大きな交流と繁栄が築き上げられるでしょう。われわれの都市指標はまさに、国から都市へというパラダイムシフトの起爆剤になろうとしています。

 南川先生、中井さん、山本さん、杜平さん、我々の研究に協力してくださった大勢の皆さまに改めて感謝いたします。どうもありがとうございました。

南川 周先生、大変熱いメッセージをありがとうございました。皆さまには午後1時からシンポジウムと、そしてこのパーティーに長時間ご参加いただきまして、誠にありがとうございました。

 最後に、引き続き東京経済大学の活動に熱いご支援をいただきますことをお願いしまして、このパーティーを閉じたいと思います。今日は誠にありがとうございました。

懇親会 二次会


司会:
吉澤保幸  一般社団法人場所文化フォーラム名誉理事

来賓挨拶:
後藤健市  株式会社スノーピーク地方創生コンサルティング代表取締役社長
山口美知子 東近江市役所課長補佐
韓雷蒙   深圳前海国金金融服務有限公司董事長
鈴木正俊  株式会社ミライトHD代表取締役社長
渡邊満子  メディアプロデューサー
森勇介   大阪大学教授
中井徳太郎 環境省総合環境政策統括官
新井良亮  株式会社ルミネ取締役会長          

会場:
オペラシティ52F エムティーアイラウンジ

※肩書は2017年当時

吉澤保幸 それでは、東京経済大学の「地域発展のニューパラダイム」の二次会を開催したいと思います。この場所を提供してくださったエムティーアイの前多俊宏社長と周先生、ありがとうございます。東京の夜景を見ながらぜひ、楽しんでいただければと思います。         

 もともと、今回の「地域発展のニューパラダイム」の企画は、この夏に東近江に参りまして、東近江の近江牛のすき焼きを食べながら、周先生と私の2人で決めた企画でございます。そういう意味でも、最後まで美味しくこのイベントを仕立て上げたいと、皆さまを二次会にお誘いしました。

 もうだいぶお飲みになっていると思いますが、今日のニューパラダイムにご登壇されなかった方で、実際に地域発展に関わっている我々の仲間たちが、この二次会に集まってくださいました。今日の後援をさせていただいた場所文化フォーラムの私のパートナーの後藤健市も十勝から来ました。後藤さんは杜平さんとも親しくしています。

後藤さんは地域で考え、グローバルで考え、地域で行動し、グローバルで行動している大変稀有な存在で彼に一言、今の活動を語っていただいた上で、皆で乾杯したいと思います。

信頼と笑顔で世界をハッピーに


後藤健市 ご紹介いただきました、後藤でございます。中国の皆さんとは、中井さんとのつながりでまず周さんとつながりました。僕は日本の地域でも、世界でも同じことを言っています。「そこに仲間ができれば、その場所は自分の地域になるんだ」です。ですから中国は、私にとっては杜平さんもそうですし、韓さんもそうですが仲間がいることで、本当に大好きな場所ですし、自分の場所だと思って今はそこに自分の想いを寄せております。

 今やっていることは、場所と人を「楽しい」と「美味しい」でつなぐ。そうして場所をつないだ後に、地域を活性化しながら「信頼と笑顔で世界をハッピーにする」という言葉をスローガンに掲げ、地方で30年、海外でも10年以上活動しております。

 先週はニュージーランドとオーストラリアに行っておりまして、明日からハワイに出張に行きます。スノーピークというアウトドアギアのクオリティにこだわったトップメーカーの地方創生の子会社を今年2月に創り、その社長をやらせていただいています。まさに僕は地方創生をずっとやってきたので、国内だけではなく世界をつなげていこうとしています。地域の自然を大切に活かしながら楽しいことをやっているので、中国とも新しいことを仕掛けたいと思っています。ぜひよろしくお願いいたします。

吉澤 ありがとうございます。東近江のローカルサミットin東近江での実行委員長で、緑のジャンヌダルクと呼ばれ、今回ローカルサミットで初めて女性実行委員長になっていただいたお酒の飲めない山口美知子さんに、乾杯のご発声をお願いします。

地域の魅力に気づくきっかけに


山口美知子 周先生に、7月に東近江に学生さんと一緒にお越しいただいて、吉澤さんとのご縁も繋がって、今日このタイミングでローカルサミットの宣伝をここ東京でさせていただけたのは本当にありがたかったなと思います。

 庄内でのローカルサミットに参加した時から、いつか東近江でできたらいいなと個人的に思っていましたが、こんなに早く実現するとは思っていませんで、今は東近江で行政も民間の皆さんも一緒に頑張っています。私達自身が地域に気付く大変良いきっかけをいただいたと思っておりますので、これからまた日本国内だけじゃなくて世界でもどうつながっていくのかが正直とても楽しみでワクワクしております。

 ぜひ、お時間がある方は東近江にお越しいただけたら嬉しいという思いと、今日このような機会を作って頂いた皆さんへの感謝も込めまして、乾杯させていただきたいと思います。

 それではよろしくお願いします。乾杯!

吉澤 ありがとうございます。それでは、しばらくご歓談いただきたいと思います。また後程何人かの方にご挨拶いただきたいと思います。

<歓談タイム>

吉澤 ご歓談中ではありますが、せっかくの機会なので少し中国、そして日本の方にお話をいただければと思います。それでは中国の韓雷蒙さん、お願いいたします。

韓雷蒙 尊敬する日本の友人の皆さま、こんばんは。杜団長の依頼を受けてご挨拶させていただきます。今回東京などで3日間、周先生の引率のもとで勉強しました。その成果を、皆さんにちょっとご紹介したいと思います。

 最初の感想は、中国は経済規模にして世界2番目ですが、まだたくさん日本から学ぶことが多いと感じました。今日のフォーラムで一番印象に残ったのは、鈴廣かまぼこの鈴木さんのお話です。長い時間をかけて自分の企業をアピールするのではなく、この企業が地元の社会にどう貢献したのか、企業の社会的責任について一貫してお話されたことが印象に残っております。

 2点目の感想です。日本は1955年から75年までの高度成長期に、環境汚染などの問題もたくさん発生しました。まさに中国は現在同じような課題に直面しております。

 8年前、周先生の引率のもと北海道まで行きました。北海道で非常に勉強になったことが一つありまして、木を勝手に伐採してはいけない法律があったとのお話でした。それを聞いて深く感銘を受け、中国に帰国してから政府の大勢の関係者に、その話をしました。

 また、本日のフォーラムの中で、この国連で採択されたSDGsの持続可能な発展目標に向けた日本の努力と取り組みも、たくさん聞かせていただきました。

 昨日と一昨日ですが、ルミネ新宿店、六本木ヒルズを見学いたしました。また、前多社長の会社までお邪魔させていただきました。素晴らしい会社運営について中国に戻りましたら、同業の知り合いに必ず紹介し、ぜひまた日本に来てみなさんに学びたいと思います。ありがとうございました。

吉澤 ありがとうございました。では、次は日本の方で、鈴木さん。ぜひ、ちょっと一言、感想を含めてお願いします。

このネットワークは国境を超える財産


鈴木正俊 鈴木でございます。ドコモの副社長を務めていた当時、中国にたくさんお邪魔し、周先生が主催した北京のフォーラムにも伺わせていただいた時、そこに集まっている人は一体どういう人達だろうと思っておりました。動物園のように、ライオンもいるし、トラもいるし、ウサギもいる。きょうのフォーラムもそんなふうに思いました。

 周先生の友人で、中井さんという、霞が関には珍しい熱血漢が現れまして、役人にもこういうのがいるんだと、びっくりしました。周先生が杜平さんを非常に尊敬していることもわかりました。いろんな人が集まるこのネットワークでは、国境を超え人種を超え、いろんなものを超え、個人としてつながっていけることは財産として、ありがたいと思います。

 ぜひ、今後ともお邪魔させていただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします。渡辺さん、せっかく中国の方がいらっしゃるので、一言だけお願いします。

吉澤 渡辺さん、中国との架け橋として一言お願いします。

日中国交正常化の感動を機に


渡邊満子 1972年の日中国交正常化の時に外務大臣をしておりました大平正芳の孫娘でございます。その時、私は10歳でしたので、歳がバレますね。大変感動いたしまして、日中の仕事をしようと思いました。今日はありがとうございました。

 この通訳さん、素晴らしいですよね。今日ずっと、この方すごいなと尊敬しておりました。お疲れさまでした。今後ともどうぞよろしくお願いします。

吉澤 日中で言えば、日本の仏教を教えていただいた空海さん、あるいは中国と日本の真言密教を伝えていただいた高野の空海さんがいらっしゃいます。その空海の生まれ変わりかどうか知りませんけど、環境の先端的な技術を研究すると同時に真言密教の帰依をされた森先生をご紹介します。日本と中国の、あるいは技術と心の架け橋の一言をお願いします。

空海の「三密加持」の思想に学ぶ


森勇介 皆さん、本日はありがとうございます。空海さんが中国で修行して、それを日本に持ってきましたが、それはどういうことなのか。結局、今日のお話を聞いて思ったのは、地方創生も全て含めて、弘法大師空海の思想がものすごく大事だなということです。そして、これは建前で言ってもだめで本音で言わなければなりません。

 弘法大師空海が中国から学んだことで言うと「三密加持」。それは、思っていること、言っていること、やっていることが、一致しなければいけない。それに尽きます。そういう意味では、皆さんが本音を言いゴールに向かって実践することが一番大事だと思いました。

 それができるグループを目指して、吉澤さんや中井さん、皆さんを含めてやっているのだと実感しました。この「三密加持」をやりながらいい方向に持っていければいいなと思います。ぜひよろしくお願いします。どうもありがとうございました。

 付け加えて紹介しますが、中国はノーベル賞大好きです。でも医学以外には、まだ獲れていないんです。特許取得数は中国がいま世界一になりました。しかし、いつ科学技術でノーベル賞が獲れるかなと皆が毎年、首を長くして待っています。これから面白い競争が一つあります。森先生が先に獲るのか、中国のこの分野の人が先に獲るのか、です。これはけっこう楽しみです。

吉澤 日本のナショナリズムから言うと、ぜひ森先生に環境技術でいち早くノーベル賞を獲っていただきたい。そして、それを中国で使っていただきたいと思います。それもすべて、仏教の教えに基づく技術でございます。

 それでは、時間も迫ってまいりましたので、中井さん、新井会長、中締めをお願いします。

仲間としての連帯と信頼を分かち合う


中井徳太郎 今日は午後の早い時間からありがとうございました。いつものことですが周先生の企画は密度が濃すぎて中国も北京、鎮江、南京、いろんなところでやりますが同じパターンで東京経済大学においても頭が爆発するくらい、詰め込みで申しわけなかったと思います。

 お疲れではあると思いますが、それだけ中身が濃く、これだけ日本において地域の現場から社会のトップで活躍されている方まで集まって、真面目に胸襟を開いて本音で議論することは、実はなかなかできません。それはこの企画を立てた周先生、吉澤さんはじめ人の輪がある中でできたということです。素晴らしい会だったことを感謝申し上げたいです。

 大変な時代ではありますけど、結論から言うと、仲間としての連帯、信頼をこういう機会を通じて深めさせていただいています。お互いに応えて、今回はホスト、今回は受ける。そういう順繰りがあり、皆で分け合っているという稀有な世界であります。

 私からは本当にお礼を申し上げ、締めとさせていただきます。ありがとうございました。

今日の学びを明日からの行動に


新井良亮 大変遅くまでありがとうございました。また、中国から来た杜平さんをはじめ、多くの皆さまにお付き合いいただいたことを心から感謝申し上げたいと思います。改めて、周先生をはじめ、吉澤さん、中井さんには本当に感謝申し上げたいと思います。東経大の学生さんも事務局として働いていただいたことに感謝いたします。

 杜平さんはじめ皆さんにルミネに来ていただき、心から感謝申し上げます。先ほどお話を聞いた中には多くのビジネスのメソッドが眠っています。まだまだ話し足りないことはたくさんあったと思います。

 私は6日に家族旅行から帰ってきました。私のせがれが中国に行っており、そういう意味でも多くのことを学ばせていただきましたし、また我々も勉強したいなと思っています。

 環境というのはサスティナブルの世界を創っていくものですから、やっぱり国同士の話になりますと長いお付き合いをこれまでもしてきたし、これからもしていく前提に立ってやっていきたいと考えています。これからも互いにいろいろ交流をしながら、築き上げていきたいです。未来はもっと開いていくだろうと、私は多くのことを期待しています。

 終わりにあたりまして、ぜひ今後ともよろしくお願いします。これだけの多くの経営者や各界の人たちに集まっていただいたことで、それぞれ持ち帰るものがあったと思います。ぜひ、持ち帰るだけではなく、明日からの行動に移して頂き、社会を変え、環境を変え、地球を変えていきたいと、そんなことが共通の話題になればありがたいと思います。

 遅くまでお付き合いいただいたことに感謝申し上げ、お礼の言葉にさせていただきます。

吉澤 どうもありがとうございました。それでは、本当に皆さんの気持ちを込めて、日本で言えば一本締めになるんですが、皆さんでこの最後の締めを大きな声で乾杯をして、日中の今後の架け橋、そして新しい未来をつくる想いを込めて、乾杯で今日のお開きにしたいと思います。杜平さんを含めて、皆さんありがとうございました。

 それでは大きな声でお願いします。乾杯!


中国都市総合発展指標