【ディスカッション】中井徳太郎・吉澤保幸・小椋正清・太田浩史・深尾昌峰:地域と金融

編集ノート:
 地域の空洞化、東京への一極集中、情報革命とグローバリゼーション、そして待ったなしの環境問題—地域と大都市をとりまく課題をどう見据え、発展への道のりをどうさぐるかー。東京経済大学と一般財団日本環境衛生センターは2017年11月11日、学術フォーラム「地域発展のニューパラダイム」(後援:環境省、一般社団法人場所文化フォーラム)を東京経済大学で開催し、地域活性化への多様な方向性が提示された。「セッション2:地域と金融」のディスカッションを振り返る。


東京経済大学 学術フォーラム:地域発展のニューパラダイム


日時:2017年11月11日(土)
主催:東京経済大学、一般財団法人日本環境衛生センター
場所:東京経済大学 国分寺キャンパス
   大倉喜八郎 進一層館(東京都選定歴史的建造物)
後援:環境省、一般社団法人場所文化フォーラム


セッション2:地域と金融


司会:
吉澤保幸 一般社団法人場所文化フォーラム名誉理事

パネリスト:
小椋正清
  滋賀県東近江市長

中井徳太郎 環境省総合環境政策統括官
太田浩史  真宗大谷派高岡教区大福寺住職、日本民藝教会常任理事
深尾昌峰  龍谷大学准教授

総合司会:
尾崎寛直 東京経済大学准教授

※肩書は2017年当時


地域内循環と発展の新たなパラダイム見据え


尾崎寛直 本日のシンポジウムの趣旨を、簡単にご挨拶ともどもご案内させていただきます。タイトルに掲げました「地域発展」という文言です。地域といった場合、地域の再生等ということが最近言われますけれども、通常、都市と対比した意味での農村部や地方部のことを指すことが一般的だと思います。そういう意味で、地域発展という言葉自体は決して新しいものではないということは皆さんご承知のとおりです。従来の地域の発展ということに、今回「ニュー」が付いております。何が新しいのかということが大事になってくるわけです。従来型の地域発展は、言ってみれば、いかに地方を都市の生活水準に近づけるか、あるいは雇用を確保して収入を上げてくかを目標として、いわば都市あるいは中央から、どれだけ人、物、金を引っ張って来られるかがやはり大事だったのだろう、そういうことが目指されてきたんだろうと思います。

 その結果として、地方を都市の従属物にしてしまった部分があるんじゃないかと私は考えます。どこの地方でも、同じように大型の施設や工場を誘致する。あるいはインフラの開発をする。まるで都市のアメニティーを地方に移築をするというような発展モデルではなかっただろうかという問題意識を持っています。

 しかし、そういうことで本当に地方は発展したのかということが問われなければいけません。地方が大企業を誘致したとして、一時的に雇用は増えるかもしれませんけれども、結局利益の大半は本社のある中央に吸い上げられる。都市型のライフスタイルを地方に導入したとして、電力消費が増えれば、中央の電力会社から大量の電気を購入しなきゃいけない。また地方から中央に金が流れていく。そういう仕組みが、これまでの開発、従来の都市発展の中で一般化してきたのではないか。

 リゾート開発も、やはり都市による都市のための開発ではなかったでしょうか。地方や地域が持つ豊かな環境や資源。また、その多様性までが都市に絡め取られ、その良さが見えなくなっていったのが従来の発展モデルではなかったかというと言い過ぎでしょうか。

 そもそも都市は単独では生きられないわけです。今までは、地方をさまざまな人材や資源の供給基地にしてきたわけですが、今やそういう立場を変えなければいけない。そういうバラダイムを変えなければいけない時期に来ていると思います。地域の良さを再評価し、その良さを最大限生かす発展モデルをどれだけ構築できるかが問われているのではないでしょうか。何も都市のまね事をすることではないと思います。地域から都市に、中央に資金が流れてしまうことを変えていく地域内循環を考えていかなければいけません。

 このような問題意識から、私たちは今回のシンポジウムを企画いたしました。本日は、地域発展の新しいパラダイムを考える上で、ベストな人々に集まって来ていただきました。本日の議論が皆さまの今後の活動や研究、あるいは政策提案にとって有意義なものになりますことを願っております。

 第2セッションは、司会を本企画の後援団体である場所文化フォーラム名誉理事、吉澤保幸様にお願いいたします。日本銀行にお勤めで2001年より株式会社ぴあ役員、現在は取締役、そしてローカルサミット事務局長等を歴任されています。

 パネラーの皆さまをご紹介します。司会のお隣が中井徳太郎様。当時の大蔵省入省後、環境省に移られ、大臣官房の会計課長等を経て現在は総合環境政策統括官をお務めです。

 深尾昌峰様は龍谷大学准教授です。大学院の頃から京都NPOセンターの構想作りに関わられ、NPO法人京都NPOセンター事務局長を現在もお務めです。2009年より公益財団法人京都地域創造基金の理事長をお務めです。

 そのお隣、滋賀県東近江市長の小椋正清様です。滋賀県警等を経て2013年より東近江市長をお務めです。東近江市は琵琶湖の東岸に位置し、伝統工芸に加え、環境を守る市民運動も非常に盛んな所だと私も聞いております。

 そのお隣、太田浩史様です。富山県南砺市の真宗大谷派高岡教区大福寺のご住職の傍ら、となみ民藝協会会長をお務めで、地域の風土を大切にしたさまざまな普及活動をなさっています。

総合司会をする尾崎寛直東京経済大学准教授

新たな金融改革と地域社会の潮流


吉澤保幸 皆さん、こんにちは。セッション2をやらせていただきます吉澤です。

 今日の問題意識です。「地域と金融」、新しい金融変革と地域社会の潮流というように、ちょっと頭を整理しました。今日の本題は、「地域発展のニューパラダイム」ということで、それを支えるお金のニューパラダイムは何か。これがセッション2のお題かと思います。

 開会で今日、森本次官がお話しされましたけれども、パリ協定を含めて、あるいは先ほど南川さんもお話しされたESG投資等で大きな金融のうねりが、一方でグローバルな潮流が押し寄せてきております。一方で、セッション1でありましたように、地域の自立循環を支えるための新しいお金のローカルファイナンスもいろんな形でうねりを起こしている。その中で、それが交錯する形で金融変革のフェーズに入ってきていると思います。

 マイナス金利という私の古巣の日本銀行が掲げた政策も、単に金融期待を高めるためのカンフル剤ではなく、低成長の中で、地域が、あるいは全世界が自立していくための右肩上がりの世界ではない中で、どう金融構造を変えていくか。そういうメッセージであると私は理解しながら、地域の発展等を目指していきたいと思っているところです。

 まず中井さんにグローバルな、あるいは先ほどのサステナブルファイナンスの動きをご説明していただいて、環境省が取り組もうとする環境金融の大きなうねりをお話ししていただいた上で、小椋市長、それから深尾先生に、もともとローカルでどう自立をしていくか、循環をしていくか。いま金融機関の限界的な預貸率は、大体2割から3割。地域に100預金があったとしても、地域に回るお金は2割、3割しかありません。それをもう1回、地域の中でどう巡らせていくか。

 そんな仕組みづくりとして、東近江の「三方よし基金」という地方創生基金。東近江が2030年どんな姿でありたいかの円卓会議をしながら、それを支える基金を作ったモデルがございます。今動き出しております。それを他の地域にも巡らせていこうということで、さまざまな形で地方に地方創生基金、東近江モデルを広げていきましょうという活動をしています。そうしたことで地域の自立循環を、サステナブルに支えるお金の巡りを考えていこう。そんなことを今日のお二人にお話をしていただこうと思っております。

 日本には、100年企業が3万社あると言われています。その100年企業がこの5年間で数千社増えたということは、間違いなく100年前に、大きな社会課題を迎えた昭和恐慌の前ですけれども、さまざまな起業が行われた。それを支えていたのが、実は地域の共同組織の金融機関、今の信用金庫とか信用組合です。

 今ちょうど日本が新しいフェーズに入ってきているのを、社会全体で支えるとすれば、今こそ新しい形での稼業、資本、地域での業をつくっていく。それがこれからの地域のサステナブルな発展のために必要だろうと思います。それを支える地方創生基金、地域金融機関ある。そうした新しいお金のパラダイムを、このセッションで考えていただきたい。

 温故知新も含めて最後に太田住職からは、かつての懐かしい日本にはそうしたお金の流れの仕掛け、あるいは仕組みがあった、ということを呼び起こしていただき、セッションを進めていきたいと思っております。

司会をする吉澤保幸一般社団法人場所文化フォーラム名誉理事

世界的潮流としてのESG投資と環境金融


中井徳太郎 こんにちは。環境省総合環境政策統括官という環境施策全体の取りまとめというようなことをやっております。吉澤さんからありましたように、お金の切り口から、お話しさせていただきます。今日は中国の杜平さんに来ていただいていまして、大変貴重な機会を周先生につくっていただいたことを、まずお礼申し上げたいと思います。

 普段どういう問題意識かと言いますと、「つなげよう、支えよう森里川海」という、非常にお手に取りやすいパンフレットをきょうお配りしています。

 端的に言うと、2050年に二酸化炭素を80%減らしているような我々の社会、経済の絵柄。日本で言うと、人口が1億人を多分切っている。縮小する。世界ではまだ人口はアジア中心に増えます。そうした中でパリ協定があって、地球全体でも気候変動の問題に対応して、二酸化炭素を21世紀中に増やさないことを言っています。

 そしてSDGsとは、要するに環境の問題と経済社会のいろんな課題が全部絡まっている動きです。究極は2050年に80%減っている絵、そして世界と調和しているイメージが日本で出来ていないとどうしようもないと、僕は思っています。

 持続可能な社会とはどういう絵なのか。突き詰めると、我々日本人は自然の恵みで生きていますから、自然の循環系、多様な生き物、食べ物も含めて共生している。循環共生型の社会ができていて自然の恵みを日々謳歌できて、ありとあらゆる生き物が人間中心にちゃんと調和していることだと思います。それをこの「森里川海プロジェクト」では言っています。

 そんな意識を持って皆でやっていこうということです。そうした社会をつくるにおいて、普段何か食べたり、いろいろ触ったり、物や介護や医療やサービスがある実物の世界を我々は体感しています。でも、その裏腹としてのバーチャルのお金の世界、信用の世界が非常に今大きく動いている話をしたいと思います。

 今申しましたように、この気候変動において、まず世界ではパリ協定があり、大変な問題だという認識になっています。気候変動で災害が起こる。すると経済や社会も基盤が崩れ、大きなリスクだということを世界では明確に捉えています。つまり、経済、社会活動においてのリスクということです。

 物やサービスの実物の世界とは裏腹に、お金というものがあります。我々は企業活動をベースに、物やサービスを動かしている。お金が、投資家であったり我々の預貯金であったりで巡っていくシステムの中で、経済活動がある。

 ここのお金というものが、グローバルなマネー中心で、どちらかというと金融機関も非常に強いものですから、お金というのは、なかなか言うこと聞いてくれないなと皆思うわけです。みんなの預金もお金、株を買うお金もお金。つまり、お金の流れで先ほどの未来を切り開く、お金をうまく道具として使おうということが、実は世界で今大きく起きています。

 お金の流れで先ほどの気候変動というリスクを捉えると、環境の気候変動やリスクを避けた所にお金を投下し、リスクを下げて、育ってくところにお金を流し、生き残ろうとします。当たり前の話ですけども、今、世の中で大きくそうなっている。その変化にあるとの認識が日本でもやっと起こりつつあります。世界が進んでいる、そんな感じです。 

■ 環境リスクの可視化で経済・社会の軌道修正を


中井 その気候変動において金融で今語られていることですが、まず二酸化炭素について申します。「2℃目標」と言っておりますけども、産業革命以降、2℃抑えるには、科学的な知見でCO2の累積排出量は約3兆トンです。もう2兆トン出してしまいましたからあと1兆トンです。「カーボンバジェット」という言い方をします。その制約の中に人類の経済活動、社会活動をみんなで軌道修正していかないことには、1兆トンを超えると2℃では収まらないということです。要するに予算制約的な発想、CO2をお金と同じようなメルクマールとして可視化できるものとの捉え方です。

 気候変動について、リスクだということは「グローバルリスク報告書」という世界経済フォーラムの発表の中にあります。今まではこの気候変動、赤のところですが、例えば2011年だと5位ですが、ここ数年は毎年1位2位という状況になっていて大きなリスクだと明確に言っております。2.5℃上昇で金融資産に300兆円の損害がある。こうした感じの捉え方に世界はなっているということです。

 そうした中で先ほど、お金をうまく使って経済社会の方向性をつくるという言い方をしました。まさしくユニバーサルオーナーシップというお金を運用する投資家が、地球全体を物やサービスの世界と裏腹に、お金という意味で皆持っており、そのお金をマネージする。お金を使ってこの「負の外部性」と書いてありますけど、環境のリスクに対応する時代だという認識が、ひたひたと広がっている。

 具体的には、化石燃料について、先ほども申しましたが2℃目標を達成するにはあと1兆トンしか出せないわけです。そうすると埋蔵量が多い石炭というものは、その1兆トンを抑えるため、ある範囲しか燃やせません。それ以上のものを燃やすと、1兆トンを超えるので、あっても使えない資質ではないか、となる。

 そういうのは座礁したと定義付けをし、そこにはお金を回さない判断を投資家、世界の金融機関が始めています。最新の動きは石炭に限らず、石油まで含めた化石燃料全体が座礁化する方向に、直近では進んでいます。

 この2番のエンゲージメントというのは、先ほどお金を道具として使うと申しましたが、まさしく株の保有株式の権利行使によって、企業のオーナーとして、企業の行動を修正させる。環境リスクを引っかぶったような行動を直させるということで、これがエンゲージメント。お金を道具立てとして、具体的な事例として先ほどのダイベストメントで言うと、ドイツ銀行やカナダの銀行がやっていますし、エンゲージメントも起こっている状況です。

■ 環境へのマネーフローが世界的な流れに


中井 一方、今リスクという捉え方をしましたけども、実はリスクはチャンスであります。再生エネルギーの導入など、まさしく新しくお金という形で付加価値が伸びる分野も環境だ、ということでグリーンファイナンス、ビジネスチャンスがあります。リスクを下げて儲かるところにいく明確なお金の流れの動きが、始まっています。

 事例では、例えばJPモルガン・チェースが2025年までに2000億ドルをグリーンビジネスに向ける、環境に融資するということです。バンク・オブ・アメリカやベルギーのKBCも動きがある。

 日本はどうかというと、ESG投資という言葉があります。環境と社会、ガバナンスについてのお金の世界的な流れのことですが、日本においても地道に数年前から日本版の機関投資家の行動原則というもの、スチュワードシップコードとか企業の行動原則のコーポレートガバナンスコードも、金融庁が絡んで策定されました。

 直近では年金の運用法人のGPIFが、責任投資原則というしっかりとしたお金の流れでやることにコミットした上で、ESGにお金を振り向ける。具体的にESGを指数化したような株式にお金を投資するという明確な動きになっています。非常に今、日本が動きつつあるという状況です。

 そうした金融というお金の流れの中で、リスクとチャンスと捉えている環境に対応するときに、やはり情報が大事になってきます。どの情報をもって財務的に判断できるのかという金融情報として活用できる環境の情報をちゃんと吟味することが、極めて大事になっています。その辺のことを、今やっている状況です。

 金融庁としては金融政策を今大きく根本から取り直す動きになっています。不良債権問題をはじめ、金融セクターを何とかする流れが終わった中で、顧客本位、投資家本位の金融仲介サービスが何かということが、金融行政の題目になっています。その中にやはり、金融を使ってちゃんと地域活性をする流れがあります。地域活性化がなぜ起こるのか、どこが伸びるのか、どこがリスクなのかが、まさしくESG投資、環境も含めた分野になってくる。具体的に日々、地域やいろんな企業の活動に接している我々が、そこに直面しています。

 お金の流れをもってどう社会をデザインしてくかの具体的な動きです。環境政策として今、第5次基本計画を作ろうとしています。やはり2050年、2100年に向けた循環共生型の社会。「環境・生命文明社会」を目指して今取り組んでいます。

 具体的な地域の絡みでは、ファンドという形で国としての支援の仕方とか、「グリーンボンド」という最近世界で非常に動いている金融の面で、環境案件にしっかりとお金が債権として回る仕組み。この辺も日本も今動いていますし、まさしく今日これからお話しいただくような、地域をもう少し地域の目線で見たときに、「地域創生ファンド」という従来の金融の枠組みを超えて、本当に必要な課題にみんながお金出し合って、そこに必要な形でマネーフローをつくろうということです。

 最新事例として、東近江三方よし基金がまさしく動き始めています。日本のグローバルなお金の流れの文脈がありますけども、それを日本としてどう捉えていくかがいま、大きなテーマになっています。

 以上、報告とさせていただきます。ありがとうございました。

スピーチする中井徳太郎環境省総合環境政策統括官

吉澤 ありがとうございました。グローバルなお金の流れ、SDGsもそうですけれども、実際の現場はローカルですので、グローバルなお金の流れのエッセンスは、要するにお金に意志を込めて、従来のパイを増やすためのリスクテイクではなく、これからの持続可能な社会をつくっていくためにリスクを削減する。その方向にどうお金の流し方をしていったらいいか。

 それが新しいビジネスチャンスを生んで地域の創生につながっていく。それが、ローカルな現場に生まれているのではないか。そのつなぎ合わせを、環境省として旗振りをこれからしていただこうという流れで今のお話を聞いていただければありがたいなと思います。

 ローカルサミットを東近江で12月の1、2、3日、場所文化フォーラム主催でやります。東近江の取り組みを小椋市長に少しお話をしていただきながら、どんな思いで東近江の街づくりをし、どんな思いで地域を活性化させ、行政、市民、金融機関を巻き込んだ格好でうねりをつくってらっしゃったのかをご紹介していただければありがたいと思います。

 小椋市長、よろしくお願いいたします。


地域力を高める資源の認識を


小椋正清 ご紹介いただきました、東近江市の小椋です。

 「ローカルサミットin東近江」では、8つのカテゴリーでコースをつくっています。東近江市は合併して12年です。そういう意味では私どもは平成17年と18年にかけて合併しましたので、非常に若い町ですが、一つずつの町が大変古い歴史を持っています。1市6町の集合場所は八日市駅となっています。

 八日市は西武鉄道の使い古しの車両ばっかりが走っておりますが、西武を創設した堤康次郎さんは、私の町のすぐ隣町のおっちゃんです。西武の発祥の地であり、最近ではワコールの塚本さん、丸紅、糸へんの付く名だたる商社のほとんど100%と言っていいくらい近江商人から出ております。今はなくなりましたが兼松興商もそうです。

 柳谷ポマードさんが日本橋にあり、向かい側に「ここ滋賀」っていう自社ビルができまして、そこで11月23日、「東近江市day」をやります。近隣の方はぜひ訪ねてください。鮒寿司、お米とお酒とお肉、おいしいものばかりあります。

 私は基本的に、三方よし基金やソーシャルインパクトボンド、SIBには、一定の条件が必要だと思っております。条件があるかないかで、本当に成功するかどうかが分かれます。成功するキーは何かと言いますと、地理的特性と歴史文化、そして本当に地域力があるかどうかが試される。全部揃っているわけではないが、皆さんの地域には必ず地域力を高める資源があるはずです。それを私は今日、皆さん自身に理解していただくことが大切だということで寄らせていただきました。

 東近江市が合併して388㎢、日本を東西に分ける鈴鹿山脈のすぐ右側が三重県、もう岐阜、名古屋ですね。西が東近江。そして彦根、大津、さらに京都。東西の分岐点であると同時に交流点である。もともと文化的にも生態学的にも、多様性の高い地域です。琵琶湖に注ぐ500本余りの河川は、全部周囲の滋賀県の山々から注いでおり、その源流域から河口まで、いわゆる森里川海を全部持っているわけです。

 そんな地理的特性と多様性が非常にある。地理的特性とは、中京圏と京阪神圏にべたっと接しているということで、放っておいても豊かな町です。

 自慢するわけではありませんが、滋賀県は1人当たりの県民所得がずっとベストファイブです。信じられないでしょうが大体、東京、大阪、福岡、神奈川の次に京都とか静岡にいきますが、ずっと5位です。一時期は東京に次いで2位になったこともあります。それほど豊かな県です。

 例えば、最近ではインターネットの屋内配線率、パソコンの保有率、スマホの保有率、県民1人当たりの保有率はもう断トツでトップです。これは、一つはインカムがいいということと、豊かな財源を持っているということです。欲しくても買えなかったら保有率は高くならないですよね。

 前提として、そうした豊かさがある。その豊かさは一体どこから生まれてきたのかを、分析してみる必要がある。別に近江商人の発祥の地だからではない。もともとの金持ちではない。「始末してきばる」という近江商人の言葉があるように、本当に節約家が多い。

 随分前ですが、宮城音弥東北大学教授が『日本の県民性』という本の中で、全国47都道府県を書いていて、滋賀県だけはべた褒めだった。例えば「近江泥棒に伊勢乞食」という言葉がありますが、要するにえげつない商売をするという意味で、宮城先生の話によると、近江商人、伊勢商人を妬んだ言葉だというわけです。

 そうした勤勉性に裏打ちされた県民性はどこからきたのか。これは中世の惣村文化だと思います。戦国時代、近江の国は踏み荒らされた国で、時の為政者に対して、うまく取り入ってきたのでなく、うまく対応できたことが、大変大きな基盤を支えているという要素もあります。

 そういった中で中世から近世を経て、ずっと歴史を持っていたのが「木地師」です。一部この4番目に書いていますが、「惟喬親王伝承と山の文化」。この話を始めると90分授業になりますので省略しますが、轆轤師です、木地師というのは。お椀を作る。ここが木地師の発祥地で、東北から九州まで全国に良材を求めて転々としていくときに、東近江が全国の木地師さんに山の自由伐採権と諸国行脚をする、いわゆる関所のフリーパス、通行手形を渡す。さらに往来手形、宗門改という身分証明書。IDです。いわゆるパスポートとIDと特権を出したわけです。

 その代りに上納金をもらっていたことが、明治時代に資料として見付かったそうです。全国3万所帯ぐらいの支配があったわけですが、それが未だに精神文化としては生きているということです。私の小椋という姓は、100%我が家から出たというように、今後皆さん小椋に会うことがありましたら、質問されると100%「間違いない」と返ってくると思います。木地師が、実は近江商人の手引きをしたと考えられています。

 最も典型的なのが、戦国武将である蒲生氏郷が最初、滋賀の真ん中辺り、日野町という町の生まれですが、改易で三重県の松坂、そこから会津黒川へ、豊臣秀吉の命で改易するんです。会津黒川が今の会津若松です。若松の人も一緒に連れて行っているから、そこで同じような感覚で住めるように若松と地名を変えて、それが今の福島県会津若松市の起源になっているんです。そのときにやはり木地師を連れて行き、お椀、そして漆。だから会津塗と会津の木地師、そして木曽の、あるいは石川の有名な産地まで、滋賀の東近江から広がっていきました。

 そうした中で、近江商人がなぜ「三方よし」を言ったか。これは結果論です。三方よしなんて、近江商人が思ってやったわけではないです。結果として売り手よし買い手よし、その結果、地域が良くなった。これを勘違いするととんでもないことになります。

 私は経済団体で講演をすることがありますが、皆さんは民間ですから金儲けしてくださいと申し上げます。最初から企業の社会的責任とかCSRに一生懸命になって会社潰したら笑われるだけですよとはっきり言います。儲けて、その儲かった余りを行政のほうに、街づくりにひとつドネーションして貢献してください。そういう発想をきっちり持たないと、勘違いが起こる。本末転倒してしまいますと、私はいつも発言しております。

■ 地域商社作りがスタート


小椋 そういう意味合いも含めて、東近江では三方よしの発想を、教育三方よし、医療三方よし、挙げ句の果てに、「三方よし商品券」を作りました。この考え方が実際に市民の皆さんに理解をされて、現時点では何とか目標の300万円、簡単に集まりました。そう言うと叱られるかもしれませんけども、全部で772名から300万円の寄付が達成しております。

 一つ重要なことは、民間がやっていること、あるいはNPOやっていることだから行政関係ない、というスタンスが一番悪いということです。これからは国から金はもう来ません。東近江市は今、もう合併特例債が発行できます。あと3年です。地方創生の枠組みの特別公費も2年で終わります。2年、3年後には非常に財政状況が厳しくなり、緊縮財政も待ったなしです。そういう中で、いかにしてお金を集めるかということです。

 東近江のSIB、三方よし基金からできてきた中で具体的な話を一つしますと、東近江市は8490haの農地面積があります。近畿で一番大きい農地面積です。その一方で、工業地帯でもあります。具体的に言いますと、村田製作所、京セラ、トッパン、日電硝子、パナソニックがいわゆる電機部門とホーム部門があり、大手メーカーの工場が非常に多いですが、そういう中で農業のSIBができないか。地域商社をプライバリーコープと名前付け、これが成功できたらと考えています。もっと時間いただいて皆さんにお話させていただきたいぐらいです。わずか1500万円の予算を議会へ通すのが結構大変でしたが現在、地域商社をつくろうとしています。

 これはまさに三方よし基金SIBの延長線上として、これから事業をやろうとする人たちが、いかに行政と民間の金を集め、金儲けをするかということです。発想は、眠っている預金、タンス預金と言われる預金と、まぁこれは深尾先生の分野になりますが、使わずにずっと持っている金を何とか引き出して、投資していただこうということです。もう駄目だったら諦めていただき儲かったら非常にリターンがありますよということです。

 今、金融機関からお金借りるのは大変です。もう債務保証しなきゃいけないし、信用保証協会の了解を取らなきゃいけないし、担保は必要だしということで。そういった無担保で貸せるという仕組みを、カジュアルにもっともっと利用できるような制度を作って、若い起業家に利用していただこうということで、まさに始まったばっかりでございます。

 この仕組みが結果どうなるかは、また報告の機会があったらさせていただきたいと思います。冒頭申し上げましたように、一定の条件が必要なのと、いわゆる官と民が本当に一緒になってやらなければ、なかなかできないことを現場から提供しておきたいと思います。

スピーチする小椋正清滋賀県東近江市長

吉澤 ありがとうございました。ここにあります「三方よし基金」のモデルを全国で使っていこうという形で、私も普及活動をさせていただいております。おっしゃるように地域の市民力、それから文化力、理解力があるかどうかが一番大きいと思います。

 東近江の場合は円卓会議ということで、2030年、どんな町になりたいかをこの10年近く考えてきました。実現するためにお金をどう巡らせるかの知恵が出てきて、深尾先生のお知恵等を借りながら財団法人を立ち上げ、それを公益財団にすることによって寄付や休眠預金等々、入りやすい受け皿を作った。

 市長におっしゃっていただいたように、行政と市民と、そして地元の金融機関が一緒になって、2030年の町を作るために必要なお金をどう融資し、それをこれからどう動かしていこうかです。

 東近江はもともと渡来人、韓国等々から海を渡って来られた方も多いです。そういう意味ではもの作りの文化、それからお金勘定も含めた、中国、あるいは韓国からの人々の知恵によって実は基盤ができています。そこにまた文化等が流れていった。非常に歴史的な時間軸、空間的に面白い所です。

 そういう意味で、ぜひ皆様方には、ローカルサミットの第10回に、お時間ございましたらご参加いただければと思います。今回はものすごく面白いことに、東近江市役所の若い人たちが応援して、セッションの幹事役をやっていただいたのです。そういう意味では、これまでローカルサミットは市民主体でしたけれども、今回は行政と市民が一体となって準備をしているところです。

 最後に一つだけ、大倉喜八郎の大倉も、実は小椋姓から出てきています。それを本学の先生がちゃんと文献で残してらっしゃいまして、17世紀に近江から新潟県の新発田に移った方が大倉喜八郎のご先祖ということです。そういう意味から言っても、近江商人、東近江の方々が様々な所で地域づくりをしてきたということで、この東経大とのご縁に繋がります。

 それでは深尾先生にローカルファイナンス、社会的投資を活用した持続可能な地域づくりについて、東近江と全国の動きをまとめていただきます。よろしくお願いします。


社会的投資が変える地域と立ち位置


深尾昌峰 皆さんこんにちは。ただいまご紹介をいただきました、龍谷大学の深尾と申します。先ほど、中井さんから世界的な潮流としてのESG投資や環境金融のお話がありました。私は中井さんのお話を、地域社会で実走できるかのチャレンジをこの間ずっとやってきました。そのお話をしたいと思います。

 お金の流れが社会を変えると思っていますし、立ち位置、ここで言う「ローカルファイナンス」という言葉を我々は作りました。このローカルファイナンスは、まさしく立ち位置。地域の中でのいろんな主体の立ち位置を変えうると思っています。今、市長からもありましたが、役所の立ち位置、市民の立ち位置、企業の立ち位置。そういったものが、もう少し投資行動や地域の営みを通じて変わっていく予感がしております。そのお話をいたします。

 これは東近江市で作業させてもらっていますが、人口が私たちの社会で変わっていく。大事なのは、今私たちはどこに生きているかということです。この放物線上の頂点に近いところに生きているわけです。それはどういうことかと言うと、もうモデルのない時代。これまでの常識やこれまでの在り方が通用しない。新たな文明社会みたいなものを構築していかなければいけない時代認識を持っておくことだと思います。それはもうポスト近代と言っても過言ではないか。今日の前半のお話もそうでした。

 それを僕らはローカルな立場で考えると、まさしく自治モデルの模索だと思います。今、小椋市長からもありました。官民の在り方、一緒にどうやっていくかの役割分担も、もう少し新しいモデルを作る。フリーライダーの市民、そして行革です。ある意味やせ細ってしまった自治体ではこれからの暮らしを支えていけないです。だからといって今までのような補助金に依存をしていく形は、市長もおっしゃったように限界が来ている。

 そうすると新たな自治モデル、もっと言えば、私たちの暮らし、生き方、豊かさみたいなものを再提議しながら、自治で、私たちの暮らしをどう地域の中で守り作って行くモデルを生み出す。今、まさにそんなタイミングだろうと思います。

 それを私たちは今、社会的投資というキーワードを使いながら、地域の金融を地域の自治にどう結び付けていくかを、いろいろな仕組みを作りながら考えています。今日お越しの吉澤さんはじめ南砺市や小田原市などさまざまな地域の皆さん方と研究会をつくり、東近江という舞台でローカルファイナンスの在り方を考えています。

 それをもうちょっと大げさに言うと、今までの国と産業を中心とした統治構造から、地域を単位とする社会経済ガバナンスをどうつくっていくかだと思います。先ほどのエネルギーの話もそうでした。要は自分たちの暮らしや町の出資も含め、自分たちの地域を単位とする社会経済ガバナンスを、新しい資本主義を模索していく中で、どうつくっていくかだと思います。

 大前提になるのは、先ほど市長が地域力という言葉でおっしゃいましたが、地域の資源をいかに活用できるかの眼差しがないと実現できないわけです。それは、先ほど吉澤さんの話にもありましたが地域のお金は実はたくさんあっても、預貸率を活かせていない。

 人もそうです。人材も実はたくさんあります。豊かな自然もたくさんある。これも資源です。文化もあります。今まである意味、東京一極集中の文脈の中で、減価という言葉なのかなと思いますが価値が減らされたり無価値化されてきたものが、実はものすごい財産であり、価値があることに少しずつ私たちは気付き始めた。そういったものを活かした統治構造の変化をつくり出していかなければいけません。

 今までいろんなものが補助金ありきで、インセンティブが与えられ、国から下りてきている。これによって社会が変わっていくこともありますが、本当にそれが地域の力を引き出すことに最終的につながってきたのかどうかも地域の眼差しから考えなければいけません。

 そういったことで、社会的投資、自分たちでお金を調達し共管する資金を束ね、投資の在り方を変えることで、地域のありようを変えていけると考えています。この社会的投資は、今G8でもかなり議論をされていることです。キャメロン前イギリス首相がかなり言い出したこともあり、G8各国ではタスクフォースができています。日本でもこういった議論を、どう実走化するかが議論されています。

 これは何かと言うと、今までの投資は利回りだけを追求する、経済的な収益を軸とした評価軸だったわけです。この社会的投資、ソーシャルインベストメントは、そこに社会的収益をどう併せ持つか。ソーシャルインパクトをどういう織り込むか。まさしくESG投資なわけです。こういったものが地域でどう実走化していくのか。

 僕自身の課題意識は、今までわれわれのソーシャルビジネスでは、ローカルビジネスという類のものは、なかなかスケールやインパクトを出すことができてこなかった。それは、社会のありようを変えていくときに、地域にあるお金や人や、資源をうまく生かしていく社会技術がなかった。そういうものが地域の中にきちんとあれば、それをもっと活かして地域で豊かな生活をつくりだせると思っているわけです。

 その実験の一つとして、今東近江で、自治体のガバナンス改革と社会的投資を組み合わせたらどうなるかの補助金改革を、社会的投資でやらせてもらいました。これは、成果連動型補助金制度で、平たく言えば補助金を受ける側の最初の原資を、補助金の交付決定を打ってもらい、お金を後払いにしてもらう。自治体は後払いします。

 その間の資金はどうするかというと、市民の皆さんで出資をし、その人に託し、その人が決められたアウトカムをきちんと出せば、それを行政が後払いで出資者の人たちに返すモデルです。そういうモデルをつくって、東近江で、市長に無理を言って昨年度から実験をさせてもらっている。日本ではどこもやってなかった仕組みです。

 どういうことが起こったか。面白かったのは、補助金を受ける側もこんなややこしいこと嫌だと言うかなと思ったら、皆さん歓迎してくださった。インパクトで自分たちの事業を評価してもらえるのは、すごくハッピーなことだと皆さんおっしゃった。あとは出資者という市民の姿が見える。要はそこに関係性を紡げる機会になったということです。

 例えば僕が「農家レストラをやります」と言って、500万円の補助金をもらったとします。そうすると、例えば皆さん方が僕の友達だとすると、1回は来てくれるわけです。僕が出した料理を食べて、まずかったときに皆さん方どうでしょう。市長、僕の料理がまずかったら。

小椋 二度と行きませんね。

深尾 二度と行かんけど、僕には言わんでしょ?

小椋 言わない。

深尾 大人ですから。言わないわけです。だけど心の中では「二度と来るか!」と思って帰るわけですね。これって、結局そういう構造の中でそのビジネスは潰れていくわけです。ただ、僕に市長が50万円の出資をしていたら、きっと怒りますよ。「なんであんなまずい料理を出すのか」と。

 これは支援です。関係性ができたときに当事者化している。地域に必要な事業であればあるほど、お金を出すということで、実は当事者化していく。みんなでやっていくというオーナーズシップがそこに生まれるわけです。そういうお金の流れができたときに、実は出資者という支援者を獲得していく関係性が生まれたりするんです。

 あと一つ、これが非常に面白いポイントは、経費の使途は問われない。税金じゃありません。僕が一義的に受けるのは市民からの出資ですから、後で税金として戻してもらうのは出資者への償還金ですから、その時点では領収書のチェックなどは発生しない。成果を出せばいい。そういう仕組みを作っていく。これやるときは「こんなのに金出すやついるのか」とおっしゃっていた。しかし実は東近江ではすぐ集まりました。

 いろんなオーナーシップを発揮したい市民がいること自体が東近江の財産で、そういう形ができてきました。行政にとっても、ある意味で政策的なインパクトに事業を変えていけることが起こってきました。仕組みを変えることが市民の出資によって展開された。まさしく社会的投資が人々の立ち位置やありようを変えていくきっかけになったと思います。

 何よりも市役所が、すごくいいです。このような日本で初めてのことをやるときに、契約検査官という法務セクションの人が僕のところに来ました。契約検査官はチェックする所ですから邪魔しに来たと思った。で、彼はどう言ったかというと「これ日本に例がないですね」「はい」「じゃあ、僕にこの契約書を作らせてください」と言ってその若手の職員が志願してやってくれました。

 そういうことが実現できる役所を持っていること自体、僕は東近江の財産だと思います。何よりも、先ほど市長もおっしゃいましたように、この仕組みはあくまでも手段です。東近江は自分たちの町をどうしたいのかの下敷きがある。これが非常に重要だと思います。

■ 社会的投資専用金融会社を設立


深尾 そういう意味では社会的投資と地域は、いろんな組み合わせができます。後でも少し触れますが、僕らは社会的投資専用の金融会社をつくりました。いろんな地域の皆さん方からオファーが来ています。例えば自然資本を活用した地場産業インキュベーションがしたい、まさしく農業を基軸としてつくり出したい、地場産業化したいと。

 例えばミカンが有名です。さきほどの100年企業の話もそうですが、これは誰かがミカンの木を植えたから、今ミカンが地場産業になっている。こういったものをみんなでお金を出し合ってやろうとか、今は廃棄物の適正処理もこういったお金でやろうとか、いろんな話が私どもの所に舞い込んできています。

 そういった形で、今プラスソーシャルインベストメントという日本で初めての社会的投資専用の金融会社をこの前、財務局から免許をいただいて創りました。この会社で、そういった地域の社会的投資の債券を発行していきたいと思っています。

 21世紀金融行動原則やESG投資を、地域でどうドライブさせていくか。投資が社会を変えられると思ってこうした仕組みをつくっていきたいです。

 且つ、地域の金融機関と連携をしていく必要があるだろうと思います。今いくつかの地域の金融機関さんとやっているのは、地域の金融機関では例えば投資信託を売っていて、そのお金は投資信託を買うと域外に出ていきますが、こうした投資の商品を、地域の金融機関の窓口で買える時代をつくっていきたい。そんな仕組みを作っていきたいと思っています。

 窓口に何気なく来た預金者の地域住民が、自分たちで商品、例えば保育所がない地域だったら保育所債をみんなで行政と一緒になって作り、それを買うことで地域のお金が循環するといった仕組みを、今いくつかの自治体さんや金融機関と作っています。

 本気で社会変革を目指し、自分たちの低炭素型社会、持続可能な地域づくりに向けて、価値の創造と、何よりも行動様式を変えていくことにつながります。オーナーシップが健全に発揮できる。自治の在り方、当事者化などいくつかのキーワードを今日申し上げました。知恵や資源はあるわけです。

 それを活かす社会技術として、社会的投資を地域にいかに実走化していくかを、今私たちはいくつかの地域の皆さん方と考えさせてもらっています。

 そういったところと、先ほどのような官民ファンドや、国の仕組みを有機的につなげていくことで環境省の国全体を考えた政策として環境金融の流れと、そして僕らが今地べたでやっている地域のローカルファイナンスの流れを融合させながら、持続可能な地域社会を作るための、お金の流れをデザインできればいいなと考えています。

スピーチする深尾昌峰龍谷大学准教授

吉澤 深尾先生、どうもありがとうございました。全体を鳥瞰する上で貴重なお話でした。ソーシャルなイノベーションを起こすためには、社会的な課題を解決する社会的な技術が必要で、その金融的な技術を少し変えることによって、新しいローカルなファイナンスが生まれ、新しいお金のパラダイムもできてくると思っております。

 私も中国を回りながら、プラスソーシャルインベストメントで活用できるような案件を発掘しながら、一緒になって今活動を始めさせていただいているところでございます。

 それでは太田住職です。富山県南砺市では先ほど田中市長から南砺未来創造基金の話がありました。その中のメンバーにも入っていただき南砺全東近江版の基金をつくる議論をしているところです。太田さんはその会議の中で「これは結局新たな御講を作ることだね」と、ぽつっとおっしゃいました。

 それは何かと言うと、南砺には既にそういう皆で地域づくりのためにお金を出す、あるいはそれを使う仕組みが実はあり、それを活かしていけばいいんだとのお話をされました。そんなことも含めて、我々が今やろうとしていることには懐かしい過去の知恵があり実践があった。それを未来に向けてどう現代のコンテクスに変えていくのか。東近江の文化とも重ね合わせてお話ください。


■ 「土徳」に出合い、地域の育む力を磨く


太田浩史 「散居村」という言葉は聞いたことないですか。私らの南砺というのは、家が散らばっているんです。周りに屋敷林があって、周りは田んぼです。その家が非常に大きい。だから恐らく、南砺市と砺波市合わせて考えてみますと、1人当たりの家の敷地面積は、恐らく日本一だと思います。

 それは何のためかというと、御講をするためです。御講というのは、村の人たちが皆で月に1回とか2回集まって語り合う。御講は村の人全部が入らないかんですから、それで家が大きい。だから自分のためでなく、パブリックスペースと言いますか、そういう家を造るためには、実は大変なんですね。

 昔は親、子、孫、3代で家を造ると言われました。だから1代は25年です。しかも40歳になるまでは、家を造っちゃいかんと言われましたから、「よし、俺は家を造るぞ」と言ったら、その人は絶対に完成を見ることができないんです。孫の代でようやく完成する。

 こういう考え方は、江戸時代からだったわけではない。よく調べてみますと、大正から昭和にかけて、そういう傾向が非常に強かった。二宮尊徳の「報徳仕法」です。最近、中国の方々も「報徳思想」について二宮尊徳を研究しておられると聞きますが、二宮尊徳の仕法は、江戸時代に尊徳自身が非常に行って、最も大規模に行った場所が、日光と福島県の浜通り、相馬です。

 この日光と相馬について尊徳は弟子たちに言っていた。「いろいろ投資をするのはいいけれども、決して田んぼを汚すようなものに投資してはならない」と。ところが、その日光では足尾鉱毒事件が起こり、相馬地方は今度は原発災害という、どちらも当時の人たちは途方に暮れたような、自分たちでどうしていいのか分からないような大きな問題だったと思いますし、今でもそうですね。

 私たちは、尊徳の神域というか神聖な場所をそうして裏切ってきたような歴史も持っておるわけです。そういう中で、実は尊徳の亡くなるときに尊徳を看取った人に、志賀直道という人がいます。この人は相馬藩士で、甥っ子が志賀直哉です。明治時代、一緒に白樺運動をやっていました柳宗悦、武者小路実篤、志賀直哉、みんな同級生だった。それで志賀のおじさんの所に行って、何か面白い人らしいから話を聞こうと。それで、この二宮思想を教わった。

 それが後に、武者小路実篤が日向、宮崎県の木城という所で、「新しき村」という共同体をつくる。みんなでいろんなもの回し合いながら生活していこうという試みをやっています。柳宗悦は民藝運動。ものづくり、手仕事というものが実は非常に大事だということで、まさに、ものづくりの上での報徳運動のようなことをやっています。それで私は、民藝協会に関わっておるわけでございます。

 先ほど「一つのリスクやピンチは、そのままチャンスになる」と、中井先生の話にありました。私たちのところでは、第二次大戦のときに非常に空襲がひどくなりまして、都会がみんな焼けてしまい、いろんな人たちが疎開してきた中に、いろんな文化人がいました。結果どうなったかと言うと、逆にその人たちの芸術が華開いた。昔「応仁の乱」のときもそういうことございました。

 その一人に、棟方志功がおります。棟方志功は柳宗悦先生の弟子なんですが、柳先生が私らの町、南砺に来て、棟方を尋ねたら絵が良くなっているわけですね。それはなぜかと考えると、地域の力です。土地の力。土地の力がどういうものかを柳先生がよくよく考えて、「土徳」という言葉を発明しました。土徳とは、その土地の力で私たちは無意識のうちに育まれていますが、これが同じ地域力と言っても、いわゆる資源の土徳はちょっと違うんですね。

 資源というものは、目に見えます。数値化もできます。ところが、土徳というのは目に見えません。お金への換算も勘定することもできません。しかし資源は有限ですけども、土徳はある意味では無尽蔵、無限ということが言えると思います。

 それから資源は、私有できる。私物化できます。買えばいいんですからね。ところが土徳は、共有しかできません。こういうものを柳先生は、美しい民芸品が生まれてくる、あるいは人間の生活を美しくする、その原動力と考えました。

 私たちは豊かな生活と言いますけども、「豊か」ということが一体どういうことなのか。金庫にお金がいっぱいあることが豊かなのかと言うと、そうではなくて、やっぱり生活が美しいことが一番大事だと思います。それから豊かな郷土とか、郷土の活性化には、郷土の姿が美しくないといけない。そこで、「美の法門」という言葉を言っています。美の法門はどこから出てくるかというと、大きな願いから出てくる。

 この「好醜」というのは、好き嫌いです。見よいとか醜いという意味です。この、見よいとか醜いというのは人間の都合であります。ところがその人間の都合を超えたその土地に働いている大きな願いと私たちがいかにアクセスするか。それによって美しい世界が開けるという意味だと思います。これを柳先生は人間の美の根本に置かれました。私たちがこれを土徳だとすれば、どうアクセスするか。これは個人的なお金や欲望ではアクセスできません。ちょうど砂漠で砂を握るようなもので、砂漠を握ろうとしたって砂がほんの何粒かしか残らない。そうではなくて、自分も徳を磨かないと土徳とアクセスできない。

 先ほどから聴いております三方よしの話も、社会的投資も一体、何に投資するかですね。土徳もそうですが、土徳は私たちが所有し獲得するものではなく、むしろ仕えるものなんですね。だから一体、何に投資するかというとやはり地域の育む力としか言いようがないです。何を育むかというと、やはり美しい心と美しい生活、美しい郷土です。それをどんどん増幅していく。

 土徳というのは、例えば資源だとアクセスすればするほどなくなっていき、しかも有害な結果ももたらしますが、土徳はアクセスすればするほど増幅されていく。そういう感じがしております。表裏のように、表は資源、経済でありますが、もうひとつ裏は目立たないけれども、徳というものに裏付けられて初めて本当の発展や活性化があるんだろうと思います。

 ですから、私たちの目に見えるもの、見えないもの、これをいかに私たちが自分自身の中で出合わせていくかが大切なのではないかと思いました。

スピーチする太田浩史真宗大谷派高岡教区大福寺住職・日本民藝教会常任理事

吉澤 ありがとうございました。太田住職の説法を聴かせていただける南砺市民の人は、本当に恵まれているなと、いつも思いながら太田さんのお話を伺っております。今おっしゃっていただいたように、本当に地域の魅力、美しさをどう紡ぎ出し、磨き上げていくか。そしてそれを、未来の子どもたちにどう伝えていくか。それを繋いでいくための道具として、お金をどう意志をもったかたちで使っていくのか。そんなことを、このセッションでは考えさせていただきました。

 パネリストの方、ひと言ずつコメントいただきます。まずは中井さんから、お願いします。


顔の見えない世界で信頼できる情報がカギ


中井 ありがとうございました。グローバルな世界のお金の流れは速く、非常に尖ってきていますが、やはりそこは顔の見えない世界があります。僕らの世界でいうと、例えば冷蔵庫の中の牛乳は賞味期限という情報だけで日にちが過ぎれば飲めないと判断しますけれども、実際は1週間くらい飲めるんですね。

 そのあたりはグローバルな世界だと顔の見えないところがある。そうした中で二酸化炭素を減らす環境に対応しようということで、流れていくのを具現化するのに大きなシステムとして動いていかなければならない。そのためには環境の情報は、顔の見えない世界の中で「信頼できる情報」がキーになっていくのかなと思いました。

 ローカルなところは同じくお金を道具として社会をデザインしていきます。いまの「土徳」の話のように、顔が見えて信頼や徳の世界で、お金は同じように動く。しかしお金を動かすために、今までのように信用組合や信用金庫だけに頼っていられない。市民参加型の新しい技術は必要で、ちょっとした工夫でコストを低く、信頼関係を地域から自然の恵みベースで子を守り、いかにつないでいくか。その共有感の中でのお金の使い方であれば、一つのプロジェクトとして良いとすぐ判断できます。

 昔はそうした意味で信用金庫でも人が貸す世界があって、なんとか屁理屈つけてお金を貸すということがあった。しかしローカルなところではお金を道具として、太田さんが言ったように、自然から湧き上がる中で人の信頼の形成をベースにお金を賢く使う道が広がりつつあります。

 それをやりながら地球全体も賢く、知らない人同士でも情報交換し、デザインしてお金を使っていく。環境情報は分かりやすく信頼性が高まるものとしてやっていくことが大事かと思います。

吉澤 ありがとうございます。市長一言何かあれば感想も含めてお願いいたします。

■ 東京を美化するマスコミ規制を


小椋 お話させていただいた中で、やっぱりこれから問題となるのが東京一極集中と人口減少にどう立ち向かうかだと思います。一番大切なことは、一つは地域資源が足元にあるという自覚から始めたら、東京一極集中にはならないと思います。東京に憧れるというのは単なる享楽、快楽を求めて行くのが大半だと思います。ですからマスコミの規制ですね。

 例えば東京だと、今頃の時間だと『シブ5時』という番組をウィークデーにやっているんですが、なぜ渋谷のニュースを滋賀で聴かなきゃいけないのか。何でもかんでも東京を美化するような、東京に憧れさせるような享楽的な方向性にちょっとは規制をかけなければいけないと、南砺市長、思いませんか? 

田中 ものすごく思います。皆で頑張りたいと思います。

小椋 それと、もう一つは仕組みです。例えば、憲法14条を保障する一票の格差。あれは一人一票であって、その中の質的な違いまで保証していないのが本筋なんです。だから僕は政府が、例えば東京の人が鳥取や島根のように価値、重みを欲しかったら、どうぞ鳥取に移住してください、そうしたら価値できますよと。それぐらいのオーソリティーを今こそ、正当に取り戻さないといけないと思っております。これが継ぎ足しです。

吉澤 はい、ありがとうございました。深尾先生、よろしくお願いします。

■ 社会的投資による地域の仕組み作りと効果の可視化


深尾 ありがとうございました。今日は「土徳」という言葉に僕自身も出合えて、非常にハッピーでした。社会的投資もローカルな仕組みを作っていくということは、いろんな相乗効果が生まれることを、どう可視化させていくかが非常に大事だなと思いました。ただ単にお金を金融機関から借りるだけではない、もう少し関係性やオーナーシップや想いや、いろんなものがそこに絡み合うことによって、2倍にも3倍にも相乗効果が生まれていく。それをうまくデザインしていくことが非常に大事だと思いました。

 社会的投資を僕が言い始めてから、実は最初に来た人は、誰もが知っている外資の金融機関の人でした。要は、彼らはリーマンを経て先程のESG投資みたいなものが大事だと分かっているわけですね。僕らが言い始めたこととどうリンクできるかを、彼らが考え始めている。

 中井さんがおっしゃったように、世界的な動きが変わる中で、私たちはローカルでそういうものを惹きつけ、自分たちの関係性を増幅するものをきちんと地域の中で作れないと、またそれを利用して収奪する仕組みが生まれ、ローカルが置いてけぼりにされることが起こると思います。

 ですので、ここはやはり、いろんな世界的な潮流とローカルの流れをきちんとお互いに見据えながら、ローカルの中に仕組みを作っていくことにこれからも力を注いでいきたいと思います。今日はありがとうございました。

吉澤 ありがとうございました。最後、太田住職お願いします。

■ 「一流の田舎」になるという道


太田 確かイギリスの詩人の言葉だったと思いますが、「田舎は神がつくる。都会は人がつくる」というものがあります。だから神というのは大自然と言っていいですし、あるいは土徳と言ってもいいです。

 でも人と神が競争するなんてのは、そんな愚かなことはないわけです。だから、神がつくったものと、人がつくったものが競争するのでなく、お互いに尊敬し合いながら、敬愛し合いながら循環を果たしていく。それしかないと思います。

 田中市長と、初めて市長選に出られた頃、そんな話をしたような気がします。そして一緒に合言葉にしたのが、「三流の都会になりたいですか。それとも一流の田舎になりたいですか」と、こういうことでございます。それで共に一流の田舎になる道をいこうと。

 その時はどうしたらそうなれるかというのは全く見えなかったわけです。しかし、その光明が差してきたような気がいたします。どうもありがとうございました。

吉澤 ありがとうございました。「一流の田舎」という言葉に一番反応されたのは、大原美術館の大原謙一郎名誉理事長でした。先ほどの棟方志功のゆかりの自治体でサミットを昨年からやっていらっしゃいまして、来年は南砺で開催されるということです。

 最後ですが、先ほどローカルサミットのご案内をいたしましたが、お手元に「東近江市イメージ調査」と、「中国都市イメージアンケート調査」があります。東近江イメージ調査は、周ゼミの学生さん二十数名が、今度のローカルサミット最終日で東近江市の地域づくりについてご提言いただくセッションもありまして、その事前調査です。ぜひ、東近江に沸くイメージも含めてご記入いただき、退出の際に学生さんたちに渡していただきたく思います。

 中国イメージ都市アンケートのほうも、周先生がこれから第3セッションで行う中国の都市と都市をどうつなぐのか、どう日本をつないでいくかのアイデアになると思います。

 ありがとうございました。

〈第二セッション了〉


中国都市総合発展指標

【ディスカッション】南川秀樹・田中幹夫・鈴木悌介・信時正人・袖野玲子:地域と環境

編集ノート:
 地域の空洞化、東京への一極集中、情報革命とグローバリゼーション、そして待ったなしの環境問題—地域と大都市をとりまく課題をどう見据え、発展への道のりをどうさぐるかー。東京経済大学と一般財団日本環境衛生センターは2017年11月11日、学術フォーラム「地域発展のニューパラダイム」(後援:環境省、一般社団法人場所文化フォーラム)を東京経済大学大倉喜八郎進一層館で開催し、地域活性化への多様な方向性が提示した。ここで「セッション1:地域と環境」のディスカッションを振り返る。
 


東京経済大学 学術フォーラム:地域発展のニューパラダイム


日時:2017年11月11日(土)
主催:東京経済大学、一般財団法人日本環境衛生センター
場所:東京経済大学 国分寺キャンパス
   大倉喜八郎 進一層館(東京都選定歴史的建造物)
後援:環境省、一般社団法人場所文化フォーラム


セッション1:地域と環境


司会:
南川秀樹 東京経済大学客員教授/一般財団法人日本環境衛生センター理事長/元環境事務次官

パネリスト:
田中幹夫 富山県南砺市長
鈴木悌介 鈴廣かまぼこグループ代表取締役副社長
信時正人 横浜国立大学客員教授
袖野玲子 慶應義塾大学准教授

総合司会:
尾崎寛直 東京経済大学准教授

開会挨拶:
堺 憲一 東京経済大学学長/東京経済大学教授/経済学博士

※肩書は2017年当時


地域の発展、再生、活性化のために


堺憲一 本日は、私どもの学術フォーラムに、たくさんの方がご参加を頂き大変ありがとうございます。

 開催に当たり、皆様にお礼を申し上げたいと思います。もうおひと方の主催者一般財団法人日本環境衛生センター、後援団体の環境省、そして場所文化フォーラム、いずれの皆さまありがとうございます。

 中国からお越しいただいた中国第13次5カ年計画専門家委員会杜平秘書長はじめ中国のさまざまな分野でご活躍のキーパーソンの皆さま、中国大使館公使参事官のお二方にお礼を申し上げます。

 本学の周、南川、尾崎の3名の教員が実行委員会を作りました。尚、南川秀樹先生にはとても嬉しいニュースがございます。中国政府から、中国の首相に直接アドバイスを行う中国の環境と開発に関する国際協力委員会の委員にご就任され、おめでとうございます。このメンバーは、世界の主要国の中で各一人だけ選ばれる大変重要なポストです。

 本学は2020年に、創立120年を迎えることになります。今回の運営に当たり非常に大きな役割を果たしたのは、周ゼミの学生たちです。いろいろ至らないところはあるかとは思います。周先生の方針で、教育の一環で行っております。ひとつ温かい目で見てやっていただきたくお願い申し上げます。

開会挨拶する堺憲一東京経済大学学長

尾崎寛直 セッション1は、司会を南川先生にお願いをしております。南川先生は、まさに環境省が環境庁として発足する当時の頃に入庁され、環境事務次官をお務めになり、そして現在は、日本環境衛生センター理事長です。

 第1フォーラムのセッションのパネラーの皆さんをご紹介申し上げます。皆さまから向かって左手、田中幹夫様です。富山県の南砺市の市長をお務めです。2008年より現在3期目で、南砺市は皆さんよくご存じのところで言えば、世界遺産の合掌造りの集落です。あれで有名な利賀村が合併されて南砺市の一部になっています。

 向かって右手、鈴木悌介様です。鈴木様は、慶応元年、1865年から続く小田原のかまぼこの老舗、鈴廣かまぼこ株式会社の代表取締役の副社長です。副社長の重責の傍ら、日本商工会議所の青年部会長をお務めになり、また場所文化フォーラムの理事等を歴任され、地方創生に大変造詣の深い方です。どうぞよろしくお願いします。

 そのお隣、信時正人様です。三菱商事、日本国際博覧会協会、東京大学特任教授等を経て、2007年より横浜市にお勤めで、温暖化対策の統括本部長、環境未来都市推進担当理事等を歴任され、現在株式会社エックス都市研究所理事です。どうぞよろしくお願いします。

 そのお隣、袖野玲子様です。慶應義塾大学環境情報学部准教授です。もともとは環境庁にお勤めになられ、環境庁地球環境局の環境保全課課長補佐等を歴任され、2015年より現職です。よろしくお願いします。

総合司会をする尾崎寛直東京経済大学准教授

地域経済と環境の両立の事例


南川秀樹 ご紹介いただきました南川でございます。今日は多くの方に来ていただきありがとうございます。また、中国からも杜平さんはじめ、大変お世話になっている方に来ていただき、本当にありがとうございます。先ほどご紹介いただきましたが、私もますます中国とのご縁が深くなりました。環境という問題を通じて、日中の友好がより深まるように努力をしてまいります。どうぞよろしくお願いいたします。

 冒頭に全体の地域と環境の考え方として、何を考えているかについて簡単に報告をさせていただこうと思います。ちょっと見にくいですけど、よろしいですか。

 まず経済と環境というのは両立できるんだというところから話をさせていただきます。当然ながら地域の問題も絡んでくるわけでございます。こういう問題、実は今に始まったわけではなく、かつて長くございました。明治以来、日本の経済成長の発展が始まったときから経済と環境と地域という問題は、常に背中合わせになったり、あるいは握手をしたりして進んできたという歴史があります。

 非常に残念な例から申しますと、足尾銅山の例です。田中正造の「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」という遺言があります。

 事件は皆さんご存じだと思いますので省きますが、要は明治の中頃から後半、大正にかけて、古河鉱業の操業で出てくる、精錬による大気汚染、あるいは廃棄物が川に流れ込む中で、渡良瀬川が汚染され、下流の渡良瀬地域が全てさまざまな有害金属で汚染されました。そういう中で、田中正造以下が戦って結局敗れ、環境も壊れましたけど村も敗れたということで、まさしく経済発展のために地域を壊した残念な事例です。

 これが当時の足尾です。私も役所に入ってすぐに足尾に参りましたが、残念ながらそのときは山も裸に近かったということで、非常に対策が遅れた残念な事例です。

 いろんな例がございます。さまざまな形で問題を克服した、地域と環境と経済をうまくマッチングさせた例もあります。これは別子の銅山で、愛媛にあります。新居浜地域ですがもともとは別子銅山から取った銅の精錬過程で、新居浜にある工場からの煙で大変な汚染が広がったということです。

 当時の住友の総領事の、伊庭貞剛さんが大変な努力をされました。まず沖合20kmにある四阪島に精錬所を移転しました。その上でさまざまなトライをして硫黄分を減らす。さらに硫黄分から硫酸を作る。そういった努力もされ、荒れ果てた別子の山々も速やかに回復されたという事例で、全て自らの判断で行ったということです。

 これがその当時の写真です。私元来この問題に関心を持ったのは、仕事の関係で皇居に行くことが多く、皇居に行くと楠木正成の銅像があります。この下の看板を見ますと、別子銅山から取った銅で作ったと書かれておりまして、それで非常に大きな関心を持って現地にも訪れました。

 今はこういう形で、非常にきれいな山になっております。こうしたことを経て現在の住友化学、住友林業という会社になったということで、後の経済発展にもつながった事例です。

 同様のことは、実は日立についても言えます。日立製作所のルーツがここにあるわけでして、日立銅山、鉱山が大変な環境問題を引き起こす中で、経営者が地元の青年たちと協力し合い、ぶつかり合い、なお協力し合って、一番下にその精錬所があります。

 そこから三百数十メーター、ムカデ煙道という煙道で上へ上げます。山の上からさらに折れたあとに、150mを超える煙突を造ります。いわゆる逆転層が起きても、その上に飛ばし、被害を減らす努力をされております。そういった日本で初めての高層気象観測を含めて対応しました。技術者のひとり小平氏がこの地に日立製作所をつくったという事例です。

 これが新田次郎の小説になっています。165mの煙突で、関という大変な秀才で旧制一高に通った青年が地元の公害問題を戦っていくという話です。会社の社長も政府の勧告とは関係無しに、高い塔を造る。そして高層気象観測を行った上でこの煙突を造って問題の解決に尽力したという話です。今の日本が忘れてしまったアントプレナーと若者の心意気が如実に伝わってくる物語です。

 ぜひ本を読みたいなと思っています。新田次郎さん自身がもともと気象の専門家ですので、高層気象について深い洞察が書かれています。

水俣の大被害から規制強化へ


南川 戦後、大高度成長の時代でございます。1955年から73年、約20年弱に平均10%という世界まれに見る高度成長を達成しました。循環工業をはじめとした設備投資、技術各種、そういったことによってコミュニティーを灯してきたわけですが、片や大変な環境汚染の深刻化という問題も出ました。

 当然ながら経済成長で生活は豊かになります。いわゆる三種の神器ということで白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が飛躍的に普及をする中で、多くの国民が豊かになり、生活も豊かになりました。

 反面、さまざまな問題も起こりました。特に残念な事例が水俣です。あまり詳しくは延べませんけれども、私自身この問題を長く公務員として担当していました。非常に残念です。特に胎児性の水俣病患者の方をたくさん見ました。本当に目を合わせるのが申し訳ないような悲惨な状況で、生まれ落ちたときから立って歩けない、目が非常に不自由な方です。今若い方ですと、50歳ぐらいの方がおられます。窒素によって成り立っている町、水俣でありながら、町を壊し住民を殺し窒素を生産したことが非常に残念です。

 たまたま今朝、日経新聞を見ておりました。私はいつも5時半に起きて、5kmほど走ってから日経新聞を読むのが趣味でして日経新聞見ていましたら、たまたま今上天皇のことが書いてございました。その中に、水俣の問題が沖縄と並んで大きく出ております。これ感動したものですから読みますと、「真実に生きるということができる社会を皆でつくっていきたいものだと改めて思いました。今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています」。これは僕も知っていたんですが、その後に「事前に用意した文面ではなく、困難な道を歩む、困難な生を歩んだ人々を前面に、足跡で吐露された心情だ」と出ております。

 非常にこれを見て私感動しまして、朝から涙ぐんでおったわけですけれども、逆にそれぐらい窒素が水俣においてやったことは多くの国民を苦しめ、また町を破壊したという残念な事例です。

 それから、これはもちろん経済的に言えば非常にマイナスです。チッソにとってもマイナスでございまして、普通に対策をとれば1年に1億円ちょっとで済んだものが結局、保証額とか汚染対策ということで、年に126億円。やはり対策は、問題が分かってすぐ取ると安く済むということが証明できたと思っております。

 当時は、やはり日本の社会自身がまだ若うございました。そういう中で多くの設備投資がなされております。この図にございますように、1970年には全ての民間設備投資の6%が環境汚染対策投資、75年には17%ということでございます。やはり高度経済成長の果実があったからできたと思います。

 もともと大気汚染や水の清らかさ、さらに自然の美しさというものは経済の外にあります。つまり市場では取引できないものでが、これを内部化する。そのためには税とか、あるいは規制とか、あるいは補助金とかいろいろございますけれども、多くは、まずはその規制、そして補助金となっていったわけです。

 規制は1970年から急に強化されます。やはり1970年にいわゆる環境対策国会というのがございました。これはいわゆる四大公害裁判の結論が出る前ですが、やはり当時の佐藤栄作総理、あるいは山中貞則長官いう大変大局観がある政治家がおられたということは、言ってみれば、規制という形で費用を内部化することに大きな貢献があったと、私自身は感じています。

 もちろん、日本の企業も若かったわけでございます。典型な例では米国のマスキー法です。ロサンゼルスはじめ、アメリカにもさまざまな環境問題ございましたが、特に光化学スモッグが大きな問題になりました。そして、マスキー法という法律ができまして、それによって5年間で車から出てくる汚染物質を10分の1に減らそうと決まったわけでございます。ところがアメリカではビッグスリー等の反対でつぶれてしまう。

 日本はいろいろ最初行いましたが、結局ホンダをはじめ、いくつかの企業はトライします。そして適合するものを作ったということですし、そのときに徹底的に内燃機関の勉強を深め、知見を深める中で、いわゆる大気汚染対策だけではなく省エネルギーにつながるような改革もでき、それがその後の自動車産業の大きな発展につながったと考えております。

 これがその通時の経緯です。シビックという車で、本田宗一郎をはじめとした大変な努力によってできたということで、これから日本の車の時代が始まりました。

遅れをとる日本の温暖化対策


南川 次に、温暖化でございます。ご承知のとおりでございますけれども、左側の図は、これは上が地上の平均気温、下が海面の上昇でございまして、当然ながらこれだけ数字が上がっています。それから右側は北半球の積雪面積が減っています。さらに北極海の海氷が減っています。ということで、明らかに影響が出ているということでございます。

 実はいろいろなリスクが、たくさんあります。農業から災害、さらに健康という面で多くのリスクがあり、難民も出ます。この中でパリ協定が合意されまして、2年前でございますけれども、パリは大変な動乱の中で会議が開かれたということで、フランス政府の努力に敬意を払いたいと思います。その中で、パリ協定が昨年11月に発効されました。

 全世界の中で目下加盟してないのは、実はシリアだけです。あとは困ったことに、トランプ大統領のほうでアメリカが脱退すると宣言されていますし、さまざまな大きな摩擦が今あるところです。いずれにしてもパリ協定をきちんと守ろうと、そして産業革命から比べて2℃以下にその上昇を抑えよう、できれば1.5℃にする。そのためにはできるだけ早くCO2等のガスと吸収のバランスを取りたいということです。

 カーボンバジェットということもあります。要は気温上昇を2℃で抑えるためにはあと残りが約1兆トンしかない。そういったバジェットという観点から残り少ない排出量、許される排出に、いかに抑えてくかの発想が大事です。従って、その後に下げ止まりになるようなことはやめよう。石炭火力をばんばんつくるとか、非常に環境負荷が大きいインフラ都市構造についても、ぜひ考えてもらいたいということです。

 その中で、一つの目安として炭素生産性を上げていこうということでして、炭素当量当たりのGDPを増やす。要はCO2等を出さないで、いかにGDPを上げていくかということです。いろんな都市が努力をされています。

 残念ながら、1人当たりの排出量を見ます。日本は赤でして、あまり減っていない、なおかつヨーロッパの国と比べると高いということもあります。アメリカでは少ないということです。ただし、隣に1995年のデータがございますけれども、残念ながらCO2の下がり方は、日本は一番少ない。ある意味で成績が悪いということが言えるわけでございます。

 炭素生産性についても同じことが言えます。あまり芳しくないということでございます。先日の日経にも出ていましたのは、GDP成長率とグリーンハウスガス、温室効果ガスの変化を見ると、日本は経済も成長していないし、炭素の排出量もあまり減っていないということです。残念な数字が出ているわけでます。CO2はこれからどんどん増えてまいりますけど、その中で経済成長はしているというわけでして、経済成長をしながら世界的にはCO2排出量は横ばいです。

 これはちょっと大事です。後でまた出ますけれども、今、脱炭素化に向けてさまざまな経済対策が世界で取られています。その一つがESG投資でございまして、環境と社会、企業統治いうものについて、投資あるいは逆に投資を撤退するという大きな仕様になっております。ヨーロッパ、アメリカでは、これに対する投資が非常に大きな額を占めていることだけ知っていただきたいと思います。

 累積排出量をどんどん減らそうということで、積分の世界でいかに排出を減らすかということが大事になっていきます。再生エネルギーですけれども、非常に日本も伸びてきてはおりますが、まだまだですし、太陽光を中心で風力、風火、それ以外についてはあまり伸びてないというのが現状です。

 残念なのは、実は太陽光だけではなく、風力も、バイオマスも少しずつ増えてきていますが、その中で日本のシェア自体は減っています。特に日本の企業のシェアは減っていまして、国内ですら、実は太陽光発電にしても、風力にしても、バイオマスのボイラーにしても、ほとんど日本企業の製品が使われてないという残念な実態があります。

 これは太陽電池のセルの販売でございますけども、かつては日本も1位2位を占めていました。2010年頃にはシャープ、あるいは京セラという所がベスト10に入っておったわけでございます。今はトリナとか、JAソーラーとか、あるいはハンファQセルズとか、中国、韓国こういった所の企業が世界のトップを走っています。

 残念ながら、日本の企業の影はどんどん薄くなっております。太陽電池だけじゃございませんので、風力発電、バイオマスボイラーについても、日本企業の製品というのは日本の発電に関わる企業ですら使わない、使えないというのが残念ながら実情でございます。

スピーチする南川秀樹東京経済大学客員教授

環境省に原子力規制委員会


南川 そういう中で環境省のほうで長期ビジョンをまとめています。ぜひ皆さんにもご覧いただきたいと思っております。ポイントだけ言いますと、一つはエネルギー消費量を減らしましょう。それからできるだけ、それぞれ低炭素化しましょう。その中でも電気は非常に低炭素化しやすいということで、電気の割合を増やそうということです。

 発電のことについて言いますと、CO2が出ない再エネ、あるいは原子力、それからCCS無しじゃなくて、これはCCS付きです。間違っていますが、CCS付きの火力発電ということで、一番下の部分がCCS無しの火力発電もガス発電はあるだろうと想定し、9割の発電を要はCO2が出ない形に持っていきたいということです。暮らしも移動も同様です。

 震災後、結果的には行政措置が大きく変わり、かつて経産省のエネ庁の下にあった原子力保安委員会委員、内閣府にあった原子力安全委員会というものが、全て環境省の外局として今、原子力規制委員会です。

 私、当時その責任者していて言われたのは、経産省からどこに置くのがいいかという議論があり、内閣府という意見もありましたが、内閣府は経産省の影響が強すぎる、あるいは原子力安全委員会はもとは内閣府にあったということから、結局、経産省から一番遠い環境省、ということで置かれたと承ったわけです。自分が動いたわけではないですが、そんなことで今やっています。中国でも、環境省に原子力関係の規制組織があると承知しています。

 独立性の高い委員会ということで活動しておられます。規制基準を新たにしまして、今や世界のトップクラスということでございます。田中委員長も先日退任されましたけれども、科学者の誇りを持ってこの基準を作られ、審査に当たられてこられました。最後に本人が退任される前に、柏崎刈羽のゴーサインを事実上出して退任されましたけれども、彼自身は、大変自信と誇りを持ってそうしたということでございます。

環境倫理の確立を


南川 生物環境も実はお金の問題が難しゅうございます。大気とか水の問題、まだすぐ目に見えるんですが、いかに生物や自然というものを経済に入れていくか。経済官庁から一番遠いものをいかに入れるかということが、実は生物多様性の骨子でございます。自然を守ること、それから生物の多様性、遺伝子を守る、種を守る。それがいかに経済的にもペイするかをしっかり入れたいということが、もともと生物多様性条約の根幹でございます。

 そういった観点から名古屋で会議が行われまして、大きな成功を見たということでございます。これが名古屋議定書の内容でございます。これは新聞等でご覧いただきたいと思います。いかに生物の恵みを産業活動に生かすかということで、逆に提供国にも利益を一部還元する。従って、資源を守る国についてはメリットがあることをはっきりと出したいということで、こういった議定書があるわけでございます。

 さっき森本さんから話がありました。国立公園も同じでございます。国立公園を立派にしようということでございます。規制だけでは守れません。その中で特に外国人のインバウンドも含めて想定して、立派にしようということでございますが、立派にするということは逆に看板をきれいにしたりということではございません。自然をきっちり守るということが必要なわけでございます。自然をきっちり守れば海外からお客さんがたくさん来て、お金も入るということでございまして、守ることはつまり経済的な豊かさにもつながるということを、ぜひこういったところから果たしていきたいと思うわけでございます。

 もう一つは、今年、妙高戸隠連山国立公園ができました。その開所時に呼ばれ、入村市長、月尾嘉男先生、竹内和彦先生等と一緒に行きました。隣に石の看板があります。国立公園ではなく生命地域発祥の地というように彫り込んであります。

 これは市長の発議で、国立公園というのはもちろんお金もあるけれども、お金だけではなく生命地域の発祥の地という、市の倫理です。要するに環境を倫理に入れて、それを市の精神的なよりどころにし、また経済発展にも使っていきたいということで、さまざまな動きが行われています。従ってお金も大事ですけれども、環境というのはお金だけでは守れないところがございます。環境倫理を、もう一つ打ち立てていくことを強く感じております。

大気汚染と温暖化対策で日中協力を


南川 最後、中国でございます。これは今の日中センターですけれども、環境友好センターです。かつて竹下総理と李鵬首相が握手をして合意をしたということで、北京の日中友好環境センターを中心に、さまざまな友好行事が行われております。そういう中で合意の文書も作られましたし、その後トキの問題、大気汚染と温暖化の問題のコベネフィット協力なども行われるところでございます。

 現在、特に中心になっていますのは、大気汚染の協力で、中国の多くの都市と日本の都市が結びついて、連携しながらこの問題に考えていこうということで、各地域の経験を私どもセンターも関わっていますけれども、中国と一緒に勉強しながら、どうしたら中国の大気が改善できるかということを一緒に研究しているところでございます。

 僭越でございますが、先月中国に参りまして、中国で日本の環境問題ということで出版をいたしました。多くの方に読んでいただいて大変光栄です。ぜひ中国の方との親交を深めながら、中国の環境保全に尽力をしてまいりたいと思います。

 日中韓3国での大臣会合も頻繁に行われています。中川大臣もこの問題大変関心を持っておられます。ぜひ日中韓の協力の中で、環境問題を改善していき、環境問題を一つのコアにして協力を深めたいと思っております。


南砺市のエコビレッジ構想の取り組み


田中幹夫 ご紹介いただきました、富山県南砺市長の田中でございます。このような所に住んでおります。私、場所が多分皆さんお分かりじゃないと思うんですけれども、富山県の南西部、隣が金沢市、そして南が白川村と飛騨市で、石川県と岐阜県のちょうど挟まれた、そういった場所でございます。

 今日は本当に素晴らしい学術フォーラムに呼んでいただいて感謝を申し上げます。また中国の皆さまがたにお会いできたということも本当に嬉しく思いますし、この花の横で先ほどから素敵な香りがずっとしています。ありがとうございます。中国との関係は、私の大好きな紹興市と今、姉妹都市を結んでおります。我々の故郷から出た松村謙三先生と周恩来先生が仲良く、日中友好の礎を築いた関係から、紹興市との姉妹都市関係を結んでいます。

 それでは南砺市の取り組み、まさにアクトローカリー、地域から何ができるかを今実践しておりますので、少しその辺りの紹介をさせていただきたいと思います。南砺版の「エコビレッジ構想」を、市として計画しました。

 これは2011年の3月11日、東日本大震災が発生したその年に、今吉澤さんもいらっしゃいますが、ローカルサミットを南砺市で開催しました。そのとき南砺からの発信をするためには、やはりエネルギーやさまざまなものまで、小さなエリアで循環できる地域デザイン計画をしようではないかと。その中でエコビレッジ構想をつくることにしました。

 ちょっとヒッピーのようなイメージもあったのかもしれませんが、我々は南砺市版のエコビレッジ構想づくりで、自然と共生し、環境への負担が少ない暮らしを営む共同体、そして地域の自給率を高めようと考えました。私たちの市には、世界遺産の合掌集落がございます。白川郷と五箇山の合掌造り集落が、1995年の12月に世界遺産登録に至っています。その集落において、循環型がしっかりと小さなエリアで保たれてきている、そういうものが評価されたと思っています。それをシンボルとして市全体に広げていこうということです。

 この小さな合掌造りの世界遺産の部落、四つの町と四つの村が、平成16年に合併してできたのが南砺市です。町の人と山の人、また途中にいる中山間地の人、平野の人、いろんな人たちが一緒になってこれから町をつくっていこうということでしたので、こういったものを立ち上げました。

 なぜエコビレッジなのか。先ほど少しお話しさせていただきましたが、経済優先社会がこのまま進んでいってはいけないのではないか、また自然の大きさの、いろんな災害が発生しているではないか。そして人間関係も非常に希薄になってきて、今まで我々は「結」という、隣近所みんなで協力し合って暮らしてきて、その中で豊かな暮らしを得てきたと思うのです。また上流から、きれいな水をちゃんと下流の家の人たちの所へ流してあげる、そういう関係性も非常に豊かで幸福感を感じていたわけですけれども、やはり人と人との関係も薄くなってきたのだと思います。

 そういう中でもう一度、自然と共生し、先ほど言いましたけれども、とにかく地域が自立するためにはどうあるべきか考えましょうと。新しい暮らし方をやはり発信していこうではないか。地域資源、人、物、文化、情報、お金、こういったものを地域の中で循環させていこうではないかと、こういうことでプランを作らせていただいたわけです。

市民が幸福感を得る街づくりを


田中 小さな循環による地域デザインということで、南砺市のエコビレッジ構想を平成25年の3月に策定をさせていただきました。再生可能エネルギーによる地域内エネルギーの自給と技術の育成。農林業の再生と商工観光業との連携。健康医療、介護福祉の充実と連携。未来をつくる教育、次世代の育成。ソーシャルビジネスやコミュニティービジネスによるエコビレッジ事業の推進。そして森里山の活用。こういったことで基本方針を六つ掲げさせていただきました。

 実は地方創生など、私が2期目ぐらいの選挙のときにいろいろとつくってみたのです。私は市民の皆さんの幸福感を高めることが仕事だと思っていますし、南砺に暮らす人たち、もしくは南砺の価値を高めるのが私の仕事で、道路を造ったり水路をつくったりだけが仕事ではないと言い続けていました。それでだいぶ反発を食いまして、「道造るのが仕事だろう」とかいろいろ言われましたけれども、そうではないと。いろんなことをしながら、トータル的に市民の皆さんが幸福を感じる街づくりをしていかなければならないのです。

 それと最近は合併しましたので、いろんな施設がたくさんあります。私たちは今まで、この次の時代に何をつくっていくかということではなくて、私たちは次の世代に何を残していけばいいのかという発想から、今後街づくりを考えていかなければなりません。

 これは合掌造りの家をイメージしています。屋根があって、柱があって、地盤があって、基盤があって、ここにちょうど家で言うと基礎ですね、基礎石。この辺りにエコビレッジ構想というものを掲げて、その上に政策の4本柱を立ち上げていき、人口ビジョンだとかいろんな政策を組み上げていこうということです。私が一生懸命しゃべっていても、職員の皆さんがなかなか分からないということで絵に描いてみましたが、「余計に分からない」と言われまして……。そういうものでございます。

 これもエコビレッジ構想の柱でございます。命だとか、賑わいだとか、自然エネルギーだとか、元気農業。この後のセッションで、太田住職という私の尊敬する南砺市の太田住職が、いろんな命とかそういったところどんどん発信されます。

 大きくいくつかありますが、まずは子どもたちと一緒に「エコビレッジ部活動」というものを市内の高校生、中学生と一緒に取り組んで、勉強会をする活動をしております。また最近は、環境省の皆さんが本当に興味を持って取り組んでいただいています。エコビレッジモデル事業の「オーガニック街道」というすごい街道をつくって、ここで農業をやっている吉田さんという大変素晴らしいカリスマ性のある方と一緒にチームを作って、いろんなバイオマスを利用しながら農業をしています。既にそれも動いています。

 そして木質エネルギーの利活用、この後また少しずつ詳しく書きますが、エコビレッジ住宅、エコビレッジのそういったコンセプトを持った住宅地を造成しようではないかと。向こう側に行きますと、我々の合掌造り集落のある村でございますが、一つ一番古い合掌造りの家屋が、モデル事業をやる桜ケ池という所にあります。それをこれからリノベーションし、シンボルの一つにして広げていきたいなと思っています。

 まずは森林活用事業ということで、やはり我々は8割が森林ですので、その森林の材をどう使うかなんですが、実を言いますと、本当に銘木というものがなかなか取れない山です。雪が4m、5m降りますので、完全に根が曲がっています。いろんな手法でいい木を作っている人はいますが、なかなかうまくいかない。しかし用材は用材としてしっかり使って、市の我々も、住宅を建てるときには市の材木を使おうと市民に訴えながら取り組みます。

 B材、C材、D材といろいろと使うところは使いますが、最終的にはエネルギーとして、バイオマスで熱源を利用してこの施設に使おうということで、行政が今管理している体育施設、病院、温泉施設などの所に木質のボイラーを入れてやっています。また、民間の人たちの家にも、何とかペレットストーブ入れてもらうための助成をしながら進めています。

 今までほぼできていたものと今後の計画を作っていますが、南砺市の民間の皆さんで、「南砺森林資源利用協同組合」を作ってもらいました。山の仕事をしている方もいらっしゃいますし、南砺と言えば、一つは木彫刻の町でもあります。木製バットの町でもあるんです。木に関わるいろんな人たち、小さな企業や、一般の方も加わって、組合を作っていただきました。

 そこに今回の補助金をいただきながら、ペレット工場を今工事中でございます。そのペレット工場ができれば、一番山に近い所に集めてきて、そこで燃料として供給できる、そのシステムを今作っています。山のほうは、ペレット工場までに持ってくる前に薪にして、木の駅、薪の駅を造って、そのままボイラーで薪のまま燃やす。

 こういう形で、二段構えで今取り組んでいるところです。上流から下流までのニーズを、今調査をしていますけれども、そんなに大きなキャパをつくり上げることはできないですが、我々が使う範囲は、しっかりここで供給できる仕組みを作ろうということです。

 次に、先ほど言いましたけど、これが一番古いといわれている「加須良」。これは移築してきた古い合掌造りなんですが、そこを、今度は新たな拠点として今、開発をしています。ここに書いてありますが、一般社団法人リバースプロジェクトさんは東京にあるんですが、伊勢谷友介さんら俳優さんがお創りになっている会社なんです。その会社とタイアップし、隣の市の金沢大学さんと連携をしながら、現在いろんなプランを作っています。住民の皆さんはじめ様々な方々がここへ寄り集まって、プランを作っていきます。

 これがイメージ図です。南砺市のいろんな顔を言いましたけれども、もともと合掌造りというのは、下が住居であり、仏壇がありますのでお寺であり、牛がいたり、そして働く場所があるわけです。2階、3階、4階は大体お蚕さんを飼っているんですね。そして生糸を生産して、その生糸を紡いで城端という所へ出して、城端で絹織物にして、金沢のほうに出し、京都へ出す。こういう元々の文化があります。合掌造りの中でお蚕飼っている家は今や全く無いので、もう1回そういったものができる仕組みも作っていこうということしています。 

コミュニティ作りで「小規模多機能自治」へ


田中 エコビレッジの住宅も計画中です。燃料も材料も、そこに住む皆さんの思いを一つにしながら、エコビレッジの住宅ゾーンをつくることを、民間の皆さんと勉強会を立ち上げながら進めています。

 この中で、最終的には我々の町は、3世代同居というものを推進しています。家で3世代同居になれば一番いいんだろうと思いますけれども、新たな住民の皆さんとか、新たな価値が理解できる人が集まってきた中でも、年代もやはりいろいろとバラエティに富んだ人たちが、より素晴らしいコミュニティーをつくっていくということが大事だと思っておりますので、そういったものができないだろうかということでございます。

 現在、南砺市の人口が減っていく中でいろんな政策をやっています。やっぱり一番大事なのは住民自治ということで、再度、自治振興会の皆さんと2年間の勉強期間を置いて、新たな住民自治の仕組みをもう1回考え直そうということで進めているところです。

 従来の今までの自治、俺の所は全部やっているんだよと言いながらも、やはり婦人会の皆さんに負担が掛かったり、一部の人たちに負担が掛かったり、若い人たちがなかなかそこに定住しない。そういう原因も一つあるのではないかということで、今までやってきたことを棚卸して、新たな地域の住民自治の仕組みを作ろうということであります。

 これを今、日本のいろんな地方で実験的にやっていらっしゃるんですが、「小規模多機能自治」と言うんですね。なんか福祉事業のような名前なんですが。いろんなことをやっていきますと、結果的には教育であったり、産業だったり、イベントだったり、そこにまた福祉の分野もちゃんと生まれてくるんですね。もともと我々はそういう地域で暮らしてきた、そういった地域をつくってきた、そういう地域の皆さんと一緒に、もう一度戻ってみようと、こういうことでございます。

 これは今、ペレットボイラーを一生懸命設置しております。ペレットを作っていますが、こういったものをどんどん増やしております。

 これも小水力発電、やはり山があって雪国ですので、小水力を使わない手はないということで、南砺市内、積極的に小水力、民間の力もお借りしながら、今どんどん広げていきたいと思っています。

 これが先ほど言いましたように、吉田さんという農家のグループで、バイオマスの熱と二酸化炭素でものすごく発達が早い野菜が作れます。熱源もそこで確保できるということですので、こういった農業をさらに広げ、オーガニック街道へつなげていきたいと思います。

 地域には、野菜のいろんな作り手がいるんですけれども、それをどう売ろうか、どうしようかって言っていたところ、このシェフがミシュランの一つ星を取り、そこにパンだとか、野菜の余ったものを使っていろんな料理を今後作っていこうということで、組合が立ち上がりました。高校生がエコビレッジ部活動ということで、行政と一緒に取り組んでいます。いろんな商品が生まれつつあります。

 これは地域の所得循環機能、南砺市の場合です。一番右側にかなり外へやっぱり出ているんですね。何十億、燃料だとか、エネルギーだとかというのはやっぱり外部へ出ていますので、できるだけ外部へ出ないようにしようと。できるだけ入ってくるものを増やしながら、こぼれていくものを埋めながら、そういう仕組みを作ろうとしています。

 まだいっぱいあります。今度はファンドの話になりますが、今、吉澤さんら様々な方々にご協力いただいて、我々の地域の課題を自分たちで解決するためにどうあるべきか、からスタートしています。コミュニティービジネスのスターター支援ということで、今勉強会を進めていただいているところです。東近江の市長さんもお越しですけれども、ファンド利用で東近江で今取り組んでいただいていることを全てパクリながら、一生懸命進めていきたいと思っているところです。

スピーチする田中幹夫富山県南砺市長

地産地消の再エネで経済振興につなげる


鈴木悌介 私は小田原からまいりました。先ほど学長先生のお話を伺いながら、少しご縁があるなと思ったんですが、実は、大倉喜八郎先生の別荘が小田原にございました。共寿亭、共に寿の亭と言いまして、今はちょっと空き家になっておりまして、何とかしなきゃいけないかなと思った次第でございます。

 今日の「地域と環境」という政策テーマについて、エネルギーと経済という視点で少しお話をさせていただきたいなと思います。まず少し自己紹介的に、私の所は、先ほどご紹介いただきましたけれども、江戸時代の末期からかまぼこ屋をやっております。合わせて今日お手元に、資料の中でちょっと細長いパンフレットが入っておりますが、やけに長い名前の会。「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議」という会議のパンフレットが入っておりますが、私は今ここの主催をしております。

 この会は2012年の3月に作り、全国で370社程の、地域の経済の下支えをしている中小企業の経営者がメンバーになって、エネルギーのことをしっかりと正面から捉えていこうということで今、エネルギーの活動を一生懸命させていただいております。なぜ、かまぼこ屋がということですけど、今日はパワポがたくさんあるのでポンポン飛ばしてきます。

 「いただきます」。ここに尽きるのかなと思っています。食の仕事をずっとやっておりますが、食べ物は全て命のあるものです。言うまでもありませんが、人間がうまいものを食いたいとか、栄養が欲しいとか、今日は仲間で盛り上がろうとか、人間の勝手な理由で自分以外の命を使っているのが、ものを食らうということだと思っております。そういう意味では、その大切な食を、命の問題に関わる仕事をさせていただいた立場で話をすると、大変責任が重たいなと思っております。そんな、かまぼこ屋がなぜエネルギーのことを考えているのかを、少しお話させていただきます。

 直接のきっかけは、6年半前の東日本大震災でございました。そのときに、私の地元のほうも大変な思いをいたしました。私どもの小田原、箱根は観光地ですので、福島原発事故後に、箱根は全くお客様いらっしゃらなくなる状況が続きました。また300km離れた所にありますが地元のお茶が2年半ほど全く取れない状態がありました。

 それまでエネルギーのこと、特に原発については無関心でございましたが、少しかじりながらやってみると、こりゃとんでもない仕組みだなと思いました。環境問題的にもごみの問題もあり、経済合理性も全くない仕組みを早く蘇生をしなきゃいかんと決心いたしました。

 もう一つ思ったことは、経済活動の大事な点で、普通に街を歩け、普通に空気が吸え、普通に水が飲める当たり前の暮らしがあって初めて経済活動があるわけです。それを壊す、あるいは汚す仕組みに頼ってすることは納得いかん、と思ったわけです。

顔の見える関係の大切さ


鈴木 東日本大震災のとき、私は商工会議所の青年部の活動をしていましたので、被災地にたくさん友達がおりました。その中で、少しいろんな形で支援の活動をさせていただきましたけども、その中で感じたことが二つありました。一つは顔の見える関係の大切さということと、もう一つは、いわゆる従来型の大規模中央集権型の仕組みと、小規模な分散型、独立型、直接型の仕組み、この両方をやらなければいけない。

 簡単に説明いたしますと、顔の見える関係であれば、私は被災地にたくさん友達がいましたので、どんどんいろんな情報が入ってきますし、信頼できる仲間がいます。多分、そういう関係がなければ、私はテレビの前に座って「大変だな」と思いながら赤十字に義捐金を送るぐらいしかできなかったかもしれません。

 一つ、未だに苦い思い出ですけども、当時3月のまだ寒い状況でありました。現地に行きますと、体育館みたいな寒い所で避難している方が本当にお風呂も入れない、あったかい御飯も食べられない、プライバシーもない中で本当に凍えてらっしゃる。一方、私ども箱根は、福島原発がぼんといったわけでお客様がゼロになった。部屋空いているじゃないですか。だったら温泉も出ているし、布団もあるし、あったかい御飯出せるからということで、小田原の市長さんと箱根町の町長さんと、旅館組合の組合長さんに話しに行って、避難の人たちを受け入れませんかと。1週間でも10日でもいてもらって、英気を養ってもらって帰ってもらえばいいじゃないですかということで、仕組みを作りました。

 700人受け入れ体制を作りました。ところが、どなたもいらっしゃいませんでした。私のイメージは、関西の地震のときの経験があったので、あんまり人をばらばらに動かしちゃうと後で地域コミュニティーがばらばらになりますから、避難所単位であれば大体ご近所の方がいらっしゃいますので、バスで1台、2台で来てもらって帰ってもらおうと思ってバスも用意しましたが、結局どなたもいらっしゃらなかった。

 よく分かったことは、確かに遠かったのです。気仙沼にしても陸前高田にしても、そこから小田原、箱根までは。ただ遠くても、箱根の誰々ちゃんは友達だとか、小田原の誰々君知っているとか、そうした関係があれば違ったのかなと思っています。特に極限状態の精神状態にいるときに誰も知らない所に行くことは・・・。分かったことは、どんなに仕組みを作っても、そこに人間同士の顔の見える関係がないとその仕組みは動かんということです。

 もう一つの中央集権型の仕組みと分散型という話ですけども、ある私の仲間が現地で被災をし、避難所のリーダーになりました。彼の所に何かすぐ送りたいってことで、かまぼこだったらすぐ送れるなっていうことで、「どこに送ったらいい?」と聞いたんです。今日は業者の方いらっしゃらないからいいですね?(笑)「災害対策本部にだけは送らないでくれ」と言われたんです。そこに送っちゃうと二度と出てこなくなるって言うんですね。

 確かに私も何回も行きましたけども、いつもこんな山積みの状態にあります。今回の場合は、現地の業者も被災しているので一方的な非難はできませんが、そこで思ったのは、やっぱりこういう中央集権的な仕組みは、何もないときには非常に効率よく動くんですが、ちょっと想定を超えることが起こるとカチッと止まっちゃう。そんな状態のときにものを言うのは私の友人とできたような関係の分散型、独立型、直接型の仕組み。これ両方ないと、いろんな場面に対応できないことがよく分かりました。これはエネルギーについても同じことが言えるなと思ったわけです。

エネルギーの地産地消を実施


鈴木 会議は二つのことやっています。原発の反対運動をやろうと思っておりませんで、私たちは経営者でございまして実りのあることをちゃんとつくっていかなきゃと思っていますので、地域で再生可能エネルギーを中心としたエネルギーの、まずは仕組みを作っていこうと。もう一つは省エネをもっとやっていきましょうということです。

 省エネに関して言うと、中小企業はまだまだ省エネが遅れています。大企業は専門の部署があって専門のスタッフがいますから、製造業中心に「乾いたタオル」と言われていますが、中小企業はまだじゃぶじゃぶでございます。私もそうですけど、エネルギーはともかく難しいし、よく分かんないし、全部自分でやんなきゃいけない。そうすると、省エネってお金が掛かるでしょ、って終わっちゃうケースがたくさんあります。ということで、この二つを大きなテーマにして活動しています。

 どうやっているかというと、私は組織の中に「エネルギー何でも相談所」という機能を持っています。これは企業のOBの方が今30名ほどボランティアで登録していただいていて、太陽光発電とか、小水力化とか、風力だとか、断熱だとか、バイオマスだとかって、強い方にアドバイザーになっていただいています。例えば私どもの会員さんが、自分の所の会社の倉庫が空いていて屋根が何かできないかなと言ったら、飛んで行って提案をする。それするためには少し補助金が欲しい。補助金は面倒くさいところがあるので、お手伝いをする。

 あるいは私どもは、経済産業省の地域プラットフォームの「省エネ診断」の受託をしておりますので、私どもの会でやると中小企業の省エネ診断がゼロ円でできます。そんなことを今、全国で進めているところです。

 その中でいくつか事例をお話したいと思います。時間がないので飛ばしていきます。ほうとくエネルギー、湘南電力、小田原箱根エネルギーコンソーシアム、そして私の会社のこと、ちょっと簡単にご説明させていただきます。ほうとくエネルギーです。二宮尊徳先生の生誕の地でございます。まず地域の企業で、34社で5400万円ほどお金を集めまして、「ほうとくエネルギー株式会社」という会社をつくりまして、第1期の事業としてメガソーラーを一つ、山の中でやりました。

 約4億円掛かりましたけども、資本金と地元の信用金庫さんから融資をいただいて、残りの1億円を市民ファンドを通して1口10万円でお金を募りまして、第1期の工事が始まりました。小田原市は、行政はお金を出してもらう代わりに、メガソーラーの固定資産税を少し減免するという形で協力をしていただいております。全て工事関係も、パネル以外の工事を全部地元で発注しました。作った電気は、当初は某東京電力さんに売っていましたが、今は売っていません。この話は後でいたします。何をしたいかというと、地域でお金を回したいということです。

 次に湘南電力の話をいたします。私ども、地元に今年J1に上がりました湘南ベルマーレがございます。また来年J1から落ちるとまずいなと思っているんですけど、ベルマーレと東京のエナリスっていう会社で「湘南電力」という会社を創ってもらいました。

 何をやっているかと言うと、例えばほうとくエネルギーでつくった電気を、湘南電力に今全部売っています。湘南電力がその電力をこの地域に販売をしています。私の会社、鈴廣は、もう3年ぐらいになりますが東電さんから電気買っていません。全部湘南電力から買っていまして、ここだけの話ですけど少し安くなりました。さらにそれが少し進化しておりまして、ご案内のように去年4月から電力の小売りが自由化になりました。

 ところが湘南電力という会社は、社員が数人しかおりませんので到底、何千件というお客さまのサービスはできません。今、ちょうど絵の真ん中のほうに小田原ガスという会社と、FURUKAWAというローマ字で書いてある会社ありますが、これは地元の資本の都市ガスの会社とプロパンガスの会社、100年企業です。この2社が手を組んで今、電力の小売りをやってくれています。ということで、これによって初めてつくった電力が全部地元で売れるという仕組みができました。いわゆる地産地消の仕組みができました。

地方創生はエネルギーで


鈴木 私どもの会社の話はちょっとスキップさせていただいて、最後ちょっとエネルギーから経済を考えるとのテーマでお話をいたします。これはデータが2010年でちょっと古いですが、日本の国がどこの国との貿易で儲かっているか、赤字になっているかというグラフです。おかげざまで、中国からは若干日本はまだ利益が出ていますね。

 日本を一番儲けさせてくれている国は、アメリカです。グラフでは倍ぐらいですけど。あと日本が赤字になっている国は、中東、ロシア、オーストラリア、マレーシア、インドネシアであります。中東は14兆円ですから、3倍ぐらいのグラフになりますが、足すと28兆円ぐらいあります。

 何を示しているかと言うと、これは日本が一生懸命ものをつくって、外国に売って、お金を全部アラブの底に貢いでいるというのが今私どものやっていることであります。何を買っているかと言えば、化石燃料を買っているわけであります。

 化石燃料の輸入の、左側が金額と右側が数量です。2011年の原発事故後の数字を見てください。左側の数字、確かに28兆円増えていますが、右側の数字、数量は減っています。なぜでしょうか。省エネをしているからです。なぜ増えていったか、円高とそもそもの原油が上がっちゃったということです。ですから、原発が動いているか動いていないかという話と、日本の貿易収支の話は関係がないということです。ということで最後に伝えたいことが二つだけあります。

 エネルギーイコール電力ではない、と言ったら意外と思われるでしょうか。エネルギーの話をすると、すぐ電気の話になってしまうんですが、実は私、神奈川県のエネルギー政策を作る委員をやっていますけども、神奈川県全体でいくと最終エネルギーの中で電力だけ使っている部分は33%しかありません。小田原市は人口20万ですが、約47%です。ですから実は半分以上、私たちは何を使っているかと言うと、熱を使っています。冷たいの、あったかいの。そこに目を当てないと、本当にエネルギー全体は見えてこないはずです。熱という観点を見ると、先ほどスキップしましたが、私の会社では太陽熱の湯沸かし器、井戸水のエアコンシステム、いろんなことを熱を中心にやっており、非常に実感しています。

 日本は化石燃料がないけれども、使ってない熱という観点を見ていくと、地元の足元に使ってないエネルギーがいくらでもある。それを使っていくテクノロジーはいくらでもあって、ただ機械が高い。なぜかと言ったら量産してないからです。ここのブレークスルーが必要かなと思っています。最後に地方創生はエネルギーでという話です。

 小田原市、今人口20万ですが、環境部に調べてもらったら、毎年300億円ほど外からエネルギーを買っているデータがありました。先ほど、南砺のところで78億と出ていましたけれども、私の友人が東京の板橋区で新しく市民電力をつくりまして、調べてもらったら、板橋区55万人口で、570億円だそうです。毎年、毎年。

 こないだ北海道の下川町に行きました。3400人のほぼ無くなりそうな村ですが一生懸命に森を活用しようと、そもそも13億円ぐらいしかお金ないのでどんどん減りつつも、地域のバイオマスボイラーをとどんどんやり、今お客さんが入ってきている話を聞きました。

 小田原市300億、南砺市78億、板橋区570億。これ全部足して、さっきの28兆円になるんじゃないでしょうか。ですから、あの28兆円の全部を賄うのは難しいと思いますが、1割でも2割でもここで賄うことができたら、ものすごく大きなお金がこの国にはもう1回まわるわけです。それが雇用を増やすとか、介護だとか、教育だとか、医療といった地域の課題の解決に使えるお金の原資になるんじゃないでしょうか。

 全体で見ると大きなお金ですけども、例えば小田原300億の30億円だったら、さきほどの仕組みをもう少し動かしていけば何か道が見えてくる気がいたしますし、先ほどの南砺が78億円でしたら、そのうちの1割で何とか見えてくる気がするんです。各地域でそれをやることが、私はこの国の経済活性化には一番いいと思っています。

 私は今、地元で小田原箱根商工会議所の会頭をやっております。箱根は2000万人お客様が来る観光地ですので、今必死になって観光振興をやっております。観光振興は結局、最終的にはインバウンドが増えますが、南砺に行くよりは箱根に来てくださいって言わなきゃいけないので、地域間競争になるんです。ましてや定住人口を増やそうと思うと、今人口が減っていくわけですから、どこかからかっぱらってくるしかないわけで、必ず勝つ人が出れば負ける人が出ます。まさに定住人口を増やそうというのは、地域間競争そのものです。

 そういう経済政策と比べると、このエネルギーは最近気が付いたんですが、全く地域間競争はありません。小田原300億円は自分でやればいい。南砺78億円は自分でやればいい。全く他の地域と関係なくやることで、ウィンウィンなわけです。

 唯一困るのは、大きな電力会社さんとアラブの王様だけですが、知ったことではないので、とにかくそういう意味で、エネルギーのことをしっかりと地産地消、それも再生可能エネギーをしっかりやるということが、私は今、この国にとっての最大の経済振興策なのではないかと思っております。

 以上です。ありがとうございました。

スピーチする鈴木悌介鈴廣かまぼこグループ代表取締役副社長

横浜市のブルーカーボンと新産業の芽


信時正人 こんにちは。信時でございます。僕は横浜市にいたこともありまして、日本の自治体の中で一番大きな373万人の横浜でどういう形で環境政策をやってきたのか。今日は「環境と地域」という題ですので、それを紹介させていただきながら、少し他の都市と違ったことをやっていますので、ブルーカーボンのご説明をさせていただきたいと思います。

 今日は横浜国立大学客員教授ということで来ていますが、1人時間差というのがありますけれど、私は1人産官学と言うのでしょうか、これから働き方を改革してくるとこういう人間が増えてくるんじゃないかと思います。一応、産官学をやってきまして、今、民間をしておりますけども、こういう形でこれからお互いがやっぱり認識し合わないとまずいかなと思ってやっています。

 僕は2007年から横浜市役所に入り、2008年に環境モデル都市募集がありました。その1年前から横浜市でこうした体制を組んでいます。少し名前は変わりましたが、建制順?というのがあり、福祉をすぐ下に置いています。

 普通、政策、財政、総務は一番上のほうにきますが、その上に実は温暖化対策がありまして、市の姿勢としてそれを一番上に置こうということをしたんです。それまでは環境創造局という所の地球温暖化対策課という非常にローカルな所でしかやってなかったのです。PVやEVに対する補助金、環境啓発だとかです。

 そのとき副市長らと話しまして、それじゃCO2下がらんだろうと。ハード部局も協力してもらわなきゃ駄目じゃないか、ということでこういたしました。上に置いたからといって、みんなが言うこと聞いてくれるわけではありませんが、いかに我々自身が動くかがリードしていくことになっていく。約10年経って今、横浜市では割と動き出した感じがします。

 その時に、CO-DO30という、横浜ではバイクのような温暖化対策のCO-DO計画なんですけど、全庁的な委員会を作りました。嫌がる局長さんを引っ張り出して、各部会のトップに据えてやってもらいまして、約1年かけて作りました。

 環境モデル都市に選ばれたときの提案書の概要があります。我々のテーマは373万人、めちゃくちゃ人が多いということで、市場プル型。横浜市が変われば費用も変わる、仕様も変わるだろうということをテーマにしたのがこの項目です。

 このように、13都市全部でやられました。今、環境モデル都市から未来都市になっていますけども、未来都市は2011年に選ばれたんですね。今11都市といいますか、一部地域になっていますがモデル都市は何かと言いますと、低炭素都市活性化です。未来都市は、実はそれプラス環境、ハイテク、自然、あるいは少子高齢化、経済成長、国際展開がテーマになっています。

 さらに多分来年ですけども、SDGsというテーマで都市の募集が行われるのではないかということで今動き始めています。どういう形になるか詳細は決まっていませんけれども、この目標のうちに今動いているところでございます。

郊外の立て直しをはかる


信時 これは我々の、横浜市の未来都市をつくったときの基本の構造です。一番上に書いていますのは目に見える都市です。普通、ここでどういうビルを建てるかとか、どういう産業をするかという話をし、これだけで終わる。真ん中はインフラ。我々のスマートグリッドなどのエネルギーインフラもここにあります。それからソフトですけど、医療、福祉、介護とか当然ゴミだとか電力、みんなそうなんですね。

 さらにもう一つ一番下ですね。土圏、地圏、大気圏。ここまでもう1回いかないないといけないんじゃないか。都市をやる連中はここまでほとんど頭いっていません。我々はもう一度、ここから考え直そうと。防災のことを考えても、そもそもどこに川があり、どこに崖があるか。そういうことから考え直さないと都市はつくれないんです。特に横浜は崖が多い。ついこの間も、ちょっとした雨で崖が崩れたりしています。

 もう一度ここから見直すということで、さらにオレンジ色の線はITです。従来通りのやり方でなく、ITを使ったいろんなやり方がこの三つのエリアにあるんじゃないかということです。蛇足ですが、ピンク色はオープンデータ、自治体の姿勢を表していまして、オープンデータをやらない都市は、未来都市でもなんでもないという姿勢を貫いてきています。

 これは未来都市の中でも一番大きなプロジェクトです。経産省の年間数十億円に突っ込んできたスマートグリッドの実証実験であり、実証の段階に来ています。

 そういう中で、「みなとみらい」という横浜の顔みたいなところと、さらに住宅地、郊外住宅、多摩プラザなど非常にいい所があるんですが、ここはもう高齢化していて高齢者も住みにくくなってきている。若者もこういう所を住む場所に選んでいないという状況があります。二重苦があります。郊外をどうするか、です。

 大昔、『金曜日の妻たち』という番組があり、これは横浜の郊外が舞台になっています。その当時、古谷一行さん、いしだあゆみさんが30代だったんです。今は70代になっています。この町もそのようになってきているということでして、非常に町全体が古くなってきています。いろんな形で政策を打っていこうというのが、横浜市の二本柱であります。 

産業政策をSDGsとつなげて進化


信時 SDGsですが、こういう絵はもう皆さんどこでも見ていらっしゃると思います。今みたいな課題をこれからどうSDGsに当てはめていくかというとちょっとおかしいですけど、基本的にはこの八つに絞り込んだ形で、これからやっていこうということになっています。

 横浜としても未来都市からSDGsへということで、実はもう始動しています。当たり前ですが、未来都市は一応、経済、社会、環境という、トリプルボトムラインからいこうということです。そもそもSDGsのことを予習して、もうやっていたというところがあります。そういう意味では移行しやすいのかもしれないですね。いろんなステークホルダー、例えば産学官とステークホルダー等を目標にしながらやっています。これも、今までの実例が在ります。

 ともかく良い環境を目指してさらに進化していこうということと、超高齢化時代だけども、やはり経済をどうするかというところが重要です。横浜市はいろいろ大きいと言われますけど、ほとんど住宅都市です。ディベロッパーさんに任せてしまうと、住宅か業務棟か、あるいは商業、そのぐらいのものです。

 産業はどうなっているのか。食いぶちがないと都市はつくれないと思っています。東京は本社が多いですけど、横浜は支店経済です。それだと、やはり東京に通わなきゃいけないですが、交通地獄はそのままです。私は産業政策すべきだということはずっと主張してきておりますが、政策、ハードをつくってほしいなと。まず産業。食いぶちをどうつくるかというところが問題で、これがSDGsにどう移っていうかということであります。

 実は、いろんな形で作戦をつくって、実はまだ詳しく今日は言えませんので、他の自治体さんもいらっしゃるので、できませんが、これから移動手段とかSDGsということと、何かエネルギーミックスを今考えています。それから、やはり「フューチャーセンター」っていう言葉が最近よくあります。「イノベーションセンター」とか。そういうものを横浜市内にいくつもつくっていこうということです。

 そもそも横浜にスクールをつくってきて、ハイテクの技術だとか文化、それは結構なのですが、最終的なユーザーは市民です。要するに最終的にお金出すのは市民です。その市民がグレードアップさせないと意味がないということでやってきています。そういう新しい教育があって、今ESDもありますけども、やっと横浜市の教育委員会が動いてくれて、全て横展開、縦割りではない横展開のプロジェクトを目指していこうという方針です。

海洋都市を活かした「ブルーカーボン事業」


信時 経済という意味では、環境モデル都市のときに、「グリーンバレー構想」というものを作りました。これはシリコンバレーのグリーン版っていうことですけども、環境あるいはエネルギーにやさしい産業つくっていこうということで、一番南の金沢区に、今1000社近い中小企業が立地しています。

 そういう意味でそこを選んだわけですけども、詳しいことは言いません。ここは緑あり、町あり、海あり、横浜市で唯一の自然海岸が実はあります。140kmの海岸線の中で1.2km、自然海岸があるのはここなんです。ここが味噌であります。

 これはブルーカーボン事業ということで、山の森林でのカーボンセットというのは、至る所でやっていると思います。横浜も実は、水源になります山梨県の道志村の2800haの森林を持っていますけども、そこでニュークレジットをつくったりしています。我々はよく考えたら、海洋都市です。目の前に海があるのに、何にも使わないってどういうことよ、ということであります。

 これまで港湾だとか、漁港だとかで非常にセグメンテーションされてきたので、1.2kmと申し上げましたけども、横浜市の市民は目の前で取れた物をなかなか食えないと。海水浴もできないと。よく海洋都市って言うなっていうことを言われまして、実は海でやろうということで、「ブルーカーボン」という言葉を見付けてきました。

 2009年にUNEPが提唱した言葉でありますが、これをやっちゃおうじゃないかということで、八景島シーパラダイスのセンターベイをお借りし、ワカメを作り始めたんです。子ども用の施設なので、収穫と種付けには子ども呼んだりして、非常に盛り上がりました。要するに、ワカメがどれだけCO2を減少させるかということであります。

 いろんなメリットがあるとのことで、これまでも海岸の清掃だとか藻場再生とか、NPOさんがいろいろやっています。ちただそこに、ブルーカーボンとかクレジットをつくっていこうじゃないかということになりました。結論から言いますけども、そこでつくったクレジットで、横浜でやっているトライアスロン大会は、全部カーボンオフセットしています。完全超ローカルルールをつくってやっています。

 昨年度は、トライアスロン2つと、タモリさんがやっているタモリカップ、ヨットレースです。石井造園さん、地元の企業さんがこのクレジットを買ったということで、小さい経済が回り始めています。

 そういうことをやっているっていうことで、世界「CNCA」というグループがありコペンハーゲン、ニューヨーク、ロンドン、バンクーバー、メルボルンと横浜。全部で17都市の6つのリーダーで今年、プレゼンテーションして認められ、資金を出していただきました。来年度は一躍、世界都市になって毎年ここで発表しなきゃいけないということになりました。よく分からないと言いながらバンクーバーが一番ついてきてくれている感じです。

 これから課題等いろいろありますけども、さらにブルーカーボンの研究をしないといけません。国立港湾空港技術研究所の桑江先生、環境んの研究もとっているようで、日本経済研究所等々、いろんな所とやっています。さらに世界の動きを見ながら、また逆に、漁協とか市民団体との連携もしないといけません。

 パリ協定発効には、実は今年度からオーストラリアもこのブルーカーボンのGHGインベントリを開始しています。それが緩和策になるのではないかということで、これだけの国が検討を始めています。右上は、ブルーカーボンの本で、私も共著で書いています。詳しいことはこの本を買っていただくとわかりますが世界で動き始めているということです。

 昆布のことを最後に言いますけども、大きなことばっかり言っても、やはり先ほど申し上げました市民の方がどう動くかということです。「里海イニシアティブ」という社団法人ができました。市民が作ったもので、このブルーカーボン昆布のプロジェクトはSDGsに該当するのがいっぱいあります。

 これが横浜で取れた昆布です。北海道昆布は非常に厚いんですが、横浜の昆布は薄い。厚いのはだしを取るのにはいいんですけど、食えない。実は薄いのはぽりぽり食えるんです。一番ラッキーだったのは、横浜のある老舗の料亭の料理長が、これを好んで今使っていただいていまして、横浜産昆布っていうことで出してもらっています。それから中華街でも小龍包に入れるとか、うどんに混入するとかいろいろ出てきています。

 大きなエアラインが機内食で使ってくれるということで、がぜん横浜で取れる昆布が足りなくなってきまして、もう一つぐらい漁協やってくれないかとか他地域と連携しようかということが動いています。昆布で繊維を作るなどの新産業の芽も見えてきております。

 ちょっとしたクレジットをやっていたのが、地域産業ができていく楽しみを生みつつあるというところで、今日は終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。

スピーチする信時正人横浜国立大学客員教授

SDGsを使った地域ブランディング


袖野玲子 皆さんこんにちは。慶應大学から参りました、袖野と申します。私は大学で環境政策を研究していまして、特にSDGsを使ってローカライゼーションですとか、オリンピックの持続可能性評価等の研究プロジェクトに参加しています。

 本日はもう先ほどからいろいろ、地域の魅力的な取り組み等ご紹介いただいておりますので、私からはSDGsを使った地域づくりとして、少し全体的な話をさせていただければと思います。

 今日は森本次官のご挨拶から、SDGsという言葉出てきていましたが、今日初めてSDGsという言葉を聞いた方、いらっしゃいますでしょうか? 

 ありがとうございます。ほとんどご存じの方も多いようですけども、2015年に国連で合意された国際的な目標になります。もともとは、ミレニアム開発目標という、途上国への援助の開発目標の後継の目標として設定されたんですが、MDGsが主に貧困ですとか社会的な問題に焦点を当てていたのに対して、SDGsは持続可能な発展ということで、経済、社会、環境の3分野を不可分であると。避けて別々には対応できないということで、3つ統合的に対応するということで、全ての目標、全ての分野を網羅した形になっています。

 ですので、こちらが17の目標で、例えば1番。「貧困をなくそう」なんですけれども、貧困とか飢餓とかいう形でロゴを作ったわけではなくて、「貧困をなくそう」とか、「飢餓をゼロに」という意味で目標を掲げています。アクションが必要であるということで、そこまで書き込んだ形のロゴになっています。

 2030年の世界目標ということで、今、世界がこの目標の達成に向けて動いてきているわけです。17の目標の下に、それぞれより具体的な169のターゲットがあります。さらに、そのターゲットに紐付く指標がありまして、3つの構造になっています。

 このSDGsの2030年に向けたアジェンダの中の基本理念が、5Pと呼ばれている5つのPです。PEOPLE、PLANET、PROSPERITY、PARTNERSHIP、PEACEということで、5つのPがあり、それぞれの17の目標をどこに分類するかは、分け方も何種類かあります。

 例えばPEOPLE、主に社会的な話です。貧困や飢餓という話、ジェンダーですとか、教育。PLANETのところに水ですとか気候変動、生物多様性、こういった環境の話。PROSPERITYのところにエネルギーであったり、インフラであったり、こういった経済の話というのがあります。

 SDGsの特に特徴的なところは、全ての目標、ターゲットが密接に関係している。どれか一つだけを達成すればいいのではなくて、何かを達成しようとすると、他のターゲットにも必ず波及効果があるところが、非常に特徴的です。

 例えば気候変動を見ても、PROSPERITYのエネルギーとは大変関係が深いです。また、社会問題を見ても、気候変動の、例えば自然災害といった影響を一番に受けるのは貧困に苦しむ人たちです。全てを分野横断的に見ながら対策を考える必要があります。

 これはそのターゲットレベルで見たときの、ターゲット間の関係を研究したものです。ターゲット間で調整が必要なターゲットがあったり、同時達成ができるものであったり、またトレードオフの関係になるもの。例えば沿岸地域の資源を保全するというターゲットに対して、それをもしかすると飢餓をゼロにするというターゲットとは相反するものかもしれないということで、ターゲット間ですね。関係性を特に注目していく必要があり、こういう関係性を今、世界の研究者たちが分析しているところです。

SDGsを使った村の施策づくりを


袖野 SDGsを活用する意義ですけれども、先ほど申し上げたように、SDGsが世界の共通言語であります。全ての行動が17のロゴで表すことができるということで、このロゴを見れば、国が違っていても、同じ目標に向かってやっているんだなということが一目で分かります。そういう意味では、正当性や公共性を示すことができます。また、先ほど言った分野間の連携にもつながっていくことが挙げられます。

 もう一つが体現主義的な活動を広げるツールということです。課題の見える化ですね。それから2030年に向けた長期の話ですけれども結局、国連で決まって国も今SDGsの実施指針を出してなんですが、人々が生活しているのはローカルな所になります。結局、地域の取り組みが非常に重要になってきます。このグローバルからローカルの話。横の水平展開。こういったものがSDGsを使うことで、連携が可能になってくるのではないかと。

 パートナーシップの創出、ベストプラクティスをお互いに学び合うということは、よりやりやすくなるのではないかと考えられています。

 このSDGsに関する自治体の取り組み状況ですけれども、半分ぐらいの方が認知されているのですが、実際に取り組まれている所が35%ということです。まだまだ日本の自治体の取り組みとしては、今始まったところという状況です。

 先ほど少しお話に出ました下川町ですね。こちらが環境未来都市の一つに選定されている所です。例えば高齢化社会への対応としていろいろな施策があり、これをSDGsのターゲットとマッピングし、実際に高齢化率を減少させることに成功されている自治体です。

 一つが、慶應大学が決起プロジェクトとして進めている沖縄県の読谷村です。こちらは今まさに分析が始まったところですが、村民ファーストを挙げている村で、隣の恩納村とは全然違うんです。恩納村は、海岸沿いにリゾートが立ち並んで、これまでも注されることの多かった地域ですけれども、読谷村はサトウキビ畑が広がっていて、村の人の生活環境の保全が第一で、リゾートお断りという形で、海岸沿いは村が土地を買い占めてしまっているような所がありまして、これがいろいろな課題を抱えています。やはり雇用の問題など課題に対して、SDGsを使って村の政策を作れないかと、検討が進んでいるところです。

 例えばということで、メインのステークホルダーです。特に読谷村は、漁業と農業が大きな産業になるんですけれども、これに対して観光というのもまた一つあります。そうすると農業では農薬ですとか赤土が海岸に流れ出て、サンゴ礁を傷めてしまいます。一方で漁業のほうは、漁業も観光も海洋の保全が大事ですので、ここが協力してサンゴ礁の保全に取り組んではどうか、とかです。

 そういった分野間の連携で課題を解決していくということが今検討されています。やはり先にあるのは、先ほど南砺市長からもお話がありましたけれども、村のみんなが幸せになれる成長です。どこかの分野だけが儲かり得するとかではなく、みんなで幸せになるんだという目標を掲げてやっておられます。

地域独自のプランディング、オリジナリティで


袖野 まとめますと、地域にとってのSDGsということで、2030年に向けてどういう地域になりたいかビジョンを掲げる。それに2030年の自分たちの在りたい姿から、逆キャスティングで今何をすべきかを考えていく。特にSDGsは、国際的に決められたゴールが17ありますけれども、17等しくやるということではなくて、地域の状況に応じて、自分たちにとっての優先順位を選んでやっていくことが謳われております。まさに地域のブランディング、オリジナリティというところがここに出てくるのではないかなと思います。

 このSDGsを使うことで、課題の可視化、魅力の掘り起こし、それから進捗を計るということで指標がありますので、目標達成度を客観的に計ることができます。また環境、経済、社会の政策統合で、より効果的な政策を打つことができると考えられます。さらに、その地域の活動が世界につながっていくことで、町民や村民の誇りにつながるのではないかなと考えます。

 一方で、課題ですけれども、やはり先ほど申し上げましたように、ターゲット間のシナーズです。同じ方向でウィウィンの関係でいく場合と、トレードオフの場合があるということです。トレードオフの場合は調整が大変になってきますので留意する必要があります。

 それから評価基準のことですけれども、グローバルに今作られている指標が、そのままローカルに持ってこられるかというとそうでもなくて、やはりその地域の目指す姿にあった指標の設定も大事ではないかなと思います。また低い認知度というのがありまして、今オリンピックに向けて持続可能なオリンピックという方向性も打ち出されていますので、こういったものを契機に、SDGsはこれからますます広がっていくことが期待されます。

 そして今日の話を聞いていて、やはりどの地域の方もいろんな取り組みを既にやられています。既にされている取り組みがうまくこのSDGsのマッピングと合えば、よりグッドプラクティス、うまくいっている例を学び合って、パートナーシップの創出につながっていくのではないかなという気がいたしました。こういったところが今後期待されると思います。


南川 袖野さん、ありがとうございました。それでは、ひと言ずつ皆さまからコメントいただきたいと思います。今日のお話しを伺って、それこそ地域さまざまです。決して日本大きな国ではございませんけれども、人口はどんどん減少する。山なども荒れてしまうということで、結果として、何もしないのに自然がどんどんボロボロになっていく。挙げ句の果ては、土地所有者が分からない土地がたくさんできるという地域もございます。

 かたや、世界の最先端を争う中で日本を引っ張っていこうという都市もあるわけです。いろんなタイプがございます。従って、今日は皆さま、地域のリーダーの方もおられます。環境問題での研究を深めている方もおられます。それぞれの立場から、自分たちの地域をこういう形で環境を守りながら発展させていくんだ、あるいは研究の、こういった分野で環境等を経済地域について深めていき、それによって全体としての環境の向上に寄与していく、などについて、ひと言ずつ決意と意欲をお伺いしたいと思います。

自分たちの暮らしで循環させていく


田中 実を言いますと、昨日まで島根県の大田市に行っていました。これは、世界遺産サミットで、全国21カ所の世界遺産の組長関係者が集まる会議で、そこと今日の話と、すごくよく似た話題が出ました。そこだけ私のひと言で話しをさせていただきます。

 世界遺産になると観光客が増えます。登録されて10年たつと観光客が減ります。客が減る議論ばかりが先に行ってしまうんです。石見銀山の良さ、先ほど少しいろんな公害の話がありましたけれども、石見銀山というのは、本当に緑豊かなきれいな山の中にあります。共生しながら世界の銀の30%をそこから採ったということなんですけれども、本当に計画的にしっかりやっておられる。そういう所のノウハウを市民にまずは知ってもらうってことからスタートしないといけないだろうなと。そして市民が誇りを持てる世界遺産でなくてはいけないだろうなど、いろんなご意見が出ました。

 まさに我々、これから環境政策だとか地域の活性化だとか、人口が減少する中でどうしていけばいいか。やっぱり根本には、自分たちの変わりつつある暮らしを、もう一度、我々の手の届く範囲の暮らしで、しっかり循環をしていくことが重要だと思いました。

南川 ありがとうございました。では鈴木さんお願いします。

小さいからこそできることがある


鈴木 ありがとうございます。私たちは本当に地域の中小企業でありますので、大した大きなことはできませんが、私たちは自分の会社という自分がある程度影響力、責任もってきちっと業務を発揮できる現場を持っています。それから、顔の見える仲間のいる地域という現場を持っています。

 それぞれの現場で、中小企業の経営者として、より良き方向に新しい現実をつくっていく。本当に小さくてもいいからつくっていく。私は、小さいというのは決して消極的な意味ではなく、小さいからこそできることがたくさんあると思うんです。そのことを全国に仲間を増やしていく。それによって大きな力になっていく。

 そんなことを信じながら、先ほどから何回も出ていますけども、これから次の世代に何を残していくのか。その中で私たち地域の、中小企業のおやじがとにかく今月売上どうしようかとか、給料どう払うかってことばっかりですが、それと合わせてやっぱり自分たちが自分たちの地域に何を残せるかという心を持ちながら進めたいと思っています。今日はありがとうございました。

南川 続きまして、信時さんよろしくお願いいたします。

既存のものを組み合わせる発想力と行動力


信時 ひと言でいえば横連携だと思っています。例えば、横浜市はOECDの持続可能な高齢社会、実は富山市と共に選ばれているんです。会議でちょっとスピーチしたときあって、横浜市の一番の売り物は、ウォーキングポイントと言って、みんな600円ぐらいで万歩計をもらって、それでポイントを貯めて商店街で経済的に使っていくというものです。それがもう30万近く入っています。

 その説明をしたら、リスボンの副市長から「それは分かったけど、それとハードはどう関係あるのか」と話をされました。ウォーキングポイントは結構だが、それと都市の構造はどう関係するのだと言われまして、はっと思ったんですが、「いや、それは歩きたくなる道と行きたくなるような公園を造っています」と、僕は嘘のような本当の話をしたんです。

 造っているのは本当です。本当だけれども、一つの政策の中で、ウォーキングポイントと公園と道は一体ではないです。一つの中で言えないです、今のところは。たまたまそこに健康の道路造りと、健康とか付けているけれども、一つの政策でやっているわけではない。

 だから、そんなものをどう組み合わせるかが、これからものすごく重要です。新しいことを生み出すことも大事かもしれないけど、既存のものをどう組み合わせるかの発想力と行動力だと思います。

南川 袖野さん、お願いします。

違う分野同士から生まれる相乗効果


袖野 読谷村のケースで言いますと、やはり分野連携ということで、村であっても農業と漁業の人が話をしたことがないとか、なかなか横連携は難しいと感じています。

 一方で、例えば漁業で言うと、定置網に引っ掛かったカメは猟師さんにとったら網を破く有害な生き物ということで、すぐその場で放流しちゃうんですけれども、観光業の人にとっては、それってイベントに使えるということで、定置網に引っ掛かったカメをホテルのほうでカメの放流会という形で試験的にやったことがあります。

 違う分野の人が集まることで出てくるアイデアもあって、やはりそういった相乗効果、新しいものが生まれることを今後期待したいなと思います。我々、研究者は外部の人間ですので、最後どういう村にしたいのかを考えるのはそこに住んでいる方たちだと思います。

 そういういろんな地域で今、大変魅力的な取り組みが進んでいるところですので、そういったものがグッドプラクティス等を提供できればと考えております。

〈第一セッション了〉


【ディスカッション】中井徳太郎・安藤晴彦・和田篤也・周牧之:省エネ・再生可能エネルギー社会への挑戦と自然資本

編集ノート:
 COP21がパリ協定を採択し、世界が協調して、温室効果ガスの削減に取り組む歴史的な転換点を迎えた2015年12月19日、東京経済大学は「環境とエネルギーの未来 国際シンポジウム」を、環境省、中華人民共和国駐日本大使館の後援で、国連大学ウ・タント国際会議場にて開催した。なかでも周牧之ゼミ生の問題提起のもとで、中井徳太郎氏、安藤晴彦氏、和田篤也氏という3人の霞が関の「大プロデューサー」を迎えたディスカッションが精彩を放った。いまこの議論を振り返り、地球の温暖化への取り組みの足がかりを再度確認したい。


日時:2015年12月19日(土)

司会:
周牧之   東京経済大学教授/経済学博士

パネリスト:
中井徳太郎 環境省大臣官房審議官(当時)、環境事務次官(現在)
安藤晴彦  経済産業省戦略輸出交渉官(当時)、内閣官房内閣審議官(現在)
和田篤也  環境省廃棄物対策課長(当時)、環境省総合環境政策統括官(現在)

※肩書きは当時:2015年、現在:2022年

― オープニングムービー


 COP21はパリ協定を採択し、発展途上国を含む全ての国が協調して、温室効果ガスの削減に取り組む。それは初めて世界をひとつにまとめて枠組みを示したということです。これで世界の温暖化対策が、歴史的な転換点を迎えたことに象徴されるように、今、地球の温暖化への関心がかつてない高まりを見せています。

 また、エネルギーに関する問題には、温暖化だけではなく大気汚染や原発事故、そしてエネルギーバランスの変動や経済への影響、さらに、資源確保に関わる外交や安全保障、そして地域紛争などがつきまといます。近年、特に3.11以降は、東京経済大学の学生の間でもエネルギーや環境問題への関心が非常に高まってきています。

 これを受けて周ゼミでは、エネルギーと環境問題に取り組んできました。今日のこのシンポジウムもゼミ生が企画、コンテンツ作り、そして運営に至るまで積極的に関わってきました。若い人たちの視点をベースに作り上げたことがこのシンポジウムのひとつの大きな特徴です。セッションのトークに先立ち、周ゼミの学生たちが問題提起をします。

 15人の学生を3つのグループに分け、学んできた結果と各々の問題意識を土台に発表します。発表の最後には、パネリストの方々への質問もいたします。それではまず、第1グループからどうぞ。


― 学生による問題提起 ―

■ 第1グループ:再生可能エネルギーと水素社会


学生 皆さん、こんにちは。それでは、周ゼミのプレゼンを始めます。周ゼミでは、再生可能エネルギーと水素社会についての研究を行い、その結果をプレゼンテーションにまとめました。私たちのチームでは、再生可能エネルギーである「太陽光・風力・地熱発電」の国際比較と考察を行いました。

 それではまず、「なぜ再生可能エネルギーなのか」についてお話します。左側が、2010年の日本の電源構成割合、右側が2014年のものになります。日本の従来の発電方法において、原子力と火力がそのほとんどとなっていましたが、福島第一原発事故後、全ての原発が停止され、火力がそのほとんどを占めるようになりました。ただ、従来の発電方法には大きな欠点があり、まず原子力では福島第一原発事故から見られるように、運用に非常に大きなリスクを伴います。次に火力発電においては、その燃料が有限ですし、CO2の大量発生による温暖化も懸念されています。そこで、半永久的にエネルギーを生成することが可能で、環境への負荷も低い再生可能エネルギーへと転換していく必要があるのではないでしょうか。

 太陽光発電の国際比較から見ていきます。まず、右側のグラフをご覧ください。太陽光発電の導入量では全体の13%で、再生可能エネルギー開発に熱心に取り組んでいるドイツ、中国に続き、日本は世界第3位でした。続いて、左側のグラフをご覧ください。太陽電池生産量では、世界全体の8%で、中国、台湾、北欧に続き、世界第4位となっています。

 2005年時点では太陽電池シェアの半分以上を日本が持っていた、ということを現在のグラフと比較してみると、次々と他国に追い抜かれていることがわかります。

 次に、風力発電の国際比較をしたいと思います。左の図が、2014年の世界の風力発電の国別導入量で、右の図が、2014年の世界の風力タービンの生産シェアになっています。左の図からわかる通り、風力分野においては日本の導入量はわずか0.8%、また、風力タービンの生産シェアも4%以下と、発電量、産業ともに非常に遅れていることがこのグラフからわかると思います。

 次に、地熱発電の国際比較です。左のグラフから、主要国の地熱資源量、真ん中、世界の地熱タービン生産シェア、そして最後に、世界の地熱発電設備容量の円グラフになります。左のグラフ、地熱資源では、アメリカ、インドネシアに次いで主要国の22%を日本が占めています。そして真ん中のグラフ、地熱発電用タービン生産シェアでは、60%以上を日本企業が占めていることがわかります。しかし、高い技術力を持っているにも関わらず、設備容量はわずか4%と、多くの資源が手つかずの状態となっているのが現状です。

 では「なぜ、海外との差が生まれたのか」についてですが、固定価格買取制度の導入の大幅の遅れや、電力事業の地域独占による市場の不活性化、及び企業の競争力が減退したために、海外との大きな差が生まれたものと思われます。そして、これらの大元の原因が、1955年に原子力基本法を初めとする原発推進の政策が打ち出された一方で、再生可能エネルギーは二の次とされてきたためであると考えられています。

 最後に問題提起です。第1に、福島発事故後ドイツでは2022年までに国内の全原発を廃止することが議決されましたが、果たして日本はこのような政策をとることができるのでしょうか。第2に、固定価格買取制度、電力自由化等の制度だけで、再生可能エネルギー社会をつくっていけるでしょうか。そして最後に、現在、原子力のために使われている予算を、これからは再生可能エネルギーへと回していくべきなのではないでしょうか。

 以上の3点が、私たちからの問題提起になります。

司会をする周牧之東京経済大学教授

 はい。続いて第2グループ、どうぞ。

■ 第2グループ:バイオマス発電


学生 続いて、「バイオマス発電」について発表させていただきます。私たちのグループでは、穀物、廃棄物、藻類、木質をエネルギー源とする発電方法について研究しました。

 そもそも、バイオマスとは何であるかです。バイマスとは、動植物等の生物から作り出される有機性のエネルギー資源で、一般に化石燃料を除くものを総称します。このバイオマス資源をそのまま燃焼、あるいは一度ガス化してから燃焼して発電する仕組みのことを、バイオマス発電といいます。

 まず、穀物バイオマスについてです。穀物バイオマスは、サトウキビやトウモロコシ等の穀物資源から植物性のエチルアルコールを生成し、それを燃焼することによってエネルギーを得ます。しかし、食糧、飼料等の価格高騰や、農地開発に伴う森林破壊を引き起こすなどの問題点があります。さらに、日本は地理的、風土的な問題により、エネルギー源となる穀物の生産量に限界があります。穀物バイオマスを進める国々と比べると、生産量の乏しい日本では、穀物バイオマスを進めていくことは非常に困難であると考えます。

 次に、廃棄物系バイオマスについてです。ドイツでは電力消費量の27%以上を再生可能エネルギーが占め、再生可能エネルギーに占めるバイオマスの比率は発電の3割、熱供給の9割に達しています。また、2004年の固定価格買取制度改正を契機に、バイオマスが急速に普及しました。

 次に、藻類バイオマスについてです。藻類バイオマスは、大量バイオをした藻類から油を抽出することによってエネルギーを得ます。オイル生産効率が植物よりも10倍~数百倍高いといわれており、トウモロコシを利用した穀物バイオマスと比較すると700倍にも及ぶオイル生産効率を持っています。また、穀物を原料としないため、食糧等の価格高騰を引き起こすこともありません。

 そして藻類バイオマスの最大の特徴は、生産に要する面積の少なさです。例えば、琵琶湖の4分の1程の面積で、日本の石油需要が賄えると考えられています。この面積は日本の耕作放棄地の約4%の面積で、これを生かすことができれば日本でのエネルギーの自給自足が実現できると考えます。

 最後に、木質バイオマスについてです。グラフに注目すると、日本の面積の66.3%、つまり日本の面積の約7割が、森林で占められていることがわかります。全国には、木質バイオマスの豊富な資源が多く、広い範囲に未利用の資源が分布しています。また、日本の森林蓄積量は約49億万㎥と、30年前と比べ倍増しており、毎年8000万㎥ずつ増加しています。木質バイオマスについては、工場残材や建築派生材のほとんどが利用されています。しかし、間伐材等の未利用材は運搬、収集コストがかかることから、利用できていないのが現状です。

 木質バイオマス以外の再生可能エネルギーは、自然エネルギーを活用するために原材料費がかからない特徴があります。しかし、天候や環境に左右されやすく、安定的な電力供給を実現することが難しいといった、再生可能エネルギーの最大の問題を抱えています。一方で木質バイオマスは、エネルギー源である木質バイオマスを購入する必要がありますが、他の再生可能エネルギーと違い、安定的に電力を供給できます。また、地域の木質バイオマス燃料を活用することによって、地元に利益を還元することができます。

 このように、身近な地域の自然資本を活用して発電を行い、自然資源と経済の地域内で循環するといった考え方を「里山資本主義」といいます。私たちが身近な自然資本を継続的、持続的に使える仕組みをつくることが里山資本主義の真髄であると考えます。

 最後に、問題提起です。第1に、バイオマスの可能性を最大限に引き出すためにはどうしたらいいのでしょうか。次に、バイオマス産業都市、里山資本主義はどのようにして地域活性を実現できるのでしょうか。最後に、バイオマスの分野で世界をリードするためには、どうすればいいのでしょうか。

 以上の3点が、私たちバイオマスグループの問題提起です。

 はい。最後の第3グループ、お願いします。

問題提起する周ゼミ学生

■ 第3グループ:水素社会


学生 次は、「水素社会」についてです。さまざまなエネルギーを水素に転換して利用していく水素社会。その現状について調べました。

 初めに、水素の製造法についてです。まず化石燃料を用いて製造する方法で、この工業プロセスの副産物としてCO2が排出されます。現状では、水素の大部分はこの方法を用いて製造されているため、環境への影響が心配されます。次に、CO2を排出しない方法として、自然エネルギーを利用する方法、バイオマスを用いる方法、そして原子力を使う方法があります。この3つのうち、自然エネルギーやバイオマスを用いる方法では、CO2排出のない環境にやさしい水素を製造することが可能です。

 一方、原子力を使う方法ではCO2の排出はありませんが、福島原発の事故があったように、原子力を使うには危険が伴うため、積極的に利用すべき製造方法とはいえません。このように水素は、多様な原料をもとに製造することができ、自然エネルギーやバイオマスなどの環境にやさしい方法を使えば、地球温暖化と資源枯渇といった2つの環境問題を同時にクリアすることが可能になります。

 しかし、化石燃料や工業プロセスの副産物を利用した製造ではCO2の排出があり、原子力を使った製造では危険が伴うため、何をもとに水素を製造するかが、水素社会に問われる大きな課題だと言えます。

 次に、エネルギーキャリアとしてどのように水素が使用されるかです。初めに水素を製造します。褐炭などの未利用資源や余剰、安価な再生可能エネルギーから低コストに水素を製造します。次に、製造した水素を輸送、貯蔵します。水素は個体、液体、気体の各形態に変換できるため、液化水素ローリーや、液化水素貯蔵タンクなどで輸送、貯蔵します。最後に、水素利用です。半導体などのプロセス利用や、水素ステーションなどの輸送用機器、また、水素ガスターミナルのエネルギー機器や発電所などに利用します。

 これらにより、再生可能エネルギーから得た電力を水素に置き換えることで安定し、かつ運搬効率が高くなります。また、再生エネルギーの世界からの輸入が可能となります。

 次に、水素の製造方法と環境への影響についてです。現在、水素の生成には主に化石燃料が使用されており、日本企業は褐炭利用による大規模な水素生成プロジェクトを、オーストラリアで進めています。この生成方法ではCO2が発生し、結果として環境への負荷がかかる危険性があります。CCSという、水素生成時に発生するCO2を回収する装置もありますが、まだ開発段階です。また、原子力による生成方法も検討されていますが、原子力は危険であるため避けるべきではないでしょうか。

 次に、水素ステーションについてです。現在、開発済みが28カ所、計画中が53カ所で、一部地域に集中しています。現状では、全ての水素ステーションで化石燃料由来の水素が遡及されているので、自然エネルギー、バイオマスなどから生成された水素が供給されていくことが理想ではないでしょうか。

 次に、再生エネルギーを利用した水素社会についてです。「R水素サイクル」と呼ばれるR水素による地域循環型社会が、これにあたります。再生可能エネルギーを利用した水素社会が実現すれば、環境に悪影響を及ぼす化石燃料や原発から脱却することができます。さらに、オフグリットやマイクログリットにより、従来に比べスマートな電力供給が可能となるため、巨大送電網も不要となります。また、水素は長期間大量に貯蔵できるため、災害時のエネルギーセキュリティーにもなります。そして、資源の乏しい国々もエネルギーの補給が可能となるため、エネルギー貧困の解決にもつながるとされています。

 結論として、私たちは化石燃料や原発由来の水素ではなく、再生エネルギーを利用した水素で、脱化石燃料、脱原発、脱巨大送電網を実現していくべきだと考えます。

 問題提起に入ります。まず、水素社会の実現を拒む要因は何でしょうか。なぜ、このような技術があるにも関わらず、理想ともいえる水素社会に日本を変えていこうとしないのでしょうか。次は、なぜ再生可能エネルギー由来の水素社会を形成することによって、脱炭素エネルギー、脱原発の社会を作ることが可能なのでしょうか。最後に、日本はいま再び原発のシステムを海外に輸出しています。事故を起こした危険な原発の輸出ではなく、この水素社会のシステムを世界に輸出していくべきではないでしょうか。

 以上で、周ゼミによる問題提起を終わります。「太陽光・風力・地熱」、「バイオマス」、「水素社会」の3つの問題提起について、パネリストの皆さんにお話いただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

― ディスカッション ―

司会:周牧之、パネリスト:中井徳太郎氏、安藤晴彦氏、和田篤也氏

 ディスカッションに入ります。今日のパネリストの皆さんは、エネルギーと環境における専門家、そして行政官であるだけではなく、将来の社会ビジョンを持ち、社会革新に挑む改革者でもあられます。まずは、皆さまそれぞれぞれのビジョンと取り組みについてご紹介ください。中井さんから、よろしくお願いします。

■ 自然の恵み「森里川海」が循環し共生する社会へ


中井 ご紹介いただきました、環境省の中井でございます。今、学生からいろいろ問題提起がございまして、ちょっと直接答えにはならない部分はありますが、絡んでいる部分があると思います。今やっているところの紹介も含めて、お話したいと思います。

 地球気候変動がとんでもない状況だということを踏まえた、大変な危機感のもとCOP21のパリ協定で、2度の温暖化に食い止める決意が合意されたわけです。2度食い止めるということは、21世紀中に温室効果ガスが増えない、出さないということです。それが本当に可能なのかという大きな問題がありますが、日本は2030年に、CO2を26%減らすとしました。

 21世紀に出さない状況という文脈で言いますと、安倍政権が第一次内閣の時に提唱したものが先進国の合意になっており世界全体では2050年に50%以上減らしていく状況で、先進国は80%。これは閣議決定しています。第四次環境基本計画の中に謳われていまして、2100年に出ないことを見据えたトレンドということで、温暖化を引き起こす問題のガスをどうするかにおいて、日本は26%を2030年までに減らし、2050年には80%減らし、2100年にはゼロに向けていく。

 環境省としてもこれはどうなのか、可能なのかということで、ずっと議論しています。この環境の問題、具体的には温暖化であれば温暖化に対応しながらCO2を減らすということですが、そのことが企業活動の中でできるのか、国民生活の中でできるのか。人口減少、高齢化が進む社会の課題の中で、経済、地域が活性化する地域創生が求められる中で、環境の対応というものができるのか。

 例えば、環境と経済と社会の、究極の大きな問題を同時に解決でき同時決着という絵を描くとき、2100年はCO2が出ない社会で、人々が心豊かにちゃんと暮らせていて、経済も回っているという絵柄でないと、環境のことだけ考えてもどうしようもない。

 そういうことで、武内和彦中央環境審議会元会長も本日いらっしゃってますが、そこでも議論も踏まえ、循環して共生している社会を究極に描きながら、やれることの手を打っていこうと突き詰めれば、自然の資本「森・里・川・海」という我々の生きている基盤にもう一回、目を向けなければいけません。

 それが、このプロジェクト「つなげよう、支えよう森里川海」です。今日、配布資料の中に冊子が入っています。パンフレットと中間報告で、そのポイントは冊子でいいますと1ページ目の図になります。今、全省を挙げてこのプロジェクトに取り組んでいます。山から海に至る水が、雲や雪や雨となり、地下水となったり川となったりして海までいく。この物質循環の中に、我々の生活もあり、魚がいて、動物がいて、植物がある。

 生きとし生ける自然の恵みがつながって、循環している中に全てあります。生きものとして人間が健全に暮らしている感じが味わえていることが目標です。これが健全に循環し、その中に、生きとし生けるものとして自然の一部である人間もいる。

 都市と農村ということから見ても「森里川海」の恵みに支えられて地域での循環し、地域の中で自立し、いろんなものを回しながらネットワークで支え合うイメージです。これを究極にできれば温暖化の問題や社会経済の問題が解決しているであろうという発想です。

■ 自然の循環系が崩れた問題と責任


中井 この温暖化でいうと、日本の場合は27兆円くらい、25兆円を超える化石エネルギーを中東から輸入しています。これで発電をしているという構造です。これは貿易収支の赤字で、国費は海外に出ているということです。そういうかたちでエネルギーを供給する構造ですが、中東を中心とした貿易赤字の部分で賄っているのと裏腹に、もともと日本の「森里川海」の循環の中では至上な恵みがあります。

 森は二酸化炭素を吸ってくれます。また、土砂の流出を防止し水をつくってくれる。仮に森がないとすると、人工的に水を作りきれいにする設備を整える計算をしますと年間約70兆円、全体でいうと80兆円という試算にもなります。

 我々はいま負担感なく日々、四季折々の中できれいな水、きれいな空気、おいしい食材を自然の恵みからもたらされ、世の中の自然のストック、資産を与えられています。言わば、フロー、利息のようなかたちで、この資産が与えられている。それを顧みないかたちで、自然の恵みを引き出すところをかなぐり捨てて、コストの安さを見て輸入に頼ってきた部分もあります。

 冒頭の丹羽先生のお話にもありましたが、バーチャルウォーターという言い方がありますが、海外の水を輸入している。戦後、人口が都市へ集中する中で開発が行われ、エネルギーは中東からの輸入に頼るというような構造で、「森里川海」という自然の恵みの基本に目が向けないまま、循環系がズタズタになってきた問題があります。

 これは、人口が減ってきているということと同時に、都会に集中しているという構造です。もともと江戸時代、山の森の資源をエネルギーとして使ってきた文脈と全く違う展開が特に戦後集中的に行われ、戦後一回エネルギーを使った折に植林したため人工林の蓄積で、先ほどの学生からのプレゼンでもありましたが森自体が究極に今メタボです。メタボに蓄積されて植林した針葉樹を中心に太ってマッチ棒のような形で、不健全に森がある。そういう中で、二酸化炭素の吸収能力も落ち、気候変動、集中豪雨で森の土砂が一気に崩れ、災害が起きている状況です。

 そのような自然の資本を、森についての温暖化という文脈でいうと、二酸化炭素をしっかり吸収してくれる森に変える。若い木にし、しっかり活用して蓄積をしてくれる森の姿に変える。再生エネルギーが今日のテーマですが、まさしく風も水も地熱も何もかも、全て自然の恵みだと考えますと、地下資源のストック、元本割れをもたらしているストックを掘り起こし、元本を劣化させ減らせる発想ではなく、元本に手を加え元本を維持しながらフローとして、毎年の四季折々に与えてくれる恵みを使う発想でやっていく。そうしたかたちで自然の恵みである「森里川海」に手を入れていく中で暮らし、共生し、循環していくことが可能にならないと、21世紀にCO2を出さないようにするのは無理である、という発想です。

スピーチする中井徳太郎環境省大臣官房審議官

■ 昆虫を捕まえたことがない子どもが4割もいる


中井 そうした森自体を中心とした劣化の問題は、人間がどうかという問題につながります。震災の後にちょっと自然体験的なプログラムが増えて若干改善していますが、2021年の統計では川や海で魚や貝を獲ったことがない子どもが約4割、蝶や昆虫を捕まえたことがない子どもが約4割。太陽の昇るところや沈むところを見たことがない小中学生が約4割います。特に戦後を中心に、「森里川海」や、身の回りのもの、そして自分自身が自然の一部だということから切れて、コスト中心で輸入しているような構造がもたらした結果、我々の子どもたちの自然観が破壊された状況を引き起こしてもいます。

 「森里川海」は、うまく活用すればエネルギーも含めて我々の生活の基盤、健康と暮らしを支えてくれる水であり、空気であり、食材であり、物を与えてくれる根幹です。けれども、そこが劣化している結果、問題が出てきています。例えば、ウナギが絶滅危惧種になっています。日本ウナギは今、シラスウナギだと平成25年度で1キロ250万円ぐらいだったということで、プリウスより高価になっています。一方で鳥獣被害も深刻化しています。里の荒廃地、耕作放棄地などが増え、イノシシやシカが大きな農業被害などをもたらしています。

■ 国民運動として取り組む必要性


中井 ひとつのテーマは、自然の恵みに国民全体が目を向け、技術の開発と意識、ライフスタイルを変革することです。ライフスタイルが技術に支えられて変わる時に、社会のシステムや法律などの改正もなされ、2050年、2100年に向かって温暖化に対応する。これを人類が本当にやっていくんだと考えれば、今2015年という時点から約100年をかけてぐるっとライフスタイル、社会システム、技術が同時並行的にイノベーションしていくというイメージになります。その根幹に、このプロジェクトがいう自然の恵みに根差したところでの転換がされていく。これはひとつの「大きな国民運動」としてやっていく必要があります。

 目標を立てて運動でやるからには、わかりやすい話にして皆で発想を変える。共有するものを持って、取り組みという社会の仕組みにしていく。まずは「森里川海」の恵みを引き出すところに目標を立て、それを皆で支える。そういう社会へと進めていくことで、やはり人口減少、高齢化、地方創生というテーマを同時解決する。特に農村、山村部で森が荒れていることは、東京を中心とした都市住民にはあまり意識がなく、従来から20、30年ずっと議論してきています。森と都会の体質構造の違いのような議論もありますが、先ほどの「森里川海」の循環と発想で、みんなが循環してつながり、国全体で支える仕組みを考えようということです。

 わかりやすい話を共有し、企業の立場、行政の立場、学生の立場、研究者やNPOの立場、さまざまな立場と形で関われることが大事であろうということで、いろんなアイデアが出ています。森はいまメタボの状況で、皆で手をかけていく。木を切ったものをどう使うかということもありますし、手入れをすることで松茸が戻ることもあろうと思います。災害が今多発している中、生態系を使い、その土地に適応した対応を地域で考える。

 川や浜の話でいいますと、江戸前ウナギの復活プロジェクトや、先ほどの森市長の富山県でいえば鱒寿司があり、サクラマスを全国の皆で支えようといった目標があっていい。トキやコウノトリなどの復活というのもありますし、それこそ風景自体もテーマになります。再生エネルギーを中心とした「森里川海」の恵みを引き出す事業を地域で起こす里山資本主義みたいなことをきっちりやっていくのもいい。いろんなかたちのものがあります。

 イノシシやシカが増えているところではジビエとして活動するとか、マタギのような狩猟の文化を戻す。そして子どもたちは、都会と田舎の交流ということも含め、やはり山や川や海で、実際に体験できるところを、地域部門と東京との交流を皆で支え合うプロジェクトをやってもいい。色々なアイデアが今、出ています。そういうものを協議会というかたちでこれから詰めていきたいと思っています。

■ 次世代への「貯金」として皆でボトムアップを目指す


中井 皆で意見を持ち合うものの、ベースにはお金と労力が要ります。自然の恵みに着目しないで劣化させてしまった元本を積み立てる「貯金」という発想があろうかと思います。江戸前の本物の天然ウナギが戻るのに、プロジェクトをやって5年、10年、15年かかるかもしれませんが、子どもたちへの次世代への貯金になります。

 自然というものからあまりにも断ち切れたところから、そこに戻るという発想でいえば、気象が荒れて暑かったり寒かったり、災害があったりで、自然はもう怒っている。神社仏閣で手を合わせる日本人の感覚を自然に向けて、お賽銭という感覚で、1日1円くらい皆で出そうという具体的な国民参加型のプロジェクトをつくり、ボトムアップ、草の根で一つひとつを動かすことを、来年に向けてやっていきたいという状況です。

 こういったことを、環境省として国の役所が声をかけて事務局をやっているわけですが、あくまでも自然の恵みへの薄れた意識を「皆で呼び戻す」という草の根、ボトムアップの動きの積み重ね的なものでない限りは意味がないです。環境省は中央省庁の役所という立場をかなぐり捨て、地域に入って一緒にこの問題を語るところから始めましょうということで、今50カ所、リレーフォーラムというかたちで、2月に向けてやっています。来年5月に環境大臣G7会合がありますので、2月にはちょうど50カ所でいろんな意見が出ており、それの集約を富山県でやろうということです。

 ポイントはやはり、日本人のもともと持っているはずのもの、失った世界を、自然界を戻し、そこに具体的な技術や社会システムを乗せ、地域から問題に対応していきたいという発想です。冒頭の報告は以上です。

ディスカッション風景

 ご自身が先頭にたって仕掛ける森里川海を大事にする国民運動について語って頂きました。ありがとうございました。続いて、安藤さん、よろしくお願いします。

■ 海表面温度とハリケーンの因果関係


安藤 中井さんの熱い話を踏まえて、短時間でお話をしていきたいと思います。

 東京経済大学周ゼミ生の素晴らしいプレゼンテーションに大変驚きました。プロのコンサルタントやエネ庁職員でもここまできれいな資料を作れないのではと、丹羽会長を含めた事前打合せで申し上げました。本心からそう思っています。堺学長先生の学生を包み込むような優しいご指導と、南川先生、周先生、尾崎先生の厳しくも優しいご指導をきっちり受け止めた学生の皆さんに、まずは大きな敬意を払いたいと思います。

 今日は経済産業省の戦略輸出交渉官とご紹介いただいていますが、経産省の話は5%ぐらいに留めて、RIETIフェローや大学の客員教授という立場で自由に話をしますので、ご了承いただきたいと思います。

 今週12月15日、とんでもないことが起きました。台風はだいたい例年25号ぐらいまでですが、台風27号がフィリピンを襲い、41人の方が亡くなった。25万人の方が避難を余儀なくされている。気象庁のウェブサイトには太平洋の海面温度が出ています。海表面温度が何故大切かというと、27度が、台風が育つか否かの分岐点になるのです。図のピンクが27度を超えるところで、台風が育ちます。お示ししたのは14日のデータで、フィリピンはピンクです。

 こちらは2年前の11月のデータです。ものすごい台風ができました。ピンクの領域が大きいです。「海燕」というスーパー台風が出てきて、6000人の方が亡くなり、1200万人の方が被災しました。これもフィリピンの話です。その2週間前にはアジアでもものすごい状況になり、台風25号、26号やサイクロンが同時に襲ってきました。日本列島を包み込むような巨大なものです。地球温暖化の因果関係は、わかったようでわかってないようなところもありますが、はっきり言えるのは海表面温度が27度あれば、巨大台風やハリケーンが出てきます。

スピーチする安藤晴彦経済産業省戦略輸出交渉官

■ アジア全体で深刻化する5の現状


安藤 次のスライドは北京の街の様子です。昨2014年、通商交渉官として北京に9回行きました。アジア各地を飛び回っていて、ソウルでの会議の後にインドで副大臣と待ち合わせる機会があり、北京首都空港は慣れているのでトランジットを北京にしました。大失敗でした。世界三大「PM2.5」都市は、北京とニューデリーとニューメキシコで、実際、北京の夜はスモッグで降りられませんでした。他の飛行機に乗っていたクルーも降りられず、インド行き飛行機がキャンセルになりました。副大臣と大切な待合わせなのに、真夜中にキャンセルとなり、困り果ててドバイ経由かシンガポール経由で駆けつけるか算段しました。次のフライトは1日後という話が半日後の早朝に飛ぶことになり、ニューデリー空港の国内線乗継は75分が標準時間なのですが、ギリギリ1時間のギャップでしたので乗ることにしました。しかし、更にニューデリー到着が遅れ、75分かかるところを30分で走り抜け、大汗かいて副大臣の近くに座ることができました。

 PMは北京だけの話ではありません。韓国も台湾も日本も、アジア全体で考えねばならない話です。先月、官邸のミッションを受けてモンゴルに訪問しました。世界最大の炭田や鉱山を巡りました。朝青龍さんと3日間一緒でしたが、地下1300メートルまで降りました。途中で、ショックな話を耳にしました。習近平主席とエルベグドルジ大統領が9ギガワットの石炭火力をモンゴルでつくると約束したのだそうです。原子力発電所がだいたい1ギガワット、100万キロワットです。9基もの巨大石炭火力発電所をモンゴルでつくるというわけです。中国が環境対策技術をきっちりやってくれないと、美しいモンゴルの草原で、またPMや煤塵が出てくるのかと心配になります。しっかり対応していただくのがアジアの大国として、アジアの友人として、信頼の証になるのではないかと思いながらも、強い懸念を覚えました。

 このスライドは昨年の北京での交渉会合に続いて福島の国際セミナーに出たときに、裏磐梯のホテル前の毘沙門沼で撮った写真です。なかなかきれいでした。爽やかな空気ときれいな水と、福島は大変なことがあったわけですが、その中で日本人が頑張って、こうした環境を取り戻して維持しているというところはホッとしたわけです。しかし、これもまた日本だけの問題ではありません。

■ 新エネルギーが乗り越えるべきコストと性能、制度の壁


安藤 皆さんから「なんで新エネは進まないのか」、「水素はなぜ進まないのか、こんないいものなのに」と問題提起をいただきました。全ての新技術に当てはまるポイントはこの絵です。新技術は、既存技術を乗り越えなければなりません。乗り越えるために何が大事かというと、ひとつは性能が圧倒的にいいことです。あるいは、コストが圧倒的に安いこと。10分1も安くて、10倍も性能が良かったら、導入されないわけがありません。しかし、開発過程で、性能を良くしていかなければなりませんし、最初のコストはもちろん高いわけです。

 技術開発はコストの分母にも性能の分子にもかかりますが、もうひとつ大事なのは「制度」です。制度枠組みが価格と性能に影響を及ぼします。上手に規制を組むことで、性能を補う部分が出てきます。例えば、Feed-in Tariff固定価格買取制のような制度を組むことで、相対価格、プライスメカニズムを変えていく。こういう「ポジティブ規制」を上手く賢く使わないと、新しい技術はなかなか入っていきません。

 他方、新エネルギーは、ひとつだけでは無理です。私は、2008年にアメリカのエネルギー省に呼ばれました。ポジションが2つ変わったのに、新エネや燃料電池の日本の政策を話してほしいというのです。現職の方にお願いしてくださいと申し上げましたが、お前の話を聞きたいということでした。これが、DOE、米エネルギー長官の審議会に呼ばれて話をした時のデータです。DOEのウェブサイトに載っていますので、関心のある方はご覧ください。新エネルギーはひとつだけは無理なので、いろいろな選択肢、オプションが大切です。オプション群の中にポートフォリオを張って、育てていく。政策のポートフォリオ群の中に、ところどころに中核的研究拠点を設けて、天才研究者たちを集めていく。こういう努力が大事だと説明してきました。

■ 燃料電池、水素運搬における日本の技術開発と成果


安藤 実際に、水素や燃料電池で幾つも世界的研究拠点を創ってきました。トヨタの燃料電池自動車MIRAIは、去年12月に新発売され3000台の予約が出ています。ようやく本物の燃料電池自動車が市場に出てきました。この写真は私の師であり盟友である米エネルギー省審議官です。彼の部屋のテーブルにはMIRAIのミニチュアが置かれています。トヨタからお預かりして、「あなたのおかげで、日米研究協力があったから、この燃料電池自動車ができました」と、報告に行きました。1月の話です。CSIS戦略国際問題研究所で、「習近平の政策」について講演して欲しいというので、ワシントンに弾丸出張に行きました際に、彼のアポイントメントを取って会ってきました。

 もう一つがエネファームです。今や14万台がご家庭に入るようになりました。この燃料電池も、スーパー中小企業24社の力を借りています。部品の共通化・共同開発をやりました。東芝とパナソニックは西の横綱と東の横綱で、普段はあまり仲良くありませんが、協力してもらいました。「モジュール化」という重要理論が裏側にあって、それに沿って開発しました。その成果が2009年の商品化で、現時点では14万台です。この定置用燃料電池は、長時間持たせる技術開発です。自動車の方は、小型軽量でパワーを出す技術開発です。いろいろ同時に進めていくことが非常に大事なのです。

 そういう技術開発努力の中で、もうひとつ日本が凄い技術を出しました。水素を運ぶ、しかも常温、常圧で運ぶ技術です。千代田化工の岡田博士が開発しました。ヨーロッパが長く研究していて、できなかったものです。触媒がすぐにへたってしまう。岡田さんの技術は、もの凄い技術で、トルエン分子がちゃんと一方向から柔らかくぶつかって水素が3つくっついて、更にうまく取れるのです。その触媒が長時間もつのです。あまり言いすぎると会社の秘密に触れますので、言えませんが、普通のタンカーで水素が運べるようになるのです。これは日本だけの技術です。

 こういう運搬技術が出てくると、まずは中東から余った水素を持ってくるのですが、その先は、例えば、ロシアの水力です。これは5%しか使っていません。カナダの水力、あるいはパタゴニアというアルゼンチンの南部の風力などから水素を作って運ぶことが可能になります。電力系統がなくても、常温、常圧で運んで、目減りもしないわけです。さらに言えば、北方領土は風力がすごいので、水素をつくることも技術的には夢ではない現実です。もちろん、コストの問題、政治の問題、枠組みの問題などをきっちり整えなければなりません。

ディスカッション風景

■ 太陽光で水素を生み出すプロジェクトと未来


安藤 私はいくつも研究所を立ち上げましたが、筑波大学の先生やシャープの元常務で太陽電池世界トップを7年間防衛したチャンピオンを呼んで、東京大学に次世代高効率太陽光発電の研究拠点をつくりました。日本ではシリコンの太陽電池を造っていても中国に勝てません。日本独自の理論効率63%の高効率太陽電池で、例えば、1軒の電力を10センチ四方の太陽電池で賄える電池をつくろうという拠点です。天才たちを集めると凄いもので、世界新記録が3つ出てきました。

実は、ここから先なんです。本当に驚いたのは。私が水素オタクだからというわけではありませんが、東大の先生たちが取り組んだのがS2H(solar to hydrogen)で、太陽光で水素をつくるプロジェクトなのです。この1月に一橋大学のセミナーで話を聞いた時には、「太陽エネルギーを効率15%で変えられる」という話をされました。私は「今の太陽電池は20%までいっていますから、頑張ってください」と申し上げました。二人で話した時に「安藤さん実は25%まで見えているんです」と、その先生は仰いました。現に、9月には24.4%の世界新記録を出されました。日本の技術って、やっぱり凄いです。

 太陽光から水素をつくると、もうひとつ凄いことができます。水素と二酸化炭素を合成させる日本の技術があります。水素をつくって、CO2と反応させると、メタンができます。CO2を地下に埋める話がありますが、危険なCCSではなく、CO2をメタンに「リサイクル」できます。バイオマスによるCO2リサイクルも大事なチャネルですが、濃いCO2をメタン化して使うのです。この話をモンゴルの友人たちにしています。モンゴルには世界最大のタバン・トルゴイという炭田があります。私は冬に行ってきました。今は休眠中という感じですが、74億トンもある炭田が、本当に使われたら地球は大変なことになると思います。

 そこで、再生水素で薄めて石炭を賢く使うというやり方もあるのではないかと思っています。これは私の夢です。現時点で、研究者以外の賛同者はひとりもおりません。環境省も実はこの話を蹴飛ばしたそうです。この技術が出来上がると、世界中のエネルギーをクリーンに運んでくるということができるようになります。

■ 参考文献を見ると論文のクオリティがわかる


安藤 学生の皆さんにお話したいことがあります。「こんな素晴らしいプレゼンどんなふうに作ったのですか」と周先生に質問しました。周先生、南川先生、尾崎先生の講義に加えて、いろんな先生から話を聞かれたのでしょう。他方、学生が研究するならば、耳学問だけではなく、良い論文をたくさん読んで自分で学んでほしいと、正直思います。去年、上司を集めてセミナーやりました。上田資源エネルギー庁長官も、田中国際エネルギー機関前事務総長も、柏木先生も、橘川先生みなさん上司です。このセミナーのカンファランスボリュームとして『エネルギー新時代におけるベストミックスのあり方』という提言書をまとめました。この中には良い論文がいっぱいあります。

 皆さんにもう一言だけ申し上げると、論文を読む時にぜひ参考文献を見てみてください。参考文献の使い方は2つあります。ひとつは参考文献を見て、「あ、面白そうだな」と、論文をまた自分で探って、自分で勉強していく。これが王道です。もうひとつは、恐ろしいことに参考文献を見るとその論文のクオリティがわかります。読むに値するかどうかというのが読まずにわかってしまう(笑)。後ろから見ると、「あ、この著者の引いている論文はこういうものだから、これは読む価値があるな」とか。「なんだ、この程度のことしか引いてないのか、それじゃあ大したことは書いてないな」とか。

 そういうことが透けて見えたりするわけですね。論文のクオリティに目が肥えるまで研究を進めていただくと、社会に出る時に大変役に立つんじゃないかと思います。最後に説教っぽくなってしまいましが、お許しください。ありがとうございました。

ディスカッション風景

 ありがとうございました。5%官僚プラス、95%学者のハイブリッドの安藤さんの話は、非常に素晴らしかったです(笑)。次は和田さん、よろしくお願いします。

■ 温暖化対策を通じて社会問題に切り込める


和田 ご紹介いただきました、和田でございます。環境省で今、いわゆるごみ問題を担当しております。直前まで数年ほど、数次にわたって地球温暖化対策を担当しておりました関係で、今日のプレゼンの機会を与えていただきまして誠にありがとうございます。

 まずもって冒頭に申し上げたいことは、学生の皆さんのプレゼン「恐るべし!」という印象で、非常にインパクトがありました。前者お二人、大先輩のプレゼンの後っていうだけではなくて、学生の皆さんのプレゼンの後という意味でも、だいぶプレッシャーがかかったかな、という感じです。私はどちらかというと少しパワポの内容そのものよりも、私がこのパワポからどんなことを感じ取っているかを、ご紹介しながら学生の皆さんの疑問点に何がしかの見方のひとつをご提供できればと思っております。

 まず冒頭ですけれども、セッション1のテーマは、まさに地球温暖化でございましたが、私にとって、実は地球温暖化問題というのはどんなふうに見えるかというと「初めて脱皮した環境問題」だと思っております。脱皮したというと着ぐるみ脱いでいるイメージですが、私から見てどう脱皮をしているか。

 従前にも地球環境問題はありました。例えば、オゾン層破壊の問題、その前だと酸性雨の問題がありました。その時は、着ぐるみが脱げていなかったと思っています。それは何かと言うと、いわゆる酸性雨の対策というと、汚染物質をどう制御するか。オゾン層破壊の問題だったら、オゾン層を破壊する物質をどう出さないかっていうことで、どちらかというと対症療法的な対応でなんとなく済んでしまう。だからどちらかというと、公害対策の延長線に見えていた。

 ところが、温暖化対策は、どこをどういうふうに切っても焼いても煮ても、どうやってもライフスタイルそのもので、極端なことを言いますと、人の生き様そのものとか、文化そのものとか、国の在りようだとか、そこまで至ってしまう。こういう問題が初の環境問題として出てきた。温暖化問題ってこともあるのかなとも思っています。

 冒頭このスライドなんですけども、日本は26%っていうチャレンジングな、まぁチャレンジングかどうかは他の国との比較はありますが、少なくとも日本を含めていずれの国もやる、という声をあげた。なぜそうなのかというと、ひとつはもちろん、気候変動問題というのは極めて人類の存続を脅かすような問題、というのは確かにあると思います。

 若干へそ曲がり風の見方をしますと、実は温暖化対策を通じて、自分たちのやりたいことができるかもしれない。それは、例えば経済問題であったり、または社会問題であったり、社会問題をより掘り下げると都市問題だったり、貧困問題だったり、外交問題だったり、いろんなことにもしかすると温暖化対策がツールとなりうるかもしれないと思っています。もうちょっと即物的に言うと、初めて環境問題の中では、For the environmentということではなくて、By the environment、いわゆるこの対策を通じて、社会のさまざまな問題に切り込んでいけるということが副次的、まあ副次的どころか実は第一義的にあると思っています。そこに各国が気付き始めたとの見方を、僕は持っているところです。

 従って、環境省では初めて温暖化対策によって社会のさまざまな事象に切り込む。いや待てよ、それって温暖化対策だけじゃなくて、温暖化対策というのは「低炭素社会」という目指すべき社会としてのキーワードがありますけども、他にも「社会」とつく環境省のキャッチコピーが2つほどありまして、ひとつは「自然共生型社会」、それからもうひとつは「循環型社会」。まあ資源循環型社会ともいいますけども、この3つをそれぞれ、どっちかというと組織内の部局が別々に施策を展開してきたっていうことにも思えます。

 3つの対策を統合的に、3つの社会統合型でやっていく、すなわち、自然共生と資源循環と低炭素社会を同時に目指すことによって、今社会が本当に直面する様々な困難な課題、例えば、経済問題、地域のいわゆる人口減少の問題だったり、少子高齢化の問題だったり、世界的に見れば先ほどもありましたけど、食糧需給問題だったり、貧困問題だったりと、こういうことに、もしかしたら切り込んでいけるのではないかと思っています。

■ なぜオフィスより家庭の省エネ対策が遅れたのか


和田 そんな温暖化対策の問題をミクロに見てみると、学生の皆さまのお答えにはなってないかもしれないですけれど、ここからちょっとまた私、ユニークな見方で個人的に思っていることをご紹介したいと思います。温暖化対策で今、一番欠けているのはどこか。これから大変なのはどこか、というと、そこにありますように、業務その他部門というのと、家庭部門。これはなんと、4割近く排出削減をしなきゃいけないのです。他はいいのかなと、こういうことだと思っても、実は、下げなきゃいけないということは、これまでなかなか下がらなかった。どこと比べてかというと、産業部門と比べると、どうも減らない。これは何故か。今日ちょっと私なりの見方を申し上げたいと思います。

 ひとつ明らかにあるのは、この民生分野、すなわち家庭とか業務の分野について言えば、いわゆる、掛ける人数とか、掛ける家庭の数とか、掛ける台数とか、対策を導入・普及しなきゃいけない相手先の主体が、もう何千どころか何千万。世帯数でいったら4800万世帯に当たる。自動車の台数でいったら、年間400万台ずつ増えている話のところに、本当にどうやってエコドライブの仕組み、低公害車、低炭素自動車をどう導入するかという普及のところが、産業分野と違って大きく効いてくるのが難しいところかなと思っています。

 そんな中で、このセッション2のトピックスでもあります省エネと再エネですが、実は冒頭にいきますと、省エネによりエネルギー需給の抑制が、まずやってきます。先ほど2030年目標、2050年、果ては2100年ということもありましたが、まずは需要サイドのエネルギーを下げていき、省エネ対策をして、さらに再生可能エネルギーを入れていくというのがあったんですが、ちょっと私風に斜に構えて見てみますと、省エネ対策が何故進まなかったのか。逆に言うと、産業分野はなぜ進んだんだろう、ということなんです。

 省エネルギー対策は、どんな行政政策の上位概念のもとでやっていたかといえば私は「エネルギー安全保障」だと思っています。エネルギー安全保障とは、いわゆる供給できなくなってエネルギーが足りなくなるのでみんな我慢してください、本当に我慢してくれないと供給できないので省エネしてくださいというところから省エネの政策概念は始まっている。

 だから、例えば省エネ法っていう法律の名前の本当の名前は、「省エネ」と書いているのではなく「エネルギーの使用の合理化」と書いてある。私からすると何故そういうニュアンスになっているかといえば、いわゆる産業界に向けてのメッセ―ジとして、エネルギーを合理的に使ってください、そうでなければとてもエネルギーが供給できない。いわゆる昭和49年ぐらいのオイルショック、すなわち第一次オイルショックのようなことが来てしまうので、何とか産業界の皆さん頑張ってくださいということだった。

 確かにエネルギー安全保障の問題は重要ではありますが、今やエネルギー安全保障を超える世界的な課題として温暖化問題が認識されるようになったと思っています。その意味でも今日のシンポジウムのタイトルに、「環境とエネルギーの未来」とあり、僕は実はこの言葉の順番は非常に本質を表していると思っています。環境省だから環境を先に持ってきてっていうわけでなく、どっちの問題が先に致命的な問題になるかっていうところから、物事は考えるべきじゃないかなと思っています。

 それは何かと言ったら、世界のトピックスは今、エネルギー安全保障よりも、クライメット・チェンジのセキュリティーという概念に重心が移りつつある。数年前からイギリスはクライメット・セキュリティー(気候安全保障)という政策メッセージを掲げているところが重要じゃないかなと思います。だから僕は、環境とエネルギーという中の、エネルギー安全保障の体系化の中で出てくる狭あいな意味での省エネルギーを言っている限り、家庭や業務の分野で皆さま方に排出量を下げてと言っても、別にエネルギーは欲しい分だけ供給してもらえるんだからいいじゃないかと思われてしまう。最近は電気の料金が高いですが、別にそこまで気苦労してまで電気減らすつもりなんかありませんというところが、民生分野すなわち、家庭とオフィスの分野の問題ではないかなと思っています。

スピーチする和田篤也環境省廃棄物対策課長

■ 需要サイドから省エネを考える必要性


和田 そんな中で、いわゆる対策のところ、26%削減を担保するための対策の項でいろいろな対策が書いてあるんですが、ここで共通する点は何かというと、キーワードは「需要サイド」です。いわゆるエネルギーを使う側から見た時に、何ができるかを、日本の社会システムではあまり考えるチャンスがなかったと思っています。実は省エネルギーでも、需要サイドから考えておらず、どちらかというと、産業分野すなわち工場等での省エネ対策という視点が非常に強かった。家庭とかオフィスまで、大きく省エネをやってくださいというところまで議論が及ぶことは想定していなかった。これは、そもそものいわゆるエネルギー安全保障体系下の省エネだったからではないかな、と想像しています。

 さらに申し上げると、あとから再エネの話が出てきますが、これはいずれも需要サイドをご覧になっていただければ面白いかなと思います。このページもいずれもエネルギーの需要サイドのところから、みんなテクノロジーです。何が共通しているかというと、実は技術開発は意外と、ナショプロ(国主導型の技術開発プロジェクト)においては特にそうだと思いますが、供給サイドの技術が中心になってきた。すなわち、発電の効率をどう上げるか。工場における省エネがどうなっているか、というところが中心でした。使うサイドからの観点で、こういう分野は、あまり技術開発が進められてこなかった。少なくとも技術の導入・普及の観点から真面目に考えられてこなかったんじゃないかな、と思っています。

 次に、ここで再エネになるわけですが、省エネの延長線上で私のまた感想を申し上げます。実はこのグラフも、もう26%担保しているものですが、個人的には少し不満です。なぜかとうと、再エネというのは本当のことをいうと、本来的な「広い意味での省エネ」ではないと、実は思っています。再生可能エネルギーと再生可能エネルギーでないエネルギーがどう違うか。私の感想ですけども、いわゆる化石エネルギーと再生可能エネルギーですが、エネルギーの密度が違うってことじゃないか。

 いわゆる、瞬発力があるのが化石エネルギー。数万年かけて蓄えた炭素を一瞬にして燃やす瞬発力があるエネルギーが化石エネルギーで、他方で再生可能エネルギーは瞬発力はもっていなく、例えば薄く広がっているので集めなきゃいけませんとか、特殊な半導体を使ってエネルギー変換を行わないといけないとか、特殊なことをやらない限り使いにくいエネルギーというのが、本来的な性質ではないかと思っています。だから本当は、再生可能エネルギーは供給サイドとして大規模に供給するのではなくて、地産地消的な中小規模のエネルギーであるべきじゃないかなと思っています。

 ですので、そういう意味で本当は再生可能エネルギーというのはどういう位置付けかというと、「ローカルエネルギー」として使う方が本当は優れているのではないか。今まで何故できなかったのか、というのは感想ですけども、再生可能エネルギーをローカルで使ったらどういうことになるかといえば、省エネ推進と同様のことになってしまう。日本のエネルギー社会ではあまり関心を受けなかったのではないかと思います。

 だから例えば、日本は供給サイドの技術に力点が行われてきた証左として、一例ですが、昭和49年に先ほどもオイルショックがあったと言いましたけども、サンシャイン計画ができました。サンシャインですから太陽のエネルギーを使うことが容易に想像できると思いますが、その一丁目一番地のプロジェクトは何だったかというと、実は太陽光発電ではなくて、太陽熱発電だったということにあらわれています。

 太陽熱発電だったということは何を言いたいかというと、供給サイドに力点が置かれすぎていたんじゃないか。それが悪いわけではなく、太陽熱発電の技術を日本として磨いて今、中東で使われているのは非常にいいことだともちろん思っていますが、それ以外もずっと、どちらかというと供給サイドにこだわりすぎていたのではないかなと思います。

 従って、このグラフもちょっと見方を変えると、何が足りないかというと、例えば太陽光発電とかバイオマスとか水力で供給する、ということに力点を置くだけではなくて、例えばここに出てきていない水素。なぜ水素って出てきてないかをよく考えると、水素は再生可能エネルギーではなくて二次エネルギーだからです。二次エネルギーなので、これから水素をつくるプロセスに入るわけなので、二次エネルギーである水素の議論と再生可能エネルギーの議論をごっちゃにすると、頭がこんがらがっちゃうので僕はやめたほうがいいと思っています。むしろ水素のすごいところは、もちろん有害物が出ませんというのはありますが、一番決定的なのは何といっても、電気を貯められるという極めて革新的なテクノロジーを人類が持ったということです。

 電気をまともに貯められるとどういうことが起こるか。再生可能エネルギーのフラクチュエーションをもしかしたら吸収できるかもしれない。そうしたらローカルエネルギーで本来の力量を発揮する再生可能エネルギーを水素で貯めることとコンビネーションしたら、ローカルのエネルギーをローカルで使うグリッドシステムが、当然出てくるだろうと思います。そういうテクノロジーのひとつとして、水素もあるというのは、需要サイドから見たらもちろん先ほど、交渉官もおっしゃったのは、まさに日本の尖った技術という水素の技術を大いにプレイアップすべきです。需要サイドから見たら、そう見えると思っています。

■ 需要サイドのためのテクノロジーをいかに磨くか


和田 最後に一言ですが、需要サイドは実は「エースバッターがいない」ということだなと思います。エースバッターとは何かというと、これをやったら一気に大きく解決っていうような、ひとつの方策で、いわゆるエース対策とはなかなか難しく、いろんなことを組み合わせてやるしかない。砂を噛むようだけれどもそこをやるしかないのが、民生の需要サイドの分野かなと思っているところです。

 従って、民生・業務部分にいかに再エネ、省エネを入れていくかは、やはり需要サイドのテクノロジーをどう磨くかです。磨く時には尖った技術である必要性だけではなく、どうやったらコスト下げられるか、どうやったら社会システムは変わるかに切り込むのも重要で、第3の柱のところにも「社会システム」のキーワードが出てくる。

 第2の柱は「のための」が重要で、最近の日本の技術開発はどちらかといえば技術開発のための技術開発。もうちょっと言うと、革新的とついているのは革新的でありさえすれば何の役に立つかわからないがとりあえず技術開発やる、というのは、ちょっとずれていると思いまして、「のための」と書いてあるというところです。日本のテクノロジーを世界に売ることは、これはヨーロッパもアメリカも考えていることなので、日本もしっかりやりましょう、ということで終わりにします。ありがとうございました。

 温暖化対策を想って、社会に切り込んで変えようとする、熱のこもったお話をありがとうございました。先ほど学生の発表で出た9つの質問について、すでに答えが出た部分もたくさんありますが、私なりに解釈します。

 この9つの質問を見てみますと、再生エネルギーの可能性に希望を膨らませたと同時に、学生諸君には再生エネルギーへの移行が遅れているという見方があります。もうひとつは、いろいろ新しい制度が出てきていまして、例えば電力自由化制度は、本来は再生エネルギーの導入を加速するべきところを、現在はむしろ石炭火力の新設を促すように働いているのではないか、という疑問もあります。

 このままでは、この原因だけでも2030年のCO2削減の目標実現も危ぶまれると懸念されますが、先ほどの和田さんの話にあった来るべき水素社会に関しても、学生諸君が最も関心を持っているのは、そのエネルギー源の問題です。何をもってエネルギーをつくるのか。そもそも水素社会は、再生エネルギーの弱点を克服し、水素という素晴らしいエネルギーキャリアをベースにして脱化石燃料、そして脱原発のエネルギーシステムを構築できると期待されていますが、そのエネルギー源が化石エネルギーや原発となってくると、話がちょっと違ってきます。

 これらにつきまして、ぜひお三方からお話をしていただきたいと思います。もちろん立場上でいろいろと、みなさんハイブリッドで5%官僚という方もおられますが(笑)、どうしてもお答えできないのであればお気になさらず。中井さんも、できる限りでいきましょう。

司会をする周牧之東京経済大学教授

■ 経産省と環境省でコスト問題に七転八倒


中井 そうですね、再生エネルギーがもたもたしている部分の指摘はもちろんありますが、どういう時間軸で見るかの問題で、必ず進んでいくとは思っています。その時にもちろんコストの問題もあり、産業界としてやはり大量の電気にコストを安く、という文脈の話が大きいので、そこは2030年というターゲットを考え、エネルギーミックスを考えないとならない。ギリギリ電気代が上がらないように、産業としてエネルギーコストをどの程度上げない世界でできるのかを、昨年末にかけて経産省と環境省で七転八倒し(笑)、再生エネルギーは、今は本当に入っていない状況が、フィットでちょうど太陽光がばっと増えた部分はありますが、これをさらに増やして22%にする。

 原発の問題はいろいろ議論があり難しいところですが、とにかく今は安全安心を最優先し、もともと原発事故前のところまでかなり減らして2割ぐらいにすることに今は落ち着いているわけです。それで、再生エネルギーを増やす、ということなり、僕も最初言った自然の恵みを地域で、とか、和田さんの文脈で地産地消がありましたが、そこのところの要は、地域で、ミクロで、身の回りのものを使おうということです。それこそ、昔の農村で風車が回っていたようなことを含めて、もうちょっと頑張れると思っています。

 2030年に22%の目標はとりあえずありますが、これは個人的にはやはりもっと高められるような文脈で、それを今ちょうど作っているところです。みんなで知恵を出し合い、技術のブレイクスルーで大きく変わる部分もありますが、今ある分野で、冒頭の森市長の小水力の話などを含め、身の回りで拾っていく。それをやっていくのが地域創生にもなるんです。地域の建設会社がエネルギー的なものに転換するとか、農業的なものと合わせて地域で回すとか、そういう話が僕も聞いているところでどんどん芽が出てきていて、再生エネルギーはもっと増えていくというように思います。

 原発については安全安心優先で、従来のようなかたちからは減らすことが一応、合意になっていると思いますが、それが全部かどうかはいろいろ個人的な意見があります。政府として従来からは減らすけれども、安心安全で稼働できるものは……という公式見解に、私が言うとなってしまうんですが、はい。

ディスカッション風景

■ 異なる条件の日本においてベストな制度設計を


安藤 周先生のご指摘は的確で、9つの質問に総合してお答えするのは容易ではありませんが、頑張ります。

 ひとつは、「何で再生可能エネルギーは進まないのか」ということです。私のプレゼンで、新技術が乗り越えるべき壁について、方程式の分母・分子のお話しをしましたが、その条件も大事なのです。日本は原発を廃止できるのかという論点で、ドイツは廃止を決めたので立派かというと、ヨーロッパの国々と電力系統がつながっていて、自国では止めるけれど、実はフランスの原発の電気を買っているわけです。それから、モンゴルの9ギガワットの巨大石炭火力プロジェクトは、モンゴルのためではなくて、中国に電気で引いてくるのです。中国のCO2排出量は減りますし、国内の公害も減りますが、それがどこまでモンゴルにいってしまうのかが心配という話です。電力系統がつながっているので、こうしたことが起こりますが、日本は他国と電力系統はつながっていませんので条件が異なります。

 それから、バイオマスについて「どうやったら世界でリードできるのか」という質問がありました。私は、世界をリードしようなんて思ったら間違いだと思っています。もちろん、画期的なバイオマス技術、例えばエタノールをつくる酵素を発見したとか、浸透膜でエタノール抽出できる技術などでは世界をリードすればよいです。しかし、バイオマスは基本的に運べません。間伐材を運ぶのにもコストがかかるので、地産地消で考えるべきなのです。「地産地消」で考える時に、世界をリードするモデルはいくつもあります。

 例えば、スウェーデンのマルメ市は、100%エネルギー自給自足です。太陽光、風力だけでなく、ごみも処理して使っています。岩手県葛巻町もそうです。100%超のエネルギー自給率です。中村前町長が、どーんと風力発電をやり、さらには、バイオマスを導入しました。牛とか、いろんな家畜から出てくるものをうまく燃料にして、発電をする。これは自然エネルギーです。そういう、地産地消で取り組む条件を、よく考えていかなければなりません。

 それからもうひとつ考えなければいけないのは、私が制度の設計と言ったところです。経済学の教科書に出てくるわけですけれども、政府も失敗します。例えば、総括原価主義のもとでは原子力が有利になります。周先生が仰ったように、電力自由化になったら、安い電源として石炭火力が有利になります。かつてRPSという自然エネルギー促進法ができました。私は改定交渉で苦労しました。当時何が起こったかというと、自然エネルギーの中でバイオマスがいちばん安かったので、電力会社が、カナダの間伐材を日本に持ってきて石炭火力に混ぜてバイオマスを使ったことにしようとしたわけです。カナダから持ってくるのに、ものすごいエネルギーがかかりますが、輸入に必要なCO2のことは誰も考えずに、日本の庭先だけきれいになったりするわけです。

 ここまでだったら、まだいいんです。でもこの先が怖いのです。目標値だけ無理して高くしすぎると、アジアの熱帯雨林を壊して、伐採して、そのバイオマスを日本に持ってきて、石炭火力に混ぜるようなことが起きます。日本のワガママみたいになってしまう訳です。これは政策の失敗です。そういうことを乗り越えるために、Feed-in Tariff、固定価格買取制の導入について、私はその時点で電力会社の人たちに囁きました。「マイルドFeed-in Tariffがいいよ。ドイツみたいな強烈な高価格ではなくて、1kWh30円ぐらいがちょうどいいんだ」という話を根回しして、心ある人たちは理解し始めてくれました。しかし、その後、いろんな政治プロセスがあって、42円で買い取りを始めたら、ものすごく伸びました。制度が入ればちゃんと伸びるわけです。

 でも、これで失敗したのはドイツです。ドイツは非常に高い値段80円くらいで買い取ったらみんな太陽光発電をつくるわけです。その結果、何が起きたかというと、国民負担が国家予算に匹敵する規模になることが予想されたので途端に制度を変えました。スペインはドイツに見習って、「ドイツにできるんだったら太陽の国のスペインだったらもっとできるぞ」と、バーンとその制度で導入量を伸ばしました。しかし、財政負担が大変になるのに気付いて、途端に翌年止めました。私はマドリードに3年住んでいましたので、スペイン人気質がわかるのですが、こういう制度の失敗があります。試行錯誤をしながらだんだん政府も賢くなるんですけれども、その大元はやはり国民です。国民世論がどう考えていくのか、ここが大事です。国民世論がなかなか難しいのは、原子力は止めたらいいじゃないという単純な議論に対して、安全保障が二重にも三重にも掛かっているわけで、そういうことをよくよく考えて、日本の国民にとって、世界にとって何がいいのかを考えなければなりません。

 そのずーっと手前のところに既得権もあります。新エネフリークとしては、新エネ予算を増やしてほしいと思います。しかし、過去の予算を持っている人たちの既得権がありますから、そうしたものを剥がすとすると、そこにまた大きな政治的圧力がかかるわけです。そうした政治プロセスも含めて、国民世論がどう賢く振る舞っていくのかが大事だったりします。いただいた9つの大事な質問は、日々我々も悩んでいて、しかも闘っているところです。

■ 地域の「オーダーメイド型」プロジェクトという新発想


和田 ご両方の後で、まさにあんまり申し上げることがなくなってしまったんですが、ここは重複しないかなというところを今探している感じですが。やはり、実は再生可能エネルギーというのは、今や地方創生の話として非常に親和性があると思っています。これは個人的にだけかもしれませんが、そうすると、何が壁かというと、実はコストの問題もありますが、ひとつ重要な点を忘れていると思うのは、既製服型ではだめで、「オーダーメイド型」でなければだめだなと思っています。

 これは地域の特性や、賦存エネルギーの大きさやさまざまあり、例えばバイオマスひとつとっても、どこからどのような手段で集めてくるか、です。廃棄物エネルギーならどんな性状のごみ集めてくるのか。このようなことひとつとるだけでも、どうしたら採算性の合うギリギリのところになるかを考えるのは、ものすごく難しいことです。収集、運搬だけで、ほとんどバイオマスは終わってしまうという問題から始まって、風力も場所探しが相当難しい面があります。おまけに発電量の変動が大きいので、なかなか系統連系が難しいといった問題まであります。変電所が近くにありませんといった問題まであがってきます。せっかく地域にあるエネルギーですが、ものすごくオーダーメイド型でやらなければいけない。

 逆に言うと、ちょっと瞬間の思いつきなんですが「地域のエネルギープロデューサー」のような人材を育てるイメージがないと、再生可能エネルギーはいつまで経っても供給サイドのエネルギーとして見られ、なんとなく大きくつくって大きな出力で系統連携させる感じの発想に陥ってしまう。再生可能エネルギーは僕が思うのは、やはり密度の薄いエネルギーなので、いかにローカルで薄い密度のものを手間暇をかけて集めてコストの釣り合うところを、オーダーメイド型プロジェクトでつくるかだと思います。

 例えば、いわゆる地域がエネルギー会社自体になる。そうするとエネルギーオーナーシップができる。そうすると例えば、自分たちでつくったエネルギーを大切に使いましょうというコンセプトが出てくる。その次に出てくるのは、自分たちのエネルギー会社をつくったからには、メンテナンスも自分たちでやらなきゃいけない。単なる、例えばメガソーラーがきて、地代だけ貰っているだけではなく、メンテナスもするとなれば、地元の工務店を雇う。そういうことでお金が回り出ことが出てくる。風力発電も、2万点にも及ぶようなパーツをどう調達してメンテナンスするかを考えれば、地代収入を得るだけでなくメンテナンス会社をつくることにつながる。

 そういうことをやっていくうちに、地域のエネルギーオーナーシップから転じて、地域創生のキープロジェクトになると思っています。やはりオーダーメイド型のプロジェクトを形成できるプロデューサーの育成のような取り組みが重要かなと思っています。

ディスカッション風景

― 会場からの質問と回答 ―

 どうもありがとうございました。せっかくですからご質問のある方は挙手してください。

中井 お願いがございまして、今日パンフレットに「賛同のお願い」という紙が入っております。ぜひ、地域で再生エネルギーを入れることも含めて、草の根ボトムアップで、みんなで自然の恵みに着目する社会改革論をやっておりますのでご賛同をいただきたいです。ホームページ等で世の中が変わっていることを武器に闘っていきたいと思っております。

 ぜひお名前等をお書きいただき、今日終わったら東京経済大学の方で回収していただけるということなので、受付でお出しいただければと思います。この場でお書きいただけなければまた、FAX等で送っていただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 質問はどうですか。では、菊池くん。

■ なぜ日本は原発を輸出するのか


菊池 周ゼミ3年の菊池です。お話ありがとうございました。中井さんにひとつお聞きしたいのですが、今、原発の問題がありまして、原発を減らしていくというお話で、反対派、賛成派があり、完全に減らすのは難しい話だとは思いますが、それではなぜ現在、原発を海外への輸出であったり広げていこうとしているのかをお聞きしたいです。

 再生可能エネルギーが地域的なもので、なかなか海外に広めていくのは難しいと思ったのですが、必ずしも原発を輸出していく必要はないのかなと思ったので、お聞きしたいです。お願いします。

中井 (安藤氏に合図を送る)

安藤 あの……、中井さんへのご質問でしたよね(笑)。原発の輸出問題は担当してないので、客員教授としてお話をします。「何で輸出するんですか」っていうのは、儲けたいからです。儲けたいから輸出する。ただし、話は単純ではなくて、安全保障の枠組みが必要です。原子力輸出の場合には、必ず二国間の原子力協定が必要になります。例えば、インドに輸出する場合には、インドと日本との間で原子力平和利用協定が必要になります。何故かというと、日本が供給した原発を使って核兵器をつくらないことを相手国政府に約束させなければならないわけです。そういう約束をさせるのは、平和利用を進めていく仲間を増やすことになっていくわけです。

 だから、最初に冗談めかして、儲けるためですよ、なんて話をしたわけですけれども、何故、日本政府が原子力輸出をお手伝するのかといえば、平和利用というコンセプトを世界に広めていこうということがあります。もちろん、平和利用でない利用が未だにあるわけです。核の均衡による安全保障という見方もあるわけですが、一方で、そういうことがいつまで経っても核の脅威というところから抜け出せない。逆に、原子力をうまく使ってエネルギーを供給するということが、今の現実的オプションです。それがいいかどうか、あるいは今後どうするか、という話は除いて、現実に、今の日本や世界の産業社会を支えるために、必要なエネルギーを大量に供給するために何が必要か、ということでは欠かせないオプションなんです。そういうことに対して、ビジネスの話、安全保障の政府枠組みの話、いろんなことを考えて、原発輸出ということは現実に起きているわけです。

 しかし、いろんな意見があっていいわけです。日本は民主主義国家ですから。学生のみなさんには、自分が考えた意見を広める自由があります。もう必要ないじゃないかと、むしろ新エネルギーにリソースを投入すべきじゃないか、あるいは水素の技術を輸出すべきじゃないかとか、そういう意見がもっと大きくなると、そういう方向に世の中は動いていくと思います。お答えになってますでしょうか。

菊池 ありがとうございました。

 時間も押してきましたので、最後にお三方から学生諸君にメッセージをいただきたくお願いします。では、中井さんからお願いします。

― 学生へのメッセージ ―

■ 大転換の時代で恐れずにチャレンジを


中井 今日のシンポジウムのテーマだと思うんですが、やはりCOP21で2度目標が合意されたというのは、地球全体の人類として、21世紀をかけて、2100年まであと85年だとしても、大きな変化のプロセスです。2度目標をやるということは、社会や経済や人口がまだ増えていく中で乗り越えていく、とてつもない変化プロセスに今どういうわけか命を授かってしまった我々、という感覚があります。

 皆さんは、これからまさしく社会に出ていくので、日本人的な調和とか、和の心とか、非常に大事な部分のチームワークをベースにしながらも、やはり変化しているという、大転換の文脈にいるというところで恐れずに、いろいろチャレンジをしていただきたいです。止まっているとだめだということが、ある種この地球的な規模でも合意された、ということだと思います。2度にするのは、放っておくと4度、5度と上がってしまうわけです。

 それを変えるのは、経済、社会の大きな転換ということです。皆さんはテーマとして人類史的な大転換の局面に命を授かってしまった。これを、せっかく生まれたんだから面白く捉え、チャレンジすることで生きがいがあった、墓場に行く時に「なんかやりきった!」みたいな人生の方が面白いと、個人的には思っています(笑)。

 そういうことで実は、「環境生命文明社会」の構想で今、この持続可能な社会を語り、人類史の文明転換の局面にあって、命にターゲットを置いた環境文明社会ということを言っております。そういう大きな転換の中で、チャレンジを果敢にしていただきたい、というメッセージにしたいと思います。

 ■ 「なぜ」を掘り下げて考える習慣を身につける


安藤 中井さんは大学時代からの友人で、本当に熱くて爽やかで優秀で、尊敬しております。和田さんは、水素の生き字引きだそうで、1990年代から水素に取り組んでおられたと伺っています。

 学生の皆さんの今回の問題提起は本当に素晴らしいと思います。我々からもいろんな話を差し上げました。そうすると、ああそうだったのかと気づく部分と、また次に、何故だろうと思う部分があると思うんです。「なぜ」を5回問いかけるのが、ある会社の流儀と聞きますが、ぜひ「なぜ」を5回掘り下げ、本当の原因はどこにあるのかを考える習慣を身に着けていただいたらいいなぁというのが、メッセージです。オヤジ臭く、説教臭くなるといけませんが、一緒に考えていっていただきたいなと思います。

 技術開発では、実は3つ大きな課題があります。再生エネルギーを本当に活かしていくためには、超伝導送電をつくるか、スーパー蓄電池みたいなものをつくるか、水素を本物にするか。この3つのオプションでしょう。東京経済大の皆さんは文系で、経済、経営、あるいは法律の方々が多いと思いますが、文系の知識と理系の知識が合わさってこないと、社会システムも含めて社会変革ができないと思います。ぜひその「なぜ」を問いかける中で、もし自然エネルギーにご関心があれば、一緒に考えていただきたいと思います。ありがとうございました。

■ 既成概念に捉われない自由な発想で


和田 いつも3番目になると非常につらいんですけど……(笑)、また残っているところを探さなきゃいけないです、辛気臭くなってしまうのもあまり好きではないので、メッセージというところで申し上げると、やはり既成の概念というか、これが当たり前なんだということに、今はあまり引っ張られないように、若い皆さんなので自由に発想いただいたら僕はいいんではないかなと思っています。

 そういう意味では、今日のテーマにあった再生可能エネルギーひとつとっても、例えば再生可能エネルギーは、太陽光発電と風力では全然違っていて、太陽光発電は直流だけど、風力は交流ですというのがあり、では何故わざわざ直流で発電されたものを交流に変換するのか、家庭の家電に組み込まれているモーターはほとんど直流で駆動するのに、何故もう一回、交流に戻しているんだろうとかですね。

 そういう既成概念を取っ払って疑問を持つところから初めてみたら、どんな面白い発想が出てくるだろう、ということからチャレンジをされてみることをお勧めします。単に太陽光発電というが、もっと面白い切り口があるかもしれない。もしかすると家の家電を全部直流にしたら系統連系制約という概念なくなるかも、とかですね。

 そういうような一見革新的すぎるような発想に至るまで、いろいろと既成概念に捉われない観点のチャレンジ精神があったらいいと思った次第です。とはいえ、皆さま方のすでにいただいたチャレンジ精神に、今日は驚きと勇気をいただいたところです(笑)。本当にありがとうございました。

 ■ 「方向性・技術・制度・プロデューサー」の4大キーワード


 どうもありがとうございました。僕は司会よりは、オーディエンスとして非常に楽しませていただきました。とても素晴らしい話の連続でした。

 今日のキーワードを整理しますと、4つあるかなと思います。ひとつは「方向性」です。COP21の成果を見てみますと、ひとつはCO2削減の方向性を、地球規模で共有できるようになってきた。これは一大進歩です。そして、2番目は「技術」。3番目は「制度」、システムですね。技術の話も今日はたくさん出てきまして、希望が湧くような内容が出てきました。さらに技術よりは制度が大事です。今日のお三方の話の中で、制度の重要性、さらに新しい制度の原型も示されたところはたくさんあります。特に中井さんが今、取り組んでいる「森里川海」という国民的な運動。これはぜひ皆さんも協力してくださるように、まずアンケートをお願いします。

 そして、最後のキーワードは「プロデューサー」ですね。和田さんがおっしゃっていた言葉、非常に大事だと思います。方向性でも、技術でも制度づくりにしても、やはりプロデューサーが必要。社会を変貌させていくのは、プロデューサーが一番大事になるでしょう。

 今日は本当に、3人の大プロデューサーに登壇していただきまして、司会者としてはとても幸せでした。ご清聴ありがとうございました。

会場写真

― 基調講演 ―

 シンポジウムでは、丹羽宇一郎(日中友好協会会長/早稲田大学特命教授/前伊藤忠商事株式会社取締役会長/前中華人民共和国駐箚特命全権大使)より「地球の将来と学生諸君への期待」と題した基調講演が行われた。

基調講演をする丹羽宇一郎日中友好協会会長

 森雅志(富山市長)より、「公共交通と軸としたコンパクトなまちづくり」と題した基調講演が行われた。

基調講演をする森雅志富山市長

― ディスカッション:地球温暖化とグローバルな取り組み ―

 シンポジウムでは、南川秀樹(東京経済大学客員教授/一般財団法人日本環境衛生センター理事長/元環境事務次官/前環境省顧問)の司会で、竹本和彦(国連大学サステイナビリティ高等研究所長/元環境省地球環境審議官/工学博士)、明暁東(中華人民共和国駐日本国大使館公使参事官(経済担当))をパネリストにディスカッションが行われた。


― レセプション ―

レセプション会場写真

 シンポジウム終了後、同会場のレセプションホールにて登壇者、学生、来賓が集まってレセプションが開かれた。

 レセプションの司会を務めた南川秀樹東京経済大学客員教授は「充実した内容のシンポジウムだった」と評価し、企画、運営、登壇をした学生たちに「ぜひとも自信を持って行動してもらいたい。このシンポジウムをそういう機会にしてほしい」とエールを送った。

レセプションで司会をする南川秀樹東京経済大学客員教授

■ 鄒勇中国国家発展和改革委員会地域経済司副司長


 北京から駆けつけた中国国家発展和改革委員会の鄒勇地域経済司副司長は「シンポジウムの会議を拝聴し、大変啓発された」と挨拶。人材育成、共同研究、共同調査、技術交流、モデル事業などにわたる従来の中日両国の環境分野での協力が、中国の省エネと環境保全産業の発展にとって重要な役割を果たしてきたと力説。その上で現在策定中の第13次五カ年計画(2016年から2020年までの発展計画)の資源と環境の重視について言及し、①人と自然の調和のとれた共生②主体機能区の建設加速化③低炭素的な循環型発展④資源の節約と高効率利用を実施⑤環境改善強化⑥生態系を守るネットワーク構築、など方針を説明。「COP21パリ協定採択は低炭素経済発展の大きなチャンス。地球の温暖化への対応は私たち共通の責任だ。中国政府は引き続き、資源節約型、環境保全型の基本国策を検知し、経済を成長させながら豊かな生活を実現し、良好な生態文明を構築する。資源節約型、環境にやさしい社会の構築を加速し、地球全体の環境改善、生態文明のセキュリティのため貢献していく」と表明した。

挨拶する鄒勇中国国家発展和改革委員会地域経済司副司長

■ 武内和彦国連大学副学長


 武内和彦国連大学副学長が乾杯の挨拶をし、自然災害への取り組みと気候変動との関連性について仙台で話し合った2015年3月の「国連防災世界会議」、地球環境の保全と開発の在り方を2030年に向けて取り組むアジェンダが採択された同9月のニューヨーク国連総会、そして12月にアメリカ、中国を含んで気候変動枠組条約に合意できたパリCOP21を振り返り、「2015年はのちに“あの時に世界が変わった”と言われる年になる、また、なるように皆で努力をしていかなければならない」と力説、「Sense of urgency危機感とSense of hope希望を持って取り組もう」と呼びかけた。

乾杯の挨拶をする武内和彦国連大学副学長

■ 塩谷隆英元経済企画事務次官・元総合研究開発機構理事長


 1970年は公害問題から環境問題へ変化した年で、各省が公害規制を一段強めた法律を作り、年末に「公害国会」を召集して17法案を成立させた。制度変更は環境優先の意識を世の中に植え付けた。環境改善に対する事業者の責任を明確にし、公共下水道、廃棄物処理施設を積極的に造り、公共事業で公害防止施設を建設した。その延長線上で71年7月に環境庁が発足。当時、大都市に多様な自然流をつくり、大都市の河川にコイやフナが泳ぐようにする目標を掲げた。いま隅田川にシラウオが泳ぎ、多摩川にアユが産卵しに来たと聞くと涙が出るほど嬉しい。人類の未来のため国際協力を通じて、地球環境改善に努力をして頂きたい。

挨拶する塩谷隆英元経済企画事務次官

■ 土屋了介神奈川県立病院機構理事長


 周先生の友人代表として来た。シンポジウムを聞いて、医者になってがんの勉強を始めた時の「自分の好きなことをやれ、患者さんのために一番いいと信じたらそれを絶対に離すな」との師匠の言葉を思い出した。医者の修行中は薄給で、夜なべでアルバイトに行かないと生活できない。「金はあとからついてくる」との師匠の言葉は信じられなかったが確かに、「この人はこの研究をやっている」となると皆が頼ってくる。5年、6年すると「これはあいつに聞こう」となる。学生の皆さんも好きなこと、そして長い目で見た先のことにぜひ食らいついて頂きたい。

挨拶する土屋了介神奈川県立病院機構理事長

■ 柳沢香枝JICA理事


 学生の問題提起がデータに良く裏付けられた上、ストレートに疑問をぶつけたことに感心した。これに応えた登壇者も官僚の立場を超えて個人の想いを伝えていらした。日本の将来を考えたとき、地方再生や環境やエネルギーをバラバラに考えずに、ひとつの問題にし、国民一人ひとりが自分の問題として考えていく必要がある。アフリカ、アジアの様々な国がちょうど今、日本の60年代、70年代の成長期にあり、まさに環境やエネルギーの問題に直面している。富山市など日本の自治体での良い経験を外につなげたい。学生の皆さんは明るい未来をつくれるよう、ぜひ頑張っていきたい。

挨拶する柳沢香枝JICA理事

■ 清成忠男事業構想大学院大学学長、元法政大学総長・理事長


 今回のシンポジウムのテーマは非常にタイムリーだった。1974年に日本から上海交通大学への環境技術移転というテーマでシンポジウムをやった。当時は一般市民の環境への意識が希薄だったが、通産省とNEDOに参加していただき日本の企業にも何社か一緒に行って議論をした記憶がある。きょう立派なシンポジウムが無事成功したことは最も嬉しく、また敬意を表したい。

挨拶する清成忠男事業構想大学院大学学長

■ 横山禎徳東京大学特任教授、元マッキンゼー東京支社長


 周先生とは長い付き合い。もともとは、2005年「北京―東京フォーラム」を一緒に立ち上げた。その時に「日中共同の敵」、共同のテーマ、目標、闘う相手を決めたらよい、それは環境、エネルギー問題だと申し上げた。やはり今の状況を見ると、そうだと改めて感じる。環境問題でSense of urgencyをどう皆が持つかが最大のテーマだろう。

挨拶する横山禎徳東京大学特任教授

■ 安藤晴彦経済産業省戦略輸出交渉官、電気通信大学客員教授


 「つなげよう、支えよう」という中井徳太郎審議官から紹介されたメッセージがあった。「つながる」ことで周先生に大変感謝しているのは、日本と中国の架け橋になっていただいている上に、日本人の間のつながりもいただいている。日本人と中国、そしてアジアと、全体がつながってくるような出会いが今日もあった。学生さんには、ぜひ、これを刺激にし、ヒントにして勉強も就職も頑張っていただき、社会に出て活躍していただきたい。

挨拶する安藤晴彦経済産業省戦略輸出交渉官

■ 中井徳太郎環境省大臣官房審議官


 本日は本当に素晴らしいメンバーで、大変贅沢なプログラムと登壇者だった。とにかく周先生の力で、中国国家発展和改革委員会の鄒勇副司長もシンポジウムに駆けつけた。

 周先生とはかれこれ15年近くになる付き合いの中で、中国国家発展和改革委員会と財務省そして環境省との縁を結んだ。毛沢東の出身地である湖南省出身の周先生は粘り強く聡明で、妥協せずに徹底的にやる仕事ぶりが、これまでの素晴らしい交流を支えた。 

 人もつながる、自然ともつながる。そういうことで21世紀を塗り替えて動いていきたい。日中両方で切磋琢磨しながらアジアを支えていくことが大切だ。これから本当に変化していく中で、このことを若い世代に託したい。

挨拶する中井徳太郎環境省大臣官房審議官

■ 周牧之東京経済大学教授


 きょうのレセプションでは中井さんは人間と自然のつながりを語ってくださった。安藤さんは人と人とのつながりを語ってくださった。私がお話したいのは、中国と日本のつながりだ。これはアジアにとっても世界にとっても非常に大事だ。今回鄒勇副司長がわざわざシンポジウムのために来日されたのは、日本と中国の関係への大きな期待の表れだ。

 また、北海道から後藤健市さんも駆けつけてくださった。5年前に東京経済大学のシンポジウムに参加した中国の要人のために、北海道での視察をアレンジしてくださった方だ。今日再び日本と中国、そして北海道と東京がつながったことに幸せを感じている。

 日中関係は政治的にはまだ難しい局面にあるかもしれないが、最近、中国人が大勢日本に観光に来て「爆買い」の現象が起きている。日中関係が改善され、爆買いを超える変動が起こるよう期待したい。

挨拶する周牧之東京経済大学教授

シンポジウムの企画・運営を行った南川ゼミ生
シンポジウムの企画・運営を行った周ゼミ生

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【シンポジウム】東京経済大学創立120周年記念事業 シンポジウム「交流経済」×「地域循環共生圏」

編集ノート:
 新型コロナウイルスパンデミック直前まで、多くの外国人が来日し、交流経済が活発化していた。2019年1月26日、東京経済大学は『「交流経済」×「地域循環共生圏」—都市発展のニューパラダイム−』と題したシンポジウムを開催した。
 楊偉民氏、邱暁華氏を始めとするトップクラスの中国の経済政策実務担当者らを招き、日本の中央官庁、地方行政責任者、有識者らと意見を交わした。環境・経済・社会の統合的向上を目指す新しい成長モデルについて、それぞれの立場から多様な方向性が示された。
 新型コロナウイルス禍がなかなか収束しない中、こうした議論を改めて振り返ることが、アジアの行方を深く考える契機になると期待したい。


東京経済大学創立120周年記念事業
シンポジウム「交流経済」×「地域循環共生圏」


日時:2019年1月26日(土)

開会挨拶:

岡本英男  東京経済大学学長
森本英香  環境事務次官

基調講演:
楊偉民   中国人民政治協商会議常務委員、中国共産党中央財経領導小組弁公室元副主任
中井徳太郎 環境省総合環境政策統括官

セッション1:「交流経済」とは~インバウンド3000万人のもたらすインパクト
司会:
周牧之   東京経済大学教授
パネリスト:
邱暁華   マカオ都市大学経済研究所所長、中国国家統計局元局長
前田泰宏  中小企業庁次長
小手川大助 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹、IMF元日本代表理事

セッション2:大都市圏から新しい「成長」のモデルを創り出す
司会:
尾崎寛直  東京経済大学准教授
パネリスト:
張仲梁   中国国家統計局社会科学技術文化産業司元司長
和田篤也  環境省大臣官房政策立案総括審議官
小林一美  横浜市副市長

※肩書きは2019年当時


■ 開会挨拶


 冒頭、岡本英男東京経済大学学長が開会挨拶し、同大学創設者で実業家の大倉喜八郎が孫文の支援者として辛亥革命を助けたエピソードに触れ、同大学と中国との深い結びつきを紹介。日中両国の発展にとってプラスになる事業を今後も進め「狭い学問、学内だけに閉じ込もらず行政官そして民間企業とも広く連携したい」と表明した。

開会挨拶を行う岡本英男東京経済大学学長

 森本英香環境事務次官は、地球温暖化、保護主義、情報化・グローバル化を今の時代の3大不安定要因とし、新しい安定を見出す必要性を述べた上で「地域の資源、文化、人材を活かした交流が必要だ。日中双方の有識者の交流で新しい視点、アイディア、そして未来が生まれる」とシンポジウムの議論に期待した。

開会挨拶を行う森本英香環境事務次官

■ 基調講演


 基調講演では、八年ぶりに来日した楊氏が、「巨大な中国、多様性のある中国における空間発展」をテーマに、中国政府が推進する「生態文明」の概念と、今後の発展の道筋について説明した。「中国は、空間の特徴と生態バランスにおける役割に配慮し、均一的発展モデルを取りやめ、発展すべきところは発展、保護すべきところは保護する考えで“主体功能区”政策に取り組んでいる」と紹介し、中国の目指す空間構造について展望した。

基調講演をする楊偉民中国共産党中央財経領導小組弁公室元副主任

 中井徳太郎環境省総合環境政策統括官は、昨年4月に閣議決定した第5次環境基本計画が、環境だけでなく経済、社会を含め統合的に課題解決を図るビジョンだと説明。具体的には、「自然の恵み、森里川海を見つめ直し、地域の住民、自治体政府、金融、建設など各業界が協力して新技術を活用し、豊かな食、水、空気を確保する。そうした地域資源利用により地産地消を進め、さらに他地域とも連携することがビジネスにもつながる。草の根の国民運動として広げることで、コミュニテイが出来、災害にも強いエコシステムが成り立ち、高齢化に対応できる」と力説した。

基調講演をする中井徳太郎氏

■ セッション1:「交流経済」とは~インバウンド3000万人のもたらすインパクト


 「交流経済」をテーマとしたセッション1では、司会の周牧之同大学経済学部教授が、自ら責任者として開発し日中両国で出版した中国都市総合発展指標〉(日本語版は〈中国都市ランキング〉)を使い、1980年代以降今日までの日本、中国そして世界で、大都市に人口が急激に集中した現象を分析。グローバリゼーションと交流交易経済に最も適した場所として成長を謳歌しているのが、日本では東京大都市圏、中国では長江デルタ、珠江デルタ、京津冀の三大メガロポリスだと指摘した。  

 また、日本と中国で経済成長を実現させた要因が共に「輸出及び都市化の進展」であったとした上で、従来の製造業に代わってリード産業として台頭したIT業界を事例に解説。中国ではIT関連企業メインボードの94%が、TOPランキング30都市に集中して立地し、空港や鉄道インフラ、海外旅行客数、国際会議数、科学技術、医療、高等教育との相関係数が高く、グローバル化を進め、人材、資金、生活レベルを不断に高める地域だとした。日本のIT業界もほぼ同じ様相を見せているものの、相違点として、「日本と比べて中国の都市は、市街地の面積が拡大しても都市人口は増えていない。またCO2排出量が3倍に膨らみ、環境を著しく悪化させた点で、ロークオリティ成長であった」とし、環境、経済、社会が共に発展するハイクオリティな成長を目指すための方向性について問題提起した。

セッション1で問題提起を行う周牧之東京経済大学教授

 これを受けて、前田泰宏中小企業庁次長は、一人ひとりが我が事として環境問題を捉える事が重要であるとし、「日本人も中国人も現在最もお金を払うのはストレス解消への投資だ。自らの生きる環境を改善する事こそが生きる意欲に繋がり、またSDGsの実現に繋がる」と呼びかけた。街づくりの改善で人の往来を増やしたイタリア・ベネチアや東京・谷中の取り組みを事例に、「観光客ら訪問人口の回転率を増やす事で、人口減による経済の落ち込みも補える。交流経済の質の向上が欠かせない」と述べた。

セッション1で議論を行う前田泰宏中小企業庁次長

 次いで小手川大助キャノングローバル戦略研究所研究主幹が、世界でいま海外観光客の最も多い都市はフランスのパリで、その数が年間8000万人である事に比べると、「日本の3000万人はまだ少ない。人口から見ても中国や他の新興国にはまだ圧倒的な成長の余力と市場がある」と述べた。健康食品事業に携わった自らの経験を紹介しながら、「新たな時代の経済成長には新しい製品作りや、それに伴う海外との共同投資、共同研究の拡がりが必須だ」とし、来日時の観光消費額がいま最も多いロシアなど各国への日本ビザ発給の緩和で、海外との交流交易が一層進展するよう期待した。

セッション1で議論を行う小手川大助キャノングローバル戦略研究所研究主幹・元IMF理事

 邱暁華マカオ都市大学経済研究所所長は、中国経済が生産主導から消費主導へ移向する新常態にあるとし、「最も大きな変化は、国民の中で特に拡大した中間層による、ネット利用をはじめとする消費動向に現れている」と説明した。健康、娯楽、文化など新しい産業が経済を牽引していくに当たり、対外的には一層開放し、国内的には「価格競争、供給、分配の仕組み、製品開発などの分野で研究及び調整を急ぎ、今後10年30年の発展に結びつけることが重要だ」と述べた。

セッション1で議論を行う邱暁華マカオ都市大学経済研究所所長・元中国国家統計局

 続いて、周氏が指標データを使い、西暦2000年以降の東京大都市圏と北京の都市の様相を比較した。北京は東京と比べて都市面積が1.2倍、人口が6倍、一人当たりGDPは同半分まで追いついたものの、一人当たりCO2排出量は同2.1倍、単位当たりエネルギー消費が同4.7倍に及んだ現状を提示。環境への配慮が都市づくりの今日の最重要課題であるとした上で、さらに東京が、海外観光客数で北京の5.6倍、国際会議開催数で同17.4倍、国際水準トップレストラン数で同10倍と、開放性でも差を広げたことに触れ、「東京は、観光、娯楽、仕事、衣食住全般で訪れる人の多目的行動を満足させ、加えて交流経済のシンボルであるIT輻射力も集中していることから、交流交易の場として秀でた」と分析した。

セッション1で議論を行う周牧之東京経済大学教授

 この分析を受けて、前田氏は、「人がITツールを用い、様々なライフスタイルを分割所有できる時代になった。求心力のある人物が色々な地域に住んで交流し、発信し、仕事をする。そうした人をベースにさらに人が集まるような交流経済が量を増やす」と述べた。

セッション1で議論を行う前田泰宏中小企業庁次長

 小手川氏は、東京そして日本の役割を展望し、「貿易、軍事、ITの3つが、米中間の大問題となっている。とりわけ米国から中国へのIT産業移転による摩擦が広がる中、日本は、中国への理解を米国に促すなど、米中関係をつなぐ橋渡し役を務めることが肝心だ」と訴えた。また、中国に対して、「経済発展のポテンシャルを大きく持つにもかかわらず、金融面が内向きに閉じている国内の現状を改善してほしい」と期待した。

セッション1で議論を行う小手川大助キャノングローバル戦略研究所研究主幹・元IMF理事

 邱氏は、「交流交易はすなわち人と人との関係構築である」と述べ、大陸、香港、台湾、マカオを含めると約1500万人もの中国人が日本を訪れている一方、日本人の中国渡航が未だ少ない実情を取り上げ、「百聞は一見に如かず、だ。実際に訪れてみる事で、中国への認識と実情との隔たりを埋められる。一方通行でない交流交易を進めるためにも、大勢の日本人の中国訪問を歓迎したい」と呼びかけた。

セッション1で議論を行う邱暁華マカオ都市大学経済研究所所長・元中国国家統計局

 周氏は、「多様性と開放こそが交流経済の必要条件」とし、マサチューセッツ工科大学(MIT)に赴任していた2007年当時、エネルギー革命に向けてMITが世界中から国籍、出身、背景の異なるエネルギーの専門家をハイスピードで集めたことを目の当たりにした経験を紹介、「MIT自体に大きな魅力があったからこそ人材が集まった。多様性と開放に加えて、都市も拠点も個人も、自分自身を魅力ある存在として高めていくことが、交流経済を形作る」と総括した。

セッション1で総括を行う周牧之東京経済大学教授

■ セッション2:大都市圏から新しい「成長」のモデルを創り出す


 「地域循環共生圏」がテーマのセッション2では、司会の尾崎寛直同大学准教授が、「地域が自らもつ風土、食、文化を売りにし、イノベーションを続け、外の社会に繋がりグローバルに繋がることを、どう引っ張るのか」と問題提起した。

セッション2で問題提起を行う尾崎寛直東京経済大学准教授

 和田篤也環境省大臣官房政策立案総括審議官は、グローバルリスクである地球温暖化問題の、50年後100年後を見据えた解決構想として、環境省が描いた大絵図を示しながら説明。地域循環共生圏について、「住民が自分たちの目線でオーダーメードの計画を作り、自律分散型再生可能エネルギーシステムの構築、防災、観光、交通、健康など様々な分野で、独自のビジネスを行う。資源・資金・人の循環と自然との共生をコンセプトにし、得意不得意分野を他地域とのネットワークで補い、技術で支えることを目指す。そうしたステージに今後入っていく」と展望した。

セッション2で議論を行う和田篤也環境省大臣官房政策立案総括審議官

 神奈川県横浜市は、2015年のパリ協定、国連の持続可能な開発目標SDGsを受け、日本の大都市としては初めて地球温暖化対策実行計画「Zero Carbon Yokohama」を掲げ、街づくりに取り組んでいる。同市の小林一美副市長は、「地域循環共生圏」の大都市モデルの事例を紹介。具体的には、持続可能なライフスタイルを子供達に伝えるエコスクールの開催、新横浜一帯に集積するIT企業と連携した次世代のエネルギー自給システムの構築、小・中学校での蓄電池設置による災害時非常用電源の確保など「モデル活動を相次いで実施し、CO2削減を具体的に示している。これを継続して行うことが大事だ」と述べた。また、再生可能エネルギーに関する横浜市と東北の自治体との取り組みを紹介し、国や他の自治体との防災、福祉、教育面での実践的連携の重要性に言及。横浜市が石油精製、火力発電などいわばCO2排出産業に税収、雇用とも支えられている実情のなかで、「脱炭素経済に向けてどう新しい産業構造や市民社会を作っていくか、また、税金を環境対策にどう回すかが課題だ」と述べた。

セッション2で議論を行う小林一美横浜市副市長

 張仲梁南開大学教授は、京津冀メガロポリスを事例に中国の現状について説明した。同メガロポリスは北京、天津といった巨大で近代的な都市がある一方、周辺の河北省は経済的に遅れを取っている。「北京や天津からの経済的な波及効果が望めないことにより河北省は鉄鋼産業に特化し、深刻な大気汚染を発生させた。結果、北京にも多大な環境被害をもたらした」とし、メガロポリスの発展が中国都市化政策の基本となっている中で、今後目指すべきは「メガロポリス内部の協調発展である」と力説した。

セッション2で議論を行う張仲梁中国国家統計局社会科学技術文化産業司元司長

 横浜など大都市と比べ人口や財源が少ない小さな自治体の現状をどう考えるかについて、和田氏は「地域循環共生圏の芽が小さな自治体に様々出ている」とした上で、「共生圏を支える地域の人材育成を図るため、プラットフォーム作りを環境省で立ち上げる」と宣言した。

セッション2で議論を行う和田篤也環境省大臣官房政策立案総括審議官

 海外との交流激増の時代に即した都市作りに関しては、小林氏が「魅力ある街、環境に配慮した街作りをすれば、観光客が来る。企業が来て、雇用も増え、税収も増す良い循環ができる。そうした循環と、従来から市を支えて来た基幹産業との関係作りを、市民とともに考える。脱炭素を目指す動きを提示しながら課題解決に向けて、国と連携して実施していく」と決意を述べた。小林氏はまた、20年前に実施したゴミ削減30%運動により、当初予想の半分の年月で目標を超える43%削減を実現し、ゴミ焼却工場を二カ所閉鎖、年間20億円のコスト削減と、大きな成果をあげた横浜市の事例を紹介、「のべ1万回に及ぶ住民説明会を開き、市民や企業がゴミ問題を我が事として行動するようになった。私たちはできる、という意識が結果に繋がった」と振り返った。

セッション2で議論を行う小林一美横浜市副市長

 張氏は、「中国でも環境調査に携わる仲間が、常に海外の実情から学び、国内の取り組みに生かしている。中国人の海外渡航が増え、実際の交流から優れた思考を受け入れることが、変革をもたらしている」と力説、和田氏も「交流がキーワードだ。交流を契機にプロジェクトを作り、地域の銀行と手をつないで財源不足を補い、現場に密着した技術を導入するアプローチで、動き出すことができる」と強調した。

セッション2で議論を行う張仲梁中国国家統計局社会科学技術文化産業司元司長

■ 懇親会


 シンポジウム終了後は、日中双方のパネリストを囲み、参加者による懇親会が開かれた。

 席上、楊偉民氏は、「私の仕事は生態環境保護につながりのあるものが増えた。本日のシンポジウム参加で、人と人との交流を増やしたいと思った。自分のふるさと、そして世界を美しいものにして行きましょう」と呼びかけた。

挨拶をする楊偉民中国共産党中央財経領導小組弁公室元副主任

 南川秀樹日本環境衛生センター理事長は、「日中が世界の環境政策をリードする時代が来る」と展望し、乾杯の挨拶をした。

乾杯挨拶をする南川秀樹日本環境衛生センター理事長

 歓談に次いで挨拶した大西隆豊橋技術科学大学学長は、「中国で大都市の時代が幕開けた約20年前に出会って以来のお付き合いの楊さんの話しを聞きたいと駆けつけた」と歓迎し、環境、グローバリゼーション、都市化の課題への日中間協力の重要性を述べた。

挨拶をする大西隆豊橋技術科学大学学長

 西正典元防衛次官は、シンポジウムの席上議論された「米中関係の通訳として日本が役割を果たす」意義に改めて言及し、日中合作の進展に期待した。

挨拶をする西正典元防衛次官

 駐日中国大使館を代表して阮湘平公使参事官が、「生態文明重視を掲げる中国と日本との環境保護の面での交流を続けて行きましょう」と述べた。

挨拶をする阮湘平公使参事官

 横山禎徳東京大学EMP特任教授は、「交流経済は観光客だけでなく、日常で人が行き来できるようになると一層効果が上がる」と提起した。

挨拶をする横山禎徳東京大学EMP特任教授

 小島明政策研究大学院大学理事は、環境問題解決は日中共同のミッションであり、「パッション(情熱)とアクション(行動)で共同作業していこう」と続けた。

挨拶をする小島明政策研究大学院大学理事

 シンポジウムで分析資料として多用された中国都市総合発展指標の日本語版中国都市ランキングの出版元、NTT出版の長谷部敏治社長は、周氏、楊氏が責任者となって日中共同で開発した同書の内容について、「中国の都市分析に留まらず、東京大都市圏を始め日本の都市の分析を盛り込んでいる」と、アピールした。

挨拶をする長谷部敏治NTT出版社長

 前多俊宏エムティーアイ社長は、「中国と日本の人と人との交流から生まれるものの大きさを実感した」と、シンポジウムの成功を祝った。

挨拶をする前多俊宏エムティーアイ社長

 閉会挨拶に立った周氏は、楊氏、中井氏とともに肩を並べて立ち「私たち3人は義兄弟と言ってもいいほど大切な仲間。20年間度々顔を合わせ、大きな問題について膝付き合わせて議論し合い、実践してきた」と力説、環境、経済、社会問題の統合的解決の土台は個人と個人の交流にこそある、と述べて会を締めくくった。

閉会挨拶に立った周氏、楊氏、中井氏(右側から順に)

 関口和代同大学教授が総合司会を務めた。

(※文中肩書きは2019年当時)

総合司会を務めた関口和代東京経済大学教授

「交流経済」×「地域循環共生圏」が新たな時代を創り出す』(チャイナネット・2019年1月31日掲載)

【対談】安斎隆 Vs 周牧之:平成の「無常」を振り返る

2019年5月30日 東京経済大学教室にて安斎隆(左)VS 周牧之

■ 編集ノート:

 東京経済大学の周牧之教授の教室では、リアルな学びの一環として第一線の経営者やジャーナリスト、官僚らをゲスト講師に招き、グローバル経済社会の最新動向を議論している。2019年5月30日、安斎隆東洋大学理事長を迎え、対談した。平成を振り返り、バブルの本質、金融危機の正体、円安失策、原発事故の検証、日中関係の変質などをキーワードに、平成の「無常」と、日本そしてアジアが直面する課題を話し合った。


1.平成は日本人に「無常」を教えた


周牧之(以下周):安斎さんは、日本銀行から日本長期信用銀行に破綻処理を担うため派遣され、同銀行最後の頭取を務めた。その後、民間で全く新しいタイプのセブン銀行を作られた。今は東洋大学の理事長を務め、大学改革に取り組んでいる。

安斎隆(以下安斎):仕事の最初は日本銀行、その後日本長期信用銀行、セブン銀行、そして今は東洋大学だ。東洋大学は創立131年。東洋大学も東京経済大学も創立者は共に新潟県出身だ。私は30年前に日銀新潟支店長を務めたご縁がある。

:安斎さんは日銀時代に中国の金融政策へたくさんのアドバイスをくださった。2005年、「北京―東京フォーラム」の立ち上げにあたり、私とともに発起人になっただけではなく、安斎さんは日本側の資金集めを担ってくださった。日中関係で大きな交流の場を作り上げた。

 2019年2月『ニューズウイーク』に平成特集として『ニューズウイークが見た平成』が組まれ、『ジャパンアズナンバーワン』の著者として日本でも著名なエズラ・ボーゲル氏と私との『ジャパンアズナンバースリー』と題した10年前の対談が、再度掲載された。中国の経済規模が日本の経済規模を超えたことが、平成の衝撃的な出来事だったからだ。

 同特集に『平成は日本人に「無常」を教えた』という意味深い編集後記がある。確かに平成の時代は、常識がひっくり返された予想外の連続だった。大地震、バブルの崩壊、中国の急成長が与えた衝撃などだ。もう一つの無常は、世界の企業の時価総額ランキングトップ10の推移だ。平成元年は、トップ10に日本企業が7社も入った。とくに金融関係が強かった。日本興業銀行、住友銀行、富士銀行、第一勧業銀行、三菱銀行、5社も入っていた。安斎さんは当時、日銀で陣頭指揮を取られていた。

 しかし2019年、平成が終わる時の世界企業時価総額ランキングトップ10に、日本企業が、1社も入らなかった。これも無常のひとつだ。

 この平成最後の時の世界企業時価総額ランキングで注目すべきは、トップ10入りした企業の7つがIT企業であり、その中に中国の2社も含まれていたことだ。しかもこれらIT系企業は、NTTやIBMのような従来のインフラやスーパーコンピューターの系統ではなく、個人の力を高める系統だった。マイクロソフト、アマゾン、アップル、グーグル、フェイスブック、アリババ、テンセント。これらはまた世界をマーケットにしている企業だ。

 もう一つ大きな変化は急激な大都市化が世界で進んだことだ。1970年世界で人口1,000万人を超えたメガシティは三つしかなかった。そのうち二つは日本で、東京大都市圏と近畿圏。もう一つはニューヨークだ。1980年になってもメガシティは五つだけだった。しかし2019年ではなんと世界で1,000万人を超えているメガシティが33都市にのぼった。これは大量の若者が大都市に移住していることを意味する。現在これらのメガシティに5.7億人が生活している。大半はモビリティが高い若者だ。

 過去30年で世界はIT化、グローバル化が進み、大都市が急成長し、温暖化による地球気候の変化が起因の災害も増えた。

 ただ、本質的な変化として今日学生の皆さんに伝えたいのは、過去30年に個人のパワーが猛烈にアップしたということだ。知識へのアクセスのモビリティが瞬時に可能となり、空間的移動のモビリティも高まった。ネットワーク力も国や地域、人種を超えて高まった。

 問題は格差拡大が世界規模で起こったことだ。グローバリゼーションの中で、富の作り方が急変したために、国のパワー、都市のパワーのアップダウンが激しくなり、個人の実力がいままでなかった程問われる時代になった。

 格差に対処するために、昔、日本は富の再分配に大きな重点を置いていた。しかし今は再分配では解決できないほどの格差が生まれている。

 こうした時代を安斎さんはどうご覧になるか?

特集『ニューズウイークが見た平成』にエズラ・ボーゲル氏と周牧之との対談『ジャパンアズナンバースリー』を収録、同編集後記に『平成は日本人に「無常」を教えた』

2.バブルとは一体何だったのか


安斎:平成が始まったときは大変だった。中国では天安門事件が起きた。その半年後に東西を分けていたベルリンの壁が崩壊した。世界はどうなるんだろうというところから平成は始まった。ソ連邦の崩壊もあった。アメリカには自由主義が勝利したという意識が強かった。金融の世界でも、アメリカが自ら良しとする自由主義を、こちらにどんどん押し付けてきた。共産主義経済と資本主義経済の基本的な違いは何か。私は中国に行ってそういうことを話したりしてきた。

:安斎さんは当時、中国の金融システムの立ち上げに数多くの助言をされた。

安斎:1989年の世界企業時価総額のランキングは、ある意味、まやかしのランキングだ。1985年くらいからアメリカ経済に対して様々日本産業が勝ち進んできた。はじめはアメリカ技術を使ったモノマネだったが、その後それを超える技術革新が日本の中で進み、これによって日本の輸出が大変に大きくなった。それに恐怖を感じたアメリカが日本に対して、もっとアメリカに頼らない政策をしろと、我々に課題を課してきた。貿易収支の削減、黒字の削減、輸出の伸びを抑え、輸入を増やす等を日本に言ってきた。彼らは為替にも要求を出した。つまり円高だ。円を強くして、輸出市場での競争力を落とさせることだった。直接は言わなかったがもう一つの要求は日本の公共事業をやらせろということだった。金融超緩和と財政支出の拡大の結果起こったのは、円高だ。アメリカから日本の為替レートを強くさせられた。

 それからバブルが起こった。地価が上がった。土地を担保とする貸し出しが銀行からたくさん行われた。東京の一角の地価が、アメリカのどこかの州を超えてしまった。ニューヨークのロックフェラーのビルを日本企業が買った。アメリカにとっては恐怖だった。こうした動きを、日本銀行にいた私はおかしい、と言った。

 日本は必死になって円高にしないよう金融を緩和した。貿易収支を減らすため240兆円の公共投資をアメリカと約束した。

 金融超過で、バブルがどんどん膨らみ、1989年末をピークに株価が下がった。地価は翌々年に猛烈な勢いで下落した。1989年の世界企業時価総額のランキングは、日本の輸出競争力を抑えるために仕組まれた円高の中の数値であり、本当の実力だったとは、私は思っていない。

 スイスのバーゼルという都市で、世界11カ国の中央銀行が集まってBIS規制を論じる国際会議に私は出て、日本の金融をどうしたらいいのかを論じた。日本の銀行をどうするかという話をした。私がメンバーになったときはすでに規制が始まった。

 その規制とバブルの崩壊で、日本の金融は落ちた。1980年代に日本では実力以上のことが起こってしまった。

 平成の初めは大変な時代だと私は思った。アメリカは自分たちの主義主張を押し付けてきた。これは我々にとって耐え難いほどの金融自由化だった。莫大な数のファンドが次々出て、通貨が上がり、株価が上がり、金融のさまざまな分野がアタックされ、値段が下がれば儲かるという取引や、円が上がれば日本の競争力が落ちるといった取引も、バンバン行われた。

2008年9月19日「東京―北京フォーラム」にてスピーチする安斎隆氏。安斎隆氏と周牧之は共に同フォーラムの発足メンバー

3.アメリカに翻弄されアジア、日本が金融危機に


安斎:しかし当時、日本の方向性は見えていた。ワシントンコンセンサスというアメリカの自由が物凄い勢いで日本にくるなと予感した。日本を含めアジア諸国がアメリカに翻弄されるなら準備しておかなければならない。そんな方向性の中で起こったのが、サブプライムの問題から始まったリーマンショックだった。

 日本でも金融危機があった。1997年の北海道拓殖銀行の倒産で始まり、翌年の日本長期信用銀行の破綻で、金融システムがガタガタになった。不動産価格が半分になれば、貸出したものは戻らない。預金を集めて注ぎ込んだカネは、返せない。ここにいる学生の皆さんが生まれる前のことだろう。当時は、銀行の玄関に、自分の預金を引き出したい人が殺到して列を作った。

 長期信用銀行もその中にあった。お客様にはなるべくビルの中に入ってもらった。表からは見えない階段に列がずっと続いた。

 アメリカは1980年代にアメリカを追い越しかねなかった日本が弱くなったことで、アメリカが優っていると実感しただろう。

:アジア通貨危機も大きな衝撃となった。

安斎:1996年くらいから始まったアジア通貨危機は情況を一層悪化させた。マネージメントが悪く世界から通貨アタック受けた。タイ、マレーシア、インドネシア、韓国、翌年は日本という流れになった。私が当時予感していた動きそのものだった。加えて平成では日本に大震災が二度も起こった。

 日本の失われた時代を見ていたアメリカが有頂天になってやっていたことが、ITバブルマネーを起こし、これが少々下火になった時に9.11事件が起こった。アメリカにとっては、アルカイダの攻撃を受けた事実が、初めて国内で大危機が発生したことを意味した。イラクに攻撃をかけるため、大変な数の人命と資源を費やした。

 一方でアメリカは、国民みんなが住宅を買えるように、住宅価格が下落しない金融政策をとることにした。これがサブプライムローンと言って、低所得者にも住宅を買わせる金融政策だった。それがどんどん広がった。

 私は2007年、金融危機が来ると予見し、『日経ビジネス』誌上対談で述べた。当時、連銀の元総裁でメリルリンチ副会長、会長を歴任したアメリカの要人が私を訪問したから、「なぜ我々を批判しながら、あなた方は同じ間違いをするのだ」と申し上げた。「資本がなくなった。債務超過になっている」と私が言うと、彼は何も答えなかった。翌年リーマンショック、世界金融危機が起こった。予見されるようなことが起こったというのが私の思いだった。

:その間、所得格差、貿易不均衡、地域格差の3つの不均衡が猛烈に進んだ。

安斎:令和になって現在、グローバリゼーションの大きな流れが足踏みしている。周先生が言ったように色々なところで所得格差がおこっている。強い者、うまくいった者が所得を伸ばし、そうでない者が所得を減らす格差拡大が起きた。

 グローバリゼーションの見直しで、国と国の対峙が米中で起こり、覇権主義の部分もあれば、技術革新でも負けたくないため技術革新を相手には簡単に使わせないという争いにもなっている。世界はどうなって行くのか。現時点では暗く感じる。どう進んで行くのかは不透明だ。

早くから安斎隆氏と周牧之は日中間の政策議論を推進してきた。2004年「アジアシンポジウム」にて、上段左から福川伸次、邱暁華(中国国家統計局副局長)、加藤紘一(衆議院議員);第二段左から楊偉民(中国国家発展改革委員会計画司長)、周牧之(東京経済大学助教授)、馬建堂;(中国国有資産監督管理委員会副秘書長)第三段左から安斎隆(セブン銀行社長)、林芳正(参議院議員)、小林陽太郎(富士ゼロックス会長);下段左から横山禎徳(産業再生機構監査役)、塩崎恭久(衆議院議員)、国分良成(慶應大学教授)

4.円安政策は大失策だ


安斎:平成の、グローバリゼーションに足踏みする方向は、初めは読めなかった。しかしいずれ世界経済のかなり伸びが落ちて、国によってはマイナスになるかもしれない中で、グローバリゼーションは復活するのか。あるいは競争社会で他国を排除するのではなく、マイルドな形での競争力の調節ができるのか。

 中国には「アメリカに屈しないで、アメリカが通貨高を要求してきたらそのまま受け入れなさい」と言っています。そうすると国民の所得が上がる。国民が海外に旅行できる。良い旅行ができる。輸入したものが安く買える。中国は今まで製造業の国としてやってきた。日本はものつくりの国から非製造業以外のことをやれる絶好のチャンスを失った。その後バブル崩壊した。非製造業で働く人は今日本で5,600万人いて、製造業は1,000万人しかいない。この1,000万人の人を考えて、円高がダメだとばかり言っていてはいけない。

 中国は日本の失敗は繰り返さないと思う。妙な金融政策や財政政策は取らないだろう。関税で対峙しているのはほんの一部であり、比率的にもたいしたことはない。貿易戦争というほどのものではない。

周:安斎さんのこの話には大賛成です。平成の日本の一大失策は円安政策です。つまりルービンのドル高政策に乗った時です。

安斎:あれは大失敗だった。

:はい。安斎さんとわたしの共通の友人であった加藤紘一さんに、当時の円安政策は失敗だったのではないか、と申し上げたことがあった。加藤紘一さんは円安政策に切り替えた時の当事者だった。

安斎:自分で働いた価値は円でもらうのだから、円高の方が世界的な価値は高くなる。それが輸出産業は円高だと競争力が下がる。職員の給料が上がるから、コスト高になる。そういう発想だけで良いか悪いか決めていた。

周:妙な例えかもしれないが、円安はトヨタに乗っ取られた為替政策に見える。いやトヨタだけではなく製造業全体に乗っ取られた政策だった(笑)。

安斎:鉄鋼、電気、自動車全部だね(笑)。

:国益を自分から削ってしまった。

安斎:その通りだ。 

:もし円高政策をそのまま維持していたら、日本は投資大国、研究開発大国として、素晴らしい発明が更に沢山生まれていたかもしれない。

安斎:貯金の価値が高まり、世界に投資することができれば、旅行も安く行ける。世界の大学に行って学ぶ時の授業料も安くなる。産業だけを中心に考えるのではなく、もっと個人を中心にして政策を考えるべきだろう。

国際シンポジウム「生態文明社会建設を目指した日中協力メカニズムの形成に向けて」準備委員会共同委員長として安斎隆(セブン銀行会長)、南川秀樹(環境事務次官)、周牧之(東京経済大学教授)

5.平成の30年をどう評価するか


: 平成の30年の評価には停滞説がある。言われていることの代表は低成長、格差拡大、少子化と高齢化だ。しかし私はポジティブに評価すべきところも沢山あると思う。

 例えば東京を見ると、東京大都市圏は3,700万人で、日本全体の約三分の一の人口を抱える。個性的で多様性があり活力があり、いわゆる大都市病もかなり無くせた。まさしく世界に冠たるメガシティになった。東京の都市構造だけでなく産業構造や気質もかなり変わったと私は思っている。

 ただし、停滞説を裏付ける材料も多い。2009年に私は「日本の電子王国の崩壊」と題したコラムを書いた。このコラムには、日本の電子産業が新たな国際競争の中で相当苦戦するだろうと記した。その後あっけなくその通りになった。

 ネガティヴな話が数多くある中で、安斎さんの偉業を紹介したい。平成の始めの東京・銀座中央通りの写真を見ると、銀行の看板がたくさん写っている。現在の写真に目を移すと、銀行看板の大半は消えている。こうした変化は安斎さんのイノベーションとかかわっている。ご自身は意識されていないかも知れないが、セブン銀行のビジネスモデルはかなり革命的だと私は思う。ビジネスモデルのイノベーションだ。ATMをセブンイレブンの2万の店舗に置くことで、銀行が自前でATMを抱えなくても済むようになった。

 結果、何が起こったか。銀座の変化が顕著だ。銀座に店舗を構えていた銀行は資産バブルの処理も関係して、店舗を売りに出した。そこへ欧米資本が入って銀座が変わり、銀座を歩いている人たちも変わった。いまや銀座で一番買い物しているのは中国人になった。変化していないとされる日本の中での大きな変化として、銀座の姿は象徴的だ。30年前とは大きく変わった。

 森ビルが作成した「世界の都市総合力ランキング」は、世界40都市を取り出して、その国際性などを評価している。総合4番目だった東京は最近パリを超えて3番目になった。これは何を意味するか。日本の電子王国は崩壊したが、東京の国際都市としてのパフォーマンスは良くなっている。住んでいる人間も増えている。大都市病も気にならなくなっている。国際化は安斎さんから見るとまだまだでも、やはり急激に進んでいる。こうしたことも評価すべきではないか。

2013年6月12日、衆議院第一議員会館で開催の国際シンポジウム「生態文明社会建設を目指した日中協力メカニズムの形成に向けて」レセプションにて乾杯の音頭をとる安斎隆氏

安斎:森ビルの評価だから、高層ビルが建ったか否かで評価しているのかもしれない(笑)。日本の金融システムは、パリよりは上だと思うが、香港、シンガポールはもっとすごい。 

:日本の金融に関しては私もネガティブだ。

安斎:金融だけではない。国民の貯蓄を海外と比べると、日本は世界一だ。にもかかわらず、飛び込んできた金を使い切れていない。

 学生の皆さんには、世界のGDPではなく、ハピネスの度合いがどうなっているかを見てほしい。これだけ国債を発行している日本は、今後予想外なことになるかもしれない。そのことが原因で結婚意欲がなくなることも起きている。

 通勤通学の利でみれば、上海は東京より地下鉄が伸びた。地下鉄だけでなく私鉄を含めれば東京の発展は著しい。逆にいうと自家用車で通う人にとって東京は不便だ。君たちの学生の満足を知りたい。例えば、通学するとき東京経済大学は都心と反対方向だから空いている。都心にある学校の学生は、サラリーマンと一緒にラッシュを我慢している。GDPばかりを考えるのではなく生活上の満足度を考えるのが大切だ。

 私の前職場は丸の内にあり、数多くのビルが立ち並んでいる。しかし冬場になると、ものすごく暗い街になる。ビルが林立して光が当たらないからだ。我々のビルは皇居の前をちょっと入ったところで光が当たるからまだ幸運だ。

 ビルの20階以上で働くのは優越感を得られるというが、20年から50年もの長い間高層ビルで働き続ける人には健康上の問題は起きないかと疑問もある。

 森ビルの森社長は、ビルを地下に入れようとしていた。地下であれば揺れがないので、地震の影響も受けないと言っておられた。

:森ビル創業者の森稔さんとは私も親しくさせていただいた。私も「中国都市総合発展指標」という都市を評価する指標を作っている。東京という都市の成績の良さを、私は認めたい。東京はぎゅうぎゅう詰め、とはいえ、あまり問題を起こさずに多様なファンクションを持っている。こうした都市は世界にあまり例がない。私は10年前にアメリカ・ボストンに2年間住んだ。研究者と話をするにはボストンで出来るが、政治的な話をするにはワシントン、金融の話をするならニューヨークにいく必要があった。一方の東京では、安斎先生の丸の内のオフィスで朝食会をやろうと思えば、研究者も政治家も官僚も経済人も皆すぐに集まれる便利さがある。8時から10時まで議論し、その後各々仕事場に戻ればいい。こんな便利な街は世界になかなかない。

2010年10月1日東京経済大学創立110周年記念シンポジウムにて、左から高木勇樹(元農林水産事務次官)、安斎隆(セブン銀行会長)、杉本和行(前財務事務次官)、胡存智(中国国土資源部総計画師)、楊偉民(中国国家発展和改革委員会秘書長)、周牧之(東京経済大学教授)

6.原発事故はなぜ起こったか


安斎:東京が本当に問われるのは、直下型の大地震が起こった時にどうなるのかだ。これだけ機能が集中しているのは如何なものか。自分の世代だけでなく将来世代のために我々は災害時のことを頭に置いておかなければならない。

周:安斎さんは日銀のシステムを作った方だ。バックアップのことをいつも考えておられる。私は経済学者だが、元の専攻はシステム工学だ。バックアップの必要性を充分理解している。しかし、現実社会ではバックアップばかり考えると現在のシステムはダメージを受けることも多いにあると思う。 

安斎:アメリカは必ずA案、B案を考えて用意している。これが危機管理だ。これをバックアップというかどうかは別だが、世界で生きていくには想定外ということを考えなければならない。日本は想定外の原発事故が起きた。第二の案を必ず用意しておくことが重要だ。

:その通りだ。原発事故が起きた時に私は中国にいて、より大規模な被害もありえたところだった、と感じた。神様に守られている国と言ってもいい程にしのいだ。安斎先生のおっしゃるバックアップのない日本の政治経済社会がどれほど大変なことになるのかがわかる大事故だった。

安斎:私は福島県の出身だ。原発事故の現場とはちょっと離れているが、県の真ん中で生まれた。あの地震による原発事故は予想外だった。事故二週間後に、ふるさとを思う心を文藝春秋に原稿を書いてくれと言われ、2011年6月号に書いた。バックアップ用の自家発電装置は地上の別の場所に作るべきであった。なぜ山の上に作らなかったのか。もし山の上に作っていたら、エネルギー供給は安定し、あの原発事故も起きなかったことがわかっていたはずだ。これに対する答えが、経済産業省、政府からは無い。調べていて、アメリカで原発が始まり、アメリカのものをそのまま受け入れてきたことがわかった。アメリカの一番の問題は、トルネードだ。地上にあるものが全部吹き飛ばされる。トルネード対応で地下発電を選び、地下の設計をした。それをそのまま日本に持ってきて建てたのでは無いか。そう原稿に書いたが、経済産業省、東京電力から異論が全くでない。反論が出ているのを抑える考えからか、あるいは原子力発電が危険だとなり拡張ができなくなるのを恐れてのことなのか?

:地震列島に建てる原発の安全性について真剣な議論がなかったゆえだろう。

安斎:学生の皆さんには、自然災害の危機と、人災があることをご存知だろう。自然災害がおこったら直ちに人命優先で救助しなければならない。人災はなぜ起こるか。分かっていることを先送りするから起きる。私の生きている間は何も起きないだろう、カネがかかるから後回しにしよう、と放っておくから人災が起きる。

 皆さんは問題を先送りしないことが大切だ。直ちに対応することが大切だ。仕事でも会社経営でも家庭の問題も同様だ。夫婦間も問題が起きたら議論して対応する。先送りをしてはいけない。

:私はマサチューセッツ工科大学(MIT)で、同僚と原発について随分議論した。原発について、基本的に慎重だ。元はシステムエンジニア出身の私は、人間は所詮原子力には勝てないと分かっている。また原発事故の被害はあまりにも大きく、このリスクを負う必要はないと思う。3.11原発事故でこうした考えが現実となった。

 東日本大震災の原発事故を受け、ドイツは逸早く原発ゼロ政策を打ち出した。しかし当の日本はなぜ原発を止められないのか?

安斎:まさにそこだ。電力供給ができないからだと言うが、実はできる。その点はまあまあやあやあでやる日本の官僚組織の問題もあるだろう。真の責任意識を為政者が持って進めなければいけない。

 自分のことを言えば、両親が貧しい中、私を大学にいかせてくれた。その後故郷になんの孝行もしないで私は東京で安穏とした生活を送ってきた。親父が作った米が東京に供給され、食べてこられた東京の人たちが、こうしたことをわからないはずはない。金をやる話だけでは福島の将来はない。福島も自らどういう生き方をするのかを考えることだ。国からの賠償金だけを頼りにしていたら、子供達もきちんと育たない。自らの生き方を県民と市町村とで考えていくしかない。一心不乱に、自前で考えて、進めていくことが肝要だ。

2012年3月24日、北京で開催の国際シンポジウム「中国の生活革命と日本の魅力の再発見」にてスピーチする安斎隆氏。安斎隆氏と周牧之は共に早くから生活文化産業における日中交流を提唱

7.平成における日中関係


安斎:中国が天安門事件のとき、世界の中国への態度は冷たいものに変わった。鄧小平が1970年代から主張していた「自由主義社会と仲良くする」が全然なされておらず当てが外れたと世界は感じた。その中で真っ先に日本は、「それは良くない。隣国の中国に、まともに生きていってもらわないと困る」ということで交流をいち早く再開した。1992年には平成天皇が訪中し、過去の日本が中国にしたことを晩餐会の席上、謝った。平成天皇の中国訪問が中国を勇気付け、世界に発信され、日本が中国を世界の市場に入れる流れを作った。そういう意味では、平成天皇が歴史を踏まえて日中戦争を詫びた素晴らしい訪中だった。私もちょうど中国に行っている最中だった。当時私は中国には四半期に一度は行っていた。

:平成の中国と日本の関係は、三つの波があった。最初の良い波は、天皇訪中だった。その次は、10年前の金融危機後で、日米の中国に対する視線が変わった。日本の若い人たちも中国への夢を抱いてたくさん中国へ行った。人も企業も中国を舞台に仕事を展開した。3番目の波は現在だ。2018年838万人の中国人が日本に観光で訪れた。平成のはじめの頃は誰も考えていなかったことだ。来年は1,000万人を超える中国人が日本を訪れるかもしれない。しかもみんな良い印象を持って中国に帰り、再訪するだろう。これによって日中関係も本質的に変わるだろう。

安斎:そんなに甘くない。

:セブン銀行は相当儲かる。

安斎:いやいや(笑)。日本と中国は変わったようで変わらない。根底にあるのは、我々は稲作農民であるということだ。春は田んぼに水を引き、秋には収穫する。何年でも同じ田で同じことをくりかえし、同じようにコメができる。モンスーン地帯は、川が運んだ泥の真ん中に溝を掘ると小さな川になり、両サイドは田んぼになる。ところがヨーロッパは、小麦、大麦、じゃがいも。これは毎年同じ土地では作れない。三年くらいで植える場所を変える必要がある。これは大変な負担だ。ヨーロッパは石で、中東は砂だ。石の文明でヨーロッパは何千年の歴史の中で土地を開拓し、苦労している。しかも小麦もジャガイモも三年くらいで大きく計画を変えながら進める必要がある。

:日本の里山の風景は、私のふるさと中国湖南省の田園風景と変わらない。

安斎: 天皇制も同様だ。大化の改新以降、先の戦争で掌握者に一時期利用されたことはあったが、象徴天皇が引き継がれた。中国は皇帝制ともいえるのではないか。今の中国共産党は、私は変わらないと思う。国家主席という皇帝がいる。中国の国民は、共産党一党独裁は制約があるものの良いと思っていると聞く。日本の天皇制も今日、国民の7割が支持している。アメリカの大統領はといえば、変えることができる。日本と中国は、双方ともアジアモンスーン、米作を主とする文化は基本的に本質的に変わらない。

:長い歴史の中で作られてきた封建制、郡県制といった政治システムはそう簡単には根本的に変えられない。近代的なコンセプトを徐々に入れて改革していくほかない。毛沢東も晩年、自分は中国の政治システムをそれほど変えられなかった、と言っていた。

安斎:ところで、これからの米中はどうなるのか。

:2018年12月、安斎先生と日経の年末エコノミスト懇親会に行った時に、安倍首相が言った話が面白かった。「2019年は予測不可能だ。なぜならアメリカと中国の喧嘩の行方が予測できないから。どうせ予測できないのだから、皆さんは明るく年越しをしてください」と挨拶した(笑)。

2018年7月19日「『中国都市ランキング−中国都市総合発展指標』出版記念パーティ」にて、乾杯の音頭をとる安斎隆氏

8.自分で考え、自分で物を言おう


:今後30年について展望していただき、学生へのメッセージをお願いしたい。

安斎:こうした時代に生きる学生さんに申し上げたいのは、先生から言われたことを暗記する時代は終わった、ということだ。私は東洋大学の入学式で学生に「これからは自分で考え、自分で物を言おう。一方向だけの理論を聞いてそれを暗記するという時代は終わった。いつでもどこでも考えを巡らすだけで相当違ってくる」と言っている。自分で考えることによって、皆さんが強い人間になってくれると私は考えている。18歳、19歳は自分で物を考えることができるかどうかに関わる一番大切な時期だと、私は自分の経験から思う。

 私は田舎で育って、高等学校時代、本当に勉強しなかった。大学に入ってこれはいかんと思い、18、19歳の時に、講義よりは自分で本を探し、自分で考えた。私は法律が専攻で、生意気なことをいうが大学3年で司法試験に受かったが、あれは暗記だから誰でも受かる。司法試験を通ったって社会人になってからあまり役にも立たない。それよりは自分で考えることが重要だ。孤独の中で、自分で考える習慣をつけることを若い人に薦めたい。大学生のとき先生に叱られた。「おい安斎、おまえはおれに質問することばかり頭のなかで考えているだろうが、おれが喋ることを聞け」。私の自分で考える習慣は、社会人になってからも続き、人の話を聴きながらどこで反論するかばかり考えていた。

:大学では思考力を養うことが大事だ。

安斎:「強い人間であれ、自ら生きる力をもて」と言いたい。生きる力はどこから出てくるかと言えば毎朝の通学通勤電車の中で自ら考えることから出てくる。例えば、周先生の言ったことに疑問を持つ。こういう考え方は成り立たないのか、と自分なりに考えてみる。いつでもそういう気持ちでやっていく。こうではないかと考えることを習慣づけることだ。

 記憶する力も皆さんに蓄えて欲しい。私の経験ではスマホで見たことは、なかなか頭に入ってこない。スマホは事柄の全体感を掴むのは早くて便利だが、一つ一つの記憶としては頭に溜まりにくい。

:書くことが大切だ。私の講義ではメモ力、レポート力を鍛えることを重視している。

安斎:じっくり考えることは自分で書き込むことによってできる。本や新聞に直接赤線を引きながら読んだら頭に入る。人間の脳はそうなっている。注意書きを入れながら本を読んだ経験を思い起こせばわかるだろう。

 実際考えることだ。小・中学生は先生の言ったことを暗記することが重要だ。高校生からは暗記もしつつ頭を切り替えて自分で考えることも怠らないことだ。

:思考力はこれからの最大の武器になるとの安斎先生の言葉を心して受け止めてほしい。

安斎:学生のみなさんは自分の能力をここまであげるという目標を立て、精一杯努力し、達成に向かって進むこと。これを繰り返すことだ。大学に入ればそれで目標達成だというのは違う。就職できたから目標が達成できた、ということでもない。努力、そして考える努力は一生涯つきまとう。そのために強い人間になることだ。

 「へこたれない人間になれ、へこたれないことに喜びを感じる人間になって欲しい」。これが皆さんに対するメッセージだ。

:たくさんご教授いただき、ありがとうございました。

(※肩書きは各イベント開催当時)


プロフィール

安斎 隆

東洋大学理事長、セブン銀行元会長

1941年生まれ。1963年日本銀行入行。新潟支店長、電算情報局長、経営管理局長、考査局長を経て1994年理事。アジア通貨危機に直面しアジア各国を奔走。1998年日本長期信用銀行頭取。2000年イトーヨーカ堂顧問、2001年アイワイバンク銀行(現セブン銀行)代表取締役社長。全国に24,000台超のATMサービスを実現。セブン銀行会長を経て2018年より現職。

【ディスカッション】竹中平蔵・大西隆・黒川清・周牧之:世界経済を支える東アジア経済圏の成長

上海・東京グローバル・コンファレンス


編集ノート:
リーマンショックの直後、中国成長への期待が高まる中で開かれた「上海・東京グローバルコンファレンス」で竹中平蔵氏をモデレーターに、大西隆氏、黒川清氏、周牧之氏がアジアの課題と将来について議論した。10数年前に「世界のパラダイムシフト」「大都市の時代」「都市の魅力」「アントレプレナーシップ」「アジアの活力」「中国からエネルギーを」「グローバルコミュニティに積極的に参加」などのキーワードで語られた内容を、今日再読すると、日本と中国の変化と変わらないところが鮮明に浮き上がる。


日時:2009年11月18日開催

モデレーター:
竹中平蔵 
アカデミーヒルズ理事長、慶應義塾大学教授

パネリスト:

大西隆 東京大学教授
黒川清 政策研究大学院大学教授
周牧之 東京経済大学教授

※肩書きは2009年当時


1.日本と中国のパートナーシップのカギは“都市”


竹中平蔵 アカデミーヒルズ理事長/慶應義塾大学教授

竹中平蔵:きょうお集まりのパネリストの皆さんは、それぞれバックグラウンドの分野が違う先生方です。したがって、あえて厳格に問題設定せずに、最初にお一方5分ずつ、東アジアの交流の問題、ないしは上海・東京の都市問題にどのような視点をお持ちかということを話していただこうと思います。

大西隆:私は都市工学という分野の人間です。「アジアの時代が来る」「都市の時代だ」とよく言われますが、私は地域を見るときに「いろいろな活動の総和は、ある程度人口で代弁される」と思っているので、最初に人口に着目します。

 ご承知のように、アジアの人口は今世界で一番シェアが高くなっています。一方、都市人口を見てみると、第二次大戦直後は欧米で5割以上。つまり世界の都市に住んでいる人のうちの半分以上は北アメリカとヨーロッパの都市にいたのです。

 100年後の2050年、約54%はアジアの都市に住むと予想されています。アフリカの都市には約19%が住み、アジア、アフリカに世界の都市人口の70%以上が住むことになる、欧米の都市人口は15%ぐらいにシェアが下がるというのです。

 一概に人口だけではいえませんが、そこが文明や経済活動の中心になる可能性が大きいということを考えると、まさに「アジアの時代」という気がします。アジアは東アジアだけではなく、インドを中心とする南アジアも東南アジアもそうです。アジアの南から東までの一帯が次代に重要な役割を果たすようになってくると考えています。

 その中で、中国と日本です。中国は「第11次5カ年計画」で初めてメガロポリスという言葉を使い、「大都市が中国にとって大事だ」と述べています。つまり、都市の力を中国全体が評価し始めたのです。

 中国は「一人っ子政策」で人口はあまり増えないと言われていますが、都市人口は非常に増えていくとされています。ざっと30年ぐらいの間に都市人口が4億人ぐらい増えるのではないかと言われているのです。

 世界で一番大きな都市は、実は東京です。この大都市をつくるため、我々は公共交通の仕組み、土地の使い方など効率的に都市を組み立てていくノウハウを蓄積してきました。私は、これが中国の参考になると考え、大学の中で交流をしているのです。

 一方、人口が減ってきている日本にとって、若い中国のパワーを受け止めて、それを日本社会に新しい流れとして還元していける面もあります。日本と中国はパートナーとして、お互いに都市を舞台にして吸収していく点があると、非常に関心を持っています。

2.技術大国日本の問題は、海外に出て行かないこと


黒川清:10年ぐらい前までは、国際的枠組みは「インターナショナル」と言っていたのですが、最近は「グローバル」と言うようになりました。なぜでしょう。

 リーマン・ショックの一件でもわかるように、ファイナンスは国境がなくなってしまいました。サイエンスにも、企業にも国境はありません。多くの人が世界を意識し始め、NGOがたくさん登場しています。さらに社会起業家たちが出てきて、国境なく連携しています。

 日本はまだ世界2番目の経済大国です(2009年現在)。私は先日、APECに行ってきました。シンガポール政府が呼んでくれたもので、日本の政府が私に要請したわけではありません。こういうとき、私以外、日本人が一人もいないことが多いので、日本のプレゼンスのためにガンガン、ディベートをしてくるのです。

 APECでは、鳩山総理が2日目の最後にスピーチをしましたが、日本のビジネスマンがどのぐらいいたかというと、私が会ったのはたった4人です。中国の企業人は全部で400~500人いたと思います。そういう場に日本人がなぜ出ていかないのか、私にはわかりません。

黒川清 政策研究大学院大学教授

 2010年は日本がAPECのホストです。だから、「アジェンダ設定をして旗を揚げよう」と経産省などと話しています。日本には環境技術や材料化学、クリーンエネルギーなど、いろいろな強みがあります。でも、世界の成長している場所に、日本人は出ていません。

 この1カ月前には、インドでクリーンエネルギーのポテンシャルについて話しました。ここには日本の企業人が結構いましたが、プレゼンに迫力がありませんでした。聴衆の心を射止めていないのです。

 インドは10億の人がいて、これから数%ずつ、10年間ずっと成長します。しかし日本のビジネス関係者はインド全体で何人いると思いますか? たった3,300人です。売る物があるのなら、社内だけで言っていたってしょうがないのに海外に出ていっていない。

 技術力が素晴らしい日本に期待している人は海外にたくさんいます。その需要にどうやってデリバーするかが問題です。海外の滞在経験がある日本人は多いけれど、世界で勝負できる人はなかなかいません。相手とどういうパートナーを組めばいいかを知るには、相手国から期待されていることを感覚的にわかっていなければなりません。

 アメリカ、インドなど多くの企業人たちがグローバルにつながりながら、アジアの成長地点に拠点を移してきている状況で、そこに日本が出遅れているというのはものすごい損失だと思っています。

3.中国はエネルギーを制度改革、都市改革へむけよ


周牧之:1990年、上海の浦東開発区を訪ねたことがあります。当時東京から行った日本人の皆さんも、同行した北京の中央政府の面々も、 浦東開発の大きな夢が成功する、実現するとはあまり信じていませんでした。

 ところがふたを開けてみると、想像をはるかに超えた成長、発展が実現できました。冷戦後の20年、IT革命、市場化、グローバリゼーションなど、完全に世界のパラダイムは変わりました。パラダイムが変わったからこそ、中国は改革・開放をしてそのパラダイムに必死に合わせようと努力したのです。その結果が今日の成長です。

周牧之 東京経済大学教授

 この20年ずっと私は中国での政策調査、地域計画に携わってきました。90年代の半ばから、中国政府に都市化政策のガイドラインをつくるように頼まれ、中国と日本の両国政府がからんだ数年がかりの大きな計画調査もやりました。

 こうした調査の責任者として私は、3つのことを中国政府に提言しました。1つは、中国に都市の時代が到来したことを告げ、長江デルタ、珠江デルタ、そして環渤海地域に、3つの「メガロポリス」が形成され、そこに中国の経済、人口は集約していくだろうから、これに関心を払わなければいけないと強調しました。

 2つ目は、農村からたくさんの人が都市にやってくること。中国の戸籍制度は、都市に入ってくる人たちを規制していますが、都市でこうした人々を温かく受け入れるシステムをつくっていく必要がある。社会保障システムと合わせて、戸籍制度の改革をやるべきだと提言しました。

 3つ目は、来るべき自動車社会にきちんと対応しなければいけないということ。そして大規模高密度の社会をつくるには、きちんとしたコンセプトが必要だと言ったのです。

 中国政府は1つ目に対して、すばやく反応しました。第11次5カ年計画をつくるに当たって政策担当者は我々と議論を繰り返し、「メガロポリス政策」を大胆に打ち出したのです。ただし、2つ目の戸籍制度の改革は依然としてあまり進んでいません。数にして億単位もの出稼ぎの人たちは、今も大きな制度的制約を受けています。

 3つ目の自動車社会の話に対しては、当時は耳を傾ける人はほとんどいませんでした。みんな自動車社会なんて遠い将来だと思っていたのです。しかし、SARSを機にあっという間に自動車社会が中国に到来し、都市の生活を一変させました。いまや大都市では渋滞、長時間通勤、交通事故など、さまざまな弊害が顕在化しています。

 中国が持っているエネルギーをこれからさらに制度改革、都市改革にもっていかなければいけない時代になってきたのです。

中国都市化政策に関する日中共同調査報告書とメガロポリス戦略イメージ図

4.日本社会がアジアと伍していくには、言葉の問題解決が不可欠


竹中平蔵:ここまで、都市工学の専門家、医療及び医療政策の専門家、日中の経済社会問題の専門家と、違う立場からご発言いただきましたが、そこに共通点がありました。

 グローバル化の中で、アジアと中国のダイナミズムに大いに注目すること。その中で都市の時代、都市のダイナミズムを見直すこと。そして、先見の明を持ち、個々人がアントレプレナーシップ(起業家精神)を持たなければいけないということです。

 大西さんのキーワードは、「都市の人口に注目」「中国の若い力、若い活力を取り込んでいく」ことでした。黒川さんは、「グローバルコミュニティにおいて積極的に参加していく姿勢と、戦いながら前に向かっていく姿勢が必要だ」と言われました。周さんは、「世界のパラダイムシフトの中に私たちはいる」という趣旨で、中国の都市問題に対する姿勢について話されました。

 議論の入り口として、「アジアの活力」とともに、「アジアの弱点」をいかに解決していくかをお話いただけませんでしょうか。

周牧之:「アジアの活力」には2つあると思います。1つは改革で、パラダイムシフトに合わせた改革をやったということです。日本の場合、パラダイムシフトを迎えたときに最頂点にいました。成功体験にずっと甘んじてきたのです。改革そのものを好まない風潮が強く、かつて竹中先生が改革を進めたときにも、ものすごい抵抗があったのです。

 中国の場合、パラダイムシフトを迎えたとき、すでに計画経済が行き詰り、どん底にありました。だから一所懸命時代の変化に合わせて今日に至った。これが1つ目の活力です。

会場の様子

 もう1つの活力は起業家精神です。現在の中国経済の発展を支えている企業の大半は、この20年間に誕生したものです。もしくは20年以上前に誕生していたとしても、当時は取るに足らない存在にすぎなかった。この20年間、一所懸命、パラダイムシフトに合わせてビジネスモデル、企業価値、世界との接点をつくってきたのです。

 日本の場合、この20年間に世界的な企業になった会社はほとんど出てきませんでした。なぜ日本の改革精神、創業者精神が失われたのか、真面目に考えなければいけないと思います。

大西隆:私の研究室は2つに分かれていて、1つは「国際都市計画・地域計画研究室」という日本人学生と留学生を中心とした従来の研究室です。もう1つは社会人の大学院です。

 前者のメンバーの半分以上は外国人で、多いのはやはりアジア人です。そこでは10年ぐらい前から、研究室の公用語を英語にしようと、英語で会議をやっています。

 日本社会がアジアと伍していくには、言葉の問題を解決する必要があります。特に研究者や第一線で活躍する人が、結果的に英語になると思いますが共通語を設定し、コミュニケートする習慣をつくっていくことが必要です。

 研究室を運営していて、一番悩むのは卒業時です。文科省は「日本で教育を受けた人は、その成果を自分の国を育てるのに使ってください」という考えです。しかし、卒業後も日本で働きたい留学生に門戸を開き、また英語が中心言語という大学院卒業生を受け入れることを前提として社会を再構築することが必要だと思っています。

5.日本人には「世界市場を制覇する!」という意志がない


黒川清:日本には素晴らしいところがたくさんあります。しかし弱いところも認識し、どうするかを考えるべきです。グローバル化はものすごい勢いで進んでいるので、弱いところをゆっくり克服しようとしてもスピードに追い付きません。

 一番いい例が携帯電話です。毎日、世界で約300万台が売れ、23億人が携帯電話にアクセスしています。毎日売れている300万台のうち、2009年11月現在、約37%がノキアです。2番目はサムソンで約20%。3位はLG、その次がモトローラです。日本企業はというと、5位にソニーエリクソンが入っていますがシェアは減少傾向です。日本の携帯電話メーカーのシェアは4%ぐらいですが、機能は一番いいんです。

 日本の弱さは、最初から世界のマーケットをとろうと思っていないことです。世界をとるためには、さまざまな障害を乗り越える発想を持たなければなりません。マニュファクチャリングのエンジニアはいいが、エンジニアが必ずしもいい経営者とは限らない。つまり、強さと弱さをしっかり認識することです。

黒川清 政策研究大学院大学教授

 もう1つ例を挙げます。「味千(あじせん)」という熊本のラーメン屋は、今や世界的なブランドになっていて、海外に約400店舗、日本に約100店舗あります。これほど成長する前のこと、中国のある女性経営者が味千のラーメンを気に入り、中国で出店するライセンス契約を結びました。彼女はすぐに香港で上場して、中国で次々と店舗を広げていったのです。

 彼女は中国で約300店舗出していて、味千の海外店400店舗のうち300店舗は彼女が広げた店です。一般に日本人は、よい味をさらに深めていこうと、どんどん深く掘っていきます。それは日本のいいところですが、横に広げることを忘れているのです。

 アントレプレナーシップは日本語で「進取の気性」です。ビジネスだけでなく、大学でも役所でも、進取の気性に溢れている人が少なくなったようです。みんな指示待ちで、上から言われたことに対して「それは違うんじゃないか」と言える人たちがあまりにも少なくなっています。

竹中平蔵:日本の携帯技術はよく「ガラパゴス」と言われます。地上波デジタルテレビも実はガラパゴスでしたが、私が総務大臣のときにブラジルに働きかけて、ブラジルで採用されました。そうしたらチリ、アルゼンチン、ベネズエラに広がったのです。でも、ブラジルに実際に出ている企業は圧倒的に韓国なんです。日本の企業はどこか腰が引けています。

6.東京と上海の間でスムーズに行き来できる環境を整えよ


竹中平蔵:日本が発展したのは「変化したからだ」と、みんな言います。また「中国の変化の速度がすごい」とも言います。一方でアメリカからは「中国も日本も輸出依存で、内需に依存していない。アジアは変化がない」という批判もあります。

 そこで、「変化」をキーワードにして、東京、上海のことを知り尽くした皆さんに、都市の問題、ないしは都市生活の問題の変われる力・変われないもどかしさ、そういう問題提起をしていただきたいと思います。

黒川清:味千の話ですが、中国の女性経営者の年商はおそらく300~400億円です。彼女は「あと2年で倍にする」と言っています。この「やってやろう」が大事なんですよ。日本にはそういう人があまりいない。文句ばかり言っていないで、どんどんやればいいと思います。

大西隆:上海市中心の人口は大体1,000万人ぐらいの規模で、東京ほど大きくありません。けれど先ほどお話した戸籍問題が解禁になれば、農村にいる人が都市圏にドッと流れてきます。大都市化時代がこれから中国に起こってくるわけです。

 これからは都市を充実させるとか、人々の生活レベルを上げていくことに投資されるようになるでしょう。上海でも「内面をどう充実させていくか」という街づくりの時代がこれから始まると思います。もしかしたら、もう始まっているかもしれません。

 現在では、情報は瞬時に世界中に広まるので、皆、同時に同じことが必要だと気がついて、それをどう消化するかという時代になっています。環境に優しい街をどうつくっていくのかなど、街づくりに関しても同様だと思います。

周牧之:上海と東京を考えるとき、まず認識しなければいけないのは、これまで東京と上海の大都市圏が、お互いの国を背負っているということです。要するに、国の成長センターです。これからは、東京の皆さんは上海を視野に入れてビジネスをする、上海の皆さんも東京を見据えてビジネスをする、そうすることで全く違う世界を描けるのです。上海と東京はアジアの成長センターに変貌していくでしょう。

 ただし、そのためには東京と上海の間でスムーズに行き来できる環境を整えなければなりません。羽田と虹橋という2つの国内空港を東京—上海間の国際線で利用することによって、上海と東京との間のビジネス環境は一挙に改善されました。これは大いに評価できます。

 ただ、中国から来た人が羽田や成田のイミグレーションで指紋をとられるのは、時代に逆行しています。人や物のスムーズな往来を準国内的にできるように、制度を変えていくことが必要でしょう。

7.世界における日本の“存在感のなさ”を解消するには?


竹中平蔵:大西さんは「アジアの都市人口増」に対して、一体私たちは何をすべきだとお考えですか。そして「中国の若い活力をもっと日本が取り込む」ために、具体的に私たちは何をすればいいのでしょうか。

大西隆:先ほど周さんは、「中国で『メガロポリス』という言葉が使われている」とおっしゃいました。中国全体の人口は増えないのに、都市に住む人が増えるので、それを受け止めていくことに必死なわけです。

会場の様子、左から竹中平蔵氏、黒川清氏、周牧之氏、大西隆氏

 大事なことは都市間のネットワークです。中国は急速に通勤社会になっています。拠点をいかに結んでいくか、あるいは住宅と職場をどう結んでいくかという交通のネットワークをつくっていくことが大きな課題です。これは、日本の都市技術が大いに貢献できる分野だと思います。

 「中国からエネルギーをもらう」という意味では、日本の大学がもっと中国やアジアの方を受け入れて、ある種の多民族社会を大学からつくっていくことです。長い期間を経て日本に定着していくと思いますが、そういう流れをつくることが大事だと思います。

竹中平蔵:黒川さんの「日本のビジネスのプレゼンスが世界的にない」という話は、ダボス会議などに出ても強く感じます。その危惧を経団連に何度申し上げても、のれんに腕押しなんです。それに対してどうすればいいのか、黒川さんはどうお考えですか。

黒川清:日本国内の理屈ばかりではだめです。「相手から見た日本」を全く見ず、日本の都合でみんなやっているのです。役所も企業もそうなので、ぜひ変えてもらいたい。

 今までの年功序列、男性中心社会では変わりません。私は大学も企業も政治も、責任あるポストは50歳以下の人にしてほしいと思っています。トップが60歳を過ぎていたら、変えるエネルギーは生まれてこない。

 ケンブリッジ大学のトップはアリソン・リチャードという女性です。マサチューセッツ工科大学は、イエール大学から引っ張ってきたスーザン・ホックフィールドという女性が学長です。ブラウン大学もシアトルから黒人女性のルース・シモンズを迎えています。一方、日本は89の国立大学で、女性がトップなのはお茶の水女子大学だけです。

 私のブログは日本語と英語、2つあります。メールの返事は基本的に英語です。みなさん、日本語で話している限りは“日本の中にいる”ということをぜひ認識してください。もし英語の習得に乗り遅れたと思っているなら、中国語を勉強した方がいいと思います。

8.提言~世界のパラダイムシフトに対応するために~


竹中平蔵:例えばビザの話も法務省に対して経済財政諮問会議でいくら言っても、「ごもっともです」で終わりなんです。つまり、何か問題が起こったら責任をとるのが嫌だから、「安全上の問題がある」とかなんとか理由をつけて拒む。

 そこをどう突破するかは一人ひとりが議論しなければいけません。日本では一般的に権力が分散されているので、非常に我慢強くやらなければなりません。誤解を招くかもしれませんが、変人と思われるぐらい一所懸命執着しないと、1つのことすら達成できないのです。

 周さん、日中両国の交流という観点に加えて、世界のパラダイムシフトに対応していくために、何か具体的な提言がありますか。

周牧之:私は日本の教育のシステムや研究施設が、中国やアジアの皆さんになぜもっと利用されないのかが気になっています。少なくとも、東京はアジアの教育のハブになれます。ただ、言葉の問題があります。それから留学生に対して、これからは「日本で活躍してもらおう」との方針で環境を整えていかないといけません。 私は、アジアの将来は留学経験者たちの手でつくり出されるのではないかと思うのです。

 さらに、日本社会も以心伝心のコミュニケーションから、外国人にも通じるコミュニケーションのスタイルに変えていかないといけない。それが確立された日に、東京は本当の意味での世界都市になるでしょう。

会場からの質問:東京がもっと魅力的な都市でなければ、外国の方々を受け入れるのも恥ずかしいし、海外へ出て行く日本人も信用されないと思います。この点について、ご意見をいただけますか。

黒川清:大学では学部生をどんどん海外に行かせ、海外からは学生を来させています。また2年ぐらい前から、沖縄で15、6歳のアジアと日本の学生に合同合宿をさせています。ここで培ったネットワークこそが、ナショナルセキュリティの根幹です。

 全ての大学が「毎年200人出て行かせ、200人海外から来てもらう」となれば、街もどんどん明るく魅力的になってくると思いますね。

大西隆:私は今までに数十人の留学生を研究室で受け入れましたが、途中で、「日本は嫌だ、帰りたい」と言った人はいません。だから日本の魅力はあると思うのです。

会場の様子

 ただ、非常に気になっていることは、例えば日本の学生が中国や韓国の学生と同じ数だけ行き来しているかというと、やっぱり偏っているわけです。そこは今欠けている大事なステップだと思っています。

周牧之:街の魅力はますます大事になってきます。アメリカでは非常にいいプログラムを持っている大学でも、魅力ある都市に立地していない場合が多いです。そういう大学は、最近は奨学金を出しても、「ニューヨークがいい」などという優秀な海外の学生に逃げられてしまうのです。「魅力のある都市だからこそ、人が集められる」という視点が大事です。

会場からの質問:マスコミや今世の中を牛耳っている世代が、「変化」の抵抗勢力になっている気がします。この人たちを変えるためには、何をしたらいいのでしょうか。

黒川清:将来があるのは若い人だから、抵抗勢力にいくら言ったって理解しませんよ。できない理由ばかり言うから。やはり若い人のネットワークを横に広げること。そうしないと5年10年先、変わらないですよ。私はそれが一番気になっているのです。

竹中平蔵:やや否定的なことを言うならば、10年前、「今の若手が育てば、10年後は変わる」と言われていました。その10年前も同じことを言っていたんです。つまり、歳をとるとみんな変わってしまい、保守的になってしまう。これはみなさんの組織でも、思い当たるでしょう?(笑)

 結局、みんな中間管理職みたいないい子になってしまっているのです。保身のためだけにやっていて、そこが変わらないことが問題なのです。若い人の交流は必要ですが、それだけですべてが解決するとは思えません。一人ひとりが志の原点に帰ることがないと難しいのではないかと思います。

9.グローバル・アジェンダの解決には、私たちの関与が必要


竹中平蔵:最後に、みなさんから一言ずつお願いします。

黒川清:「変わろう」という人が、各レイヤーにいなさすぎます。進取の気性の溢れる社会という意味でのアントレプルナーシップが大事です。今週(2009年11月16日~23日)はグローバル・アントレプレナーシップ・ウィークです。「Global Entrepreneurship Week/JAPAN」というウェブサイトを見てください。さまざまなプログラムをやっています。

大西隆:日本と中国で一番大きな変化は「ビジット・ジャパン・キャンペーン」に乗って、訪日外国人、中国人が増えているということです。来年(2010年)までに訪日外国人を1,000万人、さらにその先に3,000万人にしようとしています。

 海外から日本に3,000万人が訪れると、大半は中国人になります。それを不安に思っている日本人もたくさんいます。歴史をどう考えているのか、日本と中国の文化をどう理解したらいいのかという議論もやって、真の相互理解を進めることが重要です。

周牧之:私の自宅の近くに「三鷹の森 ジブリ美術館」があります。そこに毎日、中国人を含め、たくさんの外国人観光客が来ています。

 このように、これからは世界の人々の心にきちんと響くような文化産業をメインにして発展させたらどうでしょう。そうすれば、都市はさらに魅力を増して、皆さんが幸せを感じられるような社会になっていくと思います。

竹中平蔵:どの時代、どの社会でもそうですが、結局は比較的少数の人が頑張って時代を切り開いてきました。しかし今は以前に比べると、頑張れる可能性がある人も増え、政府の中にもたくさんの民間人が入るようになって、重要な役割を果たすようになりました。

 一方で、昔よりリスクが少なくなっていながら、なかなか変化できない状況でもあります。日本と中国は交流を通して、互いに活性化していくことが求められています。グローバル・アジェンダは政府だけでは解決できません。やはり私たち一人ひとりが問題意識をシェアし、関与していくことが必要だと思います。

 今、スカイツリー(第二東京タワー)がつくられています。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』には、建設中の東京タワーが出てきますが、この映画を見たときに、「ああ、こうして頑張った時代があったのか」と思いました。私はスカイツリーが出来上がっていくのを毎日見ていこうと思っています。50年後、「あのとき頑張ったから、今日があるんだ」と思えるように。みなさん、本日はありがとうございました。(終)


アカデミーヒルズ「上海・東京グローバル・コンファレンス
『世界経済を支える東アジア経済圏の成長』
」(2010年)掲載

【対談】岸本吉生 Vs 周牧之(Ⅱ):急速なグローバリゼーションが世界を揺らす

2018年12月13日、東京経済大学周牧之ゼミでゲスト講義をする岸本吉生氏

■ 編集ノート:

 東京経済大学の周牧之教授の教室では、リアルな学びの一環として第一線の経営者やジャーナリスト、官僚らをゲスト講師に招き、グローバル経済社会の最新動向を議論している。2022年1月13日、経済産業省キャリア官僚の岸本吉生氏を迎え、対談した。対談の第二弾はグローバル社会における分断と希望を、貿易不均衡、所得格差、地域格差という三つの不均衡から読み解く。


 三つの不均衡が分断をもたらす


周牧之(以下周) 私が30年前来日した時、NHKの調査で殆どの日本人が「自分は中流だ」と答えた。1億総中流だ。この30年間日本もグローバリゼーションが進み、同時にかなり格差社会になってきた。2000年以降、中国の対米輸出が突出したことで、一時期大変だった日米貿易摩擦が緩和された。しかし、この格差問題は深刻さを増している。

 アメリカも大変な変革期にある。2016年のアメリカ大統領選挙では沿海部の大都市で民主党支持が優位だったのに対して、寂れた工業地帯や中西部は共和党支持が優位だった。トランプ政権誕生にはこうした背景があった。2020年の大統領選挙ではアメリカの地域的階層的分裂の激化を見せつけられた。

 2016年に実施されたイギリスのEU離脱是非を問う国民投票を見ても、大都市と地方の民意は割れた。大ロンドン圏は反離脱派が優位で、それ以外の地域は離脱派優位だった。

 このような状況は全て急速なグローバリゼーションがもたらした貿易不均衡、地域格差、所得格差という三つの不均衡故である。

岸本吉生(以下岸本) イギリスでは都会にもEU離脱派は存在し、田舎にもEU存続派はいる。アメリカの民主党支持者に貧困者がいないわけでもない。都会と田舎の不均衡の問題を選挙結果と端的に結びつけることには違和感がある。利害が交錯する中で、不均衡は二項対立ではなくなっている。一人ひとりの状況に応じて何が課題なのか見極めないといけない。地方の発展の観点からは、人材育成、デジタル化をはじめインフラ整備が重要だ。

 日本にはEUを離脱した方がいいと思うほど疲弊した地域や衰退産業があるわけではない。TPP(Trans-Pacific Partnership:環太平洋経済連携協定)には北海道の農業を中心に反対があったが、都会対地方というはっきりした図式ではない。人口の減少と高齢化の中で次世代が郷土愛と夢に胸を膨らませる生活環境をどのように整備するか。教育はもとより、死生観、生命観といった精神性に関わる取り組みが必要だと感じる。

 私が言いたいのは国論が地域的に二分するほど分断が各国で深刻になってきたということだ。

なぜ日本でRCEPが話題にならないのか?


岸本 EUを離脱した方がいいと思うほど、荒んだイギリスの疲弊地域と同様の地域は、日本にあるだろうか?TPP(Trans-Pacific Partnership:環太平洋経済連携協定)を脱退してほしいという議論は日本では起きていない。

 TPPを脱退する話がないというのはおそらく日本の一般の人々がTPPについてあまり知らない故かもしれない。イギリスはEUに加盟した体験があり、EUの良し悪しがわかっている。そこの感覚が違う。

 今年の元旦にRCEP(Regional Comprehensive Economic Partnership:地域的な包括的経済連携)が発効した。日本・中国・韓国・ASEAN10カ国に、オーストラリアとニュージーランドを加えた15カ国が参加する自由貿易の協定は、世界の三分の一の人口と経済規模、貿易規模が一つの経済圏として動き出したことを意味する。これが日本ではトップニュースにすらならなかった。

岸本 それほど重要だと思われていない。給与の上昇がある製造業に依存する勤労者が減り、70%は貿易と関連のない仕事をするようになった。

 グローバリゼーションの中で企業が益々グローバリ的なつながりをもとめている。それに対して政府は益々保守的になる現象が世界的に発生している。日本でRCEPの発効がトップニュースにならないことは、この問題の極端な現れだ。一般の人々に新しい時代の到来を認識させないことが大問題だ。

都市化そして地域格差をどう捉えるか?


周 1,000万人口を超えるメガシティは1950年、世界では東京大都市圏とニューヨークの2都市だけだった。その後の動きは極めて緩慢で1970年に近畿圏が加わり、三つになった。しかしその後の急激なグローバリゼーションにより雨後の筍のごとくメガシティが増え、現在は33都市となった。それらメガシティに住む人口は約6億人に迫る。

 かといってメガシティに住む人々が脱出したいと思っているとは言い難い。2020年に行われたNHK東京都知事選都民1万人アンケートでは、東京に住み続けたい人は9割近くいる結果が出た。世界最大のメガシティ住民の殆どが東京に住み続けたいのが現実だ。

岸本 都市と地域の経済格差や疲弊に関心のある学生がいたら、ジェイン・ジェイコブズさんの発展する地域 衰退する地域をおすすめする。日本の都市と田舎を書いている。経済を考えるときに、日本経済とかアメリカ経済とか国単位で議論することに意味はない。経済の成長と衰退は都市を単位として考えなければならないという。

 ある都市が成長するときには理由がある。2002年以降の中国の都市の成長にはそれぞれの理由があり、1960年から80年代に日本の都市が成長したことにも理由がある。問題は、成長している都市と、取り残された都市との格差の拡大だ。一部は人口の移動で解消するが、残された格差に政権は政治的に応えようとする。その結果、補助金による再分配政策が始まる。

 道路を作る、米価を安定させる食糧管理制度はその代表だ。世界中でそういうことが行われている。都市が成長する間はそれができて補助金を増やすこともできる。都市の成長が鈍化すると財政赤字が生じる。緊縮財政でバラマキが減り、国民の支持が下がる。だから、産業が勃興した都市とその国にその後起きる現象は普遍的だという。その都市は疲弊して別の新しい都市が発展する。デトロイトとシリコンバレーのように。

 アメリカのデトロイトに行くと、一時期世界最大の産業都市の凄まじい退廃ぶりがわかる。盤石に見える都市の産業基盤も長いスパンで見るとかなり流動的だ。

岸本 1980年代のアメリカが、まさにそんな時代だった。シカゴ、デトロイト、ロサンゼルスなどの大都市は景気も治安も悪く失業者が多かった。アメリカは1993年にデトロイトで雇用G7を開催し、その席で日本は何故失業者がいないのか問われた。失業、貧困、都市の衰退をなくす方法は短期的には見つからない。三つの不均衡問題は短期的に解決できない。三つの不均衡を10年、20年以上長い時の流れで見る重要さを周先生に教わった。

 私は日本に来てまず出かけた地方は萩市、安倍晋三氏と林芳正氏の地元だ。私は明治維新における長州藩の人々の活躍に感銘を受けていた。明治維新のときに幕府と戦争できたほどの経済力をもっていた萩が、いまや農業と観光以外にほとんど産業がなかった。明治維新後日本の総人口は随分大きくなったが萩の人口は逆に縮まった。日本を立て直した萩の志士が、地元経済を立て直せなかったことにショックを受けた。

 薩摩もしかりだ。当時のアジアにおける薩摩の存在感がいまはない。都市や地域を語るには長いスパンで見るべきだ。 

岸本 自然、文化、人とのふれあいがある。経済規模では測れない良さだ。

 地域に価値を感じる人たちが大勢いるのはいいことだと思うが、問題は人口流出した点にある。人口を維持できず地域社会が小さくなった。

2018年12月13日 教室にて岸本吉生(左)VS 周牧之

脱大都市化は本当か?


周 友人が運営する場所文化フォーラムが諸団体と連携し、地域活性化を促し、自然との共生・循環の価値観を共有するため毎年全国各地で開催しているローカルサミットというイベントがある。このローカルサミット参加のためにゼミの学生を連れて東近江へ何度か行った。その駅周りに学習塾が沢山集まっていた。東近江は非常に豊かで教育レベルも高い地域だ。そうした塾を経て東京や大阪、京都などの大学に入り、地域から若い人が東京など大都市圏に吸い取られているのが地方の典型だ。

岸本 コロナ禍で、デジタルリテラシーのある世代が離島半島農山漁村に移住する現象が起きている。会社に行かなくても仕事ができることがわかったからだ。そのインパクトを地方社会がどう生かすかが私の問題意識だ。

 仕事が都市に集まるから都市の人口が増えた。海外出張ができなくなったことで仕事が停滞している状況もある。しかし、海外出張のための移動や宿泊の時間が別の仕事の時間に置き換わり生産性が上がった人もいる。高知大学の先生とZOOMで話した直後に宮崎大学の先生とZOOMで話しその後3人で話すことはリアルでは考えられなかった便利さだ。直接3人が会えば移動や宿泊の時間がかかり費用もばかにならない。

 このような変化が、都市と田舎の不均衡にどう影響するかはまだ見えないものの、都会の人のライフスタイルと田舎の人のライフスタイルの双方が劇的に変化しはじめた。今それを研究している。

周 私が社外取締役を務める従業員千人規模のIT企業は、新宿に本社がある。新型コロナ感染拡大を受け、原則出社「禁止」となり、リモートで仕事をしている。いまリモートワークをベースに、国を超えた世界雇用を始めた。どこの国でも東京の賃金水準で給与を出す。

 リモートワークは地方にとっては大きなチャンスだ。ただし都市のアメニティーに魅力を感じる人間も根強くいる。仕事を自由にできる時代になり、地方にとってもチャンスをどう活かすかが問われる。うまくいく地域もそうでない地域も必ず出てくる。

 実際、現在東京で起こっている動きは、会社の周りに住んでいた人は郊外に住むようになっても東京大都市圏内での引っ越しに留まり、大半は圏外には出ない。

岸本 地域のアメニティの魅力には、歴史、自然環境、郷土愛がある。ハワイのワイキキビーチの雑踏的な砂浜が好きな人もいれば、沖縄の竹富島の誰もいない星砂ビーチが好きな人もいる。ローカルの生きる道は、その場所ごとに適正な人数で繋がることだと思う。多い方がいいとは限らない。小笠原諸島の父島や母島に何万人も入れない。都市と都市以外では物差しが違う。

■ モビリティが高いのは誰?


周 どんな人が東京を脱出しているかというと、資金力のある人たちが沖縄や北海道に小屋や別荘を構えてリモートワークをする話をよく聞く。結局モビリティがものを言う。モビリティは資金力のある人とない人が高く、中間層はそれほどない。

岸本 東京の住宅費用と教育費用はとても高い。そのことが移住の動機になっている場合がある。都会で会社で働くよりも、自然豊かな地域で農のある暮らしを望む人もいる。頻繁に動くという意味のモビリティには所得が関係するが、移住については、所得との関係は逆かもしれない。

 世界も同じだ。お金のない人のモビリティが高く、出稼ぎ労働者、移民、難民もしかりだ。また資金力のある人はモビリティが高い。地域を活性化するには、中間層が如何にして地域で住み着くかを考えなければならない。

岸本 家を買うかどうか数年前に相談したら全ての人に買うべきではないと言われた。「家は子供産んで育てる巣箱だ。子供がもう巣立つなら必要ない」と言われた。巣箱での子育て中にモビリティは上げられない。リモートで働ける時代が何を根拠に住所を定めるのか。

 IT産業も他業種と比べモビリティが高い。IT企業はアメリカ、中国、日本のどこでも大都市圏に集中している。シリコンバレーのIT企業がいまやオフィスをニューヨークに構えている。

 大学競争でも都市の魅力が物を言う時代だ。私がボストンにいた時ハーバード大でもMITでも、採りたい教員や学生がニューヨークの大学に取られたことがよくあった。

岸本 マンハッタンに2年留学していた経験で言うと、ニューヨークには良いところもそうでないところもある(笑)。デジタルの動画配信のおかげで自宅にいながらトップレベルのコンテンツを楽しめる。住居費が安い分、自然と触れ合ったり、芸術に励んだり多様な生活が楽しめる。そんな暮らしの人気が給与が上昇しない傾向になるほど強まっていくだろう。

人口流出を止めるには魅力ある仕事が必要


岸本 格差や貧困は問題だが、多くの方々が心配しているのは「跡継ぎがいない」ことだ。北海道の富良野を例にすると、放置されている問題がいろいろある。その問題を、自分たちで解決することが暮らしを成り立つだけの収入を伴うならその仕事を担う人が現れる。福祉、教育などは公費で賄われているが公立の学校や病院で提供していないサービスは多い。お金を払ってサービスを買う人が地元にいれば担い手が現れる。東京だと教育でも医療福祉でもさまざまなサービスがある。子供が保育園に入れなかったら民間の子育てサービス、不登校の子供にも民間サービスがある。都会も地方も人不足だと言われて久しい。企業の経営者に聞くと働き手がいないと言う。希望する仕事がないという声も多い。やりたい仕事と、やってほしい仕事、賃金、仕事の内容にずれがある。

 魅力的で多様な仕事が都市にあるため、働き手が都市に流出した。幸い、いま日本で農業が変わってきた。インターネットで直販、購入が盛んになり、農業の利益と仕事の魅力が増した。大学の農学部の人気も上がった。

岸本 働くことの対価は賃金だけではない。心の満足だ。やりがいと収入の二つの要素がある。若い人がどう選択するかは年々変化している。

 都会に住むか住まないかは個人の選択だ。所得格差は社会問題となるが、同時に、やりがいのあると思う仕事に就職できるような社会環境が必要だ。

 大学で地方に戻る学生に公務員志向が多いと感じる。

岸本 公務員の仕事はたくさんあるから増やすのは悪くない。民間でやりがいのある公的な仕事をしている人も多い。病院の看護師、保育園の保育士、学校の教員。私立の職員は多い。

 30代40代になってから、自分はこの仕事をしようと決心して軌道に乗せた人を紹介したい。20代でスリランカに住んで紅茶が好きになり、日本帰国後、沖縄で紅茶作りをして起業した。一つのブランドになり、ベルギーの国際コンクールで二つ星を取った。新宿の伊勢丹百貨店で販売するまでに成長した。

周 地域の話、中小企業の話は岸本さんの生涯の大テーマだ。中国の都市と同様に日本も40年、30年前は工場を地域に呼び込んだ。多くの工場が労働力、綺麗な水、空気を必要として地域移転した。しかしその後それが海外に移り、日本の地域過疎化が進んだ。中国も同じことが起こった。世界中から工場を呼び込み、結果的にうまくいったところは沿海部の一部の都市で、大半は跡地だけが残った。
長いスパンで見て地域の底力になるのは、やはり地場のリソースに張り付いている産業だ。そうした産業が何百年も続いている。近代化によって磨かれる地場産業が沢山ある地域は、素晴らしい魅力がある。ヨーロッパをみるとそうしたケースが多い。

岸本 感覚や快適さに訴求するアート産業もある。芸術家だけではない。衣料品のデザイン、レストランの内装やメニューなど裾野が広い。

 アート産業も、地域に密着することが必要だ。アートは地域の活性化、地域の個性化につながる。

多様性と寛容性が大切


岸本 ベンチャーの経営者のプロフィールを見ると、環境、教育、子育て、福祉、高齢者、障害者、不登校など労りや優しさをビジネスにしたいベンチャーの経営者が数多くいる。私の世代にはそういう感覚はなかった。地域の痛み、人口の減少と高齢化の中で、地域のために何かをしたいという強い気持ちを感じる。

 都市のもう一つの魅力は多様性と寛容性だ。地方も如何に多様性と寛容性を育くむのかが将来を左右する大きなファクターだ。

岸本 私の家族は都内の集合住宅にしか住んだことはない。蜘蛛も魚もつかめない。米は食べても田植えはしたことはない。それでも東京に住み続けたいという。国内外の幅広い出会いがある都会の生活もあれば、地元の仲間と狭く深く暮らす社会もある。いま深刻なのは、都会に住む方々と田舎の方々との縁が切れてしまったことだ。座れなくても特急電車に乗って故郷へ帰り、祖父母に孫を見せるというつながりは無くなってしまった。それに代わる縁をどう築き上げるか。小中高校生が留学するというのも良い試みだ。

 中国でも春節(旧正月)には都市から地方へ民族大移動する。まだ田舎と直接縁があるうちに新しい接点を作れるかどうかが肝心だ。

人間の魅力も地域の魅力


周 岸本さんは九州で産業局長をやられた。九州にはAPU(立命館アジア太平洋大学)という大学がある。私の長男がこの大学で4年間過ごしたら、別府、大分はもとより九州が大好きになった。同級生の中には、ITで仕事をしているので東京でなくても仕事はできるからと、大学時代を過ごした大分に戻り20代で家を買って定住を決めた人がいた。地域と何らかの接点を作り、その地元に魅力があれば住む。

岸本 市街地というよりは、海、山、温泉、そしてその土地の人間の魅力だ。九州は来訪者ときやすく口をきいてくれる地域だ。私のような関西弁の訪問者とも初対面で口をきいてもらい縁が広がっていく(笑)。知らない人に親切にできることは九州の大きな魅力だと思う。福岡市がアジア太平洋に開かれた都市と宣言して30年になる。福岡空港だけでなく九州の各空港は国際線が就航している。留学生に加えて、住みたくなる町、働きたくなる町として、九州各地の都市が変貌していけばアジアで光輝く島になる。

 人間の魅力は大きい。 

岸本 日本人口が6,000万人ぐらいまで減ると予測されている。5,000万人以上になったのはこの100年ぐらいしかないから、3,000万人に戻っていいと思えば、江戸時代当時の基準でいい。農水産業が機械化されて昔10人要ったのが今2人の人手でいいのであれば、集落の人口が減っても良い。人が少なくなることが良くないと決めてかかるのは良くない。ゆったりと自然に囲まれて打ち解けた雰囲気で生活するのなら、仕事時間は集中して、地域のために働いたり、世代の違う仲間と語り合ったり、過密な社会で分解したものを新しい形で築くチャンスだと考えたい。 

 ドライに長いスパンで見ればそうだ。魅力ある都市と農村、地方があって世界と交流できれば皆が幸せに暮らしていける。


プロフィール

岸本 吉生

中小企業基盤整備機構シニアリサーチャー、中小企業庁国際調整官兼務

 1985年東京大学法学部卒業後通商産業省入省、経済産業省環境経済室長、中小企業庁経営支援課長、愛媛県警察本部長、中小企業基盤整備機構理事、九州経済産業局長、中小企業庁政策統括調整官、経済産業研究所理事を経て、2018年から現職。コロンビア大学国際関係学修士、ものづくり生命文明機構常任幹事、日本デザインコンサルタント協会会員。

【対談】岸本吉生 Vs 周牧之(Ⅰ):三つの不均衡が生んだ貿易大国の栄光と挫折

2022年1月13日 教室にて周牧之(左)VS 岸本吉生

■ 編集ノート:

 東京経済大学の周牧之教授の教室では、リアルな学びの一環として第一線の経営者やジャーナリスト、官僚らをゲスト講師に招き、グローバル経済社会の最新動向を議論している。2022年1月13日、経済産業省キャリア官僚の岸本吉生氏を迎え、対談した。対談の第一弾は中国の現状と歴史を、貿易拡大が生んだ貿易不均衡、所得格差、地域格差という三つの不均衡から読み解く。


 グローバリゼーションがもたらす三つの不均衡


周牧之(以下周) 中国は2001年のWTO加盟後の20年間で、輸出規模は10倍に拡大し、実質GDPは5倍となった。世界が驚く成長を遂げた。

岸本吉生(以下岸本) 2001年当時、経済産業省が心配していた問題は、日本の製造業が全て中国に行ってしまうのではないかという産業空洞化の問題だった。その当時から20年間の中国経済の飛躍はめざましい。半導体の国内生産力は格段に大きくなり、デジタル社会の最も進んだ姿になった。日本ではGAFAがデジタル社会のプラットフォームであるが、中国ではアリババやテンセントがデジタル社会の基盤をなしている。

 1921年に結党した中国共産党は、2021年11月に100周年を迎え「党の百年奮闘の重要な成果と歴史的経験に関する中共中央の決議」(以下「歴史決議」と略称)を発表した。習近平国家主席が就任して10年を迎えるこの期間にどのような原則と将来目標を掲げているのか、いまの中国を物質面というより、精神面、文化面から理解するために「歴史決議」を何回も読んでみた。

 「歴史決議」に「社会主義」「マルクス・レーニン主義」という言葉が繰り返し出てくる。日本でも1980年代まではマルクス・レーニン主義を支持する政党が複数あったが、ソビエト連邦が解体した後は凋落した。「歴史決議」でも1990年代以降の社会主義諸国の変化を悲観的に描いてはいるが、その反面、中国が「中国の道」を実践して見事に成長しつつあることを強調している。中国は、マルクス・レーニン主義の基本的原理は維持しつつ、国際社会の変化と技術の発展に適合して中国らしく社会主義強国を目指して実践していることに誇りを持っている。

周 中国共産党のいまの自信がどこから来たのか、中国とアジアの歴史を振り返る必要がある。100年よりもっと長いスパンでの思考が欠かせない。中国の近代史は1840年のアヘン戦争からだ。それは世界に名だたる貿易大国の凋落の引き金になった。

 私は中国の貿易大国としての栄光と挫折には6つの段階があると考える。シルクロード時代、海のシルクロード時代、大航海時代、産業革命から第二次世界大戦までの時代、冷戦時代、改革開放時代だ。

 これらの時代の背景には、国際貿易そしてグローバリゼーションがもたらした三つの不均衡がある。三つの不均衡とは、貿易不均衡、所得格差、地域格差だ。貿易は発展と繁栄をもたらすと同時に三つの不均衡を生み、動乱や戦争を引き起こすことを、中国は何度も経験してきた。

 フランス経済学者ピケティ氏によると、いまの世界の上位10%の高額所得者が保有する資産が、世界全体の76%をも占めている。下位50%の低所得層は世界全体の2%に過ぎない。こうした極端な状況をもたらす最大の原因は、グローバリゼーションである。故にグローバリゼーションを止めてしまえと言う人さえいる。

貿易不均衡で引き起こされたアヘン戦争


周 その意味では中国の歴史は、貿易大国としての栄光と挫折に揉まれた苦労の連続だった。とりわけ近代においてその度合いが増した。

世界経済における中国のシェアはアヘン戦争前の1800年は33.3%だったのが、屈辱と苦難の近代を経て、1990年には1.7%まで落ちた。そこから見事にV字回復を果たし、いまや18%まで取り戻した。そんな経験をした人々の民族的な自立と復興への思いが、「歴史決議」文の中にある。

岸本 滲み出た。 

 宋王朝は貿易を積極的に進めた。いわゆる海のシルクロード時代だ。当時の一番の貿易商品は磁器であった。磁器は、欧州で大変な人気だった。「チャイナ」という磁器を示す言葉が、中国の国名になったほどであった。宋王朝の次のモンゴルもユーラシア大陸における大貿易帝国を作った。保護費としての税をとり約百年間世界帝国を維持した。その後の明朝は三つの格差がもたらす流動性を危惧し、海禁策を発布して貿易を止めた。なぜなら明朝は地域格差、所得格差から生じた人口の流動性を盾に蜂起し、政権を確立したからであった。明朝は貿易を止めただけでなく、人口の固定化政策をも強く打ち出した。しかし貿易のニーズが高く、とくに明朝後半は大航海時代にあたり、海禁政策は骨抜きで緩和され、ヨーロッパ人がアジアに来て中国から茶や陶磁器、綿製品を買い付けた。彼らは中国へモノを売り込もうとしたが果たせず、銀で支払い続けた。

 貿易で世界中の銀が中国になだれ込んだことで、明の末期、元々銀をあまり持たなかった中国が銀経済になった。明を引継いだ清王朝においても同傾向は続いた。中国は世界最大の輸出大国となり、世界経済の三分の一を占める経済大国に至った一方、ヨーロッパは長期にわたり対中貿易赤字に苦しんだ。

 中国とヨーロッパの貿易不均衡は構造的だった。南米での銀山開発により銀が一時期溢れてインフレーションを起こしたヨーロッパでも、この貿易不均衡で銀不足に陥った。

 この構造的な貿易不均衡が、最後にアヘン戦争を引き起こした。中国の主な輸出品の一つであった茶は、当時の世界貿易最大のアイテムにもなっていた。イギリスは中国からの茶の輸入で赤字を大きく膨らませ続けた。その解決策としてイギリスは、インドで作ったアヘンを中国に密輸した。中国政府は当然そのアヘン密輸入を取り締まった。これに対し、イギリスは軍艦を派遣して中国を攻撃した。アヘンという麻薬を中国に売り込むための戦争であった。結果、アヘン戦争後の中国へのアヘン輸出は一気に増えた。

 「歴史決議」で、屈辱で始まった近代史について強い口調になるのは、こうした歴史の背景があるからだ。

「グローバリゼーション」が生んだ下克上


 貿易増でふくらんだ人口も中国を翻弄した。長く1億人前後だった中国の人口が、明朝末期から急増し、清朝後半には4億人を超えた。これは貿易がもたらした豊かさと、ジャガイモやトウモロコシなど新しい農作物をヨーロッパ人が新大陸から持ち込んだことによる。しかし、人口増で一人当たりの農地面積が縮小し、格差を拡大し、人口流動性を促した。人口の流動性は社会不安につながった。アヘン戦争の10年後に、中国で太平天国の乱が起きた。ある意味では暴力で格差をリバランスしようとする下克上の農民蜂起だ。太平天国の乱は、第二次大戦での世界の全犠牲者数を超えるほどの莫大な被害をもたらし、中国の最も豊かな地域を廃墟とした。

 当時の「グローバリゼーション」により、ヨーロッパで同じ問題が発生した。力のバランスが変わり社会の流動性が引き起こされた。太平天国の乱より先に起こったフランス革命の底辺にはこうした下克上があった。それから百年後のロシア革命も背景は同様であった。「グローバリゼーション」がもたらした三つの不均衡によって、各国で下克上が起こった。

 下克上の形はさまざまであった。革命も民主主義もすべて下克上である。

 革命と民主主義の共通点は、双方とも底辺民衆の力をベースにする点だ。しかし民主主義はプロセスの確保に重点を置くのに対して、革命は結果論でプロセスは暴力でもよしとした。双方とも三つの不均衡に対する解決法として登場した発想だ。毛沢東の革命に大勢の人々が同調したのは、革命により当時中国が抱えていた問題を解決できると信じたからだ。


計画経済の成果と限界


岸本 「歴史決議」は、毛沢東思想とその成果を高く賞賛している。鄧小平による「経済建設を社会主義の基本路線」の確立も高く評価している。中国共産党は1949年から社会主義建設を本格的に始め、30年後の1979年に、鄧小平が「階級闘争」を要とする方針を廃止した。これが中国の道の始まりだ。貧困からの脱出を優先させて、強い国家の建設の基盤を作ろうとした。それが改革開放の目指すこと。手法として資本主義的なものを敢えて持ち込んだ。 

 2010年に私と楊偉民氏との主編で『第三個三十年(The Third Thirty Years: A New Direction for China)』という本を出した。私は1949年の新中国建国以来の時代を三つの30年と定義した。毛沢東の計画経済の30年、改革開放の30年、新しい時代の30年だ。

 最初の30年の処方箋は革命的だった。農地や企業といった資産をすべて国有化あるいは公有化した。計画経済のもとで所得格差をなくそうとした。都市と農村の格差から生じる流動性については厳格な戸籍制度を導入し人口移動禁止で対処した。貿易はソビエトと物々交換をやる程度で貿易不均衡も起こらなかった。

 計画経済の下、重化学工業化を必死に推し進めた。30年で粗鋼生産量ほぼゼロから3,000万トンまで持ち上げた。この時期の国際環境は中国にとって最悪だった。朝鮮戦争、ベトナム戦争、中印戦争、中ソ対立そして国境紛争が繰り返し起こった。そうした中でも中国は工業生産力を底上げした。

 こうした雰囲気の中で今の指導部の世代は育てられた。アメリカに対する発想が日本とは全く違う。日本の現役世代ではパクスアメリカーナの中で育ち、アメリカを絶対視する人が多い。

岸本 日本はパクスアメリカーナの恩恵を存分に享受した。繊維産業に次いで、鉄鋼と化学、家電、半導体と次々に成長産業が出現した。貧困も急速に改善された。

 しかし中国は1970年に粗鋼生産量3,000万トンを成し遂げたとの自負があっても世界の粗鋼生産量におけるシェアで僅か3%にも満たなかった。ちなみに当時日本の粗鋼生産量は1億トン前後だった。世界におけるエチレン生産能力のシェアはアメリカをはじめとする主要五大工業国が79%だったのに対して、中国は0.5%しかなかった。中国は自主的な自動車生産にこぎつけ、トラックも乗用車も生産していたが、世界におけるシェアはゼロに等しかった。

 懸命な努力にもかかわらず世界との格差を広げた。毛沢東主導での中米急接近にはこうした背景があった。のちの改革開放はその延長線上に起こるべくして起こった。


■ 改革開放で社会流動性が一気に開花


岸本 開放路線の結果、一部の人が富み、格差が拡大した。中国は「世界の工場」になったが同時に他の先進国と同様、都市問題、格差問題、環境問題に直面した。2013年に習主席が提起した「一帯一路」構想は、沿岸部と比べて遅れをとった内陸部の諸省にとって公共投資と内発的な経済成長の原動力になる。共同富裕を2050年の目標に掲げる中国共産党にふさわしいアジェンダだ。

周 いまから30年前の1990年、中国の世界経済におけるシェアは僅か1.7%だった。十数億人口が世界経済にとっては「非有効経済人口」。つまり世界経済にとっては影響がないといっていい存在だった。いま、アメリカでも日本でも中国経済に関する報道の無い日はない。世界経済にとっては極めてインパクトのある「有効経済人口」となった。

 問題は、格差が広がり人口の流動性が一気に加速したことだ。都市は如何にこの流動性を吸収しパワーにしていくべきか。これが、私が30年前に都市化政策研究に取り組んだきっかけだ。

岸本 周先生は中国だけでなく世界の都市の将来についても幅広く研究・発信されている。どの国でも都市化は大きな流れだった。日本の東京大都市圏が人口3,700万人の世界最大のメガロポリスだということは周先生から教わった。地球環境問題やCOVID19をはじめとするパンデミックの時代に、都市の将来に生活者が期待する機能は大きく変化しつつある。自然を身近に感じながら穏やかに生活をしたいと望む千万人単位の次の世代が日本では存在する。経済効率という物差しに加えて、愛や感覚を大切にするライフスタイルが登場した。デジタル技術、中でもSNSは、愛や感覚を直接やりとりする画期的なインフラだ。これまで前提としていた都市化の流れが、どのように変化するのか注目している。

周 急激な都市化、そして大都市化が中国の改革開放とほぼ同時期に、世界規模で起こった。1980年以降100万人以上人口が純増した都市は世界で326都市を数えた。これらの都市に新たに9.5億人が集まった。グローバリゼーションが加速する中で、拡大し続ける所得格差、地域格差が人の移動を促した。上記の326都市の中の95都市が中国の都市であった。

貿易摩擦でも正せない貿易不均衡


周 貿易不均衡が生んだ貿易摩擦もトランプ政権時代に大問題になった。

 2009年に中国の経済規模が日本を超えたとき、ハーバード大学のエズラ・ボーゲル教授と対談した。中国経済と日本経済の比較について私がボーゲル氏に言ったのは、改革開放で中国経済が世界経済とドッキングし輸出が突出して拡大したことが戦後の日本の様相に似ている。ただ、違ったのは、中国はグローバルサプライチェーンに乗ったことにより輸出拡大したのに対して、日本はフルセットのサプライチェーンから出発した。そこが決定的に違う。輸出産業の本質も規模も異なった。結果、WTO加盟後、中国は輸出規模が10倍に膨らみ、ダントツ世界一の貿易大国になった。貿易不均衡は起こり、貿易摩擦も激しくなった。

 しかしグローバルサプライチェーンの中で起こった貿易不均衡はそう簡単には解消できない。企業がシステマチックにつながっている中で、政府がディカップリングしようとしても出来ない。関税引き上げなどの旧来の方法では効かない。トランプ政権で積み上げた対中貿易に対する高い関税が維持されても、2020年アメリカの対中赤字は対前年比14.5%増の3,553億ドルに膨らんだ。

岸本 1985年から93年にまでの日米経済摩擦の仕事は思い出深い。当時の日本は、自由で開かれた貿易体制こそ世界の平和と繁栄に繋がる基盤だと固く信じていた。経済安全保障という問題に現実的な脅威はなかった。しかし、アメリカから見れば、製造産業の先端を日本に依存することが、10年、20年の将来、国の安全保障を脅かすという危機感が生じていた。1987年の東芝機械事件は象徴的な出来事だった。クリントン政権が成立直後に日米構造協議(Structural Impediments Initiative)を提案したことに驚いた。日本の社会システム全体が経済摩擦の論点とされた。文化に関わるものを俎上に載せることに当時は抵抗を感じた。いま思い返せば、サービスの分野まで相互依存が進めば、国内法制の見直しは避けて通れないものであり、日本社会の将来ビジョンを深く考える契機だったのだと思う。インターネットが社会に深く浸透することは自明だったのだから、いまソサエティ5.0に向けて政府全体で取り組んでいることを、原理原則の次元で転換するチャンスが90年代半ばにあったと思っている。その点、中国政府は、インターネットを社会発展の基盤として、民間の創意工夫で自由に実践する方針をとり、問題が出るたびに事後的に対応する方針が功を奏した。

2000年以降のグローバリゼーションは従来とは異次元


周 日本が輸出大国になり日米貿易摩擦が激しくなった1980年当時の世界輸出総額は、今日の10%に過ぎない。絶対的な量では、当時の日本の輸出規模は今日の感覚からすればそれほどではなかった。

岸本 少ない。

 今日の世界輸出総額の約7割は、21世紀に入ってから増えたものだ。2000年以降のその増加分に一番貢献した中国が、一気に最大貿易国になった。中国に次ぐ貢献度の高い国がドイツとアメリカだ。ちなみに2000年以降世界輸出総額の増加分における日本のシェアは僅か1.5%だ。

 富のメカニズムが国民経済からグローバル経済へと急速に移行していることは明らかである。2000年以降は、グローバリゼーションが勢いよく進み、人類最大の繁栄期となった。2000年以降急激に増えた世界GDPの純増分について、その5割はアメリカと中国がつくった。なかでも中国は約3割を占めた。日本の貢献度はこちらも1.8%だった。

 グローバリゼーションは従来とは異次元な新段階に入り、地球規模で貿易、投資、技術取引、人的交流が飛躍的に拡大している。しかし、同時に三つの不均衡も激化した。


■ 民営と
国有とのバランス


岸本 三つの不均衡は、ものの取引に着目した時に顕著に現れる。サービスであれば、魅力的な場所に知恵と技術が集積することは、ボストン、シリコンバレー、バンガロール、テルアビブなど多くの実例がある。文化の違いをある時には生かし、ある時には他の文化が流れ込むことを奨励して場所の魅力を発揮するという都市戦略が多くの国でとられている。そうなれば、投資の主体も外国資本をむしろ歓迎するという戦略も出てくる。

 「歴史決議」の中で、経済運営のキーワードはイノベーションと公有制だと述べている点は中国ならではの思想だと思う。公有制はどうしても保守的な運営になりやすい。為替レートと人件費が安い国ではなくなった中国が、公有企業をどのような形でイノベーションに結びつけるのか。公有制と貿易強国の両立は易しいことではない。

 実際、中国ではイノベーションも輸出も雇用も民営企業が主役だ。私たちが作った『中国都市総合発展指標』で見ると、中国の都市の中で最も輸出規模の大きい都市、また最もイノベーションの活発な都市は共に民営企業がメインの沿海部都市だ。

岸本 根本を公有制だと宣言している以上、民営企業の運営と国有企業の存続との軋轢が大きくなっていく可能性がある。食品関係、農林水産業関係、建築関係など生活に関連する分野でどのような展開になるのか、中国経済をみる上で重要な着眼点だ。

 中国が直面する貿易摩擦、所得格差、地域格差といった三つの不均衡がグローバリゼーションに乗った反動だ。公有性の強化で解決するほど単純な問題ではない。

周牧之、楊偉民主編『第三個三十年』

■なぜ強国」を強調?


岸本 「歴史決議」に繰り返し出てくる「中華民族の復興」はアヘン戦争当時の苦境を忘れることなく、国際社会で名誉ある地位を回復しようとする郷土愛に満ちている。内モンゴル、南部の少数民族、チベット、ウイグルなど漢民族以外の方々との共同富裕をどのように構築していくか関心を持っている。「歴史決議」では2035年、2050年を目標とした「社会主義現代化強国」を訴えている。この意図をどう理解するか?

周 なぜ貿易大国、経済大国から「強国」へ向かおうとするのか。なぜ「強国」という国際社会で不評を買う可能性のある言葉を使うのか?そこにはアヘン戦争以来の経験が滲み出ている。貿易大国、経済大国だったのがイギリスの戦艦に敗れた。二度とそんな目にあいたくない思いをDNAの中に持つ故だろう。

岸本 私が「強国」という言葉から感じるのは国家体制を盤石にするという共産党の意志だ。結論部分に共産党員は「憂患に行き安楽に死す」とある。反腐敗闘争を進め、困難劣勢なときこそ一層邁進する気概を保つ。山があれば道を切り開き、川があれば橋をかける。清廉潔白を貫き、愛国心と献身精神を備え、責任を果敢に担う若手幹部を抜擢する、と述べている。この発想は、共産党が人民のためにこの決意で臨むという意気込みを感じる。明治維新で欧米社会と互角に付き合おうと奮闘した時代の日本のような勢いを感じる。

 国際社会で打たれ強い国、打たれにくい国へと。

2018年7月19日「『中国都市ランキング−中国都市総合発展指標』出版記念パーティ」にて、前列左から岸本吉生、中井徳太郎(環境省総合環境政策統括官)、清水昭(葛西昌医会病院院長)(※肩書きは2018年当時)

■ 冷戦後東欧の衰退がウクライナ問題の土壌に


岸本 天安門事件は1989年。同じ年にベルリンの壁が壊れ、91年にソビエト連邦が崩壊した。東欧の社会主義国もソヴィエト連邦もなき後、社会主義がうまくいくのかという疑いが急速に広がった。しかし、中国の世界経済シェアは1.7%から18%へとV時回復した。「歴史決議」では「中国の成功はマルクス主義のイメージを刷新し、社会主義と資本主義という二つのイデオロギー、二つの社会制度との競り合いにおいて、社会主義に有利となる大きな結果をもたらした」とある。

周 世界経済におけるシェアが1.7%から18%へと飛躍したことは大変大きな出来事だ。1991年ころソビエトが崩壊し、東欧諸国が社会主義を捨てた。問題は、30年を経てこれらの国々でいま経済的にうまくいっている国がほとんどない。

 第二次大戦後にヨーロッパや日本の復興があったものの、東欧は破綻したままだ。ロシアのプーチン大統領のウクライナへの姿勢は、その反動にも見える。
最近CO2の研究をしていると、過去20年間でCO2が減った国は二種類しかないと分かった。一種類は、欧米先進諸国だ。かなり努力してCO2を減らした。もう一種類は東欧及び旧ソ連の諸国だ。経済が破綻に次ぐ破綻でCO2も出ない状況。冷戦後、これらの諸国がグローバリゼーションの繁栄メカニズムの中から疎外されたことが、大問題だ。

リーダは揉まれてこそ


岸本 「歴史決議」では次世代の育成と登用を大きく取り上げている。習近平主席をはじめ第四世代は文化大革命、改革開放前の閉鎖された時代、東西の緊張時に幼少青年期を過ごした世代だ。その次の世代がどのような人物であることが望ましいかを明確に述べている。独裁的な政府、共同指導的な政府と統治のプロフィールは変わるが、幹部職員に求められる資質を明確にしていることは、地縁血縁をはじめ忖度が起きやすい統治構造にタガをはめた勇断だと感じた。 

 私はアメリカにいた時に、ハーバード大のエズラ・ボーゲル教授と親しく議論した。ボーゲル氏の研究手法の一つは、日本や中国の大勢の友人の人生を通して社会の変革を見るアプローチだ。ボーゲル氏の日中双方の友人に、私と共通の友人が何人もいたことで話が弾んだ。ある日ボーゲル氏が言った。「日本の指導者はリーダーをきちんと育てようとしていない」。確かに林芳正氏が選挙で参議院から衆議院に鞍替えする時の自民党前執行部からの凄まじいプレッシャーを見ると、日本の人材育成の負のエネルギーを感じる。いまの中国のリーダーは、ほぼ全員が地方で仕事をし、経験を積み、評価されて中央に引き上げられた。

 ボーゲル氏はもう一つ言った。「中国のリーダーが持っている人間的なものは、揉まれた経験から育まれた。これが大切だった。揉まれたことで沢山の深刻な問題を抱えている国をまとめあげた」。戦争、革命、実務、党内闘争。揉まれに揉まれて育てられ、ようやくリーダーになり、中国の大変な時期をまとめたというのが、ボーゲル氏の中国リーダー論であり、毛沢東や鄧小平への評価でもある。

2009年、周牧之とエズラ・ボーゲル氏、ボストンのボーゲル宅にて

(※肩書きは各イベント開催当時)


プロフィール

岸本 吉生

中小企業基盤整備機構シニアリサーチャー、中小企業庁国際調整官兼務

 1985年東京大学法学部卒業後通商産業省入省、経済産業省環境経済室長、中小企業庁経営支援課長、愛媛県警察本部長、中小企業基盤整備機構理事、九州経済産業局長、中小企業庁政策統括調整官、経済産業研究所理事を経て、2018年から現職。コロンビア大学国際関係学修士、ものづくり生命文明機構常任幹事、日本デザインコンサルタント協会会員。

【ディスカッション】黒田東彦・周牧之・三日月大造・チャンドラシェカール・ダスグプタ・梶原みずほ:中国とインドの水の安全保障 〜水を守る暮らし〜

朝日地球環境フォーラム
「中国とインドの水の安全保障─水を守る暮らし」


編集ノート:
3月22日は、「世界水の日」である。21世紀は「水の世紀」といわれて久しい。とくに中国とインドに目を向けると、人口の急増と急速な都市化などの影響によって、水の不足や汚染、地下水の過剰取水など様々な水問題が深刻化している。「世界水の日」に因んで、「朝日地球環境フォーラム2010」での水の安全保障に関する議論を振り返る。黒田東彦アジア開発銀行総裁、周牧之東京経済大学教授、三日月大造国土交通副大臣、チャンドラシェカール・ダスグプタ元インド駐中国大使が、梶原みずほ朝日新聞社記者の司会で議論した。12年後の今、この議論を顧みると、水の安全保障の重要性が改めて感じ取れる。


朝日地球環境フォーラム2010
中国とインドの水の安全保障─水を守る暮らし

日時:2010年9月14日(火)

パネリスト:

黒田東彦 アジア開発銀行総裁
周牧之 
東京経済大学教授
三日月大造
 国土交通副大臣
チャンドラシェカール・ダスグプタ 気候変動に関する首相諮問機関委員 インド元駐中国大使

コーディネーター:
梶原みずほ 朝日新聞記者

※肩書きは2010年当時


梶原:今日は皆様、分科会「中国とインドの水の安全保障」にお越し戴きましてありがとうございます。たくさんの方に来て戴きまして水問題の関心の高さというものを改めて認識しています。前原国交大臣は閣議に重なりましたので、三日月大造副大臣に来て戴きました。ありがとうございます。

 水資源や食糧不足への危機感から、各国が他国の森林ですとか、農地を買い求めるという、そういった動きが今加速しています。実際に取引するのは民間企業ですが、その背景に国家の存在が見え隠れするということで、国策として国家が前面に出て水資源を奪い合うようなことも起きています。21世紀は水の世紀とよく言われますが、こうした土地争奪を含め政治ですとか、経済、そして地理や歴史、そして食糧問題、エネルギー問題、気候変動などさまざまな要因がからんできます。今日は特にアジア地域に注目したいと思います。とりわけヒマラヤ地域にスポットを当てます。ヒマラヤ地域はガンジス川やインダス川、そして長江の源流となっていますが、この流域で約7~8億人の人々が生活しています。そして、そこに経済成長著しい中国とインドという大国が隣接しているわけです。2025年のアジアの水需要は世界の6割と言われています。ここに水需要があって、そこにビジネスチャンスがあり、各国が熱い視線を注いでいるわけですが、今日は4人のパネリストの方々、それぞれご専門の方々にお越しいただきました。

 まず最初に10分ずつパネリストの方々にスピーチをしていただき、その後にディスカッションに入りたいと思います。まず始めにアジア開発銀行(ADB)の黒田総裁にお願いしたいと思いますが、黒田さんは日本の財務省の国際局長や財務官を経て2005年からアジア開発銀行の総裁をされています。では黒田さん、よろしくお願いします。

黒田 東彦
アジア開発銀行総裁

黒田:ご紹介ありがとうございます。水問題はアジア開発銀行が精力的に取り組んでいる課題でありまして、私個人も深い関心を持っています。アジア地域における水問題の現状とADB(アジア開発銀行)の取り組みについてお話したいと思います。

 アジア地域は水の危機に瀕しております。水問題、特に水不足は中国、インド、パキスタン、ベトナム、カンボジア、バングラディシュ、ネパール、ウズベキスタンなど多くの国々で深刻になってきており、食糧の安全保障やエネルギー資源、生態系、そして人々の健康や日々の暮らしにも影響を及ぼしています。気候変動は、すでに現在アジア各国における洪水などの自然現象にも表れているように、水危機の事態をさらに悪化させるとみられています。こうした問題の影響を最も強く受けるのは、残念ながら貧困層の人々だと見込まれています。水不足は今後ますます深刻になると見られており、アジア地域全体では2030年までに水の需要が供給を40%も上回ると予想されています。水不足に対しては、より効率的に水を利用することと、供給量を増やすことの双方からのアプローチが必要です。また、将来的な水不足に備えるには、これらの取り組みと合わせて、排水の管理や汚染された河川や湖沼の浄化など健全な水循環を再生させることに資金を投じてゆく必要があります。

 アジア地域にとって水危機はどういう意味を持つのでしょうか。アジア地域では貧困削減が驚異的な速さで進んだのと時を同じくして水不足が深刻化してきました。経済発展の代償を水が負っているというわけです。食糧、水、エネルギーの連鎖は極めて重要な問題です。アジア地域の経済発展、特に過去10年間の発展は人々の食生活を大きく変えました。この食生活の変化に応じた食物の生産には、より多くの水が必要になりますが、一方で水の利用効率はいっこうに改善されないため、水不足にさらに拍車がかかっています。また、工業用水及び生活用水のための取水、浄化、排水には大量のエネルギーが必要となります。この食糧と水、エネルギーの連鎖に加え、世界的な農産物価格の高止まりを踏まえると、アジア地域全体に持続可能な公平な水の安全保障を実現するには、関係者の総合的な意志決定が極めて重要になると思います。

 ここで少し水のガバナンスについて考えてみたいと思います。水資源が効率よく管理されていなければ、それはガバナンスの失敗であるという風に思います。水の経済的価値、そして食糧、エネルギー、水の相互関係を充分認識できていないという問題だと思います。例えば上下水道のサービスですが、水が経済的な価値のあるものとしてとらえるビジネスとして扱われる日が来ると大きな前進が期待できると思います。水の利用を水道料金に反映させたことで水利用の効率化に成功させた例が幾つもあります。例えばカンボジアのプノンペンでは水道公社が水のロスを72%から6%未満に減らすと同時に、品質の高い水道水を供給して収益をあげています。1997年に民営化されたマニラウォーターも水のロスを60%超から15%未満に減少させることに成功しています。先頃開催されたシンガポールウォーターウィークでは抜本的なガバナンスの立て直しということが多くの参加者に指摘されました。私も全く同感であり、ADBも水のガバナンスに対する支援を推進してゆきたいと考えています。

 水の需給ギャップを解消するのにどのくらい費用がかかるかという質問がありますが、これは各国の状況とか必要な対策によって大きく変わってくると考えます。例えばインドは今後20年間にわたって毎年60億ドル前後の投資が必要と推計されています。一方、中国では25%の需給ギャップに対して同じく今後20年間にわたり毎年220億ドルが必要という風に言われています。これらは最低限の必要な費用でして、場合によってははるかに多くのコストがかかる可能性もあります。ここではっきり言えることは、これほどの投資規模は政府だけでは対応できないことです。民間企業の資金調達能力や経営管理能力、高度な専門技術を活用することが不可欠だということです。水危機に対処するため、水事業の国際的な高まりを受けて、ADBはウォーター・ファイナンシング・プログラムにもとづいて、農村地域や都市部、河川領域のすべての人々に水の安全保障の実現を働きかけるという取り組みを進めてきました。2006年から09年までの4年間にADBで承認された水関連プログラムの総額は93億ドルに達し、約1億5500万人がそのメリットを受けると見込んでいます。今後も都市部の上水道の効率化、灌漑農業の生産性向上、排水管理と再利用、気候変動への適応策、水資源へのガバナンス向上などによって支援を続けてゆく予定です。

 こうした水関連事業を支援するため、ADBと大和証券は今年4月に6億3800万ドル相当のウォーターボンドを初めて発行しました。こうした支援を通じてADBはアジア途上国の安定的発展に寄与するつもりです。ADBはまた、関係国や関係機関のパートナーシップを構築して域内の経済協力や統合の推進にも取り組んでいます。一例として、ADBはインドシナ半島を流れるメコン川流域の下流にある国々が洪水、干ばつへの対応、あるいは流域開発を調整するメコン川委員会を支援しています。これは水資源をメコン川流域でよりよく共有するということで、今後もADBとして支援を続けたいという風に思っています。

 気候変動がこれまで以上に水問題の行方を不透明にしているわけです。これに対応するには、より効率的に水を配分し、使用する。そして、より多くの水の再利用を促進するしかありません。そのためにはアジア地域は水の無駄遣いを減らすとともに健全な水循環を再生させることに資金を投じる必要があります。例えばインドの水の需給ギャップを埋めるのに最低限必要なコストの約80%は農業関連と推定されています。したがって農業用水の効率化はその国の水の安全保障を大幅に向上させるわけです。また、エネルギー部門も使用水量を抑制するためには、さらに効率を高める必要があります。水の再利用によって水需要のさらなる増加を抑制できるように主に民間部門の力を借りて、排水管理への投資を大幅に増やす必要があります。中国では家庭排水の38%しか処理されておりませんし、処理基準もばらつきがあって基準が低いこともしばしばです。最も重要なことは水利用の効率化や総合的な水資源管理の必要性を単なる呼びかけに終わらせず、実行に移す必要があるということです。

 アジア地域は今後10年間、水の危機に対する思い切った解決策の実施に向けて、迅速かつ機敏に取り組んでいかなければなりません。私たちは我々自ら引き起こした水危機の深刻さを認め、水が代替の効かない限られた資源であることを認識し、有効な解決策を打ち出す必要があります。また、水問題は一国や一機関だけで解決できるものではなく、総合的な水資源管理を進めるためには流域の関係国、関係機関による協力が不可欠です。よりよく利用する方法を会得しなければ、いつか私たちはすべてを失うかも知れません。水を浪費してきた過去を持続可能な未来へ変えなければならないわけです。アジア地域全体が直面している水問題に対し、ADBとしても全力で取り組んで参りたいと考えております。ありがとうございました。

梶原:ありがとうございました。水を効率的に管理できなければガバナンスの失敗であるというお話がありました。非常に印象に残りました。そしてプノンペンを成功例として挙げて頂きました。ウォーターボンドという近年の資金需要の高まりを受けた新しいアクションについて紹介していただきました。ありがとうございます。

 次は東京経済大学教授の周先生にお願いしたいと思います。周先生は中国国家発展改革委員会の国土開発与地区経済研究所の高級顧問の肩書きもお持ちでして、この中国国家発展改革委員会は中国政府のマクロ経済の運営を仕切っている役所ですが、そこのシンクタンクの一員としてさまざまな政府への提言もされています。それでは周先生、お願いします。

周 牧之
東京経済大学教授

周:ご存じのように中国は世界で最も水資源に乏しい国の一つです。一人あたりの年間の水資源量は世界で124番目と最下位のグループに属しています。水資源の乏しさだけではなく、中国でさらに大変なのは水資源の分布が非常に偏っていることです。降雨量は東南地域に非常に偏っています。西北部などの大半の地域は水に非常に恵まれず、大変乾燥している地域です。降雨量のアンバランスは毎年干ばつと水害の双方をもたらしています。2009年は例年と比べて水害が少なかったのですが、それにしても全国で干ばつと水害を受けた人々は中国人口の1割を超えています。

中国各都市における降雨量分析図

周:さらに急速な都市化と工業化が事態を深刻化させています。ご存じのように改革開放の約30年間、中国の平均成長率は10%近い。中国は世界の経済大国に躍り出て、今年は日本を超えて世界第2位の経済大国になった。これについて、私は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を書いたハーバード大のエズラ・ボーゲル教授と対談し、世界の政治経済へのインパクトについて議論しました。ニューズウィークのカバーストーリーに掲載されて大きな反響を呼んだんです。

 中国は今、世界のパソコンの96%、カラーテレビの42%、携帯電話の51%などを生産し、名実ともに世界の工場となっています。深圳は30年前は小さな村にすぎなかったのですが、いまは人口1000万級の大都市に変貌しました。上海の浦東地区は20年前は草ぼうぼうの荒れ果てたエリアだったのですが、今は世界屈指の金融センターになった。さらに、つい最近まで自転車大国だった中国は一瞬にして自動車大国へと姿を変えました。しかしこうした急速な変化の背後には、水不足が至急な課題として出てきています。都市化率と水を使う量の増加は比例して拡大していく傾向が非常に顕著です。さらに都市化と工業化で水質汚染も著しくなっています。中国の家庭用水はまだ38%しか処理されていないので大変な水質汚染問題が顕在しています。その意味では中国の水問題は極めて深刻です。

 中国の水問題に対処するためには、水のあるところに人口と産業を集中させ、いわば水の分布に従い、もう一度ダイナミックに国の形を作り直す必要がある。十数年前に中国政府の要請でJICA(日本の国際協力機構)のスキームを使って中国の都市化政策について日中共同の大型調査をしました。私はこの調査の責任者でした。この調査で私は中国の国土のあり方として水のある所に産業と人口を集中すべきだと痛感し、メガロポリス構想を打ち出しました。具体的には中国で最も水資源が豊富な上海を中心とする長江デルタ地域と、香港と広州、深圳を中心とする珠江デルタ地域にメガロポリスを形成し、億単位の人々を集中集約し、中国の経済エンジンとすることです。この2つのデルタ地域は水が豊富ですし、海に面して大規模な輸出輸入を行いやすく、工業化に非常に適しています。大規模な食料の輸入も非常に実施しやすい。水の偏在は中国だけでなく世界的にも同様です。将来、中国が必ず行うだろう大規模な食料の輸入は、いわば間接的な水輸入です。この二つのメガロポリスではこうした輸入がやり易い。

『ニューズウィーク』カバーストーリー「ジャパン・アズ・ナンバーワン」

周:中国政府はそれまでの大都市の抑制政策を改めて、このメガロポリス構想をただちに受け入れました。特に第11次5カ年計画でメガロポリス戦略を政策的に大々的に打ち出した。この政策転換があったからこそ、今日のメガロポリス、大都市の大発展があると言っても過言ではありません。メガロポリス構想を説明しますと、結果的に長江デルタ地域と珠江デルタ地域に、北京、天津、河北省を加えて3大メガロポリス政策として打ち出されています。しかし、北京・天津エリアは政治的な重要性は非常に高いのですが、水資源には非常に乏しく、人口と産業の集約によって水問題がさらに逼迫しています。現在は地下水に過度に依存していまして、地盤沈下などの問題が顕在化していて、このエリアの過度の開発に関して私は非常に危惧しています。これまでの開発による環境破壊、そして地球温暖化などで痛められてきた水源地域の環境改善、あるいは貯水力の強化を急がなければなりません。中国政府は現在、空間計画を打ち出して、国土を開発地域と開発抑制、禁止地域に分けています。開発地域からのフィードバックで開発禁止、あるいは抑制地域の環境改善をはかることを始めています。この新しい政策は内陸部の環境改善や所得の向上にこれから大きく寄与すると期待しています。

 急増する都市型用水について、黒田総裁もおっしゃっていたのですが、節水型都市のあり方やライフスタイルの確立を急がなければなりません。さらに水を汚さず、汚した水は浄化し、水を循環利用することを徹底させることも必要です。都市化や工業化、所得水準の向上で、人々のライフスタイルの変化でかなり水を使うようになってきています。風呂やトイレ、洗濯だけでなく、最近はモータリゼーションも猛烈に進んでいます。水資源が非常に貴重な北方地域でも、じゃぶじゃぶ水を使ってマイカーを洗う風景が日常的に見られるようになってきています。このように矛盾した現象をどのように食い止めるのか、社会的に大議論をしなければいけない時期に来たと思います。

 中国的な解決方法としては、地域的に偏在している水資源を人工的に調節するアプローチもあります。具体的には、南に豊富にある水を北部に運ぶ南水北調というプロジェクトです。その工事が現在進んでいます。海の水を使う淡水化プロジェクトも幾つか大規模に進めています。しかし、これらのアプローチはコストが非常に高い。中国はマクロ的、そしてミクロ的なさまざまなアプローチを総動員して水問題に対処しなければなりません。水が中国の国土の形だけでなく、これから中国の人々のライフスタイルを決めてゆく最大のファクターではないかと思っています。

日中共同調査報告書とメガロポリス戦略イメージ図

梶原:ありがとうございました。周さんは90年代に都市化プランの策定にかかわって3つの巨大メガロポリスを造るという際に、水のある所に人口を集中させるという都市の造り方は非常にダイナミックで興味深いお話でした。また、お話を伺いたいと思います。

 次はインドの元外交官で現在はインドの首相の気候変動に関する諮問機関のメンバーをされているダスグプタさんです。国連の気候変動に関する政府間パネルIPCCのパチャウリ議長が率いるインドのエネルギー資源研究所の顧問もされています。そして、大使として中国やEUに駐在されていたこともあります。気候変動の専門家です。それではダスグプタさん、お願いします。

チャンドラシェカール・
ダスグプタ
気候変動に関する首相諮問機関委員
インド元駐中国大使

ダスグプタ:ありがとうございます。私の話のテーマは気候変動がインドの水資源に与えるインパクト、影響ということに関してです。気候変動のインパクトということを話す前に、インドにおける水状況を簡単にお話したいと思います。インドはすでに水ストレスを抱えている国です。人口一人あたりの淡水の入手可能量は2008年の場合、1654立方メートルでした。これは1700立方メートルよりもやや少ないわけで、水ストレスの国であるわけです。しかしながら、水不足の国というのは1000立方メートル以下ということですから、水の欠乏ではない。こういうことが起こったのは、ここ50年間に人口が急増したことです。私たちは言ってみれば水ストレスの段階に入ってきているということです。

 もっと重要なのは、淡水への需要が非常に急速に増えてきたことです。それは私たちの経済開発が原因です。インドは非常に深刻な食糧不足に悩まされた国です。1947年に独立した時は大変な食糧難の国でした。いまはそうではありません。国民に食べさせるだけの食糧がある。そのためには農業での革命が行われました。「緑の革命」と呼ばれているもので、これで自給自足ができるようになった。緑の革命のため、水をもっと集中的に農業に使ってゆくということです。農業の水需要が非常に増えました。それから工業発達によって水の消費が増えました。ここ10年間に工業需要は倍増しました。また、火力発電所の冷却にも水が必要です。発電所などの需要もあって非常に水の需要が増えたわけです。一人あたりの需要はこのように増えてきているということで水ストレスの国になっています。

 たくさんの地域で、地下水も過剰くみ上げをしてしまっています。いくつかの場所で地下水面は下がっています。世界銀行の予測によると、2030年にはインドの帯水層の6割が危機的状況になるとみられています。淡水資源の需要はこれからも急増すると思います。経済発展は今では年間9%ぐらいですが、それは10%程度まで上昇すると思います。水の需要も大幅に増えると考えられます。今後40年間に工業用水の需要は7倍も増えると予測されています。人口増加は低下しているが、まだ安定化していません。これから15年間に総人口は増えてしまい、11億5000万人から13億9000万人ぐらいに増えると思います。しかし、人口一人あたりの需要というのは少しづつですが、減ってゆくと思います。なぜかと言いますと、それには3つの理由があります。

 気候変動が地球表面の温暖化をもたらし、これによってヒマラヤ山系で氷河の溶解ということが起きています。淡水が凍結した形でヒマラヤ山系の氷河で一番たくさん貯蔵されています。この氷河はチベット高原までずっと広がっています。このような氷河がどんどん減ってゆく兆候があります。そうなると、まず川の流量が増えていきます。そして鉄砲水や洪水が起こったりします。そして何十年かたつと、川の流量は少なくなっていくという問題があります。そうすると水ストレスの問題がもっと深刻になります。

フォーラムの様子

 2つ目に、気候変動によって降水パターンが変わります。特にモンスーンのパターンが変わってくる。モンスーンは南・東南アジアではとても重要なものです。毎年雨が降る日数が少なくなっていく。でも、降るときは集中的に降ってしまう。集中豪雨の一方、雨の降らない期間が長くなり、渇水状態になります。1年間の数日間に集中豪雨になりますと、充分に水を貯蔵することができなくなって、みんな海に流れてしまうことにもなります。

 3つ目に、気候変動によって海面上昇が起きます。そうなると、塩分が沿岸地帯の帯水層に浸入してきます。それに対して防衛措置の必要がありますが、いわば沿海の塩化現象が起こる。淡水資源がこれからどんどん水ストレスを受けていくことになります。是正策をとらなければインドの水ストレスをさらに深刻化させてゆくということです。

 私たちは国連の気候変動枠組み条約に国別報告をしています。2004年の報告ですが、こういう風に書いてあります。気候変動が温暖化や海面上昇、氷河の融解をもたらすと、インドのいろいろな部分での水のバランスに悪影響を与えると同時に、沿岸地域での水の質を変えてしまう。気候変動は地下水にも影響を与え、降水のパターンが変わり、蒸発散も変わってゆく。また、海面上昇で沿岸や島の帯水層が塩化していってしまう。そして、降水の頻度や激しさがどんどん増してゆき、地下水の質を変えてゆく。降水が激しくなると、表流水が増えてしまって地下水の涵養ができなくなってしまうということです。

 私たちはどのような対策をとっているのかと言いますと、インドでの一番重要な対策は3つの資料にカバーされています。まずひとつに、2002年の国家水政策は気候変動に焦点を当てるのではなく、一般的な枠組みを提供しています。国家中央レベルでの水政策です。各州がこれにのっとって計画をつくり、補完する。次は環境に関する5カ年計画です。農業や工業、林業も重要です。気候変動のインパクトや水資源に与えているインパクトに関しては、ナショナル・ウォーター・ミッションのなかでカバーされています。気候変動に関する国家行動計画のもとにあるナショナル・ウォーター・ミッションと呼ばれているものです。水のミッションが8つあります。そのうちの1つがナショナル・ウォーター・ミッションです。水ミッションの目標は8つあります。ひとつは気候変動の影響の包括的データベースを提供し、評価することです。気候変動のインパクトは一般的にはどういうものになるのか我々は分かっていますが、それぞれの地域における詳細で具体的な影響についてはあまりよく分かっていません。でも、知りたいのは「この地域ではどうなるか」という具体的なものです。それに関して科学的な調査をしており、実際に包括的なデータベースを作ろうとしています。

 ほかにも同時にいろいろなステップをとる必要があります。行動を取って行く必要があります。政府だけではなく、市民をどうやって巻き込んでゆくかということです。国民です。市民グループが含まれます。それと同時に重要なのは民間部門でもあります。私たちが考えている措置は、いろんなインセンティブを与え、水「中立」か水「プラス」の技術を開発させることです。それを奨励させるため、政府はいろんな金銭的なインセンティブなどを設けています。同時に企業のCSRも奨励している。民間企業は水の経済的利用や節水などの重要な社会的責任があるからです。

 次は、とくに脆弱な地域に焦点を当てる必要があります。これはもっと具体的な評価が行われたら分かってくるでしょう。次には一般的な目標を定めることです。例えば水利用の効率を今後10年間に20%向上させるため、いろいろな措置がとられています。金銭的なインセンティブを水「中立」・水「プラス」の技術に与えるだけでなく、いろいろな機器や装置に水効率を表示することです。水の監査や水のリサイクルを奨励し、点滴灌漑(かんがい)などを進めることもそうです。灌水(かんすい)灌漑ではなくて、点滴潅水であります。

 最後に、ミッションゴールのなかには、流域レベルでのIWRM、統合水資源管理が必要です。ばらばらにやっていては水資源の管理はうまくいかない。統合的なものが必要である。例えば洪水の水を利用可能な水に変えてゆくような作業や、水の取り入れ、刈り入れです。豪雨などが数週間集中して降った場合には、雨水を刈り入れる、取り入れることが必要です。それが水源涵養になるように、水の貯蔵ができるようにすることが重要です。そして統合的な流域、水の管理と開発というのがとても重要です。こういうような具体的な対策を取っており、それがもっと細かい形でナショナル・ウォーター・ミッションの中に網羅されています。

 結論を申し上げると、気候変動はインドの水ストレスをさらに悪化させるということです。私たちはすでに水ストレスに悩まされている。水ストレスは経済成長とともに今後悪化してゆくけれども、それに加えてさらに気候変動が水ストレスを深刻化させるということです。2つ目には、私たちの対策、戦略というものは、水利用の効率を増やすことに焦点を当てると同時に利用可能な水の入手可能量を増やすことです。それに必要なのは、すべてのレベルの政府、つまり、中央政府だけでなく州や地方、市町村を巻き込んでゆくことです。企業や国民を巻き込むことも必要です。どうもありがとうございました。

梶原:ありがとうございました。気候変動とインドの関係についてお話戴きました。雨の降り方のパターンが変わっているという話がありましたが、先週もインドでは大雨が降っていたそうですね。今この時期、モンスーンはどうなんでしょうか。

ダスグプタ:たいていは、このような豪雨は、もう少し早めに降るはずなんです。これは気候変動のせいか分かりません。確実には申し上げられませんけれども、こういった事象がこれからもっともっと頻繁に起こりうるのではないかということです。将来は気候変動でますます増えていくでしょう。

梶原:国交副大臣の三日月さんにお願いしたいと思います。三日月さんは今、国交省の中で水のインフラ輸出などを担当されています。6月にはシンガポールで開かれたインターナショナルウォーターウィークの中で開かれたアジア太平洋水インフラ担当大臣会合にもご出席されています。それではよろしくお願いします。

三日月 大造
国土交通副大臣

三日月:ありがとうございます。前原国土交通大臣のもとで水政策を担当させていただいています。皆さんと一緒に水について語れること、考えられることは大変光栄です。私は日本最大の湖、琵琶湖を擁する滋賀県で育ちました。水の豊かさなどを日々感じながら生活してきた一人として、水政策には大変強い関心と使命感を持って取り組ませて頂いています。結論を先に申し上げれば、先程来、周さんやダスグプタさんからもありましたが、中国やインドがけん引する世界の成長の過程にあって都市化や工業化が進み、水不足や水ストレスがさらに深刻化する。しかし、日本もこの歴史的な過程を経験してきました。古来大切にしてきたいろんな知恵もある。企業や自治体、大学もさまざまな技術開発をしてきています。こうした知恵や経験、技術という日本の持っているものが中国、インド、世界の発展のために大きく貢献できる。また、ビジネス市場としても大変可能性のあるこうした分野で、日本は企業、自治体、官民連携といった取り組みを進めることによって成長もしてゆける。そういう観点で成長戦略のひとつの大きな柱として取り組ませて頂いています。

 皆様はすでにご存じのことばかりかと思いますが、4つの面で水の現状について認識を共有したいと思います。14億キロ立方メートルの水が地球上に存在しますが、淡水は2・5%。そのうち7割はヒマラヤに代表される氷河などに固まっています。使える水は地下水を除くと、その0・001%にしかなっていないという状態です。目の見える場所でたまっている水、流れている水、使える水は非常に限られている。豊富ですけれども限られている。そして偏っている。飲める水にアクセスできる人は限られている。約13%の人たちしか飲める水にアクセスできず、39%の方々はトイレをはじめ衛生状態の悪い地域の生活環境に置かれている。

 中国やインドもそうですが、急速な成長と工業化によって公有水面や河川、湖が大変汚されてしまっている状況があります。これは人類、国民の存亡にかかわる危機でもあります。日本も公害をはじめ、こうした危機に直面し、多くの被害や犠牲を伴いながら、乗り越えてきた歴史があります。温暖化の影響によるところも大きいのでしょうが、渇水や洪水のリスクにさらされる機会が増えてきています。自然災害のうち洪水や渇水ですが、約4割の方々が水に関する災害で犠牲になり、苦しめられている状態です。このリスクがさらに高まることが予想され、懸念されています。

 いま申し上げた4つの面ですが、水資源は豊富だけれども、限られていて偏っている。生命、生活に不可欠ですが、アクセスできず衛生状態の悪い環境に置かれている人類がたくさんいる。渇水、洪水の自然災害は、水由来のものが大変多い。汚濁の問題も大変深刻化してきている。

 こういう局面に対して日本が経験してきたこと、培ってきたことを生かして、日本という国も成長してゆけるし、世界の安定的発展に貢献できる。そういうことをアジアの経済戦略、成長戦略のひとつに位置づけて、取り組みをさらに加速化させてきています。それを官の部分でやるだけでなく、民間技術も活用し、市民の力も巻き込みながら、国内でも充実化させてゆくとともに世界に売ってゆくという戦略をいま打ち立てています。

 世界の水インフラ市場は現在約36兆円規模ですが、いまから15年後の2025年には86兆円規模に拡大、急成長する分野として目されている。特に下水の分野、汚れた水をきれいにする分野は非常に大きな潜在力、可能性を秘めています。国土交通省が中心になって厚生労働省、経済産業省、環境省、総務省と一緒に「海外水インフラPPP(パブリックプライベートパートナーシップ)協議会」を立ち上げ、民間企業139社にも公募で参画していただき、情報交換と連携をさらに進め、深める取り組みを始めています。こういう協議会を足がかりにして、さらに国内でも充実させ、世界にも売ってゆきたいと考えています。

 ちなみに下水道膜処理技術、これは汚れた水をきれいにしたり、海水を淡水化したりする膜の技術ですが、この技術は世界のトップシェアを日本の企業が持っています。その処理過程で発生する下水汚泥を使ったバイオマス化、つまりエネルギーとしての活用などや技術は世界に先駆けて日本が開発している。さらに人工衛星を活用し、雨量データを瞬時に把握し、解析して地域別に分けて予測することで短期・中長期的な水のバランス、降り方、たまり方についても予測してお知らせする技術も日本で開発しており、一部地域で活用を始めています。

 こういう日本の技術や経験を中国でも自治体や国レベルで情報交換し、連携を深める取り組みをすでに始めています。(スライドを見せて)「ペガサス」高度処理技術ですとか、燐の回収技術についても一部実用化が始められています。インドでも下水道整備支援や、老朽化した下水管を開削せずに水を流しながら強化してゆくSPR工法も日本が開発し、世界各地で活用が進められている。こういうことを民間企業だけでなくて政府がリーダーシップを持って後押ししながらセールスをしてゆくことがさらに必要だろうということで、トップセールスやセミナーを積極的に開催するだけではなく、官民学が持っている技術拠点をショーケースや商談スペースと一緒に拠点設置することによるハブ化、国際戦略拠点を国内に設置することを来年度予算で要求させて頂いています。

 こうした取り組みをさらに進めたいと思っています。国交省内に水に関する部局は河川、土地、水、資源とか、ばらばらにありました。それではいけない。もちろん省庁間を超えた組織の統合も必要ですが、まずは国土交通省内だけでも国際局というものを設置し、世界のさまざまなニーズやシーズに関するインフォメーションを集められるようにしよう。水管理防災局というものを新たに設置し、水に関する施策は統合的に運用できるようにしようという取り組みも来年度から進めるべく準備を進めさせて戴いています。世界がこれからさらに急速に成長してゆく過程において、日本が持っている技術をもっともっと生かして戴けるようにさらに強力に成長戦略を進める所存ですので、皆様方のご理解やご参加、そしてご協力をいただければと思います。どうもありがとうございました。

梶原 みずほ
朝日新聞社GLOBE
編集チーム記者

梶原:どうもありがとうございました。6月のシンガポールの国際水週間でも、ビジネスフォーラムですとかエキスポで官民一体の取り組みというのがすごく感じられる。つい1年、2年前は水を管轄する省庁がいくつもまたがっていて、縦割りではないかという意見なんかも出ていましたが、今日のお話を聞きますと、国交省内の組織改編を含めたいろんな新しい動きがすごく出ていて、非常に官民一体の動きというのが分かりました。ありがとうございました。

 さて、大都市での問題を考えたいと思いますが、国連によりますと2050年には人口が90億人を超えて、その7割が都市部に住むという風に言われています。周さんにお尋ねしますが、先ほどのスピーチの中で90年代に都市化のプランにかかわり、それが2006年からの第11次5カ年計画に反映されているということで、その巨大メガロポリスを3つつくったと。北京は南水北調のプロジェクトのお話も出ていましたが、南部の方では水は豊富だが、北部は足りない。偏在しているということで、北京については大きな都市をつくることに関して危惧されているとおっしゃいましたが、今北京ではどういったことが起きているのでしょうか。

周:北京・天津・河北地域は、今非常に大きな開発が進んでいます。特に天津では過去数年、非常に大規模な開発が行われてきました。ただし、この地域は非常に水に悩んでいまして、水ストレスが非常に高い。北京での淡水の半分か3分の2が地下用水に頼っているという話があり、過去の摂取による地盤沈下は開発エリアよりはるかに大きなエリアに及び非常に深刻です。しかも水の価格はそれほど高くなく、政府は市民に水ストレスを与えないように努力しているが、私からみると、このストレスをみんなで共有しないことこそが大問題だと思っています。市民はいまのところ水問題のストレスに影響されず、水の一人あたりの使用量がむしろ増大しています。その傾向を食い止めなければいけません。

 水のある地域に産業と人口を集約させるというのが私の考えですが、過去10年間は沿海部の長江デルタと珠江デルタに猛烈に産業が集中してきた。中国のGDPの半分近くが3大メガロポリスに集中しています。しかし、人口の集約・集中はかなり制約があって制度のストレスが非常に高いです。中国では戸籍制度が、計画経済の時代から作られていた。農村人口は農村戸籍で、都市人口は都市戸籍で固定されています。農村の人々は都市戸籍をなかなか取得できず、出稼ぎ労働者が10年、20年も都市部に出稼ぎしていても長期的な居住が認められない。このストレスが非常に大問題になってきていまして、億単位の人々が非常に大きな精神的、あるいは経済的な不便を強いられています。これで人口の集約、集中がかなり阻害されています。抜本的な改革が求められている時期ではないかと思っています。

中国各都市における人口流動分析図:流入
(注: 常住人口が戸籍人口を上回っている都市は、人口流入都市)

梶原:ありがとうございました。ダスグプタさんはインドから中国大使として中国にも住んでいらしましたが、中国とインドという都市化のプロセスをご覧になって、大きな違いというものがあるのでしょうか。

ダスグプタ:中国もインドも工業化のために都市化が起きています。農村部から都市部への人口流入が起きているのが共通点です。中国は法制度で人の移動をコントロールしやすい。中国の場合はインドと比べて都市部の成長の計画をより体系的に行うことができるでしょう。インドの場合、基本的に人の移動というのは市場のインセンティブによって起きます。あそこに行けばより給料の高い仕事に就けるということであれば、その都市に動いてゆくでしょう。これをコントロールしたり、規制することはインドの場合はできません。その結果、都市が無計画に成長してゆきます。都市計画がないわけではありませんが、人口移動については計画できないというのが複雑化していると思います。アジアの都市開発、発展をみると、点数をつけるのは難しいが、ものすごく成功したのはシンガポールだと思います。シンガポールは完全に統制できる都市国家なので規制しやすい。これが最も計画のうまくいった都市発展の例だろうと思います。

梶原:ありがとうございました。インドに行った時、夕方に雨がものすごく降って、デリー市内のホテルの前の道が一気に短時間でクルマの半分ぐらいが埋まるぐらいの水の量が一気に流れてきて。あまり排水設備なんか整っていないんじゃないかという印象を受けたのですが、地下水の取水によっていろんなことが起きていると聞きます、今と昔を比べてどうなんでしょうか。

ダスグプタ:水が流れてしまうのは下水ではなく排水の問題です。排水が都市の成長に追い付いていない。デリーはムンバイと比べるとましな方です。ムンバイではさらに深刻です。地下水の問題です。私はデリー郊外に住んでいますが、デリーの開発の特色として非常に急速な開発が中心部ではなくて郊外で起きました。高層オフィスビル、住宅ビル、ショッピングモールは中心部ではなく、主に郊外で建てられています。私は10年間、今の所に住んでいますが、この間に人口は10倍以上増えました。都市景観も全く変わった。私が住み始めた時は、3階建て以上がほとんど無く、ほとんど空き地だったんです。今は高層ビルがたくさん建ち並んで、多国籍企業や国際金融機関が引っ越して来た。それが水や電力に影響を与えるということは想像に難くない。地下水の過剰取水が行われてしまった。帯水層に非常に大きなストレスがかかっています。高層ビルが建ち、そのためにより深く、深く地下を堀って取水しなければいけない。雨水の取水が不可欠で、これをやっていかなければならないと思う。

梶原:ありがとうございました。黒田さん、さきほどアジア全体のお話がありましたが、水問題で国家間の摩擦が生じる例が非常に増えていると思います。例えばメコン川ですとチベット高原の水力発電建設が原因ではないかと見られていますが、ベトナムやタイ、ラオス、カンボジアで水位が下がって、それが反発につながっている。プラマプトラ川はチベットが源流でインドやバングラデシュを流れていますが、中国が巨大なダムを造っていることが周辺国との緊張感を高めている。シンガポールでもマレーシアに水を頼っていたが、値上げすることで対立が生じて、それが結果的にはシンガポールの水産業を育てたわけです。こうした水のプロジェクトの必要な地域の受け入れ国のニーズや政治制度、環境というのは様々なわけですけれども、ADBとしては先ほどガバナンスの話もありましたけれども、例えば利害調整役、仲介役としてどこまで関与できるのか、してゆこうとしているのか、どういう点を意識してかかわっているのでしょうか。

黒田:メコン川については、先ほど申し上げたようにメコン川委員会という国際組織がありまして、このメンバーにはラオス、タイ、カンボジア、ベトナムが参加していて、オブザーバーとして中国、ミャンマーが加わっています。ここが水問題についての国際的な調整をしており、ADBはそれを側面から支援しています。それと同時にグレーター・メコン・サブリージョナル・プロジェクト(GMS)という形でADBは15年以上にわたって、この地域の総合的な経済開発を進めています。これは水に限った話ではなく、道路や鉄道、電力、環境、そして水の問題を含めて総合的な地域、経済開発をADBが中心になって促進してきました。その結果、この地域はアジアの中では最も成長率の高い地域のひとつであり、所得も増加したし、雇用も増えて、貧困も急速に減少した。水だけに限って支援するのではなく、運輸や交通、電力、環境などさまざまなことを総括して支援することによって、この地域の参加6各国の経済的な利害を調整するということです。ひとつの点だけですと、いわばゼロサムゲームのようになり、1国が得をすると他の国が損するということになりかねないわけです。総合的な経済開発、経済発展の支援によって、水の問題も深刻な対立にならないように努力してきているわけです。ADBのような国際機関である開発銀行の有利な点は、水問題についての支援に限らず、幅広く経済発展や貧困削減を支援することができるので、そのなかで水問題も解決していけることだと思います。

 水については、確かに上流と下流の国で決定的にレバレッジが違うわけです。上流でどんどん水を使ってしまうと、下流でどんどん足りなくなる。上流で汚染すると下流に当然影響が出てくる。上流の国と下流の国とは常に潜在的な対立の要素をはらんでいることは事実です。これはメコン川だけでなく、ガンジス川やインダス川、アムダリア川でも、どこでも同じ問題があります。そういうところで常にそういう対立、紛争の可能性があることは事実ですが、それをどうやって和らげてゆくかということにADBとしても他の国際機関とともに努力しています。

梶原:ありがとうございました。三日月さんにお尋ねしたいんですが、先ほど国際局ですとか、海外水インフラPPP協議会のお話も少し出ました。他省庁とどういう戦略を持ってこれからやっていこうとされているのか。PPP、パブリック・プライベート・パートナーシップというのはプロジェクトの構想段階や政策段階から関わったりして、ビジネスする上でも有利にしてゆくという面もありますし、それが現地で求められているということだと思います。国交省の中では下水道部とか原局もあるわけですが、民間企業とのお付き合いはそういったレベルでされているわけで、国際局というもののイメージと他省庁の連携についてどういう風にお考えでしょうか。

三日月:簡単に言えば、省庁縦割り、部局縦割りの弊害を無くして、もっと国のために世界のために情報も技術も共有しようということが答えになると思います。企業の技術の企画の面では経済産業省、上水道は厚生労働省、下水道は国土交通省、環境の面では環境省、地方自治体のことは総務省と、それぞれの所が別々で水に関する施策も行われているわけです。国内でそれぞれの自治体で行政を運営する限りにおいては、そういう仕組みもこれまでは機能的だったのかも知れません。しかし、世界の様々なニーズ、シーズ、ビジネスに対応してゆくためには、関連する情報、技術も集積し、集約して取り組んでゆく必要があるだろうということで、海外水インフラPPP協議会も立ち上げました。協議会を中心的に運営する国土交通省内に水に関する部局を統合することと、国際局は水だけに限らず鉄道や建設、住宅、都市インフラなど国土交通省が持つ施策分野の国際的な情報を統合的に集約することで始めたところです。もちろん企業や商社はそれぞれ個別に国と商談を進められることもあるんでしょうが、それを是非政府としてもバックアップできるようにして、これは外務省もしっかりと取り込んでゆく必要があると思います。それぞれ大使館を通じたPRや情報集約、海外要人との人間関係やそれぞれのキーマンといわれる方々とのつながりとか、そういうことを含めて政府がしっかりと後押しできるような体制をこれからは構築してゆきたいと考えています。

梶原:ありがとうございました。周さん、日本は下水関係ですとか、下水の再生利用の技術や省エネ技術があるわけです。中国の政府の戦略として水の浄水、下水、水質汚染とかいろいろありますが、例えば国家予算などを通して見てみると、どういったところにプライオリティーを置いているというか、水関連事業に関してはどこにプライオリティーを置いていると言えるのでしょうか。傾向みたいなものはありますか。

周:私はプライオリティーを申し上げる立場ではありません。先ほども申し上げたように、中国の水問題に対してマクロ的、例えば人口と産業を水のある所に集約というアプローチと、ミクロ的なさまざまなアプローチを総動員する必要があります。水問題に関わる話は優先事項として、ちゃんと対処しなければいけないです。マスコミもこれからの役割が非常に期待されます。水問題と環境問題はやはり社会的な大議論が必要です。ライフスタイルに関する議論、汚染に関する議論などを引き起こさなければならないです。残念ながら中国のマスコミはまだ制約があって、そこまで至っていませんが、ネットの時代にもなり、おそらくマスコミとネットがこれからそうした大議論を引き起こすことになるでしょう。これは時間の問題です。中国の政府も市民も水に関わる問題にさらに敏感になり、プライオリティーが高くなっていくに違いありません。

中国各都市における一人当たり水資源量分析図

梶原:ありがとうございました。ダスグプタさん、インドでは先ほど国際河川のメコンとかブラマプトラ川の話がありました。インドは国内においても河川をめぐって州政府レベルの対立が起きていたりとか、水資源管理もそれぞれの州政府に任されている面がある。中央政府と州政府の関係というのは水資源に関して、どのようになっているのでしょうか。

ダスグプタ:インドは連邦国家です。州政府がありますし、非常に相当な力が州政府に与えられています。外務的など一部の仕事は中央政府ですが、多くの事項が州政府の問題となっています。水もそうです。州をまたがって流れている川があり、それによって州の間でいろんな議論が起きている。どうやって水を共有したらいいのかとか、あまりにも水を強く使ってしまって下流の州に水が行かない、断流してしまうという問題も起きて、非常に複雑な問題になっています。これらをきちんと分類して対話を行うことも可能でしょうが、中央政府が中に立つことが必要だと思います。そして、なんらかの形で問題解決ができているというようになっています。しかし、大きな問題であることは確かです。

梶原:ありがとうございます。黒田さんにお尋ねしたいんですが。中国は高い経済成長の中で工場の排水問題とか、環境対策が後回しになってきた面もあり、公害問題がクローズアップされています。貧富の格差も広がり、水へのアクセスの格差も出ているわけです。ADB総裁であるとともにマイクロ・マクロ経済の専門家ですが、中国の成長と環境対策、水インフラ整備のバランスについてどのようにお考えでしょうか。

黒田:中国経済は今年もおそらく9・5%から10%の間ぐらい、我々は9・6%ぐらいの成長率を達成するという風に見込んでいますが、今後も10年、20年と相当高い成長率を達成するであろうと見ています。ただ、これからインドの成長率が加速してゆくのに対し、中国はむしろ少しずつ減速してゆくという風に見ている。もちろん20年たっても日本のような成長率になるわけではなく、まだ高い成長率ですが、まあ10%前後の成長率が少しづつ減速してゆくだろうと思っています。それ以上に大きいのは、都市化が大変な勢いで進んでいて、それが工業用水の必要性、工場からの排水の増加、一般の人々の生活用水の要請や生活排水の処理の問題というように非常に多くの水問題を引き起こしています。これに対して政府自体も相当いろいろな対応策をとっています。私自身は、今後20年という期間をとったときに、相当抜本的な水問題に対する対応が取られて、危機的な状況がさらに深刻になるという状況が避けられるのではないかという風に希望しています。それを実現させて危機を回避するにはものすごい努力は必要であることは確かです。特に水質汚染の問題は非常に深刻で、これを抜本的に直してゆくためには相当な費用がかかるし、国民意識も高めてもらわなければならないと思います。

 ひとつプロジェクトを申し上げると、ADBは天津で総合的な水支援会議というプロジェクトを支援しています。これはコンプリヘンシブ・ウォーター・リソース・マネジメントというもので、確か200キロぐらい上流から川と運河の水資源の涵養と、その水質の維持、飲料用水への使用、下水処理施設も支援するというかなり大規模なプロジェクトです。天津は人口と産業が集積し、水需要が増加して生活排水と工業排水が爆発的に増加して水汚染の問題を引き起こしたわけですが、この問題に対して天津市も中央政府も非常に積極的な取り組みをしたため、状況はかなり改善しつつあると思います。ただ、北部はどうしても水が不足な地域なので、これ以上に人口や産業が集積すると、その対応策は非常に難しくなると思う。もちろんコストさえかければ今のテクノロジーで相当なことはできますが、莫大なコストをかけて、例えば天津にこれ以上の産業と人口の集積させることが中国経済、社会全体にとって有益かどうか考えてゆかねばならないという風に思います。

 水の問題は、まず成長してから対応するということは不可能な状況になっています。成長する中で毎年毎年莫大な経費をかけて水の汚染を防止し、水資源を涵養し、効率的な使用をするということを同時に進めてゆかなければ、すでに対処コストがものすごく上がっていますので、そのコストをこれ以上引き上げないためにも、今まで以上の努力を20年ぐらいにわたってやっていく必要があります。中国政府はそれをやり遂げる能力があるのではないかという風に思っています。

梶原:ありがとうございました。三日月さん、日本は今、下水道のハブをつくろうとしているということです。国際的な戦略拠点としていくつかの候補地も上がっているようですけれども、海外のいろんな研究者、企業の方にも見てもらって研究開発の拠点にもする訳です。これから候補地の選定にも入ると思うんですが、三日月さんの地元の滋賀県の知事も非常に熱心にPRしているようです。どういう条件が必要なのか、具体的にどういうものをイメージされているのか教えてください。

三日月:シンガポールのお話も先ほど出ましたが、まさにマレーシアとの関係で、欠乏や困難が技術の発展の源を生むという好事例だと思います。あれはADBの認定でもあるナレッジハブ、都市の水供給分野でシンガポールのPUBがそういう認定を受けていて、そこに日本企業も参画して、むしろシンガポール発の技術のように日本企業の技術が世界にどっと出ていっているようなところもあります。私たちはADBの認定で下水道分野のナレッジハブという認定をすでに受けています。この拠点を国内でもしっかり整備したいということで下水道ハブ構想というのを展開しているところで、自治体に手を挙げていただいています。私の選挙区の滋賀県も手を上げているのですが、私があんまり言うと我田引水になりますので、多くを申し上げません。

 主な条件としては4つあります。ひとつは処理場、上下水道のインフラです。高度処理を可能にする技術や経験があるのかないのか、ということが一つ挙げられる。汚泥の活用や膜浸透技術をはじめ、先端技術を開発する技術が立地しているのかどうか。その集積性も非常に大きな条件になると思います。水の分野だけでなくて、そこで見に来て頂いて商談をして頂くことからすると、交通アクセスや周辺の観光施設、宿泊施設が整っているか。最後に、これも非常に重要だと思いますが、企業、行政だけでなく、大学をはじめ研究施設との連携が取りうるのかどうか。滋賀県の事例を挙げて恐縮ですが、水に関することは人々の生活、日々の生活に関わることですので、そこに住んでいる住民市民の意識や運動がどのレベルにあるのかというのが水質の面でも節水浄化の面でも非常に重要だと考えています。そういう運動も一緒にその地域で吸収することができるのか否か、発信することができるのか否かということも極めて重要かと思います。以上申し上げた大きく4つの観点でこれからこのハブ構想を進めたいという風に考えています。

梶原:ありがとうございました。周さんにお尋ねしたいのですが、サステイナブルな経済成長のために中国政府はどういったことをすべきなのか、出来るのか。日本が政府、企業を含めてどういう風に関わっていったらいいのか。どのようにお考えでしょうか。

周:先程、水の分配の話が出ましたが、中国の事例を説明したいと思います。中国第2番目の河川である黄河は、上流地域が過度の水の摂取によって、水が海に届かないという断流現象が起きました。1997年は最高で226日も断流となった。当時の中流域の河南省の鄭州までも水が行かなくなった。政府は事態を深刻に認識し、地域間における水利用の利権を調整する仕組みを作りました。調整することによって2000年から今日に至るまで断流はまったくなくなりました。1日もないのです。その意味では地域間の調整はあり得るのです。

 いまから十数年前に私は、当時はまだ純輸出国だった中国が将来食糧とエネルギーの輸入大国になると予測し、ユーラシアランドブリッジという構想を打ち上げました。いままでの鉄道中心のランドブリッジ構想と違って、カスピ海から中国の沿海部まで石油と天然ガスのパイプを敷く。東アジアの国々はそこからエネルギー供給を受ける。沿線開発や環境整備など黒田総裁がおっしゃるような総合的な構想で一括的に利害関係を調整するプランを打ち立てた。この構想は、小渕政権と江沢民政権の間で日中の21世紀最重要プロジェクトに位置づけられたが、その後日本政府の方が「これはでかすぎる話だ。メガプランにはついて行かない」という理由で降りてしまった。中国政府はこのまま進めて、「西気東送」ということで西のガスを東へ送ることを着々と進め、いまは新疆ウイグル自治区から上海にガスが届くようになった。カスピ海に向かってパイプラインも着々と伸びています。水の世界でも、このような大きな構想が必要とされるし、その中で利害関係を総合的に調整することが非常に大事だ。

周牧之『現代版「絹の道」、構想推進を』『日本経済新聞』1999年4月1日朝刊掲載

周:最後に、国際協力の話にちょっと触れたい。日本政府がいまトップセールスを進めることは非常に大事です。国際交流のハブになるということも非常に大事です。東アジアの中で日本は教育のハブ、環境のハブになるべきだが、さらに政府が一番やらなければならないのはFTAなど制度面としての舞台整備です。

 実は今日は私、非常にストレスが溜まっています(笑)。なぜかというと、私どもの大学は110年記念の大きな国際シンポジウムを明日、開くことになっています。このシンポジウムのパネリストの一人が昨日、成田で止められて、今日、帰されるということになりました。このパネリストは中国最大のネットコミュニティーの社長です。ニューヨークに上場して三千数百万人の会員を持つネット業界の世界的な企業の創業者です。来日ビザ取得のすべての資料を送ったのですが、ずっと世界を飛び回っていて5日間もパスポートを日本の大使館に預けるスケジュールがない。そこで日本で乗り換える形で3日間、72時間降りることができることを知って、これを使おうかと思った。きちんと乗り換えのチケットを用意して昨日東京に入り、シンポジウムにも参加することを出入国係官に話したところ、純粋な乗り換えでなくシンポジウムに参加するのはダメだとなった。警備員つきのVIP待遇で成田に一泊し、今朝、帰国させられたのです。なぜ72時間を有効に使って、会議に参加して、観光して、お金を落として、といったことができないのか?そういうことを是非改善して戴きたい。

MUZHI ZHOU『Eurasian land bridge carries great promise』『The Nikkei Weekly』1999年5月17日掲載

梶原:日中のビジネスの促進のための環境作りが必要だということがよく分かりました。黒田さん、ダボス会議を含めて国際会議でご発言されていますね。水ビジネスというのは、やはり技術とかパーツだけではなくて、水循環の全体のトータルコーディネートできる人材や企業が必要だと言われています。総合的な水問題の解決策を提示できる企業や人材で日本はどうなんでしょうか。どういう風にお考えでしょうか。

黒田:日本企業の能力というか、日本の人材の豊富さというのは、もちろんアジアの国々ではよく知られています。特にマニュファクチャリングセクターでいろいろな物を効率的につくり、例えばエネルギー効率のいい発電機が作れるなどのさまざまな面で日本企業が大変な技術を持っていることはよく知られているわけです。ただ、その技術があれば自動的にアジアで売れるかというと、そうはならないわけです。というのは、水問題も典型的ですが、非常に複雑な要素をはらんでいるわけです。水道や下水をつくる場合にしても、水を取り入れる所や水の質を改善する所、さらに下水道で生活排水を集めて処理して、最後に川や海に流すという物理的な施設という面だけではないんです。私はガバナンスで強調しましたが、水の利用をめぐっては水資源の地域の人もいますし、農業や工業といった生活用水とは別の需要とも競合しているわけです。同じ上水や下水の利用者にしても、その費用をどのように負担するのかという問題もはらんでいるわけです。地域的、あるいはプロビンシャルな人々に非常に大きくからんでいるわけです。そういう意味で社会的、政治的な次元が非常に大きい。

 水のプロジェクトを日本の商社やエンジニアリングカンパニー、あるいは施設や設備をつくる企業が売り込もうとした場合、単にその物理的な機械や設備の効率だけで勝負できることはありません。あくまでも水の利用と処理のトータルパッケージ、コンプリヘンシブなパッケージを担当官庁の人に示すだけではなくて、地域住民の人たちに納得してもらう必要がある。そういうソーシャルな、ポリティカルな次元までを含めたプロジェクトを組成して、人々にプレゼンテーションする必要がある。そういう能力が日本の企業や日本の人々に、やや足りないところがある。水の分野ではオランダやシンガポールの企業は非常に競争力がありますが、水問題についてコンプリヘンシブな包括的なとらえ方をしてプロジェクトを組成し、その地域の住民に売り込んで納得してもらうという能力があるということだと思います。単なる物理的な技術だけでは足りないんです。そこが日本の企業や人材の充分ではないところです。よく英語の能力などと比較して言われます。英語の能力も当然必要ですが、単に英語がぺらぺらしゃべれるというだけではなく、そういう問題を包括的にとらえてそれに対する問題解決ソリューションを提示して、地域の住民から官僚、政治家に至るまで説得できるという能力がないと、水ビジネスというのはなかなか日本企業のところに来ないのではないか。潜在的な能力はありますが、それがまだ充分生かされていないのではないかという風に思います。

梶原:ありがとうございました。時間が迫ってまいりました。ここで議論は終わりにしたいと思いますが、最後に三日月さんにひとつだけ。今日は民主党の代表選があります。民主党政権が発足して1年過ぎました。前原国交大臣が続投するのか分かりませんけれども、ご自身はどのようにお考えですか。小沢さんがもし総理になった場合、国交行政というのはどういう風に変わるのか。

三日月:水の流れは変えていいものと、変えてならないものがあります。お互いが背水の陣で臨まれていますので、覆水盆に返らずというようにならないように是非、水魚の交わりをつくって参りたいと思います(笑)。どうもありがとうございました。

梶原:どうもありがとうございました。さて、今日の議論の中で節水という言葉がキーワードとしてちりばめられていました。水プロジェクトももちろん大切ですが、世界的な水不足は人類共通の課題です。そして節水のライフスタイルを追求してゆくことは非常に大切だと思います。今日はこの後、引き続き特別協賛社TOTOの清水さんから特別講演がありますので、そのまま皆様お席でお待ち下さい。それでは本日、皆様、ご参加どうもありがとうございました。パネリストの皆さん、どうもありがとうございました。


朝日新聞デジタル「朝日地球環境フォーラム」(2010年)掲載

【ランキング】〈中国中心都市&都市圏発展指数2020〉を発表 〜北京、上海、深圳が総合ランキングトップ3に〜


〈中国中心都市&都市圏発展指数2020〉英語版 2022年1月28日付チャイナネットで発表

 雲河都市研究院が〈中国中心都市&都市圏発展指数2020〉を発表した。北京と上海は4年連続で1位と2位、深圳と広州は3年連続で3位と4位にランクインした。成都は、2017年に同指数が初めて公表されてから順位を3つ上げ、5位となる好調ぶりであった。

 天津は、2019年度から順位を1位落とし6位に。杭州、重慶、南京は7位、8位、9位と、いずれも2019年度の順位を維持した。

 西安は11位で、2019年度から2ランクアップした。逆に、武漢は新型コロナパンデミックで大打撃を受け、2019年度の11位から13位に転落した。寧波は12位を維持した。

 また、36中心都市のうち、さらに鄭州、長沙、済南、合肥、福州、ハルビン、南昌、南寧、海口、フフホト、ラサは総合ランキングを上げた。なかでも合肥は前年度の23位から19位へと躍進した。青島、昆明、長春は2019年度の順位を維持した。

 天津、武漢以外にも廈門、瀋陽、大連、貴陽、石家庄、太原、ウルムチ、蘭州、西寧、銀川が総合ランキングを下げた。中でも大連は、2019年度の18位から23位と大きく順位を落とした。総合ランキングの変化から見ると、北方地域の中心都市の順位は低下傾向にある。

図 〈中国中心都市&都市圏発展指数2020〉総合ランキング

 中国中心都市&都市圏発展指数(以下、〈指数〉と略称)は、中国都市総合発展指標を構成する882の基礎データの中から、中心都市都市圏の評価との関連性が高い442の基礎データを精選し、組み立てたものである。〈指数〉は、統計データ、衛星リモートセンシングデータ、インターネットビッグデータで構成され、異分野のデータリソースを活用した、五感で都市を感知するマルチモーダルインデックス(Multimodal Index)である。

 例えば、〈指数〉は、衛星リモートセンシングデータを用いてDID(Densely Inhabited District:人口集中地区)を分析し、都市圏の人口規模、分布そして密度を正確に把握し、さらに、人口動態と経済発展、インフラ整備、社会ガバナンス、生態環境マネジメントとの関係を多面的に分析できるようにした。これにより都市圏研究のレベルを一挙に引き上げた。その意味では〈指数〉は、まさしく斬新なスーパーインデックスである。

 各都市における二酸化炭素排出量に関する分析も〈指数〉の一大ポイントである。雲河都市研究院は、長年の研究により、衛星解析データのGIS(地理情報システム)化で、各都市の二酸化炭素排出量の算出を可能とし、都市評価システムの精度を大幅に向上させた。

 〈指数〉の大きな特徴は、中国の4大直轄市、22省都、5自治区首府、5計画単列市の計36都市を「中心都市」とし、全国297の地級市以上の都市の中で評価した点にある。

特筆すべきは、2020年の総合ランキング上位30都市に、蘇州(10位)、東莞(20位)、無錫(25位)、仏山(27位)の4つの非中心都市が含まれていることである。

 〈指数〉によると2020年は、36の中心都市が中国GDPの39.2%、輸出の50.9%、特許の50.3%を生み出し、常住人口の26.6%、DID人口の42%、メインボード上場企業の67.3%、981&211大学(トップ大学)の94.8%、5つ星ホテルの57.5%、三甲病院(最高等級病院)の47.5%を有していた。中心都市が中国の社会経済発展をリードしている様相が明らかである。

 〈指数〉は、「都市地位」、「都市圏実力」、「輻射能力」、「広域中枢機能」、「開放交流」、「ビジネス環境」、「イノベーション・起業」、「生態環境」、「生活品質・安全」、「文化教育」の10大項目と30の小項目、116の指標データから構成され、中心都市の都市圏発展を体系的に評価する。

 〈中国中心都市&都市圏発展指数2020〉最大の特徴は、新型コロナ感染症対策と経済回復のパフォーマンスに評価の重点を置いている点にある。

図 〈中国中心都市&都市圏発展指数〉構造図

1.「生活品質・安全」大項目:新型コロナパンデミックで武漢が打撃を受けたものの、ゼロ・コロナ政策が奏功


 2020年は新型コロナパンデミックにより都市の生活品質と安全性が問われた年であった。同年中国におけるコロナ新規感染者(海外輸入感染症例と無症状例を除く)の62.8%が武漢に集中した。中国は、迅速なロックダウン(都市封鎖)措置とゼロ・COVID-19感染者政策(Zero COVID-19 Case Policy、以下ゼロ・コロナ政策と略称)で流行を早期に収束させた。結果、湖北省以外の都市では、局地的に感染者が時折出るものの感染爆発はなく、中国都市の生産や生活は早期に回復することができた。

 都市の安全性や住みやすさを評価する「生活品質・安全」大項目で、2020年の最重要関心事は新型コロナウイルスであった。同時に、同大項目は、都市の生活・消費水準や医療衛生・福祉水準にも着目している。「生活品質・安全」大項目は、「安全・住みやすさ」、「生活消費水準」、「医療福祉」の3小項目指標から成り、「新規感染者数」、「医師数」、「三甲病院」、「平均寿命」など16の指標データで構成される。

 「生活品質・安全」大項目のランキングでは、武漢は新型コロナパンデミックで大打撃を受け、2019年度の8位から最下位に転落した。北京、上海、重慶が同ランキングのトップ3となり、4位から10位の中心都市は順に(以下同)成都、杭州、広州、南京、鄭州、天津となっている。

 2019年度と比較すると、上位10都市では重慶、成都、鄭州が順位を上げ、重慶は初めてトップ3にランクインした。北京と上海は順位を維持し、武漢と深圳はトップ10から脱落した。

 36の中心都市で見ると、2019年度と比較して順位を上げた都市は、さらに西安、済南、瀋陽、合肥、青島、寧波、大連、ハルビン、長春、昆明、フフホトであった。

図 「生活品質・安全」大項目2020

2.「都市圏実力」大項目:北京、上海、深圳が上位3位に


 都市圏の実力は、中心都市を測る最も基本的な条件の一つである。「都市圏実力」大項目は、「経済規模」、「都市圏品質」、「企業集積」の3つの小項目を設置し、「GDP規模」、「常住人口」、「DID人口」、「メインボード(香港、上海、深圳)上場企業指数」など14の指標データで構成される。「都市圏実力」大項目は、都市の経済規模と人口規模だけではなく、人口集約度とその構造、さらには経済中枢機能を評価する。

 2020年は、新型コロナで大きな打撃を受けた武漢を除くすべての中心都市が経済成長を達成し、36中心都市のGDP成長率は平均で3%ポイントに達した。世界の主要国でマイナス経済成長が広がる中、中心都市の強靭さに牽引され、中国経済は2.3%の成長を実現した。

 北京、上海、深圳は引き続き「都市圏実力」大項目ランキングのトップ3であり、偏差値的にその優位性が際立っている。ランキングのトップ10都市には、広州、重慶、杭州、成都、天津、武漢が含まれている。

 2019年度と比較すると、上位10都市では成都が1つ順位を上げ、天津が3つ順位を下げたものの、その他は順位を維持した。

 36中心都市で見ると、2019年度と比較して順位を上げた都市は、さらに西安、青島、済南、昆明、貴陽、長春、太原、海口、西寧、銀川、フフホト、ラサであった。

図 「都市圏実力」大項目2020

3.「生態環境」大項目:上海、北京、天津がCO2排出量最多3都市に


 都市発展において、環境品質と資源効率はますます重要になっている。 「生態環境」大項目は、「環境品質」、「環境努力」、「資源効率」の3つの小項目指標を置き、「空気質指数(AQI)」、「GDP当たりCO2排出量」、「一人当たりCO2排出量」、「気候快適度」など15の指標データで構成される。同大項目は、環境品質と資源効率に焦点を当てるとともに、環境改善への取り組みをも評価する。

 「CO2排出量」への評価は、「生態環境」大項目の見どころである。現在、36中心都市が排出する二酸化炭素は中国全土の29%を占めている。

 「CO2排出量」を見ると、上海、北京、天津、広州、ハルビン、寧波、青島、重慶、済南、鄭州の順で排出量が多い10中心都市となっている。

 「一人当たりCO2排出量」を見ると、フフホト、太原、蘭州、銀川、天津、ウルムチ、寧波、青島、北京、上海の順で排出量が多い10中心都市となっている。

 「生態環境」大項目のトップ3は、深圳、上海、北京で、深圳が上海を抜いて初めて首位に立った。その他、広州、重慶、廈門、武漢、成都の5中心都市がトップ10にランクインした。

 2019年と比較すると、36中心都市のうち、深圳、廈門、武漢、天津、長沙、寧波、合肥、瀋陽、西安、青島、済南、ラサ、石家荘が、同大項目ランキングで順位を上げた。

図 「生態環境」大項目2020

4.「輻射能力」大項目:北京、上海、深圳がトップ3を維持


 中心都市が「中心都市」たる所以は、周辺地域乃至全国への輻射力にある。このため、都市の輻射力を測ることが中心都市評価の一大キーポイントである。「輻射能力」大項目は、「産業輻射力」、「科学技術・高等教育輻射力」、「生活文化サービス輻射力」の3つの小項目指標を立て、「製造業輻射力」、「IT産業輻射力」、「科学技術輻射力」、「高等教育輻射力」、「医療輻射力」など9の指標データから構成される。同大項目は、都市の産業、科学技術、高等教育など分野の輻射力をはかるだけでなく、生活サービス分野の輻射力も注視している。

 中国の輸出産業は、2020年前半にコロナ禍で深刻な打撃を受けたが、後半は力強く回復した。「中国都市製造業輻射力2020」ランキングの上位10都市は、深圳、蘇州、東莞、上海、寧波、仏山、成都、広州、無錫、杭州となっている。興味深いのは、この10都市の中で中心都市ではない蘇州、東莞、無錫の輸出がマイナス成長になったのに対し、中心都市である深圳、上海、寧波、成都、広州、杭州はいずれも輸出のプラス成長を実現した。こうした製造業スーパーシティに牽引され、2020年に中国の輸出は4%の成長を達成した。

 2020年はIT産業が大きく成長した年であり、デジタル防疫、リモートワーク、オンライン授業、遠隔医療、オンライン会議、オンラインショッピングなどが当たり前になり、コロナ禍があらゆる産業と生活のDXを推し進めた。「中国都市IT産業輻射力2020」ランキングの上位10都市は、北京、上海、深圳、杭州、広州、成都、南京、重慶、福州、武漢で、いずれも中心都市である。 この10都市には、中国のIT就業者数の58.3%、メインボード(香港、上海、深圳)上場IT企業数の77.6%、中小企業版上場IT企業数の62.5%、創業版上場IT企業数の75.3%が集中している。中国のIT産業はこれら中心都市への集中が進んでいる。

 北京、上海、深圳の3都市は、「輻射能力」大項目ランキングではトップ3を維持した。特に1位の北京は3つの小項目でもすべて1位を獲得し、偏差値的に他都市を大きく引き離した。また、トップ10都市には、広州、成都、杭州、南京、西安、武漢などの中心都市が含まれている。

 2019年度と比較すると、同大項目トップ10都市ランキング入りした中心都市では、武漢に代わって8位となった西安と、10位に下がった武漢を除き、その他は同じポジションを維持した。

 36中心都市で見ると、2019度年と比較して、合肥、寧波、昆明、南昌、貴陽、蘭州、フフホト、銀川、ラサといった都市も順位を上げており、とくに合肥、銀川、ラサは上昇幅が際立った。

図 「輻射能力」大項目2020

5.「広域中枢機能」大項目:陸海空輸送の総合力で上海が4年連続トップ


 交通ハブ機能は、中心都市にとって極めて重要であり、他の中枢機能を強化・増幅する基盤となる。「広域中枢機能」大項目は、「水路輸送」、「航空輸送」、「陸路輸送」の3つの小項目を設置し、「コンテナ利便性」、「空港利便性」、「鉄道利便性」、「道路輸送指数」など10の指標データで構成される。同大項目は、都市の水路輸送、陸路輸送、航空輸送のインフラと輸送量を総合的に測る。

 2020年、コロナ禍で打撃を最も受けた業界のひとつは、航空輸送である。特に、長引く国際旅行規制の影響により、中国の空港旅客数は36.6%減少した。幸い、中国は新型コロナウイルスの流行を逸早く制圧し、国内航空輸送量は早期に回復したため、欧米や日本などの国々と比べ減少幅は比較的小さかった。

 「中国空港旅客数2020」上位10都市は、上海、北京、広州、成都、深圳、重慶、昆明、西安、杭州、鄭州であり、いずれも中心都市である。同上位10都市が中国空港旅客数の44.9%を占めている。中国の航空輸送は中心都市に高度に集中する傾向が顕著である。

 空港旅客数に比べ、2020年中国の空港航空貨物取扱量は僅か6%減であった。「中国空港航空貨物取扱量2020」上位10都市は上海、広州、深圳、北京、杭州、鄭州、成都、重慶、南京、西安で、いずれも中心都市である。このうち、深圳、杭州、鄭州、南京の4都市では、空港航空貨物取扱量が増加した。これは中国ではコロナ禍でも物流が活発に行われ、製造業サプライチェーンも迅速に回復したことを示している。中国の空港航空貨物取扱量に占める同上位10都市の割合は72.8%にも達している。航空旅客輸送と比較して、航空貨物輸送が中心都市に集中する傾向がさらに顕著である。

 新型コロナパンデミックの影響でサプライチェーンと海運は世界的に大きな混乱を生じ、現在に至ってなお収まってはいない。そうした中、2020年中国の港湾コンテナ取扱量は1.2%成長を実現した。「中国港湾コンテナ取扱量2020」上位10都市は上海、寧波、深圳、広州、青島、天津、廈門、蘇州、営口、大連となり、このうち非中心都市は蘇州と営口のみである。中国の港湾コンテナ取扱量に占める同上位10都市の割合は70.8%にも達した。中国のコンテナ輸送が特定の港湾都市に高度に集中している。

 陸海空輸送の総合力を盾に、上海は他都市を大きく引き離し、4年連続で「広域中枢機能」大項目の第1位を獲得した。2位から10位は、深圳、広州、北京、天津、寧波、青島、成都、廈門、重慶である。

 36中心都市で見ると、深圳、寧波、成都、杭州、鄭州、西安、昆明、長沙、海口、合肥、南昌、石家荘、蘭州、南寧、長春、西寧、ラサはいずれも2019年度に比べて順位を上げた。このうち、ラサ、西寧、蘭州の上げ幅が大きく、西部地域における広域交通インフラの整備が進んでいることを示している。

図 「広域中枢機能」大項目2020

6.「開放交流」大項目:中心都市が輸出入をリード


 グローバリゼーションの背景下、開放交流は都市の生命線である。「開放交流」大項目は、「国際貿易」、「国際投資」、「交流業績」の3つの小項目指標を立て、「輸入総額」、「実行ベース外資導入指数」、「海外旅行客」、「国際会議」など11の指標データから成る。同大項目は、都市と世界との人、モノ、カネの交流交易を推し量る重要な指標である。

 2020年、新型コロナパンデミックで、人の国際移動が遮断され、観光や国際会議・コンベンションなどの国際交流活動に大きな打撃を与えた。また、グローバルサプライチェーンや国際間物流の世界的な混乱は、輸出入に大きな影響を及ぼした。幸い、中国は迅速に感染を抑制し、同年後半には各都市の輸出入貿易が急回復した。その結果、同年の中国輸出入総額は1.9%成長を遂げた。

 2020年、36中心都市は中国輸出入総額の59%を占めた。輸出入総額の上位10都市は、上海、深圳、北京、蘇州、東莞、天津、寧波、広州、成都、廈門で、このうち8都市は中心都市である。中心都市が力強く中国の輸出入をリードしている。

 「開放交流」大項目でトップ10入りした中心都市は、上海、北京、深圳、広州、天津、成都、重慶、寧波である。

 2019年度との比較では、上海が4年連続トップ、北京が深圳に代わり3位から2位にランクアップした。広州と天津が順位を上げ、重慶と寧波が順位を下げた。

 36中心都市で見ると、2019年度に比べて北京、広州、天津、武漢、南京、鄭州、長沙、福州、済南、南昌、ハルビン、海口、南寧、ウルムチ、銀川、西寧、ラサはいずれも順位が上がった。なかでも海口、銀川、西寧の上げ幅が大きく、東南アジアや中央アジアとの交流の高まりを示した。

図 「開放交流」大項目2020

7.「イノベーション起業」大項目:中心都市がイノベーションとスタートアップをリード


 イノベーション・起業は、交流交易経済の原動力である。「イノベーション・起業」大項目は、「研究集積」、「イノベーション・起業活力」、「政策支援」の3つの小項目指標を置き、「R&D内部経費支出」、「R&D要員」、「特許取得数指数」、「創業板・新三板上場企業指数」など10の指標データから構成される。同大項目は、研究開発への投入だけでなく、その成果も重視する。さらに起業の活力を見据え、政策支援も評価している。

 2020年、36中心都市は、中国の「特許取得数」の50.3%を占めた。「特許取得数」の上位10都市は、深圳、北京、広州、上海、蘇州、杭州、東莞、仏山、天津、南京で、このうち7都市が中心都市である。

 36中心都市には58.7%の「創業板上場企業」が集中している。創業板上場企業数の上位10都市は、深圳、北京、上海、杭州、蘇州、広州、成都、無錫、寧波、長沙で、このうち8都市が中心都市である。中心都市は、イノベーションと起業をリードしている。

 「イノベーション・起業」大項目では、北京が深圳に代わってトップに立ち、上海は3位を維持した。トップ3都市の偏差値は、他の都市と比較して著しく高く、その存在感を際立たせた。また、同大項目トップ10入りの中心都市は、上記3都市に続き広州、杭州、成都、南京、武漢、天津となった。

 36中心都市を見ると、2019年度と比較して北京、武漢、寧波、合肥、長沙、青島、済南、大連、瀋陽、南昌、蘭州、フフホトが順位を上げた。なかでも合肥と南昌は上昇幅が大きかった。

図 「イノベーション・起業」大項目2020

8.「ビジネス環境」大項目:一流レストランやホテルが中心都市に集中


 交流・交易経済の開花には、それに見合ったビジネス環境のサポートが必要である。「ビジネス環境」大項目は、都市の交流・交易経済のサポート能力を評価する指標であり、「園区支援」、「ビジネス支援」、「都市交通」の3つの小項目指標を設置し、「国家園区指数」、「事業所向けサービス業従業者数」、「ハイクラスホテル指数」、「トップクラスレストラン指数」、など10の指標データで構成する。同大項目は、純粋なビジネスサポートを測るだけでなく、政策的なサポートも評価する。さらに市内交通を、ビジネス環境を測る重要な指標としている点は特記すべきである。

 現在、36中心都市には、中国57.5%の5つ星ホテルが集中している。5つ星ホテル数の上位10都市は、上海、北京、重慶、蘇州、杭州、深圳、寧波、広州、南京、廈門で、このうち蘇州を除くすべてが中心都市である。

 36中心都市には、中国87.2%の、ミシュランなど国際評価を受けた一流レストランが集中している。トップクラスレストラン数で上位10都市は、上海、北京、広州、深圳、成都、珠海、杭州、蘇州、三亜、西安で、このうち7都市は中心都市である。一流のホテルやレストランが中心都市に集中する傾向は明らかである。

 北京、上海、広州は、「ビジネス環境」大項目で引き続きトップ3にランクインした。4位から10位は、深圳、成都、南京、天津、武漢、重慶、西安の順でランクインしている。

 2019年度と比較すると、同大項目トップ10の中で、重慶と西安が順位を上げ、杭州はトップ10から脱落した。

 36中心都市で見ると、2019年度と比較して、さらに青島、寧波、福州、ハルビン、済南、西寧、フフホト、石家荘などの都市も順位を上げた。

図 「ビジネス環境」大項目2020

9.「文化教育」大項目:ゼロ・コロナ政策で中国は世界最大の映画市場に


 「文化教育」大項目は、「文化娯楽」、「文化パフォーマンス」、「人材育成」の三つの小項目から成り、「映画館・劇場消費指数」、「博物館・美術館指数」、「地方財政教育支出指数」、「傑出人物輩出指数」など13の指標データから構成される。同大項目は都市文化娯楽生活の場所と関連消費を測るだけでなく、国際的な文化パフォーマンス、教育投資と傑出人材育成も評価する。

 中国エンターテイメント産業は、ゼロ・コロナ政策により迅速に感染を封じ込めたことで、早期に回復した。例えば映画産業の場合、2020年の中国の興行収入は新型コロナウイルス禍の影響で68.2%激減したが、北米など世界の主要な興行市場と比較すると落ち込みは相対的に小さく、また回復の勢いも強かった。その結果、中国は同年における世界最大の映画市場となった。中国市場の力強い回復に支えられ、2020年の世界興行ランキングで中国映画『八佰(The Eight Hundred)』が首位を獲得し、さらに他3本の中国映画も同トップ10にランクインした。

 「文化教育」大項目では、北京、上海、広州は4年連続でトップ3にランクインし、偏差値も他都市よりはるかに高かった。特に北京は、13の指標データのうち9指標で1位を獲得した。南京、成都、天津、重慶、杭州、武漢、深圳はそれぞれ4位から10位にランクインした。

 36中心都市で見ると、2019年度と比較して、上位4都市は不動であった。成都、天津、重慶、済南、合肥、長春、寧波、石家荘、南昌、蘭州、貴陽、海口は順位を上げた。

図「文化教育」大項目2020

10.「都市地位」大項目:北京、上海、広州が3大メガロポリスの要


 中心都市の最も重要な中枢機能は、政治行政機能である。「都市地位」大項目は、行政機能のレベルだけでなく、国際交流のポジションや、メガロポリスにおける中心都市の役割、さらに“一帯一路”、“長江経済ベルト”、“京津冀協調発展”など国家戦略上のパフォーマンスをも評価する。そのため、同大項目は「行政機能」、「メガロポリス&都市圏」、「一帯一路」の3つの小項目指標を設置し、「行政階層」、「大使館・領事館」、「メガロポリス階層」、「一帯一路指数」など8の指標データで構成される。

 首都である北京は、「都市地位」大項目でランキングトップとして、圧倒的な優位性を誇っている。上海は2位を維持、広州は2ランクアップの3位となった。4位から10位は、天津、重慶、南京、成都、深圳、杭州、武漢の順でランクインした。

 36中心都市で見ると、2019年度と比較して、広州、南京、成都、昆明、福州、海口、南昌が順位を上げた。

 北京、上海、広州が「都市地位」大項目でトップ3になったことは、京津冀(北京・天津・河北)、長江デルタ、珠江デルタという3大メガロポリスの中心都市としての評価と、中国の国土構造上の大きな変化を表している。

図 「都市地位」大項目2020


〈中国中心都市&都市圏発展指標2020〉英語版 2022年1月28日付中国国務院新聞弁公室HPで発表

日本語版『〈中国中心都市&都市圏発展指数2020〉を発表ー北京、上海、深圳が総合ランキングトップ3に』(チャイナネット・2022年2月10日掲載)

中国語版『“中国中心城市&都市圈发展指数2020”发布—北京、上海、深圳蝉联综合排名三甲,成都、合肥上升势态强劲—』(中国網・2022年1月26日掲載)

英語版『China Core Cities & Metropolitan Area Development Index 2020 released』(中国国務院英語版・2022年1月28日掲載、チャイナネット・2022年1月28日掲載)