【シンポジウム】東京経済大学創立120周年記念事業 シンポジウム「交流経済」×「地域循環共生圏」

編集ノート:
 新型コロナウイルスパンデミック直前まで、多くの外国人が来日し、交流経済が活発化していた。2019年1月26日、東京経済大学は『「交流経済」×「地域循環共生圏」—都市発展のニューパラダイム−』と題したシンポジウムを開催した。
 楊偉民氏、邱暁華氏を始めとするトップクラスの中国の経済政策実務担当者らを招き、日本の中央官庁、地方行政責任者、有識者らと意見を交わした。環境・経済・社会の統合的向上を目指す新しい成長モデルについて、それぞれの立場から多様な方向性が示された。
 新型コロナウイルス禍がなかなか収束しない中、こうした議論を改めて振り返ることが、アジアの行方を深く考える契機になると期待したい。


東京経済大学創立120周年記念事業
シンポジウム「交流経済」×「地域循環共生圏」


日時:2019年1月26日(土)

開会挨拶:

岡本英男  東京経済大学学長
森本英香  環境事務次官

基調講演:
楊偉民   中国人民政治協商会議常務委員、中国共産党中央財経領導小組弁公室元副主任
中井徳太郎 環境省総合環境政策統括官

セッション1:「交流経済」とは~インバウンド3000万人のもたらすインパクト
司会:
周牧之   東京経済大学教授
パネリスト:
邱暁華   マカオ都市大学経済研究所所長、中国国家統計局元局長
前田泰宏  中小企業庁次長
小手川大助 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹、IMF元日本代表理事

セッション2:大都市圏から新しい「成長」のモデルを創り出す
司会:
尾崎寛直  東京経済大学准教授
パネリスト:
張仲梁   中国国家統計局社会科学技術文化産業司元司長
和田篤也  環境省大臣官房政策立案総括審議官
小林一美  横浜市副市長

※肩書きは2019年当時


■ 開会挨拶


 冒頭、岡本英男東京経済大学学長が開会挨拶し、同大学創設者で実業家の大倉喜八郎が孫文の支援者として辛亥革命を助けたエピソードに触れ、同大学と中国との深い結びつきを紹介。日中両国の発展にとってプラスになる事業を今後も進め「狭い学問、学内だけに閉じ込もらず行政官そして民間企業とも広く連携したい」と表明した。

開会挨拶を行う岡本英男東京経済大学学長

 森本英香環境事務次官は、地球温暖化、保護主義、情報化・グローバル化を今の時代の3大不安定要因とし、新しい安定を見出す必要性を述べた上で「地域の資源、文化、人材を活かした交流が必要だ。日中双方の有識者の交流で新しい視点、アイディア、そして未来が生まれる」とシンポジウムの議論に期待した。

開会挨拶を行う森本英香環境事務次官

■ 基調講演


 基調講演では、八年ぶりに来日した楊氏が、「巨大な中国、多様性のある中国における空間発展」をテーマに、中国政府が推進する「生態文明」の概念と、今後の発展の道筋について説明した。「中国は、空間の特徴と生態バランスにおける役割に配慮し、均一的発展モデルを取りやめ、発展すべきところは発展、保護すべきところは保護する考えで“主体功能区”政策に取り組んでいる」と紹介し、中国の目指す空間構造について展望した。

基調講演をする楊偉民中国共産党中央財経領導小組弁公室元副主任

 中井徳太郎環境省総合環境政策統括官は、昨年4月に閣議決定した第5次環境基本計画が、環境だけでなく経済、社会を含め統合的に課題解決を図るビジョンだと説明。具体的には、「自然の恵み、森里川海を見つめ直し、地域の住民、自治体政府、金融、建設など各業界が協力して新技術を活用し、豊かな食、水、空気を確保する。そうした地域資源利用により地産地消を進め、さらに他地域とも連携することがビジネスにもつながる。草の根の国民運動として広げることで、コミュニテイが出来、災害にも強いエコシステムが成り立ち、高齢化に対応できる」と力説した。

基調講演をする中井徳太郎氏

■ セッション1:「交流経済」とは~インバウンド3000万人のもたらすインパクト


 「交流経済」をテーマとしたセッション1では、司会の周牧之同大学経済学部教授が、自ら責任者として開発し日中両国で出版した中国都市総合発展指標〉(日本語版は〈中国都市ランキング〉)を使い、1980年代以降今日までの日本、中国そして世界で、大都市に人口が急激に集中した現象を分析。グローバリゼーションと交流交易経済に最も適した場所として成長を謳歌しているのが、日本では東京大都市圏、中国では長江デルタ、珠江デルタ、京津冀の三大メガロポリスだと指摘した。  

 また、日本と中国で経済成長を実現させた要因が共に「輸出及び都市化の進展」であったとした上で、従来の製造業に代わってリード産業として台頭したIT業界を事例に解説。中国ではIT関連企業メインボードの94%が、TOPランキング30都市に集中して立地し、空港や鉄道インフラ、海外旅行客数、国際会議数、科学技術、医療、高等教育との相関係数が高く、グローバル化を進め、人材、資金、生活レベルを不断に高める地域だとした。日本のIT業界もほぼ同じ様相を見せているものの、相違点として、「日本と比べて中国の都市は、市街地の面積が拡大しても都市人口は増えていない。またCO2排出量が3倍に膨らみ、環境を著しく悪化させた点で、ロークオリティ成長であった」とし、環境、経済、社会が共に発展するハイクオリティな成長を目指すための方向性について問題提起した。

セッション1で問題提起を行う周牧之東京経済大学教授

 これを受けて、前田泰宏中小企業庁次長は、一人ひとりが我が事として環境問題を捉える事が重要であるとし、「日本人も中国人も現在最もお金を払うのはストレス解消への投資だ。自らの生きる環境を改善する事こそが生きる意欲に繋がり、またSDGsの実現に繋がる」と呼びかけた。街づくりの改善で人の往来を増やしたイタリア・ベネチアや東京・谷中の取り組みを事例に、「観光客ら訪問人口の回転率を増やす事で、人口減による経済の落ち込みも補える。交流経済の質の向上が欠かせない」と述べた。

セッション1で議論を行う前田泰宏中小企業庁次長

 次いで小手川大助キャノングローバル戦略研究所研究主幹が、世界でいま海外観光客の最も多い都市はフランスのパリで、その数が年間8000万人である事に比べると、「日本の3000万人はまだ少ない。人口から見ても中国や他の新興国にはまだ圧倒的な成長の余力と市場がある」と述べた。健康食品事業に携わった自らの経験を紹介しながら、「新たな時代の経済成長には新しい製品作りや、それに伴う海外との共同投資、共同研究の拡がりが必須だ」とし、来日時の観光消費額がいま最も多いロシアなど各国への日本ビザ発給の緩和で、海外との交流交易が一層進展するよう期待した。

セッション1で議論を行う小手川大助キャノングローバル戦略研究所研究主幹・元IMF理事

 邱暁華マカオ都市大学経済研究所所長は、中国経済が生産主導から消費主導へ移向する新常態にあるとし、「最も大きな変化は、国民の中で特に拡大した中間層による、ネット利用をはじめとする消費動向に現れている」と説明した。健康、娯楽、文化など新しい産業が経済を牽引していくに当たり、対外的には一層開放し、国内的には「価格競争、供給、分配の仕組み、製品開発などの分野で研究及び調整を急ぎ、今後10年30年の発展に結びつけることが重要だ」と述べた。

セッション1で議論を行う邱暁華マカオ都市大学経済研究所所長・元中国国家統計局

 続いて、周氏が指標データを使い、西暦2000年以降の東京大都市圏と北京の都市の様相を比較した。北京は東京と比べて都市面積が1.2倍、人口が6倍、一人当たりGDPは同半分まで追いついたものの、一人当たりCO2排出量は同2.1倍、単位当たりエネルギー消費が同4.7倍に及んだ現状を提示。環境への配慮が都市づくりの今日の最重要課題であるとした上で、さらに東京が、海外観光客数で北京の5.6倍、国際会議開催数で同17.4倍、国際水準トップレストラン数で同10倍と、開放性でも差を広げたことに触れ、「東京は、観光、娯楽、仕事、衣食住全般で訪れる人の多目的行動を満足させ、加えて交流経済のシンボルであるIT輻射力も集中していることから、交流交易の場として秀でた」と分析した。

セッション1で議論を行う周牧之東京経済大学教授

 この分析を受けて、前田氏は、「人がITツールを用い、様々なライフスタイルを分割所有できる時代になった。求心力のある人物が色々な地域に住んで交流し、発信し、仕事をする。そうした人をベースにさらに人が集まるような交流経済が量を増やす」と述べた。

セッション1で議論を行う前田泰宏中小企業庁次長

 小手川氏は、東京そして日本の役割を展望し、「貿易、軍事、ITの3つが、米中間の大問題となっている。とりわけ米国から中国へのIT産業移転による摩擦が広がる中、日本は、中国への理解を米国に促すなど、米中関係をつなぐ橋渡し役を務めることが肝心だ」と訴えた。また、中国に対して、「経済発展のポテンシャルを大きく持つにもかかわらず、金融面が内向きに閉じている国内の現状を改善してほしい」と期待した。

セッション1で議論を行う小手川大助キャノングローバル戦略研究所研究主幹・元IMF理事

 邱氏は、「交流交易はすなわち人と人との関係構築である」と述べ、大陸、香港、台湾、マカオを含めると約1500万人もの中国人が日本を訪れている一方、日本人の中国渡航が未だ少ない実情を取り上げ、「百聞は一見に如かず、だ。実際に訪れてみる事で、中国への認識と実情との隔たりを埋められる。一方通行でない交流交易を進めるためにも、大勢の日本人の中国訪問を歓迎したい」と呼びかけた。

セッション1で議論を行う邱暁華マカオ都市大学経済研究所所長・元中国国家統計局

 周氏は、「多様性と開放こそが交流経済の必要条件」とし、マサチューセッツ工科大学(MIT)に赴任していた2007年当時、エネルギー革命に向けてMITが世界中から国籍、出身、背景の異なるエネルギーの専門家をハイスピードで集めたことを目の当たりにした経験を紹介、「MIT自体に大きな魅力があったからこそ人材が集まった。多様性と開放に加えて、都市も拠点も個人も、自分自身を魅力ある存在として高めていくことが、交流経済を形作る」と総括した。

セッション1で総括を行う周牧之東京経済大学教授

■ セッション2:大都市圏から新しい「成長」のモデルを創り出す


 「地域循環共生圏」がテーマのセッション2では、司会の尾崎寛直同大学准教授が、「地域が自らもつ風土、食、文化を売りにし、イノベーションを続け、外の社会に繋がりグローバルに繋がることを、どう引っ張るのか」と問題提起した。

セッション2で問題提起を行う尾崎寛直東京経済大学准教授

 和田篤也環境省大臣官房政策立案総括審議官は、グローバルリスクである地球温暖化問題の、50年後100年後を見据えた解決構想として、環境省が描いた大絵図を示しながら説明。地域循環共生圏について、「住民が自分たちの目線でオーダーメードの計画を作り、自律分散型再生可能エネルギーシステムの構築、防災、観光、交通、健康など様々な分野で、独自のビジネスを行う。資源・資金・人の循環と自然との共生をコンセプトにし、得意不得意分野を他地域とのネットワークで補い、技術で支えることを目指す。そうしたステージに今後入っていく」と展望した。

セッション2で議論を行う和田篤也環境省大臣官房政策立案総括審議官

 神奈川県横浜市は、2015年のパリ協定、国連の持続可能な開発目標SDGsを受け、日本の大都市としては初めて地球温暖化対策実行計画「Zero Carbon Yokohama」を掲げ、街づくりに取り組んでいる。同市の小林一美副市長は、「地域循環共生圏」の大都市モデルの事例を紹介。具体的には、持続可能なライフスタイルを子供達に伝えるエコスクールの開催、新横浜一帯に集積するIT企業と連携した次世代のエネルギー自給システムの構築、小・中学校での蓄電池設置による災害時非常用電源の確保など「モデル活動を相次いで実施し、CO2削減を具体的に示している。これを継続して行うことが大事だ」と述べた。また、再生可能エネルギーに関する横浜市と東北の自治体との取り組みを紹介し、国や他の自治体との防災、福祉、教育面での実践的連携の重要性に言及。横浜市が石油精製、火力発電などいわばCO2排出産業に税収、雇用とも支えられている実情のなかで、「脱炭素経済に向けてどう新しい産業構造や市民社会を作っていくか、また、税金を環境対策にどう回すかが課題だ」と述べた。

セッション2で議論を行う小林一美横浜市副市長

 張仲梁南開大学教授は、京津冀メガロポリスを事例に中国の現状について説明した。同メガロポリスは北京、天津といった巨大で近代的な都市がある一方、周辺の河北省は経済的に遅れを取っている。「北京や天津からの経済的な波及効果が望めないことにより河北省は鉄鋼産業に特化し、深刻な大気汚染を発生させた。結果、北京にも多大な環境被害をもたらした」とし、メガロポリスの発展が中国都市化政策の基本となっている中で、今後目指すべきは「メガロポリス内部の協調発展である」と力説した。

セッション2で議論を行う張仲梁中国国家統計局社会科学技術文化産業司元司長

 横浜など大都市と比べ人口や財源が少ない小さな自治体の現状をどう考えるかについて、和田氏は「地域循環共生圏の芽が小さな自治体に様々出ている」とした上で、「共生圏を支える地域の人材育成を図るため、プラットフォーム作りを環境省で立ち上げる」と宣言した。

セッション2で議論を行う和田篤也環境省大臣官房政策立案総括審議官

 海外との交流激増の時代に即した都市作りに関しては、小林氏が「魅力ある街、環境に配慮した街作りをすれば、観光客が来る。企業が来て、雇用も増え、税収も増す良い循環ができる。そうした循環と、従来から市を支えて来た基幹産業との関係作りを、市民とともに考える。脱炭素を目指す動きを提示しながら課題解決に向けて、国と連携して実施していく」と決意を述べた。小林氏はまた、20年前に実施したゴミ削減30%運動により、当初予想の半分の年月で目標を超える43%削減を実現し、ゴミ焼却工場を二カ所閉鎖、年間20億円のコスト削減と、大きな成果をあげた横浜市の事例を紹介、「のべ1万回に及ぶ住民説明会を開き、市民や企業がゴミ問題を我が事として行動するようになった。私たちはできる、という意識が結果に繋がった」と振り返った。

セッション2で議論を行う小林一美横浜市副市長

 張氏は、「中国でも環境調査に携わる仲間が、常に海外の実情から学び、国内の取り組みに生かしている。中国人の海外渡航が増え、実際の交流から優れた思考を受け入れることが、変革をもたらしている」と力説、和田氏も「交流がキーワードだ。交流を契機にプロジェクトを作り、地域の銀行と手をつないで財源不足を補い、現場に密着した技術を導入するアプローチで、動き出すことができる」と強調した。

セッション2で議論を行う張仲梁中国国家統計局社会科学技術文化産業司元司長

■ 懇親会


 シンポジウム終了後は、日中双方のパネリストを囲み、参加者による懇親会が開かれた。

 席上、楊偉民氏は、「私の仕事は生態環境保護につながりのあるものが増えた。本日のシンポジウム参加で、人と人との交流を増やしたいと思った。自分のふるさと、そして世界を美しいものにして行きましょう」と呼びかけた。

挨拶をする楊偉民中国共産党中央財経領導小組弁公室元副主任

 南川秀樹日本環境衛生センター理事長は、「日中が世界の環境政策をリードする時代が来る」と展望し、乾杯の挨拶をした。

乾杯挨拶をする南川秀樹日本環境衛生センター理事長

 歓談に次いで挨拶した大西隆豊橋技術科学大学学長は、「中国で大都市の時代が幕開けた約20年前に出会って以来のお付き合いの楊さんの話しを聞きたいと駆けつけた」と歓迎し、環境、グローバリゼーション、都市化の課題への日中間協力の重要性を述べた。

挨拶をする大西隆豊橋技術科学大学学長

 西正典元防衛次官は、シンポジウムの席上議論された「米中関係の通訳として日本が役割を果たす」意義に改めて言及し、日中合作の進展に期待した。

挨拶をする西正典元防衛次官

 駐日中国大使館を代表して阮湘平公使参事官が、「生態文明重視を掲げる中国と日本との環境保護の面での交流を続けて行きましょう」と述べた。

挨拶をする阮湘平公使参事官

 横山禎徳東京大学EMP特任教授は、「交流経済は観光客だけでなく、日常で人が行き来できるようになると一層効果が上がる」と提起した。

挨拶をする横山禎徳東京大学EMP特任教授

 小島明政策研究大学院大学理事は、環境問題解決は日中共同のミッションであり、「パッション(情熱)とアクション(行動)で共同作業していこう」と続けた。

挨拶をする小島明政策研究大学院大学理事

 シンポジウムで分析資料として多用された中国都市総合発展指標の日本語版中国都市ランキングの出版元、NTT出版の長谷部敏治社長は、周氏、楊氏が責任者となって日中共同で開発した同書の内容について、「中国の都市分析に留まらず、東京大都市圏を始め日本の都市の分析を盛り込んでいる」と、アピールした。

挨拶をする長谷部敏治NTT出版社長

 前多俊宏エムティーアイ社長は、「中国と日本の人と人との交流から生まれるものの大きさを実感した」と、シンポジウムの成功を祝った。

挨拶をする前多俊宏エムティーアイ社長

 閉会挨拶に立った周氏は、楊氏、中井氏とともに肩を並べて立ち「私たち3人は義兄弟と言ってもいいほど大切な仲間。20年間度々顔を合わせ、大きな問題について膝付き合わせて議論し合い、実践してきた」と力説、環境、経済、社会問題の統合的解決の土台は個人と個人の交流にこそある、と述べて会を締めくくった。

閉会挨拶に立った周氏、楊氏、中井氏(右側から順に)

 関口和代同大学教授が総合司会を務めた。

(※文中肩書きは2019年当時)

総合司会を務めた関口和代東京経済大学教授

「交流経済」×「地域循環共生圏」が新たな時代を創り出す』(チャイナネット・2019年1月31日掲載)

【対談】安斎隆 Vs 周牧之:平成の「無常」を振り返る

2019年5月30日 東京経済大学教室にて安斎隆(左)VS 周牧之

■ 編集ノート:

 東京経済大学の周牧之教授の教室では、リアルな学びの一環として第一線の経営者やジャーナリスト、官僚らをゲスト講師に招き、グローバル経済社会の最新動向を議論している。2019年5月30日、安斎隆東洋大学理事長を迎え、対談した。平成を振り返り、バブルの本質、金融危機の正体、円安失策、原発事故の検証、日中関係の変質などをキーワードに、平成の「無常」と、日本そしてアジアが直面する課題を話し合った。


1.平成は日本人に「無常」を教えた


周牧之(以下周):安斎さんは、日本銀行から日本長期信用銀行に破綻処理を担うため派遣され、同銀行最後の頭取を務めた。その後、民間で全く新しいタイプのセブン銀行を作られた。今は東洋大学の理事長を務め、大学改革に取り組んでいる。

安斎隆(以下安斎):仕事の最初は日本銀行、その後日本長期信用銀行、セブン銀行、そして今は東洋大学だ。東洋大学は創立131年。東洋大学も東京経済大学も創立者は共に新潟県出身だ。私は30年前に日銀新潟支店長を務めたご縁がある。

:安斎さんは日銀時代に中国の金融政策へたくさんのアドバイスをくださった。2005年、「北京―東京フォーラム」の立ち上げにあたり、私とともに発起人になっただけではなく、安斎さんは日本側の資金集めを担ってくださった。日中関係で大きな交流の場を作り上げた。

 2019年2月『ニューズウイーク』に平成特集として『ニューズウイークが見た平成』が組まれ、『ジャパンアズナンバーワン』の著者として日本でも著名なエズラ・ボーゲル氏と私との『ジャパンアズナンバースリー』と題した10年前の対談が、再度掲載された。中国の経済規模が日本の経済規模を超えたことが、平成の衝撃的な出来事だったからだ。

 同特集に『平成は日本人に「無常」を教えた』という意味深い編集後記がある。確かに平成の時代は、常識がひっくり返された予想外の連続だった。大地震、バブルの崩壊、中国の急成長が与えた衝撃などだ。もう一つの無常は、世界の企業の時価総額ランキングトップ10の推移だ。平成元年は、トップ10に日本企業が7社も入った。とくに金融関係が強かった。日本興業銀行、住友銀行、富士銀行、第一勧業銀行、三菱銀行、5社も入っていた。安斎さんは当時、日銀で陣頭指揮を取られていた。

 しかし2019年、平成が終わる時の世界企業時価総額ランキングトップ10に、日本企業が、1社も入らなかった。これも無常のひとつだ。

 この平成最後の時の世界企業時価総額ランキングで注目すべきは、トップ10入りした企業の7つがIT企業であり、その中に中国の2社も含まれていたことだ。しかもこれらIT系企業は、NTTやIBMのような従来のインフラやスーパーコンピューターの系統ではなく、個人の力を高める系統だった。マイクロソフト、アマゾン、アップル、グーグル、フェイスブック、アリババ、テンセント。これらはまた世界をマーケットにしている企業だ。

 もう一つ大きな変化は急激な大都市化が世界で進んだことだ。1970年世界で人口1,000万人を超えたメガシティは三つしかなかった。そのうち二つは日本で、東京大都市圏と近畿圏。もう一つはニューヨークだ。1980年になってもメガシティは五つだけだった。しかし2019年ではなんと世界で1,000万人を超えているメガシティが33都市にのぼった。これは大量の若者が大都市に移住していることを意味する。現在これらのメガシティに5.7億人が生活している。大半はモビリティが高い若者だ。

 過去30年で世界はIT化、グローバル化が進み、大都市が急成長し、温暖化による地球気候の変化が起因の災害も増えた。

 ただ、本質的な変化として今日学生の皆さんに伝えたいのは、過去30年に個人のパワーが猛烈にアップしたということだ。知識へのアクセスのモビリティが瞬時に可能となり、空間的移動のモビリティも高まった。ネットワーク力も国や地域、人種を超えて高まった。

 問題は格差拡大が世界規模で起こったことだ。グローバリゼーションの中で、富の作り方が急変したために、国のパワー、都市のパワーのアップダウンが激しくなり、個人の実力がいままでなかった程問われる時代になった。

 格差に対処するために、昔、日本は富の再分配に大きな重点を置いていた。しかし今は再分配では解決できないほどの格差が生まれている。

 こうした時代を安斎さんはどうご覧になるか?

特集『ニューズウイークが見た平成』にエズラ・ボーゲル氏と周牧之との対談『ジャパンアズナンバースリー』を収録、同編集後記に『平成は日本人に「無常」を教えた』

2.バブルとは一体何だったのか


安斎:平成が始まったときは大変だった。中国では天安門事件が起きた。その半年後に東西を分けていたベルリンの壁が崩壊した。世界はどうなるんだろうというところから平成は始まった。ソ連邦の崩壊もあった。アメリカには自由主義が勝利したという意識が強かった。金融の世界でも、アメリカが自ら良しとする自由主義を、こちらにどんどん押し付けてきた。共産主義経済と資本主義経済の基本的な違いは何か。私は中国に行ってそういうことを話したりしてきた。

:安斎さんは当時、中国の金融システムの立ち上げに数多くの助言をされた。

安斎:1989年の世界企業時価総額のランキングは、ある意味、まやかしのランキングだ。1985年くらいからアメリカ経済に対して様々日本産業が勝ち進んできた。はじめはアメリカ技術を使ったモノマネだったが、その後それを超える技術革新が日本の中で進み、これによって日本の輸出が大変に大きくなった。それに恐怖を感じたアメリカが日本に対して、もっとアメリカに頼らない政策をしろと、我々に課題を課してきた。貿易収支の削減、黒字の削減、輸出の伸びを抑え、輸入を増やす等を日本に言ってきた。彼らは為替にも要求を出した。つまり円高だ。円を強くして、輸出市場での競争力を落とさせることだった。直接は言わなかったがもう一つの要求は日本の公共事業をやらせろということだった。金融超緩和と財政支出の拡大の結果起こったのは、円高だ。アメリカから日本の為替レートを強くさせられた。

 それからバブルが起こった。地価が上がった。土地を担保とする貸し出しが銀行からたくさん行われた。東京の一角の地価が、アメリカのどこかの州を超えてしまった。ニューヨークのロックフェラーのビルを日本企業が買った。アメリカにとっては恐怖だった。こうした動きを、日本銀行にいた私はおかしい、と言った。

 日本は必死になって円高にしないよう金融を緩和した。貿易収支を減らすため240兆円の公共投資をアメリカと約束した。

 金融超過で、バブルがどんどん膨らみ、1989年末をピークに株価が下がった。地価は翌々年に猛烈な勢いで下落した。1989年の世界企業時価総額のランキングは、日本の輸出競争力を抑えるために仕組まれた円高の中の数値であり、本当の実力だったとは、私は思っていない。

 スイスのバーゼルという都市で、世界11カ国の中央銀行が集まってBIS規制を論じる国際会議に私は出て、日本の金融をどうしたらいいのかを論じた。日本の銀行をどうするかという話をした。私がメンバーになったときはすでに規制が始まった。

 その規制とバブルの崩壊で、日本の金融は落ちた。1980年代に日本では実力以上のことが起こってしまった。

 平成の初めは大変な時代だと私は思った。アメリカは自分たちの主義主張を押し付けてきた。これは我々にとって耐え難いほどの金融自由化だった。莫大な数のファンドが次々出て、通貨が上がり、株価が上がり、金融のさまざまな分野がアタックされ、値段が下がれば儲かるという取引や、円が上がれば日本の競争力が落ちるといった取引も、バンバン行われた。

2008年9月19日「東京―北京フォーラム」にてスピーチする安斎隆氏。安斎隆氏と周牧之は共に同フォーラムの発足メンバー

3.アメリカに翻弄されアジア、日本が金融危機に


安斎:しかし当時、日本の方向性は見えていた。ワシントンコンセンサスというアメリカの自由が物凄い勢いで日本にくるなと予感した。日本を含めアジア諸国がアメリカに翻弄されるなら準備しておかなければならない。そんな方向性の中で起こったのが、サブプライムの問題から始まったリーマンショックだった。

 日本でも金融危機があった。1997年の北海道拓殖銀行の倒産で始まり、翌年の日本長期信用銀行の破綻で、金融システムがガタガタになった。不動産価格が半分になれば、貸出したものは戻らない。預金を集めて注ぎ込んだカネは、返せない。ここにいる学生の皆さんが生まれる前のことだろう。当時は、銀行の玄関に、自分の預金を引き出したい人が殺到して列を作った。

 長期信用銀行もその中にあった。お客様にはなるべくビルの中に入ってもらった。表からは見えない階段に列がずっと続いた。

 アメリカは1980年代にアメリカを追い越しかねなかった日本が弱くなったことで、アメリカが優っていると実感しただろう。

:アジア通貨危機も大きな衝撃となった。

安斎:1996年くらいから始まったアジア通貨危機は情況を一層悪化させた。マネージメントが悪く世界から通貨アタック受けた。タイ、マレーシア、インドネシア、韓国、翌年は日本という流れになった。私が当時予感していた動きそのものだった。加えて平成では日本に大震災が二度も起こった。

 日本の失われた時代を見ていたアメリカが有頂天になってやっていたことが、ITバブルマネーを起こし、これが少々下火になった時に9.11事件が起こった。アメリカにとっては、アルカイダの攻撃を受けた事実が、初めて国内で大危機が発生したことを意味した。イラクに攻撃をかけるため、大変な数の人命と資源を費やした。

 一方でアメリカは、国民みんなが住宅を買えるように、住宅価格が下落しない金融政策をとることにした。これがサブプライムローンと言って、低所得者にも住宅を買わせる金融政策だった。それがどんどん広がった。

 私は2007年、金融危機が来ると予見し、『日経ビジネス』誌上対談で述べた。当時、連銀の元総裁でメリルリンチ副会長、会長を歴任したアメリカの要人が私を訪問したから、「なぜ我々を批判しながら、あなた方は同じ間違いをするのだ」と申し上げた。「資本がなくなった。債務超過になっている」と私が言うと、彼は何も答えなかった。翌年リーマンショック、世界金融危機が起こった。予見されるようなことが起こったというのが私の思いだった。

:その間、所得格差、貿易不均衡、地域格差の3つの不均衡が猛烈に進んだ。

安斎:令和になって現在、グローバリゼーションの大きな流れが足踏みしている。周先生が言ったように色々なところで所得格差がおこっている。強い者、うまくいった者が所得を伸ばし、そうでない者が所得を減らす格差拡大が起きた。

 グローバリゼーションの見直しで、国と国の対峙が米中で起こり、覇権主義の部分もあれば、技術革新でも負けたくないため技術革新を相手には簡単に使わせないという争いにもなっている。世界はどうなって行くのか。現時点では暗く感じる。どう進んで行くのかは不透明だ。

早くから安斎隆氏と周牧之は日中間の政策議論を推進してきた。2004年「アジアシンポジウム」にて、上段左から福川伸次、邱暁華(中国国家統計局副局長)、加藤紘一(衆議院議員);第二段左から楊偉民(中国国家発展改革委員会計画司長)、周牧之(東京経済大学助教授)、馬建堂;(中国国有資産監督管理委員会副秘書長)第三段左から安斎隆(セブン銀行社長)、林芳正(参議院議員)、小林陽太郎(富士ゼロックス会長);下段左から横山禎徳(産業再生機構監査役)、塩崎恭久(衆議院議員)、国分良成(慶應大学教授)

4.円安政策は大失策だ


安斎:平成の、グローバリゼーションに足踏みする方向は、初めは読めなかった。しかしいずれ世界経済のかなり伸びが落ちて、国によってはマイナスになるかもしれない中で、グローバリゼーションは復活するのか。あるいは競争社会で他国を排除するのではなく、マイルドな形での競争力の調節ができるのか。

 中国には「アメリカに屈しないで、アメリカが通貨高を要求してきたらそのまま受け入れなさい」と言っています。そうすると国民の所得が上がる。国民が海外に旅行できる。良い旅行ができる。輸入したものが安く買える。中国は今まで製造業の国としてやってきた。日本はものつくりの国から非製造業以外のことをやれる絶好のチャンスを失った。その後バブル崩壊した。非製造業で働く人は今日本で5,600万人いて、製造業は1,000万人しかいない。この1,000万人の人を考えて、円高がダメだとばかり言っていてはいけない。

 中国は日本の失敗は繰り返さないと思う。妙な金融政策や財政政策は取らないだろう。関税で対峙しているのはほんの一部であり、比率的にもたいしたことはない。貿易戦争というほどのものではない。

周:安斎さんのこの話には大賛成です。平成の日本の一大失策は円安政策です。つまりルービンのドル高政策に乗った時です。

安斎:あれは大失敗だった。

:はい。安斎さんとわたしの共通の友人であった加藤紘一さんに、当時の円安政策は失敗だったのではないか、と申し上げたことがあった。加藤紘一さんは円安政策に切り替えた時の当事者だった。

安斎:自分で働いた価値は円でもらうのだから、円高の方が世界的な価値は高くなる。それが輸出産業は円高だと競争力が下がる。職員の給料が上がるから、コスト高になる。そういう発想だけで良いか悪いか決めていた。

周:妙な例えかもしれないが、円安はトヨタに乗っ取られた為替政策に見える。いやトヨタだけではなく製造業全体に乗っ取られた政策だった(笑)。

安斎:鉄鋼、電気、自動車全部だね(笑)。

:国益を自分から削ってしまった。

安斎:その通りだ。 

:もし円高政策をそのまま維持していたら、日本は投資大国、研究開発大国として、素晴らしい発明が更に沢山生まれていたかもしれない。

安斎:貯金の価値が高まり、世界に投資することができれば、旅行も安く行ける。世界の大学に行って学ぶ時の授業料も安くなる。産業だけを中心に考えるのではなく、もっと個人を中心にして政策を考えるべきだろう。

国際シンポジウム「生態文明社会建設を目指した日中協力メカニズムの形成に向けて」準備委員会共同委員長として安斎隆(セブン銀行会長)、南川秀樹(環境事務次官)、周牧之(東京経済大学教授)

5.平成の30年をどう評価するか


: 平成の30年の評価には停滞説がある。言われていることの代表は低成長、格差拡大、少子化と高齢化だ。しかし私はポジティブに評価すべきところも沢山あると思う。

 例えば東京を見ると、東京大都市圏は3,700万人で、日本全体の約三分の一の人口を抱える。個性的で多様性があり活力があり、いわゆる大都市病もかなり無くせた。まさしく世界に冠たるメガシティになった。東京の都市構造だけでなく産業構造や気質もかなり変わったと私は思っている。

 ただし、停滞説を裏付ける材料も多い。2009年に私は「日本の電子王国の崩壊」と題したコラムを書いた。このコラムには、日本の電子産業が新たな国際競争の中で相当苦戦するだろうと記した。その後あっけなくその通りになった。

 ネガティヴな話が数多くある中で、安斎さんの偉業を紹介したい。平成の始めの東京・銀座中央通りの写真を見ると、銀行の看板がたくさん写っている。現在の写真に目を移すと、銀行看板の大半は消えている。こうした変化は安斎さんのイノベーションとかかわっている。ご自身は意識されていないかも知れないが、セブン銀行のビジネスモデルはかなり革命的だと私は思う。ビジネスモデルのイノベーションだ。ATMをセブンイレブンの2万の店舗に置くことで、銀行が自前でATMを抱えなくても済むようになった。

 結果、何が起こったか。銀座の変化が顕著だ。銀座に店舗を構えていた銀行は資産バブルの処理も関係して、店舗を売りに出した。そこへ欧米資本が入って銀座が変わり、銀座を歩いている人たちも変わった。いまや銀座で一番買い物しているのは中国人になった。変化していないとされる日本の中での大きな変化として、銀座の姿は象徴的だ。30年前とは大きく変わった。

 森ビルが作成した「世界の都市総合力ランキング」は、世界40都市を取り出して、その国際性などを評価している。総合4番目だった東京は最近パリを超えて3番目になった。これは何を意味するか。日本の電子王国は崩壊したが、東京の国際都市としてのパフォーマンスは良くなっている。住んでいる人間も増えている。大都市病も気にならなくなっている。国際化は安斎さんから見るとまだまだでも、やはり急激に進んでいる。こうしたことも評価すべきではないか。

2013年6月12日、衆議院第一議員会館で開催の国際シンポジウム「生態文明社会建設を目指した日中協力メカニズムの形成に向けて」レセプションにて乾杯の音頭をとる安斎隆氏

安斎:森ビルの評価だから、高層ビルが建ったか否かで評価しているのかもしれない(笑)。日本の金融システムは、パリよりは上だと思うが、香港、シンガポールはもっとすごい。 

:日本の金融に関しては私もネガティブだ。

安斎:金融だけではない。国民の貯蓄を海外と比べると、日本は世界一だ。にもかかわらず、飛び込んできた金を使い切れていない。

 学生の皆さんには、世界のGDPではなく、ハピネスの度合いがどうなっているかを見てほしい。これだけ国債を発行している日本は、今後予想外なことになるかもしれない。そのことが原因で結婚意欲がなくなることも起きている。

 通勤通学の利でみれば、上海は東京より地下鉄が伸びた。地下鉄だけでなく私鉄を含めれば東京の発展は著しい。逆にいうと自家用車で通う人にとって東京は不便だ。君たちの学生の満足を知りたい。例えば、通学するとき東京経済大学は都心と反対方向だから空いている。都心にある学校の学生は、サラリーマンと一緒にラッシュを我慢している。GDPばかりを考えるのではなく生活上の満足度を考えるのが大切だ。

 私の前職場は丸の内にあり、数多くのビルが立ち並んでいる。しかし冬場になると、ものすごく暗い街になる。ビルが林立して光が当たらないからだ。我々のビルは皇居の前をちょっと入ったところで光が当たるからまだ幸運だ。

 ビルの20階以上で働くのは優越感を得られるというが、20年から50年もの長い間高層ビルで働き続ける人には健康上の問題は起きないかと疑問もある。

 森ビルの森社長は、ビルを地下に入れようとしていた。地下であれば揺れがないので、地震の影響も受けないと言っておられた。

:森ビル創業者の森稔さんとは私も親しくさせていただいた。私も「中国都市総合発展指標」という都市を評価する指標を作っている。東京という都市の成績の良さを、私は認めたい。東京はぎゅうぎゅう詰め、とはいえ、あまり問題を起こさずに多様なファンクションを持っている。こうした都市は世界にあまり例がない。私は10年前にアメリカ・ボストンに2年間住んだ。研究者と話をするにはボストンで出来るが、政治的な話をするにはワシントン、金融の話をするならニューヨークにいく必要があった。一方の東京では、安斎先生の丸の内のオフィスで朝食会をやろうと思えば、研究者も政治家も官僚も経済人も皆すぐに集まれる便利さがある。8時から10時まで議論し、その後各々仕事場に戻ればいい。こんな便利な街は世界になかなかない。

2010年10月1日東京経済大学創立110周年記念シンポジウムにて、左から高木勇樹(元農林水産事務次官)、安斎隆(セブン銀行会長)、杉本和行(前財務事務次官)、胡存智(中国国土資源部総計画師)、楊偉民(中国国家発展和改革委員会秘書長)、周牧之(東京経済大学教授)

6.原発事故はなぜ起こったか


安斎:東京が本当に問われるのは、直下型の大地震が起こった時にどうなるのかだ。これだけ機能が集中しているのは如何なものか。自分の世代だけでなく将来世代のために我々は災害時のことを頭に置いておかなければならない。

周:安斎さんは日銀のシステムを作った方だ。バックアップのことをいつも考えておられる。私は経済学者だが、元の専攻はシステム工学だ。バックアップの必要性を充分理解している。しかし、現実社会ではバックアップばかり考えると現在のシステムはダメージを受けることも多いにあると思う。 

安斎:アメリカは必ずA案、B案を考えて用意している。これが危機管理だ。これをバックアップというかどうかは別だが、世界で生きていくには想定外ということを考えなければならない。日本は想定外の原発事故が起きた。第二の案を必ず用意しておくことが重要だ。

:その通りだ。原発事故が起きた時に私は中国にいて、より大規模な被害もありえたところだった、と感じた。神様に守られている国と言ってもいい程にしのいだ。安斎先生のおっしゃるバックアップのない日本の政治経済社会がどれほど大変なことになるのかがわかる大事故だった。

安斎:私は福島県の出身だ。原発事故の現場とはちょっと離れているが、県の真ん中で生まれた。あの地震による原発事故は予想外だった。事故二週間後に、ふるさとを思う心を文藝春秋に原稿を書いてくれと言われ、2011年6月号に書いた。バックアップ用の自家発電装置は地上の別の場所に作るべきであった。なぜ山の上に作らなかったのか。もし山の上に作っていたら、エネルギー供給は安定し、あの原発事故も起きなかったことがわかっていたはずだ。これに対する答えが、経済産業省、政府からは無い。調べていて、アメリカで原発が始まり、アメリカのものをそのまま受け入れてきたことがわかった。アメリカの一番の問題は、トルネードだ。地上にあるものが全部吹き飛ばされる。トルネード対応で地下発電を選び、地下の設計をした。それをそのまま日本に持ってきて建てたのでは無いか。そう原稿に書いたが、経済産業省、東京電力から異論が全くでない。反論が出ているのを抑える考えからか、あるいは原子力発電が危険だとなり拡張ができなくなるのを恐れてのことなのか?

:地震列島に建てる原発の安全性について真剣な議論がなかったゆえだろう。

安斎:学生の皆さんには、自然災害の危機と、人災があることをご存知だろう。自然災害がおこったら直ちに人命優先で救助しなければならない。人災はなぜ起こるか。分かっていることを先送りするから起きる。私の生きている間は何も起きないだろう、カネがかかるから後回しにしよう、と放っておくから人災が起きる。

 皆さんは問題を先送りしないことが大切だ。直ちに対応することが大切だ。仕事でも会社経営でも家庭の問題も同様だ。夫婦間も問題が起きたら議論して対応する。先送りをしてはいけない。

:私はマサチューセッツ工科大学(MIT)で、同僚と原発について随分議論した。原発について、基本的に慎重だ。元はシステムエンジニア出身の私は、人間は所詮原子力には勝てないと分かっている。また原発事故の被害はあまりにも大きく、このリスクを負う必要はないと思う。3.11原発事故でこうした考えが現実となった。

 東日本大震災の原発事故を受け、ドイツは逸早く原発ゼロ政策を打ち出した。しかし当の日本はなぜ原発を止められないのか?

安斎:まさにそこだ。電力供給ができないからだと言うが、実はできる。その点はまあまあやあやあでやる日本の官僚組織の問題もあるだろう。真の責任意識を為政者が持って進めなければいけない。

 自分のことを言えば、両親が貧しい中、私を大学にいかせてくれた。その後故郷になんの孝行もしないで私は東京で安穏とした生活を送ってきた。親父が作った米が東京に供給され、食べてこられた東京の人たちが、こうしたことをわからないはずはない。金をやる話だけでは福島の将来はない。福島も自らどういう生き方をするのかを考えることだ。国からの賠償金だけを頼りにしていたら、子供達もきちんと育たない。自らの生き方を県民と市町村とで考えていくしかない。一心不乱に、自前で考えて、進めていくことが肝要だ。

2012年3月24日、北京で開催の国際シンポジウム「中国の生活革命と日本の魅力の再発見」にてスピーチする安斎隆氏。安斎隆氏と周牧之は共に早くから生活文化産業における日中交流を提唱

7.平成における日中関係


安斎:中国が天安門事件のとき、世界の中国への態度は冷たいものに変わった。鄧小平が1970年代から主張していた「自由主義社会と仲良くする」が全然なされておらず当てが外れたと世界は感じた。その中で真っ先に日本は、「それは良くない。隣国の中国に、まともに生きていってもらわないと困る」ということで交流をいち早く再開した。1992年には平成天皇が訪中し、過去の日本が中国にしたことを晩餐会の席上、謝った。平成天皇の中国訪問が中国を勇気付け、世界に発信され、日本が中国を世界の市場に入れる流れを作った。そういう意味では、平成天皇が歴史を踏まえて日中戦争を詫びた素晴らしい訪中だった。私もちょうど中国に行っている最中だった。当時私は中国には四半期に一度は行っていた。

:平成の中国と日本の関係は、三つの波があった。最初の良い波は、天皇訪中だった。その次は、10年前の金融危機後で、日米の中国に対する視線が変わった。日本の若い人たちも中国への夢を抱いてたくさん中国へ行った。人も企業も中国を舞台に仕事を展開した。3番目の波は現在だ。2018年838万人の中国人が日本に観光で訪れた。平成のはじめの頃は誰も考えていなかったことだ。来年は1,000万人を超える中国人が日本を訪れるかもしれない。しかもみんな良い印象を持って中国に帰り、再訪するだろう。これによって日中関係も本質的に変わるだろう。

安斎:そんなに甘くない。

:セブン銀行は相当儲かる。

安斎:いやいや(笑)。日本と中国は変わったようで変わらない。根底にあるのは、我々は稲作農民であるということだ。春は田んぼに水を引き、秋には収穫する。何年でも同じ田で同じことをくりかえし、同じようにコメができる。モンスーン地帯は、川が運んだ泥の真ん中に溝を掘ると小さな川になり、両サイドは田んぼになる。ところがヨーロッパは、小麦、大麦、じゃがいも。これは毎年同じ土地では作れない。三年くらいで植える場所を変える必要がある。これは大変な負担だ。ヨーロッパは石で、中東は砂だ。石の文明でヨーロッパは何千年の歴史の中で土地を開拓し、苦労している。しかも小麦もジャガイモも三年くらいで大きく計画を変えながら進める必要がある。

:日本の里山の風景は、私のふるさと中国湖南省の田園風景と変わらない。

安斎: 天皇制も同様だ。大化の改新以降、先の戦争で掌握者に一時期利用されたことはあったが、象徴天皇が引き継がれた。中国は皇帝制ともいえるのではないか。今の中国共産党は、私は変わらないと思う。国家主席という皇帝がいる。中国の国民は、共産党一党独裁は制約があるものの良いと思っていると聞く。日本の天皇制も今日、国民の7割が支持している。アメリカの大統領はといえば、変えることができる。日本と中国は、双方ともアジアモンスーン、米作を主とする文化は基本的に本質的に変わらない。

:長い歴史の中で作られてきた封建制、郡県制といった政治システムはそう簡単には根本的に変えられない。近代的なコンセプトを徐々に入れて改革していくほかない。毛沢東も晩年、自分は中国の政治システムをそれほど変えられなかった、と言っていた。

安斎:ところで、これからの米中はどうなるのか。

:2018年12月、安斎先生と日経の年末エコノミスト懇親会に行った時に、安倍首相が言った話が面白かった。「2019年は予測不可能だ。なぜならアメリカと中国の喧嘩の行方が予測できないから。どうせ予測できないのだから、皆さんは明るく年越しをしてください」と挨拶した(笑)。

2018年7月19日「『中国都市ランキング−中国都市総合発展指標』出版記念パーティ」にて、乾杯の音頭をとる安斎隆氏

8.自分で考え、自分で物を言おう


:今後30年について展望していただき、学生へのメッセージをお願いしたい。

安斎:こうした時代に生きる学生さんに申し上げたいのは、先生から言われたことを暗記する時代は終わった、ということだ。私は東洋大学の入学式で学生に「これからは自分で考え、自分で物を言おう。一方向だけの理論を聞いてそれを暗記するという時代は終わった。いつでもどこでも考えを巡らすだけで相当違ってくる」と言っている。自分で考えることによって、皆さんが強い人間になってくれると私は考えている。18歳、19歳は自分で物を考えることができるかどうかに関わる一番大切な時期だと、私は自分の経験から思う。

 私は田舎で育って、高等学校時代、本当に勉強しなかった。大学に入ってこれはいかんと思い、18、19歳の時に、講義よりは自分で本を探し、自分で考えた。私は法律が専攻で、生意気なことをいうが大学3年で司法試験に受かったが、あれは暗記だから誰でも受かる。司法試験を通ったって社会人になってからあまり役にも立たない。それよりは自分で考えることが重要だ。孤独の中で、自分で考える習慣をつけることを若い人に薦めたい。大学生のとき先生に叱られた。「おい安斎、おまえはおれに質問することばかり頭のなかで考えているだろうが、おれが喋ることを聞け」。私の自分で考える習慣は、社会人になってからも続き、人の話を聴きながらどこで反論するかばかり考えていた。

:大学では思考力を養うことが大事だ。

安斎:「強い人間であれ、自ら生きる力をもて」と言いたい。生きる力はどこから出てくるかと言えば毎朝の通学通勤電車の中で自ら考えることから出てくる。例えば、周先生の言ったことに疑問を持つ。こういう考え方は成り立たないのか、と自分なりに考えてみる。いつでもそういう気持ちでやっていく。こうではないかと考えることを習慣づけることだ。

 記憶する力も皆さんに蓄えて欲しい。私の経験ではスマホで見たことは、なかなか頭に入ってこない。スマホは事柄の全体感を掴むのは早くて便利だが、一つ一つの記憶としては頭に溜まりにくい。

:書くことが大切だ。私の講義ではメモ力、レポート力を鍛えることを重視している。

安斎:じっくり考えることは自分で書き込むことによってできる。本や新聞に直接赤線を引きながら読んだら頭に入る。人間の脳はそうなっている。注意書きを入れながら本を読んだ経験を思い起こせばわかるだろう。

 実際考えることだ。小・中学生は先生の言ったことを暗記することが重要だ。高校生からは暗記もしつつ頭を切り替えて自分で考えることも怠らないことだ。

:思考力はこれからの最大の武器になるとの安斎先生の言葉を心して受け止めてほしい。

安斎:学生のみなさんは自分の能力をここまであげるという目標を立て、精一杯努力し、達成に向かって進むこと。これを繰り返すことだ。大学に入ればそれで目標達成だというのは違う。就職できたから目標が達成できた、ということでもない。努力、そして考える努力は一生涯つきまとう。そのために強い人間になることだ。

 「へこたれない人間になれ、へこたれないことに喜びを感じる人間になって欲しい」。これが皆さんに対するメッセージだ。

:たくさんご教授いただき、ありがとうございました。

(※肩書きは各イベント開催当時)


プロフィール

安斎 隆

東洋大学理事長、セブン銀行元会長

1941年生まれ。1963年日本銀行入行。新潟支店長、電算情報局長、経営管理局長、考査局長を経て1994年理事。アジア通貨危機に直面しアジア各国を奔走。1998年日本長期信用銀行頭取。2000年イトーヨーカ堂顧問、2001年アイワイバンク銀行(現セブン銀行)代表取締役社長。全国に24,000台超のATMサービスを実現。セブン銀行会長を経て2018年より現職。

【ディスカッション】竹中平蔵・大西隆・黒川清・周牧之:世界経済を支える東アジア経済圏の成長

上海・東京グローバル・コンファレンス


編集ノート:
リーマンショックの直後、中国成長への期待が高まる中で開かれた「上海・東京グローバルコンファレンス」で竹中平蔵氏をモデレーターに、大西隆氏、黒川清氏、周牧之氏がアジアの課題と将来について議論した。10数年前に「世界のパラダイムシフト」「大都市の時代」「都市の魅力」「アントレプレナーシップ」「アジアの活力」「中国からエネルギーを」「グローバルコミュニティに積極的に参加」などのキーワードで語られた内容を、今日再読すると、日本と中国の変化と変わらないところが鮮明に浮き上がる。


日時:2009年11月18日開催

モデレーター:
竹中平蔵 
アカデミーヒルズ理事長、慶應義塾大学教授

パネリスト:

大西隆 東京大学教授
黒川清 政策研究大学院大学教授
周牧之 東京経済大学教授

※肩書きは2009年当時


1.日本と中国のパートナーシップのカギは“都市”


竹中平蔵 アカデミーヒルズ理事長/慶應義塾大学教授

竹中平蔵:きょうお集まりのパネリストの皆さんは、それぞれバックグラウンドの分野が違う先生方です。したがって、あえて厳格に問題設定せずに、最初にお一方5分ずつ、東アジアの交流の問題、ないしは上海・東京の都市問題にどのような視点をお持ちかということを話していただこうと思います。

大西隆:私は都市工学という分野の人間です。「アジアの時代が来る」「都市の時代だ」とよく言われますが、私は地域を見るときに「いろいろな活動の総和は、ある程度人口で代弁される」と思っているので、最初に人口に着目します。

 ご承知のように、アジアの人口は今世界で一番シェアが高くなっています。一方、都市人口を見てみると、第二次大戦直後は欧米で5割以上。つまり世界の都市に住んでいる人のうちの半分以上は北アメリカとヨーロッパの都市にいたのです。

 100年後の2050年、約54%はアジアの都市に住むと予想されています。アフリカの都市には約19%が住み、アジア、アフリカに世界の都市人口の70%以上が住むことになる、欧米の都市人口は15%ぐらいにシェアが下がるというのです。

 一概に人口だけではいえませんが、そこが文明や経済活動の中心になる可能性が大きいということを考えると、まさに「アジアの時代」という気がします。アジアは東アジアだけではなく、インドを中心とする南アジアも東南アジアもそうです。アジアの南から東までの一帯が次代に重要な役割を果たすようになってくると考えています。

 その中で、中国と日本です。中国は「第11次5カ年計画」で初めてメガロポリスという言葉を使い、「大都市が中国にとって大事だ」と述べています。つまり、都市の力を中国全体が評価し始めたのです。

 中国は「一人っ子政策」で人口はあまり増えないと言われていますが、都市人口は非常に増えていくとされています。ざっと30年ぐらいの間に都市人口が4億人ぐらい増えるのではないかと言われているのです。

 世界で一番大きな都市は、実は東京です。この大都市をつくるため、我々は公共交通の仕組み、土地の使い方など効率的に都市を組み立てていくノウハウを蓄積してきました。私は、これが中国の参考になると考え、大学の中で交流をしているのです。

 一方、人口が減ってきている日本にとって、若い中国のパワーを受け止めて、それを日本社会に新しい流れとして還元していける面もあります。日本と中国はパートナーとして、お互いに都市を舞台にして吸収していく点があると、非常に関心を持っています。

2.技術大国日本の問題は、海外に出て行かないこと


黒川清:10年ぐらい前までは、国際的枠組みは「インターナショナル」と言っていたのですが、最近は「グローバル」と言うようになりました。なぜでしょう。

 リーマン・ショックの一件でもわかるように、ファイナンスは国境がなくなってしまいました。サイエンスにも、企業にも国境はありません。多くの人が世界を意識し始め、NGOがたくさん登場しています。さらに社会起業家たちが出てきて、国境なく連携しています。

 日本はまだ世界2番目の経済大国です(2009年現在)。私は先日、APECに行ってきました。シンガポール政府が呼んでくれたもので、日本の政府が私に要請したわけではありません。こういうとき、私以外、日本人が一人もいないことが多いので、日本のプレゼンスのためにガンガン、ディベートをしてくるのです。

 APECでは、鳩山総理が2日目の最後にスピーチをしましたが、日本のビジネスマンがどのぐらいいたかというと、私が会ったのはたった4人です。中国の企業人は全部で400~500人いたと思います。そういう場に日本人がなぜ出ていかないのか、私にはわかりません。

黒川清 政策研究大学院大学教授

 2010年は日本がAPECのホストです。だから、「アジェンダ設定をして旗を揚げよう」と経産省などと話しています。日本には環境技術や材料化学、クリーンエネルギーなど、いろいろな強みがあります。でも、世界の成長している場所に、日本人は出ていません。

 この1カ月前には、インドでクリーンエネルギーのポテンシャルについて話しました。ここには日本の企業人が結構いましたが、プレゼンに迫力がありませんでした。聴衆の心を射止めていないのです。

 インドは10億の人がいて、これから数%ずつ、10年間ずっと成長します。しかし日本のビジネス関係者はインド全体で何人いると思いますか? たった3,300人です。売る物があるのなら、社内だけで言っていたってしょうがないのに海外に出ていっていない。

 技術力が素晴らしい日本に期待している人は海外にたくさんいます。その需要にどうやってデリバーするかが問題です。海外の滞在経験がある日本人は多いけれど、世界で勝負できる人はなかなかいません。相手とどういうパートナーを組めばいいかを知るには、相手国から期待されていることを感覚的にわかっていなければなりません。

 アメリカ、インドなど多くの企業人たちがグローバルにつながりながら、アジアの成長地点に拠点を移してきている状況で、そこに日本が出遅れているというのはものすごい損失だと思っています。

3.中国はエネルギーを制度改革、都市改革へむけよ


周牧之:1990年、上海の浦東開発区を訪ねたことがあります。当時東京から行った日本人の皆さんも、同行した北京の中央政府の面々も、 浦東開発の大きな夢が成功する、実現するとはあまり信じていませんでした。

 ところがふたを開けてみると、想像をはるかに超えた成長、発展が実現できました。冷戦後の20年、IT革命、市場化、グローバリゼーションなど、完全に世界のパラダイムは変わりました。パラダイムが変わったからこそ、中国は改革・開放をしてそのパラダイムに必死に合わせようと努力したのです。その結果が今日の成長です。

周牧之 東京経済大学教授

 この20年ずっと私は中国での政策調査、地域計画に携わってきました。90年代の半ばから、中国政府に都市化政策のガイドラインをつくるように頼まれ、中国と日本の両国政府がからんだ数年がかりの大きな計画調査もやりました。

 こうした調査の責任者として私は、3つのことを中国政府に提言しました。1つは、中国に都市の時代が到来したことを告げ、長江デルタ、珠江デルタ、そして環渤海地域に、3つの「メガロポリス」が形成され、そこに中国の経済、人口は集約していくだろうから、これに関心を払わなければいけないと強調しました。

 2つ目は、農村からたくさんの人が都市にやってくること。中国の戸籍制度は、都市に入ってくる人たちを規制していますが、都市でこうした人々を温かく受け入れるシステムをつくっていく必要がある。社会保障システムと合わせて、戸籍制度の改革をやるべきだと提言しました。

 3つ目は、来るべき自動車社会にきちんと対応しなければいけないということ。そして大規模高密度の社会をつくるには、きちんとしたコンセプトが必要だと言ったのです。

 中国政府は1つ目に対して、すばやく反応しました。第11次5カ年計画をつくるに当たって政策担当者は我々と議論を繰り返し、「メガロポリス政策」を大胆に打ち出したのです。ただし、2つ目の戸籍制度の改革は依然としてあまり進んでいません。数にして億単位もの出稼ぎの人たちは、今も大きな制度的制約を受けています。

 3つ目の自動車社会の話に対しては、当時は耳を傾ける人はほとんどいませんでした。みんな自動車社会なんて遠い将来だと思っていたのです。しかし、SARSを機にあっという間に自動車社会が中国に到来し、都市の生活を一変させました。いまや大都市では渋滞、長時間通勤、交通事故など、さまざまな弊害が顕在化しています。

 中国が持っているエネルギーをこれからさらに制度改革、都市改革にもっていかなければいけない時代になってきたのです。

中国都市化政策に関する日中共同調査報告書とメガロポリス戦略イメージ図

4.日本社会がアジアと伍していくには、言葉の問題解決が不可欠


竹中平蔵:ここまで、都市工学の専門家、医療及び医療政策の専門家、日中の経済社会問題の専門家と、違う立場からご発言いただきましたが、そこに共通点がありました。

 グローバル化の中で、アジアと中国のダイナミズムに大いに注目すること。その中で都市の時代、都市のダイナミズムを見直すこと。そして、先見の明を持ち、個々人がアントレプレナーシップ(起業家精神)を持たなければいけないということです。

 大西さんのキーワードは、「都市の人口に注目」「中国の若い力、若い活力を取り込んでいく」ことでした。黒川さんは、「グローバルコミュニティにおいて積極的に参加していく姿勢と、戦いながら前に向かっていく姿勢が必要だ」と言われました。周さんは、「世界のパラダイムシフトの中に私たちはいる」という趣旨で、中国の都市問題に対する姿勢について話されました。

 議論の入り口として、「アジアの活力」とともに、「アジアの弱点」をいかに解決していくかをお話いただけませんでしょうか。

周牧之:「アジアの活力」には2つあると思います。1つは改革で、パラダイムシフトに合わせた改革をやったということです。日本の場合、パラダイムシフトを迎えたときに最頂点にいました。成功体験にずっと甘んじてきたのです。改革そのものを好まない風潮が強く、かつて竹中先生が改革を進めたときにも、ものすごい抵抗があったのです。

 中国の場合、パラダイムシフトを迎えたとき、すでに計画経済が行き詰り、どん底にありました。だから一所懸命時代の変化に合わせて今日に至った。これが1つ目の活力です。

会場の様子

 もう1つの活力は起業家精神です。現在の中国経済の発展を支えている企業の大半は、この20年間に誕生したものです。もしくは20年以上前に誕生していたとしても、当時は取るに足らない存在にすぎなかった。この20年間、一所懸命、パラダイムシフトに合わせてビジネスモデル、企業価値、世界との接点をつくってきたのです。

 日本の場合、この20年間に世界的な企業になった会社はほとんど出てきませんでした。なぜ日本の改革精神、創業者精神が失われたのか、真面目に考えなければいけないと思います。

大西隆:私の研究室は2つに分かれていて、1つは「国際都市計画・地域計画研究室」という日本人学生と留学生を中心とした従来の研究室です。もう1つは社会人の大学院です。

 前者のメンバーの半分以上は外国人で、多いのはやはりアジア人です。そこでは10年ぐらい前から、研究室の公用語を英語にしようと、英語で会議をやっています。

 日本社会がアジアと伍していくには、言葉の問題を解決する必要があります。特に研究者や第一線で活躍する人が、結果的に英語になると思いますが共通語を設定し、コミュニケートする習慣をつくっていくことが必要です。

 研究室を運営していて、一番悩むのは卒業時です。文科省は「日本で教育を受けた人は、その成果を自分の国を育てるのに使ってください」という考えです。しかし、卒業後も日本で働きたい留学生に門戸を開き、また英語が中心言語という大学院卒業生を受け入れることを前提として社会を再構築することが必要だと思っています。

5.日本人には「世界市場を制覇する!」という意志がない


黒川清:日本には素晴らしいところがたくさんあります。しかし弱いところも認識し、どうするかを考えるべきです。グローバル化はものすごい勢いで進んでいるので、弱いところをゆっくり克服しようとしてもスピードに追い付きません。

 一番いい例が携帯電話です。毎日、世界で約300万台が売れ、23億人が携帯電話にアクセスしています。毎日売れている300万台のうち、2009年11月現在、約37%がノキアです。2番目はサムソンで約20%。3位はLG、その次がモトローラです。日本企業はというと、5位にソニーエリクソンが入っていますがシェアは減少傾向です。日本の携帯電話メーカーのシェアは4%ぐらいですが、機能は一番いいんです。

 日本の弱さは、最初から世界のマーケットをとろうと思っていないことです。世界をとるためには、さまざまな障害を乗り越える発想を持たなければなりません。マニュファクチャリングのエンジニアはいいが、エンジニアが必ずしもいい経営者とは限らない。つまり、強さと弱さをしっかり認識することです。

黒川清 政策研究大学院大学教授

 もう1つ例を挙げます。「味千(あじせん)」という熊本のラーメン屋は、今や世界的なブランドになっていて、海外に約400店舗、日本に約100店舗あります。これほど成長する前のこと、中国のある女性経営者が味千のラーメンを気に入り、中国で出店するライセンス契約を結びました。彼女はすぐに香港で上場して、中国で次々と店舗を広げていったのです。

 彼女は中国で約300店舗出していて、味千の海外店400店舗のうち300店舗は彼女が広げた店です。一般に日本人は、よい味をさらに深めていこうと、どんどん深く掘っていきます。それは日本のいいところですが、横に広げることを忘れているのです。

 アントレプレナーシップは日本語で「進取の気性」です。ビジネスだけでなく、大学でも役所でも、進取の気性に溢れている人が少なくなったようです。みんな指示待ちで、上から言われたことに対して「それは違うんじゃないか」と言える人たちがあまりにも少なくなっています。

竹中平蔵:日本の携帯技術はよく「ガラパゴス」と言われます。地上波デジタルテレビも実はガラパゴスでしたが、私が総務大臣のときにブラジルに働きかけて、ブラジルで採用されました。そうしたらチリ、アルゼンチン、ベネズエラに広がったのです。でも、ブラジルに実際に出ている企業は圧倒的に韓国なんです。日本の企業はどこか腰が引けています。

6.東京と上海の間でスムーズに行き来できる環境を整えよ


竹中平蔵:日本が発展したのは「変化したからだ」と、みんな言います。また「中国の変化の速度がすごい」とも言います。一方でアメリカからは「中国も日本も輸出依存で、内需に依存していない。アジアは変化がない」という批判もあります。

 そこで、「変化」をキーワードにして、東京、上海のことを知り尽くした皆さんに、都市の問題、ないしは都市生活の問題の変われる力・変われないもどかしさ、そういう問題提起をしていただきたいと思います。

黒川清:味千の話ですが、中国の女性経営者の年商はおそらく300~400億円です。彼女は「あと2年で倍にする」と言っています。この「やってやろう」が大事なんですよ。日本にはそういう人があまりいない。文句ばかり言っていないで、どんどんやればいいと思います。

大西隆:上海市中心の人口は大体1,000万人ぐらいの規模で、東京ほど大きくありません。けれど先ほどお話した戸籍問題が解禁になれば、農村にいる人が都市圏にドッと流れてきます。大都市化時代がこれから中国に起こってくるわけです。

 これからは都市を充実させるとか、人々の生活レベルを上げていくことに投資されるようになるでしょう。上海でも「内面をどう充実させていくか」という街づくりの時代がこれから始まると思います。もしかしたら、もう始まっているかもしれません。

 現在では、情報は瞬時に世界中に広まるので、皆、同時に同じことが必要だと気がついて、それをどう消化するかという時代になっています。環境に優しい街をどうつくっていくのかなど、街づくりに関しても同様だと思います。

周牧之:上海と東京を考えるとき、まず認識しなければいけないのは、これまで東京と上海の大都市圏が、お互いの国を背負っているということです。要するに、国の成長センターです。これからは、東京の皆さんは上海を視野に入れてビジネスをする、上海の皆さんも東京を見据えてビジネスをする、そうすることで全く違う世界を描けるのです。上海と東京はアジアの成長センターに変貌していくでしょう。

 ただし、そのためには東京と上海の間でスムーズに行き来できる環境を整えなければなりません。羽田と虹橋という2つの国内空港を東京—上海間の国際線で利用することによって、上海と東京との間のビジネス環境は一挙に改善されました。これは大いに評価できます。

 ただ、中国から来た人が羽田や成田のイミグレーションで指紋をとられるのは、時代に逆行しています。人や物のスムーズな往来を準国内的にできるように、制度を変えていくことが必要でしょう。

7.世界における日本の“存在感のなさ”を解消するには?


竹中平蔵:大西さんは「アジアの都市人口増」に対して、一体私たちは何をすべきだとお考えですか。そして「中国の若い活力をもっと日本が取り込む」ために、具体的に私たちは何をすればいいのでしょうか。

大西隆:先ほど周さんは、「中国で『メガロポリス』という言葉が使われている」とおっしゃいました。中国全体の人口は増えないのに、都市に住む人が増えるので、それを受け止めていくことに必死なわけです。

会場の様子、左から竹中平蔵氏、黒川清氏、周牧之氏、大西隆氏

 大事なことは都市間のネットワークです。中国は急速に通勤社会になっています。拠点をいかに結んでいくか、あるいは住宅と職場をどう結んでいくかという交通のネットワークをつくっていくことが大きな課題です。これは、日本の都市技術が大いに貢献できる分野だと思います。

 「中国からエネルギーをもらう」という意味では、日本の大学がもっと中国やアジアの方を受け入れて、ある種の多民族社会を大学からつくっていくことです。長い期間を経て日本に定着していくと思いますが、そういう流れをつくることが大事だと思います。

竹中平蔵:黒川さんの「日本のビジネスのプレゼンスが世界的にない」という話は、ダボス会議などに出ても強く感じます。その危惧を経団連に何度申し上げても、のれんに腕押しなんです。それに対してどうすればいいのか、黒川さんはどうお考えですか。

黒川清:日本国内の理屈ばかりではだめです。「相手から見た日本」を全く見ず、日本の都合でみんなやっているのです。役所も企業もそうなので、ぜひ変えてもらいたい。

 今までの年功序列、男性中心社会では変わりません。私は大学も企業も政治も、責任あるポストは50歳以下の人にしてほしいと思っています。トップが60歳を過ぎていたら、変えるエネルギーは生まれてこない。

 ケンブリッジ大学のトップはアリソン・リチャードという女性です。マサチューセッツ工科大学は、イエール大学から引っ張ってきたスーザン・ホックフィールドという女性が学長です。ブラウン大学もシアトルから黒人女性のルース・シモンズを迎えています。一方、日本は89の国立大学で、女性がトップなのはお茶の水女子大学だけです。

 私のブログは日本語と英語、2つあります。メールの返事は基本的に英語です。みなさん、日本語で話している限りは“日本の中にいる”ということをぜひ認識してください。もし英語の習得に乗り遅れたと思っているなら、中国語を勉強した方がいいと思います。

8.提言~世界のパラダイムシフトに対応するために~


竹中平蔵:例えばビザの話も法務省に対して経済財政諮問会議でいくら言っても、「ごもっともです」で終わりなんです。つまり、何か問題が起こったら責任をとるのが嫌だから、「安全上の問題がある」とかなんとか理由をつけて拒む。

 そこをどう突破するかは一人ひとりが議論しなければいけません。日本では一般的に権力が分散されているので、非常に我慢強くやらなければなりません。誤解を招くかもしれませんが、変人と思われるぐらい一所懸命執着しないと、1つのことすら達成できないのです。

 周さん、日中両国の交流という観点に加えて、世界のパラダイムシフトに対応していくために、何か具体的な提言がありますか。

周牧之:私は日本の教育のシステムや研究施設が、中国やアジアの皆さんになぜもっと利用されないのかが気になっています。少なくとも、東京はアジアの教育のハブになれます。ただ、言葉の問題があります。それから留学生に対して、これからは「日本で活躍してもらおう」との方針で環境を整えていかないといけません。 私は、アジアの将来は留学経験者たちの手でつくり出されるのではないかと思うのです。

 さらに、日本社会も以心伝心のコミュニケーションから、外国人にも通じるコミュニケーションのスタイルに変えていかないといけない。それが確立された日に、東京は本当の意味での世界都市になるでしょう。

会場からの質問:東京がもっと魅力的な都市でなければ、外国の方々を受け入れるのも恥ずかしいし、海外へ出て行く日本人も信用されないと思います。この点について、ご意見をいただけますか。

黒川清:大学では学部生をどんどん海外に行かせ、海外からは学生を来させています。また2年ぐらい前から、沖縄で15、6歳のアジアと日本の学生に合同合宿をさせています。ここで培ったネットワークこそが、ナショナルセキュリティの根幹です。

 全ての大学が「毎年200人出て行かせ、200人海外から来てもらう」となれば、街もどんどん明るく魅力的になってくると思いますね。

大西隆:私は今までに数十人の留学生を研究室で受け入れましたが、途中で、「日本は嫌だ、帰りたい」と言った人はいません。だから日本の魅力はあると思うのです。

会場の様子

 ただ、非常に気になっていることは、例えば日本の学生が中国や韓国の学生と同じ数だけ行き来しているかというと、やっぱり偏っているわけです。そこは今欠けている大事なステップだと思っています。

周牧之:街の魅力はますます大事になってきます。アメリカでは非常にいいプログラムを持っている大学でも、魅力ある都市に立地していない場合が多いです。そういう大学は、最近は奨学金を出しても、「ニューヨークがいい」などという優秀な海外の学生に逃げられてしまうのです。「魅力のある都市だからこそ、人が集められる」という視点が大事です。

会場からの質問:マスコミや今世の中を牛耳っている世代が、「変化」の抵抗勢力になっている気がします。この人たちを変えるためには、何をしたらいいのでしょうか。

黒川清:将来があるのは若い人だから、抵抗勢力にいくら言ったって理解しませんよ。できない理由ばかり言うから。やはり若い人のネットワークを横に広げること。そうしないと5年10年先、変わらないですよ。私はそれが一番気になっているのです。

竹中平蔵:やや否定的なことを言うならば、10年前、「今の若手が育てば、10年後は変わる」と言われていました。その10年前も同じことを言っていたんです。つまり、歳をとるとみんな変わってしまい、保守的になってしまう。これはみなさんの組織でも、思い当たるでしょう?(笑)

 結局、みんな中間管理職みたいないい子になってしまっているのです。保身のためだけにやっていて、そこが変わらないことが問題なのです。若い人の交流は必要ですが、それだけですべてが解決するとは思えません。一人ひとりが志の原点に帰ることがないと難しいのではないかと思います。

9.グローバル・アジェンダの解決には、私たちの関与が必要


竹中平蔵:最後に、みなさんから一言ずつお願いします。

黒川清:「変わろう」という人が、各レイヤーにいなさすぎます。進取の気性の溢れる社会という意味でのアントレプルナーシップが大事です。今週(2009年11月16日~23日)はグローバル・アントレプレナーシップ・ウィークです。「Global Entrepreneurship Week/JAPAN」というウェブサイトを見てください。さまざまなプログラムをやっています。

大西隆:日本と中国で一番大きな変化は「ビジット・ジャパン・キャンペーン」に乗って、訪日外国人、中国人が増えているということです。来年(2010年)までに訪日外国人を1,000万人、さらにその先に3,000万人にしようとしています。

 海外から日本に3,000万人が訪れると、大半は中国人になります。それを不安に思っている日本人もたくさんいます。歴史をどう考えているのか、日本と中国の文化をどう理解したらいいのかという議論もやって、真の相互理解を進めることが重要です。

周牧之:私の自宅の近くに「三鷹の森 ジブリ美術館」があります。そこに毎日、中国人を含め、たくさんの外国人観光客が来ています。

 このように、これからは世界の人々の心にきちんと響くような文化産業をメインにして発展させたらどうでしょう。そうすれば、都市はさらに魅力を増して、皆さんが幸せを感じられるような社会になっていくと思います。

竹中平蔵:どの時代、どの社会でもそうですが、結局は比較的少数の人が頑張って時代を切り開いてきました。しかし今は以前に比べると、頑張れる可能性がある人も増え、政府の中にもたくさんの民間人が入るようになって、重要な役割を果たすようになりました。

 一方で、昔よりリスクが少なくなっていながら、なかなか変化できない状況でもあります。日本と中国は交流を通して、互いに活性化していくことが求められています。グローバル・アジェンダは政府だけでは解決できません。やはり私たち一人ひとりが問題意識をシェアし、関与していくことが必要だと思います。

 今、スカイツリー(第二東京タワー)がつくられています。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』には、建設中の東京タワーが出てきますが、この映画を見たときに、「ああ、こうして頑張った時代があったのか」と思いました。私はスカイツリーが出来上がっていくのを毎日見ていこうと思っています。50年後、「あのとき頑張ったから、今日があるんだ」と思えるように。みなさん、本日はありがとうございました。(終)


アカデミーヒルズ「上海・東京グローバル・コンファレンス
『世界経済を支える東アジア経済圏の成長』
」(2010年)掲載

【対談】岸本吉生 Vs 周牧之(Ⅱ):急速なグローバリゼーションが世界を揺らす

2018年12月13日、東京経済大学周牧之ゼミでゲスト講義をする岸本吉生氏

■ 編集ノート:

 東京経済大学の周牧之教授の教室では、リアルな学びの一環として第一線の経営者やジャーナリスト、官僚らをゲスト講師に招き、グローバル経済社会の最新動向を議論している。2022年1月13日、経済産業省キャリア官僚の岸本吉生氏を迎え、対談した。対談の第二弾はグローバル社会における分断と希望を、貿易不均衡、所得格差、地域格差という三つの不均衡から読み解く。


 三つの不均衡が分断をもたらす


周牧之(以下周) 私が30年前来日した時、NHKの調査で殆どの日本人が「自分は中流だ」と答えた。1億総中流だ。この30年間日本もグローバリゼーションが進み、同時にかなり格差社会になってきた。2000年以降、中国の対米輸出が突出したことで、一時期大変だった日米貿易摩擦が緩和された。しかし、この格差問題は深刻さを増している。

 アメリカも大変な変革期にある。2016年のアメリカ大統領選挙では沿海部の大都市で民主党支持が優位だったのに対して、寂れた工業地帯や中西部は共和党支持が優位だった。トランプ政権誕生にはこうした背景があった。2020年の大統領選挙ではアメリカの地域的階層的分裂の激化を見せつけられた。

 2016年に実施されたイギリスのEU離脱是非を問う国民投票を見ても、大都市と地方の民意は割れた。大ロンドン圏は反離脱派が優位で、それ以外の地域は離脱派優位だった。

 このような状況は全て急速なグローバリゼーションがもたらした貿易不均衡、地域格差、所得格差という三つの不均衡故である。

岸本吉生(以下岸本) イギリスでは都会にもEU離脱派は存在し、田舎にもEU存続派はいる。アメリカの民主党支持者に貧困者がいないわけでもない。都会と田舎の不均衡の問題を選挙結果と端的に結びつけることには違和感がある。利害が交錯する中で、不均衡は二項対立ではなくなっている。一人ひとりの状況に応じて何が課題なのか見極めないといけない。地方の発展の観点からは、人材育成、デジタル化をはじめインフラ整備が重要だ。

 日本にはEUを離脱した方がいいと思うほど疲弊した地域や衰退産業があるわけではない。TPP(Trans-Pacific Partnership:環太平洋経済連携協定)には北海道の農業を中心に反対があったが、都会対地方というはっきりした図式ではない。人口の減少と高齢化の中で次世代が郷土愛と夢に胸を膨らませる生活環境をどのように整備するか。教育はもとより、死生観、生命観といった精神性に関わる取り組みが必要だと感じる。

 私が言いたいのは国論が地域的に二分するほど分断が各国で深刻になってきたということだ。

なぜ日本でRCEPが話題にならないのか?


岸本 EUを離脱した方がいいと思うほど、荒んだイギリスの疲弊地域と同様の地域は、日本にあるだろうか?TPP(Trans-Pacific Partnership:環太平洋経済連携協定)を脱退してほしいという議論は日本では起きていない。

 TPPを脱退する話がないというのはおそらく日本の一般の人々がTPPについてあまり知らない故かもしれない。イギリスはEUに加盟した体験があり、EUの良し悪しがわかっている。そこの感覚が違う。

 今年の元旦にRCEP(Regional Comprehensive Economic Partnership:地域的な包括的経済連携)が発効した。日本・中国・韓国・ASEAN10カ国に、オーストラリアとニュージーランドを加えた15カ国が参加する自由貿易の協定は、世界の三分の一の人口と経済規模、貿易規模が一つの経済圏として動き出したことを意味する。これが日本ではトップニュースにすらならなかった。

岸本 それほど重要だと思われていない。給与の上昇がある製造業に依存する勤労者が減り、70%は貿易と関連のない仕事をするようになった。

 グローバリゼーションの中で企業が益々グローバリ的なつながりをもとめている。それに対して政府は益々保守的になる現象が世界的に発生している。日本でRCEPの発効がトップニュースにならないことは、この問題の極端な現れだ。一般の人々に新しい時代の到来を認識させないことが大問題だ。

都市化そして地域格差をどう捉えるか?


周 1,000万人口を超えるメガシティは1950年、世界では東京大都市圏とニューヨークの2都市だけだった。その後の動きは極めて緩慢で1970年に近畿圏が加わり、三つになった。しかしその後の急激なグローバリゼーションにより雨後の筍のごとくメガシティが増え、現在は33都市となった。それらメガシティに住む人口は約6億人に迫る。

 かといってメガシティに住む人々が脱出したいと思っているとは言い難い。2020年に行われたNHK東京都知事選都民1万人アンケートでは、東京に住み続けたい人は9割近くいる結果が出た。世界最大のメガシティ住民の殆どが東京に住み続けたいのが現実だ。

岸本 都市と地域の経済格差や疲弊に関心のある学生がいたら、ジェイン・ジェイコブズさんの発展する地域 衰退する地域をおすすめする。日本の都市と田舎を書いている。経済を考えるときに、日本経済とかアメリカ経済とか国単位で議論することに意味はない。経済の成長と衰退は都市を単位として考えなければならないという。

 ある都市が成長するときには理由がある。2002年以降の中国の都市の成長にはそれぞれの理由があり、1960年から80年代に日本の都市が成長したことにも理由がある。問題は、成長している都市と、取り残された都市との格差の拡大だ。一部は人口の移動で解消するが、残された格差に政権は政治的に応えようとする。その結果、補助金による再分配政策が始まる。

 道路を作る、米価を安定させる食糧管理制度はその代表だ。世界中でそういうことが行われている。都市が成長する間はそれができて補助金を増やすこともできる。都市の成長が鈍化すると財政赤字が生じる。緊縮財政でバラマキが減り、国民の支持が下がる。だから、産業が勃興した都市とその国にその後起きる現象は普遍的だという。その都市は疲弊して別の新しい都市が発展する。デトロイトとシリコンバレーのように。

 アメリカのデトロイトに行くと、一時期世界最大の産業都市の凄まじい退廃ぶりがわかる。盤石に見える都市の産業基盤も長いスパンで見るとかなり流動的だ。

岸本 1980年代のアメリカが、まさにそんな時代だった。シカゴ、デトロイト、ロサンゼルスなどの大都市は景気も治安も悪く失業者が多かった。アメリカは1993年にデトロイトで雇用G7を開催し、その席で日本は何故失業者がいないのか問われた。失業、貧困、都市の衰退をなくす方法は短期的には見つからない。三つの不均衡問題は短期的に解決できない。三つの不均衡を10年、20年以上長い時の流れで見る重要さを周先生に教わった。

 私は日本に来てまず出かけた地方は萩市、安倍晋三氏と林芳正氏の地元だ。私は明治維新における長州藩の人々の活躍に感銘を受けていた。明治維新のときに幕府と戦争できたほどの経済力をもっていた萩が、いまや農業と観光以外にほとんど産業がなかった。明治維新後日本の総人口は随分大きくなったが萩の人口は逆に縮まった。日本を立て直した萩の志士が、地元経済を立て直せなかったことにショックを受けた。

 薩摩もしかりだ。当時のアジアにおける薩摩の存在感がいまはない。都市や地域を語るには長いスパンで見るべきだ。 

岸本 自然、文化、人とのふれあいがある。経済規模では測れない良さだ。

 地域に価値を感じる人たちが大勢いるのはいいことだと思うが、問題は人口流出した点にある。人口を維持できず地域社会が小さくなった。

2018年12月13日 教室にて岸本吉生(左)VS 周牧之

脱大都市化は本当か?


周 友人が運営する場所文化フォーラムが諸団体と連携し、地域活性化を促し、自然との共生・循環の価値観を共有するため毎年全国各地で開催しているローカルサミットというイベントがある。このローカルサミット参加のためにゼミの学生を連れて東近江へ何度か行った。その駅周りに学習塾が沢山集まっていた。東近江は非常に豊かで教育レベルも高い地域だ。そうした塾を経て東京や大阪、京都などの大学に入り、地域から若い人が東京など大都市圏に吸い取られているのが地方の典型だ。

岸本 コロナ禍で、デジタルリテラシーのある世代が離島半島農山漁村に移住する現象が起きている。会社に行かなくても仕事ができることがわかったからだ。そのインパクトを地方社会がどう生かすかが私の問題意識だ。

 仕事が都市に集まるから都市の人口が増えた。海外出張ができなくなったことで仕事が停滞している状況もある。しかし、海外出張のための移動や宿泊の時間が別の仕事の時間に置き換わり生産性が上がった人もいる。高知大学の先生とZOOMで話した直後に宮崎大学の先生とZOOMで話しその後3人で話すことはリアルでは考えられなかった便利さだ。直接3人が会えば移動や宿泊の時間がかかり費用もばかにならない。

 このような変化が、都市と田舎の不均衡にどう影響するかはまだ見えないものの、都会の人のライフスタイルと田舎の人のライフスタイルの双方が劇的に変化しはじめた。今それを研究している。

周 私が社外取締役を務める従業員千人規模のIT企業は、新宿に本社がある。新型コロナ感染拡大を受け、原則出社「禁止」となり、リモートで仕事をしている。いまリモートワークをベースに、国を超えた世界雇用を始めた。どこの国でも東京の賃金水準で給与を出す。

 リモートワークは地方にとっては大きなチャンスだ。ただし都市のアメニティーに魅力を感じる人間も根強くいる。仕事を自由にできる時代になり、地方にとってもチャンスをどう活かすかが問われる。うまくいく地域もそうでない地域も必ず出てくる。

 実際、現在東京で起こっている動きは、会社の周りに住んでいた人は郊外に住むようになっても東京大都市圏内での引っ越しに留まり、大半は圏外には出ない。

岸本 地域のアメニティの魅力には、歴史、自然環境、郷土愛がある。ハワイのワイキキビーチの雑踏的な砂浜が好きな人もいれば、沖縄の竹富島の誰もいない星砂ビーチが好きな人もいる。ローカルの生きる道は、その場所ごとに適正な人数で繋がることだと思う。多い方がいいとは限らない。小笠原諸島の父島や母島に何万人も入れない。都市と都市以外では物差しが違う。

■ モビリティが高いのは誰?


周 どんな人が東京を脱出しているかというと、資金力のある人たちが沖縄や北海道に小屋や別荘を構えてリモートワークをする話をよく聞く。結局モビリティがものを言う。モビリティは資金力のある人とない人が高く、中間層はそれほどない。

岸本 東京の住宅費用と教育費用はとても高い。そのことが移住の動機になっている場合がある。都会で会社で働くよりも、自然豊かな地域で農のある暮らしを望む人もいる。頻繁に動くという意味のモビリティには所得が関係するが、移住については、所得との関係は逆かもしれない。

 世界も同じだ。お金のない人のモビリティが高く、出稼ぎ労働者、移民、難民もしかりだ。また資金力のある人はモビリティが高い。地域を活性化するには、中間層が如何にして地域で住み着くかを考えなければならない。

岸本 家を買うかどうか数年前に相談したら全ての人に買うべきではないと言われた。「家は子供産んで育てる巣箱だ。子供がもう巣立つなら必要ない」と言われた。巣箱での子育て中にモビリティは上げられない。リモートで働ける時代が何を根拠に住所を定めるのか。

 IT産業も他業種と比べモビリティが高い。IT企業はアメリカ、中国、日本のどこでも大都市圏に集中している。シリコンバレーのIT企業がいまやオフィスをニューヨークに構えている。

 大学競争でも都市の魅力が物を言う時代だ。私がボストンにいた時ハーバード大でもMITでも、採りたい教員や学生がニューヨークの大学に取られたことがよくあった。

岸本 マンハッタンに2年留学していた経験で言うと、ニューヨークには良いところもそうでないところもある(笑)。デジタルの動画配信のおかげで自宅にいながらトップレベルのコンテンツを楽しめる。住居費が安い分、自然と触れ合ったり、芸術に励んだり多様な生活が楽しめる。そんな暮らしの人気が給与が上昇しない傾向になるほど強まっていくだろう。

人口流出を止めるには魅力ある仕事が必要


岸本 格差や貧困は問題だが、多くの方々が心配しているのは「跡継ぎがいない」ことだ。北海道の富良野を例にすると、放置されている問題がいろいろある。その問題を、自分たちで解決することが暮らしを成り立つだけの収入を伴うならその仕事を担う人が現れる。福祉、教育などは公費で賄われているが公立の学校や病院で提供していないサービスは多い。お金を払ってサービスを買う人が地元にいれば担い手が現れる。東京だと教育でも医療福祉でもさまざまなサービスがある。子供が保育園に入れなかったら民間の子育てサービス、不登校の子供にも民間サービスがある。都会も地方も人不足だと言われて久しい。企業の経営者に聞くと働き手がいないと言う。希望する仕事がないという声も多い。やりたい仕事と、やってほしい仕事、賃金、仕事の内容にずれがある。

 魅力的で多様な仕事が都市にあるため、働き手が都市に流出した。幸い、いま日本で農業が変わってきた。インターネットで直販、購入が盛んになり、農業の利益と仕事の魅力が増した。大学の農学部の人気も上がった。

岸本 働くことの対価は賃金だけではない。心の満足だ。やりがいと収入の二つの要素がある。若い人がどう選択するかは年々変化している。

 都会に住むか住まないかは個人の選択だ。所得格差は社会問題となるが、同時に、やりがいのあると思う仕事に就職できるような社会環境が必要だ。

 大学で地方に戻る学生に公務員志向が多いと感じる。

岸本 公務員の仕事はたくさんあるから増やすのは悪くない。民間でやりがいのある公的な仕事をしている人も多い。病院の看護師、保育園の保育士、学校の教員。私立の職員は多い。

 30代40代になってから、自分はこの仕事をしようと決心して軌道に乗せた人を紹介したい。20代でスリランカに住んで紅茶が好きになり、日本帰国後、沖縄で紅茶作りをして起業した。一つのブランドになり、ベルギーの国際コンクールで二つ星を取った。新宿の伊勢丹百貨店で販売するまでに成長した。

周 地域の話、中小企業の話は岸本さんの生涯の大テーマだ。中国の都市と同様に日本も40年、30年前は工場を地域に呼び込んだ。多くの工場が労働力、綺麗な水、空気を必要として地域移転した。しかしその後それが海外に移り、日本の地域過疎化が進んだ。中国も同じことが起こった。世界中から工場を呼び込み、結果的にうまくいったところは沿海部の一部の都市で、大半は跡地だけが残った。
長いスパンで見て地域の底力になるのは、やはり地場のリソースに張り付いている産業だ。そうした産業が何百年も続いている。近代化によって磨かれる地場産業が沢山ある地域は、素晴らしい魅力がある。ヨーロッパをみるとそうしたケースが多い。

岸本 感覚や快適さに訴求するアート産業もある。芸術家だけではない。衣料品のデザイン、レストランの内装やメニューなど裾野が広い。

 アート産業も、地域に密着することが必要だ。アートは地域の活性化、地域の個性化につながる。

多様性と寛容性が大切


岸本 ベンチャーの経営者のプロフィールを見ると、環境、教育、子育て、福祉、高齢者、障害者、不登校など労りや優しさをビジネスにしたいベンチャーの経営者が数多くいる。私の世代にはそういう感覚はなかった。地域の痛み、人口の減少と高齢化の中で、地域のために何かをしたいという強い気持ちを感じる。

 都市のもう一つの魅力は多様性と寛容性だ。地方も如何に多様性と寛容性を育くむのかが将来を左右する大きなファクターだ。

岸本 私の家族は都内の集合住宅にしか住んだことはない。蜘蛛も魚もつかめない。米は食べても田植えはしたことはない。それでも東京に住み続けたいという。国内外の幅広い出会いがある都会の生活もあれば、地元の仲間と狭く深く暮らす社会もある。いま深刻なのは、都会に住む方々と田舎の方々との縁が切れてしまったことだ。座れなくても特急電車に乗って故郷へ帰り、祖父母に孫を見せるというつながりは無くなってしまった。それに代わる縁をどう築き上げるか。小中高校生が留学するというのも良い試みだ。

 中国でも春節(旧正月)には都市から地方へ民族大移動する。まだ田舎と直接縁があるうちに新しい接点を作れるかどうかが肝心だ。

人間の魅力も地域の魅力


周 岸本さんは九州で産業局長をやられた。九州にはAPU(立命館アジア太平洋大学)という大学がある。私の長男がこの大学で4年間過ごしたら、別府、大分はもとより九州が大好きになった。同級生の中には、ITで仕事をしているので東京でなくても仕事はできるからと、大学時代を過ごした大分に戻り20代で家を買って定住を決めた人がいた。地域と何らかの接点を作り、その地元に魅力があれば住む。

岸本 市街地というよりは、海、山、温泉、そしてその土地の人間の魅力だ。九州は来訪者ときやすく口をきいてくれる地域だ。私のような関西弁の訪問者とも初対面で口をきいてもらい縁が広がっていく(笑)。知らない人に親切にできることは九州の大きな魅力だと思う。福岡市がアジア太平洋に開かれた都市と宣言して30年になる。福岡空港だけでなく九州の各空港は国際線が就航している。留学生に加えて、住みたくなる町、働きたくなる町として、九州各地の都市が変貌していけばアジアで光輝く島になる。

 人間の魅力は大きい。 

岸本 日本人口が6,000万人ぐらいまで減ると予測されている。5,000万人以上になったのはこの100年ぐらいしかないから、3,000万人に戻っていいと思えば、江戸時代当時の基準でいい。農水産業が機械化されて昔10人要ったのが今2人の人手でいいのであれば、集落の人口が減っても良い。人が少なくなることが良くないと決めてかかるのは良くない。ゆったりと自然に囲まれて打ち解けた雰囲気で生活するのなら、仕事時間は集中して、地域のために働いたり、世代の違う仲間と語り合ったり、過密な社会で分解したものを新しい形で築くチャンスだと考えたい。 

 ドライに長いスパンで見ればそうだ。魅力ある都市と農村、地方があって世界と交流できれば皆が幸せに暮らしていける。


プロフィール

岸本 吉生

中小企業基盤整備機構シニアリサーチャー、中小企業庁国際調整官兼務

 1985年東京大学法学部卒業後通商産業省入省、経済産業省環境経済室長、中小企業庁経営支援課長、愛媛県警察本部長、中小企業基盤整備機構理事、九州経済産業局長、中小企業庁政策統括調整官、経済産業研究所理事を経て、2018年から現職。コロンビア大学国際関係学修士、ものづくり生命文明機構常任幹事、日本デザインコンサルタント協会会員。

【対談】岸本吉生 Vs 周牧之(Ⅰ):三つの不均衡が生んだ貿易大国の栄光と挫折

2022年1月13日 教室にて周牧之(左)VS 岸本吉生

■ 編集ノート:

 東京経済大学の周牧之教授の教室では、リアルな学びの一環として第一線の経営者やジャーナリスト、官僚らをゲスト講師に招き、グローバル経済社会の最新動向を議論している。2022年1月13日、経済産業省キャリア官僚の岸本吉生氏を迎え、対談した。対談の第一弾は中国の現状と歴史を、貿易拡大が生んだ貿易不均衡、所得格差、地域格差という三つの不均衡から読み解く。


 グローバリゼーションがもたらす三つの不均衡


周牧之(以下周) 中国は2001年のWTO加盟後の20年間で、輸出規模は10倍に拡大し、実質GDPは5倍となった。世界が驚く成長を遂げた。

岸本吉生(以下岸本) 2001年当時、経済産業省が心配していた問題は、日本の製造業が全て中国に行ってしまうのではないかという産業空洞化の問題だった。その当時から20年間の中国経済の飛躍はめざましい。半導体の国内生産力は格段に大きくなり、デジタル社会の最も進んだ姿になった。日本ではGAFAがデジタル社会のプラットフォームであるが、中国ではアリババやテンセントがデジタル社会の基盤をなしている。

 1921年に結党した中国共産党は、2021年11月に100周年を迎え「党の百年奮闘の重要な成果と歴史的経験に関する中共中央の決議」(以下「歴史決議」と略称)を発表した。習近平国家主席が就任して10年を迎えるこの期間にどのような原則と将来目標を掲げているのか、いまの中国を物質面というより、精神面、文化面から理解するために「歴史決議」を何回も読んでみた。

 「歴史決議」に「社会主義」「マルクス・レーニン主義」という言葉が繰り返し出てくる。日本でも1980年代まではマルクス・レーニン主義を支持する政党が複数あったが、ソビエト連邦が解体した後は凋落した。「歴史決議」でも1990年代以降の社会主義諸国の変化を悲観的に描いてはいるが、その反面、中国が「中国の道」を実践して見事に成長しつつあることを強調している。中国は、マルクス・レーニン主義の基本的原理は維持しつつ、国際社会の変化と技術の発展に適合して中国らしく社会主義強国を目指して実践していることに誇りを持っている。

周 中国共産党のいまの自信がどこから来たのか、中国とアジアの歴史を振り返る必要がある。100年よりもっと長いスパンでの思考が欠かせない。中国の近代史は1840年のアヘン戦争からだ。それは世界に名だたる貿易大国の凋落の引き金になった。

 私は中国の貿易大国としての栄光と挫折には6つの段階があると考える。シルクロード時代、海のシルクロード時代、大航海時代、産業革命から第二次世界大戦までの時代、冷戦時代、改革開放時代だ。

 これらの時代の背景には、国際貿易そしてグローバリゼーションがもたらした三つの不均衡がある。三つの不均衡とは、貿易不均衡、所得格差、地域格差だ。貿易は発展と繁栄をもたらすと同時に三つの不均衡を生み、動乱や戦争を引き起こすことを、中国は何度も経験してきた。

 フランス経済学者ピケティ氏によると、いまの世界の上位10%の高額所得者が保有する資産が、世界全体の76%をも占めている。下位50%の低所得層は世界全体の2%に過ぎない。こうした極端な状況をもたらす最大の原因は、グローバリゼーションである。故にグローバリゼーションを止めてしまえと言う人さえいる。

貿易不均衡で引き起こされたアヘン戦争


周 その意味では中国の歴史は、貿易大国としての栄光と挫折に揉まれた苦労の連続だった。とりわけ近代においてその度合いが増した。

世界経済における中国のシェアはアヘン戦争前の1800年は33.3%だったのが、屈辱と苦難の近代を経て、1990年には1.7%まで落ちた。そこから見事にV字回復を果たし、いまや18%まで取り戻した。そんな経験をした人々の民族的な自立と復興への思いが、「歴史決議」文の中にある。

岸本 滲み出た。 

 宋王朝は貿易を積極的に進めた。いわゆる海のシルクロード時代だ。当時の一番の貿易商品は磁器であった。磁器は、欧州で大変な人気だった。「チャイナ」という磁器を示す言葉が、中国の国名になったほどであった。宋王朝の次のモンゴルもユーラシア大陸における大貿易帝国を作った。保護費としての税をとり約百年間世界帝国を維持した。その後の明朝は三つの格差がもたらす流動性を危惧し、海禁策を発布して貿易を止めた。なぜなら明朝は地域格差、所得格差から生じた人口の流動性を盾に蜂起し、政権を確立したからであった。明朝は貿易を止めただけでなく、人口の固定化政策をも強く打ち出した。しかし貿易のニーズが高く、とくに明朝後半は大航海時代にあたり、海禁政策は骨抜きで緩和され、ヨーロッパ人がアジアに来て中国から茶や陶磁器、綿製品を買い付けた。彼らは中国へモノを売り込もうとしたが果たせず、銀で支払い続けた。

 貿易で世界中の銀が中国になだれ込んだことで、明の末期、元々銀をあまり持たなかった中国が銀経済になった。明を引継いだ清王朝においても同傾向は続いた。中国は世界最大の輸出大国となり、世界経済の三分の一を占める経済大国に至った一方、ヨーロッパは長期にわたり対中貿易赤字に苦しんだ。

 中国とヨーロッパの貿易不均衡は構造的だった。南米での銀山開発により銀が一時期溢れてインフレーションを起こしたヨーロッパでも、この貿易不均衡で銀不足に陥った。

 この構造的な貿易不均衡が、最後にアヘン戦争を引き起こした。中国の主な輸出品の一つであった茶は、当時の世界貿易最大のアイテムにもなっていた。イギリスは中国からの茶の輸入で赤字を大きく膨らませ続けた。その解決策としてイギリスは、インドで作ったアヘンを中国に密輸した。中国政府は当然そのアヘン密輸入を取り締まった。これに対し、イギリスは軍艦を派遣して中国を攻撃した。アヘンという麻薬を中国に売り込むための戦争であった。結果、アヘン戦争後の中国へのアヘン輸出は一気に増えた。

 「歴史決議」で、屈辱で始まった近代史について強い口調になるのは、こうした歴史の背景があるからだ。

「グローバリゼーション」が生んだ下克上


 貿易増でふくらんだ人口も中国を翻弄した。長く1億人前後だった中国の人口が、明朝末期から急増し、清朝後半には4億人を超えた。これは貿易がもたらした豊かさと、ジャガイモやトウモロコシなど新しい農作物をヨーロッパ人が新大陸から持ち込んだことによる。しかし、人口増で一人当たりの農地面積が縮小し、格差を拡大し、人口流動性を促した。人口の流動性は社会不安につながった。アヘン戦争の10年後に、中国で太平天国の乱が起きた。ある意味では暴力で格差をリバランスしようとする下克上の農民蜂起だ。太平天国の乱は、第二次大戦での世界の全犠牲者数を超えるほどの莫大な被害をもたらし、中国の最も豊かな地域を廃墟とした。

 当時の「グローバリゼーション」により、ヨーロッパで同じ問題が発生した。力のバランスが変わり社会の流動性が引き起こされた。太平天国の乱より先に起こったフランス革命の底辺にはこうした下克上があった。それから百年後のロシア革命も背景は同様であった。「グローバリゼーション」がもたらした三つの不均衡によって、各国で下克上が起こった。

 下克上の形はさまざまであった。革命も民主主義もすべて下克上である。

 革命と民主主義の共通点は、双方とも底辺民衆の力をベースにする点だ。しかし民主主義はプロセスの確保に重点を置くのに対して、革命は結果論でプロセスは暴力でもよしとした。双方とも三つの不均衡に対する解決法として登場した発想だ。毛沢東の革命に大勢の人々が同調したのは、革命により当時中国が抱えていた問題を解決できると信じたからだ。


計画経済の成果と限界


岸本 「歴史決議」は、毛沢東思想とその成果を高く賞賛している。鄧小平による「経済建設を社会主義の基本路線」の確立も高く評価している。中国共産党は1949年から社会主義建設を本格的に始め、30年後の1979年に、鄧小平が「階級闘争」を要とする方針を廃止した。これが中国の道の始まりだ。貧困からの脱出を優先させて、強い国家の建設の基盤を作ろうとした。それが改革開放の目指すこと。手法として資本主義的なものを敢えて持ち込んだ。 

 2010年に私と楊偉民氏との主編で『第三個三十年(The Third Thirty Years: A New Direction for China)』という本を出した。私は1949年の新中国建国以来の時代を三つの30年と定義した。毛沢東の計画経済の30年、改革開放の30年、新しい時代の30年だ。

 最初の30年の処方箋は革命的だった。農地や企業といった資産をすべて国有化あるいは公有化した。計画経済のもとで所得格差をなくそうとした。都市と農村の格差から生じる流動性については厳格な戸籍制度を導入し人口移動禁止で対処した。貿易はソビエトと物々交換をやる程度で貿易不均衡も起こらなかった。

 計画経済の下、重化学工業化を必死に推し進めた。30年で粗鋼生産量ほぼゼロから3,000万トンまで持ち上げた。この時期の国際環境は中国にとって最悪だった。朝鮮戦争、ベトナム戦争、中印戦争、中ソ対立そして国境紛争が繰り返し起こった。そうした中でも中国は工業生産力を底上げした。

 こうした雰囲気の中で今の指導部の世代は育てられた。アメリカに対する発想が日本とは全く違う。日本の現役世代ではパクスアメリカーナの中で育ち、アメリカを絶対視する人が多い。

岸本 日本はパクスアメリカーナの恩恵を存分に享受した。繊維産業に次いで、鉄鋼と化学、家電、半導体と次々に成長産業が出現した。貧困も急速に改善された。

 しかし中国は1970年に粗鋼生産量3,000万トンを成し遂げたとの自負があっても世界の粗鋼生産量におけるシェアで僅か3%にも満たなかった。ちなみに当時日本の粗鋼生産量は1億トン前後だった。世界におけるエチレン生産能力のシェアはアメリカをはじめとする主要五大工業国が79%だったのに対して、中国は0.5%しかなかった。中国は自主的な自動車生産にこぎつけ、トラックも乗用車も生産していたが、世界におけるシェアはゼロに等しかった。

 懸命な努力にもかかわらず世界との格差を広げた。毛沢東主導での中米急接近にはこうした背景があった。のちの改革開放はその延長線上に起こるべくして起こった。


■ 改革開放で社会流動性が一気に開花


岸本 開放路線の結果、一部の人が富み、格差が拡大した。中国は「世界の工場」になったが同時に他の先進国と同様、都市問題、格差問題、環境問題に直面した。2013年に習主席が提起した「一帯一路」構想は、沿岸部と比べて遅れをとった内陸部の諸省にとって公共投資と内発的な経済成長の原動力になる。共同富裕を2050年の目標に掲げる中国共産党にふさわしいアジェンダだ。

周 いまから30年前の1990年、中国の世界経済におけるシェアは僅か1.7%だった。十数億人口が世界経済にとっては「非有効経済人口」。つまり世界経済にとっては影響がないといっていい存在だった。いま、アメリカでも日本でも中国経済に関する報道の無い日はない。世界経済にとっては極めてインパクトのある「有効経済人口」となった。

 問題は、格差が広がり人口の流動性が一気に加速したことだ。都市は如何にこの流動性を吸収しパワーにしていくべきか。これが、私が30年前に都市化政策研究に取り組んだきっかけだ。

岸本 周先生は中国だけでなく世界の都市の将来についても幅広く研究・発信されている。どの国でも都市化は大きな流れだった。日本の東京大都市圏が人口3,700万人の世界最大のメガロポリスだということは周先生から教わった。地球環境問題やCOVID19をはじめとするパンデミックの時代に、都市の将来に生活者が期待する機能は大きく変化しつつある。自然を身近に感じながら穏やかに生活をしたいと望む千万人単位の次の世代が日本では存在する。経済効率という物差しに加えて、愛や感覚を大切にするライフスタイルが登場した。デジタル技術、中でもSNSは、愛や感覚を直接やりとりする画期的なインフラだ。これまで前提としていた都市化の流れが、どのように変化するのか注目している。

周 急激な都市化、そして大都市化が中国の改革開放とほぼ同時期に、世界規模で起こった。1980年以降100万人以上人口が純増した都市は世界で326都市を数えた。これらの都市に新たに9.5億人が集まった。グローバリゼーションが加速する中で、拡大し続ける所得格差、地域格差が人の移動を促した。上記の326都市の中の95都市が中国の都市であった。

貿易摩擦でも正せない貿易不均衡


周 貿易不均衡が生んだ貿易摩擦もトランプ政権時代に大問題になった。

 2009年に中国の経済規模が日本を超えたとき、ハーバード大学のエズラ・ボーゲル教授と対談した。中国経済と日本経済の比較について私がボーゲル氏に言ったのは、改革開放で中国経済が世界経済とドッキングし輸出が突出して拡大したことが戦後の日本の様相に似ている。ただ、違ったのは、中国はグローバルサプライチェーンに乗ったことにより輸出拡大したのに対して、日本はフルセットのサプライチェーンから出発した。そこが決定的に違う。輸出産業の本質も規模も異なった。結果、WTO加盟後、中国は輸出規模が10倍に膨らみ、ダントツ世界一の貿易大国になった。貿易不均衡は起こり、貿易摩擦も激しくなった。

 しかしグローバルサプライチェーンの中で起こった貿易不均衡はそう簡単には解消できない。企業がシステマチックにつながっている中で、政府がディカップリングしようとしても出来ない。関税引き上げなどの旧来の方法では効かない。トランプ政権で積み上げた対中貿易に対する高い関税が維持されても、2020年アメリカの対中赤字は対前年比14.5%増の3,553億ドルに膨らんだ。

岸本 1985年から93年にまでの日米経済摩擦の仕事は思い出深い。当時の日本は、自由で開かれた貿易体制こそ世界の平和と繁栄に繋がる基盤だと固く信じていた。経済安全保障という問題に現実的な脅威はなかった。しかし、アメリカから見れば、製造産業の先端を日本に依存することが、10年、20年の将来、国の安全保障を脅かすという危機感が生じていた。1987年の東芝機械事件は象徴的な出来事だった。クリントン政権が成立直後に日米構造協議(Structural Impediments Initiative)を提案したことに驚いた。日本の社会システム全体が経済摩擦の論点とされた。文化に関わるものを俎上に載せることに当時は抵抗を感じた。いま思い返せば、サービスの分野まで相互依存が進めば、国内法制の見直しは避けて通れないものであり、日本社会の将来ビジョンを深く考える契機だったのだと思う。インターネットが社会に深く浸透することは自明だったのだから、いまソサエティ5.0に向けて政府全体で取り組んでいることを、原理原則の次元で転換するチャンスが90年代半ばにあったと思っている。その点、中国政府は、インターネットを社会発展の基盤として、民間の創意工夫で自由に実践する方針をとり、問題が出るたびに事後的に対応する方針が功を奏した。

2000年以降のグローバリゼーションは従来とは異次元


周 日本が輸出大国になり日米貿易摩擦が激しくなった1980年当時の世界輸出総額は、今日の10%に過ぎない。絶対的な量では、当時の日本の輸出規模は今日の感覚からすればそれほどではなかった。

岸本 少ない。

 今日の世界輸出総額の約7割は、21世紀に入ってから増えたものだ。2000年以降のその増加分に一番貢献した中国が、一気に最大貿易国になった。中国に次ぐ貢献度の高い国がドイツとアメリカだ。ちなみに2000年以降世界輸出総額の増加分における日本のシェアは僅か1.5%だ。

 富のメカニズムが国民経済からグローバル経済へと急速に移行していることは明らかである。2000年以降は、グローバリゼーションが勢いよく進み、人類最大の繁栄期となった。2000年以降急激に増えた世界GDPの純増分について、その5割はアメリカと中国がつくった。なかでも中国は約3割を占めた。日本の貢献度はこちらも1.8%だった。

 グローバリゼーションは従来とは異次元な新段階に入り、地球規模で貿易、投資、技術取引、人的交流が飛躍的に拡大している。しかし、同時に三つの不均衡も激化した。


■ 民営と
国有とのバランス


岸本 三つの不均衡は、ものの取引に着目した時に顕著に現れる。サービスであれば、魅力的な場所に知恵と技術が集積することは、ボストン、シリコンバレー、バンガロール、テルアビブなど多くの実例がある。文化の違いをある時には生かし、ある時には他の文化が流れ込むことを奨励して場所の魅力を発揮するという都市戦略が多くの国でとられている。そうなれば、投資の主体も外国資本をむしろ歓迎するという戦略も出てくる。

 「歴史決議」の中で、経済運営のキーワードはイノベーションと公有制だと述べている点は中国ならではの思想だと思う。公有制はどうしても保守的な運営になりやすい。為替レートと人件費が安い国ではなくなった中国が、公有企業をどのような形でイノベーションに結びつけるのか。公有制と貿易強国の両立は易しいことではない。

 実際、中国ではイノベーションも輸出も雇用も民営企業が主役だ。私たちが作った『中国都市総合発展指標』で見ると、中国の都市の中で最も輸出規模の大きい都市、また最もイノベーションの活発な都市は共に民営企業がメインの沿海部都市だ。

岸本 根本を公有制だと宣言している以上、民営企業の運営と国有企業の存続との軋轢が大きくなっていく可能性がある。食品関係、農林水産業関係、建築関係など生活に関連する分野でどのような展開になるのか、中国経済をみる上で重要な着眼点だ。

 中国が直面する貿易摩擦、所得格差、地域格差といった三つの不均衡がグローバリゼーションに乗った反動だ。公有性の強化で解決するほど単純な問題ではない。

周牧之、楊偉民主編『第三個三十年』

■なぜ強国」を強調?


岸本 「歴史決議」に繰り返し出てくる「中華民族の復興」はアヘン戦争当時の苦境を忘れることなく、国際社会で名誉ある地位を回復しようとする郷土愛に満ちている。内モンゴル、南部の少数民族、チベット、ウイグルなど漢民族以外の方々との共同富裕をどのように構築していくか関心を持っている。「歴史決議」では2035年、2050年を目標とした「社会主義現代化強国」を訴えている。この意図をどう理解するか?

周 なぜ貿易大国、経済大国から「強国」へ向かおうとするのか。なぜ「強国」という国際社会で不評を買う可能性のある言葉を使うのか?そこにはアヘン戦争以来の経験が滲み出ている。貿易大国、経済大国だったのがイギリスの戦艦に敗れた。二度とそんな目にあいたくない思いをDNAの中に持つ故だろう。

岸本 私が「強国」という言葉から感じるのは国家体制を盤石にするという共産党の意志だ。結論部分に共産党員は「憂患に行き安楽に死す」とある。反腐敗闘争を進め、困難劣勢なときこそ一層邁進する気概を保つ。山があれば道を切り開き、川があれば橋をかける。清廉潔白を貫き、愛国心と献身精神を備え、責任を果敢に担う若手幹部を抜擢する、と述べている。この発想は、共産党が人民のためにこの決意で臨むという意気込みを感じる。明治維新で欧米社会と互角に付き合おうと奮闘した時代の日本のような勢いを感じる。

 国際社会で打たれ強い国、打たれにくい国へと。

2018年7月19日「『中国都市ランキング−中国都市総合発展指標』出版記念パーティ」にて、前列左から岸本吉生、中井徳太郎(環境省総合環境政策統括官)、清水昭(葛西昌医会病院院長)(※肩書きは2018年当時)

■ 冷戦後東欧の衰退がウクライナ問題の土壌に


岸本 天安門事件は1989年。同じ年にベルリンの壁が壊れ、91年にソビエト連邦が崩壊した。東欧の社会主義国もソヴィエト連邦もなき後、社会主義がうまくいくのかという疑いが急速に広がった。しかし、中国の世界経済シェアは1.7%から18%へとV時回復した。「歴史決議」では「中国の成功はマルクス主義のイメージを刷新し、社会主義と資本主義という二つのイデオロギー、二つの社会制度との競り合いにおいて、社会主義に有利となる大きな結果をもたらした」とある。

周 世界経済におけるシェアが1.7%から18%へと飛躍したことは大変大きな出来事だ。1991年ころソビエトが崩壊し、東欧諸国が社会主義を捨てた。問題は、30年を経てこれらの国々でいま経済的にうまくいっている国がほとんどない。

 第二次大戦後にヨーロッパや日本の復興があったものの、東欧は破綻したままだ。ロシアのプーチン大統領のウクライナへの姿勢は、その反動にも見える。
最近CO2の研究をしていると、過去20年間でCO2が減った国は二種類しかないと分かった。一種類は、欧米先進諸国だ。かなり努力してCO2を減らした。もう一種類は東欧及び旧ソ連の諸国だ。経済が破綻に次ぐ破綻でCO2も出ない状況。冷戦後、これらの諸国がグローバリゼーションの繁栄メカニズムの中から疎外されたことが、大問題だ。

リーダは揉まれてこそ


岸本 「歴史決議」では次世代の育成と登用を大きく取り上げている。習近平主席をはじめ第四世代は文化大革命、改革開放前の閉鎖された時代、東西の緊張時に幼少青年期を過ごした世代だ。その次の世代がどのような人物であることが望ましいかを明確に述べている。独裁的な政府、共同指導的な政府と統治のプロフィールは変わるが、幹部職員に求められる資質を明確にしていることは、地縁血縁をはじめ忖度が起きやすい統治構造にタガをはめた勇断だと感じた。 

 私はアメリカにいた時に、ハーバード大のエズラ・ボーゲル教授と親しく議論した。ボーゲル氏の研究手法の一つは、日本や中国の大勢の友人の人生を通して社会の変革を見るアプローチだ。ボーゲル氏の日中双方の友人に、私と共通の友人が何人もいたことで話が弾んだ。ある日ボーゲル氏が言った。「日本の指導者はリーダーをきちんと育てようとしていない」。確かに林芳正氏が選挙で参議院から衆議院に鞍替えする時の自民党前執行部からの凄まじいプレッシャーを見ると、日本の人材育成の負のエネルギーを感じる。いまの中国のリーダーは、ほぼ全員が地方で仕事をし、経験を積み、評価されて中央に引き上げられた。

 ボーゲル氏はもう一つ言った。「中国のリーダーが持っている人間的なものは、揉まれた経験から育まれた。これが大切だった。揉まれたことで沢山の深刻な問題を抱えている国をまとめあげた」。戦争、革命、実務、党内闘争。揉まれに揉まれて育てられ、ようやくリーダーになり、中国の大変な時期をまとめたというのが、ボーゲル氏の中国リーダー論であり、毛沢東や鄧小平への評価でもある。

2009年、周牧之とエズラ・ボーゲル氏、ボストンのボーゲル宅にて

(※肩書きは各イベント開催当時)


プロフィール

岸本 吉生

中小企業基盤整備機構シニアリサーチャー、中小企業庁国際調整官兼務

 1985年東京大学法学部卒業後通商産業省入省、経済産業省環境経済室長、中小企業庁経営支援課長、愛媛県警察本部長、中小企業基盤整備機構理事、九州経済産業局長、中小企業庁政策統括調整官、経済産業研究所理事を経て、2018年から現職。コロンビア大学国際関係学修士、ものづくり生命文明機構常任幹事、日本デザインコンサルタント協会会員。

【ディスカッション】黒田東彦・周牧之・三日月大造・チャンドラシェカール・ダスグプタ・梶原みずほ:中国とインドの水の安全保障 〜水を守る暮らし〜

朝日地球環境フォーラム
「中国とインドの水の安全保障─水を守る暮らし」


編集ノート:
3月22日は、「世界水の日」である。21世紀は「水の世紀」といわれて久しい。とくに中国とインドに目を向けると、人口の急増と急速な都市化などの影響によって、水の不足や汚染、地下水の過剰取水など様々な水問題が深刻化している。「世界水の日」に因んで、「朝日地球環境フォーラム2010」での水の安全保障に関する議論を振り返る。黒田東彦アジア開発銀行総裁、周牧之東京経済大学教授、三日月大造国土交通副大臣、チャンドラシェカール・ダスグプタ元インド駐中国大使が、梶原みずほ朝日新聞社記者の司会で議論した。12年後の今、この議論を顧みると、水の安全保障の重要性が改めて感じ取れる。


朝日地球環境フォーラム2010
中国とインドの水の安全保障─水を守る暮らし

日時:2010年9月14日(火)

パネリスト:

黒田東彦 アジア開発銀行総裁
周牧之 
東京経済大学教授
三日月大造
 国土交通副大臣
チャンドラシェカール・ダスグプタ 気候変動に関する首相諮問機関委員 インド元駐中国大使

コーディネーター:
梶原みずほ 朝日新聞記者

※肩書きは2010年当時


梶原:今日は皆様、分科会「中国とインドの水の安全保障」にお越し戴きましてありがとうございます。たくさんの方に来て戴きまして水問題の関心の高さというものを改めて認識しています。前原国交大臣は閣議に重なりましたので、三日月大造副大臣に来て戴きました。ありがとうございます。

 水資源や食糧不足への危機感から、各国が他国の森林ですとか、農地を買い求めるという、そういった動きが今加速しています。実際に取引するのは民間企業ですが、その背景に国家の存在が見え隠れするということで、国策として国家が前面に出て水資源を奪い合うようなことも起きています。21世紀は水の世紀とよく言われますが、こうした土地争奪を含め政治ですとか、経済、そして地理や歴史、そして食糧問題、エネルギー問題、気候変動などさまざまな要因がからんできます。今日は特にアジア地域に注目したいと思います。とりわけヒマラヤ地域にスポットを当てます。ヒマラヤ地域はガンジス川やインダス川、そして長江の源流となっていますが、この流域で約7~8億人の人々が生活しています。そして、そこに経済成長著しい中国とインドという大国が隣接しているわけです。2025年のアジアの水需要は世界の6割と言われています。ここに水需要があって、そこにビジネスチャンスがあり、各国が熱い視線を注いでいるわけですが、今日は4人のパネリストの方々、それぞれご専門の方々にお越しいただきました。

 まず最初に10分ずつパネリストの方々にスピーチをしていただき、その後にディスカッションに入りたいと思います。まず始めにアジア開発銀行(ADB)の黒田総裁にお願いしたいと思いますが、黒田さんは日本の財務省の国際局長や財務官を経て2005年からアジア開発銀行の総裁をされています。では黒田さん、よろしくお願いします。

黒田 東彦
アジア開発銀行総裁

黒田:ご紹介ありがとうございます。水問題はアジア開発銀行が精力的に取り組んでいる課題でありまして、私個人も深い関心を持っています。アジア地域における水問題の現状とADB(アジア開発銀行)の取り組みについてお話したいと思います。

 アジア地域は水の危機に瀕しております。水問題、特に水不足は中国、インド、パキスタン、ベトナム、カンボジア、バングラディシュ、ネパール、ウズベキスタンなど多くの国々で深刻になってきており、食糧の安全保障やエネルギー資源、生態系、そして人々の健康や日々の暮らしにも影響を及ぼしています。気候変動は、すでに現在アジア各国における洪水などの自然現象にも表れているように、水危機の事態をさらに悪化させるとみられています。こうした問題の影響を最も強く受けるのは、残念ながら貧困層の人々だと見込まれています。水不足は今後ますます深刻になると見られており、アジア地域全体では2030年までに水の需要が供給を40%も上回ると予想されています。水不足に対しては、より効率的に水を利用することと、供給量を増やすことの双方からのアプローチが必要です。また、将来的な水不足に備えるには、これらの取り組みと合わせて、排水の管理や汚染された河川や湖沼の浄化など健全な水循環を再生させることに資金を投じてゆく必要があります。

 アジア地域にとって水危機はどういう意味を持つのでしょうか。アジア地域では貧困削減が驚異的な速さで進んだのと時を同じくして水不足が深刻化してきました。経済発展の代償を水が負っているというわけです。食糧、水、エネルギーの連鎖は極めて重要な問題です。アジア地域の経済発展、特に過去10年間の発展は人々の食生活を大きく変えました。この食生活の変化に応じた食物の生産には、より多くの水が必要になりますが、一方で水の利用効率はいっこうに改善されないため、水不足にさらに拍車がかかっています。また、工業用水及び生活用水のための取水、浄化、排水には大量のエネルギーが必要となります。この食糧と水、エネルギーの連鎖に加え、世界的な農産物価格の高止まりを踏まえると、アジア地域全体に持続可能な公平な水の安全保障を実現するには、関係者の総合的な意志決定が極めて重要になると思います。

 ここで少し水のガバナンスについて考えてみたいと思います。水資源が効率よく管理されていなければ、それはガバナンスの失敗であるという風に思います。水の経済的価値、そして食糧、エネルギー、水の相互関係を充分認識できていないという問題だと思います。例えば上下水道のサービスですが、水が経済的な価値のあるものとしてとらえるビジネスとして扱われる日が来ると大きな前進が期待できると思います。水の利用を水道料金に反映させたことで水利用の効率化に成功させた例が幾つもあります。例えばカンボジアのプノンペンでは水道公社が水のロスを72%から6%未満に減らすと同時に、品質の高い水道水を供給して収益をあげています。1997年に民営化されたマニラウォーターも水のロスを60%超から15%未満に減少させることに成功しています。先頃開催されたシンガポールウォーターウィークでは抜本的なガバナンスの立て直しということが多くの参加者に指摘されました。私も全く同感であり、ADBも水のガバナンスに対する支援を推進してゆきたいと考えています。

 水の需給ギャップを解消するのにどのくらい費用がかかるかという質問がありますが、これは各国の状況とか必要な対策によって大きく変わってくると考えます。例えばインドは今後20年間にわたって毎年60億ドル前後の投資が必要と推計されています。一方、中国では25%の需給ギャップに対して同じく今後20年間にわたり毎年220億ドルが必要という風に言われています。これらは最低限の必要な費用でして、場合によってははるかに多くのコストがかかる可能性もあります。ここではっきり言えることは、これほどの投資規模は政府だけでは対応できないことです。民間企業の資金調達能力や経営管理能力、高度な専門技術を活用することが不可欠だということです。水危機に対処するため、水事業の国際的な高まりを受けて、ADBはウォーター・ファイナンシング・プログラムにもとづいて、農村地域や都市部、河川領域のすべての人々に水の安全保障の実現を働きかけるという取り組みを進めてきました。2006年から09年までの4年間にADBで承認された水関連プログラムの総額は93億ドルに達し、約1億5500万人がそのメリットを受けると見込んでいます。今後も都市部の上水道の効率化、灌漑農業の生産性向上、排水管理と再利用、気候変動への適応策、水資源へのガバナンス向上などによって支援を続けてゆく予定です。

 こうした水関連事業を支援するため、ADBと大和証券は今年4月に6億3800万ドル相当のウォーターボンドを初めて発行しました。こうした支援を通じてADBはアジア途上国の安定的発展に寄与するつもりです。ADBはまた、関係国や関係機関のパートナーシップを構築して域内の経済協力や統合の推進にも取り組んでいます。一例として、ADBはインドシナ半島を流れるメコン川流域の下流にある国々が洪水、干ばつへの対応、あるいは流域開発を調整するメコン川委員会を支援しています。これは水資源をメコン川流域でよりよく共有するということで、今後もADBとして支援を続けたいという風に思っています。

 気候変動がこれまで以上に水問題の行方を不透明にしているわけです。これに対応するには、より効率的に水を配分し、使用する。そして、より多くの水の再利用を促進するしかありません。そのためにはアジア地域は水の無駄遣いを減らすとともに健全な水循環を再生させることに資金を投じる必要があります。例えばインドの水の需給ギャップを埋めるのに最低限必要なコストの約80%は農業関連と推定されています。したがって農業用水の効率化はその国の水の安全保障を大幅に向上させるわけです。また、エネルギー部門も使用水量を抑制するためには、さらに効率を高める必要があります。水の再利用によって水需要のさらなる増加を抑制できるように主に民間部門の力を借りて、排水管理への投資を大幅に増やす必要があります。中国では家庭排水の38%しか処理されておりませんし、処理基準もばらつきがあって基準が低いこともしばしばです。最も重要なことは水利用の効率化や総合的な水資源管理の必要性を単なる呼びかけに終わらせず、実行に移す必要があるということです。

 アジア地域は今後10年間、水の危機に対する思い切った解決策の実施に向けて、迅速かつ機敏に取り組んでいかなければなりません。私たちは我々自ら引き起こした水危機の深刻さを認め、水が代替の効かない限られた資源であることを認識し、有効な解決策を打ち出す必要があります。また、水問題は一国や一機関だけで解決できるものではなく、総合的な水資源管理を進めるためには流域の関係国、関係機関による協力が不可欠です。よりよく利用する方法を会得しなければ、いつか私たちはすべてを失うかも知れません。水を浪費してきた過去を持続可能な未来へ変えなければならないわけです。アジア地域全体が直面している水問題に対し、ADBとしても全力で取り組んで参りたいと考えております。ありがとうございました。

梶原:ありがとうございました。水を効率的に管理できなければガバナンスの失敗であるというお話がありました。非常に印象に残りました。そしてプノンペンを成功例として挙げて頂きました。ウォーターボンドという近年の資金需要の高まりを受けた新しいアクションについて紹介していただきました。ありがとうございます。

 次は東京経済大学教授の周先生にお願いしたいと思います。周先生は中国国家発展改革委員会の国土開発与地区経済研究所の高級顧問の肩書きもお持ちでして、この中国国家発展改革委員会は中国政府のマクロ経済の運営を仕切っている役所ですが、そこのシンクタンクの一員としてさまざまな政府への提言もされています。それでは周先生、お願いします。

周 牧之
東京経済大学教授

周:ご存じのように中国は世界で最も水資源に乏しい国の一つです。一人あたりの年間の水資源量は世界で124番目と最下位のグループに属しています。水資源の乏しさだけではなく、中国でさらに大変なのは水資源の分布が非常に偏っていることです。降雨量は東南地域に非常に偏っています。西北部などの大半の地域は水に非常に恵まれず、大変乾燥している地域です。降雨量のアンバランスは毎年干ばつと水害の双方をもたらしています。2009年は例年と比べて水害が少なかったのですが、それにしても全国で干ばつと水害を受けた人々は中国人口の1割を超えています。

中国各都市における降雨量分析図

周:さらに急速な都市化と工業化が事態を深刻化させています。ご存じのように改革開放の約30年間、中国の平均成長率は10%近い。中国は世界の経済大国に躍り出て、今年は日本を超えて世界第2位の経済大国になった。これについて、私は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を書いたハーバード大のエズラ・ボーゲル教授と対談し、世界の政治経済へのインパクトについて議論しました。ニューズウィークのカバーストーリーに掲載されて大きな反響を呼んだんです。

 中国は今、世界のパソコンの96%、カラーテレビの42%、携帯電話の51%などを生産し、名実ともに世界の工場となっています。深圳は30年前は小さな村にすぎなかったのですが、いまは人口1000万級の大都市に変貌しました。上海の浦東地区は20年前は草ぼうぼうの荒れ果てたエリアだったのですが、今は世界屈指の金融センターになった。さらに、つい最近まで自転車大国だった中国は一瞬にして自動車大国へと姿を変えました。しかしこうした急速な変化の背後には、水不足が至急な課題として出てきています。都市化率と水を使う量の増加は比例して拡大していく傾向が非常に顕著です。さらに都市化と工業化で水質汚染も著しくなっています。中国の家庭用水はまだ38%しか処理されていないので大変な水質汚染問題が顕在しています。その意味では中国の水問題は極めて深刻です。

 中国の水問題に対処するためには、水のあるところに人口と産業を集中させ、いわば水の分布に従い、もう一度ダイナミックに国の形を作り直す必要がある。十数年前に中国政府の要請でJICA(日本の国際協力機構)のスキームを使って中国の都市化政策について日中共同の大型調査をしました。私はこの調査の責任者でした。この調査で私は中国の国土のあり方として水のある所に産業と人口を集中すべきだと痛感し、メガロポリス構想を打ち出しました。具体的には中国で最も水資源が豊富な上海を中心とする長江デルタ地域と、香港と広州、深圳を中心とする珠江デルタ地域にメガロポリスを形成し、億単位の人々を集中集約し、中国の経済エンジンとすることです。この2つのデルタ地域は水が豊富ですし、海に面して大規模な輸出輸入を行いやすく、工業化に非常に適しています。大規模な食料の輸入も非常に実施しやすい。水の偏在は中国だけでなく世界的にも同様です。将来、中国が必ず行うだろう大規模な食料の輸入は、いわば間接的な水輸入です。この二つのメガロポリスではこうした輸入がやり易い。

『ニューズウィーク』カバーストーリー「ジャパン・アズ・ナンバーワン」

周:中国政府はそれまでの大都市の抑制政策を改めて、このメガロポリス構想をただちに受け入れました。特に第11次5カ年計画でメガロポリス戦略を政策的に大々的に打ち出した。この政策転換があったからこそ、今日のメガロポリス、大都市の大発展があると言っても過言ではありません。メガロポリス構想を説明しますと、結果的に長江デルタ地域と珠江デルタ地域に、北京、天津、河北省を加えて3大メガロポリス政策として打ち出されています。しかし、北京・天津エリアは政治的な重要性は非常に高いのですが、水資源には非常に乏しく、人口と産業の集約によって水問題がさらに逼迫しています。現在は地下水に過度に依存していまして、地盤沈下などの問題が顕在化していて、このエリアの過度の開発に関して私は非常に危惧しています。これまでの開発による環境破壊、そして地球温暖化などで痛められてきた水源地域の環境改善、あるいは貯水力の強化を急がなければなりません。中国政府は現在、空間計画を打ち出して、国土を開発地域と開発抑制、禁止地域に分けています。開発地域からのフィードバックで開発禁止、あるいは抑制地域の環境改善をはかることを始めています。この新しい政策は内陸部の環境改善や所得の向上にこれから大きく寄与すると期待しています。

 急増する都市型用水について、黒田総裁もおっしゃっていたのですが、節水型都市のあり方やライフスタイルの確立を急がなければなりません。さらに水を汚さず、汚した水は浄化し、水を循環利用することを徹底させることも必要です。都市化や工業化、所得水準の向上で、人々のライフスタイルの変化でかなり水を使うようになってきています。風呂やトイレ、洗濯だけでなく、最近はモータリゼーションも猛烈に進んでいます。水資源が非常に貴重な北方地域でも、じゃぶじゃぶ水を使ってマイカーを洗う風景が日常的に見られるようになってきています。このように矛盾した現象をどのように食い止めるのか、社会的に大議論をしなければいけない時期に来たと思います。

 中国的な解決方法としては、地域的に偏在している水資源を人工的に調節するアプローチもあります。具体的には、南に豊富にある水を北部に運ぶ南水北調というプロジェクトです。その工事が現在進んでいます。海の水を使う淡水化プロジェクトも幾つか大規模に進めています。しかし、これらのアプローチはコストが非常に高い。中国はマクロ的、そしてミクロ的なさまざまなアプローチを総動員して水問題に対処しなければなりません。水が中国の国土の形だけでなく、これから中国の人々のライフスタイルを決めてゆく最大のファクターではないかと思っています。

日中共同調査報告書とメガロポリス戦略イメージ図

梶原:ありがとうございました。周さんは90年代に都市化プランの策定にかかわって3つの巨大メガロポリスを造るという際に、水のある所に人口を集中させるという都市の造り方は非常にダイナミックで興味深いお話でした。また、お話を伺いたいと思います。

 次はインドの元外交官で現在はインドの首相の気候変動に関する諮問機関のメンバーをされているダスグプタさんです。国連の気候変動に関する政府間パネルIPCCのパチャウリ議長が率いるインドのエネルギー資源研究所の顧問もされています。そして、大使として中国やEUに駐在されていたこともあります。気候変動の専門家です。それではダスグプタさん、お願いします。

チャンドラシェカール・
ダスグプタ
気候変動に関する首相諮問機関委員
インド元駐中国大使

ダスグプタ:ありがとうございます。私の話のテーマは気候変動がインドの水資源に与えるインパクト、影響ということに関してです。気候変動のインパクトということを話す前に、インドにおける水状況を簡単にお話したいと思います。インドはすでに水ストレスを抱えている国です。人口一人あたりの淡水の入手可能量は2008年の場合、1654立方メートルでした。これは1700立方メートルよりもやや少ないわけで、水ストレスの国であるわけです。しかしながら、水不足の国というのは1000立方メートル以下ということですから、水の欠乏ではない。こういうことが起こったのは、ここ50年間に人口が急増したことです。私たちは言ってみれば水ストレスの段階に入ってきているということです。

 もっと重要なのは、淡水への需要が非常に急速に増えてきたことです。それは私たちの経済開発が原因です。インドは非常に深刻な食糧不足に悩まされた国です。1947年に独立した時は大変な食糧難の国でした。いまはそうではありません。国民に食べさせるだけの食糧がある。そのためには農業での革命が行われました。「緑の革命」と呼ばれているもので、これで自給自足ができるようになった。緑の革命のため、水をもっと集中的に農業に使ってゆくということです。農業の水需要が非常に増えました。それから工業発達によって水の消費が増えました。ここ10年間に工業需要は倍増しました。また、火力発電所の冷却にも水が必要です。発電所などの需要もあって非常に水の需要が増えたわけです。一人あたりの需要はこのように増えてきているということで水ストレスの国になっています。

 たくさんの地域で、地下水も過剰くみ上げをしてしまっています。いくつかの場所で地下水面は下がっています。世界銀行の予測によると、2030年にはインドの帯水層の6割が危機的状況になるとみられています。淡水資源の需要はこれからも急増すると思います。経済発展は今では年間9%ぐらいですが、それは10%程度まで上昇すると思います。水の需要も大幅に増えると考えられます。今後40年間に工業用水の需要は7倍も増えると予測されています。人口増加は低下しているが、まだ安定化していません。これから15年間に総人口は増えてしまい、11億5000万人から13億9000万人ぐらいに増えると思います。しかし、人口一人あたりの需要というのは少しづつですが、減ってゆくと思います。なぜかと言いますと、それには3つの理由があります。

 気候変動が地球表面の温暖化をもたらし、これによってヒマラヤ山系で氷河の溶解ということが起きています。淡水が凍結した形でヒマラヤ山系の氷河で一番たくさん貯蔵されています。この氷河はチベット高原までずっと広がっています。このような氷河がどんどん減ってゆく兆候があります。そうなると、まず川の流量が増えていきます。そして鉄砲水や洪水が起こったりします。そして何十年かたつと、川の流量は少なくなっていくという問題があります。そうすると水ストレスの問題がもっと深刻になります。

フォーラムの様子

 2つ目に、気候変動によって降水パターンが変わります。特にモンスーンのパターンが変わってくる。モンスーンは南・東南アジアではとても重要なものです。毎年雨が降る日数が少なくなっていく。でも、降るときは集中的に降ってしまう。集中豪雨の一方、雨の降らない期間が長くなり、渇水状態になります。1年間の数日間に集中豪雨になりますと、充分に水を貯蔵することができなくなって、みんな海に流れてしまうことにもなります。

 3つ目に、気候変動によって海面上昇が起きます。そうなると、塩分が沿岸地帯の帯水層に浸入してきます。それに対して防衛措置の必要がありますが、いわば沿海の塩化現象が起こる。淡水資源がこれからどんどん水ストレスを受けていくことになります。是正策をとらなければインドの水ストレスをさらに深刻化させてゆくということです。

 私たちは国連の気候変動枠組み条約に国別報告をしています。2004年の報告ですが、こういう風に書いてあります。気候変動が温暖化や海面上昇、氷河の融解をもたらすと、インドのいろいろな部分での水のバランスに悪影響を与えると同時に、沿岸地域での水の質を変えてしまう。気候変動は地下水にも影響を与え、降水のパターンが変わり、蒸発散も変わってゆく。また、海面上昇で沿岸や島の帯水層が塩化していってしまう。そして、降水の頻度や激しさがどんどん増してゆき、地下水の質を変えてゆく。降水が激しくなると、表流水が増えてしまって地下水の涵養ができなくなってしまうということです。

 私たちはどのような対策をとっているのかと言いますと、インドでの一番重要な対策は3つの資料にカバーされています。まずひとつに、2002年の国家水政策は気候変動に焦点を当てるのではなく、一般的な枠組みを提供しています。国家中央レベルでの水政策です。各州がこれにのっとって計画をつくり、補完する。次は環境に関する5カ年計画です。農業や工業、林業も重要です。気候変動のインパクトや水資源に与えているインパクトに関しては、ナショナル・ウォーター・ミッションのなかでカバーされています。気候変動に関する国家行動計画のもとにあるナショナル・ウォーター・ミッションと呼ばれているものです。水のミッションが8つあります。そのうちの1つがナショナル・ウォーター・ミッションです。水ミッションの目標は8つあります。ひとつは気候変動の影響の包括的データベースを提供し、評価することです。気候変動のインパクトは一般的にはどういうものになるのか我々は分かっていますが、それぞれの地域における詳細で具体的な影響についてはあまりよく分かっていません。でも、知りたいのは「この地域ではどうなるか」という具体的なものです。それに関して科学的な調査をしており、実際に包括的なデータベースを作ろうとしています。

 ほかにも同時にいろいろなステップをとる必要があります。行動を取って行く必要があります。政府だけではなく、市民をどうやって巻き込んでゆくかということです。国民です。市民グループが含まれます。それと同時に重要なのは民間部門でもあります。私たちが考えている措置は、いろんなインセンティブを与え、水「中立」か水「プラス」の技術を開発させることです。それを奨励させるため、政府はいろんな金銭的なインセンティブなどを設けています。同時に企業のCSRも奨励している。民間企業は水の経済的利用や節水などの重要な社会的責任があるからです。

 次は、とくに脆弱な地域に焦点を当てる必要があります。これはもっと具体的な評価が行われたら分かってくるでしょう。次には一般的な目標を定めることです。例えば水利用の効率を今後10年間に20%向上させるため、いろいろな措置がとられています。金銭的なインセンティブを水「中立」・水「プラス」の技術に与えるだけでなく、いろいろな機器や装置に水効率を表示することです。水の監査や水のリサイクルを奨励し、点滴灌漑(かんがい)などを進めることもそうです。灌水(かんすい)灌漑ではなくて、点滴潅水であります。

 最後に、ミッションゴールのなかには、流域レベルでのIWRM、統合水資源管理が必要です。ばらばらにやっていては水資源の管理はうまくいかない。統合的なものが必要である。例えば洪水の水を利用可能な水に変えてゆくような作業や、水の取り入れ、刈り入れです。豪雨などが数週間集中して降った場合には、雨水を刈り入れる、取り入れることが必要です。それが水源涵養になるように、水の貯蔵ができるようにすることが重要です。そして統合的な流域、水の管理と開発というのがとても重要です。こういうような具体的な対策を取っており、それがもっと細かい形でナショナル・ウォーター・ミッションの中に網羅されています。

 結論を申し上げると、気候変動はインドの水ストレスをさらに悪化させるということです。私たちはすでに水ストレスに悩まされている。水ストレスは経済成長とともに今後悪化してゆくけれども、それに加えてさらに気候変動が水ストレスを深刻化させるということです。2つ目には、私たちの対策、戦略というものは、水利用の効率を増やすことに焦点を当てると同時に利用可能な水の入手可能量を増やすことです。それに必要なのは、すべてのレベルの政府、つまり、中央政府だけでなく州や地方、市町村を巻き込んでゆくことです。企業や国民を巻き込むことも必要です。どうもありがとうございました。

梶原:ありがとうございました。気候変動とインドの関係についてお話戴きました。雨の降り方のパターンが変わっているという話がありましたが、先週もインドでは大雨が降っていたそうですね。今この時期、モンスーンはどうなんでしょうか。

ダスグプタ:たいていは、このような豪雨は、もう少し早めに降るはずなんです。これは気候変動のせいか分かりません。確実には申し上げられませんけれども、こういった事象がこれからもっともっと頻繁に起こりうるのではないかということです。将来は気候変動でますます増えていくでしょう。

梶原:国交副大臣の三日月さんにお願いしたいと思います。三日月さんは今、国交省の中で水のインフラ輸出などを担当されています。6月にはシンガポールで開かれたインターナショナルウォーターウィークの中で開かれたアジア太平洋水インフラ担当大臣会合にもご出席されています。それではよろしくお願いします。

三日月 大造
国土交通副大臣

三日月:ありがとうございます。前原国土交通大臣のもとで水政策を担当させていただいています。皆さんと一緒に水について語れること、考えられることは大変光栄です。私は日本最大の湖、琵琶湖を擁する滋賀県で育ちました。水の豊かさなどを日々感じながら生活してきた一人として、水政策には大変強い関心と使命感を持って取り組ませて頂いています。結論を先に申し上げれば、先程来、周さんやダスグプタさんからもありましたが、中国やインドがけん引する世界の成長の過程にあって都市化や工業化が進み、水不足や水ストレスがさらに深刻化する。しかし、日本もこの歴史的な過程を経験してきました。古来大切にしてきたいろんな知恵もある。企業や自治体、大学もさまざまな技術開発をしてきています。こうした知恵や経験、技術という日本の持っているものが中国、インド、世界の発展のために大きく貢献できる。また、ビジネス市場としても大変可能性のあるこうした分野で、日本は企業、自治体、官民連携といった取り組みを進めることによって成長もしてゆける。そういう観点で成長戦略のひとつの大きな柱として取り組ませて頂いています。

 皆様はすでにご存じのことばかりかと思いますが、4つの面で水の現状について認識を共有したいと思います。14億キロ立方メートルの水が地球上に存在しますが、淡水は2・5%。そのうち7割はヒマラヤに代表される氷河などに固まっています。使える水は地下水を除くと、その0・001%にしかなっていないという状態です。目の見える場所でたまっている水、流れている水、使える水は非常に限られている。豊富ですけれども限られている。そして偏っている。飲める水にアクセスできる人は限られている。約13%の人たちしか飲める水にアクセスできず、39%の方々はトイレをはじめ衛生状態の悪い地域の生活環境に置かれている。

 中国やインドもそうですが、急速な成長と工業化によって公有水面や河川、湖が大変汚されてしまっている状況があります。これは人類、国民の存亡にかかわる危機でもあります。日本も公害をはじめ、こうした危機に直面し、多くの被害や犠牲を伴いながら、乗り越えてきた歴史があります。温暖化の影響によるところも大きいのでしょうが、渇水や洪水のリスクにさらされる機会が増えてきています。自然災害のうち洪水や渇水ですが、約4割の方々が水に関する災害で犠牲になり、苦しめられている状態です。このリスクがさらに高まることが予想され、懸念されています。

 いま申し上げた4つの面ですが、水資源は豊富だけれども、限られていて偏っている。生命、生活に不可欠ですが、アクセスできず衛生状態の悪い環境に置かれている人類がたくさんいる。渇水、洪水の自然災害は、水由来のものが大変多い。汚濁の問題も大変深刻化してきている。

 こういう局面に対して日本が経験してきたこと、培ってきたことを生かして、日本という国も成長してゆけるし、世界の安定的発展に貢献できる。そういうことをアジアの経済戦略、成長戦略のひとつに位置づけて、取り組みをさらに加速化させてきています。それを官の部分でやるだけでなく、民間技術も活用し、市民の力も巻き込みながら、国内でも充実化させてゆくとともに世界に売ってゆくという戦略をいま打ち立てています。

 世界の水インフラ市場は現在約36兆円規模ですが、いまから15年後の2025年には86兆円規模に拡大、急成長する分野として目されている。特に下水の分野、汚れた水をきれいにする分野は非常に大きな潜在力、可能性を秘めています。国土交通省が中心になって厚生労働省、経済産業省、環境省、総務省と一緒に「海外水インフラPPP(パブリックプライベートパートナーシップ)協議会」を立ち上げ、民間企業139社にも公募で参画していただき、情報交換と連携をさらに進め、深める取り組みを始めています。こういう協議会を足がかりにして、さらに国内でも充実させ、世界にも売ってゆきたいと考えています。

 ちなみに下水道膜処理技術、これは汚れた水をきれいにしたり、海水を淡水化したりする膜の技術ですが、この技術は世界のトップシェアを日本の企業が持っています。その処理過程で発生する下水汚泥を使ったバイオマス化、つまりエネルギーとしての活用などや技術は世界に先駆けて日本が開発している。さらに人工衛星を活用し、雨量データを瞬時に把握し、解析して地域別に分けて予測することで短期・中長期的な水のバランス、降り方、たまり方についても予測してお知らせする技術も日本で開発しており、一部地域で活用を始めています。

 こういう日本の技術や経験を中国でも自治体や国レベルで情報交換し、連携を深める取り組みをすでに始めています。(スライドを見せて)「ペガサス」高度処理技術ですとか、燐の回収技術についても一部実用化が始められています。インドでも下水道整備支援や、老朽化した下水管を開削せずに水を流しながら強化してゆくSPR工法も日本が開発し、世界各地で活用が進められている。こういうことを民間企業だけでなくて政府がリーダーシップを持って後押ししながらセールスをしてゆくことがさらに必要だろうということで、トップセールスやセミナーを積極的に開催するだけではなく、官民学が持っている技術拠点をショーケースや商談スペースと一緒に拠点設置することによるハブ化、国際戦略拠点を国内に設置することを来年度予算で要求させて頂いています。

 こうした取り組みをさらに進めたいと思っています。国交省内に水に関する部局は河川、土地、水、資源とか、ばらばらにありました。それではいけない。もちろん省庁間を超えた組織の統合も必要ですが、まずは国土交通省内だけでも国際局というものを設置し、世界のさまざまなニーズやシーズに関するインフォメーションを集められるようにしよう。水管理防災局というものを新たに設置し、水に関する施策は統合的に運用できるようにしようという取り組みも来年度から進めるべく準備を進めさせて戴いています。世界がこれからさらに急速に成長してゆく過程において、日本が持っている技術をもっともっと生かして戴けるようにさらに強力に成長戦略を進める所存ですので、皆様方のご理解やご参加、そしてご協力をいただければと思います。どうもありがとうございました。

梶原 みずほ
朝日新聞社GLOBE
編集チーム記者

梶原:どうもありがとうございました。6月のシンガポールの国際水週間でも、ビジネスフォーラムですとかエキスポで官民一体の取り組みというのがすごく感じられる。つい1年、2年前は水を管轄する省庁がいくつもまたがっていて、縦割りではないかという意見なんかも出ていましたが、今日のお話を聞きますと、国交省内の組織改編を含めたいろんな新しい動きがすごく出ていて、非常に官民一体の動きというのが分かりました。ありがとうございました。

 さて、大都市での問題を考えたいと思いますが、国連によりますと2050年には人口が90億人を超えて、その7割が都市部に住むという風に言われています。周さんにお尋ねしますが、先ほどのスピーチの中で90年代に都市化のプランにかかわり、それが2006年からの第11次5カ年計画に反映されているということで、その巨大メガロポリスを3つつくったと。北京は南水北調のプロジェクトのお話も出ていましたが、南部の方では水は豊富だが、北部は足りない。偏在しているということで、北京については大きな都市をつくることに関して危惧されているとおっしゃいましたが、今北京ではどういったことが起きているのでしょうか。

周:北京・天津・河北地域は、今非常に大きな開発が進んでいます。特に天津では過去数年、非常に大規模な開発が行われてきました。ただし、この地域は非常に水に悩んでいまして、水ストレスが非常に高い。北京での淡水の半分か3分の2が地下用水に頼っているという話があり、過去の摂取による地盤沈下は開発エリアよりはるかに大きなエリアに及び非常に深刻です。しかも水の価格はそれほど高くなく、政府は市民に水ストレスを与えないように努力しているが、私からみると、このストレスをみんなで共有しないことこそが大問題だと思っています。市民はいまのところ水問題のストレスに影響されず、水の一人あたりの使用量がむしろ増大しています。その傾向を食い止めなければいけません。

 水のある地域に産業と人口を集約させるというのが私の考えですが、過去10年間は沿海部の長江デルタと珠江デルタに猛烈に産業が集中してきた。中国のGDPの半分近くが3大メガロポリスに集中しています。しかし、人口の集約・集中はかなり制約があって制度のストレスが非常に高いです。中国では戸籍制度が、計画経済の時代から作られていた。農村人口は農村戸籍で、都市人口は都市戸籍で固定されています。農村の人々は都市戸籍をなかなか取得できず、出稼ぎ労働者が10年、20年も都市部に出稼ぎしていても長期的な居住が認められない。このストレスが非常に大問題になってきていまして、億単位の人々が非常に大きな精神的、あるいは経済的な不便を強いられています。これで人口の集約、集中がかなり阻害されています。抜本的な改革が求められている時期ではないかと思っています。

中国各都市における人口流動分析図:流入
(注: 常住人口が戸籍人口を上回っている都市は、人口流入都市)

梶原:ありがとうございました。ダスグプタさんはインドから中国大使として中国にも住んでいらしましたが、中国とインドという都市化のプロセスをご覧になって、大きな違いというものがあるのでしょうか。

ダスグプタ:中国もインドも工業化のために都市化が起きています。農村部から都市部への人口流入が起きているのが共通点です。中国は法制度で人の移動をコントロールしやすい。中国の場合はインドと比べて都市部の成長の計画をより体系的に行うことができるでしょう。インドの場合、基本的に人の移動というのは市場のインセンティブによって起きます。あそこに行けばより給料の高い仕事に就けるということであれば、その都市に動いてゆくでしょう。これをコントロールしたり、規制することはインドの場合はできません。その結果、都市が無計画に成長してゆきます。都市計画がないわけではありませんが、人口移動については計画できないというのが複雑化していると思います。アジアの都市開発、発展をみると、点数をつけるのは難しいが、ものすごく成功したのはシンガポールだと思います。シンガポールは完全に統制できる都市国家なので規制しやすい。これが最も計画のうまくいった都市発展の例だろうと思います。

梶原:ありがとうございました。インドに行った時、夕方に雨がものすごく降って、デリー市内のホテルの前の道が一気に短時間でクルマの半分ぐらいが埋まるぐらいの水の量が一気に流れてきて。あまり排水設備なんか整っていないんじゃないかという印象を受けたのですが、地下水の取水によっていろんなことが起きていると聞きます、今と昔を比べてどうなんでしょうか。

ダスグプタ:水が流れてしまうのは下水ではなく排水の問題です。排水が都市の成長に追い付いていない。デリーはムンバイと比べるとましな方です。ムンバイではさらに深刻です。地下水の問題です。私はデリー郊外に住んでいますが、デリーの開発の特色として非常に急速な開発が中心部ではなくて郊外で起きました。高層オフィスビル、住宅ビル、ショッピングモールは中心部ではなく、主に郊外で建てられています。私は10年間、今の所に住んでいますが、この間に人口は10倍以上増えました。都市景観も全く変わった。私が住み始めた時は、3階建て以上がほとんど無く、ほとんど空き地だったんです。今は高層ビルがたくさん建ち並んで、多国籍企業や国際金融機関が引っ越して来た。それが水や電力に影響を与えるということは想像に難くない。地下水の過剰取水が行われてしまった。帯水層に非常に大きなストレスがかかっています。高層ビルが建ち、そのためにより深く、深く地下を堀って取水しなければいけない。雨水の取水が不可欠で、これをやっていかなければならないと思う。

梶原:ありがとうございました。黒田さん、さきほどアジア全体のお話がありましたが、水問題で国家間の摩擦が生じる例が非常に増えていると思います。例えばメコン川ですとチベット高原の水力発電建設が原因ではないかと見られていますが、ベトナムやタイ、ラオス、カンボジアで水位が下がって、それが反発につながっている。プラマプトラ川はチベットが源流でインドやバングラデシュを流れていますが、中国が巨大なダムを造っていることが周辺国との緊張感を高めている。シンガポールでもマレーシアに水を頼っていたが、値上げすることで対立が生じて、それが結果的にはシンガポールの水産業を育てたわけです。こうした水のプロジェクトの必要な地域の受け入れ国のニーズや政治制度、環境というのは様々なわけですけれども、ADBとしては先ほどガバナンスの話もありましたけれども、例えば利害調整役、仲介役としてどこまで関与できるのか、してゆこうとしているのか、どういう点を意識してかかわっているのでしょうか。

黒田:メコン川については、先ほど申し上げたようにメコン川委員会という国際組織がありまして、このメンバーにはラオス、タイ、カンボジア、ベトナムが参加していて、オブザーバーとして中国、ミャンマーが加わっています。ここが水問題についての国際的な調整をしており、ADBはそれを側面から支援しています。それと同時にグレーター・メコン・サブリージョナル・プロジェクト(GMS)という形でADBは15年以上にわたって、この地域の総合的な経済開発を進めています。これは水に限った話ではなく、道路や鉄道、電力、環境、そして水の問題を含めて総合的な地域、経済開発をADBが中心になって促進してきました。その結果、この地域はアジアの中では最も成長率の高い地域のひとつであり、所得も増加したし、雇用も増えて、貧困も急速に減少した。水だけに限って支援するのではなく、運輸や交通、電力、環境などさまざまなことを総括して支援することによって、この地域の参加6各国の経済的な利害を調整するということです。ひとつの点だけですと、いわばゼロサムゲームのようになり、1国が得をすると他の国が損するということになりかねないわけです。総合的な経済開発、経済発展の支援によって、水の問題も深刻な対立にならないように努力してきているわけです。ADBのような国際機関である開発銀行の有利な点は、水問題についての支援に限らず、幅広く経済発展や貧困削減を支援することができるので、そのなかで水問題も解決していけることだと思います。

 水については、確かに上流と下流の国で決定的にレバレッジが違うわけです。上流でどんどん水を使ってしまうと、下流でどんどん足りなくなる。上流で汚染すると下流に当然影響が出てくる。上流の国と下流の国とは常に潜在的な対立の要素をはらんでいることは事実です。これはメコン川だけでなく、ガンジス川やインダス川、アムダリア川でも、どこでも同じ問題があります。そういうところで常にそういう対立、紛争の可能性があることは事実ですが、それをどうやって和らげてゆくかということにADBとしても他の国際機関とともに努力しています。

梶原:ありがとうございました。三日月さんにお尋ねしたいんですが、先ほど国際局ですとか、海外水インフラPPP協議会のお話も少し出ました。他省庁とどういう戦略を持ってこれからやっていこうとされているのか。PPP、パブリック・プライベート・パートナーシップというのはプロジェクトの構想段階や政策段階から関わったりして、ビジネスする上でも有利にしてゆくという面もありますし、それが現地で求められているということだと思います。国交省の中では下水道部とか原局もあるわけですが、民間企業とのお付き合いはそういったレベルでされているわけで、国際局というもののイメージと他省庁の連携についてどういう風にお考えでしょうか。

三日月:簡単に言えば、省庁縦割り、部局縦割りの弊害を無くして、もっと国のために世界のために情報も技術も共有しようということが答えになると思います。企業の技術の企画の面では経済産業省、上水道は厚生労働省、下水道は国土交通省、環境の面では環境省、地方自治体のことは総務省と、それぞれの所が別々で水に関する施策も行われているわけです。国内でそれぞれの自治体で行政を運営する限りにおいては、そういう仕組みもこれまでは機能的だったのかも知れません。しかし、世界の様々なニーズ、シーズ、ビジネスに対応してゆくためには、関連する情報、技術も集積し、集約して取り組んでゆく必要があるだろうということで、海外水インフラPPP協議会も立ち上げました。協議会を中心的に運営する国土交通省内に水に関する部局を統合することと、国際局は水だけに限らず鉄道や建設、住宅、都市インフラなど国土交通省が持つ施策分野の国際的な情報を統合的に集約することで始めたところです。もちろん企業や商社はそれぞれ個別に国と商談を進められることもあるんでしょうが、それを是非政府としてもバックアップできるようにして、これは外務省もしっかりと取り込んでゆく必要があると思います。それぞれ大使館を通じたPRや情報集約、海外要人との人間関係やそれぞれのキーマンといわれる方々とのつながりとか、そういうことを含めて政府がしっかりと後押しできるような体制をこれからは構築してゆきたいと考えています。

梶原:ありがとうございました。周さん、日本は下水関係ですとか、下水の再生利用の技術や省エネ技術があるわけです。中国の政府の戦略として水の浄水、下水、水質汚染とかいろいろありますが、例えば国家予算などを通して見てみると、どういったところにプライオリティーを置いているというか、水関連事業に関してはどこにプライオリティーを置いていると言えるのでしょうか。傾向みたいなものはありますか。

周:私はプライオリティーを申し上げる立場ではありません。先ほども申し上げたように、中国の水問題に対してマクロ的、例えば人口と産業を水のある所に集約というアプローチと、ミクロ的なさまざまなアプローチを総動員する必要があります。水問題に関わる話は優先事項として、ちゃんと対処しなければいけないです。マスコミもこれからの役割が非常に期待されます。水問題と環境問題はやはり社会的な大議論が必要です。ライフスタイルに関する議論、汚染に関する議論などを引き起こさなければならないです。残念ながら中国のマスコミはまだ制約があって、そこまで至っていませんが、ネットの時代にもなり、おそらくマスコミとネットがこれからそうした大議論を引き起こすことになるでしょう。これは時間の問題です。中国の政府も市民も水に関わる問題にさらに敏感になり、プライオリティーが高くなっていくに違いありません。

中国各都市における一人当たり水資源量分析図

梶原:ありがとうございました。ダスグプタさん、インドでは先ほど国際河川のメコンとかブラマプトラ川の話がありました。インドは国内においても河川をめぐって州政府レベルの対立が起きていたりとか、水資源管理もそれぞれの州政府に任されている面がある。中央政府と州政府の関係というのは水資源に関して、どのようになっているのでしょうか。

ダスグプタ:インドは連邦国家です。州政府がありますし、非常に相当な力が州政府に与えられています。外務的など一部の仕事は中央政府ですが、多くの事項が州政府の問題となっています。水もそうです。州をまたがって流れている川があり、それによって州の間でいろんな議論が起きている。どうやって水を共有したらいいのかとか、あまりにも水を強く使ってしまって下流の州に水が行かない、断流してしまうという問題も起きて、非常に複雑な問題になっています。これらをきちんと分類して対話を行うことも可能でしょうが、中央政府が中に立つことが必要だと思います。そして、なんらかの形で問題解決ができているというようになっています。しかし、大きな問題であることは確かです。

梶原:ありがとうございます。黒田さんにお尋ねしたいんですが。中国は高い経済成長の中で工場の排水問題とか、環境対策が後回しになってきた面もあり、公害問題がクローズアップされています。貧富の格差も広がり、水へのアクセスの格差も出ているわけです。ADB総裁であるとともにマイクロ・マクロ経済の専門家ですが、中国の成長と環境対策、水インフラ整備のバランスについてどのようにお考えでしょうか。

黒田:中国経済は今年もおそらく9・5%から10%の間ぐらい、我々は9・6%ぐらいの成長率を達成するという風に見込んでいますが、今後も10年、20年と相当高い成長率を達成するであろうと見ています。ただ、これからインドの成長率が加速してゆくのに対し、中国はむしろ少しずつ減速してゆくという風に見ている。もちろん20年たっても日本のような成長率になるわけではなく、まだ高い成長率ですが、まあ10%前後の成長率が少しづつ減速してゆくだろうと思っています。それ以上に大きいのは、都市化が大変な勢いで進んでいて、それが工業用水の必要性、工場からの排水の増加、一般の人々の生活用水の要請や生活排水の処理の問題というように非常に多くの水問題を引き起こしています。これに対して政府自体も相当いろいろな対応策をとっています。私自身は、今後20年という期間をとったときに、相当抜本的な水問題に対する対応が取られて、危機的な状況がさらに深刻になるという状況が避けられるのではないかという風に希望しています。それを実現させて危機を回避するにはものすごい努力は必要であることは確かです。特に水質汚染の問題は非常に深刻で、これを抜本的に直してゆくためには相当な費用がかかるし、国民意識も高めてもらわなければならないと思います。

 ひとつプロジェクトを申し上げると、ADBは天津で総合的な水支援会議というプロジェクトを支援しています。これはコンプリヘンシブ・ウォーター・リソース・マネジメントというもので、確か200キロぐらい上流から川と運河の水資源の涵養と、その水質の維持、飲料用水への使用、下水処理施設も支援するというかなり大規模なプロジェクトです。天津は人口と産業が集積し、水需要が増加して生活排水と工業排水が爆発的に増加して水汚染の問題を引き起こしたわけですが、この問題に対して天津市も中央政府も非常に積極的な取り組みをしたため、状況はかなり改善しつつあると思います。ただ、北部はどうしても水が不足な地域なので、これ以上に人口や産業が集積すると、その対応策は非常に難しくなると思う。もちろんコストさえかければ今のテクノロジーで相当なことはできますが、莫大なコストをかけて、例えば天津にこれ以上の産業と人口の集積させることが中国経済、社会全体にとって有益かどうか考えてゆかねばならないという風に思います。

 水の問題は、まず成長してから対応するということは不可能な状況になっています。成長する中で毎年毎年莫大な経費をかけて水の汚染を防止し、水資源を涵養し、効率的な使用をするということを同時に進めてゆかなければ、すでに対処コストがものすごく上がっていますので、そのコストをこれ以上引き上げないためにも、今まで以上の努力を20年ぐらいにわたってやっていく必要があります。中国政府はそれをやり遂げる能力があるのではないかという風に思っています。

梶原:ありがとうございました。三日月さん、日本は今、下水道のハブをつくろうとしているということです。国際的な戦略拠点としていくつかの候補地も上がっているようですけれども、海外のいろんな研究者、企業の方にも見てもらって研究開発の拠点にもする訳です。これから候補地の選定にも入ると思うんですが、三日月さんの地元の滋賀県の知事も非常に熱心にPRしているようです。どういう条件が必要なのか、具体的にどういうものをイメージされているのか教えてください。

三日月:シンガポールのお話も先ほど出ましたが、まさにマレーシアとの関係で、欠乏や困難が技術の発展の源を生むという好事例だと思います。あれはADBの認定でもあるナレッジハブ、都市の水供給分野でシンガポールのPUBがそういう認定を受けていて、そこに日本企業も参画して、むしろシンガポール発の技術のように日本企業の技術が世界にどっと出ていっているようなところもあります。私たちはADBの認定で下水道分野のナレッジハブという認定をすでに受けています。この拠点を国内でもしっかり整備したいということで下水道ハブ構想というのを展開しているところで、自治体に手を挙げていただいています。私の選挙区の滋賀県も手を上げているのですが、私があんまり言うと我田引水になりますので、多くを申し上げません。

 主な条件としては4つあります。ひとつは処理場、上下水道のインフラです。高度処理を可能にする技術や経験があるのかないのか、ということが一つ挙げられる。汚泥の活用や膜浸透技術をはじめ、先端技術を開発する技術が立地しているのかどうか。その集積性も非常に大きな条件になると思います。水の分野だけでなくて、そこで見に来て頂いて商談をして頂くことからすると、交通アクセスや周辺の観光施設、宿泊施設が整っているか。最後に、これも非常に重要だと思いますが、企業、行政だけでなく、大学をはじめ研究施設との連携が取りうるのかどうか。滋賀県の事例を挙げて恐縮ですが、水に関することは人々の生活、日々の生活に関わることですので、そこに住んでいる住民市民の意識や運動がどのレベルにあるのかというのが水質の面でも節水浄化の面でも非常に重要だと考えています。そういう運動も一緒にその地域で吸収することができるのか否か、発信することができるのか否かということも極めて重要かと思います。以上申し上げた大きく4つの観点でこれからこのハブ構想を進めたいという風に考えています。

梶原:ありがとうございました。周さんにお尋ねしたいのですが、サステイナブルな経済成長のために中国政府はどういったことをすべきなのか、出来るのか。日本が政府、企業を含めてどういう風に関わっていったらいいのか。どのようにお考えでしょうか。

周:先程、水の分配の話が出ましたが、中国の事例を説明したいと思います。中国第2番目の河川である黄河は、上流地域が過度の水の摂取によって、水が海に届かないという断流現象が起きました。1997年は最高で226日も断流となった。当時の中流域の河南省の鄭州までも水が行かなくなった。政府は事態を深刻に認識し、地域間における水利用の利権を調整する仕組みを作りました。調整することによって2000年から今日に至るまで断流はまったくなくなりました。1日もないのです。その意味では地域間の調整はあり得るのです。

 いまから十数年前に私は、当時はまだ純輸出国だった中国が将来食糧とエネルギーの輸入大国になると予測し、ユーラシアランドブリッジという構想を打ち上げました。いままでの鉄道中心のランドブリッジ構想と違って、カスピ海から中国の沿海部まで石油と天然ガスのパイプを敷く。東アジアの国々はそこからエネルギー供給を受ける。沿線開発や環境整備など黒田総裁がおっしゃるような総合的な構想で一括的に利害関係を調整するプランを打ち立てた。この構想は、小渕政権と江沢民政権の間で日中の21世紀最重要プロジェクトに位置づけられたが、その後日本政府の方が「これはでかすぎる話だ。メガプランにはついて行かない」という理由で降りてしまった。中国政府はこのまま進めて、「西気東送」ということで西のガスを東へ送ることを着々と進め、いまは新疆ウイグル自治区から上海にガスが届くようになった。カスピ海に向かってパイプラインも着々と伸びています。水の世界でも、このような大きな構想が必要とされるし、その中で利害関係を総合的に調整することが非常に大事だ。

周牧之『現代版「絹の道」、構想推進を』『日本経済新聞』1999年4月1日朝刊掲載

周:最後に、国際協力の話にちょっと触れたい。日本政府がいまトップセールスを進めることは非常に大事です。国際交流のハブになるということも非常に大事です。東アジアの中で日本は教育のハブ、環境のハブになるべきだが、さらに政府が一番やらなければならないのはFTAなど制度面としての舞台整備です。

 実は今日は私、非常にストレスが溜まっています(笑)。なぜかというと、私どもの大学は110年記念の大きな国際シンポジウムを明日、開くことになっています。このシンポジウムのパネリストの一人が昨日、成田で止められて、今日、帰されるということになりました。このパネリストは中国最大のネットコミュニティーの社長です。ニューヨークに上場して三千数百万人の会員を持つネット業界の世界的な企業の創業者です。来日ビザ取得のすべての資料を送ったのですが、ずっと世界を飛び回っていて5日間もパスポートを日本の大使館に預けるスケジュールがない。そこで日本で乗り換える形で3日間、72時間降りることができることを知って、これを使おうかと思った。きちんと乗り換えのチケットを用意して昨日東京に入り、シンポジウムにも参加することを出入国係官に話したところ、純粋な乗り換えでなくシンポジウムに参加するのはダメだとなった。警備員つきのVIP待遇で成田に一泊し、今朝、帰国させられたのです。なぜ72時間を有効に使って、会議に参加して、観光して、お金を落として、といったことができないのか?そういうことを是非改善して戴きたい。

MUZHI ZHOU『Eurasian land bridge carries great promise』『The Nikkei Weekly』1999年5月17日掲載

梶原:日中のビジネスの促進のための環境作りが必要だということがよく分かりました。黒田さん、ダボス会議を含めて国際会議でご発言されていますね。水ビジネスというのは、やはり技術とかパーツだけではなくて、水循環の全体のトータルコーディネートできる人材や企業が必要だと言われています。総合的な水問題の解決策を提示できる企業や人材で日本はどうなんでしょうか。どういう風にお考えでしょうか。

黒田:日本企業の能力というか、日本の人材の豊富さというのは、もちろんアジアの国々ではよく知られています。特にマニュファクチャリングセクターでいろいろな物を効率的につくり、例えばエネルギー効率のいい発電機が作れるなどのさまざまな面で日本企業が大変な技術を持っていることはよく知られているわけです。ただ、その技術があれば自動的にアジアで売れるかというと、そうはならないわけです。というのは、水問題も典型的ですが、非常に複雑な要素をはらんでいるわけです。水道や下水をつくる場合にしても、水を取り入れる所や水の質を改善する所、さらに下水道で生活排水を集めて処理して、最後に川や海に流すという物理的な施設という面だけではないんです。私はガバナンスで強調しましたが、水の利用をめぐっては水資源の地域の人もいますし、農業や工業といった生活用水とは別の需要とも競合しているわけです。同じ上水や下水の利用者にしても、その費用をどのように負担するのかという問題もはらんでいるわけです。地域的、あるいはプロビンシャルな人々に非常に大きくからんでいるわけです。そういう意味で社会的、政治的な次元が非常に大きい。

 水のプロジェクトを日本の商社やエンジニアリングカンパニー、あるいは施設や設備をつくる企業が売り込もうとした場合、単にその物理的な機械や設備の効率だけで勝負できることはありません。あくまでも水の利用と処理のトータルパッケージ、コンプリヘンシブなパッケージを担当官庁の人に示すだけではなくて、地域住民の人たちに納得してもらう必要がある。そういうソーシャルな、ポリティカルな次元までを含めたプロジェクトを組成して、人々にプレゼンテーションする必要がある。そういう能力が日本の企業や日本の人々に、やや足りないところがある。水の分野ではオランダやシンガポールの企業は非常に競争力がありますが、水問題についてコンプリヘンシブな包括的なとらえ方をしてプロジェクトを組成し、その地域の住民に売り込んで納得してもらうという能力があるということだと思います。単なる物理的な技術だけでは足りないんです。そこが日本の企業や人材の充分ではないところです。よく英語の能力などと比較して言われます。英語の能力も当然必要ですが、単に英語がぺらぺらしゃべれるというだけではなく、そういう問題を包括的にとらえてそれに対する問題解決ソリューションを提示して、地域の住民から官僚、政治家に至るまで説得できるという能力がないと、水ビジネスというのはなかなか日本企業のところに来ないのではないか。潜在的な能力はありますが、それがまだ充分生かされていないのではないかという風に思います。

梶原:ありがとうございました。時間が迫ってまいりました。ここで議論は終わりにしたいと思いますが、最後に三日月さんにひとつだけ。今日は民主党の代表選があります。民主党政権が発足して1年過ぎました。前原国交大臣が続投するのか分かりませんけれども、ご自身はどのようにお考えですか。小沢さんがもし総理になった場合、国交行政というのはどういう風に変わるのか。

三日月:水の流れは変えていいものと、変えてならないものがあります。お互いが背水の陣で臨まれていますので、覆水盆に返らずというようにならないように是非、水魚の交わりをつくって参りたいと思います(笑)。どうもありがとうございました。

梶原:どうもありがとうございました。さて、今日の議論の中で節水という言葉がキーワードとしてちりばめられていました。水プロジェクトももちろん大切ですが、世界的な水不足は人類共通の課題です。そして節水のライフスタイルを追求してゆくことは非常に大切だと思います。今日はこの後、引き続き特別協賛社TOTOの清水さんから特別講演がありますので、そのまま皆様お席でお待ち下さい。それでは本日、皆様、ご参加どうもありがとうございました。パネリストの皆さん、どうもありがとうございました。


朝日新聞デジタル「朝日地球環境フォーラム」(2010年)掲載

【ランキング】〈中国中心都市&都市圏発展指数2020〉を発表 〜北京、上海、深圳が総合ランキングトップ3に〜


〈中国中心都市&都市圏発展指数2020〉英語版 2022年1月28日付チャイナネットで発表

 雲河都市研究院が〈中国中心都市&都市圏発展指数2020〉を発表した。北京と上海は4年連続で1位と2位、深圳と広州は3年連続で3位と4位にランクインした。成都は、2017年に同指数が初めて公表されてから順位を3つ上げ、5位となる好調ぶりであった。

 天津は、2019年度から順位を1位落とし6位に。杭州、重慶、南京は7位、8位、9位と、いずれも2019年度の順位を維持した。

 西安は11位で、2019年度から2ランクアップした。逆に、武漢は新型コロナパンデミックで大打撃を受け、2019年度の11位から13位に転落した。寧波は12位を維持した。

 また、36中心都市のうち、さらに鄭州、長沙、済南、合肥、福州、ハルビン、南昌、南寧、海口、フフホト、ラサは総合ランキングを上げた。なかでも合肥は前年度の23位から19位へと躍進した。青島、昆明、長春は2019年度の順位を維持した。

 天津、武漢以外にも廈門、瀋陽、大連、貴陽、石家庄、太原、ウルムチ、蘭州、西寧、銀川が総合ランキングを下げた。中でも大連は、2019年度の18位から23位と大きく順位を落とした。総合ランキングの変化から見ると、北方地域の中心都市の順位は低下傾向にある。

図 〈中国中心都市&都市圏発展指数2020〉総合ランキング

 中国中心都市&都市圏発展指数(以下、〈指数〉と略称)は、中国都市総合発展指標を構成する882の基礎データの中から、中心都市都市圏の評価との関連性が高い442の基礎データを精選し、組み立てたものである。〈指数〉は、統計データ、衛星リモートセンシングデータ、インターネットビッグデータで構成され、異分野のデータリソースを活用した、五感で都市を感知するマルチモーダルインデックス(Multimodal Index)である。

 例えば、〈指数〉は、衛星リモートセンシングデータを用いてDID(Densely Inhabited District:人口集中地区)を分析し、都市圏の人口規模、分布そして密度を正確に把握し、さらに、人口動態と経済発展、インフラ整備、社会ガバナンス、生態環境マネジメントとの関係を多面的に分析できるようにした。これにより都市圏研究のレベルを一挙に引き上げた。その意味では〈指数〉は、まさしく斬新なスーパーインデックスである。

 各都市における二酸化炭素排出量に関する分析も〈指数〉の一大ポイントである。雲河都市研究院は、長年の研究により、衛星解析データのGIS(地理情報システム)化で、各都市の二酸化炭素排出量の算出を可能とし、都市評価システムの精度を大幅に向上させた。

 〈指数〉の大きな特徴は、中国の4大直轄市、22省都、5自治区首府、5計画単列市の計36都市を「中心都市」とし、全国297の地級市以上の都市の中で評価した点にある。

特筆すべきは、2020年の総合ランキング上位30都市に、蘇州(10位)、東莞(20位)、無錫(25位)、仏山(27位)の4つの非中心都市が含まれていることである。

 〈指数〉によると2020年は、36の中心都市が中国GDPの39.2%、輸出の50.9%、特許の50.3%を生み出し、常住人口の26.6%、DID人口の42%、メインボード上場企業の67.3%、981&211大学(トップ大学)の94.8%、5つ星ホテルの57.5%、三甲病院(最高等級病院)の47.5%を有していた。中心都市が中国の社会経済発展をリードしている様相が明らかである。

 〈指数〉は、「都市地位」、「都市圏実力」、「輻射能力」、「広域中枢機能」、「開放交流」、「ビジネス環境」、「イノベーション・起業」、「生態環境」、「生活品質・安全」、「文化教育」の10大項目と30の小項目、116の指標データから構成され、中心都市の都市圏発展を体系的に評価する。

 〈中国中心都市&都市圏発展指数2020〉最大の特徴は、新型コロナ感染症対策と経済回復のパフォーマンスに評価の重点を置いている点にある。

図 〈中国中心都市&都市圏発展指数〉構造図

1.「生活品質・安全」大項目:新型コロナパンデミックで武漢が打撃を受けたものの、ゼロ・コロナ政策が奏功


 2020年は新型コロナパンデミックにより都市の生活品質と安全性が問われた年であった。同年中国におけるコロナ新規感染者(海外輸入感染症例と無症状例を除く)の62.8%が武漢に集中した。中国は、迅速なロックダウン(都市封鎖)措置とゼロ・COVID-19感染者政策(Zero COVID-19 Case Policy、以下ゼロ・コロナ政策と略称)で流行を早期に収束させた。結果、湖北省以外の都市では、局地的に感染者が時折出るものの感染爆発はなく、中国都市の生産や生活は早期に回復することができた。

 都市の安全性や住みやすさを評価する「生活品質・安全」大項目で、2020年の最重要関心事は新型コロナウイルスであった。同時に、同大項目は、都市の生活・消費水準や医療衛生・福祉水準にも着目している。「生活品質・安全」大項目は、「安全・住みやすさ」、「生活消費水準」、「医療福祉」の3小項目指標から成り、「新規感染者数」、「医師数」、「三甲病院」、「平均寿命」など16の指標データで構成される。

 「生活品質・安全」大項目のランキングでは、武漢は新型コロナパンデミックで大打撃を受け、2019年度の8位から最下位に転落した。北京、上海、重慶が同ランキングのトップ3となり、4位から10位の中心都市は順に(以下同)成都、杭州、広州、南京、鄭州、天津となっている。

 2019年度と比較すると、上位10都市では重慶、成都、鄭州が順位を上げ、重慶は初めてトップ3にランクインした。北京と上海は順位を維持し、武漢と深圳はトップ10から脱落した。

 36の中心都市で見ると、2019年度と比較して順位を上げた都市は、さらに西安、済南、瀋陽、合肥、青島、寧波、大連、ハルビン、長春、昆明、フフホトであった。

図 「生活品質・安全」大項目2020

2.「都市圏実力」大項目:北京、上海、深圳が上位3位に


 都市圏の実力は、中心都市を測る最も基本的な条件の一つである。「都市圏実力」大項目は、「経済規模」、「都市圏品質」、「企業集積」の3つの小項目を設置し、「GDP規模」、「常住人口」、「DID人口」、「メインボード(香港、上海、深圳)上場企業指数」など14の指標データで構成される。「都市圏実力」大項目は、都市の経済規模と人口規模だけではなく、人口集約度とその構造、さらには経済中枢機能を評価する。

 2020年は、新型コロナで大きな打撃を受けた武漢を除くすべての中心都市が経済成長を達成し、36中心都市のGDP成長率は平均で3%ポイントに達した。世界の主要国でマイナス経済成長が広がる中、中心都市の強靭さに牽引され、中国経済は2.3%の成長を実現した。

 北京、上海、深圳は引き続き「都市圏実力」大項目ランキングのトップ3であり、偏差値的にその優位性が際立っている。ランキングのトップ10都市には、広州、重慶、杭州、成都、天津、武漢が含まれている。

 2019年度と比較すると、上位10都市では成都が1つ順位を上げ、天津が3つ順位を下げたものの、その他は順位を維持した。

 36中心都市で見ると、2019年度と比較して順位を上げた都市は、さらに西安、青島、済南、昆明、貴陽、長春、太原、海口、西寧、銀川、フフホト、ラサであった。

図 「都市圏実力」大項目2020

3.「生態環境」大項目:上海、北京、天津がCO2排出量最多3都市に


 都市発展において、環境品質と資源効率はますます重要になっている。 「生態環境」大項目は、「環境品質」、「環境努力」、「資源効率」の3つの小項目指標を置き、「空気質指数(AQI)」、「GDP当たりCO2排出量」、「一人当たりCO2排出量」、「気候快適度」など15の指標データで構成される。同大項目は、環境品質と資源効率に焦点を当てるとともに、環境改善への取り組みをも評価する。

 「CO2排出量」への評価は、「生態環境」大項目の見どころである。現在、36中心都市が排出する二酸化炭素は中国全土の29%を占めている。

 「CO2排出量」を見ると、上海、北京、天津、広州、ハルビン、寧波、青島、重慶、済南、鄭州の順で排出量が多い10中心都市となっている。

 「一人当たりCO2排出量」を見ると、フフホト、太原、蘭州、銀川、天津、ウルムチ、寧波、青島、北京、上海の順で排出量が多い10中心都市となっている。

 「生態環境」大項目のトップ3は、深圳、上海、北京で、深圳が上海を抜いて初めて首位に立った。その他、広州、重慶、廈門、武漢、成都の5中心都市がトップ10にランクインした。

 2019年と比較すると、36中心都市のうち、深圳、廈門、武漢、天津、長沙、寧波、合肥、瀋陽、西安、青島、済南、ラサ、石家荘が、同大項目ランキングで順位を上げた。

図 「生態環境」大項目2020

4.「輻射能力」大項目:北京、上海、深圳がトップ3を維持


 中心都市が「中心都市」たる所以は、周辺地域乃至全国への輻射力にある。このため、都市の輻射力を測ることが中心都市評価の一大キーポイントである。「輻射能力」大項目は、「産業輻射力」、「科学技術・高等教育輻射力」、「生活文化サービス輻射力」の3つの小項目指標を立て、「製造業輻射力」、「IT産業輻射力」、「科学技術輻射力」、「高等教育輻射力」、「医療輻射力」など9の指標データから構成される。同大項目は、都市の産業、科学技術、高等教育など分野の輻射力をはかるだけでなく、生活サービス分野の輻射力も注視している。

 中国の輸出産業は、2020年前半にコロナ禍で深刻な打撃を受けたが、後半は力強く回復した。「中国都市製造業輻射力2020」ランキングの上位10都市は、深圳、蘇州、東莞、上海、寧波、仏山、成都、広州、無錫、杭州となっている。興味深いのは、この10都市の中で中心都市ではない蘇州、東莞、無錫の輸出がマイナス成長になったのに対し、中心都市である深圳、上海、寧波、成都、広州、杭州はいずれも輸出のプラス成長を実現した。こうした製造業スーパーシティに牽引され、2020年に中国の輸出は4%の成長を達成した。

 2020年はIT産業が大きく成長した年であり、デジタル防疫、リモートワーク、オンライン授業、遠隔医療、オンライン会議、オンラインショッピングなどが当たり前になり、コロナ禍があらゆる産業と生活のDXを推し進めた。「中国都市IT産業輻射力2020」ランキングの上位10都市は、北京、上海、深圳、杭州、広州、成都、南京、重慶、福州、武漢で、いずれも中心都市である。 この10都市には、中国のIT就業者数の58.3%、メインボード(香港、上海、深圳)上場IT企業数の77.6%、中小企業版上場IT企業数の62.5%、創業版上場IT企業数の75.3%が集中している。中国のIT産業はこれら中心都市への集中が進んでいる。

 北京、上海、深圳の3都市は、「輻射能力」大項目ランキングではトップ3を維持した。特に1位の北京は3つの小項目でもすべて1位を獲得し、偏差値的に他都市を大きく引き離した。また、トップ10都市には、広州、成都、杭州、南京、西安、武漢などの中心都市が含まれている。

 2019年度と比較すると、同大項目トップ10都市ランキング入りした中心都市では、武漢に代わって8位となった西安と、10位に下がった武漢を除き、その他は同じポジションを維持した。

 36中心都市で見ると、2019度年と比較して、合肥、寧波、昆明、南昌、貴陽、蘭州、フフホト、銀川、ラサといった都市も順位を上げており、とくに合肥、銀川、ラサは上昇幅が際立った。

図 「輻射能力」大項目2020

5.「広域中枢機能」大項目:陸海空輸送の総合力で上海が4年連続トップ


 交通ハブ機能は、中心都市にとって極めて重要であり、他の中枢機能を強化・増幅する基盤となる。「広域中枢機能」大項目は、「水路輸送」、「航空輸送」、「陸路輸送」の3つの小項目を設置し、「コンテナ利便性」、「空港利便性」、「鉄道利便性」、「道路輸送指数」など10の指標データで構成される。同大項目は、都市の水路輸送、陸路輸送、航空輸送のインフラと輸送量を総合的に測る。

 2020年、コロナ禍で打撃を最も受けた業界のひとつは、航空輸送である。特に、長引く国際旅行規制の影響により、中国の空港旅客数は36.6%減少した。幸い、中国は新型コロナウイルスの流行を逸早く制圧し、国内航空輸送量は早期に回復したため、欧米や日本などの国々と比べ減少幅は比較的小さかった。

 「中国空港旅客数2020」上位10都市は、上海、北京、広州、成都、深圳、重慶、昆明、西安、杭州、鄭州であり、いずれも中心都市である。同上位10都市が中国空港旅客数の44.9%を占めている。中国の航空輸送は中心都市に高度に集中する傾向が顕著である。

 空港旅客数に比べ、2020年中国の空港航空貨物取扱量は僅か6%減であった。「中国空港航空貨物取扱量2020」上位10都市は上海、広州、深圳、北京、杭州、鄭州、成都、重慶、南京、西安で、いずれも中心都市である。このうち、深圳、杭州、鄭州、南京の4都市では、空港航空貨物取扱量が増加した。これは中国ではコロナ禍でも物流が活発に行われ、製造業サプライチェーンも迅速に回復したことを示している。中国の空港航空貨物取扱量に占める同上位10都市の割合は72.8%にも達している。航空旅客輸送と比較して、航空貨物輸送が中心都市に集中する傾向がさらに顕著である。

 新型コロナパンデミックの影響でサプライチェーンと海運は世界的に大きな混乱を生じ、現在に至ってなお収まってはいない。そうした中、2020年中国の港湾コンテナ取扱量は1.2%成長を実現した。「中国港湾コンテナ取扱量2020」上位10都市は上海、寧波、深圳、広州、青島、天津、廈門、蘇州、営口、大連となり、このうち非中心都市は蘇州と営口のみである。中国の港湾コンテナ取扱量に占める同上位10都市の割合は70.8%にも達した。中国のコンテナ輸送が特定の港湾都市に高度に集中している。

 陸海空輸送の総合力を盾に、上海は他都市を大きく引き離し、4年連続で「広域中枢機能」大項目の第1位を獲得した。2位から10位は、深圳、広州、北京、天津、寧波、青島、成都、廈門、重慶である。

 36中心都市で見ると、深圳、寧波、成都、杭州、鄭州、西安、昆明、長沙、海口、合肥、南昌、石家荘、蘭州、南寧、長春、西寧、ラサはいずれも2019年度に比べて順位を上げた。このうち、ラサ、西寧、蘭州の上げ幅が大きく、西部地域における広域交通インフラの整備が進んでいることを示している。

図 「広域中枢機能」大項目2020

6.「開放交流」大項目:中心都市が輸出入をリード


 グローバリゼーションの背景下、開放交流は都市の生命線である。「開放交流」大項目は、「国際貿易」、「国際投資」、「交流業績」の3つの小項目指標を立て、「輸入総額」、「実行ベース外資導入指数」、「海外旅行客」、「国際会議」など11の指標データから成る。同大項目は、都市と世界との人、モノ、カネの交流交易を推し量る重要な指標である。

 2020年、新型コロナパンデミックで、人の国際移動が遮断され、観光や国際会議・コンベンションなどの国際交流活動に大きな打撃を与えた。また、グローバルサプライチェーンや国際間物流の世界的な混乱は、輸出入に大きな影響を及ぼした。幸い、中国は迅速に感染を抑制し、同年後半には各都市の輸出入貿易が急回復した。その結果、同年の中国輸出入総額は1.9%成長を遂げた。

 2020年、36中心都市は中国輸出入総額の59%を占めた。輸出入総額の上位10都市は、上海、深圳、北京、蘇州、東莞、天津、寧波、広州、成都、廈門で、このうち8都市は中心都市である。中心都市が力強く中国の輸出入をリードしている。

 「開放交流」大項目でトップ10入りした中心都市は、上海、北京、深圳、広州、天津、成都、重慶、寧波である。

 2019年度との比較では、上海が4年連続トップ、北京が深圳に代わり3位から2位にランクアップした。広州と天津が順位を上げ、重慶と寧波が順位を下げた。

 36中心都市で見ると、2019年度に比べて北京、広州、天津、武漢、南京、鄭州、長沙、福州、済南、南昌、ハルビン、海口、南寧、ウルムチ、銀川、西寧、ラサはいずれも順位が上がった。なかでも海口、銀川、西寧の上げ幅が大きく、東南アジアや中央アジアとの交流の高まりを示した。

図 「開放交流」大項目2020

7.「イノベーション起業」大項目:中心都市がイノベーションとスタートアップをリード


 イノベーション・起業は、交流交易経済の原動力である。「イノベーション・起業」大項目は、「研究集積」、「イノベーション・起業活力」、「政策支援」の3つの小項目指標を置き、「R&D内部経費支出」、「R&D要員」、「特許取得数指数」、「創業板・新三板上場企業指数」など10の指標データから構成される。同大項目は、研究開発への投入だけでなく、その成果も重視する。さらに起業の活力を見据え、政策支援も評価している。

 2020年、36中心都市は、中国の「特許取得数」の50.3%を占めた。「特許取得数」の上位10都市は、深圳、北京、広州、上海、蘇州、杭州、東莞、仏山、天津、南京で、このうち7都市が中心都市である。

 36中心都市には58.7%の「創業板上場企業」が集中している。創業板上場企業数の上位10都市は、深圳、北京、上海、杭州、蘇州、広州、成都、無錫、寧波、長沙で、このうち8都市が中心都市である。中心都市は、イノベーションと起業をリードしている。

 「イノベーション・起業」大項目では、北京が深圳に代わってトップに立ち、上海は3位を維持した。トップ3都市の偏差値は、他の都市と比較して著しく高く、その存在感を際立たせた。また、同大項目トップ10入りの中心都市は、上記3都市に続き広州、杭州、成都、南京、武漢、天津となった。

 36中心都市を見ると、2019年度と比較して北京、武漢、寧波、合肥、長沙、青島、済南、大連、瀋陽、南昌、蘭州、フフホトが順位を上げた。なかでも合肥と南昌は上昇幅が大きかった。

図 「イノベーション・起業」大項目2020

8.「ビジネス環境」大項目:一流レストランやホテルが中心都市に集中


 交流・交易経済の開花には、それに見合ったビジネス環境のサポートが必要である。「ビジネス環境」大項目は、都市の交流・交易経済のサポート能力を評価する指標であり、「園区支援」、「ビジネス支援」、「都市交通」の3つの小項目指標を設置し、「国家園区指数」、「事業所向けサービス業従業者数」、「ハイクラスホテル指数」、「トップクラスレストラン指数」、など10の指標データで構成する。同大項目は、純粋なビジネスサポートを測るだけでなく、政策的なサポートも評価する。さらに市内交通を、ビジネス環境を測る重要な指標としている点は特記すべきである。

 現在、36中心都市には、中国57.5%の5つ星ホテルが集中している。5つ星ホテル数の上位10都市は、上海、北京、重慶、蘇州、杭州、深圳、寧波、広州、南京、廈門で、このうち蘇州を除くすべてが中心都市である。

 36中心都市には、中国87.2%の、ミシュランなど国際評価を受けた一流レストランが集中している。トップクラスレストラン数で上位10都市は、上海、北京、広州、深圳、成都、珠海、杭州、蘇州、三亜、西安で、このうち7都市は中心都市である。一流のホテルやレストランが中心都市に集中する傾向は明らかである。

 北京、上海、広州は、「ビジネス環境」大項目で引き続きトップ3にランクインした。4位から10位は、深圳、成都、南京、天津、武漢、重慶、西安の順でランクインしている。

 2019年度と比較すると、同大項目トップ10の中で、重慶と西安が順位を上げ、杭州はトップ10から脱落した。

 36中心都市で見ると、2019年度と比較して、さらに青島、寧波、福州、ハルビン、済南、西寧、フフホト、石家荘などの都市も順位を上げた。

図 「ビジネス環境」大項目2020

9.「文化教育」大項目:ゼロ・コロナ政策で中国は世界最大の映画市場に


 「文化教育」大項目は、「文化娯楽」、「文化パフォーマンス」、「人材育成」の三つの小項目から成り、「映画館・劇場消費指数」、「博物館・美術館指数」、「地方財政教育支出指数」、「傑出人物輩出指数」など13の指標データから構成される。同大項目は都市文化娯楽生活の場所と関連消費を測るだけでなく、国際的な文化パフォーマンス、教育投資と傑出人材育成も評価する。

 中国エンターテイメント産業は、ゼロ・コロナ政策により迅速に感染を封じ込めたことで、早期に回復した。例えば映画産業の場合、2020年の中国の興行収入は新型コロナウイルス禍の影響で68.2%激減したが、北米など世界の主要な興行市場と比較すると落ち込みは相対的に小さく、また回復の勢いも強かった。その結果、中国は同年における世界最大の映画市場となった。中国市場の力強い回復に支えられ、2020年の世界興行ランキングで中国映画『八佰(The Eight Hundred)』が首位を獲得し、さらに他3本の中国映画も同トップ10にランクインした。

 「文化教育」大項目では、北京、上海、広州は4年連続でトップ3にランクインし、偏差値も他都市よりはるかに高かった。特に北京は、13の指標データのうち9指標で1位を獲得した。南京、成都、天津、重慶、杭州、武漢、深圳はそれぞれ4位から10位にランクインした。

 36中心都市で見ると、2019年度と比較して、上位4都市は不動であった。成都、天津、重慶、済南、合肥、長春、寧波、石家荘、南昌、蘭州、貴陽、海口は順位を上げた。

図「文化教育」大項目2020

10.「都市地位」大項目:北京、上海、広州が3大メガロポリスの要


 中心都市の最も重要な中枢機能は、政治行政機能である。「都市地位」大項目は、行政機能のレベルだけでなく、国際交流のポジションや、メガロポリスにおける中心都市の役割、さらに“一帯一路”、“長江経済ベルト”、“京津冀協調発展”など国家戦略上のパフォーマンスをも評価する。そのため、同大項目は「行政機能」、「メガロポリス&都市圏」、「一帯一路」の3つの小項目指標を設置し、「行政階層」、「大使館・領事館」、「メガロポリス階層」、「一帯一路指数」など8の指標データで構成される。

 首都である北京は、「都市地位」大項目でランキングトップとして、圧倒的な優位性を誇っている。上海は2位を維持、広州は2ランクアップの3位となった。4位から10位は、天津、重慶、南京、成都、深圳、杭州、武漢の順でランクインした。

 36中心都市で見ると、2019年度と比較して、広州、南京、成都、昆明、福州、海口、南昌が順位を上げた。

 北京、上海、広州が「都市地位」大項目でトップ3になったことは、京津冀(北京・天津・河北)、長江デルタ、珠江デルタという3大メガロポリスの中心都市としての評価と、中国の国土構造上の大きな変化を表している。

図 「都市地位」大項目2020


〈中国中心都市&都市圏発展指標2020〉英語版 2022年1月28日付中国国務院新聞弁公室HPで発表

日本語版『〈中国中心都市&都市圏発展指数2020〉を発表ー北京、上海、深圳が総合ランキングトップ3に』(チャイナネット・2022年2月10日掲載)

中国語版『“中国中心城市&都市圈发展指数2020”发布—北京、上海、深圳蝉联综合排名三甲,成都、合肥上升势态强劲—』(中国網・2022年1月26日掲載)

英語版『China Core Cities & Metropolitan Area Development Index 2020 released』(中国国務院英語版・2022年1月28日掲載、チャイナネット・2022年1月28日掲載)

【ランキング】〈中国都市総合発展指標2020〉から見た中国都市のパフォーマンス 〜趙啓正、楊偉民、周其仁、邱暁華、周南、周牧之によるレビュ〜

〈中国都市総合発展指標2020〉英語版 2022年1月7日付中国国務院新聞弁公室HPで発表


1.新型コロナウイルスパンデミック下、中国都市の強靭さ


 2020年世界最大のテーマは、新型コロナウイルス対策であった。中国都市総合発展指標2020は、中国各都市の感染症対策と経済回復におけるパフォーマンスを、環境・社会・経済の視点から多元的に評価した。

 新型コロナウイルスの流行そのものについては、2020年中国における新規感染者(海外輸入感染症例と無症状例を除く)の80.8%が、新規感染者数上位10都市に集中した。武漢を始め同10都市はいずれも湖北省の都市である。これは、中国が迅速なロックダウン(都市封鎖)措置とゼロ・COVID-19 感染者政策(Zero COVID-19 Case Policy、以下ゼロ・コロナ政策と略称)で流行を早期に収束させ、他の都市で爆発的な感染拡大が起きなかったことを意味している。


(1)日常生活の逸早い回復で世界最大の映画市場に

 ゼロ・コロナ政策は、早期に流行を収束させ、市民生活を迅速に回復させた。新型コロナウイルスパンデミックで最も打撃を受けた分野の1つは映画興行であった。中国では、2020年の映画興行収入が前年比68.2%も急落した。  だが幸いなことに新型コロナウイルスの蔓延を迅速に制圧したことで、中国映画市場は急速に回復した。

 一方、これまで世界最大の映画興行収入を誇ってきた北米(米国+カナダ)は、新型コロナの流行を効果的に抑えることができず、2020年には映画興行収入が前年比80.7%も急減した。

 その結果、世界で最も速く回復した中国の映画市場が、映画興行収入で世界トップに躍り出た。

 特に注目すべきは、中国では新型コロナ禍でも、スクリーン数や映画館数が減るどころか増えていたことである。中国のスクリーン数は、2005年の2,668枚から2020年には75,581枚へと、28倍にもなった。

 映画市場の急回復に支えられ、2020年は中国国産映画の興行成績が非常に目を引く年であった。「Box Office Mojo」によると、2020年の世界興行ランキングで中国映画『八佰(The Eight Hundred)』が首位を獲得した。また、同ランキングのトップ10には、第4位にチャン・イーモウ監督の新作『我和我的家郷(My People, My Homeland)』、第8位に中国アニメ映画『姜子牙(Legend of Deification)』、第9位にヒューマンドラマ『送你一朶小紅花(A Little Red Flower)』の中国4作品がランクインした。また、歴史大作『金剛川(JingangChuan)』も第14位と好成績を収めた。中国映画市場の力強い回復により、多くの中国映画が世界の興行収入ランキングの上位にランクインした。

 2005年以来、中国における映画興行収入に占める国産映画の割合は50%から60%の間で推移していたが、2020年には一気に83.7%まで上昇した。

 新型コロナ禍が効果的に抑制されたことで、中国の映画興行収入はさらに上昇すると期待される。世界最大の興行市場になったことで、中国国産映画も輝かしい時代を迎えるだろう。


(2)航空輸送で旅客は激減、貨物は微減

 航空輸送も新型コロナパンデミックで大きな打撃を受けた分野である。特に、長引く海外旅行規制の影響で国際旅客が激減した。幸い、中国で新型コロナの流行は逸早く抑えられたため、国内の航空輸送は早期回復した。結果、2020年の中国空港旅客数は36.6%減少したものの、欧米や日本などの国々と比べ減少幅は比較的小さかった。


 2020年の中国空港旅客数の上位10都市は順に、上海、北京、広州、成都、深圳、重慶、昆明、西安、杭州、鄭州である。中国の空港旅客数に占める上位10都市の割合は44.9%、さらに同上位30都市の割合は75.5%にも達した。中国の航空輸送は中心都市に集中している。

 空港旅客数に比べ、2020年中国の空港航空貨物取扱量は6%減にとどまった。中国空港航空貨物取扱量の上位10都市は順に、上海、広州、深圳、北京、杭州、鄭州、成都、重慶、南京、西安となっている。このうち、深圳、杭州、鄭州、南京の4都市では、航空貨物取扱量が増加した。これはコロナ禍でも物流が活発に行われ、製造業サプライチェーンも迅速に回復したことを示している。中国の航空貨物取扱量に占める上位10都市の割合は72.8%、さらに同上位30都市の割合は92.5%にも達した。航空旅客輸送と比較して、航空貨物が中心都市に集中する傾向がさらに顕著である。


(3)海運輸送は
プラス成長

 新型コロナパンデミックの影響でサプライチェーンと海運は世界的に大きな混乱を生じ、現在に至ってなお収まってはいない。そうした中、2020年中国のコンテナ取扱量は1.2%成長を実現した。

 2020年の中国港湾コンテナ取扱量の上位10都市は順に、上海、寧波、深圳、広州、青島、天津、廈門、蘇州、営口、大連となり、この中で唯一、大連はマイナス成長に陥った。中国大多数の港湾都市でのコンテナ取扱量のプラス成長は、その背後の製造業輸出力の強靭ぶりをうかがわせる。

 中国の港湾コンテナ取扱量に占める上位10都市の割合は70.8%、さらに同上位30都市の割合は92.6%にも達した。中国のコンテナ輸送が特定の港湾都市に高度に集中していることが浮き彫りになった。


(4)輸出は急回復

 貿易摩擦や新型コロナパンデミックは、中国の輸出産業に大きな打撃を与え、2020年前半には輸出額が落ち込んだ。しかし後半には力強い回復を見せ、輸出額は前年比4%増を実現した。

 〈中国都市総合発展指標2020〉で見た「中国都市製造業輻射力2020」ランキングの上位10都市は、深圳、蘇州、東莞、上海、寧波、仏山、成都、広州、無錫、杭州となった。この10都市のうち、蘇州、東莞、無錫の3都市の輸出額が若干マイナス成長だったのに対して、その他の都市は輸出増を実現した。これら製造業スーパーシティの輸出力の強靭さが際立った。

 製造業輻射力の上位10都市は、中国の輸出額の44.2%を占めた。上位30都市の同シェアはさらに71.7%にも達した。中国の輸出産業はこれら製造業スーパーシティに高度に集中していることがわかる。


(5)IT産業の集中がさらに進む

 2020年は、IT業界にとって大発展の年であった。デジタル感染症対策、在宅勤務、オンライン授業、遠隔医療、オンライン会議、オンラインショッピングなどが当たり前になり、新型コロナウイルス禍で産業や生活のあらゆる分野におけるデジタル化が一気に進んだ。

 中国都市総合発展指標2020で見た「中国都市IT産業輻射力2020」ランキングの上位10都市は、北京、上海、深圳、杭州、広州、成都、南京、重慶、福州、武漢となっている。これらの10都市は、中国のIT業就業者数の58.3%、メインボード(香港、上海、深圳)上場IT企業数の77.6%、中小企業版上場IT企業数の62.5%、創業版上場IT企業数の75.3%を占めている。中国のIT産業はこれら中心都市への集中がさらに進んだ。

 


(6)殆どの都市が経済成長を実現

 2020年、世界の主要国がマイナス経済成長に陥ったにもかかわらず、中国はゼロ・コロナ政策により2.3%の経済成長を遂げた。

 2020年の中国GDPの上位10都市は順に、上海、北京、深圳、広州、重慶、蘇州、成都、杭州、武漢、南京となった。上位10都市は、中国GDPの23.3%を占めた。同上位30都市のシェアはさらに43%に達した。中国経済の上位都市への集中が鮮明になった。

 上位30都市のうち武漢だけが−4.7%成長であったが他の都市はすべてプラス成長を実現した。中国主要都市の強靭さが中国経済成長を支えた。


2.〈中国都市総合発展指標2020〉ランキング


 中国都市総合発展指標2020が2021年12月28日に発表された。中国都市総合発展指標は、中国における地級市以上(日本の都道府県に相当)297都市を対象とし、環境、社会、経済の3つの側面(大項目)から都市のパフォーマンスを評価したものである。〈指標〉の構造は、各大項目の下に3つの中項目があり、各中項目の下に3つの小項目が設けた「3×3×3構造」になっており、各小項目は複数の指標で構成されている。 これらの指標は、31%が統計データ、35%が衛星リモートセンシングデータ、34%がインターネットビッグデータで構成され、合計882の基礎データで構成されている。その意味で、〈中国都市総合発展指標〉は、異分野のデータ資源を活用し、「五感」で都市を高度に知覚・判断できる先進的なマルチモーダル指標システムである。


(1)総合ランキング

 総合ランキング第1位は5年連続で北京となり、第2位は上海、第3位は深圳であった。

 中国都市総合発展指標2020総合ランキングの上位10都市は順に、北京、上海、深圳、広州、成都、重慶、南京、杭州、天津、蘇州となっている。これら10都市は、長江デルタメガロポリスに4都市、珠江デルタメガロポリスに2都市、京津冀(北京・天津・河北)メガロポリスに2都市、成渝(成都・重慶)メガロポリスに2都市と、4つのメガロポリスにまたがっている。

 総合ランキング第11位から第30位は順に、武漢、廈門、西安、寧波、長沙、鄭州、青島、東莞、福州、昆明、合肥、仏山、無錫、済南、珠海、瀋陽、貴陽、大連、南昌、泉州の都市であった。


(2)環境大項目ランキング

 環境大項目ランキングは5年連続で深圳が第1位、広州が第2位、上海が第3位となった。

 中国都市総合発展指標2020環境大項目ランキングの上位10都市は、深圳、広州、上海、廈門、三亜、ニンティ、シガツェ、チャムド、北京、海口であった。なかでも廈門、三亜、シガツェはそれぞれ第4位、第5位、第7位に順位を上げている。

 環境大項目ランキングで第11位から第30位にランクインした都市は順に、珠海、東莞、成都、舟山、汕頭、山南、南京、重慶、福州、儋州、仏山、ナクチュ、普洱、巴中、杭州、昆明、武漢、泉州、中山、長沙であった。


(3)社会大項目ランキング

 社会大項目ランキングでは北京と上海は5年連続で第1位と第2位、広州は4年連続で第3位をキープしている。

 中国都市総合発展指標2020の社会大項目ランキング上位10都市は、北京、上海、広州、深圳、南京、成都、重慶、杭州、天津、西安となっている。なかでも南京、成都、天津はそれぞれ第5位、第6位、第9位に上昇し、西安はトップ10にランクインし、武漢はトップ10から脱落した。

 社会大項目ランキングの第11位から第30位は、蘇州、長沙、廈門、鄭州、済南、武漢、寧波、瀋陽、青島、合肥、昆明、福州、ハルビン、無錫、南昌、貴陽、南寧、大連、太原、長春となっている。


(4)経済大項目ランキング

 経済大項目ランキングは5年連続で上海がトップ、第2位は北京、第3位は深圳となった。

 中国都市総合発展指標2020の経済大項目ランキング上位10都市は、上海、北京、深圳、広州、成都、蘇州、重慶、天津、杭州、南京となっている。なかでも成都は第5位に躍進し、天津と杭州はランクを落とした。

 経済大項目ランキングで第11位から第30位にランクインしたのは、武漢、寧波、東莞、青島、西安、鄭州、長沙、廈門、無錫、仏山、済南、福州、合肥、大連、昆明、瀋陽、泉州、温州、長春、ハルビンの都市であった。


3.専門家レビュー


 中国都市総合発展指標2020の発表に際し、趙啓正、楊偉民、邱暁華、周其仁、周南、周牧之が中国都市のパフォーマンスについてコメントを寄せた。


趙啓正

中国人民大学新聞学院院長、中国国務院新聞弁公室元主任

 中国都市総合発展指標2020の最大の特徴は、新型コロナパンデミックに焦点を当て、中国各都市への影響を多角的に分析していることである。 新型コロナウイルスのような、人類にとって空前の脅威となる疫病はそうそうあるものではなく、〈中国都市総合発展指標2020〉はこれを捉え、都市に与える影響を分析した研究成果が、未来における類似の事態への対処に、非常に貴重な価値がある。

 新型コロナウイルスがパンデミックとなって迫り来る中、世界各国はいち早くワクチンや特効薬の研究開発に着手したが、それらの開発には時間を要する。中国は迅速なロックダウン措置とゼロ・コロナ政策をもってこのタイムラグを稼いだ。このやり方には各国で様々な見方があるものの、中国では伝統文化を背景に、ロックダウン、隔離、マスクへの大きな抵抗感はなかった。周牧之教授と雲河都市研究院が行ったコロナ対策に関する研究は、中国の措置を世界へ紹介し、国際的理解を得ることに一役買った。

 新型コロナウイルスとの戦いにおいて、中国の都市はAI、クラウドコンピューティング、ビッグデータ、ブロックチェーンなどハイテクを活用し、人の移動に伴う感染可能性を効果的に防ぐことを実現した。全国共通の「健康コード」と「旅行コード」などのアプリは、国民に受け入れられ、効果的に実施されている。しかし、各国の文化や制度は異なり、これらの有効的な方法は多くの国で受け入れられていない。

 2020年、新型コロナウイルスが中国及び世界の都市の社会経済に大きな影響を与えた。中国の297都市を対象とした〈中国都市総合発展指標2020〉は、感染症対策やコロナ禍での都市発展を評価したことで大きな意義を持つ。これは、これまでの「指標」にはない特徴であり、中国の都市行政部門や学者の注目を集めるよう期待したい。もちろん、今回の指標は、コロナパンデミックに関心を持つ海外の学者や研究機関にとっても価値が高い。


楊偉民

全国人民政治協商会議常務委員、中国共産党中央財経領導小組弁公室元副主任

 新型コロナウイルスがすべてを乱した中、雲河都市研究院が毎年行う中国都市の「健康診断」は中断されず、予定通り中国都市総合発展指標2020が発表された。私はこれまで、中国都市総合発展指標は中国都市の健康状態に関する「健康診断」であると述べてきた。「健康診断」であるゆえ、1年に1回のチェックが必要で、何があっても止めることはできない。これは、新型コロナウイルス流行の影響を考えると、なおのことである。〈中国都市総合発展指標2020〉は、コロナ禍に直面した中国都市に焦点を当て、各都市の感染症免疫力に対して、どの都市が強く、どの都市が弱いかを示している。

 パンデミック発生以来、中国経済は世界の主要国の中で最も堅調に進んでいる。2020年は2.3%成長を実現、2021年では約8%の成長が見込まれる。一人当たりのGDPは2021年に12,000ドルに達すると予想されている。これは、中国政府が新型コロナウイルスの蔓延をうまく制圧した故であると同時に、中国経済の強大な回復力を示している。中国経済のレジリエンスは、フルセットの産業部門を持ち、サプライチェーンによる製造業輸出能力が高く、そして産業集積が巨大な点にある。このレジリエンスは、世界の主要国の中でも唯一無二なものである。そのため、新型コロナ感染症が突発的に起こったときも、国内の投資や消費が伸び悩むときも、貿易を通じて安定した経済成長を維持することができた。米国政府は中国企業を制裁することはできても、米国消費者の中国製品に対する強い需要を止めることはできない。2020年、中国の貨物・サービスの純輸出の経済成長への寄与度は28%にも達した。2021年の第1から第3四半期に同寄与度は19.5%となり、リーマンショック直前の2006年の14.3%を大きく上回る。

 中国都市総合発展指標2020によると、「中国都市製造業輻射力」の上位10都市と上位30都市は、それぞれ中国輸出総額の44.2%と71.7%を占め、これらの都市のレジリエンスを示している。

 中国の経済発展は「新たな段階」に入り、将来を見据え、国内外の「双循環」が互いに促進し合う新たな発展モデルを構築していくだろう。ここでは「国際大循環」と「国内大循環」のそれぞれを強調することではなく、二つの「大循環」の相乗効果に重点を置くべきである。新しい発展段階において、中国のどの都市が今後も主導的な役割を担っていくのか、注目したい。


周其仁

北京大学国家発展研究院教授

 中国都市総合発展指標は、時間の経過とともにその価値を増している。2020年度版の発表で、読者はより長い時系列で都市の経済・社会・環境における様々な変数の相関分析ができる。これらの変数は、本質的に都市における人間や組織の行動に関係している。

 こうした実証研究では、「比較」が非常に大切である。比較から、都市のダイナミズムが理解できる。「比較」ということでは、1978年にシンガポールを訪問した鄧小平の「比較したければ、世界と比較せよ」という言葉を思い出す。中国の都市は、互いに比較することも大切だが、世界の先進的な都市から学ぶことも大切である。今後の〈中国都市総合発展指標〉に国際都市との指標比較を加えることを、周牧之教授に提案したい。


邱暁華

雲河都市研究院副理事長、中国国家統計局元局長

 中国都市総合発展指標2020で印象深いことは4点ある。第1点は、都市の経済力が、やはりその都市の地位を決める決定的な要因である。経済発展が都市の未来を作る。2点目は、グリーン要素がますます重要になり、環境に配慮した変革が積極的であればあるほど、都市が発展する。3点目は、新型コロナ感染症の発生は経済社会の発展に影響を与え、人々の生活に影響を与えるが、都市の緊急事態対応力も試されており、総合ランキング上位の都市はその点で比較優位に立っている。4点目は、中国は新たな発展段階に入り、新しい発展モデルの構築を加速している。都市の発展もメガロポリスの構築へと移行し、中心都市が主役になる時代が始まった。中国の都市がより好循環な発展モデルを形成することを期待したい。


周南

中国国家発展改革委員会発展戦略和計画司副司長、一級巡視員

 2020年、突如として発生した新型コロナパンデミックが、世界経済社会のリズムを崩壊させた。中国はコロナ感染症対策、経済発展、社会安定という「同時実現が不可能なトライアングル」に苦心し、見事な答えを出した。中国都市総合発展指標2020によると、2020年のGDP上位30都市は、武漢を除き、すべて1〜5%の経済成長を実現したことがわかる。中国の成績と海外主要国における混乱は対照的である。

 地域発展という点では、長江デルタと珠江デルタの両メガロポリスが、経済、環境、社会の全般で明確な優勢を保っている。中国都市総合発展指標2020の総合ランキング上位100都市のうち、長江デルタは21都市、珠江デルタは12都市を占める。同上位10都市には長江デルタが4都市、珠江デルタが2都市ランキング入りし、その優位性が際立っている。メガロポリスや大都市圏の役割がますます重要になり、地域を牽引し、国際競争の土台となっている。

 総合ランキングは全体的に安定している一方、いくつかの一喜一憂がある。前年度と比較すると、2020年には長江中游メガロポリスに属する合肥が第26位から第21位、株洲が第71位から第68位、九江が第98位から第89位と、上昇した。その一方で、北方地域における都市の順位は大きく下がっている。〈中国都市総合発展指標2018〉と〈中国都市総合発展指標2020〉の総合ランキングを比較すると、3年間で瀋陽は第19位から第26位、ハルビンは第29位から第34位、長春は第30位から第36位に後退している。銀川は第67位から第81位へ、フフホトは第56位から第82位へと順位を下げた。この一連の順位変動は、「時流に逆らって進まなければ後退する」ことを鮮明に物語っている。

 中国都市総合発展指標の「中国都市製造業輻射力2020」から、製造業における都市の位置付けがより鮮明になってきた。メガシティでは一部の製造業が分散化され始めた。2020年には上海と広州が製造業輻射力において2018年比でともに2位ダウンしている。他方、成都、西安、南京、無錫が製造業輻射力を4~7位アップした。

 中国都市総合発展指標の「中国都市IT産業輻射力2020」では、武漢と廈門がIT産業輻射力でトップ10入りし、IT産業の中心都市への集中がさらに進んだ。

 完全無欠な指標というものは存在しない。しかし、〈中国都市総合発展指標〉を尺度に、水平的には都市間の比較優位性を、垂直的には都市の発展度合いを明快に測ることができる。熟読すれば、さまざまな視点からの思考を刺激してくれる。少なくとも、私にとってはそうである。


周牧之

東京経済大学教授

 新型コロナパンデミック以来、雲河都市研究院は、感染症対策の有効性と都市の経済回復について高い関心を寄せてきた。 2020年4月17日には逸早く、レポート「新型コロナパンデミック:なぜ大都市医療能力はこれほど脆弱に?(原題:新冠疫情冲击全球化:强大的大都市医疗能力为何如此脆弱?)」を発表している。 同年11月11日は、論文「ゼロ・COVID-19感染者政策Vs.ウイズ・COVID-19政策(原題:全球抗击新冠政策大比拼:零新冠感染病例政策 Vs. 与新冠病毒共存政策)」を発表し、中国の新型コロナウイルス対策と欧米や日本の政策とを体系的に比較した。「ゼロ・コロナ」の報告書や論文は、日本語・中国語・英語で国際的に発表され、中国の感染症政策の有効性に対する国際的な理解と評価に一役を買った。

 同時に、雲河都市研究院は、フォーラム、セミナー、対談などを通じて内外のトップクラスの専門家とともに、新型コロナパンデミックがグローバリゼーション、国際大都市、グローバルサプライチェーン、IT産業、娯楽産業、航空産業、海運産業などに与える影響を研究・議論してきた。

 中国都市総合発展指標2020は、過去4回発表した〈中国都市総合発展指標〉をベースに、都市の感染症対策の効果やパンデミックが関連産業に与える影響に焦点を当て、パンデミック下の中国都市に関する「健康診断」を届けるものである。

 中国都市総合発展指標2020は、中国経済の底力が主要都市の強靭さにあり、効果的な感染症対策が中国都市の発展を保障していることを示している。


日本語版『〈中国都市総合発展指標2020〉から見た中国都市のパフォーマンス 趙啓正、楊偉民、周其仁、邱暁華、周南、周牧之によるレビュー』(チャイナネット・2022年1月20日掲載)(中国网・2021年12月28日掲載)

中国語版『从“中国城市综合发展指标2020”看中国城市的抗疫与经济』(中国网・2021年12月28日掲載)

英語版『COVID-19 response and economy of Chinese cities from the perspective of China Integrated City Index 2020』(China.org.cn・2022年1月5日掲載)

【対談】白井衛 Vs 周牧之:コロナ禍での日中エンターテイメント産業

2021年11月25日 教室にて周牧之VS白井衛

■ 編集ノート:

   東京経済大学の周牧之教授の教室では、リアルな学びの一環として第一線の経営者をゲスト講師に招き、最新の産業経済を議論している。2021年末は、日本のコンテンツ産業最大手、ぴあ株式会社の白井衛取締役を迎え、新型コロナウイルス禍にあって大きな打撃を受けた日中のエンターテイメント産業について対談した。



1.若者による起業の先駆的存在


周牧之(以下周) 白井さんに毎年ゲスト講義をしていただいている私のゼミの学生は今年度、新型コロナウイルス蔓延の影響でキャンパス外での活動が殆どできませんでした。

白井衛(以下白井) 周ゼミはこれまでぴあのインターンシップや小田原市などで調査をされていましたね。


 周
 ぴあのインターンシップでは学生がコンサート興行やイベントなどを経験し、かなり刺激を受けました。ローカルサミットにも毎年参加し、街頭調査などを活発にしていました。今年はそうした活動の代わりに、大学最寄りの国分寺駅にある百貨店マルイと周ゼミとで議論を始めました。国分寺市も巻き込んで、「国分寺の街を変え、大学でのキャンパスライフを変えよう」というコンセプトでやっています。

 マルイはいま、アイカサという傘のシェアリングサービス会社を応援しています。周ゼミがSDGsとシェアエコノミーを学内で実践するために、キャンパスでこのサービスを導入しました。アイカサ社長は若い起業家で、ゼミ生と年齢差があまりないです。

東京経済大学でアイカサを設置


 白井
 そんなに若い方が起業された。

 周 ぴあも若者による起業の先駆的存在として知られている。

 白井 ぴあは、今のオーナーが若い仲間を集めて雑誌を作ったのが始まりです。雑誌の中身は、まさに今のインターネットと同じ、映画、コンサートと芝居の情報です。例えばある映画がどこの映画館でいつ何時に上映されるかチケット代はいくらか、を載せた文化の時刻表を作ったのです。

 1972年にぴあが創業をし、雑誌を作った。その後チケットぴあというビジネスを始め、ぴあカードというクレジットカード機能をつけ、大阪、名古屋、北京に進出し、たくさんの事業をしてきました。

 私は新規事業担当で、チケットや出版以外に、ホテルぴあでホテル予約システム、グルメぴあでレストランの予約システム、結婚ぴあで式場の予約システムを作ったりしました。これらの原点は、その時代時代に自分たちが一番欲しいと思ったものを作ることでした。こんなものがあったら便利だと思うものを作っただけです。

 周 白井さんはぴあの新規事業をずっと開拓し、北京の子会社も作ったのですね。

1972年雑誌ぴあ創刊号


2.起業の極意とは


 周 起業はいまや社会のキーワードとなっています。私が社外取締役をしているある会社の過去10年間の成長分野を分析すると、多くの新規事業は子会社によって成長しています。

 白井 買収によって子会社になった会社が、伸びているのですね。

 周 新しいサービスを展開するスタートアップ企業を買収し、本社が持つノウハウ、資金力、マーケットを提供し、伸ばしている。数字を見てみるとこうしたパターンは、成長が早い。ただ、現在の若手の起業家を見ると、事業予測が甘く、仕事の詰めが甘いケースが実に多い。創業には、何が一番大切でしょうか。

 白井 一番は、自分がやりたいことを形に表すことです。映画や芝居が好きな若者がたくさんいるのは昔も今変わらない。1972年すなわち昭和47年のぴあ創業当時はインターネットも携帯もない。大学に行き、映画にもライブにも行きたいが、情報を調べる方法がない。それを解決するにはどうすればいいのかを考えた。情報を一覧表にまとめて雑誌スタイルにして印刷し出したら売れるのではないか、という発想でした。

 次いで、チケット買うにはどうすればいいのかを考えた。有名ミュージシャンのコンサートチケットはプレイガイドを見るとほとんど売り切れ。渋谷は売り切れでも八王子の窓口では残っていたなどのアナログシステムを、コンピューターで在庫管理するシステムへと変えた。これも要は自分たちが不便だと思うことを捉え、これがあれば便利だ、を作ったのです。グルメぴあも同様で、どこにどんなレストランがあり値段はどうかの情報を本にまとめた。車に乗る人のためにぴあマップという今のGoogleマップのような地図を作った。カーナビのない時代に、地図を見ながら店を探せるようになった。

 周 まず自分たちから見て「これが必要だ」というスタンスに立ち、手持ちの資金で、手持ちの人脈で、やれるところまでやったのですね。伺ったところ、ぴあはTBSでアルバイトをしていた学生が集まって創業した会社で、各人のバイト経験が事業に活かされたとのことです。事業はシビアである、ということを知っていた?

   白井 ソフトバンクのようにレベルの違う巨大な資金力があれば、他企業を買収して会社の規模を大きくすると手っ取り早い。しかし当時のぴあはそんなことはできなかった。やっと雑誌1冊作りあげ、本屋で販売し、残った雑誌は友達に配り、チケットぴあの事業が始まるぐらいの感じでしたから。

 ぴあのメンバーは元々TBSでアルバイトした仲間が土台で、私もある程度サラリーマン時代の会社の規律や仕組みをわかっていた。もっと言うと当時はいきなり新卒をたくさん取れなかった。働いた経験を持ったプロフェッショナル連中が集まって、待遇は全然良くないけれど面白い会社だなと当時ずいぶん言われました。社員みんな会社が楽しくて仕方なかったです。

 周 本当に、好きなことやってビジネスに仕上げるとそうなりますね。

 さきほどの話に戻りますが、自分で創業しようとしたら、厳しさの感覚を、ある程度持たないと続かない。事業の中身の詰めが杜撰でうまくいかなかったスタートアップ企業が大いにあります。白井さんもそうした経験はおありでしょうか。

 白井 起業にとって大切なのは、会社の中にどのくらい資金があり、どれだけの人を投下できるかを考えて展開すること。当時はお金がなく資金繰りをして事業を立ち上げました。小さく産んで大きくした、それがもう一つのポイントです。

 さらにひとつ大事なことは、創業したのち途中で「もうこれ以上は続けられない、精神力だけで続けられない」というところに来る。マーケットを読み間違えたり、全くニーズのないところに事業を始めてみたりということは現実に起こる。新たな事業を起こすときに大切なのは、例えば3年後に黒字にし、ユーザー数が東京だけで15万人などという基準を作り、その基準に達しないときには、基本的に事業を撤退する。そうしないと、リーダーの気概、創業者精神だけでやろうとしても、社員はただつらい思いをするだけになります。つまり、創業した後も、状況を見据えて、撤退基準まで考えて決断することが重要です。


3.リーダーも社員も大切


 周 白井さんご自身は何故起業したばかりのぴあを選んだのですか?

 白井 私は大学を出てヤマハに勤めました。バイク、リゾート、楽器をやる会社です。元々、音楽とエンジンのついたものが大好きで、自分の若い頃のテーマが音楽とバイクの二つでした。バイク扱う企業はホンダもスズキもあるが、両方やる会社は当時ヤマハしかなかった。ヤマハ発動機とヤマハと二つの会社に分かれており、グループ全体で言うとリゾート開発もやる大きな会社です。1979年入社当時、ホンダとヤマハはバイクのシェア争い真最中でした。新入社員は先ず全員営業所に出向させられ私は日本でも最高激戦区の多摩地区に行かされました。オートバイ店に並ぶホンダのバイクを返品させ、いかにヤマハのバイクをおいてもらうかのノルマ競争で、非常に鍛えられました。顧客の小中学生の子供たちに、塾の講師代わりに勉強を教えてあげて、徐々にバイクを買ってもらえる、というようなこともした。

 当然会社ですから営業は大切です。ノルマが厳しい会社は沢山あります。ただ私はバイクのプロモーションやマーケティングのことをやりたかった。音楽が好きでバイクが好きで入社したのに、ホンダとの競争ばかり考えている。目の前で辞める先輩もものすごい数でいた。400人新入社員がいたのが、1年後には半分になった。入社当初からふるいにかけ、第1関門でホンダ以上に売る競争に勝ち抜いたやつだけがヤマハ本社に行けた。そんな厳しい世界で頑張っても、ヤマハは結局ホンダに負けました。私はこのままでは駄目だと思い、子供の時から憧れていたバイクのヤマハを辞めました。

 周 若手の社員を消耗戦に使う企業はいまも結構あります。

 白井 厳しい営業時代を経験し、自分たちでぴあを経営して思ったのは、雇われる社員の気持ちでした。駄目なときは撤退することを早めに言ってやらないと社員が疲弊する。目標が達成できないとボーナス額も減り評価も下がる。目標を達成しているチームへの給料も少なくなり、チーム全体が次第に崩壊していく。要するに弱い野球チームみたいになって、それぞれが殴り合う。もう全く成功につながりません。

 自分の好きなものを一生懸命やると言っても、結果が出せなければチームがついてこない。結局、創業者として引っ張るリーダーはたいへんです。創業者を支えるメンバーもしっかりしてない限り事業はできない。

 周 創業者のリーダーシップとメンバーのサポーティングのバランスが大切ですね。

 白井 その意味では、リーダーは1人がいい、ということです。リーダーをダブルキャストにして2人でやるのは駄目で、責任者が誰かひとりきちんと決まっていることが必要です。創業時に代表取締役社長を2名置く会社もなくはないものの、基本は友達を集めて興す会社でも、ぴあの例もそうですが、最初は6人の大学生による経営陣がいましたが、最後に残ったのはいまの社長ひとりです。合議制はできない。引っ張っていくリーダーと、支える経営層がいて、ちゃんと社長を中心にまとまっていることが大事です。反対意見をたくさん言い意見交換をするべきですが、最後に社長が決めたことがあれば、それについていくことが大切です。


4.都市にはエンタメが必要


 周 起業について非常に大事な話を聞かせていただきました。続いてエンターテイメントについて伺います。アメリカのデトロイト市に地域調査に行ったところ、デトロイトは戦争直後のごとき退廃ぶりでした。ところが、中心部にあるスポーツ施設、劇場あるいはライブ施設には大勢の観客が集まる。都市が退廃しても周辺の地域から人々がエンタメ施設利用のために訪れる。これを見て、エンタメの力を感じた。デトロイトの復興はエンタメ、さらに大学と医療をベースに展開していくでしょう。

 ニューヨークへは、私はボストンにいた2年間よく通っていまして、世界都市としてのコアがエンターテイメントになっている。それにつられて世界中から観光客が来る。ですので、東京もおそらく今後そうした方向に変わる。東京は確かにたくさん素晴らしいエンタメがあるけれども、ただし地域ごとに詳細に見ると、例えば国分寺にはエンタメの場所は見当たらない。映画館もない。国分寺を議論していくにはエンタメも考えなくてはならないと思う。

 白井 そうですか。学生さんがたくさん往来する素晴らしい街なのにね。

 周 国分寺駅2キロ圏には東京経済大学、東京学芸大学、東京農工大学があり、周辺にはさらに津田塾大学、白梅学園大学、武蔵野美術大学、一橋大学、亜細亜大学、嘉悦大学などがあります。中央線沿線に広げればより多くの大学があります。世界的に見てもこれほど若者に恵まれた立地はなかなかありません。問題は、そのような立地に見合ったエンタメの施設が殆どないことです。

 白井 国分寺に映画館を作ることを考えた場合、新宿や渋谷のTOHOシネマのように、例えば8階建ビルの上階をシネコンにし、下階を飲食店やショッピングエリアにする。中国の戦略は非常にこれに近く、中国が今世界一のスクリーン数を持っており、ほとんどがビルの中です。集客効果を上げています。中国は最新の地方都市の計画にこれが入るところが多い。

 映画を見る場合、TVや携帯、パソコン画面であれば、話の途中で自由に止めてトイレに行きご飯も食べられる。映画館なら2時間大きな環境の中で座って見続け、トイレに行ったら話がわからなくなる。本当の感動を得るためにはやはり映画館で見たい。

 同じ作品を見ても、感動の仕方がインターネットの動画やライブ配信と、ナマのライブでは感動が全然違う。

 エンタメは生活になくてはならないものです。動画と映画とをうまくコラボできるといいですね。集積地も作りつつ、映画を見る環境、ライブが見易い場所をもっと開発していく必要を感じます。

 5.映画とライブはエンタメの基本


  映画はやはりエンタメの基本ですね。私が住む「日本で住みたい街ランキング上位」の吉祥寺にもレストランの集積はかなりあるが、映画館はでかいのはひとつだけ。

吉祥寺のレストラン集積


 白井
 日本の最大の娯楽は映画でした。1958年にスクリーン数が7,067枚、観客数でのべ11億3,000万人という時代がありました。私が子供の頃は家の近くに映画館が三つも四つもあった。

 世界最大の映画市場はアメリカだ、と長く言われていましたが、いまは圧倒的に中国です。中国のスクリーン数が2年前にアメリカを抜いて、コロナ禍の中でなお伸びている。いまや観客数はアメリカの2.5倍です。中国では2020年1月24日から7月19日までほぼ半年にわたって映画館が閉鎖されていたにもかかわらずです。2020年の全世界映画興行収入でダントツが中国映画でした。

 周 逸早くコロナの蔓延を制圧したことで、中国映画市場は回復し、多くの中国映画が世界の興行収入ランキングの上位にランクインした。2020年映画の世界興行ランキングで中国映画「八佰(The Eight Hundred)」が首位を獲得した。また、同ランキングのトップ10には、第4位にチャン・イーモウ監督の新作「我和我的家郷(My People, My Homeland)」、第8位に中国アニメ映画「姜子牙(Legend of Deification)」、第9位にヒューマンドラマ「送你一朶小紅花(A Little Red Flower)」の中国4作品がランクインした。また、歴史大作「金剛川(JingangChuan)」も第14位と好成績を収めた。


   白井
 日本の映画作品としては「鬼滅の刃」が全世界で570億円だったそうです。同ランキングの第5位を獲得した。

   周 エンタメのもう一つの基本にライブが挙げられます。吉祥寺には音楽のライブハウスはあっても余り目立たない。音楽家も漫画家もエンタメ関係者もたくさん住んではいますが。

   白井 東京から新宿を通って吉祥寺までの中央線沿いに文化人が集積している。

   周 世界的に人気の文化施設は吉祥寺周辺ではジブリ美術館が有名ですが、そうした施設が吉祥寺にあと10カ所集積してもよいくらいです。

ジブリ美術館


6.
エンタメはいまや都市のメイン産業


 白井 エンタメの集積と言えば、ニューヨークのブロードウエイに若い人たちは1度行ってきたらいいと思う。私は小学生のときから、ずっとニューヨークに行きたい、行けば人生変わるのではと思っていました。ブロードウエイは通り全部にミュージカルの看板が出ています。ウェイは道ですから要するに吉祥寺の井の頭通りみたいな道が一本あり、両脇に所狭しに劇場があります。ブロードウェイで公演をすることは、エンターテイメントの世界で一番の夢です。

 興行の当たり外れははっきりしています。今から10年前、私はプロジェクトリーダーとしてブロードウェイ作品に投資をしました。一口1億円でプロットつまり作品構成が出た瞬間に買い付け、お金を出す代わりに当たったときは配当をもらう、いわば投資のようなものです。

 当たった作品からはいまだに配当が入っています。逆に、全く駄目で始まって1週間で打ち切りの公演もあった。

 ブロードウエイの凄さは集積地であり公演を全部見たくなるところです。チケットはなかなか取れないが、すごいなと思うのは、ブロードウェイのタイムズスクエアには、ハーフプライスチケットセンターといって、各劇場が非常に限られた枚数の当日券を、観光客用に売り切らないで持っている窓口がある。そこは長蛇の列です。並んでいると何かのチケットを半値で買えるとのことで何度か行ったりしました。それがアメリカの代表格、ブロードウエイです。

ニューヨークのブロードウエイ


 周
 ニューヨークのエンタメ集積は都市の魅力となり、観光客だけでなく人材も惹きつけています。ボストンのハーバード大学やMITは世界のトップ大学ですが、ニューヨークに立地している大学との優秀な学生と教員の争奪戦では、かなり苦労しています。IT企業にしても、最近ニューヨークに集まってきた一つの理由は、トップクラスの人材の獲得にある。

ブロードウェイの名作「オペラ座の怪人」


   白井
 イギリスの代表格がロンドンにあるウエストエンド。ここも劇場だらけです。世界ではこれが2大エンタメの発信地。日本もこれに続かなければいけない。日本がうかうかしていると、他国、例えば中国のエンタメ産業にリードされると思う。世界からお客様を呼ぶのは自然のままでは難しい。日本を代表するようなコンテンツは幾つもあるわけで、それをエンタメ集積地で興行していく流れが、今後必要になる。

   ニューヨークは東海岸で、アメリカ西海岸にはカジノがあるラスベガスがもう一つのエンタメの集積地です。サーカスでは「シルクドゥソレイユ」の各ショーや「ブルーマン」をはじめ、ものすごい数の演目が出ている。同様なのは中国マカオです。マカオではカジノだけでなく、ラスベガス同様に家族連れも楽しめる場所を作ろうとしている。

   日本でこれらに一番近いのは銀座でしょう。銀座には帝国劇場、歌舞伎座や東映も松竹もあるが、規模としてはちょっとまだ小さい。まだエンタメ集積地までいかない。銀座、新橋、日本橋辺りにエンタメ集積を作ることです。

ラスベガスのシルク・ド・ソレイユ サーカスパフォーマンス「O(オー)」


 周
 映画、音楽、漫画、アニメはもとよりあらゆるエンタメの世界に関心が高まっている現状を受けて、「エンタメは都市のメイン産業の一つだ」との発想にならなければいけません。

   白井 そうですね。アメリカは、日本よりはそうなっている。

   周 ニューヨークやラスベガスはもちろん、アメリカではニューオリンズなどもまさしくエンタメが都市のメイン産業になっています。中国では、私のふるさとの湖南省長沙市がエンタメ都市になっています。

ニューオリンズの音楽集積地フレンチクォーター


 白井
 中国はライブエンタメ市場の経済規模が、538億人民元(8,328億円)にもなった。農村部でのお芝居や京劇や全部含めて毎年5%伸びている。公演数でいうと300万公演です。公演数の伸びに比べ、観客動員数はさらに増加しています。つまり一つ一つの興行規模が上がっていることを意味します。ミュージカルが好調で、中国の皆さんもどんどん本物志向になり、「キャッツ」、「ウエストサイドストーリー」などブロードウエイのミュージカルを輸入して見せる。上海がミュージカル公演は圧倒的に多いのですが、日本より早いスピードでチケット完売しています。チケットの値段も日本より高い。

マカオの水上ショー「ザ・ハウス・オブ・ダンシング・ウォーター」


7.
エンタメを支える層への支援を


 周 そういう意味では、コロナで苦労しているエンターテイメント産業の下支えを如何に支援するかが大切です。最近NHKでニューヨークの日本人ジャズミュージシャンの番組を見ました。コロナ禍で仕事がなくなり苦労をして大変だったが、ニューヨークはミュージシャンを応援するため音楽家にかなり補助金を出したようです。

   白井 ぴあのシンクタンク、ぴあ総研の数字でライブエンターテイメント市場規模の推移を見ますと、さかのぼって2011年は3,061億円でした。2019年までの約8年間で6,295億円と倍になった。大勢の方が様々なアーティストの全国ツアーを見に行くようになった。ライブをしたいけれど小屋、つまり舞台、ステージが足りない状態でした。

   それが2020年はコロナの影響で同3月から公演が全部中止になり、1,106億円へと一気に縮まった。

   エンタメ業界は大打撃を受けました。興行が中止されぴあの仕事は払い戻しばかりという状態でした。興行中止で一番困るのは誰か。チケットぴあも困るが、出演アーティストも困る。アーティストは人によって違いますが、大きな事務所に所属し給料制の人もいれば出来高でやってる人もいる。但、実は一番困るのは裏方です。照明、音響、舞台美術など裏方でエンタメを支える人々は、会社組織であってもその小さな会社を自分で経営していると、興行が中止になれば仕事が全くなくなってしまう。

   周 音楽産業の厚みは実際裏方にある部分が大きい。コロナ禍の経済対策として日本は、GOTOトラベルキャンペーンは行ったものの、エンタメ産業の裏方の支援は行き届いていないようです。

   白井 海外からの日本入国者数は2019年で3,188万人が、20年になると412万人、21年は9月までの累計で1万7,700人くらいです。オリンピックが普通に開催されていれば4,000万人は突破したとみられています。

   日本では新型コロナ禍による旅行人口減少に対してGOTOトラベルキャンペーンをしたが、エンタメ産業の人に出したお金は極少です。持続化給付金で、事業を継続するための給付金を会社には最大で250万、最小で100万入れても金額はまったく足りない。国民全員に10万円出したが興行を下支えする人たちへの政府補助は圧倒的に少なかった。とくにエンタメを支えていたミュージシャン、組織に属さず自分でコンサートをやる人たちに対する補助は、最初の10万円と、持続化給付金名目のものしかない。

   ぴあが中心になり、エンターテイメント協議会を作り足並みを揃え、2020年から政府にエンタメに対して補助をすべきだと随分言ってきた。政府からするとなかなか線引きが難しいとして、一律の補助以外の個別補助をすることが現段階では何一つない。個々の芸能人、照明の人、音響の人、舞台を作る人は大変苦労した時期だったと思います。

   周 その意味ではいかに政府の支援を引っ張り出せるかについて、業界を代弁できるエンタメのリーディングカンパニーとしてのぴあの役割は大きいですね。

8.デジタルの力をエンタメに


 周 コロナ禍で、オンラインライブが伸びましたね。動画配信でONE OK ROCKのステージを見ましたが、ZOZOマリンスタジアムでのコンサートをオンラインライブするやり方が大成功しました。

ONE OK ROCKのオンラインライブ


 白井
 エンタメ業界の売り上げがものすごい勢いで減る中、光が出たのが、2020年の有料オンラインライブでした。一気に448億円の市場に急成長した。コロナの影響で2020年1月〜3月がほとんどなかった有料オンラインライブが徐々に出てきて10月〜12月にかけて373億まで稼いだ。リアルな興行ができずお客さんも呼べない中、横浜アリーナなど大きな会場を使い照明、舞台設計、音響の人も動員し、さもお客さんがいるような形でやるものも出た。ドローンを飛ばして撮影するようなことをやりながら映像配信を始めた。それが爆発的に当たりました。有料オンラインライブの客層は圧倒的に20代の女性、男性も20代です。

   周 ソニーの「THE FIRST TAKE」もかなりうまくいきましたね。ライブ業界のDXが一気に進むようになった。

ソニーの「THE FIRST TAKE」


 白井
 業界にとってこれから大事なのは、DX、デジタルトランスフォーメーションをどう作り込むかだと思う。

 野球もコンサートもオリンピックもリアルの方が良いに決まっている。でも例えば、横浜アリーナの2階席からアーティストを見るのであれば、テレビや動画で見るのとほとんど変わらないと感じるかもしれない。1万円ぐらい払ってナマで見れば臨場感は違うが、家にいてオンラインで見れば、3500円で済む。スポーツもテレビで見る方が遥かに見易く、解説もついてわかりやすい利点がある。

   周 オンラインライブの将来は、リアルライブでは出来ない見せ方を如何に引っ張り出すのかにかかってくる。

   白井 DXが進み、携帯が5Gになり、非常に多くの伝送容量が稼げて、より鮮明な映像を携帯でもテレビでも見ることもできる時代になる。DXはもっと進化させなきゃいけない。リアルを超えるDXは作れないのか。リアルの映像を、ドローンを飛ばして、アーティストの正面まで撮って、ドアップで撮るってカッコいいと思った先を、次はデジタルトランスフォーメーションで5Gの力を使ってどう展開するのか。

   例えば乃木坂46をテレビで見る限りは、一人をずっと見ているわけはいかない。自分の好きな一人だけを追いかけたいとすれば、これはDXじゃないとできない。ライブでは一番前の席を取ればいいが、そうでなければ客席から遠すぎて見えない。それを、乃木坂46のカメラDXができて、ドローンから自分の好きな映像だけを選んで見るために5GとDXの力を使う。そうした工夫は、興行側もまだまだ展開できる。

   どうしても私はリアルが一番だと言ってしまいがちです。映像がリアルを超えるときは来るのでしょうか。携帯の性能がよくなりパソコンも通信の容量が大きくなることによって、時代は何年後かに変わっていくだろうし、変わっていかなければならないとは思っていますが。

   周 いままでとは違う見方が求められる。リアルとオンラインとの棲み分けが必要です。さらに、相乗効果の可能性もあります。例えば映画とOTTの関係では、映画としての「鬼滅の刃」が爆発的に売れた一つの理由は、ほぼ世界中のOTTプラットフォームでアニメ「鬼滅の刃」をことごとく流したから。そのやり方は、後の映画版と大きな相乗効果を生んだ。ライブの場合も、オンラインは今後面白い見せ方をしてリアル作品との相乗効果を作っていくことになるでしょう。


 白井
 いま日本映画はこの方式が多く導入されている。テレビでまず連続放映し、続きが映画になる。たとえば、テレビ朝日の「相棒」が20シーズンも続き、その都度映画も出来てヒットする。中身そのものは特別に映画だからといって規模感は大きくなっても、仕掛けは変わっているわけではないのに映画も当たる。

   周 情が移ることを意識する作戦です。テレビをきっかけに見る側が主人公に情感を得ると、映画も見たくなる。それで映画も当たれば、数字的には食べられるということで、作戦としてはいいですね。

   これからデジタルの力でエンタメの新展開が大いに期待できます。


プロフィール

白井 衛

ぴあ株式会社取締役

 1955年生まれ、東京都出身。79年ヤマハを経て、ぴあ株式会社入社。広告営業(電通担当)、大阪支社・名古屋支局開設責任者、新規事業開発(グルメぴあなど)、会員事業担当、アメリカ・カナダでの事業開発を経て、現職は、ぴあ株式会社取締役アジア事業開発担当、ぴあグローバルエンターテインメント代表取締役社長、北京ぴあ希肯副董事長。


中国語版『新冠疫情下的中日娱乐产业』(中国网・2022年2月15日掲載)

【インタビュー】周牧之:中国経済の成長と新たなアジア世界の展望



編集ノート:独立行政法人経済産業研究所(RIETI)の機関誌『リエティ・ハイライト(RIETI Highlight)』2021SUMMER号で、『シン・アジア』をテーマとした特集が組まれた。周牧之教授は同誌の特集インタビューにて「中国経済の成長と新たなアジア世界の展望」について語った。


独立行政法人経済産業研究所(RIETI)『リエティ・ハイライト』2021SUMMER号


リード:
中国経済は、世界的な新型コロナウイルス感染拡大や米中対立による貿易摩擦の中でも着実な発展を遂げており、GDPではアジアの半分、日本の約3倍の規模となっている。今回のハイライトでは中国の経済成長の原動力を都市ととらえ、中国の国家発展改革委員会などと協力して環境・社会・経済という3つの軸で都市を評価する「中国都市総合発展指標」の開発を主導した周牧之教授(東京経済大学)に、指標から見える中国経済の姿や今後の見通しなどについて聞いた。


コメンテータ: 
安藤晴彦 
RIETI理事

インタビュアー:佐分利応貴 RIETI国際・広報ディレクター


 

メガロポリス戦略


 周:2010年2月10日、「ニューズウィーク」のカバーストーリーに、「ジャパン・アズ・ナンバースリー」という非常に衝撃的なタイトルで、社会学者エズラ・ヴォーゲル教授と私の対談が掲載されました。当時は中国の国内総生産(GDP)が日本を超えた頃で、私は中国の経済成長の原動力を聞かれ、輸出拡大と急速な都市化だと答えました。輸出拡大は、日本の場合はフルセット型のサプライチェーンだったのに対し、中国の場合はグローバルサプライチェーンの下で展開しました。

 

周牧之、エズラ・ヴォーゲル対談『ジャパン・アズ・ナンバースリー』『Newsweek 』2010年2月10日号


 グローバルサプライチェーン、産業集積、そして都市化はドクター論文から今日まで私がずっと追いかけているテーマです。2001年8月には『城市化:中国現代化的主旋律 (Urbanization: Theme of China’s Modernization)』(湖南人民出版社・2001年)という本を出しました。これは国際協力機構(JICA)と中国国家発展改革委員会との共同プロジェクトで、中国で数年間にわたって実施した都市化政策に関する大調査の結果です。私はその責任者でした。

   当時、中国では都市化という言葉すらまだタブーだったのですが、私は中国におけるメガロポリス時代の到来を予測し、都市化政策の必要性を論じました。上海などの長江デルタ、 広州・香港などの珠江デルタ、北京・天津などの京津冀(けいしんき)の三大メガロポリスが中心となって中国経済を引っ張っていくという仮説を立てたのです。

2001年の予言:メガロポリス時代の到来


 中国政府は、このメガロポリス論を政策に取り入れました。私は、当時第11次5カ年計画を作成していた計画司(局)長の楊偉民さんとともにメガロポリス政策を推進しました。それまでのアンチ都市化政策をひっくり返したメガロポリス政策は大当たりし、今や三大メガロポリスで全国のGDPの4割弱、輸出の7割弱を占め、人類史上最大規模の産業集積地が生まれ、世界経済を引っ張る存在になりました。

メガロポリス:2001年の予言と2020年の現実


中国都市総合発展指標とは


   周:中国の都市化の初期段階では、経済を重視し過ぎるあまり、環境問題や民生、社会問題への対処がかなり手薄になっていました。そこで都市を総合的に評価し、時代に合ったディレクションを示す必要があると痛感しました 。いろいろな人と議論して最後にたどり着いたのは、都市を細胞ととらえて、 しっかりと細胞をつなぎ合わせることで体全体が出来上がるような構造を作ろうという、中国都市総合発展指標のアイデアだったのです。指標では環境・社会・経済の3つの軸から中国の全ての都市を評価しました。現在では、統計データの限界を補うため、衛星リモートセンシングとインターネットのビッグデータを集め、全国298都市(都道府県に相当)を網羅した評価システムとなっています。

「中国都市総合発展指標」:五感で都市を感知するマルチモーダルインデックス


 2000年から2019年までで、中国の輸出規模は10倍に伸び、中国の実質GDPは5.2倍になりました。そして都市エリアも約3倍に増えました。まさに輸出と都市化という2つのエンジンが中国経済を引っ張ってきたわけです。

 297都市の製造業輻射力(その都市の製造業の能力を計る指数)を見ると、トップ10都市で貨物輸出の5割を占め、そのうち9都市は沿海部にあります。さらにこの10都市中7都市は昔、製造業とは無縁の小さな地方都市や漁村でした。まさにグローバルサプライチェーンの展開によって誕生したスーパー製造業シティなのです。

新型コロナウィルスへの対応


 周:今回のコロナ禍で研究を進めたことが2つあります。1つは、コロナ対策にオゾン(O3)が結構使えるのではないかということです。私は2020年の2月18日に論文を発表し、オゾンを推奨してきました。オゾン研究でコラボを組んだ中国の遠大科技集団で製作したオゾン発生器付き空気清浄機を武漢の緊急病院に設置した結果、院内感染を抑え、その後ほとんど院内感染は報告されていません。現在、オゾンに取り組んでいる企業が世界中で増えています。

オゾン利用での新型コロナウイルス対策を提唱


 2つ目はコロナ対策に関する研究で、2020年4月からいくつも論文を出しました。私は、世界各国の対策を「ゼロ・COVID-19感染者政策」と「ウイズ・COVID-19政策」の2つのタイプに分けてとらえました。中国は最初から「ゼロ・COVID-19感染者政策」を取っていました。その理由は、2003年に中国がSARS(重症急性呼吸器症候群)を経験し、感染症対策のための強力な法整備を進めていたからです。

いち早く「ゼロ・COVID-19感染者政策」を研究


 2020年1月20日に中国は、新型コロナウイルス感染症を「中華人民共和国伝染病防治法」に適用し、23日に武漢がロックダウンされました。その後、全国各地で相次いでロックダウンがなされました。そして、ロックダウン解除の条件は、域内の新規感染者を2週間ゼロにすることで、これが功を奏しました。人口14億の国でここまでコロナ対策が徹底できたのは、SARSの時の経験を生かせたからです。

ロックダウン77日間で武漢は新型コロナを封じ込めた

中国経済の今後の見通し


 周:2000年以降、世界経済は大きく変わりました。私は、この時期にゲームチェンジが起こり、世界の経済社会の枠組みが変わったととらえています。それまでなかった徹底的なグローバルベースのビジネスの仕組みができ、人類史上最大の繁栄期を創りました。一方で、発展のゆがみも大きく、貿易の不均衡はもちろん、富の分配の極端な偏り、国民国家というコンセプトとグローバリゼーションとの摩擦も激しくなっています。

   ただ、認識しなければならないのは、現在の世界の輸出の7割弱はこの20年間で新たに生まれたものだということです。そのうち4分の1が中国と米国による貢献でした。残念ながら日本は、その増加分の1.8%しか貢献していません。

   世界のGDPの6割以上はこの20年間で増えたもので、その4分の1が中国、2割が米国によるものです。つまり、米中がこの新たなグローバル経済の最大の推進力になっていたのです。この仕組みを壊すのはほぼ不可能ですし、さまざまな衝突と協力の中で進化していくことは間違いありません。

アジアは世界経済成長のエンジン


 佐分利:今後中国を含む新たなアジア世界、シン・アジアが世界経済の中心となると言われていますが、いかがでしょうか。

 周:すでに中国を含むアジアは世界経済のエンジンになっており、アジアと米国は世界の成長エンジンの両輪として過去20年機能してきました。中国の急成長は米国の変革とも絡んでいて、米国はこの20年間で大きく変貌しました。その変革に米中双方が深く組み込まれているのです。

 例えば民主党と共和党は20年前と比べ立場も支持層も随分変わりました。本来、労働者は民主党支持者だったのですが、今ではトランプ支持になっています。まったく様子が変わってきたのです。米国のこれまでの変革に対する反動も米中関係に直接反映されています。

 中・長期的に見れば、米国と中国・アジアとの連携は間違いなくもっと高まるでしょう。グローバリゼーションやグローバルサプライチェーンも、さら に進化していくと思います。

 佐分利: 国民国家は、今後どうなっていくと思われますか。

 周:私は、世界は都市の集合体になっていくと思うのです。国民国家という枠組みが薄まっていく中で、都市をもっと重視した世界的な仕組みを、スケールアップした発想力で考える時に来ています。

 佐分利: 最後に、日本へ向けてのアドバイスをお願いします。

 周:厳しい話をすると、こんなに大きな感染症が起こって1年半たっても今のような状況というのは、大いに反省して、コロナを収束させることを至上命題にして取り組まなければなりません。人の命がかかっているのですから。ロックダウンを2カ月ぐらいきちんと実施すればコロナは制圧できるのです。そうなっていないのは、恐らくコロナウイルスに対する認識が足りないのかもしれません。また、長期的に見ると、過去20年に起こった世界におけるゲームチェンジに対する認識も甘いと思います。

日中の架け橋となる生活文化産業


 安藤: 周先生のメガロポリス政策はまさに「革命」でしたね。中国は、グローバルな戦略を進める一方で、地方が金融リスクを負ってしまい、環境問題も結構厳しくなっていて、国内では貧困の問題も残っています。その点で、中国の「三大堅塁攻略戦」(重大金融リスク防止、貧困脱却、環境汚染防止)は本当に素晴らしい政策だと思います。

 周先生とは生活文化産業に関するシンポジウムを北京の中国科学院で開かせていただきました。素晴らしい会議でしたね。

国際シンポジウム:中国の生活革命と日本の魅力の再発見、2012年3月24日北京で開催


 周:
10年前、アジアに日本の生活文化産業を輸出できるのではないかと考案したテーマでした。後のインバウンドもその意味では生活文化産業の「輸出」です。日本はそれが一番の強みになると予測し、結果的にそうなりつつあります。このテーマに乗った安藤さんの先見性もすごいです。北京での会 議は、大体途中でみんな席を立って消えていくのですが、生活文化産業シンポジウムは土曜日にもかかわらず600人も詰めかけ、みんな最後までいました。やはり日中両国がこの分野で手を携えていくべきだと皆さん感じていたのでしょう。

 佐分利: 生活文化産業は、日中両国の将来を担う重要な分野だと思います。本日は貴重なお話をありがとうございました。

(敬称略)

 


プロフィール

周 牧之(しゅう ぼくし)/東京経済大学教授

1963年生まれ。(財)日本開発構想研究所研究員、(財)国際開発センター主任研究員、東京経済大学助教授を経て、2007年より現職。財務省財務総合政策研究所客員研究員、ハーバード大学客員研究員、マサチューセッツ工科大学(MIT)客員教授、中国科学院特任教授を歴任。〔中国〕対外経済貿易大学客員教授、(一財)日本環境衛生センター客員研究員を兼任。